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井上馨と後藤新平
台湾製糖会社の事業目論見書は、前にも書いた通り総督府技師の山田?(ひろし)の意見に基づいたものが、製糖原料の甘蔗は、すべて農民から買入れる予定だった。したがって会社としては、耕地は一坪も所有しないことになっていた。ところが、藤三郎が実地に視察して来た結果、耕地を今のうちに所有しておくほうが、会社の将来のためであると考えて、創立総会でも、その意見を述べたものであった。また、井上馨にも、このことを報告したところ、井上も大賛成で、「それでは、土地を買入れる資金が、新たにいる訳だから、予定より早く、第二回の払込みをさせなければなるまい。至急に大株主を開いて、その了解をうるようにしなさい。わしも出席して、助言してあげよう」といった。
それで、創立総会から1か月も経たない明治34年(1901年)1月5日の午後1時から、三井集会所で大株主会を開いて、このことを懇談することになった。それには、井上と台湾民政長官の後藤新平も特に出席した。
この『台湾製糖株式会社・特別株主総会』の司会は、例によって益田孝がした。彼は、こういう会合には慣れ切った物柔かな態度で立ち上がると、こういった。
「諸君、今日は、当会社の協議会でありまして、100株以上の大株主だけにお集まり願った次第でありますが、便宜上、鈴木氏に会長となっていただいては、いかがでしょうか?」
「賛成・・・・賛成・・・・。」の声が、二、三人の口から勢いよく呼ばれた。
「どうぞ・・・・。」
益田に、こういわれて、藤三郎が立った。そして、会長席に進んで、一礼した。彼は、井上や後藤のような高位高官の前で話しをするのは初めてなので、少し固くなった調子で、こう口を切った。
「今日、大株主諸君に御来会を願いました主旨を申し述べます。
元来、当会社の発起した当時のもくろみは、まず最初は工場と機械だけを設置いたしまして、原料の甘蔗は本島人から買入れて営業をする見込みでありました。ところが、先ごろ、私がかの地に参りまして実地に踏査いたしました結果、甘蔗の耕作をするのには、種子や肥料などに大いに改良を加える必要を悟ったのであります。しかし、この改良をするのには十分の施設がいります。それには、とうてい、他人の事業に、会社が干渉するだけでは効を奏することができません。それで、会社自身が、まず地主となって、本島人を小作人として、これに適当の方法を教えてこそ、初めてこの目的を達することができるでございましょう。
私は、そうした考えの下に、工場に適当な場所を地として2か所を選定いたしました。一は曾文渓、一は橋仔頭であります。この地は、将来事業を拡張いたしますのに、至急有望の土地でありますから、今日、この付近に耕地を買入れておくことは、会社のために利益であろうと存じます。その概略は、創立総会のおりの調査報告中にも申し述べておきましたが、なお今日は、このことにつきまして、とくと御協議を申し上げたいのでございます。
これにつきましては、井上伯爵下にも、御意見のあることを承りましたから、ただ今から閣下の御意見を、お聞かせ下さるようにお願い申し上げます。」
藤三郎は、こういうと、井上馨の前にいって、
「どうぞ・・・・。」
と、低く頭を下げた。井上は、
「ふむ・・・・。」
と、軽くうなづくと、いかにも大政治家らしいゆったりとした態度で、演壇に立った。そして、幕末維新のころにはいくたびか白刃の下を潜って、その傷あとがまざまざと眼尻や下あごのあたりに残っていて、『ひと癖ある面魂(つらだましい)』という言葉がピッタリする顔で、じっと一同を見わたした。その気魄に押されて、一座は水を打ったようになった。
補註 「鈴木藤三郎伝」鈴木五郎著 その… 2025.10.14
補註 「鈴木藤三郎伝」鈴木五郎著 その… 2025.10.13
補註 「鈴木藤三郎伝」鈴木五郎著 その… 2025.10.11