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八月に入り二回目の港区徘徊。
前回はあおなみ線稲永駅周辺の神社を巡りましたが、今回は一駅手前の港北駅で降車し、駅周辺から南にかけて神社巡りをしてきました。
このあたりも新田開発で生まれた土地で、開拓の歴史を感じさせる地名が残る。
龍神社が鎮座する川間町は、昭和三十六年に制定された比較的新しい町。
港区の町名の由来によれば、「明徳土地区画整理事業の完成に伴い、当時、現・西名古屋港線(あおなみ線)から東海橋まで流れるオタラク川と、中部鋼板(株)の工場の南側にあった川の間にはさまれた土地であるところから名付けられた。」
上は大正時代と現在の地図に青色マーカーで龍神社の位置を示しています。
地図では切れていますが、中川運河と荒子川などを結ぶ運河網の一環として計画された小碓運河や、マーカーの上方には昭和32年(1957)になると中部鋼鈑の中川工場が現れます。
物流が水運から陸運に移り変わるとともに、運河の利用価値は低下し、小碓運河も平成8年(1996)から埋め立てが始まり、平成10年(1998)には大部分が南郊公園となりました。また、公園沿いには鉄道貨物輸送の増加を見込み、名古屋貨物ターミナルと笠寺・大府方面を結ぶ南方貨物線が計画され、昭和42年(1967)に建設が始まりました。
しかし工事は途中で中断され、国鉄の財政難や鉄道貨物輸送需要の減少などから昭和58年(1983)に建設が凍結され、現在もその高架の一部が残されています。


写真は、平成三年(1991)に整備された川間公園の東側から眺める龍神社の全景。
玉垣で区切られた神域には鬱蒼と木々が生い茂り、杜を形作っています。
玉垣の外側に幟立てと鳥居が立てられ、公園そのものが神域といってもいいのかもしれない。
この龍神社の由緒や創建時期について、愛知県神社庁の資料から調べてみましたが登録されておらず、『名古屋市史 社寺編』(1968)にも記載がなく、残念ながら詳細は全く掴めませんでした。
社頭全景。
詳細が分からないとなると、寄進物から推測するしかありません。
右手の幟立ての寄進年は平成八年(1996)、鳥居の寄進年は確認し忘れました。
龍神社参道から社殿を望む。
切妻の拝所とその先の本殿が主なもので、狛犬の姿はみられなかった。
参道左の手水鉢と、その先の常夜灯は昭和36年(1961)に寄進されたものです。
拝所に掲げられている額は「龍神社」。
現在の川間町からは、ここに龍神が祀られた動機を察することはできないかもしれません。
一帯は海抜も低く、立地は西に荒子川、東は中川運河、北には小碓運河、南にはオタラク川の名残もみられ、四方を川に挟まれた場所にあります。
そうした立地ゆえに、水を鎮めるために龍神が祀られたのかもしれません。
龍神を祀る本殿は神明造で、5本の鰹木に内削ぎの千木が施されています。
昭和36年(1961)に制定された川間町であること、そして灯籠も同年に寄進されていることから推測すると、町の誕生とともに町の安寧を願って祀られたのかもしれない。
龍神社 (港区川間町)
創建 / 不明
祭神 / 不明
氏子域 / 不明
祭礼 / 不明
所在地 / 名古屋市港区川間町2-134
参拝日 / 2026/08/21
公共交通機関アクセス / あおなみ線港北駅から東に750m、川間公園内
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