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2026.08.29
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カテゴリ: 神社仏閣・御朱印
熊野大花火で訪れた熊野市木本町、打上げまでには時間もあり、熊野市木本町地内を少し歩いてみました。

上は打ち上げ会場の七里御浜から鬼ヶ城の眺め。
 七里御浜から山側に入った木本町は、熊野灘に面した熊野市の中心市街地。
現在は静かな町並みですが、かつては熊野地方の政治や経済の中心として栄えた町です。
 江戸時代、この地には紀州徳川家の本藩公領地として「奥熊野代官所」が置かれ、熊野川以東から現在の紀北町に至る広い地域を管轄していました。
そんな木本町の一角に鎮座するのが、今回訪れた木本神社です。

 「若一王子」は天照皇大神を意味するとされ、現在の祭神にも天照皇大神が祀られています。
創始の年代は詳らかではありませんが、慶長13年(1608)12月に新田地区から現在地へ遷座したことを記す棟札が現存しており、この頃にはすでに祭礼も行われていたとされています。
その後、明治41年(1908)には、境内社の若宮神社二座、大国神社、恵比須神社をはじめ、新田町の稲荷神社、字切立の新田神社を合祀。
 昭和26年(1951)には木本御靈神社が創設され、稲荷神社と菅原神社(旧・新田神社)は飛地境内社として、それぞれ旧鎮座地に分祀されています。
現在の木本神社は、長い年月の中で周辺の神社を合わせながら、木本の町の鎮守として現在に至っているようです。

社頭の「吉田大明神石祠」、熊野市指定文化財。
 「安政2年3月、木本側の27か村(紀州藩領)と、有田側の5か村(新宮藩領)の「領地の入れ替え」が発表された。
すると木本など27か村は、200年も仕えてきた紀州藩主から離れることを喜ばず、さらに新しい領主のもとで重い年貢を課されると予想して強く反対し、一揆のような状態になった。これが「安政の村替騒動」である。
 このとき、江戸勤めの勘定組頭・吉田庄太夫が命を受けて木本へ来て説得にあたった。
しかし村人の意思が固いことを悟り、ついには庄太夫が独断で「村替は据え置く」とする誓紙を渡し、江戸へ戻って村替を中止させた。
 こうして三年に及んだ騒動は民衆の勝利となったが、庄太夫は独断の責任を負い、自ら命を絶ったと伝えられる。
その後、熊野27か村では吉田大明神の祠を建て、村を鎮める神として祀った。
 ここにある祠はその一つである。」 

昨今の政治を見ていると、民意とは程遠いところで物事が決められているように思う。
 海外旅行やリホームに勤しむ者ばかり、民を向いて舵取りはされていないな。
今の世にも庄太夫のように、民の側に立って決断する政治家がいてほしいものだ。

熊野市指定文化財 彫刻
 木本神社の木造狛犬
「狛犬は神社や寺の社やお堂の内や外などに守護と装飾をかねておかれる一対の獅子形をした像である。
 素材は石や木が普通であるが、熊野市内では石造が多く、木造の狛犬は少ない。
狛犬の起源は、インドの仏寺や中国の宮門、陵墓の前などに獅子に似た動物像を並べたのが始まりとされる。
 日本でもこの風習をまねて平安時代からおかれている。
木本神社の狛犬の伝来は明らかでないが、鎌倉時代作のものとされる木造狛犬の高さは四十センチで、材質はスギと思われ、一つの材から制作した一木造である。」



「木本神社の棟札は106枚あり、一番古い物は慶長13年(1608)のもので、時の奉行中次兵衛・辻久右衛門・与三右衛門・濱地茂兵衛・口地七太夫・宮地太郎兵衛の名が列せられている。
裏側には経費(米)の43石5斗5升を出し合った216名の名が記されており、木本の殆どの人が出し合ったとされる。
他にも時の代官野村平之丞の一石、大阪・松阪など他地方からも寄進されている。」

鳥居から先の境内の眺め。
 右手に御神輿庫、左手の社務所、正面の社殿が主なもの。

 その祭礼は熊野神が神倉山に降臨したことを起源とするとされ、かつての祭日は9月9日。
祭典を終えると御神体を神輿へ移し、本殿前の白州に安置した後、町へと繰り出します。
 行列の先頭に「稲荷山車」、その後に「御神輿」「六法」「よいや」「子供みこし」「元宮太鼓」が続きます。
なかでも「六法行列」は、紀州藩の直轄地となった木本の住民が、そのことを喜んで大名行列を模したものと伝えられ、勇壮な行列として知られています。
 そして祭りの主役ともいえるのが神輿で、総重量は約1トン。
お旅所の稲荷神社を出発すると神輿を台車から外し、町内を練り歩きます。
 住民から振る舞われる酒が神輿にかけられることから、いつしか「暴れ神輿」と呼ばれるようになったという。
神輿は七里御浜に向かい荒波に浸けて清める「浜担ぎ」が行われ、その後、神輿は再び町内を巡り、深夜になって木本神社へ戻り、渡御を終えます。
 熊野の祭りというと、山深い熊野古道や神倉神社のような山の信仰を思い浮かべますが、海辺の町、木本ならではの祭礼です。

境内右の大きな手水鉢。
 赤く染まっているのは清水に含まれる鉄分が多いのか。
鉢の側面には宝暦七年(1757)の銘が刻まれていました。

拝殿正面の眺め。
 切妻平入の拝殿に切妻向拝が付くもので、左右の開けられた格子戸の先には、本殿域に祀られた境内社の拝所があり、右側には吉田庄太夫の碑が祀られている。
三重県神社庁の解説によれば祭神は天照皇大神、天兒屋根命、天布刀玉命、大己貴命、事代主命、大山祗命、埴山姫命の七柱を祀る。


 拝殿脇や道路側ともに奥に控える本殿域の様子は見られなかった。

境内から社頭の眺め。
 手前の道路は県道204号線で、堤防沿いを走るのが国道42号線、その先の堤防を越えると溢れんばかりの花火見物客と屋台が連なる七里御浜です。
堤防の先の喧騒とは別世界のように境内は静まり返っていました。

社地右側の道路から本殿の屋根がちらりと顔を出してくれた。


木本神社
創建 / 不明
祭神 / 天照皇大神、天兒屋根命、天布刀玉命、大己貴命、事代主命、大山祗命、埴山姫命
例祭日 / 体育の日の前日
春祭 / 2月17日
秋祭 / 11月23日
境外末社 / 稲倉稲荷神社(木本町332)、菅原神社
所在地 / ​ 三重県熊野市木本町95
参拝日 / 2026/8/17
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Last updated  2026.08.29 00:00:07
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