星とカワセミ好きのブログ

2020.12.14
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東京都葛飾区亀有ですが、曳舟親水公園(ひきふねしんすいこうえん)を通って、京成電鉄・お花茶屋駅まで歩きました。
曳舟親水公園には、鷹狩の像や、曳舟の像が立っていました。
江戸時代には、船に綱をつけて、業者が綱を引っ張りながら川を遡っていたそうです。

「両さんと歩く下町ー『こち亀』の扉絵で綴る東京情景/秋本治/集英社新書/2004年11月22日発行」のp36~40では、曳舟川の事が書いてあります。

「この通りはかつて曳舟川の川筋でした。江戸時代に農業用水と飲用上水が並ぶ二筋の水路が作られ、その後は川端から綱で船を曳く水運が、明治時代まで行われていたそうです。しかし1955年に水路が一本化され、その両側が広い道路になってからは、すっかり流れが濁ってしまいました。さらに川は暗渠になり、今では曳舟親水公園がその上に造られて、川そのものは歴史のなかに消えてしまったんです。往年の曳舟川の様子は親水公園に再現された船着き場や、江戸時代にその周辺が鷹狩場だったことを示す、鷹狩りの像から知るしかありません」(p36)



↑ 初代歌川広重 名所江戸百景 四ツ木通用水引ふね 安政4年(1857年)。


↑ こちら葛飾区亀有公園前派出所 第117巻/秋本治/1999年12月7日発売。


↑ こちかめ第117巻 「両さんの亀有歴史散歩の巻」 p19。
「ここが元曳舟川(ひきふねがわ)だった所だ」




↑ 曳舟川親水公園の交差点にあったスケート場。


↑ スケート場はコンビニになっている。


↑ 2020年11月14日撮影のコンビニ。昔はスケート場があった場所。


↑ 亀有香取神社境内にある看板より。
曳舟川(ひきふねがわ)。
曳舟川は万治2年(1659年)に越谷の瓦曽根溜水から引かれた亀有上水、葛西用水が元と言われている。亀有上水は本所、深川に住む武家屋敷の飲料水に当てられ、葛西用水はこの辺りの農家の水田を潤すものであった。享保7年(1722年)に亀有上水が廃止となったが、その水路を利用して片岸から綱をつけて引く船(曳舟)が登場し、「曳舟川」の由来となった。現在北側は埋め立てられて道路となっているが、南側は平成2年(1990年)「曳舟川親水公園」になった。




↑ 昭和22年の曳舟川。


↑ 昭和30年代の曳舟川。


↑ 曳舟通りを歩く老人と子供達。





↑ 昭和50年代。交通量が増え、曳舟川は水質が非常に悪かった。



↑ 平成22年。現在は埋め立てられて面影は無くなっている。







↑ 曳舟古上水橋。


↑ 両さんと歩く下町ー『こち亀』の扉絵で綴る東京情景/秋本治/集英社新書/2004年11月22日発行。
p37。葛飾区亀有・旧曳舟川。後に暗渠となり、現在は親水公園に(1990年)。






↑ 曳舟川の由来。
曳舟川の名は、江戸時代中期から、明治15年まで、篠原村(現四つ木)~亀有村間の18町(約3㎞)でサッパ船(サッパコ)という小舟に乗せた人を、船頭が土手から舟先につけた縄を引いたことにちなんでいます。




↑ 初代歌川広重 名所江戸百景 四ツ木通用水引ふね 安政4年(1857年)。
葛飾区歴史と天文の博物館蔵。


↑ 蓮光寺。












↑ 両さんと歩く下町ー『こち亀』の扉絵で綴る東京情景/秋本治/集英社新書/2004年11月22日発行。
p39。葛飾区亀有・曳舟川親水公園。長さは900メートルにも及ぶ(2004年)



↑ 休憩所とトイレ。























↑ 「曳舟川物語」
江戸時代後期、篠原村(四ツ木)から亀有村までの古上水場では引船(ひきふね)が行われていた。
5、6人乗りの小舟を綱で引く、いわば引船が行われていた。
篠原村の発着所には吉野家という茶店があり、客の中にはそこで飯、酒を取り寄せて船に乗る者が増えた。利用客が増えるにつれて、吉野家は花菖蒲、ぼたん、藤などを栽培して店名を「吉野園」に変え、付近の堀切園(現在の堀切菖蒲園)と共に、花の季節に訪れる人でたいそう賑わった。



↑ 「亀有物語」
亀有の名が歴史の記録に登場してくるのは、今から約800年前の事。
「義経記(ぎけいき)」によれば、治承4年(1180年)、約3万人の軍勢を率いる源頼朝(みなもとのよりとも)は、鎌倉に向かう途中、亀無(かめなし:現在の亀有)などから、海人の釣舟数千艘を用意させ、3日間で隅田川に浮橋(うきはし)を作らせたと記されている。
当時は浅草付近まで海岸線があったとされ、亀有周辺にも漁に携わる人々が住んでいたと想像できる。
江戸時代の初期には、亀無は亀有に改められた。


↑ 源頼朝の軍勢。



↑ こち亀ラッピングバス。











↑ 亀有から白鳥に入る。























↑ 国立国会図書館所蔵「絵本江戸土産」「四ツ木通引舟道」
「四ツ木通(よつぎどおり)引舟道(ひきふねみち)」
前に知るせし掘割の、その長きを二里に余り末流新宿(にいじゅく)の川に入る道、それを過る(よぎる)旅客舟に乗って往還すれど、元来幅の狭きによりて、その舟に縄を掛け陸に在りてそれを引く。
よって引船通りと唱える水竿を操り櫓をだすより、またその客は風雅なり。





↑ こちかめ第117巻 「両さんの亀有歴史散歩の巻」 p20。
「江戸末期には農業用水と亀有上水という飲料用の水路の二筋があった」
「上水が廃止になり、その後旅人を乗せて曳舟(ひきふね)として活躍したわけだ」
「亀有村にも7艘の船があり、茶屋もあったらしい」「風流な船旅だな」
「鷹狩の像もちゃんとあるわ」
「ここ一帯が御鷹場(おたかば)だったからな」



↑ 鷹狩りの像。


↑ 手には鷹。 誰かが像にマスクを付けている。


↑ 船を引く人の像。


↑ 葛飾区郷土と天文の博物館。


↑ 田んぼ。





↑ 京成電鉄・花畑駅近くの踏切。
















↑ 京成電鉄・お花茶屋駅。


↑「両さんと歩く下町ー『こち亀』の扉絵で綴る東京情景/秋本治/集英社新書/2004年11月22日発行」(p45)。
葛飾区お花茶屋。右手に京成本線お花茶屋駅(1994年)。






↑ お花茶屋駅をスカイライナーが通過。









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最終更新日  2020.12.30 16:24:52
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