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冬太り、良く聞く言葉です。これは寒いので動きが鈍くなること、新陳代謝が鈍くなる、などの燃焼の問題もありますね。 秋は「天高く、馬肥ゆる・・・」ですし、夏太りというのもあるし、一概に冬だけとは言い切れません。 そこで、精神的にも気合いを入れるという提案がひとつ。 寒いと暖房などのために乾燥しやすくなりますので、水分の問題か便秘傾向の方もいらっしゃいますよね。良く言われる朝起きてすぐに水を飲む。しかも冷たい水です。起きて本当にすぐ、というのが効果的なので、寝床でぬくぬくしているとチャンスは失われていきつつあるワケです。 そこで気合い一発!バッと起きて、一気に水を飲みます。寒いので目が覚めますし気持ちの引き締めにもなります。 新陳代謝が鈍い、これは気になりますね。体温や発汗に影響しやすい生姜や唐辛子を食事などに使いましょう。私の場合、生姜は好物ですので、ご飯を炊くときに細かく刻んだ生姜を入れます。香りもイイので、特にカレーなどの時にはお勧め。 シンプルなダイエット方と言うよりも健康法ですが、効果的なんだと自分に思い込ませることも必要です。 特に冬に太りたくないとお考えの方は、「健康でキレイな自分」のイメージを頭に叩き込んでおいてください。 どうせ太るんだ、と思っていると、本当に太りやすくなります。成功して微笑んでいる自分のイメージを持っている人の方が、現実に健康的にもキレイにもなりやすいものです。 何でもそうなのですが、イメージ・トレーニングは大切にしたいですね。諦めのイメージは、そちらの方向の自分へと向かっていってしまうからです。 ある意味、思い込みも大事ですから、「絶対」成功させるという感覚が生きてくることも大きいということです。 体が軽くなると、動きも良くなります。キレイな自分なら、自信はアップしていきます。行動力が伴えば、精神的にも肉体的にも良い方向へ向かいます。 この冬も健康で温かい過ごし方をなさってくださいね。 消費効率を上げるために、もう少し筋肉♪などとシンプルな私です~♪
2002.12.27
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この時期、どうしても宴会続きでカロリーオーバーになりがちですね。運動したくても飲み過ぎ食べ過ぎには辛かったり・・・ そこで、ほんの少しだけ気を付けて、少しでもカロリー消費といいましょうか、それを増やすことに「気をつける」ようにするために・・・ なに、難しいことではないのですが、「気を付ける」ことが大事になってきます。意識の問題、かな? 基本は、いつもと違う動作をすること、なんです!いつもと違う動作をするとカロリー消費量はアップします。運動することではありませんよ。 例えば、朝起きて、どちらの脚から動かしますか?意識して、逆の脚から立ち上がってみてください。 歯磨きは右手?では左手を使って磨いてみましょう。なかなか大変です。 外に出るとき、階段を下りるときも、いつもと違う脚から。意識していないとできませんが、それなりにカロリー消費を増していきます。 女性には嬉しい仕種が、カロリー消費に繋がるパターンもあります。宴会などで、何かを取りたいとき、あえて取りたいものに遠い方の手を使ってください。自分の左側にあるものを右手で取る、ということ。体を開いた体勢ではないので、女性としてはしなやかで女性らしい動きを作ります。カロリー消費には取りにくい動きの方がGOOD! そういえば、利き手じゃない方で箸を使って食べると、食が進みにくいのでダイエットになるという方もいらっしゃいます。利き手じゃない方の手を使うことで、いつもと違う脳への働きかけにもなりますね。 後はイメージも大切です。「美しい自分」を、しっかりと思い描くようにしましょう。ダイエットに成功した自分を頭の中にインプットしてください。 成功するためにはイメージも大切ですし、意識の持ちようでも変わるというものです。 健康な笑顔があれば、どなたでもキレイだと考えておりますが、体の栄養、心の栄養には注意を払いたいものです。 タイ料理、ガンガン食べてしまった私♪ 燃費がイイので大食いでも太りにくい、食べ過ぎには筋肉が強み・・・誇っていいのか・・・ いっかー♪
2002.12.20
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「自己愛」、シンプルな感じ方、あるいは考え方ですと「ナルシズム」でしょうか。 自分の容貌などにウットリ、自分自身しか愛せない、と・・・ 個人としての自己愛となると、これは感じ方も表現も千差万別のような気がします。 例えば、「自惚れ」などもある意味シンプルかも知れません。自分は凄い、自分は優れている、これも自己愛と申せましょうか。 自分で自分を愛する、自分を大事にする、可愛がる、これもそうでしょう。 愛されることを望む、これも一種の自己愛である気がします。 考えれば考えるほど、誰しも違う判断をするのだろうと思います。 誰もが褒めて欲しい、認めて欲しい、そんな気持ちを内側に持っています。無条件で褒めてくれる、認めてくれるヒトは実は数少ないとも考えられます。 自惚れは、時として否定されて苦しい思いをすることもあるでしょう。愛されたいとばかり望むのも、現実では辛い立場に立たされることもあるでしょう。自分を大事にしているだけなのに、保守的と言われてしまうのかも知れません。 定義づけることはできませんが、自分を慈しむ、労る、そんな感覚が望ましいと感じています。 辛いときには、自分に「よくやったね」、悲しいときには「泣いていいんだよ」、そんな自分が存在する必要がある思います。 ニンゲン、独りじゃ居られない・・・ でも、自分への決定権を持っているのは自分自身だけなのですから、「大変だったね」と分かってくれる、もう一人の自分が居てもイイと考えてます。 強いということは、反面自分の弱い部分も理解できているということなのでしょう。頑張るんだ、と強がる自分に「無理するな」と言える自分でしょうか。 頑張って当たり前、そんな自分に「やめとけ~」という悪魔な自分、「笑顔で頑張りましょう」という天使の自分。わたしは両方とも、けっこう好きだな♪
2002.12.14
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児童虐待の実態などというテーマで恐縮ですが、ほんの少しだけ読んで頂けると幸いです。 全国実態調査というものがありまして、社会的介入を要する児童虐待は、毎年3万5千例発生し、年間発生率は0~17歳で、1000人中1.5人の割合と推定されておりました。 この数字をご覧になって多いとお感じになるか、少ないとお感じになるかは分かりませんが、生命の危険あるいは受療を要する状態の児が4割を占めているものと報告されています。この10年間で、件数は10倍にも増加してしまっています。 児童虐待の種類として、保護の怠慢(食事を与えない・置き去り・義務教育を受けさせない)、身体的虐待(虐待件数の53%)、性的虐待、心理的虐待、この四つの類型です。 心理的な問題として捉えるのではなく、「通告義務」について知っておいて頂きたいと思います。 通告することに不安があるのは否めませんが、通告に関しては、通告者が虐待と認めれば通告して良いものとされておりまして、法的責任を問われることは一切ありません。虐待防止や、早期発見のためにも通告を促しています。 虐待であるかどうかの判断は児童相談所に委ねられています。児童相談所、もしくは警察が連絡先のようなものになります。 警察の場合、専門の部署がない場合もありますので、児童相談所の方が確実です。 何故、こんなことをお知らせしているのかと申しますと、虐待の疑いをお持ちになる方が、親戚などの近しい方、近所の親しい方が多く、通告後の関係の破綻などを思うと誰にも相談できないケースがあるからです。 後になって「あの時、誰かに知らせていれば」と悩むよりは、疑いを持った段階で児童福祉法、虐待防止法があることを思い出してください。 勇気が要ることかも知れませんが、何も起きていなければ、それだけで「良かった」ということなのですから。 虐待の件数が増えているのは、通告者が増えているということもあります。逆に、メディアの取り上げ方によっては、珍しいことではないのだ、と虐待に及ぶケースもあるという可能性もあります。 ほんの少し、お気持ちの中に留めておいて頂ければ嬉しく思います。 皆さま、お風邪などお召しになりませんように。体が資本です~♪
2002.12.08
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最近、「男なんか信用できない、すぐに裏切るから」ってタイプの方が続きまして・・・ 信用、裏切り、とかの話なども多かったので、少し。 その方にも伝えたのですが、「男が」という断定は、できません。男だろうが女だろうが、信用も裏切りも性別には関係のないことです。 それに、裏切られた、というのも、必ずしも本人に裏切る意志があったとも言えないということ。 裏切られた、という気持ちが強ければ裏切られたことになってしまうでしょう。確かに、裏切るわ、嘘つくわ、という信用できない人が存在するのも事実ではありますが・・・ 断定は難しいと思います。信用したい気持ちが強ければ強いほど、落胆は大きいものです。信用したい気持ち、大きかったんでしょうね。 最初から信用してなければ、やっぱり、で済んでしまうパターンもあります。 ヒトの気持ちは変わることもあるので、確実な答は出せないものでもありますが、「男は信用できない」なんて断言するようになってしまうのは辛いです。 女性でも、とんでもない裏切り行為をする方いますし、でも本人が確信犯かどうかは定かではありません。 気持ちの問題として、「誰もが同じではない」という感覚だけは捨てて頂きたくないです。 世の中、完全なニンゲンは居ないのと同様、自分も知らないうちに誰かを裏切っていることすらあるのかも知れません。 知らず知らず疎遠になってしまったヒトなどは、そんな風に感じているかも知れませんから。 誰もが同じ、性別で区切る、そんな自分自身が辛くなるようなことはしないようにしたいものです。 自分に正直にいることができれば、少なくなることだと祈りたいです。 明日も強く逞しく、と心に誓う・・・ 誓わなくても逞しい、とか言われそうだ~♪
2002.12.04
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