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前回掲載した川間町龍神社から、あおなみ線を越えて高架沿いに少し北上すると港区正徳町2に鎮座する神明社を訪れた。
正徳町2の神明社全景。
あおなみ線西側に位置し、龍神社から徒歩15分ほど、港北駅から直接向かっても10分ほどで辿り着ける。
港区の町名の由来によれば、町名の正徳町は、昭和36年に南に隣接する正保町と東の明徳町の頭文字を取って正徳町となったという。
正保町は熱田新田が開発された年代の「正保」からきているとされます。
そのため正徳町も開発時の元号から付けられたと思いがちですが、そうではないようです。
大正時代の地図(左)にも当時すでに鳥居の印が描かれており、明治まで遡ってもこの辺りに鳥居らしき印が見られます。
当神社の由緒については後ほど記載するとして、愛知県神社名鑑によれば創建時期は不明で、「尾張志」にも記述が残るとしています。
神明社の記録を留めた尾張志は天保14年(1843)に編纂されたとされます。
上の絵図は、更に遡った寛政年間(1789-1801)頃描かれた熱田新田村全図です。
地図と同じ向きになるよう天地を反転したもので、左隅が庄内川、中央に荒子川、右が中川運河が描かれています。
荒子川左岸の四角の赤枠部分の廿一・廿二あたりに神明の文字が見えます。
絵図の番割と位置にズレは否めないが、二十二番割の氏神、正徳町2の神明社を指していると見えます。
中央の二つの赤丸で、上の赤丸は天年寺と神明の文字が見られ、これが恐らく中川区昭明町2の神明社ではないかと思われます。
下の赤丸の神明は、十八 九と読め、番割からすると、20番割りの氏神・正徳町1の神明社を指しているように見えます。
位置はしっくりこないが、絵図が書かれた寛政年間以前に創建という可能性もある。
境内全景の眺め。
南北に長い社地の南側に鳥居を構え、北側に社殿を構えており、ゆとりを感じさせる。
社頭正面からの眺め。
白い神明鳥居と石灯籠を包み込む柵、神木を支える金属製の柱が印象に残る。
境内中ほどの狛犬と左側の社務所、正面の社殿の眺め。
社殿左には境内社が祀られている。
くろずんだ外観の狛犬はベルトまで付けられている。
大正十三年(1924)に寄進されたものでした。
先ほどの神木、灯籠、この狛犬、拝殿など、地震に対して相当意識しているのがうかがわれる。


拝殿から幣殿、鞘殿の眺め、天照大神を祀る本殿は到底垣間見ることは出来なかった。
神明社 (港区正徳町2)
創建 / 尾張志に神明の名が残る
祭神 / 天照皇大神
氏子域 / 正徳町
祭礼 / 10月第一日曜日
境内社 / 秋葉神社
所在地 / 名古屋市港区正徳町2
参拝日 / 2026/08/21
龍神社から神明社徒歩アクセス / 龍神社からあおなみ線を北上、約1km・15分
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