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花見 東京の友人から先週、電話があって「今度の日曜に京都へ墓参りに行くのだけど、久しぶりに会わない?」と誘っていた。が、「生憎その日は選挙の立会人で終日、投票所で缶詰なんだ。翌日ならOKだけど」ということで月曜日に決まって、京都に行ってきた。彼は一晩ホテルに泊まったそうだ。この時期よく空きがあったものだと感心したが、昨年の花見の頃の同窓会でたまたまキャンセル空きがあってボクも泊まったことがあったのを思い出したのだった。昔よく通ったコーヒー・ショップで待ち合わせ、高速道路が空いていたせいで予定時間よりも30分ほど早く着いた。彼も30分早く来ていて、お互い待つこともなく玄関で会うことが出来た。20年ぶりの再会だった。嵐山の渡月橋には観光客が一杯いた。 コーヒーを飲みながら懐かしく30分ほど話をしてから、食事でもしようということになって出た。彼は久しぶりの京都だったから何処か京料理でもと考え、花見を兼ねて静かな処を幾つか思い浮かべてみた。「とりあえず車が停められる処を探そう」とボクはコーヒー・ハウスのガレージから車を出しながら言った。「南禅寺か、嵐山か、北山か・・・」とつぶやきながら京都の大通りの御池通りに出、車の流れに乗った。すると二条城の交差点がラッシュだった。観光バスやタクシーがビッシリと動かないのだ。そこで脇道に入って空いている道を行った。地元の強みで地理はしっかりと頭に入っている。混雑する大通りを避けて走ると自然に嵐山の方向になった。渡月橋の辺りでは観光客が多く居て、車の他に人力車も混雑していた。嵐山の料亭の庭からの風景(桜は全体的に三分咲きだったが満開のも観える) 渡月橋の付近の料亭に入ろうと、ガレージが空いている処を探した。「以前に利用した処だから」とボクは大堰川沿いの料亭のガレージに停めると、先に門を入っていった。仲居に案内されて行くと上手い具合に席は空いていた。もう少し後だと席は待たなければ空いていなかっただろう。「今日は朝からタイミングが良い。高速道路は空いていたし、コーヒー・ハウスでも丁度ガレージに空きが一つだけあったし、ラッシュの道路も抜け道で楽に来れたし」とボクは昨日の選挙の投票率の予測も当たったのに気を良くしていたから調子が良いのを感じていた。料亭の日本庭園の向こうには嵐山の風景が観え、絶好の場所だった。桜には未だ少し早かったが、それでも花見の雰囲気は充分に味わえそうだった。料亭の枝垂桜は未だつぼみだった。 「車だからボクは飲めないのが残念だけど、君はやれるだろう?」と彼に酒を勧めたが「昼間よりも夜の方が良いから」と彼も遠慮した。もうお互い若くはないから昔のようには行かなかった。20年ぶりというのを覚えていたのは昔、ボクが単身赴任で東京に居る時、偶然、新宿のバーで彼と出遭って「やあ、元気?」と声をかけたのだったが、彼は「明日、九州へ引っ越す」と言ってそそくさと去って行ったのを覚えていたからだった。その後数年もの間音沙汰が無く、何故彼が住所も知らせず去って行ったのか不審が続いたのだった。そして5年ほどして彼の奥さんから年賀状が来て元気にしているのを知り、年賀状の再開となった。 その後、数年してからの家族写真の年賀状には新築の家の前で大きくなった子供たちの姿があった。更に数年して「東京へ引っ越す」旨の挨拶状があり、サラリーマンの転勤は大変だなと思ったものだった。彼は家族ぐるみの移動だったが、ボクは単身赴任という形をとっていたのが大きな違いだった。彼の奥さんは6年前に子宮がんになったという。今は元気とのことだが、ボクの妻も5年前には乳がんになった。20年もの間にはお互い様々なことがあった。子供も大きくなった。お互い良い初老になって若い頃の思い出話に花が咲くようになってしまった。「そうそう、先日整理していたらこんな写真が出てきた」とボクの独身時代の写真を数枚出してくれた。(つづく)
2009/03/31
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選挙 市会議員選挙で一日(朝6時半から夜8時半まで)投票管理者として集会所(自治会会館)に缶詰状態だった。選挙の投票所の立会いは今回で3度目である。嫌だ嫌だと思っているとしんどいものだが、見方を変えて、選挙(投票)に来る人々の観察を楽しもうという気になると結構楽しいというか退屈しないものである。3回目ともなると慣れてしまうのだろう。ところが、立会人のもう一人である隣の自治会の会長も3度目なのに彼は子供のように「嫌な役目だ、眠い、しんどい、早く帰りたい」と愚痴ばかりこぼしていた。それを横で聞かされていると、この人はボクと歳は余り変わらないのに大人に成りきっていない人だなと気の毒に思えるのだった。早朝の投票所開所前の風景(7時のサイレンと共に投票所は開く) 今朝の6時半に集合だったが、4時には目が覚めた。目覚ましの鳴る6時まで眠り直そうとしたが眠れず、ベッドで寝返りを何度も打ったりして横になったまま居たが、結局5時には起き、隣室のココの部屋のドアを開け、一緒に階下に降りて餌を作ってやり与えた。それからパソコンの前に座り、ブログの更新をし、次に、食卓に用意してあったサンドウイッチを食べ、着替えをすると6時を過ぎていた。だから余裕をもって集会所に行けた。7時から13時間も縛られる訳だから退屈に打ち勝たねばならないという脅迫概念はあったが、投票に来る人々のマン・ウオッチングだと思えば・・・という予めの考えが再び浮かんで少しは気が楽になった。 投票率は午前中に20%を超え、この分で行けば40%は楽に越すと睨んだ通り、8時に閉めた時には46%を超えていた。地方レベルの選挙では良い方だ。この住宅団地は国政レベルの選挙の方が投票率が高いのだ。それにしても市会議員の選挙で46%も行ったのは良い方だ。18人の定員のところ19名の立候補者だったから楽勝に思えるのだったが、実際は皆がギリギリの接戦に追い込まれるのではないかという見方が大方なのを知った。現職も新人も今年は派手な喧しい選挙運動だったから案外、自分が落ちるのではないかという危機感が各候補者にはあったのかもしれない。夕方の一寸投票者が途絶えた瞬間の投票所風景(夕闇がせまりつつある) 議員の選挙というものは4年間の為の就職運動のようなものだ。下手な商売をするよりも実入りが良いのだろう。しかし、そういう議員には当選してもらいたくないものだ。が、現実問題として成り手は市民が心から願うような人は出ない。地位を利用して実入りを期待する小物ばかりだからだ。だからといって「それなら貴方が出ますか」と言われて即座に出るという人は居ないだろう。半分妬みがあるものの、いざ自分がとなると二の足を踏むのである。嫌な仕事もしてこそ議員だが批判ばかりする人はこの世には綺麗なことしか存在しないとでも考えているのだろうか。もしそうなら悩みなぞない。むしろ汚いことばかりがうごめいているのが現実社会なのだ。 かつて父が「議員は如何に使ってこそ存在意義がある」と言っていたことを思い出し、成る程、彼らの上手を行けば腹も立たないのだ、もっと大人にならなければ」と自分に言い聞かせるようにしている。国政レベルであろうが地方レベルであろうが選ぶのは市民なのだということを人々は思い出す必要がある。公約も果たさない議員に腹を立て憤慨するのは自分が悪いのだ。議員に使われているのでは何時まで経っても同じことを言い続けるだけだ。基本は「主役は市民」ということである。案外、人々は当たり前のことを忘れる。忘れた頃に災害は訪れるというのは寺田虎彦の言葉だが、物理学だけでなく政治にも言えることだ。
2009/03/30
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季節の変り目に敏感に反応するココ(2) 食欲旺盛というよりも余計な知恵がついたココは、好きな煮干やチーズなどには目が無いくせに、食事時のツナ缶とチップ材を混ぜた餌には食べるのを調整して茶碗に残していく。後で腹が減れば食べる予定なのだ。取りおきという訳である。綺麗に食べ終わって茶碗がピカピカに光っている時もあるが、それは余程腹が減っている時か、好みのツナ缶の時だ。それでは毎日、好みのツナ缶を与えれば良いのだが、買ったツナ缶の中にはココの好みで無いゼラチンが殆ど無いフレークの時もある(買った後、開けてそれが判明する)から仕方なく、勿体無いこともあって与えている。美味しいお八は、幾らでも別腹に入るのか、飽きないでココは求める トータルすれば一日の餌は成猫の分量になっていて与えすぎではないのだが、分量を何回も分けて与えている。そういう風な与え方になったのは夏場はツナ缶が傷みやすいので1回分ずつ小分け(四等分)にして残りをタッパウエアに入れて冷蔵庫に保管しておくようにしたからだ。それにチップ材を2カップ混ぜて一日二回やり、間にお八つを何回かやるのである。それでも外の遊びが面白い時や遠出をしている時は朝から夕方まで帰って来ない時もある。家族が心配するほど顔を見せないのだ。猫の習性を知っているボクは「なあに、その内、腹を空かせて帰って来るヨ」と放っておく。すると矢張り少し遅い夕方には全身雑草まみれになってヒョイと顔を出し「ニャ」と一声鳴く。「ご飯」という訳である。
2009/03/29
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季節の変り目に敏感に反応するココ 桜が咲き始めるとココは家の中でジッとしていない。と言うよりもジッとしていられない何かが外で起き始めているのだ。例えば、人通りの人々の動きや庭の芝生の新芽、木々の新芽、空気の暖かさ等の微妙な変化が彼女をして外へ誘導するのだ。春は乙女心を誘惑する。が、避妊手術を施してあるココにはオス猫は興味が無いのだ。気になるのは自然環境の変化と、そこにうごめく様々な生きものの動きだ。何と面白い世界があることよと毎日夜の明けるのを心待ちにしているのだ。朝飯よりも大事なことが外にはあると信じているらしい。心配しなくても食べられる餌は、この際関係がない。ロカビリーのファンがアイドル歌手の前で失神した、かつての時代を思い出させる。欲しいお八つを睨むココ(じらさないで、速くチョウダイ!) それでも夕方、ボクが帰宅する頃にはガレージに現われて、一応お出迎えをする。もうその頃には夕ごはんは既に終わっている。何故なら3時過ぎには妻にねだって夕ごはんを作ってもらっているからだ。そんなに早く夕ごはんが終われば、我々の晩御飯の頃にお腹が空かないの?と気に掛るところだ。だからだろうか、ボクの帰宅の時間はデザートの時間なのかも知れない。着替えを終えたボクが何時ものように茶の間に入ると、既にボクの椅子の横のスツールの上に乗ってココは、お八つが与えられるのを待っている。デザートに雑魚の煮干しが最適なのだ。ボクは雑魚の入った茶筒を戸棚から取り出す。それが日課になっている。
2009/03/28
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杭抜き作業その後 小学校の増築工事で旧校舎を解体した後、基礎の下の杭を抜く工事が難航している。最初に心配した通りの現象が起きているのだ。20mの松杭が打ち込まれたのが33年前でコンクリート杭に切り替わる前後の工事だから工事の精度が悪かったのか地盤が思ったよりも悪かったのか、いずれにせよ手抜き工事だったことが分かり、今になってその後始末が来ている訳である。工事の精度が悪いというのは設計では直径30cm、長さ10mの杭を二本継ぎで打ち込むことになっているのを計画通りに行っているのが半分程度しかないのだ。残りの半分は6割が長さがマチマチであったり直径が太かったり細かったりっと揃っていない。地中深く残された杭抜き作業が難航している 残り4割は斜めに打ち込まれたもので、オーガーで揉んで行くと途中から斜めに削り取られた先細りの杭が上がってくる。削り取られた杭の残りがまだある筈なのに出てこなかったり出てきたりと確率が5割と悪い。出るまで2度3度とオーガーを少しずつ位置をずらせて20m近く入れて行くのだが、お蔭で地盤はヘドロ状態となって余計に悪くなってしまう。コンクリート杭がそこに打ち込まれれば支持層に到達し建物は沈まずに持つ。が、それまでの杭抜き工事中は地盤は不安定になり、鉄板を敷いていても重機が転倒する可能性がある。そうならないように地盤改良をせねばならなくなって昨日あたりから改良剤が現場に搬入され始めた。 しかし、設計では地盤改良を考えていなかったから急遽、設計変更ということになる。市の担当者と協議して業者に改めて指示をすることにしたのだが、現場では危険が予想されたから改良剤を勝手に使用し始めたというのでは監理者のボクや市(工事担当)への報告・相談もないまま勝手に進めたことになるので注意をせざるを得なくなった。監督に注意したところ「どうせ金が出ないから・・・」と言う。「それは順序が逆だ」とボク。仕様書や設計図に載っていない項目は良かれと思っても勝手に工事を進めることは禁止されている。日頃から「ホウレンソウ」を口が酸っぱくなるほど言っていてもこの程度だ。 ホウレンソウとは、先ず報告をし、連絡をし、相談することで、それが仕事の基本ルールなのに勝手に工事を進める業者は監督の教育がなっていないことになる。たまたま今日、施工業者の社長が現場に来たので改めて注意をしておいたが、良い大人が困ったものだ。「金が出ないと思って自分で判断して内々に済まそうとしたのでしょう」と社長も監督と同じことを言った。が、それは考え違いも甚だしい。それに改良剤を使うと六価クロムという毒性(発癌)物質が発生する可能性があり、事前に試験調査をしなければならないように法律で規定してある。小学校で毒性物質が発生する可能性があるということを監督はどのように考えているのだろう。 概して業者というものは金のことしか頭にないから余程注意して掛らないととんでもないことになる。事前に「ホウレンソウ」を幾ら呼びかけても無理な相談なら監理者は現場代理人(監督)を更迭するしかない。が、市の担当者は業者の能力の程度を知っているから程々で手を打っているようだ。監理者もそれに準ずることになってしまうのは残念な気もするが、少なくともプロなのだから、良い大人を再教育するには金で締めるしかないようだ。地獄の沙汰も金次第というが、結局は金で苦労するのは業者の方なのだ。その辺りは頭の回転の良い監督なら直ぐに分かる筈なのだ。それが癖なのか気質なのか個性なのか区別のつかない人間は掴みどころがない。技術論だけで工事が進まない世界がまだまだあるのだ。
2009/03/27
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On the Desk.(ボクのデスクの上) 外出する時に忘れ物をしない為に、デスクの上には財布(キイ・ホルダー付き)、小銭入れ、腕時計、万歩計、携帯の5点セットを置くようにしている。服を変えると何か忘れるので、帰宅すれば全部デスクの上に出しておくことにしているのだ。余裕のあるなしにかかわらず出かける時は余計なことを考えず、流れに乗ってポケットに入れるようにすれば忘れることはない。つい最近まではこの5点の他にデジカメがあった。しかし携帯のカメラで充分に撮れる画素数があるのに最近変えたのでデジカメが要らなくなったのだ。その分軽くなった。腰のポシェットに入れていた膨らみも無くなってスッキリした。荷物は少ないほど良い。On the Desk.(ボクのデスクの上) 小物入れにしている小さなショルダー・バッグには携帯傘と携帯用計算機、簡単漢字辞書、筆入れが入っている。読みかけの本を入れている時は少しかさばるが仕方がないと諦めている。ボクは本を読むのが速いので直ぐに新しい本を入れなければならない。メグレ警視シリーズは買った分は全部読んでしまったので今のところ何も読む本は無い。専門書は出来るだけ持ち歩かないようにしている。自宅にも事務所にも現場にもそれぞれ置いてあるので持ち歩く必要が無いのだ。大方のことは頭に入っているからディテールはその都度見れば良いのだ。同じ仕事を40年以上もやっていれば誰でもそうなるだろう。 面白い話を思い出した。先年亡くなった友人の奥さん(若くして亡くなった女医だった)が大きなバッグに専門書(医療診断の書籍)を入れて往診の時は必ず医療器具と一緒に持ち歩くのだった。往診先で対応が分からない時「一寸、お手洗いを借ります」と言ってバッグを持って行くのだ。そこで関連のページを開けて読む、つまりカンニング・ペーパーのようなものだった。まさか患者の前で本を開く訳にも行かないからそうするのだと笑いながら言っていたが「まさか」とボクは笑ってしまった。しかし、それは本当の話なのだ。それだけ彼女は真面目な人だったのだろう。分からぬまま対応するのが嫌だったのだろう。 知ったかぶりをして間違った診断をされるよりましだ。医者も人間だからオールマイティーということは無いだろう。まして複雑な病気の場合は見掛けだけでは分からない時もあるだろう。ベテランになれば経験からあてずっぽうでも適切に処置できるかも知れないが、必ずしも適切かどうかご本人も内心ビクビクしながら診断しているのかも知れない。患者の方がよく知っている場合もあるから、いい加減なことは言えない。昔、国立の大学病院で巡回中の医師が何気なくドイツ語で隣の仲間の医師に「この患者はもう先が無いな」と言ったところ、その患者がベッドから飛び出し窓から身を投げかけたことがあったそうだ。 その患者はその大学の学生でドイツ語の出来る秀才だったのだ。不謹慎なことを言った医師は左遷されたという。口は災いのもとである。ボクは英語よりもドイツ語の方が成績が良かったから、その話を聞いて実際の話だと思った。どうも作りもの臭い話が多い中で自分の経験からそういうこともあるだろうと思ったのだ。例えば、外科医の教授が手術の実習中、サンプルの死体の尻に指を突っ込んでそれを口にくわえてから、インターンに「同じことをしてみよ」と言った。インターンは驚きながらも同じようにすると「君は外科医には向いていない。辞めなさい」と言われてしまった。訳が分からない顔をしていると教授が静かに言った。 「私は人差し指を突っ込んで中指をくわえたのだ。君は人差し指を突っ込んで人差し指をくわえた。手術の繊細な指の動きを漫然と眺めている君には外科医は向いていない」この手の話は作りもの臭い。教育の為に敢えてそういう例を言ったのだとボクは思うのだ。そういう例は数多くある。建築でもボクは若い子によく専門用語を教えることがある。それも只教えるのではなく「これを何と言うか知っているかい?」とか「●●はどういう意味か分かるかい?」と何気なく訊くのだ。多分答えられないのは分かっているから先ず考えさせるのである。考えて間違って答えても良いのだ。 考えようともせず直ぐに訊き返すのは見込みが薄い。薄いが何人か居ることだし一応は答えを教える。教えるが、何故そういう呼び方になったのかとか意味の由来も教えることにしている。そうすれば、プロセスが理解出来れば意味も理解し易いのだ。事務所では仕事中だから無駄話はしないが、食事時なんかに話すのだ。現場では検査の時に話す。検査が合格か不合格か、すれすれの時に敢えて質問して訊く。すると慌てて弁解がましく説明が返ってくるが本質を言っていないことが多い。何故なら検査が楽に通るようにしてある現場は監督がしっかりと下検査をしたという証拠であり仕事を理解しているからである。 そういう監督の場合は逆に相手から質問してくる場合がある。頼もしい限りだ。そういう相手だと懇切丁寧に教える。何事も自分の仕事を理解して段取り良く手配している人間は伸びる。仕方なく嫌々やっている人間は本人もしんどい筈である。好きこそものの上手なれというのは本当である。好きなことをしていれば時間の経つのも速く感じるものだ。疲れも違う。そういうボクだって若い頃は先輩にボロクソに怒鳴られたものだった。悔しいから次には間違いなくやっても別の欠点を指摘される。その積み重ねが今のボクだ。ところで、デスクの上に5点セットを置くようになったのは歳のせいだ。若い頃はそういうダサいことはしなかったものだ。
2009/03/26
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大詰めの自治会の仕事(5) 生きている限り、健康な状態であればボクはこれからも何らかの形で自分の能力にあったやり方でボランティアを続けて行く積りである。勿論それを自慢したり見返りを期待するような馬鹿なことはしない。密かに社会の片隅で少しでも社会に役立てばそれだけでボクは満足なのだ。それは少年の頃、ボーイスカウトで教えられたことや日曜学校で牧師さんから聴いた話から身についたことだ。今では小学校や中学校でホームルームとか道徳という時間を持っているのかどうか知らないが、あれは教師次第で非常に役立つ時間帯だ。教師が悪ければ無駄な時間帯でもある。教師は心して教育とは、人間形成とはを真剣に考えてもらいたいものである。冬越しをしたアサギリソウオーレア たまたま偶然のことだが、次期自治会長は元小学校の校長先生だった人で殊更弱者には救いの手をとボランティアに熱心な方なので有り難いと思っている。教育者というものは例えば前にも新渡戸稲造のことを書いたように、ボクの義父が彼に師事し日本全国を一緒に講演活動で廻ったことをよく聞かされたものだが、大変な努力家で真面目であることを耳にタコが出来るほど何回も聞かされ、その声が耳朶に残っている。彼の書いた「武士道」という英文の論文でも分かるように彼のような国際人で教育啓蒙者は今では珍しい語り草になるほどの人物だ。それだけに再度そういう人物が現れることをボクは強く望んでいる。勿論そういう人は現代でも在野にも沢山居ると思うのだが、残念ながら近くには見当たらないのだ。 だから微力ながら自治会やPTAという身近なところからボクはボランティアとして何らかの協力をしたいと思うのである。その点、次期会長はうってつけの人物で良い人を選んだと想う。それだけに協力を惜しまないのである。子供見守隊(小学生低学年対象)という登下校の際の見張り番を老人クラブの有志がやってくれているのもそのひとつだ。当然ながらPTAでも父兄が交替でやっている。物騒な昨今だけにそういう見張り番が必要なのは情けない話だが、背に腹は替えられないのだ。当面平和が確認されるまでは続けなければならないだろう。見張り番でなくても道行く人や散歩をする人が一声「おはよう」とか「お帰り」の声を掛ける自然な雰囲気が出来るだけでも良い。 現実には、自分の子だけを車で送り迎えする親が居る中で、皆がワイワイがやがやと話しながら一緒に登下校する風景を昔のように再現させるのもひとつの防犯運動になるだろう。近くに大学や私立高校が集まって文教地区のようになっている住宅団地だからこそ余計に子供の安全は当然のようにあらねばならないのだ。ボクのように街の繁華街の中で生まれ育った子供は概しておマセだったから、すばしっこくて危険性は肌身で直ぐに察知したものだ。それは環境のなせる技だ。だからこそ自然環境の良い、のんびりした郊外で育った子はのんびりしているだけに大人が守ってやらねば、というのも一種の社会的義務なのだ。 最後に自治会役員のことで一言付け加えておくなら、これはボランティアの中でも管理部門の仕事だから頭を使うべきもので、決して言われるまま考えもせず動いて済むものではないということだ。それはどういうことかと言えば、例えば集会所の防火管理に関して言えば消防署へ防火管理計画書を毎年出すことになっていて、此処の場合、防火研修を受けた火元責任者が書類を出せば良いようになっている。ところが、火元責任者はボランティアの筈なのに幾ばくかの金をくれと言うので10年ほど前から金を渡しているのだ。つまり書類を出す代わりに手数料をくれというのだ。それで何がボランティアかと思う。が、彼は金を貰うのが当然のような顔をしている。 自治会費を皆が払って成り立っている自分達の自治会から金を貰うという火元責任者の考え方には納得が行かないのだが、ある役員に言わせれば「なあに、高が僅かな金で動いてくれるなら安いもの」とせせら笑っていた。「いわば下請け業者ですネ」と他の役員も笑った。それでボクも、そういう人も世の中には居るのだなと無理に納得した訳だが、役員の中には自分のやっている仕事や立場を理解せずに動いたり利害関係だけで動く人も居るということだ。折角、管理部門に居て頭を使う立場なのに言われるままや金でしか動かない役員というのも困ったものだ。それでも何もしない役員よりはましとせねばならないのだろう。
2009/03/25
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大詰めの自治会の仕事(4) 少々頭のおかしい例の女性民生委員のことは、既に周りにそのことが知れ、浮き上がっているから、心配しなくても、この先、行き着く処は決まっていて無視しても良い様な問題である。それは自分で自分が変だと認識出来ない頭の病人がよく陥る行動、つまり何度か奇行をパフォーマンスのように繰り返すことで自己満足する行動で、それを周囲から指摘されて家族もこれ以上恥の上塗りになるのを避ける為に病院送りにするのが一般的だ。放っておいても自滅する。ところが、彼女の父親も老人性痴呆症が始まっていて少々頭のおかしい行動をとり、老人クラブの会合やゲート・ボール、グランド・ゴルフで気に入らない相手を露骨に排除する行動に出ているというから娘共々病院送りになるかも知れない。個人の資質は、癖と個性とをよく混同されるから見極めが難しい。 そういえば25年ほど前、大阪の三越劇場で頭のおかしい女性が上映直前に舞台に上がって、さもウエイトレスのような演技を悠々と演じていたことがあった。盆を肩の上まで片手で持ち上げたポーズで舞台の袖から現れ、舞台を行ったり来たりして、係員が制止して舞台から降ろすまでの数分間の独り芝居だった。観客は異常な女性を困ったような表情で観ながら、その内係員が制止するだろうという気で居たから大騒ぎにはならなかったが、哀れな姿を観たという雰囲気だった。独り芝居を演じているご本人は恍惚とした表情で騒ぐでなし連れられて降りて行った。劇場で何を観たのか忘れてしまったが、その光景だけは今も鮮明に思い出す。 更にもうひとつ想い出す光景がある。丁度その頃だったと想うのだが、渋谷の井の頭線の改札を通り過ぎ、停まっている電車に乗ろうとホームを歩いて行った際のことだ。ふと、電車の最後尾に乗っていた女性がこちらを見ているのに気がついた。それは何処にでもよくある光景だから気にせずそのまま歩いて行った。するとその女性が電車から降りこちらに向かって来るのだ。乗車ホームを逆行するので電車を乗り換えるのだろうと思った。が、彼女はボクの目の前で急にクルリと180度ターンして止まった。あわやボクはぶつかりそうになり、不快な思いで何とか彼女を避けた。すると彼女は、ボクを観てケラケラと笑い出したのだ。 ボクは一瞬ゾ~ッとした。何か刃物でも持っているのではないかととっさに身構えたものだった。変な事故にでも逢っては詰まらないと急いでその場を離れたのは言うまでもない。駅員に告げるよりも係わり合いになりたくなかった。唯それだけのことだったが、三越劇場の件といい、井の頭線のことといい、今回の民生委員の件はどれも同様の表情をし焦点の合わない目をしていたのだ。常人でさえジッと目を見合わせるのは気色悪いのに狂人の目というものは異様な輝きをし何処を見ているのか分からない。時代が複雑になればなるほどそういう人種は増えて来るのかも知れない。自分の住んでいる近所にそういう人種が居るというのは気持ち悪いものである。 ボランティアの問題から深層心理の多重人格や認知症の問題に話が行くとは正直ボクも思わなかった。まともな時は彼女らは常人と変わらないから異常な行動をとるまでは分からないものだ。掛かり付けの医師なら自分の患者の行動は把握しているだろうし社会的適応力の限度も充分認識しているだろう。亦、適切な治療法も為されるだろう。病院送りになるにせよ通院だけで治るにせよ何らかの治療が施される訳だ。ボクの住む住宅団地の隣の駅の神経科の病院が最近になって大規模な増築工事を終えシートが外され電車から観えるようになった。真新しくて近代的なビルだ。綺麗だが神経系の患者が多く増えている事実を目の当たりにされると現代の社会状況である老人問題を改めて考えさせられる。痴呆性老人が急増しているのだ。 徘徊から始まり、垂れ流しをしたり、行方不明になるケースが増えると家族はその都度探し回り、繰り返しが増すと結局は病院送りにする。頭以外の身体が健康である場合、本人は自分が頭の病気であることに気づかないから気の毒である。軽い認知症の老人は多く居るが、社会に害を与えることが無い程度なら家族が面倒を見る。それだけでも家族は大変だろうが、ボランティアで介護する人やまともな民生委員の活動には頭の下がる思いがする。それなのに逆にそれを観てせせら笑う例の民生委員には社会正義の立場からでなくても常識人なら誰もが腹を立てるだろう。(つづく)
2009/03/24
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大詰めの自治会の仕事(3) ゴルフ場の開発はボランティアとは全く関係ないのだが、最初に会ったパチンコ王のことを言いたかったので書いた。つまり、彼はマスコミにも言っているように「自己主張したいのなら日本国籍を取れ」と在日の人々にコメントしているのだ。日本の社会で生きて行きたいのなら、ちゃんと主張出来る立場に自分を置きなさいと言っているのである。明言である。「税金を払っているから日本人と同じ権利を」と主張するだけでは日本人社会は簡単には受け入れてくれないだろう。そこには風習もあれば文化もあるのだ。日本社会の伝統を無視しておきながら自分達(母国)だけの主張をしたところで小さな集団でしかない。人数が多かろうともそれでは経済難民と変わらないのだ。今日も蘭は微笑みかけてくれる 先に述べた前の自治会役員だった高齢の婦人の場合、ご主人はかつて在日支援団体や在日の学校の理事をしていたりして仲間内では著名人だったそうだ。そんな人の妻が日本社会を拒絶していながら自治会の副会長という肩書を持つことに違和感を抱いた人々は多かった。「何故、あんな人が・・・」という声が他のブロックから挙がったものだ。副会長はブロックの班長会議で選ばれることになっているのだが、後でそのブロックの人々に訊けば「以前から近所付き合いが悪くて、何も協力しない人なので全員一致で敢えて選びました」とのことだった。本人も「何故、私がしなくてはならないの?」と当初ボクに訴えたことがあった。 「やりたくないのなら何故その時断らなかったの?正当な理由があればそれを主張して班長さん達に認めてもらえば良かったのに」と言うと黙ってしまった。正当な理由なぞなく単にボランティアなぞやりたくないだけの話なのだ。以来、毎月の役員会議に来たり来なかったりで、来ても1時間もすれば必ず携帯が鳴って「用事ができましたので、これで失礼します」と言ってさっさと帰って行く塩梅だった。それでも自治会役員の親睦を図ろうと半年目にボクのポケット・マネーで料亭で会席の場を設けたところ彼女だけが欠席した。携帯で欠席理由を訊くと「急に行けなくなったので今朝、○○さんに言っておいたわ」と言うのだ。 目の前に居る○○さんに「欠席の言伝を聞いていたの?」と確かめれば「・・・・」と返事をしない。彼も在日の人だから何か示し合わせたのかもしれない。折角の料理が一人分勿体ないことになってしまった。実に不愉快な思いをさせられたのだった。不愉快な思いは更に続いた。会員名簿(330世帯)を作りかえる時期になっていたので3名の副会長(ブロック長)に手分けしてボクの作った原稿の点検を頼んでおいたところ結果的に彼女のブロックだけが点検されないまま「間違いありません」と戻ってきたので印刷屋に廻した。何故点検していないのが分かったのかと言えば彼女のブロックの一人の会員が抜け落ちていて配布直後、本人と班長から抗議の電話があったのだ。 それを伝えると「点検なぞしてないわ。それじゃ、私が名簿に手書きで書いてその会員宅へ届けるから良いでしょ」と言うではないか。「そういう問題ではなく、先ず、ご迷惑をお掛けしましたと謝罪しなくては。それに、330所帯もの名簿をどうやって回収して修正するの?」と言うと、やっと事の重大さが分かったのか黙ってしまった。頭の回転が悪い上に更に非協力的なので居ない方がましという役員だった。ところがそういう一連の騒動を書いたボクのブログを読んだ民生委員が、それをプリントしてわざわざその副会長宅まで届けに行ったのだ。勿論悪意があっての行為だ。民生委員が以前に不祥事を起こしてボクに注意されたのを根に持っての復讐のつもりだったようだ。 不祥事については「知らぬ存ぜぬ」の逃げで彼女は逃げおおせたつもりだったようだが、後日、怪文書事件(ボクのブログをネタに誹謗・中傷・脅迫した文面をばら撒いた事件で市と警察が調査して解決を見た事件)を起こした仲間の一人として市の福祉課から民生委員としてあるまじき行為であると査問会で厳重に注意されたもので、もう済んでしまったことだがら詳しい内容は割愛する。ボクは民生委員というのは土地の名士で人格者だと思っていたのだが大きな間違いだったことが分かった。彼女は新参者だった。民生委員の中にはヤクザも居るという。最近では時代と共に成り手がないというのが実情だそうだ。(つづく)
2009/03/23
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大詰めの自治会の仕事(2) ボランティアというものは自発的に行動しないと続かないものである。自発的でないボランティアというのは義理で頼まれたり、順番が回ってきたり(輪番制)、選ばれてその任にあたるという他動的な理由によるもので、ある程度責任が付いて回る。だから本人にすれば嫌々させられているという意識が頭の片隅にある。その意識が途中で責任を放棄したり手ぬかりなボランティア行為となって出てくる。勿論そうでない人も多く居るからそれは人間性の問題だろう。思い起こせば一昨年前のボクの最初の自治会長時代の役員に徹底的にボランティアを嫌がった人が居た。それなら敢然と選ばれたのを断れば良いのに断るのを言い渋ったのだった。デスクの蘭は様々な人間模様の雑念を振り払ってくれる それは二名の在日の人で、一人は70前の婦人、もう一人は30代の男性だった。在日の人というのは一般的には出稼ぎに日本に来て住みついた人々のことを指す。勿論、日本国籍を持っていない人だ。日本の社会の一員としてちゃんと税金を納めているから日本国民と変わらない生活をしている。名前を訊かなければ見掛けだけでは分かり難いし日本名を名乗っていれば殆ど分からない。それなのに日本人に成る気がない(日本国籍を取らない)人々で、母国では国を捨てて出て行った人という見方をされ軽蔑されているそうだ。昔、ある銀行の課長の紹介でパチンコ王と呼ばれる(日本で三本の指に入る)オーナーと直接会って話をしたことがあったが、彼は日本国籍を取った紳士だった。 彼とは仕事の関係で打ち合わせたのだったが、ボクがサラリーマン建築家をしていた頃、社長から「小さな仕事ばかり集めないで100億ぐらいの仕事をしてください」と言われ、当時そのようなプロジェクトとして建物(設計し、建設し、売却する建物)は先ず無いだろうし探すのも無理だろうからと考えたのがゴルフ場の開発だった。18ホールのコースを丸ごと一から開発し会員権の発売まで見るとするなら100億円になる事業だった。調査して近畿圏で2か所のゴルフ候補地が見つかって地元の町長と会ったり関係者と協議した後、知り合いの銀行の課長にオーナーになるような人物としてMという会社のオーナーを紹介され彼に会いに京都の瀟洒な邸宅へ行った。 邸宅はスパー・ゼネコンT社の建てた立派なものだった。品もよく、なかなか綺麗な建物で庭園も立派なものだった。総勢6名ほどが訪れ、応接間に通されたのだったが、ふかふかのカーペット敷きの為なのかスリッパが無かったのを意外に思ったことを今も覚えている。在日を経て日本国籍を取った人だから国の習慣がまだ残っているのかしらと思ったものだった。結論から言えば、ボクが説明したプレゼンテーションの内容を見ながら慎重なもの言いで幾つか質問し一つ一つ納得しながら話は進んで行ったのだった。が、銀行の紹介もある手前、即答は避け、後日返事をするという返事を聴いた時のイメージでは駄目という感触だった。 それはその場の空気でボクなりに判断した訳だが、後日の銀行課長の返事でも矢張り駄目ということだった。そんな交渉を別の出資者数人とも折衝して数か月が過ぎ、流れと成り行きからボクなりに見切りをつけ、プロジェクトそのものを自社で進めるのを諦め手を引いたのだった。会社は儲かるかどうか分からないモノで遊ばせてはくれないのだ。手放した途端に、ある鉄鋼メーカーがそのプロジェクトを二件共引き受けたというのを知った。少しばかり残念な気がしたが、ある種、ホッとする面もあった。プロジェクトを軌道に乗せるのを失敗したが、自社にはオーナーになるだけの資金がなかったからだ。 その後、1年ほどしてバブル景気が陰りを見せ始め、ボクが手放したゴルフ場プロジェクトを引き受けた大手鉄鋼メーカーが、そのプロジェクトで苦労しているのを知った。最初に会いに行ったパチンコ王の判断が正しかった訳である。ボク自身もホッとしたのだった。仮に別のオーナーを見つけて軌道に乗せても同じ結果を見ることになったと思うと背筋がゾッとしたものだ。開発場所が兵庫県の山中で、県面積の2%を超えてゴルフ場開発を規制する条例が出来た為に更に開発は厳しさを増していることも知って、ギリギリのタイミングであったことも分かった。運が良かったのだろう。その後、ボクは軽井沢に別荘を建てるプロジェクトに専念し、関西の仕事は暫く離れることになった。(つづく)
2009/03/22
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大詰めの自治会の仕事 次の日曜(22日)にいよいよ自治会役員として締めの総会があるのだが、やれやれこれで煩わしさから逃れられると想っていた矢先、同日に集会所での葬式が重なってしまった。その電話が早朝にあった。集会所使用規定では公的な行事(選挙などの役所がらみ)が優先するものの、その他では会員の葬式が優先することになっている。しかし、年度末の総会は準公的なもので、直ぐ迫っている時だけに総会を延期するのは回覧板や団地内TV(有線)のお知らせをしたところで間に合わないだろう。それにその次の日曜は市会議員の選挙がある。年度内の決算総会が出来ないのだ。これは困ったことになったと思案してしまった。蘭は手入れが難しいが、挑戦してみるだけの価値がありそうだ しかし、冷静になって考えてみれば人の生き死には代えられないが総会は代えられるのだ。親族が嘆き悲しんでいる時に理屈で押し通しても憎まれるだけだ。そこで次期自治会長と相談して新年度の予算総会を早めに開催し、その折に決算総会を同時に開催しようということにした。それだと二回開かなくとも一回で済む。22日の総会の欠席予定者から預かっている委任状は有効ということにし来月の5日(日)に使うことにすれば万事解決する。但し、新年度の予算総会が同日で迫っていることだ。至急に各会員に連絡しなくてはならず、案内状を配り委任状を回収しなければならない。 勿論それは新年度の役員がやる仕事なのだが、今年度の書記にその旨を伝え、決算総会と予算総会の同日開催の案内文(委任状添付)を作成するように頼んだのだった。ところが「決算総会の案内はしますが新年度総会案内は新年度の仕事ですから私はしません」と断られてしまった。急ぐので今年度の役員で同じ紙で処理しておきたかったのだが、一応は理屈だから無理にとは言えず「それじゃ、結構」と電話を切って諦め、次期会長に再度電話して頼んでみたところ、次期会長は笑いながら「それでは私が作りましょう」と快く引き受けてくれたのだった。 同じ仕事なのに最近の若い人は自分のことしか考えないようだ。そう言えば、これまでの役員会議でも採決を取る段になると「私の意見を出さなくてはいけないのですか?」と自分の意見を出すのを嫌がって逃げるのだった。つまり役割というものを全く理解しないまま何となくやらされているという具合なのだ。役員を引き受けた以上は役割は果たしてもらいたいものだが、水を飲みたくない馬を水辺へ連れて行くだけでも大変なのに、いざ飲ませようとするともっと大変なのと似ている。如何に役割を理解させるかが問題になるとは思わなかった。次期役員に内定している人の中には乳飲み子を抱えた副会長も居ることだし次期会長も苦労するだろうと懸念されるところだ。
2009/03/21
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建設現場(2) 建物の基礎の下に杭を打つのは基礎が自重で沈まないようにする為である。昔は松杭が一般的だった。値段の面もあったし技術力の未発達ということもあったが、時代と共に科学技術が発達し、鉄筋コンクリートの杭が開発され30年ほど前から一般化するようになった。重要な建物は木の杭ではなく鉄のパイプや鉄筋コンクリート杭が使われ、中でもべノト杭という場所打ち杭(既製品ではなく現場でコンクリートを流し込んで作る杭)が50年ほど昔にフランスで開発されてからは日本でも多く使われるようになった。ボクも中高層マンションには多く使っているが、今回の小学校では4階建てと低層なので既成コンクリート杭を使う。杭抜き機の全長は20m以上ある(松杭の長さに合わせてある) さて、既存の松杭の引き抜き工事であるが、簡単に抜ける杭もあれば、ひと癖も二癖もあるものまである。中には20mの設計ながら10mで止めているのも多く出て来て、30年ほど前迄はいい加減な工事が横行していたのだなと驚いている。現場監督が悪いのか、監理の技術者が見逃したのか分からないが公共工事ですらこんな具合だから民間の工事では推して知るべしである。ボクなんか小心者だから手抜き工事なんかして将来大変な事故でも起きれば・・・と考えただけで恐ろしくなる。他人がしていても気になるのだから自分では絶対に出来ない。それが当たり前なのだが、姉歯という馬鹿というか無責任な犯罪建築士が手抜きの構造計算書をでっち上げた事件があった。 それを見抜けなかった役所とその代理会社が逃げている。日本人は何時からそんな卑怯者になったのかと憤慨しているのはボクばかりではないだろう。大きな社会問題になったから覚えている人も多いだろうが、もし自分にそういう問題が降りかかれば頭を抱えるだけでは済まないことだ。専門家のボクでさえ腹が立つのだから一般の消費者は何処へ怒りをぶつければいいのだろう。裁判で決着といったところで10%の保証がされれば好しというのだから人生が狂わされる。騙されないように信用のおける大会社の物件しか手が出ないというのでは困る。小さくとも信用のおける会社の物件が当たり前に流通することを願うばかりである。杭抜き機の作動中(先端のジェット水流で土がヘドロ状になっている) 今のところ一日で4本抜ければ良い方だ。全部で120本ぐらい杭が埋まっているのだが、来月から始まる鉄筋コンクリート杭が当たる部分だけ40数本だけ抜くことになっている。当たらない杭はそのままにしておく。だから2週間の工期を見ているのだが、それでもギリギリである。斜めに打ってしまった杭のように抜くのに手間が掛るのが工期を引き延ばすことになる。工事期間が延びて困るのは生徒と先生だ。役所は無関心だから正当な理由さえあれば工期延長を簡単に認める。工事請負業者も困るだろうが、但し役所が認めてくれればそれなりの追加工事があるからトントンだろう。設計者や監理者は無関係のようだが、監理は工事期間が延びれば困る。何故なら追加監理費が出ないからだ。 たまに出る場合もあるが1か月ぐらいでは出ない方が多い。だから出来るだけ工事期間内で終わるように指導する。するが建設業者が延びて欲しいと思う時は大概延びる。市の工事担当者は業者には甘いのだ。地元業者が市会議員と繋がっているケースが多いので役人は批判されるのが怖いのだ。その代り設計事務所は市会議員との繋がりは殆ど無いから役人は強気で来る。馬鹿げた話だがそれが現実なのだから困ったものである。ボクなんかは正統派だから理屈を言う。理屈の通らない話は一応文句を言うことにしている。それで通らない場合は仕方がないと諦める。それが設計事務所の筋であり立場でもあるのだ。だから役所の仕事はやらないという設計事務所も多い。
2009/03/20
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建設現場 朝晩は冷えるが、日中は五月下旬の気候(22℃)という急激な気候の変化が昨日と今日の気温だ。これで一挙に桜を刺激したようで、もう間もなく桜便りが聴けるだろう。暑さ寒さも彼岸までという諺の通り、春分の日も明日に迫っている。さて、小学校の建築工事も旧校舎の解体工事が終わって、いよいよ既設の杭(松杭、長さ20m、直径30cm)を抜く工事が始まった。33年ほど前に施工された松杭を抜いて同じ場所に新しい鉄筋コンクリート杭を打ち込む工事が来月から始まるのだが、松杭を抜くのはなかなか厄介な仕事である。というのは、松は水の中では腐らないから当時の工事基準としてはそれで良かったものの、真っ直ぐ垂直に打ち込まれていれば良いのだが、斜めに打ち込まれた杭は引き抜くのが上手くいかないのだ。いよいよ始まった杭抜き工事 昨日は最初の杭を抜くのに立ち会った。杭を抜く機械(オーガーという直径60cmの鉄製の長い筒)を回転させながら杭に被さるように垂直に地中に入れていく。ところが、先ず5m位入ったところで折れた杭が浮き上がってきた。33年前に折れたままの状態で放置したものだ。次に掘り進むと、心配が当たって、斜め打ちの杭だと分かった。杭が斜めになっているから出てきた6mの杭の半分下はオーガーに当って鉛筆を削ったように先細りになっていたのだ。そうなるとその下の杭を抜き出すのに苦労する。オーガーは先端にジェット水が出るようになっているから杭の周りは泥水状態である。その中を泥と一緒に先細り杭が出てきた訳だ。 更にオーガーを16mほど入れ杭先端と考えられる処まで到達してから引き抜くと杭の先端の砕けた根のような松杭が4mほど出てきた。それで1本目の杭の引き抜き作業は終えた。合計15mの杭だったことになる。設計では10mの杭を途中で繋いで20mにしてあるのだが、斜めに入ったので摩擦抵抗が強く入らなくなったと考えられ地下10mあたりの繋ぎ部分で打ち込みの衝撃で折れてしまったらしい。打ち込みが出来なくなった残りの5mは地上で切断したのだろう。昔の工事監理がずさんだったのか監理者の居ない時にそうなって業者が黙って済ませていたのか分からないが兎に角その状態でも建物はもっていたことになる。(つづく)
2009/03/19
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早春(2) 春が来ると言えば心が浮き立つのは幾つになっても変わらないものだ。特に日本は年度初めにあたるから余計に新しいという期待もあってウキウキするのだろう。それに桜前線の北上と共に日本は南から毎日の気候の変化が伝わって来て活性化して行くのもあるようだ。早春といえば早春賦という歌が直ぐに浮かぶ。古めかしい言い回しながら日本語の美しさを現代に伝える良い歌だ。その歌の通り、谷を渡る鶯は今年は未だ現れないが、鳴き始め(それを初音という)は下手糞な、出だしが詰まったり、途中で調子はずれだったりして思わず笑ってしまう。からかって口笛でまともな鶯の鳴真似をすると暫く鳴き止んで様子を伺うようにしている気配がする。春を呼ぶ書斎の蘭 やがておもむろに亦下手糞な鳴き方をする。すると再び口笛を鳴らすという具合に二三度やりとりをして遊ぶ。そんなボクの棲む住宅団地は大阪と奈良の境目の丘陵地である。36年ほど前に開発され、ボクは結婚して直ぐに棲むようになったから34年居ることになる。息子はこの地に移って直ぐに生まれたので34歳になり、この地が故郷だ。ボクは生まれ育った京都よりも長く棲んでいることになり、我ながら月日の経つ速さに感心している今日この頃である。住宅団地から観える二上山(にじょうざんと呼ばれることが多いが、ふたかみやまの方が風情がある)には一昨年に初めて登った。30年以上も棲みながら一度も登らないというのも情けないと想ってふと登ったのだった。以来、機会があれば登るようにしている。 歴史的に古い山だから有名でもあるが、青年時代、ドライブをしていて偶然この地の近くの国道を走ったことがあった。名前だけは知っていた地名だから興味を持ちながら眺めたものだったが、まさか棲むことになろうとうとは夢にも想わなかった。こんな辺鄙なところに棲む人とはどんな人かと想ったものだ。ところがその後、数年してこの住宅団地が出来た。列島改造論が全国を席巻していた当時、大阪市内から直ぐ近く、吉方位(タツミ・南東)にあり、中でも国定公園内の自然のアンジュレーション(起伏)をそのまま生かした自然環境の広い住宅地が気に入られたこともあって人気が出、大阪の商売人がドッと押し寄せたのだった。 ところが今や世代交代の時代に入って、巣立って行く人や戻ってこない子の家は他人が建て替えたり、新規に空き地に新築する人などの入れ替わりが激しくなり、古くから居る人々も次第に少数派になって来た。広い屋敷に老人の一人暮らしというのも珍しくなく、死ぬのを待っている老人も多い。周辺の住宅団地を含むと5,000名ぐらいのこの住宅団地で80歳以上の老人が少なくとも500~600名は居ると思われ、同居家族の居る家は良いとしても切実な切羽詰まった問題になっている。団地内に老人病院がある関係でかなりの老人が養老院代わりに入院していることもこの住宅団地の高齢化が市内でも高い方になっている。 さて来週はいよいよ自治会の年度末総会が開かれる。それでボクの自治会長の任期は終える。2年という短いようで長かった自治会の仕事は要約すれば老人問題に始まり、老人問題で終わったようなものだった。かつて自治会から分裂していた老人クラブ(会員250名ほど)を新たに自治会組織に組み入れたことと、老人のボス達を一掃して新しい自治会組織に生まれ変わらせたこと、後任の自治会長を生まれ変わった老人クラブの会長であり地域福祉推進委員長をしていた人にバトンタッチしたことが実績と言えようか。以前の老人クラブ会長やその取り巻き連中が老人クラブや自治会を私物化し、市や自治会から騙し取った補助金で仲間数名が旅行を毎年繰り返していた悪弊を無くしたのは良かったと思う。 その代わり怪文書や非難中傷の嵐が起きたのも今となっては懐かしい。馬鹿な老人達が僅かな金をちょろまかして悦に入っていたのだから情けない。そんな連中は老人クラブだけが唯一の楽しみの場であったらしいのだが、公金を誤魔化して仲間内で消化することが甲斐性だと自慢していたのだから困ったものである。その反省も無いまま、未だに影でコソコソと動いているというのだから次期会長を今後も全面的にバックアップしなければならないだろう。それには市の福祉課と市の警察の協力も必要で、両方の幹部からの協力の申し出も受けているから少しは心強く、総てが新しく始動を始める春の季節は何か期待が持てそうである。
2009/03/18
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早春 未だ鶯の声は聴かないが陽射しは既に春である。ココは寒さをものともせず、食事を終えると直ぐに外へ出たがる。勝手に自力ではサッシ戸を開けられないから開けてやるのだが、開けても直ぐに出ようとせず、辺りを覗う様子をする。開けたままでは室温が下がるので「出ないんなら閉めるヨ」と閉め掛けるポーズをすると慌てて出て行く。大人になると変な知恵がつくので体裁を取り繕うようになるのだ。言われるままに行動すると沽券にかかわるとでも言うのだろうか。自分から出たいポーズを取ったくせに出るかどうかポーズされると猫におちょくられている気になる。勿論、おちょくるという高度な技量は持ち合わせてはいないのは分かっているのだが。鳴かずに、ジッと見つめるココ それでもココの心意気を読み違えると、誤解ながら人間と同じように扱ってしまうから、ペットが家族同然のようになるというのも分からないでもない。亦そこが可愛いところなのだろう。身勝手な行動が平気で、媚を売らないところが猫の特性でもあり面白いところでもある。逆に言えば、そういう身勝手な行動が取れるほど懐(なつ)いて甘えているということだ。だから抱っこしても暫くはジッとしているものの数分で逃げる。妻なんか抱っこが下手だから直ぐにスルリと逃げられてしまう。それでも無理やり抱っこしようものなら前脚で顔を引っかかれそうになる。顔に傷をつけられでもしたら大変と妻はパッと手放す。ココと妻との攻防は毎日のように起きる。 最近、TVのコマーシャルで猫がよく現れる。中でもアメショウ(アメリカン・ショートヘア種)が多い。白と黒の虎だ。大人しい猫なので人気があるそうだ。大人しい点ではラグドール種も大人しい。それに鳴かないから静かである。鳴いても「ニャ」程度でギャーギャー鳴かないから居るのか居ないのか分からない時がある。餌が欲しい時も鳴かずに目の前に現われてすり寄って来る。帰宅した時には必ず迎えに出る。待ってましたと言わんばかりだ。「寂しかった?」「良い子にしていた?」と言って頭を撫でてやると眼を細めて嬉しそうな仕草をする。それだけに尚可愛い。 そうなると「よしよし、お八つをやろう」ということになる。案外それがココの手練手管(ポーズ)なのかも知れないが、騙されたにせよ、こちらは納得づくだから腹も立たない。ココも真剣に「どうすれば可愛がってもらえるか」と考えての行動なのだろう。ペットの宿命だ。そのくせ、満腹になると手の平を返したようにプイと外へ出る。憎たらしいったらありゃあしない。それでも時間が経つと戻ってきて、ちょこなんと座ってこちらを見る。それも長い時間同じポーズで観ているのだ。まるで置物のようにジッとしている。観られている方は落ち着かないから何かを与えることになる。上手い催促の方法だ。営業マン向きだ。
2009/03/17
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新しい携帯 新しい携帯の案内状が2通来たので、古い携帯を買い換えることにして隣町まで出かけた。ボクと妻の分だ。新しく替えたのはSONYのワンセグでTVも写るから玩具のような感じがする。重さは少し軽くなっただけだが風体は以前のものより半分薄くなって角ばった型だ。未だ使い慣れていないのでマニュアルを読んで勉強しなければならない。ところがマニュアルは何処のものも読みづらくてかなわない。簡単マニュアルという薄い方から読んで、部分部分の詳細を分厚い方と比較しながら読み進むつもりでいる。マニュアルを見ず、先ずやったのは、過去のデータから画面の壁紙を選んでココを登録したことと、文字表示を一番大きなものに変換したことだ。携帯のデジカメもよく写るようになったものだ(デスクの洋蘭・パフィオペディルム) 文字はシャープではあるが小さいと読みづらい。若者と違って年齢的な現象だから仕方がないのだが、ボクは携帯ではメールはやらないので電話番号と時報さえハッキリ見えれば良いのだ。その代り迷惑メールが沢山来るので煩わしい面もある。7、8年前に携帯を持ち始めた頃、何気なくメールを開いてから迷惑メールが多く入るようになった。律儀にも不明の電話にも出たものだった。すると訳のわからない金を請求する内容だったので一切かかわり合いを持たないようにと拒否番号やアドレスとして登録したのだった。それ以来、暫くは迷惑メールも激減したのだったが、最近、亦増えだした。まるでイタチゴッコだ。 個人情報保護法が出来てからは携帯番号やメール・アドレスから個人が特定できる情報は伝わらなくなったので便利にはなった。その代り、それを悪用する人間が居て困っているというのを自治会の役員から聴いた。それは例の民生委員が自分の役職の立場で知り得た個人情報を自分の商売のネタにしているというのだ。どのような商売なのか知らないし、どのように利用しているのかも知らないのだが、分かっているのは地域福祉委員会で一人暮らしの老人の生活をバックアップしたいからとその民生委員に相談したところ個人情報保護法の関係で言えないと拒絶したという。そのくせ彼女はその老人達の世話をするでもなし、あちこちに噂話として面白おかしくペラペラと話すので困っているという。 そこで、地域福祉委員会として独自に一人暮らしの老人のリストを作って老人クラブで毎週行っている昼食会に身体の具合が悪くて出て来れない人に弁当の配布を始めようとしたところ6名の新しいメンバーが判明したのだった。そのことを民生委員に指摘すると何も行動を起こしていないことが分かって「個人情報保護と言っておきながら、あなたが一人暮らし老人の名簿を自分だけ握って何もしていないのはおかしいのでは?」と注意すると渋々その名簿を差し出したという。その民生委員は以前にも書いたことがあるのだが、ボクのブログを批判する怪文書をばら撒いたり、勝手にねつ造した誹謗中傷をしたことがあったので市の福祉課の協力を得て査問会を開いたことがあった。 それからは暫く鳴りを潜めていたようだったが最近、亦何やら変な動きをしているというのだ。困った女性で、周りからも顰蹙(ひんしゅく)を買って浮き上がっている。今度、新しく自治会の役員が代わるので充分そういう内容も伝えてあるので民生委員の切り替え時が周って来れば次回からは彼女を外すことになっている。が、少しばかり頭のおかしい女性だけに皆は困っているというのが実情だ。市の関係者も刑事事件に成れば直ぐに罷免するつもりでいるというのだが、それを待っているというのもおかしな話だ。関係者は「放っておきなさいヨ。その内、自滅しますから」と言っているから迷惑メールのようなものだと半分諦めているところだ。
2009/03/16
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打ち合わせ前のひと時(5) 約束の時間までに早めに来て待つ時間潰しというものは、ごく限られた僅かな時間でありながら意識が集中するものである。速く時間が来ないものかという気持ちとは裏腹の、今日の相手方の考えがどうであろうかという推測と自分の情報の的確さのチェックに意識が集中するのだ。漫然と時間潰しをしていたのでは勿体ないという意識がそうさせるのだろうが、それは長年のボクだけの癖かも知れない。一種の駆け引きが予想される場合は尚更真剣になる。昔、建設省(霞が関)で建築審査会に出席するという経験があった時も、待ち時間の僅かな間、顧問弁護士とのささやくような小声での打ち合わせは一切の無駄を省いた事務的なものながら意識はお互いに集中し、今日の駆け引きで絶対に引くことの出来ない限界を確認しあったものだった。静かな川の流れの中にも激しく流れる部分もあるのだ そういう事前の集中した意識(コンセントレーション・マインド)は舞台役者の出番前の意識と同じだ。コンサート前の演奏者だ。如何に自分の持てる能力の最大効果が発揮できるかどうかを願うあまり上がってしまう者も居るだろう。勿論、場慣れもあるだろう。何度同じことを経験しても上がりそうになる者も居るだろう。それは人さまざまである。要は初心にかえって自分を見くびらないのが成功への秘訣だ。それにゆるぎない信念を持つことだ。一寸でも後ろめたさのある意識が顔を出せば結果は目に見えている。自分は正しいのだ、惜しまぬ努力をした結果がここにあるのだという信念こそが自分を落ち着かせる要因になる。相手がそこまで考えていないことが分かればこちらの勝ちだ。用意周到準備した方が有利になるのは戦術の基本だろう。 さて、様々な考えが頭の中を巡って、結果はどうであったかを反芻してみれば満足の行くものであったかどうかだけのことでしかない。大和川の緩やかな流れにも部分部分には急な流れもあるだろう。見かけだけの流れとディテールの違いに気がつけば次回からの折衝に役立つはずだ。ボクは運転している時の意識というか頭の回転は、デスクに向かっている時の意識の集中度が全く違うことに大分以前から気が付いている。走っている時はメモが取れないので直ぐに忘れてしまうことがある。後で思い出そうとしても出て来ないことがしばしばあるのだ。瞬間瞬間をウオッチしながら走る意識構造の方がシャープな考えが現れるようなのだ。 昔の数学者や哲学者は歩きながら考えた人が多いというのも分かる。運動中の思考は単純に意識が集中できるからだろう。歩くことによる足首の繰り返し運動での血流の良さが脳の回転を上げるのかも知れない。車を運転している時は身体を運動させていないにもかかわらず頭の血流が良いのは周りへの意識が絶えず働き、条件反射として瞬時に応えられるような態勢にあるからだろう。いわばマルチ人間の状態にある訳だ。急ぐ仕事は忙しい人に頼むと良いというのもそういう意識の集中している人こそ時間配分が上手くできるからだろう。一切の無駄を除去することが時間の配分のコツなのだ。だからこそ打ち合わせ前の短時間の待ち合わせや時間潰しは貴重な時間ということになる。 それは男と女の立場の違いやモノの考え方の違いによって同じシチュエーションであっても全く異なる場合がある。男は一旦外に出れば七人の敵が居ると言われるほど緊張を強いられるものだ。それは最近のTVドラマに観るような女の世界(特に夜の水商売において)の熾烈な対立関係とは少し意味が違う。女の場合はそれが商売(仕事)であっても男と女の色恋沙汰の関係が多いのに対して、男の場合は男と男の真剣勝負が殆どだからだろう。仕事上のことでは利害関係が優先し人間関係も利害関係が裏にある。政治の世界も、官僚の世界も、大学病院の医療の世界も、その他諸々の世界において総て利害関係が支配する。 義理や人情と言ったところで裏には金が絡むのだ。経済を抜きにしては語れないのが仕事の世界である限り、男の方が圧倒的に支配する男社会がまだまだ支配する。女性がリーダーシップをとる世界が存在するにせよ、その場の彼女は男そのものである。男の論理を女が演じているに過ぎないのだ。だから切れる女は少なくとも男と女の切り替えが瞬時に出来、決して男に媚を売る商売はしないものだ。女であるのは私生活における主婦であったり恋人である場合に限られる。それが守れない女は失礼ながら幼児性が抜けきらない未熟な人間として扱われるだろう。飽くまでも冷静沈着な論理の構築が出来ることが、打ち合わせ前の僅かな時間での頭のトレーニングと言えよう。
2009/03/15
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打ち合わせ前のひと時(4) 打合せが終わった正午も晴天のままだった。午後からは時間的にも余裕があったので高速道路を利用せず国道を走った。市内のビル街を抜け、奈良方面の国道25線に入ると下町の猥雑な景色が暫く続き、八尾市を過ぎ、柏原市に入ると広々とした大和川沿いに出た。川の対岸は平安時代の海路の口であった藤井寺市や河内松原市がある。菅原道真が大宰府に送られた港跡には道明寺(藤井寺市)天満宮が祀られていて、つい先日、梅の花の満開が過ぎたばかりだ。「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」「世につれて 浪速入江も にごるなり 道明らけき 寺ぞこいしき」「鳴けばこそ 別れも憂けれ 鶏の音の なからん里の 暁もがな」川の水は歴史を含め総て洗い流してくれるようだ(左に二上山が観える) 市の食堂でコーヒーを飲みながらコンペや市の建物について想いを馳せたのとは対照的に遥か遠い昔の権力争いで負けた菅原道真のことを想ったり、二上山の大津の皇子のことを想うと、人間のやることは今も昔も変わらないことが分かる。景色は多少変わったとしても人間の歴史程度では山の形までは変わらないから同じ遠くの風景を古人も観ていたのだろう。なだらかな稜線は歴史を表し、これに似た稜線は西宮にある甲(かぶと)山とか京都の東山がある。大自然の風雪で削られ柔らかな線になるまで相当な年月を要し、人間も人生の風雪に揉まれれば穏やかな表情になる例えの通り、見た目に優しい風景は心を穏やかにしてくれる。 日本に住んでいると欧米人も優しい穏やかな顔つきになって来る。逆に日本人が欧米で長年住んでいれば荒々しい獣のような眼になるのは面白い。それだけ生き馬の目を抜く凄まじい世界が繰り広げられているのだろう。特に世界の人種のルツボといわれるNYは、おおよそ人の住むべき街ではないように想えるのはボクだけだろうか。あの刺々しい動物のような顔つきこそが欧米人の特性であるかのようで、そのせいであろうかキリスト者の面々の表情はユダを除いて皆平和そのものに描かれているのが面白い。心の平安を願いながら日々の生活の葛藤をやり過ごす内にああいう攻撃的な顔つきになるとするなら何と欧米人の社会は心休まる処を知らないのだろうかと想う。 しかし、騙されてはいけない。のっぺりとした何を考えているのか分からない日本人の顔こそ曲者なのかも知れないのだ。政治家がそうだ。官僚がそうだ。ペテン師がそうだ。欧米人が日本人(東洋人)の顔を見て何を考えているのか分からず不気味だというのも理解できる。そういう表情が民族性なのかアフリカ人種から白人種と黄色人種が枝分かれして行った過程でそういう顔つきの遺伝子が生まれたのかどうか分からないが、白人種だけが動物的な顔だとするなら何か原因があるのだろう。世界史を観て、世界覇権を狙う民族というだけでは説明がつかない。ジンギスカンも秦の始皇帝も東洋人種だからだ。 矢張り風土が大きな役割を果たしているのかも知れない。そう考えると日々の生活環境や食べ物にまで注意する必要があろうが、食料自給率が極端に悪い日本の場合、世界を食材にしているとも言えるから雑食の帝王である中国人さえも驚きだ。が、輸入食材が無関係なら残るは水である。水が日本人の表情を和らげているのだろうか。水と安全は只という日本人の世界観は最近でこそ変化しつつあるが、それでも水に流して・・・という発想は今も変わらない。何もかも水に原因を求めるなら話は簡単である。南北に細長い大陸並みの長さを持つ日本列島に遮られて雲がぶつかり降る雨が飲み水になる。地中のミネラルを含んで日本人の身体に入る。自然の恵みには風土の恵みが大きく影響し日本人を形成するという訳だ。(つづく)
2009/03/14
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打ち合わせ前のひと時(3) 僅か30分ぐらいのコーヒー・タイムでコンペのことに想いを馳せたのは、この市役所の建物が大変金の掛かった石造りであった為もあったようだ。向かいには日本銀行の石造りの古い建物があって、明治期に船で運ばれた膨大な石材を大勢の石工が毎日コツコツと刻んでいた壮大な工事風景を何かのエッセイで読んだ記憶があった。日本銀行と市庁舎の同時進行という大掛かりな工事は期間も工事費も桁違いに違い、国や地方政府の威信をかけた建物だけのことはあると記憶に残っていたのだ。その石造りの古い市庁舎は長年往年のクラシック・スタイルを維持していたのだったが、時代の波で機能が全く役立たずになって建て替えられた。 市役所前(淀屋橋)交差点にて が、せめてもの石造りのイメージだけは残しておきたいと考えたのか、ふんだんに石が使われることとなった。しかし鉄とガラスの近代建築と古い石造りとの意匠落差(デザイン・ギャップ)に挟まれてダサい意匠になってしまったのは残念だった。おおよそ名建築とは言えない只の建物になってしまって、更には、機能性重視の筈だったのが石にこだわったせいかボリュームが小さく、折角の建て替えながら全職員を収容出来ず、大阪駅前ビルに分散せざるを得ない状態なのだ。せめてこの倍の高さにすれば収容面積も倍近くになった訳だから機能性からすれば解決できた筈だった。そういう先の見通しも出来ないような設計をしたのは日本一とうそぶくかの有名な(株)N建設計であった。 つまり、そういう優秀な建築家集団でありながら、優秀な才能が生かされず、政治家が設計したような建物になってしまったのだ。その昔なら役所に優秀な建築家が居たから営繕部の総力を挙げて面子もあったろうから名建築が建てられたものだった。この大阪市庁舎の完成4年後(1990年)に東京都庁が出来上がった。丹下健三さんの設計で、宝くじ資金を湯水のように使って(確か1,600億円だったと思う)建てられただけあって日本には珍しい超高層群の総合庁舎だった。「丹下はコンペ男として有名なんだ。あいつは器用な男でネ、戦前からコンペには何時も一等賞をを取って来たんだヨ」とは、かつてボクを可愛がってくれた京大教授で老建築家だったM氏の弁である。そのしわがれた声が懐かしく耳朶に響く。 そういう建築家が遊び心を持ちながら設計した建物は賛否両論あるものの話題性には尽きないものだ。都庁の年間維持費が40億円も要ることへの批判もあるが、大阪府の場合、情けない話が、現在の庁舎を耐震補強をするだけでも莫大な費用(400億円)がかかり、新築すれば更に莫大な建設費用(600億円)が掛かることから長年塩漬けにされ、業を煮やした橋下知事が大阪市の保有するWTC超高層ビル(現在、南港に建っている空き家ビル)を新庁舎として買い取ろう(耐震補強工事費よりも安い数百億円)という案を出しているのは傾聴に値する。面子よりも実利を取ろうという浪速商人の心意気を感じるのだ。既に出来上がっていた新府庁舎の黒川紀章(故人)案はこの際破棄ということになるのも時代の流れというものだろう。(つづく)
2009/03/13
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打ち合わせ前のひと時(2) 公共の建物は大体はコンペ(設計競技)方式が多い。ところが最近は景気が悪いこともあって巨大建築物が殆ど無くなってしまった。それに戦後60年以上も経って必要な建物は既に出来上がってしまったこともあって、コンペというものを久しく聞かない。国の建物の場合は極たまに出る。出るが、指名コンペが多い。予め著名な建築家を5~10名ばかり指名しておいて設計案を出させるのである。しかし、入選するのは一人だけだからそれを嫌って辞退する建築家も居る。一回のコンペに参加して要る経費は400~800万円ぐらいだから、入選しなければパーになってしまう。それを嫌う建築家が居る訳だ。金が掛かり過ぎるのだ。 市役所の地下食堂の明かり採り庭 しかし、要領の良い建築家はゼネコンに経費を見させ、模型やパースなど、挙句は図面作成までさせてしまうのが常だ。もし入選すればそのゼネコンに工事が行く手筈になるからだ。ゼネコンにすれば数百万円なぞ取るに足らない金だ。建築家の面倒を見ることで巨大な建築物の工事受注が出来れば安いものだ。全部が全部そうだとは言わないが、日本のコンペにはそういう裏があるので若い建築家や新参の建築家は出る幕が無いのが実情である。ボクなんか若い頃はそんな汚いことは無いと信じていたから一所懸命にコンペに応募したものだった。しかし、巨大コンペには入選しなかった。ボクの案とよく似た案が通ったものもあった。残念でならなかった。 しかし、ある企業のコンペで友人と共同で出した案が入選したことがあった。単純に喜びあったものだった。ところが、後日談で知ったことは、友人の先生の引きで入選したことが分かって白けてしまった。審査委員長をしていたその教授が友人の先生だった訳だ。明らかに裏取引がなされたことが分かってボクはその友人と決別したのだった。その後、20年ほどして大手の会社のサラリーマン建築家を辞め、独立した頃に四国のある町の庁舎のコンペに参加して入選したことがあった。議会で設計趣旨を述べ質疑応答をした際、町長以下、議員達が「うーん、成る程、この案は良い!」と声が挙がったのを観て入選すると確信を持ったのだった。 その庁舎は15年ほど前に完成したが、町村合併で新しい市の分庁舎になった。その後、コンペには二三度ばかり参加したが、大手の設計事務所の横槍や裏取引で残念ながらどれも入選しなかった。いわば政治力を持たないと仕事は取れない現実をまざまざと見せ付けられた訳だ。それが手段として良いとか悪いという青臭いことはボクは言わない。言ったところでどうにもならないし負け惜しみを言っているようで自分が惨めになるだけだからだ。要は運もあるだろうし、それが実力だと言ってしまえばそれまでだからだ。それはどのような世界にもあることだろう。昨年亡くなった著名建築家が市長に直接面談し横取りされてしまったコンペもあった。知名度が違いすぎたのだ。 その時、残念と想うよりも「あの大先生でも仕事が切れれば苦しいのだ。こちらをライバルに想ってくれたということは逆に言えば、一種の名誉と想って諦めよう」と自分を慰めたものだった。アンフェアなやり方で横取りした大先生の底が見えた気がして腹が立たなかったのだ。建築家にはパフォーマンスも必要なのだ。一発屋的な打ち上げ花火も必要ということだ。素人眼には建築家の能力差なぞ分からないのだ。マスコミに乗れば著名な建築家になる。運よく賞をもらえば一流だ。有名大学の教授にでも成れば怖いものはない。かつて一緒にやった仲間で決別した建築家の中にはボクよりも優秀な男が居たが、今では何処に住んでいるのかさえ分からない者も居る。人生分からないものだ。(つづく)
2009/03/12
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打ち合わせ前のひと時 市の工事担当者と打ち合わせをするのに予定時間よりも早く着いたので時間調整のために地下食堂でコーヒーを飲んだ。車で来たので時間調整がつかなかったのだ。早朝だとラッシュのせいで自宅から2時間はかかる。この前までそうだった。ところが今日は1時間で着いた。不況が高速道路の車を減らしているようだ。電車と変わらない。何故電車にしなかったのかと言えば、多数の書類の受取りがあったからだ。手荷物にするには重いので車にしたのだ。尤も、最近は高いガレージ代を取られるようになったのでなるべく電車にしている。1時間300円もするから一寸長引くと金額が馬鹿にならないのだ。会社の経費で落とすから気にすることもないのだが、なるべく余計な金は使わないようにしている。 ガランと空いた市役所の食堂で、一人でコーヒーを それに、車だと運転で余計な神経を使うことになるし、電車だと上手くすれば座って本も読める利点がある。バッグには「メグレ警視」か、ジョルジュ・シムノンのメグレ以外の「作品」が入っているのだ。ボクは車を運転するのは苦にならないし、むしろ好きな方なのだが、仕事ではなるべく電車を利用する。タクシーも利用するが、最近では酔っ払って帰ることがないから乗らない。さて、久しぶりに市役所の地下食堂でコーヒーを飲んでいると早朝のせいかガランと空いていて客はボクを含めて3名しか居なかった。厨房では朝から献立料理を作る音が喧しく聴こえている。それでも昼食時のあの雑踏の雰囲気は無いから静かなものだ。昼時は戦争のようなものだ。 民間の仕事が冷え込んでいるから役所の仕事をするだけのことで、元来は役所の仕事は民間の補助的業務だった。経営的に見れば役所の設計・監理業務は両方合わせてトントンというところだ。設計で損をした分、監理で補うというパターンである。設計は紙と鉛筆だけが原価のように思われているが実際は人件費とコンピュータ計算費用が7割占めている。設計のやり直しを指示されると足が出る。ところが監理は人件費だけで、やり直しが無いから原価は3割ぐらいなもので利が大きい。設計で損した分を監理で補うパターンの繰り返しということである。役所の仕事だけで成り立っている設計事務所は大きくもならない代わりに潰れもしない。 堅実に行こうと思えばそれでも良い訳だが、個性的な仕事はできない。役所仕事で個性的な設計をしようと思えば有名にならなくては指名が掛からない。民間で個性的な設計を多く残し、役所に注目され指名が掛かるようになるには最低20年は歯を食い縛ってでも自分の作品を発表し注目を浴び続けないと駄目だ。20年間、誰の下請けもせず自分の作品だけを発表し続けるのは並大抵のことではできない。日本は大学の教授をやりながらとか何かで食い繋ぐ方法(二足のわらじを履く)を持たないと作品を発表できない社会なのだ。だから公的な建物で個性的な作品を設計している人は大学教授の場合が多いのもそういう理由だ。民間の著名な作品を残した設計者も同様の場合が多い。 ボクは役所の仕事で個性的な仕事をした覚えがない。昔からの手法のありきたりの作品ばかりだ。設計受注できただけましと思わなくてはならないのだそうだ。サラリーマン建築家を長年やって来たから企業の立場での設計が多かった。個性的な作品と言えるのは個人で受けた住宅だけだ。しかし、それを作品として発表したのは極く僅かしかない。要するに自分で受けて設計したのは精々10年以内のことでしかないから公的な巨大建築の設計指名を受けるまでには行っていないのと、時代が箱もの行政の終焉を告げているから今後は二度とチャンスは無いと考えるべきなのだ。だから今の不況時代、設計・監理の仕事ができるだけ幸せと考えれば贅沢は言えないのかも知れない。そんなことを考えてコーヒーを飲んでいた。
2009/03/11
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Money(お金) 政治資金の企業献金が無所属の団体からの寄付なのかどうかで検察が嫌がらせ捜査(秘書の逮捕)をしたというニュースで持ち切りである。その対象が元与党の幹部で今は野党の党首だから問題になっているのだ。与党にも同様の処からの献金があるにも関わらず検察が野党党首だけを狙い撃ちにしたから国策捜査だと反撃を喰らっている訳だ。同じ処から政治献金を受けた与党幹部連中は慌てて返金をするというブザマ振りは国策捜査の脇の甘さを露呈し、検察も慌てて与党の政治家にも事情聴取をするという。馬鹿かと思う。つまり検察官僚の保身の為にやった捜査と疑念を持たれても仕方がない。巨大建設工事には莫大な金が動く(それに群がる政治家や官僚が見え隠れする) 権力の座に居る腐りきった官僚が、近々政治権力が替わりそうだという心配から権力維持の為に正義をうたい文句にやった捜査だから国策捜査と言われるのだが、海外の独裁政権なら同様のことを日常茶飯事でやっている。だが、ここは民主主義国家の日本の筈である。気が狂ったのではないかと思った。とうとう日本の与党も断末魔のあがきを露呈したのかと思ったが、実際のところ与党も寝耳に水のようだったようだ。一部の幹部だけがそっと知らされたようで類が及ぶのを恐れた連中が慌てて献金を返金したという訳だ。情けないというか小物ばかりの政治家集団だからこういう馬鹿な田舎芝居がまかり通るのだろう。 企業献金が無所属の団体を通して行う寄付行為なら企業献金にならないという屁理屈を認めておきながら、企業からの便宜を図る目的の献金であったのではないかなどと言ったところで、お金に色が付いている訳でもないのだからどうやって証明すると言うのだろう。関係者の意見という曖昧な情報で逮捕するのは行き過ぎである。そういう口実だと検察権力は何でも出来る。ボクは正直言って野党第一党の党首である小沢氏は嫌いである。嫌いではあるがこの話は別だ。好き嫌いの問題で検察が自分たち官僚の先輩、現役、後輩の身分を保障する為に権力保持を図るのはおかしいし国家権力を行使するのも違法だ。 当然ながら屁理屈を並べて延々と弁明したところで一旦起こしてしまった捜査は記録に残る。下手をすれば多くの役人や政治家の首が飛ぶかもしれない。責任が付いて回るからだ。その覚悟でやったにせよ少しばかりお粗末な裏付けだったような気がする。間違いでしたと後で言うつもりなのかも知れないが、それではブッシュが大量破壊兵器が在るのではないか、無いのなら無い証拠を出せ、と言った屁理屈と同じだ。それに乗ったイギリスと日本の首相は今では逃げてしまっている。無責任極まりない政治家が大手を振って歩く時代なのだから今回の検察劇も珍しくはないのかも知れない。嫌な時代だ。
2009/03/10
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引き継ぎ会議 自治会の役員の中で日々重要な実務隊である班長会議を開いた。全部で27班あって新旧の班長54名が集まった。今回は新旧の引き継ぎであるが、班長の仕事は主に年度初めに自治会の年会費を集金することと毎月二度ある市の広報の配布や防犯灯の球切れなど日頃雑多な出来ごとの対応と連絡係である。それをまとめてブロック長が集計し業者や市へ連絡をすることになっている。毎年、輪番制で代わることになっていて、大体10年に一度廻って来る役割である。最近では高齢者が増えたので体調の悪い人は輪番制といっても出来ない場合もあるので班によっては順不同になるケースもある。 高齢化社会だから全国的な問題なのに案外そういったニュースは伝わって来ない。そう言えば昔から過疎化が進んだ村社会は長年そういった問題を抱え、それなりに処理してきたのだろうが、今や都会やその周辺の郊外の住宅団地にも同様の問題が起き、自治会の役員達が右往左往しているというのが現状だ。だから村社会の人々の知恵を借りなければ解決しない問題が多くある。老人問題は隣近所の情報から始めなければ民生委員や介護会社だけに頼んでも出来ないのだ。孤独死なぞは情報過疎で起きる問題だからである。自分だけは関係ないと思っていても確実に年齢は毎年加算され体力も比例して落ちて行くことに無頓着ではいられないのだ。 そのことを会議の冒頭の挨拶で述べ、神妙になった班長達に未だ決まっていなかった残りの役員(副会長一名と会計、書記の三名)を30分ほどの時間で決めて貰った。副会長は事前に三名内定していたのだったが、一名が健康を理由に辞退して来たので急きょ浮上したのだった。書記は出来ればパソコンが出来る人が望ましいのだが、次期会長が高齢にも拘わらずパソコンが出来るので「手書きの原稿さえ作ってくれれば自分でワードに打ち込む」と言ってくれていたので、パソコンが出来る出来ないに拘らずに決めることが出来たようで、会計も同様、ソロバンの級があろうとなかろうと関係なく選ばれた。 残るは副会長だが、結論的に言えば時間と体力のある若い主婦に決まった。たまたまそのブロックには老人ばかりの班長が集まっていた関係もあって数年前に引っ越して来た若夫婦に白羽の矢が当たったのだった。乳飲み子を抱えた若い主婦はボクの息子ぐらいの人で、一気に役員の平均年齢が若くなった。書記も同じく若い男性が、会計も若い主婦に決まった。以前に内定していた副会長の一人が会長の推薦者で会長と同年齢だったから老若男女の取り合わせでバランスが取れた感じだった。多分、次期会長体制の自治会役員会も上手く行くのではないだろうか。ボクは相談役(顧問)ということになった。 班長会議が終わってから定例役員会議に入って、新役員の紹介と、今月下旬に開かれる決算総会に向けての決算書と年間行事報告書の最終打ち合わせに入った。会計が預金通帳を持参し、残高と原稿の決算書とを突き合わせたのを役員全員に見せ、細かい内容のチェックに入った。総額ではピッタリ合うのだが、項目落ちがあるらしく仕分けに訂正が入ったりして少々時間を喰ったが、問題無く決算書は出来上がった。行動報告書は書記がパソコンで打ち込む時間が更に掛りそうだったので会議は一応散会して、後ほどメールで送ってきてくれたのを見て、OKの返事をしておいた。残るは修正した決算書に会長、会計、監査役が署名捺印をすれば出来上がる段取りだ。 会議が終えた段階で、ボクのポケット・マネーで予め注文しておいた手作りの店のクッキー・セットを役員全員に配った。「一年間、御苦労さまでした」という意味でのプレゼントだった。皆は恐縮していたが「高額なものでは皆さん遠慮するだろうと想って、この程度のものにしましたから、気にせず単なる土産と思って持ち帰って下さい」と言うと全員笑顔で受け取ってくれた。帰宅してから行動報告書を送ってくれた書記のメールに「お土産を、子供達が喜んでパクついて食べていました。有難うございました」とあって、これで自治会の役の終盤戦もようやく終えたと爽やかな気落ちになった。
2009/03/09
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Maigret(メグレ)4 欧米文学の世界で、世界5大探偵というのがあるそうだ。優劣の順位はなく、オーギュスト・デュパン(原作エドガー・アラン・ポー)、シャーロック・ホームズ(原作コナン・ドイル)、エルキュール・ポワロ(原作アガサ・クリスティー)、メグレ(原作ジョルジュ・シムノン)と続き、最後はコロンボ(刑事)かペリー・メイスン(弁護士)となるのだが、それらは小説ではなくテレビ・ドラマ用に作られたものだから、どちらをとるかは人気投票でしか分からない。ご存知のようにコロンボもペリー・メイスンもアメリカのテレビ界が生んだヒーローだから、先の四名の探偵や警視の人気にあやかったもので、日本でもエドガー・アラン・ポーにあやかって江戸川乱歩が生まれたのは有名だ。 探偵という仕事はスリルとサスペンスに富んだ面白い仕事のように見えるが、実際は地味で根気のいる言わば下積みの社会の陰的な仕事だ。素行調査とか興信所の仕事と何ら変わらなく半分ヤクザ的な仕事だからドラマにはなるが実社会では誰もやりたがらない仕事の一つである。海外でも似たようなもので華々しく観えるのは映画だけの世界だ。では何故花形のように取り扱われるのかと言えば、そこに犯罪があり犯人が居て、迷宮入りになるのを防ごうとする立場の人間を持ちあげることで一種の社会正義が生まれるであろうという期待があるからだ。警察だけでは解決しない場面に民間のそういう手法が入り込めば助かるという面もあるだろう。 逆に、犯人の側が探偵を買収することだって在り得るだろう。興信所の悪徳調査員なんかはそれをやっている。良く書いて欲しければ幾ら出す?と調査相手に直接交渉する輩である。断ったら断ったで悪く報告書に書くだろうしゴミのような連中だ。名のある興信所でもそういうことがあった話は幾らでもある。今はどうか知らないが、人間の中身が変わる訳でもないから消えてなくなることは無いと思った方が良い。ボクが自治会長を2年やって知ったことは、善良そうな顔をして何食わぬ顔で付き合っている人々が、実は裏でコソコソと悪事を働いていたということを知り、人間というものは何と浅ましいものかということだった。 自治会長という立場は情報が彼方此方から入ってくるので誰が何を言ったかということが嫌でも伝わってくる。その代表が或る女性の民生委員だったり、前の老人クラブ会長だったり、放送設備のメンテナンスをしている男性であったりとご本人はそれに気づかないでボクに平気で話しかけるのだから、ボクとしては心苦しい思いで話をせねばならず、ポーカー・フェイスで居るのが少々辛い処がある。そのせいで心労が増し突発性難聴になったのではないかと言われているぐらいだ。最近も未だ怪文書の件(一昨年から昨年の春にかけてボクのブログを批判し脅迫する怪文書が撒かれた事件があった)で尾を引いている連中がコソコソと動いているという情報が入って来た。 馬鹿な連中が性懲りもせずやっているのだなと思わず苦笑してしまったが、犯人が分かっているだけに哀れに思えてくる。次期自治会長はそのことを充分理解しているのでボクの意思を継いでくれることになっていて、そういう連中が画策する老人クラブや福祉関連業務には充分眼を光らせ、以前のように連中が運営費を誤魔化すようなことは出来なくなっているのだが、それを根に持って何かと妨害するのだから困った連中でしかない。ところが、そのことは市の福祉課や警察署には既に連絡をしてあるのだから、亦ぞろ下手なことをすれば今度は手が後ろに回ることになるのだから彼等には再度そういうことにならないよう注意をしておかなくてはならないようだ。 そもそも老人性痴ほう症にかかれば善悪の見極めがつかなくなるのだから身内の者が余程注意しないと大恥をかくことになってしまう。タチの悪いのは自分は後ろに隠れて人をそそのかせ結果を観てせせら笑う人間である。それがかの民生委員と前の老人クラブ会長なのだから、老人クラブの今後の運営には更に眼を光らさなければならないだろう。というのは、次期自治会会長は現在の老人クラブの会長に内定しているので、次の老人クラブの会長が連中に振り廻されないように我々がバックアップしなければならないということである。住宅団地内で行き場のない老人連中のせめてもの活躍の場が老人クラブというのも可哀想な気もするが、それだけに他の善良な会員に迷惑が掛っても困る訳である。
2009/03/08
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Maigret(メグレ) 3 オールド・ファッションと言えばオールド・ファッションド・グラスというのがある。バーでロックや水割りを頼んだ時に出されるグラスだ。ピカピカに磨き上げられたクリスタルのあの薄いグラスを唇に当てて最初に口に含んだ時のスコッチの優しく気高い香りとピリッと来る一寸辛目の味が口中に広がる幸せを感じない人は男の幸せの半分を知らないのと同じだ、とかつてのボクは豪語していたものだった。慾を言えば、スコッチを口に含む前にブルー・チーズの一片を舌に乗せておいて一緒に味わうと何とも言えない大人の味がするのだ。ブルー・チーズの青カビの辛さとスコッチの亦違う辛さとが相乗効果を発揮して上品な嗜好品へと変化するのである。簡単な昼食にはビールが合う その味を覚えると「よくぞ男に生まれけり」と想えてくる。女性にも分からないことはないと思うのだが、これまで連れて行った女性の誰もが「美味しい」とは言うが、それ以後病みつきになったというのを知らない。「変わった味」とか「面白い味」と表現する女性も居た。ブルー・チーズの持つ独特の味が女性よりも男性向きである為なのかも知れない。男にしか良さが分からない味というものは幾らでもある。概して女性は辛党よりも甘党が多いからだろう。ワインを見れば分かる。シャンパンだって甘い。女性は甘い方が好きなのだ。が、女性でも本当の通は辛党なのだ。日本酒もそうだ。甘い酒は量が行かないのだ。 いきなり酒の話になってしまったが、メグレはよく酒を飲む。昼飯にピールとサンドイッチ(バゲットにハムやチーズとレタスを挟んだもの)をとったり、訪問先で出されるお茶代わりにワインやコニャックなどを飲む。夜の見張りや捜査でも一寸ばかり情報を得る為にバーやビストロ(居酒屋)に立ち寄って酒を飲む。国民性もあるのだろうが酔っぱらったりはしない。ビールは麦茶程度のものなのだろう。最近では日本人も昼飯にビールを飲む人が居るのをちょくちょく見かけるようになった。一寸した息抜きには良い飲み物だ。しかし、赤い顔をしては会社に戻れないから自信のある人しか出来ない芸当だ。 ボクも車を乗らない時はバーやビアホールや居酒屋へ独りでふらりと入ってバーテンダーと雑談を交わしながら呑んだものだ。パイプ煙草もやっていたが子供が生まれる頃に止めたのでもう33年以上にはなる。だから煙草飲みの横に居ると煙たくて仕方がない。人間変われば変わるものである。何がきっかけで嗜好品が止まるか分かったものではないということだ。要は気持ち(意思・決意)の問題なのだろう。それを大層に禁煙だの願掛けだのをするから出来るものも出来なくなってしまうのだ。余り生真面目に構えない方が良い。高が煙草や酒の問題でしかないのだ。本当に毒性が強くて健康を害するものなら大方の人は止めるものだ。(つづく)
2009/03/07
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Maigret(メグレ) 2 インターネットTVの「メグレ警視」が面白くて繰り返し観たが、矢張り見ごたえがあってなかなか近来まれな良い映画だった。シリーズで30本上映され毎週2本あたり観た。余りに面白い(ゲラゲラ笑う面白さではなく、人情味ある心理劇的に面白い)ので、とうとう原作の小説まで買って読む始末だ。最初は数軒の大書店で苦労して探して、やっと一冊だけ在庫を見つけて取り寄せて読んだのだった。読み終わってその次はどうしたものかと思案していると「インターネットで観たのならインターネットで探せば?」と妻に言われ、成程そういうものかと半分騙された気分で探したところ、アマゾンで十数冊見つかったのだった。たまには妻も良いことを言うと感心した。パソコンをやらない彼女に教えられれば世話はない。ボクはオールド・ファッションが好きだ(書斎の壁) そんな憎まれ口を叩くとご飯を作ってもらえなくなりそうだが、彼女はパソコンを観ないからと安心している。が、息子が観て言うかも知れないから口にチャックをせねばならない。ところで、作者のジョルジュ・シムノンは生きていれば106歳だが、1989年に86歳で亡くなっていて、ニューヨーク・タイムズが「メグレ警視とその創造主」という特集号を組んで、彼の名で書かれた作品136点の内、「ビゼートルの環」と「ちびの聖者」の2点を最も優れた作品とみなしたという。昨日紹介した自伝的作品「血統書」については触れられていないが、今回購入した中に「ちびの聖者」が入っていたので今読んでいるところだ。そういう書評を読まずに読み始めたのだが、なかなか描写が活き活きとしていて上手い作家だと思っていた処だった。 ジョルジュ・シムノンは非常に貧しい家庭に生まれ苦労したそうで、それが人間形成に大いに役立ち立派な人物になったようだ。そういう作家は多い。貧しさが悪い方に出る人々の多い中で彼は稀有な人物だった訳だ。まるでメグレそのもののような雰囲気だが、実際の写真を見れば痩せ型の神経質そうなインテリに観える。実際に頭は良く、観察力と洞察力に富んでいることは作品からもうかがえる。様々な仕事をし様々な苦労もしたであろう彼は一種の社会派のようではあるが、貴族のようなリッチな生活も上手くこなし自家用ヨットで世界中を廻り、アメリカにも3年ほど滞在している。だからアメリカの情報にも詳しく「メグレ警視」の中にもそういう情報が随所に出てくる。古き良き時代のオールド・ファッションを匂わせる作家である。(つづく)
2009/03/06
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Maigret(メグレ) 再びアマゾンで「メグレ警視」のシリーズを注文した。会員になれば送料が無料になるからわざわざ書店に出向かなくてもよく、それにこういう古い本は書店には殆ど置いていないから取りよせしている手間と時間を考えると翌日には自宅に届くアマゾンの方が便利である。有名な書店が潰れる筈である。「メグレ警視」の生みの親である作家ジョルジュ・シムノンは1903年ベルギー生まれで1973年70歳で健康を理由にスイス・ローザンヌへ引退するまで「メグレ警視」以外にも多数の作品を書き、中でも自伝的作品「血統書」は彼の作品の最高峰とされアンドレ・ジイドが絶賛したというからボクも読んでみたいのだが絶版になっているのか出版されていないのか分からず今探しているところである。読書はデスクでよりも電車の中での方が集中出来るから不思議だ。 ボクは何故か電車に乗って座ると、乗っている時間にもよるが本を読みたくなる。たまたま読む本が途切れてバッグに入れていないと眼を閉じているが、車内の人々との目が合うのも嫌なものだからそうしている。長年の癖だろう。サラリーマンを辞めてからは電車に乗る回数が減ったから本を読む量も減った。その代り自宅に居る時間が長くなったから何時でも本を読もうと思えば読めるのだが長年の癖は抜けきらず車内の方が読書に集中出来る。それに、かつて眼鏡を掛けていたのだが、何時の頃からか眼鏡なしで行けるようになった。近視でも遠視でもなく未だ老眼のお世話にもなっていない。運転免許証も眼鏡なしになった。だから読書も楽になった。 それを人に言うと「本当?」と驚くが、ボク自身も驚いている。パソコンをしていると目が悪くなるのも本当だが、それでもボクの場合は眼鏡が要らなくなったことは喜ばしい。当面はこれで行けそうである。その代わり年齢的に身体の方はガタが来て余り無理が利かなくなった。自分でそれが分かるぐらいだから何時までも若いつもりで居ても嘘はつけない。風邪をひいて治りが遅くなったのがその証拠だ。ワインも、ほどほどのたしなみ程度にすべきなのだろう。元々日本人は酒には弱いのだからメグレのような訳にはいかないのだ。西欧人でも酒を湯や炭酸水で割って飲んでいることを忘れてはならない。 ところで、メグレと日本では呼んでいるが、実際はメィグレが本当のようだ。映画を観ていてそう呼んでいるからだ。フランス語をそのまま直訳する必要も無いのだろうが、こと人名においては五月蝿い国もあるぐらいだから事実は知っておいても良いだろう。例えばギャルソン(少年)というのも日本語的で、ルという発音は日本人には苦手で発音し難いせいもある。パリにしてもそうだ。RとLの発音が日本人には聞き取り難いのもある。その代わりフランス人はHの発音が苦手で、柔道の「始め!」というのを「アジメ!」と言う。無理なものは無理なのでそのまま通っているからメグレもそのままで良いのだろうが。(つづく)
2009/03/05
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ようやく風邪が治って・・・ 今日も寒い一日だった。日中、雪混じりのみぞれが降っていたぐらいだ。が、風邪の方は大分治って、少し鼻をかんだり時々喉が痒くなって咳き込む程度になった。ところが、空気感染したらしく妻が同じ症状の風邪をひいてしまった。「人に移すと治る」と言う通りの現象だ。うがいと手洗いの励行をしてはいるらしいのだが、「それでも駄目なら、ココに移して治せば」と言っておいたものの、ココは寒さをものともせず外で遊び回っている。餌も残さず綺麗に食べるようになった。残さないようにする秘訣を見つけたのだ。それは、これまでツナ缶の三分の一とチップ材をワン・カップ混ぜて一食分にしていたのを、ツナ缶を四分の一、チップ材を2カップにしたのだ。抱っこされると直ぐに逃げ出そうとするココ 量にすれば同じか少し少な目なのだが食べ易くなったのだろう。肉よりも魚が好きな猫だからツナ缶が大好物と思っていたのに好みが変わったらしい。それとも、お八つの煮干し雑魚もやるから食事の量が少し多かったのかも知れない。いづれにせよ残さないで食べてくれるので皿を洗うのが楽になった。そろそろ大人の身体になるので餌の量も固まって来たのだろうか。隣家のアメリカン・ショートヘアのモモよりも大きくなったが、ようやく成長が止まったような気がする。現在、5kgである。これから老獪な猫になって行くのだろうか。そのくせ夜になって寝る時は寝ぼけ眼でうっとりと見上げるのは、まだまだ子供の表情である。
2009/03/04
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工事現場 ボクが居ようが居まいが解体工事は着々と進み、週明けの現場を観ると殆ど建物の原型が消えて無くなっていた。景色の見晴らしが良くなって風通しも良く、今日は冷たい風が工事現場を吹き抜けていた。この次は跡始末の杭抜きがあるが、もう少しガラを運び出してからのことになる。10mの松杭を二本繋ぎで(つまり20mにして)打ち込んであるので途中で折れたりすると厄介なことになる。腐らずに残っているだろうから案ずるより産むが易しで簡単に抜けるかも知れないのだが、こればかりは実際に観てみないことには心配である。仮に下部の杭が残れば設計変更をしなければならない。つまり、新しいコンクリートの杭を打つ位置が変わる場合もあるからだ。殆ど原型が分からなくなった解体現場 ボクが昭和41年に大学を卒業して、最初に出た工事現場で松杭を打ち込んでいるのを観たのが今では懐かしい光景になった。多分、その頃から松杭はボチボチ姿を消しつつあったのだろう。時代の変わり目であった訳だ。この小学校の場合は昭和51年の着工だったから最後の松杭工事であったのだろう。コンクリート杭よりも安いから予算の関係もあったのかも知れない。松杭を打ち込んで行くと頭から煙が出るほど焼けてくるものだ。数トンもある鉄の重りを二本子タワーの間でウインチで引き揚げ落とし込む方法だから原始的なやり方だった。熟練した職人が上手に垂直に打ち込んで行くのを物珍しく観ていたものだった。 松は水の中では腐らない。水が無いと腐ってしまう。だから地下水の常水面以下で打ち込まないと意味がないのだ。この小学校の1kmほど南には淀川が流れているので地下水の常水面は高いのだろう。大阪市内でビル工事をしていて昔の松杭や波止場の木片が出てきたりすることがある。いずれも腐っていないので感心する。その代り、新しいコンクリート杭を打っていると地下水が噴き出す場合もあるので困ることがある。そういう場合は応急の止水をして二三日放っておく。すると水は治まる。慣れない現場監督の場合は慌てて右往左往する。それが原因で30年ほど昔、大阪駅前ビルの地下工事で監督がノイローゼになって首を吊って死んだことがあった。 仕事熱心も良いが自殺にまで追い込まれるのは一種の病気だから周りが注意する必要がある。日本人は概してそういう技術者が多い。最近では若い連中はドライだから割り切っているだろうが、年配者の中にはまだそういう人も居るだろう。昔は刺青をした職人も多かった。実際に話をすると気さくな連中なのだが、見かけでビビって敬遠すると返って睨みつけられるものだ。そういう職人も少なくなった。時代の流れだ。技術も時代の流れに呼応してどんどん変わる。重機が当たり前になって仕事も速くなった。大工も電動工具で仕事をする時代だ。昔のようにカンナの刃を研いでいる大工の姿を見ることも無くなった。そういうことを考えながら重機の動きを観ていた。
2009/03/03
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久しぶりに何もせずに居ると 風邪をひいて暖かくしてジッとしていると退屈ではあるが余分なことを考えずに居られるので精神衛生上すこぶる宜しい。することと言えば精々ココのブラッシングとブログの更新ぐらいなもので、余計なことと言えば月末に実施される市会議員選挙の候補者が挨拶に来るのを玄関先で受けるぐらいなものだ。風邪薬のせいで頭の回転が悪くなっているのでなるべく何も考えないようにしているのに、そういう来客は仕方がないとは言え嫌なものである。相手は必死だろうが日頃の行いで当落が決まるのだから今頃挨拶に来たからと言ってどうなるものでもない。選挙と言えば20年ほど前、東京に単身赴任していた頃、衆議員議長をやったことのある代議士の跡を継いで息子がサラリーマンから代議士になっていたのだが、たまたま仕事でその家を訪問した際の世間話を覚えている。「寒いと、外に出るよりも、エアコンの下の書類箱の方が良いワ」 「サラリーマン時代、パリ支店長をやっていた頃が一番良かったワ。今では電信柱にもお辞儀をしなくてはならないのヨ。政治家なんて割に合わない仕事なのヨ」と彼の奥さんがこぼしていたのを想い出す。当選すれば代議士だが、落ちれば只の人という恐怖がそうさせるのだろうが、彼はその後、何度も大臣を経験しているからある程度は安泰なのだろうが、それでも昨今の保守党の凋落ぶりを見れば分からないというのが正直なところだ。選挙は水ものと言われるぐらい何がきっかけで当落が決まるか分からないから解散が近づくたびに肝を冷やしているのではないだろうか。だが、サラリーマンも今や厳しい時代ではある。公務員だって安泰と思っていると何が起きるか分からない時代なのだ。 子供時分のことだが、自宅に政治家がよく来ていた。手広く事業をやっていた父が言うには「政治家は偉い人ではない。如何に政治家を上手く使うかが問題なのだ。」という風なことを言っていたのが長い間それが理解できなかった。政治家と言えば学校の社会科の時間に偉い人だと教えられていたからそう思い込んでいた。それが普通なのだろうが、ボクの親は政治家を「使用人」程度にしか思っていなかったのだ。だから自分の親は偉いのかなあとボンヤリ想う程度で政治の理屈なぞ知る由もなかった。しかし、その父が、兄(ボクの伯父)からこっぴどく叱られているのを観たことがあって「伯父さんの方がもっと偉いのだ」と思ったのだった。父は伯父の言いなりに動いて事業を上手く回転させていたということが後日分かるようになるのだが、小学生のボクには大人の世界はややこしいという印象しかなかった。 実際問題として政治は茶番劇のようなもので与党・野党それぞれの主張や駆け引きがあるものの裏では手を握り合っているというのが政治が分かり始めると観えてくるものだ。その度合いが目に余ると国民の怒れるところとなるのだが、お抱え評論家がガス抜きの為に駆り出されて国民を納得させようと躍起になる。TVのトーク・ショウを観れば明らかだ。最近の国民も覚めているから評論家の言うことを割り引いて聴いている。政治家の言葉なぞ真に受ける人も居ないだろうが、公約で謳った以上は実施しなければ責任を追及されるからのらりくらりとどちらにも取れる言い方をして逃げる。歯切れの良い答弁をする時は要注意で誤魔化す時は嘘だと見抜く眼を持てば腹が立つことも少なくなる。 かくして長い時間をかけて野党の反対勢力が増すと保守派は分裂し離合集散を繰り返す。それが日本の政治の歴史だが、最近は傑出した政治家が現れない。小物ばかりで、これは世界的な傾向のようである。つまり個人の力だけでは何ともならない時代になっているということだろう。世界の主要な企業が多国籍になっているから国々のバランスを考えると結局は覇権の強い国がリーダーシップをとることになるのだが、覇権もアメリカが潰れつつある中で新興勢力のロシアや中国が今一力不足だから西欧列強と言われたかつてのリーダー国が束になって対峙するしかないのだ。日本はご存知の通りアメリカに伺い、中国にも伺い、ロシアにも気を使いと自分のやっていることが分からなくなっている状態だから当面はコマネズミのように走り回るしかなさそうである。
2009/03/02
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風邪を・・・ 先日の産廃の追跡調査で雪を観たせいか、それとも殺風景な産廃処理場の風景を観たせいか、風邪をひいてしまったらしく鼻水が出、くしゃみが出て、帰宅した途端早々に寝込んでしまった。お蔭で、今日まで何もせず風邪薬のせいで頭がボーッとしている。熱はないが今の内に治しておかないと後が大変だ。が、食欲があるから大丈夫だろう。だから今日のブログはこの辺で・・・
2009/03/01
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