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別所毅彦別所毅彦 べっしょたけひこ 1922~99 南海ホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)、巨人で通算310勝をあげたプロ野球の剛腕投手。最優秀投手賞2回、最多勝3回、沢村賞(→ 沢村栄治)を2回受賞するなどプロ野球界を代表する投手で、全盛期にはマウンドにたつと仁王を思わせるほどの威圧感があった。1942年(昭和17)、兵庫・滝川中から南海入りし、すぐノーヒットノーランを記録するなどルーキーで14勝。2年間の兵役後46年球界に復帰、19勝して南海(当時グレートリング)の優勝に貢献した。翌年には26勝、48年には30勝をあげてエースに。49年巨人にひきぬかれ、プロ野球界に衝撃をあたえた。巨人にうつってからは水原茂監督をたすけて巨人第2期黄金時代をきずいた。68年から70年までサンケイアトムズ(現、ヤクルトスワローズ)、ヤクルトアトムズ(同)の監督をつとめ、引退後は評論家として歯に衣(きぬ)きせぬ解説で人気があった。79年野球殿堂入り。
2005年06月30日
権藤博権藤博 ごんどうひろし 1938~ デビュー後、わずか2年間で65勝をあげたプロ野球の快速球投手。監督としては横浜ベイスターズを日本一(→ 日本シリーズ)にみちびいた。佐賀県生まれ。長く内野手をつとめ、投手に転向したのは鳥栖高校3年のとき。ブリヂストンをへて、1961年(昭和36)、中日ドラゴンズに入団。開幕2試合目の巨人戦に先発し、初登板初完投勝利をあげる。その年、429イニング3分の1を投げ、35勝19敗、防御率1.70、310奪三振の成績をのこし、最多勝、最優秀防御率、沢村賞、新人王の各賞を受賞する大活躍をみせた。新人で35勝という数字はプロ野球記録として現在ものこる。翌1962年も金田正一、村山実などセ・リーグを代表する投手たちをうわまわる30勝17敗の成績で、2年連続の最多勝を獲得。連投につぐ連投で、梅雨の時期には、そのローテーションは「権藤、権藤、雨、権藤」とまでいわれた。2年間で130試合に登板という酷使で肩をいため、3年目からは内野手に転向したが成功せず、68年に投手に復帰するも同年引退。通算成績は82勝60敗、防衛率2.69。活躍した期間は短かったが、獅子奮迅の活躍ぶりと若々しい姿が鮮烈な印象をのこした投手である。引退後は中日のコーチを11年間つとめ、以後、近鉄バファローズ(現、オリックス・バファローズ)、福岡ダイエーホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)、横浜ベイスターズと、各球団のコーチを歴任。1997年(平成9)シーズン終了後、横浜の監督に就任すると、翌98年には就任1年目にして38年ぶりのセ・リーグ制覇と日本一をなしとげた。2000年シーズン終了後、監督を退任。
2005年06月29日
伊良部秀輝伊良部秀輝 いらぶひでき 1969~ アメリカ大リーグで6年プレーした日本プロ野球界屈指の速球投手。マウンド上での悪童ぶりなどで話題も多い。沖縄県コザ市(現、沖縄市)に生まれ、兵庫県尼崎市でそだつ。若草中学時代にボーイズリーグでエース、4番打者として活躍し、香川県の尽誠学園高校に進学、1986年(昭和61)、87年の2年連続で甲子園(→ 高校野球)に出場する。88年ドラフト1位でロッテ・オリオンズ(現、千葉ロッテ)に入団。速球投手として将来を嘱望されていたが、強気のピッチングが災いしてか、93年(平成5)までの6年間の通算成績は23勝32敗とあまりふるわなかった。しかし、94年には15勝10敗、239奪三振を記録して、最多勝と奪三振王のタイトルを獲得、名実ともにロッテのエースになった。95年は239奪三振、防御率2.53で2冠。96年は防御率2.40でタイトルを獲得した。1993年、西武戦で日本最速の時速158kmをマークして、日本プロ野球ナンバーワンの剛速球投手になった。そのころから野球の本場で実力をためすために大リーグ入りを熱望。96年オフに球団側はサンディエゴ・パドレスに独占交渉権を譲渡したが、本人はヤンキース入りを主張して日米の野球界をまきこんだ問題になる。結局、97年5月、新人としては史上最高金額の850万ドルで、ヤンキースと契約、念願のメジャー選手となった。ヤンキースでは、1997~99年の3シーズンで29勝20敗の成績をのこし、99年末にモントリオール・エキスポズ(現、ワシントン・ナショナルズ)に移籍。エキスポズ時代は故障がつづき、2001年シーズン途中で解雇される。02年、テキサス・レンジャーズと契約、ストッパーとしてチーム最多の16セーブをあげる活躍をみせたが、7月に肺血栓がみつかり故障者リストに入った。11月自由契約となり、阪神タイガースに移籍。03年は13勝をあげ、阪神の18年ぶりの優勝に貢献した。2005年3月、ヒザの故障のため現役を引退。日本での通算11年間の成績は、72勝69敗、防御率3.55。大リーグでの通算成績(1997~2002)は34勝35敗16セーブ、防御率5.15。
2005年06月28日
鈴木啓示鈴木啓示 すずきけいし 1947~ 先発完投にこだわり、通算317勝をあげたプロ野球を代表する左腕投手。兵庫県生まれ。育英高校時代に春の甲子園(→ 高校野球)に出場、1回戦でやぶれたものの、剛速球のサウスポーとして注目され、ドラフト制の1期生として近鉄バファローズ(現、オリックス・バファローズ)に2位指名をうける。1966年(昭和41)に入団し、その年ルーキーで10勝をあげ、新人王を獲得する。翌67年から5年連続20勝をマークするなど近鉄のエースとして活躍した。先発、中継ぎ、抑えと投手の分業化がすすむ中、1985年に引退するまで先発完投にこだわり、パ・リーグ最多の340完投、71完封の記録をのこした。通算317勝238敗、防御率3.11。勝利数の317は歴代4位。ノーヒットノーランも2度達成している。「四球をだすくらいなら、ホームランを打たれたほうがまし」との信念どおり、無四球試合78の日本記録をつくる一方で、通算被本塁打560本のプロ野球記録ももっている。ふまれても生えてくる雑草のたくましさをあらわした「草魂」がキャッチフレーズ。引退後は、野球解説者をへて、92年(平成4)から95年まで近鉄の監督をつとめた。
2005年06月27日
中西太中西太 なかにしふとし 1933~ プロ野球、西鉄ライオンズ(現、西武)の黄金時代のホームランバッター。現役時代はするどい打球と長打力で「怪童」とよばれ、引退後は多くの好打者をそだてた。香川県高松市生まれ。高松一高時代から「怪童」とさわがれ、1952年(昭和27)、三塁手として西鉄に入団し、その年に打率2割8分1厘、12本塁打で新人王を獲得。2年目のシーズンには打率3割1分4厘、36本塁打、36盗塁で、バランスのとれた一流選手の証明である「3割30本30盗塁」を達成、ホームラン王と打点王の2冠にかがやく。するどいバットスイングからくりだされる打球の速さと飛距離の大きさは伝説的で、53年、平和台球場ではなったホームランは、バックスクリーンのはるか上、160mをこえる場外ホームランだった。豪打にくわえ俊足強肩の三塁手として、大下弘、豊田泰光、稲尾和久らと1956年から3年連続日本一を達成、西鉄の黄金時代をきずく。その後、腱鞘炎(けんしょうえん)(→ 腱)で手首をいため、出場機会がへり、62年には、28歳の若さで選手兼任で監督に就任。69年に現役を引退し、同時に西鉄を退団した。実働18年間で通算打率は3割7厘、244本塁打、785打点。首位打者2回、本塁打王5回、打点王3回。その後、日本ハム・ファイターズ(現、北海道日本ハム)、阪神タイガースで監督をつとめたのち、ヤクルトスワローズや近鉄バファローズ(現、オリックス・バファローズ)などの打撃コーチとして手腕を発揮し、若松勉、掛布雅之らの好打者を数多くそだてている。99年(平成11)には野球殿堂入りをはたした。
2005年06月26日
日本野球機構日本野球機構 にっぽんやきゅうきこう The Professional Baseball Organization of Japan 通常日本野球機構という場合は「コミッショナー事務局」「セントラル野球連盟(セ・リーグ)」および「パシフィック野球連盟(パ・リーグ)」の3者の合同体をさす。しかし正確には日本野球機構とは、日本選手権シリーズ試合(「日本シリーズ」)とオールスター・ゲームを主催する団体で社団法人という法人格をもっている。この団体は、コミッショナーを会長とし、職員は、コミッショナー事務局の職員が兼務する。平常この事務局は、傘下にあるセ・パ両リーグを管理しているのだが、これと平行して、日本シリーズとオールスターを主催しているのである。そして、その収益を、コミッショナー、セ・パ3局の費用や選手の年金資金に充てている。一方、セントラルとパシフィックの両連盟を総称して、「日本プロフェッショナル野球組織(NPB:Nippon Professional Baseball)」という呼称がある。ふつうプロ野球の世界という場合は、この呼び方が正しい。(現代用語の基礎知識 2004 より)
2005年06月25日
西武・宮越、9年目のプロ1勝「頑張ってきたかいあった。いつか勝てると…」◆西武4-3ソフトバンク 西武の宮越徹投手(27)が、9年目でプロ初勝利を挙げた。2点ビハインドの8回1死一塁から4番手で登板。後続を断つと、最終回に味方打線が大逆転劇。うれしい初白星が舞い込んできた。 「今まで頑張ってきたかいがあった。いつか勝てるとは思っていたが、うれしいです。素直に喜びたい」と声を弾ませた宮越。「誰に感謝?」と聞かれると「9年間、何も言わずに見守ってくれた両親に。8年間、お世話になったドラゴンズに。今年からお世話になっているライオンズに」と答えた。 奈良・郡山高からドラフト8位で、97年に中日入団。故障とも闘い続けた中日での8年間は、20試合に登板し0勝2敗。昨年オフ、大友、玉野との交換トレードで、正津とともに西武に移籍。今季は、この試合がすでに10試合目のマウンド。最近は競った場面での起用も目立つ。 「肩を痛めて入団2年目まで投げられなかったし、今はすごいやりがいを感じています。どうにかして監督、コーチの期待に応えたかった」。森から贈られたウイニングボールを大事にカバンの中にしまい込んだ右腕に、伊東監督も「宮越の初勝利に目頭が熱くなった」と興奮気味だった。
2005年06月24日
朝倉、待望の岐阜星竜4連勝 トラと6.5差 “逆転V”の夢を乗せて、中日の勢いが止まらない。17日のヤクルト戦(岐阜長良川)で先発した朝倉健太投手(24)が、粘り強い投球で地元・岐阜でのプロ初勝利をゲット。中日は今季4度目の4連勝。阪神が広島に敗れて、ゲーム差は「6.5」に縮まった。きょう18日からの広島3連戦(ナゴヤドーム)に勝って前半戦を締めくくれば、いよいよミラクルが現実に近づいてくる-。◆ローテつかんだ カクテル光線に照らされる仲間たちを、飛びきりの笑顔の朝倉がハイタッチでお出迎えだ。地元・岐阜で1年前のリベンジマッチでつかんだ初白星で、虎に6・5差と迫る4連勝。「地元での勝利はうれしい? そうですね。あまり気にはしていませんが」。5月4日のヤクルト戦以来74日ぶりの今季3勝目。ウイニングボールをそっと握りしめた。 逆転Vを狙う強竜先発陣に、待望の男が戻ってきた。川上、山本昌、マルティネス、野口-。同僚たちがつくった復活の流れを、がっちり受け継いだ。連打に、自らのミス、味方のエラー。これまでならば、崩れていてもおかしくない場面が、初回から相次ぐ。3者凡退も一度もなかった。しかし、この日の背番号18は、ひと味もふた味も違う粘りの投球で、白星を呼び込んでみせた。 「冷静さを欠いた」と振り返ったのは2回の守備。1死一、三塁から、館山のスクイズは投手前への小飛球。朝倉は併殺を狙い、ワンバウンドで捕球しようとしてファンブル。二塁送球をあきらめたが、一塁へ悪送球し、同点を許した。 2-1で迎えた5回1死1塁では、宮本の中前安打をアレックスが後逸し、再び同点…。6回には、鈴木の左飛を井上が落球で走者を背負った。こんなときも「ずっと(1軍に)いられるようにしたい」「(先発陣の)波に遅れたくない」という強い気持ちで投げ続けた。3度の併殺、仲間の好守備にも助けられ、「谷繁さんのミットをめがけ、集中力だけで投げた」と最後まで踏ん張り、先発5本柱に堂々の名乗りを上げたのだった。 故郷のマウンドは、昨年6月30日の広島戦以来、382日ぶりだった。一昨年のオープン戦初登板も、昨年の公式戦初登板もKOされた。因縁の長良川球場で、両親、地元ファンにも見守られながら、ついに雪辱を果たした。 今季4度目の4連勝で、この日敗れた阪神に6・5差とジワリと迫った。落合博満監督(51)は「きょうは朝倉劇場だな。これからは内容が問われる」と話し、朝倉の再ローテ入りを認めると同時に、もうワンランク上の投球を期待した。梅雨明け間近の故郷で差し込んだ一筋の明るい光。背番号18が確かな一歩を踏み出した。
2005年06月23日
ウィリアムス、藤川、久保田猛虎“トリプル魔神” 1イニングずつ3人斬り 2番手で7回に登板したウィリアムスが圧巻の奪三振ショーだ。福留を空振りに切ってとると、ウッズには3球勝負、145キロの直球でまたもや、空振り。返す刀で、立浪もスライダーで空振りに仕留めた。ウィリアムスは「安藤に勝ちをプレゼントしたかったんだ。アウトを3つ取ることに専念したのが良かったんだね」と胸を張った。 いつもとは逆の順番、左腕・ウィリアムスの後の3番手として救援した藤川も8回をあっさり3人で料理し、自身が持つ連続ホールド日本記録を13に伸ばした。「順番? 打順の巡り合わせもありますからね。大丈夫。チームの流れがいいから助けられた」とクールフェイス。黄金リレーで「完全」に抑え、笑いをかみ殺すのに必死だった。 もう、久保田を“虎の大魔神”と言っていい。この日も9回に登板し、代打・森野から3人を完ぺきに抑え、中日に引導を渡した。3日の横浜戦(横浜)から登板した6試合連続でセーブを獲得だ。久保田は「3人で抑えられて何よりです。シーズンの終わりまで、連続セーブを続けていきたいですね」。暑さ大好きの“夏男”はさらなるフル回転を宣言した。
2005年06月07日
落合監督には見える 虎の弱点竜きょう福井でヤクルト戦 中日は15日、ヤクルト戦(16日)に備えて福井市の福井県営球場で全体練習を行った。各選手の動きをチェックした落合博満監督(51)は『8月勝負』をあらためて明言。この日、7・5ゲーム差となった阪神との距離は縮まり、逆転Vは果たせるのか…。キーワードの1つは“経験”にありそうだ。 梅雨とは無縁の札幌から、蒸し暑い福井への移動。落合監督は休養日の川上を除く27人に練習を命じた。暑さに慣れ、汗を出す。走ることはないが、自らもグラウンドに立ち、隅々に目を光らせた。トラが走り、竜が追う。後ろ姿がかすむほどの距離も、指揮官には見えている。だから、慌てない。 「(球宴前5試合の)中継ぎフル回転? それは考えてない。(勝負は)8月だから」。縮まるに越したことはないが、ムチを入れるのはまだ先だ。この不敵ともいえる自信にも源はある。落合監督の経験こそが、その根拠だった。 「いろいろ経験してますよ。だから野球選手の精神状態もよく分かっている。みんなが思っているほど(選手は)強くないんだ。頭の中や腹の中をかち割って、見せてやりたいくらいだよ」 逃げる身にも不安がある。だが、追う側はある意味、余分なものを捨てて立ち向かえる。幸い、今の中日は萎(な)えるほどの位置には落ちていない。野球はメンタル。それを熟知する指揮官。“髪の毛1本の差”に泣き、笑ってきた野球人・落合ならではだ。 巨人時代には『10・8』、『メークドラマ』で笑い、中日では1991年に広島に泣かされ、独走したはずの日本ハムでは、西武に苦汁をのまされた。数字の上では阪神が優位に決まっている。だが、その裏に潜む、歯止めなき崩壊の恐怖。それを知っているのが落合監督なのだ。 「投手陣が楽しみ? ウン。でも(先発が)一枚足りない。みんな足りないよ」 トラを追いつめる。その態勢だけは整えたい。竜が舞う。阪神は、それが一番怖いのだ
2005年06月06日
谷繁、打った!走った!71試合ぶり猛打賞 1年3カ月ぶり盗塁成功 ウイニングボールをバシッと取った感触が気持ちいい。ヤクルト最後の打者・真中のバットがぴくりとも動かず、見送り三振。谷繁元信捕手(34)がとびきりの笑顔でマウンドの落合に歩み寄る。先制適時打に、約3カ月ぶりの猛打賞、今季初盗塁と大暴れ。 「これ(3連勝)で調子が上がっていくといいね」。投手陣を支える看板捕手が、最高のヒーローになった。 思い切った判断が、ヤクルトにダメを押した。3-0で迎えた6回。右翼線にポトリと落とす当たりで、猛打賞を達成した直後だ。9番・山本昌へのサインはストライクなら送りバント。しかし、初球のボールに山本昌はバットを引いたが、谷繁は二塁へ。もう戻れない。タッチをかいくぐり、自ら「セーフ」と思い切り手を広げたほどだった。 脚力に優れた選手ではないが、昨年4月17日の横浜戦以来、1年3カ月ぶりの盗塁が効いた。山本昌の送りバントで三進すると、荒木の適時打を引き出して4点目のホームを踏んだ。 「盗塁? ガハハ! スタート切ってしまっていてさ。でも、あれが点になってよかったよね」。報道陣に囲まれながら、豪快に笑い飛ばした。 2回には、技ありの一撃で先制の2点をもぎ取った。2死二、三塁。先発ガトームソンの直球をきれいに右前にはじき返し、ウッズ、福留を迎え入れた。「外よりの直球をコンパクトにスイングできた」。7月3日の前回対戦で、打線が手をこまねいた相手から奪った貴重な先制点だった。 4回の左前打と合わせた3安打で、4月13日の広島戦(豊橋)以来、実に71試合ぶり今季3度目の猛打賞を達成。バットでも山本昌をサポートした。 最近は、早出特打や落合監督の直接指導を受けるなど、試行錯誤の日々を送ってきた。「調子が戻った? 阪神戦で…、いや、いいです。たまたまですよ。僕は(打率が)2割5分もいかない打者だから」。謙遜(けんそん)なのか、谷繁は急に打撃の話をやめた。男は黙って、ガツンと打つ。頼れる8番打者の背中が大きく見えた
2005年06月05日
憲伸、仁王立ち走者出してもかえさない!気迫のG倒 ◆中日12-2巨人 インタビューを受ける中日・川上憲伸投手(30)の背中に、竜党の大声援が降り注いだ。 「昨日の勝利を無駄にしたくなかった。調子はいい方ではなかったが、踏ん張れば、打線が何とかしてくれると信じて投げた」。力強く言うと、ウイニングボールをポーンと三塁側のスタンドに放り込んだ。 エースの粘投で、逆転Vへのシナリオがまた1ページ書き加えられた。昨年6月、首位攻防戦。巨人に3タテを食らわせ、首位を、優勝を確たるものとした“札幌夏の陣”の再現だ。昨年第2戦で登板した川上は1年1カ月後のこの日も、マウンドで仁王立ち。初回に1点を失ったが、2回以降は一度も三塁を踏ませず、7回まで粘り抜いた。「昨年も札幌で巨人に勝ってから優勝したが」と聞かれると、エースは「験かつぎではないけど、こういうところで(巨人に)勝てるのはいいことだと思いますね」とニンマリだった。 負けるわけにはいかなかった。6月はどん底。5試合の登板で1勝1敗、そのチーム成績は2勝3敗だった。責任を痛感した。約1カ月ぶりの白星がついた7月6日、巨人戦。自身が勝てなかった時期について聞かれると、「チームが勝てなかったことがつらかった」と言った。悪夢の6月を、7月に糧としたかった。 この2試合で投打の歯車がかみ合い、強いドラゴンズがよみがえってきた。「今、たまたまチームの調子の波が、下がったところに来ただけですよ。大丈夫です」。8-10日の阪神3連戦中の川上の予告通り、快進撃が始まろうとしている。「今日は阪神が負けた? 必死で頑張って、1ゲームでも差を縮めていきたい」。エースから高らかに反攻宣言が飛び出した。“諦める”という言葉は、この男の辞書にはない
2005年06月04日
万全ローテで7差 虎迫撃 オレ竜が球宴前の5連戦に自信のローテーションで全勝を狙う。14日、中日は16日からのヤクルト2連戦(福井、岐阜)に備えて札幌から福井入りした。落合博満監督(51)は、山本昌広投手(39)を18日の広島戦(ナゴヤドーム)に回す特別編成で白星を連ねる考えだ。一方、7ゲーム差をつけ首位を走る阪神の岡田彰布監督(47)は、本拠地に腰を据えた15日からの前半最終6連戦に余裕の表情だ。 やはり昇竜のカギを握るのは安定した先発陣だ。交流戦を挟んで不調をかこった中日のローテーション投手の歯車が、ここへきてカチリ、カチリとかみ合いはじめた。 谷繁元信捕手(34)が、その手応えを口にする。「良くなっている。長いシーズンは波があるけど、今は落ち着いてきているんじゃないの」。大きな落ち込みを通り過ぎて、高いレベルでの安定ぶりをミットを通して感じとっている。もちろん「調子がいい時はもちろん、悪い時も悪いなりに抑えている」。自らのリードも含めて、波長が合っているという感触がそう言わせている。 数字も手応えを実証している。5日の巨人戦(ナゴヤドーム)以降の7試合は川上とマルティネスが2試合、山本昌、朝倉、野口が1試合の先発で、誰もが2失点以内で踏ん張っている。この間の先発投手の登板成績は48イニング1/3で自責点12の、防御率2・23。82試合全体の防御率4・36と比べれば、その立ち直り具合が際立つ。長いペナントレースの中でわずかな休息を得られるまで、16日からの5連戦を残すだけ。5本柱が1試合ずつを担う5試合に、全勝を読み込むのも決して大風呂敷ではない。 落合監督ら首脳陣はさらに、この5戦のローテーションにひと工夫を加えていた。この日、札幌から小松空港経由で福井入りしたメンバーから、山本昌の姿が消えていたのだ。登板順からすれば16日のヤクルト戦(福井)先発となるはずのベテラン左腕は、13日夜に名古屋へ戻っていた。5試合の先発は朝倉、野口、山本昌、マルティネス、川上の順。山本昌を5連戦のヘソとも言える18日の広島戦(ナゴヤドーム)へ回すのは、昨季本拠地で10勝1敗(今季は2勝3敗)とめっぽう強かった相性を考えたものでもある。同時に、他のローテ4投手がいずれも中6日と通常通りの登板間隔でマウンドに上がることができる。月曜日開催の変則日程をも逆手にとった、オレ流“5戦全勝”ローテーションといえるだろう。 現在、首位を走る阪神とのゲーム差は「7」。目の上の敵も大きな取りこぼしをするとは思えない。ならば、離されずピタリとついていくだけ。落合監督が口にする「勝負は8月」という言葉。昨年同様、札幌での連勝の余勢をかって、この坂道を一気に駆け上がれば、指揮官の勝負勘も現実味を帯びてくる。
2005年06月03日
朝倉健太出陣ツバメキラーが切り開く連勝街道 中日・朝倉健太投手(24)が16日のヤクルト戦(福井)に先発する。今季2勝はともにヤクルト戦で挙げている「隠れツバメキラー」の出番だ。現在、中日の先発陣は7試合連続で好投が続いている。球宴休みまで続く5連戦。朝倉が連勝街道を切り開く。 2日間の休みを置いて始まる球宴前ラストの5連戦。先陣を任されたのは朝倉だった。今季、これまでに挙げた2勝はともにヤクルトから。さらに、昨季3勝のうち2勝も同じくヤクルトからだった。隠れツバメキラーだ。 「球宴まで残り5試合? まあ、どっちにしろ(登板は)あと1回ですから。ずっと(先発ローテに)いられるようにしたい」 チームの方針もあり、朝倉は登板については固く口を閉ざした。15日に福井県営球場で行われた全体練習では、炎天下でランニングを入念に行って本番に備えた。 ここ7試合連続で先発が好投している。その中で朝倉も前回9日の阪神戦(ナゴヤドーム)では勝ち星こそつかなかったが、7イニング2失点と力投した。「波に乗り遅れないように、自分も一緒についていきたい」と、いい意味で刺激になっているようす。今回も好投して、17日の2戦目(岐阜)に先発が予想される野口にバトンをつなぐ。 福井には縁がある。父方の実家が福井市内にある。“里帰り”の先発マウンドで5月4日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)以来の3勝目を挙げたいところ。「2カ月くらい(先発ローテーションに)いなかったですから。その分もしっかり投げたいです」と朝倉。 今季は開幕ローテ入りを果たしたが、5月に2軍落ちを味わった。前半戦ラストの先発。1軍復帰後の初白星を相性抜群のヤクルト戦でつかみ取るつもりだ。
2005年06月02日
岡田監督ニンマリ 首位ばく進 首位をひた走る“阪神特急”が加速する。広島に2連勝で蹴散らし、12カード連続の「負け越しなし」を早々と達成。貯金も今季最多の「20」に到達させた。 原動力は先発・杉山直久投手(24)。初回から直球で内角をズバズバと攻め、3回まで0点に抑える。6回に暴投で1点を失ったが、7回まで散発4安打の奮投。リリーフは仰いだが、楽々と5勝目をゲットした。 「初回に(嶋に)死球を与えましたが、あとはスイスイといけた」と杉山は満面の笑み。岡田彰布監督(47)は「杉山が先発の仕事をキッチリしたよな。いいリズムで投げたから、守備にもいいリズムが出るんや。ナイスピッチ」と絶賛した。 この日の甲子園の右翼席。ある1枚の横断幕が掲げられていた。“天国にささげる勝利”。杉山が夏の高校野球京都大会で投げ合った大谷高のエース・中村圭悟さんが約2週間前に、白血病で亡くなった。杉山は通夜で勝利をささげると誓っていた。だが、7月に入ってからの勝ち星はゼロ。「今日こそは」と思い、マウンドへ。心を燃やし、攻めまくった。結果は好投。天国の球友への勝利のプレゼントに杉山は「よかった…」と感慨深げだ。 先発5人目の男の好投で貯金20。87試合目での到達は球団史上4番目のスピード記録だ。「各自が役割を果たしている。流れがいい。今日の杉山もそうや。打撃陣もそうや。エエ流れは崩したくないわ」。岡田監督には進撃への自信が深まる。 オールスターまで残り4試合。指揮官は理想の戦い方をもう、隠しはしなかった。「あと4つキッチリやっていくということや。1つずつということよね」。2位以下の成績は気にせず、トップスピードでセ界を駆け抜ける
2005年06月01日
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