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あろうことか、ICUに入院してしまった私。始終聞こえる、機械の“プップッ・・・”という音。夜になると、どこからともなく「おかあさん~~、苦しいよお、助けてえ~~」と言う声が聞こえるし、かなり、落ち着かない。それと、姑の所に預けた、なっちんの事が気がかりでならない。姑は、気力、体力とも、子供の世話なんて、半日しかもたない。熱い汁物を平気で、子供に渡したり家の中は、要、不要に関わらず、モノがあふれていて子供の手の届くところから、危険なモノを“どける”ということをしない。極めつけは、ハムスターを飼っている。“噛まれたら、なんか、感染するかも・・・。”夫の両親は離婚しているので、姑は、広い家に独りぐらし。賞味期限も、あまり気にしないので、これがまた、怖い。もんもんと、一晩過ごした朝、すっかり熱は下がっていた。朝の回診は、5人の医者団がやって来た。「こういっちゃなんだけどあなた、病人に見えないなあ。退院する?」とボス?に聞かれすかさず、元気に「ハイ。」と返事。「担当医の説明が、あるからね。」と言われた“担当医??担当医なんて、いたかなあ・・・。”一団が去った後、さっきの中の一人がやってきた。“この人が、担当医・・・・・? ゲッ、このセンセイ!!”急に思い出した。ちょうど一年前も、私は急患でこの病院に来ていた。生理痛がひどくて、一晩中、悶絶した挙句救急外来に駆け込んだのだ。その時に、診察してもらったDrだった。しかも・・・・・しかも・・・・「子宮内膜症だと思うので、触診させて下さい。」と言い「イヤです・・・」と半べその状態の私は生理中のため、肛門から触診されたのだった。かなり、嫌なことを思い出し、心の中で途方に暮れていた。「夏風邪と、膀胱炎みたいだね。」とDrは言った。“膀胱炎??膀胱炎って・・・・まさか・・・”「細菌検査の結果が出てないけど、尿がにごってるし。」Drが去った後、布団をかぶり、夫に携帯電話で連絡した夫は、仕事を休んでいた。「膀胱炎なんだって、ね、お願いだから先生に、原因とかって、聞かないでえ。」「なんで?」「なんでもいいから、聞かんといて!」電話を切る。「やっぱり、膀胱炎ですね。」再び、Drがやって来た。「1週間前、レジャープールに行ったとき シャワー浴びて帰らなかったんです。」と、苦しい言い訳。「いや、若い女性は膀胱炎が多いけど原因って、ほとんど、一緒なんです。SEXのあと、おしっこに行かなかったでしょ?」(。。;)ガーーーーン。やっぱ、原因はソレか・・・・・。ちなみに、この先生の声は、かなり大きい。いくら、ICUで、周りはおばあちゃんとはいえ頭もミミしっかりしてる人もいた。夫に、原因を先生に追求しないで。と釘をさしてたけど退院の時、主治医はやってきて「SEXのあと、ちゃんと、おしっこしに行くようにご主人からも、言ってくださいね。」と、やっぱり大声でハキハキ言っていたわ。以前、病院に勤務してたことがあり「膀胱炎」の原因について、雑談を聞いてたのでやな予感がしたけど。ほんと、トホホ・・・。です。尿路感染症なんて、なるもんじゃないわね。大恥ですわ。ちなみに一年前、肛門を指でマサグラれたこの先生。なんつーか、熱血モノなんだよね。ハキハキ、判りやすい説明してくれるので夫婦で、好感を持ってはいるんですよ。ほんと。とっても、親切だしねー。みなさんも、面倒でも、寒くてもおしっこ。しに行って下さいね。名誉のために付け加えるけどけっして、不潔な環境で、イタしてるわけじゃないんだよーー。だって、妊娠と出産関係の本でも注意事項で、ちゃんと、書かれてるものあります。
2001.11.30
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今年の、なっちんの3歳の誕生日は大騒ぎであった。なんせ、お誕生会前日の夜から、私が発熱し真夜中、40度まで上がってしまったの。ただ、熱があるだけで、他の症状は一切なし。だけど、薬を飲んでも、座薬を入れても、一向に下がらない。朝になるのを待って、夫が病院へ連れて行ってくれた。ちょうど、日曜日だったので、救急外来で、診察された。当直Dr.の「熱中症」という診断で、点滴につながれること数時間。あまりに私が頻繁にトイレにいくので「腎盂炎かもしれません。1週間くらいの入院になるかも。」“ええ~~~??うそやん。そんなに病気か?”冷蔵庫には、なっちん誕生会用の食材を大量に残してきている。点滴をバンバン打たれてるのに、熱は下がらない。だいたい、この日は、表にでていないのに、なんで熱中症なのよ?と、思ったけど(トイザラスで遊んでいた)他の患者さんも、熱中症と言われて、点滴を打たれていたな・・。仕方が無いので、そのまま入院することになった。夫は、大慌て。翌日から、仕事があるので、なっちんの預け先に持っていく荷物と私の入院準備をとりに、家に帰った。予約してたケーキも取りにいかなくちゃいけないし。もともと、誕生会は、姑のために開くようなものだったので夫は、とりあえず、なっちんを姑の所へ連れていってそのまま、泊めてもらうことになった。夫は、子供の着替えや、私の着替えがどこにあるのかはっきり判っていないので、パニックだったようだ。着替えを持って来てくれたんだけど「ブラジャーが、見つからんかった。」「え?入院してるんだから、ブラジャーなんて、いらないよ。」・・・でも、しっかり、なっちんの写真を持ってきて枕もとに置いて行った。しかも、夜中にまた、ケーキを一切れ持ってやってきた。「ろうそく、フーってさせたし。」「え?歌は?歌、歌った??」「ごめん、歌ってへん。フーってしただけ。」(・・・・仕方ない、入院した私が悪いんだもん。)なんと、私はICUに入院していた。感染症(腎盂炎)の疑いがあるんだから、当然といえば、当然。けど、よりによってICUなんて・・・・・もちろん、面会の人は、白衣を着て、帽子を被らなくちゃいけない。夫の、その格好がおかしく、内心、笑っていた。
2001.11.29
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・・・・といっても、今年の2月の話ですけど。“どっちの料理ショー”の幻の食材コーナーで登場した“間人(たいざ)蟹”というのを夫が食べたがっていた。阪急交通社から届いた旅行案内パンフに載っているのを偶然、発見。なっちんを、連れて行くか、置いていくかで悩んだけど「なっちんも、美味しい蟹をたべたいよ、きっと。」という夫の一言で、連れて行くことに・・・なんせ、梅田に7時半集合。寒いわ、眠いわ。暗いうちから京都を出発した私たち。ツアー客は、年配の夫婦、女性の団体。母と娘。もちろん、幼児連れなんていないし子供連れもいない。30代って、私たちだけ??というしぶーーーい、年齢層でバスは出発した。バスツアーに参加だなんて、我ながら、恐ろしい。電車と違って、歩き回れないし暴れられたら、逃げ場が無い・・・・。梅田から日本海に向けて行ったのだから結局、全行程で、10時間くらいかかった。現地につく、5分前になっちんは、寝てしまい。2時間の食事タイムの間、熟睡していた。仲居さんは「起こして、食べさせないと、お腹へるよ?」と言ってくれたのに私たちは、蟹に夢中で、なっちんが寝ているのをいいことに完食してしまった。しかし、寝てくれてたから、ぜーんぶ、食べられたものの起きてたら、絶対、蟹、残してたよ。とにかく、市場に出回らない、貴重な幻の蟹。だけあって美味しさが、半端ではない。感激しまくって食べてたしなーー。デザートを食べていた時、なっちんがやっと、起きてきた。しかし、あと、10分で集合時間だ。とりあえず、ぞうすいをパックにつめてもらいなっちんは、ねぼけたまんま、また、バスの中へ押し込まれた。ほんと、かわいそう・・・・・。1日中、バスの中にいた、なっちんはどうであったか?・・・・それが、親も驚く、おりこうちゃん。ぶりだったの。このころ、まだ、2歳半だったけどトータル8時間、バスに乗っていたにもかからわず30秒くらい、一回、ぐずっただけでずうーっと、機嫌がよかったのだ。前の座席のおばちゃんに、「かしこいねー。」とお菓子をもらったりトイレ休憩の時、皆に口々に褒められたのが、功をそうしておりこうちゃんパワー全開!!しかし、私たち両親の疲労も激しかったけど・・・・。なんせ、バスの中、ずーっと、起きてたので相手をするのに、歌ったり、手遊びしたり、ゲームしたり・・・夫婦で、交代して、相手を務めてたんだもん。おもちゃや、パズルを持っていってたので、荷物も多かったし。けど、当初の目的「なっちんにも、蟹を食べさせる。」は達成せずぞうすい、一口しか食べなかったんだよ~~。1日中、おかしばっかり、食べてた。おばちゃんに、もらった、おかし。・・・なんか、モーレツに蟹が食べたくなってきた・・・・けど、今晩のおかずは眠眠の「せみギョーザ」なんだわ。・・・・貧しい、おかず。
2001.11.27
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幸い、昨日の晩から出血はとまったものの病院に電話してみたら「受診してください。」ってやっぱり言われたのでパジャマでダラけているなっちんの口に朝食を押し込んで、着替えさせた。あう~~独りなら、すっとんで行けるのに・・・・とにかく、朝からダルくて顔を洗っただけの、スッピンで行ったわ。右の卵巣が直径6センチくらいに腫れててそれが、子宮を圧迫してるのかも。と言われ赤ちゃんは、まだ見えてなかったけどツワリがあるのは、赤ちゃんからのサインだから、大丈夫。ってことでした。「無理をしないで。」なんだけどなっちんが楽しみにしているスイミングの日なのでやっぱり、連れて行っちゃったわ。もー、他のママたちと雑談する元気もなくものすごく、無愛想な態度を取ってしまった・・・・ハア・・・・ところが、帰ってきてビックリ。なんと、ガスコンロの火を付けっ放しにしてその上に、フライパンを置いたまんま。だったのだ。げひーーー!!極弱火。だったとはいえあぶないよーー。いかん、いかん。とにかく、眠たくて、フラフラなんだけどプールで泳いだくせにちっとも、昼寝をしない、なっちんなのでウトウトすると退屈して、攻撃してくるんだよう。眠たい・・・・・・・タスケテ・・・・
2001.11.26
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お腹が痛いわけじゃないけどうっす~~ら、出血してるんだよね。お昼過ぎから・・・・・明日、病院行ったほうがいいのかなあ?面倒だな。けど、なっちんのときは、こういうのは無かったからちょっと、ドキドキしている。って割には、買い物に行ったけどね。それ以外は、ゆっくり家で過ごしてたんだけどな・・・。やっぱ、病院行ったほうがいいよね?う~~~ん。明日で、ちょうど6週目なんだわ。
2001.11.25
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昨日、夫は仕事の帰り、大渋滞に巻き込まれヘトヘトになって帰ってきた。夜間ライトアップの影響で、狭い京都の道路がエライことになっていたらしい。でもでも、京都市民だって、紅葉見物したいんだよう。昨日からの連休三が日は、人出もピーク。清水寺も、永観堂も、南禅寺も近所なんだけど混雑の中に足を踏み入れるのは、絶対ツライ。一応、妊婦だし。そして、私たち家族は京都市から脱出を図りなぜか、長岡京市まで出張してきたんだ。光明寺っていうお寺に、紅葉見物に行ってきました。駐車場(無料)も、すぐに停められたし人も、多からず、少なからずゆっくり、紅葉を堪能できたよ。なっちんも、上機嫌で走り回ってました。もちろん、渋滞なんて、一切なかったしね。ちょうど、西日が当たって、紅葉も、最高にキレイだった。あ~~~~日本の秋なんだわねえ~~~。最近、なっちんは、毎日「サンタさん、まだかなあ?」と聞いてくるので説明するのに、大変です。「雪が降らないと、そりが動かないからこれないんだよ。」って言ったら「え?空飛べるのに?」だと!「まだ、来てくれない・・・。」とさめざめと泣かれるんだよう。困ったなあ。まだ、1ヶ月あるのに・・・・。
2001.11.24
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今年の春、なっちん、2歳半のころ。毛布をかぶって、ちーさい声で「ポキポキ」となにやらつぶやいていたかと思うとちょっとだけ、顔をのぞかせ「ポキン!」という大きな声を出して毛布の中から、ピョン!と、飛び出す。という遊びを頻繁にしていた。あまりに熱心に、真剣にやっている姿に、邪魔しちゃいけないなー。と思いつつやっぱり気になって「何やってるの?ヒヨコのまね?」って聞いてみた「ちがうよ、なっちゃんだよ。」「・・だから、なっちゃんが、ヒヨコのまねっこ。してるんだよね?」とまた、尋ねると「ちがうよ!ひよこなんだよ!なっちゃんだよ!」ってえらい剣幕で怒り出した。“あんた、バカなの??”って顔つきで私のことをにらんでいる。落ち着いて話をしてみるとどうやら、たまごから、ヒヨコが出てきてヒヨコから、今の自分になったと思っているらしかった。どこらへんで、そういう誤解が始まったのか判らないけどそういう思い込みをしている幼児って、けっこういるかも~。とりあえず「妊娠・出産」関連の本を引っ張り出してきて妊婦さんのお腹の断面図を見せて、説明してみた。なっちんは、「わかった。」とは言ったもののかなり、不満気な様子。ところが・・・・それ以降、なっちんは自分のお腹の中にも“小さい赤ちゃん”が住んでいるものと思い込み始め腹痛を訴える時「お腹が痛い~。赤ちゃんが出てくるかもお~。」とか言うようになってしまった。いくら、「まだ、いないよ。」と言い聞かせても部屋の隅に転がって、お腹を押さえながら「赤ちゃんがあ~~~~。」と、か細い声で訴える。しかも、お腹以外の場所でも、痛みを感じると「赤ちゃんがいたずらする~。」って言うもんだからますます、ややこしくなっている。昨日、なっちんの小児神経科の健診に行った時「お母さんのお腹に赤ちゃんいるのね。なっちゃんのお腹の中には、いるの?」とDrに聞かれ「いるよ。」ときっぱり言っていた。Drとナースは、ほほえましいわね~~~。という感じで笑っておられたけど私は、ちょっと、困っているんだ。たまご→ヒヨコ→なっちん。の方がよかったあ~~~~。
2001.11.23
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昨日は、かなり、ボーっとしてたわ。昨日行った産婦人科のある総合病院、なんと日本庭園?があるんだわ。これって、かなり、嬉しい。健診のついでに子供を遊ばせられるし気分転換にいいわあ。けっこう、大きな池があって、鯉が泳いでるの。それで、池の周りに小道があり、どんぐりが落ちてたりするのね。池の中ほどには、小島があり、鳥さんたちがのんびり~~~してるんだわ。結局、端っこまで散策できなかったけど今度の楽しみに残しておいたわ。ふつう、病院の庭って、芝生にベンチ。ってイメージだけど池に、小道は意外だったな。昨日、産婦人科の内診を受けている時なっちんは、先生が話し掛けてくれるのでついつい、先生の方に回りこんでしまい内診風景を目撃してしまったのだ!!・・・・・・・・・ヘンな顔になって、凍り付いていたぞ。今日も、これからなっちんを半年に一度の健診に連れて行かなきゃいけないんだ。何を言われるか、ドキドキだわさ。障害の中で、最後まで残ってしまった左足の調子も“今、ひとつ。”なのでまた、指摘されるんやろうな~~~~。ま、がんばって、いってくるわん。
2001.11.22
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気が早いけれど、産婦人科に行ってきたんだ。前回は、個人病院に健診に通い実家のある市立病院で産んだけど今回は、京都で生むことにした。さっぱり、ハキハキしててなおかつ、とっても優しい女医さんだった。う~~ん。大満足。やっぱ、安心して通えるのが一番だね。前は、産科の健診の前日、よく胃が痛くなってたからなあ。しかしなにぶん、まだ、6日遅れなのでちーっちゃい、袋しか見えなかったんでまた、2週間後に診察に行って中身が生きている?かどうか確認するらしい。妊娠届も、まだまだもらえそうにないしあーー、早く、母子手帳欲しいよう。しかし・・・・・・・しかし眠い。昨日、なっちんの三歳三ヶ月健診に保健所に行ったし今日は、産婦人科。明日は、なっちんの病院へ、定期の診察。実は、おとといも、医者に行ってたんで(インフルエンザ予防接種でした)医者に通い詰めだよう。ねむたい・・・・・・。ZZZZZZ。
2001.11.21
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「桶谷式乳房管理法」って、知ってる?昔は「乳もみ」と呼ばれてたみたいだけど私が知ったのは、なっちんを生んで3ヶ月以上たったあと。母乳が出ないので、母乳育児を完全あきらめたころだったの。さいわい、母乳が出ない私を非難する人はいなかったのでストレスは感じなかったので、良かったんだ。しかし、バスで出くわした見知らぬおばさんに「あなたもやっぱり、母乳なんでしょ?」と勝手に決め付けられたことはあったなー。“あんたに、かんけーないやん!”って思ったわ。だけど、やっぱり「母乳」を、あげたかたったなー。「桶谷式」とは「特異なマッサージに技術による母乳分泌の促進」をはかるもの。らしい。実際に、手技を受けに行ったことは無いのでどういう風にするのかは判らないけど赤ちゃん産んでから、母子で通うようだ。保険はきかないようなので安いものじゃないらしいけどミルク代の合計金額よりは、絶対安いはず。それに、やっぱり母乳にかわるものは無いしね。いつでも、どこでも、適温。で出るなんてなんて、魅力的!!つい、最近までミルクを作っていた(日記を参照してね)ので、もう、ミルク作りはゴメンだ~~~~。母乳が噴水のように、出るなんて夢のようだわあ。なっちんの時は、涙ながらに絞りまくっても10mlがやっと・・・・ってとこだったの。
2001.11.19
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昨日、妊娠が判明した私。実は、緻密な、計画妊娠スケジュールを立ててました。計画①:なっちんと、2歳違いの、7~9月生まれの子 なっちん出産直後にはこう計画していたけど 結局、なっちんの通院、入院などで、第二子のことは もう少し、様子を見てからにしよう。ということになり 断念したの。 計画②:3才違いの、7~9月生まれの男の子 リンカルの存在を知り、さらに範囲は限定。 3ヶ月前からリンカルを服用。 基礎体温をつけて、データの収集。 しかし、グラフや、日付に惑わされ、Drが指定してくる日も 3、4日の幅があったので、排卵日の確実な特定ができない まま、妊娠できず、無念のリタイヤ。計画③4歳違いの、5~9月生まれの男の子 去年の反省から、5ヶ月間の作成期間を設ける。 基礎体温の測定をやめ、排卵日判定スティックで、トライ! もちろん、春から、リンカルを再開。 5月生まれ作成: 排卵検査を1週間くらいしたけど、ウス-イ、ピンクの線が だらだら出続けるだけで、判定できなかった。 そのうち、生理が着てしまう。 どうも、検査開始日が遅かったみたい。 6月生まれ作成: 前回の反省から、早めに検査を始めると、くっきりとライン が出た。 しかし、あまりの気合のため、私はカチカチに・・・・ 夫も焦り、入り口付近に注入。 とにかく、大失敗でした・・・・・・・ 7月生まれ作成: 検査第1日目に、ラインがくっきり。(午前8時) 胸を、わしづかみ!してみるが、痛くない。 午前10時に、また、わしづかみ。してみると 少し、痛くなっている。 “排卵してる!!”と直感。 タイムリミットは、12時間以内。 卵ちゃんが、ツヤツヤ活き活きしているうちに! 夫に「夜の10時までに、するよ!」とメール 夫から「わかった。早く帰るからね。」とメール。 夜更かし娘、なっちんが8時に寝る。(奇跡だ・・) 先月に比べて、かなり落ちついていたので なんとか、成功。 多分、午後9時半ごろだったと思う。 お尻の下に枕をしいて、ジーっとすること、10分。 夏生まれにこだわったのはどうしてか・・・・ *寒いのが極端にキライ。 *なっちんが8月生まれなので、マタニティー、新生児服の 再利用のため。 *花粉症がきついので、妊娠初期と、花粉症の期間がダブらな いようにするため。 (クスリの服用により、影響がでないように) 自分でも、期間限定の子作りは、贅沢だよなー。と思ってたけどとにかく、成功して、良かったです。第1子の時は、妊娠生活に不安があったけど一回、経験してると、気持ちが楽だねーーー。嬉しいばっかりだよん。
2001.11.18
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まだ、二日しか遅れてないけど「生理予定日前でも、陽性反応、でたよ。」という友達の話だったのでダメもとで、妊娠判定薬。使ってみたの。どうみても、陽性だ!!うれしい~~~~。排卵判定薬を使い始めて、2ヶ月目。前回(上の子)同様、私は妊娠体質だったことが、判った。けど、半泣きで、意味も無く、ウロウロ歩き回る私になっちんは、困惑している。「よかったねえー。」と一番に言ってくれたよ。予定日は7月15日。5月から9月生まれを計画してたからバッチリです。しかも、なっちんは、8月15日生まれなのだ。やっほ~~~~。ウキウキ~~~。
2001.11.17
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阪神・淡路大震災の話を今ごろ書く私。そのころ、実家(宝塚)に住んでいたの。「陸」(りく)という名前の柴犬の番犬を飼っていました。地震の後、「ゴミ・ステーション」←宝塚市のゴミだし場名称には、ゴミが一杯。ゴミ収集車は、そのころ、なかなかやってこなかったのでゴミは、溜まり放題になっていた。犬の散歩の時、横を通りかかると、ゴミだし場の電柱の電線にカラスが3羽ほどとまっている。私がそこから去るのをまって、ゴミをあさるつもりらしい。“にくたらしい奴らめ・・・・・・そうだ!!”いいことを思いついた。連れていた愛犬のリードをゴミの一部にくくりつけゴミの番をさせることにした。「カラスが降りてきたら、ワン!って言うんだよー。」と言い残して、さっさと家に帰った。30分くらいしたころだろうか、近所のおばさんがインターホンを鳴らして「陸ちゃんがっ!陸ちゃんが、カラスに襲われる!!」と、大声を出している。ビックリして、見に行ってみると電線のカラスが10羽以上に増えていて、しかも「ぐわ~っ!ぐわ~っ!」と、うちの犬を威嚇しているではないか。陸は、四足で、ボーゼンと立ち尽くしたまま私が帰って来るのを待っていた。あわててリードをはずすと、一目散に家に向かって突進していく愛犬、陸号。“あ~~、危なかったあ。”まさか、犬を襲うことはないと思うけどちょっと、あせったわ。
2001.11.14
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なんか、もう、カワイイ動物・女の子・花・果物ばっかり描かされて、飽き飽きして来たんだよー。だから、最近は、お化けとか、化け猫とか気味の悪い、落書きばっかりしちゃうんだよね。だいたい、「カワイイ」って限界があって変化の使用がないというか、描き尽くした感がある。描いてて楽しくないんだよー。もう、こりごり・・・・。だから、ミッキーの絵のついた新しい落書き帳は「死相のただよう老人」「うすら笑いを浮かべる不幸顔女」「よだれを垂らした肥満男」「妖怪・おばけ」などなどの絵ばっかりになっちゃって姑が見たら、怒られそうだ。実母が見たら、相当、怒るだろう。なんせ、幼児期は「美しいもの」だけの世界で育てるべきだと思って、実践してきた人だから。しかし、娘には、「おもしろいー。」「へんなのー。」と、大うけ??狂気をはらんだ顔つきの、ミッキー&ミニーの絵を描いたらさすがに、怒った、怒った・・・「こんなんじゃないよー!おかあさんのバカー!」って、たたかれちゃった。
2001.11.13
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この前、公園で男の子たちが、ヒーローごっこ。を始めたとたん「やめてー!ケンカしないで!」「仲良くしなきゃ、ダメなのよー!」と大声で叫びながら周りをピョンピョン飛び跳ねだしたの。男の子のお母さんと一緒になって「ケンカじゃないよ。遊んでるの。」と幾ら言っても納得してくれない。男の子のお母さんが、鞄から小さいウルトラマンを2体取り出し、一生懸命説明してくれたけど、憮然としたままだった。しかし、ウルトラマン、見たことないんだよね。それは、娘が、怪獣を愛してやまないから。なの。ほんとに、ちっさい頃から、オモチャ売り場の、ソフトビニール製のウルトラマン怪獣シリーズが大好きで一個一個、手にとって、360度の角度から、シゲシゲ、ディティールを観察し、手触りを確かめていく。納得したら、また、次の怪獣さんへ・・・・と永遠やっていくのだ。放っておいたら、20、30分でも座り込んでいる。この夏、やっと、ウルトラマンにも、少し興味を持ち出したけど怪獣サンたちの比ではない。バービーや、りかちゃんなんて、完全、無視。素通り。「しょうがないなー、1個だけ、買ってあげる。」って言ってもとてもじゃないけど、1個に絞りきれなくて、迷いまくり。しかし、まさか、怪獣さんたちと、ウルトラマンたちとが生死を分けた戦いをしてるなんて、夢にも思ってないだろう。話が理解できるわけでもなく、また、最近は、話が複雑化していると聞いているのでただ、単に、決闘のシーンばかりが印象に残り“哀しむだろうなー。”とか思ってしまってとてもじゃないけど、TV,見せられないんだよねー。過保護かしら・・・・。TVドラマなんかでも、言い争うシーンがあるとTVに向かって、「コラー!ケンカしないの!」友達が、ケンカをはじめても、外野で怒りまくっているし。争い事が、ほんとに、キライなんですねー。こんなんで、保育園(幼稚園)で生き延びられるのか?と時々、心配にもなるけれど。
2001.11.12
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家事の中で、一番掃除が嫌い。特に、床の掃除。独身の時から、荒れ放題になった部屋を重い腰をあげて、掃除する時音楽をかける習慣があってそのころは、「恋する惑星」のサウンドドラック細身のフェイ・ウォンになりきりこっそり好きな人の部屋に忍び込んで大掃除をするつもりになって、掃除してたなー。今は、「サウンド・オブ・ミュージック」のサントラ私が生まれて一番最初に見た映画なの。なぜかこのCD、娘もすごく気にいっててなんか、わかんないけど、「ウキっー!」と、怒ってる時など、このCDをかけると、1曲目が終わらないうちに、機嫌よくなってるから、不思議・・・・楽だわ~。昨日も、このCDをかけながら、床掃除を一気に片付けたわ。水拭きにワックスかけ。娘も手伝ってくれて、面白かったよー。不思議なことに映画を見ていないはずなのに「一人ぼっちの羊飼い」の曲が始まると必ず、踊りだすんだよねー。タップ?踏んだりしててしかも、「なつかしいねー。」なんて言うからほんとに、不思議だ!!
2001.11.10
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出生後 2~6ヶ月***首すわりが、思いのほか早く、3ヶ月寝返りが出来たのが、5ヵ月半相変わらずミルクののみが悪いが、夜鳴きもせず、おとなしい。1ヶ月未満のころ、神経質に泣きまくっていたのが4ヶ月頃には「今週、泣いたっけ?」というほど、ご機嫌の日々。身長、体重の曲線も、正常域のど真ん中を突っ走っている。このころ、心配は私の心から全くかき消されてしまった。7・8ヶ月6ヶ月半くらいから、ひとり座りをさせてみる。どうしても、体が突っ張って、後ろに後ろに、倒れてしまう。育児の本で「ひとり座りへの段階」の写真が載っているが、娘と全く逆。どの赤ちゃんも、前屈の状態ばかりだ。毎日、座らせてみるが、後ろに倒れるばかりで一向に、進歩が無い。また、ずりばいを6ヶ月すぎから徐々に始めていたがずーっと、ずりばいのまま2ヶ月以上たとうとしていた。いっこうに、お尻が持ち上がらず、高速ずりばい状態。両脇を抱えて立たせてみると、床に着いた足がつま先立っている。結局、8ヶ月検診の3日前にやっと、かかとが着く。8ヶ月検診***「ひとりすわり」を検査される。もちろん、娘は出来ない。「ずっと、長いこと、こんな調子なんです。」と言う「あと、1歩ですね。」との返事ちょうどこの日、私は風邪の熱が38度以上あり、疑問を持ちつつも、気分が悪く、帰宅してしまった。しかし、その2日後両脇を持って立たせると、再びつま先立ちをする(両足)検診では、かかとを着いていたのに・・・・・・“出来ていたことが、出来なくなる。ってことあるのかな・・?”友達が、「うちの子、つっぱりが強くて、精密検査受けなきゃいけないんだ。」と言う。ぼんやりと、妊娠中、立ち読みした本に書かれていた「突っ張りの強い場合、脳の検査が必要」という一説を思い出す。“満9ヶ月になっても変化が無かったら専門医に見せよう”と決意夫にも言っておく。9ヶ月直前***保健所に勤める友達が遊びに来る。(保健婦ではないが、乳幼児検診に携わっている)娘をあやす彼女が「なんか、おかしくない?」と言い出す。「私も、なんか変だと思うねん。検診では、大丈夫って言われたけど、気になってる。」「保健婦さんに聞いとくわ。」後日、電話があり、専門病院を紹介される。9ヶ月と2日***初診の人のみの診察日は、月曜だった。偶然、夫の仕事が休みで、一緒に行く。マットの敷いてある診察室で、娘は裸にされ両足をもって、吊るされたり右足と右手を持って、吊るされたりして何枚も何枚も写真を撮られる。もちろん、おお泣きし、Drのひざにおしっこを漏らしてしまう。Dr「出産では、何かありましたか?」私「別に、これといったことは無かったですが苦しんだので、障害が出るかも。とは言われました。」Dr「典型的な、脳性麻痺やね。」診断の結果が言い渡される。「左半身の完全麻痺。それから知的障害の可能性もあるから、今後、診て行きましょう。」完全麻痺?知的障害?Drの白衣に吸い込まれそうだった。涙は出ず、言葉も出ない。“私のせいだ、すぐに出してあげなかったから どうしよう・・・・。”「昼から、理学療法士による講習があるのでどこかで昼食をとって、また、こちらに来てください。」と言われる。昼食は近くの、ベーカリーレストランへ行く。焼きたてのパンが運ばれ、それを、モソモソ食べる。目がうつろだったのか、夫が「ちゃんと、食べなあかんで。」と言う。会話は無し。横で娘が、機嫌よく椅子に寝転んでいる。娘の顔をマトモに見られない。夫の顔も。“わたしのせいだ・・・・・・・。”乳幼児期の身体機能の障害は確定、固定していない。ボイタ法訓練(リハビリのようなもの)によって軽減され正常の域を目標に、高められる。母親は、理学療法士から、ボイタ法訓練を取得し1日4回、子供にほどこすことにより「障害の軽減化」を図るのだ。娘との「訓練生活」が始まった。「訓練」と呼ばれるものは、実際、いくつかあるらしい。技法が違うのだそうだ。けれども、このころは、ただもう“言われたとおりにやるしかない。”“絶対、助けなくては。”と痛烈に想う。
2001.11.08
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病院で、保健所で、私の「なんだか、おかしい。」という訴えは見事に「心配性の母親」扱いされました。でも、専門医に即「脳性麻痺です。」と診断されたのです。感情を盛り込んでしまうと、膨大な量になるので簡潔に書きたいです。出産まで***尿蛋白が少しでたものの、いたって良好。体重7キロ増で出産予定日を迎える。Drに、優秀な妊婦。と太鼓判を押された。出産時***朝5時から陣痛が始まる。午後4時15分、破水。分娩室へ・・・午後5時30分、正常分娩。しかし、Drにお腹を押さえられての出産となる。アプガースコア-:7点赤ん坊が出てきた時、「あっ!」とDrの小さく叫ぶ声がした。なにか、慌てて処置をほどこすDr。足元なので見えない。縫合を終え、Drがいなくなる。片付け物をしていたナースが、急に「障害が出る可能性があるから、気をつけて、見ておいてね。」と言う。びっくりして聞きなおす。「苦しくてウンチしちゃって、それを呑み込んでたから。」と言う。・・・・・・・沈黙。入院中***母乳マッサージを真面目にやっているのに、母乳が出ない。しかも、吸い付く力が、あまりにも弱い。最初は下手でも、入院中に上手になり、他の赤ちゃんは徐々に飲む量が増えているのに、みごと、1CCも飲むことがなかった。ナースに、尋ねようと思ったころナース(ベテラン)から「母乳、飲んでないみたいだけど、なんで?」と、逆に尋ねられギョっとする。“それは、こっちが聞きたいのに・・・・・・・”落ち込む。退院時***ナースから、体重増加や、ミルクの飲んだ量を報告される。「障害」のことについては、一切、触れられず。“万が一っていう程度で言われたのかな・・・”安心する。退院1週間後***私は庭の穴(犬が掘った)でつまづき、くるぶしを骨折。左足のヒザからつま先まで、ギプスになる。産後1ヶ月検診まで***「なっちゃんの目、見えてるよね?」「耳、聞こえてるよね?」と妹や、母に聞いて回る。相変わらず、母乳は出ない。ミルクを飲むのも、ひと苦労。吸う力が弱く、すぐにヘバッってしまう。とにかく、生命力が弱い。泣いてばかりいる。向き癖が強い。左の足はよく蹴っているのに対し、右足はほとんど蹴らない。アトランダムに数えてみると、10:1であった。1ヶ月検診***右足と、左足の動きに差があることを、Drに報告。「整形的には、モンダイないですよ、たまたま、調子が悪かったんじゃない?」と言われる。待合室まで、ナースが追いかけてきて、後ろから私の肩を少し揉み「おかあさん、大丈夫よ。そんなに心配しないで。」と言う。他の赤ちゃんは1ヶ月の間に、だいぶ、しっかりしているのに対しうちの娘は、「今、生まれました。」という感じだ。一緒に行った母にコソッと話すと、母も同感であった。
2001.11.06
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土曜日の日記の続きです。子宮内膜症のころ、ほんと、いろんなことが重なってしまい最悪の精神状態だった。遠方の彼氏が、電話の途中で、私がパニックに陥ったため私が、自殺を図ると思い込み私の住んでいる市町村の警察に、連絡したりもして、迷惑この上ない存在だった。(結局、警察は来なかったけど)「お月様、御願い。赤ちゃんをちょうだい。」とか「マリアさま、耳が聞こえなくても目が見えなくでも、大切にします。約束します。」と手を合わせていたことも今にしてみれば、照れくさい事実だがその時は、真剣そのもの。だった。娘を出産した後月明かりに照らされた、まーるい顔の、まーるい瞼のまーるい唇と、鼻をした娘の顔をいつも眺めては「なっちゃん、お月様から、来たんでしょ?」「遠いところから、ママのところへ来てくれて、ありがとう。やさしい子だね。」と話し掛けていた。けれど、マリア様・・・と御願いしていたことはコロッと忘れていた。なぜ、マリアさま。なのか。浄土真宗なのに・・・・。子供の頃、日曜学校に通っていた時期があったこと。父親が、キリスト教のガッコウ出身で、時々「神様が」と言っていたこと。そして、イエスキリストを抱いたマリア様の肖像画から「赤ちゃん」の守り神のように思えたから。・・など。すっかり、忘れていたのにある時突然、パッと思い出したのだ。その時、私は娘を抱いて病院の椅子に多分、うつむいて、ボーっとして座ってたんだと思う。イキナリ、肩に手を置かれて、我に帰ったシスターが「神様が、元気にしてくれますよ。」と、しゃがみこんで、おっしゃった。「ハイ。」と小さくうなずくので精一杯。診察を終え、廊下を歩いて病室に帰る途中で目が合ったのだ。壁に飾ってある、マリア様の肖像画と。その瞬間、急に、思い出した。マリア様に御願いしていたこと。そして、その内容を。その病院は京都では有名(皇太子様も春に来られた)で肢体不自由児施設と病院を兼ねているところ。娘は、「脳性麻痺」という病気のため検査などのため、入院している、真っ最中だった。「そうだ、そうだ~。私の希望がかなったんじゃない。」となんだか、急に気持ちが晴れ晴れした。赤ちゃんがいなかったころの気持ち、初心に返った。大切にするって、私、言ってたんだわ。と・・・。そのマリア像は、もしかしてうつむいていたかもしれない確認してないんだけど「目が合った」気がしたんだよね。そして「しょんぼりしてちゃダメ」としかられたようでした。
2001.11.05
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疲れた・・・・七五三が、無事終了しました。お天気でよかったわ、ほんと。ご参考までに、収支決算など・・・。 *着物レンタル(着付け・アップ・お化粧込み)13.000円 *食事代 6.000円(1.500円×4人分) *御祈祷代 5.000円 合計・24.000円 でした。ただし、写真は前撮りしたので、含みません。お祝いを実母から30.000円もらったので6.000円の黒字になりました!しかし、クタクタです。昨日が雨だったので、今日は多かったみたい。娘は、「おきもの、にあうでしょ?」と、ご満悦。脱ぎたがることもなく助かりました。もう、ご飯作る気もしない。このまま、朝まで寝たいです。
2001.11.04
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5年程前、私は子宮内膜症に悩まされていた。生理痛のひどさに婦人科で受診した結果直径3.5センチ位の血の塊ができていて症状としては、中期に入っているといわれた。そのため、半年間の薬物治療を行ったが、人工的に生理をとめるホルモン治療のため「更年期障害」に襲われた。ちょうど同じ時期、なれない独り暮らしを始めたため眠れない。極度の不安に襲われる。寒気と、ほてりの繰り返し。薬の副作用の日々と格闘していた。睡眠薬を常用して、効果が薄れると、さらに強いものへと変わっていき、自己嫌悪にさいなまれる。さらに、「健康管理ができてない。」と、上司に、怒られる。(治療の事は、報告していなかったので)でも、一番怖かったのは「子供が、持てないのじゃないか。」ということ子供好きではなかったが、自分の子供は持ちたかった。子宮内膜症と不妊症の関わりの密接さを知るとさらに、尋常ではなくなっていった。けれど、独身だったので、不妊かどうかを確かめることもできない。Drは、「作ってみないと、何とも言えない。」と言う。夜になると、怖くて怖くて、ずっと、月ばかり見ていた。月の明かりで、夜を乗り切ってた。という感じ。夜になると、死にたくてしょうがなくなったから。「お月様、御願い。赤ちゃんをちょうだい。」と、手を合わせていた。「マリアさま、耳が聞こえなくても目が見えなくても、大切にします。約束します。赤ちゃんを下さい。」と、手を合わせていた。ホルモン療法は、進行を食い止めただけで結局、治りはしなかった。漢方薬の治療に切り替えた。彼氏には、もしかしたら、子供が出来ないかも。ということをつたえそれでもいい。という承諾をもらい結婚することになった。新居さがしのついでに、とりあえず試してみた。子供ができるかどうか・・・・・・・・。結果「できた」あっという間に新居が、見つかる間もなく。「妊娠」を上司に告げる・・・あきれる上司。“健康管理ができていないうえに・・・妊娠まで!?”ま、他人がどう思うが、構わない。30歳を目前にして「できちゃった婚」になってしまった。
2001.11.03
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HP開設して、1ヶ月がたちました。実際に会えるわけではないけど、いろんな方とお友達になれるなんて想像できなかったなあ・・・今まで。ちょうど、1年前に夫の友人から古いPCを無料でもらい昨年末に、「Windows Me」を購入し私の友人にバージョンアップをしてもらいました。PCの操作が、ほとんど判ってないので、HPをなかなかグレードアップできないけど地道に続けてきます。1ヶ月たったので、そろそろ本当に書きたかったことも、書いていこうかな。と思ってます。えー、うちのなっちんはもともと&今現在も「障害児」と呼ばれています。一般の人には、判断できない程度の障害なのでDrしか、「障害児」という言葉は使わないのだけどれっきとした「脳性麻痺」という大げさな病名もついちゃってます。“ふつうは、気がつかない。”とDrに言われた「障害」もあるのだということを、これから出産する人に聞いて欲しいなあ。はっきりいって、「警告」です。
2001.11.02
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うちの娘の「水」好きは、出生してから現在まで変わることなく、続いている。今年の4月、オムツが(ほぼ)取れたのでかねてから、待ちわびていた「スイミングスクール」に入れた。普通は、ガラス越しにまず、見学させ「おともだち、たのしそうだねえ。」なんて機嫌を伺ってから、スクールに参加するか否かを決める。けど、うちは突然、連れて行き水着にパパッと着替えさせて「がんばってきてねー。」と手を振ってコーチに受け渡しをした。娘は、全く状況がつかめないまま、プールサイドに連れて行かれたわけだけど、私の予想は見事に大当たり。大人用の大きなプールの脇でウレシさのあまり、広いプール室内中に響き渡る奇声をあげビョンビョンと、飛び跳ねているのがガラス越しに見えた。「やっぱり・・・・」少しは心配してたけど、やっぱり「水」の魅力の圧勝。プールは初めてじゃないし、海にも何度か連れて行った。ふざけて振り回すうちに、何度も海に落っことしたけど泣くことも無くぜーんぜん。平気だったのだ。スイミングスクールでは、やはり、最初の頃はたいていみんな泣きわめくか、脱走しようとするみたい・・・。うちの子は、最高にハイになり、コーチに怒られていた。首にかけたゴーグルが、ぴょんぴょん飛び跳ねるたびに顔を直撃し、「く~~」となって、顔を覆い、しゃがみこむしかし、また、ぴょんぴょん飛び跳ねる、の繰り返し。しかし、深さも考えないで水中にダイブする癖がありプールも併設しているお風呂屋さん?で私が、知らない人と話をしているうちに忽然と消えた。まさか・・・まさか・・・・湯船の底に、大の字になったままで沈んでいく娘の姿を発見。この時は、さすがに少し泣いた。けど、この後も、水はぜんぜん怖がらなかった。プールでヘルパーをつけて泳いだ後だったからヘルパーはずしてたこと、忘れてたみたい。この経験から、むやみに飛び込む癖はなくなった。「水難事故に気をつけて」と実母から注意を受けている。この夏も無事に過ごせてよかったわー。きゅうりのマルかじりも好きだしぜったい、河童だよー。
2001.11.01
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