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晩夏(01) 夏の終わりと工事の終息 夏休みが終えるとたちまち生徒が戻って来て教室を使うから、それに合わせて大方の建物の仮設足場や防音シートも外して行く。工事は未だ残っているが、主要な教室は使える様に整え清掃をして行く。取り敢えず教室が使える状態になった処で一斉検査(竣工前の中間検査)を行った。言わば建物の引き渡しをする前のチェックである。教育委員会と役所の工事担当と工事監理(ボク)とJ.V.(共同企業体)の四者が大病院の医師の回診の様に大勢で廻って行くのだ。チェック段階以降に痛んだり汚れたりしても一応引き渡し後に起きたものはJ.V.の責任にはならず、監理としては指摘されたヶ所の修正を確認し報告するに留まる。時間が迫っていて急ぐので監理の検査を未だ終えていない段階だけにボクは黙って眺めるしか無い。役所もそれを承知しているから監理に文句は言えない。J.V.の監督と工事主任は指摘された部分を記録して行く。其処で疑義が出れば(例えば設計図に載っていないヶ所の改修が為されていないヶ所を見つけた場合)その理由を追及する。勿論、監理としては設計図に載っていないヶ所は工事対象外だから設計に問い合わせはするが、設計を終えた段階で役所が承認・受理しているのだから役所の問題となり無関係となる。今更古い部分が見苦しく見えたとしても全面改修では無く部分改修である場合は止むを得ないのである。民間工事であれば考えられない事である。仮にJ.V.にサービスで部分修正をさせるにしても数が多ければ出来ない相談である。役所仕事というものは矛盾が多く、好意とかサービスという言葉は禁句なのである。それは一種の背任行為とか違法行為に成る。税金を使う工事に無料(サービス)でさせたヶ所があれば、誰かに指摘されれば申し開きが出来ないのだ。変な社会ではある。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/31
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夏(77) 橋の上で信号待ちをしていて、ふと下の河原を見ると公園があった。そこに石が沢山並んでいる。河原の公園である。わざわざ石を見せる為に並べてあるのだ。その瞬間「そうか!」と気付いた。場所は県境にある二上山の麓を奈良から大阪へ東西に走る竹内街道の大阪側に在る石川である。大阪側で大和川に合流する石川の公園に並べられた石は、太古に二上山の噴火で飛び散った岩石が川原に降り注いだものである。それを現代の河川改修で地中から出てきたのを並べた風景を観ている訳だ。正確には石川は二上山の噴火以前から在っただろうから石川とは呼ばれず、大和民族(縄文以前のネイティブ・ジャポン)の頃には名前も無く、もっと詳しく言えば一千万年以上も前の時代(新第三紀)で当然ながら人類の文化も文字も無かった頃だ。そんな太古の時代から二上山は在って、畿内では二上山と兵庫県の西宮にある甲山(かぶとやま)、そして大和三山のひとつ畝傍山(うねびやま)等の数個だけが噴火山として在った。周辺には未だ生駒山や六甲山や比叡山も無く、丘陵地であったり湖があったり海が迫っていたりして生き物としては、既に恐竜は絶滅し、その後派生した新種ばかりで現在では絶滅した種が殆どだが、現生種と系統的に近縁なものが多く存在した時代である。哺乳類では草食のゾウ、カモシカ、ウマその他が発生した。そういう事が近年分かって来た。実に古い時代の話ではある。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/30
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夏(76) そろそろ防音シートを外す頃となった さしもの広い建物の改修工事も大型機械と人海戦術で終息に向かい始めた。主力工事の耐震補強もいよいよ仕上げ段階である。夏休みが終える頃には防音仮設シートも外せる。そうなればパッと新装なったファサードが現れる。30年以上も全面改修工事をして来なかった学校だっただけに校舎は薄汚れていた。そんな校舎では生徒もさぞ暗い気持ちで授業を受けていた事だろう。安全面でも美観上でも正常な状態になっれば気持ちよく授業が受けられる筈だ。そうなれば学業成績も上昇するかもしれない。それが狙いで耐震改修工事をする訳では無いが、まず安全を確保しなければ不安な状態では落ち着かない。不安があれば人間の気持ちは揺れ動くものである。大地が揺れれば誰しも不安になるが、耐震補強されたという安心感があればは何よりも心強い。その時になって初めて工事の有効性が実感できる。校舎が真新しくなったのを観た瞬間の感動と安全性が身をもって体験できた瞬間の感動の中身は違う。地震は来て欲しくないが我々は早く安全を実証したい気で居る。理論上は大丈夫でも観念は実感以上には勝てないからだ。それでも新装成れば学校は明るくなるだろう。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/29
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夏(75) 炎天下のグランド 炎天下の学校のグランドは今日は静かである。そろそろ夏休みも終えようとしている中、たまたまどの運動クラブも練習が休みの様である。お蔭で終日静かなのは良いものの聴き慣れた甲高い掛け声が無いと気の抜けたサイダーの気分である。ところで、このグランドの土は典型的な花崗岩の粉で、激流で砕かれ運ばれ砂に成ったばかりのものを運んで来たらしい。だからキメの細かさが無く、未だ荒々しさが残っているから歩くとサクサク、キュッキュッと音がする。何処かの海岸を歩いている様な気分で、山が近い大阪湾岸の砂を大量に運んで来たのだろう。此処は以前は溜池だった。だから敢えて埋め立て後の表面の砂の層を厚くしたのだろうか歩きにくい。その上、風が吹けば直ぐに砂埃が立ち、グランド周辺の臨時駐車場に停めている車は一日で相当量の砂埃を被る。尤も、走っている間に大半の砂埃は飛散してしまうが、帰宅してガレージに入れた時にどうしても汚れが気になって水で洗い落としてしまう。埃(誇)り高き車なぞ要らないのだ。それに流体力学上、表面の砂が空気抵抗をし効率を下げるだろう。だが、飛行機やレーサーカーでは無いのでそれは多分に意識的なものだろうが、汚れた車で走るのは嫌なものである。何時もピカピカに光った車は観ていて気持ちが良い。そう言えば最近の車は殆どが綺麗だ。不思議な気がする。特に黒っぽい車は汚れが目立つのに綺麗に磨かれている。新車が多いのか、それとも暇を持て余し磨くのか知らないが、昔は汚れた車が多かったし、少々の傷が付いているのが当たり前だった。バンパーなぞは駐車していて前後の車が近すぎる場合は押し退けて出たものだから傷だらけが当たり前だった。欧米ではそれが当たり前の考え方だ。ところが最近では、日本車に限らずバンパーは無く、ボディーの延長となり傷なぞ付けようものなら大騒ぎする。車は接触させてはならないという不文律が出来てしまった様である。車の本来の目的が見せかけの時代になったのであろうか。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/28
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夏(74) 竹内街道に掛る石川橋 見慣れた道や橋でも毎日表情が変わる。風景を楽しみながらドライブするのは気持ちが良いものである。仕事で通っているのに急ぐ訳でも敢えてゆっくり走る訳でも無く、飛ばせるところは飛ばし、混んでいるところはそれなりに気をつけてレーンを選びながら空いている方に行く。急いだ処でどうせ目的地まで1時間半は掛るのだ。飛ばし続けても必ず信号に引っかかるから精々5分程度縮まるかどうかだけだ。事故は絶対起こさないという気で走る。最近では何処でネズミ捕り(レーダーによるスピード違反測定)をしているかとか何処に白バイや覆面パトカーが居るか等が分かる。たまに捕まっているのを観れば如何にも飛ばしそうな連中で昔の自分を見る想いである。若い頃はよくスピード違反をしたものだ。立て続けに時速25kmオーバーで捕まった事があった。緊急な理由があったのだが違反は違反である。後日、査問会に呼び出され「どうしました?」と訊かれた。「実は工事現場で事故がありまして、急いで行く途中でした」と話すと査問官はボクの話し方や態度から信憑性を感じたらしく「成るほど、そういう事情があったのですか。では、それを考慮して一日だけ講習を受けて下さい。免許停止期間はそれだけで済ませますから」と好意的に処理してくれた。それ以来、心して運転する様になって、今では優良運転者マークまで貰った。それをフロントのラジエター前に取り付けている。よく目立つのか「あのマークは何ですか?」とよく訊かれる。その度に表彰を受けた事を話すのだが「ボクは忙しくて、代わりに家内に出て貰ったのですが、あんな晴れがましい場所は二度と御免だわと言われました」と頭をかきながら笑ってしまう。表彰式の大ホールで名前を呼ばれ起立すると前後左右から大勢の視線を浴びて固まったそうだ。あんな照れくさい想いをしたのは初めてだったのだ。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/27
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夏(73) 外環状線沿いのPLタワー もう7年が過ぎたのかとPLタワーを観て感慨にふけった。今乗っている車に乗り換えたのが7年前で、その時から設計以外に工事監理を本格的にやり始めたのだった。つまり7年前にこのPLタワーを観ながら工事現場へ行った事を思い出したのだ。監理業務そのものは若い頃から始めていたのだが主に設計が中心だった。サラリーマン建築家という言葉があるが、それは大組織に所属しながら建築家の仕事をする事で大学教授もそれに含まれる。つまり二足のわらじを履く状態で建築家をする人が多いという事である。大組織では無く若い頃から自分の小さな事務所で生涯を過ごす人も結構居るが、経営的には苦しく、建築家として名を成す人は極まれである。中には有名に成った人も居るが、運良く何かの組織にバックアップしてもらわないと日本の社会では難しい生き方である。ボクは22年前(1991年)に、サラリーマンを辞めて独立したのだが、当初は身体ごと時間を取られる監理業務は出来なかった。それでも7年ほど前から設計の合間に監理もボチボチやる様になった。数年前まで個人住宅以外にテナントビルやマンションの設計が立て込んで忙しかったのだが、設計が暇になった時の事を考えて監理業務を取り入れる様にしたのだった。果たしてバブル景気崩壊もあって社会が不景気になり設計業務も激減した。建築家だけで無く、およそ芸術に関係する仕事だけでは喰えなくなったのだ。PLタワーがこの7年の流れを一瞬に想い出させてくれた。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/26
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夏(72) キング・コングが観える国道 工事現場から帰る途中、15分ほど走ると左手にキング・コングが飛行機を手掴みにしている像が観える。一つのランド・マークになっている。山の手のこの辺りは関空(関西空港)が出来て以来、巨大な住宅街になって、スーパー・マーケットや大型店がひしめいている。日本の郊外には何処にでも在る風景なのだが、めったにそういう処に行かない人には珍しく観える筈である。ボクも最初、右手に見かけた時はハッと思ったものだった。以来。朝はそれを観るとニヤリとして工事現場が近い事を知る。子供向けに作られたのだろうが、建築基準法的にはどういう手続きがなされるのだろうかと職業柄考えてしまう。勿論建物では無いから工作物として建築確認申請をする筈で、当然ながら構造計算で強風にあおられても倒れない丈夫な骨組になっている筈である。そんな事なぞ人々は考えもせず唯単に面白がって観るだけだろうが、案外、最近の子供は「子供の機嫌を取るために大人は詰らない事をするものだ」と冷めて観ているかもしれない。そう感じるのはへそ曲がりなボクの悪い癖だろうか。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/25
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夏(71) 工事現場から関空ゲートタワーが観える 屋上防水工事の完了検査を終えて、ふと西の方向を観ると関空ゲートタワーの頭部が観えた。何時も国道の峠から車で下る時に正面に観える同じ風景よりも小さく見える。距離的にはこちらの方が近いのに小さく観えるということは周りの基準スケールが違うからだ。峠からの風景基準スケールは隣接する周辺のビルである。だからそれらよりもノッポのゲートビルが大きく観えるだけの事で、工事現場の屋上からは仮設足場や防音シート等の建設資材が基準スケールになるからゲートビルが小さく観えてしまうのだ。言わば眼の錯覚である。以前にも書いたが、かつて京都竜安寺の石庭が大きく観えたのは油土塀の屋根が瓦だったからだ。ところが、20年は経つだろうか、瓦から桧皮葺(ひわだぶき)に葺き替えられて以来、間近な小さな庭に観えてしまう様になった。瓦という基準スケールが無くなって茫漠とした桧皮葺の屋根になって基準が分らなくなったせいである。月の出や月の入りの満月が大きく観えるのと同じ現象である。天頂にある時は何も比較するものが無いから小さく観える訳だが、そういう事例は沢山ある。そんな事よりも膨大な建設費を投じて建てられたビルが瞬く間に営業不振で大赤字を出し身売りしてしまい、100億円以上も丸損を覚悟で華僑の手に落ちたのは何とも空しい無駄遣いの権化であった。誰も責任を取らず、今度は其処に国際賭博場を作ろうという案が出ている。どっこいそうは行くものかと想っていたら、意外にも国が本気で乗り気になっているとか。大阪市では大阪湾の人口島の舞洲(まいしま)に同様のカジノを作りたいという話がある。多分、東京にもそういう話があった様な気がするが、オリンピック再誘致で明け暮れしているから当面は無さそうである。役人や政治家連中は無責任の代表だからビックリ箱的発想でやっているのだろうが、サプライズでも起きれば儲けものという処なのだろう。基準スケールというものが彼らには無いらしい。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/24
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夏(70) 校舎の屋上防水 そろそろ夏休みも終わりに近づくと工事現場も部分的に完成を観る事になって来る。屋上の防水工事なぞ過去の経験から観飽きるほど観ているので完成したところで別に何も感じないが、一つでも終えて行くと気が楽になって行くのは確かである。年末まで工期があるから今の内にドンドン工事が完成して行くという事は後が楽に成るという事だが、そういう意味では忙しい時期の今の方が退屈しない訳だ。夫々の工程で検査を終えると次の工事段階に移り、やがて完成検査になるのだが、立場上、工事の流れを観ているだけのボクと直接工事に携わる職人の立場とでは見方も考え方も違う筈だ。何時も同じ仕事をする職人は淡々と仕事をこなすだけでプロとして当然のやり方を繰り返すだけから退屈かもしれない。しかし、検査業務も内容が違うだけで、言わば検査と言う決まり切った事をするだけの事だから職人と変わらないとも言える。唯、さまざまな工事を観るので退屈する暇がないだけだ。それでも何回も観ていると感慨が無くなってしまうのも事実である。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/23
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夏(69) 大分伸びてきた庭木 盆が明けると庭木の剪定に入る事になっている。近年では市の福祉センターのシルバーさんに頼んでいる。理由は二つあって、一つは親の代から来ていた植木屋が廃業してしまった事、もう一つは安いという事である。単純に言えば半値以下だ。しかし腕は駄目である。値段が値段だから諦めているが、後でボクが自分で修正しなければならない。刈り残しがあったり粗いのである。ボクと年齢が変わらない老人が数人来て、何だかんだと雑談しながらアッとい間に終えて帰るそうである。刈り終えて消毒もしているそうであるが直ぐに虫が付くから手抜きでもしているのでは無いかと思ったりもするが、何時も来るのは留守中の事で、終えてから声を掛けられて妻がチラリと観る程度だから仕方が無い。素人に毛が生えた程度の職人と全く素人の妻では話にならないのだ。それでも刈らないよりはましでボクが高木を剪定するには手に負えない。低木は暇な時に自分でやっているから常に綺麗だが、高木は剪定梯子が無い事もあって無理なのだ。盆明けに刈っても年末には相当伸びるから本当は年に数回入った方が綺麗なのは分かっている。しかし、この辺りはそれが常識に成っているから豪邸でも無い限り必要もなさそうで、余程気になった時だけ自分で脚立に乗って刈る。尤も、それも数年先で終わりだろう。ゴルフが出来る内の作業だと想っている。それまでにエイジ・シューターに成っているかどうかが問題である。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/22
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夏(68) 水を呑むココ ココは毎日の様に下駄箱の上に置いてある金魚鉢の水を呑む。何時頃から始めたのか覚えていないが数年は経つだろう。以前は台所の出窓に置いていた。しかし妻が其処を配膳台代わりにしているのでココが上がると不潔だからと上がらせなくした。だから折角喉が渇いて水を呑みたがるのを止めるのも可哀想なので玄関の下駄箱に移動した。庭の小池に溜まった雨水を呑むよりましだと思ったのだ。金魚鉢には金魚は居ない。水に映える人工藻が綺麗で出窓に飾っていた。水は毎日補充する。暑い最中には氷を入れる事もある。浄水器の水だからカルキなどの余計な薬品も除去される上に美味いからココも喜んで呑む。料理や水割りに使う水だから当然美味い。フィルターは年に一回取り替える。1万円近くするフィルターだから高い水になるが、人生どうせ生きるなら美味い水を呑みたくなるのは人情というものだ。ミネラル・ウオーターでもフランスの高級なものは2リットル入りで1千円もする。それに比べれば安いものだ。その高いミネラル・ウオーターを冷やして魔法瓶に入れゴルフ場へ持参した事があった。仲間にその事を言うと興味を持ったので一杯呑ませるとカルシウムなどのミネラルが効いているせいか何とも言えない顔をしていた。決して美味い水では無く健康に良いからと妻が取り寄せたものだ。尤も、最近ではそんな高い水を呑むよりも浄水器の水の方が良いと飲んでいる。単なる気分の問題に過ぎないと想っている。迷信の様なものだろう。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/21
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夏(67) 「外へ出たい!」 ココはボクには遠慮している。ボスには逆らえないと思っている様だ。その証拠に大きな声で家人に向かってニャアニャアと呼び掛ける様な事をしない事で分かる。唯黙ってポーズするだけでボクの反応を待っているのだ。ボクがわざと焦らせても啼かずに何かのアクションを起こす。たとえばデスクに乗ったりパソコンに乗って意思表示をするのである。時にはプリンターに乗せたファイルの表紙を爪で引っ掻いたりする。「コラッ!」と一声掛ければ直ぐに止めるから本気でやっている訳ではない。ようやくガラス戸を開けるとサッと降りて飛び出して行く。しかし、庭に出ても何処へ行く訳でもなく暫くベランダで寛いでいる。要は単に外の空気を吸いたいだけなのだろう。家の中に居るよりも外が好きな猫なのである。家に居るのは腹が減っている時と寝る時だけである。時には寝る間も惜しんで外で遊び呆け、朝になってやっと戻って来る時もある。春から秋にかけては気候が良いから外で寝ても問題なく過ごせるのだ。たまに冬場も外で過ごして、早朝に雨戸を開けると待ってましたとばかり飛び込んで来て「ニャア(おはよう)」と一声啼く。それは腹が減っているという意味も含んでいる。「アホやなあ、こんなに寒いのに・・・」と言ったところで「それでも、外が良いもん」とでも言いたそうな顔で一緒に付いて来て、餌皿に盛ったカリカリをガツガツと食べるのである。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/20
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夏(66) 外へ出たいココ パソコンに集中していると、ふと左側に気配を感じて何気なく振り向くとココが居る。そっと物音も立てずに横に来て、ジッと黙って見つめているのだ。それがボクとココとの無言の会話のひとつになっている。「黙っていても分るでしょ?」というココの気持ちは理解しつつも忙しい時は大きく重いガラス戸を開けるのが面倒でつい引き伸ばしにしてしまう。その内にイラついて来たココはデスクの向こう側から電気スタンドの大理石の台を踏み台にしてデスクに上がって来る。物音を一切立てないから天性の狩人技を披露している訳だ。イタリア製の電気スランドは30年ほど前に買ったもので、ステンレス製の丸い笠を先端にぶら下げているアールにしなった矢張りステンレス製の竿を足元で重いビアンコ・カラーラ(大理石)がどっしりと安定させて立たせている。それを踏み台にするのである。このスタンドはインテリア雑誌には必ずと言って良いほど出ている有名なデザインで、フット・スイッチになっているから点滅が楽である。書斎は洋風だから家具や調度品は洋物ばかりである。だからでも無いがココはたまたまアメリカ産である。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/19
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夏(65) テラスで寛ぐココ テラスのコンクリートには昨日の太陽の余熱が残っている筈なのに早朝だから適当に冷めているのだろうか、ココが気持ち良さそうにベターッと横たわっている。熱くも冷たくもなく、庭が一望出来、何かが動けば狩りの準備が出来るし、外敵が現れる気配もなく安心していられる処なのだ。ボクが横に居るという安心も手伝っているのだろう。終日家に居るのは妻だけだが、ココが自覚している家人のヒエラルキー・ナンバーワンのボクが休みで家に居るという事はココにとってこの上もなく安心して嬉しくして居られる時なのだろう。それでも同じ所でじっとしているのはほんの僅か、直ぐに何処かへ行ってしまう。そういう移り気な処もある。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/18
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夏(64) 前栽の狛犬の前で 「暑さ寒さも彼岸まで」と言う通り、お盆を迎えて朝は少しひんやりとして来た。尤も日中は未だまだ夏の暑さであるが、さしものあの猛暑もそろそろ終える気配である。ココは何とかこの夏の暑さも乗り越えて快適な季節の到来を感じているらしく庭を徘徊している。庭に飽きれば近隣の探索に余念がない。そう言えばあの五月蠅かった蝉の鳴き声もしなくなった。着実に季節の変わり目がやって来て、長かった暑い夏もようやく終えようとしている。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/17
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夏(63) お盆休みの庭 今年もお盆の先祖供養は菩提寺(高野山)へは行かず自宅の仏間で行った。主要な法要(初盆、三回忌、七回忌、13回忌、21回忌)には夫々の御霊を想って墓参し祈祷してもらって来たのだが、永代供養をしてもらっている関係もあって毎年は行かず自宅で先祖供養をしている。高野山は夏は涼しくて良い処なのだが、冬場なぞは震え上がる程寒く、梅雨時分でも湿気が多く冷えるのでなるべく行かない様にしている。ところが最近では世界遺産に登録された事もあって観光客が多く、特にフランス人なぞの外人参拝者が多いとの事である。合理主義のヨーロッパ人なのにキリスト教の教義が真言密教に似ているからだそうで、真言密教の呪文がキリスト教にも通ずるらしいのである。ゴルフ仲間が今年高野山へ観光に行ったという話をしたので、話の成り行きから20年前に表参道に五輪塔を建立した事を言うと「何と、高野山にお墓を建てたのですか!」と驚いていた。自慢に聞こえるのが嫌で「ご先祖のお蔭ですヨ。信心深い先祖が大枚の寄進をしたのが今も覚え良く、父の三回忌に墓地を手当てしてくれたのですヨ」と話を濁すと「それを知っていたら花でもお供えしたのに」と返され「私も分っていたら宿坊に精進料理でも用意させておきましたのに」と笑い合った。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/16
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夏(62) パティオの鉢の間に隠れるココ ココは物陰が好きである。猫は一般にそういう行動をとる。常に外敵の襲撃から身を守る癖が出てしまうのだろう。つまり洋猫でも未だ野性味が残っている一種で、ペットなのだから安心しきって居ても良い筈なのに隠れるのである。そうする事で落ち着くらしい。「猫カフェ」なるものが流行っていて客が気に入った猫を構っているのがテレビで映っていたが、其処の猫は隠れるどころか堂々と寛ぎ放題で好きな様にじゃれているのだった。猫好きな人間ばかりだから警戒心が消え安心し切っているのだろうが、ココはそういう処に行けばどういう行動をとるだろう。人懐っこい割には警戒心も強いから最初は環境に慣れるまで片隅で小さくなって様子を窺っているだろう。それでもココは警戒心が強いから、飼い主が居ないと駄目だ。要するに気の弱い甘チャンなのだ。言わば内弁慶猫なのである。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/15
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夏(61) 工事現場の防音シートである。騒音が出来るだけ小さくなって周りへの影響が少なく成る様に配慮した仮設足場の覆いである。だから中は室状態で蒸し風呂である。中で作業する作業員は定期的に休憩をとって熱中症にならない様にしている。中の作業は、先ず外壁のモルタルをジェット水流で弾き飛ばし劣化したコンクリートを露わにする。次に表面の処理をし構造体を補正する。粗補正されたコンクリート面にアンカー・ボルトを埋め込む。そのアンカー・ボルトに耐震補強の構造体を設置する。耐震補強の構造体が付かない外壁は仕上げをして終える。簡単に言えばそれだけの工事である。それだけの事をするのに夏休み期間が飛んでしまう。何せ4階建ての建物がロの字型に建っていて外周と中庭側の外壁だけでも1万平米はあるから相当な面積である。更には古くなったアルミサッシの窓の交換やガラスの入れ替えもある。外壁だけでも相当量の仕事である。屋根や屋上防水は夏休み明けから始まる。夫々の工程を順に工事主任の案内でボクが検査をして廻るから足場を登ったり降りたりする。お陰で足腰が丈夫になり加齢による老いは一般人よりも遅くなるという利点がある。即ちゴルフも上達するという訳だ。先日の月例会で優勝者の弁がふるっていた。「最近、屈伸運動を始めたので身体が柔らかくなって膝の痛みも取れました。そのせいでゴルフも優勝出来たのでしょう」それと同じ様な事がボクにも言え、工事現場を検査して廻って身体に良い運動をしているという訳である。プロ・ゴルファーや他のスポーツ選手が基礎運動に励んでいるのを観れば分かる。基本は体力にある訳だ。金を貰って体力をつけていると想えば有難い仕事である。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/14
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夏(60) 大型ラフター(レッカー車)による作業 連日猛暑で工事現場はむせ返っている。工期は年末まであるのだが、夏休み中の生徒の居ない時に集中して工事が行われるので関係者一同、忙しく動き回っている。夏休みが終わって授業が始まっても支障にならない工事だけが後の工事になる。だからゼネコン(二社による共同企業体で、JVと呼んでいる)の監督は休日返上で頑張ってくれている。仕事とはいえ気の毒な気がする。勿論、身体を壊しては何もならないから交代で休日をとっているのだろう。「お盆の休みは?」と監督に訊けば「私はありません。家族だけ郷に帰らせます」との事。それを聴いて20年以上前の東京単身赴任時代を想い出した。あの頃は毎月新幹線に乗って帰省していたものだった。が、僅か一日や二日の休みの為に新幹線に乗るのが面倒な気がしたものの「亭主元気で留守が良い」と妻は言いながらも顔を見て案外喜んでいた様だから無駄では無かった。忙しさに慣れているボクは帰郷の度に妻とドライブし、大阪や京都へ何か旨いものを食べに行っていたが、まるで仕事の延長の様なものだった。ところが最近では、遊びに行くのさえ面倒になって京都なんかめったに行かなくなった。心境の変化もあるが、遊びに興味があった若い頃とは大違いである。だから京都や関西の新しい情報はトンと入って来ない。それよりも興味が無くなったのだ。人生を長くやっていると何処に居ても青山はあるものだという事が分かって来るからだろう。つまり、青い鳥を求めたチルチル・ミチルの心境が若さの象徴だった事に気がつく。しかし、心の底では幾つになっても青春はしたいもので、ゴルフ以外にも未だ何か愉しい事がある筈だと信じている。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/13
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夏(59) 夜明けの前栽 早起きは気持ちが良い。夏日で無い限り清々しい空気が吸え、庭の緑も何処となく生き生きしている。早起きは三文の得というが、今の相場で言えば幾らに成るのだろう。金の事を言うのは俗っぽくて嫌な気がしないでも無いが、昔の人には分かり易い例えであったのだろう。否、金が全ての様な世の中に成った現代こそ一般に通ずる例えなのかも知れない。それよりも早起きの利点は確かに朝は疲れ切った夜の濁った頭よりも爽やかでクールな考え方が出来るし、健康的な生活の第一歩を歩み出す想いがする。手紙も夜書くよりも朝に書けという。それは夜はどうしてもマイナーな気持ちに成りがちだから朝の冴えた頭で書けという事なのだろう。夜明けと共に起き、日が沈む頃には明日に備えて寝る準備をするというのが昔の普通の生活だったから人類は文明が幾ら進んでも本質は身体が簡単には変わらないだけに何処かで無理が生じるだろう。無理をして夜遅くまで飲みまわった若い頃は分別臭い事は言わずともやって行けたが、最近はそうも行かなくなって疲れが残らない様に用心をする様になった。睡眠時間が短くなった分、昼寝をする様にもなった。30分でも仮眠すると頭がスッキリし身体も元気が湧いて来る。場所や環境さえ納得行けば何処でも簡単に仮眠出来る様になったという事は自分の身の回りの警戒心よりも環境への適応力が増し、根性も据わって来たという事なのだろう。最近は余り電車に乗らないが、思い返せば電車でよく居眠った頃があった。中年の頃だった。あの頃は人生の分岐点で心身ともに疲れていたのだろう。それに比べ最近は居直りともいえる落ち着きが出て何も怖いものは無いという気分で居られる。そういう気にさせてくれるだけでも得をした気に成れる。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/12
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夏(58) 足台代りにしている碁盤に乗るココ どういう風の吹きまわしかココがボクの足元で寝そべっている。おやつを待っているのか、それとも庭に出るのも面倒なのか兎に角ボクの傍に居たい様である。だからボクが立ったらココも一緒に降りる事になるだろう。多分、退屈なのかも知れない。ココは退屈でもボクはそれなりに忙しい。月が代わって先月の監理報告書を提出しなければならないし、最近のガソリンの高騰で安い価格になる会員カードが使える様にしなければ馬鹿バカしい気がしてならず、その会員証カードの到着を今か今かと待っている最中なのだ。友人はガソリンの高騰に備えてハイブリッド車に替えて「お陰で3ナンバー車でリッター16kmは走る様になったヨ」と言う。ボクの車は矢張り3ナンバーだが、精々リッター10km程度だから単純に考えればリッター当たり6kmは損をしている勘定になる。尤も、ハイブリッド車はイニシャル・コストで値段が100万円ほど高いから100万円分の元を取り戻そうとするなら今のガソリン価格をリッター160円とするなら6250リッター分(100万円分)走らなければならない。大体1回の給油で50リッター(8千円分)は入れるから125回給油する事になり、よく乗る人なら毎週1回給油するとすれば2年半掛かり、普通のドライバーならその半分も走らないだろうから5年は掛かる。5年目にして元が取れるというのは余り得とは言えず、矢張り電気自動車が普及するまで待っても良い気もする。それに電気スタンド(ガソリン・スタンドの替わり)が未だ整備されて居ず、中距離ならいざ知らず長距離ともなれば心もとない。ハイブリッド車は気持ちの上で安い気がするだけの事で、ガソリン車とトントンの様である。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/11
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夏(57) 綺麗な雄の雉が居た 自然の中にあるゴルフ場の良い処は野生の動物が間近に見られる事も一つに挙げられる。一昨年前にはタヌキも見られた。フェアウエイをノコノコと出てきて何かを食べている風だった。近くに行っても見返すだけで逃げようともしなかった。今回も「ほら、雉が居ますヨ」と教えられ振り返ると、何時もよく観掛ける茶色では無く綺麗な色柄をしていたので「雄ですネ」と返事した。カートで真横を通ってもまるで鶏が餌をついばんでいる風に我関せずと動き回っていた。たまにカラスがボールを咥えて行く風景に出逢う事があるが、雉がこんなに間近に観られるのは初めてだった。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/10
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夏(56) 茶店の おばさん コースの中ほどに必ず茶店があってドリンク休息が出来る様になっている。勿論有料だから素通りするプレイヤーも多いが、前の組がつかえていたり休憩を取りたいプレイヤーは必ず立ち寄る。ボクはどちらかと言えば休憩せずにプレイに専念したいのだが、仲間がドリンクを求めて入っていけば無視も出来ず一緒に入っていく事にしている。茶店ではキャディーを卒業したおばさんが精一杯笑顔を振りまいて出迎える。たまたま仲間の好みのタイプの女性だったから話題に弾みがついてボクも加わって笑いに興じた。訊けば北海道出身で「人生、色々。話せば長いワ」と意味深な表情をした。個人情報なぞ訊き出すつもりも無いが話の流れで男と女の話題になって、ボクはニヤニヤしながら横で聴き役に廻ったが、世の中には様々な人々が居て様々な人生がある事を知らされる。天気の良い日に三人の好好爺が茶店で他愛もない事で笑い興じている風景は彼女にとっても気楽なひと時であったかも知れない。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/09
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夏(55) 久しく来ていなかったゴルフ場が今回は狭く感じた 「久しぶりに来たせいか何だか、このゴルフ場が狭く感じられる」と呟くと仲間が「それは調子が良いという証拠ですヨ」と言ってくれた。そんなものだろうかとスタートから平常心で進んで行くとボールは真っ直ぐにヘアウェイの真ん中を行き、グリーンにもパー・オンし快調な滑り出しだった。それに気を良くしたが「午前中は涼しいから良いものの、午後からは暑さで崩れない様に注意せねば」と自戒の気持ちに切り替え「今日は、スコアよりも風景を楽しむ事にしよう」という気で臨んだ。早朝のスタートだったから10時半には昼食となり、休憩時間もたっぷりあったから、汗で濡れた服を全部着替え、スッキリと気持ちよくなった状態で食事をとり、食後は仲間が将棋をしている横でソファで寛いだ。こういう風にのんびりする事が如何に心身に良いかという事を噛みしめながら、長く将棋をさしていないのでどちらが優勢なのか分からないまま眺めていると、30分もすると勝負はついてハンディを貰った方が楽勝し、時間も来たのでカート出発場へ向かった。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/08
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夏(54) 霧にかすむ播磨平野 久々のゴルフ月例会への参加だった。真夏のゴルフは熱中症への警戒から毎年行かない事にしているのだが、今回は是非にと誘われ、ものは試しと考え直し行ったのだ。結論は、体力的には想ったほど疲れもせず、スコアも良く、3位入賞で終えたので参加して良かったという事だ。途中の高台のティー・グランドから麓を見下ろすと涼しい風が吹いていて霞の向こうに播州平野が見えた。其処には東条湖という湖の公園があって関西の憩いの場になっている。サラリーマン時代に行った事があるが詳しくは覚えていない。目的がサラリーマンの研修旅行だったから仕方なく行ったせいで早く忘れてしまいたいという気がそうさせたのだろう。そんな事はどうでも良い事ながらビューは見事で、高原のゴルフ場は地上と気温が3度ほど違い、特に早朝はひんやりとしていて気持ち良かった。夏のゴルフも大丈夫と分かって次回からは亦参加という事になりそうである。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/07
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夏(53) 日の出の未だ皆が寝静まっている庭で 最近、仕事で疲れているせいか早く寝る癖がついて、その為に早朝に目が覚める。4時頃では未だ暗いので寝返りを打って寝直し、次に目が覚める5時頃には起きる事にしている。するとココも片隅のカーペットでムクッと起き首輪の鈴の音を立てる。一緒に階下に降り、餌と水を与え、ボクは朝食のコーヒーを立てる。コーヒーが出来た頃、ココは食べ終え書斎の窓辺に行く。一緒に庭に出ると朝日が出始めた東の空が明るい。ひんやりとした気持ちの良い空気に暫く親しみながら盆栽や鉢植えに水をやる。そして朝食に向かう。一日の始まりである。陽と共に起き日が沈めば、夕食となり、晩酌も量が行かなくなって10時頃には眠くなる。老人の生活とはこういうものかと次第に分かり始めたこの頃である。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/06
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夏(52) 本格的に始まった学校の耐震改修工事 阪神大震災以降、公的建物の耐震補強工事が全国的に行われ、今年でほぼ85%程行きわたって、そろそろ来年あたりで終えそうな気配である。今年はアベノミクスの景気浮揚策としてドッと例年の倍の予算がついて大阪では彼方此方で施工が重なり職人の取り合いである。更には東北復興の工事が並行してしていて大方のゼネコンや職人が東北へ集中している事もあって御多分にもれず此処の現場も職人を集めるのに苦労している様である。そんな事をゼネコンの所長がぼやいていた。ボクは例年通り今年も夏休みから年末にかけて耐震改修工事で忙しいのだが、年齢的な事もあってそろそろ来年辺りで仕事量を減らそうかと考えている。その後は妻と船旅で海外の風物に触れてのんびりしてみようかと話し合っている。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/05
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夏(51) ベランダに横たわって庭を見張るココ ココが背中を見せているという事は安心しきっている時である。後からボクに観てもらっているという事が何よりも嬉しく落ち着く時なのである。その上、庭の見張りも出来て一石二鳥である。ボクの後ろ盾があるという気持ちが怖いもの知らずにさせ大胆にもなるのだ。仮に自分よりも大きく強そうな野良猫が現れても安心して威張っていられる。ボクが居ない時に同じ様な態度で居るとするなら、多分、家人の誰かが近くに居る時である。つまり、誰か大きな味方が居るという安心しきれる場合のみ取れるポーズでもある。但し、ガレージの塀とか門柱や門扉横の塀の上の様に後から襲われる事の無い安全な場所であれば矢張り同じように寝そべって居られる。猫は臆病で警戒心が強いからどうしてもそういうシチュエーションでないと寛げないのである。勿論、家の中では何時ものんびりと寛いでいられるが、そればかりでは退屈なのである。少なくとも安全な場所で何かしら変化がある場所なら退屈しないから気が済むまで其処に居る事になる。しかし、長居は無用と、此処に居るのも束の間で、ふと振り向くともう居ない事の方が多い。変化を求めて何処かへ行っているのだろう。気まぐれな奴である。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/04
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夏(50) 外環状線から観える美しい遠望 夕方、監理業務を終えて帰途につくと、自宅まであと30分辺りの処で右手に美しい景色が観える。少々遠回りながら50km弱の距離を正確に1時間半で行けるので最近は同じ外環状線(国道170号)を走っている。この国道は大阪の東部を南北に弓なりに走っていて府の北部(高槻市)から南部(泉佐野市)まで140kmばかりあり、関西の大動脈の一つになっている。大阪万博(1970)に合わせて整備され、片側二車線の四車線となっているものの時代のモータリゼーションの波に飲まれ、北部では慢性的な渋滞道路となっている。しかし、ボクが走っている南部の富田林市(PL教団の奇妙なタワーがある処)から泉佐野市(関西空港がある処)までは案外スムーズに流れ、時間通りに行ける。急がば回れである。その途中の信号待ちで西日に映える山側を観ると山の中腹や裾野にかけて綺麗な建物が観えるのだ。わざわざ引越しまでして住んでみたいとは想わないが眺めるには良い景色である。この景色の左の方にある二上山の麓の奈良県側にボクの住む住宅団地があって同じように緑に囲まれているから其処も綺麗な処だ。歴史ある土地柄で、万葉の世界が散在しているが、二上山を越えた大阪側には古墳が多くあって、逆に言えば、それが開発の邪魔をしていて景観保全に懐疑的な人々には風土が保たれて喜ばしい筈である。が、時代と共に虫食いの様なミニ開発が多発して風景を壊している面もある。景観を守るには全体的には風致地区や歴史的保存地区の様な法規制しか方法は無いのだろうが、結局は民間の活力が風土をジワジワと変えていくからそれが現実の歴史になって行くのだろう。将来どのような光景になるのか分からないが、この緑が無くなる事は無いだろうから建物がバランス良く増えて行くのを望むしか無い。何故なら人は自分の住む家を理想的な美しいものにしたいと想う筈だから建築家として楽観的な気持ちになるのである。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/03
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夏(49) 久々のゴルフ練習 誘われて次の日曜に月例会に行く事になったので久しぶりにゴルフ練習所へ行った。受付カウンターで会員証カードを財布から出そうとしたが財布に入っていなかった。多分、暫く行かないので抜いておいたのを忘れてしまったらしい。「名前と電話番号で調べれば分かる?」とPCで検索してもらうと直ぐに出てきて「2月に改修工事をしましたので新しいカードに変わりました。今度からはこれを使って下さい。カード料金は要りません」と薄いカードを渡された。残高が少なかったので補充しておいた。毎年冬場は来ないのが常ながら半年も来ていなかったのかと改めて時の早く過ぎるのを感じた。早朝だったにも関わらず休日のせいで1階のステージは満席になっていた。2階へ行くと練習場が見渡せ、グリーンの一部が変わっているのが分かった。寄せの為の小さな円形グリーンが手前に並んでいるのだった。練習場ではドライバーを使う人がほとんどなのに最近では寄せの練習をする人が多くなった様だ。寄せの練習は毎日のように自宅でやったから試しにジガーで寄せてみても簡単にグリーンに乗るのが分かった。矢張り練習の効果があった訳だ。だから当初の身体をほぐす目的のロング・クラブに専念した。ドライバーもクリークも力まない限り球筋はまっすぐにぶれずに行くのが分かった。力んでは駄目なのは充分分かっているのだが、久しぶりの月例会で如何に平常心でやれるかが問題だと想った。つまり身体のほぐしも大事だが、精神面のほぐしも大事な事を改めて感じたのだった。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/02
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夏(48) 台所の流し 台所の手元灯が切れた。この前切れてから数年は経つ。買い置きも切らせていたので今後の事も考え、球を持参してホームセンターで同じものを二本買った。ところが替えても点かなかった。もう一本の方も確かめたが点かなかった。ホームセンターに電話をすると「ひょっとして電球では無く機械の方の故障かも知れませんヨ」」と言われ、これは面倒な事になったと想った。それから10分ほどして電話があって「矢張り機械の故障の様ですネ。念の為、持参された電球を調べるとチャンと点きましたから」その電話で腹を決め、何れ役に立つ事もあるだろうと電球は納屋に仕舞い込んでから工事をした会社に修理を頼んだ。考えてみれば自宅の大改修工事をしてから10年は経つ。数日して孫請けの会社が来て「電動昇降収納棚の基盤がやられていますネ。昇降の方は大丈夫ですが、手元灯を直すのに材料込みで8万円ほど要ります」と言われたという。ボクが出かけて留守だったので「主人と相談して返事します」と出張料だけ支払って帰らせた。「たった手元灯だけの修理に8万円も掛かるなんて・・・」と妻は気落ちしていた。数日間、インターネットで調べ、ボクなりに結論を出し、LEDの手元灯を自分で取り付ける事にした。たまたま監理している学校の工事現場の隣に巨大なホームセンターがあるのを想い出し、立ち寄ってみると考えていた大きさのLEDの手元灯があった。コンセントに差し込むだけで工事も要らなく点く。早速購入して取り付けてみると、そっくりそのまま収納棚の手元灯の中に入った。電動昇降棚の移動分のコードの余裕分をみてコードを壁に貼り付け、コンセントに差し込むと予想通りパッと点いた。費用は先日の業者の出張費数千円ぐらいで済んだ。「まるでマジックみたい!」と妻は驚いた。以前よりも明るくなって、貼り付けた白いコードが白いキッチン・ボードに溶け込み観掛けは想った程悪くない。このLEDは4万時間の寿命だから毎日20時間点けっ放しにしても5年ほど持つ。10時間なら10年だ。多分、その頃には昇降の方がやられるかも知れないが我々の寿命の方もやられる頃だろうと笑い合った。続「猫と女と」(05) 舞子との肉体関係は子供が生まれてからは疎遠になりつつあって、精々週に一度か月に二度になっていた。それをお互いの熱が冷めたと見るよりも、舞子側に気持ちの変化があって、母親としての自覚と女としての肉体の欲求との対立があるせいなのか、それとも今更身体に訊かなくてもお互いの気持ちが太い絆で繋がっていると自覚して安心しているのかのどれかだろうと私には想える。それに私が年齢的な事もあって女の身体に食傷気味になってしまっている事も影響しているだろう。若い頃のように好みのタイプの女を見ればムラムラと抱いたあの股間から湧き上がる情熱はもう湧いて来ない。だからと言って男を捨ててしまった訳ではないのは勿論だが、女は灰になるまで女という喩が男についても言えるのかどうか私には分からない。世の中には80歳になっても孫の様な女に子供を産ませる能力のある男も居る。しかし、それがどうしたと言うのだ。私は私なのだ。セックスアニマルでは無い。情愛は何も身体だけが感じるものでは無い。あくまで精神的なものだと信じている。 では、舞子では無く女に手を出さなくなった訳は何なのだろう。舞子の手前、同居する母親として見れば既に女の盛りを過ぎた肉体的魅力に欠けてしまった女という事もあるだろう。否、そんな事よりも最初に感じた魅惑的な雰囲気を感じなくなってしまったのだ。元夫のデザイナーと仕事で取引関係があった時分は女としての魅力もあり、対立する男が居た事が気持ちを高ぶらせていたと想える。ところが元夫は下り坂を転げ落ちていく様に私の世界から消えて行ってしまった。ニューヨークにマンションを持っていた頃のエネルギッシュな雰囲気なぞこれっぽちも感じられなくなって私が仕事を与える立場になった途端、詰らない男に成り下がってしまったのだ。それに合わせる様に女も次第に魅力が無くなってしまった。私は男に勝ったと想った。別れた妻ながら裏で繋がっていた夫婦の関係を知りながら、その女と情交を持つという一種のスリルはそれなりに高まりを覚えさせてくれた。一盗、二卑というではないか。他人のものを盗むという気持ちが私をその気にさせたのだろう。そして舞子だ。元夫の娘でもある。 女と舞子に夫々思惑があったにせよ私なりに二人を見比べ次第に舞子へのめり込んで行ったのは自然の成り行きだった。生来の女好きが若い女にコロリと参ってしまったのは言うまでもない。妻との倦怠感も拍車をかけたにせよそれはそれで分かる。誰でも私の立場に居ればそうなるだろう。男である限り、据え膳を拒否するなぞ考えられない。単に女を乗り換えただけの事かも知れない。モラルがどうしたと言うのだ。結婚という人の決めたルールがそんなに大切なものなのだろうか。一夫一婦制は男と女のバランスからそうなっているだけの事で、女が男の倍も居るとするなら一夫二婦性か若しくは一夫多妻制が当たり前なのだ。それが自然の摂理というものだ。世界を見渡せばそういう国がある。珍しくもない現象だ。羨ましくは無いが不思議ではない。但し均等に妻達を愛せよという条文がある。当然の事だ。しかし、人は気持ちが変わる。性交の回数や度合いだけで気持ちを推し量るなぞナンセンスだ。尤も、それが基準とされるのも分からない訳でもない。人は心の内が分からないからだ。 しがみついて来る舞子を優しく抱擁しながら手を背中から臀部へ回して行くと反応する様に舞子は身体をのけぞらし広げて行った。陰部に指が触れると既に其処は滑らかに濡れているのだ。乳首にキッスをすると微かに母乳の香りがする。まさか母乳を吸う気にはなれず、首筋に移動し唇に持って行った。溜息の様な息遣いと共に小さく呻き舞子は既に官能の世界に入っている。股間に一物を差し込みゆっくりとピストン運動を始める。舞子も合わせて来る。私は半分冷めているせいか、なかなか頂点には達しない。これも歳のせいだろうか。それとも燃える様な情熱を感じなくなっているのだろうか。それなのに舞子は次第に官能の世界にのめり込み呻き声も押し殺せない程に成りかけている。ふと、多分女が隣室で聴き耳を立てているだろうと想った。舞子のベッドに潜り込んだ時から女を意識していたから出来るだけ物音を立てない様に気を使っているのに舞子は久しぶりの性交に溺れている。母親が居ようが気に掛けない積りの様で、私の方が気になってしまう。舞子の息遣いを鎮める為に少しテンポを緩めた。 「否、止めないで・・・」舞子は腕の力を強めて腰を押しつけて来た。そして私を下にして馬乗りになった。それは自分でテンポを自分なりにコントロールする為だ。途中で勢いづいた身体を止めるのが辛いのだろう。もっと甘い官能の世界に浸り続けたいのだ。自分をコントロール出来る様になっている私は舞子を自由自在に操れると想った。燃え盛っている女の身体を生かすも殺すも私次第なのが面白く想え、若い頃にこういうテクニックを使えていたらもっと面白い絵が描けたのにと想えた。今更悔んだところでどうにもならないのに何処までこの手が使えるだろうかと考えてみた。が、今更新しい女を探す気にも成れない。舞子が充分に私の相手として応えてくれると想えるのだ。ところが、一人の子供を産んだ舞子は更に次も求めるかも知れない。多産系なのだろうか。それとセックス好きとは別問題なのに舞子の場合はそれもこれも同じなのだ。60近い50代の私に望んだところで子供が成人する頃は私は本当の老人になっている訳だ。そんな事を考えると迂闊には舞子の欲求には応えられないと想ってしまう。 舞子は自分のペースで激しく上下運動を始めた。それに私も影響されて官能が高まって行く。しかし私の高まりと舞子の高まりには微妙な差があって舞子は先に頂点に達しそうになっている。「ああ、良い・・・、良いわ・・・、そうヨ、そのまま、ああ、あ・・・」そのうめき声が隣室の女にも聞こえている筈だ。舞子はそれを意識していないのだろうか。そう想いながらも私は彼女を止める事が出来ない。精々、舞子の腰をしっかりと抱いて動きを抑える程度だ。が、舞子はより一層激しさを増し、歯を食い縛り眼を血走らせセックスにのめり込んでいる。それを見上げている私はと言えば調教師が調教している気持ちそのもので一瞬、優越感が頭をよぎる。男は女の官能に酔う姿態を観て自信を持つのだろう。私の少なからぬ経験から言えば舞子は感度の良い女だ。母親よりも敏感に想える。私を喜ばせる方法も何時の間にか覚えた様だ。まさか母親とそんな相談なぞしないと想うが、母親の持つテクニックよりも上手いと想う。それは天性の才とも言えるものだろう。私の肉体的年齢を十も若返らせてくれる気さえする。 女と長い間肉体的な関係を持たず舞子とだけの関係が続いて、女は独り悶々としているかも知れない。まして彼女らのマンションではセックスはしないという私なりの不文律を破っている今、女は私を恨んでいるのでは無いだろうか。願わくば自分にも来て欲しいと想っているだろう。が、娘と同居するマンションで私とセックスをする訳にも行かないだろう。それが母親というものだと私は想っている。ならば舞子が近くへ買い物に出かけている僅かな間とか、夜、舞子が熟睡している間がチャンスかも知れない。ところがこれまでそういうチャンスはあったものの一度も関係を持った事はなかった。子供が生まれる迄は外で会ってホテルへ行った事はある。しかし、それも大分以前の事だ。最近は全く関係を持たなくなってしまった。そんな事を漫然と考えている間に舞子は行ってしまい、私に覆いかぶさる様にうつ伏せになってしまった。疲れと睡魔も襲って来たのだろう。じっとして寝息を立てている舞子をそっと横へやり私はトイレに行った。トイレから出て女の部屋の前を通ると女の小さな咳払いが聞こえた。私はそっとドアを空け静かに入って行った。(9月につづく)
2013/08/01
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