星とカワセミ好きのブログ

2026.03.15
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【旅行9日目】
スペイン・コルドバ

2025年5月25日(日)、コルドバで一番の観光名所「メスキータ」の入場券を受付で購入し、中を見学しました。
後ウマイヤ朝を開いたアブド・アッラーフマン1世は、コルドバを首都と定め、785年にふさわしいモスク(イスラム教の礼拝堂)を造り始めました。そして25,000人を収容する巨大なモスクができました。
929年に即位したアブド・アッラフマーン3世の時代に全盛期を迎え、当時のコルドバの人口は50万人、町には300ものモスクが建てられ、東ローマ帝国の首都であったコンスタンティノープルと競いました。
その後、レコンキスタ(国土回復運動)により、コルドバがキリスト教の国になると、カルロス5世によりモスクの一部にカテドラルに改造されてしまい、1000本以上あったメスキータ内の柱が、今では850本に減っています。


【スペインとコルドバの歴史】
「スペイン謎解き散歩/西川和子/中経文庫/KADOKAWA」P24~28を参考として下記記載。

紀元前3世紀頃、ローマはイベリア半島に属州ヒスパニアを置いたことから、国名はイスパニアとなり、スペインとなった。コルドバ市内には、ローマ神殿跡やグアダルキビル川に架かるローマ橋がある。


ところが711年、ジブラルタル海峡を渡ってイスラム教徒が侵攻し、西ゴート王国は滅亡する。半島に入ったイスラム教徒は、わずか7年ほとの間に、イベリア半島の2/3を制圧した。
キリスト教側の西ゴート貴族のペラヨは、イスラム側が要求する税金の支払いを拒否し、722年のコバドンガの戦いでイスラムに勝利した。これがレコンキスタ(国土回復運動)の始まりだった。
このレコンキスタは、1492年にグラナダ王国が陥落することで終わりを告げ、780年をかけて、スペインは再びキリスト教国家となった。

711年にイベリア半島に入ってきたイスラムは、ウマイヤ朝に仕えるベルベル人だった。その侵攻が成功するのを見て翌年本格的にイスラムの侵攻となる。 ウマイヤ朝はアッパース朝に敗れ滅亡する(750年)が、アブド・アッラフマーン1世が、ウマイヤ朝の残った部族を集めて後ウマイヤ朝(756年から1031年)を、コルドバに建国した。
その後、約100年ずつくらい、ムラービト朝とムワッヒド朝がスペインを支配するが、1250年頃からは、イベリア半島に残るイスラム国家は、ナスル朝グラナダ王国だけとなる。この王国は意外と長らえ、約260年間、スペインに存在した。このグラナダ王国を滅ぼしたのが、有名なイサベル女王とフェルナンド王である。
2人が結婚して23年後の1492年にグラナダ王国は陥落し、この年をもって、レコンキスタは完了したと言われる。そして、これを記念して、時のローマ教皇アレハンドロ6世より、イサベルとフェルナンドに「カトリック両王」という称号が贈られた。


↓ ミナレットと呼ばれる鐘楼。


↓ ジャカランダの花。





↓ コルドバの赦しの門。





↓ オレンジの木が植えられている中庭。


↓ 昔イスラム教徒が沐浴で身を清めた場所に、噴水が造られている。








↓ 入口。



↓ メスキータの内部。イスラム教の部分。

【プロの添乗員と行く スペイン世界遺産と歴史の旅 増補改訂版/武村陽子/彩図社】
p146
内部はたくさんの二重アーチが柱で支えられている。

「柱は石が使われていますが、そのまま天井を張ると低すぎるので二重アーチで支えることで天井を高くすることができました。二重アーチは、セゴビアのローマ水道橋からヒントを得ています。 この赤と白のアーチですが、赤の部分はレンガで、白の部分は石でできています。つまり、軽いレンガと重い石とを交互にはめることにより、バランスを保っています」



















































↓ キリスト教の部分。


































































↓ クロニック世界全史/講談社
後ウマイヤ朝に新カリフ誕生
アッラフマーン3世がコルドバで宣言。

929年1月16日、スペイン。
後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世がカリフを宣言し、コルドバのイスラム国が独立したカリフ国であることを表明した。
~ コルドバを首都とするこの王朝は、全土で人口50万人以上を擁し、3000以上のモスクと300の浴場を数えた。またコルドバのメスキータを増築し、その郊外にあるメディナ・アッサハラ(輝く町の意味)に新しい宮殿を建造した。
さらに国内体制の整備にも努め、毎週金曜日には、カリフみずからが壮麗な礼拝を司式し、彼の名を刻んだ貨幣を鋳造・発行し、臣下の生殺与奪の権利を握った。
後ウマイヤ朝は、カリフの称号を得たアッラフマーン3世のもとで黄金時代を迎えるが、11世紀に入ると早くも内紛が起き、小王国に分裂。1031年には滅亡する。


↓ コルドバはローマ人が建設した都市だが、アッラフマーン3世の治世下に後ウマイヤ朝の経済的、文化的中心地として最大の繁栄をみた。





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最終更新日  2026.05.02 15:28:28
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Re:2025/5旅【103】メスキータ・コルドバ(スペイン・ポルトガル)(03/15)  
スペインには綺麗な寺院が多いですね。 (2026.05.01 21:28:03)

Re[1]:2025/5旅【103】メスキータ・コルドバ(スペイン・ポルトガル)(03/15)  
ごま塩5151  さん
MoMo太郎009さん、こんにちは。
どの建物も、見てて飽きません。
(2026.05.02 05:58:27)

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