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Tverを見てると、アサヒ黒生の新垣結衣のCMが頻繁に流れます。マルエフのCMを見てたときは意識しなかったけど、この黒生を手にするガッキーのCMは、否応なく4年前の「けもなれ」を想い出させますね。Youtubeには、ビールのうんちくを語る動画まであがってて、これはもう完全に「獣になれない私たち」の世界。松尾貴史のクラフトビールバー「5tap」にいる気分です。
2022.03.02
たとえ事務所から逃げることが恥だとしても、彼女が生き抜くうえで役に立つ選択であるならば、そこに異論や反論は必要ないのですが、新垣結衣ほどの人気タレントでも、所属事務所からの独立後の安定をはかるために、駆け込み的な「結婚」以外の選択肢がなかったとすれば、これを手放しで祝福していいのか分からないし、社会的な観点からいって考えるべき問題は残っている。◇小泉今日子が所属していたのは、ヤクザとして知られる周防郁夫のバーニングプロでしたが、新垣結衣の所属するレプロはそのバーニングの系列です。それから、国分佐智子が所属していたのは、沖縄ヤクザとして知られる平哲夫のライジングプロです。国分佐智子が、林家一平と結婚したときにも、やはり事務所との不和がささやかれました。もちろん彼女は、いまでも結婚生活を送っているわけだし、かりに事務所問題や独立問題が背景にあるからと言って、それをただちに偽装結婚と考えるべきではない。そもそも、すべての結婚が恋愛にもとづくわけではないのだし、一般の女性でさえ、ほとんど恋愛を経ずして、もっぱら社会的安定のために結婚するというのも、十分にありうる選択だし、その意味でなら、契約結婚みたいなものは実在する。◇しかし、一時はなかば休業状態だったというか、ほとんど無気力のようにも見えた新垣結衣が、とつぜん昨年のSPドラマの出演をきっかけにして、間髪も入れずに「結婚を前提とした交際」を開始し、実際には交際らしい交際もないままに、半年足らずで結婚発表にまで駆け込むというのは、何かしら逼迫した事情というか、それを急がねばならない理由があったかなあ、とは思う。同じレプロから独立した能年玲奈(→のん)や、バーニングから独立した小泉今日子の場合は、けっしてスムーズに事が運んだとは言えないし、これら芸能事務所からの独立問題が、いかに厄介なのかを、またしても考えずにはいられない。政治的にも、社会的にも、 この界隈の内情については注視する必要があるし、場合によってはメスを入れていくべきだろうと思います。
2021.05.20
もともと契約結婚というのは、夫婦の役割を等価で交換するためのシステムでした。 男女の役割の等価交換。それが、このドラマのテーマです。今回のスペシャルでは、そのフェーズが「子育て」に移りました。コロナ禍という、ちょっと特殊な状況がクローズアップされたけれど、じつはコロナ禍であろうとあるまいと、共働きの夫婦が子供を育てるのは、かなり困難なのだと思う。やっぱり実家に頼るしかない。そうでなければ、お金でベビーシッターやハウスキーパーを雇うしかない。◇結局のところ、男女の役割を等価で交換することはできませんでした。みくりを助けてくれたのは、実家の母親であり、伯母の百合ちゃんであり、あるいは友人のやっさんでした。また、癌を患った百合ちゃんに付き添ってくれたのは、レズビアンの友人でした。要するに、ほとんどの問題を、女性のネットワークだけで乗り切ったのです。◇実家に頼ることもできず、ハウスキーパーやベビーシッターを雇うお金もなければ、たとえ夫婦のあいだで仕事分担の努力をしても、おそかれはやかれ核家族の子育ては破綻してしまうでしょう。それが現代の日本の実情です。本来、子育てというのは、大きな共同体のなかでおこなわれていました。核家族で子育てをするようになったのは近代以降です。しかも、事実上は母親だけで子供を育てている。これは、かなり無理のあるシステムだと言わざるを得ません。何も解決せず、何も決着せず、ただ二人が泣き崩れたまま年を越す場面がありましたが、じつのところ、何も解決していないのは、現代日本の社会システムそのものなのです。◇「親の責任」などという幻想は、もはや実態とは乖離した絵空事の神学論争にすぎません。 そもそも「親の責任」だけで子育てなど出来るはずがないのだから。たとえば母親の鬱や自殺を、世間では「ネグレクト=責任放棄」と呼んで非難します。企業が、社員の育児休暇を「仕事放棄」だといって容認しないのと同じように、社会は、母親のネグレクトを「育児放棄」だといって容認しないのです。沼田さんはこう言いました。働いてるのは人間なんだから、いつ誰が長い休みをとるかなんて分からない突然の事故、家族の病気介護、自分自身の体調が崩れる場合もあるよね?そのとき何が大事かって言ったら誰が休んでも仕事は回る帰ってこられる環境をふだんから作っておくことそれが職場におけるリスク管理それと同じことは、企業の社員についてだけでなく、子育てをする母親についても言えるのです。人間なのだから、出来なくなることもある。母親以外に代理がいないシステムのほうがおかしいのです。子育てにおける社会のリスク管理ができていない。およそ不可能な「自己責任論」ばかりがまかり通っている。母親のネグレクトを、たんに「責任放棄」の一言で片づけるべきではありません。◇これは一種の優生思想なのだと思うけれど、よほど恵まれた人々でなければ、まともな子育てができない仕組みになっています。明らかに少子化対策の理念とは相矛盾している。その一方で、向こう見ずなヤンキーほど多くの子供を産んでしまう、というアベコベな現実もあります。◇ジブリの新作「アーヤと魔女」の主人公は、親に捨てられて、孤児院で育っていました。実際、かならずしも親に育てられるのが幸福だとは限らない。わたしは、とりあえず「共同保育」が妥当な選択だと思うけど、親と子が一緒に入所して、ある年齢まで断続的に子育て合宿できる仕組みがあってもいいし、これも、ある種の優生思想になるのかもしれませんけど、まったくの公営というのではなく、審査に通った親子だけで自治的に運営するような、私営の共同保育所が増えてもいいのかなと思います。
2021.01.04
あらためて「逃げ恥」を見直してみると、「逃げ恥」と「けもなれ」は地続きだったのだと思う。森山みくりも、深海晶も、何でも出来て、器用なぶんだけ、かえって酷使されてしまって、まったく正当な対価を得られないキャラですよね。状況を改善しようとして意見をいえば、かえって「小賢しい」といわれて周囲から敬遠される。「けもなれ」のあとで「逃げ恥」を見直すと、みくりが津崎に惹かれた理由も、よく分かります。唯一、津崎だけが、自分の主張を受け入れて、労働の価値にも正当な報酬を与えてくれたのですね。しかし、ある意味で、津崎の謙虚さというのは、その自尊感情の低さと無縁ではありませんでした。「逃げ恥」の続編も企画されているらしいのですが、いったいどんな内容になるのか気になるところです。◇「逃げ恥」というドラマは、当時、フェミニズムの分野でさかんに論じられました。"家事労働の対価"という問題が、物語のテーマとして取り入れられていたからです。しかし、フェミニズムの枠組みで論じることができたのは、あくまでドラマの前半部分だけです。ドラマの終盤になると、従来のフェミニズムの枠組みでは扱えなくなります。その理由は二つあります。ひとつは、津崎が終盤で「失業」してしまうからです。家事労働への正当な対価が支払えなくなってしまった。そもそも、家事労働についての等価交換が成立するためには、それに見合うだけの十分な世帯収入が必要なのです。世帯収入そのものが不足すれば、どうしたって家事労働は搾取にならざるを得ません。ここに人権上の問題が生じます。いくら少子高齢化が深刻だからといっても、家庭内のブラック労働の実態を放置したままで、むやみやたらと若い世代に結婚や出産を奨励することは、それじたいがDVという名のパワハラ・セクハラを助長しかねない。みくりの言う「愛情の搾取」というのは、厳密にいえば、愛情を利用した「労働の搾取」のことです。ふたつめは、物語の終盤で「愛」の等価交換がテーマになるからです。そもそも愛というのは計量できませんから、労働とは違って等価交換が成り立たないのです。等価で交換しようとすればするほど、自分だけ搾取されている気分になる。愛についての不足感は、結局のところ交換では補えません。◇「逃げ恥」の終盤では、交換ではなく、むしろ贈与がテーマになっていると言えます。世帯収入の少ない家庭で、家事労働への正当な対価を実現していくためには、何らかの贈与(社会保障)が必要になります。それは再分配や社会インフラであり、あるいは科学革命や技術革新による文明の贈与です。それがなければ結婚はおろか同棲すらも成立しない。まして出産や子育てなどありえません。愛について考えるためにも、交換という枠組みではなく、贈与という観点が必要になるはずです。こうした問題を、はたしてドラマの物語のなかで扱うことはできるでしょうか?
2020.07.06
ハンガリーの諺。逃げるは恥だが役に立つ。何よりも、自分の人生を生きることのほうが大事ですよね。◇日本の社会には、いまだに「逃げることは恥である」という価値観が残存してます。日本人にとって、「逃げる」のもネガティブなことだし、「恥」ってのは、もっとネガティブなことです。すなわち「世間様に顔向けできない」ってやつですね。きっと、一億玉砕が叫ばれた戦時中にも、「逃げることは恥である」と言われていたはずです。そういう精神構造は、いまでも変わっていない。常識からはみ出るのは「恥」である。人並みに出来なきゃ「恥」である。他人様と同じでなきゃ「恥」である。これは、日本人がたがいに同調圧力をかけていくときの常套句です。◇そんななかで、なぜいま「逃げること」がこんなにも支持されるのでしょう?おそらく、日本の制度とか、常識とか、空気といったものが、のっぴきならぬところまで個人の人生を抑圧しているからです。そのことで多くの人が苦しんでいる。だから、もう、たとえそれが「恥」であっても、逃げたほうがいい。いちいち世間の規範に適応したり、むやみに立ち向かっていくくらいなら、いっそのこと、さっさと逃げてしまったほうがいい。世間のために無駄なエネルギーを消耗して、自分の人生をすり減らしてしまうくらいなら、逃げてしまうほうが、かえって有意義である。同調圧力くそくらえ!ハンガリー最高っ!むしろ、みんなで逃げれば社会が変わるかも(笑)。それが「役に立つ」ということの意味です。自分の人生にも役に立つし、結果的には、社会のためにも役に立つかもしれない。だから、みんなで逃げろ、勝手に逃げろ/人生!ってことですね。日本において、「逃げる」という言葉と「恥」という言葉を、はじめてポジティブな意味で使った大事なエピソードでした。みんなが既存の仕組みや空気にいちいち適応していたら、いつまでたっても社会は変わらないのだし、個々人はいつまでたっても抑圧されっぱなしですよね!◇そういえば、皆川玲奈アナ、「恋つづ」見てはキャーキャー言ってたのに、「逃げ恥」には、ちゃっかり出演してたんですね。(~~)
2020.05.27
あらためて見直してみると、みくりは最初から津崎のことが好きなんだな、ということが分かる。津崎のほうは、つとめてドライに考えようとしてますけどね。◇初見のときは、「契約結婚なんてドラマの中のお話でしょ」と思ったけど、いまになって考えてみると、意外に「アリ」かもしれないなあ、という気がしてます。通常は、結婚するにせよ、同棲するにせよ、お互いの「気持ち」を確認しないと始められないものだけど、労働契約というものを介在させることで、面倒な「気持ち」の確認作業を後回し・先送りにしたまま、とりあえず同棲生活を始められるのですよね。おそらく知的な人であればあるほど、「気持ち」という不確かなものに怖気づいてしまって、それを確認することの困難さを途方もなく感じるのです。だから、まずは労働契約のもとに同棲生活を始めてしまう。それでうまくいかなければ、後腐れなく契約を解消すればいいのだし、うまくいったら、タイミングを計りながら、徐々に気持ちを確認していけばいい。◇じつは「逃げ恥」の場合もそうですけど、いちばん難しいのは、気持ちを確認し合った後なのですよね。やはり「気持ち」というのは、どんどん変わってしまうものだし、愛情は、そもそも等価で交換できるようなものではない。それを等価で交換しようとすればするほど、なんだか自分だけ搾取されているような感覚に陥ると思う。それはけっして数値化できないからです。むしろ、愛情は贈与だと考えたほうがいい。そうしてみると、いつまでも契約を介在させたまま、そのワンクッションを残しておくほうが、かえって安定的な関係を維持していける気がします。◇結婚というのは、古来から、一種の契約ではあったはずだけど、けっして対等な契約とはいえませんでした。とりわけ家どうしの結婚では、本人の意思がないがしろにされていたし、そこでは女性が物品のように交換されていた。つまり、人権無視の不当契約だったのです。おそらく「逃げ恥」が描いているのは、結婚という契約をいかにして対等なものにしていくか、という一つの試みなのですね。
2020.05.20
獣になれない私たち。最終回を見たあと、ずっと気になっていた呉羽のセリフがあります。私が手術した時、カイジが言ってくれたんだよね くれちんは何も失ってない 芋虫がチョウになる時、サナギの中で劇的に変化する それは小っちゃな芋虫自身の力で変化しただけ くれちんは新しい くれちんになっただけそれを聞いて、カイジにプロポーズしたのじつは荘厳な鐘が鳴ったのも、恋に落ちたときではなく、カイジにこう言われたときでした。呉羽が子宮を摘出したとき、橘カイジは「今日から君はあたらしく生まれ変わったんだよ」といって彼女を迎え入れたのですね。時系列はよく分からないけれど、呉羽が自分のブランドを「メタモルフォーゼ」と名づけたのは、カイジのこの言葉がきっかけだったのかもしれない。そして、この「メタモルフォーゼ」こそが、一貫してドラマを通底していたテーマだったといえます。とくに前半部分で、晶と恒星は「Metamorphoses」と記された看板をたびたび目にし、そのなかで無意識の変容を遂げていきました。晶が、戦闘的なブーツをはいて出社したことが発端です。その後も、呉羽が、京谷を寝取ったり、恒星を捨てたり、橘カイジに引き合わせたりするなかで、晶と恒星は、メタモルフォーゼを遂げた後の呉羽に影響を受けていった。そして、ついには晶も恒星も、自分自身の力でメタモルフォーゼを遂げるにいたりました。◇カイジが呉羽に語ったのは、喪失や敗北でさえ、新たな扉(new world)を開く潜在力の現れなのだということです。それは「壊れた過去」から立ち直ったカイジの、自身の経験にもとづく人生哲学でもあったのでしょう。わたしが思うに、このドラマは「獣になるまで」のドラマではなく、獣になれない人たちが「どう生きるか」を問うたドラマです。その答えは、一見すると喪失や敗北にも見えるような「メタモルフォーゼ」でした。きっと、そのことを橘カイジが肯定したところから、ドラマの潜在的な時間が始まっていたのだろうなと思います。敗北がやむを得ないものだとしても、その敗北によってこそ自分自身を取り戻すことができる。その希望をささやかに垣間見せた作品でした。【シュピゲラウ公式】<クラフトビールグラス> インディア・ペール・エール(2個入)4991382-2【ラッピング無料】SPIEGELAU ビアタンブラー 父の日 ホワイトデー IPA ホップ楽天で購入
2018.12.17
今年、もっとも優れたドラマは、「半分、青い。」と「獣になれない私たち」だったと思っています。この二つのドラマは、多くの視聴者を躓かせた、という点でもまったく共通していました。◇一般の視聴者は、テレビドラマに、ある種のルーティンを求めています。つまり、困難が解決されたり、悪者が打倒されたり、男女の愛が成就したり、主人公が成長したりするのを見ることに慣れていて、「そういう様子を眺めるのがテレビドラマだ」というルーティンに浸っています。それこそ「仮面ライダー」から「水戸黄門」にいたるまで、多くのドラマは、そういった幻想を満たしたいという願望に応えている。けれど、「半分、青い。」と「獣になれない私たち」は、そういうドラマ的なルーティンを期待する視聴者を、大いに躓せました。ちなみに「半分、青い。」は、―かつての「純情きらり」と同じように―最後まで何も成し遂げることのできない人生を描いた物語であり、安易な「成功」とか「成長」という幻想を拒否したドラマでした。そよかぜ扇風機の開発には成功したけれど、その事業そのものが成功したかどうかは描かれませんでした。「半分、青い。」は、しばしば主人公自身の未熟さを示しながら、安易な成長や勧善懲悪の図式をも拒否し、恋の成就への期待をも裏切り、成功という夢物語をも最後まで拒んだドラマでした。そして、そのことで一部の視聴者の怒りを買った。多くの視聴者は、主人公が成長して、悪者を打倒して、問題を解決して、恋を成就させて、最後に成功を手に入れる物語に期待しています。◇しかし、一方では、そういう安易な幻想にうんざりしている視聴者も存在します。今回の「獣になれない私たち」の中で、かりに主人公に「成長」した点があったとするならば、それは晶と恒星が最後に「爆弾を投げた」という点でしょう。しかし、それは成功をもたらすものではなく、むしろ敗北をもたらすものだったし、一般的にいって、それは「成長」とは真逆のものです。なぜなら、むしろ一般の社会では、社会に同化して現実を受け入れることをこそ「成長」と呼ぶのですから。◇晶と恒星は、なぜ最後に爆弾を投げたのでしょう?それはきっと、謝罪会見で世間にむかって爆弾を投げた呉羽と、そのような呉羽の姿をこそ待ち望んだ橘カイジの姿を見て、勇気を得たからだろうと思います。しかし、それは一般的な意味での「成功」でもないし「成長」でもない。そして、その結果がどうなるのかは、もはやドラマの外側の話です。たとえば、橘カイジの「new world」の構想の内容が最後まで描かれず、それぞれの登場人物のささやかな「new world」に託されて終わったように、「ナインテイルドキャッツ」という実在しないビールの味は、はたして苦かったのか甘かったのか、美味かったのか不味かったのか、それは最後まで語られることがありませんでした。恒星「ものすごく不味かったらどうする?」晶 「それでも飲む」同じように、「教会の鐘」は、一瞬揺れるのが見えたけれど、それがどんな音だったのかは、視聴者には聴こえませんでした。晶 「鳴らなくても聞こえなくても、一緒にいることってできるのかな?」恒星「それはわからないけど、…俺たち次第じゃない?」それはドラマの外側に託されて終わったのだといえます。テレビゲームのような夢物語のなかで安易な結論を出さないように、テレビドラマという夢物語のなかでも安易な結末は描かれませんでした。◇「半分、青い。」と「獣になれない私たち」は、テレビドラマの新たな方向性を示しています。坂元裕二の近年の作品群も、そうだったと思います。かつての映画と同じように、もはやドラマは「テレビをつけたら映っている」ものではなく、視聴者が選択するコンテンツになっています。そのことが、かつてのように万人受けするような作品ではなく、ある種の視聴者を拒むほどの作品を生み出しているのだろうと思います。
2018.12.14
人知れず黙り方を覚えたいつか変わらない日々を穿つような 鐘が鳴るはずこの世に一つの鐘の音よいや~、最後までシビアでしたね。ある意味では破滅的なラストだったともいえます。リアルに敗北する人たちが多いこの時代に、あえて安易な夢や勝利を描くのではなく、むしろ敗北をこそ時代のデフォルトにするという結末でした。すべの登場人物が美しくて優しかったことが、このドラマが目指した最大のハッピーエンドだったのかもしれません。九十九社長が懐柔させられたように見えたのは、佐久間たちを引き留める過程で一時的に立場が弱まったからでしょうが。(^^;ナインテイルドキャッツも、教会の鐘の音も、すべての伏線は出来すぎなくらいに綺麗に回収されたけど、橘カイジの「new world」の夢物語は現実の波にかき消されてしまって、それぞれのささやかな「new world」が始まるかたちで幕が閉じました。脚本の完成度という点でも、映像の美しさや演出の水準という点でも、近年になく優れたドラマでした。今後、くりかえし参照される名作になるだろうと思います。苦いようで甘いようなこの泡にくぐらせる想いが弾ける今夜はこのまま 泡の中で眠れたらなぁ
2018.12.13
怒涛の第9話。まだ最終話が残ってるけど、この時点で早くも 名作 認定させてもらいます!◇第1話を見たときも、「このドラマ責めてるな~」と思いましたけど、ここにきて、あらためて責めなおすところに、このドラマの本気度がうかがえます。安易な慰めを求めようとする視聴者のヤワな期待を、またしても頭からカチ割ってくれました。そして今回は、相沢淳の演出も素晴らしかった。◇序盤。目覚めの朝から2人のコーヒーまでの美しい時間。そして千春と朱里と京谷によるドタバタが展開される猛烈な面白さ。中盤。職場の同僚として晶に近しくなって、ようやく希望や安らぎの見えてきた朱里が、もういちど死の淵のどん底にまで叩き落とされる。終盤。朱里につづいて、大熊が、呉羽が、タクラマカンが、つぎつぎと社会の「獣」たちの前に敗北。そして晶と恒星も敗北し、ついにたがいを慰め合った夜。テンポもよく、バランスもとれていて、なおかつ密度も濃かった。これまでは水田演出の回が抜きんでてると思ってたけど、この第9話が、最大の「神回」になったかもしれない。わたしはここまで、「ヤワな視聴者は早く脱落したほうがいいよ」と何度も呼びかけてきたけれど、せめて、この第9話は、配信ででも見ておいたほうがいいんじゃないかなあ。そのぐらい、後世に語り継がれるような回になったと思います。◇すべての登場人物が、「獣」の前に敗北してしまいました。完膚なきまでに叩き潰された朱里も、世間の好奇の目に晒されてスタッフに幽閉された呉羽も、喧騒に嫌気をさして店を閉じてしまったタクラマカンも、不正の告発に失敗した大熊も、社長に楯突いて切り捨てられた晶も、不正の連鎖を断ち切ろうとした恒星も、みんな「獣」の前に敗北してしまった第9話なのでした。◇晶と恒星は、たがいを慰めあう夜を衝動的に過ごしたけど、翌朝の晶は、まるで銭湯から出てきた時のような顔で、「間違ったかな?」なんて呟いていました。この恋愛は、間違いなのでしょうか?真実なのでしょうか?朱里との会話でも、京谷との会話でも、2人の関係は男女の恋愛じゃなく、あくまでも「人間的な関係」だと示唆されました。しかし、一方で、晶と恒星は、教会の鐘を聴きにいった美しい瞬間のことを、また思い出していました。やはり最終回の見どころは、この2人の「鐘」が鳴るのかどうかです。そして、橘カイジの「new world」が、夢を見せてくれるのかどうか。ナインテイルドキャッツは、どんな味がするのか。考えてみると、毎回オープニングのタイトルバックに流れる音楽は、まるでクリスマスの鐘が鳴るような音楽なのですね。そんなところに答えは出ているのかもしれません。2人が一夜を共にしたとき、外は雨が降っていましたが、雨粒の滴る木が窓灯りに照らされて、金色のクリスマスツリーのように見える瞬間もありました。そんなところにも、ちょっと淡い期待を抱いてしまいます。そして個人的には、最終回にビッケブランカの曲をフルコーラスで聴きたい…。【シュピゲラウ公式】<クラフトビールグラス> インディア・ペール・エール(2個入)4991382-2【ラッピング無料】SPIEGELAU ビアタンブラー 父の日 ホワイトデー IPA ホップ楽天で購入
2018.12.06
第8話を再視聴。水田伸生の演出は安定しているものの、わりにサクサク伏線を回収してるな、というのが、初見のときの印象でしたが、あらためて見直してみると、とくに後半の、恒星の兄弟のエピソードと、晶との穏やかなシーンは、見終わった後に美しい印象を残す。◇恒星は、若いときに故郷を捨てた人間だけれど、それでもどこかに故郷への意識はあったのでしょうね。それが完全に失われてしまった。震災には、人の死ということもあるけれど、かたや故郷の喪失という側面もあって、今回は、恒星が、その悲劇を背負った形になります。人は死なないまでも、同じような境遇を負った人は、沢山いるはずです。とくに福島では、永久に失われた故郷さえ存在する。震災の正しい描き方を云々いう人がいるけれど、震災にはじつに多様な側面があって、唯一の正しい描き方があるというわけじゃないし、そのつど違う断面を切り取っていくことこそが必要で、その試みを決して放棄すべきではないのですね。◇ところで。ラーメン屋の岡持三郎。にやにやしながらラーメンを出してましたけど、じつはこっそり晶に指示されたらしく、ちゃんと恒星に連絡をとっていたようです。意外にちゃんと仕事してるんだな(笑)。朱里が飲み逃げしたときも、ちゃんと捕まえにいってたし。鬱陶しいけど、たぶん悪い奴ではないんだろうね。【シュピゲラウ公式】<クラフトビールグラス> インディア・ペール・エール(2個入)4991382-2【ラッピング無料】SPIEGELAU ビアタンブラー 父の日 ホワイトデー IPA ホップ楽天で購入
2018.11.30
けもなれ。第8話。◇京谷の父が亡くなったようです。晶は、そのことを京谷から聞く前に、千春からメールで知らされていたのかもしれません。しかし、千春は、京谷と晶が別れたことをまだ知りません。京谷は、自分から母に伝えると言っています。晶が千春に会うことは、もうないのでしょうか。京谷は、いまもまだ「晶と恒星が寝た」と思いこんでいます。そしてそれは、ある意味では正しいし、ある意味では間違いです。かりに答えを確かめたところで、宙ぶらりんであることには変わりないでしょう。そんな宙ぶらりんの京谷が、ちょっと気の毒です。◇晶は、京谷がマンションを出たことについて、朱里から知らされました。朱里は、以前は「別れちゃえば?」と言ってたのに、今度は「ヨリを戻せば?」なんて言ってます。そして、晶と二人で京谷を驚かせて楽しんだりしています。まるで、気まぐれなウサギみたいですね。そして、ついに橘カイジが姿を現しました。どんなに回り道をしても、夢をもって明るいほうへ向かっていける。彼が語る「new world」とは、どんなゲームなのでしょう。個人的には、朱里と橘カイジが5tapで意気投合すればいいのにな、と思います。ついでに佐久間も、そこに加わってくれればいいのに。◇恒星は、すでに高校時代に故郷を捨てた人だったけれど、このたびの震災によって、本格的に故郷を失いました。晶と同じように、恒星もまた、故郷をもたない人間といえます。彼の一家の生活を破壊した巨大な獣とは、一矢を報いることも、怒ることすらもできないような自然の猛威でした。しかし、兄は、ちゃんと家族のもとへ帰ることができました。そして恒星と兄は、ちゃんと積年の思いをぶつけあうこともできました。たしかに故郷は失ったけれど、意外なことに、大事なものは守られたのかもしれません。恒星は、橘カイジの語る「夢物語」に懐疑的だったけれど、どんなに回り道をしても、夢をもって明るいほうへ向かっていける。それは、あながち夢のゲームの話じゃないかもしれない。どうやら兄は、恒星が不正に関与したことにも気づいているようです。この問題に、あらためて兄弟が直面することになるのでしょうか。◇晶は、恒星との距離をさらに縮めています。鍵を渡されれば事務所で留守番もするし、恒星の兄を連れてラーメン屋にも行くし、兄弟のために、わざわざゲームまで買ってきます。ほとんどお節介ともいえるほど、恒星の世界に首を突っ込んでいる。いったい晶はどういうつもりなのでしょう。ただそうしたいから、そうしている。もしかしたら、いまの晶は、すこしずつ呉羽に似てきているのかもしれません。あらためて「呉羽のことが好きだった」とつぶやいた恒星は、いまのような晶をどう思っているのでしょう。恒星だって、じつは兄を助けたいから助けたのであって、そこには理由もプライドもなかったのですね。ただそうしたいから、そうしている。◇でも、かつての恒星と呉羽のように、「気楽につきあえる相手」というのは、結局、最後まで「気楽につきあえる相手」でしかないのかもしれません。それ以上の関係にはなれないかもしれない。千春も、京谷も、朱里も、晶も、恒星も、みんな一人ぽっちですね。でも、そこが「new world」へ向かうための、ふりだしなのかもしれません。【SALE/30%OFF】RID.DLE FROM GILDANフェイスプリント リドルフロム カットソー【RBA_S】【RBA_E】価格:3704円(税込、送料別) (2018/11/8時点)楽天で購入
2018.11.29
けもなれ。第7話まで見てきたところで、今後の「ラブかもしれないストーリー」を展望してみる。◇そもそも「ラブかもしれないストーリー」とは何なのでしょうか。なぜかアンチを自称する人たちに限って、「ラブかもしれないストーリー」を「ラブストーリー」と読み違えています。まあ、読み違えというより、意図的に誤読してるんだろうけど…。いうまでもありませんが、「ラブかもしれないストーリー」というのは、通常の意味での「ラブストーリー」じゃない、ということを視聴者に意識させるキャッチコピーになっています。もし、このキャッチコピーを見て、典型的で単純明快な「ラブストーリー」を期待するとしたら、ちょっとどうかしています。かりにキャッチコピーを知らなくても、最初の1,2話を見れば、これが通常のラブコメでないぐらいのことは察しがつくはず。そのことに気づかないまま7話まで見ているとしたら、かなりオメデタイという他ありませんし…、このまま最終話まで見続けたところで、そんな単純な「ラブストーリー」が進展するはずはないのですから、はやく脱落することを推奨せずにはいられません。◇ここまで見てきて分かるのは、この「ラブかもしれないストーリー」が、多様で重層的な人間関係を描く物語であるということです。事実、職場や、家族や、ビールバーなどの、さまざまな人間関係が折り重なっています。バブル期のトレンディドラマじゃあるまいし、いまさら男女の恋愛関係だけを能天気に描けるような時代じゃありません。もはや、男女の恋愛関係のなかには、ラブはないかもしれない。むしろ、それ以外の関係のなかにこそ、ラブがあるのかもしれない。すでにネットでは、晶が最後に結ばれる相手が、恒星になるのか、京谷になるのかを話題にしていますが、わたしは、どちらの可能性もあると思う一方で、むしろ、どちらでもない可能性のほうが強いと感じます。◇とりあえず、いま気になるのは、晶と朱里の関係です。どうやら晶は、朱里にシンパシーを抱いたようです。京谷に別れを告げた要因のひとつも、そこにあったように思える。なぜ京谷が、4年前に朱里を捨てたのかは分かりませんが、もしかすると、朱里が「可愛くなくなったから」なのかもしれません。だとすれば、現在の晶は、4年前の朱里と同じです。おそらく京谷は、晶に対してそうだったように、朱里に対しても「可愛い女」を求めようとしたでしょう。しかし、朱里は、あえて京谷の期待に背くような態度をとりながら、じつは、どこかしら晶のような「可愛い女」に憧れているようでもある。次回の予告で、彼女がツクモクリエイトに入社を志望するのも、じつは晶への羨望こそが動機になっているのかもしれません。とはいえ、実際に朱里がツクモクリエイトに入社すれば、彼女はそこで、晶が日々直面している現実を目の当たりにするはずです。そのとき、朱里と晶の関係はどうなっていくのでしょうか。◇もうひとつ気になるのは、橘カイジの「new world」の正体です。それは、ネトゲのようなヴァーチャルのコンテンツなのでしょうか。それとも、三次元のリアル世界で展開されるコンテンツなのでしょうか。そして、呉羽や恒星や朱里は、その「new world」に、どのように巻き込まれるのでしょうか。晶と京谷は無関係でいられるのでしょうか。そこには獣がいるのでしょうか?そこにラブはあるのでしょうか?【SALE/30%OFF】RID.DLE FROM GILDANフェイスプリント リドルフロム カットソー【RBA_S】【RBA_E】価格:3704円(税込、送料別) (2018/11/8時点)楽天で購入
2018.11.23
けもなれ第7話。このドラマのことが、ちょっと分からなくなってきたかも…。京谷の実家で、千春に加勢して、息子たちに在宅介護を説得した流れも、海岸で京谷に別れを告げた流れも、5tapで、タクラマカンから映画の話を聞き出して、恒星の粉飾決済の事実を暴き出した流れも、わたしには、いまひとつ説得力に欠けた。あまり丁寧な展開とは思えなかった。とくに気になるのは、話の全体的な流れが、まるで女が男に勝利するみたいになっていたこと。もっといえば、晶が《女の気持ちの分からない京谷》に決別するみたいな、やや勧善懲悪的な展開になっていたこと。もちろん、これで京谷との関係が終わりになるとは、まだ思わないし、京谷の実家のエピソードでさえ、まだ完結したようには見えない。わたしは、このドラマが、たんに京谷だけを悪者にして済む話だとは思ってないし、「獣になる」ということが、たんにジェンダー差別に打ち勝つことだとも思ってない。野木亜紀子が、そんな短絡的な物語を書こうとしてるでしょうか??◇ここで、あえて前回の第6話をふり返ってみたい。第6話では、松任谷夢子が言い放った次のセリフに、視聴者の共感が集まりました。 どうして女の浮気は「だらしない」と言われて、 男の浮気は「甲斐性」みたいに言われんの?!これに多くの視聴者は「そーだそーだ!」と共感し、反対に、京谷が口にした次のセリフには、視聴者の怒りが集中。 いまの晶、可愛くないこれにはすかさず、「ふざけんな京谷!」「女はただ可愛くしてればいいのか!?」との反感が沸き起こり、ネットのフェイクニュースも、これらの共感と反感をとりあげて、拡散させていました。でも、これは、かなり反射的で、感情的で、一方的な反応にすぎないと思う。たしかに、「女の浮気はだらしない/男の浮気は甲斐性」「可愛くて従順な女だけが愛される」みたいな世間の風潮は腹立たしいものだけれど、それがそのまま登場人物への批判になるとは思わない。◇たしかに、一面では、ニコニコ笑ってるガッキーを「気持ち悪い」という龍平と、笑わなくなったガッキーを「可愛くない」という田中圭とを、対比する意図もあるだろうし、もしかすると、そこには、「可愛いガッキー」というパブリックイメージに対する、メタ批評的な意図さえあるのかもしれない。男女が対等に扱われずに、「イーブンか、女のほうが悪い、みたいになるのは納得いかない」みたいなセリフを、あえてガッキーに言わせるのも、そのためかもしれない。でも、だからといって、わたしは、このドラマが、たんに《女を見下している京谷=田中圭》を悪者にする作品だとは思えない。◇◇◇わたしはむしろ、晶が言った次のセリフが重要だったと思います。 呉羽さんにも 、ひとつ分かってなかったことがある。 呉羽さんが思うよりずっと、恒星さんは呉羽さんが好き。なぜ晶は、こんなふうに思ったのでしょうか?呉羽は、橘カイジに病気のことを打ち明けていたのに、恒星には、そのことを話していませんでした。呉羽のこの判断は、恒星のことを理解すればこそのものだったけれど、札束を準備して呉羽を助けようとした恒星にしてみれば、自分が頼られずに、他の男が頼られていたことは、とても腹立たしかったようです。そして、晶から見れば、その怒りこそ「恒星が呉羽のことを愛している証」だというわけです。好きだからこそ、腹を立てる。それは京谷も同じでした。晶のことが好きだからこそ、京谷は晶に腹を立てていた。べつに他の男と寝たことやキスしたことを、世間的な基準で「だらしない女だ」と責めてるわけじゃない。ただ好きだからこそ、嫉妬で耐えられないのだと思います。ちなみに筧=吉村界人は一般論として「路チュウ」を非難していましたが、京谷の場合は、そうではありません。そこを混同してはいけません。むしろ京谷と晶は、かつて雨の夜に「路チュウ」していた当事者なのです。そして、晶だって、その京谷の嫉妬の気持ちは、痛いほど分かっていると思います。だからこそ、極限まで葛藤に追い込まれて、まるで八つ当たりするように、呉羽のことをなじりに行くしかなかったのですね。そして、ただ呉羽に抱かれて泣くしかなかったのです。◇京谷は言いました。 相手の気持ちなんか分かんないよな。 晶に俺の気持ちなんか分かんないよな。恒星は言いました。 分かってるも何も、知らないことだらけだよ。でも、じつは、晶も、京谷も、呉羽も、恒星も、けっこう相手のことを分かっていると思う。でも、分かっていても、すれ違うのですね。むしろ分かっているからこそ、相手を思うがゆえに遠ざかってしまう。かえって知らないほうが、意外と気楽に付き合えるのかもしれません。恒星:晶さんって、他人のことだとホント好きに言いますよね。晶 :ハハ。 …まぁ、他人のことなんで。もしもバカになれるのならば、相手のことなど考えずに済むのかもしれません。もしも獣になれるのならば、相手のことを一方的に責めれば済む話かもしれません。でも、このドラマの登場人物たちは、相手を分かりすぎるがゆえに、責めることができない人たちです。その苦しさを全面的に描いたのが、第6話だったと思います。だから、たんに京谷ひとりを悪者にして済ますのではなく、彼らの全員に、何らかの展望を与えてほしいというのが、わたしの希望です。【SALE/30%OFF】RID.DLE FROM GILDANフェイスプリント リドルフロム カットソー【RBA_S】【RBA_E】価格:3704円(税込、送料別) (2018/11/8時点)楽天で購入
2018.11.22
「けもなれ」第6話。予想外に、菊地凛子の回でした。彼女も、たんなる獣ではなく、一人の女性であり、いろんな葛藤をもつと同時に、龍平への思いを抱えていたことが明かされました。こんなシーンを見せられると、ついつい「龍平は菊地凛子のもとへ戻ってあげればいいのに…」なーんて思ってしまうけど、しかし、龍平とガッキーが肩を並べて歩く通りには、キラキラしたクリスマスのイルミネーションがっ!!これが何ら意味のない演出だとは、到底思えないわけで、やはり、このドラマは、2人をすこしずつ近づけているように見える。事実、すでに龍平とガッキーは、これまでの展開のなかで、率直にいろんなことを言い合える関係になってしまってるよね…。 服着たままとはいえ、重なって寝ちゃったし。一方では、ガッキーが、「田中圭は黒木華を捨てられないだろう」と予言するかのような発言もありました。ガッキーと龍平がくっついて、そして菊地凛子と橘カイジがくっついて、さらに田中圭と黒木華がヨリを戻すというのが、ドラマの大団円としては、たしかに想像しうるんだけれど…◇しかーし!!龍平はすでに「悪い金」を手にしているわけで、そうそう簡単にガッキーとくっつけるような状況でもない。かたや菊地凛子のほうは、たしかに橘カイジに心を許したようではあるけど、そもそもカイジが、どんなふうに猛スピードで突っ込んできたのか、その経緯は、いまもまだよく見えないままだし、そもそもカイジはまだ姿を現してないし、黒木華にとっての「たっちん」としての在りようも見えない。菊地凛子が田中圭と衝動的に寝ちゃった心理だって、まだ十分に明らかになったとは言いがたい。◇かたや田中圭のほうは、おそらく実家で彼の父親に異変が起こるっぽいので、そこから、新たな動きを強いられることになりそうな予感。そして、黒木華は、盗んできた荷物のなかに、いったい何を見つけるでしょう?田中美佐子がガッキーに故郷の話をしたばかりだったから、おそらく、それにちなんだものを送っただろうとも想像できる。あるいは大事なことを書いた手紙とか。それを見つけた黒木華は、こんどはどんな動きをするのでしょう?田中圭のもとへ行くのか、あるいはガッキーのところへ返しに行くのか、それとも5tapに行って預けてきちゃうとか、はたまた、田中美佐子のところに行っちゃうとか??【SALE/30%OFF】RID.DLE FROM GILDANフェイスプリント リドルフロム カットソー【RBA_S】【RBA_E】価格:3704円(税込、送料別) (2018/11/8時点)楽天で購入
2018.11.15
獣になれない私たち。第5話をまた再視聴。何度見てもスゴすぎる。そして、怖すぎる。例の鼻歌のシーンだけじゃありません。全編が怖い。あらためて見直してみると、この第5話は、異様なぐらい伏線の多い回だったことも分かってきた。◇冒頭。元カレの家で、今カノの前に、戸棚に閉まってある紅茶セットを用意する元カノ。この部屋の何もかもを把握しているのは、彼女です。でも、リドルフロムのスウェットは、袖に穴が開いてボロボロ。ガッキーを見上げる黒木華のブスな顔。彼女が仕事を辞めて、引きこもったあと、男は「新しい彼女とつきあうから別れてくれ」と告げました。彼女が大量に薬を呑んだのは、その後のことだったでしょうか?男は「このまま朱里が死んだら俺のせいだ」と思って、救急車を呼びました。でも、それは愛ではなかった。仕事もできない。男にも愛されない。男の母親にも気に入られていない。かつて男が何げなく言ったのであろう「お前と晶は違う」という一言が、いまも彼女に突き刺さっている。 幸せでキラキラしてる人は違うね~。 ウサギの餌まで買ってきて。 自慢? オマエとは「違うんだ」って言いたいの? 無職で何にもしてない私とは、 そりゃ「違う」よね。「お前と晶は違う」。ガッキーは、このとき、自分が、黒木華から何かを奪ったのだということを、はじめて認識して、その結果を目の当たりにした。◇前々回、ビッケブランカの挿入歌が、ガッキーと田中圭の甘いシーンで流れてたときは、ちょっとベタ過ぎるなぁと思ったけど、今回、黒木華のシーンで同じ曲が流れたときは、この使い方こそが正しいと思った。前回や、前々回みたいに、ガッキーの「ラブかもしれない」みたいなシーンでは、あいみょんの主題歌を流しておくぐらいがちょうどいい。◇第5話には、とりわけ素晴らしい演出がいくつかありました。黒木華と会ったあと、雨のなかマンションを出ていくガッキーと、時間差でマンションに帰ってくる田中圭。そのすれ違いの2人を、左右に同時に映し出すショットの美しさは何でしょう!そして、もっとも素晴らしかったのは、「幸せなら手を叩こう」を延々と唄い続けるシークエンス。誰のか分からない「手」の映像が差し挟まれるたびにゾッとする。叩くたび、何か不穏なものが近づいてくるようなフラグを立てる。そして、ビルの屋上へと、ひとり階段を昇っていくガッキー。もはや秀逸なホラー映画。◇屋上でのガッキーは、自分の携帯に登録された沢山のアドレスから、いったい何を探そうとしていたのでしょう?アドレス帳には、沢山の知人が登録されているけど、自分のほんとうの気持ちを打ち明けられる人はいない。父親もいない。母親もいない。そのとき、ビールバーにいる龍平の携帯が鳴ったように見えるのですが…、実際には、ガッキーが電話をかけた相手は、田中美佐子でした。龍平の携帯にはメールが送られていたようです。◇田中美佐子が、福井県にいたころの話をしはじめたのは、「つらくないですか?」と問うガッキーの様子に、なにか、いつもとは違う雰囲気を感じ取ったからでしょう。欲をいうならば、それを感じ取った瞬間の田中美佐子の表情のショットを入れれば、もうすこし説得力があったのですが…。あの田中美佐子の若き日々を描いた小浜市の回想シーンは、けっこう長いシークエンスだったけど、あれは今後、なにかの伏線になるでしょうか?◇黒木華が何年も続けていたオンラインゲームは、1か月前に「運営」によって終了が宣告されていました。「運営」とは、ほかならぬ「橘カイジ」のことです。黒木華は、ウサギを「たっちん」と名づけました。おそらく彼女は「橘カイジ」のファンなのでしょう。このゲームの終了とともに、黒木華と田中圭の同棲生活も終了しましたが、パソコンの画面は「new wold」への参加を呼び掛けています。龍平は、ネットで「橘カイジ」のことを検索して、ついに「思考の堂々巡りを断ち切った」とガッキーに語ります。しかし、その話は、不意のキスシーンで中断されてしまいました。予告によれば、橘カイジと菊地凛子の結婚は「偽装」だったようです。やはり橘カイジは「不適正」な案件なのでしょうか?そして、近藤公園は、やっぱり会社を辞めるようです。それを知った社長は、どんな手で慰留工作に出てくるでしょうか?◇このドラマの、唯一の安らぎの要素は、松尾貴史が経営するクラフトビールバーです。今回は、この店が、あえて「繁華街の店を畳んで住宅街に」移転した背景が語られました。松尾貴史が、「ビールは苦手だ」と愚痴っている三郎に、「仕込んであげる」と約束した"アップルホップ"とは何でしょう?"苦味"も"雑味"もない、甘いビール?それとも、繁華街のように荒っぽい人間のいない、静かな住宅街?獣に襲われることのない、平和な世界?予告編を見ると、黒木華が、この店にやってくるようです。彼女に、なんらかの救いがあればいいのですが。◇これは、ほんとうに怖い作品です。こういう作品によって、ドラマをまともに語れる批評家と、ただ視聴率に忖度してネット世論を拾い上げた記事しか書けない批評家の、はっきりとした違いも表れてしまう。しかも、今後、作品が長く語られれば語られるほど、ヘタレな記事も繰り返し参照されてしまいます。いいかげん、理解ができないのなら、つまらない粗捜しはやめて、早く脱落すればいいのにね。それとも、またぞろ「ちょっと面白くなってきた」とか言って、しがみついてくるのかな。 ↓リドルフロムのスウェット【SALE/30%OFF】RID.DLE FROM GILDANフェイスプリント リドルフロム カットソー【RBA_S】【RBA_E】価格:3704円(税込、送料別) (2018/11/8時点)楽天で購入
2018.11.09
「けもなれ」5話。すごいすごいすごい。ついにここまで来ちゃった。(T_T)完全にもう、アンチとかもヘタレ評論家とかも振り切って、独走態勢にはいる覚悟がきまった感じの回でした。あとはもう、この先は、アンチも視聴率もいっさい気にすることなく、覚悟がきまった視聴者だけを相手に突っ走ってくれることでしょう。黒木華のブス顔がすばらしい!そしてガッキーの不気味すぎる鼻歌サイコー!最後のパソコン画面もサイコー!もう「幸せなら手を叩こう」って呪いにしか聴こえない!(笑)解決どころか、ますます混迷を深めていく人たち!ひさびさに怖すぎる素敵なホラーを見てる実感。もう菊地凛子のちゃちなセックスとかどうでもよくなってきた。このさき何が待ってるんだろう??おーい橘カイジぃ!!お前はいつ出てくるんだよぉ!!ほんとに出てくる気あんのかよー!!泣いちゃうよもぉぉ!! (T◇T)
2018.11.07
第4話にも登場しなかった「橘カイジ」。菊地凛子に猛スピードで突っ込んできたらしく、すでに出てくる前から「野獣」「怪獣」の臭いがプンプンする。もし龍平が会計を担当したならば、それこそ「不適正意見」がつくような案件の予感が漂います。「野獣」というのは、一方では、菊地凛子をメタモルフォーゼさせる威力もあるけれど、他方では、龍平の兄みたいな人を破滅させる威力もあるわけで、そういう「野獣」の本当の恐ろしさが、今後の焦点になるのでしょうか。◇口では「バカになれたら楽」だと言ってた龍平でさえ、ほんとうに菊地凛子が「バカ」をやった日にゃあ、彼女を「バカ」と責めざるを得ないわけで、結局は「自由な獣になれたら…」なんてのも幻想であって、ほんとうの獣になってしまったら、とんでもなく恐ろしい現実こそが待ってるはずなのですね。そして、そのとき、ほんとうの意味で、黒木華や龍平の兄を襲ったであろう「獣」の恐ろしさも分かるはず。でも、意外に登場してみたら、橘カイジはイイ人だったりしてね。(^^;近藤公園が会社を辞めそうな雰囲気もあるので、龍平のサポートを得て、さらに黒木華もバイトで雇いながら、公園&凛子&ガッキーで新事業を立ち上げ!…なんていうファンタジックな大逆転もなくはないけど、いまさらファンタジーに舵を切れるような内容じゃありませんしね。ますます怖い怖いドラマになっていきそうです!( *´艸`)プププ
2018.11.02
なんだろう?前3回に比べて、ややクオリティが落ちたように思う。視聴率を気にして、少しブレちゃった?表向きはテンポアップしてるように見えて、そのじつ、あんまり中身がともなっていない感じ。とくに序盤のセリフは安直だった。まあ、次回の成り行きは、とりあえず楽しみですけど。オリジナル脚本であるこのドラマが、はたして後半にかけて構成力と密度を保てるのかどうか、すくなからず不安ではある。◇ビールバーで"tap5"を飲むのは何時だろうと気になってたのですが、今回、ようやく2人で飲みましたね。でも、べつにこれが「獣」になれた証というワケではなさそうです。勢いで男に身をまかせたガッキーにせよ、途中でスヤスヤ眠ってしまった龍平にせよ、どちらも、たいした「獣」には見えない(笑)。仕事に戻れば、また「獣になれない現実」が待っているだろうしね。そのリアルこそが、このドラマの肝であり、そのフラストレーションに文句をいうアンチがいるからといって、それに迎合するわけにはいかないし、すべきでもない。ドラマが≪主人公の成長物語≫だと信じている視聴者は、~「獣になれない人たち」が「獣」になっていくまでの物語~という前提で見てるかもしれないけど、そんなに簡単に「獣」になれるものではないし、そもそも「獣」になることが人生の到達点であるわけでもない。かつて小林麻美をぶっ殺した松田優作のように、龍平が「野獣」や「金狼」になったりするはずもないのです。◇ガッキーは、いちど取り乱したものの、龍平と一緒に飲みながら落ち着きを取り戻して、ベッドですやすや眠った龍平を見て笑って、翌日には銭湯に入ってスッキリしたけど、これから本格的に壊れていくのは、むしろ田中圭のほう。ガッキーとの関係も、黒木華との関係も、実家の問題も、すべて彼にのしかかってくる。もしかしたら、周りが勝手に解決してくれる可能性もあるけど、ドラマ的にいえば、「田中圭が野獣になる」という展開こそが、いちばん面白いはず。龍平を殴ったあとに、元カノも、今カノも、周りの人間を根こそぎ殴り倒していくとか(笑)。かつての松田優作みたいに。田中圭が、菊地凛子以上の「獣」になったら、たぶん最高に面白いだろうなと思います。もちろん、それは「成長」というより「崩壊」というべきですが…。案外、ガッキーも、菊地凛子をひっぱたいたりするようになったりして。◇近藤公園が社長にタメ口で喋ってたのも気になったけど、彼は意外に曲者なんだろうか?
2018.11.01
「けもなれ」の3話を録画で再視聴。やっぱり面白い。◇このドラマが、そもそも伏線を回収する意志があるのかどうかも分からないけど、龍平とガッキーのあいだには、2人で教会の鐘を聴きにいってしまったり、ビンテージビールの「ナインテイルドキャッツ」を2人とも飲めてなかったり、一話ごとに着々と伏線が積み重なっている感じはある。かたや、職場での唯一の救いになっている人間であり、唯一の信頼できる異性が近藤公園になっているのも気になるところだし、(前の職場でいえば田中圭のポジション?)そのほかにも伏線らしきものを拾ってみると、行方をくらましている龍平の兄や、マルチ商法で破綻しているガッキーの母親の話もさることながら、小笠原にいるらしい田中圭の生意気な妹(男の子の母親?)とか、長男を探しながらも次男のことは避けているらしい龍平の母親とか、まだまだ話が広がっていきそうな余地はある。そして、どうも「獣」というワードの、いちばんの鍵を握っていそうな菊地凛子は、NYじゃ「自由のために戦ってきた」らしいのだけれど、その「獣」の生き方とは、人間にとって理想なのか反面教師なのか。彼女のブランド「メタモルフォーゼ」が開くことになるイベントでは、彼女の結婚相手と思しき「猛スピードで突っ込んできた車」の正体が、明らかになるのでしょうか?龍平とガッキーが「ナインテイルドキャッツ」を飲める日は来るんでしょうか?◇ところで、田中圭は、どうして黒木華を捨てたんでしょうね。社会から脱落しちゃったクズは、女としてもクズってこと?たとえ男の側がそう思ってなくても、女の側がそう受け止めても仕方ないし、そうだとすれば、黒木華のなかに田中圭への憎悪の感情が生まれても不思議じゃないと思う。◇それはそうと、ネットのアンチの人たちは、なんで早く脱落してくれないんでしょうね。(笑)もうだれひとり視聴率のことなんて気にしちゃいないのにね。
2018.10.26
う~ん、やっぱり面白いなー。龍平側の事情と、ガッキー側の事情が、いつのまにか絡んできちゃう展開にムズムズしちゃいました。◇今回の演出は相沢淳。そろそろ脱落者たちも淘汰されて、すでにコアな視聴者しか残ってないだろうけど、前2回にくらべると、いい意味で、だいぶ甘いテイストになった感じです。途中でビッケブランカの曲が流れてきた日にゃあ、いくらなんでも「甘すぎだろ…」と笑っちゃったけどね(^^;まさか、前回のキスシーンにキュン死したとか言ってるような、低次元な評価に媚びを売ったとか??どうせ、この期に及んで、ネットにバカ情報とかアンチ情報をばらまいてるのは、低視聴率を苦々しく思ってる日テレの上層部だけなんですから、そんなヘタレな評価は放っておけばいいのにね。(^^◇さて、せいぜいスパイス程度の脇役かと油断していた菊地凛子が、いきなり野獣になって、ドラマの中心に割り入ってきちゃいましたよ!いくらなんでも野獣すぎだろっ!!なんだか、このまま、田中圭のマンションに乗り込んで、黒木華を追い出しそうな勢いだぞ。(^^;;しかし、それ以上にわたしが気になるのは、黒木華が2万5000円だかで買ってきた可愛いケモノと、田中圭の実家にいた甥っ子とおぼしき小さな男の子!この2匹のケモノちゃんの正体と今後も見逃せない。君たちは何なんだ?やっぱり黒木華は、社会から脱落した絶望感のみならず、愛されなくなった寂しさも頭をもたげてくるんだろうな。◇ところで、龍平は、「気持ち悪い笑顔が嫌いだ」と言ってたのに、弱ってきてだんだん笑わなくなったガッキーに、気持ちが傾いてきてる??あくまで、この二人には、ビターな関係でいてほしいというのが、個人的な希望なんだけど。かたや、ガッキーと近藤公園との2人残業シーンも、ちょっと気にならないではない。ガッキーは、龍平の兄探しに巻き込まれる?そして菊地凛子は、ウサギごと黒木華を追い出すの??まあ、相変わらず、この先どう転んでいくのか、まったく展開が読めませんが、この浮遊感がたまらなく心地いい。ずっとダラダラ終わらなきゃいいのに。
2018.10.25
なんか、凄いものを見せられてる感じがある。まだまだ物語の前提のエピソードが描かれてるだけなのに、異様なくらいの見ごたえ。レベルが高すぎるというか。ボリュームがありすぎるというか。1話で映画一本分見せられてるようなズッシリ感。台詞も面白いし、映像も綺麗だし、よくも連ドラでこんなものが作れるな… とは思うけど、観る側にも気力と体力を要求するから、ついていける人は限られるだろうなあ。アハハ…(^^;仕事の出来る奴と出来ない奴をリアルに対比する描写とかも辛辣で、内容的にも、前回に劣らず、けっこうハードだったと思います。◇妹かと思われた黒木華(朱里)が、じつは元カノだったというのも驚き。そういえば田中美佐子が前回、「前の彼女は"赤っぽい"名前」とかなんとか言ってましたね。でも、あらためて考えると、「同棲」がただの「居候」になってるという設定は斬新だし、元カノと今カノが、両者の存在を互いに認識しあっているという状況も不思議。すくなくとも同居しはじめた時点では、黒木華はまだ「今カノ」だったわけだし、ふつうに考えれば、新垣結衣との関係のほうを「浮気」「二股」と呼ぶはずですけどね。この元カノと今カノは、かつては同じ会社にいたようだけど、まだ面識はないように見える。この二人がどうなるかにも、興味が尽きない。この「三角」関係には、従来的な恋愛関係とは別次元の、きわめて現代的な「関係」の形が秘められてるようにも思えて、もしかしたら、そこに前作の「逃げ恥」にも繋がるテーマ性が期待できるのかな。ところで、第1話であえて黒木華を「妹」のようにミスリードしておいて、第2話が放送される前に、その正体を公式HPでバラしちゃう意図とは何でしょう?気がついてしまう視聴者を前提にしてバラしてるのか、それとも、ネット民が得意になってバラしだすのを見越して、口コミ効果でも狙ってる?もはや、脚本家のTwitterとか番組HPとかをチェックさせて、視聴者の能動性を引き出すというのが、ひとつの広告手法として確立しちゃってるんでしょうかねえ。(-.-)◇終盤、ガッキーと龍平が、わざわざ教会まで鐘の音を聴きにいくシーンは、映像的にとても美しいシーンだったのだけど、展開的には、いまいち必然性のわからないシーンでもある。これが何かの伏線になっていくでしょうか。まだまだ物語の前提段階ではあるものの、テレビドラマの場合、ラスト直前まで「前提段階」だけが延々続くというパターンもありうるし、(笑)むしろ「前提段階」こそ面白いというパターンも往々にしてありますから、(笑)いまのところは、予断をもたずに観ていくしかなさそうです。
2018.10.18
「獣になれない私たち」の第1話は、ブラック労働のハードな表現が物議を醸したけれど、これは野木亜紀子の脚本によるものじゃなく、たぶん水田伸生の演出によるところが大きかったと思う。おそらく脚本自体は、あそこまでハードな表現を要求していなかったんじゃないでしょうか。しかし、ああいった演出こそが日テレらしさであり、わたしとしては、むしろそうした日テレイズムのほうに期待してしまう。安易にコミカルな路線には寄っていってほしくない。◇ところが、第1話のラスト部分では、そのハード路線が、あっさりコミカル路線に堕ちてしまいそうな、そんな予感も漂わせました。実際、こわもてのパワハラ上司は、ブーツに履き替えた新垣結衣の豹変ぶりに驚いて、あっけなく子犬のような弱腰上司に変わってしまいそうなんだけど、それじゃあ面白くないし、いくらなんでもリアリティがなさすぎる。まあ、そうやってコミカル路線に寄っていくほうが、きっと「逃げ恥」の二番煎じを期待する視聴者にはウケがいいんだろうし、そのほうが視聴率だって上向くのだろうけど…、わたし個人としては、そういう路線をまったく望まない。そこは、あくまでも日テレらしさを貫いてほしいし、安易にTBSのようなラブコメ路線には堕ちてほしくない。◇今後、とりあえず注目すべきなのは、田中圭の家族をどう描いていくのか、ということですね。黒木華が演じる妹の闇の部分とか、父親の介護の問題とか、そういう部分がクローズアップされてくるはず。ドラマの世界が、いっそう混迷を帯びてくることのほうに期待します(笑)。◇ドラマの世界が混迷をきわめていくことを、ネットの評論家たちは「迷走」だといって批判するかもしれないけど、わたしにいわせれば、現実には容易に解決しえない問題を、簡単にフィクションのなかで解決してしまうほうが安易なわけで、むしろ、日テレドラマファンとしては、とことん混迷を深めていってほしいです。
2018.10.14
あはは。相変わらず飛ばしてんなあ~。水田伸生。名作「anone」の視聴率の低さを、ネットの自称評論家たちが批判し、日テレのヘタレな上層部も難癖をつけて、ついには坂元裕二の意欲を喪失させたとかで、はたして日テレドラマはどうなることやら…と心配してましたが、やっぱり仕掛けていくのをやめられないのですね。(笑)「逃げ恥」のコンビがどうたらいう世間の安い期待を、初回からいきなり叩き割ってくれました。TBSとはまったく異なる路線になるのは間違いありません。ネットではまた賛否両論が起こるのだろうけど、元来の日テレドラマファンにとっては、もはやどうでもいい話。脱落するなら早めに脱落してほしい。(笑)たしかにブラック労働のリアルすぎる描写は、見てるほうまで鬱病になりそうなぐらい辛いけどねー。これがTBSだったら、もっとコミカルな描写で済ますんだろうなあ。黒木華の配役もけっこう驚き。そして龍平は、いつにもましてアブナい。かろうじて新垣結衣と田中圭のふたりが、リアルすぎる世界を緩和してくれてるといった感じでしょうか。今後の展開が怖いけど、ついていきます。(笑)
2018.10.12
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