全3件 (3件中 1-3件目)
1
大樹の写真の横には今でもいろいろな物が飾ってあります。置いてあると言った方が正しいのかも。この免許は、平成17年9月13日に国土交通省より発行されたJRの運転士の免許です。大樹が高校を卒業した頃は、大変な就職難の頃で、県外の企業は数社で選択できる余裕もなく、JR西に合格した時は親子でほっとしたものでした。野球部からは何十年ぶりだそうです。 入社して3週間は大阪の研修センターでびっちり勉強です。それから配置が決まり、初めての職場は彦根駅でした。駅員の仕事をしながら、秋には社内の通信教育で次のステップにいくための勉強があり、試験を受けながら、車掌になり、運転士になっていきます。もちろん個人差があり本人の希望もありますからいろいろな展開もあります。卒業4年目の春に半年間の運転士科の最終研修も終わり3月から金沢列車区で見習い運転士として乗務していました。4月にはあの尼崎の列車事故があり、子を持つ母としてまた、すごい惨状をみて心配しました。あの事故で亡くなった人の辛い悲しみはいつまでも忘れてはならないのです。今自分が子供を失ってみて、理不尽に命を奪われた家族の悲しみは時が経っても癒えないのだと思います。あの時は私も大樹にストレスをかけないように接していました。半年間の見習い乗務もおわり、最終試験も合格して免許が交付されました。それでやっと一人で運転席に座るのです。
2008.03.20
コメント(4)
こんにちは。やっと春らしくなりました。(^_-)-☆でも、今日はあいにくの雨です。さて、残されし物はいろいろありますがこのメガネは近眼だった息子が使っていたものです。私も主人も近眼はありませんでしたが、どうゆうわけか二人の息子は小学生からメガネ生活でした。大樹は小3より学童野球を始めました。動機は単純でスイミングスクールをやめたくてその代わりに行くことになりました。もともとスポーツは万能で何でもこなしていましたがスイミングは3歳の頃 喘息の予防で始めたものでした。形にはまるのがいやで、空手やスキー、お誘いはあっても行きませんでした。スキーなどは、教えてもらうより勝手に滑って覚えていました。野球を始めて暫くしてから、コーチから「球ガ見えてない。振り遅れる。目が悪いのと違うか?」と言われ始めて眼科へ行ったくらいですから。 (>_
2008.03.14
コメント(6)
2006年6月1日(木)その日の空は、初夏を思わせるほどの快晴長男 大樹(だいき)は23歳で愛車 ハーレーダビットソンに乗って大空のかぜになりました。これからいろいろ思い出を書いていこうと思います。今日もお墓参りに行き、おかんの新車が来たよと報告です。
2008.03.01
コメント(4)
全3件 (3件中 1-3件目)
1