全31件 (31件中 1-31件目)
1

パーム・ジュメイラ・リゾート開発(Palm Jumeirah Village ) ドバイ(アラブ首長国連邦)に世界中から集まっていた建設用大型クレーンがアメリカの大不況のあおりで全部ストップしてしまったというニュースは耳目に新しいところだが、同じく建設中であったリゾート地(Palm Jumeirah Village )の開発も止まっているようだ。ドバイはペルシャ湾の入り口の突起状の半島にあるから小さな都市ながら地図で直ぐに見つけられる。グーグル・アースで今日も久しぶりに見てみたら、リゾート人工島は面白い形をしていて(椰子の木をかたどっているそうだ)あばら骨にはそれぞれ中央に道路が走り、その両側にコテージが並んで建っていた。家の裏はプライベートビーチである。世界のセレブが競い合って購入した保養地で、あのベッカムも持っているとか。アラビア湾とオマーン湾との間に飛び出した三角半島西にドバイがある 世界的なスポーツ選手なら大金を持っているからポンと買えるだろうが一般市民ではそうも行かない。日本もバブル経済全盛期の頃はスイスやハワイに別荘やマンションを買って投資していたものだった。スイスのレマン湖畔に別荘を持つというだけで日本人は夢に描いたセレブな生活を憧れたのだろうが、実際に妻が通う日本画教室仲間でそういう人が居たのだ。が、バブルが弾けてしまうと没落して家屋敷も無くしてしまったという。人生の浮き沈みを目の当たりにして「怖い怖い」と話していたが、ボクだってバブルの頃はサラリーマンをしていて、社命で億単位の金をボストンバッグに入れて土地を買いに行ったこともあった。数億円だと数人で運んだものだ。そうなるともう金という意識はなく荷物だ。ドバイのリゾート別荘地パーム・ジュメイラ人工島(工事中を入れると、こういう島が三つある) さて、人工島のあばら骨の中心(背骨にあたる幹線道路)には自動車道と電車が走っていて本土の保養地と繋がっている。あばら骨にした訳は多分プライベート・ビーチをとる為とプライバシー保護の為だろう。常夏の砂漠の国だから水は海水であろうとも欠かせない要素という訳だ。欧米のセレブ以外に日本人もひょっとして投資目的で持っているかも知れない。パーム・ジュメイラのホームページを見ると日本人向けの投資宣伝が書かれてあったからだ。不況だ不況だと言いながらも金持ちは大勢居るから何処へどんな投資をしているか見当もつかない。日本人は欧米人のような邸宅には住まない(固定資産税が違う)から人は見掛けでは分からないのだ。あばら骨の形が面白い(コテージの裏はプライベート・ビーチ) 昔、ハワイのワイキキに風光明媚な海岸があって、そこは石ころだらけだったから海水浴客は殆ど居ず地元の村人ばかりが泳いでいたそうだ。そこに目をつけた一人の男が大量にトラックで白砂を運ばせて海水浴場を造ったのが現在のハワイ・オアフ島の海水浴場だという。子供時分にリーダース・ダイジェストで読んでそのことを覚えているのだが、リゾート地というものは人為的に造られたものが多いという意識を持たされた最初だった。だから世界のリゾート地を見れば殆どが大自然に少し手を加えて出来上がったものばかりであることが分かる。特に欧米では人間と自然との対立という意識が強いからリゾート(再び訪れるという意味)という考え方が日本人とは少し違う。リゾート別荘地のコテージ(拡大) 日本のリゾートの代表は温泉地だが、あれは天然の温泉を利用した湯治場から始まった。日本人の温泉好きに合った自然の恵みで、古くは兵庫の有馬温泉に豊臣秀吉が寧々を連れて行ったとある。だから日本人のリゾート感覚はかなり古くからあった訳である。最近では温泉以外にもリゾートは沢山あるが、廃れず続いているのは温泉ぐらいなものだ。健康について日本人は敏感に反応するからだろう。ボクなんか最近でこそ温泉の良さを認識するようになったが、若い頃は、カラスの行水だったから、あんなにのぼせる湯に入って気持ちが良いのだろうかと効能が分からなかった。それが気持ち良いと思えるようになったのは歳のせいだろう。しかし、幾ら寒くはない常夏の国と言えどもドバイまで行きたいとは思わない。
2009/01/31
コメント(2)

光壁 光壁というのはガラス・ブロックを通して部屋や通路を明るくする為の手法である。ガラス・ブロックは建築の材料でも華やかな部類に属すのは光るだけでなく無機質の硬さとか清潔さが伴うからだろう。構造体としては使えないが枠さえしっかりしていれば4mぐらいの高さでも充分に耐える。ガラス・ブロックを組み上げていく時に目地に鉄筋を入れるので丈夫になっているのだ。ボクもよく使う。住宅以外にも会議室や事務室にも使ってきた。今日の光壁は大阪難波のOCAT(オーキャット)にあって最近は余り行かないが丸善へ行く際に通る通路である。暗い地下道も光壁で開放感が得られる 壁の曲面が無機質の材料に柔らかな雰囲気を与えている。光もブルー系とピンク系の二色で幻想的である。地下道だから暗くしてある訳ではないが部分的な照明よりも全面が光っていることで閉鎖的になりがちな場所を開放感で満たしている。通路の反対側(手前)には動く歩道(エスカレーターを水平にしたもの)があるので殆どの人は歩かずそれに乗っているから光壁はいわばオブジェになっている。殺風景になりがちな地下道もこの先にあるOCAT(関西空港の乗車口駅)のモダーンな建物へのイントロとして役立っている。数ある地下道の中でも成功例の方だろう。
2009/01/30
コメント(2)

獲物が居ない冬の庭 仕事先から戻ると同時にココが近所の草むらからガレージに向かって走って来た。バックで入れようとするとバック・ミラーにココが居るのが観える。轢かないようにゆっくり入れるとココは階段から塀に飛び上がって車庫入れの終えるのを眺めている。ボクが車から出てドアを閉めると「ニャオ」と鳴いた。「お帰り」とでも言っているのだろう。ココが鳴くのは珍しい。多分、お八つが欲しいのだろう。しかし、未だ昼の日中だ。早過ぎる。着替えを終えガウンを羽おるとココはスツールに乗って待っていた。お八つの指定席だ。「餌の食べ残しを、さっき食べさせたばかりヨ」と妻が言う。「お母ちゃんが駄目と言っているから亦あとで」獲物を狙う眼のココ それでも貰えるまでスツールで粘っている。ボクがお茶を飲み始めても未だ眺めている。それで根負けして戸棚から煮干し雑魚入りの茶筒を取り出す。そうなるとココはもうそわそわしている。5匹だけ取り出して1匹づつ与えることにしているが、食べるというよりもバリバリと噛み砕いては飲み込んでいる。「飲み込みの速い奴だなあ」と感心しながら次のを与える。だから5匹なんか直ぐに終わってしまう。飲み込みの速いのは頭が良いという言い回しだが、この場合は違う。「慌てる乞食は貰いが少ない」という例えの方が当たっている。「ペットなのだから充分に餌もあるし御馳走もあるのに何を慌てている?」とボクはつぶやく。ココには通じない独り言だ。 冬のこの時期はココの獲物(トカゲ、ヤモリ、バッタなど)や遊び相手が居ないので直ぐにつまらなさそうに家に戻ってくる。戻ってくれば餌かお八つが欲しくなる。身を持て余しているのだ。といってヒヨドリはすばしっこいから捕えられない。その無念というかイライラが溜まってそこらじゅうを走り回る。座布団目がけて滑り込みセーフを繰り返す。時には相手構わずピョンと飛び上がって蹴りを入れる。走ってきたスピードを相手の身体にぶつけてターンしているのだ。隣の部屋まで行って、そこに掃除機があると慌てて戻ってくる。掃除機が怖いらしい。吸い込む音と長いホース、それに本体の機械音が恐ろしいのだ。 怖いものが在るというのは面白い。黒い大きな野良ネコが怖いのも知っている。最近見かけないが何処かの飼い猫なのかもしれない。ココのように尻尾が太いから洋猫だ。雑種かも知れない。野良ネコなら餌が無くて餓死したのかも知れない。それとも寒いから遠くまで出かけないのだろうか。何れにせよココにとって怖いものが彼方此方にある訳だ。家で安心していても何が起きるか分からない。だからだろうか、何でも無い時に軽くポンと背中を叩くと飛び上がって驚く時がある。逆にこちらの方が驚いてしまう。勿論、餌を食べている時は絶対に触らない。無警戒な時だから驚かせてしまうことになるからだ。 退屈そうにしていても人に抱かれるのを嫌うから和猫とは一寸違う面がある。隣のモモ(アメリカン・ショートヘア)も抱かれるのが嫌だから洋猫に共通するようである。その代り獲物を獲った時は自慢げに見せにくる。褒めてやり頭を撫でてやると眼を細めて嬉しそうな顔をする。その時は抱き上げても暫くは大人しくしている。しかし、獲物がトカゲやヤモリやコウモリなんかだと気持ち悪いから直ぐに箒とチリトリで庭へ放り投げる。それが不満だからココは亦庭へ獲物を追い掛けに行く。狩りをしている時が一番幸せそうな顔をしていう。そういう時期は未だまだ先だから、あと数か月辛抱しながら餌やお八つをねだって丸々と肥ることになるだろう。
2009/01/29
コメント(2)

センパフローレンス(3) 今、中国で山岡荘八の「徳川家康」が大ブームだそうだ。中国人も「三国志」に飽きて日本の歴史小説に興味を持ち始めたのだろうか。それも近代日本の礎になった江戸時代の創始者家康に興味をもつところに意味がある。三国志は漢に成る前の中国の三つの国が覇権と戦乱を繰り返した頃、曹操の魏、孫権の呉、劉備の蜀と夫々が三国で仕官し、立身出世する豪傑物語である。時代こそ違うが日本でも戦国時代は同じようなことをしていた。その中で最後に天下統一を果たし300年近く続いた徳川時代の始祖に興味を持つ国民は勿論、秦の始皇帝を頭に置いて読んでいるのだろう。現代中国の抱える悩みをそこに観る気がする。ヒヨドリの声に反応しているココ 13億もの国民を有する国は世界で中国だけである。実に日本の10倍もの人口だ。インドも人口が多いが未だ10億は越していないだろう。多くの多民族を抱えてバラバラな考え方の社会を一つにまとめて行くのは至難の技で、例の冷凍ギョーザ事件の真相究明も出来ない国だから国民が政府に不信感を抱くのも今に始まったことではない。日本政府も腰ぬけで、中国政府に遠慮して口をモゴモゴさせるだけで明言を避けている。日本の国民も政府を信用していないから、ギョーザどころか年金問題もどういう解決をするのか半信半疑というところだ。そういう時、歴史小説は何かの参考になるのかも知れない。中国も日本も国民の考えることは案外同じのようである。 今日は朝から天気が良く、ココも嬉しそうに庭を走り回ったり樹に登ったりと忙しそうにしている。センパフローレンスの花も多く咲きだした。ボクは今日は仕事に出ず、書類の整理をしたり、そろそろ任期切れが来る自治会長の書類整理をして過ごした。たまたま珍しい果物スイカを頂いたので食後のデザートに食べたが、季節はずれのものだけに多少違和感があったものの美味だった。あれはカーッと暑い時に食べた方が美味いものだが、珍しさが勝って、今は何でもそろう時代なのだと考えさせられた。反面、大不況の時代だからこそ知恵と勇気をもって時代を乗り切らないと負け犬になってしまうとも思った。 勿論誰もが勝ち馬に乗りたい訳だ。定額給付金なぞという小手先の方法で国民の人気を得ようとする姑息な政治家が横行する時代は不幸な時代である。1万円や2万円の金を貰ったところで景気は回復しないだろうし、3年後にその見返りに消費税をアップするという馬鹿な話は誰もが不愉快な気にさせられるだけである。参議院で定額給付金の財源の関連法案が60日間ほど店晒しになったとして衆議院で再可決になっても、実際に支給されるのは5月のゴールデン・ウイーク前だろうから、時の政府はガタガタになっているか首相の首を挿げ替えるかのどちらかで夏の総選挙を迎えることになりそうである。 日本の将来は周りの国の力関係にも依るが、少なくとも不況が続く限り明るいものはないから知恵を出すことしか望みはない。その知恵が日本を救うとすれば歴史に学ぶもよし、政権が代わるもよし、新たなる発明や特許が生まれるもよしである。大体、こういう困難な時代にこそ日本人は底力を出すからボクは楽観的である。プラス思考で行けば何らかの道は開けると思っているのである。ココが樹に登るのもその気にさせるからで、相手になってやって喜ばせてやるのも一つの方法なのだ。賢くしているご褒美にインターネットで大量のツナ缶を注文したのが先ほど届いたが、勿論ココはそんなことは知らない。まさかそれがココへの定額給付金とは言わないが、バックアップというものは速やかに確実にしてこそ効果があるものである。
2009/01/28
コメント(4)

センパフローレンス(2) それは人間にも言えることだ。折角健康に育った若者が陽の当たらない事務所や作業場や店舗で仕事をするようなものだ。汚い仕事よりも綺麗な仕事をしたい若者は概してそういう見掛けだけの綺麗な場所の仕事を好む。いわばお披露目の場所という訳だ。しかし、本当は適当に外の空気を吸い、陽があたる処で働くほうが身体の為には良い。その理屈が通じないのが世の常だ。綺麗なオフィスや時代の先端を行く店舗なぞはむしろ不健康な場所が多い。まともな会社なら定期的に健康的であるかどうか揮発性有機化合物(VOC)対策として空気測定結果をチェックするが、大抵はそういうことはやらない。劣悪な環境の仕事場の方が多いだろう。玄関の絵(舞妓の日本画) 今の建築基準法ではVOCについては厳しく規定している。例えば居室(長時間、作業や生活する場)の空気の換気についての規定は24時間の強制換気が求められる。勿論、健康管理に気を使っての法律である。旅館や公共の施設では必須条件だ。デパートの地下の売り場もそうだ。陽が当たらず空気の悪い場所は当然のことのように誰もが思うが、それが案外軽視されて来たのだ。大事故が重なって初めて法令化されるのが現実である。列車の踏切遮断機も人が死なないとなかなか取り付けられない。犠牲者にならないように自分で充分注意をするのが当たり前というのは本当は間違っている。 事前に予想出来ることは予防するのが文明社会というものだ。それが人間の知恵というものである。ところが現実は逆で事故が起きてから対処する。後理屈は誰でも言える。評論家は大抵そういうことを平気で言う。中には事前に言う人もいるが人々は無視する。無視するが一旦事故れば文句を言う。責任者を出せという。が、大震災について言えば、阪神大震災が起きてからは神経質なぐらい震度の低い情報でも言うようになった。その上、未だ起こるかどうか分からない東南海大地震なぞも勝手に「来るぞ来るぞ」と騒ぎたてる。狼少年でもあるまいに言っておけば安心だとでも言うのだろうか。 その辺りの考え方に常識とは大分ずれた面があるようにボクは想う。恐怖を売り物にすれば視聴者や読者は目を向けるから商売になるのだ。大学教授も文科省から研究費が出るようにセンセーショナルな提案をマスコミや学会で発表する。注目を浴びる為にヤラセをやる訳である。一寸冷静に見ればナンセンスなことが分かるのに平気で言う。だからボクはそういう学者や役人は信用しない。ダムだってそうだ。必要もないのに莫大な金を出させようと役人はゼネコンや役人の定年後の仕事場獲得の為に政治家を動かして予算を付ける。 10年20年もの歳月をかけて無駄な税金が流れる仕組みを作るのが彼等の仕事だと勝手に勘違いしている。かくしてゼネコン国家は今日の大不況に如何に無力かということを露呈してしまうのである。それに気づいた国民は反対運動をする。それでも役人や族議員は巻き返し運動をするという塩梅である。有明海の干拓水門もそうだ。あれが出来たせいで潮の流れが変わって養殖ノリが大打撃をうけている。先日、フランスのモン・サン・ミッシェル(世界遺産の修道院島)で同様のことが起きていると書いた。修道院島への陸路が出来たせいで潮の流れが変わってムール貝の養殖に大打撃が生じているのだ。 早速、フランス政府は改善策として陸路を橋に帰る工事を始めた。日本の政府とは大違いである。有明海の水門は撤去どころか水門の開放さえ拒んでいるのだ。裁判で開放判決が出たのに、何と役人や族議員の身勝手な行為と非常識には呆れるばかりである。矢張り日本人はスケールが小さいのかも知れない。全体を見渡す眼がないのだろうとしか思えない。僅かな仲間意識(役人は定年後の受け皿づくり、ゼネコンは工事受注)の為に必死で利権を守ろうとする。情けないというより腹が立ってくる。日本人は何故そういう小さな人間になってしまったのだろうか。(つづく)
2009/01/27
コメント(4)

センパフローレンス 冬景色は侘しいものだ。だが、それも一つの美を表していると想えば亦冬も楽し。庭先に出ると慌ててヒヨドリが飛び去る。クロガネモチの赤い実を食べている最中だったらしい。先遣隊が食べ出すと瞬く間に大群がやって来てあっという間に全部食べ尽くされてしまうから、もう時間の問題だろう。それが彼等の冬の食糧だから仕方ないのだが、庭の景色が益々侘しくなってしまう。周りを見渡してもココは何処かへ遊びに行っているのか居ない。そこでヒヨドリの真似をして口笛を吹いてみた。二三回それを繰り返すとようやくココがやって来た。「何の用事?」とでもいうような顔でボクを観る。「わざわざ来てあげたのだから良いことでもあるの?」という顔だ。咲き始めたセンパフローレンス 呼んだ以上、何かご褒美でもやらねばと家の中に入ると、続いてココも入る。書斎を通り抜け、居間の戸棚から煮干し雑魚入りの茶筒を取り出すと、ココはボクの椅子の横に置いてある足置きにしているスツールに乗って既に待っている。用意の良いことだ。やり過ぎは肥満の元になるからと二三匹だけ与えて書斎に戻って、ふとパソコン・デスクの足元に眼をやるとセンパフローレンスが咲き始めている。小さな花である。毎年この時分に咲く。二鉢あるので一つは玄関の下駄箱の上に置いてある。そこは季節の花を置くようにしている。花のない時はオブジェとして置いている数個の松ボックリと花瓶、それと若いころに造った油粘土の建築模型がある。 唯それだけのことだが、それで玄関が何となく和んでいる。整然とした割には堅苦しい雰囲気にしない為にそうしてある。我々夫婦のアイデアであり趣味である。6畳程度の吹き抜けの玄関には来客用の椅子が無い代わり、目の前の書斎か和室(仏間)に入ってもらう前の僅かな待ち時間、間が持てない人の為にオブジェが置いてある。廊下の壁には絵画が数点飾ってあり、吹き抜け階段の壁には大きな日本画の舞妓の絵が掛けてある。見上げて観る人も居る。季節を問わず殺風景に成りがちな玄関をそれらの小道具で引き立てているのだ。 センパフローレンスは大分以前に妻が友人から貰ったもので毎年咲いては鉢分けして増え続けている。庭に直植えしたものは冬場を越せず枯れてしまった。温室か鉢植えで育てるしかないようだ。他に貰った植物では観音竹やドラセラ、シンビジュームがある。どれも元気に育っている。綺麗に花が咲いたり新しい葉が出ると気持ちが良い。家の外用の植物と家の中用のものとに分けているが、家の中用の植物はたまには陽に当てないと弱ってしまう。陽当たりの良い部屋なら良いが、北側にある玄関は言わば花が咲き始めた頃のお披露目用の場所のようなものだ。だから本当は植物の為には適していない場所だ。(つづく)
2009/01/26
コメント(4)

冬枯れの庭 雨模様の夜明けなので雨戸を開けてもパッと日差しが入らないから寒さが一層強調される。そう思って庭の風景を見ていると小雪が舞いだした。寒い筈である。しかし、西の空は明るいからその内に晴れる筈だ。冬枯れの庭はダーク調で緑も冴えない。これから冬本番だ。ニュース映像では深々と雪の降る風景が伝わって来る。日本列島は全国的に冬の最中だ。そういえば昨夜はココは自分の部屋に入らず、ボクのベッドの足元に潜り込んで朝まで大人しく寝ていた。寒いから自分の部屋ではなく暖かな方を選んだのだろう。妻に言わせれば「何処を走り回って汚れているか分からないのに、ベッドなんかに入らせて気持ち悪くない?」と怪訝な顔をする。冬枯れの庭(ちらほらと小雪が舞いだした) そのくせ気が向いてココを抱き上げるのは苦にならないらしい。手を洗えば清潔になるから構わないと言うが、それは理屈であって感覚的なものとして、ボクは猫を抱き上げても余程汚れていないと手を洗ったりはしない。勿論、食事前は手を洗うが、夜、眠くなって自分から勝手に二階へ上がってボクのベッドに潜り込んでもボクは平気だ。寒いのなら入っても構わないヨと許している。自発的に自分の部屋に入る日もあるのに、時としてボクの部屋へ一目散に走って行ってベッドか椅子の下でジッとうずくまっているのを、わざわざ抱えてココの部屋に戻すのが可哀想に思えるのだ。 その代り、夜中に部屋から出て家中を徘徊するのは困るから大人しくしているのが条件である。とは言ってもボクが眠り込んでしまっては何時出て行っても分からないのだが。ボクはめったに使わない階下の妻の寝室横にある洗面所のドアを、彼女は閉め忘れることが多い。すると、ココは何か面白くないことがあるとトイレット・ペーパーで遊んで部屋中トイレット・ペーパーだらけにしてしまう。それを見つけて妻が騒ぐ。ちゃんと閉めろと言うのだが、夜中に朦朧とした頭でトイレに行ったらドアを閉め忘れることもあると主張する。それじゃ、勝手にすればとボクは放っておく。玄関横のトイレではそういうことは一度も起きていない。 ところが、昨夜は大人しく朝までボクの部屋で寝ていた。というのはドアが閉まったままだったから分かるのだ。ドアのノブは付けてあるが、ノブとセットになっているラッチは閉めた時にカチッと音がするので家族の要望で取り外したのだ。夜その音が気に掛るというのだ。だから出入り自由にしてある。勿論鍵はかからない。我が家の鍵の掛る部屋はトイレと浴室だけだ。玄関や勝手口には頑丈な錠前が付けてあって、庭に出られるサッシの硝子戸も内部で二重にロックが出来るようにしてある。外部に対しては厳重だが内部は出入り自由にしてあるのだ。 かつて猫用の小さなドアを設けようかという話も出たが結局は止めにした。壁にわざわざ猫用の穴を造る案も消えた。用心というよりも家族が責任をもってココを入れることにしたのだ。だからココは出入口は沢山ある割には大体同じルートで出入りするようになった。二階は息子の部屋のベランダから、階下は勝手口か庭に面したサッシの硝子戸である。その代り何らかの合図が必要になる。どうしても家族と眼が合わず合図が出来ない場合は、夜外へ出て迎えに行ってやらねばならない。そういう場合は何処かに潜んで待っているから玄関ドアを開けるとパッと飛びこんで来たり、ボクが道路に出た時はふいに後ろに現れたりする。 「何処に行っていた?」と言ってもケロリとしている。食べるものはちゃんと食べた後のことだから平気なのだろう。必ず家の周りの何処かに居るのは間違いないのだが極たまに遠くまで遊びに行って帰ってこない夜がある。深夜、道路に出てチョッ!チョッ!と舌うちで合図すると暫くして微かに鈴のおとがして走って帰ってくる。それこそ「何処へ行っていた?」と訊きたくなる。まさか子取り(昔はやった言葉で子供の誘拐)でもあるまいが猫取りにでも逢ったのかと思ってしまう。まあ、そういうのは居ないだろうが、それでも、この寒空に何処へ行っているのだろうと心配させられる。探し廻った揚句、実はボクのベッドに潜り込んで寝ていたということもあった。
2009/01/25
コメント(0)

眼で話すココ ラグドール種は余り鳴かない猫である。人懐っこいので人気もある。アメリカで40年ほど前にペルシャ猫とバーミヤンとの間で品種改良されたというか偶然に出来た種で最近では日本でも人気があるようだ。人気がある洋猫では、虎猫の一種のアメリカン・ショートヘアとかその改良型のマンチカンがある。虎の縞模様が普通の虎猫とは少し違って腹の横で渦を巻いているから違いが分かる。ラグドールは縞模様はなく、顔と耳と尻尾と足、つまり先端部分が黒っぽく、その他は白である。白の代わりにベージュやグレーのも居るが、地の色が違っても模様のパターンは同じである。尻尾が太いのも特徴である。家の中を徘徊する時は尻尾を立てている。デスクに乗って「庭に出たい」と合図するココ 鳴かないから、うっかり気が付かないでいると何処からともなく視線を感じて、ふと振り返ると庭先からガラス越しにジッとこちらを見ている時がある。「早く入れて頂戴!」と言っているのだ。鳴けば分かるのにと想ってしまう。そのくせ猫同士で喧嘩をする時は大きな声で「ギャー!」と鳴くから驚かされる。食事中も食卓の下でジッと見上げている。辛抱しきれずたまり兼ねてボクの食べているモノが欲しい時は前足をボクの膝に掛けて催促する。ココの夕食が家族のより4時間ほど早いのでデザートとして欲しいのである。特に魚に眼が無い。焼き魚も好きだが刺身はもっと好きだ。要するに新鮮な魚が好きなのである。ツナの缶詰でもそうだ。 缶詰なんかどれも同じように思えるのだが値段によって鮮度が違う。安いのは鮮度が悪く身もバラバラで一旦開けると直ぐに痛みだす。以前に一度、安いのがスーパーに在ったのでまとめて20缶ばかり買ったことがあった。すると開けた最初は一寸食べるが直ぐに残すのだった。味の悪い、つまり鮮度の落ちるツナ缶だったのだ。「贅沢は言わないの」と暫く毎日やっていたが、残す分を捨てていると何のことはないワンランク上のツナ缶と変わらない価格になるのだった。仕方なく開けずに残った分は猫の非常食として押入れに仕舞っている。昔は猫まんまと言って白いご飯に味噌汁を掛けるか鰹節をパラパラと振りかけていただけだったのに時代も変わったものである。 一旦美味い味を知った猫は不味い餌は食べない。それを贅沢と呼ぶかどうかは別にして、味覚の差を知るのは本能的なものと知恵がある証拠だから可愛いと思うのなら程々の価格の餌をやるべきだろう。しかし人間様が食べるツナ缶よりも高いものは買わないことにしている。中には一缶が人間のそれよりも倍以上の値段のものもあるから驚きである。中国人が日本人の真似をしてマグロを食べるようになったせいでマグロの値段が高騰しツナ缶も不足気味になってきた。牛肉が狂牛病という人為的な病気にかかってから欧米でもマグロが流行り出した。日本食(寿司や刺身)は今や世界的なブームである。健康食品という訳だ。 それを知ってか知らずしてか、ツナ缶が高騰し、このまま行けば猫の餌も変わって行くだろう。チップ状の混合餌(魚や肉や野菜などビタミンを考えて配合したもの)が主流になるかも知れない。それでは味気ないと、ココが文句を言いかねないが、彼女の場合は何も言わず、プイっと横を向いて食べないだろう。今のところチップ状の餌は副次的に添えてやっている程度だが、ちゃんと綺麗に食べているので問題はない。お八つの煮干しの雑魚だって人間の食べるダシ雑魚と値段が変わらない。尤も、酸化防止剤が入っているのは我が家の食材としては使わないから酸化防止剤入りの方は別に猫用として買っている。 ということは人間には酸化防止剤入りが発癌物質の危険性を考えるが、猫には考慮しないのか、つまり猫が癌になっても構わないのかと言う人も居るかも知れない。が、大量に食べない限り大丈夫だから神経質にならなくても良い。それよりも、庭の池の雨水を平気で呑んでいる猫のことだ、身体に悪いものが入っていると本能で察知しプイと横を向いて食べないだろうし、ボクの目を見て「変なものを喰わせるな」と言うだろう。そういう眼をもっているから、ボクや家族とココとは眼で会話してる。ココの居なかった頃は隣家のモモ(アメリカン・ショートヘア)と眼で会話してきた実績があるのだ。
2009/01/24
コメント(0)

運の良いココ 今日は朝から雨である。小雨ながら寒い。それでもココは餌を食べてしまうと外へ出たがる。が、出たと思えば直ぐに戻ってくる。寒いのかお八つが欲しいのか。朝は8時頃に餌を与えているので夕方の餌まで間がある。昼過ぎには家族の食事がバラバラに始まる。一番はやいのは息子で、次がボク。但し、仕事で出かけていると抜きになって、2時頃に妻の昼食となる。ボクが居ると座っているボクの椅子の横にやってきて見つめる。声を出さずにジッと見つめるのだ。「言わなくても分かっているでしょ」と言わんばかりだ。仕方なく煮干し雑魚の入った茶筒を取り出すとココは待ってましたとばかりに足元にまとわりつく。3~5匹を与えると少し満足する。それ以上はやり過ぎになるので止める。夕方の餌までお預けということだ。書斎で所在無げなココ それでも暫くはジッと次に貰えるかも知れないと待っている。ボクは居間から隣の書斎に移動する。と、ココもついて来る。付いてきてソファか空調機の下で毛づくろいをする。そしておもむろにパソコンの横に飛び上がって来て庭へ出たいポーズをとる。硝子戸を開けてやり庭に出してやると暫くの間、夕方の餌時分まで帰ってこない。雨なのに何処へ行くのか知らない。多分、ガレージの塀の上に乗ってカーポート屋根の下で通りを眺めているのだろう。晴れていれば近所の散歩コースを廻る筈だ。そして夕方に戻ってくるまでボクも妻もココの姿をみないまま過ごすことになる。腕白小僧が何処かへ遊びに行ったようなものだ。 夕方、ココは自分の食事が済めば亦もや外へ出る。余程外が好きな猫である。寒いのに・・・という余計な心配は無用である。ふさふさしたファーを着ているのだから寒くはないのだろう。家に戻ってくるルートは、階下からの場合は庭に面した硝子戸の外で中を見て開けてもらえるまでジッと待っているか、急いで入りたい時は2階の息子の部屋のベランダの硝子戸で合図をするらしい。つまり息子はドアマンである。入ってそのまま息子の部屋を通過しようとすると息子は怒って抱き上げて棚の上に投げ上げるそうだ。妻がそう言うのだ。ココは硝子戸を開けさせて礼を言う訳でもないから亦もや息子に相手をしないといけないのかと仕方なく暫くは居て、それから階下に降りてくる。それが我々へのお八つの催促である。 勝手気ままな生き方が出来るペットは幸せ者だ。飼い主が悪いと捨てられる運命にあるペットが居る世の中だからペットも運一つで生きていることになる。運と言うものは観えないものだから持って生まれた運の強さがその生きものの生涯を決めることになる。人間世界も運で成り立っている。戦争も天災も火災も、果てはリストラも総て運と言えば運である。戦争を仕掛ける人間が居て、それが人々を苦しめる。仕掛ける側は運とは思っていなくても仕掛けられる側は運だと諦める。リストラは再構築という意味で決して首切りだけではない筈なのに仕掛ける側は自分の能力のなさを棚に上げて人員整理が一番手っ取り早いから実施する。それを運が悪いと言って誤魔化す。
2009/01/23
コメント(0)

品よくすればご褒美が 飼い猫のペットは野良猫にはない可愛らしさと上品さがそなわって来る。それは毎日の食事が保障されていて、寝る場所も遊ぶ場所もあるのだからガツガツとしたところが無く上品に育って当たり前のことなのだが、品種にもよるのかも知れない。和猫の場合は三毛猫や虎猫、そして黒猫の他に雑種が多く、割合大人しい性格が多いのだが、洋猫の場合は大陸で生まれたせいか気性が激しい。たまたまうちの家族になったココはラグドール(ぬいぐるみ)という種で白地に茶色い部分ががあって丁度パンダのような感じで、顔と耳と尻尾が茶色く、足もソックスを履いて一見大人しく見える。品よくしていたらご褒美が貰えるヨ ところが意外にも気性が激しく、隣家のモモという洋猫(アメリカン・ショートヘア)と仲良くしていたと想っていたら急に「ギャー!」と騒いで喧嘩をし始めたりするのをよく見る。どちらが仕掛けるのか知らないが、大抵はモモが我が家の庭にやって来て我が物顔で居る。それを見てココが腹が立つのかも知れない。いわゆる縄張り意識で喧嘩するのだろう。そのくせ今泣いた子がもう笑ったように仲良く一緒に居たりするのだから訳が分からなくなってくる。ところが、呉越同舟というか野良猫が来ると一緒になって追い返すところなぞ洋猫同士仲が好い面もみせる。共同戦線を張るのである。 ココの餌はツナの缶詰とチップ状の餌だ。缶詰の三分の一が1回分でそれにチップ状の餌を一匙分添える。チップ状の餌は魚や野菜やビタミン剤が入っているバランス食である。朝夕2回与える。子供の時からそういう風にしている。モモは缶詰はもらえずチップ状の餌だけのようで、たまにゴミ箱のココのツナ缶をペロペロなめている。珍しいモノに興味があるらしい。時には缶を銜えて庭の片隅まで運ぶので最近では妻は缶を洗ってからゴミ箱に捨てるようにしている。臭いでモモや野良猫が来るのを防止する為と、夏場だとそこらじゅう臭うからだ。 2回の食事の他に、食間のお八つが欠かせない。ツナ缶は一缶が一日の目安と説明書きにはあるのだが、わざわざ三分の一づつにしているのは残すからだ。残すと夏場は直ぐに痛んで臭うので捨てることになる。勿体ないから少し少なめにしてチップ状の餌を添えている。だから食間のお八つが欲しくなるのだ。お八は煮干しの雑魚である。余りにも好きなのでよく噛まずに飲み込んでいるぐらいだ。時々喉に引っ掛かってオエッと戻しかけたりする。「落ち着いて、落ち着いて」と背中をさすってやるとスーッとするらしく、落ち着くと亦求め出す。が、やるのは数匹で止めている。 我が家の夕食は遅く8時からだ。だからココも4時頃の自分の夕食の後、食卓の下で何か貰えるのを待つことになる。ボクがワインとチーズを食しているとジッと見つめて待っている。仕方なくチーズの欠片を与えると嬉しそうに食べる。和食のときなぞ刺身が貰えるからジッと待っている。人間様でも御馳走なのだから猫には勿体ないのだが、家族のそれぞれから一切れは貰えるから順番に廻って行く。お蔭で栄養満点のココは肥って5kgを越してしまった。雄の場合は体格が大きいから7kgにはなるそうだが雌のココは限界に来ていることになる。 「豚猫になるぞ」と言っても素知らぬ顔で貰えるまでジッと待って見つめているのだ。見つめられると落ち着いて食べられないからついやってしまう。それがココの手なのだ。お八つではスルメも好物だ。猫にマタタビと言うが、スルメにもそういう刺激臭があるようだ。変わったところでは焼きそばも少しだが食べる。コロッケもだ。肉の香りがするからだろう。要するに人間の食べるものは総て美味しいものだという思い込みがあるようなのである。しかし、そういう間食や過食が糖尿病の原因になったりするからペットには自制心がないだけに注意を要する。 可愛いからといって餌を与えすぎるのはペットを虐待しているようなものだ。それは野鳥に餌を与えるようなものだ。野生の生き物が人間の与える餌に頼るようになれば絶滅してしまう。自分で探して喰い物を得る能力(手段)が退化してしまうからだ。ペットにもならない野生の生き物に単に可愛いとか珍しいというだけで餌を与えるのは人間のエゴでしかない。それが分からない人が鳩に餌をやる。一見平和でのどかな風景に見えるが鳩が平和の象徴と思うのは人間の勝手な思い込みでしかないことを自覚すべきである。
2009/01/22
コメント(0)

大阪駅周辺(3) 大阪の雑踏はJR大阪駅周辺(地下鉄の他に阪急と阪神の二つのターミナルもある)とJR天王寺駅周辺(矢張り地下鉄と近鉄のターミナルもある)更には難波(JR湊町と近鉄と南海の三つのターミナルと勿論地下鉄がある)があり、ターミナルではないが雑踏の通りとしては御堂筋、堺筋、谷町筋、四ツ橋筋、中央環状線、外環状線などの南北の幹線道路と東西の数本の大通りがある。その他にも大通りは沢山あるが雑踏とまでは行かずとも車の渋滞が恒常化している。それは東京でも同レベルで、JR東京駅付近、JR新宿駅付近、JR品川駅付近、JR渋谷駅付近、その他には浅草や秋葉原や青山、銀座、赤坂程度のものだ。首都高速や環八などは何時もラッシュ状態で大阪の阪神高速も同様だ。最近の大阪駅西部風景(大不況にも拘わらず再開発ラッシュである) 人々が大都会に集まるのは何も物見遊山の観光や買い物の為ではなく仕事を求めてのことで、それ以外は副次的なものでしかない。仕事があってこそ生活が成り立っているからだ。公務員であっても同様、たまたま大都会に役所が集中しているだけのことで大病院も大学も同じ理屈である。勿論、利便性もあるが、そもそも世界の四大文明の発祥地の例をみても分かる通り、そこには昔の主要交通手段であった港があった。大阪も東京もそうだ。その前の京都もそうだった。水の都ベネチアを模倣して大阪湾から淀川を遡り、伏見城へ船で航行できるように計画していた。その前は琵琶湖の安土城がそうだった。世界に繋がっていた訳である。現代の空港という訳である。 ボクは最近、高年齢(前期高齢者と役人は色分けしている)になったばかりの割には設計・監理の仕事で出かけることが多く、若い人とも接していて時代の流れを肌身で感じることができている。だから自宅のテレビやパソコンの前でじっとしている高齢者とは違い現役の気分でいられる。人間は加齢による老化ではなく自宅でジッと動かなくなる出不精の方が老化現象は激しい。ボクの住む住宅団地の自治会集会で見ればそういう老人ばかりで驚くばかりだ。平均年齢が70歳以上なのだ。先日も2011年の地デジ切り替えの説明会を開いたが、半分以上は理解出来ない老人ばかりだった。決して常識が無いとか呆けている訳ではなく時代の波について行けなくなった人々ばかりなのである。 ところがそれでも阪神大震災以降は、ナップザックを背負った老人が街を出歩く姿が多くなった。足腰が弱って動けなくなるのを恐れた人々が金のかからない健康法を見つけたのだ。人間の体力の老化は歩かなくなった日から始まる。足腰さえ丈夫であれば何とか健康は維持できる。その代り無理に歩きすぎると骨粗鬆症や股関節炎を引き起こす可能性もある。老人は老人用の歩き方がある。そういうボク自身、昨年、自治会長職で多忙だったのとウオーキングで無理をしたせいか身体を壊してしまった。1日2万歩、10kmを山歩きしていたのだ。週に2、3回だったがそれがいけなかった。1日1万歩、5km程度なら良かったのだろう、ところが毎日は時間的に歩けなかったから、ついまとめて歩いていたのだ。 そのせいもあるのか、最近では突発性難聴の方は良くも悪くもならず固まってしまったようだ。精神的ストレスが原因だと言われているから自治会長を辞めれば治るかも知れない。この3月末で2年の任期が来るのでやれやれである。ボクに敵対する数人の老人たちもやれやれと思っているだろう。しかし、彼らは文句ばかり言って表立っては何も言えない人々で、老人性痴ほう症の一歩手前になっているのが自分でも分からないのだ。己を知る、つまり覚悟の出来ている人は筋の通らないことでは騒がない。ちゃんと筋道を立てて淡々と意見を述べる。そういう人は説得力がある。そういう人が最近は少なくなった。 さて、大阪駅周辺の紹介をしていて、日本の社会を見ている気分になってつい話が横道にそれてしまったが、中東では第3次世界大戦が始まろうとしている。それで世界の景気のてこ入れを企んでいる国があるということである。金融関係の企業がその国の主要産業になっている国(例えばイギリス、アメリカ等)は生産性(モノを作り出す)企業が衰退したからといって軍需産業(戦争)でまかなうというのは随分ご都合主義で人道主義に反する。それが分かっていながら実施するところが人間の厭らしいところで日本もその尻馬に乗ろうとしている。日和見主義という農耕民族の生き方が日本の政治スタイルなのだろう。 そういう世界的不況の中でも再開発事業が中断せずに続いている国は少ない。我が国の場合は特別会計制度があるからだろう。官僚が企画した会計で自分達の定年後の受け皿作りに懸命なお蔭で着々と工事は進む。役人も人間である以上、家族もいるだろうし遊びもしたいだろう。しかし彼らは給与以外の税金をそれにつぎ込むから国民の反発を喰らうのだ。特別会計制度を一般会計に組み込む方式にすればインフラも年金も福祉行政も楽に運営できる。それが分かっていても「農民(国民)は生かさず殺さず」という江戸時代の武士が行った管理方式が今も生きているから政権が変わらない限り既得権益はなくならない。それが今の政治である。
2009/01/21
コメント(0)

大阪駅周辺(2) ところで、都市は生き物だとよく言われる。それは大勢の人々がそこで様々な暮らしをし、色々な仕事をし、ありとあらゆる人間の欲望の総てが表面化し、時には争い、時には妥協しながら取引がなされる場だから、その影響を受けた関係者や環境が常に変化しつつ形を変え常に新しいものを生み出して行くからだろう。決して後戻りをすることが無いのが都市の姿だ。しかし、極たまに時間が止まったままの場所もある。最近の大阪駅西部風景1 そういう時間のフリーズした場は、閉鎖になった工場であったり、統廃合された学校の廃校跡であったり、中には火災で焼けて放置された現場であったりする。そのどれもが人間による仕業でしかないところが悲しい。人間はもっと活動的で生産性の富んだ生き物だった筈だ。もっと夢のある理想に燃えた動物の中の長だった。生きとし生けるもののリーダーだった筈なのだ。それなのに殺し合いが平気な生き物になり下がってしまった。 最近の大阪駅西部風景2 その殺し合いも自分勝手な理屈で、自分の家族や一族だけが生き残れば良いという狭い視野でしか見ないものなのだ。人類の平和なぞという高邁な考え方は言葉の遊びでしかなく、今日、明日亡くなってしまっても不思議はない過酷な環境に置かれた人々を犠牲にして自分が生き残るという残忍さは自然界の生き物の中で人間だけがもつ残酷性と冷徹さだ。誰もが心にそういう悪魔を養っている事実は誰もが認めたがらない。 しかし、我々は知っている。「仕方がない」とか「長いものには巻かれろ」という現実を。遠い国での出来事は川向うの火災よりもまだまだ遠い向こうの見えない世界の出来事なのだ。見えなければ知らないで済ませておこうという卑しい根性が目覚め、我々を悪魔の手先に仕立ててしまう。そして平和ボケした国民は目先のことで一喜一憂する。多くの人類の一員であることを忘れ、宇宙船地球号の乗組員でることすらも忘れ、今日を何とか凌げればよしとするだけなのだ。(つづく)
2009/01/20
コメント(4)

大阪駅周辺(1) 小学校の増築工事がいよいよ始まるので地元説明会に行って来た。開催時間に少々時間の余裕があったので小学校の手前にある大阪駅で下車した。書店やショッピングモールで買い物を兼ねてブラブラ歩いてみようと思ったのだ。正月明けのバーゲンセールが始まっていて、あちこちで売り出しの呼び声がけたたましく五月蠅い。ボクには全く関係がないというか興味がない若者のファッションばかりだが、若い頃なら彼女を連れて歩いたかも知れない。それにしても不景気のせいで活気が無い。最上階にあるタワー・レコードでバッハのオルガン曲のCDでも買おうとエスカレーターとエレベーターを乗り継いで上がって行った。このところCDはバッハばかり買っている。阪急デパートの新築工事(北面)は表通りのファサードの多角形と違ってフラットだ Bのコーナーを探したがBach(バッハ)は意外にも少なかった。精々ラックの2、3段程度しかなく、その中でオルガン曲は更に少なく、大半は聴いて知っているものばかりだった。ふと、アラン(マリー・クレール・アラン)のCDが目について手にした。曲目はポピュラーなものばかりで矢張り知っているものばかりだったが、彼女のは持っていなかったから買った。トッカータとフーガやコラールやパッサカリアで、パソコンには既に他の演奏者のが多く入っている。PCファイルからモバイルのMP3にインポート(転写)してイヤフォンで聴いているのだ。阪急デパート(南面)の表通りは多角形になっている:前回紹介) ビル内は暖房が利きすぎて暑かった。コートを脱いでも暑く、セーターに汗が滲んでいた。そのまま外へ出れば風邪を引きそうなので暫く他の売り場も見て回ってから書店へ行った。紀伊国屋は何時も人で一杯だ。先日、ネットで「メグレ警視」を沢山買ったのでめぼしいものは無かった。が、文房具売り場でカッターの替え刃を買った。案外これが売っていないのだ。たまたま思い出して良かった。時計を見れば未だ30分ほど時間的に余裕があるので地下街の喫茶コーナーに入った。JR大阪駅北側の再開発(上へ伸びていく巨大な鉄骨が夕日に寂し気だ) 独りで喫茶コーナーに入るのは珍しい。店先に飾ってある菓子パンの中からベーコン・エピ・チーズ入りを1本取ってホット・コーヒーを頼んだ。少々腹が減っていたのと地元説明会が長引けば夕食が取れなくなるかも知れないと思ったのだ。帰宅してからだと遅いから、ビールとワインとチーズ程度で夕食は終えることになりそうだ。パンとコーヒーを食べてしまってから水を貰って突発性難聴の耳鳴りの薬を飲んだ。周りは若い女の子ばかりで独りで飲食している男性はボクだけだった。 外に出ると冷気が爽やかに感じられ気持が良かった。が、流石に手にしていたコートを着た。風邪の前触れのような腰の痛みを感じたからだ。その足で大阪駅へ向かうと夕日に再開発のビル工事群が目に入った。反対側を振り返ると先日見なかった阪急デパートの裏(北)側が見えた。それは普通のノッペリした超高層ビルだった。先日見た表のファサードの多角形なのは通りの角に合わせたデザインだったのだ。街路区画に合わせて外観をデザインするのは都市の宿命である。ローマ時代からそういうデザインで、ヨーロッパの都市計画が総てローマ風なのを見ても分かる。 日本の大きな建物も街路に沿ってビル工事を進めるから、そういう意味では近代における都市計画はローマ風と言えるのかも知れない。大阪なんかは御堂筋以外は戦災で殆ど焼け野原になってしまったから幹線道路沿いのビルは大小バラバラとしても一応道路という区画で仕切られた中のことだけだから東京よりも条理性が整っていて整然としている。東京は新しい道路(銀座通りや昭和通りなど)については整然としているが、江戸城(皇居)を中心とした谷と峰の曲がりくねった放射線状の都市計画だから不ぞろいに見えるのだ。(つづく)
2009/01/19
コメント(2)

木登り猫 ココの画像を出しながら別の話題のブログばかりして余り構ってやらないでいると終いにココが怒りだして(現に昨日なぞイライラしてトイレットペーパーをクルクル引き出してトイレ中を紙だらけにしてしまった)ヒステリーになっても困るので、庭に出て追いかけっこをしてやると喜んで走り回り、挙句は木にも登りだす有様なのだ。ボクに追いかけられるのが特に嬉しいようで、そこでデジカメなんかで撮ってやるとスーパー・モデルよろしくポーズまで取るのだから可愛いものである。観られているというのが嬉しいのか、一番嫌がるのは無視されることのようである。人間にも言えることだ。庭木に登ってご満悦のココ(高いところが好きなのだ) クロガネモチの赤い実が未だヒヨドリに食われずに残っていて、ココがそれを銜えて試食している。「何だ、こんな不味いものをヒヨドリの野郎が食べていやがるのか」と言わんばかりに下へ投げ捨てている。ココはよく肥って5kgにもなって重いから今に細い枝が折れるのではないかと気にかかるが案外生木はシナリが良く折れないでいる。隣のヤマモモは葉っぱが茂って見晴らしが良くないから登らないが、高野槇には登る。以前はヒマラヤスギに登っていたのだが葉っぱが針のようにチクチクするので嫌なのか最近は登らない。ヒヨドリの真似をしてクロガネモチの赤い実を食べようとしている(なんじゃ、不味いニャン) 更に別の木としては玄関先にある門被りの槇がある。門の上部に長い枝を伸ばして門の屋根のように仕上げた木である。松を門被りに仕上げているのをよく見かけるが最近は葉刈り職人が少なくなったのと人件費が高騰して馬鹿にならなくなって実施する家も少なくなった。庭樹よりもガーデニングの方が手っ取り早いのと自分で出来るから流行るのだろう。妻の友人がわざわざアメリカのターシャ婆さんの所まで行って話をしてきたというからガーデニングがそこまで行っているのかと感心してしまう。だから妻もガーデニングに凝りだしたのだ。 「そんなことより、もっと私に注目して」とココはガーデニングに熱中している妻の背中に飛びあがって蹴りを入れるそうだ。驚いて振り返ると素知らぬ顔でピョンと向こうの方へ走って行って振り返るという。自分のしていることを分かってやっているのだ。だからボクは、逆にココを追いかけてやる訳である。そうすると満足するのと適当に疲れて夜の9時頃には椅子の上でぐっすり眠ってしまう。二階の自室に行くのを即すと嫌々ながら薄眼を開けて階段を上って行くのが面白い。一旦自室に入れてしまってから、ボクはパソコンにその日のブログを書き込むという段取りである。
2009/01/18
コメント(0)

本の整理(4) 書類というものは溜まり出したらその都度整理しないと切りがないほど溜まってしまうものだ。郵便物もそうだ。使用済みの封筒も勿体ないからと貯めているとかさばって仕方ない。思い切って捨ててしまわないとゴミの山になってしまう。たまたま空調機の真下の書類箱に開封した封筒を貯めておいたら、そこが一番温かい場所だと知ったココが一休みするようになった。暫くはその状態が続いたが封筒が増え出すと邪魔になるのかココがビリビリと破り始めてしまった。だから今では破られる手前の量で止めることにしている。ココの為というよりも一定量の目安になるからだ。貯めておいても用途がない以上はゴミと変わらないし、猫にとって邪魔なものは邪魔だから好い目安にもなる。書類箱に入ったココ(エアコンの下で温かい) だから本も一定の量が溜まれば処分するようにしている。人生60年から20年ほど伸びて80年の時代になって、ボクの場合もご多分にもれずその辺りまで生きそうだから今から身辺整理の癖をつけておかないとゴミ屋敷になってしまう恐れがある。日頃から妻が余計なものは置かないようにと整理して廻っているからある程度はスッキリしているのだが、彼女の判断だけで整理されると書斎の場合なんかは仕事にさし障るから精々日常品や衣類に限っている。だから本や書類は自分で思い切って処分するようにしているのだ。それでも探し回らなければ出てこないものもある。整理しすぎて分からなくなるというナンセンスである。自分でも笑ってしまう。 仕事で溜まる書類は仕方がない。法律でも5年間は保存の義務があるからだ。だからでもないが、効率良く整理するなり分類して、時にはパソコンに入れ込んで整理するのだが、パソコンだと遊びのファイルと仕事のファイルが同じパソコンのDドライブに入っているというのも問題だ。慎重にしなければならない。遊びは何かの原因でファイルが消えても諦めがつくが、仕事はそういう訳には行かない。後で調べ物をしたりデータとして取り出す必要があれば直ぐに出せる状態にしておかないと余分な労力と苦労を覚悟しなければならなくなる。プロとして当然のことだが仕事は遊びとは違うのだ。 尤も遊び心で余裕をもって仕事が上手く運べば言うことはないのだが、大概は仕事は堅苦しい連続で遊び心がないから面白くもない。そこを自分の器量で改革すればいいのだろうが世の中が認めてくれない以上は堅苦しくても自分をそれに合わさなければならない。たまたま偶然にも一寸した遊び心でやったことが大受けして趣味が実益の仕事になる場合もあるだろう。そういうラッキーなことはめったにないから何時までも青年のように付和雷同もしていられない。ところが芸術というものは矛盾するようだが遊び心が左右するのだから分からないものである。遊びという心の余裕がいい作品を生む世界なのである。 天才がそうだ。一般人が一生懸命に努力したところで愚作しか出来なくても天才だと何でもない当たり前にしたことが非凡なものを生み出すのだ。神は不公平だが、それが現実なのだから仕方がない。天才と努力家とは別の次元で同じ出来であってもトータルで見れば断然差ができるものである。その差が埋まらないところが非凡たる所以で百年に一人という結果となるのである。だから人間諦めが肝心なのである。自分は天才だと誤解した人は不幸である。自分の実力に気付かないのは一生の不作であり不幸である。だから人生は喜劇であると言われる所以であろう。
2009/01/17
コメント(2)

本の整理(3) 初版本とかコレクションにする程の本以外は蔵書する時代は過ぎた。余程好きな本とか自分の専門分野の本なども今ではお荷物になって部屋の片隅の本棚か押入れにしまっておく時代だ。ボクの主治医でもある近所の内科の先生なんかは家に置くスペースがなくなって近くにあるマンションを購入して自分の図書館にしているが、ボクはそこまでやる気はなかったから殆どの本を処分してしまった。専門書も欲しい人にあげてしまった。学生時代から本を購入したのが相当溜まって本棚が何台も要って、ある時期なぞ部屋の壁の殆どが本棚になったこともあった。何かを狙っているココ しかし、頭に入ってしまったものは余程のことが無い限り再び読み返すこともなく、専門書だって内容が古くなってしまったものはゴミのようなもので、自宅をリフォームする度に徐々に減らして行き、5年ほど前の大改装では思い切って殆んどを処分してサッパリしたのだった。その分部屋が広くなったこととインテリアが変わったことで別の生活スタイルに移行するにつれ、あれだけの本が果たして必要だったのかどうか疑わしく思えた。いわば一種の飾りになっていたきらいもあった。現代ではパソコンのデータベースで殆どの資料は揃うようになったから書籍の占めるスペースが不要になったのだ。 しかし、何処にどういう資料があるのかを探す知恵はこれまでの読書経験から学んだものばかりだから決して本が無駄であったとは思っていない。むしろ本を読まずにてっとり早く人の作ったツールだけで自分のものにしている人は探究心とか地道な調べ物の方法が身についていないから幾らデータベースがあったところで余り役に立っていないのではないだろうか。ボクの友人で矢張り壁一面が書棚で何千冊もの本に囲まれてご満悦なのが居るが「何故こんなに貯めているの?」と訊いたことがあった。すると「資料として必要だから」という返事だった。よく考えてみれば彼はパソコンをやらないのだった。 60歳を過ぎた友人でパソコンをやらない連中はかなり居るが、彼のように自分で書評集を出したりエッセイを書く人間にしては珍しい。「機械人間に成りたくないから」と頑固にパソコンを拒否しているのだから無理に勧める気もなく、それ以降は一切そのことには触れずにいるが、近所の主治医の先生なんか80歳を超えているのにパソコンを使いこなすから本が邪魔になって図書館というよりも倉庫代わりに売りに出ていた中古マンションを買ったというのが本音のようだ。不動産も大幅に値下がりして郊外のマンションなんか値下がり一方なのだ。その代り大都会や利便性のいい処は今でも高い値段が付いている。利用価値が高くて多目的に使える場所は引く手あまたである。 そういえば先日もそういう風景を見た。京都に遊びに行った帰りに幹線道路が混んでいたので、抜け道として勝手知った京都の街中の細い道を抜けながらボクの生家(今は他家の医院になっている)の前を通ると、周囲には全く昔の家が無く様々な会社のビルに代わっていたのだった。中でも新しい豪華なビルが建っていて、よく見ると最近出来上がったホテル日航プリンセスだった。プリンス・ホテル(西武)の向こうを張って日航が新たに建てたホテルだ。女性観光客が多い京都のことだからホテルが出来るのは珍しくもなく、近くにも日航ホテルが20年ほど前に出来ている。その近所の100年以上続いた中学校は廃校になり仮設の鋼板塀で囲まれていた。 利便性の良い場所はどんどん商業化が進んで会社のビルやホテルなど商業ビルが出来ていく。その代わり民家が消えて行き、学校も消えて行く。ボクなんかは早くから京都を出てしまったから商業化の走りだった訳で、小学校や中学校の同窓会なんか開こうと思っても郊外へちりじりバラバラになっているから集めるのも大変だろう。ちなみに昨年52年ぶりに小学校の同窓会に卒業後初めて行ったら老人ばかりの会で顔を見ても分からない人々の中に見覚えのある友人が数人居たのでやっと溶け込むことができたのだった。昨日は、中学の同窓会を卒業50年目の節目でやるという誘いのハガキが来た。細かい字を読むと東京タワーが出来て50年目とあり、ピカピカの前期高齢者一年生の我々はホテル日航プリンセスで乾杯、とあった。
2009/01/16
コメント(2)

本の整理(2) 自宅に、一旦整理して無くなった本が亦増え出して、なるべく本屋へ行かないようにしているのだが、インターネットTVの映画で「メグレ警視」を観てから大いに気に入って原作の小説を読みたくなって一冊の本を買ったのが先月のことだった。年末ジャンボ宝くじを買いに大阪へ出たついでに本屋に立ち寄ってパソコンで調べてもらった。その結果、一冊だけ在庫があったのを注文して手に入れることが出来た。それは直ぐに読み終えて今年の正月に仕事の打ち合わせに大阪へ出た時に更に注文しようと二、三軒の書店に立ち寄ったのだったが何処にも在庫は無かった。ブームの過ぎた本を探すのは苦労することを肌身で感じたものだった。寒いと寝てばかりいるココ 帰宅して妻にそのことを言うと「インターネットで探せば在るのでは?」と言われ、成程その手があったのかと早速アマゾンで調べると10冊ばかり見つかって注文したのだった。インターネットTVの映画で気に入ったのだからインターネットで探せば?と言われるまで気が付かなかったというのも惚けた話だが、それよりも電車賃を出して本屋まで行くことを思えばインターネットは実に便利で安いことが分かった。注文して翌々日には届いたのだから本屋よりも速かったし送料も無料(一定金額以上だから)だった。デパートでも送料が200円で、その他の商品も外商廻しで同載で頼んでおくと送料はそれ以上掛らないから何時もそうしている。 細かい話だが、年間にすれば馬鹿にならない金額だ。それに外出の回数が若い頃よりも減るとつい外出しての買い物が面倒になってカタログや電話で注文してしまう。スーパーへの買い物も減って、その分は生協の宅配便でまかなっている。鮮度が良く品物が悪ければ直ぐに取りかえるか差し引きしてくれるから安心である。そんな生活が当たり前になると買い物というものを改めて見直すことになる。高価なものは実際に見て手にしないと失敗することがあるから出かけて行くようにするが、細かなものはまとめてカタログや電話、更にはインターネットで買うようになった。コンサートのチケットでさえインターネットで買った。 その他にもインターネットで買ったものを列記すれば、猫の餌(缶詰やチップ材)、サプリメント、スイーツ、健康器具(自転車)、北海道の男爵イモ、電動ジェット洗車器、猫のブラシ(静電気防止電池式)、電動髭剃り器、ワインなどがある。どれも重宝しているものばかりだ。カメラやテレビ、パソコンなぞ電子器具用品も考えているが今のところ間に合っているので模様眺めである。オークションで良いのが見つかれば買っても良いと思っている。この楽天を通してのものも多い。息子も何か買っているようだが、関知していないから自分のパソコンで好きなことをしているのだろう。その内、妻もパソコンをやりたいと言い出すかも知れない。
2009/01/15
コメント(2)

本の整理 5年ほど前に自宅をリフォームした際に読み終えて既に役目を終えてしまった大量の本を殆ど整理(欲しい人にあげたりゴミとして処理したり)して残った本はほんの僅かになってしまい今後は、もう本を買うこともないだろうと想っていたのだったが、最近、亦、本が溜まり出した。新品同様だから読み終えるとその都度欲しい人にあげているのだが、欲しくもない人に無理やり譲るのは迷惑だろうと思い直して留保していたのだ。建築関係やその他の専門書は喜んで貰ってくれる人が居たので本もまだまだ役割を果す機会があって良かったと思う。しかし、ゴミとして処分した本は単なる焼却だから考え方によっては勿体ないものである。泰然自若として辺りを見張るココ 大昔、権力者が焚書という行為に出て一つの文化が消えて行ったことがあった。全く消滅しなくともその文化の資料の大半が無くなって後世の研究者が碑文を解読したりするのに苦労しているのは一種のロマンを感じながらも人間とは愚かなことをする生き物だと思わざるを得ない。尤も、大量の情報が溢れている現代では本も余り気味で、それこそ整理をしないことには文化的で快適な生活を送る目的から外れ、本の為に生活を犠牲にするのはナンセンスだ。だからこそ思い切って大整理をしたのに再び本が溜まり出すというのも一種の癖のようなもので、新たに本を購入する際には余程気をつけていないと惰性に流されてしまう。 本に囲まれていてあの匂いが好きでたまらない人も居る。古本屋をやりたいというのが少し前まで男のやりたい仕事の一つに挙げられていたぐらいだ。男のやりたい仕事にはもう二つほどあって、その一つは僧侶だった。坊主になって何が幸せかと思う人も居るだろうが、様々な人生を観、経験すると厭世観に見舞われ一種の世捨て人になりたいと想うようになるのも分からない訳でもない。しかし、そんな甘っちょろい気落ちでは坊主になったところで生臭坊主にしかならず世の中の迷惑になるだけである。作家がそういうのに似ている。大作家と言われる人の中にもそういう人が居た。しかし、作家として世に出ればそれだけで存在価値は生まれる。 ところで、ボクの友人で頭が良く読書家で折角一流の国立大学を出ながら家庭教師のアルバイト程度で他には何もせずブラブラしている男が居た。夜な夜な繁華街に出ては出逢った友人に酒をねだったり金を借りて同窓生仲間からも馬鹿にされていた。ボクが結婚して30年以上になるが、最近では風の噂も聴こえなくなって何処かに消えたのかどうか知らないが、なまじ変なプライドだけあって仕事らしい仕事もせず親に喰わせてもらっていたところで親も何時かは亡くなるから今頃は多分親も居ずどうしているのかと思うと哀れに想ってしまう。 そういう風な男が他にも居て、そちらの方は親の遺産があるから何とか生きているらしいのだが、彼は何でも金で友人を操作しようとするからとうとう皆からうとんじられ一人ぼっちになってしまった。金を借りない方だから迷惑を掛ける訳ではないが付き合っていて空しい想いになってしまうのだ。ボクは青年時代も結婚してからも彼と一緒によく呑み回った関係で親しくしていたのだったが、住んでいる処が京都だからボクの棲む奈良では距離的に遠く、次第に間遠になって行き、最近10年ほどは逢うことがない関係になってしまった。ところが、何時だったか京都へ妻と遊びに行った際、ある小料理屋で彼の奥さんが亡くなったことを知ったのだった。 早速電話して訊けば亡くなって1年が経つということだった。何故知らせてくれなかったのだと言うと、付き合いが途切れているからだという返事。寂しい男だと想った。せめて線香の一本でもと申し入れたが、亦、機会でもあればという気のない返事でそのまま行きそびれてしまった。他の友人にそのことを伝えると、彼等も「そうらしいねえ」という返事で完全に孤立しているようだった。京都にはそういう連中が多い。疎遠になる原因を自分からつくる人間には京都人は相手にしなくなる面があり、儀礼的にも余程まめに付き合っていないと忘れ去られてしまうのだ。先に、亡くなって数年経つのに友人であるボクに知らせてくれなかった彼の家族に不信感を持ったのと似ている。 人生とは金だろうか、という愚問はしかし、案外当たっているのではないかという現代社会である。金だけが人生ではないと頭では知りつつも、逆に金があっても他人からうとまれる人も居て、分からなくなってしまうが、矢張り最低限の金は持たないと人に迷惑をかけてしまう。といって表面的な心にもない美辞麗句で付き合う関係も嫌なものである。親戚でもそうだ。金の無い親戚はうとんじられる。といって金持ちの親戚も陰では「威張りちらしている」と言われる。金があっても人望のある人なら好んで付き合う人も多いが、そういう人は少ない。せめて質素でもいいから人並みの付き合いが出来て人に迷惑をかけない人生でありたいと想ったりするこの頃である。
2009/01/14
コメント(0)

寒い朝 このところ朝が寒い。ベッドから出るのが嫌で、壁の時計を睨みながら、あと5分、あと2分と自分を追い詰めながら気分を高めている。それでも未だぐずぐずしていると、隣室のココがボクのベッドでの気配を察知して床にトンと降り立った音がする。そうなれば「さあ、ココの朝飯の用意をしなくては」という気分になってパッと起きてガウンを着て部屋を出る。自発的に起きるよりもココに起こされているようなものだ。時計は既に8時になっている。夏場だと2時間はもっと早いところだ。たまにココがボクのベッドの足もとで寝てしまった時は朝は6時頃には起こされるから最近は夜の11時頃にココを自室に閉じ込めてから寝るようにしている。朝ごはんを食べると直ぐに庭へ出るのがココの日課になっている 朝早く起こされるのも嫌だが、ココの自室に閉じ込めれば寒かろうと仏心をだしてボクのベッドの足元に居るのをそのままにしておくと、夜中に家の中を徘徊して妻の洗面所の方にまで行って(ドアを閉め忘れている場合が多いので)トイレット・ペーパーをクルクルと引っ張りだして遊んでしまうのだ。それは極たまのことだが、これまで4、5回は経験しているので夜は絶対に自室に閉じ込めて欲しいという妻の要望もあって閉じ込めるようにしている。そもそもトイレット・ペーパーで遊ぶのには訳があるらしく、何か腹が立つことがあるとそうするようなのだ。 例えば欲しい時に餌を貰えなかったり何かで叱られた時なぞだ。叱ることはめったにないのだが、餌は早朝であったり餌の時間外であったりすると与えないから、たまたま家族が出かけていたりして餌が茶碗に残っていないと辛抱できなくなって腹を立てるようだ。しかし、大概は誰かが居るから1時間ぐらいはズレても辛抱はするのだ。それに外で怖い目にあったりするとヒステリー状態になることもある。怖い目に遭うのは大きな犬に吠えられた時で、小さな犬や仔犬だと自分から近寄って行き、中にはマウンティング(尻の上に乗ること)することもあるそうだ。 最初、それを聴いた時、まさかと思ったが、妻や息子がそれを観たというのだから確かなことなのだろう。その仔犬の飼い主がうちの前を散歩している時のことだそうで「なかなか気の強い猫ちゃんですネ」と言われたそうだが、仔犬の飼い主は自分の飼い犬が猫にマウンティングされたのが不甲斐ないという気持ちのようだったという。毎日夕方の定刻に通るのでココは塀の上で待っているのだそうだ。その仔犬を恋人のように想っているのだろうか。おかしくなってくる。
2009/01/13
コメント(2)

このモヤモヤの気持ち 松の内とはいえ正月気分もそろそろ覚め仕事モードに切り替わりつつある今年二度目の日曜日を迎え、何か釈然としない心持なのが気にかかって、よくよく考えてみると正月早々、旧友の亡くなったことを知ったことだと思い当たった。それも数年も前に亡くなっていて誰も知らせてくれなかったことへの不信感が湧いたことだった。家族からの知らせは勿論無く、学友からの知らせも無かった訳で、電話で知らせてくれた東京の友人も正月早々にそのことを知ったのだった。ご両親はもう大分以前になくなっておられるから彼の奥さんと唯一の兄弟で親代わりであったお兄さんが元同僚や学友達に知らせたのだろうが、ボクと電話で知らせてくれた友人には無かった訳である。薄情な人々だと思った。サラリーマン建築家を辞め独立して最初に設計した住宅団地の集会所 人生の節目である定年の60歳前後は誰でも落ち着かない頃だろう。亦、何かと身辺での変化も多い頃だ。親の死に目にも遭うだろう。他人には決して分からない家庭内のことや自分の心の内の悩みもあることだろう。それでも最低限の礼儀として「人の生き死に」については連絡するのが人の道だとボクは思うのだ。特に彼とは、かつてお互いの私生活にまで入り込むほどの付き合いだっただけに残念でならないのだ。そう言えば別の友人にも似たようなことがあったのを思い出す。どちらも京都の友人だった。そういうことから一旦京都から出た人間には京都人は薄情なのかも知れない。それは今更ボクが言わなくても昔から言われてきたことでもある。 ボクは亡くなった友人と違って早くにサラリーマンを辞めて設計事務所を設立して独立したのだった。もう15、6年は経つだろう。当初は今以上に不安があって毎日が気が気でない日が続いたものだった。丁度その頃、新宿のバーで飲んでいると、正月に電話で友人の亡くなったのを知らせてくれた友人とバッタリ出逢った。全くの偶然での出逢いだった。彼も同じ京都の高校の同級生だった。しかし、彼の様子がおかしく挨拶もそこそこに一言だけ言い残して去って行ったのだった。「明日、九州の方に引っ越す」「え?亦、急の話だねえ。何故?・・・新しい住所を知らせてくれヨ」が最後の言葉だった。それ以来、今日まで会っていないのだ。 5年ほどして九州へ行った友人から年賀状が来て彼の一家の元気そうなのを知った。それから再び年賀状のやり取りをするようになった。ところが亡くなった友人からは彼と同じ頃から音信が途絶えていて住所も分からなくなっていた。九州へ発つ前日におかしな表情をして去って行った友人と同様、彼と音信が途絶えたのも丁度時期が符号するので、亡くなった友人が彼に何かボクのことを捏造して言ったのではないかと勘ぐってしまったぐらいだった。捏造して言ったか言わなかったか知らないが、音信不通になる理由がなかったのだ。全く不思議な状態だった。 だから、未だに亡くなったことを知らせてくれなかった本人の家族にボクは不信感を持っている。東京の役所を定年(60歳)で辞めて九州の大学の教授に横滑りにしろ就任したのは彼にとっては華麗な変身であったに違いない。それだけにそのことを黙っていたというのも納得が行かないし、彼が東京に居るのを幸い東京で飲んでは自宅に泊めてもらったことや香港駐在の頃に遊びに行って世話になったこともボクにとっては良い想い出話なのに今では逆に変な気持ちにしか思えなくなっているのは残念なことだ。 人間は思いもよらないことで疎遠になることがある。一方的な誤解もあるだろう。喧嘩でもしたのなら納得も行くが訳も分からず疎遠になる、それも敵対心をもっての疎遠だとすれば嫌なものである。自分に落ち度でもあれば幾らでも手の打ちようがあるだろうが、そうでない場合はどうしようもない。唯それだけの人物であったと諦めるしかないのだろう。わざわざ亡くなったことを知らせてくれた友人もかつての空白の5年間は何か重大な理由があったのかも知れない。いづれにせよ今では元通りの音信があるのだから好しとせねばならないのだろう。それにしてもモヤモヤは残るのである。故人となってしまった友人とは楽しかった想い出があっただけに悔やまれる。
2009/01/12
コメント(2)
村の消防団の新年会 ボクの済む住宅団地の直ぐ隣にある旧村に消防団があって、毎年、市の恒例の出初式に参加した後、新年会を催すことになっている。僅か24名の消防団員しか居ないのだが、全員ボランティアで、地域の若者が参加している。その村に隣接する自治会は六つほどあって、それぞれの自治会長も新年会に招かれることになっているのだが、昨年は、ボクは腎臓結石で激痛が走ってとてもじゃないが新年会の気分どころではなかった。だから、小康状態の時を見計らってご祝儀だけを持って行き、新年会は中座したのだった。今年は何とか発作も起きなかったので参加し、来賓代表の挨拶まですることになった。前日の老人クラブの新年会に引き続いての挨拶だった。 新年会の会場は、消防団車庫の二階にある座敷で、定刻より少し遅れて全部の自治会長が揃ったところで新年会は始まった。消防団長が先ず挨拶をし、次に来賓の挨拶が始まるのだが、改まった形式的なものでは場が堅苦しくなるから、ざっくばらんな語りで始め、先ず招かれたことへの礼を言ってから、ボクがこの地域に住み始めて34年になること、つまり人生の半分以上をこの地で過ごし、息子もその年齢になったこと、勿論、地元の保育所、幼稚園、小学校、中学校を出ているから彼にとっては此処が故郷であり、更には、妻は消防団員の中の八百屋さんとも仲がよくなって店先の品物よりも鮮度の良い品物を倉庫から取り出して分けてくれる関係にまでなっていることなどを話して身近な関係であることを述べた。 そういう人間的な繋がりが出来たのは長年の歳月を要して出来たもので、最初の頃は村と新興住宅団地との関係が対立の状態であった。それが今では嘘のようで、仲良く手をつないで行くことの大事さ有難さが身に染みて分かる事例が一つあった。それは住宅団地内に未だ空地が多くあった20年ほど前のことだが、年二回の団地内の雑草刈り清掃があって、空地の所有者が草刈を簡単に済まそうと火を点けたところ大きな火柱が立ったのだ。草刈りをしていた人間は火の大きさに手のほどこしようもなく茫然として見ているだけで、驚いた隣家の主人が慌てて二階の窓からホースで水をチョロチョロと流して消そうとしたが、二階から目薬の例えであったという。 しかし、間もなく村の消防団が駆けつけてくれ直ぐに鎮火され大事に至らなかった。市の消防よりもいち早く来てくれ、それを見た近所の主婦達はホッとし心強く感じたものだった。ボクは出張中のことだったので後日そのことを知ったのだが、矢張り隣近所の付き合いは大事だと思った。以来、村とも交流が出来、仲良くなって行ったことを締めくくりに述べると大きな拍手が起き、新年会は和気あいあいの雰囲気で進んで行った。消防団長が小学校のPTAの会長も兼ねていたこともあってボクと顔見知りだったのも和やかな雰囲気づくりに役だっていた。お蔭で他の自治会長も気楽に融け込むことが出来て良かったと思った。 村社会の良い処は連帯感があるということだろう。それに対して新興住宅団地というものは連帯感は希薄である。むしろそういう人間的な繋がりを嫌ったり煙たがる人々が集まったのが住宅団地なのかも知れない。大都会の人々がそうだ。大きなマンションやアパートでは隣近所の付き合いは少ない。全くの没交渉の人々さえ居る。老人の孤独死もそういうところから来る。住宅団地でも最近は孤独死という問題が起きている。ボクの隣に座った自治会長が「最近、老人の孤独死があったばかりです」と言った。余りべたべたした馴れ馴れしい付き合いもどうかと思うが、適度な繋がりを持たないと情報が入らず、非常時には対処できないこともあるのだ。 まさか隣組制度(戦前の強制的な近所づきあい制度)を復活させるのもどうかと思うが、せめて隣近所の情報は知っておきたいものである。自治会とて情報は余り知らないものである。精々、老人クラブや趣味の同好会程度で知り合うぐらいなものだ。子供が小さい内はPTAでの付き合いもあったが、30年以上も経つとその関係も無くなってしまう。子供同士でさえ高校・大学を卒業してしまえば付き合いも希薄になってしまう世の中だ。そういう意味では自治会の役員をやったお蔭で旧村とも付き合いが出来たのは良かったと思う。ボクの自治会長の任期はこの3月で切れるが、今後も人間関係は大事に育てていきたいものである。
2009/01/11
コメント(0)
ある新年会 昨日、住宅団地の老人クラブによる新年会があって自治会役員として招待されて行ってきた。40名ばかりのご婦人方中心の老人が毎年集まって恒例になっている行事で、自治会役員が出席するのは昨年の忘年会に引き続き2度目のことだ。「若い娘さんの新年会なら喜んで行くのだが、お婆さんの集まりではねえ」と憎まれ口か冗談か分からない言い方をしながらボクは出席したのだったが、実際問題として勿論敬老の気持ちは持っているものの仕事でなければ行きたくもない会だった。忘年会もそうだったが、お年寄りが団らんしながらの食事会程度ならまだしも、呑んで騒いで歌ってキャーキャーとまあ賑やかな老婆集団というものは老人の一歩手前の男にとって耐えがたいものなのだ。 それに自治会長なぞ来賓として呼ばない方がもっと気楽に呑んで騒げるだろうのにと想いながら来賓席でかしこまって食事をし、ビールを呑んでいると次から次へと老婆がやってきてビールを注いでくれるのだ。どうせ社交辞令だろうが形だけでも人気があるのは有難いことだと思いながら呑んでいると次第にビール腹になって行き食事も余し気味で、更には来賓席の後のカラオケ画面からの大音量の音楽が鳴って朗々と力任せに高い音で歌う声が耳に突き刺さって、まるで苦行僧のようなものだった。2時間ほどそういう状態が続いた後「自治会長さんも、どうぞ!」と指名されて最初は断っていたのだが、結局サービス精神から歌わざるを得なくなってしまった。 だから老人には良い想い出の曲と思える懐かしい「有楽町で逢いましょう」を歌ったのだった。が、ボクが歌い終わるや否や二人の老婆が椅子に座ったまま居眠ってしまい、起こしても目覚めないのだ。それを見て役員達が慌ててしまい、救急車を呼び、直ぐに来た二台の救急車で運ばれて行った。ボクは矢張り予感が的中したと思った。気乗りしない新年会だっただけに何が起きても不思議がなかったからだ。二人ともビールとお酒による急性アルコール中毒だが、91歳と86歳の高齢者が雰囲気に飲まれて呑みつけない量を呑んでしまったのだろう。 ひょっとして、ボクの美声にしびれてしまったのかも知れない、という冗談はさて置き、確かに老人クラブの高齢者の飲酒は注意を要すると思った。さぞ役員達も驚いたことだろう。しかし、老人クラブの会長は泰然自若として「大丈夫、大丈夫」とテキパキと役員達を指揮して、カラオケを続行させ、数曲終えると今度はビンゴ・ゲームをして1時間ほどで新年会はお開きとなった。帰宅して数時間してから老人クラブの会長から電話があり「○○さんは即入院で、もう一人の●●さんは大丈夫ということで帰宅しました。どちらも娘さんからの報告でした。ご心配をかけました」と報告があった。 年上の方が元気に帰宅し、年下の方が入院ということだった。それにしても老人クラブの宴会では同席した周りの者が高齢者に余程注意しないと大変なことになり兼ねないという警告だったのかも知れない。尤も、老人同士の席では飲酒量は掴め難いだろうから、今後の課題として若い役員達が高齢者の飲酒について慎重に注意するしかないようだ。それよりも老人クラブの会長が冷静に対処してくれたのが頼もしかった。彼なら今後も上手く運営管理してくれるだろう。そういう安心感が湧いてきてようやくボクは安心できたのだった。
2009/01/10
コメント(0)

奈良へ初詣と京都での食事 市立奈良病院へ妻の定期検診に同行した後、近くに在るからと直ぐ横の春日大社へ初詣をした。定期検診が形ばかりで数分で終えてしまったのだ。「この夏で5年目だよ、過ぎればはやいものだねえ、良かった良かった!と先生から言われたけれど、言われればそんなものかなという程度で余り良かったという気もしないわ」と妻は言った。乳がんの術後の成功目安は5年目と10年目と言われているのだが、その5年目に入った訳である。良かったと言えば良かったのだが、想えば大変な5年だった。抗癌剤の後遺症や体調の不良など、それに免疫力の低下で風邪を引き易く用心ばかりして、ガーデニングや日本画の練習に何とか取りかかれるようになったのもつい一昨年からのことだった。正月の雑踏が嘘のように消えた春日大社 初詣を終え、くじを引くとボクは末吉、妻は中吉だった。凶が出ることを思えば悪くは無いのだが、今年は余り積極的に出ないで守りに入った方が良いという卦だ。中吉の妻は段々と良くなって行く兆しなので心持は悪くなさそうだった。昼食に奈良ホテルにでも行こうかと思ったが何時ものコースでは面白くもないのでそのまま高速(京奈和)道路に乗って京都へ向かった。空いていたので2時間かかるところを1時間で、という訳には行かなかったが途中で伏見稲荷へのラッシュがあったのを入れても1時間半で行けた。以前に正月休みで宿泊した市役所横の京都ホテルに入り昼食をとった。泊まったのがついこの前のことに想えるが両親が健在の頃だったからもう10年にはなる。京都ホテルで食事とお茶を 食後、一階のコーヒーラウンジでショート・ケーキが食べたいというので向かった。以前の美味しかった味が忘れられないのだそうだ。そう言われればボクもあの美味でこってりした味が想い出された。あちこちでケーキを食べているが確かにこのホテルのパティシエは腕が良い。土産にもそのケーキを求めた。ホテルに車を残して京都の街を少しばかり散策してみようと外へ出た。河原町通りを南へ向かったが薄っぺらい感じのビルが多く建て替わっていて、青春時代まで過ごした雰囲気は何処にも感じられず、途中で高瀬川の方へ曲がり、先斗町を南へ下がって行った。途中、甲部歌舞練場の前でアマチュア・カメラマンの群れが居た。多分、歌舞練場から出てくる舞子か芸者の姿を撮るのだろう。華街・先斗町(ぽんとちょう) 先斗町は懐かしい街だ。青年時代よく飲み歩いたものだ。料亭の二階から酔って階段を滑り落ちたこともあった。女将から「何と派手なお客はんやろなあ」と呆れ返られたことが想い出される。毎晩のように呑んだ街だから今でもお茶屋にフラフラと立ち寄りたくなる気分だ。先斗町の途中の露地を通り抜けて再び高瀬川に出、河原町も過ぎ、新しいショッピング・ビルを通り抜けると新京極に入る。そこには往年の多くの映画館は無くなっていて新しいショッピング・ビルに建て替わっていた。京都の繁華街も大層変わったものだ。そのまま西の方へ行くと錦小路に入る。年末恒例のテレビ・ニュースで映像が流れる京の台所だ。京の和菓子屋と日本画の絵具屋(どちらも老舗だ) 年末に賑わったあの雰囲気は無く、水曜日ということもあってシャッターの下りた店が多かった。それでも開いている店の前では観光客がたむろしていた。子供時分よくお使いに行かされた場所だけに懐かしい中をそのまま暫く行き、堺町通りで右折して三条に向かった。妻は何処まで歩かされるのかという顔をしていた。たまには歩かなければ体力が落ちる。そう想ってわざわざ歩いたのだ。お蔭でボクは少し汗ばんでいた。三条の鳩居堂や姉小路の和菓子屋、日本画の絵具屋などにも立ち寄ってホテルに戻ると二時間程経っていた。車を地階のパーキングから出し、昔よく通ったイノダ・コーヒーへ向かった。濃いコーヒーが飲みたくなったのだ。高校・大学、青年時代と毎日のように通った店だ。イノダ・コーヒーにて(レトロな雰囲気が人気を呼んでいる) 運よくガレージに空きが一つあった。新館を通って旧館の席へ行った。クラシックな雰囲気の中で味わうコーヒーは疲れを癒してくれた。ホッと一息つくと、昔この店によく通った学友仲間の一人が亡くなっていたことを昨夜、友人からの電話で知ったのを思い出した。この10年ほど音信の無い友人だったので知らなかったのだ。電話の情報から彼の所属していた学生時代のESS・OBで作っているH.P.を観ると、九州で大学の教授をしていて何と3年前に蜘蛛膜下で急死したのだった。三回忌の墓参記念の写真を観ると奥さんを真ん中にして懐かしい友人が数人居た。とりあえず通信欄にお悔やみのコメントをしておいたが、早過ぎる死と連絡が無かったことに複雑な気持ちに陥り、余計に寂さを増幅させるのだった。
2009/01/09
コメント(0)

地中海の東で(4) 大不況の様子は毎日のニュースで伝わってくる 。巷に失業者のさまよう姿や路上生活者を映像で伝えられると他人事ではなく切実な気持ちにさせられる。NPOが彼等を救済しようと動き出して地方自治体もやっと何とか動き出した。ところが国は全くといって良いほど動かない。政府が口先だけのコメントを出すだけの無策だからマスコミに批判されている。一体この国はどうなってしまったのかと国民の大半は怒っている。が、まだまだ国民運動になるまでには至っていない。不景気だ不況だと言いながらも外に出ず自宅でひっそりと暮らしている人が多いのだ。中でもこの正月に海外へ遊びに出かける人々も居て切迫感がないようだ。但し経営者たちは「明日はどうなるか分からない」と額に皺をよせている。そのアンバランスが今の日本の混沌とした状況を物語っている。イランの首都テヘランの国際空港(テヘランには大小三つの空港がある) 地中海の東で今何が起きているか国民は知っている。しかし、表面的なことしか伝えられないから根本原因までは分り難い。イスラエルが圧倒的に戦力で勝っているのに何故パレスチナを襲うのかという程度の疑問しかないようだ。が、眼をその周りへ向けると少しは観えてくる。中東諸国のお家の事情を知れば知るほど、更にはその国交のある東西列強のことが分かれば尚更分かる。日本も含まれるが、日本は他の大国の顔色を観てしか動かないし亦そう思われている。ずるいというか頼りないというか、自主性を持たない国は周囲の影響でしか動きが読めないから腐った鯛でも大国であるアメリカの考えで類推するしかないのは国民としては情けない。せめて自主性の片鱗でも見せてくれる政府になって欲しいと次回の総選挙に期待するしかないようだ。テヘランの第2空港 ところで、中東諸国の各国を国の面積によって国力を判断する人は居ないと思うが、それでも中東以外のロシアや中国やインド、更にはアメリカやオーストラリアのような広い国は地図で直ぐに目にすることができるから誰でも知っていて決して小国(国力)とは考えない。そのくせ、イギリスやフランス、ドイツ、スペイン、イタリーという欧州の主要国の国力も知っているから同等かそれ以上に評価する。そんな中で矢張り日本の位置を確認したくなるのはボクだけでは無いだろう。自由主義経済圏でアメリカに次いで日本が経済力で第2位にあると言われて久しいが今や中国がアメリカや日本をしのぐ勢いであることも国民は薄々知っている。インドもそうだ。テヘラン市街 1 つまり国の面積イコール人口に比例する国だから経済活動はどうしても比例していくのは仕方がないようだ。それじゃ、日本も1億2千万人の人口が居るではなかと言ったところで、中国の10%にも満たない。インドも10億近くの人口で、今では超えているかも知れないのだ。そんな中、イランという国を観れば、面積の割には7,000万人と人口が少ない。しかし、首都のテヘランは馬鹿でかい都市で一つの都市なのに大きな空港が三つもある。国の人口の10%以上710万人もの人々が暮らしているのだから大都会だ。昔はペルシャという国名だった。今でもペルシャ絨毯は有名だ。ペルシャ猫も有名だ。イランにはその他にも人口100万人以上の都市が幾つもあって数えただけでも五つ以上もある。テヘラン市街 2 近年のイランはアメリカが敵対する国になっていて、今回のようにイスラエルによる中東紛争が拡大すれば今に世界第3次大戦にまで拡大するのではないかと危惧されている。政治的には様々な解釈があろうし、敵対視するにはそれ相応の理由もあるのだろうが、国力が低下しているアメリカが果してどこまで中東政策(戦争)を推し進めるかは今の時点では分からない。勿論、戦争は馬鹿気たプロジェクトだし、幾ら大不況を乗り切る為といっても、それはアメリカやイギリスの都合であって世界の都合ではない。日本なぞ率先してそれを中止させる外交を推し進めないと油が来なくなる恐れがある。だが、今の政府ではその力も方策も理念もない。テヘラン市街 3 出来るとすれば次回の総選挙で政権を入れ替えるぐらいの方向転換をすれば可能性はある。但し、アメリカと堂々と渡り合える覚悟と信念が必要になる。それは政治家の問題だが、それを選び出すのは国民だ。国民意識がそういう方向に進めば日本もまだまだ可能性があるだろう。だが、現在の社会状況を観て何も感じない人が居るとするなら絶望的だ。自分のことしか考えない人は結局は自分にお鉢が廻って来ることを知らないだけのことで、国民が一体になって国家の危機を乗り越える意識を持つことが肝要である。その為には冷静に政治家の口と眼を見つめることだ。テヘラン市内にある二本の滑走路が交差する珍しい飛行場 嘘つきが商売の政治家を上手く使うのが国民の甲斐性だ。嘘は夢を抱かせる妙薬ではあるが悪質な嘘は絶望と憎しみしか生まない。憎しみは親子代々響く。そろそろ2代目3代目の政治家は心してかからないと次回の総選挙では落ちるだろう。国民は冷静に賢くなってきているのだ。何時までも騙せると思っているなら大バカ者だ。マスコミもその辺をしっかり見据えて自分の眼で自分の意見を述べるだけの器量を持つべきだ。各社同じ内容のニュースばかり伝えていると国民から見放されるだろう。テレビ局が統廃合されるかも知れないという昨今、NHKだけが税金(視聴料金年間24,000円)で経営出来ている特権を有難く思わないと、国民はますます不払い運動を起こすだろう。
2009/01/08
コメント(2)

地中海の東で(3) ガザがシリアとエジプトに挟まれた地中海沿岸にあって昔から交通の要所だったと前に述べた。パレスチナ人が住むこの辺り一帯は砂漠の町で、中東の殆どの国が砂漠の国であるように所々にオアシスがありナツメヤシが成っている光景はアラビアンナイト(千夜一夜物語)でお馴染だ。行けども行けども砂漠の国で、ある王様が外来人(冒険者)に「一日で行ける範囲の土地を囲めば好きなだけお前に与えよう」と言うと喜んで杭を持って行く話がある。冒険者は必死で広大な砂漠を走って囲んで行くのだが、日が落ちても戻ってこない。使者が調べに行くと杭を持ったまま途中で野たれ死んでいるのが見つかる。ガザ地区にあるエジプトに近い都市ラファ(街のど真ん中を国境線が走っている) 「ああ、何と慾深い人間であろうことよ」と王様は憐んでせせら笑うのである。人間の欲望のコントロールが利かない例え話だ。ナポレオンがロシアとの戦いで冬将軍に負かされる話に似ている。夏の砂漠という自然は冬将軍という反対の季節と同じように、亦、ベトナムでのジャングルや湿地帯という自然のように、その土地を熟知した土地の人間でさえも慎重になる大自然なのだ。砂漠に住む民は、かつてイザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」の中で述べられているように生死を見つめて生きる民である。日本人のようなお人好しでは生きていけない世界なのだ。ラファの検問所 1(同じ街なのに、かつてのベルリンのように自由に行き来できないでいる) 貧しい砂漠の民が石油という宝ものを神から与えられ、王族がそれを我が物にし、白人(イギリスを始めとする欧米諸国)がその上前の殆どをかすめ取ってしまう構図が石油の生産調整と高騰のからくりである。その上、超成り金になった王族に様々なモノを売り付ける。例えば、ジェット機を売る。王族は喜んで乗ろうとするが「滑走路が無いと飛ばせられない」と売った方はうそぶいて飛行場の建設工事請負を法外な価格で受注する。高級車もそうだ。精々走れるのは街中だけだから高速道路が欲しくなる。日本の族議員の道路族のようなハイエナ達が金をむしり取って行くのだ。検問所 2(左のエジプト側は砂漠である) ドバイ(アラブ首長国連邦)の超高層ビル群も同じようなものだ。以前にも紹介したが、世界一高いビル(1,000mあるという)を建設して世界の金融センターにするのだという。莫大な金余りの次の手として将来石油が無くなった場合のことを考えて一所懸命ビルを建てさせたものの果してテナントが入るかどうかと危惧していた矢先、サブプライム・ローンの焦げ付きから端を発したアメリカの金融恐慌はあっという間に世界中を駆け巡り、ドバイも閑古鳥が鳴く街になってしまった。王族は、またもや白人にしてやられたと臍(ほぞ)を噛む思いで居ることだろう。コンピュータを買ってウキウキしていた人が「動かすには別売のソフトが必要になりますヨ」と言われてギョッとしているのと同じだ。砂漠の国境線(砂漠にも塀を設けて通行を妨げている) 要するに魚を釣る要領と同じである。騙し合いの世の中だから騙される方もある程度は覚悟しているのだろうが、大不況が世界規模で起きると余所の国にも影響してしまうので困るのである。大分以前に、妻の従兄弟が外資系コンピュータ会社の重役をしていた頃、チリで大地震があって「困った困った」と言っていた。何故チリの地震が関係するのか訊いてみると「チリのシリコン工場が動かなくなったのだ」ということだった。つまり世界は今や連動しているのだ。そのせいで世界のコンピュータ製造に支障を来したのだった。今では自動車産業が困難な時代に突入している。(つづく)
2009/01/07
コメント(2)

地中海の東で(2) 誰でも地域紛争や戦争が起きれば、自分は中立な目で観ることができると信じるものだ。しかし、それは不可能に近い話である。当事者にとってはどちらもそれなりの言い分を持っていて背景の力関係を無視しては現実問題から目を反らせることになるからだ。それが現代の国際紛争の問題解決に暗雲を投げかけている難しい問題である。単純に言えば、どちらかが諦めれば紛争は起きないが多大な犠牲だけが残る。人間は誰しも生きる権利があるから犠牲(死者)を出して放っておくということは出来ない。北朝鮮に日本人やその他の外国人が拉致された問題でも(ボクは決して小さな問題ではなく大問題だと思っている)国際問題になっているのに死者が出れば当然のことだ。中東(東洋と西洋の間という意味)は昔から文明の交流と衝突地点である しかし、今の国連には力が無い。綺麗事を言うばかりで背景の国々の顔色ばかり窺っているだけなのだ。日本人は国連を金科玉条、錦の御旗のように思っている人が多いが、ボクに言わせれば、あれは大国(第2次世界大戦の戦勝国)の遊びであり後進国の仲良しクラブにすぎない。その証拠に国連への出資金の第一人者であるアメリカは国連を軽視し出資金を出し渋っているではないか。第二の出資国である日本は常任理事国にもなれず国連主義というか信頼しすぎて言いなりになって後始末ばかりやらされている。自民党も民主党も国連至上主義のようなことを言うので国民は「へえー、国連って理想的な世界の平和組合なんだ」と思ってしまう。ちっぽけなガザ地区だが、イスラエルは少しでも領土を広げたい ところがどっこい、国連の事務局は高給取りばかりで国連軍は命を懸ける程の価値がないと思っているのか真剣な武装闘争はしないのだ。いわばポーズばかりで強硬な外国部隊が来れば慌てて逃げ出すのが現実である。UNDOF(国連兵力引き離し監視隊)としてゴラン高原に日本の自衛隊も行っているが、自衛隊は軍隊でないということになっているから紛争が起きても只観ているだけか逃げ出すだけである。まして軍事力を持たない国として憲法で謳っている日本だから失礼ながらボーイスカウトが余所の喧嘩の尻拭いに行っているようなものだ。それでも行かないと日本は何もしない国だとアメリカに言われてしまうという余計な心配で行かせているのである。ガザにはストリート・ビューが無いので衛星写真でみるしかないガザ市街 イラクでもそうだった。せめて一人の犠牲者も出ずに最後の部隊が昨年イラクから帰国したのでホッとしている人も多いことだろう。憲法で海外派兵は出来ないと決めた国が、軍隊ではなく自衛隊であるという詭弁で派兵しているのは明らかに憲法違反だ(裁判結果でもそうなった)から派兵するなら憲法を改正しなければ筋が通らない。整合性がないのを平気で観ているのは如何なものだろう。しかし、戦争は嫌なものだ。勿論ボクは反対だ。一部の人間や組織は別としても殆どがそう思っていると思って間違いないだろう。それでも戦争をしたいという人間が居る限り何とかせねば、人間として産まれてきて只生きているというだけでは意味がないのではないだろうか。ボクはそう思うのだ。(つづく)
2009/01/06
コメント(2)

地中海の東で 果てしの無いイスラエルとパレスチナの戦いが再び起きている。48時間休戦条約を破って突然イスラエルがガザにあるハマスの集会所を襲撃して集会を開いていた400人が死んだ。騙し打ちである。よもや休戦条約を破るとは思わなかったハマスの側の油断でもあった。第二次世界大戦が終結した時点でイスラエル国家が出来たと同時にパレスチナ国家が出来なかったが故の民族の軋轢(あつれき)が続き、金力と支援国家で圧倒的な差を持つイスラエルが領土を広げて行き、そこへ入植者が入り、子供ができ、孫も出来て行くと、以前から住んでいたパレスチナ人との混血もでき、民族の入り混じった地区ガザは混沌とした街になっていた。地中海東(東洋と西洋の接点である) 地中海の東の沿岸にあるガザ地区はエジプトとシリアの間にあって昔から交通の要所として栄え、旧約聖書にも出てくる処である。その程度の認識は中学の世界史で習うから記憶する人も居るだろう。第3次中東戦争でエジプトからガザを分捕ったイスラエルは、ガザがパレスチナの主要都市であることを当然知った上でイスラエル国民を入植させていたのだが、世界の抗議に屈して国連協定で決められた通りガザから入植者を引き揚げさせたのだった。しかし、その後もパレスチナのハマスを中心とするゲリラはイスラエルに徹底抗戦を誓って行動を取って来た。それを快く思わないイスラエルが武力と金力でガザとエジプトとの間に国境塀を設けたのでパレスチナ人は行き来ができなくなっていて何度も塀を破壊する行為に出ていた。エジプトとの国境(黄線)に塀が設けられ、パレスチナ人は行き来ができなくなっている。 簡単に言えばそれだけのことで紛争が起きているのだが、何千年もの昔から続いているパレスチナ人の生き方を新興国イスラエルが武力でそれを制圧するという暴挙は世界が許す訳もない。ところが実際はそれがまかり通っているのだ。イスラエルの陰にはアメリカとイギリスがついているからそれが出来るのだが、エジプトも今やアメリカの傀儡政府だから処置が悪い。かつてクレオパトラも強国ローマには媚を売ってカエサルの子を産むぐらいだったからアメリカに媚を売るぐらい訳はないのだろう。が、ローマの真似をしたアメリカも今や崩れかかっているのである。ガザの市街(旧約聖書に出てくるほど古い町だ) 我々日本人には遥か遠くの国の出来事だからニュースで観訊きしない限り分からないし直接の生活にも響かないと思っているから「可哀想に」とか「イスラエルは何故どうして?」と思う程度だろう。ところが日本にとっては意外にも重要な地域であって油が来なくなるか来ても高騰する心配があるのだ。アラブ諸国はイスラム文化圏だから多くの民族が居ても大体同じような考え方を持っている。そこで紛争や戦争が起きればたちまち石油に響くのだ。アメリカやイギリスがイスラエルに肩を持てばロシアや中国はアラブ諸国の肩を持つだろうし、ヨーロッパ諸国も中立的な立場に立って紛争解決に動くにしても石油は影響を受ける。日本は相も変わらずアメリカべったりだ。(つづく)
2009/01/05
コメント(2)

冬の庭(6) 結局、ボクが言いたいのは、世界情勢が様々な形で動き、新たな歴史が生まれて行くのは総て我々人間の営みであって決して自然現象ではないということである。つまり知らないでは済まされないということだ。それなのに「自分には関係ない」とか「仕方がない」とか「長いものには巻かれろ」式に世界の市民が無関心でいるところに問題がある。中にはそれをチャンスとばかりに名前を売ったり金儲けをする人々も現れる。大きな組織にくっついていれば利があるとしてコバンザメや金魚のフンのように一緒になって動くのだ。そういう政治家も多く居る。テレビではしゃいで自分は正義の味方のような顔をする。が、国民は冷静に観ているから次回の選挙では必ず落選してしまう。苦々しく観ている人々が選挙というチャンスで日頃の鬱憤を晴らすのである。河口にある孤島のモン・サン・ミッシェル修道院(陸路ができてからは潮の流れに異変が起きている) しかし、人間の為せる技とは言え残酷なところは獰猛な動物と変わらない。いや、弱肉強食の動物界でも節度というものがある。人間はその節度を平気で破る。ナチスのホロコーストもアメリカの原爆投下もそうだ。あらゆる残虐な行為をし尽くしてもまだまだ飽き足らず平気で続けるのが人間だ。だからこそ勝手に都合の良い神をでっち上げ、救いを求める。鎌倉時代が殺し合いの暗黒時代だったからこそ仏教上の偉人や英雄が現れたように、中世ヨーロッパも同様のことが起き、後にはナポレオンのような英雄が現れるのだ。乱世ほど現れ易いということだ。今もそういう時かも知れない。果してアメリカ大統領オバマが英雄になれるかどうか。モン・サン・ミッシェル(教会→要塞→監獄→教会へと時代に翻弄され、今は世界遺産の観光地だ) たまたま先日、TVを観ていたらモン・サン・ミッシェルの紹介をしていた。パリから西へ500kmほどの処に在る小島の寺院である。一時は100年戦争(英仏戦争・終りの頃にはジャンヌ・ダルクがパリを解放する)で要塞になったり、その後は監獄になったりして世の中から忘れ去られていた処だ。それを失意の中に(公私ともに悩み事が多く)あったビクトル・ユゴーが不倫相手との旅行先で海に浮かぶ建物を観て、その幻想的な美しさに絶賛したのが世間に知られるところとなり教会復帰にもなったという。今では世界遺産にまでなって世界中から観光客が押し寄せる名所だ。ナポレオン軍の指揮官をしていたユゴーの父親ともそれ以来不仲を解消して、ナポレオンを見直すのもこの時期だ。昨年旅行した白浜温泉のホテル(モン・サン・ミッシェルに似させたホテルだった) 英雄ナポレオンは有能な軍人としてばかりでなく天才政治家でもあった。ローマ法王庁を潰し、花のパリの原型を造り上げた有能な行政力と立法力で、制定した法律は後に日本の民法の手本にもなったという。彼はイタリーに近い地中海の小島コルシカに生まれ、9歳の頃にパリの士官学校に入学し、以後はトントン拍子で出世し、ついにフランス皇帝にまで上り詰める。しかし、ロシアとの戦いに敗れてからはパリを追われコルシカに幽閉されるも、奇跡的に再びパリに舞い戻り復活を遂げる。が100日目にはイギリスや周辺国の連合軍に敗れ、絶海の孤島セントヘレナに流され生涯を終える。それでも国民の人気は高く、19年後にはフランス軍により遺体がパリに戻され安置される。英雄らしい有名な物語である。ナポレオンの生地コルシカ島アジャクシオ(イタリーの直ぐ横にある小島で広島県とほぼ同面積) 英雄の出現で国民に国家意識が高まり民族主義が芽生えると国力は増す。生産性が上がるのだ。しかし、悪くするとヒトラーのようになり、上手くいくとナポレオンのようになる。戦後の日本とドイツが劇的に復興したが英雄は居なかった。その代りテクノクラート(高級技術官僚)が台頭し、国力は増した。が、その時代も世界恐慌で役割を終えた。これからは矢張り英雄待望論が出てくるだろう。モノは揃った。これからはそれらが如何に安く効率よく市場に出回るかが問題だ。クローンが出来る時代なのだ。その内に神のクローンも出来るかも知れない。何もかも人間の手で作り出される時代が来れば人類は何をすれば良いのだろう。コルシカ島の南西部にあるアジャクシオ(内海の入江になっている) だが、心配することはない。間抜けな人間が出来ることと言えば精々、地球上に大規模な構造物を造るか、神の一歩手前までのことが出来る程度だ。孫悟空の慢心と同じで、地の果てと思った処がお釈迦様の手のひらの内であったのを見れば分かる。幾ら科学文明が発達しようが幾ら崇高な文学が出来ようとも、それらを繋いで融合させるキリスト教のような形而上学が行き詰っている現代社会では無理な話だからだ。現代の日本の社会が抱える社会的貧困は哲学や思想がないからだと言われる。つまり人々の心に夢が無くなって久しいのだ。英雄はそれを観させてくれ心を満たしてくれるかも知れない。正月休みに静かに暮らしていてそんなことを思った。
2009/01/04
コメント(2)

冬の庭(5) 人間が作り出すモノには目に観えるモノと目に観えないモノとがある。観えるモノばかりに目を奪われていると現象の後追いばかりしなければならなくなる。例えば、流行である。流行とはそれを売る側と買う側に大体分かれるものである。つまり金儲けの手段になっている場合が多いのだ。尤も、最初は流行らせるつもりが無くとも勝手に流行り出してからモノづくりに励む企業が雨後のタケノコのように出てくる場合もある。それが半分ぐらいはあるだろう。一時的なブームで儲かった企業は二番目も期待する。しかし、なかなか思うようには行かない。流行とは気まぐれなものなのだ。南アフリカ共和国の東端にあるダーバン空港 目に観えないモノとは仕組みである。システムと言ってもいい。悪く言えば罠である。目に観える罠ならまだ可愛いが目に観えない罠は悪質である。アメリカのサブプライム・ローンもその一つだ。住宅を買う場合のローンの仕組みが日本とは違うのでアメリカの低所得層の市民は日本よりも買い易くなっている。簡単な手続きで買えてしまうのだ。が、ローンの返済が出来なくなれば、つまりローンの支払金が段階的に増えて行き、稼いだ入金よりも越えてしまえば当然支払えなくなくなる。そうなると家を手放さざるを得なくなる。それで終わりだ。しかし日本の場合は、それだけでは終わらない。ローンの返済が未だ残るのだ。全く支払えない人は生命保険で置き換える。つまり自殺だ。ダーバンのヨットハーバー(フランス映画「太陽はひとりぼっち」を想い出す) 世界の人々は日本人は律儀だという。借金を返す為にドロボーまでして返そうとする、なかなか出来ないことだと感心するのである。住宅ローンが何かの事情で返済できなくなるとアメリカ人なら万歳(家を捨てて引っ越し)をして終わりになるところを日本人は真面目にもドロボーや殺人をしてまで金を作ろうとし、中には本当に奪った金で返済をするのである。何か変だ。本当の幸せを知らないのか意味もない変な見栄を張るのである。馬鹿げているとしか言いようがない。よくある話で商売人が、運転資金がなくなって高利貸しの金を当てにしだすと倒産は目の前だと言われる。それが分かっていながら手を出す。そういう心境に追い込まれるのだ。ダーバンの中心部(ケープ・タウンやヨハネスブルグに次ぐ大都市だ) 追い込む方も真剣だ。伊達や酔狂で金を貸している訳ではないからだが、中には銀行でなく違法町金(法外な利息で金を貸す闇の金融業)の場合もあるだろう。取り立て屋は映画では面白い話だが実際には恐ろしい。それで自殺した人も居る。そういうニュースを聴く度に哀れに想う。犠牲者だけにではなく加害者にもだ。まるで振り込め詐欺と変わらないではないか。人の心理に付け込んでやる卑怯な商売である。だから、ボクは白人だけが悪いとか日本人は犠牲者だというセンチメンタルな気持ちは持たない。日本人も白人の立場に居たなら同じことをしただろうと想うのである。アフリカ大陸を観る度にそう想ってしまう。ダーバンの四分の一(東南方面) ところで、昔、アラン・ドロンが日本の洋服屋の宣伝をしていたことがあって「ダーバン・セ・デレガンス・モデーム(ダーバンはエレガントだ)」という風な言葉を発していたのを想い出す。ボクはアラン・ドロンが好きで彼の作品の殆どを観た。ジャン・ギャバンやジャン・ポール・ベルモントとの共演のギャング映画が流行った頃だ。だからではないが、南アフリカ共和国のダーバンを世界地図で見つけた時、遅まきながらこの大都市の名前をとったのかと独り我点したものだった。フランスは地中海の向こうのアフリカに植民地”アルジェリア”を持っていた。そういう関係でアルジェリア人を始めとするアフリカ人がフランス国籍をもっている人が多い。 さて、年末年始にかけて最近の世界不況によるボクの世界観を思いつくまま述べて来た。ボクは幸いにも静かな正月休みをシャンパンを飲みながら過ごし、暇があればインターネットTVの映画やグーグル・アースを観ていて感じるままを書いた。そんな中でも世界情勢は刻々と変化している。今もイスラエルがパレスチナのハマスの建物を攻撃して400人ほど殺したという暗いニュースが入って来ている。それを聴きながら何故、地上の建物が安全と思っているのかハマスに訊きたいと思った。ベトナムのゲリラが地下豪を防空壕代わりにして結局アメリカに勝ったのにハマスは何も学習していないのが不思議だった。 尤も、イラクでは地下建物をも破壊する劣化ウラン弾(有害放射能がまき散らされる弾である)を使っている時代だ。世論が五月蝿いからイスラエルは劣化ウラン弾を使えないのだろう。が、それなら尚更のこと自分他達の身を守る為に地下豪に入らないのが不思議なのだ。いずれにせよ戦争は嫌なものである。だが、綺麗事では戦争は無くならない。戦後、東西列強の対立の中で生まれたイスラエルを陰で支援しているアメリカやイギリスは中東の石油利権に眼を向けて来た。戦後60年経って、イラクがアメリカの傀儡政権に代わり、その隣国イランは第3次世界大戦の当事国になるのではないかと神経を尖らせている昨今である。(つづく)
2009/01/03
コメント(2)

冬の庭(4) グーグル・アースで世界各地の現在の姿を観て想うのは「何という人間の営みよ!」という驚きだ。良きにつれ悪しきにつれ何千年・何百年とかけて地球に痕跡を残して来た結果が観えるのだ。それがピラミッドや万里の長城のような大構築物であったり、スエズ運河やパナマ運河であったり、鉱石の採掘跡であったり、大都市であったりするのだが、何時の時代も労働力が人力であったということに改めて驚く。勿論、簡単な道具は使ったであろうし牛馬のような家畜に頼ったのもあろうが、それを指示命令し動かした側と使われてきた側とに分かれ、酷い場合は家畜と同等かそれ以下の扱いで働かされて来たという事実が構築物から推し量ることができ恐ろしいものを感じる。鉱石の露天掘り跡(巨大な穴は東京ドーム20個分もある) 月から観える地球の唯一の構造物は万里の長城だといわれる。人間の造った巨大な構造物としては世界最大(長)なのだ。蟻のような小さな生きものでも年月を掛ければ巨大な構造物が出来る。延々と続く労働の成果が大きな形になるまで人間の執念はしぶといものがある。南アフリカでの巨大な構築物はケープタウンやヨハネスブルグやダーバンのような大都市があるが、単品では鉱石の露天掘り跡地が挙げられよう。東京ドームが20個ぐらい平気で入る大きさだ。実に天然の資源が露天掘りで取り出せるという恵まれた資源国家だが原住民(黒人)は手にすることが出来なかった。折角の資源も価値が分からず白人に奪取されてしまったのだ。鉱石の露天掘り跡地に雨水が溜まってできた巨大池 アフリカだけでなくアメリカも、インドも多くのアジア諸国もかつてヨーロッパ諸国の植民地だった。ヨーロッパの白人社会が栄えることが出来たのは植民地を持つことが出来たからだった。単純な経済の理屈である。現代で言えば安い賃金で働いてくれる低開発国に工場を建ててモノを作り、自国や海外で売りさばくことで莫大な利益を上げることができる理屈である。但し、そのノウハウを持たずに真似をしたところで失敗する。大航海時代は単に冒険家が発見した大陸に軍隊を送り込んで植民地にするだけで稼げた。しかし南アフリカ共和国に見るようについ最近(1994)までアパルトヘイト政策で現地人を虫けらのように管理して膨大な利益を上げてきた国は珍しい。ヨハネスブルグ空港(4千m級の滑走路がある空港だ) かつて日本が満州(中国東北部)や台湾を植民地にして来た時代でもそこまではやらなかった。というよりも植民地政策を平気で続けてきた白人社会が許さなかったのだ。自分達のやってきたことを東洋の猿のような民族が同じことをやりだしたことに我慢がならなかったのと脅威をおぼえたからだった。あわよくば日本も植民地にしたかった連中だ。ところが東洋の猿は中国(清朝)やロシアにまで戦争で勝ってしまうのだ。つまり世界の1等国にまで登り詰めて、アジアは日本に支配されてしまうという恐怖に陥る。そうなれば自分達の金の生る木が奪取されてしまう。連合国を組んで日本を叩く必要があった。ヨハネスブルグの大プランテーション(小さな緑の円の直径が1kmもある) その辺りの詳しい歴史観は様々である。日本が侵略戦争をしたのがいけなかったとか、白人の言うことを訊いておけば良かったのに反発するから原爆まで落とされたのだとか、アメリカの言うままに動いていれば間違いがないという政治家や評論家まで一杯居る。無論その反対意見もある。その結果が今回のサブプライム・ローンの焦げ付きでの大恐慌だ。アメリカ大統領ブッシュを崇めたてまつっていた連中は一勢に口を閉ざした。中には逆に変節をして攻撃を始めた者までいる。昨日の友は今日の敵かと思うほどの恥知らずだ。馬鹿ブッシュの跡を引き継ぐオバマは大変だ、尻拭いに4年間は実績を挙げられないだろうという評論まで出始めた。(つづく)
2009/01/02
コメント(2)

謹賀新年 皆さま、明けましておめでとうございます。どうぞ、本年も宜しくお願いします。 元旦 KEN-0623(マイケル)[冬の庭シリーズは明日から再開します]前栽の南天(難を吉に転じてくれるというナンテン・今年も良い歳でありますように)
2009/01/01
コメント(4)
全31件 (31件中 1-31件目)
1