全14件 (14件中 1-14件目)
1
![]()
田口くんのことは書けません。いろいろ考えたけど、無理には書けないのでやめときます。 解散するとき出た本に、松本隆先生が「こんなヤクザな業界から足洗って、米屋をやれよ、米屋を」(ヒデキの実家は米屋だった)というメッセージを寄せてて、当時は「ひどいことを言うなあ」と思ったもんだが、大人になった今なら松本先生の言いたかったことがわかる。 親心みたいなものだよね。 ヒット曲が出たことでこの世界に巻き込まれた若者たちの行く先を気にかけてたんだろう。 バンドブームのころカッコいい側とされてたバンドの曲も今聞くと演奏とかアレンジとかそれほどでもないなーとか。 レジェンド級バンド某だってソロになってからのボーカル曲はまんま歌謡曲じゃん、とか。 楽曲やバンドコンセプトに合わせて衣装っていうかコスチューム揃えたり髪の毛の色ハデにしたりとかって、今普通じゃん、とか。 30年前の彼らが「コミックバンド」「アイドルバンド」「歌謡曲バンド」とか言われて、何であんなにディスられなきゃいけなかったんだ!世間の人に「C って実はすごかったんだね」って言わせたい~!と思って身悶えしているファンがおそらく全国にいる。 ええ、ここにも。 別に「口パク」「当てふり」「カラオケ」自体がダメなわけじゃないんだ。現在のテレビそんなんばっかりでしょ。例えばパ●ームとかジャ●ーズが歌い踊るのを見て口パクを断罪する人はいない。だからこれは見せ方の問題。 C のどういうところを見せたらカッコいいかって考えたら、超イケメン揃いではないんだし(←失礼)、やっぱりライブ感あふれる演奏をする姿がステキなわけで。レコード音源でテレビ出演でガッカリしちゃったのはたぶんそのへんのこと。 そう考えると、プロデューサーの仕事って大事なんだなと、大人になって仕事を持ってようやくわかった。 本人がどう見られたいかと、他人から見て魅力的なところは一致してなかったりする。魅力を最大限生かしきるにはやはり客観的な第三者の目が必要。セルフプロデュースの場合もよほど冷静な判断が要求される。そしてプロデューサーであることとアーティストであることは正反対の資質。というわけで、最近興味深いのは松木さんの活動。 アーティストであるとは、ビジネスとは別次元の、生き方のことなんだと感じている今日この頃。
2016年01月29日
![]()
ヒデキのお別れ会でファンが献花したのが「ピンクのバラ」だった。あらかじめ指定されて公式に呼びかけられていた。 1500人とも2000人とも報道されていたが、ともかくたくさんの「元少女」たちが献花に訪れた。 これはヒデキがメインボーカルの「Lucky Chanceをもう一度」の一節 Pinkの薔薇の束を 背中に隠しながら にちなんだもの。 粋だよね。 こういうのってやっぱりプロデューサーの松木さんが考えたのかな。 「Romantic~」のインパクトは別格としても、「Lucky Chanceをもう一度」は、実は1番 C らしさが出ているシングル曲だと思う。3人がボーカルを歌いつぐ感じとか、ハイトーンのふたりの声を最大限生かしたところとか、80年代王道歌謡曲メロディーでありながら演奏はハデなところとか。 歌いながらヒデキが弾いてるベースが効いてるのに気づいたのは最近いい音でCD を聞いたから。リマスター盤CD の素晴らしいこと。特に低音が、リズムがハッキリして密度の高い音として聞こえる。当時のAM ラジオのモノラル音声+カセットテープじゃぜんぜんわかんなかったよ。↑オリジナルはベストの方に入ってます。「僕たちNO-NO-NO」に入ってるのはリミックスバージョン。 鮮烈なキーボードのイントロ、間奏で盛り上げるギターも好き。 85年の紅白に「Romantic 」じゃなくてこの曲で出たのは、民放ドラマの主題歌などのタイアップがついてなかったからかなと思う。NHK も昔はそういうの厳しかったからね。 当時C がレギュラーを持っていたラジオ番組を本当によく聴いていた。いつもリーダーのでかい声で始まるラジオが楽しみだった。Gくんの脱退後はさらに、トークの多くの部分をヒデキが担っていた。彼らのラジオはキレがあってとても面白かった。自分たちの曲だけでなく、彼らの好きな洋楽を紹介するのも楽しみにしてた。 ヒデキが大阪でやってたABC ラジオファンキーズも必死でチューナーやアンテナを動かし、雑音の中の彼のトークを聞いていた。ヒデキがビートルズの弾き語りしてたのはこの番組だった。 ピンクのバラに埋め尽くされた祭壇の写真が彼のブログに載っている。ヒデキのブログは2015年6月11日まで本人が更新している。元気にツアーのリハーサルをしている写真が最後。12日に緊急搬送され、14日からのツアーが中止となった。7月2日に田口くんのニュースがあり、7月13日に亡くなった。 ヒデキがたくさんの元少女たちにC のことを思い出させてくれた。田口くんの件でのダメージも最小限にとどめた。お別れをもって、というのが何とも無念ではあるが、そんなところもリーダーとしての責任感からゆえと思いたい。 お別れ会「ヒデキファイナル」に出演したC 以外のバンドについてはその時わからなかったが後で見て知った。vothmは元ビーリパブリックの丸山さん、爆風のファンキーさんと、三喜屋野村モータースバンドは野村よっちゃん、元ジュディマリ五十嵐さんと一緒にやっていたバンドだった。C じゃなくなってからの音楽活動のほうが長いのにね。最後までC のリーダーだったのはまちがいないが、本人にとってはどうだったのかな。ゴーゴーヒデキで「ごぶさたしてます、C です!」って名乗る様子は嬉しそうだったけどな。満足してたかな。 85年の大晦日に、レコード大賞の会場から紅白の行われるNHK ホールに移動したときの思い出を、解散のころ語っていたのを覚えている。紅白歌合戦で「Lucky Chanceをもう一度 」を歌ったことは、リーダーとして嬉しかったんじゃないかな・・・と、これまた妄想。
2016年01月28日
![]()
12月にBS ジャパンで「ヤンヤン歌うスタジオ 復活コンサート」の放映があった。会場の中野サンプラザの客席はおじさんおばさんというよりもっと高齢な感じに見えたが。笠くんが一人で出演して「Romantic が止まらない」を歌った。 このときも思ったのが、当時よりリラックスして、声もよく出ていて、見ていて安心できたこと。 久しぶりに見た懐かし番組、あんなに嫌だと思っていたけど、もう何かそういうの、どうでもよくなってた。娘にとっては逆にこういう昭和のベタな歌ありコントありの「歌番組」が新鮮らしく、喜んでる。「なんてったってアイドル」を伊代ちゃんたちが歌ってたのとか真似したがってた。私がいない日にまた録画したの観てたし。 もうテレビにC を名乗って出るのは笠くんだけだろうな。世間の人のイメージはC =笠くん、らしいね。当時メガネと電子ドラムがインパクトあってカッコイイと思った、と旦那が言う。シモンズじゃないドラムでも結構テレビ出てたけどね。一般の人にとっては、六角形のシモンズに囲まれて歌う笠くんがC そのものだったと思う。 あのころ、すごくカワイイ映りのときと、アキバ系男子にしか見えないときと、見るたび違いすぎだと思ってた。そんな笠くんが不憫に思えて目が離せなかった。なんかいじめられキャラだし、半分ネタとはいえラジオや雑誌でも年上メンバーにいじめられた話ばっかりしてたし。十二指腸潰瘍で手術して病み上がりでテレビ出てたのもあるけど、それ以外のときも具合悪そうな日が多く感じてた。ドラム叩いてるからもあるけど、歌声が不安定な日もあって、いつもハラハラしながら見てた。 作家先生が笠くんの声を気に入って「Romantic~」のメインボーカルに抜擢されたそうだ。ぽっちゃり系メガネ男子萌えなんてまだ世に認められない時代だったろう。他にない「異形」のものを愛でることが芸能の基本だとすれば、ピンクの髪のドラム奏者がありえないハイトーンのメインボーカルという時点でそれは「芸能」だった。ぽっちゃり系メガネ男子が、一生懸命ドラムを叩きながら揺れる不安定な声で歌うこと自体が耳目を集める要素だったと私が理解したのはつい最近。 2005年のワンダの缶コーヒーのCM、私は全く見てなかったか、覚えてなかった。動画サイトで最近見たら、面白くて「フー!」のところで毎回笑っちゃう。でもこのCM の笠くんの表情は何か固くて残念。最近の彼の映像はもっと穏やかな表情に見える。 現在、熊本にご両親とともに農業のお手伝いなどをしながら暮らし、熊本の人とバンドを組み音楽活動をしている。東京でテレビ出演などの仕事のあるときだけ上京する。地元局のテレビ番組に出演したり、地元の小中学校でドラムを教えたりもしている。 講演や、ローカル番組でのインタビューの動画で、自分の人生のことを語るのを見て、語るべきことがあるからこうやって語り、C の歌を歌って伝えているということがわかった。「僕は、必ず南阿蘇に帰るんです」と語る笠くん。帰るべき場所があること、これをみんなに伝えて生きていくよ、があることが、今の活動スタイルになっている。 アーティストであるって、こういうことなんだなと。 彼にしか伝えられないものがある、彼じゃなきゃダメなんだ。 そしてそれを彼自身が確信を持って伝えられている。だから、今のあの穏やかな表情なんだろうなと思った。(2023年1月追記ここ1か月ぐらいのアクセスが増えているので、誤解を招きそうなところを一部書き替えました。→笠さんが農業に従事されていることは現在形ではないようです)【楽天ブックスならいつでも送料無料】松本隆 作詞活動四十五周年トリビュート 風街であひませう (完全生産限定盤) [ (V.A.) ]
2016年01月25日
先に抜けたあの人のこと。なんでこうなった。応援してたからCD も買った。メジャーレーベル時代の全シングルとアルバムが今も手元にある。ライブにも1回だけだけど行った。歌詞の世界を大切に歌う音楽はむしろ私の好みだった。松本隆や井上鑑も作家として関わっていたし、楽曲のクオリティは高かったと思うんだけど。
2016年01月24日
![]()
米川くんのこと。「もう再結成ってないだろうね」とS さんと話してた。「田口くんのことを米川くんが許すと思えないしね」「そうだね‥」↑私たち二人が米川くんの何を知ってるかって、テレビやラジオや雑誌を通して一方的にみていただけ。でも私たちはそう思っている。 Cの最年少で最後に加入したギタリスト。後期Cのサウンドを大きく支えた。当時誰より早くスタジオに入ってて、他のメンバーが来るまでピアノ練習してて、今自分のライブでピアノも弾くらしい。この夏からいろんな音源を聴きなおしてて、彼のギターの多彩さに驚く日々。ぜんぜん好みの音楽じゃないと思ってたけど、熱く、ときには優しく、それでいて品のある彼のギターの音色が気になるようになってきた。 今、年間に何本ライブしてるんだろう?いろんなミュージシャンとのセッション、作曲、スタジオでの仕事など、wikipedia にはさらっと書いてあるけど、どれもよく見ると凄いよ! 昨年9月の矢沢永吉の東京ドーム公演で外国人メンバーに混じってバンドメンバーとしてステージに上がってた。永ちゃんの隣で青いギターを熱く奏でる米川くん。でも、その出演については自分からはあんまり明らかにしてない。永ちゃんの公式ページにはサポートメンバーとして名前がちゃんと載ってるのよ。 NHK 「Songs」では、リハーサル風景ではカメラに背を向けていて顔が見えなかった。わざとかな、と、ちょっと思った。さすがにドーム本番の映像では正面向いて映ってたけど、サングラスかけてた。自分のFB で矢沢永吉Rock in DomeのDVD の紹介をしてたけど「僕も映っています」とだけ書いてあった。出演してます、じゃない。 今、自分の音を思う存分奏でられているから、今のかっこよさがあるのかな、と思う。 当時の彼ら、みんな正直すぎたのか。カッコつけてなさすぎなのか。アイドルだったら(笑)もっと完璧に嘘で塗り固めてカッコつけるのもありだったのに。 音楽雑誌とか、ラジオとかでは結構本人たちの性格とか本音とかまんま出ていた気がする。 米川くんは人見知りだけど音楽に誰より厳しい。頑固。職人肌。ただ見ているだけの私たちもそれを感じてた。きっとテレビで当てふりで演奏とか、誰より嫌だっただろうと妄想。
2016年01月24日
![]()
ずっと応援し続けてきた人とは違うし、彼らの何をわかってるのか、と問われれば語る資格がないのもわかってる。 私にとってC とははいったいなんだったんだ? と考えて出るコトバを書き留めている。事実誤認がないかだけ心配だが誰も読んでないか(笑)。「お母さんがこういう音楽が好きって知らなかった。意外。」と娘に言われた。ええ、自分でも忘れてたぐらいですから。 近年続けている、声とことばについての研修の場でのこと。 「雨ニモマケズ」を読む機会があって、その日は前の晩見たゴーゴーヒデキの余韻があって「昨日の夜ロックバンドのDVD を見てたのもあって、賢治が熱い思いを抱えているように感じてならない」と話し、そのように読むことにした。 そのとき先生が「何というバンドの音楽ですか」と聞かれたので「若い方は知らないと思いますが、C というバンドです」(先生は知ってる世代、他の参加者には今年の新卒ちゃんもいる)と答えると「あー、あのドラムの人が歌ってた」「そうです」「まだ活動してはったんですか」「ええ、みんな50才越えて、ロックやってます」「ローリング・ストーンズみたいな、年重ねて、重厚な深みを増した」「ええ、矢沢永吉が66才で東京ドームやりましたけど、イメージとしてはそんなのです」 きっと先生、ロックバンドと聞いてC の名前が出るとは思わなかっただろうな。あのアイドル売りからスタートして、50過ぎても自分の音楽を続けてる、それってロックじゃん。口にしてみてそう思った。
2016年01月21日
![]()
TBS で放映したライブ映像が中心。テレビで見るとなにか違う。PC の動画はやっぱりどこかダイジェストというかエッセンスでしかないというか。テレビ画面で見ることで、しょっちゅうテレビに出ていた当時のことを思い出すのかも。ゴーゴーヒデキを見たときとは全く違う感情がわき上がった。【楽天ブックスならいつでも送料無料】C-C-BメモリアルDVD BOX [ C-C-B ] ブレイクした次の年、86年のよみうりランドEAST の映像は、みんな若くてハジケルような勢いがあった。 関口脱退のときのEAST は悲しんではいるけど次のステージへの期待も感じた。 4人になってから行なった武道館公演では、4人とも輝いていた。特にヒデキ。4人でやってく覚悟みたいな、キリキリ、ヒリヒリした痛みさえ感じさせるのは、その後のバンドの運命を知っているからなのか。 そして解散ライブの武道館。1曲目の「原色したいね」でいきなり歌詞をぶっ飛ばしてボーゼンとするヒデキにはじまり、走りっぱなしの、疾走感あふれる演奏。ラストの「Let's Go Climax」で号泣する女の子たち。まさか26年後にこの曲でヒデキを見送るなんて思わなかったよね・・・。 一部とは言えこれらの公演を60分とか90分とかの番組にして地上波で放映してくれていたことがすごい。TBS といかにつながっていたか。「毎度」からはじまり、TBS の関連会社である日音がC のすべての権利を持っている、という記事を最近ネットで読み、当時の状況を理解した。そりゃベストテン出るの断ったりできないわ。 その頃ミュージシャン?アーティスト?の方々はベストテン番組に出るのがカッコ悪いみたいな流行りになりつつあり、出てるのはアイドルばかり。本当にヒットしている曲の歌手が出演していないような状況があった。 そんな中で毎回、ヘンなセットの中で歌ったり、気球に乗せられて歌ったり、TBS の社員食堂で歌ったり。徹子さんの失礼発言もうまいことあしらい、バラエティ的な絵面にも全力で貢献してたよね。 特別番組や記念回などに1位になったりして、おいしいところをもらえてもいたと思う。 でも53回出演したというそのベストテンの映像はこのメモリアルには入ってないんだけどね。「ライブG」「歌謡アンナイト」などでライブ演奏したときの映像が収録されている。いっぱいテレビ出てたんだなー。もっと見たいなー。 ゴーゴーヒデキは結果として記念的な作品になってしまった訳だが、そこには「今」があって、現役の表現者としてのステージだったから批評もしたくなったわけで。メモリアルの方は完全に過去を懐かしむための映像だった。 彼らの現役感を感じさせるような場面に今まで出会えていれば・・・テレビの再結成企画が嫌だったのはそういうことだったんだな。 ほんとうはみんな解散後もずっと現役のミュージシャンだったけど、私はそれを知らなかった。AJ では「今」の彼らがちゃんとやってたんだなとわかって、知らなかったことを悔しく思った。もちろん、AJに至るまで、うまくいかないことがたくさんあって、それぞれが苦しい思いもして、やっと形になったのだということを、ここ10年分の各種過去ログを読んで察している。でもライブに行かなければ会えなかったろうし、ライブハウスに私が行ったとは思えないんだけど・・・たらればを言うほどむなしいこともなく。 そしてその延長線上にあった幻となった再結成ライブは、きっと彼らのカッコイイところを世に見せる機会になれたはずだったと、やっぱり思ってしまう。でも何事もなくライブが成功していたら、私が彼らのことを思い出すことはないまま、嫌いの箱に入れたまま、この後の人生を送っただろうとも思う。
2016年01月13日
メモリアルDVD 予約済です配送は11月4以降の予定です 11月は娘の習いごとのステージ他に学校行事ありなどなどで週末厳しいかもなので12月乞うご期待。今年2月のゴーゴーヒデキのDVD は今日来ました。26年間忘れてましたが解散した日なのね今日(>_
2016年01月11日
2004年に出てすでに10年たち、市場にはほとんど出回っておらず、密林の某ショップでは198000円(じゅうきゅうまんですよ!)の値段をつけていたメモリアルDVDボックスを再販決定、と松木さんのつぶやきがあり、その後米川くんのオンラインショップでも取り扱うとのお知らせがあった。 Sさんにメールする私。「DVD買っちゃおうかな~買ったら上映会するから見に来て」「行く♪から買っちゃって(笑)」 米川くんショップでは9月15日から10月15日に予約を受付、11月4日発売日以降に発送とのこと。ショップ限定特典は幻となったツアーロゴ入りミニトートバッグとポストカードなど。DVDをすでに持っている人のために特典のトートバッグの色違いを販売し、そのトートバッグにもDVDを買った人と同じ特典がつくとのこと。でも「商売上手~」とは思わなかったのはなぜだろう。トートバッグ単独の値段が高くなかったから? 黒のトートバッグを普段使いにしたかったので、トートバッグとDVDとを買うことにした。実際、複数買った人が多かったようだし、人によってそれぞれ違う中身もあったので、届き始めた人からネットではちょっとした祭りになっていた。 うちには思いのほか大きな箱が11月3日に届いた。そっと納戸にしまい、一人の時に開けてみた。・Tour 2015の文字の入ったミニトートバッグ・米田渡で撮った写真・ヒデキファイナルのライブ入場者に配られた16枚のポストカード。AJ公演、ゴーゴーヒデキの写真など。幻となった再結成ツアーのセットリスト(曲順表)も入っている。・笠くん単独のポストカード。たぶん↑が3人のものが多いので、笠くんファンにも、という意味なのではと受け取った。・米田渡の3人で撮ったプリクラ。オジサン3人で何やってるんだ、と笑うしかない。・缶バッジは何種かあった様子。私のところにはヒデキファイナルの時の笠くんの大きな太鼓の前面のデザインのが来た。ちょっと嬉しかった。・形見分けとして、ヒデキの衣装の一部。5センチ角ぐらいの布片。彼のシャツを一枚一枚切り分けて用意してくれたスタッフの方々を思うと切ない。・ゴーゴーヒデキの全出演者の集合写真。4人のCメンバーが公式の場で揃っている。岡本さん、丸山さん、松木さんら最強の共演者たちとの幸せな晴れ舞台の最後の記録。もうこのメンバーみんなでこんな風に笑えることはないと思うと、これは泣けた。 こんなにたくさん特典がついてきたことはとてもうれしかったが、私なんぞがヒデキの形見分けをいただいちゃっていいのかなという思いもあった。 26年分の不義理をごめんなさい、とつぶやきながらありがたくいただく。あのころはテレビやラジオの中でしか会えない雲の上の人たちだった。そんな方の形見がいま自分の手の中にある。今まで忘れててごめんなさい。もう会うことができなくなっちゃってから思い出すなんて。 DVDはSさんといっしょに観ることにして。 ハガキと写真の同じものが2組になった分は、後日Sさんが来たときに1組あげた。「あー、こういうの見ると、ほんとにこれで最後なんだな、って思うよね」 そうだよね。 もう最後だから、今までの特典なども全部出してくれたんだよね。 もう最後だから、商売っ気もないんだよね。いままで応援してくれてありがとう、なんだよね。
2016年01月10日
Cメンバーについて既女板のレスが転載されてるのを見ていったい何のスレッドだろうと見に行ったら「転落芸能人」のスレタイにC の名が入ってたorz 膝にきましたガックシ 徹子の部屋の追悼特集でちょっとだけヒデキを映してくれた。徹子さんが「ベストテンではしょっちゅう一緒でしたね」と言ってくれた。徹子さんに追悼されるなんて・・・30年前には思いもしなかったよ。 私自身の当時の推しメンはヒデキじゃなかったはず。笠くんが不憫でいつも気になっていたけど。でも今年の出来事を通して渡辺英樹の死=C の死であり、ヒデキがC そのものだったんだなーって思った。
2016年01月09日
さて、若干ヨコシマな思いを抱きつつも、解散以来「一夜限りの再結成」でないライブ、最後の4人C での公演でありヒデキの55才の誕生日「ゴーゴーヒデキ」のDVD を米川くんショップにて注文した。 10月9日に到着。解散した日なのね。忘れてたけど。ネットで話題にしている人がいて26年ぶりに思いだしたよ。 でもなかなか見るためのまとまった時間がとれず、休みの前の日の夜など何日間かかけてようやく見る。 開演前のバックステージの映像ってなんでこんなにいいんだろう。この時間ってプロもこういう顔するよね。リラックスと緊張感が入り交じるこの時間の空気が好き。記念写真撮るときに米川くんが田口くんに「メガネとったら?」とか言ってるのも遠慮のない感じでいい。こういうのちゃんと入れてくれてるのが嬉しい。 1曲めAJ のジャーンていうオープニングからはじまる「ようこそ」で、もうこのDVD を買って良かったと思った。満足。やっぱりカッコ良かった。音が厚くて熱かった。当時は当たり前に聞いてたけど意外とそうじゃないバンドがいくらでもあることがわかるのは大人になったから。 私が鑑賞中、演奏を通りすがりに見た旦那が「あー、ちゃんとバンドの音なんだな」と言ってくれたのも嬉しかった。 でもね、1回全部見終わったあとに、手帳に感想を書く私。何回か見るときっとこの感じ忘れちゃうと思ったから。このライブの主役のヒデキについて思ったこと。↓以下メモより。1.MC 上ずっている。大舞台に慣れていないような・・・あんなにトークの面白かった人が・・・2.新曲?AJ などの曲はかなり楽譜見てるようだけどそういうもの?プロなら基本覚えて臨むものかと・・・3.コードを引いて、スタッフ?に向けた険しい表情。一瞬だけど、ああいう顔は気になる。 みんな揃って笑顔で終われたライブ。幸せを記憶にとどめておくことができるような。ミュージシャンとしてはある意味最高の一枚かと。最後にこのクオリティの記録を残せたのは近年の活動から考えたら奇跡なのでは。(メモおしまい)あとね、ヒデキと田口くん、太りすぎ!うちの娘、昔のCD の写真見て毎回「これがヒデキ‥かな?」みたいな、自信なさげに言うのがおっかしくて。ちなみに「マイクの使い方が変わってないから、歌ってるとヒデキってわかるんだ」とのこと。追記その後いろいろライブ映像などみて、プロだからこそ譜面台なしってありえないよなって思いました。レパートリーだって30年前とは全然違うんだし。すみません。でも昔の印象とのギャップがあったのは確か。
2016年01月08日
発見されたC関係のもの●Cの記事の載った雑誌の切り抜きページ・・・ほとんど友達にもらったもので、自分で買っていない。ほとんど何の雑誌だかわからない。●85年ごろのポスター・・・ポリドールのマークがついているのでレコードの特典?しかしこれも自分で買ったのではないからだれかにもらったのか? ●雑誌「明星」の付録の歌本・・・Cのアルバムの特集のもの。楽譜やコードがついている。ちなみに私はピアノもギターも、楽器は全く弾けない。●EP盤のシングルレコード数枚。後期の2枚ぐらいは自分で新譜として買った様子。しかし他はレンタル落ちのものだった。ラストシングルはなかった。●自分でアルバムごとに手書きで曲名を書いたノートとか。Cのすべてのアルバムをカセットテープに録音したものとか。ラジオ番組録音したカセットテープとか。ああ、中学生って無力。 しかし、C後期のアルバムCD2枚が出てきて驚いた。でも当時ではなく、かなりあとからどこかで中古で買ったもので、1回もそのCDでは聞いていないはず。脱退したあの人のシングルとアルバムは1枚を除いて(シングル1枚だけレコードだ)、全部CDで買ってあったのがなんか皮肉。 笠くんソロのクリスマス企画ものCDはリアルタイムで買ったのだな。米川くんのドラマタイアップになったソロCDはレンタル落ちで買っていたが、値札がついたまま。聞いた形跡がない。 でも、どれも大切なものとして、箱にしまわれていた。聞かずにしまってあったCDも、いつかは聞こう、保存しておこう、と思ってとっておいたのだろう。 で。 例の本は見つからない。すっごい探したんだけどな。実家も探してみたけどなかった。 全く思い出せないけど、たぶん「いくらなんでもタレント本はないな」「いまさらCの本読むことはない」と、古本屋に売ったのだろう。当時あんなに考えに考えてやっぱりどうしてもほしいと思って買った本だったのに。古本屋に売る方が苦痛だからめったに売らないのに。他によっぽどしょうもないものがたくさんとってあるのに。 結局、大人の経済力と情報力を使ってその本を再度手に入れた。26年前の本なんて手に入るんだろうか、って思ったけど、根気よく探せばあるもんだ。値段は常識の範囲でなんとかなった。オクとかの方がヤバい値段ついてるね。状態は多少悪いけど、読むには十分。ビバ大人!って思った。
2016年01月05日
![]()
ヒデキファイナルのかなりの映像が「ゴーゴーヒデキ」のときのものだった。しかもDVD化されて発売されていた。55歳の誕生日に、AJ、WY(これは米川渡辺のユニット)、そしてC名義でライブを行なったものだった。 私の中での疑惑が実はあって、当時のCは「ライブが良い」「演奏技術が高い」とずっと言われていたし、自分でもそう思っていたけど、結局ライブには行けなかったので、テレビやラジオでライブ音源を見聴きするぐらいしかできなかったのでそこにいまいち確信が持てなかった。 かと思えば、当時のテレビ出演の時に、レコード音源に当てふりの日があったりして、レコード音源なんてすぐわかっちゃうよ、せめてライブ音源に当てふりしてくれ、ていうか、ホントにこの人たち弾いてんのかと信用できないこともあった。 テレビの生放送の場合はいろいろ制約があって事前に録音しておくんです、と本人たちの当時の記事でも書かれていたけれども。ちゃんとその場で演奏する、歌うのでなければその番組には出ません、とか言えない時代だったんだろうな、とは思う。 アイドルだったら歌っている映像に後から音を入れなおすこともあると聞いたから、アイドルバンドとされていたCにもそんなことがあり得たのではないか、とちょっと疑っていた。 でも今の彼らの映像にそんなことをして得をする人は誰もいないからそれはないだろうし、米川くんがそんなことを許すはずもないと思ったので、4人Cの最後の公式ステージとなったこのDVDでの演奏を自分の目で確かめようと思ったのが、実はこれを買った最大の理由。本当に失礼だとは思う。でも当時一応ファンであり、一般の人よりはかなり贔屓目で見ていたはずの自分がそう思ってたことも事実なのだ。 ↑ちなみにこのバンドは別人に歌わせたことがわかってグラミー賞を取り消されたそうな。本文とは関係あるような、ないような。
2016年01月04日
Cが解散する時に出た本があって、高校生の自分が買ったことは間違いないのだが、家のどこにあるのかわからなかった。当時、他にもCの写真集や書籍はあったが、買えなかった、というより買わなかったんだと思う。本屋さんで相当ながめていた記憶はあるから。 でも解散するときに出た本は、読むところもたくさんあったし、いい写真も使ってくれていたのでこの2冊は買った。その2冊の本をどうしても見たかった。自分は物を捨てられない性質なので、よっぽどのことでなければとっておいてあるはず。 うちには、2回目の引っ越しの時と、娘の部屋をつくる時にとりあえず詰めた段ボールに入ったままの本を積みあげた部屋があって、いつかは本棚を入れて書斎にしたいと思って早10年。 その段ボールの山と、ウォークインクローゼットという名の納戸にやはり積みっぱなしの本の段ボールのどこかにあるはず、と思い、休みの日を使って捜索を始めた。のべ1か月(!)ぐらいはかかった・・・。 段ボールをひとつひとつ開けていく中で「こんなものまでとってあるのか」というものがたくさん出てきた。 手塚治虫関連 「鉄腕アトム」が小学生の時から大好きだったけど、そのころは古い単行本しかなくて、なかなか読めなかった。小学生時代カラーでアニメ化されたときに出た特集本とかとってある・・・。ようやく本屋で買える形で流通し始めた「鉄腕アトム」を買い集めたのが中学生の時で、全部にカバーをかけて大切にしていた。そのときはCの写真集を買うより、アトムを買う方が優先だった。高校生の時に手塚治虫氏が亡くなったのだが、そのとき出た臨時増刊の雑誌とか、特集の本とか、その後展示会などに行くたびに買った図録とか、就職してから大人買いした朝日ソノラマ版のアトム全巻とか。 演劇の文献。芝居のパンフレット・チラシ。 教育系の文献。 語学系の文献。 聖書数冊。 膨大なマンガ。 某人類補完アニメとか、踊る警察ドラマとか、見た目は少年探偵とか。 ここ20年ぐらいの4コママンガコレクション。 自分を作ってきたのはこんなものたちなのか、と、これははからずも自分の地層を掘り起こす作業となった。 膨大な資料の海を泳いできたようだけれど、形になっているものは本当に少しなのだと感じる。いや、自分で形にしようという努力が足りないのか。とにかくこれらが自分の何を形作ったかを自信もって語れないことに呆然とする。 ちなみに過去に同じ行動にでていた。結果はコレ
2016年01月04日
全14件 (14件中 1-14件目)
1


![]()