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宇宙の果てという考え方 よく子供が「宇宙の果てはどうなっているの?」と訊くことがある。「そんな訳の分からないことを訊くなんて・・・」と大人は訝るものの、実のところ誰にも正確に答えられないのだ。まして地球のことも自分のことも未だ分からないことだらけなのに広大な宇宙のことなぞ考えている間もないと大人は想うだろう。誰にも答えられないと言ったが一部の理論物理学者や宇宙物理学者にはある程度観えているらしい。観えるといっても肉眼で観えるのではなく観念的に言わば数学物理学的に概念として観えているということだ。誰もがこの世は縦、横、高さの3次元で出来ていることは知っている。平面画面(二次元)でも影や遠近法で表現すれば三次元の概念は分かる。 そしてそこに時間の次元が同居しているのも知っている。記号で表せばX,Y,Z軸の他にtの軸の四つでこの世は成り立っている。こういうブログの2次元(平面)の世界では立体(3次元)を表わすのに奥行きが分かるようなZ軸を設けるのが一般的で影を付けたり遠近法で表すから立体図として2次元世界でも3次元の概念は分かるのだ。が、更にそこに時間の軸tを表記するのは難しい。だからミンコフスキーという学者はz軸を省略したX,Y軸の絵にtの軸を入れた図を考案した。それは零点からスタートしたX,Y軸の座標に時間のtの座標を入れ込んだもので逆さまの円錐形をしていて最初の零点の頂点で二つの円錐形が接していてプラスとマイナスの世界に分かれている。 何も難しい話をしようというのではない。数学の嫌いな人に数字や、ややこしい記号やグラフを見せれば嫌気がさしてしまうだろうし、一寸数学をかじったことのある人でもミンコフスキーという名を聞いただけでも拒絶反応を示すだろう。だからそういう数学的なことは略して概念的に宇宙の果ての話をしようと想うのだ。それはガリレオが地動説を唱えてキリスト教会から弾劾され殺された頃の社会通念を壊すことと似ていて、現代の社会通念では地動説が当たり前になっているのを「いや、地球は丸いが宇宙は平べったい」と言うようなもので誰も理解出来ないことかもしれない。まして神様が宇宙を作ったというのも信じないだろう。ミンコフスキーの4次元世界の図形(グラフ)。 ところで、このブログの愛読者に敬虔なキリスト者が居て、彼も自分のブログに毎日、聖書の解説を書いているのだが、ボクは殆ど毎日それを読んでいて感じることは、彼の言う聖書の書かれた意味や目的を改めて見直し感心しながらも、聖書を見たことも読んだことも無い世間の人々はどれぐらい興味を持つだろうかとか、どれぐらい納得するだろうかという下世話なことばかりが気になるのだ。彼はそんな下世話なことなぞ気にもせず清らかで高邁な考えから、いづれ理解されるだろうと想っているのかも知れないが、そもそも無知で高慢な人間というものは絶対にこの世からは消えないもので、だからこそ聖書がこの世に存在する意義があるのだろうとボクは想っている。 皆が皆、キリストのような人ばっかりだったら聖書なぞ必要がないからだ。かくいうボクだって子供時分は日曜学校で聖書を読み、祈り、バザーやクリスマスなぞを楽しんだものの、中学生あたりから大人になる迄キリスト教や聖書とはご無沙汰で、一方では文学や芸術や科学技術には興味を持ち、宇宙の構造にも大いに興味を持つ純粋な科学少年から青年へと移行して行ったのだ。青年になってからは無神論者ではない程度の立場で仏教には少々興味を持ち正法眼蔵(道元)を少しかじったりしたが矢張り建築に興味があって大人の世界を駆け抜けて来た平凡な男なのだ。"2次元上の3次元表記" しかし、振り返って見れば人間なんてちっぽけな存在なのに広大な宇宙の中を狭い宇宙船地球号の中だけで、覇権だ、差別だ、核だと言いながら自分こそは世界の頂点に立っているかの如く騒ぎ立てる連中に大方の人々は振り回され、疑心暗鬼になり、生存競争に明け暮れしている。そして連中は地球を救えとか宇宙へ飛び出せとわめき散らして不必要な宇宙開発や地球の破壊や戦争を繰り返しているのだ。一体、自分を何様だと思っているのだろうと思ってしまう。それがキリスト教圏の連中が中心だけに頂けない気持ちになるのだ。キリストの教えを自分たちに都合よく捻じ曲げて世界制覇をしたがる連中にこそ救いの目を向けなければキリストも浮かばれないだろう。(つづく)
2009/10/31
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柘榴(ざくろ) 柘榴が咲いているのを通りすがりに観て、見慣れた花だから珍しくもなく、実が大きくなった頃に亦通ってみようと暫くその前を通らなかった。久しぶりに用事があってその前を通ると果実は完全に熟れてパックリと開いているのだった。観るほどに如何にも酸っぱそうで顎に涎(よだれ)がたまってしまった。ここまで実が開いているのを観るのは珍しいので写真に撮った。子供時分、公園に生っているのを食べたことがあって、大人になってからは果物屋で売っているのを買って食べたりしているが何時も美味いとは思わない。それよりも部屋に飾ってオブジェとして季節を感じる方が似合っている。柘榴の実は、味そのものよりもノスタルジーを感じるから良い。 実際に美味いものでもなく、シルクロードの西の端のほうに出来る果物が遥か昔に日本にもやって来た古い果物というだけで珍しく、栄養価が期待できるという触れ込みで最近でこそ健康食品として根強い人気があるようだが、ボクなんか観賞用でしか興味がない。イワシの頭も信心というように身体に効くと思えば効くのだろう。プラシーボ効果をボクは否定しないが、カンカンに信じ込むのも如何なものかと想ってしまう。それに種が大き過ぎて実が少ない。以前に山に出来るアケビを紹介したようなものだ。しかし、アケビは甘さがあって美味いからボクはあちらの方に軍配を挙げる。大きく割れた柘榴の実。 柘榴の実の種 しかし折角、柘榴を今日のブログに書くのだから、もう少し柘榴のことで気の効いたことを書かねば意味がない。このままでは書こうと想った動機が出てこないままだ。尤も柘榴はボクには余り良いイメージがないのは事実だ。「柘榴のように割れた頭」というえげつない表現や「柘榴口」と言う江戸時代の銭湯の脱衣室と風呂場との境目の引き戸や引き違い戸の代わりをした入り口のことを呼んだ不潔で卑猥な表現とか「ザクロ」というイントネーション(音韻)の悪い響きがどうも気に掛かるのである。柘榴石という宝石(ガーネット)があってもどうもゴロが悪く宝石という気がしないのである。千夜一夜物語に出てくるナツメヤシの実ならまだ色気がある。満開の柘榴の花 そもそもザクロという呼び方は原産地(イランやアフリカ北部のカルタゴ)近くのザグロブ山の名前からきたという説がある。遠い昔のローマ時代の話である。だからナツメヤシの実とも全く無縁ではないようだ。暑い国の砂漠に産する果実のイメージがあるのはそういう事情なのだろう。真っ赤な花を観てもハイビスカスのような南国に咲く花そのものである。酸っぱい味がするのは暑い地方で水が少ないのを唾液でカバーさせる役目があるのではないだろうか。言わば日本での梅干しのような役割だ。それはボクが勝手に想像するだけの話だが当たらずとも遠うからずだろう。受粉した柘榴の花 柘榴の実の初期
2009/10/30
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獲物を取り上げられてむくれているココ(2) 猫にとって人間世界は自分達の楽園であるのだろうが、ペットの宿命である飼い主の様々な都合で生き方が変わらざるを得なくなるのは当然ながら覚悟している筈である。だからこそ餌をくれる人間が一番信頼できる人間であり、自分のテリトリーや寝床を維持してくれる人間を兄弟のように想うのはペットの習性でもある。それでも飼い主や自分を可愛がってくれる人間の行動には付いていけない範囲があって、半径100mぐらいがその限度のようだ。オス猫はたまにテリトリーを出て旅をするから何日も帰ってこないことがある。そのまま行方不明になることもある。テリトリー外の情報が分からないからだ。ラン(シンビジューム)の下で日向ぼっこでもしようかと思案するココ。 だから帰り道が分からなくなると行方不明となり野良猫になってしまうのだが、仲間の猫を見かけたり偶然にも記憶に残っている風景を見かけて戻って来る場合もある。オスはメスを求めて渡り歩くから一種のプレイボーイなのだ。しかし、それは人間世界も同じで末路は哀れな姿を晒すことになる場合が多い。如何に飼い主に忠実にして気に入ってもらえ可愛がられるかでペットの運命が決まるのだ。その点、犬は猫よりも尻尾を振る回数が多い。自分が餓死することを極端に恐れる余り飼い主から離れられないのである。忠犬ハチ公ではないが飼い主に忠実なのはそういう下地があるからである。庭先の地べたにべったり寝そべるココ。 そういうことなら猫も同じように餓死を恐れ飼い主に忠実にしていれば良いのに猫本来の狩りの本性があるから、仮に餌を貰えなくなればネズミでもバッタでもトカゲでも食べて生き延びる術を発揮する。それだけ生命力があるのだろう。それに身体の大きさも犬より小さいから消費するエネルギーも違う分、餌も少なくて済む。犬の餌は時として人間よりも多い場合がある。大型犬なぞは数匹も居れば餌代だけでも馬鹿にならないだろう。犬も猫も雑食だから何でも食べるが人間の調味料はきついから薄目が良い。塩分が多かったり糖分が多いと病気になってしまうからだ。だからペット・フードは薄味である。高野槇の下のお気に入りの席で(以前はモモの指定席だった)。 ペット・フードの市場は好況を呈していて、人間の食費を削ってでもペットに良いものを食べさせようとする傾向が見られるそうだ。そう言えば昔は「猫まんま」というのは白飯に鰹節を振りかけたり味噌汁を掛けて与えていたものだったが、今や猫缶はツナやカツオの白身や笹身が入っていて、チップ食材には栄養価の高い食品や野菜、ビタミン剤まで入っている。毛玉取り用の餌まである。毎日朝夕に小さな缶詰のツナを半分とチップ食材を大さじニ杯分を混ぜてやっている。一回分はそれで充分満足するのだが一時間もするとお八つを欲しがる。お八つは合計3~4回やることになる。餌とは別腹で入るらしい。花畑に来たココ(季節はずれで花が無いのが寂しい)。 ココは餌やお八つに恵まれているから狩りをしても獲物は食べない。もてあそんで楽しむのである。いわば玩具である。そのなかでもハタネズミは格好の玩具だったのだろう。黄色っぽい小さな野ネズミの一種のハタネズミは尻尾がネズミの細い尻尾でなければリスとかモモンガと間違えるほど可愛い顔をしている。咥えて運ぶのにも手頃の大きさなのだろう。雀も同じ位の大きさだが肉付きはハタネズミの方がしっかりと付いているから噛みごたえもあったのだろう。それに小さいだけあって動きもすばっしこいのだろう。獲物を咥えたココは実に嬉しそうな顔をしていた。ベランダでもてあそぶ姿は恍惚状態だった。ベランダから芝生のバッタやトカゲを狙っているココ。 それを中止させ、家の中に持ち込まないように取り上げてしまったのだから子供から玩具を取り上げたようなものだった。興奮が四五日続き、今でも餌を食べ終わるとソワソワと外へ出ようとする。原っぱに行って新しい獲物を探すのだろう。雑草の種を体中に付けて戻ってくるから春になれば庭中に雑草の芽が出ることになる。芝生の管理も大変である。今年こそは芝生に目土をして養生させようと想っている。春になれば綺麗な新芽が出そろうだろう。ゴルフ場のグリーンは年がら年中それをやっているから見事なグリーンの台が出来上がるのだ。パターの練習用にグリーンを育てようとすれば適当な重さのローラーも要る。ガレージの塀を行くココ(ゼラニウムの花が気にかかるらしい)。 目土を均してそのままにしておけばココが糞トレーと間違えて糞をするかも知れない。そういう余分な心配もしなければならないが、ペットを飼う以上はそれぐらいは覚悟せねばならない。砂利を庭の小道に撒いた処にココが糞取トレーと間違えたのか糞をした跡があった。余り臭っていなかったから効能書きの餌の効果もあったのだろうが、それでも通り道だけに直ぐに処理をした。困ったものだ。ココの部屋と濡れ縁の二か所に糞トレーを用意してあるのに使うのは極たまなのだ。狩りの獲物の玩具を取られて腹立ちまぎれに糞をしたとすれば仕返しをされたことになる。まだまだこれからもココとボクとの攻防が続きそうだ。
2009/10/29
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獲物を取り上げられてむくれているココ 先日、狩りの獲物のハタネズミを家の中に持ち込まれてはかなわないので、入口のところで取り上げたのを未だ覚えていて、再度、新しい獲物を探しているのか毎晩のようにココの帰宅が遅い。12時を過ぎても戻らないので外に出て呼びかけるもののコトリとも音がしないのだ。首に付けた鈴の音は案外遠くに居ても聴こえるぐらい静かな住宅街だから相当離れた場所に居るのか、それともわざと物陰に隠れてこちらを見ているのだろうか。ハタネズミは野原に居る野ネズミの一種だから多分、夜行性でジッと静かに見張っていなければ獲物として捕えられないのかも知れないから、ひょっとして狩りの最中なのかも知れない。ハタネズミ(尻尾を入れないと体長は5cm位の小動物である)。 12時を過ぎて戻って来ない時は諦めてサッサと雨戸を閉め、締め出すことにしている。すると翌朝には雨戸の外で開くのを待っていて、開くと同時に飛び込んで来る。腹が減っているのと寒さで「ニャ~ニャ~」と何時もよりも大きな声で啼く。「腹が減った!」とか「寒かった!」と言っているのだろう。ボクは最近早起きだから5時から6時の間で書斎の雨戸を開けに降りて行く。ココもボクが書斎の雨戸を早く開けるのを知っているのだ。「昨夜は何処へ行っていたのだい?帰って来なかったな」と声を掛けてやると身体をボクの足にこすりつけてまとわりつく。だが、それは単に腹が減っているだけのことで餌番にお愛想しているだけなのだ。獲物を狙うココ。 その証拠に、餌を食べ終わるとプイと外へ出てしまう。何と薄情な、と思ったところでお構いなしだ。そこが猫の猫たる所以で、憎たらしくも可愛い奴なのだ。時期的に食欲の秋のせいもあってココはよく食べる。朝夕の定刻の食事以外に、お八つの煮干しじゃこを欲しがる。食後1時間もしない内に求めるから肥ってしまい、のしのしと歩く様はとてもじゃないがスマートさからは縁が遠い。ラグドール(ぬいぐるみ)種だから毛が長く、それで脚が短く観えるせいもあって「ブタ子」とボクは呼んだりしている。勿論、当人は自分のことと思っていないから知らん振りであるが、何か構ってくれているなということは分かるらしい。 野ネズミを咥えるラグドールと窓から外を観るラグドール(どちらもアメリカ)。 だから自分に都合よく、お八つでも貰えると思って近づいてくる。そういう場合はブラシで毛をといてやる。乾電池を入れて使う静電気防止ブラシだからブラッシングされても嫌な顔はしない。しないが、胸の辺りの毛がダマになっていて、それをほぐしてやる時は引張るかたちになるから少し抵抗する。それ以外は気持ちが良いらしく、特に顎の辺りは自分から突き出して毛づくろいを喜んでいる。乾電池はブラシに入れっぱなしにしておくと直ぐに放電して無くなってしまうので使う都度入れている。これまで何回か失敗しているので今では使う度に乾電池を入れる癖がついている。ブラシには綿のような毛が溜まる。それを取り除いては亦ブラッシングする。庭先のラグドール2匹(どちらもアメリカ。ココよりも肥っている)。 数回それを繰り返せば毛並みは綺麗に揃う。しかし、外から帰って来た時はザンバラに乱れ、枯葉や雑草の種を付けているのだ。床にそれが散るので掃除もまめにしなくてはならない。見るも哀れな乱れ方だ。藪か雑草の茂みの中を歩き回って来たのだろう。あのハタネズミを求めて狩りの彷徨をして来た訳だ。次に捕れるまでは執念深く捜しまわるのだろう。あの捕えた時の喜びようと興奮度は暫く余韻が続くほどだ。それを横取りされたのだから必死で毎日捜しまわっているのだ。以前に取り上げたハタネズミは3匹でその都度ゴミ箱へ処理をしたから今頃は処理場で灰になっていることだろう。弱肉強食とはいえ少し残酷な気もする。見張りするココ(椅子の下とか木陰とかが落ち着くらしい)。 ココにとっては狩りが一番楽しいのだろう。その他の楽しみは食べることぐらいか寝ることぐらいしかないのだ。猫は24時間の内、20時間は寝ると言われるぐらい何時もダラダラと寝ている姿が多い。餌とお八つを貰いに帰って来る時以外は外がココの居場所のようなもので、その外も日によって変わる。庭の場合もあれば隣家の屋根であったり裏の空き家だったり、広場の藪の中であったりする。最近は藪が多いのはハタネズミのせいだ。山へは1kmほど離れているので行けないのだ。猫の行動半径は100mで200mの範囲内でしか動かない。それより外は未知の世界で怖いのである。見張りするココ(門柱の上が見晴らしが良いので何時も通りを観ている)。
2009/10/28
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小学校の工事その後(2) 余裕ある工期であっても済んでしまえば、つい先日始まったばかりという気がするぐらい時間の経つのは速いものである。それでも戸々の工事は着実に毎日少しずつ進んでいたのだ。ウサギとカメの競争でもないがカメののろい歩みもトータルすれば相当な仕事量になるというものである。ピラミッドの石積みや万里の長城の石運びのようなものだ。悠久の時間を掛けて築き上げられたモノにはそれなりの重みがある。インド哲学がそうだ。数千年の時間を要して出来上がった思想には単なる時代の流行に左右されない強さがある。最終的には人間の数がモノを言うのだろうか。1月。旧校舎の解体風景と産業廃棄物の埋め立て処分地。 BRIC(ブリック)と呼ばれるブラジル、ロシア、インド、中国の四大陸国にはうなるほどの時間と人間の労力を費やして蓄積されたドルが眠っているのに、その価値が今や半分以下の値打もない状態に成ろうとしている。北アメリカ大陸のUSAが当分の間、世界の第一線から身を引いて二番手で模様眺めをする日も近い。アメリカン・ドリームを信じる人々にとってはまさかと思える出来事だろうが現実はついそこまで切迫した状態が来ているのである。日本にも中国やロシアと同じぐらいドルが国債として眠っているのにその運用をためらっているのだ。簡単に売り飛ばせばUSAは明日にでも倒産してしまう。それがあるからBRICも簡単には処分出来ないでいるのだ。2月。既存の松杭をオーガーで抜いているところとコンクリート杭の打ち込み風景。 ボクなんかドルどころか円もロクに持っていないから、そういう心配は要らない筈なのに、日本国民として日本がこの先、ドル貧乏になるか円金持ちになるかの瀬戸際が気にかかるのである。売るに売れないドルを持ったまま座して死ぬのか、価値の上がった円で俄か金持ち的気分のまま実際は不況の嵐の中をさ迷う難破船になってしまうのかが心配なのだ。難破船はとりあえず避難港に入るべきである。つまり波風の強くないアジアという市場の港に入って船の修理をしながら自力を養うのだ。中国も取り敢えずは避難港になるだろう。しかし、其処も安定した避難港にはならないのだ。3~4月。杭頭処理が終わった状態と基礎コンクリート打ち風景。 頃合いを観て、アジア・アフリカの港へと繰り出すべきなのだ。インドも中国に負けじと頑張るだろう。ところがパキスタンという昔の兄弟が頭痛の種になって、更には中国をも巻き込んでインドの行方に立ち塞がろうとしている。その時、ロシアはどうするだろう。ブラジルは離れているから冷静な目で客観的に行動するだろう。インドは隣国の中国よりもブラジルに親近感を持っているという。日本もブラジルには親近感があるし同朋も多く居る。BRICとの付き合いも様々な駆け引きが要るのだ。アフリカ諸国に近付いている中国は単に鉱石が欲しいだけだ。日本とて同じ立場だが、これまでのODAの実績があるから交友関係は悪くない。5~9月。各階フロアのコンクリート打ち風景と生コンの圧送ポンプ車。 しかし、自民党のやってきたODAには裏があったから心配もあるのだ。欧米列強がやってきたアフリカ政策は明らかに間違っていた。その証拠は世界地図を観れば簡単に分かる。定規で引いたような直線で引かれた国境は誰が引いたものか?アフリカの地形や各民族や種族に関係なく資源の分捕り合戦の結果、図上で勝手に出来上がった国境線はアフリカ民族の恥でもあり人権問題の悲惨な証拠でもあるのだ。日本人や中国人が白人待遇でアフリカに接している限りはアフリカ諸国は心から信用しないだろう。だから自民党によるODAには不安が付きまとうのだ。民主党政権がその汚名を返上して友好関係を築いてくれれば日本にも未来はあるだろう。10月。足場を解体している風景と足場が取れた状態。 小学校の工事が終わり、次なる仕事であるマンションの工事が始まっている。不況のさ中に忙しく出来る有難さを噛みしめ、日本の行方を心配しているのだから前向きな話だとボク自身は思っている。だが、根本は皆が働ける内は働ける場を設けなければ国が持たないということを心配しているのだ。頼りない年金で安心できない老後を、仕事をしたくても出来ない環境というものは間違っている。何も余分に金を稼げというのではない。健康の為にも健全な社会構造が成り立つ為にも適当な環境が必要なのだ。民主党政府はそれを目指そうとしているのだろうが単に国家予算をやり繰りするだけでなく、そろそろ生産性を上げる政策を提示すべきではないだろうか。
2009/10/27
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小学校の工事その後 いよいよ小学校の工事も終盤に近付き、仮設足場を外す段階に入った。現在は内部の仕上げ工事の最中である。今年の1月から杭工事に入って十カ月目である。昨年の暮は工事に掛かる前の地元への着工説明会をした。だから工期は充分にあったのだが着工が一カ月遅れたせいで完成も一カ月遅れることとなった。完成検査は12月にある。つまり1年間の工期があったことになる。役所の工事だけあって実にのんびりとした工事だった。鉄筋コンクリート造4階建てのこの程度の規模の建物であれば民間工事なら半年か7カ月もあれば完成しているところだ。完成が近付いて仮設足場を解体する直前の小学校校舎(南西側)。 役所仕事の長い工期でも建設会社は損をせず何とかやって行けるのだろうか。大して儲からない筈だ。人件費が喰いすぎるからだ。しかし、下請け業者は変わりない顔で仕事をしている。自分の仕事の範囲と仕事に要する時間は決まっているから請負の工期が少々延びたぐらいでは関係が無いのだろう。元請け業者だけが下請け業者の工事代金を値切れるかどうかだけで損得が決まるのだ。つまり、全体の工事の流れが上手く流れ、間断なく工事が進み、無駄が無ければ計算通りに利益は少ないが必ず出る仕組みになっているということになる。それが工事請負業の仕組みなのである。仮設足場をはずているところ(北東側)。 ボクの親父が工事請負業(建設会社)をやっていて職人が毎日早朝に来ては彼方此方の現場へ行っていたのを想い出す。各業種の職人は直接現場へ行き、仕事を終えれば直接自宅へ帰るのだが、請負会社の社員はそうはいかないから手配通り職人が現場に入っているかを早朝から確認し、自分も現場へ行き、時には職人を車で運んだりする。つまり職人の手配から材料の手配、工事の進み方の調整をするのだ。大きな工事ほど手配する量は多くなるが、やる仕事は大小関係なく同じだけあるから結構忙しいものである。子供時分からそれを観てきているから現場監督の仕事の大変さはボクにはよく分かる。仮設足場を外しているところ(北西側)。 だから、それが嫌で設計と工事監理の立場に廻ったようなものだ。自分にはそういう仕事は向いていないと想ったからだ。仕事の内容が分かっていても向き不向きはあるのだ。出来る出来ないの問題ではない。自分にはそれよりももっと向いた仕事があると想ったのだ。それが設計・監理であった訳だが、一般にには同じ仕事のように観られている。何故なら同じもの(建物)を作る側に居るからだ。料理で例えれば、コックと八百屋と肉屋と魚屋、その他の材料屋との関係になるのだろうが、コックはレシピを考えるから設計・監理もする訳である。職人でありながら設計も監理もする立場にあるのだ。仮設足場が外れたところ(北東側)。 だから傍の人から見れば現場監督もコックと同じに観えて当たり前だ。しかし、仕事が大きくなれば分業をし監督する立場は当然ながら全体を観なければならなくなる。一職人で部分だけの仕事をしていては全体は観えなくなる。つまり全体の流れを常に掌握していられる立場に居なければならないのだ。そこが違う訳だが一般には同じに観えてしまうのだ。だから監督の器量はそれが分かっているかどうかに掛かって来る。分からず工事の手配が遅れれば未熟な監督ということになる。職人は段取りが狂えば監督に文句を言う。仕事がはかどらないからだ。そういう監督には職人は付かない。見限られてしまうのだ。仮設足場が外れたところ(北西側)。 そういうことが無いように設計・監理の立場は現場監督に注意をする側に立つから監督からは煙たがられる。慣れた監督なら堂々としているがゴマをする監督は下心があると観てしまう。堂々としているから慣れた監督かと思えば違ったりする場合もある。単に鈍いだけの男だったりすれば最悪である。そういう監督の場合は絶えず喧嘩や注意をしなければならないのだ。だから設計・監理は文句を言う仕事のようなものである。それだけに文句を言う回数が少ない現場は順調に言っている証拠にもなる。この小学校の現場は割合、文句を言う回数は少なかった。仕事をよく知った監督だったからだ。その代わり、助手が未熟だったから監督は苦労しただろうと同情している。
2009/10/26
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タイトル変更(5) 以上で大体、我が家の飼い猫・ココの生い立ちと最近の動向の状況説明が出来た。このブログのタイトルを「建築家のブログ」から「ラグドール・ココのブログ」に変えた理由が単純にブログのファースト・インプレッション(第一印象)を変える為だったから少しは堅苦しい印象も軽くなったのではないだろうか。ブログなんてものは誰もが気楽に読むものだから堅いイメージのものは素通りされてしまう。張り切って書いている人も多く居るのだろうが、中には商売をしている人も居たり冗談半分に書いている人も居ることだから、どのようなブログが一番良いのか分からないものの、一番肝心なことは如何に多くの人に読んでもらえるかに掛かって来る。「何か獲物は居ないかな」と庭をそろそろ探っているココ。 書いた以上は人は読んでもらいたいものだ。それが人情である。書いて発表する以上は「読みたくない人は読まなくても良い」というのでは一方通行で寂しいし何か無理に突っ張っている感じがして青臭い。若い頃はそういう時期もあって良いが、そろそろ大人になって世間が見え出すと自分のアイデンティティも働いて幅広く読んでもらえる配慮をして自己主張するようになる。そうなれば内容も充実してくるだろうしファンも増えるだろう。一種の人気番組になる可能性もある。自分の考えに協賛してくれる人も現れるだろうし反対意見を言ってくる場合もあるだろう。そういう交流が人の付き合いの始まりなのだ。 人は生意気なことを言っても独りでは生きていけないのだから出来るだけ多くの人から影響を受けたいし自分の主張も受け入れて欲しい。そういう単純な動機でブログを始めるのが基本だから五月蠅いことは言う必要がない。但し、スパムや妨害は許せないというか情けない行動だ。自分が世間から疎外されていると想い込んで人の幸せな雰囲気を壊すことで満足するなぞ悲しい行動だからだ。哀れでもある。そういう負け犬的発想では益々世間から孤立していく。世間を敵に回すと益々生きにくくなる。悪循環になるのだ。犯罪者がそういう心理状態で生きている。偽善者はその逆を行くのだ。腹も膨れ、狩りの獲物も見つからない時は、寝るに限る。 偽善者とは逆の、悪ぶって生きて行く人も居る。実際は善良な一市民なのに何故か偽悪者ぶっていると格好が良いと想う人がそういうタイプなのだ。偽善者よりもましではあるが世間は偽善者を評価して偽悪者を弾劾するものだ。世間は目あき千人、目くら(盲人)千人といって半分は真実を見極められない人が居るものなのだ。それに噂によって付和雷同して冷静な判断が出来ない場合が多いものでもある。自民党の凋落を見れば分かるだろう。あれだけ肩で風を切って威張っていた自民党の馬鹿先生方が今は見る影もない日蔭者のようにコソコソと行動し、敗因は自分たちの行動のせいなのに仲間内の悪口を言いあっている。 何とか生き残ろうとしているのだろうが、世間の目はそういう次元の低いことでは評価してくれない。信用というものは築くのは大変だが、失うのは一瞬である。それが分からないのだから情けない先生方なのだと言っているのだ。先生と言っても、先に生まれただけの呼称に過ぎないのに自分は偉いのだと勘違いしているのである。何が偉いのか、分かっていればこういう結果を見ずに済んだのだ。まあ、いずれ起死回生の運も巡ってくるだろうし反省して出直せば返り咲くこともあるかも知れない。そういう希望をもって国民一人一人の為に奉仕して行けば人様の評価も変わっていくだろう。寝るのにも飽きたから、一緒に遊んでくれる? 繰り返すが、世間は目あき千人、目くら(盲人)千人というのだから、見ている人は見ているのだと希望を持つことだ。それよりも万民の為にという崇高な理念も大事だが、自分に嘘をつかないという当たり前の生き方をすれば心の声が聴こえるようになるものである。ボクは宗教者でもモラリストでもないが、人の道は知っている積りだ。だからこそ口はばったいことを言うのだが、それもそろそろ堅苦しいだろうから程々にして、矢張り軽くて読み易いブログを目指そうと想っている。これがタイトル変更の弁なので、これからも宜しくご指導をお願い申しあげる次第である。
2009/10/25
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タイトル変更(4) ラグドール種は3年ぐらいで大人の猫になるという。オスは大きく7kgぐらいになり、メスは5kgぐらいが限度だそうだ。だからココは5kgになって女盛りになった訳だ。隣家のモモは同じメスだが4kgぐらいしかない。最初は矢張り小さな仔猫のままで2年ほどして中猫になり、以後は少し太って女盛りになったが、ココが来た頃から下り坂になり、今では9年ぐらい経つから老婆猫になって少し痩せてスマートになった。ココと比較すると横綱と小結ぐらいの差がある。身体こそ違いがあるもののモモは気性が荒くよく余所で喧嘩をしては耳を怪我して帰ってくる。ココは見掛けは大きいが喧嘩には弱いようで怪我をする前に帰って来るのか怪我をしているのを見たことが無い。避妊手術後、傷口が癒着するまでエリザエス・カラーを付けさされたココ。 その代り、野良猫が来たりするとココと共同戦線で追い払う。呉越同舟で共通の敵が来た時だけ仲が良い。その他の時は、モモが我が家の庭に来て日向ぼっこをしているとココが「邪魔だから、どけ」とばかりに睨む。力関係は最近でこそココの方が上になったが、来て2年ほどはモモの妹分のようについて廻っていたものだった。ココの為に庭に出しておいた屋根付き糞トレーもモモには珍しい物だったようで暫くそこで用を足していた。庭のそこら中にされるよりはマシだと了解してトレーの糞の後始末をしていたが、その内、ココが怒り出し、モモに使わせなくなった。矢張り縄張り意識が芽生えて来たのだろう。 縄張り意識は、猫の場合は半径100m、つまり200m四方はテリトリーとして押さえるそうだ。住宅団地では4ブロック分ぐらいだ。道路を隔てて行くのは我が家や見慣れた家々が観える範囲内ということだろう。但し、隣同士に飼われている場合は共通の縄張りとなるから我が家が一番のテリトリーでその外が二番手のテリトリーとなる。二番手のテリトリーに野良猫が来ると追い返すが、一番手のテリトリーに極まれに野良猫か飼い猫が来るとギャーギャーと騒ぐ。家人が驚いて庭か玄関に出ると余所の猫が慌てて逃げて行くのが観えるとことがある。隣家のアメリカン・ショートヘア種のモモ(自分の庭先のように想っている)。 「追い返してやったぞ」とばかりにココは得意満面の表情で見張っている。まるで獲物を捕って自慢するようなポーズである。案外、喧嘩に強いのかも知れないが、実際に取っ組み合いの喧嘩をしているのを見たことが無いから分らない。モモのように耳に怪我をしている訳ではない処を観ればどちらとも取れる。身びいきした処で仕方がないが怪我をされるよりはマシだ。子供時分に飼っていた三毛猫の「たま」は喧嘩が強く、誰にも負けたことが無かったが、ある時、後ろ脚の辺りを噛まれて大怪我をしたので動物医院に連れて行ったことがあった。数針縫ってもらったが、傷は直ぐに治ったものの気性はそのままだった。 その後も矢張り喧嘩の声はよく聴こえた。京都の中京の民家の密集した処では飼い猫や野良猫が多く居て、テリトリーのかぶり合いだらけだから常に縄張り争いがあったのだろう。交尾期なぞ五月蝿くて、まるで赤ん坊が泣くような声が屋根から聞こえてくるのだった。ところが住宅団地ではあるが、この辺りは猫がそれほど多くなく五月蝿いぐらいの鳴き声は聞こえてこない。精々、向いの家や隣家のパピヨンやミニ・ダックスフントがキャンキャンと啼く程度だ。しかし、ココは犬嫌いで、そんな声に敏感に反応してフェンス越しに睨み返している。睨み返してはいるが、内心怖いのだろう。パティオへおもむろにココがやって来た(大分肥っている)。 直ぐ傍にまで来られれば、フェンスで守られていて安全なのに逃げて下屋の上に駆け上がる。そして見下ろしながら「悔しかったら此処までおいで」という風にからかっているように見返す。パピヨンは親しげに啼いているだけなのにココにとっては五月蝿いだけにしか聴こえないらしい。隣家の飼い主が散歩に連れて行けば余り啼かない筈なのに、庭に放し飼いにしているだけだからパピヨンは我が家に来たくて仕方がないのだろう。それをモモは、自分の家族(パピヨンとミニ・ダックスフントはモモの後に飼われ始めたから弟分の関係)になるのに、矢張り五月蝿さそうにココとの中間点で眺めているだけなのだ。 モモも「ほんとに、お行儀の悪い弟達だこと」と五月蝿く想っているのだろう。生まれた時から一緒に育った中だったら種類の違う者同士でも兄弟のようになるものだが、モモが大人になってから来た犬達はモモを親のように想っているのかも知れない。小柄なお母さんである。しかし、モモも避妊手術をしているので女らしさに欠けるだろうからココと同じように冷静に彼等を異種動物として眺めているとも考えられる。ココが我々と同じ人間と想っているのと同じく彼等もモモと同じ自分達を猫と想っていても不思議はない。ましてココは、モモのように家の外で飼われているのと違って自分の部屋を持ち、たまにはボクのベッドで寝るから完全に人間と想いこんでいるだろう。最近では、モモと向かい合っても喧嘩しなくなって、お互い対峙しているだけだ。 その証拠にボク達の食事時には食卓の下に待機して同じものを欲しがる。朝夕にはちゃんと餌をやっているにもかかわらず欲しがる。刺身なぞ大好物で焼き魚は二番目に好きな食べ物である。洋猫のくせに和食が好物なのだ。が、洋猫の特性なのかチーズやマーガリンも大好きなのだ。ハムもそうだ。要するに雑食なのだが、新鮮なものが好きと来ているから贅沢な猫なのだ。我々が食べているものは全部美味しいものだと想っているようだから、朝、ボクがバゲットにハムとチーズとレタスをサンドイッチしたのを食べていると矢張り欲しがる。だからボクは口に含んだのを少し出して手のひらにのせて与えると実に美味しそうに食べるのだ。(つづく)
2009/10/24
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タイトル変更(3) ココは躾を直ぐに覚え、糞トレーに大小の用弁便をするようになった。賢い猫だと思った。余り手間が掛からずペットに慣れない家人も直ぐに馴染むだろうと想われた。ところが、ある日、ミルクをやると暫くして下痢をしてトレーで無い場所で用便をしてしまった。我慢が出来なかったのだろう。トレーにまで行きつく前にドアの前でやってしまったのだった。其処は息子の部屋の前でもあったので最初に息子が見つけて大騒ぎとなった。「こんな猫、捨ててしまえ!」と息まく息子に、ペットの一つも飼えない心の余裕がない息子が哀れに想えるのだった。日頃は優しく撫でたり餌を与えたりしているのに、いざこういうことがあると豹変して激しい気性を出してしまうこらえ性の無さに誰の遺伝なのかと訝かってしまうのだ。我が家に来て間がない頃のココ 1(門扉の内側で外の様子を覗っている)。 その性格は、ボクの父や妻の父に似ていた。戦争経験者は気性が激しいと想っていたが、それが隔世遺伝で出たのだろうかと想った。困ったものだと頭痛の種に成った。生き物に対する優しさが無い訳ではないのに、カッと頭に血が上ると我を失って感情の趣くままの行動をとる。自制心が無い性格は社会生活で失敗するだろう。それは親が幾ら注意しても直るものではない。自分でコントロールするしかないのだ。意外にもペットのことで性格が分かるとは想わなかった。この先が思いやられる。何時までも子供のままでは困ったものだ。妻はそれをどう想っているのだろう。当然ながらボクよりも多く接しているのだから分かっている筈だ。それを相談する訳でもないのだ。 それだけが原因ではなかったが、ココを外へ出せば余所の家へも行くだろうし其処でそそうをしてくれても困るという心配から、最初は家から外には出さなかった。庭に出しても余所へ行かないように見張っていた。それがひと月かふた月程続いた頃からココは家の中を走り回って暴れ出した。終いに妻に飛びかかって行く始末だった。家に閉じ込めっぱなしでフラストレーションが溜まってヒステリー状態になっているのだった。それを観て家人はココを元の飼い主に戻せと言いだした。ボクが出かけている時は二階のココの部屋に閉じ込めているので更にココはヒステリー状態になって行った。我が家に来て間がない頃のココ 2(出たいが不安だ)。 ココのことで家の中が暗い雰囲気になってしまって、仕方なくボクは元の飼い主に電話をして相談した。「適当に外に出すだけで直ぐに戻って来るから心配しなくても大丈夫ヨ。戻って来ないことは無いから」という返事に少しは安心したが、和猫と違い、洋猫は取り扱いが難しいと想った。しかし、高が猫のことだとボクは内心ではそれほど心配もしていなかった。成るようになるだろうという腹で、ボクが家に居る間はココを外にだしてやった。するとココの興奮も収まって大人しくなって普通のペットとしての立場に戻ったかのように観えた。そして家人も次第に最初の頃のように可愛がり始めた。家人もココも慣れないからこそ過剰な反応を示していたのだった。 そうこうする内に数か月が経ち、そろそろ避妊手術とワクチンを処方しなければならない時期になった。近所の動物医院に連れて行き一泊させて手術を受けさせた。ワクチンは術後の回復を待ってからにしましょうと言われた。人間の勝手な思惑で避妊手術を受けさせるのは可哀想な気がしたが、処置をせずに置いたままにすれば雑種が生まれ、もらい手も無く、猫が増えて行く姿を想像するだけでトラブルが発生するのは目に見えていたからやむを得ない処置だった。ココが可愛いならそうするしかなかった。翌日、貰い受けに行くと心細かったココはニャ~ニャ~と啼いて待合室を走り回った。他の客が連れているのは全部仔犬ばかりだったからココが珍しかったのだ。我が家に来て間がない頃のココ 3(ガレージまで来たぞ)。 吠えこそしなかったが全部の仔犬までがココに注目した。椅子の下に逃げ込んだココをやっと捕まえて籐籠に入れると大人しくなった。動物医師は女性で、まるで赤ん坊をあやすような話し方でココに接し、今後のスケジュールを説明した。年末のことだったので子供達も仔犬に付いて来ていたから見慣れない猫に興味を持ったようだった。当然ながら健康保険は効かないから医療費は人間並みに数万円取られた。ペットも金が掛るものだと知った。ちなみにラグドールの価格をネットで調べてみれば、安いのでも8万円ぐらいから高いのでは20万円ぐらいで販売されていた。日本では珍しい種なのか毛並みの綺麗なものほど高いようだった。 動物を売買するのは当たり前にしても、ボクはそれが命の売買に想えるだけに嫌な気がするから買ってまで飼いたいとは想わない。人間の場合でも臓器手術は相当な金額が要る。が、表向きは売買は禁止されている。ボランティア提供に限られている。昔の奴隷制度ではないが命の尊厳が金額に換算されることが民主主義に反するからそうなっているのだろうが、裏社会で実際に売買されているというからそれを連想するのだ。そういうことなら食肉なら良いのかという議論が出るだろう。魚なら気にしないのか。野菜には命は無いのかという議論にまで発展すればボクには何とも言えない。我が家に来て間がない頃のココ 4(ガレージの次は隣家が気に掛かる)。 難しい議論は止そう。言ったところでせん無いことなのだ。人間の歴史が、食物を自然界から取ることから始まって、文明が発達し、栽培や養殖という技術が生まれ、無暗に殺生をしない時代になったと言っても動物性タンパク質は摂っているのだ。それも合成タンパク質ではなく自然界のだ。先日なぞ、美味いフランス料理の店に妻と行ってフォアグラを旨いと言って食べているのだ。人間とは、わざわざ過食させてパンパンに晴れ上がったガチョウの肝臓を美味いと言って食べる残酷な生き物なのだ。それを批判なぞボクには出来ない。事実、旨いと想ったし亦食べたいと想っているのだ。(つづく)
2009/10/23
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タイトル変更(2) 結婚して30年以上経つ我が家にはペットは居なかった。それなのにココを飼う気に成ったのには偶然の理由があった。厳密に言えば、一度だけ短期間だがペットが居たことがあって、向かいの家に住んでいた両親が綺麗な模様のあるダルメシアン(犬)を貰って来てひと月ほど居たのだった。税理士をしていた父が取引先の社長から貰って来たのだ。しかし、向かい同士で住むボクは仕事で忙しいので休みの日に散歩に連れて行く程度で、他に餌以外の面倒を観る者が居ず、可哀想なので結局、知人に譲ってしまう羽目に成ってしまった。可愛いという純粋なな気持ちで貰ったのだろうと想えば、面倒を観ることもできないのに不用意に貰って来たのを責めることも出来なかった。僅かひと月ぐらいしか飼わなかったダルメシアンだが、綺麗な犬だった。 そういうこともあって一度もペットを飼ったことがない妻は、犬もそうだったが猫が我が家に来るというのには反対だった。餌の与え方や飼い方が分からないからというのが主な理由だったが、子供の頃、余所の飼いネコに追いかけられて怖い目に遭った経験があるという笑ってしまいそうな話もあった。ボクは子供時分に飼ったことがある経験から平気だったし面倒なこともなく、犬よりも猫の方が愛着があった。既に隣家にはモモという名の黒い縞模様猫のアメリカン・ショートヘア種が居て、我が物顔で近所を闊歩していたのだ。我が家の庭にも来ては糞をして臭うので困っていた矢先だったから妻の心配も当たっていない訳でも無かった。そのくせ妻はモモを可愛がっていた。 モモの糞害に悩まされていたボクは対抗手段として、もう少し上を行く猫でも飼ってモモを圧倒させてみようかなと微かに想ったりもしていた。すると偶然にも取引先の奥さんが「娘がニューヨークへ語学留学をすることになって飼い始めたばかりの仔猫を手放すので貰ってくれません?」とボクに話を持ちかけて来た。モモのこともあったのでボクは快諾し、早速車で豊中まで貰いに行くことになった。日曜日に妻も一緒に行く予定だったが直前になって「行きたくない」というので独りで行くことになった。矢張り猫を飼うことをためらっているのだろうと想った。しかし、もう決めたことで相手も待ってくれていて約束の時間も迫っていた。我が家に来て間もないココは、階段も怖々降りていた。 初めて訪問する豊中の家は、カーナビのお陰で直ぐに分かった。途中で携帯に電話があり「未だ?今、何処に居るの?」と待ち構えていた奥さんが心配そうに訊いた。彼女もボクが来るかどうか心配していたらしい。直ぐ近くだったから間もなく家を訪ねるとチンチラ(猫)とミニ・ダックスフントが居て、もう一匹細くて白い仔猫が居た。それがココだった。三匹も飼っているのだから一匹ぐらいそのまま飼えば好いのにと想ったが「この子が(ココを指して)ヤンチャで、他の二匹を追いかけて耳を噛むのヨ」と言うので手放す理由が他にもあることが分かった。娘さんは既にアメリカへ発って居なかった。 暫く世間話をしているとココが近くまで来たので、ひょいと膝の上に乗せるとジッと大人しくしていた。「あら、この子、珍しく余所の人に懐いているワ。猫好きな人が分かるのネ」と感心した。ココも予感したのかも知れない。用意してきた籐籠のバスケットにココを入れるとニャ~ニャ~と啼きだした。狭いバスケットに入れられて嫌なのは分かるが、これから一時間ほどドライブが始まるので辛抱してくれないと困る。高速に入る手前で余りにも啼くので蓋を開けてやると手にしがみついて来た。信号待ちで停まり、おもむろに籐籠から出してやった。車が停まっている時は啼かず動き出すと啼いて座席を行ったり来たりする。だから左手で抱えながら運転をしなければならなかった。我が家に慣れるとココは木登りが得意なのか、よく庭木に登って遊んだ。 ようやく無事に自宅まで運んで妻と対面させると彼女は珍しいものを観る眼で観ながらそろりと手を出してココを撫でてやった。ボクにしがみついているココは、なされるままジッとしているだけだった。啼くのは止んだが新しい環境に馴染むまで時間がかかりそうだった。貰って来た餌を少しやると食べ始めた。とりあえずニ階の使っていない妻のアトリエをココの部屋にすることにして糞トレーに砂を入れて置いた。そこへココを入れて鼻を砂に押し付けて糞をする場所であることを教えた。昔、そういう風にして躾けた通りのことをしたのだ。多分、それを数度繰り返せば覚える筈なのだ。(つづく)
2009/10/22
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タイトル変更 これまでボクのブログのタイトルは「建築家のブログ」だった。それを「ラグドール・ココのブログ」に変えた。ココというのは我が家のペットの名で、妻が好きなフランスの女性デザイナーの名からとった。変えた理由は「建築家・・・」では硬いイメージで気軽な気持ちで読もうという気が起きないのではないかと想ったからだ。書いている内容は硬いものから軟らかいものまで多岐にわたっているが、文章が硬いのは書き言葉にしているからで、話し言葉にすれば少しは柔らかくなるだろうとは想うものの、どうも軽薄な気がして書き言葉からはみ出すことが出来ないでいる。擬音や感嘆符は入れてはいるが文章そのものの脈絡や読み易さから慣れた言葉が書きやすいのだ。我が家に来た頃のココ(生後4か月で、1kgも無かった)。 そもそも文章には品というものが必要だとボクは常々想っている。若さに任せて単刀直入に激しい言葉を書くのは読み手にとって辟易とするものがあるし相手を罵倒したりののしる言葉は書いている本人は言い放し書きっぱなしで良いだろうが、言われている者は勿論、そうでなくとも読めば気分が悪いものである。逆に、誉め言葉でも媚びへつらう言葉は知性を疑う場合がある。ほどほどという言い回しがある。常識で考えれば当たり前のことでも当事者にとっては飾り立てることが異常とは思わず逆に良いと信じているのだろうが、読んでいて辟易とさせられる。ニ重三重の敬語の使い方は文法を知らない未熟さだが、敢えてそういう言い回しは聞きづらいものである。 例えば、皇室関係者に丁寧語や敬語を使うのは常識でも馬鹿丁寧な敬語を聴かされては耳障りなものである。何々様と子供にまで丁寧に言うのはマスコミの思い上がりだろう。そう言うことでマスコミのリーダーシップを発揮しているつもりなのだろうが、何々さんで充分な場合が多い中、どれもこれも様ばかり付けるのは馬鹿の一つ覚えだ。マスコミは言葉と写真や動画で成り立っているから小細工をすれば違った報道に聞こえたり見えたりするものである。不必要なまでの敬語を使ったり写真も撮る角度や場所によっては違った印象を与える。言葉は特に正確に大事に使わないと時として褒め殺しにも黙殺にも成り得るのである。3年目で大人の猫になったココ(体重は5kgある)。 マスコミ業界ではNHK標準語と言われる用語があって一応、民法もそれに右へ成れいをしているがNHKとて間違った言葉づかいを平気でする時代である。よく言われる言葉では、幕間というのを「まくま」と言うアナウンサーが居る。当然「まくあい」であるのに重箱読みはいけないと思い込んでいるからそう言ってしまうのだろう。「シミュレーション」というのを「シュミレーション」と言い間違えて平気でいる人も居る。わざわざ外国語を使わなくても良いのに、知っているぞと主張したいのか市民権を与えたいのかわざわざ英語を言うのだ。母国語を大事に使う人は本当に自分のアイデンティティを知っている人で文化を知っている人である。 ところが軽薄にも自国語を簡単に外国語に置き換えて話す人は、その国に大変な思い入れをしているか、それとも自分の国に誇りを持てない人である。外来語となってしまった言葉は歴史的に市民権を得ているから日本語と同様の扱いをしても良いが、やたらと外国語を取り入れるのは戴けない。ある会合で「日本語だけで話をして下さい」と最初にアナウンスされて言葉に詰まった人が多く居たという。それほど日本にはこれでもかこれでもかと言う位に外国の単語が多く入り込んでいる。専門用語なら仕方がないが、昔からある綺麗な日本語で用を足せる場合は極力日本語で書いたり話したりしたいものである。お気に入りの書斎のデスク下の椅子でくつろぐココ。 ところで、ラグドールとは「縫いぐるみ人形」という意味の英語で猫の種類である。原産はアメリカ・カリフォルニアで、35年ほど前に偶然に出来た新種である。ベースにペルシャ猫とタイ産のバーミャンが入っていて人懐っこく、来客があれば必ずまとわりつくぐらいである。初めての人なぞ玄関先でまとわりつかれると驚き「あ、外へ出ますヨ、大丈夫ですか?」と心配してくれる。人付き合いの悪い人でもココにかかると顔がほころんで話しかけたりする。ラグドールの特徴は全体が白っぽく顔や耳、足の先、尻尾が焦げ茶色で太い。スマートではなく縫いぐるみと言われるだけあってふさふさコロコロしている。(つづく)
2009/10/21
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COCO(ココ)の不満 一昨日の夜、そろそろ寝る時刻なのでココを呼び込もうと庭のガラス戸を開けると、ココがテラスで踊っているのだ。よく観れば狩りの獲物をもてあそんで放り上げて遊んでいるのだった。それは庭園灯の水銀ランプに照らされて幻想的に観えた。しかし、寝る時間だから獲物は翌日の遊び道具にすれば良いと無理やり呼び込んで雨戸を閉めた。閉める直前、獲物を見ると先月捕ったのと同じ小さな黄色いハタネズミ(野ネズミの一種)だった。ネズミの種類でなければ可愛いと想える小動物だ。ココはガラス戸の前まで獲物を咥えて来てボクのサンダルの横に置いてとりあえず部屋に入ったのだ。見張りをするココ。 しかし、まだまだ獲物で遊ぼうと思っていたらしく興奮覚めやらず、ニ階の自室には行かず、書斎から玄関先の廊下まで行ったり来たりして走り回っているのだ。ボクは眠いから一旦家の中に入ったココなぞ相手していられないとさっさと寝室へ行き寝てしまった。翌朝、家人に訊けば、ココをニ階のココの部屋に入れるのに苦労したという。そのせいか、朝、ボクがココを部屋から出して餌を作って与えても嬉しそうな顔をせず義理で食べたような食べ方をして直ぐに外へ出たいポーズをしたのだ。多分、獲物で遊びたかったのだろう。ハタネズミなんか家の中に持ち込まれてはかなわないから先にボクが出てハタネズミをゴミ鋏でつまんで野原へ放り投げてから戻って来てココを外へ出してやった。 ところが、テラスの靴脱ぎ場には未だ獲物の臭いが残っているらしくココはその辺りを嗅ぎまわって獲物を探し始めるのだった。一寸可哀想なことをしたと想ったが、ハタネズミの死骸なぞで遊んでくれては困るからそのままにしておいた。ボクと妻が買物に出かけて夕方帰宅してもココの機嫌は悪かった。好物のツナ缶を与えても半分残す始末だ。余程あの獲物に執着していたのだろう。次の獲物を見つけるまでココは執拗に庭中を駆け巡ってハタネズミかそれに代わる獲物を探し出すことだろう。そもそもココは当初から狩りが好きで身の軽さも手伝って木に登ったり隣家の屋根に乗って辺りを見渡し、獲物を狙う鷹のような鋭い眼で睨んでいるのだった。ハタネズミの親の標本 (ココが捕ったのは5cm位だから子供なのだろう)。 幸いなことに道路を隔てた処に4百坪ぐらいの空き地があるので生い茂っている雑草の中を終日、遊び廻り食事時になれば雑草の種を体中に付けて戻ってくる。獲物が捕れた日なぞ得意満面の表情で咥えて戻ってくる始末で、家人に「どうだ、捕ったぞ」という風に鳴いて知らせるのだ。住宅団地といってもこの辺りはまだまだ田舎だから自然の状態が残っている。時折、獲物が小鳥の場合は、鳴いた途端に咥えた口が緩んで獲物を取り逃がしてしまうことがある。その時の悔しそうな表情には一寸ばかり同情してしまうが、小鳥が無事逃げてくれてホッとする。小鳥が可哀想なのだ。 ハタネズミの場合はぐったりした状態ばかり見せられるので既に死んでしまっているのだろうが、そんな死骸を家に持って来られても困るのだ。しかし「よくネズミを捕るネコは良いネコ」と昔から言うから本来の役割からすれば良い猫の筈なのだが、ペットだけに野性味はそれほど必要とはしないのだ。それに出来て40年ぐらい経つ住宅団地では活躍する場も無く、家ネズミがいても不思議はないのだろうが、この辺りには家ネズミは居ず、極たまにタヌキの親子連れが目撃される程度だ。多分、近くの山から下りて来るのか、何処かの空き家に住みついて居るのだろう。ハタネズミ 二種(尻尾を入れなければ5cmほどの小さなネズミだ) それだけに自然の動物が珍しく、ココが捕えて来たハタネズミを最初観た時は「リスにしては尻尾が違う。モモンガか?ネズミにしては黄色くて可愛いから何だろう?」と思ったものだった。ネットで調べてやっと分かった次第だ。ハタネズミの獲物はこれで4度目になる。ココのお陰でハタネズミはこの辺りから消えてしまうかも知れない。獲物がヤモリやトカゲやバッタ程度なら可愛いが一寸大きい小動物になると小鳥も含めて可哀想な気がしてならない。それでもココは益々大きな獲物を目指して行くのだろう。
2009/10/20
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エコ・ポイント 先日の掃除機クレームでネット通販の販売元へ宅急便で送ったのが未だ送り返して来ないので已むなく新しい掃除機を買いに大型家電ショップへ行った。紙フィルター・タイプと紙フィルターを使わないタイプがあって、後者を選んだ。メーカー別に様々な商品があって選別するのに迷う。係員に訊けば分かるかと思って訊いたが大して代わり映えしなかった。こちらの知識の方が勝っているのだ。だからこれまでの経験から1社(S社)に絞り込んで吸引能力のワット数の他社との違いを訪ねると、一般的には500W以上あれば能力的には満足出来るのだが、そのメーカーのは吸引ルートを改良して負荷を減らしたので50W分少なくて済むという。新しい掃除機を買いに行って来た。 どのように改良しているのかを訊けば、遠心力を利用してゴミをふるい分け、その手前で排気ルートへと吸引した空気を回すので集積ゴミによるフィルター効果がない分負荷が軽くなっているというのだ。成程それは理屈だと思ってそれに決めかけたが、ホースの先端の口が重いのに気が付いて尋ねると、カーペットの細かいごみを振動で叩き出す為にモーターが付いているので重いのだという。しかし、以前に同様の機能を持った数段これよりも高価な掃除機を買ったのだが直ぐに壊れて、何度もメーカーに来てもらったが結局駄目で、諦めてその部分の機能を停止させて使って長持ちさせたことがあった。 確か20年ぐらいは使ったと思う。そのことを言うと、たまたま彼はそのメーカーから応援に来ていた社員で、申し訳なさそうな顔をして「それでは、こちらの商品はどうでしょうか」と少し安いのを出した。吸い口先端のモーターが無い分軽くて安いのだ。多分、彼も先端の壊れやすいのを知っているのだろう。以前のこともあるので結局その掃除機本体の機能と性能が同じで値段の安い掃除機に決めたのだった。その昔は7、8万円する掃除機が当たり前だったのにデジカメと同じで非常に安くなっているのだ。精々2~3万円の掃除機をその都度買い替えた方が賢いということなのだ。メーカーもそういう方向で生産調整しているようなのだ。エコ・ポイントの手続きは7月1日から始まっていた。 掃除機の件はとりあえず落着したから(ネット通販の分は未解決だが)値段が安いついでに階段用と2階用にもう一台買おうかと妻に言うと、同じのを買うのには反対で、買うなら庭の枯葉掃除用のが欲しいという。庭の掃除と聞いて、そう言えば工事現場で業務用掃除機を使っているのを想い出して「庭掃除や枯葉用は業務用のものでないと能力が違うからホームセンターで業務用のを見ることにしよう」と話を切り替えて、事前に用意しておいたエコ・ポイントの手続きを係員に訊いた。同じ店で先々月だったかに買った冷蔵庫とテレビの分なのだが、忘れてしまいそうなので準備しておいたのだった。 自民党から民主党に政権が代わってエコ・ポイントの行方が不透明になりそうなので今の内に手続きを済ませてしまおうと用意しておいたのだが、別の係員に代わって説明を受けると何ともややこしい手続きだった。しかし、代行して手続きの基本をやってくれたのですんなりと行ったのだが、ポイント換算は冷蔵庫で25,000円、テレビで12,000円、それぞれ個別に申請しなければならないのだ。更に何に交換するか決めていなかったのでデパートの商品券にしたところ、5,000円単位での処理になるので12,000円の方は2,000円分が消えてしまう。だからそちらはデパートの商品券ではなく日本信販に切り替え、手数料が500円差し引かれるもののそれでも1,500円は無駄にならないのだ。エコ・ポイントの手続きは意外と複雑で面倒臭いものだった。 エコ・ポイントの査定結果は二、三カ月掛かるそうで商品券はその頃に送り返されて来るそうだ。気長に待つしかない。直ぐにでも交換できると思っていたのが当てが外れた気分だった。自民党は調子の良いことを言って景気浮揚させようとしたのだろうが、これでは景気浮揚策にはならない筈だ。それでもテレビ通販を観ていると今日もエコ・ポイントを宣伝して、それに乗っかって商売をしようとしている。国民はエコ・ポイントで得をしたような気分になるのだろうが、損はしないものの先の長い話だけに期待せずにエコ商品を購入し手続き申請して待っていれば春には何となく還元気分になれるのだろう。来年のことを言えば鬼が笑うというものだ。
2009/10/19
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郊外のひなびた駅風景 ボクの住む住宅街の駅である。大阪から電車で25分(準急で)ぐらいの場所にあって、近年人口増加率が日本一になったそうである。と言っても市の人口は僅か7万人程度の小さな街だ。駅前には立派なロータリーがあってタクシーと通学バスがずらりと並んでいる。この住宅街に私立の女子大と二つの私立高校があって、高校の一つは文武両道として野球で有名で、進学コースの学舎の方が此処にあり小学部と中学部も併設されているから通学バスが並んでいるのだ。大阪と奈良の県境にあるから両方の府県から学生や生徒がドッと押し寄せる。ボクはその混雑した時間帯を避けて8時頃の電車に乗ることにしている。東の方向(準急を待つ。ラッシュのピークは過ぎている)。 車で出かける時は、近くのインターチェンジから行く。朝夕のラッシュ時を避ければ電車よりも速く行けるメリットがあるが、行く目的で電車との使い分けをしている。荷物のある時以外は駅前のガレージ(月極め)に停めて電車で行くことにしている。だから車では工事現場には月に一、二度ぐらいしか行かない。電車賃と高速料金との比較は高速料金の方が倍以上するのもあるが電車の方が気楽なのと健康のことを考えればなるべく歩く方を選んでしまう。健康の目安は体重だから歩いて現状維持を図るのが手っ取り早いのだ。ウオーキングを中止していることもあって万歩計の数が伸びない分、電車に乗れば駅の階段や街を歩く分でカバーできるのである。南の方向(丘の上に女子大学があって通学時間帯は華やかな雰囲気だ)。 この地に住んで35年になる。結婚して来た頃の駅はもっと田舎びて駅舎は小屋のようなものだった。プラットホームも今の半分程度の短かさだった。人口が増え、連結車両も増えた為に20年程前にプラットホームが延伸された。駅舎も増設され2階建てになってエスカレーターも付いた。2階の改札からブリッジで駅前ロータリーに行けるようにもなった。ロータリーの丁度横に昔からあった郵便局が所有する10台ぐらいしか入らない小さな青空ガレージがある。ボクは35年間、賃貸契約しているから今では一番古い客になってしまった。最近はよく利用して停めているから効率は好いが、以前は殆ど週に一度程度しか使わなかった。西の方向(山の向こうの大阪まで急行で15分、準急で25分)。 だからなのか「何時も空いていますが、お使いにならないようでしたら他の順番待ちの人が居ますので解約して頂ければ・・・」と郵便局長から何度も電話が掛かっていた。「いえ、電車で出かける時に停めますから」とその都度断っていた。余程余裕のある家か金持ちと誤解されていたようだった。そう言えば、確かに金持ちの契約者が何人も居て、ベンツやBМWなどが停まっていたからそう想われたのだろう。が、うちは当初から国産車で最初は日産スタンザだった。次にチェリーに代わり、スピードの出るスカイラインに変え、当時イギリスで生産していたプリメーラ(逆輸入)のスポーティにも変えた。北の方向(向こうの竹林の横にロータリーがあって、住宅団地の入り口になっている)。 その後、足の弱った両親を乗せるには小さ過ぎるのでグロリアにしたが、両親が亡くなってボクと妻の二人しか乗らなくなってからは今のティアナに変えた。その内にハイブリッド車に変える予定でいるが、未だ3年しか経っていないので模様眺めである。尤も、同じガレージ内に軽四輪が増えだしたのを観ると燃費を考えて乗り換える人が多いのだろう。ボクはどうも小さい車は窮屈で駄目だから多分、今の車種程度で推移しそうだ。そう言えば二人乗り電気自動車というのがニュースで報道されていたが、これからは様々なタイプの車が開発されそうだから慌てることもないだろう。当面は電車との併用で行く予定だ。近鉄電車 1(準急:隣の駅で急行に乗り換えると10分速く着く)。近鉄電車 2(急行:準急と同じ型の車両である)。近鉄電車 3(特急二種、名古屋、伊勢へと繋がっている)。 ところが電車で困るのは風邪が流行っている時に咳き込む人が居ることだ。マスクをしてくれれば好いのにそういう人に限って堂々と大きく咳き込む。横に居れば思わず顔をそむけてしまう。それに風邪でなくとも息の臭いが気になる。多分、胃の調子が悪いのだろう。ボクは臭いには敏感だから直ぐに分かってしまう。学生なら試験の前とかサラリーマンなら売り上げか成績の悪い時だろう。二日酔いの場合なぞ最悪だ。そっと場所を変えることもあるが座っていれば動けないからハンカチを鼻に当てる。ラッシュ時には乗らないようにしていてもそういう人は居る。マナーの問題だが電車での難点でもある。
2009/10/18
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ネット通販クレーム(3) ネット通販で不安な点は現物を手にしないのでキズものや不良品が実感として伝わらないことだ。事前に分かっていれば対処の方法もあるが写真だけでは全く分からない。中には隠された不良品(瑕疵担保)もあるだろう。その為に信用のおける会社が選ばれる訳だが、著名なネット販売の店が必ずしも信用できる訳でもない。大手の楽天市場に加盟しているからと言っても個人的な販売店もあるだろうし、株式会社であったところで今時たった1円の資本金からでも株式会社が登記設立できる時代だけに株式会社だからと安心もできないのだ。それを払拭する材料としてメンテナンスや保証がどうなっているかとかデリバリ(出荷体制)が確かかといったことまで気にすべきである。楽天市場マークはネット通販のデパートのマークだから言わば場所貸し屋である。 デパートで言えば、高島屋とか大丸とか三越、西武、伊勢丹、ソゴウなどが有名である。有名であるということは長年続いていてそれなりの保証が為され安心と品質を売り物にしているということである。書店で言えば丸善とか紀伊国屋やアマゾンなどの多くがネット通販をしている。書籍だけでなく小物も一緒に売っているからデパートと変わらない。多くの古い企業がネット通販をする時代である。つまり、広告宣伝費が余り掛からず集客できるメリットがあり人件費に関しては比較にならないほど人手が要らないから商売の戦略ツールとしては欠かせないものになっている。家電製品の大型店も真似をしている。 ショップを出さず(店頭売りをせず)通信専門での売り上げを伸ばしているので目立つのはジャパネット・タ○タがある。この販売店はテレビで甲高い声の社長が声を張り上げて売る商法が当たって大衆の耳目を集めている。ネットよりもテレビ・ショッピングを主体にしている販売方法である。何よりも顧客への信頼を勝ち得ようと努力している姿が受けるのだ。以前、顧客名簿の流出事故があって自粛宣言をし、暫くテレビ・ショッピングを中止していた。その間に社内体制を整え事故再発が無いようにし出直したことが評判となり以前に増して売り上げを伸ばしているようである。ボクもドイツ製の洗車道具を買ったことがある。 つまり、信用というものは築くのは難しいが失うのは一瞬であるということをこの会社の社長はよく知っていて、信用第一を売り物にし勿論価格も安く設定してメーカーに発注をかけて商品開発までするようになった。そこまでやらないと消費者は安心しないのである。それに引き換え、平気で893商法をする楽天の「桃○郷」という店は何を考えているのだろう。一発勝負だけでリピートを期待しないやり方なぞ早晩潰れて業界から消えてしまうだろう。ユーザーを舐めている訳である。楽天市場も販売店教育を徹底して指導しないと自らが信用を失っていくだろう。大きいから大丈夫という考え方は古く「おでき(腫れもの)と企業は大きくなるのは早いが潰れ易い」という諺を噛み締めるべきだ。 今や大企業があっと言う間に潰れる時代である。大手の家電製品メーカーのパナソニックが松下電器と松下電工とに分けて競わせ業績をのばしていた時代は終え、如何に大規模な企業を存続させるかで四苦八苦している。「松下電器」の当初は「真似した電器」と呼ばれるほど二流の企業で開発力の無い会社だと想われていた。それが「明るいナショナル、明るいナショナル、みんな幸せ」というコマーシャルが巷に響き渡り、耳にタコが出来るぐらいに浸透したお蔭か、いつの間にか一流企業にまで成長して世界的な規模にまでなってしまった。経営の神様と呼ばれた創業者の松下幸之助の手腕を経済界が認め、戦後日本経済の成長ぶりをを象徴する存在にまでなった。 パナソニックという社名変更は創始者が亡くなった後に実施されたものだが、地味な泥臭いイメージの会社の脱皮を図ったのだろう。世界的な企業に成る為の布石であったのは誰の目にも明らかだ。それほどイメージで人々は製品を購入するのである。イメージは信用にも繋がる。ダサい名前で通用させるには並大抵の企業努力だけでは難しい時代である。例えば、「キャノン」の元の名前は「観音カメラ」だった。「カンノン」ではダサいから「キャノン」に呼び変えたのだ。横文字が時代に合っているのだ。ロゴマークを変えたり社名変更をするのは全部企業イメージをアップさせたいという願望から出ている。ネット通販やオークションの種類は不動産にまで及んでいる。 ネット通販で最近、妻がデジカメを注文したが想ったようなものではなく機能にも疑問があったので返品した。その通販企業は徹底して顧客の立場に立っているのを売り物にしているだけに返品の手続きも簡単で、宅急便で送り返して連絡をしただけで気持ち良く総てが済んだ。その後、ボクの分と妻の分として大型家電ショップでデジカメを2台購入したことは先日のブログで書いた。値段は通販のものより4千円ほど高いだけで機能的にもデザイン的にも満足の行くものだった。矢張り実際に手にしてから買う方が安心だが、ネット通販でも信用のおける販売店や企業の場合は嫌な気も起きず、亦購入しても良いという気にさせてくれるものである。
2009/10/17
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ネット通販クレーム(2) 楽天の通販クレームで思い出すのは、上手く解決した今年の春のテレビアンテナの件である。衛星放送BSのアンテナをネット・ショッピングしたのだった。数社、同製品の価格比較をして一番安かったのを注文した。勿論、在庫を確認しての注文である。1週間ほどして入荷が無い代わりにメールが来て「売り切れましたので亦のご注文を宜しくお願いします」という馬鹿にしたような内容だった。ネット販売とはこの程度の信頼関係しかないものかと腹が立つやら失望したりで諦めかけたのだったが、わざわざ在庫確認までしてOKのサインまで出ていたのが気になって販売店へ確認のメールとして文句を言ってみた。ネット販売で購入し自分で取り付けたBSアンテナ。 それと同時に楽天市場にもメールで「どうなっているのか?」と問い合わせてみた。すると翌日になって販売店から謝罪のメールが来て、特別にメーカーに頼んで別枠で一個を発送する手筈を取った旨の内容が書かれてあった。楽天市場からは何の返事も無かったが多分販売店へ問い合わせたのだろう。「五月蝿さそうな客だから何とかしろ」と言ったのかも知れない。三日ほどして品物が送られて来た。請求明細を見ると送料が無料の筈が別枠ということで千円ほど余分に付いていた。カード決済なので振込手数料の代わりだと諦めてみたが釈然としなかった。が、品物が入荷したので、まあ何とか納得したのだった。 ということは、数社の価格比較をした中の平均価格になったから、可もなく不可もなくといったところだった。限定数量の出荷枠で商売をしたのだろうが管理がずさんだったから数量に手違いが生じて、クレームに驚いて慌てて手配したのだと想われた。それなんか上手く行った方だろう。お蔭でアンテナは無事設置することが出来て綺麗にテレビは映っている。妻に言わせれば「そんな苦労をしなくても電気屋さんに頼めば良いのに」ということだが、アンテナ本体の費用の他に、取り付け手間だけでも一万円から二万円は取られることを思えば自分でやった方が良いに決まっている。尤も、自分で出来ない人は電機屋に頼むしかないのだが。 ネット販売でもうひとつ別にクレーム的なことが最近あった。これも楽天市場だった。桃○郷という販売店が主催するネット・オークションで今でも無神経に毎日案内が来る。小物類でこれまでにも数種買った実績があったが、最近オークションの結果を知らせないままいきなり品物を送ってきたことがあって、ボクが留守にしていたので妻は何のことか分からず、それも着払いになっているので怪しいと思って運送屋に持って帰るよう断ったことがあった。これまで頼んでもいない品物(精々1~2万円程度の小物)が数回送りつけられて来て誰かの悪戯だろうとその都度断って来たのだった。楽天市場マークは見慣れているので今や気にならなくなっている。 その桃○郷という販売店のネット・オークションで小物の価格が最高位で落札されているのを結果発表で知って、確かカード決済が出来ないのだろうからと現金を妻に渡しておいて品物が郵送されて来るのを待った。といころが1週間しても10日経っても来ないのでメールで何時送ったのか問い合わせてみた。しかし、返事のメールで「翌日配達郵送しましたが戻ってきましたので、今回は現金振り込みを先にしていただき、確認できてから発送することにします」という返事だった。妻に訊けば「私は終日家に居たのだから絶対に配達は無かったし、配達の小父さんとは顔見知りだから間違いないわ」という。 そう言えば、桃○郷という販売店は何処か胡散臭いところがあって、通知もせずいきなり品物を送ってきたり、送ってこない(送ったと説明している)時は確認も取らずにそのまま放置し、こちらが問い合わせると「送ったが返送になったので現金振り込みを先にしろ」という塩梅だ。まるで893商売そのものである。だからそういう筋の通らない販売店とはかかわり合いを持たないようにしようと迷惑メールに振り分け分類してしまった。それでも無神経にまだ毎日メール案内が来るのだ。宣伝と顧客管理とが出鱈目なのがよく分る。このことは楽天市場には連絡しなかった。893とかかわり合いを持ちたくないからだ。(つづく)
2009/10/16
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ネット通販クレーム インターネットで知った情報で掃除機を買った。楽天市場での買い物だ。これまでかなりの品物を買っているので大丈夫だろうと思って買ったのだった。ところが、性能が悪く、販売元へ電話で「不良品なので新品と交換するように」と伝えてから宅急便で送った。すると1週間ほどして送り返してきたのは梱包は送った時のままのもので商品もそのままで修理もせず、只、新しいフィルターが一つだけ加えてあっただけだった。何といい加減な会社だなと思って念の為電話で問い合わせると「フィルターの掃除をまめにして使って下さい」と言うだけで機械の性能はおかしくないと言い張るのだ。 楽天からのメールの冒頭の案内である。 これも楽天のメール案内で途中に入っている。 吸引力が極端に悪く、直ぐに目詰まりを起こし、ゴミは吸わず、小さな薄っぺらいムートンの座布団どころか靴下すら吸い上げる力が無いのだ。更にはモーターの焼ける臭いまでするので危険さえ感じる始末だ。それでも他の掃除機がたまたま壊れたこともあってそれを騙し騙ししながら使っていた。が、とうとう妻が頭に来て販売会社(広島市)へ電話すると、電話も住所も変わっているのだった。これはやられた、詐欺にあったかと思ったが新しい電話案内があったので其処(矢張り広島市)へ電話すると、惚けたような男性の声で「品物の検査をしてから対処します」というではないか。楽天からこういう風な案内が毎日メールで来るから、一応は目を通している。 性能が悪くて掃除するのに困っているから電話しているのに敢えて話をはぐらかせるのだ。妻が怒って、ボクの出先へ携帯で言って来たので、早速ボクもその販売店へ電話すると矢張り同じような対応で、これはクレーム慣れしているなと想わせた。だから、こんな相手と喧嘩したところで始まらないから事務的に「楽天にこれから連絡して、取りあえず明日、宅急便で送り返すから新品と交換するように」と言っておいた。そして、帰宅してから楽天へクレームのメールを入れておいた。楽天市場という名を信用して買ったのだから楽天が責任をもって善処すべきだと思っている。楽天がどういう態度に出るか、善処するかどうか見守って行きたいと想っているところだ。(つづく)
2009/10/15
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デジカメ(2) ボクのその時の体験で、人間の記憶も一種のデジタル化された記号で脳に残されているということが分かって、デジタルカメラの画素数が多ければ多いほど精密な画像が残されることから、出来るだけ画素数の多いものを選びたくなるのは人情だろう。しかし、前にも言った通り、限られた面積に幾ら画素数を増やしたところで画素から解析する分の面積も増えるのだからそれらのバランスが合わないと画素が無駄になり解析度も落ちることになる。だから精々750万画素あたりが適当な数とされている。しかし、今回買ったデジカメは流行に乗って1千百万画素あるからどうだろうかと昨日は同じ画像を倍率を上げてみたのだった。サンプル写真(1)墨田の花火 確かに以前のデジカメよりも解析度も倍率も良くなったが多分この辺りが限度だろうと思う。トリミングをしても16倍も倍率を上げる必要はないと思うからだ。極たまにメモ代わりに撮ったのを倍率を上げて詳細を観る時には便利でも、めったにそういうことが無いからだ。ひょっとしてUFOでも目撃した場合に備えて携帯しておくには便利かも知れないが、青年時代に京都で巨大なUFOを目撃して以来30年、一度も見ないのだ。30年前にはUFO目撃を話すと怪訝な顔をされたものだが、今や珍しくも何ともなく「へえ~、目撃できて良かったですネ」と逆に言われてしまうほどだ。変われば変わるものだ。サンプル写真(2)シンプルなデジカメ デジカメの画像をブログにアップするのがボクのブログの特徴だが、自分の撮ったもの以外にネット・サーフィンしていてデジカメ画像の気に入ったのがあれば収集し借用させてもらうものもある。今日は折角デジカメを話題にしたのだからと画像を収集してみた中から数点紹介してみよう。プロのものも素人のものも混じっているがどれも上手に撮れているものばかりだ。最初は花火である。露出時間を長くしたもので花火の軌跡が観える処が面白い。まるで菊の花か海底の植物のようにも観える。その次のは、多分ニューヨークでのスナップだろう。新しいシンプルなピストル型のデジカメを可愛い女の子が構えているのが面白い。横でボーイフレンドらしき青年が立って見ている。サンプル写真(3)霧に包まれた橋 これは多分、中国の橋だと想う。デジカメの画素数が少ないもの(多分400万画素だろう)でも腕が良ければこのような幻想的な風景が撮れるのだ。昔、アンリ・カルティエ・ブレッソンという写真家が決定的瞬間と言われるスナップ写真をモノクロで撮っていたが、その時のカメラも余り上等の物ではなかった。写される相手の気持ちを汲んでカメラの白っぽい金属部分を黒く塗りつぶして目立たないようにしたという苦労話もある。カメラのファインダーを覗くカメラマンの眼の奥ににこそ上等なカメラが潜んでいたのだ。被写体の気持になって、カメラの気持ちにもなってシャッターを押すタイミングとアングルを決めるのは眼の奥にある司令塔なのだ。サンプル写真(4)紫陽花 この紫陽花は額アジサイで別名、墨田の花火とも言われるもののようだ。パッと花火が咲いたように見える。アジサイは原種が額紫陽花で丸いボールのようなボテ紫陽花は品種改良されたものだ。数年前、ボテ紫陽花の枝を切り取って別の場所に挿し木をして翌年咲いたものを観ると額紫陽花になっていた。山に戻った状態になってしまったのだ。額紫陽花の方が優勢なのだろう。この紫陽花の画像は画素数が多く、精密に観える。フィルムでここまで写そうと思えば脚立を使うか、シャッタースピードを速くするか、F(レンズ開放度)を大きくするかをしなければならない。デジカメならではの作品だ。サンプル写真(5)ヨーロッパの街並 次の街並風景は中央ヨーロッパによく観られる風景だ。オランダ辺りにはこういう風景がよく観られるが、イタリーにもスペインにも田舎の街へ行けばこういう風景があるから、ヨーロッパはローマ人の末裔という意識が各国にあるだけによく似ていても不思議はない。日本では京都の町並みが黒い瓦で揃っていて綺麗で、欧米人には墨色の風景が幻想的に観えるそうだ。だが、最近はマンションや商業ビルが乱立して昔の京都という雰囲気は一部の場所(祇園や西陣辺り)にしか観ることが出来ない。これは行政が間抜けだった証拠で、最近になってやっと重い腰を上げ、広告塔や看板の規制をして古都京都のイメージ・アップに努めている。サンプル写真(6)草原のバルーン 昔ののどかな風景が残されているのは嵐山や嵯峨野に限られ、歴史的風土保存法の適用範囲だけに限られているのは何とも寂しい限りである。先祖から受け継いだ貴重な風景で観光産業が成り立っていることを考えれば当然ながら古都の風景を守り保存するのは行政の責任と義務である筈なのに個人の自由とか権利という名の下に実際は放任主義で来たツケが今頃になって来ている訳だ。世界文化遺産を世界中はおろか国内からも観せられて慌てているのである。勿論、行政だけの責任ではなく一般市民の意識の低さも禍したのだろうが、京都を離れて35年、自分の故郷が変貌して余所の街のようになって行くのは寂しい。せめてこれ以上変貌しないことを願いながら京都へ行く度にデジカメで多くを撮っておこうと今更ながら想う。
2009/10/14
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デジカメ 6年ほど前に買ったデジカメが2台とも壊れたので携帯で代用していたのだが、妻の運転免許証の切り替え時期が来て証明用写真が要るのと日本画のモチーフの構成にどうしても携帯では撮り難いということもあって、ボクの分も含めて買った。6年前のことを想えば3分の1の価格になっているので2台買っても安いという感覚だ。メーカーを色々物色した結果、以前の壊れたメーカーを除外し残ったメーカーの中から最新型の一つ前に販売されたものを色違いで買った。最新型よりも半年ほど前の型だというが何処がどう違うのか係員に訊くと「連写の枚数が違います」というので詳しく観れば僅か1枚だけの差だった。拡大のベースとして取りあえず原画の3648ピクセルを640ピクセルに縮小した。 1秒間に5枚の連写が前の型だと4枚というだけのことで価格が倍も違うのだ。壊れたカメラとの違いは大いに違って、先ず重量で、実に軽くなったものだ。古いのは220gで新しいのは120gだ。携帯と同じなのだ。それに半分の薄さになった。モニター画面も4倍ほど大きくなった。これが技術の進歩というものだ。大量に出回ると安くなるのは当然としても重量も機能も随分変わるものだ。最近はデジカメが行きわたってしまい売れ行きが落ち、今度は一眼レフに重点を置いて売り出そうとしている。昔はボクもカメラに凝って小学生の頃はスタート・カメラという今では玩具のようなカメラを得意そうに持ち歩いたものだった。拡大第1段目(2倍)。 青年時代は望遠レンズやズームに凝った。建築の設計をやるには必需品だからと妻を言いくるめて高いカメラを買ったこともあった。しかし、デジカメが出来てからはパタリと重いカメラは手にしなくなってしまった。そうそう、その前にオート・フォーカスというピントが自動に合う小さなカメラが流行って、それに切り替えた時代が暫く続いた。安くて便利だったからたちまちの内に流行ってカメラ業界は重いカメラからシフトを変えた風にも想えた。あれは何だったのだろうと想うぐらいカメラや写真というものにハマっていたのが不思議な気がした。こんな軽くて小さなカメラこそ求めていたものだと喜んで毎日のように使った。拡大第2段目(4倍)。 そしてフィルムが要らないデジタルの記憶素子(データ・チップ)が消去しては何回も使える割安感から画像の量も大量に増えて行った。パソコンから溢れる分はCDRに採り込んで保存するようになった。フィルム時代の画像もスキャナで採り込んで保存したからフィルム保管箱(マガジン・ラック)は不要となってしまいデスクにCDRがズラリと並ぶようになった。面白い時代になったものである。ところが画像が増えると整理が面倒になって溜まる一方で、パソコンに読み込ませるのも面倒になるぐらいになった。だから最近では余程残したいものだけに限るようになって常にパソコンのハード・ディスクに入っている分の編集で整理するようにしている。拡大第3段目(8倍)。 総ての画像を覚えている訳ではないだろうが、観れば想い出すから頭の中には無尽蔵なほど大きな倉庫があるのが分かる。その分類を形にして整理するのは大変で、大型コンピュータでも大変な作業だろう。第一、整理するのとデータをインプットする作業とを考えれば不可能に近い時間を要する筈だ。人間の頭の中の構造は人為的な作業では再現できず追いつけないことが分かる。それは死ぬ寸前の危険な状態に陥った時に観るとされる一連の画像の流れを考えれば分かるだろう。一瞬にして様々な画像が脳裏を走る様を観て、人生を回顧する僅かな時間(僅か1~2秒のこと)は、生命の危険が無くなり安心できる場に戻った時に再現出来たとすれば数十万倍・数百万倍の時間を要するだろう。拡大第4段目(16倍)。パソコンの埃まで観えている。 かつて一度だけボクはそういう目に遭ったことがある。35歳ぐらいの時、仕事で急いでいて車でスピードを出し過ぎていた時、交差点で対向車が急に右折しようと頭を出した瞬間の数秒のことだった。まさに正面衝突をして死ぬと直感した瞬間、昔から現在までの画像が早回し映像のように脳裏を通り過ぎたのだった。僅か1~2秒の間に実に多くの場面が詳細に再現されスライドショウのように観えたのだ。そして、偶然ながら数十センチの差で相手をかわすことが出来て無傷のまま通過出来た瞬間、ドーッと疲れが出て車をスピードダウンした時には画像の記憶はスローモーションとなり徐々に薄れて行ったのだった。ボクの書斎のデスク(プリンターも買い替えて新しくなった)。 対向車の無謀な運転に腹が立つよりも事故が起きず助かった安心と自分のスピードの出し過ぎたことへの反省の気持ちが先に立って、改めて生きていることに感謝しつつも、死ぬ瞬間に一生分の画像を観るというのが本当だったのだという興奮の余韻が一日中続いた。帰宅して妻にそのことを話そうかどうか迷ったが余計な心配をさせるだけだからと黙っていた。あの瞬間の興奮した気持ちは体験者でないと分からないだろう。濃縮されて観る画像(それも動画である)はデジタル画素で言えば数千万画素どころかその何千倍もの画素数で再現されたものだろう。拡大すればするほどディテールが見えてくるという感じのものだ。(つづく)
2009/10/13
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宴会(パーティー) ボクが様々な宴会(パーティー)を経験してきて言えることは、終わってから気持ちよく帰れる宴会が何よりも嬉しいということだ。それは雰囲気が良かったとか料理が良かったとか酒が美味かったというのもあるだろうが、人間関係で良好な雰囲気が出来上がって今後も行きたくなる宴会が一番ということだ。つまり、宴会の目的が良好な人間関係を築き上げる場であることからして当たり前のことなのだが、時として招待されて義理で行くものや代理や付き添いで行くものまであるから頭から否定的な気持ちで行く宴会は疲れ、逆に期待して行く宴会も思い通りで無かった場合、大いに疲れるものである。定番ながら刺身は酒の肴に合う。 だからボクはなるべく宴会には期待せずに行くことにしている。仕事であってもプライベートなものであってもだ。家族や気安い友達などとの宴会は構えることもないから何も考えずに素で行けるから今更言うまでも無いことだが他人行儀の場とそうでない場との違いが宴会の場の基本的な違いだろう。それでも酒が好きで相手が誰であろうと(例え仇であろうとも)酒が飲めるだけで嬉しいという人や宴会屋と称するほど宴会そのものが好きな人も居るから分からないものである。それほど宴会の持ち味は一概に好いとか悪いと決めつけられない不思議な雰囲気をもっている。 昨夜は、たまたま風邪気味で行くのをためらっていた宴会だったが、仕事上顔を出さねばまずいという気もあって薬を携えて用心しながら行ったのだったが、結論的に言えば割合気持ち良く和気あいあいとした宴会だった。次の工事のクライアントが招待した宴会だったから関係者20名ほどが集まった言わば関係者の顔合わせ会のようなものだった。こういう類の宴会は言わば施主の振る舞い酒的なところがあって飲みたくも無い人も居るだろうし、発注者側と受注者側との上下の関係もあるから本来はお互いに気を使うものである。 特に設計・監理者として中間に立つ者には両者の顔も読まねばならないので気楽に酔っていられない宴会なのだが、同じ事務所の仲間が総てを手配してくれたのでボクは気を使うことも無く気楽に皆と談笑しているだけで良かった。其処は初めて行く店で奥に小さな座敷があるものの、長いL字型のカウンターの中は厨房になっていて、店は二人掛けと4人掛けの席が夫々八席ほどある、まあ、宴会をするには小振りの割烹店だった。我々の席ははテーブルを中央に集めた長方形の島を囲むように出来ていて、ボクの席は板前と常連客がカウンターで向かい合って居るのが見えるクライアント(施主)の横の位置だった。 場所は、私鉄と地下鉄が交差する駅横の大きなビルの地下にあって、大衆的ながら品の良い店だった。壁には歴代の知事や市長からの表彰状が並べて飾ってあり、別の壁には店名を墨で大きく書いた額が飾ってあった。サインを見ればTAROとあり、岡本太郎の書だった。訊けば40年以上も前のもので、ビルが出来た時に開店祝いに書いてもらったという。既に当時から続いている店はもう一、二軒しかないそうだ。ボクは京都人だから大阪の店は行きつけの店以外は有名なものでない限り知らないのだが、通の間では有名な店なのだそうだ。道理で大衆的ながら何処か品があると想った。 長続きする料理店の秘訣は、先ず料理の味だろう。次に価格だ。更に大事なのは感じの好いことだ。味が良くても高いのは敬遠される。それに感じの悪い店は味や価格で満足できても矢張り足は遠のくものだ。余程親しくなれば見方も変わるだろうが大体最初の対応で分かるものである。学生時代から料理屋や飲み屋には50年近く彼方此方の店に行っているから、それなりにボクの肌で感じるセンサーのようなものが出来ている。高級から安上がりの店まで様々なタイプの気に行った店があって今も続いている店は矢張りそれなりに繁盛しているからボクの目も確かな筈だ。鱧(鱧料理は色々あるが、唐揚げの餡かけは初めだった)。 昨夜の料理で気に入ったのは後の方に出た鱧の唐揚げに餡かけをしたものだった。鱧はアライにしたものを梅肉で食べるものや鍋もの、焼きものが一般的だが、夏場と違って冷えて来た秋の料理としては椀の蓋を開けて湯気が上がるものが嬉しい。季節に合わせて最初にカブラ煮から始まり身体を温めておき、以降は酒の肴として刺身や冷えた料理が続き、中ほどで甘鯛の味噌漬けの焼き物、後半に天麩羅が出て最後に鱧の温かい料理と茶そばで仕上がったコースだった。途中から体調が良くなって総ての料理が美味く食べられた。酒も適量で旨かった。「次回は、嫁さんを連れて来るヨ」と店主に言うと「どうぞ御贔屓に!」と愛想の良い顔で見送ってくれた。
2009/10/12
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ノーベル平和賞 やらせでも良い。オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞することが決まったのは、少なくとも世界から核廃絶をと願う人々の行動の後押しになるからだ。それはそれで評価できる出来事である。唯一の被爆国である日本が率先して核廃絶を訴え続けて来た願いも少しは前進するかも知れない。しかし、冷静に考えれば、被爆国ではなく核を使用した加害者が平和賞を貰う矛盾をどう処理するのかということに突き当たる。なにも同情してくれというのではなく、当事者が被害者に謝罪してこそ平和賞が存在するのではないかということだ。だからボクは、アメリカが日本国民に謝罪しない限り、アメリカの裁判所で裁判を起こすべきだと思っている。ノーベル平和賞の人々(1) 裁判という手段に訴えてでも核を使用して一般の無数の日本市民を殺戮したアメリカに謝罪させるべきだと言い続けている人々が他にも多く居る。謝罪がなされてこそオバマ大統領のノーベル平和賞が生きてくるし今後の核廃絶に弾みがつくと思うのである。裁判を起こさなくともオバマ大統領なら日本国民に謝罪するかも知れない。日本にも近々来られるそうだから、どのようなステートメントが発表されるかが見ものである。黙って済まそうと言う性質の問題ではない。当然ながらノーベル平和賞専攻委員の頭には核廃絶の願いもあった筈である。自分達も核は恐ろしいのである。核が恐ろしくないという人は馬鹿である。ノーベル平和賞の人々(2) 核シェルターがあるから大丈夫という人々も馬鹿である。自分だけ生き残って何が人生だ。周りが放射能で汚染されてしまえば死んだも同然なのだ。核兵器ではないが原発の事故を観ただけでも分かる。チェルノブイリ原発の過失事故を観ても何も感じない人は救いようのない馬鹿だ。分かってはいるが遠く離れているから自分は大丈夫と思っている人も救いようがない。汚染物質が食料品にまで影響し、乳製品は輸入禁止にまでなっているのだ。だから当該地周辺の人々は悲惨である。ロシアにはチェルノブイリという場所が消去された地図しか無いという。嘘のような話だが実際にロシアはそれを隠したがっているのだ。 ノーベル平和賞の人々(3) 恥だという気があるからこそ隠すのだろうが、もっと前向きに処理して欲しいものである。BRIC(ブリック:ブラジル、ロシア、インド、中国)を中心とした世界経済が今後の世界の進路を決めると言われる昨今、ロシアはかつての冷戦時代の巨頭だっただけに、一寸その気にさえなればアメリカに歩調を合わせることが出来る。中国はそれに追随する日和見主義をとるだろうから世界の流れは一挙に決まるのである。更には石油資源国の中東諸国が加われば安定した世界経済が戻って来る筈である。凋落したアメリカもその流れに乗らざるを得ないから、イギリスも追随するだろう。勿論、ヨーロッパもだ。ノーベル平和賞の人々(4) ところで、我々が考える平和と欧米人が考える平和とは少しばかり違うということを心しておくべきである。欧米人は現実的で打算的だから我々東洋人のような情感だけでは理解できない面があるからだ。ノーベル平和賞を授与するのは欧米人であるだけにその裏の読みも理解しておかないと期待外れになってしまう。平和とは戦力(警察・軍隊)で守られてこそ生じるものとする考え方が欧米人の基本である。核廃絶とは言いながら戦力は保持するのである。戦力を永久放棄している日本人には理解し難い考え方だが、それが現実である。核が廃絶の方向に向かってもそれに代わる何かが生まれることは確実だろう。それを裏切りととらえる限り、平和の概念はすれ違いを繰り返すだろう。BRIC(ブラジル、ロシア、インド、中国)の首脳達(世界経済を牽引すると言われている)。
2009/10/11
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風邪 身体がだるい。風邪を引いたようだ。足が冷えるので暖かくして(といっても毛布を余分に敷いただけだが)寝ている。朝起きると少しは楽になっているのだが起きだすと少しずつだるくなってくるので薬は欠かせない。なるべく薬は飲まないようにしているつもりだが、一旦引いてしまえば先ず薬を飲んで暖かくして休養するしかない。治れば暴飲暴食を避ける。単純なことだが案外そういう生活のリズムが崩れる時に風邪を引くものである。軽い内の手当てが大事だ。「なあに、これぐらい、一杯飲めば治るさ」と酒を飲んでしまえば治った時代はもうとの昔に過ぎ去ってしまった。台風一過にはなったが風邪で身体がだるく気分もスカッとしない。 どうしても飲みたければホット・ウイスキーにして飲んで直ぐに寝れば治る場合もあるが、もう無茶はできない。多分、気が緩んでいるのだろう。考えてみれば、20年以上前に東京へ単身赴任していた頃は風邪ひとつ引かなかった。気が張っていたからだろう。ということは気をしっかり持ち直せば治るということだ。今朝は大分良くなって庭へ出て、折れたガーデン・パラソルを処分した。土と接する部分から腐朽菌が回って数十センチほどが脆くなっていたのを鉄パイプで補強しておいた部分で折れていた。鉄パイプが丈夫過ぎて柄が持たなかったようだ。今度は紺色のガーデン・パラソルにしようと想っている。 今度は紺色のパラソルを買うつもりだ。家の外壁が黄色だから合わせて黄色いパラソルにして、それなりに似合っていたのだが、離れの日よけテントを紺色にしたところ壁とのコントラストが綺麗だったので、今度はそちらに合わせてみようと想うのだ。そもそも和風庭園に洋風のパラソルなんか合わないと当初は想っていた。ところが黄色いパラソルをガーデンテーブルに設置してみると案外合ったのだ。一般には赤い毛せんに蛇の目の親分のような赤い傘が通り相場だ。が、和風庭園とは言いながらエスニック(ここでは純日本風ではないという程度の意味)の雰囲気にしようと考え、洋風も取り入れたところ合ったので更に横に煉瓦のバーベキュー窯も設置したのだ。黄色のガーデン・パラソルは台風で柄が折れてしまった。 そして先月と先々月に境界線の垣根に焼き杉風のラチスを取り付けたところ、それも合うのだった。要するに東西の文化の交流でアジアン・エスニックな雰囲気が出来上がった訳だ。そもそも和風庭園と言っても元来は日本の自然の状態を再現したものに石でポイントを付けたものが主流で、枯山水に至っては自然石を配し、水の代わりに砂利や白砂を撒いたオブジェだから一種の無国籍な空間芸術であったのだ。有名な竜安寺の石庭なぞは観る人の心のままに解釈すれば良いという程度のものだったのが何時の間にやら哲学的な解釈が為され観る人に難問を突きつけるような雰囲気が出来上がってしまった。 境界線にラチスを取りつけ、小道に砂利を撒くと雰囲気が変わった。 だからナンセンスと言えばナンセンスな解釈が出来上がってしまった訳だ。元来は寺院の庭園として簡素で手間の掛からないものが作られた筈なのだ。商人や武家の財力にものを言わせた豪邸にある庭園は、矢張り自然の再現として池を掘り、築山を築き、珍木や銘木を植え花を愛で樹姿を楽しんだものだった。それを宗教家は財力ではなく精神面で勝負した訳である。見るからに金の掛かったものではなく精神性を感じさせる簡素さが今で言うオブジェとして人々の心に空間芸術として提供されたのである。竜安寺の石庭(つい最近まで塀の屋根は桧皮葺ではなく瓦が葺いてあった)。 ボクは中学時代から竜安寺の石庭を気が向けば観に行っているので庭先のようなものであった。最近でこそたまにしか行かないが、塀の屋根が瓦から桧皮葺に変わってから遠近感が変わってしまって少しばかり失望して行く気がしなくなってしまったのだ。というのは瓦があった頃は瓦がスケールの代わりをしてくれて塀が遠くに観えて石庭がそれなりに大きく観えたものだった。しかし、桧皮葺になってからはスケールになるものが無いので塀が間近に観え石庭そのものが小さく観えるようになったのである。何故瓦から桧皮葺に変えたのか寺院の説明では、元来が桧皮葺であったのだから元に戻しただけという単純な答だった。病院のパティオにあるモダーンな枯山水の庭。 長年親しんできた風景が一寸したことでイメージが変わってしまったのは残念な気がしてならない。尤も、造営された当時は瓦が高級品であったから安い桧皮葺にしただけのことだったのが、今では逆に桧皮葺の方が高級品になってしまい耐久性からも腐り易いので瓦のままにしておいた方が良かったと竜安寺側は臍を噛んでいるかも知れない。建築の知識に疎い僧侶ならではの考え方だ。ひょっとしたら、入場料が非課税なので寺院側は湯水のように使える金で全く金銭感覚が麻痺しているかも知れず、夜な夜な鬘(かつら)を被って祇園の花街へ繰り出す坊主が多い古都だけのことはあると感心するばかりだ。
2009/10/10
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台風一過 台風の影響が気になって早朝に現場監督に電話連絡すると「平常通り作業をします」ということだった。昨日は台風対策を取ってシートを束ねたり屋上の小物を片付けさせたりしておいたので安心はしていたのだが、それでも昨夜の大風は気をもんだ。ところが我が家のことは手抜かりで庭のガーデン・パラソルをたたむのを忘れていたので今朝は折れて倒れていた。被害はその程度だったので良かったのだが、現場へ行こうとテレビとインターネットの情報から電車の具合を見ると何とか運転再開になっているので暫く空模様を観てから妻に駅まで車で送ってもらって出かけたのだった。珍しく息子も一緒に乗った。台風一過とは言うものの未だ曇っている。 しかし、駅のホームでは満員の電車を見送ったり、途中の乗り換え駅では台風の影響と小さな事故が重なって延着で数十分待たされたりして現場に着いたのは昼前だった。それだけで疲れてしまって現場事務所でコーヒーを立てて飲んでやっと一息つくことが出来た。この分なら電話連絡だけでも良かったのに実際に自分の眼で見てみないことには安心できない性分だから仕方がない。車で行くことも考えたのだが逆に高速道路が混んでいるのも嫌なので中途半端な時間だが電車にしたのだ。次回からは車の方が疲れないからそうすることにしようと思うのだが、ケースバイケースで考えれば好い。台風対策でシートを束ねておいたので被害はなかった。 どうしても車でなければならない訳でもないし電車は電車のメリットもある。決めつけることは無いのだ。車の時は酒は飲めないので宴会がある時は妻に駅まで送り迎えをしてもらっている。しかし最近では駅前のガレージに入れておくことが多い。酒を飲む機会が減ったということだ。たまたま今月は二回ほど宴会があるので送り迎えを頼むことになるが、昔は楽しかった酒の場も今は単なる付き合いで一種の仕事のような気持で行くから余り面白くもない。酒は矢張り気のあった仲間で飲むのが一番だ。そう言えば今月は結婚記念日があるので大阪の帝国ホテルのレストランに予約を入れておいた。今の季節、上海ガニが美味い。 殆どのホテルは利用しているのに帝国ホテルだけは未だ行っていないのでそこにした訳だが、東京の帝国ホテルはよく利用したから同じようなものだろうと想う。ボクが気に入っているのは大阪ではリーガ・ロイヤルで東京ではオークラだ。他のホテルも良いのがあるが慣れているのが一番良い。最近では近場のターミナルにあるシェラトン都ホテルの利用が多い。デパートが隣接しているので便利なのだ。馴染みの店だと季節の案内を送ってくれるので情報が分かって良い。今の季節は中華料理では上海蟹が美味い。本場で食べたのも美味かったが季節がずれていたので多分、今の季節のものの方が美味い筈だ。珊瑚(宝石珊瑚の自然の状態)。 本場と言うのは、昔、直木賞作家で実業家の丘永漢の「食は広州にあり」というのを読んで感銘し、香港と台湾へ食べに行ったことがあるのだ。美味いものには目が無いのである。しかし、美味いものは世界中にあって、これしか無いというものでは無いから中華料理もその内の一つと心得ている。最近では和食が多いがフランス料理もイタリー料理も食べる。変わったところではタイ料理というのもある。日本に居れば世界中の美味い料理が食べられるので下手に本場へ行かなくても充分だ。尤も、臨場感を求めるなら本場へ行くしか無いが、たまたま行った先が何処であろうとも美味いものは幾らでもあるからチャンスを待つべきだろう。珊瑚(赤いサンゴは装飾品に使われる) 食べ物の話では無く台風一過について書き始めたので話を戻せば、天気が回復して空気が清々しくなって来ると外へ出たくなる。今月は結婚記念日があるからそれを口実にホテルで食事をと考えたのだが、数えてみると35周年にもなるのだ。結婚35年目の記念は何と呼ぶのかネットで調べたら珊瑚婚だという。紙や木や銅、更には銀や金、ダイアモンドという名の結婚記念日は知っていたが珊瑚というのは知らなかった。だから改めて珊瑚のイメージをネットで探してアップしてみたが、なかなか綺麗なものである。35年も一緒に居ればお互い空気のような存在になるから何とも感じないような顔をして暮らしているが、歳をとればとるほど男も女も珊瑚のように身綺麗にしたいものだ。綺麗な海に綺麗な珊瑚が育つ。 と言って、マンネリ化した生活では日々の感情の起伏程度のものしか感じず、敢えて何か口実を設けて出かけることを考えないと身綺麗にし難いものだ。普段着は作務衣でも良いものの外出するからには老人ほど出来るだけお洒落をすべきで、そうすれば気分もシャキッとし元気になるというものだ。お互い各自で外出して気を紛らわせるのも精神的に若返る秘訣だ。日頃は一緒にスーパーへ買い物に行く程度のことが多いが、たまには大都会の雑踏へ出て買い物をしたり食事でもしてみるのも刺激的で元気になる。そういうことを日頃から心がけておかないと急に出かけて人の波に酔うという心配がある。心身ともに元気を保つには日頃から何にでも興味を持つことだろう。
2009/10/09
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コーヒー 学生時代からコーヒーが好きで、高校時代に学校の近くのターミナルにある喫茶店が仲間たちの溜まり場で、下らない青春論や人生論を語りながら時にはタバコを飲みながら夕方のひと時を過ごしたものだった。勿論、未成年者の喫煙だからそっと隠して飲むのだが、担任の教師に見つかって没収されたこともあった。言わば不良の始まりという訳だが、今時の不良と違い真面目過ぎるほど真面目で、大学受験を控え、そういう馬鹿なことをやっていられるのも僅かな間でしかなかったし、丁度その頃、60年安保闘争で血が騒いでいたから煙草よりも政治思想に興味があった。デモに行く下準備のようなものであった。収穫始めのコーヒーの実(1)。 よく行く喫茶店は、その店の他に、京都の繁華街である河原町(かわらまち)にあったルーチェ(イタリー語で灯火という意味)というクラシック音楽専門の喫茶店と木屋町(きやまち)にあったモダンジャズ専門の琥珀という喫茶店、更には今ではメジャーになってしまった中京区にあるイノダというコーヒー・ショップの四軒だった。喫茶店は他にも数多くあって有名な古い店もあるが、一応は殆どの店は行ったものの上記の四店舗が溜まり場で気が向けば順に周って行くのだった。だからコーヒーは毎日何倍も飲むことになる。息子が小学生の頃、自宅でドリップ・コーヒーを立てていると良い匂いに釣らされて飲みたそうにしていたものだった。収穫始めのコーヒーの実(2)。 「コーヒーは大人になって飲むもの、子供が飲めば脳の発達が遅れる」と言って飲ませなかった。そのことを未だに恨めしそうに「変な親父だった」と妻に言っているそうだ。その頃は真剣にそう思っていたのだから何もケチって飲ませなかった訳ではない。今では息子はインスタント・コーヒーばかり飲んでいる。ボクが横でコーヒー・メーカーで立てていてもだ。癖になってしまっているのだろう。極たまにボクの立てたコーヒーが余っている時に飲んでいるそうだが「矢張り、インスタントと違って美味い」と一応味は分かるようである。彼なりに意地になっているのだろう。コーヒー豆の選別作業。 ボクの好みは苦味のあるマンデリンで、酸味のあるブルーマウンテンは飲まない。たまにモカやサントスも飲むがアメリカンにしては飲まない。アラビア風というか濃い目が好きなのだ。全国の喫茶店の平均で、名古屋の喫茶店が一番コーヒーの濃度が濃いというデータをかつて聞いたことがある。コーヒー豆が多いほど濃くなるのだが、これは好みの問題だから薄くて軽くても美味いコーヒーもある。エスプレッソにすれば濃くなるが、あれはデミタス・カップで飲むぐらいだから量は少なくて適量なのだろう。最近ではブラックで飲むようになったが、かつては角砂糖一個半とミルク入りが定番だった。コーヒーの入れ方 その1(ドリップ式が一番美味い気がする)。 ブラジルでは砂糖を多く入れるそうで「国家の為に」と言って最後にスプーンもう一杯分入れるという。砂糖が大量に消費されることが国家繁栄に繋がると信じられているのだ。それとは逆に、スコットランドでは高級スコッチは大衆酒場では飲まず安物ばかり飲むという。それも「国家の為に」と高級スコッチは輸出用に回すことが国家繁栄に繋がると信じられているのだ。日本人は決してそういう意識は持たないだろう。金さえ出せば良いものが得られるという意識が優先して自分のテイストよりも見栄を張る方が強い。シャンパンなんかでも単なる炭酸ワインなのにドン・ぺリを好んで飲む。コーヒーの入れ方 その2(サイフォン式コーヒーメーカーとコーヒーミル)。 ドン・ぺリとはドン・ぺリニヨンという人物の名から取ったワインだが高級品というだけで有り難がって見栄を張って飲むというのでは涙ぐましくもおかしく想える。確かに甘くて軽い酒だから酒に弱い人や女性には受けるようだ。しかし一本数万円から何十万円もする酒を振舞うのだから羽振りの良さを誇示し自己満足の方法としては手っ取り早いのだろう。馬鹿みたいな話だ。そういうバブルな経済は今や遠い昔話のような時代に入って大衆酒場では焼酎が流行っているようだ。コーヒーの話から酒の話になってしまったが、酒については幾らでも書くことがあるので亦の機会に譲ろう。コーヒーの入れ方 その3(エスプレッソ・コーヒーは食後に美味い)。 コーヒーの話に戻れば、アメリカのカフェでコーヒーを注文した日本人がウエイトレスから「ブラック?」と訊かれて「ノー、ホワイト」と言った笑い話がある。ミルク入りを注文しようとして、ついそう言ってしまったのだろうが頭の中で白いミルクがイメージとして見えたのだろう。それとも白人と黒人の混在する社会でのブラック・ユーモアとして言ったのかも知れないが、今やそういう意識は絶対に禁止で、ベルルスコーニ首相がオバマ大統領夫妻のことを「よく陽に焼けた人」と暴言してひんしゅくを買っているという。そう言えば何処かの国にも馬鹿な元首が居たのを思い出す。
2009/10/08
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秋の憂愁 身近な人が急に亡くなると人間の寿命とはいえ呆気なく、西行でも無いが人生というものが空しく想えて来る。先日の隣家のご主人の突然死で自治会長も同年齢だっただけにショックだったのではないだろうか。その証拠に告別式以来、何の音沙汰も無いのだ。尤も、隣家のご主人とは老人会での付き合いぐらいしかないから殊更話題にすることも無いのだろうが、数少ない男性会員が減って侘しさを誘う筈だ。ボクは前自治会長という立場だった関係で名前だけの会員になっているのだが、年寄り臭い会合には出たくないので一度も行ったことがない。老婆集団に紛れ込んで井戸端会議のようなお喋りを聴くなぞ背筋がぞっとするのだ。老人会のぶどう狩り。 その上に、場を仕切りたがる女性が居て、彼女は自治会でも以前に役員をしていたことがあるから、たまたま道なんかで出逢うと「次の会合には必ず来て下さいネ」と誘う。そう言われると余計に行きたくなくなるのだ。派手な顔をしていて昔は美人だったろうと連想させるものの性格が合わないのもある。わざわざそういう場へ行かなくとも時間を使う事柄は幾らでもあるし、仕事の方に目を向けている方が前向きな気分で居られる。その彼女も今年の夏にご主人を亡くしているから暫くは鳴りを潜めているようだが、落ち着けば亦ぞろ五月蠅いことだろう。何処にでもそういう人物は居るものである。それよりも老人が次々と亡くなって行き新会員は来ないから老人会も自然消滅するだろう。キリコの「通りの憂愁」 老人会は自然消滅するかも知れないが、老人は着実に増えている。特にボクの住む住宅団地は老人が多い。ボクがこの団地に来て35年になるが、当時はボクが一番若かった。そのボクが前期高齢者になったのだから推して知るべしである。以前はゴルフ同好会があって15チーム(1チーム4人でプレイする)も集まったこともあって盛況だった。途中の頃から仕事が忙しくてボクが抜けてから行かなくなって数年して同好会は解散したらしい。年々、会員が減って行ったのだ。仕事ではなく遠い処へ旅立って行く人が増えて行った訳だ。数名になってしまうと個人的な付き合いのゴルフになる。リゾート地でのプライベート・ゴルフ・コンペ(GOLF COMPETITION)は実に楽しい。 お互いが持つゴルフ会員権の処へ順に周るやり方で細々と今も続いているようで、ボクも誘われたことがあるが、一回りほど世代が違うのでプレイの内容も違いご遠慮申し上げた。矢張りボクなんかは若い人と一緒に廻る方が向いている。若い頃は飛ばし屋でロング・コースで2オンしたこともあるから老人ゴルフはまどろっこしいのだ。つまり豪快なプレイが楽しいのである。チマチマしたプレイでスコアを気にするゴルフは未だ向いていない。尤も、この頃は、女性もよく飛ばす。勿論、女子プロのテレビ中継を観ての感想だから一般女性は相変わらずおとなしいプレイなのだろう。ビリヤード台(普通の日本の家では相当大きくて場所を取る)。 そう言えば、玉突きのローテーション・ゲーム(手玉と15個の玉でプレイする)と四つ玉ゲームの違いのようなものである。ローテーション・ゲームは小技もあるが全体的にダイナミックだが、四つ玉ゲームは手玉を二個の赤玉と相手の白玉に数多く当てるだけのことだからチマチマしたプレイになる。どうもボクにはそれは向いていない。若い頃は玉突き台を自宅に置きたいと思ったこともあったが、外に出る方が多く、自宅に長時間居るようになったのは中年も半ばを過ぎた頃からだ。しかし、書斎に置けばそれだけで手狭になる。たまたま宮大工が寺院建築に使っていた材料が余ったので譲ってもらった一枚の分厚い板が玉突き台と同じぐらいの大きさだった。風炉を設けた茶室。 それをテーブルとして使っていて、木目の美しさを眺めて満足している。ベッドほどの大きさだから何でも置きたくなって貝殻やらオブジェの花や船の模型なぞを置いている。とんだ玉突き台の代役になってしまったものだ。多分このままでは玉突き台は買わずに終えるだろう。それよりも最近ではお茶を立てて飲むことが多くなった。和菓子を食べるとほろ苦い抹茶が実によく合うのだ。茶筅で泡立たせる緑の茶は見ただけでも綺麗だ。仏間を茶室に改造しようかと考えたりもしている。炉を切るか風炉を置いてやるか等色々考えるが、それも年齢的なものかも知れない。
2009/10/07
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突然死 朝、ちゃんと話し声がしていた隣家のご主人が、急に容態が悪くなって救急車で運ばれたものの昼過ぎには亡くなったとボクの出先へ妻が携帯で伝えて来た。告別式は翌々日の日曜日で、自宅でも団地内の集会所でもなく隣市の葬儀会館で行うという。妻が隣家のご主人が亡くなったのを知ったのは偶然のことだった。昼過ぎにチャイムが鳴ったので出ると自治会長で「奥さん、一寸表に車を停めさせてください」と言われ「どうぞどうぞ、何かありましたの?」と言うと「お隣の○○さんのご主人が亡くなられたそうです」「エッ!今朝、お元気そうな声がしてましたのに」「そうらしいですネ、急なことで」ということで一緒に隣家に顔を出したという。星雲の爆発は小宇宙の突然死である(1)。 81歳だった。まあ、長生きの方だろう。ちなみにボクの両親は、父が20年ほど前に73歳で、母は今年90歳で亡くなっていて矢張り突然死だった。寝込んで介護が続くことを思えば突然死は周りが驚き悲しむものの精神的・肉体的負担が軽くて、不謹慎な言い方だが大往生だったことを周りが感謝しホッとするものだ。特にボクのように長年離れて暮らして来た者には親というよりも遠い親戚という気しかしないのだ。隣家のご主人も庭弄りが好きで、よくフェンス越しに挨拶をし世間話をしたものだった。最近はボクが忙しくしていてめったに逢う事もなかったが、妻の話では元気そうに鼻歌を歌ったりしていたという。 未亡人となった奥さんの言うには「お隣さんだけには伝えるつもりでしたが、自治会の皆さんには連絡はしないで下さい」ということだった。自治会長は困った顔をし、とりあえず自治会の規則で決められた香典だけを渡しておいたそうだ。最近は自宅や集会所で葬式を挙げず、身内だけの密葬を他の場所でする家が増えたので自治会長も了承して回覧板は回さない処理をしたという。告別式に妻と一緒に行くと、旧村出身の夫婦だったから村の親戚の人々ばかりで住宅団地からは老人会の一部の人々が居ただけだった。老人会にはご主人だけが加入していたから奥さんにとっては住宅団地の人々とは付き合いがなく関係がないと思っていたのだろう。 寂しい告別式は簡単に終え、車で帰途に付いたから楽な葬式の筈だったたのに二人とも何か気疲れをし、翌日は朝起きるのがしんどかった。これまで多くの葬式を見てきているが年々簡素な葬式が増えている。「葬式なんか豪勢にやる必要もないけれど、寂しい葬式も嫌なものだ」とボクが言うと「村のお葬式は、精進落としの会席が付いて廻るので大変ネ。あそこに居た親戚の人々は全員残っていたから、あの後、会席があるのよネ」「そうだろうな。総勢70名ぐらい居たから、村の人々の一種の祭りだな」と黒の集団を思い浮かべて、あの未亡人となった奥さんが悲しそうな顔もせず、キッと目を開いて緊張していた様を思い出した。 泣いていたのは娘さん一人だけだった。娘が二人いる家族は、長女がドイツに嫁いでいるので間に合わず来ていなかった。「これからは奥さん一人で生活が不自由だろうな、脚が悪いから」「多分、下の娘さんが同居するのじゃないかしら?」「でも、結婚しているだろ?・・・そう言えば、二度目のご主人も居なかったな。別れたのか知ら?」「そう言えばそうネ」と他所の家のことを心配する始末だった。ドイツ人と結婚した長女には子供は居ないという。ドイツ人と結婚した日本人男性をボクは知っているが矢張り子供は居ない。何故か「子供が可哀想でしょ?」と奥さんが流暢な日本語でボクに言ったのが印象に残っている。星雲の爆発は小宇宙の突然死である(1の拡大)。 人間なんて死んでしまえば呆気ないものだ。それを見越して国際結婚をした夫婦は子供を作らないのかどうか知らないが、子供を作る夫婦も多いから個人の考え方の問題なのだろう。ボクにしても妻にしても両親が亡くなって殆ど親戚づきあいもしていない夫婦は相方が亡くなった場合、葬式なぞ簡単なものになるだろう。結婚式は親の甲斐性、葬式は子の甲斐性というが、ボクの息子なんか未だに結婚もせず極楽トンボだから先が思いやられる。自分が死んだ後のことなぞ分からないのだから、ああだこうだと思い煩うナンセンスは止めておこうと想うのに他所の家のことを夫婦して話すのはどうしてだろう。
2009/10/06
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オリンピック誘致 日本(東京)、アメリカ(シカゴ)、スペイン(マドリード)、ブラジル(リオデジャネイロ)の4候補地が競っていた2016年のオリンピック開催地誘致が、本命とされていたブラジルに決定したニュースでボクは「矢張りな」と想った。BRIC(ブリック:ブラジル・ロシア・インド・中国)の圧倒的に人口が多くドル保有高でも高い四カ国がこれからの世界経済の中心となって行く中で、冷静に考えればオリンピック開催地はブラジルしかないというのが当然だったからだ。これはリーマン・ショックの時から予測できたことで、ボクもブログにそう書いて来たのだった。だからリオデジャネイロに決定というニュースを聴いても驚かなかった。東京タワーのオリンピック誘致のサイン。 むしろ東京が最初の投票で落ちなかった方が意外で、何とアメリカが最初の投票で落ちたのだった。最初に東京が落ち、そしてスペインと続き、アメリカとブラジルの決選投票になると思っていた。それが意外だった程度だ。ところが、前回の2014年の冬の開催候補地投票でロシア(ソチ)に決まった経緯が、プーチン大統領が急きょ出席して圧倒的人気で流れを変えたことから、今回はアメリカ大統領夫妻が出席し本命のブラジルを抑えるかに観えたのも事実だった。しかし、アメリカは最下位だった。尤も、日本も似たり寄ったりだった。日本が立候補した時、石原知事は多分、これで責任を取らされるだろうと想った。去年、東京都庁を訪れた時に貰ったオリンピック誘致バッジ。 折からの東京都営の銀行問題(新銀行東京:元パリバ銀行を買い取ったもので、別名石原銀行と呼ばれる)とオリンピック問題(無駄な打ち上げ花火的行為)が命取りになるだろうとブログに書いたこともあった。その時の施設設計予定者がAという建築家であったことも胡散臭いと想ったものだ。彼はそういう臭いをもっているのだ。彼とは全く違った経歴の日本を代表する建築家だった丹下健三氏が、東京オリンピック施設を設計したのは適任であっただけに何故Aが?という気にさせられたのだ。彼は元ボクサーだっただけに目とフットワークがよく効き、パフォーマンスの奇抜さで建築界をあれよあれよと言う間にのし上がって来て今日があるのだが、ボクは彼を認めていない。代々木オリンピック・スタジアム(1) というのは彼の思想が借り物で、それを平気で自分の言葉として使っている点に不信感をもってしまうのだ。彼にはオリジナリティが何もない。借り物を上手く流行に乗せて有名になっただけだからだ。そういう意味では商売上手だ。しかし、建築家は商売人であってはならないのだ。建築家はその職能を本来は社会奉仕の為に使うべきもので商売にするのは不動産屋や建設業者で良いのだ。だからこそ建築家はクライアントと建設業者との間に立つ中立の立場で正義を施行する役割として社会から信頼され認知されているのである。民間人でありながら公的な行為を行う言わば医師や弁護士と同じ社会的使命を帯びた職能なのである。代々木オリンピック・スタジアム(2) 昔、こういう話があった。ローマでは公共建物の屋根には石積みのドームがあって、工事中はそれを支える仮設材の支保工があるのだが、中央頂部の最後の石(これをキー・ストーンという)を入れることでドームの骨組は完成し、支保工を外して棟上げ式を迎える。その上棟式で支保工を外した時にドーム屋根が崩れ落ちるミスは絶対に許されない。人命にかかわることだから決してあってはならないことなのだ。もし上棟式でドームが崩れ落ちることになればその設計者(建築家)は死刑に処せられる。それほど厳しいものである。建築家にとってもそれは真剣勝負なのである。生半可な気持ちでは出来ない業種であり職能なのだ。北京オリンピック・スタジアム(1) 安易に人真似でやっただけの技量に対して人々は胡散臭いものをそこに感じ取る。パフォーマンスの上手さだけでやって来た建築家はいづれ馬脚を現すだろう。ボクはそれをAに感じるのである。丹下健三氏の友人であったボクの恩師のM教授は、ローマの大建築家であったヴィトル・ヴュースの「建築書」の話をよく話してくれ、そういう内容を教えてくれたものだった。「丹下は、器用な男でねえ、コンペ(設計競技)には何時も一位になるんだヨ」とM教授は呑みながら我がごとのように楽しそうに話すのだった。当時はボクもコンペに応募していた時期だったから興味をもって話に聴き入ったものだ。コンペは言わば青年建築家の登竜門だったのだ。北京オリンピック・スタジアム(2) 賞金なぞ出ない建築学会のコンペには学生も多く参加していた。名誉が欲しい、自分の力量を試してみたい、早く世に出たいという若者の血を騒がせる催しで、ボクも応募し入選を果たしたのだった。そう言えば建築家のAはそこら中のコンペに応募したそうだ。学歴もない独学の彼にはコンペこそが建築家になる為のチャンスだったからだ。しかし殆ど落選が続き芽が出なかったという。ところが、ある小さな住宅の作品で建築学会作品賞を貰うのである。コンペでは果たせなかったものが作品賞で表彰されるのだ。それは長屋住宅を一戸分潰してコンクリートの塀で囲んだ住宅だった。外界と遮断したコンクリート塀の中で中庭を設けた家だった。オリンピック競技場(ヨット、ボート、カヤック) だから中庭を通って別棟に移る際に、雨天の時は屋根が無いから雨に濡れる。つまり傘をささねばならないのだ。「雨の日は雨に濡れれば良い」という逆説的発想が作品賞の選考理由になったという彼一流のパフォーマンスが当たった訳だ。以来、彼の名は世界的になって、有名になれば仕事は来る。作品は最初の受賞作品であるコンクリート打ちっ放しがベースになって行く。しかし、彼は「コンクリートの家なぞには自分は住みたくない。住むなら木造の数寄屋建築だ」と言い放つのである。そのクライアントを馬鹿にした発言が彼の人間性の欠如を物語っているとボクは想った。他にも数々の暴言があるが、ボクが今言うことではない。要するに建築家と称するなら、もっと人間性を磨くことだと想うだけである。ボクも他山の石としよう。
2009/10/05
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あけび 久しぶりに遠出をして農協直営の販売所へ行った。最近は忙しくて平日には行けなかったから半年ぶりぐらいだ。日曜日はやってないから近場のスーパーや生協の配達の野菜を買っているが農協直営の店だと鮮度が違うのだ。作った人の名前と住所・電話番号が付いていて、その方式は最近ではスーパーや生協も真似をし出している。しかし、矢張り大手の流通に乗っているものはどうしても二、三日は遅れる。それに量が多すぎる。つまり、ドッと大量に店先に積み上げられているのを観て、個人で作るにしては不可能に思えるのに産地直送として売っているのだ。確かに契約農家の品物が並ぶのだろうが農薬を使って大量に作っていることには違い無い。アケビの実(1) その点、農協直営の小さな販売所のものは出品量も少なく形も不揃いだが安心して食べられる。ついでに野菜ではないが秋の味覚のアケビが出ていたので二パック買った。一パック10cmぐらいのが4個入りで220円だ。安い。以前にスーパーで買ったのは15cmぐらいのが一つでそれぐらいした。値段の問題よりも味が肝心で、翌日食べてみるとこってりとした甘みがあった。乳製品を食べているような気がした。それに引き換え、スーパーで買ったのは形と色が綺麗だったが味は薄く甘くも無かった。見掛けでは分からないものである。ねっとりした白い実を食べると黒い種が多く実と同じぐらいある。小鳥がこの実を種ごと食べて消化されない種が彼方此方に散布されて増えて行くシステムだ。アケビの実(2) 今年は未だウオーキングをしていないが、昨年まで続けていた頃には山にアケビが成っているのをよく見かけた。ツル科植物で高い木の上の方に成っているから、イソップ物語のキツネとブドウの話のような気分で観過ごすしかなかった。道具があれば採れただろうが、まさかウオーキングで持ち歩く訳にも行かない。精々、ナイフを腰に付けているぐらいだ。そのナイフも山だけに限定しないと街中で持っていれば不審に思われる。そういう時代である。ボクなんか子供時分にボーイスカウトに入っていたからでもないだろうがナイフには慣れていて手作りナイフを数本買って持っている。欧米人は先祖が狩猟民族だけあって日常品のように使う。アケビの実(3) 日本だと精々切り出しナイフ(肥後の守)か替え刃のカッターを持つぐらいなもので、それとて今の子供は、危ないからと余計な心配をする親や教師に規制されナイフの使い方を知らない。危ないからこそ日頃から慣れておかないといざという時に怪我をするのだ。ボクも最初はナイフで怪我をしたものだが直ぐに治ったし親に言えば叱られるから黙っていたものだ。子供はそういう風にして育つものである。何でもかんでも危ないからと禁止すれば偏った人間になってしまうだろ。そのくせ携帯やICゲームはOKで、それを手に電車通学をしている子供なんかを観るとマイナーな育ち方をしている風にしか観えず可哀想に想える。アケビの実(4) ところでアケビは言わば和製のキウイのような形をしてぶら下がって生るのでひょうきんな果物に観える。実の殻は柔らかく、熟れると自ら割れて小鳥に「どうぞ食べて頂戴」と提供する。小鳥は一所懸命に食べて飛発ち、何処かで糞をして消化されない種も一緒に排泄される。そういう風にしてアケビは子孫を繁栄させて行くのだ。言わば小鳥とのコラボレーションによる子作りである。自然界には巧妙に仕組まれたシステムで子孫を繁栄させる植物が無数にある。雑草のように丈夫な、という例えのように人間にとって余り有意義でないと思える植物ほど繁殖力は旺盛である。そういう人間も繁殖力旺盛で、今や地球を乗っ取ってしまったかに観える。アケビの実(5) が、どっこい、自然はそう甘くはない。自然災害という反撃があるのだ。他に人災と呼ぶべきものも増え、人間の奢りを神が指し示しているように観える。例えば、巨大な土木構造物がそうだ。自然災害を防止したり自然の力を調整・利用する水門、堰、ダム、護岸などは当初は人間社会に利益をもたらす必要なものであった。ところが、長年の保守政権と業界との癒着や官僚の天下り先の確保という利権がからんで逆に社会に害を与える長物と化してしまった。それにぶら下がる国民もグルになって当初の目的が歪められ税金を食い物にする連中の温床になってしまった。一度手にした利権は絶対に死守しようとするのも人間である。人間の弱い面である。アケビの実(6) たまたま世界的不況で時代の流れが変わり、利権の枠外にあった人々が自分たちの生活までもが非常に厳しくなったことと相まって54年間も続いた戦後政治の無能力さと醜さと矛盾点に目覚め、権力者連中を排除しようという動きとなった。それが先の選挙で政権交代という形となった。つまり日本で初めての民主主義の始まりと言われる所以だ。それまでも民主主義はあったものの実のところ国民は企業の言いなりや役所の指導に乗せられて明日の日本を信じ働き通し、幻想を抱かされ続けて来たのだった。ふと足元の現実に気付いた国民は少し賢くなった。しかし、政権交替で直ぐに良くなる訳ではなく、これからが正念場なのだ。アケビの花(実は、ボクはこの花を未だ観たことが無いのだ)。 一般国民は、国(政府)が何でも上手くやってくれるものと思っているようだが、国とは何かということが分かっているのだろうか。任せっきりにすれば単なる政治屋と役人が法に則って自分たちの利権を確保した後に国民におこぼれ的なものをばら撒くだけしかしないなのだ。彼等とて人間なのだ。ずるい面もあれば弱い面もある。国民がしっかりと監視して実質的な法の施行をさせて初めて国は機能するということを忘れてはならない。山で勝手に成る実ではなく、国民が正しい参政意識をもって正しい選択をして行けば近い将来には花が咲き、熟した実が出来るだろうとボクは想うのだが如何なものだろう。
2009/10/04
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コーヒー・ドロボー 休み明けに、小学校の工事現場に顔を出すと、工事事務所の二階にある無人の監理事務所のクーラーが稼動しているのだった。ちゃんと戸の鍵が掛かっているにもかかわらずである。多分、朝に工事現場の監督助手が暑いので事前にスイッチを入れておいてくれたのだろうと最初思った。しかし、それにしては部屋の照明は消してあり窓のブラインドも開けてないのだ。第一、クーラーのスイッチを入れれば戸の鍵はしないのが普通なのだ。おかしいと思いながらロッカーで通常の作業服に着替えてからデスクに座ると矢張り何かおかしいのだ。何気なく引き出しを開けると案の定かき乱されていた。が、無くなったものは無かったので気を取り直しキチンと整理しなおして何時ものようにコーヒーを沸かそうと冷蔵庫を開けてみた。コーヒーの豆を栽培・収穫しているところ。 するとコーヒーの豆袋が一つ無いのだった。休み前にコーヒー袋を開けるか開けないかで迷ったまま、結局開けずにそのまま入れておいたのが無いのだ。横の紙袋に入れておいた予備のコーヒー豆は残っていた。コーヒー豆は500g入りで粗挽きにして密閉してある。一旦開封すると香りが速く抜けるのでビンに入れ直すことにしている。しかし500gは入り切らずに100gほど残ってしまうから袋の残った分を優先的に使うことにしている。ビンに入れた分は袋の分が無くなる迄冷蔵庫で眠ることになる。休み前にビンのコーヒー豆が中途半端な残り方をしたので何時もより多い目だが全部をコーヒーメーカーに入れてコーヒーを多く立てたのだった。 何時もよりも多いので沢山余ってしまうことになるが、コーヒーは飲む分より多い目に立てる方が美味いのだ。飲まないで残った分は何時も捨てている。マグカップで先ず一杯飲んでから仕事に取り掛かることにしていて、次に飲むのは昼食後の一杯だけだ。だからマグカップで4杯ほど残っているのをどうしようかと思っていると、タイミング良く現場監督が上がってきたので「良かったら現場事務所の皆さんで飲んで下さい」と耐熱ガラスのケトルのまま渡した。監督は喜んで持って下り、夕方には空になったケトルをコーヒーメーカーに戻したのだった。 それにしても変な気持ちだった。クーラーが点けっぱなしでデスクの引き出しが荒らされ、流しの石鹸が使ったままシンクに放り出してあった。そのことを現場監督に言うと「エッ!二階もドロボーにやられましたか」という。「ああ、矢張りドロボーだったのか。一階にも入ったの?」「ええ、カーペットに靴跡が残っていましたヨ」「盗られたものは?」「今回は何もありませんでした」今回はということは、四ヶ月ほど前にもドロボーに入られて測量機器が二台盗まれたのだ。新品だと100万円はするというものだ。その時は警察に届けたが、今回は被害が無かったので届けないという。 帰り際、現場出口に居たガードマンにドロボーのことを訊くと「朝、何時もの鍵の掛ける処の横に二階の鍵が掛かっているので、おかしいと思っていたのですヨ」ということだった。そこで、ボクは事情をよく知っている工事関係者の誰かが夜に忍び込んだのではないかと考えた。休日に工事現場の近くまで来たので悪戯気分で入ったのかも知れない。そして徘徊する内に、毎日良い匂いがするコーヒーを飲んでみたくなり、二階に上がり、コーヒー豆の袋を持ち帰ったのかもしれない。事務所の戸なぞ簡単に開けられるが、逆に鍵を掛けることは面倒なので階下から持ち出した鍵を使ったのだろう。わざわざ鍵を掛けて帰るところが面白いところだ。コーヒーはドリップで飲んでいる。エスプレッソも良いが、立てるのが面倒だ。 現場の状況をよく知っている工事関係者の犯行であれば実に鬱陶しい話になる。言わば身内の人間だからだ。信頼関係にある職人がそういうことをすれば全員への見方が変わってしまう。しかし、わざわざコーヒー豆を持ち帰るところが子供っぽく人間臭い。可愛いというか面白いと思った。金目のものが無いのに腹が立って、せめてコーヒー豆の袋だけでも、それも一袋だけ持ち帰ったのが滑稽なのだ。ボクはインターネットでコーヒー豆を買っている。一度に20袋(10kg)買うから家の冷蔵庫には未だ沢山残っている。コーヒーはボクの好みのマンデリンで少し苦目である。若い頃から毎日飲んでいる。世の中には変わったドロボーも居るものだ。笑い飛ばしてしまいたいが、それにしても少々気味が悪い。
2009/10/03
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五稜郭 大阪城、姫路城と続けば次なる城はと考えてしまう。沢山ある城の中でも愛着のあるのは誰でも自分が生まれ育った処にある城だろうから世界的に有名な城の次には自分の慣れ親しんだ城を連想するのが当たり前だからである。ところがボクは彼方此方にある城の情報は自分の脚で得たものが少ないのだ。熊本城は高校の修学旅行で最初に観て、彦根城や関西にある城々もその頃には観て知っていたが、その後、大人に成るまで旅行先で観る城程度だから数は知れている。大人になってからも出張先で観たりする程度だから城について詳しい訳ではない。だから三番目に挙げる城は戦国時代のものではなく、ずーっと後世の、それも近代になってからの最後の城にすることにしたのだ。グーグルアースで観た函館の五稜郭(1) それは大学に入学した年に友人二人で北海道一周旅行をした時に観た函館の五稜郭である。それまでの城に対するイメージがガラリと変えさせられた城であった。西欧の真似をした城壁だけの城で、天守閣が無く五角形というよりも星型をした城壁だった。アメリカのペンタゴンは五角形だが星型をしている処が斬新だった。流石、北海道だけあると思った。敵に対する防御方法で一番優れた形だそうだがボクにはよく分からない。成りたちは観光ガイドさんが丁寧に教えてくれたが忘れてしまった。調べれば直ぐに分かるので敢えて書かない。幕末を経て明治期のまだ政情が安定しない頃に榎本武揚が此処に籠って新政府と戦ったというのは覚えているが余り興味が無かったので覚えていないのだ。グーグルアースで観た函館の五稜郭(2) その時の愛想の良かったバスガイドさんが「五稜郭にある松は何松か御存じですか?」と訊くので、たまたま直ぐ横に居たボクが「どうせ赤松でしょ」と言うと「まあ、よく分かりましたネ。北海道には唐松や蝦夷松、黒松ばかりなんですが、此処だけに赤松が在るのですヨ。本州から持ってきて植えたからなんです」と驚いて説明してくれたのをハッキリと覚えている。友人が「よく知っていたな」と驚いていた。当てずっぽうに言っただけだったが、木肌が赤いのでそう想わせたのもあったのだろう。そのことがあってバスガイドさんが最後まで親切にボクの顔を見ながら五稜郭の説明をしてくれたのにスッカリ忘れてしまったのだ。何と薄情な男よ。春の五稜郭(桜が満開である。展望台が五稜郭の外、南西位置に出来ている)。 当時の夏の北海道は学生の旅行者で溢れ返っていた。大きなリュックを背負って歩くのでカニ族と呼ばれた。ユースホステルを廻って北海道を一周するのである。北海道は広い。その広大な土地を走る列車ものんびりしたもので1時間の延着はザラだった。待つ方も慣れたもので「亦か、しようがないな」と諦めるしかなかった。現代では考えられないことだ。函館は北海道旅行の最初の訪問地だったから青函連絡船に揺られながら眠るのも勿体ない気持ちで夜の海峡を眺めていた。すると臨時ニュースで「日本青年がヨットで太平洋を単独横断に成功。サンフランシスコの港で元気に会見」と伝えて来た。それが鮮明に耳朶に残っている。夏の五稜郭(1) 夏の五稜郭(2) 秋の風情の五稜郭。 晩秋の五稜郭。「晩夏」といういう小説が流行っていたのを想い出す。雪化粧が綺麗な五稜郭。夏しか知らない北海道だが、冬は綺麗だそうな。
2009/10/02
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姫路城 昨日、大阪城のことを書いていたら中学一年の時に遠足で行った姫路城のことを想い出した。その頃から昭和の大修理が始まって、完成した報道は新聞やテレビで知っていたが行く機会が無いままずーっと行っていない。最近では数年前に近場までは二度ほど行ったが入るチャンスが無かった。国道から遠目にお城の姿を観て、昔のイメージのままなので安心したぐらいだ。何を心配したのかと言えば、中学時代に抱いたイメージが変わっていないかということだった。大修理で綺麗にこそなれ変わる筈がなにのに大修理で何かが変化したと想い込んでいたのだろうか。そういう曖昧なイメージのまま何十年も想い続けて来たのだ。国道側(城の南)から観える姫路城の姿。 大修理は昭和31年から8年間を要し延べ25万人がかかわったという。大修理が終わった昭和39年といえばボクは大学の3回生になっていた。延べ25万人という計算は、8年間(約2,900日)で働いた職人(技術者)の総数だから、休日を差し引いた実労で見れば一日平均33人の技術者が現場に入ったことになる。毎日33人程度の技術者が、あの大きな天守閣に入っても閑散としたものだが、飽くまでも平均実労だから集中的に入った時なぞは数百人の場合もあっただろう。スッポリと天守閣を包み込む素屋根を掛けるだけで一年を要したそうだから実に大がかりな工事であった訳だ。大きな素屋根を掛けるのは重要文化財級の木造建築物を大修理する時に行われる。南西方向から観た天守閣(雪の薄化粧に夕陽を浴びている)。 素屋根を掛けてする大修理はつい最近では、京都・西本願寺の御影堂や奈良・唐招提寺金堂の大修理があった。どちらも工事中に横を通ったことがあるが、実際に観ると実に大きな屋根だった。軽い素屋根といっても下の建物に触れずに掛ける訳だから大きなスパンになり、鉄骨の梁も巨大なものになる。それが姫路城の場合、相当高い位置にあるから台風や大風で倒壊しないような頑丈なものが必要だった訳だ。それだけでも大がかりな工事である。ビルの工事で素屋根を掛けることは殆ど無いが、下から観て同じような規模の足場や仮囲いを観て、素屋根よりも大がかりに観えても驚くことは無い。 東南側から観える春の天守閣の姿。 ビルの場合は周りの囲いだけだから素屋根のような大梁は要らないし細いパイプだけでもつ。それは積み木のように足場を垂直に組み立てるだけだからだ。横揺れ防止には建物本体から繋ぎを取るだけで済む。しかし木造建築物の大修理の素屋根と仮設の壁囲いは建物からは繋ぎは取れないから自立させねばならないのだ。巨大な仮設構造物を自立させるのは大変なことである。地震にも大風にも大雪にも耐えねばならないからだ。本体の建物がそういう自然災害に耐えて建っているのは当たり前だが、それを包み込む仮設物(素屋根や仮設壁囲い)も同じように耐える耐力を待っていなければならないのである。もし、壊れて下の重要文化財を痛めでもすれば主客転倒になる。何のための大修理かということになるからだ。天守閣の周りの塀や建物は戦いの際に守りよい盾になる。 仮設工事は結果的には形としては残らず目に見えなくなるだけに素人は勿体ないと思う。そこが大きな間違いで、仮設工事は準備工事のようなものだから本工事の出来不出来に大きく関わる重要な要素なのだ。今話題になっているダム工事の関連道路や橋のようなもので、それは将来出来上がる人口湖の廻りや上に残れば成果として観えるし納得もされるが、人工湖の下に沈んでしまう仮設道路や土木建築関連の構造物は消えて観えなくなってしまうから何処にそんな莫大な工事費が要ったのかと素人は疑う。損な役割であるが重要な要素であることには間違いない。仮設工事とはそういう運命なのだ。それがかなりのウエイトを占めるからダム工事は工事費がかさむのである。鉄砲や弓矢を射り、石や熱湯を落とす穴、壁面には多くの防御の工夫がある。 姫路城は一度も戦火に遭ったことはない。だから綺麗なまま残ったのだが、それは意識的にそうなった訳ではないから偶然の産物である。現在の雄姿は増築を重ねた結果、出来上がったことが大修理の際の解体工事で分かった。建物の骨組み(構造体)の他に石垣にも昔の増築前のものが出て来たことが報道されていた。言わば富士山と同じで、何度も噴火を繰り返しコニーデ式火山の優美な円錐形となって行ったようなものだ。現在の姿に成るまでの積み重ねが下地に隠されているのである。偉大な人物にも同じことが言えるだろう。過酷な人生経験を何度も経験し乗り越えた人物でないと偉大さは身に付かないというのと似ている。北東側から観た朝日を受ける天守閣。 姫路城の天守閣は六層から成っている。六階建てのビルと同じだ。しかし石垣が小山の上に築かれ、その上に建っていて階高(ワンフロアの高さ)も高いから八階建て、プラス、小山分で高層ビルと同じである。高くした理由は勿論、物見、つまり敵を遠くに発見する為である。亦、城下の様子を見渡す為にも使われたのだろう。今の超高層ビルの展望台から周囲の風景を眺めるようなものである。昔はスモッグも無かったから遥か遠くまで見通しが効き、京、大阪、摂津、淡路、四国、播磨、三木、丹波と観えただろう。権力者が見降ろす下界には有象無象の連中が天下取りを夢見て動き廻っていたのだ。群雄割拠の時代だ。東南の松林から観た天守閣(城に桜も良いが、松も良い)。 そういう戦国時代の男たちの野望を想像してみると、城の持つ魔力がボクにも分かるような気がする。現代では山の上に家(自分の城)を建てる男は成りあがり者が多いという。特に医者が多いそうだ。ボクが信州小諸の山の頂上に、ある若いクライアントの別荘を設計し工事監理をした時にそれを感じた。彼は医者では無く表向きはブティックのオーナーだったが、裏では怪しげな商売をし経営コンサルタントと称し、海外にまで出かけて高額機械の取引をし企業に売りつけたりしていた。別荘の工事の進捗状況を国際電話でボクに訊いて来て自分の立場を誇示するのが嬉しいようだった。言わば目立ちたがり屋の寂しい男だった。白砂青松の他に、天守閣に松の図も日本の原風景の一つだろう。 要は、男が自分が築いた城(家)をひけらかすのは一種の自己主張であり一国一城の主であることの誇示である。そういう人物は浮き沈みが激しい。小諸の別荘を建てたクライアントは今頃どうしているのか知らないが全く音沙汰がないから別荘も人手に渡っているのかも知れない。そういうことを考えると諸行無常の響きを感じる想いである。ボクがお城の天守閣を観て惹かれるのは建築学的なものではなく戦国大名達のロマンを感じるからだろう。当時の男達のロマンとは、大黒柱にもたれ、左手にに美女を抱き、右手で酒をあおることだと書かれてあった。まさか今の時代、そういう男達は居ないだろうが、似たようなことを政治の世界でやっているような気がする。
2009/10/01
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