全31件 (31件中 1-31件目)
1
![]()
初夏(39) 庭藤の花 ヤマモモの蔭に庭藤が咲き始めている。普通の藤では無く小振りだから余り大きく成らない。日当たりが悪い場所に植えたから成長が遅いのだろうが、藤棚を作る様な藤は庭が狭く成るので庭藤で我慢して居る。植木鉢で育てても良いのだが、水やりが面倒なので庭のラチスに絡ませようと隅っこに植えたのだ。ひっそりと咲いているのもそれなりに風情があって良いものである。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/31
コメント(0)
![]()
初夏(38) 咲き始めた皐月 皐月は五月を指すが、それは旧暦の事だから本当に満開に成るのは5月の下旬から6月に掛けてである。今から咲き始めれば確かに来月には満開に成る。我が家の皐月は三色あって真紅と桃色と朱色である。ツツジの様に斑入りは咲かない。尤も、皐月の斑入りは観た事がないから無いのかも知れない。兎に角、皐月が満開になれば夏は本番に入る。その前に梅雨が来るのだが、梅雨は既に夏の一部である。ボクは6月生まれなのでジメジメしたのに慣れているべきなのだろうが、どうも昔から好きに成れない。精々、庭や自然の緑が美しく観えるのが楽しみだけだ。そして梅雨が明ければカ―ッと太陽が照りつけ夏祭りの季節に成る。ボクにとっての夏の祭は勿論祇園祭である。誰でも自分のふる里の祭は何処に居ても気に掛かるものである。「今年は行けるだろうか。いや、暑いから疲れるだけだから止めておこう」そんな独り言を言ってはクーラーの利いた部屋でビールでも飲んでテレビ中継で我慢しているのが例年の祇園祭の過ごし方になっている。もう歳なのだから無理はせず、余程何かの寄り合いでもあれば考えるとしようか。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/30
コメント(0)
![]()
初夏(37) 菖蒲と紫蘭とココ 菖蒲が咲き、シランも咲き、紫の花に囲まれてココは前栽の通路を行くが、花なぞ何の腹の足しにも成らぬと見向きもせず通り過ぎる。動物にとって花はどういう意味があるのだろうと想ってしまう。虫なら蜜を求めて群がるのに興味も示さず、唯、踏みつぶさない様にして通るだけである。例えば我々には爽やかに感じる柑橘類の花の香りも猫にとっては嫌な匂いの様で、鼻先に持って行ってもプイと横を向く。春から初夏に掛けては庭は花盛りなのにココにとってはどうでも良いらしく、木陰でゆっくりと昼寝している方が寛げて良いと見える。皐月の木陰で居眠っている処を「おい、ココよ、どうした?」と起こすと「しょうが無いなあ、折角居眠って気持ちが良い処なのに・・・」と渋々目を開けて観るだけである。そのくせボクが去ると気に成るのか後に続いて付いて来るのだ。それが今日の写真である。カメラを向けると横を向く。「写真なんか撮られたくないわ」とでも想っているのだろうか。シャイなのか気まぐれなのか分からないココである。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/29
コメント(0)
![]()
初夏(36) 新しいウォーキングルート 週に二三度のウォーキングも慣れて、歩行距離が5km程度では余り疲れもしないので少し廻り道をしてみた。今まで車でしか通った事が無い田舎道を歩いて行くと電車の踏切に出た。すると二上山が間近になった。踏切の左側に駅があり、名前は「二上(にじょう)」である。昔は「ふたかみやま」と言われた山の名が現代では「にじょうざん」と呼ばれている。「ふたかみやま」の方が趣があるが、言い易い呼び方が主流になって定着したのなら仕方が無い。二上山の麓を通る近鉄電車の路線は二系統あって、一本は大阪線、もう一方は南大阪線である。この踏切は大阪線の方で、もうひとつの南大阪線にも「二上山(にじょうざん)」という駅が在り直線距離で800mほど離れている。二系統路線は交差せず其処が一番接近している処だから不便ながら行く目的地が相手側の路線にある場合は歩いて乗り換えるしかない。そうして毎日乗り換えて通学する学生もいる。進学校があるせいだ。地元の高校では無くわざわざ進学校へ通う学生には大いなる夢があるのだろう。1km弱の距離なら遠いほどではないが、学校のある駅でもそれ位を歩いて行かねばならないから倍の運動量である。夢のある高校生なら苦にもならないだろう。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/28
コメント(0)
![]()
初夏(35) 万里の長城の西端 中国は広大である。一説には日本の50倍の広さがあると言われている。が、実はその殆どが砂漠なのだから広さだけで自慢した処で大したことは無い。砂漠を通ってシルクロードの西の端へ行けば、大よそアジア人でもバター臭い顔をしていて、キルギスやトルキスタンなどの人々の顔は中東やヨーロッパの人々の顔に似て来る。日本にも彼等と似た人々が居て、多分大昔に大陸から渡って来た人々の末裔なのだろう。そういう悠久の昔の事を考えると実に人間は太古の昔から延々と生き続けて来て今日の文化の基礎を形成したのだと思わざるを得ず、一朝一夕では文化は育たないと感じるのである。正倉院の宝物にはその辺りの物もあって昔の交通不便な時代によくもまあ遠い異国の地まで運ばれて来たものだと感心する。現代の様に一晩で地球の裏側の物が運ばれて来る様になると有難味は感じなく成るが、逆に小さく成った地球よりもその外側の宇宙に目が行く。例えば先のロシアに落下した隕石の様な宇宙からの到着物にこそ宇宙の成り立ちや文化を知る手だてに成るのだろうが、地球物理学者で無い我々には唯珍しいだけの事で、それを拾った人々が売って酒代にしたというのを知ると微笑ましくもなる。兎に角、広大な国土の東西の端に万里の長城の先端があるという事が人間の限界を示して居て面白い。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/27
コメント(0)
![]()
初夏(34) 海に迄達する万里の長城東端 グーグルアースを観ていて万里の長城が目に付いたので拡大してみると北京郊外の北部にある有名な長城の観光地だった。人間の造った構造物で唯一人工衛星から肉眼で見えるものとされていたが、中国の宇宙飛行士が確かめた処、実際にはカメラに捉える事は出来たものの肉眼では見えなかった為、中国の教科書からその部分を削除されたという。確かに人工物で6千KM以上もあるものは万里の長城しか無いが、長さは兎も角、幅が細い通路状の物だから肉眼では見えないのは当たり前の事だ。多分、想像で語られたものだったのだろう。しかし、その東端は遼寧省大連の海にまで達しているから相当なものである。愚かにも人間は自分の権力を守る為には飽くなき努力をするものである。その努力は認めるが実にナンセンスな構造物で中国人の愚鈍さと間抜けさが歴史によって証明されている様なものである。だからそれが恐ろしいとも言える。現代の中国政府は万里の長城を自信をもって自慢している様だが、己のルーツを考えれば自慢する様な代物では無く先祖の馬鹿げた権力闘争や覇権の為の大道具の一つ程度に解釈するのが正しい解釈では無いだろうか。自慢するなら、そういう歴史を否定せずに初心に帰って人間の権力への馬鹿げた遺物を大切に保存し反省材料にする行為こそであり、それこそ世界平和の為に惜しげも無く努力する行為そのものであろう。尤も日本の領土である尖閣列島や沖縄を古代中国のものであったから今も中国に帰属させるべきだとする狂人めいた政府見解をまともな顔をして恥ずかし気も無く言いふらす行為こそ歴史から何も学んで居ない無知を曝け出す行為である事を知るべきである。だから我々は自信を持って万里の長城を上から目線で眺める事が出来るのである。「中国ヨ、早く大人としての国際人に成れヨ」とボクはエールをおくりたい。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/26
コメント(0)
![]()
初夏(33) 雨がシトシトと降る庭 初夏が終わりに近付くと雨がよく降る様になる。本番の夏に入る直前に成ればあのジメジメした梅雨に入るのだが、丁度この様な粉糠雨で肌寒い日もある。それを梅雨冷えと言うが、若い頃は体調に何の影響も無かったものなのに身体の節々が痛い様な重鈍い感覚に想え身体をほぐさないと急に運動なぞすればアキレス腱を切ってしまいそうで心配になる。それは古希に入ったせいでもあるのだろうが、古希と言えば「古来稀なり」から来ている通り相当な高齢に想われたものだ。と言うのは、かつて学生時代に大学の総長の古希の祝いパーティーを想い出すからだ。総勢1千人ぐらいの壮大な食事会だったが、パーティーがお開きになった頃、総長一行が退場する途中、我々学生グループ(学生自治会役員達)が座っているテーブルに近付いて来て「君達は若くて大いに希望がある頃だ。より大きな夢を持って頑張りなさい」と総長自ら話しかけられ握手までして下さったのだった。痩せたソクラテスでは無いが小柄で細い身体の小さな手に優しさが感じられ、温和な眼差しからは歴史に残るあの京大事件(滝川総長が時の斎藤内閣・鳩山一郎文相の圧力で辞めさされたのを不服として法学部教授全員が辞表を提出、政府は数人の教授を大学から追放した事件)の歴戦の闘志とは想えない老人のイメージだった。その印象があるので自分が古希に成ってしまったのが信じられない想いなのだ。尤も、時代が日本国民を若返らせ、10~20年は若く成っているから当時の古希は今では80~90才を指すのだろう。それにしても世の中には老人が増えたものだ。隣家の老婆は百歳になり市の表彰を受けたぐらいだ。それに比べればボクなぞ洟垂れ小僧にしか見えない筈だ。だからこそせめてあと10年は現役の建築家として頑張りたいと想っている。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/25
コメント(0)
![]()
初夏(32) 雨の庭 盆栽と芝生と庭木に毎日水遣りをするのが日課になっているが、日本一水道料金が高いと言われる処に住んで居ると節水の意識が強く、適当に雨が降ってくれると有難い気がする。水道料金なぞ高が知れているのだが、飲み水を撒き散らすのが勿体ない気がする訳である。だから家の屋根に降り注いだ雨を水瓶に溜まるように工夫して、それを庭木や盆栽に撒いている。しかし長く雨が降らないと瓶の水も無くなり水道水をシャワー状にして撒かねばならない。処で、兵庫県芦屋市の山手に在る六麓荘という住宅団地には散水用の水道が別に引かれメーターも別に成っているという。つまり飲み水では無いので安い訳である。団地が出来た頃、六甲山に緑が少なかったので広い庭に植樹をして緑を奨励する為に別の水道を各戸に引いたとの事で、開発者は先見の明があった訳である。そういう余裕のある気の利いた開発会社は今は無い。それどころか宅地面積を小さくして少しでも戸数を稼いで売れ易くしようとするから三階建てのマッチ箱のような小さな家が建ち並んでゴチヤゴチヤした街になってしまう。それでもサラリーマンの年収の5~8倍ぐらいの値段がするから簡単には買えない。ローンを組んでせっせと働くのが馬鹿らしい最近の若者は親の家に同居して苦労せずに小市民の生活に甘んじている。地方から大都会に出て働いている若者はとても家なぞ買えないから賃貸アパートで我慢するしか無く、アメリカン・ドリームの様な希望なぞ持てる訳が無いのだ。夢も希望も無く黙々と働くだけでは日本の将来に夢が持てず、貧富の二極化は益々進む事に成る。つまり国家にビジョンが無い状態で金儲けだけが人生だとする世の中に落ち込んで行くのである。世も末と言うのも当たって居る気がする。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/24
コメント(0)
![]()
初夏(31) ウォーキング途中にある溜め池 大和盆地に流れる川は大きなものでは大和川と木津川と飛鳥川と富雄川ぐらいなもので、前者二つの川は盆地の北方で直ぐに大阪へ流れ出て、後者二つの川は大和川に流れ込む支流だけに昔から水不足であった。それ故、農業用溜め池が多く、ウォーキング途中で幾つも溜め池に出逢う。古いものでは聖徳太子が造営させた池というのがボクの家の近くにあって30年ほど前まではワカサギがよく釣れて大阪から釣り人がよく来ていたものだった。それが心無い連中によってブラックバス(アメリカ産)を投げ込み、見る見るうちに増殖し、ワカサギが全滅してしまった。それは全国的な現象の様で、ボクは日本の釣り人という連中を余り信用していない。本当の釣り人は生態系を壊す様な行為は絶対しないもので自然環境を尊重し守りながら釣りを楽しむ精神的貴族の遊びなのである。欧米では事実、そういう連中しか釣りをしない。日本は未だまだ精神的に幼稚な釣り人が多いという事だ。海釣りにしても高波や満潮で救助される様な連中の事がニュースになる。馬鹿ばかしい連中の為に税金の無駄遣いをしているのである。30年ほど前に友人と三人でよく和歌山へ海釣りに行って鯛を釣った。夜明け前に船でポイントまで船頭に連れてもらう大名釣りである。大漁の時は独り頭11枚の真鯛を釣り上げたものだった。クーラーに入り切らない程で、ふと気がつくと我々に注目したのか周りにプロの漁師連中の舟が集まって来ていて驚いたのだった。プロ顔負けの大漁だった訳だ。ところで、池の傍を通ると若い連中が二人、車を横付けにして釣りをしているのだった。勿論連中とは目を会わさずにそそくさと通り過ぎた。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/23
コメント(0)
![]()
初夏(30) ウォーキング途中で二上山(ふたかみやま)を観る 週二回のウォーキングのルートを数例ばかり想定して、なるべく美しい風景が観られ、歩き易い道路を選んで試験的に通ってみた。その一つが二上山が観える新興住宅団地である。二つの峯がラクダの背の様に観える二上山は飛鳥時代の大津皇子が祀られていて、万葉集巻第2-107番(石川郎女との相聞歌)に「 あしひきの山のしづくに妹待つと 我立ち濡れぬ山のしづくに」という歌がある。大阪側の山裾(羽曳野市と柏原市の境界)で大和川に合流している石川に住む姫(石川郎女)との恋歌とされている。二上山には7年ぼど前こ登った事があって大和平野と大阪平野の絶景が見渡せる国境(大和の国と浪速の国)の山である。大和側の裾野には当麻(たいま)寺があって、大和の国の東端にある三輪山から日が登り、この二上山の二つの峯の間に沈む事から信仰心が芽生えたのであろう。大和は歴史の宝庫であるが、それだけに観光が主で大阪のベッドタウンとして人口が年々増えている。この新興住宅団地は10年ほど前に完成して未だ文化と言う程の雰囲気が無いが、借景が美しいのでウォーキングに適しているルートの一つである。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/22
コメント(0)
![]()
初夏(29) デスク下のココ 初夏と言っても朝晩は未だ冷える日がある。そういう日はココは外に出ても直ぐに戻って来てボクの足元の台に在るホット・カーペットの上に座る。冷えた身体を温めるのだ。それに庭には未だ狩りをする獲物が居ないせいもある。先日などは小鳥を捕まえてベランダに転がして得意そうに遊んでいた。が、死骸でも可哀想に見えて直ぐに取り上げて処分したが、嘴が黄色かったので見慣れた雀では無く名前の知らない小鳥だった。多分、恐ろしい猫が居る事を知らないまま庭先で遊んでいたのだろう。雀なら集団で来て、仲間が捕まれば暫く五月蝿く鳴き続けるから気配で分かる。トカゲなら尻尾を残して逃げる知恵を持っているのに、そういう知恵を持たない小鳥だったのだろう。狩りの雰囲気を味わうには未だ季節が早い訳である。それでも身体を温めながら台の上に座りながらも庭の方を睨んでいるのは獲物では無く野良猫が来るのを見張っているのである。追い払うかビビって唯眺めているかのどちらかだが、最近は野良猫も横着になってココをからかいに来る。つまり箱入り娘にちょっかいを出す訳である。尤も避妊手術を施してあるから交尾対象に成らない筈なのにわざわざ来ると言う事は同じ雌猫なのかも知れない。友達に成りたくて遊びに来るのだとすれば無下に追い返しても懲りもせずに亦やって来るだろう。箱入り娘のココは猫が少ないこの辺りの環境で寂しいのかも知れない。だから縄張り意識を持たないとすれば隣家の老猫モモを相手にしていれば良さそうなものなのに動作の鈍く成ったモモを見下している有様である。年寄りよりも若くて元気な相手の方が良いも悪いも魅力的に観えるのだろうか。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/21
コメント(0)
![]()
初夏(28) 庭の常夜灯 先日、妻の友人の紹介による業者(庭木の剪定と消毒をする新参の会社)に見積もりを頼んだところ、見積もりを終えて説明をしながら「毛虫が居ますネ。早速、お試しセットの消毒をされては如何ですか」と勧められた。確かに毛虫が発生していて先日殺虫剤を散布したばかりだった。が、「家内が出掛けて居るので帰って来てから返事をします」と言って帰らせた。何時も来て貰って居る市のシルバー・センターの見積金額の倍額だった事もあって即答を避けたのだ。毎年庭木の消毒をしてもらっているのに何故毛虫が発生したのか理由を考えてみるに、ひとつは昨年の消毒が手抜きであったせいか、それとも庭に花が多くて蝶や蛾が卵を生みつける環境のせいかと想ったが、ふと常夜灯があるから毎晩虫が寄って来るせいもあるのかなとも想ったりした。しかし、紹介を受けた業者は葉刈り専門では無く庭の維持管理を主にする業者だったので消毒や肥料の事ばかりを売り込んでいたのが少しばかり気掛かりだった。果たして妻が帰宅してその事を言うと「彼女もあの業者に頼んで失敗したそうヨ。薔薇の木を下手な切り方をしたそうで文句を言って居たのを覚えていただけの事で紹介してくれた訳でも無いのヨ。会社は大きいけれど小廻りが利かないらしいから今年も何時ものシルバーさんに頼めば?」という事になった。夜に成って常夜灯を眺めながら、最近は何でも大きな会社組織で運営する時代だけに経費も余計に掛かるのだろう。常夜灯や手抜き消毒のせいでも無さそうだと何となく納得した気分になった。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/20
コメント(0)
![]()
初夏(27) 橙の花 柑橘類の花の香りは爽やかである。花の形は五弁の文化勲章の橘の花の様に白くてシンプルである。香りにつらされてアブや蜂が群がっている。蜜を求めて来る虫類は気にも成らないが、蝶や蛾は毛虫を発生させるので困る。以前、チヤドクガに刺されて往生した事があった。一週間ほど痒みが取れず困った。葉刈りの際に消毒を頼んでいたのに下手だったのか手抜きだったのか余り効果が無かった様だ。だから業者が消毒をした後も気に成る処は自分で薬剤を散布して駆除するようにしている。最近は噴霧器が重いのと大層なので殺虫スプレーでやっている。これだと簡単である。但し高木は脚立に乗って撒かねばならず高い処は注意をしないと転落する危険がある。体力が落ちて中年の頃の様には行かなくなっているのだ。更には今年古希に成ったのに気持ちの上では若いつもりで居るから心と身体との乖離が気に掛かる処である。身の程を知って老人らしくしている方が賢明なのだろうが、どうしても未だ身体が先に動いてしまう。ゴルフの様には行かないのである。日頃から身体を鍛えて居る人なら問題が無いだろうがボクの様にたまに数か月仕事をする程度では体力的に鍛える迄行かない。そこで先週からウォーキングを始めた。5年前に止めて以来の再開である。先ず週に二度、5kmを歩く事にした。電車の一駅分の往復で、この辺りは丘陵地でアップダウンがあるから運動に成る。以前は20km歩いていたものだった。しかし、やり過ぎは駄目だ。疲労が溜まったのとストレスで突発性難聴になってしまった。5kmなら途中で水の補給も要らず疲れないから簡単である。この簡単さを当分の健康管理として続けるつもりで居る。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/19
コメント(0)
![]()
初夏(26) シラン(紫蘭) シランが咲き始めた。この花が咲き始めると何時も得をした気分に成る。と言うのは街でシランの鉢植え1本を1千円で売っているからである。我が家では群生して咲くので有難味が感じられないのだが、それを目にして以来、金持ちになった気分に成れるのだ。他愛も無い事ながら、そんな事で気持ちがゆったりするとはボクも俗っぽい人間であるという事だ。今更ながら高貴な意識で居ながら俗っぽい事を言っている矛盾を平気で感じて居るのだから根は庶民の塊なのだ。それで良いのだ。市井の頑固な一老人も世の中には必要な存在であると想える出来事が、かのUKのサッチャーがそうだった。愚息の遭難(実は疲れて砂漠で昼寝をしていて連絡が付かなかっただけの話だが)となると権力を利用して国防軍のジェットまで繰り出して捜索させ世の顰蹙を買った凡女だったからだ。彼女が亡くなって大喜びした元炭鉱夫達がお祭りの様なデモを行ったニュースを観て白人社会らしいと想った。日本では心底憎んで居ても其処まではやらないからだ。日本では怨念が内在するだけで孫子の代でしっぺ返しをするかと思いきや、吉田茂の孫は首相に迄成ったり再び閣僚として入閣し財務大臣までする有様だ。矢張り頑固で信念の人は存在価値があるという事だろうか。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/18
コメント(0)
![]()
初夏(25) 雨に濡れてしっとりとした庭木 梅雨でも無いのに粉糠雨が降る。庭木や草花の生育には絶好の雨である。久しぶりの雨は恵みの雨で良い。尤も好天気が続けば嬉しくなる。が、カラカラに乾いた状態ばかりだと庭は元気が無く埃っぽくなる。其処へココが転げ回る様に身体を砂地に擦り付けるのでフサフサの体毛がザラザラに汚れる。汚れたまま家の中に入られると床が汚れる。掃除機で埃や綿毛を除去するも追いつかない。兎に角ココを捕まえて丹念にブラッシングしてやっと体毛と砂の汚れは落ちる。するとサッパリしたのが自分でも分かるらしく気持ちよさそうにしている。ブラッシングも製図用のブラシ(多分、狸の毛と想う)の背が良い。毛足が5mm位の長さだから堅くてしっかりとしていて余分の体毛が除去出来るのだ。猫用のブラシだとプラスチックで出来ていて一本一本の先に小さな玉が付いていて肌に痛く無い様に工夫はしてあるのだが、それでも長い体毛がカラむので引っ張られ痛いらしい。長い体毛を取るのには良いが嫌がるので考えた末、製図用のブラシを使ってみると気持ちよさそうにしている。それ以来、それがメインに成った。処で、ブラッシング毎にブラシに付いた毛を貯めて小箱に入れていたら半年で一杯になった。綿毛だからアンゴラやカシミヤの様に柔らかである。が、知らない人が蓋を開ければびっしりと毛が入っているので驚く事だろう。何の用途も考えて無いが何時か何かの役に立つのではないかと一応保管している。ボクの収集癖の一つである。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/17
コメント(0)
![]()
初夏(24) 久々の雨 此処暫く雨が降らず庭がカラカラ乾燥状態だった。盆栽には毎日水やりをするが、庭木にはたまにしか撒かず、精々芝生の乾燥状態を観て、ゴルフ・ボールの転がり具合でシャワーの様な散布をする程度だった。しかし、雨は散水どころか大量の水を庭に与える。お蔭で新緑が一層映える事に成る。芝生は湿気て日頃のボールの転がりと違って重い。ホールに確実に入るべきボールも手前で止まってしまう。力加減が慣れるまで、ボールのスピードやスピンの掛かり具合が掴めないのだ。20個ほどのボールで10ヤード先のホール目掛けて練習をしていても5個程度しか入らない。外れたボールはホールの周りに転がっていて、何時もなら入っているべきボールだけに雨の具合で微妙な芝生の抵抗がある事がよく分かる。だからゴルフは同じ条件で打てるとは限らない訳だ。プロだって考えられないミスをする場合がある。まして素人のやる事だ。ミスが出て当たり前と考え、臨機応変に打って行くしかない。「ボールを穴に入れて何が面白いのだろう?」とココは不思議そうに同じ繰り返しを眺めているのだろう。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/16
コメント(0)
![]()
初夏(23)カラーの蕾 カラーの花はラッパの様な形をして一般には白が多く、ワイシャツのカラー(襟)に似ている処から命名されたのだと想っていたら、実はギリシャの修道女の襟に似ている処から来たそうで同じ襟ながら当たらずとも遠からずである。まあ、ワイシャツよりも修道女のあの大きな白い襟の方が優美で良い。さて、我が家では白の他は黄色しか咲かず、ピンクはなかなか難しい。毎年、白が殆どなのは多分、土のPH(ペーハー)の関係から来るのだろう。アジサイもそういう処があって青やピンクや紫の濃淡がグラデーションを成して綺麗なものである。花には様々な色があるが、最終的には彩度からすれば色に該当しない白は、日本では紅白とか黒白という風に対比的な色合いとして用いられ、単純ながら一番飽きの来ない色である。そう言えば、ワイシャツはホワイトから来たそうだから矢張り白が基本なのだろう。物事の汚れていない綺麗な状態を潔白と言うのも人間の好みなのかも知れない。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/15
コメント(0)
![]()
初夏(22)多彩なマーガレット マーガレットは白ばかりだと想っていたら多彩なのがあるのを知った。多分、新種なのだろう。草花は年々新しいのが増え続けている様である。余りにも種類が多いので名前を覚えきれない。特に草花に凝っている人なら別だろうが、ボクなんかは庭木の方専門だから、その都度妻に訊かねば分からない。その本人も名前を咄嗟に思い出せない時があるから矢張り膨大な数になるのだろう。尤も名前なぞ分からなくても綺麗であればそれで充分なのだが、ブログにアップする以上は知っておきたいのが人情だ。中には奇特な人が居て教えてくれるかも知れない。例えば言葉(漢字)なんかで間違った表現をすると直ぐに注意のコメントが入る。ついうっかりして読み方を間違ってしまったのを後日、注意してくれた人が居たから花の場合も有り得る話だ。名前は記号と同じで知らなくても物を観れば分かる。だから、名前に拘る必要も無いのだろうが、他人に伝えたい時とか注文する時に名前(記号)が分からなければ苦労するし間違いも生じる。その為の記号なのだから矢張り知らないより知っておいた方が良い。さて、当たり前過ぎる場合は名前なぞ必要が無いのは家族の場合だ。認知症に掛かってしまえば別だが、分かり切った事は省略するのが人間社会の通例で、夫婦で名前を呼ぶ関係は秋風が吹いている証拠だ。熱烈な関係の場合は必要が無く、例えば我が家の場合、ココと呼んでも尻尾を振って返事の代わりをする猫の方が進んでいるのだろう。つまり、名前を呼ばなくても気配で察知するのである。以心伝心というのが一番という訳だろう。草花も庭木も以心伝心で育てて行くのがガーデニングのコツなのかも知れない。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/14
コメント(0)
![]()
初夏(21) 満開のエニシダ モッコウ薔薇が盛りを過ぎ、ハラハラと花弁が散り始めると車輪梅が満開になり、開花が遅かったエニシダもようやく満開になった。黄色い花はよく目立つ。しかし黄色よりも赤の方がもっと目立つ。紅一点という例えの通り、緑の中にあっては補色の赤の方が黄色よりも目立つのである。黄色は緑の変種の様なもので秋の黄葉を観ても分かる通り緑の中にあっても違和感が無く溶け込んでいる。それでも多くの色が同じ方向に成って行くと季節感として人間は自然の変化を快く受け入れる。兎に角今は若葉の季節である。新緑でも黄色でも赤でも何でも良い。十二単(じゅうにひとえ)の紫も良い。薔薇の華やかさも良い。ふと見ればマーガレットの白やピンクも在る。花ざかりの庭を眺めているだけで幸せな気分に成れる。多分、横に大人しく座って居るココも自然の美しさを眺めて和やかな気分に成っている事だろう。何せ、ボクの寝室で目覚め、ボクがベッドから起きると後を付いて廻るだけで朝の餌と水が得られ、庭の新鮮な空気の中で心地よく座っていられるからだ。さあこれから何をして一日を過ごそうかと思案しているのだろう。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/13
コメント(0)
![]()
初夏(20) 夕方の庭で毛づくろいをしているココである。ガーデン・テーブルの位置を変えると、矢張り物影が落ち着くのか移動先のテーブルの下に入ってジッと庭を眺めては想い出した様に毛づくろいを再開する。月に一度は蚤取り薬を首の後ろに散布してやるのだが、最近は在庫が無くなったので数ヶ月散布していない。だからしょっちゅう後足で首の周りを掻く仕草をしいている。首の周りに蚤が居るのかなと毛を選り分けて探して見るのだが蚤は見当たらない。首輪の内側が蒸れて気持ちが悪くて引っ掻くのかも知れない。手作りの革ベルトの首輪は緩めに巻いてあるから空気の通る分、蒸れる筈は無いのだが、引っ掻く動作を観れば矢張り薬を散布してやらねばならないのかなと考えてしまう。ペット・コーナーへ行って蚤の薬を買うのを忘れないようにメモをしておかないといけない。折角、買い物に出掛けても別の物を買って忘れてしまうからだ。薬を散布しても庭で新たな蚤やダニを拾うから矢張り月に一度は散布しておいた方が良いのだろう。更には毛づくろいをするから抜けた毛が入って胃の中に毛玉が溜まるだろう。毛玉を除去する薬も売っている筈だから一度探してみよう。尤も、雑草の一種を食べて毛玉を自分で出している様だから心配したものでも無いのかも知れない。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/12
コメント(0)
![]()
初夏(19) 愈々咲き始めたシャリンバイ シャリンバイ(車輪梅)が愈々咲き始めた。満開に成ればもっと全体が白っぽく成る。苗木を植えて4年に成る。花はアベリアの様にも観えるが、アベリアはラッパ状だから近くに依れば違いが分かる。小さな花ながら数が多いから華やかさがあるものの、そんな中にも清楚な雰囲気を持った花である。花ざかりの庭は一年中で一番活気に満ちた時期である。欲を言えばキリが無いが、ヨーロッパの邸宅の庭の様に広大で手入れの行き届いたのをネット・ドラマや映画で観ると美しくて羨ましく成るが、権力と財力を併せ持った人々は先祖のお蔭と知力と運の三拍子に恵まれれば誰もがそういう環境を手にする事が出来るのだろうかと想ってしまう。処が現実は違って、内実は財政に四苦八苦し、挙句は有料で一般公開して維持させているという何処かの王室まで出る有様である。つまり、環境は大きく観れば一般市民のものであり、大衆が平等に享受してこそ存在性に意味があるという社会主義的な考え方も出来る。しかしながら、人間には特権意識が内在し易いものだからどんな世界でも(資本主義であろうと社会主義であろうと)個人の欲望で自分や仲間内だけで楽しみたいという考え方をする人々も居る。つまり看板はどうでも良いのである。大衆に憎まれずに共存できる方法を模索しながら世界中を奔走しているのが今の権力者達である。だから環境をじっくりと楽しむ余裕が無いとも言える。面白いものである。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/11
コメント(0)
![]()
初夏(18) 目には青葉 山ほとゝぎす 初がつほ 五月の歌は矢張り山口素堂(江戸時代の俳人)の俳句だろう。「目に青葉」と言った方がゴロが良いが、正確には「目には青葉」と敢えて字余りとし、風景をゆったりと詠んだ方が情景としての韻があり、後の句の耳で聴くカッコウの鳴声や口で味わう旬の鰹の美味さ・快適さ・スピード感が対応して歌として成功していて当時の人々に大いに受けたと言われる。処で鰹で想い出すのは徒然草第119段の「鎌倉の海に、鰹といふ魚(うを)は、かの境には双なきものにて、このごろもてなすものなり。それも、鎌倉の年寄りの申しはべりしは、この魚おのれが若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づることはべらざりき。頭は下部(しもべ)も食はず、切り捨てはべりしものなり、と申しき。か様のものも、世の末なれば、上様までも入りたつわざにはべるなり」である。鎌倉時代の吉田兼好は「鰹は下賤な魚であった」と書いているのに高級魚にまで成ってしまい庶民はめったに食べられなくなった。つまり兼好や素堂は鰹への願望と皮肉を込めたのであろう。今で言うところの大間の黒マグロ(トロ)を挙って食べる風潮に似ていて世も末の現象である。しかしながら食すれば美味かろうという願望もあって、今や大衆魚になった鰹ではあるが傷み易い魚だけに矢張りトレトレの新鮮な奴を浜辺で藁で炙ったものが一番である。叩きの由来はポン酢とニンニクを身肌に叩く処から来たものだが、冷凍物では味が格段に落ちる。だから、旬の旨さを知ろうとするなら、わざわざ浜辺迄出掛けねばならず難しい問題であるが、好きな時に食べられる事を想えば有難く、贅沢は言わぬが花である。蛇足ながら鰹(勝つ魚)の由来は、天文六年(1537)の夏、北条氏綱が小田原沖でカツオ釣りを見物していた処、一尾のカツオが跳ねて船の中に飛び込んで来た。氏綱は「戦に勝つ魚が舞い込んだ」とその吉兆を喜び、その後武州の兵と戦って大勝利をあげた事から縁起の良い魚とされ、その後の江戸っ子が縁起物として初鰹を珍重するようになったという故事が由来である。因みに「目には青葉」は、庭に在るサンゴ樹とシマトネリコを用いた。鮮やかな緑である。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/10
コメント(0)
![]()
初夏(17) 愈々咲き始めたシャリンバイ 乙女椿が花の時期を終えると隣のシャリンバイが咲き始める。上から見下ろせば名前の通り枝が車輪のスポークの様に四方八方へと放射線状に伸びている。そしてその先に小さな白い花が咲くのである。昔、名前の由来を知らなかった頃はまさか車輪から来ているとは想わず仏教用語の一つだろうと想っていた。勿論意味も分からずにだ。ブッダの骨を仏舎利と言うが、大昔は人が野垂れ死にすると腐って骨になり、それをシャリ(舎利)と呼んだ。お寿司のご飯の事をシャリとも言うが、白い骨に似ているからだろう。まさか骨だと想って食べる人は居ないだろうが、陰語とは概してそういうものから来るのだろう。遥曲に、旅の途中で行き倒れた骨があって、供養にと想って酒を振り掛けると小野の小町が現れ「昔自分は美人と世間から持て囃されたものだったが、今はこの様に誰も知らず舎利になってしまった。こうして巡り会わせたのも何かの縁、礼を言いたい」と言って一曲舞うという話がある。大昔は野垂れ死にはよくあった様で無縁仏として供養の石が道端に置かれた。西院(さい)の河原(京の地名)の石積みの様なものである。尤もサイの川原での石積みは、亡者があの世で成仏出来ず親を想って石を積む事を指す。今も交通事故で亡くなった人の供養の為に地蔵が道端に置かれている風景を見掛けるが、人の気持ちは今も昔も変わらない。処でシャリンバイを観て舎利を連想した訳を別に考えてみるに、たまたまシャリンバイの向こうに百日紅が観えるのもあるだろう。かつて農家の見事な百日紅に目をつけた悪い庭師が「百日紅は骨の木と呼ばれゲンが悪い」と言葉巧みに騙し取ったと言う。純朴な人を騙す詐欺師は今もオレオレ詐欺として居る。矢張り人間は今も昔も変わらない様である。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/09
コメント(0)
![]()
初夏(16) 最後の乙女椿 乙女椿の新芽が出始めて来て花の盛りが終えようとした頃に最後の花が咲いた。それもピンクだった。白が大半なのに最後に華やかさを添えてくれたのだ。写真を撮った直後に花はポロリと落ちた。乙女椿の咲き終わりの挨拶の様な気がして「ご苦労さん、来年も亦綺麗な花を見せておくれ」と別れを惜しんだ。その隣ではこれから咲き始める車輪梅が小さな白い花芽を沢山出して来て、境界のラチス前に咲き始めたエニシダも元気に観える。初夏の朝の庭風景である。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/08
コメント(0)
![]()
初夏(15) 愈々満開のモッコウ薔薇 モッコウ薔薇がたわわに咲いて薔薇ゲートが賑やかである。香りは余りしないが見応えがあるので下を通る度に見上げて感心する。妻に綺麗だと褒めると、自分の事の様に想って嬉しそうな顔をする。まあ、どちらでも良い。それで家庭円満なら言う事は無い。最近のボクは耳の調子が悪いから眼で楽しめる物が良い。ガーデニングの花も庭の緑も、インターネットの映画もだ。絵画は壁に掛かった絵を眺めながら、かつてボクもスケッチに出掛けていた頃を想いだしては懐かしく想う。テレビでは日本百名山というドキュメントをしていて矢張り日本アルプスを登った学生時代を懐かしく想い出す。何があんなに山に憧れさせたのか今となればしんどいだけの事なのに山と言うだけで心ときめいたものだった。心身ともに若かったのだろう。処がドキュメントでは中高年から老人まで登って居るのだ。元気なものである。ボクなんかゴルフの1ラウンドだけでも疲れるのに最近の老人は元気である。元気で長生きだからボンクラな政治家や役人が年金基金をパンクさせてしまって四苦八苦している。責任を取らされるのが嫌で決してパンクしたとは言えず、苦し紛れに支払い開始時期を延ばしたり減額させて誤魔化している。挙句は、老人は早く死ねと言いだす始末だ。日本の政治家や役人は悪魔の化身なのだろう。国民を苦しめて自分達が生き延びようとする浅ましさを露骨に出す。恥という字を知らないと見える。逆に、そういう連中は地獄に落ちるのがオチである。政治家は落選してルンペンに成り下がり、役人は定年退官して直ぐに死んでしまう。ざまあみろと言いたい。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/07
コメント(0)
![]()
初夏(14) 咲き始めたエニシダ エニシダが咲き始めた。愛と富を増幅させる花と言う。そういう縁起をかついで植えた訳では無いが、そうと分かれば悪い気もしない。と言うのは、昨年10月から開発を始め今年2月に完成したロト6の入賞プログラムがそろそろ実績を挙げ始めた様だからだ。プログラムから毎回20個前後(少ない時で18個、多い時で22個)の予想数が出、プログラム完成から4月迄3ヶ月間(22回)の成果は1等(当選数6個:賞金1~4億円)が1回、当選数5個が3回、4個が6回、3個が5回、残り7回は2個という具合だからである。それも尻上がりに当選数が上昇している。但し、購入の組み合わせが予想数が20個の場合は組み合わせが120通りもあり全部買う訳にも行かず精々20通り程度の為か組み合わせが上手く行かず未だ上位当選は無い。だから数千円や数万円の当選では当たり前過ぎて嬉しくも無いのだ。早く上位当選に結び付けたい処である。尤もプログラムに信頼を寄せているから気持ちの上では上位当選の雰囲気に浸っている。エニシダが更に景気づけしてくれる気がする。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/06
コメント(0)
![]()
初夏(13) 再び盆栽 考え事をしていると頭が冴えて眠れず、ベッドから抜け出して「リーゼ」を一錠飲んだものの未だ眠れないので書斎でブログを書く事にした。が、何も想いつかないので盆栽の事を再度書く事にした。但し同じ内容では詰らないので角度を変えてみると、現代社会では情報が瞬時にして世界に流れるから盆栽も世界に知れ渡り流行の兆しを見せている。盆栽は小さくとも自然の風景を構築させる行為であり、それは人間そのものを表していると想う。詰り、自然を愛でる心は人間特有のものだからだ。自然を愛でる心は哲学でもある。「哲学は学問を愛する事です。そもそも哲学や倫理は人間を愛する事から始まります。学問は人間が人間らしく生きる為の手段でもあり真理を探究する事で人間が人間らしくあるべき姿を示してくれるからです」と学生の頃、倫理の教授が言った言葉が未だ耳朶(じだ)に残っている。老教授は羽織袴の姿で通し、洋服を着て居る姿を観た事がなかった。勿論カバンなるものは持たず書類や本は風呂敷に包んで小脇に抱えるのである。そのスタイルは有名で、工学部の大学院でダムの実験手伝いをしていると「着物姿のAさんは未だ元気かい?」と担当教授が訊いた事があった。担当教授も習った事があるぐらい古くからの教授であった。昔はそういうスタイルが流行ったのだろう。着物と言えばボクも学生時代は冬場着物を着て過ごした事があった。紺の久留米絣に白い鼻緒の高下駄で街を歩くのだ。日頃母親が着物姿が多かったせいかボクも着物に憧れていた。流石に結婚してからは着た事は無いが箪笥に仕舞って在る筈だ。さて、盆栽に戻るが、是は古くから続いて居るものでこの先も続く事だろう。多分、人間が存在する限り続くだろう。それだけ人間の心の中に自然の風景が存在しているのである。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/05
コメント(0)
![]()
初夏(12) 盆栽と盆栽用予備木 この盆鉢は植え木屋が新年の飾り物として毎年暮れになると松竹梅の飾り物として届けてくれた時の一つである。上手く育てられず枯らしてばかりいたから鉢ばかりが残っているのである。昔の植え木屋は年末に集金をする風習があって手ぶらで来るのも様にならないと想うのか盆栽を届けるのが習慣になっていた。植え木屋が老齢化して孫が仕事を受け継いだものの彼は年末に集金なぞという気長な事が出来ず、仕事を終えると直ぐに手間賃をくれと言うのだった。長年の習慣なぞ守るのが馬鹿馬鹿しいと考えたのだろう。腕は半人前のくせに金だけは一人前で、とうとう植木屋が嫌になったのか止めてしまって怪しげなネズミ講の様な商品を扱い出した。勿論、出入りは禁止したが、已む無く葉刈りは市の福祉団体のシルバーセンターに頼む様になった。しかし、シルバーさんも腕は二流で仕事も雑なので何回か他の業者に来て貰ったりしていたが、最近では大手の清掃会社が葉刈りや消毒までやってくれると言うので今年からそちらに変えようかと想っている。低木なら自分で出来るが高木はプロに頼まないと危ないのだ。先日も高木の枝に虫に喰われた葉が目立ったので脚立に登って消毒をしてみたが若い頃と違って目がすくむ想いをした。転倒でもしたら大怪我をする。だから高木は諦め低い庭木ついでに盆栽の手入れでもしている方が安全だし年齢に合った作業である事を実感した次第だ。若かりし事は日本アルプスにも登ったり、現場で高層階まで足場を登ったものだったが、もう歳には勝てない。ゴルフが老人向けのスポーツだと笑っていた若い頃は遠い昔の話だが、盆栽を横目にパターやピッチングの練習をしているのが今では似合っている様だ。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/04
コメント(0)
![]()
初夏(11) ボクが庭に出ると何処までも付いて廻るココ 陽気が良いせいでココは家の中に居るのは餌を食べる時と寝る時だけで、殆ど庭とガレージと近所の散歩で明け暮れしている。ボクが庭に出ると何処からか現れて一緒に付いて廻る。足音かゴルフボールの音でボクと分かるらしい。妻が洗濯物を干しに花畑の横や庭の芝生に出ても付いて廻るらしい。妻とココが会話しているのが時々書斎に伝わって来る。大抵は妻が質問してココが時々ニャアと返事するだけだが、腹が減っている時だけは自分からニャアと呼び掛ける。忙しいのか面倒なのか「今、手が離せないから一寸待って」と妻の声がする。それでもお構いなしにニャア・ニャアと何度も啼く。ココは自分の事しか考えないから相手が根負けする迄啼き続ける。実に良い根性をしている。人間だったら良いセールスマンになっている事だろう。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/03
コメント(0)
![]()
初夏(10) 蜜柑(橙)の新芽 先日、全部の実を採り終えた橙に新芽が出始めた。近くに寄ってジッと詳細に眺めると先っちょに白い花芽が観える。沢山観えるから今年は生り年なのか期待出来そうである。昨年迄は殆ど捨てていたのだったが、ふと今年からはドリンクとして炭酸水を混ぜて2リットル・ボトルに入れ冷蔵庫で冷やしてみた。多分美味いのではないかと試しにやってみたのだ。果たして上手く行った。家人にも評判で直ぐに無くなってしまう。一回に10個ほどの実を絞る。すると五回(約50~60個)で全部無くなってしまう。例年だと100個以上は生るので来年はもっとあるだろう。焼酎に混ぜて飲むと爽やかなカクテルとしても行ける。ワインとビールと焼酎のカクテルの三種類の飲み物が交互に食卓に並ぶ事になる。ボク独りだった晩酌が妻も加わる様になった。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/02
コメント(0)
![]()
初夏(09) 最近始めた盆栽 20年ほど前に盆栽を始めた事があった。しかし、毎日が忙しく水やりをコマ目にやれず三日に一度や一週間に一度の時もあって、可哀想に数年で枯らせてしまった。それに懲りて暫く止めて居たのだったが、小鳥が落として行った種から芽が出たクロガネモチや南天、グミなどを観て再び盆栽をしてみる気になった。それがこの盆栽である。もう五年は経つだろう。盆栽とは苗木から育てるものでは無く、既に木になったものを植えて成長させながら小さくして行くものである。かつてはその理屈が分からないまま育てていたのだったが、大きなものを小さくして行くという理屈を知ってからは毎年剪定しては新しい芽をどの様な枝振りにしようかと楽しみにする様になった。木の幹も次第にミニチュアの成木の姿に成って行くのである。つまり、盆鉢の中に小さな世界を作る訳である。百年以上経った盆栽を観ると成る程と想える作者の意図や風景が観えて来るものである。立派なものでは車一台楽に買える程の代物がある。作者は愛情込めて先代の意志を受け継ぎ端正に育てて行くのだろう。しかし、総てを自分独りでやるには大変な手間暇がかかる。妻の親戚の老人に盆栽の名人が居て、水やりは毎日せねばならないのに自分が旅行に出掛けている時は奥さんに任せているから奥さんは一度も旅行に行った事が無いそうだ。「◎子さんが可哀想だわ」と妻は同情していたが、ボクは人に迷惑を掛けてまでそこまでやる気は無い。だから何れ盆栽は枯れる事に成るだろうと覚悟はしている。が、育てられる内は楽しみに育てたい。考えてみればペットだって飼い主が健康で居る内は良いが、病気で倒れたり亡くなれば哀れなものである。そういう目でココを眺めると「せめて飼い主の寿命の中で元気に生きろヨ」と想ってしまう。人間の寿命の内で楽しむものを死後も人任せにするなぞはエゴの塊であろう。しかし、自邸に自慢の庭園を造った人が亡くなって、告別式に霊柩車を葬儀会場から故人の為に自邸の前迄行かせる家族の気持ちはナンセンスに想えるものの、せめてもの家族の想いやりを考えれば分からない訳でもない。続「猫と女と」(02) 女と知りあって早いもので十数年が過ぎた。私の生来の女好きとそれを見越した女の巧妙な作戦に乗せられ娘の舞子とも関係が出来、子供まで産まれ、もう三歳にも成る。長年連れ添って来て空気の様な存在だと想って居た妻が何時の間にか煩わしく成ってしまい、長年育てて来た蘭が枯れたのが何かの暗示に想えたのもあって家を捨て女のマンションで生活を始めたのだった。処が、何故かそれにも馴染めず、単身で暮らす様になった。誰かと一緒に暮らすという事は自分を押し殺す事になるのに気がついたのだ。好きだ惚れたと言っている内は相手の我儘も可愛いものだ。しかし、熱が冷めて自分を見つめる様に成ると他人のせいで自分を圧し殺してまで一緒に生活する価値や意味が分からなくなってしまう。辛抱してまで暮らす理由が無くなって、せめてそれが愛だとか奉仕精神が働いている内は良いが、理性では理路整然と説明がついた処で自分の心が離反してしまうのだ。 自分では自分を理性的な人間だと想っていても、どうも根底にはエゴという感情が支配しているらしい。そろそろ還暦を迎えると言うのに人間的に未熟な自分に愛想が尽きてしまう。せめて仕事に没頭しているしか能が無いらしい。幸い助手がしっかりと働いてくれていて仕事の方は上手く舞っている。出勤して来てデスクに座る度に彼等の為にもしっかりしなければならないと想ってしまうのだが、成るようにしか成らないという捨て鉢な気にもなってしまう。人生なぞ分かった積もりで居ても土壇場でどうなるか分からない。この先、妻や舞子がどういう風に変化して行くかは私の生き方で変わって行くのだろう。それが分かって居ながら自分から率先してこうと決めるのは億劫だ。そう想っている間は流れに任せるしか無い。女の前夫だったデザイン事務所の所長が独り身になったのも今想えば分からなくも無い。唯、喰う寝るだけの生活なら独り身が気楽で良い。昔から行き付けのバーのカウンターで好きな時に独り飲むのも悪く無いのだ。 其処のバーテンダーの福ちゃんは私の半生を観て来た。私の事をどういう風に観ているか知らないが、それなりに私は評価されていると想う。と言うのは20年程前に彼が勤めていた心斎橋の有名パブが店主の老齢化で店仕舞いすると新聞に載った。それを期に独立する彼が私の事務所に挨拶に来た事があって「こういうデザインを考えているのですが、宜しければ見て頂けますか。出来るだけあの店のイメージを残したいと考えているのですが・・・」と手提げ袋からパース図面を取り出して説明をしたのだった。其処には確かに独身時代から通い詰めた英国風のパブの雰囲気があった。デザインを見せるというよりも常連客の確保の為の宣伝もあったのだろうが、敢えて建築家の私に意見を訊きたかったのだろう。二点ばかり指摘し「此処はこういう風にした方がデザインを保ちながらも機能性は増すだろう」とアドバイスしたのを覚えて居る。それが私の行き付けのバーの二代目になったのだ。 考えてみれば女をその店に連れて行った事が無かった。舞子もだ。妻は何回か連れて行った。福ちゃんに見透かされるのが嫌だったのかも知れない。事務所の職員は新人の歓迎会毎に連れて行った。スコッチの飲み方を教えた事もある。それはかつて店仕舞いしたパブで先輩から教わった事の後輩へのお返しの様なものだった。20代後半の独身時代だった。12月に一級建築士試験の合格通知があって、それを祝してクリスマス・プレゼントに先輩がパブに連れてくれた。強烈な印象だった。ブルーチーズを一片だけ舌に載せてスコッチを口に含む。そして、やわらブルーチーズの味とスコッチが混ざり合って口中に広がった処をグッと飲む。その時の喉の刺激が本来のスコッチの味なのだと教わった。水で薄めたスコッチなぞ酒では無い、酒はそういう風に飲むものが男の哲学なのだと先輩は言った。想えば青春の一コマだった。以来、独りでも行く様になって、独りで飲む酒の味を覚えたのだ。最近、亦それを復活させている。 ポケットの振動で携帯の受信を知った。騒がしい店内でも分かった。舞子からだった。この時間帯に彼女から掛かるのは珍しかった。カウンターから離れ、入り口の方で携帯を開いた。「あなた、今、大丈夫?」「事務所の連中と飲んで居る処だけど」「そう。何処で?」「周防町のパブだけど、どうした?」「実は、麗が熱を出して・・・。これからお医者さんに行くんだけど、一応知らせておこうと想って・・・」「そうか。ひどいのか?」「熱が可也あるの。泣いてばかり居て、初めてなので心配だわ」「そうか・・・、近所の医者か?ふん。あそこなら大丈夫だろう。1時間ほどしたら行く。寒いから冷やさない様にな」そう言ってからカウンターに戻った。麗の顔が浮かんだ。「何か急用でも?」助手が表情を見て小声で訊いた。「ああ、子供が熱を出したらしい。今日は之で帰るヨ。君達はもう少し居れば良い」そう言い残して店を出た。気は引き締まっていたが冷たい風が酔いの廻った顔に心地良かった。 一旦、アパートへ戻った。舞子は未だ医者の処に居るだろう。幼児は直ぐに熱を出すと言うが、麗の場合は初めてだった。大した事は無いと想うが顔を見るまでは心配だった。息子の子供時分を想ったが、そういう事は一度も無かった。健康そのもので丸々とよく肥っていた。今も肥っているが病気知らずだけにこういう心配は一度も無かった。男の子は放っておいても大丈夫という気がし、自分が健康優良児だったから息子も当然そうだろうと想っていた。お蔭で病気なぞ考えた事も無かった。酔いが残って居たが汗臭い気がしてシャワーを浴びた。時間は充分にある。スッキリした気分で行っても舞子は気がつかないだろう。子供の事で頭が一杯の筈だ。女も一緒に行っているかも知れない。先週から一週間顔を会わしていない。最近はそれが普通になっている。女が居る事は妻は薄々知っている様だが口にした事がない。離婚を拒んでいる以上、それを言えば自分が不利に成るとでも想っているのだろう。生活費さえ出してもらえれば夫なぞ居なくても良いと想っているらしい。(6月につづく)
2013/05/01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1


