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書き忘れていました。2006年、主人は吉田拓郎のコンサートに行きまくっていました。大樹の亡くなる2ヶ月前の4月1日。松山であるコンサートに出かけていきました。JRの家族割引(独身の時は親だけ)があるので、なるべくJR西の地域へ出かけます。9月にある つま恋コンサートも新年早々に予約をしていました。9月23日、静岡県掛川市。私は初めから野外コンサートは体力的に無理なので行きませんでした。拓郎の歌を聞きながら、何を思っていたのでしょうか!私はこの頃行きつけの花屋の奥さんから「もうこれ以上痩せないでね」と言われました。自分では全然気づかなかったけど、痩せていました。げっそりと。数ヶ月で10キロ以上 体重計にのってびっくりでした。春先に大樹から「おかん、やばいでその体」と言われた事を思い出していました。お花屋さんは息子達が3歳の頃より行きつけです。お花屋さんにも子を亡くした お客様をおもちです。沢山の励ましをいただきました。
2008.09.28
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ちょうど2年前の今頃、私はどうしていたのでしょうか!お盆過ぎに福井へ出かけました。大樹の大事にしていてそして、事故の当日にも着けていたロレックスの時計をメンテにだすためでした。事故当初祭壇に飾ってありましたが仕事に行くようになった主人が使うのに出した物でした。時計を買うときも “おかん、ロレックスの古い時計がほしい。何処の店がいい”“高価なものだから良く考えなさい”と言っても 相談した時は もう買うために調べているのです。知人に相談して修理のきちんと出来る店に行かせたら“やっぱり 年代物よりも新しいのを買うことにした”言った次の日に福井まで買いに行ってました。時間がもったいないような すぐ行動の大樹です。“主人はお金もないのに”とすぐに怒ります。でも私は自分ですべてやっているのだから良いのではと思っていました。きっと反対しても、どうせ買うのだから。それなら “無理をしないでね”ぐらいにしておいた方が良い。何で頭ごなしにすぐに、反対するから主人には相談がないのです。その時計は、事故の衝撃で留めが壊れていました。修理が終わったので福井市のジュエリーパリに取りに行きました。その時にお店の担当者の方が “大樹さんはお元気ですか”とお尋ねになりました。言葉に詰りましたが、主人が事故の事を話しました。“それで修理の事が納得出来ました。何かあったとは感じておりました”“大事に使います。”主人は答えておりました。それで息子がしていた、かっこいいロレックスをいい年のおやじがしているのです。 そして秋のお彼岸、暑かった夏も終わりで10月になりました。自宅前19歳の頃
2008.09.27
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昨日の日曜日は虹の会がありました。会といっても、会費もなくテーマもなく自由参加です。決まっているのは 会場と同じ境遇の方と言う事だけ。子供を亡くした事(病気・事故・年数)それはいろいろ。ゆっくりおしゃべりをする事。主人はいつもその時間の間、映画で時間をつぶして迎えに来てくれます。私一人でも行けるのに、車で1時間、ドライブだからといって来てくれます。大樹が亡くなってからは、何処へ行くのも二人になりました。私はまだ1年とちょっとの参加です。いろいろ教えていただく事やアドバイスを頂き、毎回参加できる事が楽しみです。今回は20日のフジTVの なでしこ隊の話や話題の映画おくりびとの話をしました。子供の事がなかったら 感動はしてもまた違った感じ方があるのでしょう。私は18の時に母を亡くしたので、やはり「死」は身近でした。以前、広島の原爆ドームに主人と行った時、戦争についての私の感じ方と主人の感じ方には温度差がありました。ところが去年沖縄に旅をして、ひめゆりの記念館に行った時は主人は私と同じ思いを抱きながら、涙を流していました。人間として深い悲しみから見えてくるもの、それは 心の鏡だと思います。自分のいのちが綺麗になり、悲しみを素直にそう思い、人や生き物を慈しめる事すべてを寛容に受け止める事。そのような 心の鏡を持ち 自分を見つめてこれからも生きていきたいです。
2008.09.22
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今日は今度の日曜日、大安吉日結婚のお祝いをお届けに行きます。もちろん、大樹のお友達。それで越前和紙を使い、折型の本を参考に 心をこめて折りました。用意するものは、越前の檀紙・金銀の水引・楮紙雲母(きら)入り金砂半懐紙・紅合わせもみ紙今回の檀紙は機械で漉いた物です。手漉きの檀紙は1枚でも高額です。包む額に応じて紙を選びます。内包みに新札を包みます。大変綺麗な楮紙の金砂半懐紙。出来上がりは手まで雲母(きら)でキラキラしています。丁寧に折りました。正式には表書きを書かず、手渡しが原則です。「折形」とは、金品を贈るときに和紙で品物を包むやり方で、礼の気持ちを表した日本古来のものです。600年もの歴史をもつ 美しい文化です。 本(Book)「折形の本」PHP研究所贈る気持ちを和の形で伝えたい
2008.09.19
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3日間かけてラベンダーのリースを作りました。このリースの台は 大樹の3回忌の法事で記念碑に飾った献花の終わったものです。洋画のワンシーンのような感じ。1周忌の時も生花のリースを飾りました。何といってもハーレーですから、献花もアメリカンでなくてwそれのオアシスを良く乾かしそこに挿したものです。香りも良く素敵に仕上がりました。ラベンダーの束は 生活の木で購入いたしました。
2008.09.17
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季節は秋になりました。 今日は敬老の日ですね。まったく関係ないですがお店のハイビスカスの花が満開です。毎日咲いてくれます。真っ赤な花を見ていると不思議です。元気がもらえます。ひょろひょろの木でしたがだんだん大きくなってきました。お盆の前に植え替えましたらどんどん成長して来ました。去年は11月に3輪、花が咲いたのです。今年はいくつ咲くのでしょう。楽しみです。
2008.09.15
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朝の雨が嘘のような青空です。大樹の通った小学校の運動会が開催されています。子供が大きくなると学校行事がなくなり季節感がなくなるような気がします。残されたものの中に 金沢の列車区で車掌時代の車内アナウンスが 残されていました 1ヶ月を過ぎた頃だったのでしょうかツーリングの時にお世話になった先輩から頂きました。車掌の時に実際の列車に乗って録音されたものでした。たぶん社内の教育の一貫として撮られたものだと思います。不思議な事に他の人は 始めの数秒なのですが大樹のは3分16秒。つまり ピンポンパンポン~JR特有の音で始まりピンポンパンポン~。で終わるのです。富山発大阪行きサンダーバード18号で録音されているのは、金沢駅からの乗車した際にアナウンスされる部分です。電車の音も入っているので 聞きにくい面をあるのですがまぎれもなく大樹の声です。 大樹からの声の贈り物 そう思っています。
2008.09.13
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今日は天気も良い一日。でも湿度が60% 少々蒸し暑いです。今朝新聞のお悔やみらんで近所の友人の義父の訃報を知り仕事に行く前、弔問に伺いました。91歳になっておられました。8月の最終日曜日は義父の兄 96歳その週の火曜日町内会のお婆さん 95歳そして今日のお通夜。最近多いのです。今日のNHKで100歳以上のお年寄り3万人すごい数です。我が家も85歳の義母が元気でいます。“100まで後15年しかないや”なんて言ってます。貴女が100になったら、私は3回り下なので64歳 今の64歳、元気に飛んで歩いてる人が多い2年前の今頃 私の肌はおかしくなりました。仕事柄お肌の手入れは身が入らなくてもしていました。ところが やはりふとした弾みに涙腺がゆるくなるようでどこにそんな涙がたまっているのかと思うぐらい流れるのです。それが原因とは思っていましたが 目尻が切れていたいそれと頬が真っ赤になる。何を塗ってもだめです。顔を洗うたびにひりひり 涙の塩分にまけたのでしょう。その日から ナイトパクトをつけて夜も角質ケアを1週間して何とか元に戻りました。元々アトピー体質の私ですから対処は早くできます。義父の介護の時は1年間ジンマシンに悩まされました。涙はまた別です。辛い別れで悲しみを抱えている時鏡を見る心に余裕などなかったです。その時ほど自分の顔が他人に思えました。いつまでも綺麗なおかんでいなくてw 大樹に遇う時 素通りされそう。
2008.09.12
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手づくり石けんの大バラと小さいバラ 今回の大バラは結婚のお祝い用に作りました。 木箱に入って熟成を待ちました。 待つ事、約1ヵ月今年の夏は暑いだけではなく、北陸は湿度も高く毎日除湿機とクーラーを使い 湿度を50%に保つ管理が難しいです。アロマの石けんパームオイルオリーブオイル(ローズマリー・カモミール)パーム核油キャスターオイルピンククレイラベンダーEOリッツアキュベバEOパロマローザEO血液循環を促進するローズマリーハーブ・抗炎症作用のカモミールハーブをオリーブオイルに漬け込みました。ピンククレイの汚れの吸着で肌すっきり抗炎症・鎮静作用のラベンダーの香り 殺菌・皮脂のバランスを整えるリッツアキュベバの香り 殺菌・抗ウイルスのパルマローザの爽やかな香り
2008.09.11
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2006年7月は49日法要、偲ぶ会その後モニメントを作る計画が具体的になってきました。紹介を依頼した陶芸家の講義の先生が 偶然にも 石の造形を専門にしている方で 陶芸のデザインの講義をされていたのでした。知人はとてもびっくりして、早速京都から帰って自宅にお参りをしてくださり 大樹の写真や私の思いをお話いたしました。思えば私が母を亡くした18歳の時も 励ましてくださいました。お互いに家庭にもち、子育てに追われ何年に一度会う事がなくなっていても大事な時に会う事になっている人、助けに来てくれる人。人との出会いを大切にしていきたいと思う瞬間でした。ちょうど夏休みに入っていたもので、程なく1冊の冊子が届きました。藤岡智紀のしごと と書かれたファイルでした。藤岡智紀さんのアトリエの資料が入っていました。私は石版に絵を彫ってもらうつもりでいましたが、そのファイルに出ている石碑に興味をもち、早速話を進めていただけるようにお願いいたしました。お盆の頃に来て頂く事が決まり、高速のICで待っていました。滋賀ナンバーの古いダットサンのトラックにアロハシャツ。大樹と何とも話、気があうような そんな第一印象でした。自宅でお話をさせて頂き 1週間後、来年の1周忌までに完成するようにお約束をする事ができました。その後、大樹が大変お世話になったハーレーショップに行き協力をお願いして暑い夏は終わりました。お盆の間も帰省している友人達がお参りに来てくれたり事故の現場の大野まで行ってくれたり、多くの人に支えられていました。感謝しています。49日までは毎週来ていた友人達も月命日の1日に来てくれるようになりました。この年も暑く、仏間は一日中クーラーを使いお花が枯れないように、またお昼に帰った時に花立に氷水を入れたものです。あっという間の3ヶ月でした。初めて買ったバイク親父をやっとの事で説得して購入したのです。18歳から1年間乗りました。バイクはかっこよく乗る。スピードよりも
2008.09.10
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事故から40日過ぎた頃、所轄の警察の交通課に行きました。親の事情聴取がありました。それで書類送検をする事になるのです。初めてのことばかりで、予定の日時に大野署に出かけました。父と母担当の警察官とお話しながら生まれ、家族、家庭環境、親の仕事本人の仕事など詳しく聞かれました。警察の方は主人よりも少しばかり年配で若いときにアメリカンタイプのバイクを乗っていたので「息子さんが無理な運転をしないタイプだと思う。」と話されていたのが印象的でした。 「もちろんバイクの良く調べましたし、ツーリングの皆さんにも話を聞かれてました。そして前日の仕事内容や健康面、当日の昼食の内容まで把握していました。本人が亡くなっている以上あくまでも事故の原因は推測するしかないのです。主人は男ですので納得できないのでしょう。「疲れからくる居眠り運転だと思われます。」と断定したい担当の方に本当にそれだけなのかと なかなか認められないのです。でも消去法で、あらゆることを言っても、やはり最後には、そういうことになるのです。スピードもだしていないし ただぶつかる場所が悪かった。分厚い調書には事故現場の写真のほかにほんの一瞬ちらっと、大樹がベットに横たわる裸の写真が見えました。見てしまった。病院の処置室で撮られたものなのでしょう。眼が凍る 悲しい瞬間でした。即死という現実はむごいことです。このことは誰も知りません。初めて書きます。その週の土曜日が偲ぶ会ですセレモニー会場をお借りして昼の1時から夜の9時まで 記帳台に焼香台、そして思いでビデオ大樹のCD、本、浴衣、アルバムなど飾り皆で丸テーブルでお昼は軽食とお茶、夜はオードブルとビールJRの方の勤務にあわせて、来ていただけるように又土曜日ですから仕事帰りの友人にと考えました。最後に前日が大樹の誕生日でしたので 生花で作ったバースディケーキに24本のローソクを立て主のいない お祝いをしました。でも皆の心には 大樹はいます。100人近い人に来て頂き感謝しています。次の日曜日は親戚だけの法要をしました。主人は会食が始まるとすぐ疲れて2階へあがって休んでました。こちらの方が休みたいのに 偲ぶ会のときにあらためて、大樹がバイクが好きであったことを聞き、また乗りたかったパンヘッドのエンジンの事を聞きました。ふと、その思いをどうにか形にして残したい。そう思うようになりました。記念碑を作ろう考えました。主人に話したら作ろうという事になりました。私の古い知人に40代から陶芸をはじめて陶芸家の方がいました。その方がもう一度腕を磨く為に京都で暮らし、勉強をはじめた事を思い出したのです。誰かその様な事に詳しい先生を紹介してほしいと。これが記念碑を作る、第一歩でした。何かをしてなければ、生きていけない状態だったのでしょう。兄弟でとった最後の写真。夏の県大会開会式嫌がる二人を無理やり撮りました。
2008.09.07
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正午に始まった試合も3時間大樹チーム:6点Rチーム:8点二歳若い分だけ後輩チームの勝利でした。閉会式 成績発表:優勝 Rチーム 準優勝 Dチーム 優勝杯授与 最優秀選手 優秀選手 ホンダ賞 バッティングピッチヤー賞優勝杯・MVPの折りたたみ自転車 暑い中応援してくれたお客様にも記念品が贈られました。皆さんご苦労様でした。父・母と大樹も写真で参加素晴らしい夏の思い出の写真です。閉会式を終え、皆でグランド整備をして野球場をでました。6時からは場所を松原海水浴場の浜茶屋に移して子供たち親、先生と総勢60人以上でバーベキュー大会もちろん大盛り上がり。近況報告、結婚あり、失恋あり、失業あり、笑の中であっという間の楽しい時間でした。来年の開催を約束して解散になりました。長い敦賀高校の野球部の歴史の中でこのような先輩と後輩が試合をするのは初めての事と後で地元のケーブルTVの中で紹介されました。本当に皆さんに感謝しています。大樹も皆のことを、影ながらではなく日なたからも応援してると信じています。そして今回仕事でこれなかったチームメイトとも再会の日を楽しみにしています。
2008.09.06
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このところ秋の空です。朝から 雪があったら全部だ。そんな感じの空模様 おまけに湿度が高く気温30度近く日が短くなりましたので、朝夕はまだましですね。体とお肌には 湿度50%がベストだそうです。今日は除湿機をつけても60%。北陸は除湿機が無くては暮らせませんよ。「弁当忘れてても忘れるな。」ですから。ところで夕べは6時集合、大踊り会場についたら止み、途中で救急車が来たり何かと大変な踊りでしたが無事に終わりました。今日は息子たちの母校の高校の体育祭でした。自宅から50メートルと離れていないのでよく聞こえるのです。先生の呼び出しから、応援の声まで。今年は何色かとか。昨日図書館に予約してあった本を借りに行きました。タイトルは“ハッピーなお葬式がしたい”若尾 裕之著。マガジンハウスハッピーなお葬式がしたい!クロワッサンの本紹介記事を読み まずは図書館に予約。今日一気に読みました。息子の49日の偲ぶ会をする時には、図書館で色々な本を読みました。あまりにも突然であり、何か良い方法はと考えていたからです。この本の著者は自分が病気をして、「死」の危機に直面したからです。その時、人生のフィナーレをどう飾るか?との思いで疑問や慣習にとらわれない大切な事を、ゼロから考え直して欲しいと思い、書かれたそうです。『人間の死亡率は100%です。しかし死を意識して、日々を生きる事は人生を真剣に生き抜くことであり、幸せな生き方なのかもしれません。』と最後にあります。一家1冊常備本と書いてありました。私も読んで購入する事にしました。詳細は後日書きます。
2008.09.05
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今日は朝から蒸し暑いですね。 厚い雲に覆われています。夜の踊りが終わるまで雨よふらないで~。昨夜は大樹の友人が 11月の結婚式の招待状を持ってきてくれました。「生きていたら絶対に行くだろうな~。」「いや。絶対冷やかしに行くよ~。なんて言いながら 彼とは小学校・中学校で野球をしてました。高校は工業に行きましたが、同じ高卒で就職してからは仕事は違っても良く遊んでました。そんな時の話をしながら、写真をお届けするお約束をいたしました。大樹が亡くなってから 何回結婚式に写真がお出かけしたことかほろ酔い顔の写真です。何でそんな写真を残してくれたのかそんな事を思います。今日は朝から次男のお弁当を作り、美容院に行き髪をセットしました。お店は今日は臨時休業です。浴衣を着て5時半に集合です。早めに食事の用意をして出かけましょう。浴衣の柄はおかめとひょっとこです。
2008.09.04
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毎年9月の2日~4日は気比神社・敦賀祭りがあります。元来気比神宮の秋のお祭りでしたが広く市民に親しまれているので今は市の祭りとしても 行なわれています。昨日から雨です それもかなり。昨夜は次男が浴衣を着て友人と出かけました。友人に大樹の浴衣を着てもらい、若者二人で出かけました。大樹は浴衣が好きでした。亡くなる1年前に浴衣を仕立てました。1年前は運転手の国家試験の前で、数時間だけ着たのです。もっと着たかったでしょう。呉服屋さんで柄を選んでいる時にすごく渋いのを選んだのでお店の人がびっくりしていました。若いのに何故か 少々おじんくさい。 よく言えば、古き良き物を愛することなのかもしれませんが。古き良き物では・バイク、これも古いパンヘッドのハーレーが欲しかった。車は自分の生まれた歳より古い トヨタのランクルに乗っていた。いつも次男と口けんかをしていました。家にいない(金沢の独身寮)大樹の古いランクルとハーレーのバイクでが車庫の中で 自分のダッチの車が車庫の前の駐車場。父は自宅前の駐車場母の車は、置き場がないので近くの賃貸の駐車場。でも今となっては懐かしい話。天気が回復したら 明日は民謡踊り各町内から 民謡の踊り手が繰り出して賑やかです。私も婦人会の一員として参加します。この浴衣は主人のもので、私が結婚する時に和裁をしている幼なじみの、お母さんに教えてもらい縫った物です。私の母は和裁が得意でしたので生きていたらきっと嬉しそうに教えてくれたことでしょうね。父の浴衣は小さいですね。この写真は大樹が亡くなってから、女友達が持ってきてくれました。楽しそうです。
2008.09.03
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2年前の事ながらどのように毎日をおくっていたか。何とか生活をしていた。そんな感じです。毎日の買い物でも大樹の好物を見ると、思わず涙がでてきます。花粉症の振りをしてごまかしてました。食事をしていても 味がない、砂をかむおもい本当にその様なことがあるのですね。ただ仏事の49日法要の準備をしなくてはならず多忙でいた方が楽でした。友人やお世話になった方に来て頂き偲ぶ会をすることになったので毎日準備する写真の整理に追われていました。次男は子供の頃のビデオをDVDに編集 私は会社の方から頂いた写真を加工したり思い出ビデオの製作など 告別式の最後に思いでビデオが3分ほどありました。その15分バージョンです。写真を56枚、音楽は“THE BLUE HEARTS”ありそうでないのが、大人になってからの写真、制服の写真、澄ました写真です。大樹には成人式の写真もなく礼服も用意していませんでした。地元にいるので、次男には成人式の写真もあるし礼服も用意しているのでした。本当に偶然なのですがSOUL TO SOULの前で
2008.09.02
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昨日急な用事で大阪へ行きました。敦賀駅を8:39発 雷鳥8号大阪行き息子が亡くなって暫くはJRを利用するたびにせつなかったです。涙を周りの人に気づかれないようにするのが 大変でした。制服を着ている姿を、ひっそりと主人と二人で見に行ったことは彦根の駅でした。柱の影から。窓口で切符を発売していました。もう8年も前です。行く時は大阪列車区の乗務員さんでした。いつも名札をチェックしています。それとな~く。用事を済ませて貝塚市に住む幼なじみと難波のスイスホテルでランチをとりました。人気のチョコレートファンウテンで美味しいデザートを堪能してきました。彼女の父親の葬式以来ですから もう5年ぐらいあっていませんでした。近況を話、昔話に癒されました。夏休み最後の日曜日で、子供のお客様がいるテーブルでは手品をしてもらっていました。36階のレストランには ミスマッチな感じもしました。16:12分発 雷鳥33号帰りは金沢列車区の乗務員さんでした。だれが運転していたのでしょうか 大樹行きつけのバイク店「滋賀県より福井に入ってから 警笛を鳴らすカーブがありその右手にお店が見える。二つならすんや」と言ってた事を思い出した写真がイマイチです。駐車場がバッチリ SOUL TO SOUL大樹が大好きだった場所
2008.09.01
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