全6件 (6件中 1-6件目)
1

桜も終わり、ハナミズキの花が咲く季節になりましたね。最近、映画のDVDを借りて家族でよく観るのですが、その中から今回は「ハナミズキ」という映画についてご紹介しましょう。ハナミズキ3 posted by (C)Nao昨年8月に公開されたこの映画、主演はガッキーこと新垣結衣と生田斗真。物語の始まりは、北海道の釧路付近の港町が舞台です。高校生の紗枝(新垣)と康平(生田)は、通学途中の列車で出会い、お互い想い合うようになります。大学進学のため上京した紗枝と、釧路に残って漁師になった康平は、遠距離恋愛を始めますが、やがてそれぞれの道に進むため別れを選ぶことに。ハナミズキ2 posted by (C)Naoそしてステージは、大学を卒業した紗枝が働くニューヨークへと移っていきます。その後も二人には、家族、恋人、結婚などを通して、さまざまな出会いや別れがあり、再び二人は出会うこととなりますが・・・この映画は、そんな二人の10年にも及ぶ物語なのですが、そこにはただの純愛映画ではなく、家族や社会などとの関わり、自分ではどうにもならない運命や人生といったことも感じられます。映画ハナミズキ 紗枝の家 posted by (C)Naoところで「ハナミズキ」では、二人が列車通学ということもあり、随所に鉄道シーンが出てきます。二人がいつも利用している列車は、根室線のキハ40。JR北海道のカラーリングは、とっても爽やかなイメージですね。駅での会話シーンも多く、ロケには根室線の西庶舎路駅や白糠駅が使われたようです。JR北海道のHPにも紹介もされていて、そうした「ハナミズキロケ地めぐり」の案内も載っていました♪キハ40(根室本線・厚内駅) posted by (C)Naoまた「ハナミズキ」では、そのステージが、スタートの回想部分のカナダから始まって、北海道、東京、アメリカ、カナダと移り変わり、最後は北海道に戻ってくるという壮大なもの。外国でのシーンも、映画のスケールを大きなものにしていますね。湯沸岬灯台(北海道) posted by (C)Nao紗枝がさっそうと働く、ニューヨーク・マンハッタンでのシーンも素敵。英語で会話する彼女、なかなか決まってますね。エンパイア・ステート・ビル(ニューヨーク) posted by (C)Nao紗枝が旅で訪れたカナダの小さな港町「ルーネンバーグ」。カラフルな街並みが印象的ですが、ここで彼女は運命的な発見をします。ルーネンバーグ1(カナダ) posted by (C)Naoルーネンバーグ2(カナダ) posted by (C)Naoところで「ハナミズキ」は、2004年にヒットした一青窈さんの歌。今回は、その歌をモチーフに作られた映画ということで、映画の中でも流れてきますが、とても素敵な歌ですよね。今回は主演のガッキーが歌うバージョンをアップしておきますね。こんな素敵な曲をバックに、北海道の港町の風景や鉄道シーン、印象的な外国の街並み、そうした中で展開される二人の物語は、映像もとても素敵で見応えのある映画でした。まだご覧になっていない方、もしよかったらどうぞ!各ロケ地の情報は、こちらをご覧くださいね。ハナミズキ4 posted by (C)Naoにほんブログ村
Apr 28, 2011
コメント(10)

今年の桜も、もうすぐ見納め。最後に桜で有名な高遠へ出かけてきました。先週末が見頃だったようですが、今週は寒かったせいか、散りつつあるものの、まだ花も残っていました。そんな桜を見ようと、出かける人もまだ多いようで、公園は大勢の人出でした。桜雲橋の下の池には、ピンク色の桜の花びらが舞い落ちて、綺麗な模様を作っています。その鏡のような水面には、遠く春の青空と桜の花を映していました。高遠城址公園・桜雲橋 posted by (C)Nao満開の桜もにぎやかでいいですが、はかなく散っていく桜もまたいいものですね。高遠へは毎年来ますが、来年もまたこの桜を見に来ようと思います。さて、春に咲く花の代表といえば、やはり桜でしょうか。でも他にもたくさんの花が咲きますよね。中でもひときわ可憐な花といえば、「早春の妖精」とも言われるカタクリ。このカタクリの花が咲いているところを見つけるのは、なかなか容易ではないですが、ひっそりとうつむき加減に咲いている姿は、可憐であり、はかなさもありますね。カタクリ posted by (C)Naoカタクリは、早春の3月頃に地上に出てきて、4月頃に1週間ほど花を咲かせますが、その花もすぐに終わって葉だけになり、3か月ほどで夏眠に入ってしまうんです。また来年の春になって、その薄紫の花を咲かせてくれるといいですね。にほんブログ村
Apr 24, 2011
コメント(8)

前回の続き、上田城の千本桜まつりには、屋台がたくさん出ていてとってもにぎやか。まつり屋台1 posted by (C)Nao歩きながら見ているうちに、だんだんお腹がすいてきました。こういう時って何をたべようか迷ってしまいますね(笑)。まつり屋台2 posted by (C)Naoこれは鮎の塩焼き、ちょっと珍しいですね。鮎の塩焼き posted by (C)Naoおいしそうだったのでお好み焼きにしました。たっぷりのキャベツの上に、おおきな豚肉。広島お好み焼1 posted by (C)Nao焼きあがったところに目玉焼きを乗せて出来上がり!ほどよく焦げ目がついて、おいしそうです。広島お好み焼2 posted by (C)Naoさっそくいただきます。出来たてで、まだアツアツほかほかでした。広島お好み焼3 posted by (C)Naoお好み焼きを食べてから、まだもう少し何か食べたいなあと思っていると、何やら派手なカラーの移動販売車が目に入りました。ドネルケバブ1 posted by (C)Nao看板を見ると「ドネルケバブ」とあります。その聞きなれない名前の食べ物は何だろうと思い食べてみたくなりました。ドネルケバブ2 posted by (C)Nao中では外国人のお兄さんが、棒でつるしたお肉の塊(実際にはスライスしたお肉を重ねて作る)を、燻製にしたものを、長いナイフで削ぎ落としていきます。ドネルケバブ3 posted by (C)Naoそれを刻んだキャベツの上に載せて、ラップサンドにしたものでした。後で調べてみたら、ドネルケバブはトルコの食べ物なんですね。ドネルケバブ5 posted by (C)Nao「ドネル」は「回す」、「ケバブ」は「焼き肉」の意味なんだとか。パンにはさんで食べたり、このようにラップサンドにするようです。ドネルケバブ4 posted by (C)Naoソースは好みでいくつか選べるようで、私は「オリジナル(中辛)」にしておきました。お肉も結構ボリュームあって、それにやわらかくておいしかったです!お肉だけだとちょっときついですが、野菜が一緒だと食が進みますよね。ドネルケバブ、これは結構嵌ってしまいそうです。にほんブログ村
Apr 22, 2011
コメント(8)

信州・上田城跡の桜が見頃となり、千本桜まつりをやっていると言うので、ちょっと出かけてきました。満開の桜がお城にマッチしていて素晴らしかったです。好天に恵まれたこともあり、大勢の人出でにぎわっていました。ところで上田城と言えば、戦国武将真田氏(昌幸・幸村)の居城。今回は素晴らしい桜を見ながら、その真田氏と上田城の歴史に触れてみたいと思います。上田城跡1 posted by (C)Nao上田城は、真田昌幸(幸村の父)が天正10年(1582年)に、千曲川支流の尼ケ淵の河岸段丘上に築城を開始した平城で、別名「尼ヶ淵城」とも呼ばれ、天正13年(1585年)には完成したといわれています。上田城跡3 posted by (C)Naoこの上田城を本拠地とする真田氏が、二度にわたって徳川の大軍の攻撃を受け、みごとに撃退したことから、天下にその名がとどろき渡りました。上田城跡4 posted by (C)Nao 真田氏はもともと、上田市の北にある真田町の豪族でしたが、戦国時代末期の幸隆の時に、武田信玄に仕えて頭角を現しました。上田城跡5 posted by (C)Naoその武田氏滅亡直後の天正10年(1582年)、徳川家康と北条氏政・氏直は武田の旧領をめぐって甲斐、信濃、上野で対陣しました。その後和議が成立し、甲斐・佐久・諏訪は徳川領、上州は北条領と決められます。上田城跡6 posted by (C)Nao 家康は真田昌幸に、上州沼田領を北条氏へ明け渡すように命じましたが、昌幸は沼田領はわが父祖伝来の土地であると言って拒否しました。そして上杉景勝方に組するようになります。上田城跡7 posted by (C)Nao家康は、天正13年(1585年)8月、七千の兵で上田城に迫りました。昌幸は上杉方に信繁(幸村)を差し出し、上杉景勝を後ろ盾としました。そして昌幸は上田城に、嫡子信之は戸石城に籠もり、丸子城、矢沢城にも兵を配置しました。 上田城跡8 posted by (C)Nao攻め寄せた徳川勢7千に対し、迎え撃つ真田勢は2千人弱でしたが、複雑な城下町や真田氏の巧妙な戦術によって、徳川軍は思わぬ大敗を喫します。徳川方は死者1300人余にもなったといわれていますが、これに対して真田方の40人ほどであったと言います。上田城跡14 posted by (C)Nao 時は流れて慶長5年(1600年)6月、家康は会津の上杉景勝討伐の名目で出兵しました。7月に石田三成が大坂で挙兵、下野小山の評定で、徳川軍は会津から上方に進路を変更しました。昌幸は、信繁と自分は石田三成勢(西軍)につき、信之は家康勢(東軍)につくという密議をします。 上田城跡9 posted by (C)Nao東軍は、徳川秀忠率いる徳川本隊3万8千が中山道を、それ以外は東海道を西へ進みました。昌幸は上田城に籠城しますが、秀忠は9月2日に小諸城に着陣すると、信之と本多忠政を遣わせて、昌幸に対し降伏を勧告します。これに対し昌幸は降伏せずに籠城を続けたため、秀忠は怒って上田城を攻めたてました。 上田城跡10 posted by (C)Nao昌幸は、虚空蔵山に伏兵を置いて秀忠本陣を急襲し、上田城内の城兵が徳川軍攻撃をしたため徳川軍は大混乱。結局、秀忠は上田城攻略を諦めて、抑えの将兵だけを残して中山道を西進しましたが、9月15日の関ヶ原合戦に間に合わず、家康に大目玉を食らってしまいました。 上田城跡11 posted by (C)Nao天下分け目の合戦は東軍の勝利となり、石田三成は斬首、真田昌幸・幸村親子は紀州九度山に蟄居を命じられました。上田城は破却されて、真田信之に与えられました。幸村はその後豊臣に迎えられ、大阪冬の陣・夏の陣で徳川軍に苦汁をなめさせたことは有名です。信之はその後、松代に移封となり上田を後にします。 上田城跡12 posted by (C)Nao上田城へは、その後元和8年(1622年)に、真田信之に代わって仙石忠政が信濃小諸から6万石で入封します。忠政は徳川幕府の許可を得て、寛永3年(1626年)から上田城の再建に着手しました。上田城跡13 posted by (C)Naoその後、宝永3年(1706年)には、その仙石氏の第三代政明が但馬出石に転封され、代わって出石より松平忠周(ただちか)が、5万8千石で上田城主となりました。以後、上田城は松平氏7代の居城として明治維新を迎えています。 上田城跡2 posted by (C)Naoさて、上田城と真田氏の歴史を復習していたら、なんだかおなかがすいてきました(笑)。次回は、ちょっと屋台で食べたグルメのご紹介をしますね。にほんブログ村
Apr 16, 2011
コメント(8)

京王電鉄はご存知のように、新宿から西へ八王子や高尾山まで通じる大手私鉄。本線沿線には、深大寺・高幡不動・高尾山など古刹も多く、井の頭線は吉祥寺と渋谷を結ぶ、ファッショナブルで学生の多い路線と言うイメージがありますね。そんな京王電鉄で、長い間活躍してきた6000系と言う車両が、この3月をもって引退しました。今年の2月に上京した際、その引退間際の6000系にお目にかかることができました。この日は、多摩モノレールで高幡不動駅へ。モノレールからの連絡通路を歩いていると、ちょうど多摩動物公園からの6000系車両が到着するところでした。京王電鉄・高幡不動駅1 posted by (C)Nao列車はいったんホームへ入線し、お客さんを降ろした後、ホームを離れ次の運用を待つために、待機線へと入っていきました。ヘッドマークには、「ありがとう6000系」の文字。1972年(昭和44年)に登場してから、すでに40年も経つなんて、とてもそんな風に見えないシンプルですが洗練されたマスク。京王電鉄9000系と6000系(高幡不動駅にて) posted by (C)Nao最新型の9000系と並んでも、決して時代遅れな感じがしません。2月にはお別れイベントもあったようで、駅構内にも引退を告げるポスターが掲示されていました。京王6000系1 posted by (C)Nao私自身は、最近ではあまり京王線とは縁がなく、ほとんど乗ることはなかったのですが、それだけに9000系などの最新型車両はどこか違和感があり、むしろこの6000系の方が京王線らしい感じです(笑)。京王6000系2 posted by (C)Nao私が東京で学生をしていた80年代、当時は京王新線が開通して地下鉄への乗り入れも始まり、その頃に活躍していたのがこの6000系でした。ここ高幡不動には、高校時代からの友人が住んでいたこともあり、当時はよく来たものでした。京王電鉄・高幡不動駅2 posted by (C)Naoこの駅には車両基地や整備工場があって、多くの車両が見られることから、私のような鉄道好きにはたまらない場所ですね(笑)。6000系は、この数年は主要路線から退いて、ここから分岐する多摩動物公園線などの支線で余生を過ごしていたのですが、いよいよ引退の時期が来てしまったようです。京王電鉄・高幡不動駅3 posted by (C)Nao京王線の発展とともに歩んできた6000系ですが、もうその走る姿を見ることができないのがとても残念です。でも40年も頑張ってきたんですから、もうお休みさせてあげましょう。本当にお疲れ様でした。さて6000系とお別れのあと、私は高幡不動から新宿へ向かうため、特急列車に乗りました。その京王線の特急列車、駅でもあまりスピードを落とさないで通過するので、ホームにいてとても怖く感じた記憶があります。京王電鉄車内 posted by (C)Naoそんな京王特急ですから、先頭車両で運転席や前方を眺めているうちに、あっという間に京王新宿駅の地下ホームに到着してしまいました(笑)。京王新宿駅 posted by (C)Naoにほんブログ村
Apr 10, 2011
コメント(12)

ニュースでは、東京の上野公園の桜が見頃だとか。こちら信州では、まだ少し肌寒いくらいで、桜はもう少し待たなければならないようです。ところでこの時期、思い浮かべる言葉は、やはり何と言っても「卒業」と「桜」ですね。昨年は長女が高校を卒業し、来年は次女が卒業となります。高校の卒業と言うと、仲間との別れというだけでなく、新しい社会や生活へのスタートでもあります。そんな「卒業」や「桜」をテーマにした歌には、素敵な歌がたくさんありますが、そうした歌には、時代が変わっても常に心に響くものがありますよね。1980年代、自分がまだ卒業の真っただ中にいた頃には、斉藤由貴さんのこの曲「卒業」。20年以上経った今でも、まったく色褪せない名曲で、その純粋な歌詞と素敵なメロディを聴くと、じーんとこみ上げてきます。そして今では、子供が高校を卒業するという年代になりましたが、巷ではやはりこの歌でしょうか。AKB48の「桜の栞」。「桜の木になろう」もいいけど、こちらの歌の方が好きですね。時代とともに、歌のスタイルなどは変わっても、根底に流れているものは変わらないように思います。桜の花びらが舞う卒業シーズン。こうした歌を聴いてみるのも、またいいものですね。写真は、以前に撮影した東京の千鳥ヶ淵と九段の桜です。千鳥ヶ淵 posted by (C)Nao香港に住んでいるとき、春になると、香港では見ることができない桜の花を、無性に見たくなったものです。こうした日本の桜は、世界に誇れる素晴らしい風景ですね。九段 posted by (C)Nao世間ではお花見の大騒ぎは自粛気味ですが、綺麗な桜の花を愛でることは、自粛せずに出かけたいですね。にほんブログ村
Apr 2, 2011
コメント(10)
全6件 (6件中 1-6件目)
1


