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夏(47) 道路の真ん中で朝日を受け景色を観るココ ボクが一緒だと何も怖いものは無いと安心するのか、道路の真ん中に出て辺りを見回すココは、それだけ日頃からビクビクとしながらガレージの塀の上から景色を観る程度の怖がり屋なのだ。猫は犬の様に道路を平気で歩けない。急いで横断するとか側溝に入って移動するという風に外敵を警戒しながら行くのが常である。臆病者で警戒心が強く、仲間の猫なら対等に応じるものの相手が自分より大きなものには警戒する。例えば車にも警戒する。あんな速く走る相手は要注意である。何時現れて轢かれるかも知れない。それで死んでしまった仲間も居る。それよりも世の中には恐ろしい相手が五万と居る。だから自分よりも大きな相手には警戒するに限る。ところが、ボクが一緒だと護ってもらえるので平気な態度で一緒に付いて廻るのである。だからボクが戻ると慌てて自分も戻る。一応辺りの景色を見回したから満足して戻るのである。それにしても道路の真ん中に立ち止まり辺りを見回す光景は日頃見かけないから珍しく写真に撮ったのだが、自分のテリトリー内に新しい家が出来たので早速情報を仕入れているのだろう。何れはその敷地の中に入って細かい情報を仕入れる事になるのだろう。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/31
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夏(46) この写真を見て7年前を想い出した。というのは先日、我が家の車の定期検診を受けたからである。いわゆる車検で、7年目になるのだ。最初の車検は新車だから3年目で、その後は2年毎に来る。この車に乗り換えた時にココは我が家にやって来たのだ。だから7歳になる。猫の1年は人間の5年ほどになるというから人間でいえば35歳の中年という訳だ。堂々として落ち着いている。最初、ガレージのこの車の前に来た頃は生後4カ月で真っ白の細長いイタチの様だった。怖々、周りを窺う様にしていたのに今ではこの辺りのボスとなって威張っている。毎日ガレージの塀の上に寝そべって道路の風景を終日眺めている。ボクが帰宅すると「やあ(お帰り)」と言う様に近づいて来て小さく「ニャア」と啼く。言葉を掛けるのは寂しかったからだろうが、そのくせ顔を見るとたちまち安心して横柄な態度になる。照れくさいのかも知れない。7年も経てばもう立派な古猫である。 7年前のココ続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/30
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夏(45) 門扉から外へ出るココ 早朝、庭に出るとココも一緒に付いて来る。ボクが家の外へ出ると必ず何処かから現れて「私も一緒にッ!」と外に出るのである。出たついでに近所の建築現場の出来具合を観に行こうと門扉を出るとココも付いて来て工事現場まで行く。行って何を観るでも無く、ボクのお供をするのが嬉しいのである。工事現場は昨年の暮から始まって、ようやく出来上がった処である。あとは門扉や塀を造る工程だけで新しい住人が引っ越して来るだけである。この現場は40年ほど空き地だった。所有者がコロコロと変わり、最終的に二世帯が一緒に住む家が出来上がった。工事期間が長かった割には張りぼての様な総二階建の家が出来、環境に今一合っていない。つまり薄っぺらい最近流行りのサイディング張りの家である。早く言えば重厚さが無いから建て売り住宅を少し大きくした様な家である。何も建て売り住宅を悪く言う積りは無いのだが、この辺りの落ち着いた風景には溶け込まない家で浮き上がって観える。それに庭が全く出来ていないから屋敷という感じがしないのもある。多分、新しい住人は引っ越しをしてからボチボチ庭づくりに専念するのだろう。だが、庭木は数年では茂らず、環境にも直ぐには溶け込まないから5年は違和感のある家だけが目立つ筈だ。どんな住人が来るのか知らないが、これまで全く近所づきあいが無かったから次第に都市化する無関心な住宅街に変貌して行くのだろう。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/29
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夏(44) 咲き始めたハマユウ(浜木綿) 夏になれば、ウォーキング中に観られる街路樹の下の花、浜木綿がある。しかし、今頃は既に咲き終わって枯れ、汚ない姿になってしまう。そこは日当たりが良過ぎて何処よりも早く咲き、駆け足で行ってしまうのだ。それに比べれば我が家の浜木綿は遅咲きである。家と木に囲まれているせいで日当たりが其処の半分程度だから今から咲き始めるのである。季節時計で、我が家なりのタイミングをもっているのであろう。季節時計と言えば我が家のサルスベリ(百日紅)も咲くのが遅く8月の下旬である。ところが前栽の地蔵横に在る百日紅だけは早い。どうも日当たりのせいだけでは無さそうである。夫々の育った環境のせいで遺伝子が違うのだろう。色も違う。早咲きは濃い紅なのに遅咲きは薄いピンクなのである。どちらかと言えばボクは薄いピンクの方が好きだ。爽やかに観えるからだ。尤もそれよりもっと爽やかに観えるのは白だろう。浜木綿の白は純白で名前の通り満開に成れば遠目に綿の様に観えるのだが、百日紅の白は爽やかさに加えて優雅さもある。多分白い花は優勢で強いのだろう。夏には白い花がことのほか似合う。それでも、白ばかりでは興が無く、矢張りピンクが在ってこそ白が引き立つのだろう。お互いの存在が夫々を引き立たせる役割をするのである。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/28
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夏(43) 「外に出ようか、それとも此処に居ようか」と迷うココ ココは気まぐれである。その場その場の状況に合わせて行動するかと想えば、何が何でも絶対にこうするのだと自分の意思を貫き通そうとする場合もある。今朝は迷っている。ボクと接触する時間が少ない最近はボクの近くに居たい気が働く様である。家人は見飽きる程毎日観ているから腹が減った時にだけ近寄って媚を売る。食べればプイと離れる。その豹変振りに家人は怒る。「その態度は何よ!」と言う訳だ。「ニャアと言うから、折角、忙しい時でもわざわざ餌をやったのに、感謝するどころか食べればもう用は無いというのはどういう事?」と言ったところでココは意に介さない。自分の気ままが生き甲斐なのだ。人の顔色を観るのは危機が迫った時だけ。危機が迫るとは、雷がゴロゴロ鳴るとか地震で揺れるとか家族が喧嘩して対立している時にどうすれば良いのかと考える時である。冬場なら白い雪の固まりが突然屋根からドサッと身に降りかかる時なぞ恐ろしい。訳の分からない危険ほど恐ろしいものは無いのだ。我々が観て笑える様な事でもココにとっては感じ方が違うのである。つまり無知で臆病という訳なのだ。猫の知能は人間の二歳程度だそうだから幼児を相手している様なものである。怒っても仕方がないのである。怒るという事は期待に反する行動をとるからで、一種の可愛がり様の裏返しなのだ。だからペットに怒るのも一瞬の事で直ぐに忘れる。そういうものなのだと悟るのである。今ココは立てていた尻尾を寝かし始めた。という事は、外に出る気が失せて此処にゴロリと横たわっていようかという前兆である。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/27
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夏(42) 尻尾を立てて窓辺に向かうココ 腹が膨れて満足するとココは次の欲求に移る。それは庭に出るか窓辺でゴロリと横になるかである。庭に出たいのは狩りをしたいからで、ゴロリと横になるのは狩りよりも一寸寛いでボクの傍に居たいのである。さて書斎に入って来たココは窓辺の網戸まで行って庭の光景を観た。何か変わった事でも無いかと確認しているのである。変わった事というのは自分の縄張りに闖入者が居ないかどうかという事の他に狩りの獲物になる何か(トカゲとかセミとか小鳥など)が居ないかという事である。兎に角、暇つぶしになればそれだけでも充分愉しいのだ。これから暑くなる日中に向かって退屈な時間を過ごさねばならないのは嫌なのだ。寒さも嫌だが暑さも嫌だ。人間でも嫌な季節、ココの様に贅沢に慣れたペットは安楽に過ごせる方法を見つけるのが生きる為の知恵なのだろう。猫はこたつで丸くなるというのは昔の話。今時のペットは常に快適な場所を探し、自分の楽しみも保持したいのだ。腹が減ればニャアと啼き甘え、狩りがしたければ窓辺でウロウロしたりドアの前で沈思黙考の無言の行を行う。誰かがドアを開けてくれるまで待つのだ。書斎に居る時はデスクに上がってパソコンの廻りを徘徊したりパソコンの上に乗ったりする。ボクに合図を送る為である。そういう風に自分の欲求を露わに出す。単純と言えば単純な生き物だが、チャンと自分の計算でそれなりに生きている処が憎い。それがペットの宿命でもあるのだろう。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/26
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夏(41) 朝飯を済ませて書斎に入って来たココ 早朝に目を覚まし部屋の明かりを点けると、部屋の片隅で眠っていたココも「やっと御主人さまも目が覚めたか」とムックリ起き上がって近づいて来た。そしてボクの脚に頭を擦りつけて来て「朝ごはんを頂戴」という合図をする。ベッドに腰掛けているボクはココの頭に指で何度か掻いてやると気持ち良さそうに目を細める。階段を降りると足元にまとわりつきながら一緒に降りるので目覚めたばかりのボクは未だフラフラしているから危なっかしく、手摺を持って降りなければならない。トイレで一番搾りを出すと次に台所でコップ一杯の水を飲む。それが一日の始まりである。昨夜の内に空になってしまったココの餌皿にスプーン二杯分のカリカリを補充してボクは書斎に向かう。雨戸を開け、未だ日の出前のようやく白みかけた庭の景色から冷気が入ってくる。日中は30度を超すのに清々しい朝である。ふと振り返ると朝ごはんを食べ終えたココが入ってくる。そのまま通り抜け、窓際のベランダに出て庭を眺めるのが彼女の一日の始まりである。今日も一日、夫々の日課が待ち構えているのだ。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/25
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夏(40) 一所懸命に餌を食べるココ 今朝は目覚めが遅かった。先週の末、クーラーのせいで寝冷えをして少しばかり体調が優れなかったから昨夜は晩酌をビールだけにして早々に寝ようとした。ところがブログを書いていると夜半になってしまい、腹も少々減ったので居間に行くと、テレビで三日目の「ジ・オープン」中継をしていた。妻もゴルフに関心があるのか日本勢が活躍していると言った。一緒に菓子パンを食べながらコーヒーを飲んでいると、タイガー・ウッズが一位に上がって来て、日本勢は10位以下で低迷しているのだった。何処まで日本勢が行けるか青木プロの軽妙な解説を聴いていると、優勝はとても無理にしても良い処まで行くのではないかという。かつて彼の全盛時代の後に日本のバブル景気が弾け、ゴルフ界は長い斜陽期間に入った。たまたまボクも体調不良もあってゴルフから10年ほど遠ざかっていたのだったが、5年ほど前に仕事仲間に勧められ月例会に出るようになった。と同時にゴルフも再び流行り出し、若手プロ・ゴルファーも増え始めた。日本のゴルフ界も変わり目に差し掛かったのだ。地球の裏側のゴルフ中継を観ていたせいもあって目覚めが8時半と遅く、ココは既に部屋には居なかった。書斎で朝飯前のブログを書いていると庭から「ニャー」と大きな声でココが呼んだ。朝飯を欲求しているのだ。腹が減っていてガツガツと与えた餌を食べ、食べ終えると窓のそばでゴロリと横になった。体調不良なぞ何処吹く風と、好きなように生きるココは夏瘦せもあって少しスリムになった。最近ボクが仕事で日中居ないから獲物を探し追いかけ廻る本来の野生の生活が合っているらしい。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/24
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夏(39) 霞んで観える「りんくうゲートタワービル」 朝、関西空港付近にある工事現場(学校)に向かう手前では必ず渋滞に出逢う。その2km程の渋滞を抜け出すのに10分は掛かる。余裕をもって家を出ているからそれも計算の内であるが、逆方向の海側を廻って現場に向かっていた頃は現場付近では渋滞は無かった。つまり海側から現場に向かうルートと山側から向かう二つのルートがあって、山側の外環状線はガラガラに空いているものの距離的に2kmほど遠い。その代わり正確に1時間半で着く。しかし、海側は途中で何度も渋滞に出逢うので2時間はかかる。急がば廻れの例えの通りである。渋滞は精神衛生上良くない。遠廻りの方が30分早く着くので外環状線を選んだのだが、最後の処で10分ほど渋滞するのはご愛敬で辛抱せざるを得ない。其処の渋滞中に海の方向を観れば遠くに超高層ビル(りんくうゲートタワービル)が観える。今日は霞んで観えるから暑くなりそうである。国際空港が出来たお陰で俄かに都会化した田舎町に大阪府の第3セクターが経済効果を目論んで659億円もの巨費を掛けて超高層ビルを建てたのだったが大方の予想通り潰れてしまって、最終的に香港に拠点を置く英領バミューダ籍の不動産投資会社「新龍国際(S I H)」グループが約30億円で買収したそうだから629億円もの大赤字(税金)を出した訳だ。役人と政治家は究極の無責任体質の人種である事を改めて感じる。関空島への有料道路をまたいでゲート状に建つ予定だったのが片方だけが建ったので名前だけが残った。何とも馬鹿馬鹿しくも不思議な風景である。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/23
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夏(38) 郊外の道 最近は仕事で車に乗る事が多くなって、できるだけ疲れない運転を心掛ける様にしている。疲れない運転とは無茶な運転をしないという事である。例えばスピードを出し過ぎるとか無理に追い越すという様な流れに逆らう運転をしないのである。若い頃はスピードに興味があって高速道路では時速140km、普通道路では時速90kmというのが常であった。今でも安全が確認出来ればスピードを出す時もあるが、大体遵法スピードを守る様にしている。それは当り前の事なのだが、遵法速度というのは一般ではノロノロ運転に見えるぐらい鈍い。だから一般には遵法速度に10kmぐらいオーバーした速度が当たり前になっている。一般道では時速60kmだが70kmは出ているのが常識で、パトカーだってそのぐらいで走っている。10km未満のスピードオーバーは警察もスムーズな流れを乱さない程度として黙認しているのだ。だからと言って遵法スピードで走ると後続車はイライラして追い越して行く。流れに乗るという事は信号の変わり目に合わせて走るという事でもあるから猛スピードを出しても直ぐに次の信号に捕まってしまう。信号は時速60kmで連動変化する様に設定されているから遅すぎたり速すぎると流れに乗れないのである。その理屈を知らない若いドライバーが追い越して行っても次の信号に捕まって信号待ちをしている。追い越しが無意味になってしまうのである。追いつかれて、まるで馬鹿に見えてしまうから恰好が悪い。欧州の高速道路(例えばドイツのアウトバーン)ではスピードは自己責任で幾ら出しても構わないから事故を起こさない限り自分の適正スピードで走っている。しかし、それを進路妨害でもしようものなら後にピタリと付けて何処までも嫌がらせをするという。後にピタリと付けられては気持ちが悪いから早々に横へ移動する。つまり進路妨害を謝罪するのである。それをしない限り、次のインターチェンジで出るまで付きまとわれ嫌な思いをしなければならない。ドイツ車は性能が良いから時速200kmは出る。時速140kmで走るなんて当たり前である。勿論、日本は無理で、スピードの出せる場所が少ない。名神や東名、その他交通量の多い高速道路では瞬間でしか出せない。ゴルフで早朝に出かける時はガラガラに空いているから時には160kmも出す時もあるが、それでも安全運転で行くなら120km程度が良いところだろう。その代わり一般道に降りれば遵法速度になる。余り早く着いても待たねばならないから、ゆっくりと風景を楽しみながら行くのである。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/22
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夏(37) 坂道から遠くの風景が観える 田舎道をウォーキングしていると高台から遠くの隣町が観えるヶ所がある。ウォーキングを始めたのが近年だから長年棲んでいながら風景が珍しく観える場所だ。これまで車ばかりで通っていた道だから車のスピードでは観えなかった風景なのである。故郷と想っていた京都の生活よりも今の場所に長く棲んでいながらこの地に詳しくないのは車ばかりの生活だったのと他所(大阪や東京)ばかりで仕事をして来たせいである。人生の仮初めの棲みかと思っていた今の家が終の棲みかになってしまって新発見をする訳である。如何に家の周りを軽く観ていたかが分かる。息子なんかは此処で生まれ育ったから故郷なのだ。先日テレビで祇園祭の中継を観ていて、もう40年近く京都を離れてしまったから故郷の祭に思えず、まるで観光客が見物する気持ちで観てしまった。「とうとう俺も故郷の京都を完全に離れてしまった」という気持ちになって寂しくなった。すると既に亡くなった友人の顔が浮かんで来たり、50年ぶりに行った同窓会での友人の老人に変わり果てた顔も想い出し、浦島太郎の気持ちになってしまった。当然ながら相手もボクの顔を見て老人になったと想った筈だ。ところが、工事現場でボクより年上に見える技術者が数人居て年齢の話をしていたので「私は幾つに見える?」と訊くと「そうねえ、同年輩か一つか二つ上かな?」と言うので「70歳だよ」と言うと皆驚いていた。何故なら相手は偶然同年齢者ばかりでボクよりも六つも若かったからだ。「何と、若いッ!70には絶対観えない」と異口同音に言い「60を過ぎると歳は分からんもんだ」と言い合っていた。ちなみにゴルフの月例会で同じ組の中年がボクのドライバーの飛距離を見て「お幾つです?70歳?へえー、70であんなに飛ばせるか!」と感心していた。ボクは中学時代に大学生に見られたぐらいだったが、中年頃から歳よりも若く見られる様になった。つまり仕事柄、若い技術者連中と接する事が多く気持ちも若いせいか雰囲気的に若く観えるのだろう。それだけに、還暦を越し、70歳に成っても自分では50代の意識でいる。服装も若者の様なスタイルのせいもあるのだろう。本当の老人に成ったらリタイアしか無いと思うと少々残念な気がする。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/21
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夏(36) 田植えから二週間、もうこんなに 何やかやと気忙しかったのでウォーキングをサボっていたら1週間ほど過ぎ、田植えが終えた田んぼの横を通ると稲が大分大きくなっていた。約2週間は経ったのだろう。ウォーキングをしようがしまいが関係なく稲は育つ。つまり自分とは関係なく世間は動いているという事だ。その間、ボクは学校の耐震改修工事の道筋をつける為に現場に通って設計担当者がミスった案件を何とか支障無くしたのだった。勿論ボクが全てを処理する訳ではなく、関係者を奮起させて仕事が軌道に乗る様に仕向けただけだが、定例会議で「心配をお掛けしましたが、問題なく工事は順調に進んでいます。今のところ工事の遅れはありません」と言うと教育委員会や教頭先生、市の担当者はホッとした顔になった。その代わりボクにきつく注意された専門業者は顔つきもしっかりして来て返事も確実な内容が言える様になった。つまり「曖昧な返事は許さない」と怒った効果が出てきた訳である。設計担当者も言葉使いが丁寧になり、やっと事の重大さに気がついたのと事が大きくならなくて済んだ事に感謝している様だ。設計担当者は国公立大学の建築学科を出ているので頭は良いのだが不遜な態度が鼻につく事があった。つまり世間を少しは知った訳だ。ボクも若い頃はそうだった。知識や腕に自信があるというだけで不遜な態度が身体からにじみ出ていたのだ。大学を卒業して47年も経つと技術的な自信だけでは渡れない事を知る様になり幾ら正しくとも理屈だけでは人は動かない事が分かる様になるのだ。つまり人を動かすには理屈と情をからめた客観性が必要になる。組織を理屈だけで動かせると思うのは不遜である。傲慢でもある。組織は人で成り立っていて、人は感情の動物でもあるので心に訴えるものが無ければ本当に真意は伝わらないものなのだ。真意が伝わらないと本当に理解した事にはならない。自分の立場を理解させ役割を自覚させるには簡単な例えで説明するのが早道である。難しい事は簡単に、簡単な事は難しく言えば人は案外理解するものである。ところが、世間は逆で、政治家がそうだ。人を騙そうとするから余計な知恵が働く。人は本能的にそれを察知するから逆効果でしか無い。騙しおおせたと思って安心しても結果的に逆の事をすれば先の民主党の政権の様に瓦解してしまう。次の参議院選挙では大敗するだろう。一方の自民党も安穏と構えてはいられない。何故なら民主党の失敗は自民党の不遜と不実性にあったからだ。下手をすると圧勝どころか現状維持すら危ない。国民は騙される事にコリゴリだから安全と思える党を物色する。少しはましな党は何処かと慎重になるのだ。そういう事を何度も繰り返しながら中学生程度だった国民の政治性は高校生程度に成熟して行くのだ。未だまだ成熟した政治性は望めない。半分はメクラだからだ。せめてそのメクラの半分でも目覚めてくれれば日本の政治も少しは大人になって目先の事ばかりを追わずに10年先、20年先を見る様に成るだろう。田んぼの稲の様に日に日に育って行くのだ。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/20
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夏(35) 狭い道 ウォーキングをしていて何時も同じ事を考えるのは車の通る道を歩く時は、絶えず危険が伴うという事である。つまり、車の通らない道を選ばねば落ち着いて歩けないほど車が多く通るのである。歩行者用の道路は広い道では歩道がある。山道には当然車は走らない。そういう処ばかり選んでいるのだが、ルートの途中で道が変わる処ではどうしても車の通る道を横断したり端を歩いたりしなければならない。それは田舎道だから車と人との区分ができない幅の狭い道が多いから仕方がない事でもある。それに敢えて抜け道や近道を選んで車が通る。少しでも時間を稼ぎたいのか近道には必ず車が混んでいる。「通るな」とは言えないから歩行者は危険を感じながら車の通過を待って通り過ぎを確認してから遠慮気味に通る事になる。人がいれば慎重なドライバーは徐行するが、無謀な連中は行く手をふさぐ様に急に歩行者の前で止まったりする。止まるだろうと思っていても止まらず来る時は怖い。そういう時はドライバーの顔を見る。ドライバーは見られているのを知って目を反らせる。何故なら心の中では自分の事しか考えていず歩行者が邪魔だという表情が出ているのを読まれるからだ。車同士のすれ違いなぞあれば歩行者は道路端の安全な空間を探して逃げなければならない。何も歩行者が優先と威張る訳では無いが車の方が強いから道義上の理屈で勝った処で轢かれてしまえば終わだから止むを得ず車に遠慮する形になる。それを勘違いしてドライバーが我が物顔で通り過ぎるのである。ボクは毎日ドライバーにも歩行者にも成るからお互いの立場が分かる。それだけにドライバーの時は歩行者や自転車、バイクには慎重になる。時には待ってくれた歩行者に手を挙げて礼を示す。それが常識と思っているからだ。しかし横柄なドライバーが多過ぎる。日本の社会は未だまだ成熟していない事が分かる。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/19
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夏(34) 梅雨明けの真夏の太陽 突然、梅雨が明け、カンカン照りの太陽が現れたのが1週間前だった。薄暗く生温かでメジメと湿度の高い気候が急に太陽の季節になり、容赦なく現場事務所を熱し、クーラーが無ければ仕事にならない季節になった訳だ。毎年祇園祭の頃が梅雨明けで、馬の背を分ける激しい夕立が来るのがこの季節の特徴だ。が、今年は梅雨の期間が短く夏が早く来た気がする。ところで、先日、現場事務所の自転車を借りて10分程先の駅前にあるポストへ郵便物を出しに行った処、帰途、ポツリと大粒の雨が降り始めた。急いで戻ろうとしたが、事務所へ着くまでのわずか数分でずぶ濡れになってしまった。走りながらまるでシャワーを浴びてしまった訳だ。2階にある監理事務所で裸になり着替えてサッパリとし、窓から風景を眺めていると暫くして雨は上がった。期末試験で誰もいない放課後のグランドは、砂埃だらけだったのが雨で収まり暑さも和らいでいた。これならあわてて戻らずに何処かで雨宿りをしていれれば良かった。尤も、ずぶ濡れになっても気持ちは悪くなかった。それに作業着を自分で洗った事なぞ無かったのが之も何かの経験だと化粧石鹸で洗ってハンガーで干す経験もした。そう言えば学生時代の事だが、キャンプをした時に下着を洗濯した事があった。しかし、不慣れで力を入れすぎて破ってしまった。ふとそんな事を想い出し、少々の事では破れない作業服を見て笑った。帰宅してから妻にそれを言うと、珍しい事を聴いたせいか愉しそうに笑っていた。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/18
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夏(33) 並木道が続く竹内(タケノウチ)街道 西日を背にしてドライブするのは良いものである。景色が綺麗に見渡せ、逆光にならず眩しく無いからだ。しかし、この竹内街道の峠を夕方気持ちよく東へ向かって登って行き、途中で聖徳太子由来の村に差し掛かって竹内街道から外れると其処から20分ほど先の自宅付近でルートが西向きにカーブする。突然、山間から西日が水平に目に入って来てで眩しくなる。だからボクは何時も日除け帽を被っている。太陽光線の目くらましを避ける為だ。そもそも関空(関西空港)から自宅へは30度の角度で北東へ向かって50kmほどあるから西日は左側か後に受けるだけである。それなのに自宅付近で西向きになるのだ。其処はウォーキングで通る溜め池付近で池の周りを大きくカーブしている。竹内街道までの道中は殆ど北東に向かっていたのが急に西に向くから変な気持になる。山国である奈良に入れば道は山裾を左右にカーブする。奈良は川が少なく溜め池が多い。聖徳太子が作ったとされる池も多い。つまり飛鳥時代から農作に水が不足していたという事だ。竹内街道はそういう時代につくられ、当時の世界(アジア)への窓口であった浪速(大阪)の港に通じていたのだ。1400年もの長い歴史をもつ街道を走りながら聖徳太子空想説(聖徳太子が実在した証拠が皆無で伝承しか無く、天下人だった藤原不比等や長屋王らの謀略とされる説が有力)であり、歴史とは権力者の作文であるというのが常識になりつつある時代、それでも我々は残された歴史的現物(寺院や街道や石碑)を観てロマンを感じるのは仕方のない事なのだろう。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/17
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夏(32) 竹内(たけのうち)街道 日頃何気なく通りながら両側の綺麗な並木が気に入っていた程度の道だったから「へえ、是があの有名なタケノウチ街道だったのか」と独り言を言ってしまった。結婚してから奈良に棲む様になって40年近くなるのに名前を知らないまま長年通っていたのだ。道端の幟を観て1400年の古さを知ったとは迂闊だった。奈良を仮の棲家と考え土地の歴史なぞ余り興味が無かったのに何時の間にか第二の故郷になってしまった。そろそろ京都から卒業しなければならない頃だ。最近では京都も遠くなってしまい祇園祭も余所事になってしまった。さて、この道の県境の峠のピークには二上山の登り口があって、其処からは二上山が低く観える。大阪や奈良からラクダの背の様に観えるツイン・ピークスをランドマークに観立て古代の人々は東西に真っすぐ延びるタケノウチ街道を通っていたのだ。今の時代では僅か二車線の道だが当時は広い道だったのだ。古代の道は大八車や牛車が通れれば広い道だった。だから人が通る普通の道は狭く、半間(90cm)か一間(180cm)が通り相場で二車線と両側に歩道が付いた大通りは都大路並みの大路であったのだ。狭い国土の山国日本ではそれが当たり前で、広大な国土の国では土地は只の様なものだからだだっ広い道が延々と続くのが当たり前だ。現代の世界感覚で過去を見れば見誤るというものだ。国によっても風土によっても違う。大阪のメインストリートである御堂筋が大正時代に全長4km、幅員約50mへと拡幅された時、人々は飛行場でも作るのかと想ったそうだ。今でこそ車がギッシリと走っているが、50m幅や100m幅の道路は幹線道路としては常識になってしまった。(つづく)続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/16
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夏(31) 大阪側からの二上山が観える風景 よく通る道の一つに竹内(たけのうち)街道というのがある。二上山の裾を通り大阪と奈良を繋ぐ古くからの街道である。二車線だが、なかなか趣のある道で並木が綺麗である。ふと、道端の幟を観ると「竹内街道1400年記念祭」とあった。それで西暦615年(和暦推古23年)に日本初の女帝の時代に出来た国道である事を知った。帰宅してネットで調べてみると「大阪府と奈良県を東西に結ぶ竹内街道・横大路(よこおおじ)は、日本書紀の推古天皇21年(613年)の条に「難波(なにわ)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記され日本最古の官道である。「大道」が敷設されてから、平成25年(2013年)で1400年の節目を迎えるので是を契機に府県を越えて沿道市町村、企業・大学・地域(民間)と連携しながら周辺地域の魅力を再発掘し、街道の魅力を高め、地域活性化等に繋げるため「竹内街道・横大路 難波から飛鳥へ日本最古の官道大道1400年首長サミットが秋に開催される事となった」とあった。実に古い道なのだ。全ての道はローマに通ずと言われる様に歴代の権力者は都への道づくりに励む。関東には「鎌倉街道」と言われる鎌倉幕府へ通じる道が今も残っていて、関西では高野山へ通じる高野(こうや)街道が今も残っている。道は国づくりの基本である。それが高速道路になったり鉄道になったりして時代をリードして行くのだ。(つづく)続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/15
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夏(30) 放課後の校内風景 ひとまず熱中症の心配はなくなって放課後、多くの生徒はシートで覆われて暗くなった鬱陶しい教室から逃れるように下校して行く。対照的にグランドに居るクラブ活動の生徒は暑い中を元気に走り回っていて元気である。建設作業員は教室に設置した工事用扇風機と移動クーラーの様子を見回り監督に報告する。ひとまず熱中症対策は効を奏した様で校長・教頭両先生の慌ただしい動きも無くなった。学校からの苦情は早急に解決しなければならない重要案件だが、監理者側にとっては寧ろこれからの工事の施工計画書のチェックが重要なのだ。それをしなければ工事が進まないからだ。大体どこの工事現場もそうだが、書類は遅れがちに廻って来る。熱中症対策も終えた事だし早く書類を出すようにと発破をかけると数日して何とかボチボチと書類が廻って来る様になった。工事監督の下には助手が数名居るから遅くまで掛って(ひょっとして徹夜をしたのかも知れないが)書類を作ったのだろう。それを全部細かく読んで手直しヵ所に付箋を付けて戻すのが当面のボクの仕事だ。時間が掛っても役所に廻る前のチェックは大事で、それをぬかると役所担当者が嫌な顔をする。施工業者は書類よりも現場の仕事を優先させたいだろうが公共工事のシステム上そうは行かないのである。工事の出来高査定や折々の立ち会いや検査も大事だが、その元になる工事計画書や受け入れ検査関係の書類は学校の生徒にとっての教科書や宿題の様なものである。省略する訳には行かないのだ。ふと今年も暑い夏場の現場仕事をしながら、あと何年この仕事が続けられるだろうかと考えてみた。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/14
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夏(29) 応急処置としての扇風機とクーラー設置 定例会議後、関係者一同が問題の教室へ行くと確かに4階の南教室は蒸し風呂の様に暑かった。南教室4階の三部屋分の生徒たちは机を直下の3階の空いた教室へ運ぶ引っ越しをしている最中だった。その3階の教室も暑かったが未だ4階よりはましだった。其処へ現場用扇風機を持ち込んで暫く様子を見た。扇風機の音は「強」の次の「中」にすれば心配したほどには大きくは無く「弱」の微風では静かだが効果は余り感じられなかった。更に足場に張ったネット・シートをめくらせてみると少しは気分的に風が窓から入って来る様だった。それでも校長・教頭両先生は心配そうな顔をしている。それを観てゼネコンの監督は近所のホームセンターで見つけた移動式のクーラーを運ばせ効果を見た。すると教室は何とか涼しくなった。効果があったのだ。監督はとりあえず13教室分の扇風機と移動式クーラーをホームセンターに手配した。余分な経費が掛るが、生徒が熱中症になって倒れでもすれば工事どころでは無くなると心配し、学校側は生徒の父兄からの苦情を気にしているのが感じられ、お互いに立場立場で夫々の願望が顔に出ていた。市の担当者とボクは唯眺めているだけで判断は学校側に任せた。結論が出ないまま夕方5時に成ったので市の担当とボクは引き上げ、後日、再度学校側の判断を訊く事にした。夏休みまであと1週間の作戦である。(つづく)続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/13
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夏(28) 夏休み直前の校庭 耐震改修工事が始まり出しても夏休みが本格的に始るまでは大きな騒音が出せないから準備作業に終始している。授業の妨害になるからだ。「国民は皆平等に教育を受ける権利を有する」と憲法に謳われている以前の問題だけに、建設関係者は学校側に必要以上に神経を使う。授業が正常に行われて当たり前の処に仮設の塀や足場などが出来て行くにつれ生徒は興味をもってそちらの方に目が行く。音がしない限り、それは妨害にはならないが、囲い込みのようにシート(ネットと防音の二種類がある)が張られると威圧感があり、教室は暗くなる。更には空調機の無い教室が殆どだから蒸し暑くなる。文科省は全国の義務教育の環境に配慮している割には予算の関係で空調機が設置されている教室はコンピュータ室とか理科室、音楽室、教員室などに限られ、その他は扇風機があるだけである。シートで囲われていると風が外から入らないから夏場は蒸し風呂状態になる。更には4階建て棟の最上階は屋上の床が太陽で熱せられ輻射熱が直下の天井に籠る為に断熱材があっても南側に面した教室は窓からの日差しも手伝って暑くなり授業にならないのだ。定例工程会議で学校側から生徒が熱中症に掛りそうで何とかならいものかと注文が出たのは当然の事だった。そこでゼネコンの監督は「現場用の大型扇風機を設置しましょうか」と提案したが「扇風機の騒音が気になる」という事で、先ず試験的に設置してから判断しようという事になった。校長・教頭両先生の先導でゼネコンの監督と職員が扇風機を持って教室へ同行し役所担当と監理者(ボク)が立ち会った。(つづく)続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/12
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夏(27) 工事現場近くの駅風景 殆ど車で工事現場へ通っているが、極たまに電車で行く事もある。電車の場合は私鉄で一旦大阪市内へ出てJR線のターミナル駅で乗り換えて関空近くの山側へ向かうから時間が掛る。しかし、電車の場合は走っているスピードが違うから乗ってしまえば早い。つまりジョイントの待ち時間とか駅から工事現場までの歩く時間に時間が掛るだけで走っている時間は車の場合よりも格段に速く周囲に注意を払わなくて良い分、気分的に楽である。だから車に乗るのが億劫な時とか大阪の事務所で打ち合わせがある場合は電車にするのである。電車に乗るのは公私ともに最近では月に一度程度に成ってしまったから街の雑踏の空気を忘れない為にもギリギリのタイミングで行く訳である。しかし街中は大都市特有の人、人、人ばかりなのに工事現場は田舎にある場合が多く、実にのんびり閑散としている。それでも乗客は田舎から都会方面へ向かったりその逆であるから都会の空気に触れた人々だけにボクの様に月に一度程度の乗客と違って乗りなれた雰囲気を持っている。学生なんかは主に高校生が多いせいか未だ子供子供していて楽しそうである。ガラガラに空いた田舎の駅から都会に近付くにつれて乗客が増えて行き、ターミナルに着けば雑踏に飲み込まれ、都会の雰囲気に触れながら世間の空気の勘を取り戻すのである。車ばかりだと唯我独尊の空気になりがちだから世間とずれた感覚に居ても分からないのだ。ところで、生涯現役で行きたいと想っていても工事現場での監理業務は矢張り体力的にきついから精々あと数年が限界だろう。デスクワークなら死ぬまで出来るだろうが、そろそろリタイヤして旅行や趣味に専念するのも人生の別の楽しみ方の新たな発見があるかも知れない。ふとそんな事を想ったりする。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/11
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夏(26) 2年ぶりに観る風景 工事現場(学校)へ行くルートで泉北ニュータウンの中をよく通る。そこには車専用の広い道があるからだが、大阪府下の何本かあるルートの中でも比較的近道なのだ。しかし、誰もがそこを通るから朝夕はラッシュになる。道程は精々50km程度を行くだけなのにラッシュ時は2時間近く掛る。日中の空いている時では30分から40分は短縮できるから遠回りでも空いている外環状線を走れば早く着けるかも知れない。そうと想いながらも慣れた道を通ってしまう。ラッシュでイライラするのは精神的に良くないので時間的余裕を観て走っているものの、つい早く着きたいという気が起きてしまうのである。若い頃はスピードをを出しすぎてよく違反(反則)金を支払ったものだったが、中年以降はそういう事は無くなり今や立派な優良ドライバーの表彰を受け車にも優良運転者マークを取り付けている。いい歳をしてスピード違反なぞみっともないからゆっくり走るのだが、流れに乗っていると直ぐに時速80kmから90kmにも上がってしまう。そこを自己規制してスピードを落とすと周りの車もネズミ捕りでもしているのかと警戒して同じ様にスピード・ダウンするから優良ドライバーとしての役割を担っている様なものである。さて、ラッシュ時に風景を眺めていると2年前に通った泉北ニュータウンの風景が再び面白く感じられカメラを取り出して撮ってみた。何が面白いのか考えてみるに、多分、高層住宅群や高圧送電鉄塔や高速道路、電車の高架などが自分の住んでいる住宅団地と全く違う雰囲気を醸し出しているせいだろう。ボクは高層住宅は苦手で住む気に成れないのだが、単身赴任で新宿新都心の超高層ビルにある会社に通勤していた頃は毎日が嫌な気分で落ち着かなかった。中でも地震に遭った時なぞは30分ほど大型船に乗っている様な揺れを感じて、もしこれが住宅だったら絶対に引っ越しをしていただろうと想ったものだった。先の東北大震災の時には東京も良く揺れたそうで、ああ、サラリーマンを辞めていて良かったと想った。そういう事も連想しながら別世界を観る気分で眺めているのだろう。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/10
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夏(25) 工事現場の監理者事務所風景 学校の耐震改修工事が始まりだし、現場事務所も数日遅れながら何とか内装工事も終わり備品も揃った。備品の中で一番大事なのはPCで、次にコピー機・ファックス・電話などの電子機器類である。ボクが若かった頃は備品なぞロクに揃わずクーラーなぞも無く、在るのは電話程度だった。当然ながら携帯電話も無く、大阪花博(1990年)頃にやっと大型バッテリーをショルダー式にしたのが現れた程度だった。そんな重いものでも現場では重宝したものだ。勿論その頃はPCなぞ現場には無く、構造計算用のPCが設計事務所に在る程度で、個人にPCが普及したのは1995年頃からだった。ボクでさえ仕事でPCには触れていたが自宅で使いだして未だ20年程度にしかならない。それでもブログを始めたのは自分が住んでいる住宅団地では一番だった。ウェブ;World Wide Web(ワールド ワイド ウェブ、略名; WWW。クモの巣の様に張り巡らされたネットを指す言葉)とロガリズム(言葉)とを合成したブログという言葉すら無く、HP(ホームページ)という言葉で代用していた。メールはそれよりも少し前から流行り出したから名刺には自分のメール・アドレスを書くのが普通になった。今では選挙運動にネット通信が解禁になったからほんの20年ばかりの間に世の中も随分変わったものである。但し、自宅では光通信を使っているからスピードが速いのが当たり前の様に使っているのに工事現場には光ケーブルが来ていない田舎のせいかNTT電話回線なので随分通信速度が遅い。イライラしてしまう。未だ全国に光通信網が完備するには数年を要する様だ。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/09
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夏(24) 朝露に濡れたアガパンサス 夏の花として我が家では毎年数種が咲く中で、このアガパンサスが最初に咲くから愈々梅雨も明けそうで夏本番に近付いた事が分かる。長い首をもたげて太陽の方向に蕾を向ける風景は鳥の頭のように観える。その小さな頭の様な蕾が開くと多くのユリの様な花弁が伸びる。そしてボール状に広がって一つの花のように成るのである。紫かかった青の清楚な花である。清楚と言えば真っ白な花を咲かせるハマユウも夏の花だが、我が家では夏の終わり頃に咲くから、これからの楽しみである。毎年の事ながら今年も暑い夏が2カ月ほど続く事になり体力を温存しておかないと夏バテに成る。ゴルフに誘われているのが少々面倒だが、どうせなら大いに汗をかいて真夏の太陽の下で運動すれば高齢でも何とか健康体で居られるかも知れない。たまには仲間との付き合いで月例会にでも出なければと朝の空を見上げてみた。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/08
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夏(23) 高圧送電鉄塔のある風景 耐震改修工事の現場(学校)のグランド横に高圧送電鉄塔が見える。世間でよく言われる電磁波障害が心配される風景である。グランド横にあるから学校には直接影響は無いのかも知れないが、その真下にある住宅は多少なりとも影響はあるだろう。ひょっとするとその辺りは安かったのかも知れない。それを覚悟で購入した人は納得づくで買ったのだろうが、ボクなんか電磁波の影響を受けたくない人間だから携帯電話でも嫌な気がする。だから、そういう場所は決して買わない。しかし、そんな心配なぞしていられない人も居るから人それぞれである。だから何だと言われれば何とも応えようが無いが、複雑な気持ちで工事現場の監理事務所の窓から眺めていた。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/07
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夏(22) 工事が始まる直前の校舎 耐震改修工事が始まりだした。定例工程会議が毎週開催され、監理者であるボクが議事を司会運営する立場なので毎回20名ほどの工事関係者(教育委員会・役所担当者・設備監理技術者・工事監督・その他技術者)と協議する訳だが、何時も同じ様な内容を行っている割には個人差があるせいか発言が明瞭で無い人物が必ず現れるのは不思議な気がする。仕事なのだから素人で無い以上、自信をもって責任ある話の内容を言うだけの事なのに言えないのである。ボクの性分からその都度訊き直して不明な点を正す訳だが、何かボクが詰問している様で何とかもっと円満に会議が行かないものかと考えてしまう。時には冗談を言ったり時事問題をからませて話の内容を簡単に噛み砕いて説明するのだ。具体的には既存建物を耐震補強すると共に古い部分を新しくして行くのだから現在の建物の強度を調べ、各部を採寸しなければならない。何故なら必ずしも設計図面通りに出来上がっていない場合が多々あるからだ。たとえば建物の柱や壁が数cm誤差があるのは当たり前で、酷い時には150mmも喰い違う事がある。配管・配線も設計図通りには入っていないのもよくある。それらに依って工事の内容が変わったり設計のやり直しも生じる。そうなれば当然ながら工事費も工事期間も変わって来る。役所にとっても工事請負業者にとっても頭の痛い事である。それを何とか同じ工事費・工事期間内で収まらないかと各自が知恵を出す事になる。今回も一部の建物に齟齬が出たので急いで設計の見直しが迫られている。原因は設計に取り掛かる前の調査ミスである。専門業者と設計担当者の見落としがあった訳で、そのまま元の設計図を頼りに設計が進んでしまったのだ。設計に関する事なので設計・監理の立場からすれば自分の部下の責任を追及する事になるが、今はそれよりも前に一日でも早く是正させねばならない。構造計算の見直しと構造判定委員会のOKを取るのに下手をすれば2週間は掛る。しかし大方の結果は見えているので工事を進めながらの修正をする事にしたのだが、ボクとしては何故あんなに冷静で頭の良い設計担当者が簡単な調査ミスをしたのか理解に苦しむ処だ。頭の痛い事である。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/06
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夏(21) 田植えが終わって数日で、もう雑草が生え出した やっと田植えが終わったと思っていたら、1週間もしない内に雑草が生え出している。栄養豊富な田んぼだから植物が成長するのは当然なのだろうが、肝心の稲はボチボチの成長である。しかし、ひ弱な苗だったのがシャンと立っているから、もうひと月もすれば青々とした田んぼ風景に成るのだろう。そうなると除草作業で忙しくなる。農家によっては鴨を放し飼いにして除草する処もある。一石二鳥の方法である。過去、ウォーキングの度に稲穂が成長する様を何度も観て来たが、真夏の太陽の下勢いよく茂っているのを観ると自分の事の様にホッとする。これで米が獲れる道筋に乗ったのを確認できるからだ。しかし、この辺りの田んぼは自家用の米づくりに過ぎないから広大な田園風景の印象とは違って単なる植物の成長を眺める程度のものだ。ゴルフで他府県の田舎に行くと広大な田園風景が観られ青々と茂った稲穂が農業国日本を意識させてくれる。矢張り物づくりの原点は農業である。それが転じて生活用品から工業製品や精密機器類にまで及ぶ。ハイテクは頭脳と手先の器用さの結晶である。世界に伸して行くには其処に創意工夫が入る。真似ごとでは駄目だ。決して一流には成れない。何処かの国は真似が国民性だとうそぶいている。が、そういう奴隷根性やドロボー根性では世界から軽く観られ独自の文化は育たない。やがては巨大な二流国として先端技術国日本の後塵を拝するバナナの叩き売り商法で生きて行くしか無いだろう。そんな国の宣伝に乗せられないで自信と誇りをもってサムライ精神で世界をリードすべきなのに、最近の政府は失敗した原発技術を他国へ売り込もうとしている。高い金でアメリカから押しつけられた原発技術を「元を取り返すのだ」とばかりに首相が率先してセールスマンをする哀れな姿を観て国民は複雑な気持ちでいる。自分の意思でしているのか電力財界の圧力でやらされているのか分からないが、まるでヤケクソ(狂気の沙汰)の様な動きである。福島の失敗とその後の放置を観れば誰もが感じている事なのに「フクシマの教訓から高度な技術を売る」と下手なコピーで売ろうとしている。「政治とは理想を願いつつ現実に対処する方策」だとしても間違った対処方法では元も子も無くしてしまう。基本に戻って「人間本来の幸せとは何か」を考えれば「今の人間の力では制御できない原子力技術」を取り扱うには危険すぎる。「自分の代は大丈夫」と想っても「次代に禍根を残す」事が分かっているだけに恐ろしいのである。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/05
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夏(20) ウォーキング中、何故か気になる風景 ウォーキング途中に何時も観ていながら好きになれない風景がある。それは丘の上に建つ住宅団地に隣接する墓地である。勿論、墓地が先に在った処に開発が進んで住宅団地が出来ただけの事で、何も珍しくもない有り触れた風景である。大都会周辺の村にある閑散としていた墓地も騒がしくなったものである。これでは落ち着いて永眠もしていられないのではないだろうか。その内にゾンビが現れて来るかも知れない。尤も、近年は火葬になっているから埋葬された明治・大正・昭和の頃の遺体は古くて土にかえっているだろうから骸骨の幽霊が現れる事になるのだろう。冗談はさておき何れこの墓地も何処かもっと静かな山へ引っ越しをし、跡には住宅かショッピングセンターでも建つ事になるのだろう。そう言えば、京都の繁華街の新京極に隣接する寺町は名前の通り寺院や仏具屋が建ち並んでいた処なのだが、今でもビルから見下ろせば裏側には墓地がひしめき合っている。それを観て子供時分は驚いたものだったが、考えてみれば繁華街というものは人の集まり易い場所で、其処は下町であって朝市が立ち並んだり芝居小屋が立った場所であった訳だ。河原の場合は税金がかからない場所だから露天商や物見的なものが自然発生的に出来た。例えば、寺町の近くの四条河原には南座や北座の芝居小屋ができ歌舞伎が演じられた。あの有名な出雲のお国が始めたとされる歌舞音曲も四条河原からデビューしたとされる。そういう人の集まる場所ならこういう風景は見られなかっただろうが、時代は住宅団地という地域をつくりスプロール化で都市が巨大化して行く。だから全体的に観れば野放図な荒涼とした都会風景に変貌して行く事になる。事実、日本全国こういう風景が見られる様になった。だからなのか其処には文化なるものが未だ出来ず目に馴染まないから違和感を感じさせるのだろう。日本の美しい風景も世界遺産に登録される以外の場所は目まぐるしく変貌して行くのだろう。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/04
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夏(19) 黒瓦が白く観える風景 ウォーキングの帰途、自宅の近所の見慣れた風景を観ると黒瓦が白く反射しているのに気がついた。既成概念では黒瓦は黒いものだと思い込んでいたから珍しく想えた。単なる光の反射効果に過ぎないのに見慣れた風景が違って観える。こういう事はよくある事だ。たまたま撮った写真をPCで観て想い出したのは、通過した車がガラスに黒いフィルムを貼っていてた事だった。是は光の透過を調節して内部を観難くして一種の目くらましをしているのだ。他人の顔は見えても自分の顔は見られたくないとする最近の風潮を物語る光景である。それは一種の自己防衛なのだろうが、マイナーな防衛方法と言うか根暗な方法に想え、何か良からぬ事を考える人間が考えそうな方法に想えた。ボクは自分の車に黒いフィルムを貼る様な事はしない。最近の車はフロントガラスの上部に色が付いていて太陽光線を和らげる様にしてあるから必要も無いのだ。それに他人の目を意識して見られない様に気を使うやましさも無い。威張る事は無いが堂々と生きれば良いのだ。そう言えば省エネ効果を狙って書斎の窓ガラスに黒いフィルムを貼った事があった。が、貼り終えてから暗すぎるのと夜は内部で反射して異様な雰囲気に成るのと家人も違和感を訴えたので直ぐに剥がして納屋に仕舞い込んだ。今は日除けテントを設けているから庭の風景が観えながら日差しを加減出来る。光の扱い方にも様々あるものである。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/03
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夏(18) 水かさを増した用水路の流れ 空梅雨と思われたのが一転して集中豪雨が頻発している。バケツをひっくり返したような雨と例えられるぐらいの雨量では土砂崩れも発生するだろう。郊外の住宅地では用水路の流れで多量の雨水排水が観られる。雨上がりにウォーキングをしていると日頃はチョロチョロとしか流れていない用水路から大きな水音がする。覗いてみると綺麗な水が勢いよく流れていた。しかし昔、子供時分に京都市内を流れる疎水(琵琶湖から発電用に曳いた水路)で観た水の流れとは比較にならない水量で驚くほどのものでは無い。疎水の流れはもっと凄く、深くて水の色も深い緑色をしていたものだったから、それこそ今にも飲みこまれそうな怖さがあった。用水路の白く泡立つ流れは溜池のオーバーフロー分が流れているだけだから余分の水である。しかし、見方を変えれば勿体ない水である。この流れの末は葛城川や吉野川へ合流するのだろうが、其処では大量の水で護岸工事をした箇所が痛めつけられている事だろう。奈良県の南部は雨が降ると大抵は豪雨で水害が発生し易い地域である。その代わり吉野杉がよく育つ。台風の被害で折角の植林も流され山崩れも多発する。最近では安い外材に圧されて内地材は低迷している。大変だろうなと考えながら恵みの水も多過ぎると厄介な代物に見えて来て複雑な気持ちになる。何とか水を貯める一工夫をしたいものである。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/02
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夏(17) PCに乗って「外へ出して頂戴」とポーズするココ ココの習性というか癖は簡単には変わらない。兎に角、我が強いというか自己主張を何らかの態度で示すのである。PCの上に乗るのはボクがデスクに居る時の「外へ出して頂戴」のポーズであり、台所では作業をしている妻に「何か旨いものでも頂戴」と頭をこすりつけて来るか「早く外に出して頂戴」とドアの前でジッとドアに向かって無言の行を行うかである。「ニャア」と啼けば良いものを黙ってポーズをとるから妻は意味が分からない振りをして「ココちゃん、どうしたの?」と意地悪をして焦らせる。そうするとイライラしたココは妻の嫌う次の行動をとる。それは流し台横の配膳台代わりにしている出窓にピョンと飛び上がるのである。「其処は食べ物を置く処ヨ、ダメ!」と妻が注意してから、ようやくドアが開けられる。詰まりココは目的を達成するのである。猫の方が人間より賢いのかも知れない。続「猫と女と」(04) 子供の心配をしている自分を意識しているせいか、かつての母との別れを思い出し、自分がどれ程親子の情愛に飢えていたかを想い出した。それは当然すぎる程当然の人間の基本的な心情だ。しかし、そんな情に溺れる人間を半ば軽蔑している自分も知っているのだった。それは親の姿を観て覚えた一つの生き方でもあった。子供の事なぞよりも自分を優先する事しか考えない両親に愛想を尽かし両親を憎み、復讐さえしたいと考えた事もあった。早く金を貯めて人並み以上の生活が出来るように成った時点で両親を見返してやりたかった。そればかりを考えて我武者羅に働き、サラリーマン生活ではあったが脇目も振らず仲間との付き合いも極力抑え金を貯めた。金が全てを支配する世の中を嫌というほど子供時分から観てきた結果が平気でそれをさせるのだった。結婚相手も普通の恋愛で選ぶものでは無いと考えていた。友人の紹介で知った相手を自分なりの基準で測って平均点以上であれば誰でも良かった。その基準は自分の生活レベルよりも上であり、当然ながら裕福な家庭の子女であれば良かった。 尤も、商売人は嫌だった。自分の親を観て商売の浮き沈みを知っていたのと、自分には商売人は向いていないのを知っていたからだ。それに公務員の家庭は論外だった。公務員特有の几帳面な性格である事は構わないものの、質素過ぎる生活を身体から匂わせる雰囲気がどうしても我慢出来ないのだった。それは自分の育った家庭の経済的にも教育的にも奔放な環境に起因しているのは明白だったし、今更ながら親を恨んだところで、生まれ育って此の方、身体に染み込んだ習慣はどうしても抜け切らないのだった。やがて30歳になった頃、飲み仲間の一人が紹介してくれた女性とデイトを重ねる様になった。育ちの良い芸術に造詣の深い女性だった。彼女なら結婚しても良いという気に成ったのは三回目のデートで大凡の人間性が分かりかけて来た頃だった。彼女も二十代の後半で結婚なぞ縁がなければしなくても良いという開き直った面を持っていて、その余裕とでも言うか物腰の落ち着いた処が気に入ったのだった。ある意味それが母親に似た面であり後年それが鼻に付く事に成るなぞ考えもしなかった。 何時もの様な寝顔でぐっすり寝込んでいる麗の寝顔を見て、この分なら大丈夫と判断し、麗を抱き上げ病院を出、一緒に女のマンションまでタクシーで帰った。当然ながら今夜は泊りになるだろう。そうでもしないと舞子も女も納得しないと考えた。最近、仕事に没頭して疎遠にしていたのを弁明する為にもそうしないと気まずい雰囲気もあった。それに女が最近めっきり老けて来たのも気にかかった。10年前の妖艶さが消え、単なる麗の祖母としか見えなくなっていた。女もそれを自覚しているのか、それとも娘の手前もあって私に色目を使う事も無くなっていたのだろう。ところが実際は別に原因があるのをマンションに着いてから知った。ひと風呂浴び終えてビールを飲んでいると女が横に座ってポツリと言った。「デザイン事務所が潰れたワ」その一言が彼女の老いやつれた原因の全てである事を物語っていた。「何時?」「先々月」「電話でもあったの?」「ええ、お金を貸してくれって言うから、キッパリと断ったの」「ふむ、それで?」「社員の給料が支払えないと言うから、仮に私が僅かばかり貸したところで焼け石に水でしょうし、先が見えない状態では断るしか無かったワ」 「不景気で仕事が無いのだろうな・・・」と言いながら、それが二か月前の事と言えば大型プロジェクト工事が終って監理報告書の整理で忙しくしていた頃だったのを想い返し、デザイン事務所の所長は今頃何をしているのだろうかと想像してみた。女に電話を掛けて来るぐらいだから焦って片っぱしから思いつく相手先を廻って金策に奔走していたのだろうが、不思議な事に私の事務所には何の連絡も無かった。尤も無くて幸いだった。伝言のメモすら無かったから電話も無かったのだろう。女は元夫と連絡の取り合いをしていた位だから女は私と彼とを両天秤に掛け良い処取りしていたのだろう。その間、私に娘を宛がい、自分はヤリテ婆さながら両方から金をせびっていた訳だ。私にはそれを咎める資格は無い。私自身も彼女と不倫をしていたのだ。どちらもどちらだ。舞子にとってデザイン事務所の所長は父親だけに私には父親の苦境を知っても言い出せなかったのだろう。負けん気の強い男だけに私には金の事を言い出せなかったのかも知れない。そういう男なのだ。 娘の幸せを願うなら詰まらぬ事で味噌を突きたくないだろう。かつてマンハッタンのセントラルパーク横に高級マンションを持っていたというプライドがそれを許さないのだろう。私と同世代の男が王様から乞食に転落して、この先どうやって生きて行くと言うのだろう。考えただけでゾッとする。救いの手を差し伸べる程余裕は無いものの女の元夫であり舞子の父親だけに気には掛かる。気休めにしかならないのは分かっていたが「一度、会ってみようかな」と呟いた。「会って、どうするの?」女はキッとして私に目を向けた。「金銭的には援助は出来ないが、何かアドバイス位は出来るだろう。連絡先は分かる?」「携帯番号はあるけれど・・・繋がらないかもヨ」「かも知れないが、明日でも電話してみるヨ」私はお休みを言って隣室へ行き、麗の寝顔を見てから舞子のベッドに入った。「このところ忙しくって・・・、ようやく大型プロジェクトの方も終えて次の仕事の段取りでクタクタだったけど何とか目処がついたヨ。麗の事もロクに見られなくて済まなかった」「良いのヨ、分かっているワ。でも、独り暮しも大変でしょ、炊事や洗濯もあって・・・」 「何とか慣れたヨ。社員を路頭に迷わす訳にも行かないからな。それにしてもデザイン事務所の方、大変だな。先々月に潰れたんだって?」「うん」「何か言って来なかった?父親として・・・」「あの人は、とっくに父親失格だから・・・」舞子は素っ気なく応えた。「でも、孫の顔は見たいだろ?」「去年の秋に、一度会った事はあるけど、仕事が上手く行ってない様だったから、それ以後は何の連絡も無いワ」「離婚しても孫が居る訳だし、何れ連絡はあるのじゃ無いかな」「ニューヨークのマンションを持っていた頃が、あの人の人生の絶頂期だった。斜陽になってからはドンドン下り坂で、母もとうに見切りをつけてしまっていたワ。あの人は家族なんかよりお金の方が大事な人だから、スッカラカンになってしまえば単なる抜け殻ヨ。哀れで見たくも無いワ」既に舞子は投げ遣りな態度だった。「分かる気もする。ボクの親父も事業に失敗して以来、一家はバラバラになったから。それ以来、母もガラリと態度が変わってしまった。まあ、今更済んでしまった事だけど、お互い家庭的には恵まれなかった訳だ。我々は今の生活を精一杯大事にする事だな」その言葉を聞いて舞子は反射的に私にしがみついて来た。(8月につづく)
2013/07/01
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