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村雨辰剛さんは、テレビ小説”カムカムエヴリバディ”安子(岡山)編のロバート・ローズウッド役で注目されました。 ”ぼくは庭師になった”(2019年3月 クラーケン刊 村雨 辰剛著)を読みました。 村雨辰剛さんによる、秘蔵写真や撮り下ろしフォトも収録した自伝的エッセイです。 村雨さんは1988年スウェーデンのスコーネ県オルケルユンガ生まれ、中学時代の世界史の授業をきっかけに日本独自の美意識に感銘を受けたといいます。 高校時代にホームステイを経験した後、19歳で日本に移住し、23歳で造園業に飛び込み、見習い庭師へ転身しました。 そして、26歳で日本国籍を取得し、”村雨辰剛”に改名しました。 帰化前の氏名は、ヤコブ・セバスティアン・ビヨーク(Jakob Sebastian Björk)です。 ”カムカムエヴリバディ”は、NHKが2021年11月1日から2022年4月8日まで放送した、連続テレビ小説第105作です。 原作脚本は藤本有紀さん、主題歌はアルデバランが唄いました。 演じたロバート・ローズウッド役は、連合国占領軍所属のアメリカ陸軍中尉でした。 中尉はシアトル出身で、高校在学時に思いを寄せていた女性、後の妻が大学合格を交際の条件としたため、専らその目的のために進学したそうです。 中尉は大学で日本語を学び、ある程度日本語会話が出来ました。 来日時点で妻は既に故人で、戦後、中尉は岡山に駐屯しました。 やがて安子に想いを寄せるようになり、自身の想いを伝え、ともにアメリカへ来て欲しいと告げました。 一度は安子に断られましたが、その後岡山へと向かい、傷心の安子を伴って帰国後に安子と再婚しました。 帰国後は、シアトルの大学で教鞭を取っていたといいます。 村雨さんは、幼い頃に実の両親が別れることになり、実の母親とスウェーデン空軍パイロットの継父によってスコーネの郊外で育てられました。 継父の影響でスウェーデン陸軍のレンジャー部隊へ入ることを考える一方、中学校の世界史の授業で日本への興味を抱いたそうです。 Yahoo!チャットで日本人を見つけて、チャットで日本語を勉強していたといいます。 幼い頃から疑問符が多いものに魅力を感じる性格だったと回想していて、日本の歴史では戦国時代や武士道に関心を抱きました。 日本語の学習には英日辞典を使い、現在はスウェーデン語、英語、日本語のトライリンガルです。 チャットで知り合った日本人から招かれて、16歳の夏休みの時に初めて日本を訪問し、神奈川県の逗子市と横須賀市で3か月間のホームステイを経験しました。 ホームステイ先は何代も続く旧家で、伝統的な生活を体験し、日本滞在中は鎌倉などの神社仏閣を訪れたといいます。 レンジャー部隊の入隊試験に合格したものの入隊を辞退し、高等学校卒業後に日本へ移住しました。 日本移住後、愛知県名古屋市でスウェーデン語や英語の語学講師として生計を立てました。 2011年3月11日に東日本大震災が発生し、スウェーデンの家族から心配され、ちょうど語学講師の契約が切れるタイミングだったため、スウェーデンに一旦帰国しました。 再来日後の2011年8月1日に、日本の伝統文化に携わりたいという思いから、求人情報誌で見つけた造園業の世界へ飛び込みました。 名古屋市の山本庭苑という造園業者でアルバイトとして勤務しましたが、山本庭苑では既に兄弟子が存在し、これ以上の弟子を採る余裕がありませんでした。 数十社から断られた後、愛知県西尾市の加藤造園という造園業者に採用され、2012年6月1日から、庭師の徒弟となり、5年間勤務しました。 人工的な西洋庭園に対して、経年変化を良いものと捉え、日本庭園は自然と対話して人間が自然と触れた時の感覚を再現しようとしているといいます。 加藤造園では庭園の手入れや管理の技術を学びましたが、一から庭園を造る設計の仕事があまり無かったため、5年間の修業を終えた後、親方に相談して東京の業者へ転職しました。 学校へ通って決められたカリキュラムをこなすだけでは学べないことがあることから、元々徒弟制度への憧れを抱いていたといいます。 徒弟制度のもっとも優れている点は、一流の技術を待った親方と同じ現場で働きながら、ゼロから技術を身につけられるところでしょう。 給与は最低限ですが、その分、残業などがない定時勤務ですので、時間という意味ではブラック企業などと比べると遥かにゆとりがあります。 日本では慣習となっている長時間労働に嫌気がさしている人には、労働時間という視点からも伝統文化に携わる仕事は魅力的かもしれません。 給与面以外のデメリットは、親方から手取り足取り教えてもらえるわけではないことでしょう。 自分で技術を盗んでいくような積極性がないと、修行の最初の単純作業で嫌になりかねません。 逆に言うと、積極的に学びたい分野であれば、一流の技術を目の前で見ることができて、わからないことは質問攻めにできる理想的な環境を手に入れることができます。 日本の伝統分野は、海外視点で見ると十分なビジネスチャンスがあるのに、後継者が不足しているといいます。 いま日本政府はインバウンド消費に力を入れていますが、そこで日本独自の文化に魅了された人たちが、自国でもそれに触れていたいと思う機会は増えていくはずです。 伝統文化をこのまま放置して廃れさせてはいけないと思うし、どの国とも似ていない好きな日本を、微力ながら守っていきたいとのことです。 2015年に無事帰化が認められて、晴れて村雨辰剛になったものの、自分自身がこの名前に慣れるまでには時間がかかったそうです。 加藤造園の親方に帰化の1年前くらいから名前の相談をさせてもらっていたそうですが、責任が重すぎるとあっさり名付けを断られてしまいました。 その話を聞いた親方のお父さんが、村雨という名字を提案してくれました。 親方のお父さんが好きな作家の名前、歴史小説で知られる故・村雨退二郎に由来します。 辰剛は自分で考案し、辰年生まれだからまず先に辰を使うことを決め、二文字にした時に合う字を考えました。 現代でも一般的かつ、戦国武将のようにも見える名前にしたかったそうです。 すると、親方の名前でもある剛の字が、辰の字との組み合わせにぴたりとハマったといいます。 調べると剛の字は「まさ」とも読むことがわかり、村雨辰剛(むらさめたつまさ)という名前が完成しました。 以前はセバスチャン、セバと呼んでいたまわりが、「たっちゃん」とか「さめちゃん」とか呼んでくれるようになると、次第に馴染んできて自信を持って名乗れるようになりました。 村雨辰剛は力強い名前ですから、その名前に恥じないような人生を送っていきたいといいます。 日本へ帰化する際には、スウェーデン人の親から、戦争になったら日本のために戦って死ねるのかと問われ、自分の覚悟を伝え許してもらったといいます。 2016年1月2日から株式会社YMNにタレントとして所属し、庭師の仕事と併行して、多数のテレビ番組やラジオ番組、CMなどに出演しています。第1章 スウェーデンから日本へ/第2章 日本での生活/第3章 修行時代のこと/第4章 庭師・村雨辰剛として[http://lifestyle.blogmura.com/comfortlife/ranking.html" target="_blank にほんブログ村 心地よい暮らし]僕は庭師になった 村雨辰剛 サイン本【お1人様1点まで】村雨辰剛と申します。 [ 村雨 辰剛 ]
2022.08.20
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今や日本の経済は伸び悩み、給料もほとんど上がらない状態が続いています。 日本の賃金はこの30年間全く成長しておらず、年々賃金の上がる諸外国から取り残され、物価も賃金も安い国となりつつあります。 ”安いニッポン 「価格」が示す停滞”(2021年3月 日本経済新聞社刊 中藤 玲著)を読みました。 ジャパン・アズ・ナンバーワンだった時代は遠い昔の話になり、いまや「安い」「貧しい」「小国」「後進国」などと評されるようになった、日本の今後を考えています。 円安政策が労働者を貧困に追い込んだ、と指摘する意見もあります。 円安政策の目標は輸出企業の利益増加と株価上昇であり、円安に伴い低い賃金水準と物価が維持されました。 日本企業が特にめざましく技術革新を遂げたわけでもないのに利益と株価が上昇した理由は、日本の労働者が貧しくなったためであるといいます。 コロナ・ワクチン開発でも、欧米や中国に大きく遅れました。 コロナ禍を経てこのまま少しずつ貧しい国になるしかないのでしょうか、はたして脱却の出口はあるのでしょうか、日本経済が回復するために必要なものは何でしょうか。 中藤玲さんは1987年生まれ、早稲田大学政治経済学部を卒業し、アメリカのポートランド州立大学に留学しました。 2010年に愛媛新聞社に入社し、編集局社会部に勤務しました。 2013年に日本経済新聞社に入社し、編集局企業報道部などで、これまで食品、電機、自動車、通信業界やM&A、働き方などを担当してきました。 日本の賃金水準がいつの間にか経済協力開発機構の中でも相当下位になっています。 2021年1月末、春季労使交渉のキックオフとなる労使トップの会談で、経団連の中西宏明会長はそう語りました。 日本の平均賃金はG7で最下位です。 日本が成長を見失った30年の間、ずっと国内の賃金や価格は足踏みしてきました。 その結果、日本は人材面での競争力を失いました。 バブル期を知らない世代にとって、世界で凋落した日本こそが当たり前にもなりつつあります。 本書の取材を通じて「安いニッポン」を考えることは、「ニッポンの豊かさ」とは何かを考えることでもあったといいます。 国土交通省の2021年1月末調査では、東京都の2人以上の勤労世帯の中間層(上位40~60%)の娯楽などに使える残った金額は、47位で全都道府県で最下位だったといいます。 東京都の中間層世帯は、全国で最も経済的に豊かではないと言えます。 安いニッポンの首都で暮らしていても、多くの人が豊かではないのです。 日本は世界で見ると安いが、日本人にとってはそこまで安くないという現実が、すぐそこまで迫ってきているのかもしれません。 日本経済新聞で2021年6月22日から、「安いニッポン ガラパゴスの転機」というシリーズ記事が始まりました。 このシリーズは2020年もやっていて、これが新書としてまとめられたのが本書です。 軽井沢の別荘が、香港やシンガポールと比べると破格に安いことから、中国人富裕層などに飛ぶように売れているといいます。 「安いニッポン」を改善しないと、今の子どもたちが大人になる時代には「貧しいニッポン」になってしまいます。 日本経済低迷の主たる要因は、先進国の中でもダントツの安い賃金です。 継続的な賃上げが行われず、今や韓国にまで追い抜かれしまった「安い賃金」は、構造的な問題です。 「安いニッポン」を放置しておくと、日本人はどんどん貧しくなってしまうといいますが、現実問題としてとっくの昔にわれわれは貧しくなっています。 経済協力開発機構のデータによれば、日本の相対的貧困率はG7の中でワースト2位となっています。 シングルマザーの相対的貧困率でいえば、突出して高くワースト1位です。 この貧しいシングルマザーは「安いニッポン」の象徴的存在と言ってもいいでしょう。 日本のシングルマザーの就労率は87.7%と、実はOECD諸国の中でも高い部類です。 他の国のシングルマザーよりもかなりしっかりと働いているにもかかわらず貧しいのは、賃金がダントツに低いからです。 日本のシングルマザーの多くは、パートや派遣など非正規で雇われています。 安い時給でも文句ひとつ言わずに真面目に働き、景気が悪くなればサクッとクビなる非正規のシングルマザーたちの犠牲の上に、「安いニッポン」は成り立っています。 「安いニッポン」が進行することは、「貧しいシングルマザー」のようなワーキングプアが社会にあふれかえるということです。 一方、海外に目を移せば賃金が上がって経済もどんどん成長し、内外格差が激しくなります。 そうすると、賃金の低い自国に見切りをつけて、待遇のいい国へと渡っていく、出稼ぎ日本人が増えでしょう。 「安いニッポン」に見切りをつける人々の行く先は、経済成長著しい中国が本命視されています。 20年後には、日本人が中国に出稼ぎすると予見する人もあります。 2019年10月1日現在の推計で、中国での在留邦人総数は141万356人で、前年より1万9986人増えており、統計を開始して以来最多となっています。 日本のアニメは世界的に評価も高いですが、それを制作しているアニメーターの賃金は常軌を逸した低賃金です。 日本アニメーター・演出協会の調査では、年収が400万円以下が54.7%にのぼり、中小零細の若手となれば月給9万円もザラだといいます。 そんな低賃金・重労働に嫌気がさして、作品の質も上がるなど成長著しい中国のアニメ市場へ、人材が続々と流出していると思われます。 このような出稼ぎ日本人が、中国や東南アジアなど海外に進出すればするほど、ある問題が深刻化していきます。 それは、日本人出稼ぎ労働者の「命」や「人権」の軽視です。 貧しい国から出稼ぎに来ていることで足元を見られ、自国の人間が嫌がるような仕事を押し付けたり、長時間労働を強いたりすることもあるでしょう。 自国の人間だったら絶対にしないようなセクハラ、パワハラ、イジメのターゲットになってしまうかもしれません。 賃金の高さにつられてやって来ている外国人がゆえ、危険な仕事や過酷な仕事を強いられたり、人種差別の被害にあったりする恐れがあります。 嫌なら辞めてくれて結構です、中国で働きたい日本のアニメーターはたくさんいますと言われかねません。 いま日本に出稼ぎに訪れている技能実習生などの外国人労働者は、このような問題に直面しています。 10年後、20年後、「安いニッポン」に見切りをつけて、中国や東南アジアに出稼ぎにいく子どもや孫たちが、異国でどのように辛い目に遭うのかは容易に想像できます。 「安いニッポン」が進行していけば因果応報で、今度はわれわれ日本人労働者が命を軽んじられる側にまわるかもしれないのです。 「安いニッポン」という構造的問題がつくられた根源は、1963年の中小企業基本法です。 本来なら競争力の低下などで退場する運命にあった中小零細企業を、国の強力なパックアップで、無理に延命させるガラパゴスな政策を50年以上も続けてきました。 中小零細企業を延命させるには、賃金はなるべく低く据え置かなければいけません。 労働者はどんどん貧しくなるので、結婚もできなくなっていきます。 少子化が進行しますので、戦後復興の原動力だった人口増にブレーキがかかります。 それでも中小企業の延命のためには賃金をあげられないので、生活に希望が持てません。 若年層は、年功序列のせいで、低賃金国家ニッポンの中でも輪をかけた低賃金を強いられています。 失われた30年とまで言われるほど日本が立ち止まっていた間に、世界はどんどん成長し、日本のポジションも大きく変わってしまいました。 「安い日本」は個々の企業にとっては最適解でも、安さはまさしく日本の停滞と結びついています。 賃金と物価がパラレルに上がっていく国の方が、成長や発展性があると思われます。 そろそろ国民をあげて、賃上げに本気で取り組んでいくべき時期にきているのではないでしょうか。第1章 ディズニーもダイソーも世界最安値水準ー物価の安い国/第2章 年収1400万円は「低所得」?-人材の安い国/第3章 「買われる」ニッポンー外資マネー流入の先に/第4章 安いニッポンの未来ーコロナ後の世界はどうなるか[http://lifestyle.blogmura.com/comfortlife/ranking.html" target="_blank にほんブログ村 心地よい暮らし]安いニッポン 「価格」が示す停滞 (日経プレミアシリーズ) [ 中藤 玲 ]「安いニッポン」が日本を大復活させる [ 武者 陵司 ]
2022.08.06
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