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横川駅でSLを撮影した後、帰路は渋滞している上信越道を避けて、旧中山道経由で軽井沢へ抜けることにしました。その道は、正面に立ちはだかる碓氷峠を幾重にもカーブしながら登っていく、まさにワインディング・ロードと言うにふさわしい道でした。でもこのルートの良いところは、途中で何度か信越本線の廃線跡や構造物と交錯することです。横川駅には「碓氷峠鉄道文化むら」が併設されていて、懐かしい鉄道車両にお目にかかることができますが、そこを起点にして遊歩道「アプトの道」が整備されているんですね。碓氷峠鉄道文化むら posted by (C)Nao文化むらのご紹介はまた別の機会に譲りますが、こうした廃線跡を利用した遊歩道を歩くのも、きっと楽しいんでしょうね。今回は車での移動ですが、いつかチャレンジしてみたいです。こちらは途中にある3号トンネル、中はとても涼しそうです。3号トンネル posted by (C)Nao遊歩道の終点が、こちらの「めがね橋」こと碓氷第三橋梁です。明治25年完成の煉瓦造りのアーチ橋で、その大きさに圧倒されてしまいます。ここをまたSLが走ったら最高でしょうね。碓氷第3橋梁(めがね橋) posted by (C)Naoそれにしても、覚悟していたとは言えすごいカーブの連続でした。ひとつづつカーブに番号が付けられているのですが、その数なんと184もありました(汗)。碓氷峠1(184号カーブ) posted by (C)Naoそうしてようやく碓氷峠の頂上に到着です。峠からは、今来た群馬県側の眺望が素晴らしいのですが、樹木や雑草が生い茂っており、あまり見通せないのが残念でした。碓氷峠2 posted by (C)Naoバイク・ツーリングのグループがやってきました。駐車スペースもあまり広くないので、早々に軽井沢方面へ向います。ここから軽井沢はすぐ目と鼻の先、道もほとんど平坦ですから、いかに軽井沢の標高が高いかがわかります。避暑地らしいお洒落な家並みを見ながら軽井沢駅に到着すると、併設保存されている旧軽井沢駅舎を見てみることしました。ここは現在、展示資料館になっているようです。旧軽井沢駅舎1 posted by (C)Nao駅舎の待合室を抜けると、そこには昔ながらのホーム。駅名表示版は、かつてこの次の駅が横川駅だったことを示しています。旧軽井沢駅舎2 posted by (C)Naoここを走っていた信越本線は、1997年の長野新幹線開業に合わせて、軽井沢と横川の間が廃止されてしまったんですね。そのホームの向こうには、現在、長野県内の旧信越本線を引きついでいる第三セクター「しなの鉄道」のワインレッドとグレーの車両が見えました。しなの鉄道(軽井沢駅) posted by (C)Naoところで、ここにはかつての駅舎だけでなく、貴重な鉄道車両も保存されているんですね。こちらは、横川~軽井沢間の急峻な碓氷峠越えで活躍した、「峠のシェルパ」こと電気機関車EF63の2号機です。EF63 2(旧軽井沢駅構内) posted by (C)Naoまたかつてのアプト式機関車も保存されていました。なんだかとてもかわいらしい車両ですね。旧軽井沢駅舎4 posted by (C)Naoその向こうには、新幹線が停車する近代的な軽井沢駅舎が見えます。ここ軽井沢駅は、新旧駅舎が対照的なとてもユニークな駅でした。旧軽井沢駅舎3 posted by (C)Naoそれにしても、先ほどまでのあの暑さがウソのよう、さすがに軽井沢ですね。せっかくなので少し涼んで行こうと、旧軽方面へと車を走らせました。にほんブログ村
Aug 28, 2011
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横川駅に停車中の蒸気機関車C61 20号機を写真でご紹介しながら、その活躍と復活までの歴史を振り返ってみたいと思います。C61型蒸気機関車は、1947年から1949年にかけて33両が製造され、全国各地で特急・急行旅客用優等列車を牽引しました。戦後の旅客輸送需要の急増による機関車不足を解消するため、終戦により逆に貨物需要が激減していたこともあり、貨物用のD51形を旅客用機に転用改造されたものです。このC61 20号機は、D51 1094号機のボイラーを流用し、戦後間もない1949年(昭和24年)完成しました。最初に配備されたのは青森機関区でした。C6120SLレトロ碓氷16 posted by (C)Naoその後1950年に仙台機関区へ転属し、当時の花形特急「はつかり」や「はくつる」などの牽引を担います。この東北での時代が、当機のもっとも華やかりし頃だったのでしょう。C6120SLレトロ碓氷5 posted by (C)Nao1966年には再び青森機関区へ戻りますが、この頃にはすでに東北本線や奥羽本線は電化が進み、活躍の場を失った当機は、5年後の1971年に、終焉の地として九州地方の宮崎機関区へ転籍となります。C6120SLレトロ碓氷9 posted by (C)Nao九州の地では、急行「日南」や貨物列車など様々な列車を牽引しますが、最終的に1973年(昭和48年)同機関区での運用を終えて廃車となりました。C6120SLレトロ碓氷11 posted by (C)Nao廃車当時はSLブームであったこともあり、国鉄から無償譲渡され、群馬県伊勢崎市の華蔵寺公園遊園地で静態保存されることとなります。C6120SLレトロ碓氷12 posted by (C)Naoこうして鹿児島鉄道管理局の出水機関区(出水駅)を出発し、高崎操車場を経由で伊勢崎市へ到着すると、1974年3月より静態保存が始まりました。C6120SLレトロ碓氷13 posted by (C)Nao一方、JR東日本では、SL「奥利根号」や「ばんえつ物語号」での運用や、さまざまなイベント用に2機の蒸気機関車(D51 498号機=1988年復元、およびC57 180号機=1999年復元)を所有していました。C6120SLレトロ碓氷6 posted by (C)Nao2008年12月に、D51 498号機が空焚き事故を起こして9か月間使用できなくなったことによって、JR東日本はD51 498号機の予備機という名目のもとで3機目となる蒸気機関車の動態復元に向け、SL復活プロジェクトを立ち上げます。C6120SLレトロ碓氷8 posted by (C)Naoいくつかの候補機の中から、本機が復元されることに決定したのは2009年6月、正式発表はその年の12月でした。C6120SLレトロ碓氷7 posted by (C)Naoその後1年以上かかって復元された同機は、2011年春にD51 498号機の本拠地である高崎車両センター高崎支所に配置され、「SLみなかみ」および「SL碓氷」のメイン牽引機の一翼を担うことになりました。C6120SLレトロ碓氷14 posted by (C)Naoそして当機の復元に伴って、高崎車両センターが保有する旧型客車7両もあわせて再整備されました。こうして38年振りに復活したC61 20号機、再び走ることができてとても嬉しそう。C6120SLレトロ碓氷15 posted by (C)NaoこのC61 20号機の復元プロジェクトの様子は、こちらのサイトで紹介されていますので、よかったらご覧になってみてください。C6120SLレトロ碓氷10&115系湘南色 posted by (C)Nao横川駅構内で、湘南色の115系と並ぶC61 20号機。郷愁を誘うこの組み合わせ、いいですよね。にほんブログ村
Aug 26, 2011
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夏休みのとある日、、真夏の日差しが照りつける中、私は汗だくになりながら、ただひたすらそのときを待っていました。ここは、群馬県安中市郊外の信越本線。あたり一面には、黄色く色づき始めた田園地帯が広がっています。もうすぐ来るはずの列車は、この春に38年ぶりに復活したばかりの蒸気機関車「C61」の20号機が牽引する列車「SLレトロ碓氷」。「11時10分頃ですかね、ここを通過するのは?」とお隣りの年配男性が話しかけてきました。「私はこの近くに住むもので、皆さんのような立派な機材はもっていないんですよ」。そう言いながら、コンパクトカメラを見せてくれました。「そうなんですか~、ほら遠くに煙が見え始めましたから、もうすぐですよ」私がそう答えると、汽笛がかすかに聞こえました。その煙が徐々に近づいてきた頃、近くの踏切が「チンチン」と鳴り始めました。ほどなく田園の中を、ヘッドライトを点灯した黒い塊が、こちらに向かって突き進んでくるのがわかりました。C6120SLレトロ碓氷-2 posted by (C)Naoやがてこげ茶色の昔懐かしい客車6両を従えたC61は、真っ黒の煙を勢いよく噴き上げながら、一瞬にして私たちの横を通り過ぎていき、その瞬間、あたりを漂う黒煙と石炭の燃えたかすかなにおいを残していきました。38年の時を超えて復活した蒸気機関車C61。国内有数の勾配区間と言われるこの先の信越線も、きっと力強く駆け上がっていくことでしょう。C6120SLレトロ碓氷-1 posted by (C)Nao遠ざかっていく列車を見送ると、最後尾には帰りの列車を牽引するディーゼル機関車のDD51の鮮やかな赤が目に留まりました。そのまま近くに停めた車に飛び乗ると、18号線を走って終点の横川駅をめざします。C6120SLレトロ碓氷-3 posted by (C)Nao途中で渋滞に巻き込まれ、ようやく30分後に横川駅に到着すると、すでにホームは停車中のC61を取り囲むように、大勢の人でいっぱいです。この先の信越線はすでに廃止されていて、終端駅となってしまった横川駅ですが、そこには昔ながらの駅舎やホームが残る、とても懐かしい風景が広がっています。C6120SLレトロ碓氷-4 posted by (C)Naoそんな懐かしい風景の中を停車中のC61。列車の旅によく似合う横川名物、おぎのやの「峠の釜めし」が、ノスタルジックな気分にしてくれました。(撮影地:信越本線 安中~磯部間、横川駅構内)にほんブログ村SL関連の日記 2010年6月12日:「高原を行く蒸気機関車/D51 498」 2010年6月30日:「SLを追いかけて/中央本線・小淵沢」 2010年8月21日:「野辺山高原の台湾シュガートレイン!」 2010年9月20日:「SLで鉄分補給 ~南アルプスぐるっと一周500km走破~」 2010年10月2日:「高原のポニーと宇宙に一番近い駅 ~小海線・野辺山・清里~」
Aug 19, 2011
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毎日暑い日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。お盆の我が家は、大学生の娘が東京から帰ってきたり、姉夫婦が帰省して来たりで慌ただしく過ごしておりましたが、ようやくひと段落しました。さて中学生の息子が夏休みの宿題でポスターを描いているのを見て、ちょっとお絵描きをしてみたくなり、いたずらで水彩画を描いてみました(笑)。夏らしい風景をと思って選んだ題材は、雑誌の表紙に載っていた美瑛・富良野を行くトロッコ列車のノロッコ号です。富良野・美瑛ノロッコ号 posted by (C)Naoそれにしても絵の具を使って絵を描くなんていったい何十年ぶりでしょう。結果は案の定、子供のようなお恥ずかしい絵になってしまいました(笑)。それはさておき、私は美瑛・富良野にはこれまで二度ほど行きましたが、あのうねるような野菜や牧草畑、さわやかなラベンダー畑の風景は今も忘れられないですね。美瑛には、俳優で画家の榎本孝明さんの水彩画館があり、そんな地元の風景を描いた数多くの素敵な作品が展示されています。北海道・美瑛 posted by (C)Nao旭川を起点に富良野盆地を走るローカル鉄道の富良野線。前回の北海道旅行では、美瑛の美馬牛駅に立ち寄って、富良野線の列車を撮影しました。高原の緑の中を行くラベンダーのようなさわやかな車両がとても印象的でしたね。富良野線・美馬牛駅 posted by (C)Nao絵に描いたノロッコ号は、そんな富良野線を走るトロッコ列車で、「のんびり走るトロッコ列車」から名づけられたんだとか。その列車からは、一面に広がるお花畑や雄大な十勝岳が見られるようです。こんな素敵な風景の中を走るんですから、のんびり楽しまないともったいないですよね。北海道の鉄道旅 posted by (C)Nao北海道の大自然の中を行くローカル線。短い旅行日程の中で、これまではいつも車に頼ってしまいましたが、いつか乗ってみたいですね。にほんブログ村
Aug 17, 2011
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以前に行った台湾鉄道旅の続きです。(前回の日記はこちら)台北駅から特急「太魯閣号」に乗って、瑞芳駅までやってきました。ここでローカル線の平渓線に乗り換えて、十分方面へ向かいます。台湾・瑞芳站3 posted by (C)Nao台湾・瑞芳站1 posted by (C)Nao瑞芳駅は特急クラスも停車し貨物も取り扱う、東部幹線沿線ではかなり大きな駅です。客車列車や貨物列車が多い台湾ですが、電気機関車は米国のGE社製が多いようですね。台湾・瑞芳站2 posted by (C)Nao列車の出発時刻まで少し時間があるようなので、月台(プラットホーム)でほかの乗客と一緒に切符を買って待つことに。さすがに幹線なので列車の本数も多く、待っている間にも何本か列車が通って行きました。台湾・瑞芳站7 posted by (C)Naoところでこの瑞芳駅では、台湾ではあまり見られなくなったホームでの駅弁売りが見られます。ちょうど自強号が到着すると、短い停車時の間、駅弁の入ったカゴをさげたお姉さんが、「弁當(ビエンタン=駅弁」と叫んでは、各車両の入口を走って売り歩いていましたね。台湾・瑞芳站6 posted by (C)Naoそうしているうちに発車時刻になり、平渓線の黄色い気動車がホームへと入線してきました。平渓線を走るのはDR1000型と言う気動車で、日本製の車両です。台湾・平渓線4 posted by (C)Naoさっそく車内に乗り込むと、列車はまもなく出発しました。車内はロングシートで、窓が大きく外の景色がよく見えます。車両中央部にある円形の間仕切りのようなものが日本ではあまり見かけないので、とても印象的でした。台湾・平渓線7 posted by (C)Nao列車は出発すると基隆河のごつごつした岩場の風景の中を走ります。この日は平日でしたので、あまり乗客も多くなかったのですが、休みとなればこの路線も観光客でかなりにぎわうようです。台湾・平渓線6 posted by (C)Naoしばらくの間は、花蓮などへ向かう東部幹線と並行して走りますが、やがてお別れしていよいよ渓谷へと入っていきます。2両編成の短い編成なので、先頭車両の運転台の後ろへ行き、しばらく前方の景色を眺めていました。台湾・平渓線5 posted by (C)Naoこの辺りは台湾でも最も降雨量が多いそうで、そのせいか周りは鬱蒼とした森林でしたね。台湾・平渓線1 posted by (C)Nao基隆河の渓谷に沿って、列車はさらに上流へと走っていきます。台湾・平渓線2 posted by (C)Nao十分の少し手前で、車窓から一瞬だけ十分瀑布を見ることができました。こちらはその瀑布ではなく、そのすぐ上流の河原にある吊り橋です。平渓線8 posted by (C)Naoほどなくして、列車は平渓線沿線では最大の駅、十分駅に到着しました。平渓線で唯一、車両同士のすれ違いができる駅です。平渓線・十分車站4 posted by (C)Nao十分も含めこの界隈は、かつて日本の統治時代には炭鉱が数多くあり、とてもにぎやかだったようですが、いまでは廃鉱となり静かな場所になったようです。平渓線・十分車站1 posted by (C)Naoそんな十分で下車して、駅の周りを少し散策してみたいと思います。ところで余談ですが、こんな楽しい本が出版されました。 「台湾鉄道の旅」 JTBパブリッシング懐かしさと温かさあふれる鉄道風景が広がる台湾の鉄道の魅力を紹介していて、台湾旅行や鉄道マニアの方にはかなりおススメの一冊です。沿線路線ガイドは、台湾の全駅の解説付きで実際に乗車しているみたいに楽しめますし、もちろん下車しての見どころや、ご当地グルメ、撮り鉄には嬉しいお手軽撮影スポットなどが紹介されていて、内容盛りだくさんです。鉄道博物館や活躍している車両の紹介、訪ねてみたい駅などの特集もあり、おまけに鉄道旅行の中国会話などもついていて、旅行者にもマニアにもぜひほしい一冊ではないかと思います。もしご興味のある方は、ぜひ一度ご覧になってみてくださいね!台湾鉄道の旅 posted by (C)Naoにほんブログ村
Aug 14, 2011
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このところ梅雨のようなお天気が続いていましたが、今日はとても暑くて日差しも強く、まさに夏が来た!という感じでしたね。これからしばらくはこんな真夏のお天気が続くようです。今年は全国的に節電が求められていますが、そんなときはやはり涼しい避暑地に出かけるのが一番でしょう。さて「夏」「避暑地」という言葉から、懐かしく思い浮かぶのが、SEIKOさんの夏らしい曲「レモネードの夏」です。レモネード1 posted by (C)NaoSEIKOさんは、シングルカットされた曲ももちろん素晴らしいものが多いのですが、カップリング曲やアルバムにしか収録されていない曲にも、素敵な歌が多いんですよね。この曲は、1982年発売のシングル「渚のバルコニー」にカップリングされた曲ですが、明るい夏のイメージと、すっぱいレモンのようなどこか切なさがいいですね。レモネード2 posted by (C)Nao避暑地の代表と言えば、やはり軽井沢や北海道でしょうか。そんな涼しい夏の避暑地で、冷えたレモネード、、、なんていいですね。軽井沢 posted by (C)Naoにほんブログ村
Aug 9, 2011
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