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早いもので今年も大晦日ですね。今年の日本の出来事と言えば、やはり3.11の大震災に尽きるかと思います。東北では未曾有の津波で家や家族を失われた多くの方々が、今なお仮設住宅で生活をされています。また福島では、原発事故による放射線の影響から、住み慣れた土地を離れざるを得なくなった方々も多く、風評被害の影響でご苦労されている様子を聞くと、本当に心が痛みます。この年末には各テレビ局で震災の特番があり見る機会も多かったのですが、あの地震と津波の恐怖、立ち向かっていく人々の勇敢さ、多くの人たちの厚意など、改めて実感しました。一刻も早い復興を遂げられることを祈るばかりです。さて我が家では、息子が中学へ進学し剣道の道へ入りました。武道は精神の鍛錬にもなり、とても良いことだと思いますので、長く続けられたら良いですね。また高校三年の次女は、なんとか就職も内定し、来年春から社会人としてスタートします。会社でも期待されるよう頑張ってほしいものです。そして家族全員が健康でいられたことは、何よりよかったです。実は私はこの秋少し体調を崩したのですが、大事に至らず今はすっかり元気です。もう若くないので、身体にも気をつけないといけないですね。(笑)さて毎年楽しみにしている「世界の車窓からカレンダー」が私の手元にようやく届きました。今回の表紙を飾るのは、イギリスの保存鉄道のSLですね。英国の保存鉄道は、先日このブログでもご紹介したばかりですが、鉄道発祥の地である英国には、いつか行ってみたいです。世界の車窓からカレンダー2012 posted by (C)Naoそのカレンダーの中から、いくつか印象的なものをご紹介しましょう。まずこちらはいかにも冬らしい景色ですね。カナダのツンドラ地帯を行く鉄道ですが、ここでは真冬にマイナス47℃にもなるんだそうです。でも澄んだ星空を眺めながらの寝台列車の旅もいいものですよね。寝台列車VIAハドソン・ベイ号(カナダ・チャーチル駅) posted by (C)Naoそしてこちらは一転して常夏のインドネシアです。インドネシア最大の橋梁を行く急行列車ですが、インドネシアと言えば日本で廃車となった車両が数多く活躍しているんですよね。第二の人生を異国の地で過ごしている日本の鉄道車両に会いに行く、そんな旅も面白いかもですね。アルゴ・バラヒャンガン号(インドネシア・チクバン鉄道橋) posted by (C)Naoところで、東京で大学に通う長女が、年末年始を一緒に過ごすため帰省してきました。家族へのおみやげもいろいろ買ってきてくれたのですが、こちらは日本橋にある和菓子屋「日本橋屋」の「天下鯛へい」と言うお菓子。日本橋屋・天下鯛へい posted by (C)Naoとってもかわいらしい鯛(笑)ですが、中のこしあんも甘くておいしかったです。来年は、このお菓子の名前の由来である「天下泰平」でありますようにと願いながらいただきました。さて、私の拙いブログも、香港から帰任しても「香港」と言うタイトルを変えずに続けてきました。最近では中身もかなり脱線して、趣味の「鉄道」がメインになっている感がありますね。(汗)仕事で香港へ行く機会も減ってしまい、今年は2度ほどになってしまいました。そんなわけで最新情報とはいきませんが、マイペースでの過去の記録整理がまだ終わっていませんし、香港は私の「アナザー・スカイ」ですから、もう少し同じように続けて行きたいと思います。香港にて(2011年5月) posted by (C)Nao今年も多くの方々にご訪問いただき、コメントなどもたくさん頂戴しました。そんな皆様の励ましがあって、これまで続けてこられたのだと思います。どうもありがとうございました。また来年も引き続きよろしくお願いします。それでは皆様、良い年をお迎えください。にほんブログ村
Dec 31, 2011
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東京・丸の内にある丸の内仲通りは、有楽町・日比谷と大手町とを結ぶ1kmほどの通り。クリスマスの時期にはここのイルミネーションがとても綺麗だと聞いていたので、先日都内での仕事の帰りに、日比谷で降りて東京駅までの間を歩いてみました。帝国劇場や国際フォーラムから出てくる人ごみをかき分け、夕暮れ時の街を東京駅方面へと向かいます。丸の内・銀杏並木 posted by (C)Naoここ丸の内は、かつて江戸時代には大名屋敷街だったようですが、明治維新を機に官庁街と軍関係の街として整備され発展しました。その後旧東京市がここを経済地区として位置付け、交通網を整備するとともに、軍が所有していた土地が民間に払い下げられ、日本初のオフィス街が出来ていきました。丸の内・三菱一号館美術館 posted by (C)Naoその丸の内の中核ともいえる建物が、1894年に竣工した「三菱一号館」です。英国人建築家、ジョサイア・コンドルによって設計されたこの建物は、1968年に老朽化により解体されましたが、昨年、約40年ぶりに復元され、美術館としてよみがえっています。丸の内・ブリックスクエア posted by (C)Nao三菱一号館のお隣にあるのが、ショッピングゾーンの丸の内ブリックスクエア。その二つの建物に囲まれた「一号館広場」は木々が植えられ、遊歩道のような小径と、その間に点在するアート作品が楽しいですね。丸の内・一号館広場 posted by (C)Nao石畳が素敵な仲通りには、内外の一流ブランドショップが並んでいて、ディスプレーを見て歩くだけでも、ちょっぴりリッチな気分になりますね(笑)。そんなショップの中では、クリスマス・プレゼントを買う人たちの姿も。丸の内のShopにて posted by (C)Nao丸の内と言えば、かつてはオフィス街のイメージが強かったのですが、今ではショッピングや食事も楽しめる街になったんですね。丸の内・クリスマスイルミネーション1 posted by (C)Nao200本ほどもある街路樹に点灯するイルミネーションの数は、なんと95万球もあるとか。今年は東日本大震災後の節電の流れや地球環境にも配慮して、“エコイルミネーション” を全面的に導入し、使用電力を前年比約6割も削減しているそうです。丸の内・クリスマスイルミネーション2 posted by (C)Nao丸ビル1Fの吹き抜け空間『MARUCUBE(マルキューブ)』には大きなクリスマスツリー。「Bright Christmas 2011 Special 宝塚歌劇団」と言うイベントを開催しているようで、宝塚歌劇をイメージした暖かみと華やかさのある『赤』を基調とするツリーに加えて、歌劇で使用される大階段や煌びやかな衣装なども展示されていました。丸ビル・クリスマスツリー posted by (C)Naoさて、丸の内のイルミネーションはいかがでしたでしょうか?実物はもっと素敵なんですが、写真では十分ご紹介できず残念です。ところで今年ももうすぐクリスマス・イブですね。毎年この時期には、お気に入りのクリスマスソングをYouTubeから見つけてご紹介していますが、今年はYouTubeの自作アップに初挑戦してみました。丸の内・クリスマスイルミネーション3 posted by (C)Nao今回はアコースティックな歌声が大好きな、岡村孝子さんの「クリスマスの夜」。昨年までいろいろな場所で撮ったクリスマス・イルミネーションとともにアップしていますので、よろしかったらお聴きくださいね。関連日記:2010年12月22日「サイレント・イヴ/クリスマス・イブ」にほんブログ村
Dec 20, 2011
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今年もまたドラマ「坂の上の雲」が始まりましたね。毎週楽しみに見ているのですが、前回は日露戦争の激戦地「203高地」での戦いでした。この作戦の現地での司令官が、あの乃木希典(大将)です。以前たまたま赤坂に宿をとった際、乃木大将を祭った乃木神社へ行ったことがありました。春の桜咲く乃木神社の様子をご紹介しながら、乃木大将とはどんな人だったのか、少し記してみたいと思います。舞台となった「203高地」は、中国の旅順(現在の大連)にあります。当時旅順にはロシアの一大要塞がありましたが、そこに集結していたロシア太平洋艦隊を撃滅しようと封鎖作戦をとった海軍の戦略は失敗に終わり、戦況は長期化していました。乃木神社2 posted by (C)Naoロシアにはこの艦隊の他にも、強力なバルチック艦隊が黒海沿岸にいて、この艦隊が太平洋戦線に加われば、日本が劣勢に立たされるのは明らかでした。何としてもその前に、太平洋艦隊を撃滅しなければならず、焦った軍司令部は陸軍にこの203高地を占拠し、艦隊を砲撃する作戦を強行したのでした。乃木神社4 posted by (C)Naoさて「坂の上の雲」の中では、乃木大将はこの日露戦争の旅順要塞攻撃で未曾有の戦死者を出したとして、軍人としては無能な愚将のように書かれていますね。果たしてそれはどうだったのでしょうか?多くの戦死者を出したのは事実としても、これをすべて乃木大将の責任にするのは、少々酷な話のようです。旅順が勝敗の明暗を分ける要塞であるにもかかわらず、十分調査出来ていない中、適切な兵力を投入しなかった軍司令部にも責任があったと言われています。乃木神社5 posted by (C)Naoやがて業を煮やした児玉参謀長が自ら乗り込んできて、乃木大将に代わって部隊を指揮し、見事に203高地を占拠することに成功します。坂の上の雲では、判断力や行動力という点で、二人が対照的に描かれていますね。乃木神社9 posted by (C)Naoところで、乃木大将の軍人としての采配がどうだったのかは別として、彼の武士道精神の素晴らしさは世界的にも評価されているようです。旅順陥落後の会見の際に、乃木大将は昨日まで敵であったロシアの将軍へ食料や酒を届け、両軍の兵士達は互いを労わり、健闘を讃えあったと言います。乃木神社6 posted by (C)Naoまたロシアの将軍が、乃木大将がこの戦闘の中で、自身の二人の息子を失ったことに同情すると、「息子達はサムライとして名誉の戦死に喜んでいるはずです」と答えたそうです。ロシアの将軍は、日本の将兵の勇敢さに驚いたといい、彼の名前とともに日本の武士道精神は、ニュースとして世界に広く知れ渡りました。乃木神社7 posted by (C)Nao203高地の戦闘で二人の息子を亡くした乃木大将は、その後狂ったように戦線に出たがり死に場所を求め幕僚達を困らせたという話もあります。日露戦争の戦勝凱旋の日、明治天皇に対し「大勢の陛下の赤子を失った罪を死で償いたい」と涙を流しながら伝えましたが、天皇は「自分の生きている間は、それは認められない」と言ったそうです。乃木神社8 posted by (C)Nao明治天皇は、彼を後に学習院院長に任命し、子供たちの教育を任せます。彼の教師としての熱血ぶりも大変なものだったそうで、生徒一人ひとりを大切にし、より多く生徒と接するために寮に住みつき、剣道、水泳、遠足と常に生徒と共に行動したそうです。乃木神社10 posted by (C)Naoまたそうした中においても、彼は戦死した兵士達の遺族を慰問し、一軒一軒頭を下げてまわったのだとか。自らも二人の息子を亡くしている彼は、遺族の苦しみ悲しみを共感をもって受け止めたことでしょう。乃木神社1 posted by (C)Nao大正元年9月13日、明治天皇御大葬の車が皇居を出発する合図の号砲と共に、彼は妻とともに殉死しています。彼は最後まで天皇の命に忠実であり、日本の武士道精神を貫きました。後に乃木神社が建立され、多くの日本人の心の支柱として祀られています。乃木神社12 posted by (C)Nao太平洋戦争時、乃木神社周辺だけは空襲に遭わず焼け残ったようです。それは連合軍総司令官マッカーサーの指令によるものなのだとか。マッカーサーの父親は、日露戦争時に従軍武官で、乃木大将を最高の武人として敬服し、息子にそれを伝えていたのだそうです。乃木神社11 posted by (C)Nao「坂の上の雲」は、次回バルチック艦隊との海戦ですね。戦艦三笠の活躍が、今から楽しみです。にほんブログ村
Dec 11, 2011
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もう12月なんですね。我が家では、中学の息子が12月、高校の娘は1月が誕生月。というわけで年末はビッグイベント。年に一度のバースデー&クリスマスということで、息子はPS3、娘はiPod touchを買いました。iPod touchは、Apple IDとか、Wi-Fiの設定、iTunes、iCloudなどなど、結構難しいですね。一緒に悪戦苦闘のあげく、マニュアル本を買ってきてあげて、何とか使えるようになりました(汗)。iPod touch posted by (C)Nao大学生の長女は、一足早くiPoneにしているので、我が家で二人目のAppleユーザーです。PS3の方は、ゲームだけじゃなくブルーレイも観られるのがいいですね。SONY PS3 posted by (C)Naoそしてささやかながら自宅でお祝い。大人はいただきもののボジョレーワインで乾杯です!ワインで夕食 posted by (C)Nao最後は手軽なショートケーキで、ハッピーバースデー!アールグレイの紅茶で、おいしいストロベリー・ショートケーキをいただきました。ストロベリー・ショートケーキ posted by (C)Naoようやく我が家でも、クリスマスツリーの飾りつけをしました。ツリーの飾りは、旺角のフラワー・マーケット・ロードのお店でよく買いましたね。サンタさんの飾り物 posted by (C)Naoさてこの中にサンタさんは何人いるでしょうか?(笑)だんだんクリスマスらしい雰囲気になってきましたね。にほんブログ村
Dec 7, 2011
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「旅と鉄道」と言う月刊誌をご存じでしょうか。この月刊誌のことは、私が香港駐在から帰任した頃に知ったのですが、日本全国の鉄道の旅を素敵な写真とともに紹介していて、まるで自分が旅しているような気分に浸れることから、当時は毎号楽しみに購読していました。その「旅と鉄道」も創刊から30年以上が経ち、時代のニーズの変化から2年ほど前に休刊となってしまい、とても残念に思っていたのでした。旅と鉄道1 posted by (C)Naoそれがなんと、この年末にパワーアップして再び復刊したんです。書店で見つけた時には嬉しくて、さっそく復刊1号と続く復刊2号(2012年1月号)を購入して読んでみました。今日はそんな復刊2号の中の特集「世界の夢列車に乗ろう」で紹介されていた、「ハリーポッターの世界をゆく!ノースヨークシャー・ムーアズ鉄道(NYMR」)」について、少し触れてみたいと思います。旅と鉄道2 posted by (C)Naoハリーポッター・シリーズは、言うまでもなく皆さんすでにご存知ですよね。我が家でもこのシリーズは大人気で、映画は最初から欠かさず観てきましたし、DVDも買って何度も観ています。そのお話の舞台となっているのが英国。第一話「賢者の石」でハリーたちがホグワーツ魔法魔術学校へ向かう列車の出発駅は、ロンドンの歴史あるターミナル駅「キングスクロス駅」です。ロンドン・キングスクロス駅1 posted by (C)Nao映画の中でハリーたちが乗車するホームは、9番線と10番線の間にある壁を通り抜けた向こう側、魔法界にある「9と3/4番線」です。もちろんこちらのホームは実際には存在しませんが、ここの壁には映画のロケを記念して作られた、途中まで壁に入った状態の手押しの荷物カートがあるんだそうです。ロンドン・キングスクロス駅9と3/4番線 posted by (C)Naoキングスクロス駅からは、赤いデザインが鮮やかな「ホグワーツ特急」に乗って魔法学校へ向かうわけですが、その出発シーンは鉄道ファンでなくとも覚えている方もいるのではないでしょうか。途中の車窓は、英国に実際にある鉄道車窓風景なんだそうですよ。ホグワーツ特急 posted by (C)Naoそんなハリーポッター・シリーズも、今年の夏に公開された 「死の秘宝Part2」 でついに完結しましたね。我が家でも映画館まで出かけて観ましたが、先日DVDが発売されたのを機に再度観てみました。そのラストシーンが、やはりこのキングスクロス駅。17年後、大人になったハリーやロン、ハーマイオニーらが、それぞれの子供たちをホグワーツ魔法魔術学校ゆきの列車に乗せるシーンですね。物語の始まりに彼ら自身が旅立ったこの駅、最後の締めくくりもこの駅とは、とても印象的でしたね。ところでNYMRに話を戻しますが、こちらの路線にはホグワーツ特急が到着する魔法魔術学校のある終着駅「ホグズミート駅」のモデルとなった「ゴースランド駅」があります。風格ある駅舎やホームにかかる跨線橋は、どこか見覚えがありますよね。英国NYMR・ゴースランド駅 posted by (C)NaoこのNYMRは英国の中央部、古都ヨークよりも少し北にあるピカリング駅から、このゴースランド駅などを経由してグロスモント駅までの1時間ほどの路線です。鉄道発祥の地と言われる英国の中でも歴史のある路線のひとつで、蒸気機関車の父スティーブンソンが開設したと言われているそうです。このゴースランド駅もとても趣のある駅で、映画の撮影に使われるのもわかりますね。そんな鉄道風景が見たくて、久し振りにシリーズ第一作目の「賢者の石」を観てみました。キングスクロス駅やホグズミート駅でのシーン、列車の中のシーンなど改めて観るといろいろと気づくこともありますね。それにまだあどけないハリーたちがとても懐かしく感じられました。今は忙しくてちょっと無理ですが、いつかハリーポッターのロケ地などを巡りながら、こうした英国の保存鉄道の旅をしてみたいものですね。お別れは、やはりハリーポッターで登場したスコットランドのウェストハイランド鉄道にある世界最古のコンクリート橋「グレンフィナン高架橋」を行くSLです。にほんブログ村
Dec 3, 2011
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