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「当事者研究」ということばをご存じでしょうか?これは主に北海道の浦河べてるの家(精神障害をもつ人たちの共同体・コミュニティ)を中心に発展した、日本発のソーシャルワーク・アプローチです。当事者研究の基本的な考え方は「問題の専門家は当事者本人である」というものです。いいかえると、精神的・社会的に困難を抱える人は、他者(例:カウンセラー、ソーシャルワーカー)に分析・治療される対象ではない。自分自身でその問題を観察、分析し、共有し、工夫を重ねて困難に向き合っていく存在と自覚すること言えます。★「支援してもらう存在」から、自分自身が「研究者」「実践者」になるわけです。具体的な実践方法は、仲間や支援者との対話の中で、自分の問題(例:幻覚、不安、依存、ひきこもり等)について、研究していきます。問題の経過、きっかけ、特徴、パターン、対処法を客観的に整理していきます。その際にユーモアの精神も取り入れます。困難のある人生ですが、楽しく幸せなものにしていくという側面があるからです。そして自分の研究テーマを明確にしながら、さらに他者と交流して語っていくわけです。発表や記録、研究ノートの作成、ときには学会での発表や、書籍の発行なども行われます。「当事者研究」には代表的な言葉やスローガンがあります。◆自分の問題に自分で取り組む◆べてるの家には「治す」専門家はいません。「治る力」がある人がいます。◆悩みは宝(研究材料、人とつながる糧、自分らしさの一部、自己表現方法とできる可能性)◆弱さを絆にこうした「当事者研究」は現在、いろいろな領域に広がっています。精神障害、依存症、発達障害、ひきこもり、家族問題などの多様な分野で応用されています。以上が「当事者研究」にかんする、概要になります。そして以下に、私の考え・思いを追記していきますね。私は「当事者研究」という視点について、本当にもっともな視点だと強く感じました。それはかなり昔に気づいたある教訓を応用できたからです。その教訓とは次のようなものです。「本は確かに多くを教えてくれる素晴らしい教材です。しかし本の内容は、読者全てに向けて発信されています。ですから①一般的な内容(≒なるべく多くの人に当てはまりそうな内容) ②特定の読者層に向けた内容(≒特定から外れると学び等が少ない・無い)ものになりがちです。つまり、本の内容を全て理解はしながらも、どれを共感したり、受け止めたり、考えたりするのかは、読み手が自分自身で行う必要がある。」という教訓でした。つまり★本の内容は、全てをうのみにして実践しても、良い学びや成果があるわけではないということでした。要は自分次第の部分が必ず残るわけですね。この教訓が「当事者研究」と出会ったときに、私は「当事者研究」に強く共感したわけです。そしてもっともな方法であることを感じられたのです。自分自身について。好き嫌い、経験してきたことなど、雑多な情報が本当に膨大にあるわけです。もちろん無意識に関することなどは自覚できないかもしれませんが、それでも自分自身についてのあれこれを、世界で一番知っている存在はだれなのか? それは読者様(自分自身)ですよね。あなたに関わってくる重要な他者について。養育者たち(例:父母)だったり、パートナー(例:配偶者)だったり、親友だったり。そんな彼ら/彼女らについて、自分とかかわるときの性格、自分とかかわるときの特徴、自分とかかわってきた今までのやり取り内容などを、非常によく知っている存在。 それは読者様(自分自身)ですよね。あなたが生まれ育ってきた環境。場所や地域、経済状況、かかわった人たち、文化などが、本当に複雑に入り混じりながら、あなたの人生に影響を与えてきました。そうした複雑な状況・経緯(いままでどのように経過してきたか?)について、非常によく知っている存在。 それも読者様(自分自身)ですよね。確かに精神科医、カウンセラー、ソーシャルワーカーなどの専門家は、たくさん学んできていますし、専門性も高い人たちです。ですが専門家たちには、「当事者研究」の視点から考えると、決定的な弱点が存在します。それは「専門家たちは一般的な専門性が非常に高いだけ」という点です。あなたに限定した、あなたへの理解、あなたの重要な他者への理解、あなたが経てきた環境への理解等については、あなたより知っていることはないのです。もちろん専門性を発揮して、あなたの無意識の一部を把握して対応したり。カウンセリングで明らかになった部分から、あなたが知らない対応法を活用しながら支援したり。そういう一部の場面で、専門家があなたよりも「良く知っている」ことはありえます。当然治療、支援などで頼もしい存在になることもあります。ですが自分自身の専門家であるあなた様には、あなた自身に限った全てを理解・把握している点において、かなうはずもないのです。しかも自分自身について、専門家などの相手に対して十分に伝えることは、本当に大変で時間がかかる作業になりがちです。かつて私はカウンセリングや相談支援を受ける機会がありました。その際なるべく効率的に自分の両親(重要な他者)について、説明をしようとしてみました。しかし十分に伝えきろうとするには、本当に時間がかかりました。また不十分に伝わっている部分、相手に真意が伝わっていない部分もたくさんあったように感じられました。※それでもカウンセリング等では大切なやりとりですし、問題の解決や緩和にはとても有効です。つまり、日頃から自分自身の問題に対して「当事者」として研究しながら日々を大切に生きていく方が、問題に適切に対応できる可能性があるわけです。<まとめ>確かに専門性の高い専門家には、あなたの抱える問題を解決・緩和する支援能力があります。しかし専門家たちは、あなた限定の最高の支援者ではありません。あなたの全てを知っているわけでもありません。むしろ、あなた自身の全てについて多くを知っているのは、「当事者であるあなた」なのです。ですから今後ご自分の抱える問題や生きづらさなどの困難と向き合う際は、向き合い方の一つとして「当事者である自分も、問題を乗り越える最重要メンバーの1人なんだ!」という意識をもって対応して頂きたいと思います。きっと今まで以上に効果があがることでしょう。
2025.07.31
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介入とはクライエントに対して、何かしらの働きかけを行うことです。そして私がこの数年間、福祉施設に実習に赴き、カウンセラーとソーシャルワーカーの介入姿勢に大きな違いがあることに気づきました。きっかけは、ソーシャルワーカーがカウンセラーをひどく嫌っているケースが立て続いたことです。(約2年間の実習にて、ソーシャルワーカー指導者4名中2名が該当しました)カウンセラーを嫌っているソーシャルワーカーのお二人は、お互いに素性を全く知らない上、関係性もない方々でした。しかし、彼らの主張は非常に似通っていました。つまり一部のソーシャルワーカーには共通して持たれやすい概念だったと思われました。彼らによると、カウンセラーは言葉を無遠慮に用いて、クライエントに安直にかかわろうとする。安直とは、相手の安心を妨げたり、相手が受け入れようとするスピードを無視したり、触らないで欲しい部分について触れようとする、とする意味あいです。一部のカウンセラーはそのようにクライエントとかかわろうとしているそうです。確かに彼らの視点には、クライエントを尊重したり、リスクを高めない面では、とても説得力のある内容だと思います。第1に、カウンセリングの種類によっては、クライエントに介入的であったり、意図的に問題との直面化を図る面があるからです。認知行動療法にもその傾向があります。カウンセリングの際に、クライエントの気持ち、様子をしっかりとくみ取りながら、カウンセリングの進行自体を優先しない姿勢が大切だと思われます。第2にカウンセリングには、カウンセラーが変容を迫る側、教える側という関係性がみられることがあります。(基本的にカウンセリングでも望ましいことではありません)それに対して、ソーシャルワークは「対等な関係」「クライエント中心」を非常に重視します。第3にカウンセラーは、問題の主な原因がクライエントとかかわる環境、社会状況、社会的背景等であったとしても、クライエント(及びその家族)に原因があるとみなしすぎる傾向があります。つまり生物・心理・社会モデルを十分に踏まえたカウンセリングを行えていない傾向があるのです。先日のキャリアコンサルタント講習においても、多くのキャリアコンサルタントは初めて聞く概念だと言っていました。参加していた臨床心理士も、その視点を学んでいないという反応でした。第4にカウンセラーが用いる言葉には、ときに暴力性や操作性が感じられる点です。たとえばクライエントに対して「今あなたがお感じの考えは、歪んだ認知から生まれています」と断じた場合、その表現にはクライエントを傷つけるリスクや、カウンセラーが望ましいと思える理想像に一方的にクライエントを誘導するリスクがあるわけです。第5に問題のあるカウンセラーが少なくない点です。私はメールカウンセリングを主に、数年人のクライエントさんとかかわってきました。その相談の中で「それはひどい」と思えるようなカウンセラーの対応実例をたくさん見てきました。カウンセラーが燃え尽き症候群にかかっているのでは?と思えるようなひどいケースも複数ありました。そうした事例に出会ったクライエント(のご家族)は、ひどく傷ついているケースも少なくありませんでした。以上のように、ソーシャルワーカーたちが実際に主張するような問題点が、カウンセラーの側にある可能性は確かにあります。そうした問題提起に対して、カウンセラーは真摯に受け止めて、修正を図っていく必要があるでしょう。もちろん私も、その中に含まれます。ただし、そうした強い批判を展開した2名のソーシャルワーカーには、彼ら自身が著しい心的問題を抱えているように、強く感じられました。先日終えた実習先の指導者は、私のカウンセラー的なクライエントへのかかわりを介入だと断じ、「実習生も支援者のはしくれなのだが、あなたは自慰行為支援者※だ!」と嘲笑して断じてきました。※本当は横文字でえげつない表現「福祉にかかわる人間には、みなすねに傷を持っているものだ」とかつて寿町の指導者様が助言して下さいました。私が実習先で出会った彼らも、恐らく「大きな傷をすねに負っている方」なのだと思います。その上で最後にこう締めくくりたいと思います。我々はカウンセラーであろうと、ソーシャルワーカーであろうと、専門性が高い存在です。だからこそ、クライエントへの影響力は非常に大きなものになります。それゆえ、常に自分の言動が「本当にクライエントの幸せにつながるものなのか?」という問いを持ち続けること。そして「自分が絶対に正しいはずで、相手に自分が良いと思えることを一方的に押し付けない」という戒めを、常に心の中に持っているべきです。指導者であっても人ですから、つらいでしょうし、認めたくないのかもしれませんが、自分の心の弱さと向き合うことを忘れてはいけません。それはキャリアを積んだ状態であれば、実力や影響力が増していますから、なおのことです。たとえ解決志向アプローチ、ブリーフセラピー、認知行動療法、キャリアカウンセリングを使用して実際に介入的な言動をするとしても、それらの言動が持つリスクを自覚すべきだと私は強く思います。
2025.07.22
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福祉実習先においては、トップダウンで抑圧的な組織に配属されることが少なくありません。加えて実習における合否を決定する指導者側と、弱みを握られる実習生という上下関係が生まれる為、実習生が指導者からパワハラを含む人格攻撃を受けることもありますし、現場で散見されるとのことです。こうした状況は、トップダウン的管理が強い企業にもよく見られます。もしも実習生のあなたがこうした十種先に派遣されることが決まった場合、どのように対応すればよいのでしょうか。それについて今回情報提供したいと思います。なお本記事は、ChatGPTを参照した上で製作致しました。ADHD等の発達障害等を抱えるなど、実習先で十分にソーシャルスキルを発揮できない場合、実習期間への適応は困難になることが考えられます。例えばかりに読者のあなたにADHDがある場合、次のような問題を感じやすいことでしょう。①集中力の持続の困難②不注意によるケアレスミス③感情的反応を受けやすい環境での過剰なストレス反応④優先順位づけの難しさや予定管理の混乱これらが実習の場面や対人関係の摩擦に影響している可能性がありえることでしょう。このような背景がある中で、感情的・不適切な指導者からの対応を受けると、さらにストレスが大きくなるのは当然のことです。「自分が悪いのかもしれない」「不適切な反応を招いてしまったのでは」と自己責任的に感じやすいのも、ADHDの特性やこれまでの経験(例:新入社員として就労した先で、仲間としてなじめずに苦労した)に由来していることも少なくありません。① あなたの特性は「弱み」ではなく「個性」です社会福祉や臨床心理の分野では、むしろ多様な認知スタイルを持つ支援者が増えることが大切です。例えばADHD的特性は、「多動性」や「注意の散漫さ」だけでなく、「情熱」「観察力」「柔軟な発想」といったポジティブな面もあります。② 不適切な指導は、あなたの責任ではありませんたとえ支援者側が未熟な点や特性を抱えていたとしても、それを理由に人格を傷つけるような指導は正当化されません。(例:「実習生も支援者のはしくれなのだが、あなたは自慰行為的な支援者ですね!自己満足をする為にやっているだけですね!」と嘲笑※して、実習生側の考えを傾聴せずに決めつけて発現する)。やはり指導者には「適切に伝える責任」があると言えるでしょう。※事実は外来語での表現でしたが、楽天ブログの規定に反する為に「自慰行為的」としてあります。③担任やグーグルマップの評価欄などから、情報を収集しておくかりにあなたの実習先が、パワハラが行われる組織であったとしても、事前の情報把握や準備(例:ソーシャルスキルを再確認しておく)を十分に行うことで、脅威は低減できることでしょう。その為にも、事前の情報収集・事前準備は有効だと言えるでしょう。もしかしたらあなたは、日頃の努力の成果が出てきている結果、「場の空気」(少なくとも違和感)は感じられるようになっているのかもしれません。そして、それに「どう対応するか」にまだ迷いがある状態(ソーシャルスキルの発揮が不十分)なのかもしれません。相手の真意を読み違え、誤解や緊張が生まれるケースは十分にありえます。 こうした課題への対応策として、以下のような対応策が考えられます。① メタ認知(自分の思考や感情のプロセスを俯瞰)を強化するたとえば場の空気を読んだときに、それを即「事実」と捉えるのではなく、「今、私はこう感じた。けれどこれは相手の真意とは限らない」「ここで反応する前に、一呼吸おいて他の可能性を考えてみよう」というように、自分の感情や思考を“ひとつ外側から観察する習慣”をつけると、対人誤解を減らしやすくなります。(具体的方法の候補)・毎日の出来事を【事実/感情/解釈】に分けて記録する(いわゆるCBTの日誌形式)・週1回の「振り返り時間」を設け、自分の解釈が妥当だったか再確認する② 「確認する勇気」を持つ(アサーティブ・コミュニケーション)誤解を減らすには、「空気だけでなく、言葉で確かめる」ことも有効です。例:「先ほどのご指摘、私は○○という意味で受け取ったのですが、もし違っていたら教えていただけますか?」「Iメッセージ」を活用したこのような言い方は、攻撃的でも受け身でもなく、「自己主張と他者尊重のバランス」を取るアサーティブな方法です。(アサーティブな伝え方の練習方法)<期間:2~4週間程度>目的:反応を「自己主張+尊重」の形に修正する力をつける◆よくある場面を想定した定型文フレーズをつくっておく - 「確認させていただきたいのですが…」 - 「少し考えてから返事させてください」 - 「私はこう受け取ったのですが、合っているでしょうか?」◆ 実際の職場・実習で「使える場面が来たら使ってみる」小さな実験◆ 使った後に、日誌に「どう感じたか」「相手の反応は?」を記録③ 「即応」ではなく「反応の猶予時間」をつくるADHD特性を持つ方は、場にいるときに過剰に即応しようとしがちです。特に空気を感じた時に「何か言わなければ」「謝らなければ」と焦る傾向があります。その際には、「一度持ち帰って考える」→「後から確認・対応する」というスタンスも選択肢です。その場で無理に結論を出さず、1日後などに冷静に対応する習慣をつけるわけです。④ 信頼できる他者とのフィードバック関係を育てる実習中でも、客観的な助言をくれる実習担当者や学校教員、あるいは同じ志を持つ仲間に定期的に状況を話すことで、自分の「解釈の癖」や「反応のズレ」に気づくきっかけになります。また従来培ってきた人間関係の中におけるスーパーバイザーやメンターを健全に頼ることは有効です。他者からのフィードバック環境づくりを目指す目的:自分だけの視点に頼らず、外部の鏡で見直す力をつける・信頼できる実習担当、上司、メンターに「今の対応どうでしたか?」と聞いてみる → 1回/週を目標に・自分がミスしたときに「どう伝えたら誤解が減るか?」を一緒に考えてもらう・就労移行支援/発達障害支援センターなどの対人支援プログラム(SSTなど)にも可能なら参加⑤反応のズレや思い込みのパターンに気づく土台をつくる<期間:3カ月程度> CBT式の「コラム法」を活用して、自分の反応を「事実」「解釈」「感情」に分けて記録する。つまり認知行動療法を実践し続ける自主的な訓練を行う。その際は週末に1回振り返る。 「自分の解釈は妥当だったか?」「他の見方はできるか?」と確認する習慣づけることも有効です。また「自分が誤解しやすい状況TOP3」「反応しすぎた場面」などを把握しておくことも有効です。⑥反応の「待ち時間」をつくる目的:即反応によるミスや誤解を減らす・ 気まずさや焦りを感じた場面で「1分間深呼吸→一度黙る」を練習 →「今すぐ答えなくていい」「あとで返しても大丈夫」と自分に言い聞かせる・困った場面では「その場で結論を出さない選択肢」を持つ → 例:「この件、いったん整理してまた共有しますね」⑦「感情」と「行動」を分けて捉える上司や権力者の態度や指示に対して「心の中で感じる違和感やストレス」は自由に持って良いです。しかし、行動としては組織のルールや役割に沿うことに注力し、感情的に反応しない工夫をしてみることです。例:「理不尽に感じるけど、ここではまずは指示通り動こう」 →感情は自分の中で吐き出す(信頼できる人に話す、メモに書くなど)⑧「最低限守るべき行動基準」を明確にしておく自主性を発揮しづらい環境では、組織のルールや暗黙の了解をまず守ることが最重要です。 例:言葉遣い、服装、時間厳守、報連相のフォーマットなど この「守るべき基準」を理解し、ミスなく守ることに注力すると、余計な摩擦を減らせます。⑨「観察と模倣」を段階的・計画的に行う周囲の人の言動や反応を、まずは客観的に観察し、何が「良し」とされているかを意識的に記録します。その中から、影響力のある人や長くいる人の行動パターンを真似る(模倣)とよいでしょう。模倣は「丸パクリ」ではなく、「自分らしく安全に適応するための学習」と捉えつつ、あなたの個性もほんの少し加えることで、自然な対応に見られやすくなるでしょう。⑩ 「謙虚さ」「従順さ」はパフォーマンスの一つの戦略と考える謙虚や従順は「弱さ」ではなく、組織の中で生き抜くための社会的スキルです。ただし、自己肯定感を保ちつつ使い分けることが重要です。外面と内面のバランスを保ち、「心の中は違っても、表面は適切に振る舞う」ことが大切です。⑪「権力者への迎合」は節度を持って使う過度なへつらいは自尊心を傷つけるので避ける方が望ましいと言えます。しかし、相手の「喜ぶポイント」や「関心事」を理解し、会話の中でさりげなく触れるなど「心理的距離を縮める工夫」は(残念ながら)有効です。⑫「自分の領域(譲れない線)」を見極める適応と迎合は違います。心身に深刻なストレスや不正が起きる場合は、 →第三者に相談する、環境を変える検討も必要となることでしょう。⑬ストレスマネジメントをしっかり行う環境に適応することは、精神的負荷が大きいので、コーピング、レジリエンス向上、リラクゼーション法の実行、趣味を楽しむ、相談先確保などでオフを大事にするとよいでしょう。また基礎体力を日ごろからあげておくことも、ストレスコーピング上非常に有利になります。心と体はつながっています。【まとめ】もしもあなたが適切に振る舞ったとしても、指導者側・実習施設側に問題がある場合、あなたは苦労するかもしれません。福祉の実践には強いストレスが発生します。その環境が彼らにそうした言動をさせやすいという背景があります。また心の問題や福祉に携わる人は、そのほとんどが「自分自身に何かしらの心的な問題を抱えていたり、いわゆる「脛に傷を負っている」方がとても多いです。その上、もしかしたらあなたには、発達障害などの問題があるのかもしれません。例えば「空気を読めるようになったが、それに適切に反応できない」「相手の真意を読み違えることがある」という点は、実はADHD特性を持つ多くの方が経験している共通の課題です。でも、それは「努力しても改善しない壁」ではなく、段階的な行動の積み重ねで十分に「適応スキル」として育てていける分野です。この実習を契機として、更にクライエントに役立てる人間へとあなた様が成長されることを、切に願っています。
2025.07.18
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従来心理学や精神医学ばかりを学んできた私が、ソーシャルワークを学んで一番役立っていること。それは☆環境も人に非常に大きな影響を与えるという気づきでした。そんな環境ですが、実は私たちはその影響を気づいたり、俯瞰(ふかん)したり、感じることが難しいようです。 なぜこうしたことが起きるのでしょうか? それは私たちの多くにとって、環境は毎日当たり前のように生じたり、存在している、とても慣れ親しんだもの・状態になっているからです。 人はいつもと違ったり、目だつようなもの・存在に対しては、比較的気づきやすい特徴を持っています。(それでも気づかない場合もたくさんあります)また自分の安全をおびやかすと感じるようなものに対しても、比較的気づきやすい特徴をもっていることでしょう。 しかし、そうしたいつもとちがう変化や、安全をおびやかすものでさえも、人間の「慣れる」能力、いつもと同じように過ごそうとする能力(ホメオスタシス)などが影響すると、気づきにくくなるように私には思えています。 なお2025/7/14時点で、チャットGPTを使用して調査した所、以下の返答が返ってきました。 1. 慣れ(習慣化 / 順応)同じ刺激に繰り返しさらされると、感度が鈍くなる性質があります。例:電車の騒音、部屋のにおい、オフィスの不便な動線など。「それが普通」だと無意識に思い込んでしまうため、問題として認識されにくくなります。 2. ホメオスタシス(恒常性維持機能)これは身体や精神の状態を一定に保とうとする生体の仕組みです。例えば、生活が多少不便でも「今の状態を維持したい」という無意識の働きが、問題点への対応を鈍らせます。変化や改善にはエネルギーが必要なので、無意識に回避する傾向も生まれます。3 . 認知バイアスいくつかの典型例を挙げます:確証バイアス:自分の考えに合う情報だけを見て、それ以外を無視する傾向。現状維持バイアス:変化よりも今のままを好む傾向。正常性バイアス:「たいしたことではない」と過小評価する傾向(災害時にもよく問題になります)。 4. 注意資源の有限性(注意の盲点)※(いわゆる選択的知覚)人間の注意力や意識の容量には限りがあります。常にすべての情報を処理しているわけではなく、「重要そうなものだけに注意を向ける」ことで、省エネルギーに動いています。その結果、「当たり前の不便さ」や「慢性的な小さなストレス」に気づかないことがあります。 5. 集団の同調圧力 / 社会的規範周囲の人も同じように気づいていないと、「これは問題ではない」と判断してしまう傾向があります。職場や家庭など、共同体の空気や慣習に従いやすい心理です。 6. 学習性無力感(Learned Helplessness)問題に何度もぶつかり、「どうせ変わらない」と思い込むと、気づこうとする意欲自体が薄れてしまうことがあります。 今まで理論的な内容をざっと説明してきましたが、では実際にどのようなことが起きうるのでしょうか?私の実例3つを紹介したいと思います。【実例1:正しいはずの自分が、相手をよくしてあげようと思いこむ】 この考え方は、医師などの医療従事者や、カウンセラーや福祉従事者などの対人支援職の人にとても多く観られるものだそうです。そうした方々は今まで、人よりも多くの学習やトレーニングを行ってきています。また自分が学んだ学習内容が「(絶対に)正しいものである」と強く感じるようになります。ですから、いつのまにかその人たちは、相手は間違っている存在だと思い込むようになるのです。【実例2:日頃の職場の環境の影響】 私の職場は、現在あらゆる問題を基本的に一人で対応しなければならない環境にあります。また従来も、同僚などからのサポートが受けにくい労働環境で働いてきました。するといつのまにか「なんでも自分で解決してしまおう!」という姿勢・考え方が身についてしまっていました。確かにその姿勢は、勤勉で能力が高い人などにとってはなおさら効果的、信頼性が高い面があるかもしれません。一方その姿勢は、周囲の人から「私たちは軽くみられている、必要とされていない」などと感じさせてしまうリスクなどがあります。その結果、チームプレイの障害になってしまうことでしょう。【実例3:プライベート環境の影響】 私は長年、両親の介護・支援を行ってきました。私はプロなので、そうしたケアが通常よりも効果的にできますし、また介護保険の支援等の社会資源等をなるべく使うようにしてきました。そうとはいえ、やはり介護は基本的に自分が集中的に負担するものになっていました。自分でどうにかしていかないといけない、というわけです。 この状況、実に実例2で紹介した職場環境ともつながっていますね。その結果、個人プレイ重視になってしまいがちになります。しかも親の言動は基本的に「効率上は悪いことが多い」「理不尽なことが多い」為に、私はいつの間にか自分の負担をなるべく小さくする為に効率的な対応を心がけるようになってしまいました。つまり「相手らしさを認めない」「相手の話をきかない」「良いと思える方法を一方的に押し付ける」という自分の姿勢につながってしまったのでした。 このように、日頃の生活の仕方、人生の過ごし方といった全てが生み出す「環境」が、いつの間にか人の生き方や考え方に影響するのか。おわかりいただけのではないでしょうか。 ここからが本題ですね。ではどうすれば私たちは、そうした生活環境の影響に気づくことができるのでしょうか?1.幼少期からの自分を振り返る 時間がある方におすすめなのは、幼少期からの自分を振り返ることです。人の考え方の多くは、幼少期から青年にかけての経験・学習に大きく影響されます。ですから、特に養育者とどのように関係性をもってきたのか。育った場所にどんな偏りがあったのか。(例「絶対に高学歴になりなさい」「勉強なんてしても無駄だ。必ず手に職をつけろ」)そうしたことを振り返るとよいと思います。就職活動でよく使われる自己理解シートなどを使うと効率がよいかもしれません。2.心理検査を利用する 信頼性の高い心理検査は、とても効率的に自己覚知の一助になります。・エゴグラム・エニアグラム・BIG FIVE・YG検査 例えばこうした検査があります。また職業興味検査(VPI)もかなり役立つことでしょう。VPIはハローワークなどで無料で行えるかもしれません。(昔はできましたが…)3.カウンセリング・キャリアコンサルティングを受ける ただし全てをカウンセリング内で把握することは、とても高い費用が必要となります。また長期間に渡る作業にもなりやすくなります。自分で考えたり分析したりする課題を適切に出してくれるカウンセラーが望ましいです。4.グループワークを開催・参加してみる あなたが学生などで、お互いに対等で目標を一致させたグループを形成しやすい環境にいる場合は、グループワークを行ってみるのも効果的です。グループワークの進行プロセスは次のようになります。①(なるべく)誠実に自分の特徴を発表するようにする。また相互の秘密は守るようにする。②自分で自分をなるべく詳しく分析してみる。③それを1人ずつ発表し、それに対して相手が気づいていない部分、相手と反対の意見などを伝える④以上をグループメンバー全員行う。※以上は「ジョハリの窓」を理論ベースとしています。※ファシリテーターとして、教職員に協力を得る方がとても安心できるかもしれません。5.自己理解を促進するセミナー・勉強会に参加する これは開催組織がまともであるかどうか?=信頼できて、効果も期待できるか? がとても大きく英虚数る選択肢だと強く感じます。実際私が今自信をもって紹介できる組織はありません。あなたが学生であれば、大学のキャリアセンターに。または公的な就労支援機関(例:東京都ならとうきょう仕事センター)などに問い合わせて、紹介された組織に。そうした所であれば、信頼性は高まるかもしれません。 対人支援職の人間は、人様に関わり続けようとする限り、こうした自己覚知・自己理解を継続的にずっと行う必要があります。みなさまはそこまでする必要はありませんし、忙しさなどで実行は難しいかもしれません。しかし、就職活動をはじめとする人生の重大イベントや、とても苦しい人生の逆境の場面で、この作業を行うことは、あなたの助けになる可能性がとても高いことでしょう。応援しています!
2025.07.04
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まじめさは、多くの人が持っている性格(特徴)の1つです。外国人と比べると、日本人はまじめな人が多い傾向があるそうです。そういう文化なのかもしれません。まじめさに限らず、人の性格には長所・短所という二面性があります。長所と短所を併せ持っているのです。今回は「まじめさ」が持ちやすい、長所と短所を確認した上で、まじめさ特有の短所が抱える問題点とそれに対応する改善方法について、お伝えしたいと思います。まず「まじめ」という言葉の意味を再確認しておきましょう。『コトバンク』では、「まじめ」は次のように解説されていました。1 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「真面目な顔」「真面目に話をする」2 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。「真面目な人柄」「真面目に暮らす」この説明にすでにいくつか、長所と言われる部分が載っていますね それらも含めて確認してみましょう。【長所の例】1.嘘が無いので、信頼されやすい。2.いい加減に行わずにしっかりやるので、信用されやすい。3.真剣に行う為、目標達成などが行われやすい。高い成果を求めやすい。4.誠実なので、信頼されやすい。5.言われたことなどを忠実に実行する傾向にあるので、信用されやすい。6.(余計なことをやらずに)本気で言動できる。たとえばこのような強みがありそうですね。キーワードとなる部分(≒核となる部分)は、「信頼されやすい」「しっかり結果を残しやすい」「高い成果などを期待しやすい」などがあると言えそうです。では今度は短所について確認していきましょう。【短所の例】1.余裕がない傾向が強いので、冗談を言うなどの感情交流がしにくい。2.余裕がない状況でも頑張るので、本人・周囲とも疲れやすい。3.不器用なので、適切なペース配分を苦手とする。それも本人疲労につながりうる。4.柔軟な対応ができないので、応用が利かない。臨機応変が苦手。5.人の本音をつかむのが苦手。6.目標が高い上に、完璧主義傾向がある。7.自分で責任を背負い、自力で解決しようとする。たとえばこのような弱みがあるようですね。キーワードとなる部分は、「余裕がない」「疲れやすい」「柔軟でないので応用がきかない」「頑張りすぎる」「視野が狭くなる」などがありそうです。この二面性すなわち「長所と短所が対応しながら、必ず双方存在してしまう性質」は、「まじめさ」に限らず、全ての性格と言われる要素にあるものです。ですから次のような方法を実行しても、恐らくその方法はうまくいかないことでしょう。その方法とは★まじめさの長所だけを活用して、短所を全て解消する。という方法です。繰り返しますが、まじめさの短所は長所の裏返しなわけです。つまり短所を消そうとすれば、長所も自然と消滅してしまうわけです。ではまじめさに伴う短所について、どう対応していけばよいのでしょうか?1.短所を全て改善・緩和(やわらげること)しようとしない一時的にまじめでなくなる方法が必要である点について、後述します。ですが大前提として、短所を全て改善(又は緩和)しようなどとは、思わない方が良いです。まじめさが消えてしまうからです。2.まじめさに伴う短所(以後「短所」と表記)は、必要な分だけ解消を試みる基本的に短所は解消できません。そうすれば長所も消えてしまいましたね。ところが、私たち現代人は人工的な状況。人々の意図が絡んだり、役割を遂行する場面に出くわすことが良くあります。たとえば大会に出場した生徒たちがとても緊張している場合。そんな場面では、日頃あまり冗談を言わないような教師が、意図的におどけて場を和ます方が望ましい場合があります。つまり☆一時的にまじめさを捨て去る必要がある場面では、意図的にふまじめになるわけですね。これはソーシャルスキルと言い換えることもできるでしょう。3.まじめに「まじめでないほうが行いやすいスキル」を身につけて発揮する一番わかりやすい例は、とてもまじめな漫才師かもしれません。例えばオール巨人師匠などは、おもろい漫才をやりはりますが、あんな超大ベテランにもかかわらず、未だにステージに立つときは緊張されると聞きました。根が超まじめで(しかも怖い)人でも、あのようなおもしろい漫才をできるというスキルを、彼は習得して実践し続けたわけです。4.改めて「まじめさ」が自分らしさであることを受け入れて、否定的に思わないようにするまじめさをむしろ悪いと感じる人は、まじめに「まじめの悪い部分」ばかりに焦点をあてて、その解消に向けて努力しようとしてしまいます。ですからそもそも「まじめであることは悪いことだ。悪い問題をたくさん生む」という歪んだ自己理解を変えることが効果的です。要は☆まじめな自分を好きになることです。すると、絶対にまじめさが持つ悪い部分を直さねばならない!という非現実的な考え(イラショナルビリーフといいます)が減る事でしょう。そして、生きやすくなるために、又は役割を果たすために、といった目的の際にだけ、効果的に改善等ができるようになることでしょう。まじめな部分の良さについては、みなさまがそれぞれに研究してみてはいかがでしょうか?ネットで調べたり、自分で考えたり、人に聞いたり。いろいろな方法があると思います。もちろん私が先ほど例出した内容も当てはまりますが、もっとたくさんあるはずです。【まとめ】かりにあなたがまじめな人柄の方である場合、あなたの最大の武器は「まじめな人柄」になるわけです。人柄における武器は、人それぞれです。それでいいのです。あなたの武器は「まじめさ」である。それを受けいけることができたら、自信が高まる上、効果も高まります。あなたの良さ(強み)だったり、あなたの役割遂行を邪魔しそうな短所を、部分的に(一時的に)解消したり、やわらげたりしながら、さらに自分の強みも磨いていきましょう。成長し続けるという強みは、真面目な人が取り組みやすい目標です。そして幸いなことに、あなたはまじめだったのです。さぁ!新たなステップ・ステージへと成長していきましょう!
2025.07.02
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人は何かをとらえるためには、自分流に「まとめて」とらえたり、「イメージ」してとらえようとします。人には、全てをとらえる能力がないからです。まず私たちは生物として、全てをとらえる能力がありません。例えば私たちのまわりには赤外線という光線が飛び交っています。しかし私たちはそれをとらえることができません。それに加えて、私たちは楽に効率よく生きようとするように作られています。ところが、もしも私たちが生理的限界(≒生き物としてできる全てを行う状態)まで、全てをとらえようとすると、すぐに頭が疲れすぎたり、混乱したり、エネルギーがなくなってしまうことでしょう。つまり私たちは自然と(時に意図的に)、自分が効率よく楽に生きられるように、自分でとらえるものを選びながら生きているのです。これは私たちを生きやすくするために必須の能力です。たとえば「カクテルパーティー効果」という特徴(≒の鵜力)を人は発揮できます。パーティーの中では、いろいろな人が様々な会話をしています。そんな騒がしい中、あなたは関心がある相手・コミュニケーションをとっている相手の会話だけを、はっきりと聞き取ることができます。全てではなく、自分がとらえたいものだけを選んで、とらえようとしているわけです。※参照「カクテルパーティー効果」(マイナビニュース)このように私たちには、そもそも「思い込む」ことを自然と行う特徴があるのです。思い込むことができなければ、恐らく日常生活を送ることができないでしょうし、生き続けることも難しいことでしょう。私たちが生きやすくなるように発揮されるこの能力(まとめて捉える、イメージして捉える)ですが、一方私たちをむしろ生きづらくする可能性も有しています。それは思い込みによって、現実からはなれてしまい、現実的な把握・対応ができなくなりうるという欠点です。例えば、就職活動で自分をなるべく現実的に理解する必要がある場合。また心理的問題の解消を図ろうとして、自分自身の現状や本音を含んだ心理状態を把握する必要がある場合。こうした場面では、客観視して現実的な(適応的な)分析・選択などを行う必要性が高まります。たとえば就職活動では、いまだに「マッチング理論」がとても機能しています。求職者(応募する人)と募集者(企業など)のニーズがマッチ(合致)することで、採用・採用後の活躍の双方をより期待できるという理論です。特に求職者側は、自分のことを十分に理解しておくことが効果的になります。なぜなら、内定を得られやすい企業を選択しやすくなるからです。十分な自己理解とは、自分の本音、価値観、能力、スキル、実務経験、健康状態、家族等の周囲の環境などを理解することです。その際、自分の能力や実務経験などを、現実的に捉えることができなければ、応募書類が通らないだけでなく、仮に面接に進めても、合格する確率は低くなってしまいます。(相手が極端な人材不足になっていたり、最初から使い捨てを意図するような企業であれば、関係なく採用されやすいでしょうが)また心理的問題を解消する場面。たとえば自分に対するイメージを変える課題に取り組もうとする場合、あらためて自分の短所・欠点だけでなく、長所・強みも把握できなければ、課題をこなすことができません。以上のように、時と場合によっては、意図的に客観的に人やものごと等を把握することが必要となるわけです。そうとはいっても、最初はなかなかそうした思い込みを直すことは難しいかもしれません。そもそも自分が思い込みが多いことに、気づけなかったり、認められない人も多いかもしれません。しかし、最初から十分に客観視することができる人など殆どいません。ですから、安心して、気楽に、しかし一歩ずつ取り組んで頂きたいと思います。【対応策】1.有効だと言われている各種方法を使って、実際に自己理解などの作業を取り組んでみる。たとえば以前ご紹介した「メリット・デメリット表作成」「SWOT分析」がありますが、すでに方法として広く紹介されているやり方を実行するとよいでしょう。客観的に、多面的に考える感覚もすこしずつみにつけられるかもしれません。上記の2つ以外にも、いろいろな方法があります。2.他人と交流してみるとても有効な方法です。相手があなたと価値観の交流などをするほど親しくない人であっても、交流する中で「あの人にはあんなクセがある。私はどうだろうか?」などの気づきを得られるかもしれません。もちろん、価値観や意見の交換などができる相手であれば、自分で気づくだけでなく、相手から指摘・助言してもらえることも多いことでしょう。3.いろいろな経験をしてみる経験する人、場面、場所、国等… 幅広く経験してみることは、視点を客観的かつ多面的(≒多角的)に持てるようにつながりやすくなります。もしもあなたが人(自分自身や他人)のことを思い込まずにとらえたいと思うのであれば、かなりの人が共通して経験するであろうことを一通り経験しておくと良いでしょう。たとえば、受験する、友達を作る、けんかする、恋人ができる、結婚する、就職する、退職する等。もちろん自分で全ての経験をすることはできませんので、自分ができなかった経験は、それを経験した人の話をきいたり、関連する本を読むなどをすれば補うことができるでしょう。4.不安から生じる自信が生み出す思い込みに注意する基本的に全ての人間には不安があります。そうした不安を解消するために、わざと現実的に把握・検討する過程を飛ばして(やらないで)、「〇〇は××である!(そうにちがいない!)」と感じようとする場合があります。これは大なり小なり、全ての人に観られることでしょう。ただし、この不安から生じる思い込みの発生割合が多かったり、事実のねじ曲げの度合いが大きかったりすると、その人自身にも周囲の人にも大きな負担がかかりがちになることでしょう。こうした場合は、認知行動療法などで不安(を生み出す自分)そのものに、治療・訓練的にかかわる方が良いでしょう。特に長い目で見れば、そのほうがおすすめです。他にも方法はたくさんあると思います。またこの記事を読んでくださっているあなたにとって、取り組みやすいか? 理解しやすいか? という点も重要です。自分の思い込みを修正する能力を高めて、必要な時に発揮して、問題解決や目標達成の助けにしていけるように、あなた様が成長されることを応援しています。
2025.07.02
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