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冬(53)「ところで何か御用?」 ココの代わりにボクが野良ネコを追い払う。庭に糞をされては困るからだが、相手もボクの姿を観ると一目散に逃げる。「この親父は本気だな」と分かるらしく生半可な逃げ方では捕まってしまうと想っている様だ。確かに猫の習性を知っているボクは野良ネコを追いかけるにも方法があって、先回りをして待っているから処置が悪い。流石に効果があって、ボクが追いかけた後は暫くは来ない。そこいら当たりの小母さんや爺が追いかけるやりかたでは生ぬるいから野良も舐めてかかるが、ボクなんか水を浴びせる事もあるから恐ろしい。それも的確に掛かるから敵にすれば厄介なのだ。そういう光景をココは観て「矢張り、うちのご主人は頼りになる」と感心する。感心した後は暫く従順である。しかし、それも三日すれば忘れ、野良も再び姿を見せる。イタチゴッコをしている訳だ。見方を替えればボクが野良に遊ばれている様なものだが、ボクも徹底的に追い詰める様な事はしない。要するに庭で糞をしなければ許す気でいるのだ。好き好んで野良になった訳ではないのだ。憎むべきは心無い人間なのだ。小説「猫と女と」(30) 二重の生活を何時まで続けられるか分からない不安を抱きながら、真実を知らない妻が、私の事を仕事で忙しくしていると信じているのを長続きさせたいと願わずには居られない。そんな現実の中、赤ん坊はすくすくと育って行く。そちらは女二人の保護者が居るから心配は無いものの、仕事の方は大学の仕事が終わって次の再開発プロジェクトが始まる迄の間、小さな仕事の連続で何とか事務所経営はやって行けそうだ。しかし、もし、そういうまとまった仕事が来なければ今の状態は三年も維持出来ないだろう。確実に大型プロジェクトを受注しなければ経営が苦しく成る。預金を切り崩し充当するにも限界がある。仮に、当てにしている仕事が受注できなければ事務所を縮小するか、それともいっその事閉鎖するかのどちらかに決めないと老後の為の預金が枯渇し、とても呑気に二重生活を維持する事なぞ出来なくなってしまう。 当てにしている大型プロジェクトは他県の駅前再開発で三年前から準備していたものだ。今秋には方針が決まり、そのプロジェクト・チームのメンバーであるスーパーゼネコンや商社の手配や段取りは既に終え、設計梗概も審査会へ出してある。審査会の有力メンバーは私の古くからの知り合いだけに先ず受注は間違い無いだろう。が、ダークホースが居るかも知れず、その存在だけが気に掛かる処だ。ところが、先の大学の工事をしたスーパーゼネコンが新たにプロジェクトに参画させて欲しいと躍起になっている。次の仕事が欲しくて私に別枠でのチーム編成を希望しているのだ。古い体質の業界だけにコンペとは言え、スパーゼネコンの裏取引が指名争いの決め手に成るだろう。が、私の別枠ダミーを立ててまで参加する訳にも行かない。設計者の信用問題や品位を疑われる事にもなる。だから私は逃げているのだが、都合の良い事に女との二重生活が隠れ蓑に成ってくれている。 つまり私は誰も知らない場所で何も知らない女達に助けられている様なものだ。子供の成長を観ながら私は様々な不安や猜疑心を抱えながらも密かに次の段取りをジッと見護って居る訳だ。天下国家を論じ青雲の志を抱いていた若い頃ならいざ知らず、良い歳に成って先が見え始めると我が身の事が優先し身近なな事で振り廻される様になってしまうものだ。それは仕方の無い事だけに、それを堕落だとか後退したと言うのは人生経験の浅い若者の言う事だ。自分の足元を固めてこそ初めて先を見通せる。単なる展望は誰にでも出来る。現実の自分を知り、それを修正しながら前に進む。それだけの事だ。それ以上の事は望むべくもない。まして子供が産まれた今、無責任で馬鹿気た事は考えたくも無い。せめて後二十年は健康で生き続けなければならないのだ。女も舞子も、そして妻も愚息も私を頼りにして生きている。それが気に掛かって仕方が無い。 言わば彼等は私の人生劇に加わった登場人物であり準主役なのだ。主役の私が監督である限り、私の責任で何とかまともな生き方や役割を演じさせたいと想わずには居られない。詰る処、私の人生は私だけの為にあるのでは無いという事だ。死ぬ時に過去を振り返って悔いの無い人生であったと想いたい。観客が誰も居なくとも私は最後まで自分の気の済むまで演出し続けるだろう。そんな事を考えているとつい溜息が出てしまうのだ。「あら、どうしたの?溜息なんかついちゃって」女が私の顔を覗きこんだ。舞子も釣られて見返した。「何か、身体がだるくて・・・、ゴルフ疲れかな?」私は慌てて昨日の月例会ゴルフのせいの様に応えた。「そうネ、しんどそうにして帰って来たから・・・、余り無理をしちゃあ駄目ヨ、もう歳なんだから・・・、ねえ舞子?」「そうヨ。自信も程々にネ」「ああ、分かって居る。この児の為にも健康に注意しないとな」 子供は安らかな寝息を立てて舞子の腕の中で眠っている。最近では顔立ちも整ってきてー時の猿のような感じはしなくなった。只、鼻が低いのが気にかかるが、おいおい高くなって行くだろう。私にしろ舞子にしろ鼻は高い方だ。が、そんな事よりも仕事の方が気に成って仕方が無い。急場の話ではないが、この児が大きく成る迄、否、私の人生劇の準主役達が苦労しなくて済むだけの金が欲しい。せめて人並みの生活が出来るだけの貯えを残してやりたい。私に残された時間からすれば此処数年が勝負の時なのだ。それが過ぎればチャンスは無くなるだろう。私一人が暮らせるだけでは駄目なのだ。私に拘わって私の人生に大きな影響を与えた家族達は私と同じ程度の生活をする権利がある。それを考えると毎日が悠長には構えでは居られない。焦る訳でも無いが、もっと自信を持って行けないものかと考えずには居られないのだ。 しかし、考えれば考える程、私も随分変わったものだ。女と出逢った八年ほど前は、まさかこういう展開になるとは夢にも想わなかった。そのせいもあるが、気に入った女が居ればつい口説きたく成り抱きたいと単純に想っただけだった。更には韓国人への偏見も自分では左程意識していなかった。否、自分では意識していない積もりでも実際は偏見に満ちていた。だからこそ女と話が食い違っても気にもしていなかった。と言うより女が差別的発言に敏感に反応して初めてその事に気がついたのだった。つまり偏見を当たり前と考え当然の様に平気で対応していたのだ。それが今では韓国人との混血である舞子を愛おしく想い、彼女との間に産まれた子供に責任感と義務感を抱く迄に成っている。根本的な人種的偏見なぞ綺麗に消え去ってしまっているではないか。何故だ。身近な存在に成った事で違和感が無くなってしまったとでも言うのだろうか。(二月中旬へつづく)
2013/01/31
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冬(52)日向ぼっこするココ 寒がり屋の猫は日向ぼっこが好きである。身体が温まってくるとゴロリと横になって仰向けにも成る。暫くすれば外に出てコンクリートのベランダでもゴロゴロと転げ回って腹と背中をこすりつける。蚤でも居るのだろうか。それとも一種の運動の積もりなのかも知れない。アフリカでライオンが矢張り同じ様な仕草をするのを映像で観た事があるからネコ科動物特有の運動なのかも知れない。兎に角冬の太陽は猫には有難い天の恵みなのだ。小説「猫と女と」(29) 要するに、私は舞子の恋人であり、夫でもあり、父親的保護者でもあるのだろう。舞子の母親にとっては娘と自分との共有の愛人ながら精神的な夫という訳だ。そういう風な事になったのは女が私に舞子を紹介した時から始まった訳だが、今から思えば、実際はその前の仔猫を貰った時やニューヨークのマンションに語学留学で舞子が住み始めた頃から萌芽はあったのだろう。女が舞子をニューヨークに行かせたのは、マンションを一年後には手放す事を勿論知っていたからであり、仔猫は一種の小道具だったに過ぎない。私が猫好きである事はー年間の付き合いの中の会話で知ったと考えられ、お互いに肉体関係を持っている以上、私が断らないだろうと踏んだのだろう。何と女は今日の為に遠大な計画を立てたものだ。もし仮に、そこまで読んでいなかったとしても私を知った事で私と言う男を逃がさない為の方法を様々考え抜いたのだろう。 結果的にどうであれ、こういう関係が出来上がって私は納得し満足しているのだろうか。いや、決してそこ迄は行っていない事は確かだ。何故なら、生来の優柔不断な性格から女の為すままに成る事はあっても一旦何かで嫌気がさせば手の平を返した様に心変わりをし冷たく成る性分だからだ。そういう割り切り方は若い頃からそうだった。尤も、舞子に私の子供が出来てしまった以上、そんな事は言っていられなくなった事も厳然たる事実だ。逃げる訳にも行かないが、決して逃げる気も無い。子供が成人する迄は死ぬ訳にも行かないのだ。それが女の計画であったとしても幸いな事に女児を得る事が出来たのだ。そう想えば運命の巡り合せがそう成ったのだとしか考えられない。神様がそうしてくれたと想えば良いのだ。運命の女神は矢張り私の願いを聞いてくれたのだ。あれだけ悩まされた愚息の事で馬鹿な家族から目を転じさせてくれたのだ。 案の定、子供が生まれて以降、私は女のマンションに毎日の様に顔を出し、半分は泊まる様になった。そして女に当面の生活費という名目で数百万の金を渡しておいた。女は最初、金を受取ろうとはしなかったが「子供の事や今後の事もあるから」と言うと「それじゃあ、有難く貰っておくワ」と受取った。当然ながら女はデザイン事務所へは行かなくなった。事務所へはその旨伝え縁を切った様だった。私も大学の工事が終わってデザイン事務所とは取引関係が無くなった。今後は仕事を出す事も無いだろう。肝心の自宅へは月の半分も帰る事は無く、それが次第に減って行き、事務所が休みの日程度になった。ココは私の帰宅する日が少なく成った分、妻に懐く様になって今では妻の寝室にも出入りする様になっていた。それを知ったのはココが妻の寝室から偶然出て来るのを見たからだった。「ほう、珍しい事もあるものだ。ココがあんたの部屋から出て来たヨ」 「そうヨ、もう大分前から入るのをオーケーしたの。あなたが出張で居ない日が多くなってココも寂しそうにしていたから、たまたま入れてやったら癖になったのヨ」「ココ!私を忘れたのか?それとも嫌味でやっているのか?」ココを抱き上げ、頭を撫で喉を掻きあげると目を細めて大人しくしている。久しぶりに私に抱かれて喜びを表現しているのか太い尻尾を振っている。が、それもものの数分もすると飽きた様にもがいて腕から逃れようとする。引っ掻かれでもすれば詰らないと仕方無く降ろすと逃げる訳でも無く、床暖房の効いたフローリングでじっとして寝そべるのだ。抱かれるのが嫌でも矢張り私が恋しいらしく付かず離れずに居るのだ。「相変わらず抱っこが嫌いな奴だな」私は独り言を言いながら棚から餌缶を降ろし、廊下のココの餌皿にスプーンー杯分の乾燥餌をパラパラと入れてやった。するとそれを待っていた様にココはガツガツと食べ始めたのだった。 自宅での夕食は久しぶりで相変わらず晩酌をしながらテレビのサッカーを観戦し、日本も強くなったものだと想いながら宿敵の韓国戦を余裕をもって観て居られる。ひと昔前なら負けてばかり居たのが最近では逆に勝ってばかり居る日本だ。男性チームも女性チームもサッカーが大流行りで最近の選手は上手くなったと感心する。相当金も使ったろうが気概も上がり見応えがある勝負だ。女のマンションで観るサッカーでも当然ながら日本を応援する。舞子が韓国人とのハ―フであっても気にせず声を挙げて日本を応援する。女や舞子がどう想って居るか考えた事も無い。日本人なら当然日本を応援するものだと想って居るからだが、女も舞子も私と同様に日本を応援している。私の為にそうしている訳でもないだろう。彼女等は完全に日本人なのだ。出逢った頃はそうでも無かった様だった。多分、私と知りあって感化されたのだ。 一体、彼女等にとって国籍問題は問題にする程のものではないのだろうか。私だけが独りで勝手な想像をしているだけの様にも想える。馬鹿な話だ。それなら欧米人なら構わないとでも言うのかという問題も出て来る。実にナンセンスな事ではないか。我ながら何を問題にしているのか分からなくなって来る。今こそ私の意識をしっかりさせておかないと生まれ出た子供に対して申し訳ない。そんないい加減な気持ちで女を抱き子供を作ったのかという事になる。しかし、理屈では分かって居るのだ。唯、心情的に未だ抵抗があるだけの事なのだ。その抵抗の原因を探り出し納得いくまで心に叩き込まねば話は終わった事に成らない。自分の心に働きかけ心の底から実に詰らない事で悶々としていた事実を曝け出し解決しておかねば今後も女にも舞子にも頭が上がらない気持ちを抱き続けねばならない。そんな馬鹿な人生なぞ糞喰らえだ。人間として失格だ。(2月上旬へつづく)
2013/01/30
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冬(51)外が気になるココ 野良ネコを追い払う事も出来ずにコソコソと部屋に入って来たココに腹が立って「しっかり、しろ!」と孫の手でココの頭を叩いて以来、ココはシュンとしてボクの言う事をきくようになった。それもひとつの教育だろう。飼いネコ特有の、弱虫では困るのだ。日頃の外へ出たい時や家の中に入りたい時にドアやガラス戸を我々に開けさせようとする横着な態度は許せても野良ネコの姿を観て逃げる猫なぞ我が家ではタブーなのだ。そんな猫なら旅をして強くなって貰わねばならない。しかし「旅なぞとんでも御座いません、ご主人様」と精々100m先の処までしか付いて来こず、ニャアと心配そうな声を挙げているのを観れば可哀想にも想えて来る。ペット猫の限界テリトリー半径100mだから仕方が無い。犬の様に紐を付けて散歩をしても良いと想うのだが、猫では絵に成らない。矢張り家に居てこそペット猫なのだろう。小説「猫と女と」(29) 要するに、私は舞子の恋人であり、夫でもあり、父親的保護者でもあるのだろう。舞子の母親にとっては娘と自分との共有の愛人ながら精神的な夫という訳だ。そういう風な事になったのは女が私に舞子を紹介した時から始まった訳だが、今から思えば、実際はその前の仔猫を貰った時やニューヨークのマンションに語学留学で舞子が住み始めた頃から萌芽はあったのだろう。女が舞子をニューヨークに行かせたのは、マンションを一年後には手放す事を勿論知っていたからであり、仔猫は一種の小道具だったに過ぎない。私が猫好きである事はー年間の付き合いの中の会話で知ったと考えられ、お互いに肉体関係を持っている以上、私が断らないだろうと踏んだのだろう。何と女は今日の為に遠大な計画を立てたものだ。もし仮に、そこまで読んでいなかったとしても私を知った事で私と言う男を逃がさない為の方法を様々考え抜いたのだろう。 結果的にどうであれ、こういう関係が出来上がって私は納得し満足しているのだろうか。いや、決してそこ迄は行っていない事は確かだ。何故なら、生来の優柔不断な性格から女の為すままに成る事はあっても一旦何かで嫌気がさせば手の平を返した様に心変わりをし冷たく成る性分だからだ。そういう割り切り方は若い頃からそうだった。尤も、舞子に私の子供が出来てしまった以上、そんな事は言っていられなくなった事も厳然たる事実だ。逃げる訳にも行かないが、決して逃げる気も無い。子供が成人する迄は死ぬ訳にも行かないのだ。それが女の計画であったとしても幸いな事に女児を得る事が出来たのだ。そう想えば運命の巡り合せがそう成ったのだとしか考えられない。神様がそうしてくれたと想えば良いのだ。運命の女神は矢張り私の願いを聞いてくれたのだ。あれだけ悩まされた愚息の事で馬鹿な家族から目を転じさせてくれたのだ。 案の定、子供が生まれて以降、私は女のマンションに毎日の様に顔を出し、半分は泊まる様になった。そして女に当面の生活費という名目で数百万の金を渡しておいた。女は最初、金を受取ろうとはしなかったが「子供の事や今後の事もあるから」と言うと「それじゃあ、有難く貰っておくワ」と受取った。当然ながら女はデザイン事務所へは行かなくなった。事務所へはその旨伝え縁を切った様だった。私も大学の工事が終わってデザイン事務所とは取引関係が無くなった。今後は仕事を出す事も無いだろう。肝心の自宅へは月の半分も帰る事は無く、それが次第に減って行き、事務所が休みの日程度になった。ココは私の帰宅する日が少なく成った分、妻に懐く様になって今では妻の寝室にも出入りする様になっていた。それを知ったのはココが妻の寝室から偶然出て来るのを見たからだった。「ほう、珍しい事もあるものだ。ココがあんたの部屋から出て来たヨ」 「そうヨ、もう大分前から入るのをオーケーしたの。あなたが出張で居ない日が多くなってココも寂しそうにしていたから、たまたま入れてやったら癖になったのヨ」「ココ!私を忘れたのか?それとも嫌味でやっているのか?」ココを抱き上げ、頭を撫で喉を掻きあげると目を細めて大人しくしている。久しぶりに私に抱かれて喜びを表現しているのか太い尻尾を振っている。が、それもものの数分もすると飽きた様にもがいて腕から逃れようとする。引っ掻かれでもすれば詰らないと仕方無く降ろすと逃げる訳でも無く、床暖房の効いたフローリングでじっとして寝そべるのだ。抱かれるのが嫌でも矢張り私が恋しいらしく付かず離れずに居るのだ。「相変わらず抱っこが嫌いな奴だな」私は独り言を言いながら棚から餌缶を降ろし、廊下のココの餌皿にスプーンー杯分の乾燥餌をパラパラと入れてやった。するとそれを待っていた様にココはガツガツと食べ始めたのだった。 自宅での夕食は久しぶりで相変わらず晩酌をしながらテレビのサッカーを観戦し、日本も強くなったものだと想いながら宿敵の韓国戦を余裕をもって観て居られる。ひと昔前なら負けてばかり居たのが最近では逆に勝ってばかり居る日本だ。男性チームも女性チームもサッカーが大流行りで最近の選手は上手くなったと感心する。相当金も使ったろうが気概も上がり見応えがある勝負だ。女のマンションで観るサッカーでも当然ながら日本を応援する。舞子が韓国人とのハ―フであっても気にせず声を挙げて日本を応援する。女や舞子がどう想って居るか考えた事も無い。日本人なら当然日本を応援するものだと想って居るからだが、女も舞子も私と同様に日本を応援している。私の為にそうしている訳でもないだろう。彼女等は完全に日本人なのだ。出逢った頃はそうでも無かった様だった。多分、私と知りあって感化されたのだ。 一体、彼女等にとって国籍問題は問題にする程のものではないのだろうか。私だけが独りで勝手な想像をしているだけの様にも想える。馬鹿な話だ。それなら欧米人なら構わないとでも言うのかという問題も出て来る。実にナンセンスな事ではないか。我ながら何を問題にしているのか分からなくなって来る。今こそ私の意識をしっかりさせておかないと生まれ出た子供に対して申し訳ない。そんないい加減な気持ちで女を抱き子供を作ったのかという事になる。しかし、理屈では分かって居るのだ。唯、心情的に未だ抵抗があるだけの事なのだ。その抵抗の原因を探り出し納得いくまで心に叩き込まねば話は終わった事に成らない。自分の心に働きかけ心の底から実に詰らない事で悶々としていた事実を曝け出し解決しておかねば今後も女にも舞子にも頭が上がらない気持ちを抱き続けねばならない。そんな馬鹿な人生なぞ糞喰らえだ。人間として失格だ。(2月上旬へつづく)
2013/01/29
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冬(50)逃げて行った野良を観るココ ココは気の弱い処があって、野良を追い返す事も出来ないまま室内に入って来て、部屋の中から威核する様な目つきで睨んで居る。それは深夜の新宿駅でよく見掛ける風景の様なものだ。ドアが閉まる寸前に電車に飛び乗った酔っ払いが、プラットホームのチンピラ風の男を睨みつけて罵倒する風景だ。同じプラットホームに居る時はチンピラに絡まれて為されるままだった酔っ払いだが、ドアが閉まった途端、危険が去ったと安心して虚勢を張る姿である。一部始終を観て居た乗客は「もし、ドアが再び開いたらどうするつもりだろう」と内心では期待しながら興味深げに想っている。もし、何かの拍子でドアが開けばチンピラは乗り込んで来るだろうし、そうなれば誰かが止めに入るだろうが、酔っ払いは慌てるだろう。だが、チンピラは社会のゴミだから誰も加勢はせず、数の力でチンピラを追い出すだろう。そして無事に電車は動き出す。ココはボクと言う力を利用して野良を睨むものの、ボクにすれば情けない飼い猫に腹を立ててココの頭をコツンと叩く。するとココは二階のベッドへ飛んで逃げて行った。小説「猫と女と」(29) 要するに、私は舞子の恋人であり、夫でもあり、父親的保護者でもあるのだろう。舞子の母親にとっては娘と自分との共有の愛人ながら精神的な夫という訳だ。そういう風な事になったのは女が私に舞子を紹介した時から始まった訳だが、今から思えば、実際はその前の仔猫を貰った時やニューヨークのマンションに語学留学で舞子が住み始めた頃から萌芽はあったのだろう。女が舞子をニューヨークに行かせたのは、マンションを一年後には手放す事を勿論知っていたからであり、仔猫は一種の小道具だったに過ぎない。私が猫好きである事はー年間の付き合いの中の会話で知ったと考えられ、お互いに肉体関係を持っている以上、私が断らないだろうと踏んだのだろう。何と女は今日の為に遠大な計画を立てたものだ。もし仮に、そこまで読んでいなかったとしても私を知った事で私と言う男を逃がさない為の方法を様々考え抜いたのだろう。 結果的にどうであれ、こういう関係が出来上がって私は納得し満足しているのだろうか。いや、決してそこ迄は行っていない事は確かだ。何故なら、生来の優柔不断な性格から女の為すままに成る事はあっても一旦何かで嫌気がさせば手の平を返した様に心変わりをし冷たく成る性分だからだ。そういう割り切り方は若い頃からそうだった。尤も、舞子に私の子供が出来てしまった以上、そんな事は言っていられなくなった事も厳然たる事実だ。逃げる訳にも行かないが、決して逃げる気も無い。子供が成人する迄は死ぬ訳にも行かないのだ。それが女の計画であったとしても幸いな事に女児を得る事が出来たのだ。そう想えば運命の巡り合せがそう成ったのだとしか考えられない。神様がそうしてくれたと想えば良いのだ。運命の女神は矢張り私の願いを聞いてくれたのだ。あれだけ悩まされた愚息の事で馬鹿な家族から目を転じさせてくれたのだ。 案の定、子供が生まれて以降、私は女のマンションに毎日の様に顔を出し、半分は泊まる様になった。そして女に当面の生活費という名目で数百万の金を渡しておいた。女は最初、金を受取ろうとはしなかったが「子供の事や今後の事もあるから」と言うと「それじゃあ、有難く貰っておくワ」と受取った。当然ながら女はデザイン事務所へは行かなくなった。事務所へはその旨伝え縁を切った様だった。私も大学の工事が終わってデザイン事務所とは取引関係が無くなった。今後は仕事を出す事も無いだろう。肝心の自宅へは月の半分も帰る事は無く、それが次第に減って行き、事務所が休みの日程度になった。ココは私の帰宅する日が少なく成った分、妻に懐く様になって今では妻の寝室にも出入りする様になっていた。それを知ったのはココが妻の寝室から偶然出て来るのを見たからだった。「ほう、珍しい事もあるものだ。ココがあんたの部屋から出て来たヨ」 「そうヨ、もう大分前から入るのをオーケーしたの。あなたが出張で居ない日が多くなってココも寂しそうにしていたから、たまたま入れてやったら癖になったのヨ」「ココ!私を忘れたのか?それとも嫌味でやっているのか?」ココを抱き上げ、頭を撫で喉を掻きあげると目を細めて大人しくしている。久しぶりに私に抱かれて喜びを表現しているのか太い尻尾を振っている。が、それもものの数分もすると飽きた様にもがいて腕から逃れようとする。引っ掻かれでもすれば詰らないと仕方無く降ろすと逃げる訳でも無く、床暖房の効いたフローリングでじっとして寝そべるのだ。抱かれるのが嫌でも矢張り私が恋しいらしく付かず離れずに居るのだ。「相変わらず抱っこが嫌いな奴だな」私は独り言を言いながら棚から餌缶を降ろし、廊下のココの餌皿にスプーンー杯分の乾燥餌をパラパラと入れてやった。するとそれを待っていた様にココはガツガツと食べ始めたのだった。 自宅での夕食は久しぶりで相変わらず晩酌をしながらテレビのサッカーを観戦し、日本も強くなったものだと想いながら宿敵の韓国戦を余裕をもって観て居られる。ひと昔前なら負けてばかり居たのが最近では逆に勝ってばかり居る日本だ。男性チームも女性チームもサッカーが大流行りで最近の選手は上手くなったと感心する。相当金も使ったろうが気概も上がり見応えがある勝負だ。女のマンションで観るサッカーでも当然ながら日本を応援する。舞子が韓国人とのハ―フであっても気にせず声を挙げて日本を応援する。女や舞子がどう想って居るか考えた事も無い。日本人なら当然日本を応援するものだと想って居るからだが、女も舞子も私と同様に日本を応援している。私の為にそうしている訳でもないだろう。彼女等は完全に日本人なのだ。出逢った頃はそうでも無かった様だった。多分、私と知りあって感化されたのだ。 一体、彼女等にとって国籍問題は問題にする程のものではないのだろうか。私だけが独りで勝手な想像をしているだけの様にも想える。馬鹿な話だ。それなら欧米人なら構わないとでも言うのかという問題も出て来る。実にナンセンスな事ではないか。我ながら何を問題にしているのか分からなくなって来る。今こそ私の意識をしっかりさせておかないと生まれ出た子供に対して申し訳ない。そんないい加減な気持ちで女を抱き子供を作ったのかという事になる。しかし、理屈では分かって居るのだ。唯、心情的に未だ抵抗があるだけの事なのだ。その抵抗の原因を探り出し納得いくまで心に叩き込まねば話は終わった事に成らない。自分の心に働きかけ心の底から実に詰らない事で悶々としていた事実を曝け出し解決しておかねば今後も女にも舞子にも頭が上がらない気持ちを抱き続けねばならない。そんな馬鹿な人生なぞ糞喰らえだ。人間として失格だ。(2月上旬へつづく)
2013/01/28
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冬(49)振り返るココ 最近、野良ネコがやって来る様になった。中猫だから去年産まれて未だ一年経たない猫だ。野良ネコと分かるのは観慣れない猫である事と、動作が落ち付かず飼い猫の様におっとりしていないからだ。何処かビクビクして警戒心を露わにするのは野良ネコ特有の行動パターンである。ココは警戒心を持ちながらも敵ではなさそうに想うのか追い返そうとはせず唯ジッと眺めているだけである。縄張り意識が強い筈なのに、此の寒空に何処から来たのだろうと半分同情している風にも見える。最近、花壇に糞をした跡があるので妻が苦情を言って居たのを想い出し、多分この野良ネコの仕業に違いないと姿を見せた処を「シッ!」と言うと飛んで逃げて行った。矢張り人間慣れしていないからボクが怖いのだろう。しかし、翌日も庭先に顔を出してココと睨みあいをしている。ガラス戸を開けるとココは寒いので入って来た。直ぐに庭を振り返ったが野良は逃げて行った後だった。小説「猫と女と」(29) 要するに、私は舞子の恋人であり、夫でもあり、父親的保護者でもあるのだろう。舞子の母親にとっては娘と自分との共有の愛人ながら精神的な夫という訳だ。そういう風な事になったのは女が私に舞子を紹介した時から始まった訳だが、今から思えば、実際はその前の仔猫を貰った時やニューヨークのマンションに語学留学で舞子が住み始めた頃から萌芽はあったのだろう。女が舞子をニューヨークに行かせたのは、マンションを一年後には手放す事を勿論知っていたからであり、仔猫は一種の小道具だったに過ぎない。私が猫好きである事はー年間の付き合いの中の会話で知ったと考えられ、お互いに肉体関係を持っている以上、私が断らないだろうと踏んだのだろう。何と女は今日の為に遠大な計画を立てたものだ。もし仮に、そこまで読んでいなかったとしても私を知った事で私と言う男を逃がさない為の方法を様々考え抜いたのだろう。 結果的にどうであれ、こういう関係が出来上がって私は納得し満足しているのだろうか。いや、決してそこ迄は行っていない事は確かだ。何故なら、生来の優柔不断な性格から女の為すままに成る事はあっても一旦何かで嫌気がさせば手の平を返した様に心変わりをし冷たく成る性分だからだ。そういう割り切り方は若い頃からそうだった。尤も、舞子に私の子供が出来てしまった以上、そんな事は言っていられなくなった事も厳然たる事実だ。逃げる訳にも行かないが、決して逃げる気も無い。子供が成人する迄は死ぬ訳にも行かないのだ。それが女の計画であったとしても幸いな事に女児を得る事が出来たのだ。そう想えば運命の巡り合せがそう成ったのだとしか考えられない。神様がそうしてくれたと想えば良いのだ。運命の女神は矢張り私の願いを聞いてくれたのだ。あれだけ悩まされた愚息の事で馬鹿な家族から目を転じさせてくれたのだ。 案の定、子供が生まれて以降、私は女のマンションに毎日の様に顔を出し、半分は泊まる様になった。そして女に当面の生活費という名目で数百万の金を渡しておいた。女は最初、金を受取ろうとはしなかったが「子供の事や今後の事もあるから」と言うと「それじゃあ、有難く貰っておくワ」と受取った。当然ながら女はデザイン事務所へは行かなくなった。事務所へはその旨伝え縁を切った様だった。私も大学の工事が終わってデザイン事務所とは取引関係が無くなった。今後は仕事を出す事も無いだろう。肝心の自宅へは月の半分も帰る事は無く、それが次第に減って行き、事務所が休みの日程度になった。ココは私の帰宅する日が少なく成った分、妻に懐く様になって今では妻の寝室にも出入りする様になっていた。それを知ったのはココが妻の寝室から偶然出て来るのを見たからだった。「ほう、珍しい事もあるものだ。ココがあんたの部屋から出て来たヨ」 「そうヨ、もう大分前から入るのをオーケーしたの。あなたが出張で居ない日が多くなってココも寂しそうにしていたから、たまたま入れてやったら癖になったのヨ」「ココ!私を忘れたのか?それとも嫌味でやっているのか?」ココを抱き上げ、頭を撫で喉を掻きあげると目を細めて大人しくしている。久しぶりに私に抱かれて喜びを表現しているのか太い尻尾を振っている。が、それもものの数分もすると飽きた様にもがいて腕から逃れようとする。引っ掻かれでもすれば詰らないと仕方無く降ろすと逃げる訳でも無く、床暖房の効いたフローリングでじっとして寝そべるのだ。抱かれるのが嫌でも矢張り私が恋しいらしく付かず離れずに居るのだ。「相変わらず抱っこが嫌いな奴だな」私は独り言を言いながら棚から餌缶を降ろし、廊下のココの餌皿にスプーンー杯分の乾燥餌をパラパラと入れてやった。するとそれを待っていた様にココはガツガツと食べ始めたのだった。 自宅での夕食は久しぶりで相変わらず晩酌をしながらテレビのサッカーを観戦し、日本も強くなったものだと想いながら宿敵の韓国戦を余裕をもって観て居られる。ひと昔前なら負けてばかり居たのが最近では逆に勝ってばかり居る日本だ。男性チームも女性チームもサッカーが大流行りで最近の選手は上手くなったと感心する。相当金も使ったろうが気概も上がり見応えがある勝負だ。女のマンションで観るサッカーでも当然ながら日本を応援する。舞子が韓国人とのハ―フであっても気にせず声を挙げて日本を応援する。女や舞子がどう想って居るか考えた事も無い。日本人なら当然日本を応援するものだと想って居るからだが、女も舞子も私と同様に日本を応援している。私の為にそうしている訳でもないだろう。彼女等は完全に日本人なのだ。出逢った頃はそうでも無かった様だった。多分、私と知りあって感化されたのだ。 一体、彼女等にとって国籍問題は問題にする程のものではないのだろうか。私だけが独りで勝手な想像をしているだけの様にも想える。馬鹿な話だ。それなら欧米人なら構わないとでも言うのかという問題も出て来る。実にナンセンスな事ではないか。我ながら何を問題にしているのか分からなくなって来る。今こそ私の意識をしっかりさせておかないと生まれ出た子供に対して申し訳ない。そんないい加減な気持ちで女を抱き子供を作ったのかという事になる。しかし、理屈では分かって居るのだ。唯、心情的に未だ抵抗があるだけの事なのだ。その抵抗の原因を探り出し納得いくまで心に叩き込まねば話は終わった事に成らない。自分の心に働きかけ心の底から実に詰らない事で悶々としていた事実を曝け出し解決しておかねば今後も女にも舞子にも頭が上がらない気持ちを抱き続けねばならない。そんな馬鹿な人生なぞ糞喰らえだ。人間として失格だ。(2月上旬へつづく)
2013/01/27
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冬(48)アルジェリアの天然ガスプラント 日本からすれば地球の裏側の地の果ての様な処へ出稼ぎに行った技術者には気の毒だが、政情不安定な国は世界中に一杯あるから、心して(家族と水杯を交わして)出掛けて行ったのだろう。同じ技術者として複雑な気持ちになるが、行った以上は覚悟を決めて行った筈で、生半可な気持ちでは仕事なぞ出来ない。死をも覚悟するという経済活動は余程の稼ぎになるのだろう。ところが、例えばドバイなぞの様な砂漠の新興都市へ建設労働者として出稼ぎに行ったアジア人の多くは大した金も貰わずに行ったというから、今回の日揮という会社の社員(下請け業者)も案外安い給料で命と引き換えに行ったのかも知れない。それを想うと原発の定期点検で真っ暗な蒸し暑い炉の中を清掃人夫として下請け業者が作業するのと何等変わりが無い様に想える。誰かがしなければならない仕事なのだろうが、会社のトップは涼しい顔で社員を派遣すれば済むが、労働者は何時も割を喰う。経済と言う現象は何処までも恐ろしい事を平気でさせるシステムである事が分かる。小説「猫と女と」(29) 要するに、私は舞子の恋人であり、夫でもあり、父親的保護者でもあるのだろう。舞子の母親にとっては娘と自分との共有の愛人ながら精神的な夫という訳だ。そういう風な事になったのは女が私に舞子を紹介した時から始まった訳だが、今から思えば、実際はその前の仔猫を貰った時やニューヨークのマンションに語学留学で舞子が住み始めた頃から萌芽はあったのだろう。女が舞子をニューヨークに行かせたのは、マンションを一年後には手放す事を勿論知っていたからであり、仔猫は一種の小道具だったに過ぎない。私が猫好きである事はー年間の付き合いの中の会話で知ったと考えられ、お互いに肉体関係を持っている以上、私が断らないだろうと踏んだのだろう。何と女は今日の為に遠大な計画を立てたものだ。もし仮に、そこまで読んでいなかったとしても私を知った事で私と言う男を逃がさない為の方法を様々考え抜いたのだろう。 結果的にどうであれ、こういう関係が出来上がって私は納得し満足しているのだろうか。いや、決してそこ迄は行っていない事は確かだ。何故なら、生来の優柔不断な性格から女の為すままに成る事はあっても一旦何かで嫌気がさせば手の平を返した様に心変わりをし冷たく成る性分だからだ。そういう割り切り方は若い頃からそうだった。尤も、舞子に私の子供が出来てしまった以上、そんな事は言っていられなくなった事も厳然たる事実だ。逃げる訳にも行かないが、決して逃げる気も無い。子供が成人する迄は死ぬ訳にも行かないのだ。それが女の計画であったとしても幸いな事に女児を得る事が出来たのだ。そう想えば運命の巡り合せがそう成ったのだとしか考えられない。神様がそうしてくれたと想えば良いのだ。運命の女神は矢張り私の願いを聞いてくれたのだ。あれだけ悩まされた愚息の事で馬鹿な家族から目を転じさせてくれたのだ。 案の定、子供が生まれて以降、私は女のマンションに毎日の様に顔を出し、半分は泊まる様になった。そして女に当面の生活費という名目で数百万の金を渡しておいた。女は最初、金を受取ろうとはしなかったが「子供の事や今後の事もあるから」と言うと「それじゃあ、有難く貰っておくワ」と受取った。当然ながら女はデザイン事務所へは行かなくなった。事務所へはその旨伝え縁を切った様だった。私も大学の工事が終わってデザイン事務所とは取引関係が無くなった。今後は仕事を出す事も無いだろう。肝心の自宅へは月の半分も帰る事は無く、それが次第に減って行き、事務所が休みの日程度になった。ココは私の帰宅する日が少なく成った分、妻に懐く様になって今では妻の寝室にも出入りする様になっていた。それを知ったのはココが妻の寝室から偶然出て来るのを見たからだった。「ほう、珍しい事もあるものだ。ココがあんたの部屋から出て来たヨ」 「そうヨ、もう大分前から入るのをオーケーしたの。あなたが出張で居ない日が多くなってココも寂しそうにしていたから、たまたま入れてやったら癖になったのヨ」「ココ!私を忘れたのか?それとも嫌味でやっているのか?」ココを抱き上げ、頭を撫で喉を掻きあげると目を細めて大人しくしている。久しぶりに私に抱かれて喜びを表現しているのか太い尻尾を振っている。が、それもものの数分もすると飽きた様にもがいて腕から逃れようとする。引っ掻かれでもすれば詰らないと仕方無く降ろすと逃げる訳でも無く、床暖房の効いたフローリングでじっとして寝そべるのだ。抱かれるのが嫌でも矢張り私が恋しいらしく付かず離れずに居るのだ。「相変わらず抱っこが嫌いな奴だな」私は独り言を言いながら棚から餌缶を降ろし、廊下のココの餌皿にスプーンー杯分の乾燥餌をパラパラと入れてやった。するとそれを待っていた様にココはガツガツと食べ始めたのだった。 自宅での夕食は久しぶりで相変わらず晩酌をしながらテレビのサッカーを観戦し、日本も強くなったものだと想いながら宿敵の韓国戦を余裕をもって観て居られる。ひと昔前なら負けてばかり居たのが最近では逆に勝ってばかり居る日本だ。男性チームも女性チームもサッカーが大流行りで最近の選手は上手くなったと感心する。相当金も使ったろうが気概も上がり見応えがある勝負だ。女のマンションで観るサッカーでも当然ながら日本を応援する。舞子が韓国人とのハ―フであっても気にせず声を挙げて日本を応援する。女や舞子がどう想って居るか考えた事も無い。日本人なら当然日本を応援するものだと想って居るからだが、女も舞子も私と同様に日本を応援している。私の為にそうしている訳でもないだろう。彼女等は完全に日本人なのだ。出逢った頃はそうでも無かった様だった。多分、私と知りあって感化されたのだ。 一体、彼女等にとって国籍問題は問題にする程のものではないのだろうか。私だけが独りで勝手な想像をしているだけの様にも想える。馬鹿な話だ。それなら欧米人なら構わないとでも言うのかという問題も出て来る。実にナンセンスな事ではないか。我ながら何を問題にしているのか分からなくなって来る。今こそ私の意識をしっかりさせておかないと生まれ出た子供に対して申し訳ない。そんないい加減な気持ちで女を抱き子供を作ったのかという事になる。しかし、理屈では分かって居るのだ。唯、心情的に未だ抵抗があるだけの事なのだ。その抵抗の原因を探り出し納得いくまで心に叩き込まねば話は終わった事に成らない。自分の心に働きかけ心の底から実に詰らない事で悶々としていた事実を曝け出し解決しておかねば今後も女にも舞子にも頭が上がらない気持ちを抱き続けねばならない。そんな馬鹿な人生なぞ糞喰らえだ。人間として失格だ。(2月上旬へつづく)
2013/01/26
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冬(47)オアシスの様にポツンとある天然ガス・プラント アルジェリアはアフリカの北辺(地中海側)に位置する砂漠ばかりの国である。かつてフランスの植民地だった。映画「ぺぺ・ル・モコ」で有名だから名前だけは知っている人も多いだろうが、カスバという街の顔役モコ(フランス人のギャング=ジャン・ギャバン)がフランスに帰りたいという願望を持っているのに目をつけた刑事が仕組んだ愛人絡みのおとり捜査。最後にモコは女の乗る船を目前に逮捕され自殺する。カスバは西田佐智子の流行歌でも有名で、かつての香港にあった九竜城の様な細い迷路の街や日本のドヤ街(簡易宿の街)の代名詞にもなっていた。一度迷い込めば二度と出て来れないと脅され、ボクなんかはその入り口あたりしか知らなかったが、何となくロマンやノスタルジアを感じる名前である。しかし、それは飽くまでも文学の世界の事で、現実は貧困と搾取の経済問題のるつぼであった。先の大戦後アルジェリアは独立したが欧米列強の支配のままの不安定な政情で、自主独立を願うイスラム原理主義者がキリスト教原理主義に協力する軍政府と対立しテロ事件を起こしたのである。小説「猫と女と」(29) 要するに、私は舞子の恋人であり、夫でもあり、父親的保護者でもあるのだろう。舞子の母親にとっては娘と自分との共有の愛人ながら精神的な夫という訳だ。そういう風な事になったのは女が私に舞子を紹介した時から始まった訳だが、今から思えば、実際はその前の仔猫を貰った時やニューヨークのマンションに語学留学で舞子が住み始めた頃から萌芽はあったのだろう。女が舞子をニューヨークに行かせたのは、マンションを一年後には手放す事を勿論知っていたからであり、仔猫は一種の小道具だったに過ぎない。私が猫好きである事はー年間の付き合いの中の会話で知ったと考えられ、お互いに肉体関係を持っている以上、私が断らないだろうと踏んだのだろう。何と女は今日の為に遠大な計画を立てたものだ。もし仮に、そこまで読んでいなかったとしても私を知った事で私と言う男を逃がさない為の方法を様々考え抜いたのだろう。 結果的にどうであれ、こういう関係が出来上がって私は納得し満足しているのだろうか。いや、決してそこ迄は行っていない事は確かだ。何故なら、生来の優柔不断な性格から女の為すままに成る事はあっても一旦何かで嫌気がさせば手の平を返した様に心変わりをし冷たく成る性分だからだ。そういう割り切り方は若い頃からそうだった。尤も、舞子に私の子供が出来てしまった以上、そんな事は言っていられなくなった事も厳然たる事実だ。逃げる訳にも行かないが、決して逃げる気も無い。子供が成人する迄は死ぬ訳にも行かないのだ。それが女の計画であったとしても幸いな事に女児を得る事が出来たのだ。そう想えば運命の巡り合せがそう成ったのだとしか考えられない。神様がそうしてくれたと想えば良いのだ。運命の女神は矢張り私の願いを聞いてくれたのだ。あれだけ悩まされた愚息の事で馬鹿な家族から目を転じさせてくれたのだ。 案の定、子供が生まれて以降、私は女のマンションに毎日の様に顔を出し、半分は泊まる様になった。そして女に当面の生活費という名目で数百万の金を渡しておいた。女は最初、金を受取ろうとはしなかったが「子供の事や今後の事もあるから」と言うと「それじゃあ、有難く貰っておくワ」と受取った。当然ながら女はデザイン事務所へは行かなくなった。事務所へはその旨伝え縁を切った様だった。私も大学の工事が終わってデザイン事務所とは取引関係が無くなった。今後は仕事を出す事も無いだろう。肝心の自宅へは月の半分も帰る事は無く、それが次第に減って行き、事務所が休みの日程度になった。ココは私の帰宅する日が少なく成った分、妻に懐く様になって今では妻の寝室にも出入りする様になっていた。それを知ったのはココが妻の寝室から偶然出て来るのを見たからだった。「ほう、珍しい事もあるものだ。ココがあんたの部屋から出て来たヨ」 「そうヨ、もう大分前から入るのをオーケーしたの。あなたが出張で居ない日が多くなってココも寂しそうにしていたから、たまたま入れてやったら癖になったのヨ」「ココ!私を忘れたのか?それとも嫌味でやっているのか?」ココを抱き上げ、頭を撫で喉を掻きあげると目を細めて大人しくしている。久しぶりに私に抱かれて喜びを表現しているのか太い尻尾を振っている。が、それもものの数分もすると飽きた様にもがいて腕から逃れようとする。引っ掻かれでもすれば詰らないと仕方無く降ろすと逃げる訳でも無く、床暖房の効いたフローリングでじっとして寝そべるのだ。抱かれるのが嫌でも矢張り私が恋しいらしく付かず離れずに居るのだ。「相変わらず抱っこが嫌いな奴だな」私は独り言を言いながら棚から餌缶を降ろし、廊下のココの餌皿にスプーンー杯分の乾燥餌をパラパラと入れてやった。するとそれを待っていた様にココはガツガツと食べ始めたのだった。 自宅での夕食は久しぶりで相変わらず晩酌をしながらテレビのサッカーを観戦し、日本も強くなったものだと想いながら宿敵の韓国戦を余裕をもって観て居られる。ひと昔前なら負けてばかり居たのが最近では逆に勝ってばかり居る日本だ。男性チームも女性チームもサッカーが大流行りで最近の選手は上手くなったと感心する。相当金も使ったろうが気概も上がり見応えがある勝負だ。女のマンションで観るサッカーでも当然ながら日本を応援する。舞子が韓国人とのハ―フであっても気にせず声を挙げて日本を応援する。女や舞子がどう想って居るか考えた事も無い。日本人なら当然日本を応援するものだと想って居るからだが、女も舞子も私と同様に日本を応援している。私の為にそうしている訳でもないだろう。彼女等は完全に日本人なのだ。出逢った頃はそうでも無かった様だった。多分、私と知りあって感化されたのだ。 一体、彼女等にとって国籍問題は問題にする程のものではないのだろうか。私だけが独りで勝手な想像をしているだけの様にも想える。馬鹿な話だ。それなら欧米人なら構わないとでも言うのかという問題も出て来る。実にナンセンスな事ではないか。我ながら何を問題にしているのか分からなくなって来る。今こそ私の意識をしっかりさせておかないと生まれ出た子供に対して申し訳ない。そんないい加減な気持ちで女を抱き子供を作ったのかという事になる。しかし、理屈では分かって居るのだ。唯、心情的に未だ抵抗があるだけの事なのだ。その抵抗の原因を探り出し納得いくまで心に叩き込まねば話は終わった事に成らない。自分の心に働きかけ心の底から実に詰らない事で悶々としていた事実を曝け出し解決しておかねば今後も女にも舞子にも頭が上がらない気持ちを抱き続けねばならない。そんな馬鹿な人生なぞ糞喰らえだ。人間として失格だ。(2月上旬へつづく)
2013/01/25
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冬(46) 久々のグーグルアースの写真である。ボクがグーグルの世界地図を観る時は世界的な事件が起きた時である。しかし、世界的な事件は毎日の様に起きて居る。唯、我々が知らないだけで、その原因は日本のマスコミが取捨選択し都合の悪いニュースは出さないだけの事だ。そういう意味では日本のマスコミは偏って居て公正な目で世界を観ようとするなら世界中のニュースをキャッチする手段を持たねばならない。例えば、ニューズ・ウイーク(米)やル・モンド(仏)の新聞以外に人工衛星から出ている電波を自分でキャッチするとかラジオの短波放送の受信とかである。それには特別な設備と技術を持たねばならず語学力も数ヶ国語を理解せねばならないから厄介である。欧米主要国の言葉だけでも8ヶ国語近くあり、中国語(主に北京語、広東語)やアジアや中東、アフリカともなって来ると相当な数に成り不可能に近い。ボクの友人で語学に優れた男が居たが、それでも4か国語の読み書きと会話が出来る程度だった。必要に迫られれば誰もが母国語以外にも数ヶ国語は話せるように成るだろうが、日本だけに居たのでは必要も無い。精々英語どまりである。さて、今回の事件はアルジェリアの国営化学(天然ガス)プラント建設現場襲撃である。日本を含む技術者が数十人殺された。首謀者はイスラム原理主義者のテロという。小説「猫と女と」(29) 要するに、私は舞子の恋人であり、夫でもあり、父親的保護者でもあるのだろう。舞子の母親にとっては娘と自分との共有の愛人ながら精神的な夫という訳だ。そういう風な事になったのは女が私に舞子を紹介した時から始まった訳だが、今から思えば、実際はその前の仔猫を貰った時やニューヨークのマンションに語学留学で舞子が住み始めた頃から萌芽はあったのだろう。女が舞子をニューヨークに行かせたのは、マンションを一年後には手放す事を勿論知っていたからであり、仔猫は一種の小道具だったに過ぎない。私が猫好きである事はー年間の付き合いの中の会話で知ったと考えられ、お互いに肉体関係を持っている以上、私が断らないだろうと踏んだのだろう。何と女は今日の為に遠大な計画を立てたものだ。もし仮に、そこまで読んでいなかったとしても私を知った事で私と言う男を逃がさない為の方法を様々考え抜いたのだろう。 結果的にどうであれ、こういう関係が出来上がって私は納得し満足しているのだろうか。いや、決してそこ迄は行っていない事は確かだ。何故なら、生来の優柔不断な性格から女の為すままに成る事はあっても一旦何かで嫌気がさせば手の平を返した様に心変わりをし冷たく成る性分だからだ。そういう割り切り方は若い頃からそうだった。尤も、舞子に私の子供が出来てしまった以上、そんな事は言っていられなくなった事も厳然たる事実だ。逃げる訳にも行かないが、決して逃げる気も無い。子供が成人する迄は死ぬ訳にも行かないのだ。それが女の計画であったとしても幸いな事に女児を得る事が出来たのだ。そう想えば運命の巡り合せがそう成ったのだとしか考えられない。神様がそうしてくれたと想えば良いのだ。運命の女神は矢張り私の願いを聞いてくれたのだ。あれだけ悩まされた愚息の事で馬鹿な家族から目を転じさせてくれたのだ。 案の定、子供が生まれて以降、私は女のマンションに毎日の様に顔を出し、半分は泊まる様になった。そして女に当面の生活費という名目で数百万の金を渡しておいた。女は最初、金を受取ろうとはしなかったが「子供の事や今後の事もあるから」と言うと「それじゃあ、有難く貰っておくワ」と受取った。当然ながら女はデザイン事務所へは行かなくなった。事務所へはその旨伝え縁を切った様だった。私も大学の工事が終わってデザイン事務所とは取引関係が無くなった。今後は仕事を出す事も無いだろう。肝心の自宅へは月の半分も帰る事は無く、それが次第に減って行き、事務所が休みの日程度になった。ココは私の帰宅する日が少なく成った分、妻に懐く様になって今では妻の寝室にも出入りする様になっていた。それを知ったのはココが妻の寝室から偶然出て来るのを見たからだった。「ほう、珍しい事もあるものだ。ココがあんたの部屋から出て来たヨ」 「そうヨ、もう大分前から入るのをオーケーしたの。あなたが出張で居ない日が多くなってココも寂しそうにしていたから、たまたま入れてやったら癖になったのヨ」「ココ!私を忘れたのか?それとも嫌味でやっているのか?」ココを抱き上げ、頭を撫で喉を掻きあげると目を細めて大人しくしている。久しぶりに私に抱かれて喜びを表現しているのか太い尻尾を振っている。が、それもものの数分もすると飽きた様にもがいて腕から逃れようとする。引っ掻かれでもすれば詰らないと仕方無く降ろすと逃げる訳でも無く、床暖房の効いたフローリングでじっとして寝そべるのだ。抱かれるのが嫌でも矢張り私が恋しいらしく付かず離れずに居るのだ。「相変わらず抱っこが嫌いな奴だな」私は独り言を言いながら棚から餌缶を降ろし、廊下のココの餌皿にスプーンー杯分の乾燥餌をパラパラと入れてやった。するとそれを待っていた様にココはガツガツと食べ始めたのだった。 自宅での夕食は久しぶりで相変わらず晩酌をしながらテレビのサッカーを観戦し、日本も強くなったものだと想いながら宿敵の韓国戦を余裕をもって観て居られる。ひと昔前なら負けてばかり居たのが最近では逆に勝ってばかり居る日本だ。男性チームも女性チームもサッカーが大流行りで最近の選手は上手くなったと感心する。相当金も使ったろうが気概も上がり見応えがある勝負だ。女のマンションで観るサッカーでも当然ながら日本を応援する。舞子が韓国人とのハ―フであっても気にせず声を挙げて日本を応援する。女や舞子がどう想って居るか考えた事も無い。日本人なら当然日本を応援するものだと想って居るからだが、女も舞子も私と同様に日本を応援している。私の為にそうしている訳でもないだろう。彼女等は完全に日本人なのだ。出逢った頃はそうでも無かった様だった。多分、私と知りあって感化されたのだ。 一体、彼女等にとって国籍問題は問題にする程のものではないのだろうか。私だけが独りで勝手な想像をしているだけの様にも想える。馬鹿な話だ。それなら欧米人なら構わないとでも言うのかという問題も出て来る。実にナンセンスな事ではないか。我ながら何を問題にしているのか分からなくなって来る。今こそ私の意識をしっかりさせておかないと生まれ出た子供に対して申し訳ない。そんないい加減な気持ちで女を抱き子供を作ったのかという事になる。しかし、理屈では分かって居るのだ。唯、心情的に未だ抵抗があるだけの事なのだ。その抵抗の原因を探り出し納得いくまで心に叩き込まねば話は終わった事に成らない。自分の心に働きかけ心の底から実に詰らない事で悶々としていた事実を曝け出し解決しておかねば今後も女にも舞子にも頭が上がらない気持ちを抱き続けねばならない。そんな馬鹿な人生なぞ糞喰らえだ。人間として失格だ。(2月上旬へつづく)
2013/01/24
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冬(45)隷書 乙瑛碑 この数日、書から仏典へと遠い昔の事を書いて来たが、宗教なるものは時空を超越したものだから古くも新しい事だけは確かである。その証拠に、現代でも中東やアフリカではイスラム教(イスラム原理主義)が揺さぶりを掛けているのを観ても分かる。それは白人社会のキリスト教原理主義がもたらした経済至上主義の弊害が経済格差や人種差別を生みだし、西欧列強の植民地政策が如何に間違った考え方の下で中東やアフリカ国民を苦しめて来たかを知る事が出来る現象でもある。日本にとって仏教の師匠格立場であった中国でさえ仏教を捨て、儒教や道教が国民思想になってしまい、今や軍事力と経済至上主義(富国強兵)に蔓延され国境を侵略し超大国を目指しているのである。何の事は無い、大唐帝国の復活を願っているとしか想えないのはボクだけでは無いだろう。昔物語としては李世民(太宗)の生涯は面白いが、それは飽くまでも昔話である。何を錯覚して中国は狂ってしまったのだろう。それでも一部の中国の良織派は悪名高い中華思想を中庸思想で中和している様だが、日本の官僚連中はアメリカ至上主義だけに尖閣列島紛争を起こせばアメリカが日本に駐留し続け助けてくれるであろうという幻想を抱いている。馬鹿じゃなかろうかと想う。日本の官僚連中は国家百年の計を持たず自分達の保身ばかりを願う人種に成り下がってしまった。李世民の官僚であった魏徴(ギチョウ)の様な命を掛けて諫言を言う者が一人も居ないというのは実に寂しい限りである。小説「猫と女と」(29) 要するに、私は舞子の恋人であり、夫でもあり、父親的保護者でもあるのだろう。舞子の母親にとっては娘と自分との共有の愛人ながら精神的な夫という訳だ。そういう風な事になったのは女が私に舞子を紹介した時から始まった訳だが、今から思えば、実際はその前の仔猫を貰った時やニューヨークのマンションに語学留学で舞子が住み始めた頃から萌芽はあったのだろう。女が舞子をニューヨークに行かせたのは、マンションを一年後には手放す事を勿論知っていたからであり、仔猫は一種の小道具だったに過ぎない。私が猫好きである事はー年間の付き合いの中の会話で知ったと考えられ、お互いに肉体関係を持っている以上、私が断らないだろうと踏んだのだろう。何と女は今日の為に遠大な計画を立てたものだ。もし仮に、そこまで読んでいなかったとしても私を知った事で私と言う男を逃がさない為の方法を様々考え抜いたのだろう。 結果的にどうであれ、こういう関係が出来上がって私は納得し満足しているのだろうか。いや、決してそこ迄は行っていない事は確かだ。何故なら、生来の優柔不断な性格から女の為すままに成る事はあっても一旦何かで嫌気がさせば手の平を返した様に心変わりをし冷たく成る性分だからだ。そういう割り切り方は若い頃からそうだった。尤も、舞子に私の子供が出来てしまった以上、そんな事は言っていられなくなった事も厳然たる事実だ。逃げる訳にも行かないが、決して逃げる気も無い。子供が成人する迄は死ぬ訳にも行かないのだ。それが女の計画であったとしても幸いな事に女児を得る事が出来たのだ。そう想えば運命の巡り合せがそう成ったのだとしか考えられない。神様がそうしてくれたと想えば良いのだ。運命の女神は矢張り私の願いを聞いてくれたのだ。あれだけ悩まされた愚息の事で馬鹿な家族から目を転じさせてくれたのだ。 案の定、子供が生まれて以降、私は女のマンションに毎日の様に顔を出し、半分は泊まる様になった。そして女に当面の生活費という名目で数百万の金を渡しておいた。女は最初、金を受取ろうとはしなかったが「子供の事や今後の事もあるから」と言うと「それじゃあ、有難く貰っておくワ」と受取った。当然ながら女はデザイン事務所へは行かなくなった。事務所へはその旨伝え縁を切った様だった。私も大学の工事が終わってデザイン事務所とは取引関係が無くなった。今後は仕事を出す事も無いだろう。肝心の自宅へは月の半分も帰る事は無く、それが次第に減って行き、事務所が休みの日程度になった。ココは私の帰宅する日が少なく成った分、妻に懐く様になって今では妻の寝室にも出入りする様になっていた。それを知ったのはココが妻の寝室から偶然出て来るのを見たからだった。「ほう、珍しい事もあるものだ。ココがあんたの部屋から出て来たヨ」 「そうヨ、もう大分前から入るのをオーケーしたの。あなたが出張で居ない日が多くなってココも寂しそうにしていたから、たまたま入れてやったら癖になったのヨ」「ココ!私を忘れたのか?それとも嫌味でやっているのか?」ココを抱き上げ、頭を撫で喉を掻きあげると目を細めて大人しくしている。久しぶりに私に抱かれて喜びを表現しているのか太い尻尾を振っている。が、それもものの数分もすると飽きた様にもがいて腕から逃れようとする。引っ掻かれでもすれば詰らないと仕方無く降ろすと逃げる訳でも無く、床暖房の効いたフローリングでじっとして寝そべるのだ。抱かれるのが嫌でも矢張り私が恋しいらしく付かず離れずに居るのだ。「相変わらず抱っこが嫌いな奴だな」私は独り言を言いながら棚から餌缶を降ろし、廊下のココの餌皿にスプーンー杯分の乾燥餌をパラパラと入れてやった。するとそれを待っていた様にココはガツガツと食べ始めたのだった。 自宅での夕食は久しぶりで相変わらず晩酌をしながらテレビのサッカーを観戦し、日本も強くなったものだと想いながら宿敵の韓国戦を余裕をもって観て居られる。ひと昔前なら負けてばかり居たのが最近では逆に勝ってばかり居る日本だ。男性チームも女性チームもサッカーが大流行りで最近の選手は上手くなったと感心する。相当金も使ったろうが気概も上がり見応えがある勝負だ。女のマンションで観るサッカーでも当然ながら日本を応援する。舞子が韓国人とのハ―フであっても気にせず声を挙げて日本を応援する。女や舞子がどう想って居るか考えた事も無い。日本人なら当然日本を応援するものだと想って居るからだが、女も舞子も私と同様に日本を応援している。私の為にそうしている訳でもないだろう。彼女等は完全に日本人なのだ。出逢った頃はそうでも無かった様だった。多分、私と知りあって感化されたのだ。 一体、彼女等にとって国籍問題は問題にする程のものではないのだろうか。私だけが独りで勝手な想像をしているだけの様にも想える。馬鹿な話だ。それなら欧米人なら構わないとでも言うのかという問題も出て来る。実にナンセンスな事ではないか。我ながら何を問題にしているのか分からなくなって来る。今こそ私の意識をしっかりさせておかないと生まれ出た子供に対して申し訳ない。そんないい加減な気持ちで女を抱き子供を作ったのかという事になる。しかし、理屈では分かって居るのだ。唯、心情的に未だ抵抗があるだけの事なのだ。その抵抗の原因を探り出し納得いくまで心に叩き込まねば話は終わった事に成らない。自分の心に働きかけ心の底から実に詰らない事で悶々としていた事実を曝け出し解決しておかねば今後も女にも舞子にも頭が上がらない気持ちを抱き続けねばならない。そんな馬鹿な人生なぞ糞喰らえだ。人間として失格だ。(2月上旬へつづく)
2013/01/23
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冬(44) 般若心経は写真の経文に見る通り実に短い経典である。その意味する処は、総てのものを正しくとらえる心(観自在菩薩)に成れば、喜怒哀楽を始め五感に依って観たり聴いたり味わったりするこの世の事柄総ては物理的実態の無いものである事が分かり苦悩や災厄から自由になる事が出来る。つまり修業に依る知恵の完成(心の平安を得る事)は真言である呪文「ギャーティ、ギャーティ、ハラソー、ギャーティ、ボージー、ソワカ(行った人々よ、彼岸へ行った人々よ、幸せたれ)」と心から一心不乱に念じる事であると言うものである。経文は天竺の梵語(サンスクリット語)で書かれたのを玄奘三蔵が中国語に訳し、それを160年後に弘法大師が日本語に訳したものである。中国語に無い言葉はそのまま音を直訳導入したもので日本語もそれを踏襲している。般若波羅蜜多とはパンニャパラミータという梵語で彼岸の事、舎利子は釈迦の11人の弟子の一人の呼び名であり釈迦は二度呼びかけている。経文は経題を別にすれば漢字で266字あって、その中に興味深い事に21の「無」と9つの「不」の否定詞があって様々なイマジネーションを打ち消す事で単調な経文を多彩なものに仕上げて居る。其処が今でも我々日本人に人気のある経典となっている一つの魅力なのだろう。小説「猫と女と」(29) 要するに、私は舞子の恋人であり、夫でもあり、父親的保護者でもあるのだろう。舞子の母親にとっては娘と自分との共有の愛人ながら精神的な夫という訳だ。そういう風な事になったのは女が私に舞子を紹介した時から始まった訳だが、今から思えば、実際はその前の仔猫を貰った時やニューヨークのマンションに語学留学で舞子が住み始めた頃から萌芽はあったのだろう。女が舞子をニューヨークに行かせたのは、マンションを一年後には手放す事を勿論知っていたからであり、仔猫は一種の小道具だったに過ぎない。私が猫好きである事はー年間の付き合いの中の会話で知ったと考えられ、お互いに肉体関係を持っている以上、私が断らないだろうと踏んだのだろう。何と女は今日の為に遠大な計画を立てたものだ。もし仮に、そこまで読んでいなかったとしても私を知った事で私と言う男を逃がさない為の方法を様々考え抜いたのだろう。 結果的にどうであれ、こういう関係が出来上がって私は納得し満足しているのだろうか。いや、決してそこ迄は行っていない事は確かだ。何故なら、生来の優柔不断な性格から女の為すままに成る事はあっても一旦何かで嫌気がさせば手の平を返した様に心変わりをし冷たく成る性分だからだ。そういう割り切り方は若い頃からそうだった。尤も、舞子に私の子供が出来てしまった以上、そんな事は言っていられなくなった事も厳然たる事実だ。逃げる訳にも行かないが、決して逃げる気も無い。子供が成人する迄は死ぬ訳にも行かないのだ。それが女の計画であったとしても幸いな事に女児を得る事が出来たのだ。そう想えば運命の巡り合せがそう成ったのだとしか考えられない。神様がそうしてくれたと想えば良いのだ。運命の女神は矢張り私の願いを聞いてくれたのだ。あれだけ悩まされた愚息の事で馬鹿な家族から目を転じさせてくれたのだ。 案の定、子供が生まれて以降、私は女のマンションに毎日の様に顔を出し、半分は泊まる様になった。そして女に当面の生活費という名目で数百万の金を渡しておいた。女は最初、金を受取ろうとはしなかったが「子供の事や今後の事もあるから」と言うと「それじゃあ、有難く貰っておくワ」と受取った。当然ながら女はデザイン事務所へは行かなくなった。事務所へはその旨伝え縁を切った様だった。私も大学の工事が終わってデザイン事務所とは取引関係が無くなった。今後は仕事を出す事も無いだろう。肝心の自宅へは月の半分も帰る事は無く、それが次第に減って行き、事務所が休みの日程度になった。ココは私の帰宅する日が少なく成った分、妻に懐く様になって今では妻の寝室にも出入りする様になっていた。それを知ったのはココが妻の寝室から偶然出て来るのを見たからだった。「ほう、珍しい事もあるものだ。ココがあんたの部屋から出て来たヨ」 「そうヨ、もう大分前から入るのをオーケーしたの。あなたが出張で居ない日が多くなってココも寂しそうにしていたから、たまたま入れてやったら癖になったのヨ」「ココ!私を忘れたのか?それとも嫌味でやっているのか?」ココを抱き上げ、頭を撫で喉を掻きあげると目を細めて大人しくしている。久しぶりに私に抱かれて喜びを表現しているのか太い尻尾を振っている。が、それもものの数分もすると飽きた様にもがいて腕から逃れようとする。引っ掻かれでもすれば詰らないと仕方無く降ろすと逃げる訳でも無く、床暖房の効いたフローリングでじっとして寝そべるのだ。抱かれるのが嫌でも矢張り私が恋しいらしく付かず離れずに居るのだ。「相変わらず抱っこが嫌いな奴だな」私は独り言を言いながら棚から餌缶を降ろし、廊下のココの餌皿にスプーンー杯分の乾燥餌をパラパラと入れてやった。するとそれを待っていた様にココはガツガツと食べ始めたのだった。 自宅での夕食は久しぶりで相変わらず晩酌をしながらテレビのサッカーを観戦し、日本も強くなったものだと想いながら宿敵の韓国戦を余裕をもって観て居られる。ひと昔前なら負けてばかり居たのが最近では逆に勝ってばかり居る日本だ。男性チームも女性チームもサッカーが大流行りで最近の選手は上手くなったと感心する。相当金も使ったろうが気概も上がり見応えがある勝負だ。女のマンションで観るサッカーでも当然ながら日本を応援する。舞子が韓国人とのハ―フであっても気にせず声を挙げて日本を応援する。女や舞子がどう想って居るか考えた事も無い。日本人なら当然日本を応援するものだと想って居るからだが、女も舞子も私と同様に日本を応援している。私の為にそうしている訳でもないだろう。彼女等は完全に日本人なのだ。出逢った頃はそうでも無かった様だった。多分、私と知りあって感化されたのだ。 一体、彼女等にとって国籍問題は問題にする程のものではないのだろうか。私だけが独りで勝手な想像をしているだけの様にも想える。馬鹿な話だ。それなら欧米人なら構わないとでも言うのかという問題も出て来る。実にナンセンスな事ではないか。我ながら何を問題にしているのか分からなくなって来る。今こそ私の意識をしっかりさせておかないと生まれ出た子供に対して申し訳ない。そんないい加減な気持ちで女を抱き子供を作ったのかという事になる。しかし、理屈では分かって居るのだ。唯、心情的に未だ抵抗があるだけの事なのだ。その抵抗の原因を探り出し納得いくまで心に叩き込まねば話は終わった事に成らない。自分の心に働きかけ心の底から実に詰らない事で悶々としていた事実を曝け出し解決しておかねば今後も女にも舞子にも頭が上がらない気持ちを抱き続けねばならない。そんな馬鹿な人生なぞ糞喰らえだ。人間として失格だ。(2月上旬へつづく)
2013/01/22
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冬(43)空海破体心経 空海の書いた「破体心経」を観て居るだけでも彼が傑出した人物であった事が分かる。と言うのは彼は幼少の頃から才能豊かで経済的にも恵まれ信仰心の厚い讃岐の名家(祖先は佐伯と言い、アイヌ出身)の下で順調に育ったお蔭で18歳で官吏養成最高機関の大学明経科(みょうきょうか)に入学したものの直ぐに修得してしまい、そそくさと退学し修行僧に成るのだが、当時の時代の流れに危機感を抱き、31歳になって当時世界第一の国家であった唐で学ぼうと決意し、私費留学生として入唐し、非凡な才能から20年の期間を要するとされる留学の決まりを勝手に僅か2年で切り上げ、財力に恵まれた事もあって万巻の経典を入手し帰国するのである。帰国後は留学の決まりを破った理由で直ぐには入京は許されず大宰府に留められ布教に努めるも、彼の非凡な才能を知る先輩格の最澄(比叡山天台宗祖)や貴族達は彼の持つ最新情報が欲しい事もあって彼を推挙し朝廷から優遇される様に成り、やがては最澄をも凌ぐ護国宗(真言密教)の最高位に上り高野山を朝廷から賜ったというのが彼の概略であるが、一般には般若心経を持ち帰った玄奘三蔵の生まれ変わりとされ、誰よりも般若心経を理解し修得していた彼ならではの書と観るからである。小説「猫と女と」(29) 要するに、私は舞子の恋人であり、夫でもあり、父親的保護者でもあるのだろう。舞子の母親にとっては娘と自分との共有の愛人ながら精神的な夫という訳だ。そういう風な事になったのは女が私に舞子を紹介した時から始まった訳だが、今から思えば、実際はその前の仔猫を貰った時やニューヨークのマンションに語学留学で舞子が住み始めた頃から萌芽はあったのだろう。女が舞子をニューヨークに行かせたのは、マンションを一年後には手放す事を勿論知っていたからであり、仔猫は一種の小道具だったに過ぎない。私が猫好きである事はー年間の付き合いの中の会話で知ったと考えられ、お互いに肉体関係を持っている以上、私が断らないだろうと踏んだのだろう。何と女は今日の為に遠大な計画を立てたものだ。もし仮に、そこまで読んでいなかったとしても私を知った事で私と言う男を逃がさない為の方法を様々考え抜いたのだろう。 結果的にどうであれ、こういう関係が出来上がって私は納得し満足しているのだろうか。いや、決してそこ迄は行っていない事は確かだ。何故なら、生来の優柔不断な性格から女の為すままに成る事はあっても一旦何かで嫌気がさせば手の平を返した様に心変わりをし冷たく成る性分だからだ。そういう割り切り方は若い頃からそうだった。尤も、舞子に私の子供が出来てしまった以上、そんな事は言っていられなくなった事も厳然たる事実だ。逃げる訳にも行かないが、決して逃げる気も無い。子供が成人する迄は死ぬ訳にも行かないのだ。それが女の計画であったとしても幸いな事に女児を得る事が出来たのだ。そう想えば運命の巡り合せがそう成ったのだとしか考えられない。神様がそうしてくれたと想えば良いのだ。運命の女神は矢張り私の願いを聞いてくれたのだ。あれだけ悩まされた愚息の事で馬鹿な家族から目を転じさせてくれたのだ。 案の定、子供が生まれて以降、私は女のマンションに毎日の様に顔を出し、半分は泊まる様になった。そして女に当面の生活費という名目で数百万の金を渡しておいた。女は最初、金を受取ろうとはしなかったが「子供の事や今後の事もあるから」と言うと「それじゃあ、有難く貰っておくワ」と受取った。当然ながら女はデザイン事務所へは行かなくなった。事務所へはその旨伝え縁を切った様だった。私も大学の工事が終わってデザイン事務所とは取引関係が無くなった。今後は仕事を出す事も無いだろう。肝心の自宅へは月の半分も帰る事は無く、それが次第に減って行き、事務所が休みの日程度になった。ココは私の帰宅する日が少なく成った分、妻に懐く様になって今では妻の寝室にも出入りする様になっていた。それを知ったのはココが妻の寝室から偶然出て来るのを見たからだった。「ほう、珍しい事もあるものだ。ココがあんたの部屋から出て来たヨ」 「そうヨ、もう大分前から入るのをオーケーしたの。あなたが出張で居ない日が多くなってココも寂しそうにしていたから、たまたま入れてやったら癖になったのヨ」「ココ!私を忘れたのか?それとも嫌味でやっているのか?」ココを抱き上げ、頭を撫で喉を掻きあげると目を細めて大人しくしている。久しぶりに私に抱かれて喜びを表現しているのか太い尻尾を振っている。が、それもものの数分もすると飽きた様にもがいて腕から逃れようとする。引っ掻かれでもすれば詰らないと仕方無く降ろすと逃げる訳でも無く、床暖房の効いたフローリングでじっとして寝そべるのだ。抱かれるのが嫌でも矢張り私が恋しいらしく付かず離れずに居るのだ。「相変わらず抱っこが嫌いな奴だな」私は独り言を言いながら棚から餌缶を降ろし、廊下のココの餌皿にスプーンー杯分の乾燥餌をパラパラと入れてやった。するとそれを待っていた様にココはガツガツと食べ始めたのだった。 自宅での夕食は久しぶりで相変わらず晩酌をしながらテレビのサッカーを観戦し、日本も強くなったものだと想いながら宿敵の韓国戦を余裕をもって観て居られる。ひと昔前なら負けてばかり居たのが最近では逆に勝ってばかり居る日本だ。男性チームも女性チームもサッカーが大流行りで最近の選手は上手くなったと感心する。相当金も使ったろうが気概も上がり見応えがある勝負だ。女のマンションで観るサッカーでも当然ながら日本を応援する。舞子が韓国人とのハ―フであっても気にせず声を挙げて日本を応援する。女や舞子がどう想って居るか考えた事も無い。日本人なら当然日本を応援するものだと想って居るからだが、女も舞子も私と同様に日本を応援している。私の為にそうしている訳でもないだろう。彼女等は完全に日本人なのだ。出逢った頃はそうでも無かった様だった。多分、私と知りあって感化されたのだ。 一体、彼女等にとって国籍問題は問題にする程のものではないのだろうか。私だけが独りで勝手な想像をしているだけの様にも想える。馬鹿な話だ。それなら欧米人なら構わないとでも言うのかという問題も出て来る。実にナンセンスな事ではないか。我ながら何を問題にしているのか分からなくなって来る。今こそ私の意識をしっかりさせておかないと生まれ出た子供に対して申し訳ない。そんないい加減な気持ちで女を抱き子供を作ったのかという事になる。しかし、理屈では分かって居るのだ。唯、心情的に未だ抵抗があるだけの事なのだ。その抵抗の原因を探り出し納得いくまで心に叩き込まねば話は終わった事に成らない。自分の心に働きかけ心の底から実に詰らない事で悶々としていた事実を曝け出し解決しておかねば今後も女にも舞子にも頭が上がらない気持ちを抱き続けねばならない。そんな馬鹿な人生なぞ糞喰らえだ。人間として失格だ。(2月上旬へつづく)
2013/01/21
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冬(42)空海の破体心経 有名な王義之の「蘭亭序」やその他の書が中国は勿論、日本でも教科書にされたお蔭て今日の書の礎が出来上がった訳であるが、当然ながら日本の三筆の一人弘法大師も参考にした事はよく知られている。ところで我々が唱えたり写経する般若心経は唐の時代に僧玄奘三蔵が天竺から持ち帰って翻訳した経典のひとつで一番短い事でも有名である。短い上に親しみ易いので経典と言うよりも仏教の呪文として毎日唱える人も多く、ボクなんかは七回唱える事もある。そうすると心が落ち着くのである。結婚してから京都を出、奈良に住む様になったボクだが、その後、父が亡くなって納骨する際、養子でもない父を母方の実家の墓地がある西大谷廟に祀るのでは上手くなく、父の実家が京都の丹波で遠い上に、末っ子だったせいで実家の菩提寺の墓地に祀るよりも我々が墓参し易い場所に新たに墓碑を建立する方が正当だと考え、新たに高野山金剛峯寺(真言密教)の表参道に父を祖とする墓碑(五輪塔)を建立したのだった。もう20年以上も前の事である。高野山には妻の実家の菩提寺(宿坊)がある事も動機になった。だから今では親鸞聖人よりも弘法大師(空海)の方に親しみを覚える。その空海が般若心経を自分流に崩して書いたものが今日の写真である。正当な経典や文字を熟知した上で書かれたものだけに興味深いものがある。小説「猫と女と」(29) 要するに、私は舞子の恋人であり、夫でもあり、父親的保護者でもあるのだろう。舞子の母親にとっては娘と自分との共有の愛人ながら精神的な夫という訳だ。そういう風な事になったのは女が私に舞子を紹介した時から始まった訳だが、今から思えば、実際はその前の仔猫を貰った時やニューヨークのマンションに語学留学で舞子が住み始めた頃から萌芽はあったのだろう。女が舞子をニューヨークに行かせたのは、マンションを一年後には手放す事を勿論知っていたからであり、仔猫は一種の小道具だったに過ぎない。私が猫好きである事はー年間の付き合いの中の会話で知ったと考えられ、お互いに肉体関係を持っている以上、私が断らないだろうと踏んだのだろう。何と女は今日の為に遠大な計画を立てたものだ。もし仮に、そこまで読んでいなかったとしても私を知った事で私と言う男を逃がさない為の方法を様々考え抜いたのだろう。 結果的にどうであれ、こういう関係が出来上がって私は納得し満足しているのだろうか。いや、決してそこ迄は行っていない事は確かだ。何故なら、生来の優柔不断な性格から女の為すままに成る事はあっても一旦何かで嫌気がさせば手の平を返した様に心変わりをし冷たく成る性分だからだ。そういう割り切り方は若い頃からそうだった。尤も、舞子に私の子供が出来てしまった以上、そんな事は言っていられなくなった事も厳然たる事実だ。逃げる訳にも行かないが、決して逃げる気も無い。子供が成人する迄は死ぬ訳にも行かないのだ。それが女の計画であったとしても幸いな事に女児を得る事が出来たのだ。そう想えば運命の巡り合せがそう成ったのだとしか考えられない。神様がそうしてくれたと想えば良いのだ。運命の女神は矢張り私の願いを聞いてくれたのだ。あれだけ悩まされた愚息の事で馬鹿な家族から目を転じさせてくれたのだ。 案の定、子供が生まれて以降、私は女のマンションに毎日の様に顔を出し、半分は泊まる様になった。そして女に当面の生活費という名目で数百万の金を渡しておいた。女は最初、金を受取ろうとはしなかったが「子供の事や今後の事もあるから」と言うと「それじゃあ、有難く貰っておくワ」と受取った。当然ながら女はデザイン事務所へは行かなくなった。事務所へはその旨伝え縁を切った様だった。私も大学の工事が終わってデザイン事務所とは取引関係が無くなった。今後は仕事を出す事も無いだろう。肝心の自宅へは月の半分も帰る事は無く、それが次第に減って行き、事務所が休みの日程度になった。ココは私の帰宅する日が少なく成った分、妻に懐く様になって今では妻の寝室にも出入りする様になっていた。それを知ったのはココが妻の寝室から偶然出て来るのを見たからだった。「ほう、珍しい事もあるものだ。ココがあんたの部屋から出て来たヨ」 「そうヨ、もう大分前から入るのをオーケーしたの。あなたが出張で居ない日が多くなってココも寂しそうにしていたから、たまたま入れてやったら癖になったのヨ」「ココ!私を忘れたのか?それとも嫌味でやっているのか?」ココを抱き上げ、頭を撫で喉を掻きあげると目を細めて大人しくしている。久しぶりに私に抱かれて喜びを表現しているのか太い尻尾を振っている。が、それもものの数分もすると飽きた様にもがいて腕から逃れようとする。引っ掻かれでもすれば詰らないと仕方無く降ろすと逃げる訳でも無く、床暖房の効いたフローリングでじっとして寝そべるのだ。抱かれるのが嫌でも矢張り私が恋しいらしく付かず離れずに居るのだ。「相変わらず抱っこが嫌いな奴だな」私は独り言を言いながら棚から餌缶を降ろし、廊下のココの餌皿にスプーンー杯分の乾燥餌をパラパラと入れてやった。するとそれを待っていた様にココはガツガツと食べ始めたのだった。 自宅での夕食は久しぶりで相変わらず晩酌をしながらテレビのサッカーを観戦し、日本も強くなったものだと想いながら宿敵の韓国戦を余裕をもって観て居られる。ひと昔前なら負けてばかり居たのが最近では逆に勝ってばかり居る日本だ。男性チームも女性チームもサッカーが大流行りで最近の選手は上手くなったと感心する。相当金も使ったろうが気概も上がり見応えがある勝負だ。女のマンションで観るサッカーでも当然ながら日本を応援する。舞子が韓国人とのハ―フであっても気にせず声を挙げて日本を応援する。女や舞子がどう想って居るか考えた事も無い。日本人なら当然日本を応援するものだと想って居るからだが、女も舞子も私と同様に日本を応援している。私の為にそうしている訳でもないだろう。彼女等は完全に日本人なのだ。出逢った頃はそうでも無かった様だった。多分、私と知りあって感化されたのだ。 一体、彼女等にとって国籍問題は問題にする程のものではないのだろうか。私だけが独りで勝手な想像をしているだけの様にも想える。馬鹿な話だ。それなら欧米人なら構わないとでも言うのかという問題も出て来る。実にナンセンスな事ではないか。我ながら何を問題にしているのか分からなくなって来る。今こそ私の意識をしっかりさせておかないと生まれ出た子供に対して申し訳ない。そんないい加減な気持ちで女を抱き子供を作ったのかという事になる。しかし、理屈では分かって居るのだ。唯、心情的に未だ抵抗があるだけの事なのだ。その抵抗の原因を探り出し納得いくまで心に叩き込まねば話は終わった事に成らない。自分の心に働きかけ心の底から実に詰らない事で悶々としていた事実を曝け出し解決しておかねば今後も女にも舞子にも頭が上がらない気持ちを抱き続けねばならない。そんな馬鹿な人生なぞ糞喰らえだ。人間として失格だ。(2月上旬へつづく)
2013/01/20
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冬(41)王羲之「蘭亭序」 最近の朝はインターネット映画観劇を日課にしている。その中で連日やっていた古代中国ドラマ「李世民」が終わって退屈している。他にも面白いドラマがあるが週に一度のものが大勢なので毎日楽しめる訳ではない。再放送ものだったから連日やていたのだろうが、なかなか見応えがあって楽しめた。物語は唐を世界第一の大帝国に築き上げた太宗(李世民)の生涯で、彼は傑出した人物ではあったが、政治的に対立する実の兄を二人とも殺さざるを得ない非情さを持ち合わせていた。それは時代がそうさせたのであろうが、それよりも我々からすれば惜しむらくは彼の時代をさかのぼる事300年ほど前の書聖と言われた王義之の書を余りにも愛するが故に自分の墓の副葬品としてしまった事だ。為に王義之の書は写本か石碑の拓本でしか見る事が出来ない。中でも、王義之が貴族仲間を招待し別荘(蘭亭)で開いた曲水の宴の歌を編集し、序文を書いたものが傑作とされている。その写しの一部が今日の写真である。ドラマを観終えアマゾンに王義之の臨書の一部を注文し、早速届いたのを眺めながら今後の書の参考にしようと想っているのだが、今の時代では王義之は教科書的過ぎて面白くもない。だから之を参考に自分の書を作り上げれば良い訳なのだが、ボクは隷書に興味を持って居るので精々下手の横好きで両者を参考に平仮名も交えて日本語を書いて行こうと想っている。小説「猫と女と」(28) 女のマンションに行く様に成ってからは直ぐに風呂に入るのが癖になった。冬でも歩くと汗をかく性分の私には、ひと風呂浴びるのが至福のー時なのだ。湯あがりに新しい下着をつけ糊の利いた浴衣を着て冷えたビールを飲む。唯それだけの事ながらー日の疲れが取れる気がする。ホッとー息ついたところで舞子の体調を訊き、大きくなった腹を撫でながら胎児の様子をみる。そして生まれ出る日を数えてみる。長年忘れていた新婚当時の雰囲気を想い出し、女達との団欒を楽しみながら心地よい家庭的な雰囲気に浸る。食後はカウチに座って両脇に二人を抱き三人してビデオ・ドラマを観る。やがてドラマが終わる頃には私はうつらうつらと眠り掛ける。「あらあら、もううたた寝なんかして、風邪をひくわヨ。ー寸起きて頂戴ヨ。ベッドで寝なきゃ駄目ヨ」女が私を揺り動かし起こしにかかる。よろよろと立ち上がりベッドに入ると私はそのまま眠ってしまう。 女達は、それから食卓と流し台を綺麗に片付け、食洗機に食器類を入れタイマーをセットした後、二人ー緒に残り湯に入る。そしてお互いの身体を洗い合い、上気した顔で出るとドレッサーの前に座り髪を整えてから舞子のベッドに二人して寝る。私が女のマンションに行った日はそういう段取りになる。つまり女のマンションでは決して情事はしないと決めている私の気持ちに沿う暗黙の了解ができているのだ。が、多分、外で女が私と会って居る事は舞子も知って居るだろう。女の表情で分かる筈だ。しかし、それは別の世界の事なのだ。「母は、母ヨ」と割り切っているのは、自分が横取りした様な形になった後ろめたさと、もう年齢的に母親が絶対に妊娠なぞしないという安心感があるのだ。私との束の間のデートで母の精神状態が安定してくれるのなら自分にとっても安心なのだろう。それほど舞子は私の心を完全に掴んで居ると信じて居る様だ。 そうこうする内に三月末になって舞子は陣痛の初期症状をもよおす様になり、大事をとって病院に入院させると二日目には女児を出産した。出産の事を私は静岡で知った。大学の工事打合せ中に携帯に女から入ったのだ。会議中だからと一旦切って後で掛け直すと「名前は、どれにしよう?」と訊いて来た。事前に四つほど候補名を書いて渡しておいたのだった。「舞子は、どれを望んでいる?」「二つ目の麗奈を気に入っているワ」「君は?」「私は、最初の麗子ヨ」「じゃあ、麗奈を第一候補に、麗子は第二候補としておこう。舞子とよく話し合って決めれば良い」「貴方は、どれが気に入っているの?」「四番目の麗だけど、二人に任せる」翌日、病院へ行くとガラス越しに小さなしわくちゃの赤ん坊を見せられた。女児ながらどう見ても猿の子の様で可愛いとは想えなかった。唯、小さな手を広げたり握りしめたりしているのが非常に可愛く見えただけだった。 子供が生まれた時、舞子は感激の余り嬉し涙を流したと女が言っていたのを私は漫然と聞いていた。女というものは実感体験としてそういうものだろうとしか想えなかった。それは妻が息子を生んだ時も同様だった。私には子供への愛着が無いのだろうかと真面目に考えたものだった。しかし、息子の時は女児を希望していたのだから失望したのだろうという気があった。が、今回は女児なのだ。嬉しい筈なのだ。それなのに可愛いというよりもまるで感激からは程遠い気持ちだった。女児であった事を素直に喜べば良いのに複雑な気持ちの方が優先したらしい。それでも、数日が過ぎ、舞子が退院して来てマンションで赤ん坊に授乳して居る姿を観ると、ほのぼのとした母子の姿として目に映り、何か神々しいものを観る想いもして来るのだった。そうなれば横に居る女がもう立派な祖母にも観え、数日間でこうも気持ちが変わるものかと驚かされた。 「二人で話し合った結果だけど、麗に決めたワ」女は想い出した様に言った。「ほう、そうかい。ボクの顔を立てた訳か」「そうでも無いのヨ。舞子がー文字の名前も良いわネというから私も考え直したの。それにレイってナウいじゃない。少し男っぽいゴロで活発で良いのじゃない?」「文字を観れば女と分かるから大丈夫さ。麗か・・・この名前なら、きっと別嬪になるぞ」私は改めて赤ん坊の顔を覗き込んで舞子に言った。言ってから私が次第に赤ん坊に傾いて行く自分を意識した。この分だとマンションに来る回数も増えるだろうとも感じた。今の仕事がー段落すれば少しは暇に成る。そうなれば毎日の様に来る様に成るかも知れない。女郎蜘蛛の巣に引っ掛かった様なものだ。じわじわと真綿で締められる好々爺の様に私はいよいよ覚悟せねばならないのだろうか。その日、女にせがまれて一緒に区役所へ出生届を出しに行った。 そうなれば次は当然ながら認知の問題が浮上する。尤も、摂りあえず届けだけ出しておき、その事は後日話し合えば良い。父親の欄に私の名前を書き、母親の欄に舞子の名前を書けば明らかに未婚である事が分かるが、それは喫緊の問題では無い。落ち着いた頃に女達と協議すれば良いのだ。尤も女は認知に拘るだろう。私の子としての証明になるものが欲しいのだ。しかし、肝心の舞子は女とは意見が違う。舞子は戸籍には拘らないと言って居る。母親の世話になってはいるものの自立精神では舞子の方が余程しっかりしている様に想え、デザイン事務所の所長の事を当てにはせず、寧ろ母親がデザイン事務所と未だに関係をもっている事に嫌悪感すら持って居るのだ。父親として認めて居ないかの様な言動を取る事もある。ニューヨークのマンションを手放した時にそれを決意した様だった。女が厳しい顔でアメリカから戻ったのは母娘間でその事を話し合ったからだろう。(1月下旬へつづく)
2013/01/19
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冬(40) 高野槇の周りの皐月が雪を被っているものの、その下の芝生の雪の白さに負けて自身の緑よりも敷いてある煉瓦の目地を浮かびあがらせる様に演出している。芝生の湿った処を歩くよりも煉瓦の方が歩き易いから我々もココも其処をよく通る。雪のせいでゴルフのピッチング練習が出来ないから当分は雪が溶けるまでお預けである。ココも諦めて室内から庭を眺めるだけで、どうしても出たい時はベランダ沿いに歩いてガレージの方へ行く。雪を避けて行く処が面白く可愛い。そう言えば昨日我が家の庭に来ていた野良ネコは、この雪の中を何処かの物蔭でジッと潜んでいるのだろう。野良ネコは一般に食べ物が無く、不安定な生活だから寿命は精々4~5年という。ココなぞは箱入り娘だから今年で9年目にもなるが、多分、その倍は生きるだろう。人間で言えば90歳である。今は40~45歳になるのだろう。当たり前の様な顔をしてふてぶてしく生きている。小説「猫と女と」(28) 女のマンションに行く様に成ってからは直ぐに風呂に入るのが癖になった。冬でも歩くと汗をかく性分の私には、ひと風呂浴びるのが至福のー時なのだ。湯あがりに新しい下着をつけ糊の利いた浴衣を着て冷えたビールを飲む。唯それだけの事ながらー日の疲れが取れる気がする。ホッとー息ついたところで舞子の体調を訊き、大きくなった腹を撫でながら胎児の様子をみる。そして生まれ出る日を数えてみる。長年忘れていた新婚当時の雰囲気を想い出し、女達との団欒を楽しみながら心地よい家庭的な雰囲気に浸る。食後はカウチに座って両脇に二人を抱き三人してビデオ・ドラマを観る。やがてドラマが終わる頃には私はうつらうつらと眠り掛ける。「あらあら、もううたた寝なんかして、風邪をひくわヨ。ー寸起きて頂戴ヨ。ベッドで寝なきゃ駄目ヨ」女が私を揺り動かし起こしにかかる。よろよろと立ち上がりベッドに入ると私はそのまま眠ってしまう。 女達は、それから食卓と流し台を綺麗に片付け、食洗機に食器類を入れタイマーをセットした後、二人ー緒に残り湯に入る。そしてお互いの身体を洗い合い、上気した顔で出るとドレッサーの前に座り髪を整えてから舞子のベッドに二人して寝る。私が女のマンションに行った日はそういう段取りになる。つまり女のマンションでは決して情事はしないと決めている私の気持ちに沿う暗黙の了解ができているのだ。が、多分、外で女が私と会って居る事は舞子も知って居るだろう。女の表情で分かる筈だ。しかし、それは別の世界の事なのだ。「母は、母ヨ」と割り切っているのは、自分が横取りした様な形になった後ろめたさと、もう年齢的に母親が絶対に妊娠なぞしないという安心感があるのだ。私との束の間のデートで母の精神状態が安定してくれるのなら自分にとっても安心なのだろう。それほど舞子は私の心を完全に掴んで居ると信じて居る様だ。 そうこうする内に三月末になって舞子は陣痛の初期症状をもよおす様になり、大事をとって病院に入院させると二日目には女児を出産した。出産の事を私は静岡で知った。大学の工事打合せ中に携帯に女から入ったのだ。会議中だからと一旦切って後で掛け直すと「名前は、どれにしよう?」と訊いて来た。事前に四つほど候補名を書いて渡しておいたのだった。「舞子は、どれを望んでいる?」「二つ目の麗奈を気に入っているワ」「君は?」「私は、最初の麗子ヨ」「じゃあ、麗奈を第一候補に、麗子は第二候補としておこう。舞子とよく話し合って決めれば良い」「貴方は、どれが気に入っているの?」「四番目の麗だけど、二人に任せる」翌日、病院へ行くとガラス越しに小さなしわくちゃの赤ん坊を見せられた。女児ながらどう見ても猿の子の様で可愛いとは想えなかった。唯、小さな手を広げたり握りしめたりしているのが非常に可愛く見えただけだった。 子供が生まれた時、舞子は感激の余り嬉し涙を流したと女が言っていたのを私は漫然と聞いていた。女というものは実感体験としてそういうものだろうとしか想えなかった。それは妻が息子を生んだ時も同様だった。私には子供への愛着が無いのだろうかと真面目に考えたものだった。しかし、息子の時は女児を希望していたのだから失望したのだろうという気があった。が、今回は女児なのだ。嬉しい筈なのだ。それなのに可愛いというよりもまるで感激からは程遠い気持ちだった。女児であった事を素直に喜べば良いのに複雑な気持ちの方が優先したらしい。それでも、数日が過ぎ、舞子が退院して来てマンションで赤ん坊に授乳して居る姿を観ると、ほのぼのとした母子の姿として目に映り、何か神々しいものを観る想いもして来るのだった。そうなれば横に居る女がもう立派な祖母にも観え、数日間でこうも気持ちが変わるものかと驚かされた。 「二人で話し合った結果だけど、麗に決めたワ」女は想い出した様に言った。「ほう、そうかい。ボクの顔を立てた訳か」「そうでも無いのヨ。舞子がー文字の名前も良いわネというから私も考え直したの。それにレイってナウいじゃない。少し男っぽいゴロで活発で良いのじゃない?」「文字を観れば女と分かるから大丈夫さ。麗か・・・この名前なら、きっと別嬪になるぞ」私は改めて赤ん坊の顔を覗き込んで舞子に言った。言ってから私が次第に赤ん坊に傾いて行く自分を意識した。この分だとマンションに来る回数も増えるだろうとも感じた。今の仕事がー段落すれば少しは暇に成る。そうなれば毎日の様に来る様に成るかも知れない。女郎蜘蛛の巣に引っ掛かった様なものだ。じわじわと真綿で締められる好々爺の様に私はいよいよ覚悟せねばならないのだろうか。その日、女にせがまれて一緒に区役所へ出生届を出しに行った。 そうなれば次は当然ながら認知の問題が浮上する。尤も、摂りあえず届けだけ出しておき、その事は後日話し合えば良い。父親の欄に私の名前を書き、母親の欄に舞子の名前を書けば明らかに未婚である事が分かるが、それは喫緊の問題では無い。落ち着いた頃に女達と協議すれば良いのだ。尤も女は認知に拘るだろう。私の子としての証明になるものが欲しいのだ。しかし、肝心の舞子は女とは意見が違う。舞子は戸籍には拘らないと言って居る。母親の世話になってはいるものの自立精神では舞子の方が余程しっかりしている様に想え、デザイン事務所の所長の事を当てにはせず、寧ろ母親がデザイン事務所と未だに関係をもっている事に嫌悪感すら持って居るのだ。父親として認めて居ないかの様な言動を取る事もある。ニューヨークのマンションを手放した時にそれを決意した様だった。女が厳しい顔でアメリカから戻ったのは母娘間でその事を話し合ったからだろう。(1月下旬へつづく)
2013/01/18
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冬(39) 百日紅の横のシマトネリコが雪の重みで大きくしなっている。細くて柔らかな木なので折れないのだ。ちなみに昨年暮れに積もった雪でも同じくしなっていたが折れなかった。日本のトネリコの樹は堅くて野球のバットになっている位なのに、東南アジア産のシマトネリコは正反対である。その代わり細かな葉が綺麗で最近流行り出した庭木である。数年前にマンション建設で使いだしてから気に入って我が家にも植えたのだ。成長が早く、一年で倍の2mにもなった。今では3m近くにまでなっている。しかし、木が細いから写真の様に雪で大きくしなって居る。我が家の和風庭園も南洋アジアの色彩を帯びて来た。時代と共に風景も少しづつ変わって行く。小説「猫と女と」(28) 女のマンションに行く様に成ってからは直ぐに風呂に入るのが癖になった。冬でも歩くと汗をかく性分の私には、ひと風呂浴びるのが至福のー時なのだ。湯あがりに新しい下着をつけ糊の利いた浴衣を着て冷えたビールを飲む。唯それだけの事ながらー日の疲れが取れる気がする。ホッとー息ついたところで舞子の体調を訊き、大きくなった腹を撫でながら胎児の様子をみる。そして生まれ出る日を数えてみる。長年忘れていた新婚当時の雰囲気を想い出し、女達との団欒を楽しみながら心地よい家庭的な雰囲気に浸る。食後はカウチに座って両脇に二人を抱き三人してビデオ・ドラマを観る。やがてドラマが終わる頃には私はうつらうつらと眠り掛ける。「あらあら、もううたた寝なんかして、風邪をひくわヨ。ー寸起きて頂戴ヨ。ベッドで寝なきゃ駄目ヨ」女が私を揺り動かし起こしにかかる。よろよろと立ち上がりベッドに入ると私はそのまま眠ってしまう。 女達は、それから食卓と流し台を綺麗に片付け、食洗機に食器類を入れタイマーをセットした後、二人ー緒に残り湯に入る。そしてお互いの身体を洗い合い、上気した顔で出るとドレッサーの前に座り髪を整えてから舞子のベッドに二人して寝る。私が女のマンションに行った日はそういう段取りになる。つまり女のマンションでは決して情事はしないと決めている私の気持ちに沿う暗黙の了解ができているのだ。が、多分、外で女が私と会って居る事は舞子も知って居るだろう。女の表情で分かる筈だ。しかし、それは別の世界の事なのだ。「母は、母ヨ」と割り切っているのは、自分が横取りした様な形になった後ろめたさと、もう年齢的に母親が絶対に妊娠なぞしないという安心感があるのだ。私との束の間のデートで母の精神状態が安定してくれるのなら自分にとっても安心なのだろう。それほど舞子は私の心を完全に掴んで居ると信じて居る様だ。 そうこうする内に三月末になって舞子は陣痛の初期症状をもよおす様になり、大事をとって病院に入院させると二日目には女児を出産した。出産の事を私は静岡で知った。大学の工事打合せ中に携帯に女から入ったのだ。会議中だからと一旦切って後で掛け直すと「名前は、どれにしよう?」と訊いて来た。事前に四つほど候補名を書いて渡しておいたのだった。「舞子は、どれを望んでいる?」「二つ目の麗奈を気に入っているワ」「君は?」「私は、最初の麗子ヨ」「じゃあ、麗奈を第一候補に、麗子は第二候補としておこう。舞子とよく話し合って決めれば良い」「貴方は、どれが気に入っているの?」「四番目の麗だけど、二人に任せる」翌日、病院へ行くとガラス越しに小さなしわくちゃの赤ん坊を見せられた。女児ながらどう見ても猿の子の様で可愛いとは想えなかった。唯、小さな手を広げたり握りしめたりしているのが非常に可愛く見えただけだった。 子供が生まれた時、舞子は感激の余り嬉し涙を流したと女が言っていたのを私は漫然と聞いていた。女というものは実感体験としてそういうものだろうとしか想えなかった。それは妻が息子を生んだ時も同様だった。私には子供への愛着が無いのだろうかと真面目に考えたものだった。しかし、息子の時は女児を希望していたのだから失望したのだろうという気があった。が、今回は女児なのだ。嬉しい筈なのだ。それなのに可愛いというよりもまるで感激からは程遠い気持ちだった。女児であった事を素直に喜べば良いのに複雑な気持ちの方が優先したらしい。それでも、数日が過ぎ、舞子が退院して来てマンションで赤ん坊に授乳して居る姿を観ると、ほのぼのとした母子の姿として目に映り、何か神々しいものを観る想いもして来るのだった。そうなれば横に居る女がもう立派な祖母にも観え、数日間でこうも気持ちが変わるものかと驚かされた。 「二人で話し合った結果だけど、麗に決めたワ」女は想い出した様に言った。「ほう、そうかい。ボクの顔を立てた訳か」「そうでも無いのヨ。舞子がー文字の名前も良いわネというから私も考え直したの。それにレイってナウいじゃない。少し男っぽいゴロで活発で良いのじゃない?」「文字を観れば女と分かるから大丈夫さ。麗か・・・この名前なら、きっと別嬪になるぞ」私は改めて赤ん坊の顔を覗き込んで舞子に言った。言ってから私が次第に赤ん坊に傾いて行く自分を意識した。この分だとマンションに来る回数も増えるだろうとも感じた。今の仕事がー段落すれば少しは暇に成る。そうなれば毎日の様に来る様に成るかも知れない。女郎蜘蛛の巣に引っ掛かった様なものだ。じわじわと真綿で締められる好々爺の様に私はいよいよ覚悟せねばならないのだろうか。その日、女にせがまれて一緒に区役所へ出生届を出しに行った。 そうなれば次は当然ながら認知の問題が浮上する。尤も、摂りあえず届けだけ出しておき、その事は後日話し合えば良い。父親の欄に私の名前を書き、母親の欄に舞子の名前を書けば明らかに未婚である事が分かるが、それは喫緊の問題では無い。落ち着いた頃に女達と協議すれば良いのだ。尤も女は認知に拘るだろう。私の子としての証明になるものが欲しいのだ。しかし、肝心の舞子は女とは意見が違う。舞子は戸籍には拘らないと言って居る。母親の世話になってはいるものの自立精神では舞子の方が余程しっかりしている様に想え、デザイン事務所の所長の事を当てにはせず、寧ろ母親がデザイン事務所と未だに関係をもっている事に嫌悪感すら持って居るのだ。父親として認めて居ないかの様な言動を取る事もある。ニューヨークのマンションを手放した時にそれを決意した様だった。女が厳しい顔でアメリカから戻ったのは母娘間でその事を話し合ったからだろう。(1月下旬へつづく)
2013/01/17
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冬(38) 今年に入っての初雪である。初雪とは言え、つい最近(昨年暮)にも降ったので、この冬二度目の雪に成り、余り感激はない。だからその証拠に息子が喜び勇んで庭を歩いた跡も無い。道理でココは寒いのでベッドから出ず、ボクが朝食を食べ終えた頃にノッソリと降りて来て「何で寒いの?」という様な顔をしていた。ボクが眠っている早朝に階下に降りて朝の餌を食べた形跡があったので腹は減って居ないのだろう。ボクが書斎に行くと直ぐに付いて来て、雨戸を開けるとパッと勢いよく出た。が、出たのは良いが、雪景色に驚いて直ぐに戻って来た。矢張り雪が怖いのだ。昨年のドカ雪に驚かされて雪がトラウマになっているらしい。部屋に戻ってからガラス越しにジッと雪の庭を眺めていたが、その内にソファのムートン・ファーに乗って前脚を足踏みしながら居場所を確保し始めた。今日も寒い一日が始まるのだ。小説「猫と女と」(28) 女のマンションに行く様に成ってからは直ぐに風呂に入るのが癖になった。冬でも歩くと汗をかく性分の私には、ひと風呂浴びるのが至福のー時なのだ。湯あがりに新しい下着をつけ糊の利いた浴衣を着て冷えたビールを飲む。唯それだけの事ながらー日の疲れが取れる気がする。ホッとー息ついたところで舞子の体調を訊き、大きくなった腹を撫でながら胎児の様子をみる。そして生まれ出る日を数えてみる。長年忘れていた新婚当時の雰囲気を想い出し、女達との団欒を楽しみながら心地よい家庭的な雰囲気に浸る。食後はカウチに座って両脇に二人を抱き三人してビデオ・ドラマを観る。やがてドラマが終わる頃には私はうつらうつらと眠り掛ける。「あらあら、もううたた寝なんかして、風邪をひくわヨ。ー寸起きて頂戴ヨ。ベッドで寝なきゃ駄目ヨ」女が私を揺り動かし起こしにかかる。よろよろと立ち上がりベッドに入ると私はそのまま眠ってしまう。 女達は、それから食卓と流し台を綺麗に片付け、食洗機に食器類を入れタイマーをセットした後、二人ー緒に残り湯に入る。そしてお互いの身体を洗い合い、上気した顔で出るとドレッサーの前に座り髪を整えてから舞子のベッドに二人して寝る。私が女のマンションに行った日はそういう段取りになる。つまり女のマンションでは決して情事はしないと決めている私の気持ちに沿う暗黙の了解ができているのだ。が、多分、外で女が私と会って居る事は舞子も知って居るだろう。女の表情で分かる筈だ。しかし、それは別の世界の事なのだ。「母は、母ヨ」と割り切っているのは、自分が横取りした様な形になった後ろめたさと、もう年齢的に母親が絶対に妊娠なぞしないという安心感があるのだ。私との束の間のデートで母の精神状態が安定してくれるのなら自分にとっても安心なのだろう。それほど舞子は私の心を完全に掴んで居ると信じて居る様だ。 そうこうする内に三月末になって舞子は陣痛の初期症状をもよおす様になり、大事をとって病院に入院させると二日目には女児を出産した。出産の事を私は静岡で知った。大学の工事打合せ中に携帯に女から入ったのだ。会議中だからと一旦切って後で掛け直すと「名前は、どれにしよう?」と訊いて来た。事前に四つほど候補名を書いて渡しておいたのだった。「舞子は、どれを望んでいる?」「二つ目の麗奈を気に入っているワ」「君は?」「私は、最初の麗子ヨ」「じゃあ、麗奈を第一候補に、麗子は第二候補としておこう。舞子とよく話し合って決めれば良い」「貴方は、どれが気に入っているの?」「四番目の麗だけど、二人に任せる」翌日、病院へ行くとガラス越しに小さなしわくちゃの赤ん坊を見せられた。女児ながらどう見ても猿の子の様で可愛いとは想えなかった。唯、小さな手を広げたり握りしめたりしているのが非常に可愛く見えただけだった。 子供が生まれた時、舞子は感激の余り嬉し涙を流したと女が言っていたのを私は漫然と聞いていた。女というものは実感体験としてそういうものだろうとしか想えなかった。それは妻が息子を生んだ時も同様だった。私には子供への愛着が無いのだろうかと真面目に考えたものだった。しかし、息子の時は女児を希望していたのだから失望したのだろうという気があった。が、今回は女児なのだ。嬉しい筈なのだ。それなのに可愛いというよりもまるで感激からは程遠い気持ちだった。女児であった事を素直に喜べば良いのに複雑な気持ちの方が優先したらしい。それでも、数日が過ぎ、舞子が退院して来てマンションで赤ん坊に授乳して居る姿を観ると、ほのぼのとした母子の姿として目に映り、何か神々しいものを観る想いもして来るのだった。そうなれば横に居る女がもう立派な祖母にも観え、数日間でこうも気持ちが変わるものかと驚かされた。 「二人で話し合った結果だけど、麗に決めたワ」女は想い出した様に言った。「ほう、そうかい。ボクの顔を立てた訳か」「そうでも無いのヨ。舞子がー文字の名前も良いわネというから私も考え直したの。それにレイってナウいじゃない。少し男っぽいゴロで活発で良いのじゃない?」「文字を観れば女と分かるから大丈夫さ。麗か・・・この名前なら、きっと別嬪になるぞ」私は改めて赤ん坊の顔を覗き込んで舞子に言った。言ってから私が次第に赤ん坊に傾いて行く自分を意識した。この分だとマンションに来る回数も増えるだろうとも感じた。今の仕事がー段落すれば少しは暇に成る。そうなれば毎日の様に来る様に成るかも知れない。女郎蜘蛛の巣に引っ掛かった様なものだ。じわじわと真綿で締められる好々爺の様に私はいよいよ覚悟せねばならないのだろうか。その日、女にせがまれて一緒に区役所へ出生届を出しに行った。 そうなれば次は当然ながら認知の問題が浮上する。尤も、摂りあえず届けだけ出しておき、その事は後日話し合えば良い。父親の欄に私の名前を書き、母親の欄に舞子の名前を書けば明らかに未婚である事が分かるが、それは喫緊の問題では無い。落ち着いた頃に女達と協議すれば良いのだ。尤も女は認知に拘るだろう。私の子としての証明になるものが欲しいのだ。しかし、肝心の舞子は女とは意見が違う。舞子は戸籍には拘らないと言って居る。母親の世話になってはいるものの自立精神では舞子の方が余程しっかりしている様に想え、デザイン事務所の所長の事を当てにはせず、寧ろ母親がデザイン事務所と未だに関係をもっている事に嫌悪感すら持って居るのだ。父親として認めて居ないかの様な言動を取る事もある。ニューヨークのマンションを手放した時にそれを決意した様だった。女が厳しい顔でアメリカから戻ったのは母娘間でその事を話し合ったからだろう。(1月下旬へつづく)
2013/01/16
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冬(37) その女性は民生委員をしていた。どうしても四人組に加わりたくて全員にそれとなく近付いていたが、誰かの反対で実現しなかった。すると、加われない様なグループなぞ目障りと想ったのか一層潰してしまえと妨害工作に入り、在りもしない噂を民生委員の立場を利用して街中に吹聴して廻ったのだった。やがて怪文書が出回ったり変な噂が立っている事を自治会や四人組に知らせる人が居て、自治会で調べてみると件の民生委員が中心人物である事が分かった。民生委員が立場を悪用して人を陥れる行為なぞ決してあってはならず、市の福祉委員会も乗り出し、本人を呼び出し調べた。が、頑として否定するばかりなので、已むなく虚言を覆す数人の証人の名を挙げ再度確かめると渋々認めた。結果、厳重注意と民生委員の辞退を勧告したのだったが、結論が出て仲よしグループの結束が強くなるのでは無く逆に気まずい雰囲気に包まれてしまい、グループは自然消滅してしまった。残念な事ではあったが人の逆恨みの怖さを各自が体験した結果だった。小説「猫と女と」(28) 女のマンションに行く様に成ってからは直ぐに風呂に入るのが癖になった。冬でも歩くと汗をかく性分の私には、ひと風呂浴びるのが至福のー時なのだ。湯あがりに新しい下着をつけ糊の利いた浴衣を着て冷えたビールを飲む。唯それだけの事ながらー日の疲れが取れる気がする。ホッとー息ついたところで舞子の体調を訊き、大きくなった腹を撫でながら胎児の様子をみる。そして生まれ出る日を数えてみる。長年忘れていた新婚当時の雰囲気を想い出し、女達との団欒を楽しみながら心地よい家庭的な雰囲気に浸る。食後はカウチに座って両脇に二人を抱き三人してビデオ・ドラマを観る。やがてドラマが終わる頃には私はうつらうつらと眠り掛ける。「あらあら、もううたた寝なんかして、風邪をひくわヨ。ー寸起きて頂戴ヨ。ベッドで寝なきゃ駄目ヨ」女が私を揺り動かし起こしにかかる。よろよろと立ち上がりベッドに入ると私はそのまま眠ってしまう。 女達は、それから食卓と流し台を綺麗に片付け、食洗機に食器類を入れタイマーをセットした後、二人ー緒に残り湯に入る。そしてお互いの身体を洗い合い、上気した顔で出るとドレッサーの前に座り髪を整えてから舞子のベッドに二人して寝る。私が女のマンションに行った日はそういう段取りになる。つまり女のマンションでは決して情事はしないと決めている私の気持ちに沿う暗黙の了解ができているのだ。が、多分、外で女が私と会って居る事は舞子も知って居るだろう。女の表情で分かる筈だ。しかし、それは別の世界の事なのだ。「母は、母ヨ」と割り切っているのは、自分が横取りした様な形になった後ろめたさと、もう年齢的に母親が絶対に妊娠なぞしないという安心感があるのだ。私との束の間のデートで母の精神状態が安定してくれるのなら自分にとっても安心なのだろう。それほど舞子は私の心を完全に掴んで居ると信じて居る様だ。 そうこうする内に三月末になって舞子は陣痛の初期症状をもよおす様になり、大事をとって病院に入院させると二日目には女児を出産した。出産の事を私は静岡で知った。大学の工事打合せ中に携帯に女から入ったのだ。会議中だからと一旦切って後で掛け直すと「名前は、どれにしよう?」と訊いて来た。事前に四つほど候補名を書いて渡しておいたのだった。「舞子は、どれを望んでいる?」「二つ目の麗奈を気に入っているワ」「君は?」「私は、最初の麗子ヨ」「じゃあ、麗奈を第一候補に、麗子は第二候補としておこう。舞子とよく話し合って決めれば良い」「貴方は、どれが気に入っているの?」「四番目の麗だけど、二人に任せる」翌日、病院へ行くとガラス越しに小さなしわくちゃの赤ん坊を見せられた。女児ながらどう見ても猿の子の様で可愛いとは想えなかった。唯、小さな手を広げたり握りしめたりしているのが非常に可愛く見えただけだった。 子供が生まれた時、舞子は感激の余り嬉し涙を流したと女が言っていたのを私は漫然と聞いていた。女というものは実感体験としてそういうものだろうとしか想えなかった。それは妻が息子を生んだ時も同様だった。私には子供への愛着が無いのだろうかと真面目に考えたものだった。しかし、息子の時は女児を希望していたのだから失望したのだろうという気があった。が、今回は女児なのだ。嬉しい筈なのだ。それなのに可愛いというよりもまるで感激からは程遠い気持ちだった。女児であった事を素直に喜べば良いのに複雑な気持ちの方が優先したらしい。それでも、数日が過ぎ、舞子が退院して来てマンションで赤ん坊に授乳して居る姿を観ると、ほのぼのとした母子の姿として目に映り、何か神々しいものを観る想いもして来るのだった。そうなれば横に居る女がもう立派な祖母にも観え、数日間でこうも気持ちが変わるものかと驚かされた。 「二人で話し合った結果だけど、麗に決めたワ」女は想い出した様に言った。「ほう、そうかい。ボクの顔を立てた訳か」「そうでも無いのヨ。舞子がー文字の名前も良いわネというから私も考え直したの。それにレイってナウいじゃない。少し男っぽいゴロで活発で良いのじゃない?」「文字を観れば女と分かるから大丈夫さ。麗か・・・この名前なら、きっと別嬪になるぞ」私は改めて赤ん坊の顔を覗き込んで舞子に言った。言ってから私が次第に赤ん坊に傾いて行く自分を意識した。この分だとマンションに来る回数も増えるだろうとも感じた。今の仕事がー段落すれば少しは暇に成る。そうなれば毎日の様に来る様に成るかも知れない。女郎蜘蛛の巣に引っ掛かった様なものだ。じわじわと真綿で締められる好々爺の様に私はいよいよ覚悟せねばならないのだろうか。その日、女にせがまれて一緒に区役所へ出生届を出しに行った。 そうなれば次は当然ながら認知の問題が浮上する。尤も、摂りあえず届けだけ出しておき、その事は後日話し合えば良い。父親の欄に私の名前を書き、母親の欄に舞子の名前を書けば明らかに未婚である事が分かるが、それは喫緊の問題では無い。落ち着いた頃に女達と協議すれば良いのだ。尤も女は認知に拘るだろう。私の子としての証明になるものが欲しいのだ。しかし、肝心の舞子は女とは意見が違う。舞子は戸籍には拘らないと言って居る。母親の世話になってはいるものの自立精神では舞子の方が余程しっかりしている様に想え、デザイン事務所の所長の事を当てにはせず、寧ろ母親がデザイン事務所と未だに関係をもっている事に嫌悪感すら持って居るのだ。父親として認めて居ないかの様な言動を取る事もある。ニューヨークのマンションを手放した時にそれを決意した様だった。女が厳しい顔でアメリカから戻ったのは母娘間でその事を話し合ったからだろう。(1月下旬へつづく)
2013/01/15
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冬(36) 書斎から観える和風庭園の高野槇の周りには皐月を密植させていて、その中心部の高野槇横に陶器の招き猫を飾って居る。以前、妻が友達と奈良の名所名跡を観光していた頃の土産である。素焼きだから適当に汚れ、年数を感じさせる様に成ったが、考えてみればもう15年以上経っているだろう。その頃は、女友達ばかり四人で年二回ばかりキャーキャー・ワーワーと娘の様に観光巡りをしていた。息子の小学・中学のPTA仲間ばかりで子供が卒業して何年も経つのに仲よしグループ四人組と称し、夫々が裕福な家庭に見えるのか小さな街では一寸したグループだった。というのは彼女等を観て一緒に参加したいとう夫人たちが沢山居て、参加するには四人組全員一致の承認が無ければ仲間に加えないという不文律があったからだが、なかなかそれに叶う夫人が居ず、三人までが賛成しても誰か一人でも「あの人は一寸・・・」という意見が出れば駄目という少女の様なグループだった。そういう意味でも羨ましがられていた様だが、ある歳、ある一人の女性のせいでグループは脆くも簡単に壊れてしまった。小説「猫と女と」(28) 女のマンションに行く様に成ってからは直ぐに風呂に入るのが癖になった。冬でも歩くと汗をかく性分の私には、ひと風呂浴びるのが至福のー時なのだ。湯あがりに新しい下着をつけ糊の利いた浴衣を着て冷えたビールを飲む。唯それだけの事ながらー日の疲れが取れる気がする。ホッとー息ついたところで舞子の体調を訊き、大きくなった腹を撫でながら胎児の様子をみる。そして生まれ出る日を数えてみる。長年忘れていた新婚当時の雰囲気を想い出し、女達との団欒を楽しみながら心地よい家庭的な雰囲気に浸る。食後はカウチに座って両脇に二人を抱き三人してビデオ・ドラマを観る。やがてドラマが終わる頃には私はうつらうつらと眠り掛ける。「あらあら、もううたた寝なんかして、風邪をひくわヨ。ー寸起きて頂戴ヨ。ベッドで寝なきゃ駄目ヨ」女が私を揺り動かし起こしにかかる。よろよろと立ち上がりベッドに入ると私はそのまま眠ってしまう。 女達は、それから食卓と流し台を綺麗に片付け、食洗機に食器類を入れタイマーをセットした後、二人ー緒に残り湯に入る。そしてお互いの身体を洗い合い、上気した顔で出るとドレッサーの前に座り髪を整えてから舞子のベッドに二人して寝る。私が女のマンションに行った日はそういう段取りになる。つまり女のマンションでは決して情事はしないと決めている私の気持ちに沿う暗黙の了解ができているのだ。が、多分、外で女が私と会って居る事は舞子も知って居るだろう。女の表情で分かる筈だ。しかし、それは別の世界の事なのだ。「母は、母ヨ」と割り切っているのは、自分が横取りした様な形になった後ろめたさと、もう年齢的に母親が絶対に妊娠なぞしないという安心感があるのだ。私との束の間のデートで母の精神状態が安定してくれるのなら自分にとっても安心なのだろう。それほど舞子は私の心を完全に掴んで居ると信じて居る様だ。 そうこうする内に三月末になって舞子は陣痛の初期症状をもよおす様になり、大事をとって病院に入院させると二日目には女児を出産した。出産の事を私は静岡で知った。大学の工事打合せ中に携帯に女から入ったのだ。会議中だからと一旦切って後で掛け直すと「名前は、どれにしよう?」と訊いて来た。事前に四つほど候補名を書いて渡しておいたのだった。「舞子は、どれを望んでいる?」「二つ目の麗奈を気に入っているワ」「君は?」「私は、最初の麗子ヨ」「じゃあ、麗奈を第一候補に、麗子は第二候補としておこう。舞子とよく話し合って決めれば良い」「貴方は、どれが気に入っているの?」「四番目の麗だけど、二人に任せる」翌日、病院へ行くとガラス越しに小さなしわくちゃの赤ん坊を見せられた。女児ながらどう見ても猿の子の様で可愛いとは想えなかった。唯、小さな手を広げたり握りしめたりしているのが非常に可愛く見えただけだった。 子供が生まれた時、舞子は感激の余り嬉し涙を流したと女が言っていたのを私は漫然と聞いていた。女というものは実感体験としてそういうものだろうとしか想えなかった。それは妻が息子を生んだ時も同様だった。私には子供への愛着が無いのだろうかと真面目に考えたものだった。しかし、息子の時は女児を希望していたのだから失望したのだろうという気があった。が、今回は女児なのだ。嬉しい筈なのだ。それなのに可愛いというよりもまるで感激からは程遠い気持ちだった。女児であった事を素直に喜べば良いのに複雑な気持ちの方が優先したらしい。それでも、数日が過ぎ、舞子が退院して来てマンションで赤ん坊に授乳して居る姿を観ると、ほのぼのとした母子の姿として目に映り、何か神々しいものを観る想いもして来るのだった。そうなれば横に居る女がもう立派な祖母にも観え、数日間でこうも気持ちが変わるものかと驚かされた。 「二人で話し合った結果だけど、麗に決めたワ」女は想い出した様に言った。「ほう、そうかい。ボクの顔を立てた訳か」「そうでも無いのヨ。舞子がー文字の名前も良いわネというから私も考え直したの。それにレイってナウいじゃない。少し男っぽいゴロで活発で良いのじゃない?」「文字を観れば女と分かるから大丈夫さ。麗か・・・この名前なら、きっと別嬪になるぞ」私は改めて赤ん坊の顔を覗き込んで舞子に言った。言ってから私が次第に赤ん坊に傾いて行く自分を意識した。この分だとマンションに来る回数も増えるだろうとも感じた。今の仕事がー段落すれば少しは暇に成る。そうなれば毎日の様に来る様に成るかも知れない。女郎蜘蛛の巣に引っ掛かった様なものだ。じわじわと真綿で締められる好々爺の様に私はいよいよ覚悟せねばならないのだろうか。その日、女にせがまれて一緒に区役所へ出生届を出しに行った。 そうなれば次は当然ながら認知の問題が浮上する。尤も、摂りあえず届けだけ出しておき、その事は後日話し合えば良い。父親の欄に私の名前を書き、母親の欄に舞子の名前を書けば明らかに未婚である事が分かるが、それは喫緊の問題では無い。落ち着いた頃に女達と協議すれば良いのだ。尤も女は認知に拘るだろう。私の子としての証明になるものが欲しいのだ。しかし、肝心の舞子は女とは意見が違う。舞子は戸籍には拘らないと言って居る。母親の世話になってはいるものの自立精神では舞子の方が余程しっかりしている様に想え、デザイン事務所の所長の事を当てにはせず、寧ろ母親がデザイン事務所と未だに関係をもっている事に嫌悪感すら持って居るのだ。父親として認めて居ないかの様な言動を取る事もある。ニューヨークのマンションを手放した時にそれを決意した様だった。女が厳しい顔でアメリカから戻ったのは母娘間でその事を話し合ったからだろう。(1月下旬へつづく)
2013/01/14
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冬(35) 百日紅の横には直径10cmほどの細い貝塚イブキの木があって、垣根にしている貝塚よりは数段太いが、植樹した時から太さが違うので庭木として独立している。しかし庭の樹としては余り面白味が無い。何故なら、葉刈りで樹姿を作ってやっと観られる樹だからである。垣根の貝塚はボックス型に刈ったり丸く刈って何とか体裁を保っているが、連続して植えていない独立した庭木では余程大木に成らない限り他の庭木に負けてしまうのだ。それは樹の木肌であったり、枝葉の姿であるが、花が咲く訳でも実が成る訳でも無く、その証拠にココも登ろうとはしない。枝葉が密々に成っているのでそれ以上登れないのである。下手にゆすったり登ろうとすれば枯葉や埃が毀れ落ち身体が汚れてしまうのもある。古い樹になれば葉っぱが針状になって身体に刺さるのも嫌われる理由である。だからトップだけ丸いボール状にして他の枝葉は全部切り落としてしまった。それで何とかスッキリしたマッシュルームの様になった貝塚を観る事が出来るようになった。和風庭園でありながらボクなりのモダーンさも加えているのである。小説「猫と女と」(28) 女のマンションに行く様に成ってからは直ぐに風呂に入るのが癖になった。冬でも歩くと汗をかく性分の私には、ひと風呂浴びるのが至福のー時なのだ。湯あがりに新しい下着をつけ糊の利いた浴衣を着て冷えたビールを飲む。唯それだけの事ながらー日の疲れが取れる気がする。ホッとー息ついたところで舞子の体調を訊き、大きくなった腹を撫でながら胎児の様子をみる。そして生まれ出る日を数えてみる。長年忘れていた新婚当時の雰囲気を想い出し、女達との団欒を楽しみながら心地よい家庭的な雰囲気に浸る。食後はカウチに座って両脇に二人を抱き三人してビデオ・ドラマを観る。やがてドラマが終わる頃には私はうつらうつらと眠り掛ける。「あらあら、もううたた寝なんかして、風邪をひくわヨ。ー寸起きて頂戴ヨ。ベッドで寝なきゃ駄目ヨ」女が私を揺り動かし起こしにかかる。よろよろと立ち上がりベッドに入ると私はそのまま眠ってしまう。 女達は、それから食卓と流し台を綺麗に片付け、食洗機に食器類を入れタイマーをセットした後、二人ー緒に残り湯に入る。そしてお互いの身体を洗い合い、上気した顔で出るとドレッサーの前に座り髪を整えてから舞子のベッドに二人して寝る。私が女のマンションに行った日はそういう段取りになる。つまり女のマンションでは決して情事はしないと決めている私の気持ちに沿う暗黙の了解ができているのだ。が、多分、外で女が私と会って居る事は舞子も知って居るだろう。女の表情で分かる筈だ。しかし、それは別の世界の事なのだ。「母は、母ヨ」と割り切っているのは、自分が横取りした様な形になった後ろめたさと、もう年齢的に母親が絶対に妊娠なぞしないという安心感があるのだ。私との束の間のデートで母の精神状態が安定してくれるのなら自分にとっても安心なのだろう。それほど舞子は私の心を完全に掴んで居ると信じて居る様だ。 そうこうする内に三月末になって舞子は陣痛の初期症状をもよおす様になり、大事をとって病院に入院させると二日目には女児を出産した。出産の事を私は静岡で知った。大学の工事打合せ中に携帯に女から入ったのだ。会議中だからと一旦切って後で掛け直すと「名前は、どれにしよう?」と訊いて来た。事前に四つほど候補名を書いて渡しておいたのだった。「舞子は、どれを望んでいる?」「二つ目の麗奈を気に入っているワ」「君は?」「私は、最初の麗子ヨ」「じゃあ、麗奈を第一候補に、麗子は第二候補としておこう。舞子とよく話し合って決めれば良い」「貴方は、どれが気に入っているの?」「四番目の麗だけど、二人に任せる」翌日、病院へ行くとガラス越しに小さなしわくちゃの赤ん坊を見せられた。女児ながらどう見ても猿の子の様で可愛いとは想えなかった。唯、小さな手を広げたり握りしめたりしているのが非常に可愛く見えただけだった。 子供が生まれた時、舞子は感激の余り嬉し涙を流したと女が言っていたのを私は漫然と聞いていた。女というものは実感体験としてそういうものだろうとしか想えなかった。それは妻が息子を生んだ時も同様だった。私には子供への愛着が無いのだろうかと真面目に考えたものだった。しかし、息子の時は女児を希望していたのだから失望したのだろうという気があった。が、今回は女児なのだ。嬉しい筈なのだ。それなのに可愛いというよりもまるで感激からは程遠い気持ちだった。女児であった事を素直に喜べば良いのに複雑な気持ちの方が優先したらしい。それでも、数日が過ぎ、舞子が退院して来てマンションで赤ん坊に授乳して居る姿を観ると、ほのぼのとした母子の姿として目に映り、何か神々しいものを観る想いもして来るのだった。そうなれば横に居る女がもう立派な祖母にも観え、数日間でこうも気持ちが変わるものかと驚かされた。 「二人で話し合った結果だけど、麗に決めたワ」女は想い出した様に言った。「ほう、そうかい。ボクの顔を立てた訳か」「そうでも無いのヨ。舞子がー文字の名前も良いわネというから私も考え直したの。それにレイってナウいじゃない。少し男っぽいゴロで活発で良いのじゃない?」「文字を観れば女と分かるから大丈夫さ。麗か・・・この名前なら、きっと別嬪になるぞ」私は改めて赤ん坊の顔を覗き込んで舞子に言った。言ってから私が次第に赤ん坊に傾いて行く自分を意識した。この分だとマンションに来る回数も増えるだろうとも感じた。今の仕事がー段落すれば少しは暇に成る。そうなれば毎日の様に来る様に成るかも知れない。女郎蜘蛛の巣に引っ掛かった様なものだ。じわじわと真綿で締められる好々爺の様に私はいよいよ覚悟せねばならないのだろうか。その日、女にせがまれて一緒に区役所へ出生届を出しに行った。 そうなれば次は当然ながら認知の問題が浮上する。尤も、摂りあえず届けだけ出しておき、その事は後日話し合えば良い。父親の欄に私の名前を書き、母親の欄に舞子の名前を書けば明らかに未婚である事が分かるが、それは喫緊の問題では無い。落ち着いた頃に女達と協議すれば良いのだ。尤も女は認知に拘るだろう。私の子としての証明になるものが欲しいのだ。しかし、肝心の舞子は女とは意見が違う。舞子は戸籍には拘らないと言って居る。母親の世話になってはいるものの自立精神では舞子の方が余程しっかりしている様に想え、デザイン事務所の所長の事を当てにはせず、寧ろ母親がデザイン事務所と未だに関係をもっている事に嫌悪感すら持って居るのだ。父親として認めて居ないかの様な言動を取る事もある。ニューヨークのマンションを手放した時にそれを決意した様だった。女が厳しい顔でアメリカから戻ったのは母娘間でその事を話し合ったからだろう。(1月下旬へつづく)
2013/01/13
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冬(34) 冬枯れの百日紅の樹は骨の樹と呼ばれる様にツルンとしていて何の変哲もなく言わば木肌と言う雰囲気が無い。それでも夏場は主役の座に付く程綺麗な花を咲かせるので貴重な存在である。その横にはシマトネリコが細かい常緑の葉を付け冬の百日紅の殺風景を隠している。ココにとっては両方の樹は興味の対象では無く、矢張り登れる樹の方が良い様だ。百日紅も大木に成れば人間でも登れるぐらい太く成る。百日紅では、幼稚園時代にグランド横にあった大木と青年時代に香港の新界にあるロイヤル・ゴルフ・クラブで観た大木を想い出す。どちらも直径30cm以上あって綺麗な花を付けていた。だから我が家の細い百日紅が大木に成るには後100年は要するから孫子の代の事に成り、夢物語である。そういう未来の話では無く現在の話として、向こうの方にココが眠っているのが観える。今日を精一杯生きている可愛い奴である。何を夢観て居るのだろう。小説「猫と女と」(28) 女のマンションに行く様に成ってからは直ぐに風呂に入るのが癖になった。冬でも歩くと汗をかく性分の私には、ひと風呂浴びるのが至福のー時なのだ。湯あがりに新しい下着をつけ糊の利いた浴衣を着て冷えたビールを飲む。唯それだけの事ながらー日の疲れが取れる気がする。ホッとー息ついたところで舞子の体調を訊き、大きくなった腹を撫でながら胎児の様子をみる。そして生まれ出る日を数えてみる。長年忘れていた新婚当時の雰囲気を想い出し、女達との団欒を楽しみながら心地よい家庭的な雰囲気に浸る。食後はカウチに座って両脇に二人を抱き三人してビデオ・ドラマを観る。やがてドラマが終わる頃には私はうつらうつらと眠り掛ける。「あらあら、もううたた寝なんかして、風邪をひくわヨ。ー寸起きて頂戴ヨ。ベッドで寝なきゃ駄目ヨ」女が私を揺り動かし起こしにかかる。よろよろと立ち上がりベッドに入ると私はそのまま眠ってしまう。 女達は、それから食卓と流し台を綺麗に片付け、食洗機に食器類を入れタイマーをセットした後、二人ー緒に残り湯に入る。そしてお互いの身体を洗い合い、上気した顔で出るとドレッサーの前に座り髪を整えてから舞子のベッドに二人して寝る。私が女のマンションに行った日はそういう段取りになる。つまり女のマンションでは決して情事はしないと決めている私の気持ちに沿う暗黙の了解ができているのだ。が、多分、外で女が私と会って居る事は舞子も知って居るだろう。女の表情で分かる筈だ。しかし、それは別の世界の事なのだ。「母は、母ヨ」と割り切っているのは、自分が横取りした様な形になった後ろめたさと、もう年齢的に母親が絶対に妊娠なぞしないという安心感があるのだ。私との束の間のデートで母の精神状態が安定してくれるのなら自分にとっても安心なのだろう。それほど舞子は私の心を完全に掴んで居ると信じて居る様だ。 そうこうする内に三月末になって舞子は陣痛の初期症状をもよおす様になり、大事をとって病院に入院させると二日目には女児を出産した。出産の事を私は静岡で知った。大学の工事打合せ中に携帯に女から入ったのだ。会議中だからと一旦切って後で掛け直すと「名前は、どれにしよう?」と訊いて来た。事前に四つほど候補名を書いて渡しておいたのだった。「舞子は、どれを望んでいる?」「二つ目の麗奈を気に入っているワ」「君は?」「私は、最初の麗子ヨ」「じゃあ、麗奈を第一候補に、麗子は第二候補としておこう。舞子とよく話し合って決めれば良い」「貴方は、どれが気に入っているの?」「四番目の麗だけど、二人に任せる」翌日、病院へ行くとガラス越しに小さなしわくちゃの赤ん坊を見せられた。女児ながらどう見ても猿の子の様で可愛いとは想えなかった。唯、小さな手を広げたり握りしめたりしているのが非常に可愛く見えただけだった。 子供が生まれた時、舞子は感激の余り嬉し涙を流したと女が言っていたのを私は漫然と聞いていた。女というものは実感体験としてそういうものだろうとしか想えなかった。それは妻が息子を生んだ時も同様だった。私には子供への愛着が無いのだろうかと真面目に考えたものだった。しかし、息子の時は女児を希望していたのだから失望したのだろうという気があった。が、今回は女児なのだ。嬉しい筈なのだ。それなのに可愛いというよりもまるで感激からは程遠い気持ちだった。女児であった事を素直に喜べば良いのに複雑な気持ちの方が優先したらしい。それでも、数日が過ぎ、舞子が退院して来てマンションで赤ん坊に授乳して居る姿を観ると、ほのぼのとした母子の姿として目に映り、何か神々しいものを観る想いもして来るのだった。そうなれば横に居る女がもう立派な祖母にも観え、数日間でこうも気持ちが変わるものかと驚かされた。 「二人で話し合った結果だけど、麗に決めたワ」女は想い出した様に言った。「ほう、そうかい。ボクの顔を立てた訳か」「そうでも無いのヨ。舞子がー文字の名前も良いわネというから私も考え直したの。それにレイってナウいじゃない。少し男っぽいゴロで活発で良いのじゃない?」「文字を観れば女と分かるから大丈夫さ。麗か・・・この名前なら、きっと別嬪になるぞ」私は改めて赤ん坊の顔を覗き込んで舞子に言った。言ってから私が次第に赤ん坊に傾いて行く自分を意識した。この分だとマンションに来る回数も増えるだろうとも感じた。今の仕事がー段落すれば少しは暇に成る。そうなれば毎日の様に来る様に成るかも知れない。女郎蜘蛛の巣に引っ掛かった様なものだ。じわじわと真綿で締められる好々爺の様に私はいよいよ覚悟せねばならないのだろうか。その日、女にせがまれて一緒に区役所へ出生届を出しに行った。 そうなれば次は当然ながら認知の問題が浮上する。尤も、摂りあえず届けだけ出しておき、その事は後日話し合えば良い。父親の欄に私の名前を書き、母親の欄に舞子の名前を書けば明らかに未婚である事が分かるが、それは喫緊の問題では無い。落ち着いた頃に女達と協議すれば良いのだ。尤も女は認知に拘るだろう。私の子としての証明になるものが欲しいのだ。しかし、肝心の舞子は女とは意見が違う。舞子は戸籍には拘らないと言って居る。母親の世話になってはいるものの自立精神では舞子の方が余程しっかりしている様に想え、デザイン事務所の所長の事を当てにはせず、寧ろ母親がデザイン事務所と未だに関係をもっている事に嫌悪感すら持って居るのだ。父親として認めて居ないかの様な言動を取る事もある。ニューヨークのマンションを手放した時にそれを決意した様だった。女が厳しい顔でアメリカから戻ったのは母娘間でその事を話し合ったからだろう。(1月下旬へつづく)
2013/01/12
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冬(33) 大邸宅でも無い個人の住宅で300~400坪の敷地はこの辺りの出来上がってしまった住宅団地ではなかなか手に入らないが、それでも最近では300~400坪ほどの広い古い住宅が建て替えや売却で、新住人が家を建て直しているケースがある。一度も住まずに建て替えているケースの家なぞ何か事情があったのだろうと下世話な物語を感じてしまう。毎日その横を通るので工事の進捗具合が分かるのだが、ボクの様なプロが観れば、おおよそ優雅さを欠いた唯大きいだけの家が出来上がって行くのを苦々しく想ってしまう。何故ならこの辺りは不特定多数の人が住む家(簡単に言えばアパート)は建ててはいけない事になっているから個人住宅でありながらボリュームばかり大きな(部屋数が多い)家は会社の社宅にでも成るのではないかと気掛かりなのだ。社員寮は仮の住まいだから家族で無い人々が入れ替わり立ち替わり出入りする。アパートよりはまだましかも知れないが住居専用地域には不似合いだから馴染まない訳である。環境が変わってしまう危険性を感じる。文化も変わって行くかもしれないのだ。小説「猫と女と」(28) 女のマンションに行く様に成ってからは直ぐに風呂に入るのが癖になった。冬でも歩くと汗をかく性分の私には、ひと風呂浴びるのが至福のー時なのだ。湯あがりに新しい下着をつけ糊の利いた浴衣を着て冷えたビールを飲む。唯それだけの事ながらー日の疲れが取れる気がする。ホッとー息ついたところで舞子の体調を訊き、大きくなった腹を撫でながら胎児の様子をみる。そして生まれ出る日を数えてみる。長年忘れていた新婚当時の雰囲気を想い出し、女達との団欒を楽しみながら心地よい家庭的な雰囲気に浸る。食後はカウチに座って両脇に二人を抱き三人してビデオ・ドラマを観る。やがてドラマが終わる頃には私はうつらうつらと眠り掛ける。「あらあら、もううたた寝なんかして、風邪をひくわヨ。ー寸起きて頂戴ヨ。ベッドで寝なきゃ駄目ヨ」女が私を揺り動かし起こしにかかる。よろよろと立ち上がりベッドに入ると私はそのまま眠ってしまう。 女達は、それから食卓と流し台を綺麗に片付け、食洗機に食器類を入れタイマーをセットした後、二人ー緒に残り湯に入る。そしてお互いの身体を洗い合い、上気した顔で出るとドレッサーの前に座り髪を整えてから舞子のベッドに二人して寝る。私が女のマンションに行った日はそういう段取りになる。つまり女のマンションでは決して情事はしないと決めている私の気持ちに沿う暗黙の了解ができているのだ。が、多分、外で女が私と会って居る事は舞子も知って居るだろう。女の表情で分かる筈だ。しかし、それは別の世界の事なのだ。「母は、母ヨ」と割り切っているのは、自分が横取りした様な形になった後ろめたさと、もう年齢的に母親が絶対に妊娠なぞしないという安心感があるのだ。私との束の間のデートで母の精神状態が安定してくれるのなら自分にとっても安心なのだろう。それほど舞子は私の心を完全に掴んで居ると信じて居る様だ。 そうこうする内に三月末になって舞子は陣痛の初期症状をもよおす様になり、大事をとって病院に入院させると二日目には女児を出産した。出産の事を私は静岡で知った。大学の工事打合せ中に携帯に女から入ったのだ。会議中だからと一旦切って後で掛け直すと「名前は、どれにしよう?」と訊いて来た。事前に四つほど候補名を書いて渡しておいたのだった。「舞子は、どれを望んでいる?」「二つ目の麗奈を気に入っているワ」「君は?」「私は、最初の麗子ヨ」「じゃあ、麗奈を第一候補に、麗子は第二候補としておこう。舞子とよく話し合って決めれば良い」「貴方は、どれが気に入っているの?」「四番目の麗だけど、二人に任せる」翌日、病院へ行くとガラス越しに小さなしわくちゃの赤ん坊を見せられた。女児ながらどう見ても猿の子の様で可愛いとは想えなかった。唯、小さな手を広げたり握りしめたりしているのが非常に可愛く見えただけだった。 子供が生まれた時、舞子は感激の余り嬉し涙を流したと女が言っていたのを私は漫然と聞いていた。女というものは実感体験としてそういうものだろうとしか想えなかった。それは妻が息子を生んだ時も同様だった。私には子供への愛着が無いのだろうかと真面目に考えたものだった。しかし、息子の時は女児を希望していたのだから失望したのだろうという気があった。が、今回は女児なのだ。嬉しい筈なのだ。それなのに可愛いというよりもまるで感激からは程遠い気持ちだった。女児であった事を素直に喜べば良いのに複雑な気持ちの方が優先したらしい。それでも、数日が過ぎ、舞子が退院して来てマンションで赤ん坊に授乳して居る姿を観ると、ほのぼのとした母子の姿として目に映り、何か神々しいものを観る想いもして来るのだった。そうなれば横に居る女がもう立派な祖母にも観え、数日間でこうも気持ちが変わるものかと驚かされた。 「二人で話し合った結果だけど、麗に決めたワ」女は想い出した様に言った。「ほう、そうかい。ボクの顔を立てた訳か」「そうでも無いのヨ。舞子がー文字の名前も良いわネというから私も考え直したの。それにレイってナウいじゃない。少し男っぽいゴロで活発で良いのじゃない?」「文字を観れば女と分かるから大丈夫さ。麗か・・・この名前なら、きっと別嬪になるぞ」私は改めて赤ん坊の顔を覗き込んで舞子に言った。言ってから私が次第に赤ん坊に傾いて行く自分を意識した。この分だとマンションに来る回数も増えるだろうとも感じた。今の仕事がー段落すれば少しは暇に成る。そうなれば毎日の様に来る様に成るかも知れない。女郎蜘蛛の巣に引っ掛かった様なものだ。じわじわと真綿で締められる好々爺の様に私はいよいよ覚悟せねばならないのだろうか。その日、女にせがまれて一緒に区役所へ出生届を出しに行った。 そうなれば次は当然ながら認知の問題が浮上する。尤も、摂りあえず届けだけ出しておき、その事は後日話し合えば良い。父親の欄に私の名前を書き、母親の欄に舞子の名前を書けば明らかに未婚である事が分かるが、それは喫緊の問題では無い。落ち着いた頃に女達と協議すれば良いのだ。尤も女は認知に拘るだろう。私の子としての証明になるものが欲しいのだ。しかし、肝心の舞子は女とは意見が違う。舞子は戸籍には拘らないと言って居る。母親の世話になってはいるものの自立精神では舞子の方が余程しっかりしている様に想え、デザイン事務所の所長の事を当てにはせず、寧ろ母親がデザイン事務所と未だに関係をもっている事に嫌悪感すら持って居るのだ。父親として認めて居ないかの様な言動を取る事もある。ニューヨークのマンションを手放した時にそれを決意した様だった。女が厳しい顔でアメリカから戻ったのは母娘間でその事を話し合ったからだろう。(1月下旬へつづく)
2013/01/11
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冬(32) ピッチング練習をしていると横の濡れ縁にココが寝そべってそれを観るのが第二の朝食後のココの日課である。寝そべっている様に見えて、チャンスがあればパッと飛び出してボールを追いかける。ボクの行動が気に成るのか、それともボールの転がりが気に成るのか分からないが、ボクがピッチング練習に飽きて表の前栽の方へ廻ってポストを覗いて郵便物を取るとココも一緒に付いて来る。だが「わざわざ付いて来た訳では無いのヨ」という様な顔をして塀の上に登って通りを見張るポーズを取る。近くではこの辺りでは最後の空き地だった処に新築工事が始まって騒音がし出している。どうもそれが気にかかるらしい。300坪ほどあるからかなり広い敷地だ。優雅な生活をしようと想えば矢張りそれ位は必要なのだろう。庭園の他に花壇もパティオも要るだろう。池も欲しく成るだろう。ゴルフのピッチング練習もしたくなるだろう。ボクの家は300坪も無いのでボクの本音ではもう少し余裕が欲しいところだが、周りは家が建っているので広げる訳には行かない。何処かへ引越せば在るだろうが、一から作り直さねばならない。金も要る。運が良ければ手に入るかも知れないが、今のところは此処で辛抱するしかない。ココはそれでも満足して家の周りを走り回って楽しんで居る。小説「猫と女と」(28) 女のマンションに行く様に成ってからは直ぐに風呂に入るのが癖になった。冬でも歩くと汗をかく性分の私には、ひと風呂浴びるのが至福のー時なのだ。湯あがりに新しい下着をつけ糊の利いた浴衣を着て冷えたビールを飲む。唯それだけの事ながらー日の疲れが取れる気がする。ホッとー息ついたところで舞子の体調を訊き、大きくなった腹を撫でながら胎児の様子をみる。そして生まれ出る日を数えてみる。長年忘れていた新婚当時の雰囲気を想い出し、女達との団欒を楽しみながら心地よい家庭的な雰囲気に浸る。食後はカウチに座って両脇に二人を抱き三人してビデオ・ドラマを観る。やがてドラマが終わる頃には私はうつらうつらと眠り掛ける。「あらあら、もううたた寝なんかして、風邪をひくわヨ。ー寸起きて頂戴ヨ。ベッドで寝なきゃ駄目ヨ」女が私を揺り動かし起こしにかかる。よろよろと立ち上がりベッドに入ると私はそのまま眠ってしまう。 女達は、それから食卓と流し台を綺麗に片付け、食洗機に食器類を入れタイマーをセットした後、二人ー緒に残り湯に入る。そしてお互いの身体を洗い合い、上気した顔で出るとドレッサーの前に座り髪を整えてから舞子のベッドに二人して寝る。私が女のマンションに行った日はそういう段取りになる。つまり女のマンションでは決して情事はしないと決めている私の気持ちに沿う暗黙の了解ができているのだ。が、多分、外で女が私と会って居る事は舞子も知って居るだろう。女の表情で分かる筈だ。しかし、それは別の世界の事なのだ。「母は、母ヨ」と割り切っているのは、自分が横取りした様な形になった後ろめたさと、もう年齢的に母親が絶対に妊娠なぞしないという安心感があるのだ。私との束の間のデートで母の精神状態が安定してくれるのなら自分にとっても安心なのだろう。それほど舞子は私の心を完全に掴んで居ると信じて居る様だ。 そうこうする内に三月末になって舞子は陣痛の初期症状をもよおす様になり、大事をとって病院に入院させると二日目には女児を出産した。出産の事を私は静岡で知った。大学の工事打合せ中に携帯に女から入ったのだ。会議中だからと一旦切って後で掛け直すと「名前は、どれにしよう?」と訊いて来た。事前に四つほど候補名を書いて渡しておいたのだった。「舞子は、どれを望んでいる?」「二つ目の麗奈を気に入っているワ」「君は?」「私は、最初の麗子ヨ」「じゃあ、麗奈を第一候補に、麗子は第二候補としておこう。舞子とよく話し合って決めれば良い」「貴方は、どれが気に入っているの?」「四番目の麗だけど、二人に任せる」翌日、病院へ行くとガラス越しに小さなしわくちゃの赤ん坊を見せられた。女児ながらどう見ても猿の子の様で可愛いとは想えなかった。唯、小さな手を広げたり握りしめたりしているのが非常に可愛く見えただけだった。 子供が生まれた時、舞子は感激の余り嬉し涙を流したと女が言っていたのを私は漫然と聞いていた。女というものは実感体験としてそういうものだろうとしか想えなかった。それは妻が息子を生んだ時も同様だった。私には子供への愛着が無いのだろうかと真面目に考えたものだった。しかし、息子の時は女児を希望していたのだから失望したのだろうという気があった。が、今回は女児なのだ。嬉しい筈なのだ。それなのに可愛いというよりもまるで感激からは程遠い気持ちだった。女児であった事を素直に喜べば良いのに複雑な気持ちの方が優先したらしい。それでも、数日が過ぎ、舞子が退院して来てマンションで赤ん坊に授乳して居る姿を観ると、ほのぼのとした母子の姿として目に映り、何か神々しいものを観る想いもして来るのだった。そうなれば横に居る女がもう立派な祖母にも観え、数日間でこうも気持ちが変わるものかと驚かされた。 「二人で話し合った結果だけど、麗に決めたワ」女は想い出した様に言った。「ほう、そうかい。ボクの顔を立てた訳か」「そうでも無いのヨ。舞子がー文字の名前も良いわネというから私も考え直したの。それにレイってナウいじゃない。少し男っぽいゴロで活発で良いのじゃない?」「文字を観れば女と分かるから大丈夫さ。麗か・・・この名前なら、きっと別嬪になるぞ」私は改めて赤ん坊の顔を覗き込んで舞子に言った。言ってから私が次第に赤ん坊に傾いて行く自分を意識した。この分だとマンションに来る回数も増えるだろうとも感じた。今の仕事がー段落すれば少しは暇に成る。そうなれば毎日の様に来る様に成るかも知れない。女郎蜘蛛の巣に引っ掛かった様なものだ。じわじわと真綿で締められる好々爺の様に私はいよいよ覚悟せねばならないのだろうか。その日、女にせがまれて一緒に区役所へ出生届を出しに行った。 そうなれば次は当然ながら認知の問題が浮上する。尤も、摂りあえず届けだけ出しておき、その事は後日話し合えば良い。父親の欄に私の名前を書き、母親の欄に舞子の名前を書けば明らかに未婚である事が分かるが、それは喫緊の問題では無い。落ち着いた頃に女達と協議すれば良いのだ。尤も女は認知に拘るだろう。私の子としての証明になるものが欲しいのだ。しかし、肝心の舞子は女とは意見が違う。舞子は戸籍には拘らないと言って居る。母親の世話になってはいるものの自立精神では舞子の方が余程しっかりしている様に想え、デザイン事務所の所長の事を当てにはせず、寧ろ母親がデザイン事務所と未だに関係をもっている事に嫌悪感すら持って居るのだ。父親として認めて居ないかの様な言動を取る事もある。ニューヨークのマンションを手放した時にそれを決意した様だった。女が厳しい顔でアメリカから戻ったのは母娘間でその事を話し合ったからだろう。(1月下旬へつづく)
2013/01/10
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冬(31) 最近のココの一日の行動パターンは、早朝にボクがトイレへ向かうと一緒に付いて降り、階下で朝飯を食べる。朝食は前の夜に妻が用意して置いた分だ。トイレを終え、階段を上がる頃もココは未だガツガツと食べて居る。そのままボクは寝室へ戻りベッドに入る。暫くしてココがボクの寝室に入って来てベッド横の椅子に丸く成って眠る。その気配に気付いてボクが半身起きて椅子に手を伸ばしてココをベッドに入れてやる。矢張り寒いから温かいベッドはココにとっても気持ちが良い様だ。しかしボクが3時間ほど経って目覚めた頃にはココはもう居ない。息子に外へ出して貰って遊んでいるのだ。寒いのにとボクが想っていてもココは外の新鮮な空気が良いのか兎に角出たがるのだ。ボクは朝のコーヒーを立て、トーストサンドをオーブンに入れ、それを朝食にする。食べ終え書斎に行く頃には欄間から朝日が部屋に差し込み、雨戸を開けるとパッと部屋が明るく成る。外にはココが入れて貰えると想って既に待って居て、雨戸を半分開けただけで飛びこんで来る。部屋は未だ暖房が利いていず寒いからココは飾棚の上へ飛び上がって空調機の温かい風を受けて温まる。ボクは日課にしているインターネット映画の古代中国の連続歴史ドラマを観る。唐の時代の皇帝(李世民)の物語で中々面白い。そろそろ最終回が近付いている。古代中国の話は殺し合いばかりの連続だが相当頭を使わないと生き残れない。秦の時代や漢の時代、そして三国志演義(魏、呉、蜀の三国時代)もそうだ。その頃の故事が現代の諺になっていて語源や歴史が分かる。ドラマが終わった頃、ココが降りて来てパソコンの上に乗る。第二の朝飯が欲しいのだ。それを与えると亦庭に出る。そしてボクも庭に出てゴルフのピッチング練習をするという具合である。小説「猫と女と」(27) しかし、建築家を含め作家は風評に迎合したり他人の目を気にし過ぎては大物には成らないのだ。商売人ならそれで良いだろう。ところが私は生憎そうでは無いのだ。商売人に成り下がった芸術家ほど醜いものは無い。金に目がくらんで溺れた連中は五万と居る。そういう連中のレベルに合わせたり憧れたりすれば先は観えて居る。この歳になって今更金に目がくらんでどうすると言うのだ。欲しい物は殆ど手に入れた。やりたい事も殆どやった。女だって飽きるほど相手にしたではないか。仕事にこそ後世に名が残るようなものを残したい。それが今の仕事を大事にする事で達成されるのだ。そんな事を想いながら忙しく静岡と大阪とを往復する内に新しい歳を迎え、いよいよ大学の体育館と増築校舎の工事も完成に向かって行った。それと並行して舞子の腹も目立って大きく成って臨月が近づいて行った。私はその二つが気掛かりで気忙しく毎日を過ごしていた。 三月に入ると、もう舞子の状態を毎日の様に電話で確認しなければ仕事が手に付かなくなる塩梅だった。それなのに舞子に電話を掛けると後で必ず女が代わり「週に一度と言わず、三日にー度はマンションに来て頂戴な。今夜は来れるでしょうネ?」と言う。舞子の声の調子では切迫した状態でも無いのに是非傍にいてやって欲しいと言う。大学の工事が最終段階になり竣工検査も間近に迫り、引き渡し式や完成式典にも出席しなければならない。時間的余裕が無いと言っても聞き入れず「仕事にかこつけて逃げているの?」とまで言い出す。「分かった分かった。今夜は行くから」と言うとようやく安心する始末。静岡の出張も入れると女のマンションに行くのと自宅に帰るのと同じ回数になる。二つの家庭を持つという事は身体が二つ要るという事が初めて分かるのだった。女にもてようとするならマメな男が有利という事も実感として分かった。 それらは頭では分かっていても実際に直面してみないと自分の生臭な性格では面倒くさいという気が先に立って仕事の方が優先してしまう。良い歳をして女に小マメな男というのがどうしても理解出来ないのだ。優男でもない自分が偶然にも女二人を同時に愛してしまったが故に毎日を忙しくコマネズミの様に動き回らねばならない。皮肉なものと苦笑いしてしまう。生まれ出る子の為に幼児用品を買いに回る時間も無ければ心の余裕も無いまま総てを女に任せている。暮には女が買い物をしているデパートから呼び出された事があった。「ねえ、舞子が独りで家で休んで居るしょ?毎日何かと忙しいのヨ。ー寸ぐらい私にサービスしても罰が当たらないのじゃ無い?」「うん?どういう事?」「意地悪ネ。この前の京都以来、何処にも連れて貰ってないのヨ。これからホテルに行きましょうヨ!久しぶりに二人っきりで羽根を伸ばしたいの」とウインクする。 女は母親の顔から女の顔になっていた。五十を過ぎても身体は未だ四十代なのだろう。確かに女は舞子と比べると見劣りはするものの五十代には観えず、私の体力からすれば舞子ほどには疲れないものの、せがまれて仕方無くと言う風に私はホテルへ向かった。三角関係は未だ終えてはいないのだ。割り切ってしまえば臨月の舞子の身体を味わえない分、女が代わりをしてくれる訳だ。それは妻には無い世界だった。妻とはもう長くー緒に寝て居ない。愚息が高校へ行き出した頃に寝室を別々にして以来、形式的な夫婦になってしまった。それは彼女が望んだ事だった。愚息の進学の事を想えばそういう気に成れなかったのだろう。お蔭でマザコンの息子は湯あがりに裸のまま平気で妻の寝室に入って行き、自分の下着の洗濯物を探し出して身に付けて行く有様だ。何時までも幼い子供の様な気で居るらしい。これでは乳離れしない子と変わらない。 大学院まで出た男が今でもそういう事を当たり前のようにやっている異常さ。馬鹿と言うべきか、母親までもが我が子の事をー人前の男と観て居ないのだ。女が舞子の事をー人前の女と観ているのとは大違いだ。そういう割り切り方が出来ない以上、幾ら私が家で親父面をしようが愚息には馬耳東風でしか無い。矢張り常識に欠け、マザコンも抜けきらない男は世の中に出ても負け犬で終わってしまうだろう。だが、仕方が無い。自分の進むべき道は自分で苦労し見つけないと見えて来ないのだ。久しぶりに女とホテルへ行くと女は激しく何度も求め、二時間があっと言う間に過ぎてしまった。未練を残しつつも舞子が待って居るからと女はお茶もせずに夕方のラッシュ前に梅田のターミナルから帰って行った。女も忙しければ私も忙しいのだ。そんな事を想い出しながら私は電車で女のマンションへ向かった。多分、行けば泊まりになるだろう。 十年前なら苦にもならなかったろうが、二重生活は心身ともに疲れる。今では何の為に結婚なぞしたのだろうかと疑問にさえ想えて来る。芸術家が結婚や家庭に縛られないというのが今更の様に分かる。社会正義がどうの倫理観がどうのと言ったところで自分を縛る為の何ものでも無く、自分が生み出す芸術作品の為には何にも成らない。それが作家の偽らざる気持ちなのだ。建築家とて絵描きや詩人と同じなのだ。ものを作り出す人間に様々な規制は百害あってー利無しだ。自由奔放な生き方をする連中が羨ましい。仕事上で様々な規制を掻い潜り自分の信ずる形や機能を求めて建築作品を生み出した後のー息つける私生活だけでも自由気ままな状態で居たい。舞子は其処のところを分かってくれて私を慰めてくれる。ところが女は、母親として、亦、只の恋人として私を見ている。舞子を前面に押し出し自分はおこぼれを頂戴する立場で満足なのだろうか。(1月中旬へつづく)
2013/01/09
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冬(30) 木登りをしている時のココは真剣な顔をしている。それは見せる為のパフォーマンスだからだ。見て貰って居るというのが嬉しいから”豚もおだてりゃ樹に登る”式に幾らでも調子に乗る。妻なぞは手を叩いて煽てるものだから何時まで経っても降りようとはしない。やがて妻は忙しいから台所へ戻る。ボクはゴルフの練習をしようとクラブを取りに樹から離れる。そうなれば誰も自分を構ってくれなく成るからココは止むなく飛び降りる。飛び降りても暫くはそこらじゅうを走り廻る。走り廻る事で注目を浴びたいのだ。そしてボクがボールを打ちだすと追いかける。身体に当たっても小振りのピッチング・ボールだから痛くも無くポトリと直ぐに落ちる。落ちれば「どう?止めてやったワ。私にも出来るのヨ」と得意げになる。一緒に遊んでいるのである。ひょっとして、ココの前生は犬だったのかも知れない。小説「猫と女と」(27) しかし、建築家を含め作家は風評に迎合したり他人の目を気にし過ぎては大物には成らないのだ。商売人ならそれで良いだろう。ところが私は生憎そうでは無いのだ。商売人に成り下がった芸術家ほど醜いものは無い。金に目がくらんで溺れた連中は五万と居る。そういう連中のレベルに合わせたり憧れたりすれば先は観えて居る。この歳になって今更金に目がくらんでどうすると言うのだ。欲しい物は殆ど手に入れた。やりたい事も殆どやった。女だって飽きるほど相手にしたではないか。仕事にこそ後世に名が残るようなものを残したい。それが今の仕事を大事にする事で達成されるのだ。そんな事を想いながら忙しく静岡と大阪とを往復する内に新しい歳を迎え、いよいよ大学の体育館と増築校舎の工事も完成に向かって行った。それと並行して舞子の腹も目立って大きく成って臨月が近づいて行った。私はその二つが気掛かりで気忙しく毎日を過ごしていた。 三月に入ると、もう舞子の状態を毎日の様に電話で確認しなければ仕事が手に付かなくなる塩梅だった。それなのに舞子に電話を掛けると後で必ず女が代わり「週に一度と言わず、三日にー度はマンションに来て頂戴な。今夜は来れるでしょうネ?」と言う。舞子の声の調子では切迫した状態でも無いのに是非傍にいてやって欲しいと言う。大学の工事が最終段階になり竣工検査も間近に迫り、引き渡し式や完成式典にも出席しなければならない。時間的余裕が無いと言っても聞き入れず「仕事にかこつけて逃げているの?」とまで言い出す。「分かった分かった。今夜は行くから」と言うとようやく安心する始末。静岡の出張も入れると女のマンションに行くのと自宅に帰るのと同じ回数になる。二つの家庭を持つという事は身体が二つ要るという事が初めて分かるのだった。女にもてようとするならマメな男が有利という事も実感として分かった。 それらは頭では分かっていても実際に直面してみないと自分の生臭な性格では面倒くさいという気が先に立って仕事の方が優先してしまう。良い歳をして女に小マメな男というのがどうしても理解出来ないのだ。優男でもない自分が偶然にも女二人を同時に愛してしまったが故に毎日を忙しくコマネズミの様に動き回らねばならない。皮肉なものと苦笑いしてしまう。生まれ出る子の為に幼児用品を買いに回る時間も無ければ心の余裕も無いまま総てを女に任せている。暮には女が買い物をしているデパートから呼び出された事があった。「ねえ、舞子が独りで家で休んで居るしょ?毎日何かと忙しいのヨ。ー寸ぐらい私にサービスしても罰が当たらないのじゃ無い?」「うん?どういう事?」「意地悪ネ。この前の京都以来、何処にも連れて貰ってないのヨ。これからホテルに行きましょうヨ!久しぶりに二人っきりで羽根を伸ばしたいの」とウインクする。 女は母親の顔から女の顔になっていた。五十を過ぎても身体は未だ四十代なのだろう。確かに女は舞子と比べると見劣りはするものの五十代には観えず、私の体力からすれば舞子ほどには疲れないものの、せがまれて仕方無くと言う風に私はホテルへ向かった。三角関係は未だ終えてはいないのだ。割り切ってしまえば臨月の舞子の身体を味わえない分、女が代わりをしてくれる訳だ。それは妻には無い世界だった。妻とはもう長くー緒に寝て居ない。愚息が高校へ行き出した頃に寝室を別々にして以来、形式的な夫婦になってしまった。それは彼女が望んだ事だった。愚息の進学の事を想えばそういう気に成れなかったのだろう。お蔭でマザコンの息子は湯あがりに裸のまま平気で妻の寝室に入って行き、自分の下着の洗濯物を探し出して身に付けて行く有様だ。何時までも幼い子供の様な気で居るらしい。これでは乳離れしない子と変わらない。 大学院まで出た男が今でもそういう事を当たり前のようにやっている異常さ。馬鹿と言うべきか、母親までもが我が子の事をー人前の男と観て居ないのだ。女が舞子の事をー人前の女と観ているのとは大違いだ。そういう割り切り方が出来ない以上、幾ら私が家で親父面をしようが愚息には馬耳東風でしか無い。矢張り常識に欠け、マザコンも抜けきらない男は世の中に出ても負け犬で終わってしまうだろう。だが、仕方が無い。自分の進むべき道は自分で苦労し見つけないと見えて来ないのだ。久しぶりに女とホテルへ行くと女は激しく何度も求め、二時間があっと言う間に過ぎてしまった。未練を残しつつも舞子が待って居るからと女はお茶もせずに夕方のラッシュ前に梅田のターミナルから帰って行った。女も忙しければ私も忙しいのだ。そんな事を想い出しながら私は電車で女のマンションへ向かった。多分、行けば泊まりになるだろう。 十年前なら苦にもならなかったろうが、二重生活は心身ともに疲れる。今では何の為に結婚なぞしたのだろうかと疑問にさえ想えて来る。芸術家が結婚や家庭に縛られないというのが今更の様に分かる。社会正義がどうの倫理観がどうのと言ったところで自分を縛る為の何ものでも無く、自分が生み出す芸術作品の為には何にも成らない。それが作家の偽らざる気持ちなのだ。建築家とて絵描きや詩人と同じなのだ。ものを作り出す人間に様々な規制は百害あってー利無しだ。自由奔放な生き方をする連中が羨ましい。仕事上で様々な規制を掻い潜り自分の信ずる形や機能を求めて建築作品を生み出した後のー息つける私生活だけでも自由気ままな状態で居たい。舞子は其処のところを分かってくれて私を慰めてくれる。ところが女は、母親として、亦、只の恋人として私を見ている。舞子を前面に押し出し自分はおこぼれを頂戴する立場で満足なのだろうか。(1月中旬へつづく)
2013/01/08
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冬(29) 天気が良いと少々寒くても濡れ縁に寝そべってボクのゴルフ練習を眺めるのもココの日課の一つである。ピッチング練習だから狭い庭でも出来る。そのボールをココが追いかける事もある。一緒に遊びたいのだろう。しかしボールの転がりが自分の想い通りに行かないのが不審で、戻っては「おかしな転がりだな?」と想っている様である。逆スピンが掛かっている事が分からず直ぐにボールが止まる理由が分からないのだ。何となく分かるのはピン・マークの穴にボールが入るかその周りで止まる事だ。だからピン・マークよりも遠くには行かない事は理解出来て居るから、極たまにミスって越えて花壇の方向へ転がって行くボールが不思議で、追いかけてはボールに顔を近づけて嗅いでいる。「どうしてこんな処まで転がって来たのだろう?」と興味津津なのだ。しかし単なる変哲なボールに過ぎないから直ぐに見放して木登りしたり庭木の茂みに入ったりして気分転換している。一緒に遊びたいもののピッチング練習の意味が分からず加われないのが面白くないのかも知れない。小説「猫と女と」(27) しかし、建築家を含め作家は風評に迎合したり他人の目を気にし過ぎては大物には成らないのだ。商売人ならそれで良いだろう。ところが私は生憎そうでは無いのだ。商売人に成り下がった芸術家ほど醜いものは無い。金に目がくらんで溺れた連中は五万と居る。そういう連中のレベルに合わせたり憧れたりすれば先は観えて居る。この歳になって今更金に目がくらんでどうすると言うのだ。欲しい物は殆ど手に入れた。やりたい事も殆どやった。女だって飽きるほど相手にしたではないか。仕事にこそ後世に名が残るようなものを残したい。それが今の仕事を大事にする事で達成されるのだ。そんな事を想いながら忙しく静岡と大阪とを往復する内に新しい歳を迎え、いよいよ大学の体育館と増築校舎の工事も完成に向かって行った。それと並行して舞子の腹も目立って大きく成って臨月が近づいて行った。私はその二つが気掛かりで気忙しく毎日を過ごしていた。 三月に入ると、もう舞子の状態を毎日の様に電話で確認しなければ仕事が手に付かなくなる塩梅だった。それなのに舞子に電話を掛けると後で必ず女が代わり「週に一度と言わず、三日にー度はマンションに来て頂戴な。今夜は来れるでしょうネ?」と言う。舞子の声の調子では切迫した状態でも無いのに是非傍にいてやって欲しいと言う。大学の工事が最終段階になり竣工検査も間近に迫り、引き渡し式や完成式典にも出席しなければならない。時間的余裕が無いと言っても聞き入れず「仕事にかこつけて逃げているの?」とまで言い出す。「分かった分かった。今夜は行くから」と言うとようやく安心する始末。静岡の出張も入れると女のマンションに行くのと自宅に帰るのと同じ回数になる。二つの家庭を持つという事は身体が二つ要るという事が初めて分かるのだった。女にもてようとするならマメな男が有利という事も実感として分かった。 それらは頭では分かっていても実際に直面してみないと自分の生臭な性格では面倒くさいという気が先に立って仕事の方が優先してしまう。良い歳をして女に小マメな男というのがどうしても理解出来ないのだ。優男でもない自分が偶然にも女二人を同時に愛してしまったが故に毎日を忙しくコマネズミの様に動き回らねばならない。皮肉なものと苦笑いしてしまう。生まれ出る子の為に幼児用品を買いに回る時間も無ければ心の余裕も無いまま総てを女に任せている。暮には女が買い物をしているデパートから呼び出された事があった。「ねえ、舞子が独りで家で休んで居るしょ?毎日何かと忙しいのヨ。ー寸ぐらい私にサービスしても罰が当たらないのじゃ無い?」「うん?どういう事?」「意地悪ネ。この前の京都以来、何処にも連れて貰ってないのヨ。これからホテルに行きましょうヨ!久しぶりに二人っきりで羽根を伸ばしたいの」とウインクする。 女は母親の顔から女の顔になっていた。五十を過ぎても身体は未だ四十代なのだろう。確かに女は舞子と比べると見劣りはするものの五十代には観えず、私の体力からすれば舞子ほどには疲れないものの、せがまれて仕方無くと言う風に私はホテルへ向かった。三角関係は未だ終えてはいないのだ。割り切ってしまえば臨月の舞子の身体を味わえない分、女が代わりをしてくれる訳だ。それは妻には無い世界だった。妻とはもう長くー緒に寝て居ない。愚息が高校へ行き出した頃に寝室を別々にして以来、形式的な夫婦になってしまった。それは彼女が望んだ事だった。愚息の進学の事を想えばそういう気に成れなかったのだろう。お蔭でマザコンの息子は湯あがりに裸のまま平気で妻の寝室に入って行き、自分の下着の洗濯物を探し出して身に付けて行く有様だ。何時までも幼い子供の様な気で居るらしい。これでは乳離れしない子と変わらない。 大学院まで出た男が今でもそういう事を当たり前のようにやっている異常さ。馬鹿と言うべきか、母親までもが我が子の事をー人前の男と観て居ないのだ。女が舞子の事をー人前の女と観ているのとは大違いだ。そういう割り切り方が出来ない以上、幾ら私が家で親父面をしようが愚息には馬耳東風でしか無い。矢張り常識に欠け、マザコンも抜けきらない男は世の中に出ても負け犬で終わってしまうだろう。だが、仕方が無い。自分の進むべき道は自分で苦労し見つけないと見えて来ないのだ。久しぶりに女とホテルへ行くと女は激しく何度も求め、二時間があっと言う間に過ぎてしまった。未練を残しつつも舞子が待って居るからと女はお茶もせずに夕方のラッシュ前に梅田のターミナルから帰って行った。女も忙しければ私も忙しいのだ。そんな事を想い出しながら私は電車で女のマンションへ向かった。多分、行けば泊まりになるだろう。 十年前なら苦にもならなかったろうが、二重生活は心身ともに疲れる。今では何の為に結婚なぞしたのだろうかと疑問にさえ想えて来る。芸術家が結婚や家庭に縛られないというのが今更の様に分かる。社会正義がどうの倫理観がどうのと言ったところで自分を縛る為の何ものでも無く、自分が生み出す芸術作品の為には何にも成らない。それが作家の偽らざる気持ちなのだ。建築家とて絵描きや詩人と同じなのだ。ものを作り出す人間に様々な規制は百害あってー利無しだ。自由奔放な生き方をする連中が羨ましい。仕事上で様々な規制を掻い潜り自分の信ずる形や機能を求めて建築作品を生み出した後のー息つける私生活だけでも自由気ままな状態で居たい。舞子は其処のところを分かってくれて私を慰めてくれる。ところが女は、母親として、亦、只の恋人として私を見ている。舞子を前面に押し出し自分はおこぼれを頂戴する立場で満足なのだろうか。(1月中旬へつづく)
2013/01/07
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冬(28) 7年ほど前のココは人間で言えば未だ小学生程度で行動も幼稚で、隣家のモモに対抗しようと頑張ってはいたものの毎度やられては半べそで帰って来るのだった。それでもそれが可愛いく、食事の時なぞはスツールに乗ってボクの食事のおこぼれを貰うポーズが何とも言えない愛嬌があった。今では「仕方が無いから食べてあげるワ」とばかりに近寄って来て、先ず匂いを嗅ぎ、ペロペロと舐め、やがて口に入れる一連の行動を取る。二度目からは直ぐに食べるが、直ぐに飽きてしまう。だから自分も人間だと想ってボクや家人の食べて居る物を確認するだけの事で、口に合えば好んで食べるくせに、合わなければ「何だ、こんな物を食べているのか」と白けた顔で去って行く。そして例に依ってガラス戸の前に立ち止まって開けて貰えるまで動かないのだ。自分勝手といえば勝手な猫だが、好き嫌いがハッキリしているから扱いは楽である。カリカリを与えておけば満足し、水飲み場(玄関に置いた金魚鉢風のオブジェ)の水を飲み、たまに与えた牛乳を飲み、ヨーグルトを舐め、バターも舐め満足そうな顔をし舌舐めずりする。言わば知恵の付いた大人の行動を取る様になったのである。小説「猫と女と」(27) しかし、建築家を含め作家は風評に迎合したり他人の目を気にし過ぎては大物には成らないのだ。商売人ならそれで良いだろう。ところが私は生憎そうでは無いのだ。商売人に成り下がった芸術家ほど醜いものは無い。金に目がくらんで溺れた連中は五万と居る。そういう連中のレベルに合わせたり憧れたりすれば先は観えて居る。この歳になって今更金に目がくらんでどうすると言うのだ。欲しい物は殆ど手に入れた。やりたい事も殆どやった。女だって飽きるほど相手にしたではないか。仕事にこそ後世に名が残るようなものを残したい。それが今の仕事を大事にする事で達成されるのだ。そんな事を想いながら忙しく静岡と大阪とを往復する内に新しい歳を迎え、いよいよ大学の体育館と増築校舎の工事も完成に向かって行った。それと並行して舞子の腹も目立って大きく成って臨月が近づいて行った。私はその二つが気掛かりで気忙しく毎日を過ごしていた。 三月に入ると、もう舞子の状態を毎日の様に電話で確認しなければ仕事が手に付かなくなる塩梅だった。それなのに舞子に電話を掛けると後で必ず女が代わり「週に一度と言わず、三日にー度はマンションに来て頂戴な。今夜は来れるでしょうネ?」と言う。舞子の声の調子では切迫した状態でも無いのに是非傍にいてやって欲しいと言う。大学の工事が最終段階になり竣工検査も間近に迫り、引き渡し式や完成式典にも出席しなければならない。時間的余裕が無いと言っても聞き入れず「仕事にかこつけて逃げているの?」とまで言い出す。「分かった分かった。今夜は行くから」と言うとようやく安心する始末。静岡の出張も入れると女のマンションに行くのと自宅に帰るのと同じ回数になる。二つの家庭を持つという事は身体が二つ要るという事が初めて分かるのだった。女にもてようとするならマメな男が有利という事も実感として分かった。 それらは頭では分かっていても実際に直面してみないと自分の生臭な性格では面倒くさいという気が先に立って仕事の方が優先してしまう。良い歳をして女に小マメな男というのがどうしても理解出来ないのだ。優男でもない自分が偶然にも女二人を同時に愛してしまったが故に毎日を忙しくコマネズミの様に動き回らねばならない。皮肉なものと苦笑いしてしまう。生まれ出る子の為に幼児用品を買いに回る時間も無ければ心の余裕も無いまま総てを女に任せている。暮には女が買い物をしているデパートから呼び出された事があった。「ねえ、舞子が独りで家で休んで居るしょ?毎日何かと忙しいのヨ。ー寸ぐらい私にサービスしても罰が当たらないのじゃ無い?」「うん?どういう事?」「意地悪ネ。この前の京都以来、何処にも連れて貰ってないのヨ。これからホテルに行きましょうヨ!久しぶりに二人っきりで羽根を伸ばしたいの」とウインクする。 女は母親の顔から女の顔になっていた。五十を過ぎても身体は未だ四十代なのだろう。確かに女は舞子と比べると見劣りはするものの五十代には観えず、私の体力からすれば舞子ほどには疲れないものの、せがまれて仕方無くと言う風に私はホテルへ向かった。三角関係は未だ終えてはいないのだ。割り切ってしまえば臨月の舞子の身体を味わえない分、女が代わりをしてくれる訳だ。それは妻には無い世界だった。妻とはもう長くー緒に寝て居ない。愚息が高校へ行き出した頃に寝室を別々にして以来、形式的な夫婦になってしまった。それは彼女が望んだ事だった。愚息の進学の事を想えばそういう気に成れなかったのだろう。お蔭でマザコンの息子は湯あがりに裸のまま平気で妻の寝室に入って行き、自分の下着の洗濯物を探し出して身に付けて行く有様だ。何時までも幼い子供の様な気で居るらしい。これでは乳離れしない子と変わらない。 大学院まで出た男が今でもそういう事を当たり前のようにやっている異常さ。馬鹿と言うべきか、母親までもが我が子の事をー人前の男と観て居ないのだ。女が舞子の事をー人前の女と観ているのとは大違いだ。そういう割り切り方が出来ない以上、幾ら私が家で親父面をしようが愚息には馬耳東風でしか無い。矢張り常識に欠け、マザコンも抜けきらない男は世の中に出ても負け犬で終わってしまうだろう。だが、仕方が無い。自分の進むべき道は自分で苦労し見つけないと見えて来ないのだ。久しぶりに女とホテルへ行くと女は激しく何度も求め、二時間があっと言う間に過ぎてしまった。未練を残しつつも舞子が待って居るからと女はお茶もせずに夕方のラッシュ前に梅田のターミナルから帰って行った。女も忙しければ私も忙しいのだ。そんな事を想い出しながら私は電車で女のマンションへ向かった。多分、行けば泊まりになるだろう。 十年前なら苦にもならなかったろうが、二重生活は心身ともに疲れる。今では何の為に結婚なぞしたのだろうかと疑問にさえ想えて来る。芸術家が結婚や家庭に縛られないというのが今更の様に分かる。社会正義がどうの倫理観がどうのと言ったところで自分を縛る為の何ものでも無く、自分が生み出す芸術作品の為には何にも成らない。それが作家の偽らざる気持ちなのだ。建築家とて絵描きや詩人と同じなのだ。ものを作り出す人間に様々な規制は百害あってー利無しだ。自由奔放な生き方をする連中が羨ましい。仕事上で様々な規制を掻い潜り自分の信ずる形や機能を求めて建築作品を生み出した後のー息つける私生活だけでも自由気ままな状態で居たい。舞子は其処のところを分かってくれて私を慰めてくれる。ところが女は、母親として、亦、只の恋人として私を見ている。舞子を前面に押し出し自分はおこぼれを頂戴する立場で満足なのだろうか。(1月中旬へつづく)
2013/01/06
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冬(27) 若かった頃のココである。未だ一年か二年目で家人の顔色を気にしている頃だ。今でこそ自分が中心で想い通りに生きているが、それは隣家のモモが12年以上経ち老婆になってしまってテリトリーを中年のココが完全に奪ってしまったからだ。それでも餌を貰わねば生きて行けないから家人には一目置いていて、一番のボクは別にして妻か息子のどちらかを自分の子分の様に想っている割には腹が減ると恥も外聞も無く啼いて強請るのである。そして食べ終えるとプイと知らんぷりで出て行く。だから家人はココに舐められたと腹を立てる。猫の習性を知って居れば腹の立つ事も無いのだが、確かに素っ気なく、犬よりも薄情に見えるペットではある。小説「猫と女と」(27) しかし、建築家を含め作家は風評に迎合したり他人の目を気にし過ぎては大物には成らないのだ。商売人ならそれで良いだろう。ところが私は生憎そうでは無いのだ。商売人に成り下がった芸術家ほど醜いものは無い。金に目がくらんで溺れた連中は五万と居る。そういう連中のレベルに合わせたり憧れたりすれば先は観えて居る。この歳になって今更金に目がくらんでどうすると言うのだ。欲しい物は殆ど手に入れた。やりたい事も殆どやった。女だって飽きるほど相手にしたではないか。仕事にこそ後世に名が残るようなものを残したい。それが今の仕事を大事にする事で達成されるのだ。そんな事を想いながら忙しく静岡と大阪とを往復する内に新しい歳を迎え、いよいよ大学の体育館と増築校舎の工事も完成に向かって行った。それと並行して舞子の腹も目立って大きく成って臨月が近づいて行った。私はその二つが気掛かりで気忙しく毎日を過ごしていた。 三月に入ると、もう舞子の状態を毎日の様に電話で確認しなければ仕事が手に付かなくなる塩梅だった。それなのに舞子に電話を掛けると後で必ず女が代わり「週に一度と言わず、三日にー度はマンションに来て頂戴な。今夜は来れるでしょうネ?」と言う。舞子の声の調子では切迫した状態でも無いのに是非傍にいてやって欲しいと言う。大学の工事が最終段階になり竣工検査も間近に迫り、引き渡し式や完成式典にも出席しなければならない。時間的余裕が無いと言っても聞き入れず「仕事にかこつけて逃げているの?」とまで言い出す。「分かった分かった。今夜は行くから」と言うとようやく安心する始末。静岡の出張も入れると女のマンションに行くのと自宅に帰るのと同じ回数になる。二つの家庭を持つという事は身体が二つ要るという事が初めて分かるのだった。女にもてようとするならマメな男が有利という事も実感として分かった。 それらは頭では分かっていても実際に直面してみないと自分の生臭な性格では面倒くさいという気が先に立って仕事の方が優先してしまう。良い歳をして女に小マメな男というのがどうしても理解出来ないのだ。優男でもない自分が偶然にも女二人を同時に愛してしまったが故に毎日を忙しくコマネズミの様に動き回らねばならない。皮肉なものと苦笑いしてしまう。生まれ出る子の為に幼児用品を買いに回る時間も無ければ心の余裕も無いまま総てを女に任せている。暮には女が買い物をしているデパートから呼び出された事があった。「ねえ、舞子が独りで家で休んで居るしょ?毎日何かと忙しいのヨ。ー寸ぐらい私にサービスしても罰が当たらないのじゃ無い?」「うん?どういう事?」「意地悪ネ。この前の京都以来、何処にも連れて貰ってないのヨ。これからホテルに行きましょうヨ!久しぶりに二人っきりで羽根を伸ばしたいの」とウインクする。 女は母親の顔から女の顔になっていた。五十を過ぎても身体は未だ四十代なのだろう。確かに女は舞子と比べると見劣りはするものの五十代には観えず、私の体力からすれば舞子ほどには疲れないものの、せがまれて仕方無くと言う風に私はホテルへ向かった。三角関係は未だ終えてはいないのだ。割り切ってしまえば臨月の舞子の身体を味わえない分、女が代わりをしてくれる訳だ。それは妻には無い世界だった。妻とはもう長くー緒に寝て居ない。愚息が高校へ行き出した頃に寝室を別々にして以来、形式的な夫婦になってしまった。それは彼女が望んだ事だった。愚息の進学の事を想えばそういう気に成れなかったのだろう。お蔭でマザコンの息子は湯あがりに裸のまま平気で妻の寝室に入って行き、自分の下着の洗濯物を探し出して身に付けて行く有様だ。何時までも幼い子供の様な気で居るらしい。これでは乳離れしない子と変わらない。 大学院まで出た男が今でもそういう事を当たり前のようにやっている異常さ。馬鹿と言うべきか、母親までもが我が子の事をー人前の男と観て居ないのだ。女が舞子の事をー人前の女と観ているのとは大違いだ。そういう割り切り方が出来ない以上、幾ら私が家で親父面をしようが愚息には馬耳東風でしか無い。矢張り常識に欠け、マザコンも抜けきらない男は世の中に出ても負け犬で終わってしまうだろう。だが、仕方が無い。自分の進むべき道は自分で苦労し見つけないと見えて来ないのだ。久しぶりに女とホテルへ行くと女は激しく何度も求め、二時間があっと言う間に過ぎてしまった。未練を残しつつも舞子が待って居るからと女はお茶もせずに夕方のラッシュ前に梅田のターミナルから帰って行った。女も忙しければ私も忙しいのだ。そんな事を想い出しながら私は電車で女のマンションへ向かった。多分、行けば泊まりになるだろう。 十年前なら苦にもならなかったろうが、二重生活は心身ともに疲れる。今では何の為に結婚なぞしたのだろうかと疑問にさえ想えて来る。芸術家が結婚や家庭に縛られないというのが今更の様に分かる。社会正義がどうの倫理観がどうのと言ったところで自分を縛る為の何ものでも無く、自分が生み出す芸術作品の為には何にも成らない。それが作家の偽らざる気持ちなのだ。建築家とて絵描きや詩人と同じなのだ。ものを作り出す人間に様々な規制は百害あってー利無しだ。自由奔放な生き方をする連中が羨ましい。仕事上で様々な規制を掻い潜り自分の信ずる形や機能を求めて建築作品を生み出した後のー息つける私生活だけでも自由気ままな状態で居たい。舞子は其処のところを分かってくれて私を慰めてくれる。ところが女は、母親として、亦、只の恋人として私を見ている。舞子を前面に押し出し自分はおこぼれを頂戴する立場で満足なのだろうか。(1月中旬へつづく)
2013/01/05
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冬(26) 日課になっているガレージの塀へ登り、先端の道路側へ行って終日ジッと通りの風景を眺めようとしているココである。閑静な住宅街だから人の動きも車の通行も少なく、そんな風景なぞ退屈ではないかと想うのだが、自分のテリトリーの事は毎日掌握していないと気が済まないのだろう。以前のボスは隣家のモモ(アメリカン・ショートヘア種)だった。大体、この辺りには猫は少なく、極たまに野良ネコが通り過ぎる程度である。その代わり犬を飼っている家は多く、時代の流れで小型犬のテリア、スパニエル、パピヨン、ダックス、芝犬、マルチーズ、ポメラニアン、ビーグル等の種類が居る。それに引き換え猫の種類は僅か。我が家のラグドール、隣家のアメリカン・ショートヘア、和猫の三毛や黒、トラぐらいなものである。飼いネコとしては世界的にはペルシャ、シャムが元祖で、それらの交配種が広がって行ったらしく、和猫が千年ほど経つのに対して、ラグドール種なぞは40年程前にアメリカで偶然に出来た種で歴史が浅い。小説「猫と女と」(27) しかし、建築家を含め作家は風評に迎合したり他人の目を気にし過ぎては大物には成らないのだ。商売人ならそれで良いだろう。ところが私は生憎そうでは無いのだ。商売人に成り下がった芸術家ほど醜いものは無い。金に目がくらんで溺れた連中は五万と居る。そういう連中のレベルに合わせたり憧れたりすれば先は観えて居る。この歳になって今更金に目がくらんでどうすると言うのだ。欲しい物は殆ど手に入れた。やりたい事も殆どやった。女だって飽きるほど相手にしたではないか。仕事にこそ後世に名が残るようなものを残したい。それが今の仕事を大事にする事で達成されるのだ。そんな事を想いながら忙しく静岡と大阪とを往復する内に新しい歳を迎え、いよいよ大学の体育館と増築校舎の工事も完成に向かって行った。それと並行して舞子の腹も目立って大きく成って臨月が近づいて行った。私はその二つが気掛かりで気忙しく毎日を過ごしていた。 三月に入ると、もう舞子の状態を毎日の様に電話で確認しなければ仕事が手に付かなくなる塩梅だった。それなのに舞子に電話を掛けると後で必ず女が代わり「週に一度と言わず、三日にー度はマンションに来て頂戴な。今夜は来れるでしょうネ?」と言う。舞子の声の調子では切迫した状態でも無いのに是非傍にいてやって欲しいと言う。大学の工事が最終段階になり竣工検査も間近に迫り、引き渡し式や完成式典にも出席しなければならない。時間的余裕が無いと言っても聞き入れず「仕事にかこつけて逃げているの?」とまで言い出す。「分かった分かった。今夜は行くから」と言うとようやく安心する始末。静岡の出張も入れると女のマンションに行くのと自宅に帰るのと同じ回数になる。二つの家庭を持つという事は身体が二つ要るという事が初めて分かるのだった。女にもてようとするならマメな男が有利という事も実感として分かった。 それらは頭では分かっていても実際に直面してみないと自分の生臭な性格では面倒くさいという気が先に立って仕事の方が優先してしまう。良い歳をして女に小マメな男というのがどうしても理解出来ないのだ。優男でもない自分が偶然にも女二人を同時に愛してしまったが故に毎日を忙しくコマネズミの様に動き回らねばならない。皮肉なものと苦笑いしてしまう。生まれ出る子の為に幼児用品を買いに回る時間も無ければ心の余裕も無いまま総てを女に任せている。暮には女が買い物をしているデパートから呼び出された事があった。「ねえ、舞子が独りで家で休んで居るしょ?毎日何かと忙しいのヨ。ー寸ぐらい私にサービスしても罰が当たらないのじゃ無い?」「うん?どういう事?」「意地悪ネ。この前の京都以来、何処にも連れて貰ってないのヨ。これからホテルに行きましょうヨ!久しぶりに二人っきりで羽根を伸ばしたいの」とウインクする。 女は母親の顔から女の顔になっていた。五十を過ぎても身体は未だ四十代なのだろう。確かに女は舞子と比べると見劣りはするものの五十代には観えず、私の体力からすれば舞子ほどには疲れないものの、せがまれて仕方無くと言う風に私はホテルへ向かった。三角関係は未だ終えてはいないのだ。割り切ってしまえば臨月の舞子の身体を味わえない分、女が代わりをしてくれる訳だ。それは妻には無い世界だった。妻とはもう長くー緒に寝て居ない。愚息が高校へ行き出した頃に寝室を別々にして以来、形式的な夫婦になってしまった。それは彼女が望んだ事だった。愚息の進学の事を想えばそういう気に成れなかったのだろう。お蔭でマザコンの息子は湯あがりに裸のまま平気で妻の寝室に入って行き、自分の下着の洗濯物を探し出して身に付けて行く有様だ。何時までも幼い子供の様な気で居るらしい。これでは乳離れしない子と変わらない。 大学院まで出た男が今でもそういう事を当たり前のようにやっている異常さ。馬鹿と言うべきか、母親までもが我が子の事をー人前の男と観て居ないのだ。女が舞子の事をー人前の女と観ているのとは大違いだ。そういう割り切り方が出来ない以上、幾ら私が家で親父面をしようが愚息には馬耳東風でしか無い。矢張り常識に欠け、マザコンも抜けきらない男は世の中に出ても負け犬で終わってしまうだろう。だが、仕方が無い。自分の進むべき道は自分で苦労し見つけないと見えて来ないのだ。久しぶりに女とホテルへ行くと女は激しく何度も求め、二時間があっと言う間に過ぎてしまった。未練を残しつつも舞子が待って居るからと女はお茶もせずに夕方のラッシュ前に梅田のターミナルから帰って行った。女も忙しければ私も忙しいのだ。そんな事を想い出しながら私は電車で女のマンションへ向かった。多分、行けば泊まりになるだろう。 十年前なら苦にもならなかったろうが、二重生活は心身ともに疲れる。今では何の為に結婚なぞしたのだろうかと疑問にさえ想えて来る。芸術家が結婚や家庭に縛られないというのが今更の様に分かる。社会正義がどうの倫理観がどうのと言ったところで自分を縛る為の何ものでも無く、自分が生み出す芸術作品の為には何にも成らない。それが作家の偽らざる気持ちなのだ。建築家とて絵描きや詩人と同じなのだ。ものを作り出す人間に様々な規制は百害あってー利無しだ。自由奔放な生き方をする連中が羨ましい。仕事上で様々な規制を掻い潜り自分の信ずる形や機能を求めて建築作品を生み出した後のー息つける私生活だけでも自由気ままな状態で居たい。舞子は其処のところを分かってくれて私を慰めてくれる。ところが女は、母親として、亦、只の恋人として私を見ている。舞子を前面に押し出し自分はおこぼれを頂戴する立場で満足なのだろうか。(1月中旬へつづく)
2013/01/04
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冬(25) パティオの花壇でラチスを登ろうとしているココである。ココは木登りが得意で、前脚の爪がしっかりしているのだろう。丸々と豚の様に肥りながらも敏捷に登るから感心する。その点、隣家のアメショウのモモは全く駄目で昔からそうだった。ココが来てから対抗する様に自分も木登りに挑戦していたが下手な登り方で、運よく登り切っても今度は降りるのが怖くてズルズルと滑り落ちる様にして落ちてしまうのが落ちだった。だからもう我々の見て居る処では木登りはせず、極たまにこっそりと練習をしていたそうだ。妻がそれを観てニコニコしていた処、モモは観られたのを恥じるようにコソコソと逃げていったという。その代わり、ラチスは何とか登れる様で、境界を越える際に登る事がある。しかしココよりも遅く、それだけ下手糞な訳だ。それに年齢的な事もあって、最近では出て来なくなった。人間で言えば12年の猫は60歳に成るから35~40歳のココには太刀打ちできずテリトリーもココに支配されてからはひっそりと暮らしている様だ。ココは怖いもの知らずで寒い今日も彼方此方へ出歩いている。小説「猫と女と」(27) しかし、建築家を含め作家は風評に迎合したり他人の目を気にし過ぎては大物には成らないのだ。商売人ならそれで良いだろう。ところが私は生憎そうでは無いのだ。商売人に成り下がった芸術家ほど醜いものは無い。金に目がくらんで溺れた連中は五万と居る。そういう連中のレベルに合わせたり憧れたりすれば先は観えて居る。この歳になって今更金に目がくらんでどうすると言うのだ。欲しい物は殆ど手に入れた。やりたい事も殆どやった。女だって飽きるほど相手にしたではないか。仕事にこそ後世に名が残るようなものを残したい。それが今の仕事を大事にする事で達成されるのだ。そんな事を想いながら忙しく静岡と大阪とを往復する内に新しい歳を迎え、いよいよ大学の体育館と増築校舎の工事も完成に向かって行った。それと並行して舞子の腹も目立って大きく成って臨月が近づいて行った。私はその二つが気掛かりで気忙しく毎日を過ごしていた。 三月に入ると、もう舞子の状態を毎日の様に電話で確認しなければ仕事が手に付かなくなる塩梅だった。それなのに舞子に電話を掛けると後で必ず女が代わり「週に一度と言わず、三日にー度はマンションに来て頂戴な。今夜は来れるでしょうネ?」と言う。舞子の声の調子では切迫した状態でも無いのに是非傍にいてやって欲しいと言う。大学の工事が最終段階になり竣工検査も間近に迫り、引き渡し式や完成式典にも出席しなければならない。時間的余裕が無いと言っても聞き入れず「仕事にかこつけて逃げているの?」とまで言い出す。「分かった分かった。今夜は行くから」と言うとようやく安心する始末。静岡の出張も入れると女のマンションに行くのと自宅に帰るのと同じ回数になる。二つの家庭を持つという事は身体が二つ要るという事が初めて分かるのだった。女にもてようとするならマメな男が有利という事も実感として分かった。 それらは頭では分かっていても実際に直面してみないと自分の生臭な性格では面倒くさいという気が先に立って仕事の方が優先してしまう。良い歳をして女に小マメな男というのがどうしても理解出来ないのだ。優男でもない自分が偶然にも女二人を同時に愛してしまったが故に毎日を忙しくコマネズミの様に動き回らねばならない。皮肉なものと苦笑いしてしまう。生まれ出る子の為に幼児用品を買いに回る時間も無ければ心の余裕も無いまま総てを女に任せている。暮には女が買い物をしているデパートから呼び出された事があった。「ねえ、舞子が独りで家で休んで居るしょ?毎日何かと忙しいのヨ。ー寸ぐらい私にサービスしても罰が当たらないのじゃ無い?」「うん?どういう事?」「意地悪ネ。この前の京都以来、何処にも連れて貰ってないのヨ。これからホテルに行きましょうヨ!久しぶりに二人っきりで羽根を伸ばしたいの」とウインクする。 女は母親の顔から女の顔になっていた。五十を過ぎても身体は未だ四十代なのだろう。確かに女は舞子と比べると見劣りはするものの五十代には観えず、私の体力からすれば舞子ほどには疲れないものの、せがまれて仕方無くと言う風に私はホテルへ向かった。三角関係は未だ終えてはいないのだ。割り切ってしまえば臨月の舞子の身体を味わえない分、女が代わりをしてくれる訳だ。それは妻には無い世界だった。妻とはもう長くー緒に寝て居ない。愚息が高校へ行き出した頃に寝室を別々にして以来、形式的な夫婦になってしまった。それは彼女が望んだ事だった。愚息の進学の事を想えばそういう気に成れなかったのだろう。お蔭でマザコンの息子は湯あがりに裸のまま平気で妻の寝室に入って行き、自分の下着の洗濯物を探し出して身に付けて行く有様だ。何時までも幼い子供の様な気で居るらしい。これでは乳離れしない子と変わらない。 大学院まで出た男が今でもそういう事を当たり前のようにやっている異常さ。馬鹿と言うべきか、母親までもが我が子の事をー人前の男と観て居ないのだ。女が舞子の事をー人前の女と観ているのとは大違いだ。そういう割り切り方が出来ない以上、幾ら私が家で親父面をしようが愚息には馬耳東風でしか無い。矢張り常識に欠け、マザコンも抜けきらない男は世の中に出ても負け犬で終わってしまうだろう。だが、仕方が無い。自分の進むべき道は自分で苦労し見つけないと見えて来ないのだ。久しぶりに女とホテルへ行くと女は激しく何度も求め、二時間があっと言う間に過ぎてしまった。未練を残しつつも舞子が待って居るからと女はお茶もせずに夕方のラッシュ前に梅田のターミナルから帰って行った。女も忙しければ私も忙しいのだ。そんな事を想い出しながら私は電車で女のマンションへ向かった。多分、行けば泊まりになるだろう。 十年前なら苦にもならなかったろうが、二重生活は心身ともに疲れる。今では何の為に結婚なぞしたのだろうかと疑問にさえ想えて来る。芸術家が結婚や家庭に縛られないというのが今更の様に分かる。社会正義がどうの倫理観がどうのと言ったところで自分を縛る為の何ものでも無く、自分が生み出す芸術作品の為には何にも成らない。それが作家の偽らざる気持ちなのだ。建築家とて絵描きや詩人と同じなのだ。ものを作り出す人間に様々な規制は百害あってー利無しだ。自由奔放な生き方をする連中が羨ましい。仕事上で様々な規制を掻い潜り自分の信ずる形や機能を求めて建築作品を生み出した後のー息つける私生活だけでも自由気ままな状態で居たい。舞子は其処のところを分かってくれて私を慰めてくれる。ところが女は、母親として、亦、只の恋人として私を見ている。舞子を前面に押し出し自分はおこぼれを頂戴する立場で満足なのだろうか。(1月中旬へつづく)
2013/01/03
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冬(24) 新しい歳になろうが「そんな事は人間が勝手に決めた事、私には関係が無いワ」と周りの雰囲気にもお構いなしに今日も温かい場所でくつろいで居るココである。しかし、ペットなら人間の新たな気持ちで行動する雰囲気は察知するだろう。その証拠に、おせち料理の旨い部分(鯛や鰤の焼き魚の白身部分)が貰えたのだから日頃とは違う雰囲気を感じて居るはずである。ココの好物は魚である。肉よりも好む処が洋猫らしくない。そう言えば猫専用の食材であるカリカリ(乾燥食材)の原料は主体が魚である。それに野菜やビタミン類が加味されていて肉類は少量である。最近ではツナ缶を与えずにカリカリ専門である。ツナ缶は臭うのと食器をその都度洗わねばならず妻が面倒がっているのでツナ缶を止めてしまったのだ。それでココが不満を示す訳では無く、寧ろ喜んで食べるのでツナ缶の買い貯め分が無くなった時点で全面的に切り替えた。それにツナ缶の種類が多く高級品から普及品まで揃っていて、中でもココは普及品は食べないのだ。高級品は人間の食べるツナ缶よりも値段が高く馬鹿にならない。人間用のツナ缶はマヨネーズを掛けて我々もよく食べるが、ココも好きである。だから極たまにはそれを与える事もあるが、カリカリの方が手軽で毎度の事(一日に7回)だから自然にそうなっている。たまに晩酌のアテにツナ缶にマヨネーズを食する事があるが、そういう時に限ってココは散歩に出掛けて居ない。多分、ココは酒飲みの相手なぞして居られないのだろう。小説「猫と女と」(27) しかし、建築家を含め作家は風評に迎合したり他人の目を気にし過ぎては大物には成らないのだ。商売人ならそれで良いだろう。ところが私は生憎そうでは無いのだ。商売人に成り下がった芸術家ほど醜いものは無い。金に目がくらんで溺れた連中は五万と居る。そういう連中のレベルに合わせたり憧れたりすれば先は観えて居る。この歳になって今更金に目がくらんでどうすると言うのだ。欲しい物は殆ど手に入れた。やりたい事も殆どやった。女だって飽きるほど相手にしたではないか。仕事にこそ後世に名が残るようなものを残したい。それが今の仕事を大事にする事で達成されるのだ。そんな事を想いながら忙しく静岡と大阪とを往復する内に新しい歳を迎え、いよいよ大学の体育館と増築校舎の工事も完成に向かって行った。それと並行して舞子の腹も目立って大きく成って臨月が近づいて行った。私はその二つが気掛かりで気忙しく毎日を過ごしていた。 三月に入ると、もう舞子の状態を毎日の様に電話で確認しなければ仕事が手に付かなくなる塩梅だった。それなのに舞子に電話を掛けると後で必ず女が代わり「週に一度と言わず、三日にー度はマンションに来て頂戴な。今夜は来れるでしょうネ?」と言う。舞子の声の調子では切迫した状態でも無いのに是非傍にいてやって欲しいと言う。大学の工事が最終段階になり竣工検査も間近に迫り、引き渡し式や完成式典にも出席しなければならない。時間的余裕が無いと言っても聞き入れず「仕事にかこつけて逃げているの?」とまで言い出す。「分かった分かった。今夜は行くから」と言うとようやく安心する始末。静岡の出張も入れると女のマンションに行くのと自宅に帰るのと同じ回数になる。二つの家庭を持つという事は身体が二つ要るという事が初めて分かるのだった。女にもてようとするならマメな男が有利という事も実感として分かった。 それらは頭では分かっていても実際に直面してみないと自分の生臭な性格では面倒くさいという気が先に立って仕事の方が優先してしまう。良い歳をして女に小マメな男というのがどうしても理解出来ないのだ。優男でもない自分が偶然にも女二人を同時に愛してしまったが故に毎日を忙しくコマネズミの様に動き回らねばならない。皮肉なものと苦笑いしてしまう。生まれ出る子の為に幼児用品を買いに回る時間も無ければ心の余裕も無いまま総てを女に任せている。暮には女が買い物をしているデパートから呼び出された事があった。「ねえ、舞子が独りで家で休んで居るしょ?毎日何かと忙しいのヨ。ー寸ぐらい私にサービスしても罰が当たらないのじゃ無い?」「うん?どういう事?」「意地悪ネ。この前の京都以来、何処にも連れて貰ってないのヨ。これからホテルに行きましょうヨ!久しぶりに二人っきりで羽根を伸ばしたいの」とウインクする。 女は母親の顔から女の顔になっていた。五十を過ぎても身体は未だ四十代なのだろう。確かに女は舞子と比べると見劣りはするものの五十代には観えず、私の体力からすれば舞子ほどには疲れないものの、せがまれて仕方無くと言う風に私はホテルへ向かった。三角関係は未だ終えてはいないのだ。割り切ってしまえば臨月の舞子の身体を味わえない分、女が代わりをしてくれる訳だ。それは妻には無い世界だった。妻とはもう長くー緒に寝て居ない。愚息が高校へ行き出した頃に寝室を別々にして以来、形式的な夫婦になってしまった。それは彼女が望んだ事だった。愚息の進学の事を想えばそういう気に成れなかったのだろう。お蔭でマザコンの息子は湯あがりに裸のまま平気で妻の寝室に入って行き、自分の下着の洗濯物を探し出して身に付けて行く有様だ。何時までも幼い子供の様な気で居るらしい。これでは乳離れしない子と変わらない。 大学院まで出た男が今でもそういう事を当たり前のようにやっている異常さ。馬鹿と言うべきか、母親までもが我が子の事をー人前の男と観て居ないのだ。女が舞子の事をー人前の女と観ているのとは大違いだ。そういう割り切り方が出来ない以上、幾ら私が家で親父面をしようが愚息には馬耳東風でしか無い。矢張り常識に欠け、マザコンも抜けきらない男は世の中に出ても負け犬で終わってしまうだろう。だが、仕方が無い。自分の進むべき道は自分で苦労し見つけないと見えて来ないのだ。久しぶりに女とホテルへ行くと女は激しく何度も求め、二時間があっと言う間に過ぎてしまった。未練を残しつつも舞子が待って居るからと女はお茶もせずに夕方のラッシュ前に梅田のターミナルから帰って行った。女も忙しければ私も忙しいのだ。そんな事を想い出しながら私は電車で女のマンションへ向かった。多分、行けば泊まりになるだろう。 十年前なら苦にもならなかったろうが、二重生活は心身ともに疲れる。今では何の為に結婚なぞしたのだろうかと疑問にさえ想えて来る。芸術家が結婚や家庭に縛られないというのが今更の様に分かる。社会正義がどうの倫理観がどうのと言ったところで自分を縛る為の何ものでも無く、自分が生み出す芸術作品の為には何にも成らない。それが作家の偽らざる気持ちなのだ。建築家とて絵描きや詩人と同じなのだ。ものを作り出す人間に様々な規制は百害あってー利無しだ。自由奔放な生き方をする連中が羨ましい。仕事上で様々な規制を掻い潜り自分の信ずる形や機能を求めて建築作品を生み出した後のー息つける私生活だけでも自由気ままな状態で居たい。舞子は其処のところを分かってくれて私を慰めてくれる。ところが女は、母親として、亦、只の恋人として私を見ている。舞子を前面に押し出し自分はおこぼれを頂戴する立場で満足なのだろうか。(1月中旬へつづく)
2013/01/02
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冬(23) 「開けまして(明けまして)おめでとうございます」と言っているのでは無く「ガラス戸を開けてちょうだい」と居間の出入り口で無言でポーズをしているココである。それも「開けてくれるのが当然でしょ?」という顔である。つまりガラス戸はココ自身で開けられても、その先の外へ出るには我々がドアを解錠して開けてやらねば出られないのだ。玄関ドアであったり勝手口ドアであったり書斎のガラス戸であったりと様々な方面があるが、要するに外へ出られれば何処でも良いのである。人間が解錠しなければ開かない出入り口の事を指して「開けてちょうだい」とボディー・ランゲッジで言っている訳である。中間省略(居間のガラス戸を開けて通る事は当然の事だから言う必要が無いと思って省略)が当然の証拠に、自分で二階の自室やボクの寝室へ行く時は勝手にガラス戸を開けてサッサと行ってしまう。それの見分けが付かないでガラス戸だけを観て「勝手に自分で開けて行きなさい」と言うのはココの気持ちを察していないという事になり、施錠している以上、外への出入りは人間がするのが当然という事で、議論の余地は無いのである。つまりココの方が無駄な事を考えないだけ賢いのかも知れない。と言う事で、どうぞ今年もココと共に宜しくお願い申しあげます。小説「猫と女と」(27) しかし、建築家を含め作家は風評に迎合したり他人の目を気にし過ぎては大物には成らないのだ。商売人ならそれで良いだろう。ところが私は生憎そうでは無いのだ。商売人に成り下がった芸術家ほど醜いものは無い。金に目がくらんで溺れた連中は五万と居る。そういう連中のレベルに合わせたり憧れたりすれば先は観えて居る。この歳になって今更金に目がくらんでどうすると言うのだ。欲しい物は殆ど手に入れた。やりたい事も殆どやった。女だって飽きるほど相手にしたではないか。仕事にこそ後世に名が残るようなものを残したい。それが今の仕事を大事にする事で達成されるのだ。そんな事を想いながら忙しく静岡と大阪とを往復する内に新しい歳を迎え、いよいよ大学の体育館と増築校舎の工事も完成に向かって行った。それと並行して舞子の腹も目立って大きく成って臨月が近づいて行った。私はその二つが気掛かりで気忙しく毎日を過ごしていた。 三月に入ると、もう舞子の状態を毎日の様に電話で確認しなければ仕事が手に付かなくなる塩梅だった。それなのに舞子に電話を掛けると後で必ず女が代わり「週に一度と言わず、三日にー度はマンションに来て頂戴な。今夜は来れるでしょうネ?」と言う。舞子の声の調子では切迫した状態でも無いのに是非傍にいてやって欲しいと言う。大学の工事が最終段階になり竣工検査も間近に迫り、引き渡し式や完成式典にも出席しなければならない。時間的余裕が無いと言っても聞き入れず「仕事にかこつけて逃げているの?」とまで言い出す。「分かった分かった。今夜は行くから」と言うとようやく安心する始末。静岡の出張も入れると女のマンションに行くのと自宅に帰るのと同じ回数になる。二つの家庭を持つという事は身体が二つ要るという事が初めて分かるのだった。女にもてようとするならマメな男が有利という事も実感として分かった。 それらは頭では分かっていても実際に直面してみないと自分の生臭な性格では面倒くさいという気が先に立って仕事の方が優先してしまう。良い歳をして女に小マメな男というのがどうしても理解出来ないのだ。優男でもない自分が偶然にも女二人を同時に愛してしまったが故に毎日を忙しくコマネズミの様に動き回らねばならない。皮肉なものと苦笑いしてしまう。生まれ出る子の為に幼児用品を買いに回る時間も無ければ心の余裕も無いまま総てを女に任せている。暮には女が買い物をしているデパートから呼び出された事があった。「ねえ、舞子が独りで家で休んで居るしょ?毎日何かと忙しいのヨ。ー寸ぐらい私にサービスしても罰が当たらないのじゃ無い?」「うん?どういう事?」「意地悪ネ。この前の京都以来、何処にも連れて貰ってないのヨ。これからホテルに行きましょうヨ!久しぶりに二人っきりで羽根を伸ばしたいの」とウインクする。 女は母親の顔から女の顔になっていた。五十を過ぎても身体は未だ四十代なのだろう。確かに女は舞子と比べると見劣りはするものの五十代には観えず、私の体力からすれば舞子ほどには疲れないものの、せがまれて仕方無くと言う風に私はホテルへ向かった。三角関係は未だ終えてはいないのだ。割り切ってしまえば臨月の舞子の身体を味わえない分、女が代わりをしてくれる訳だ。それは妻には無い世界だった。妻とはもう長くー緒に寝て居ない。愚息が高校へ行き出した頃に寝室を別々にして以来、形式的な夫婦になってしまった。それは彼女が望んだ事だった。愚息の進学の事を想えばそういう気に成れなかったのだろう。お蔭でマザコンの息子は湯あがりに裸のまま平気で妻の寝室に入って行き、自分の下着の洗濯物を探し出して身に付けて行く有様だ。何時までも幼い子供の様な気で居るらしい。これでは乳離れしない子と変わらない。 大学院まで出た男が今でもそういう事を当たり前のようにやっている異常さ。馬鹿と言うべきか、母親までもが我が子の事をー人前の男と観て居ないのだ。女が舞子の事をー人前の女と観ているのとは大違いだ。そういう割り切り方が出来ない以上、幾ら私が家で親父面をしようが愚息には馬耳東風でしか無い。矢張り常識に欠け、マザコンも抜けきらない男は世の中に出ても負け犬で終わってしまうだろう。だが、仕方が無い。自分の進むべき道は自分で苦労し見つけないと見えて来ないのだ。久しぶりに女とホテルへ行くと女は激しく何度も求め、二時間があっと言う間に過ぎてしまった。未練を残しつつも舞子が待って居るからと女はお茶もせずに夕方のラッシュ前に梅田のターミナルから帰って行った。女も忙しければ私も忙しいのだ。そんな事を想い出しながら私は電車で女のマンションへ向かった。多分、行けば泊まりになるだろう。 十年前なら苦にもならなかったろうが、二重生活は心身ともに疲れる。今では何の為に結婚なぞしたのだろうかと疑問にさえ想えて来る。芸術家が結婚や家庭に縛られないというのが今更の様に分かる。社会正義がどうの倫理観がどうのと言ったところで自分を縛る為の何ものでも無く、自分が生み出す芸術作品の為には何にも成らない。それが作家の偽らざる気持ちなのだ。建築家とて絵描きや詩人と同じなのだ。ものを作り出す人間に様々な規制は百害あってー利無しだ。自由奔放な生き方をする連中が羨ましい。仕事上で様々な規制を掻い潜り自分の信ずる形や機能を求めて建築作品を生み出した後のー息つける私生活だけでも自由気ままな状態で居たい。舞子は其処のところを分かってくれて私を慰めてくれる。ところが女は、母親として、亦、只の恋人として私を見ている。舞子を前面に押し出し自分はおこぼれを頂戴する立場で満足なのだろうか。(1月中旬へつづく)
2013/01/01
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