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「シン・ゴジラ」人生初のゴジラ映画だった。過去作をテレビでも見たことなかった。でもこれは行こうと思った。行ってよかった。ひとことで言えば「愛」。対象を大切に思う、強い思いが溢れてる。最初から最後まで。その思いに、もう最初からやられてしまった。それを愛と呼ばずに何と呼ぼう。きっと観た人がネタバレしないのはその愛の力に打たれてしまうからだ。実は私は実写映画が苦手だ。火事や爆発や戦争とかをリアルに映像化したものを見ることが苦手。この映画で、矢口が瓦礫の前で手を合わせる場面や、自衛隊の小隊が犠牲になり、矢口が悔しい表情を見せる場面、これらがとてもリアルで愛を感じたんだ。破壊や爆発にカタルシスを感じない自分としては、いつもそこに流れた血を想像してしまっている。「表現のための、作り物じゃん」と言われればそれまでだが、表現のための表現って何なんだ、って疑問がずっとあって。私は庵野監督はそっちのほうのひとだと思ってた。かっこいい爆発を描くために描く、みたいな。でもごめん、ちがった。自分の国として日本を愛する、大切な愛する人のために力を尽くす、その姿を、最初から最後まで、言葉も、映像も、音も、音楽も、すべてに最上の愛をこめて描きつくした庵野監督はすごすぎる。そこには妥協も、大人の事情もなかった。ただひたすら、描きたいもののために全力だった。大学生の自主制作などではない、大人の商業映画で、50すぎのクリエイターの創るものがこんな力を持ち得るとは、想像もしていなかった。はじまってすぐぐらいから、画面の緊張感に感動しっぱなしで、涙が流れて止まらなかった。見逃していい場面、いや、コマすらない。そこから受けとったのは庵野監督の愛としか言いようがない。
2016年08月11日
本日ムスメの舞台のお手伝い。 平台を運び、幕をつくり、小道具の設置を手伝う。 あれ? たくさん仕事した気になっていたけどやったことはそれだけだった。とほほ。でも締めの会のときに舞台監督の方にひとことお礼をいわれてとても報われた気がした。単純だ。いい勉強である。 つくづく自分の若いころの気遣いのなさを呪う。 当時はお礼をいっていたつもりだったけど全然なっちゃいなかったなあ。 さぞかし怒らせたり笑われたりしていたことだろう。いまでもそうか。 感謝って範囲を知らないとほんとうの感謝はできないような気がする。 範囲は広い視野がないとわからない。 そういえば大学を卒業してしばらくしてからやった舞台で出演した役者がそういうことができないやつばかりだった。打ち上げとかやっても他人事。 腹立たしかったけどひとことでいってガキばっかりだったということだろう。自分含めて。だれかにいってもらえないと気付かないものだ。 そして気づけばオトナになっている。 いかに自分が迷惑をかけているか、という他者への意識、アンテナがしっかりしていないとお礼っていえないと思う。 たぶんそれはこういう仕込みとかバラシに限らず、日常生活でもいえたことだろう。 ありがとうをいいなさい、と単純に教えるのではなくありがとうを探すこと。ただいうことよりも気づきが大切かもしれない。 スマホを振り回さなくてもたぶんそれはみつかる。(♂)
2016年08月05日
歌の練習をしている。車に乗ったときやら、帰宅して味噌汁をつくるときやら。スマホをカラオケにしてコツコツと。 真面目にやるのは30年ぶりぐらいになる。思ったよりも声が出るのに驚いている。8割ぐらいは芝居のおつりだろう。 マンガ「ちはやふる」で太一が「青春すべてを賭けたって勝てない」なんてことを言っていたけど(うろ覚え)、一番にはなれなくても貯金はできるよと思う。問題は活かす機会を作れるかどうかだけど。 やっててもやもやするのは、かつてほど集中できるわけではなく、かつてほど吸収できるわけでもないことだ。 でもそのもやもやふくめて創作なんだ、と気づいたのは最近のことだ。若いときなら、いかに雑音を排除するかを意識していたと思う。 新車をチューンアップするというよりはボロ車の部品を取り替える感じか。 レースには出られないが、展示会ならいける。 でもこころの持っていきようが固まっていない。 たぶん今試されているのは大人力だ。 かつて栄光があったわけではなく、でも真面目にはやっていて、行き場がなくさまよっていた過去の自分を調教する旅なんだろう。 細かいことはどうでもよくて、いまからうまくなればいい話なのかもしれない。それは可能なのか?やる気の問題だ、たぶん。(♂)
2016年08月02日
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