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具体的な取り組む方について1.悪い食事を正そうイ)肉食(動物性蛋白食品)と精白(白米と白砂糖)の摂取は慢性病の元。ロ)主食は玄米雑穀ご飯とし、よくかんで食べる。ハ)おかずは野菜を中心にして、海藻類や小魚貝類を加える。ニ)一日2食を原則とし、腹7~8分目にする。ホ)調味料は天然のものを使い、良い水を飲む。2.悪い環境を正そうイ)規則正しい生活に努める。夜更かしや、飲みすぎは病床を造る。ロ)怒りや恨み、妬み、嘆き、いらいら、ストレスは、悪い波動を生む。自身が穏やかな気持ちを持つように性格改善をすべきである。ハ)我欲を捨てる努力をすべき。慢性病の7割は自分の性格を改善し、我欲を捨てれば殆ど治る。3.過労を止めよう疲労の蓄積が原因であれば、働きすぎないよう気をつける。近代生活は、慌しい。ボヤボヤしていると、車にも轢かれるし、激しい生存競争の中でたちまち落されてしまう。人並みの生活を心がけているだけで、ストレスの山が出来てしまう。自我の確立がないまま右往左往して、やがては病に侵されてしまう。自由とは素晴らしいことではあるが、自我の確立を自らの努力で築いて行く責任を担う事でもある。自由を履き違えて、自分勝手に好きなことをやれると短絡した生き方をする人は、必ず病魔に襲われる筈である。自然の生命体の生き方の中にこそ、単純ではあるが真実があると思う。そこに気づいて生きる知恵のある人は、きっと病にも罹らず、長く素晴らしい人生を送ることが出来るであろうと思う。逆に、自由に翻弄されて行く人は、やがて嵐の中に吹き飛ばされて消えていく。自然の生命のリングの法則とは、裏から見ると実に厳しいモノでもある。さて、ホリエモンが昨夜仮釈放された。3億円の保釈金を積んでの結果である。「お金で犯罪すら軽減される」私には、青少年達がそんな感覚になることが一番恐ろしいことである。お金は生活や目的の手段に使われて初めて生きるものである。お金さえあれば何でも出来る。だからと、お金を得るための手段を合理的に短絡的に突き止めて行くと、そこには殺伐とした紙幣の無味乾燥した世界か、銀貨の魂まで凍らす、冷たい世界しか存在しなく成る筈である。そして、利子のように病人が果てしなく生まれていく。そんな考え方は「貧乏人の僻みだよ!」是非、そうあって欲しいと願いたい。
2006年04月28日
貴方は病気に感謝できるか?森下式健康法という治療法がある。と先輩が話してくれた。この先輩が肝臓がんになって、この方法で見事改善されたというのである。時計も外し、新聞、雑誌、ラジオやテレビ等近代生活のものは一切断ち、仕事や勉強も全て忘れて、1ヶ月間ゆったりと時を過ごす。食事は、玄米を中心に野菜類を少々。きれいな水を飲み、作業は掃除や集中できる軽作業だけ。太陽と共に起き、月の出と共に寝る。兎に角、今までの生き方を全部捨て、リセットする生き方をしていくと、難病からも開放されるというのである。事実先輩も肝臓がんが消え、現在82歳ですこぶる元気である。その先輩が「病気に感謝しよう!」というのである。その説を、紹介して見たい。1.病気は、健康を回復する為の神からのメッセージである。だから、病気になったことに感謝すべきである。2.病気とは、人間が本来の正しい生き方をしていない為に、体に歪みが生じ、その歪みを正そうとする自然治癒反応の発動である。言い換えれば、その人が本来の正しい生き方を教えるメッセージである。3.正しい生き方とは、精神状態を良くし、自我(我欲)を捨て、人間性を高め、良い環境に済み、正しい食事をし、体に無理をしないようにすること。4.病気の原因となっている正しくない生き方に気づき、自分で修正することが最善の治療法である。5.こう考えると病気は「味方」であり、「善」であり、むしろ病気に感謝すべきである。病気は他人(医師や薬)に治して貰うのでなく、自分で治すもの。原因を取り除けば殆どの病気は、自らの治癒力で回復させることが出来る。「病気に感謝する」全く、そのとおりであると思う。殆どの人は、少し重い病気になると恐怖に慄き、何で自分がと運命をぼやき、忙しい仕事のせいにしたり、血筋のせいにしてしまう。また、ひどく落胆し、意気消沈してしまうものである。病気は、体の異常を教えてくれた訳である。生き方を変えろとの忠告なのである。病気とはまだ命がある内に、知らせてくれた訳であり、その意味から失望や落胆をすべきでなく、感謝すべきである。というのである。では、具体的方法については更に次回紹介していきたい。(つづく)
2006年04月25日
ある種の胃腸薬は危ない胃が悪くなり病院に行くと、すぐ胃酸を抑える胃薬をくれる。人間の胃は、外部から侵入してくるバイキンを殺すために非常に強い酸で保護されているが、それをこの薬で抑えてしまうと、口から入ってくる何千億と入ってくるバイキンを防げなくなる。すると腸の腸内細菌が影響を受け異常となる。結果として免疫力が低下し様々な病気を引き起こす。また、酸を抑えると消化酵素の活性が落ち消化不良を起こし、ビタミンやミネラルの吸収も阻害されてしまう。さらに胃のポリープや癌ができやすくなる。こういう沢山の理由があって早くから抗酸、制酸剤の胃腸薬には疑問を持っている。それからアルコールを飲むと、それを体内酵素で解毒しなければならないために、沢山の酵素を消費してしまう。また、大食も沢山の消化酵素を使ってしまう。良い水と良い食物を摂っていると腸内環境はきれいになるが、動物食をたくさん食べると腸内に様々な毒素ができるので、それをまた酵素で解毒しなければならない。このように現代の劣悪な生活環境に加え、何気ない習慣によって、我々の健康は大きく損なわれている。そういう中で健康を維持していくためには、正しい知識を提供する本を読んで勉強し、自分の体の仕組みを知り、自分の健康は自分で守るという明確な意思を持って生活することが肝要である。食事や生活習慣を改め、体内の酵素を浪費せずに十分に保っておくようにすると、120歳まで我々は生きられる筈である。我々の一生に生産される酵素類は、おおよそ決まっており、それを食生活や生活環境で浪費すれば在庫がなくなり、生きていけなるなる当然である。現代の日本は、何処得行って暮らそうが、食べ物や飲み物に不自由は全くない。思想的にも自由で、好き勝手なことをしても、よほどのことがない限りお咎めもない。しかし、調子に乗るとこんな危険な社会はない。全てが個人の責任になるのである。自由な社会になるほど、自己管理を求められ、自然や周囲を良く観察しながら、それらに賢く同化する生き方をしなければならない訳である。先日、占師細木数子氏があるテレビ番組で、印象深い発言をしていた。これから日本の平均寿命はどんどん落ちてくるというのである。理由は、美食、大食、偏食それに、不規則でメチャクチャの生活と言っていた。長生きしたいなら、粗食。どうやら、私のような貧乏人は長生きできそうである。しかし長生きのため、理想とされる献立の、麦飯や、味噌汁、イワシの日干しのレベルの貧乏生活は、所詮今の日本では現実に無理である。そこで、バランス良い食事に心がけ、美食は避け、良く噛んで食し、腹八分目とすること。そして、出来たら家族や友人と一緒に、明るい会話も楽しみながら、また、我が生のために、犠牲となってくれた命に感謝の気持ちを持ちながら、頂くことも忘れてはいけません。
2006年04月24日
さて、ボヤキはこのくらいにして、人間の生命活動を担っているのは体内酵素(エンザイム)である。触媒作用もある体内酵素の原型は生物の内で作られる蛋白質の集合体で、これがなくては動物・植物は生命を維持することができない。人間の体内には5千種類以上もの体内酵素があるいわれ、それぞれ必要に応じて特定の働きをする。体内酵素に関しては、まだ未知な点が多く、永遠の謎とも言われているが、アメリカの酵素研究の第一人者であるエドワード・ハウエル博士は、生物が一生の間につくることができる酵素総量は決まっていると言っている。従って、日々の食事や生活習慣を通じて体内酵素の素を補うとともに、浪費しないよう心がけることが大切である。現代社会は大切な体内酵素を消費する要因に満ちている。アルコールや煙草といった嗜好品、食品添加物、農薬、さらに薬やストレス、環境汚染、電磁波等、が体内酵素を消費させ、殆どの現代人は酵素不足になっている。では、究極の健康法とは。基本的に良い水に、良い食事、きちっとした排泄、適度な運動、睡眠、休息、そして低体温にならないようにする事。また、煙草、アルコール、薬品、活性酸素等の解毒のために、体内酵素の消耗を最小限に抑える。深く呼吸する呼吸法も習慣としたいものである。(つづく)
2006年04月23日
さて、最初は誰でもきれいな腸相であるが、小さい時から牛乳を沢山飲まされ、チーズ、ヨーグルト、肉などを毎日のように食べていると、腸がどんどん硬く短くなってくる。そのうち憩室ができ、20代も半ばになるとポリープや癌が出来てくる。これは大事ではないか!何故なら、敗戦国となった日本では、動物タンパク質を多く摂るアメリカ的食生活が良いと教育され、食生活の改善が図られてきた。特に幼稚園を含む学校給食では、牛乳やバター、ヨーグルト、チーズ等の乳製品は必ず出されており、肉類も必ず摂取しているではないか?博士の長い経験からの理論によると、まるで逆なのである。学校給食は、癌や生活習慣病の基を造っているのである。また、家庭で料理を担当するのは戦後の栄養教育を身につけてきた主婦達である。パンと牛乳、チーズが好きで、コーヒーも紅茶、ケーキ類と西洋文化に憧れる日本女性が多いのではないかと思う。大変である。大げさに言えば、日本国を食生活から滅亡させようとしているのである。それに、日本の街には海外に行かなくても、何処にでも、世界各国の料理が堪能できるような料理店が繁盛している。そのせいであろう、巷には、明らかに肥満と見える老若女男が満ちている。彼らは、生活習慣病の予備軍であり、将来国家財政を破滅させる高額医療費を使う連中なのである。私の意見は、時として少し強硬すぎると友人は言うことがある。であるからついでにもう一言添えたい。見境も無く太っていく人は、自分をコントロールできない人である。食欲と云う一番程度の低い欲に負けて、自制できないひとである。色々言い訳はあるだろうけれど、集団社会において、将来に向け明らかに迷惑のかかる生き方は、罪であり、これはもう犯罪でないだろうか。過度の肥満者は一般的に労働能力も劣り、食料だけ人一倍消化し、様々な病気になって若くしてから医療費を大量使っていく。これでは、平等の社会ではない。不平等も甚だしい社会ではないか。生まれながら障害が有る方なら手を差し伸べたいが、自分を征せず勝手に豚のように喰らい、太り続ける人に何の救いを向けたらいいのだろう。食料が無く餓死する人が沢山いる世界の中で、自分勝手すぎるのではないかと思う。むしろこれらの方への救いは、食料を与えないこと、甘い言葉をかけ過ぎない事ではないかと思う。車に重量税があるように、人にも重量税があってしかるべきでないかとすら思う。何故なら、迫り来る世界的食糧危機で一番初めに被害を受けるのは、彼らに間違いないからであるし、若くして病に倒れて一番痛い思いと惨めな思いをするのも彼ら自身であるからである。肥満は、罪である、犯罪であると皆がもっと認識すべきだと思う。私達は今、人権とか自由とか、余りにもその言葉に翻弄され、忠告すら遠慮し、社会への真実を見失ってしまっているように私には思える。(つづく)
2006年04月22日
では、どんな食事と生活習慣をしたら良いのか順に触れてみたい。まず、アンケートから胃相の悪い人は、煙草、アルコール、緑茶、紅茶、コーヒー等が多い生活習慣がある。腸相の悪い人の食事は、決まって肉食や動物食(卵や乳製品などの動物性の食物)が主体になっている。ここで注目は肉や動物食が腸相を悪くすることである。かつて、アメリカは国家財政を圧迫するほど医療費が膨れ上がった。これを解決するため1977年に「マグガバン・レポート」を発表した。そのレポートによって、多くの病気の原因がそれまでの間違った食生活にあり、肉や乳製品などの動物性蛋白質取り過ぎるアメリカの食生活が問題であると指摘された。そこで、最も理想的な食生活として日本食が紹介されたのである。精白しない穀類を主食に、おかずは四季の野菜や海藻類、動物性タンパク質は小さな魚介類を少量という内容で、これをきっかけにアメリカでは日本食ブームとなったのである。そのためか、近年アメリカのがん患者数は減少傾向になってきている。(つづく)
2006年04月20日
「長生きのひとは胃腸が美しい」内視鏡による胃腸手術で有名な、新谷弘美医学博士の本から長生きのための食生活や、生活態度について抜粋し、私評を加え紹介したい。まず、専門家から見た健康な人と不健康な人の胃腸内部の観察結果は、博士の研究からもずいぶん違いがあるようである。「健康な人の胃腸は美しく、不健康な人の胃腸は美しくない」と博士は言っている。具体的には、健康な人の胃は、粘膜が均一なピンク色で、表面に凸凹がない。粘膜は透明で、内視鏡の光に反射してキラキラ輝いて見える。腸も基本的には同じで、ピンク色で非常に柔らかく、ヒダは大きく均一。不健康な人の胃は、粘膜の色がまばらで、局所的に赤くなっていたり、腫れていたりする。また、日本人に多い萎縮性胃炎になると、胃粘膜が薄くなるので、粘膜の下の血管が透けて見え、さらに胃の粘膜が萎縮すると、それを補うために表面細胞が部分的に増殖し、胃壁が凸凹になってくる。胃の萎縮性変化が進むと胃癌ができやすくなる。また、不健康な腸は、腸壁の筋肉が厚く硬くなるため、不均等なヒダが生じたり、所々に輪ゴムをはめたようなくびれができている。憩室と呼ばれるポケットのようなくぼみもある。胃腸内の状態を胃相、腸相と呼び健康のバノメーターとなる。この胃相・腸相に最も大きな影響を与えるのは、その人の食歴と生活習慣である。体は決して嘘をつかない。その人がどんな人生を歩んできたのかは、すべて体に表れる。(つづく)
2006年04月18日
原因は何処にあるのか?制度上を見ると4つの問題点がある。1.特別会計法を制定したときの立法趣旨や役割が既に終わっているものがある。しかるに、関係省庁のお手盛りの法律で合法的に設置されたがために、何ら改廃されることもなく、ただ連綿と無傷で続いてきたとしかいえないようなものがある。2.一般会計からの繰り入れが歳入の3割を超えるような特別会計は、もはや一般会計と区分する意味がない。3.特別会計とは本来歳入のすべてが「独自財源か特定財源」であるべきで、それが国民の目に見えないところで、巨額の借り入れを刷る行為は、許されることではない。4.特別会計の「積立金」や「余剰金」の項目が、所管官庁の官僚と族議員の「予算の隠しポケット」と私物化されている。先日タレントを含むテレビ討論会で、小泉改革の採点を扱ったものがあった。そこでも特別会計のデタラメさが問題になっていた。あるタレントが、「どうしてこんな事が長い間わからなかったのですかH先生?」と元予算委員長まで勤めた方に質問した。H先生いわく「俺達の頃は、一般予算をどう国会に通すかばかり考えていた。特別会計なんてどうなっているのか知らなかったよ!」正直であるが、国民には全く失礼な話である。選んだ政治家達や政府そのものが、6分の1の一般会計をどうするかそればかりをやっていて、陰で悪者達がその殆どを何の制限も無くやりたい放題していたという訳であるそういえば、この問題は小泉内閣の行革でクローズアップされたものである。戦後、特に日本経済が成長期からバルブ以降まで、役人や官僚、族議員らに思うように取り仕切られてきた日本の財布である。底は抜け、ボロボロとなり血を流し続けているのに、特権階級のやりたい放題であった訳である。小泉さんにも言いたい。貴方も元総理大臣福田さんに秘書として仕え、その後長い政治の世界一筋で禄を食らい生きて来られたではないか。「ズートこの事実を知らなかったのですか」と! 「どうしてこうなるまで放って置いたのですか」と!「あなたも無責任すぎたのではないですか」と!確かに小泉さんが郵政民営化を叫び続け、そしてそれを遂に成し遂げられた。小泉さんだから出来たのも認める。しかし、まだ行革も体制をほんの少し整えたに過ぎない。正直まだ具体的には何もやっていないに等しいのだ。ここで退陣では、少し無責任すぎるのではないか!政治家なら、今まで見過ごしていた罪を思えば、一生日本経済再生に尽くすべきであろう!それが、最低国民に対する政治家の責任であり、靖国に眠る英霊に対する勤めではないか?と・・・・。命ある限り尽くした彼らの生き様を、もう一度思い起こして欲しい。せめて、貴方だけには、実績を傘に院政をひき続ける歴代の総理大臣経験者のように、なってもらいたくないと強く願っている。
2006年04月16日
歳出純計205兆円の内訳留意したいのはその内訳である。「国債償還等」89兆円、「地方交付税交付金」19兆円、「財政融資資金への繰入」31兆円、「社会保険給付」49兆円など合計188兆円が含まれている。これら4項目の歳出は、特別会計という会計制度の視点から議論されるべきというより、むしろ歳出・歳入の一体化の改革や三位一体改革、財政投融資改革、社会保障制度改革といった視点から議論、改革すべきである。この4つの制度改革は、188兆円と膨大な額であるため、是非徹底的な見直し・改革をすべきである。更に、注目は残り17兆円の「業務費用」であり、この中に社会保険事業や公共事業関係の特別予算執行のために使われる、問題の事務費7835億円や人件費4851億円(計1兆2686億円)も含まれているのである。この中に壮大なる無駄遣いが含まれているのである。さて、特別会計にはどんなものが設置されているか見てみると、31の特別会計があり、8つの所管省庁(財務省、農水省、厚労省、経産省、国交省、法務省、総務省、文科省)が絡んでいる。ここまで肥大化しているにもかかわらず、特別会計の資金の流れは、国民の目の届かないところにあって、これまであまり監視されてこなかった。これは、特別会計の資金は特定財源(目的税)、社会保険料、手数料などの独自財源に加え、一般会計からの繰り入れや、民間からの借り入れが入り組んで、外部からなかなか分かりにくく、国会なのでも追及しにくかったのだ。さらに、特別会計全体を所管する財務省としても、社会保険料やガソリン税などの特定の独自財源をもつ特別会計に対して、歳出だけを減らせとは言いにくい面もあった。この結果、各特別会計を所管する省庁は、自分の財布のように自由に予算を使い、特別会計は、各省庁や族議員の既得権益の温床となってきたのである。具体的な事例として、厚生保険特別会計や国民年金特別会計において、巨額の予算が不採算の保養施設「グリーンピア」の建設費や、特殊法人・関係団体に天下った厚生労働省OBの高額な報酬などに使われていることが判明した事件である。(つづく)
2006年04月13日
ホメロスの人生無常観紀元前9世紀の古代ギリシャの詩人であり、英雄叙事詩「イリアス」や「オゼッセイア」の作者ともいわれるホスメスは、人間は本来無常の存在であると記している。「人の世の移り変わりは、木の葉のそれと変わりない。風が木の葉を地上に散らすかと思えば、春が来て、蘇った森に新しい葉が芽生えてくる。そのように人間の世代も、あるものは生じ、あるものは移ろうてゆく」時は春。桜をはじめ様々な花が咲きつながり、若葉はその下に準備をはじめている。もうすぐ緑一面の世界がまた訪れてくる。続いていく糸に気づかなくてはいけない。続けるように今を精一杯生きなければいけないと思う。さて、今医療現場で一番欠けているのが、患者の精神的な面へのアドバイス不足である。人間の生と死に対する考え方、倫理観、宗教観、哲学観や世界観が医師にはない人が多いと思う。医療理論と医療技術のみに頼っている医師が多いのではないか。車や機械の技術屋であれば、それで十分であろうが、命を預かる医師がそれでは困るのである。医療技術屋の前に、優れた人間性がなければ意味がない。機械は、たとえ組み立てに失敗しても造りなおしが出来るが、人の肉体はそうは行かない。ましてや人間には心という素晴らしいが厄介なモノが同居しているのである。病のときは、肉体だけでなくその心も病むのである。この心の病を治せなくて、病は治したことにはならないと思う。医師免許は、難関な記憶の試験をパスしたもののみに与えられるが、それだけで本当に良いのであろうか?機械文明が発達した現代である。技術はその内ロボットの方が優れた結果を出すかもしれない。人としての心があること。これが医師の最低で最大の条件だと思う。ところで「神の手」を持つ医師が良くテレビで紹介される。味方を変えれば、彼らは近代技術機械を巧みに操る技術屋に見えてならない。しかし、さすがマスコミが紹介する人たちである。自分の立場を知り、実に謙虚な方々が多い。自分の時間を惜しみ、患者の目線で兎に角一生懸命であるし、報酬など余り気にしていない方が多いようである。この方達は技術の前に、心を学び、優れた倫理観を求め続ける医師、というより、ひとりの人間であろうとしているのではないかと、容易に推測できるのである。さりげない患者や家族との会話の中に、見え隠れする「キラリ」がそこには確かにあるのである。
2006年04月10日
本物の理念の根底には必ず死生観が存在する。お金がいくら儲かったとか、どのような勲章をもらったとかということなど、死を前にした時には、たしたことではない。松下幸之助翁は、人生や経営の無常観に関して次のように述べている。「人生とは、一日一日が、いわば死への旅路であると言えよう。生あるものがいつかは死に至るというのが自然の理法である限り、ものはみな全て、この旅路に変更はない。ただ人間だけは、これが自然の理法であることを知って、この旅路に対処することができる。いつ死に至るかわからないにしても、生命のある間に、これだけのことをおきたいなどと、いろいろに思いめぐらすのである。これは別に老人だけに限らない。青春に胸ふくらます若人が、来るべき人生に備えていろいろと計画するのも、これまた死への準備に他ならないと言える。生と死とは表裏一体だから、生への準備はすなわち死への準備である。死を恐れるのは人間の本能である。だが、死を恐れるよりも、死の準備のないことを恐れたほうがいい。人はいつも死に直面している。それだけに、与えられている生命を最大に生かさなければならない。それを考えるのがすなわち死の準備である。そしてそれが生の心構えとなるのである。お互いに、生命あるものに与えられたこの厳しい宿命を直視し、これに対処する道を厳粛に、しかも楽しみつつ考えたいものである。」
2006年04月08日
4月3日夜、絵門ゆうこさんがご逝去された。今日は東京築地の聖路加病院礼拝堂でご葬儀が行われた。癌と4年余りの戦いは壮絶で、多くの戦友達に希望と勇気を与え続けて下さった。彼女の残してくれた遺産は童話「うさぎのユック」や著書、講演会等多岐にわたり実に多い。戦友達のためにも、もう少し頑張って欲しかった。でも、上の人はそれを許してくれなかった。その代わり、彼女の精一杯の元気な生き方を、ついにお許しになられた。「ありがとう! そしてご苦労様!」心からご冥福をお祈り致します。
2006年04月07日
「特別会計」とはなにか?国の予算には「一般会計」と「特別会計」の2つの予算がある。一般会計とは、国が通常の一般行政を行うときに必要となる政策的経費で、例えば教育費や防衛費などを賄う会計をいう。特別会計とは、国が特別な事業を行う場合とか、国が特別の資金を保有して、その資金を特別な目的のために運用する場合とか、あるいは特定の歳入をもって特定の歳出にあてる場合に、これを一般の歳入・歳出と切り離して区分経理する必要がある場合に設置が認められる会計をいう。予算は本来、一般会計で一体的に管理することが望ましいが、例えば、国が年金などの特定な事業を行う場合、事業ごとの収支を明確にするため、それぞれ固有の特別会計法に基づき、一般会計から独立した特別会計の設置が認められている。つまり特別会計は、国民の「受益と負担」の関係をわかりやすくし、弾力的かつ効率的に予算執行させる、というのが本来の趣旨なのである。2005年度予算ベースの国の予算書上の歳出総額は494兆円で、一般会計の歳出は82兆円、一方、特別会計の歳出は412兆円にのぼっている。実際には相互間で重複する資金取引があるため、これらの重複を除いた実際の国の予算歳出の純計は、その半分の240兆円(内訳は一般会計35兆円、特別会計205兆円)である。当初、例外的会計であったはずの特別会計が、現在では一般会計の純歳出35兆円に対し6倍近い規模に膨らんでいる。一般会計予算は、国会で厳正に審査されているのに、6倍に近い特別会計は各省庁の勝手で行われていると言っても言い過ぎではないと思う。「戦争の予算をどうするか」等緊急のものでさえ審査されてきたのに、この野放し状態は一体どう説明したら良いのであろうか?摩訶不思議な国、日本である。
2006年04月06日
特別会計の「からくり」を暴く (その1)前財務大臣の塩川正十郎氏は、当時日本の財政事情について上手い表現をしている。「母屋(一般会計)では、お粥をすすっているのに、離れ(特別会計)では、子供がすき焼きを食っている」と・・・・。財政再建・行革を旗印に、小泉政権は誕生し、現在史上3番目となる長期政権を維持してきた。その政権も9月で交代すると本人は断言し、後継者問題で昨今マスコミは騒がしい。「米百俵」で歴史的にも有名な高岡藩の行革の例をたとえ、白髪を振りかざし、拳を突き上げていた就任当時の姿が懐かしい。民主党の偽メール事件で、すっかり安全地帯へ逃げ込んだ熊のような現在の姿には、物足りなさと寂しさを禁じえない。確かに小泉総理でなければ、現在までの日本の舵取りは出来なかったと思う。郵政民営化を旗印に「目的のためには、自民党をぶっ壊す!」とまで宣言し、派閥に頼っていた陰険な政治体制等をかなり切り崩した実績には敬意を称したい。日本がガタガタと崩れ掛けていた時、彼が手を上げ、それなりの成果を挙げたことについて誰も反論はできないであろう。ただ、本当に目的が達成されたかと言えば、決してそうではない。問題提起をして、目標に舵取りをしただけで、むしろこれからの航海が肝心なのである。我々は、日本丸に乗った乗員である。この船が、安全な航海をしながら目的地に行ってもらわねば困るのである。水も食料も不足し辛抱している乗員をさておいて、船底で飽食におぼれる航海士達がいたとしたら、見過ごす訳にはいかない。例えは悪いが、徹底的にあぶり出し、関係者には賠償と責任をとらせ、見せしめとして場合によっては海に投げ込んで鮫の餌にするべきであろう。「正直者が馬鹿を見る」そんな日本にしないために、行革委員会であぶり出された特別会計の「からくり」について考えてみたい。
2006年04月05日
税務署の帰り道確定申告や消費税の納付問題で税務署に向かう。黒字を出しているのなら良いが、赤字を出し、家を担保に借金をし、挙句の果ては、年金まで投入してこの事業を続けてきた3年間。「好きな事をやっているのだから・・」と人は云う。そんな会社にも事業税や消費税等、容赦なく徴収請求が飛び込んでくる。「患者の目線に立った医療を!」 その目標のため、費やした費用や時間が今日はグンと胸にこたえる。この国はどうなっているんだろう。何処の役所や銀行に資金を借りに行っても門前払い。近寄ってくる人は、金儲けを企て、私を誑かして去っていく。患者さん達には金がない。まけてくれならまだ良いが、未払い金の多いこと。その金額にも消費税は容赦なく掛かってくる。火の車の台所事情。「難しい世界だから辞めて下さい!」「経営感覚が君は甘い!」「正直者は馬鹿を見るぞ!」友人や兄弟、妻の忠告が頭をよぎる。一人で旗を揚げ、耐え忍び、何時までやっていけるのだろうか?税務署のコンクリートの廊下に、何故か音を立てないように歩く自分がいる。担当官に何とか納税分割をお願いして税務署を出る。外は桜が今満開。 だが、だが、風だけが冷たく感じる。地下鉄への向かう道、先ほど税務署の廊下で会ったジャンパー姿の老人がやはり肩を落して、両手をポッケに入れ、トボトボ歩いている。「私と歩幅がまるで一緒だ!」「きっと何処かの零細企業の社長さんだろうな!」心の中が見える気がする。思わず私も古ジャンバーのポケットに両手を入れる。ビルのむこうに、皆保険でお金の心配がない大病院が、春の日差しを一杯に受け白く輝いている。今日の私の目には、とてつもなく眩しく痛い光景である。
2006年04月04日
自由な社会とは自由社会というのは、個人を尊重する社会である。個人の尊重とは、それと表裏一体で個人の責任が厳しく求められるということである。自由な社会で暮らせることは幸せである。だが、何もなしに、手ぶらで個人が尊重されるものではない。個人個人が義務を果たし、責任を引き受けていく。その裏付けがあるから個人が尊重されるのである。言い換えれば、自由な社会とは、義務を果たし責任を引き受ける個々人を基盤にして成立している。戦後、問題の根源は組織にあり、社会にあると責任を転嫁し過ぎ続けた結果、何か事を起こしても、全部自分が悪いわけじゃない、周囲の環境や状況のせいにする。責任を他になすりつける風潮が蔓延している。例を挙げれば、犯罪加害者の人権に対してはいろいろと手厚い配慮があるが、被害者の人権は踏みにじられている。これこそ本末転倒である。オウムの麻原の人権が、国費の弁護団により擁護され、十年経つ。あの事件で亡くなった方の人権や、今でもサリンの後遺症に苦しむ被害者の人権はどうなるのだ。全くおかしな社会ではないだろうか?姉歯元一級建築士の事件も同じである。自己の家庭事情のために、沢山の方の生活を狂わせ、安全を脅かした罪は重い。例えと言葉は悪いが、両事件とも、水戸黄門様であろうと、大岡様であったとしても「獄門磔」の刑を即刻行うであろうと思う。義務を果たし、責任を引き受ける人間によってのみ構成させる社会が、個人を尊重する自由な社会なのである。この資格の無いものは、本来住む資格がないのである。当たり前の常識である。個人の責任を組織や社会に転嫁するのは、自由社会を損なうものであることを知らなければならない。そして、そのためには当然賞罰も厳しい筈である。自然を見て欲しい。ナズナも梅も桜も、一生懸命寄り沿い、時を生きている。厳しい約束事の自然の中で! 自由の空の下で!人間だけが特別ではないのである。
2006年04月03日
「自分と私」ニートと言われる青年が急増している。彼らの多くは、「社会ルールなど束縛から逃れ、自分らしく正直に、そして楽に生きたい」とよく言う。ニートの生き方が、一番自分を大切にしている生き方だと信じている。このニートの考え方・生き方は勘違いも甚だしいと思う。全く悲しい錯覚であり、多いに誤解である。では、まず「自分」と云う意味と、「私」と云う意味から掘り下げてみたい。「私」とは、食べ物を自分の方に強引に腕で引っ張っている姿だと言われている。正に他人のことを無視した態度を表している。これに対し「自分」とは、天与の才能に従って生きることを言う。「自」は「したがう」の意味である。勝手気ままに生きることを、自由とか、自分らしいと考える風潮は、戦後教育の最大の過ちである。人間は一人ではない。自分の肉体や精神の中に父母が存在しており、父母のその父母も永遠に自分の体内に存在している。現在の自分は、人間が誕生した時からすべての父母の系譜を内包した存在であり、いまの自分が不幸なのは、すべていまの自分に至るまでの父母に、親不孝を強いていることにもなる。だからこそ自分らしく生きることとは、親に授かった天与の才能を開花させ、心から自分の人生を大切にすることである。そして、自分を愛し敬するとは、私本位でなく、自らの才能を投げ出し、少しでも世の中の役に立つ生き方をすることであろう。ニートの若者が、「折角の人生、自分らしく生きたい」とよく言う。自分らしく生きるとは、天から与えられた分(天分・才能)に素直に自(=したがって)生きることを言う訳で、ニートの考えは完全に間違っているのである。仕事もせず、勉学も何もせず、ただ人生の貴重な時を過ごしている事は、なんともったいないことであろうか!それこそ、「自分を一番いじめている」行為なのである。人間は、いろいろな心の葛藤を経て、与えられた能力を自覚することで人生の目的を始めて掴むことができる。その目的遂行のために必死に能力を開発してこそ「自分らしく生きた」ということになる。ただ勘違いしてもらっては困る。「自分らしく生きる」とは、学位を取得したとか、社会的な賞を取ったとかそんな結果ではないのである。「一生懸命生きること、感謝し、努力すること」、それこそ自分らしく生き、自分を大切にする唯一の生き方であると思う。人生は長いようで短い。無駄な時間を浪費している若者がいたとしたら、ひとりでも多く、一分でも早く「本当の自分、大切な自分」を取り戻して欲しい。厳しいようであるが、己の意志を変えない限り、ただ待っていては何も変わらないのである。ニートの人の多くは、ただ何もせず待っている。ブロイラーのニワトリや飼育されている牛のように、折りの中で餌を待ち、時の過ぎるのを待っている。折角の人生ではないか!人間として生まれた素晴らしさを感じることも出来ない事は、大変な不幸なことである。それも、体に何の障害も無く生まれてきたのである。磨けば無限のモノを創造もできる頭脳を持っているのである。人のせいにしてはいけない。全ては自分から発生していることに、ひとりでも多くの方が早く気ずいて欲しいと心底願うものである。
2006年04月02日
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