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今年の大河ドラマ「光る君へ」を毎週楽しみにしている。 始めは、藤原だらけだから大丈夫かなと思っていたけどそこは、脚本の大石静の力と役者の力でそれぞれのクセが強めに描かれている。見た後、■かしまし歴史ちゃんねる■で解説してもらう。なるほどそうだったのかと納得。このチャンネルは、「鎌倉殿の13人」の時から必ず放送の後、見ている。この時代は、和歌が詠めないとダメっていう時代なので、多くの「百人一首」歌人が出演。★男性 ☆女性。☆めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな 主人公・ 紫式部・まひろ(吉高由里子)*「源氏物語」の作者としてあまりにも有名。☆やすらはで 寝なましものを さ夜更けて傾くまでの 月を見しかな 赤染衛門(道長の嫡妻・倫子(黒木華)の女房☆夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも よに逢坂の 関はゆるさじ 清少納言(ファーストサマーウイカ)*春はあけぼの・・・「枕草子」の作者★契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは 清原元輔(清少納言の父)★滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ 藤原公任|大納言公任(町田啓太)*和歌・漢詩・楽器に秀でていた「三舟の才」の男だった。滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれラップじゃね?((´∀`))ケラケラ*三舟の才*ある年、入道殿が大堰川で舟遊びをなさった時に、漢詩文(の)舟、音楽の舟、和歌の舟とお分けになって、その(それぞれの)道に優れた人々をお乗せになりましたが、この大納言が参上なさったところ、入道殿は、「あの大納言は、どの舟にお乗りになるのだろう。」とおっしゃると、(大納言殿は)「和歌の舟に乗りましょう。」とおっしゃって、お詠みになった(略)★かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを 藤原実方|藤原実方朝臣(ロバート秋山)*「日記に書く」が口癖。((´∀`))ケラケラ☆嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る 藤原道綱母|右大将道綱母*道長の父・藤原兼家の妻(妾)で息子が道綱(上地雄輔)☆忘れじの ゆく末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな 高階貴子|儀同三司母*藤原道隆(=井浦 。新道長の長兄)の妻、一条天皇の后・定子の母。「眠れないほどおもしろい百人一首」を読む。この本は、百人一首の歌人を深堀している。■2024年5月見た映画■*青春18×2 君へと続く道*ピクニック at ハンギングロック*ベルリン・天使の詩*猿の惑星/キングダム■書き残したネタ■*旅行ネタ*能登の町が復興する時、考えて欲しい町づくりについて。*ダウンタウン松本氏のスキャンダルについて*M12023について。*淀殿について*長堀川と橋*アフリカで日本の古着が環境破壊!?*トグサ(研ぐさ)*「篩(ふるい)」と「とおし」*レッドオーシャン、ブルーオーシャン*高師浜*読書ネタ・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.31
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偶然買ったせんべいは、「まがりせんべい」というものだった。個包装になっていて、その袋に各地の「とてもおいしい」という方言が2つづつ書いてあった。方言大好きな私は思わずメモした。★岩手県「ほに うめぁ」★東京都「とても おいしい」★千葉県「すげぇ うめぇー」★茨城県「うんと うまかっぺ」★山梨県「だたら うまいじゃん」★岐阜県「えろう うんまい」★京都府「ほんに おいしおすなぁ」★兵庫県「ごっつ うまい」★広島県「ぶち うまい」★山口県「ぶち うまいっちゃ」 私が買ったのには、同じ言葉がダブったりして、これだけしか入ってなかったけど、違う方言もまだあるのだろうか。おまけの当たりクジがでるまで、子どもが、お菓子を買う心境が分かるが、買わないことにした。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.29
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■手紙のなかの日本人:半藤一利■ ■内容紹介(出版社より)夏目漱石、親鸞、織田信長、明智光秀、勝海舟と西郷隆盛、永井荷風、小林一茶、良寛、太閤秀吉、細川ガラシャ……歴史を彩る文人や武人、22人の手紙。無心状であれ、恋文であれ、遺書であれ、それらは真率な感情が綴られ、思わず笑ってしまったり、あるいは襟を正したり。「いろんな人たちと一杯やりながらの会話を楽しむつもり」で、歴史探偵・半藤さんが美しい日本の手紙を読み解いた名著復刊!ラインやメール全盛の今だからこそ、ぜひ読んでいただきたい一冊です。■目次(「BOOK」データベースより)★屹立する親鸞 温かい親鸞ー仏の御恩を報じまゐらせたまふになりさふらふべし★闘う宗教人にして詩人 日蓮ー昼夜耳に聞くものは、枕にさゆる風の音★簡潔無比の織田信長ー猿帰り候て、夜前の様子、つぶさに言上候★「逆順無二」 明智光秀のクーデター本能寺において信長父子を誅し、素懐を達し候★婦唱夫随の秀吉とおねーゆるゆるだきやい候て、物がたり申すべく候★細川ガラシャ 貞女か烈女かー御心に入候て御うれしく候★歪曲された淀どのの哀れさー江戸にもわもじをするすると誕生にて御入り候★大高源五の孝子の面目ー是かぎりの文にてござ候★裏も表もない良寛禅師ーハイ今日は雑炊の味噌一かさ下されたく候。ハイサヤウナラ★苦闘する煩悩の人 小林一茶ー長々の留主、さぞさぞ退屈ならんと察し候へども、病には勝たれず候★気宇壮大すぎた佐久間象山ー丁度大たらひの下にはまぐり貝御座候様に見え申し候★吉田松陰 穏やかにして気魄ありー僕は忠義をする積り、諸友は功業をなす積り★天馬空を征く 坂本龍馬ー一人の力で天下動かすべきは、是また、天よりする事なり★勝海舟と西郷隆盛 政治家と革命家ー現時に臨み候ては此の勝先生とひどくほれ申し候★乃木静子の死と「母の訓」-女大学をよくよく御覧相成たく★よき父親の夏目漱石ー御父さまは此手紙あおむけにねてゐて万年ふででかきました★永井荷風における「女の研究」-しみじみお咄し致す折もあるべきかと、それのみ楽しみに致し候★山本五十六 名をも命もー月明の夜又は黎明を期し全航空兵力を以て全滅を期し敵を強襲す★「サムライたれ」と説く小泉信三ー君の出征に臨んで言って置く★香淳皇后の微笑のかげにーB29は残念ながらりっぱです■手紙のなかの日本人■■著者情報(「BOOK」データベースより)★半藤一利(ハンドウカズトシ)昭和5(1930)年、東京に生れる。作家。令和3(2021)年1月没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆●「手紙」という語は江戸時代から用いられたもので、それまでは書かん(かんという字がなかった。)尺牘(せきとく)、消息、玉章(たまずき)、玉信、書状、往来など、いろいろな名称があった。いずれも中国の用語で、輸入されたもの。なかでもわたくしが好むのは「雁(かり)の便り」という言い方で、同じように雁書(がんしょ)とか雁札(がんさつ)とか雁の使いともいったりする。◎雁の名前がつくのは、雁の足に手紙を結びつけて放したから。●それぞれの手紙とエピソードで、これまでの印象がかわるほどの人もいた。●終戦後、皇太子に教育係で、美智子皇太子妃実現にも大きく関与したことで有名な小泉信三は、戦争に向かう息子に手紙を書いているが、泣ける。( ;∀;)・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.27
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■残り者■時は幕末、徳川家に江戸城の明け渡しが命じられる。官軍の襲来を恐れ、女中たちが我先にと脱出を試みるなか、大奥にとどまった「残り者」がいた。彼女らはなにを目論んでいるのか。それぞれ胸のうちを明かした五人がが起こした思いがけない行動とはーー。激動の時代を生きぬいた女たちの物語。★登場人物★★りつ・・・天璋院・篤姫の呉服之間に勤めるお針子。 幼い頃から母の内職の縫物の手伝いをしていたため、腕が立つ。★お蛸・・・天璋院篤姫のお食事係「御膳所」勤め。★ちか・・・「御三之間」出世が望める部署。 勝気な性格。★もみぢ・・和宮の呉服の間勤務、腕が立つ。 京ことばで嫌味を言う。★ふき・・・御中臈。若く美しく胆力がある。 天璋院付き御中臈の7人の中で一番若い。出てくるのは、ほとんど、この5人だけ。場所は、江戸城だけ。とくれば、舞台に向いているのでは、と思ったらやっぱり舞台化されていた。テレビドラマにして欲しい。個性的な5人だから、面白いドラマが作れると思う。★酒で渋抜きをした樽柿は、下賤な食べものとして、大奥では食べることはなかったが天璋院・篤姫の好物だった。★顔と首筋に白粉をこってりと刷き、描き眉は三日月、口も赤い紅でぬめっている。が、これぞ大奥の化粧で、薄化粧は下品と蔑まれる。その昔、正室に入られた京の姫君の公家流が数百年も受け継がれているのである。★大奥筆頭御年寄こそが大奥の女役人の長である。 (略)瀧山などは十万五石の大名に匹敵する格を賜り、権勢は幕府老中を凌ぐと言われた。(略)この城を去る際の行列は、大名のごとき絢爛さであったと噂されたものだ。★奥女中の指示系統は筆頭年寄を頂きとして、その下に幾人かのお年寄り、御客会釈、御中(おちゅう)年寄、御中臈、そして御次や御祐筆(ごゆうひつ)、御錠口、呉服之間などの役職で構成されている。★♪・・・おいおいの勉強に横文字洋楽大商法、シャッポ着て時計持って、立身つとめや月給取り、洋服に蝙蝠傘に、着流しの長羽織、馬車人力で駆け廻る、散髪頭に香水ぬって靴はいて、シャボンで躰を洗い、ビール飲んで牛煮て食って、えら奮発。軽妙な節回しは、市内でえらく流行っている大津絵節だ。大奥を舞台にした作品は、他にもあるが、その主人公は御台所や側室がほとんど。しかし、この作品は、その大奥をそれぞれの持ち場で働き支えた奥女中たちが主役になっている。彼女たちがいかに、自分の仕事に誇りを持ち、大奥で生きていたのか。その居場所を、不条理な情勢の流れで、出て行かなくてはいかなくなった憤りと不安。そんな奥女中たちの胸の内が読みやすく描かれていて、楽しく、時には切ない気持ちにさせられます。自分の心に区切りをつけ、新しい時代へと歩き出す彼女たちがたくましく、爽快感を感じます。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.25
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■グリーンピースの秘密■ベルリンで暮らし始めて一年。冬には友人と温泉で新年会をしたり、家で味噌を仕込んだり。春になったら青空市で見つけた白いアスパラガスに、薄切りハムとオリーブオイルを添えて。短い夏には美味しい味と素敵な出会いを求めて、リトアニアとポーランドへ。秋には家でリンゴケーキを焼いたり、縫い物をしたり。四季折々の暮らしを綴ったエッセイ。柚子があれば―1月1日|松の内―1月8日|なくした財布―1月10日|冬の遠足へ―1月15日|手前味噌―1月21日|木曜日の過ごし方―1月26日|アインシュタインの言葉と―1月30日|極寒と灼熱―2月9日|お正月―2月12日|寒空の下―2月16日〔ほか〕●作者の小川糸さんは、「食堂かたつむり」を読んだだけ。「食堂かたつむり」では美味しそうな料理やインテリアにこだわった店の様子が描かれていて、私の好きなイメージのお店。映画も見た。「グリーンピースの秘密」の中にも料理が沢山出てきて、料理好きがうかがえる。なぜ、ベルリンに住んだのかは書かれていなかったから、ちょと残念。●読書メモ● ◎は私のコメント●クリスマスが終わると(略)家の中に飾っていたツリーを道路に捨てる。その捨て方というのが大胆で、道にぶん投げてある。良識的な捨て方は、街路樹が植えてある土の上に置いておく、というのだけれど、中にはアパートの窓からそのまま下に落とす人もいるらしく(略)◎ドイツ人は、絶対にそんなことをしない民族のように思うのだが・・・。●すべての名詞に、「男性」「女性」「中性」「複数形」という冠(?)みたいなのがついていて、その性がわからないと、正しく話せないのだ。たとえば、「スプーン」は男性、「ナイフ」は中性、「フォーク」は女性。そこに理由はなく、こういうのを、ひたすら覚えるしかないというわけ。●温泉というと日本の十八番(おはこ)という印象があるが、ドイツにも、温泉が結構ある。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.24
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■下り酒一番(三)献上の祝酒:江戸の酒屋■大身旗本家同士の婚姻で、灘の下り酒を将軍家に献上することになった。献上酒に選ばれる銘酒はどれか。有力酒問屋が競う中、武蔵屋の「稲飛」も有力候補に。手代卯吉が苦労して売り伸ばしてきた「稲飛」。だが卯吉は品薄なのを心配していた。好敵手を蹴散らし、「稲飛」は献上酒に選ばれる。だが、海難事故もあり、在庫切れで百樽の献上ができない。慶事に水を差すことも、店の栄誉を手放すこともできない。いきなり窮地に立たされた卯吉に手立てはあるのか!? 「大店の暖簾」 「分家の始末」と、この「献上の祝酒」が三巻目。図書館から三冊借りてきたので読んだが、あまり気が進まなかった。というのは、やる気があって、商いの素質もある主人公、卯吉が思い切り商売が出来ない事。卯吉の努力で売れ出した商品は、取り上げられるし、熟れない商品を押し付けられる。 そんな店に何の未練があるのだろうか?とはいえ、自分から辞めたとなれば、あることない事言われるかも知れないが、主人(腹違いの兄)とその母親は、追い出そうとしているのに、出ていかないのは、卯吉の気が知れない。最期には、何とかなるけど、そんな上手い事ばかりは行かないと白けてしまう。■「下り酒一番・大店の暖簾」■■「下り酒一番・分家の始末■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.22
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楽天で購入 ■ガラスの50代■女性の生き方をリアルタイムで捉え続けてきた人気エッセイストのライフステージエッセイ、最新版。「令和の50代」のリアルがここに!■目次■三度目の成人式/若見せバブル崩壊/働くおばさん「懐かしむ」というレジャー/昭和と令和感情は摩耗するのか/母を嫌いになりたくないのに朽ちゆく肉体、追いつかぬ気分/性人生の晩年を生きる50代独身問題/再会と再開の季節/初孫ショック「エモい」と「無常」/セクハラ意識低い系世代自分がえり/3つの「キン」/コロナと50代好きなように老けさせて *三度目の成人式人間五十年の時代、「成人」するのは、早かったが、人生百年時代では、「成人」になるのは二十歳は早すぎる。二度目は32歳くらいで、そして三度目は、更年期の50代ではないかと作者はいう。 *三つの「キン」。「お金、筋肉、近所の友だち」。五十代からの女に必要な三つのキン。近親は入らないという。妹は、歳をとったら「キョウヨウとキョウイク」が必要だという。「今日用がある」と「今日行くところがある」だという。■ガラスの50代読者大アンケート■巻末に「50代読者大アンケート」結果を収録「今、ハマっていることを教えてください」「これから挑戦してみたいことを教えてください」「誰にも言えない秘密を教えてください」「50代までにしておいてよかったと思うことを教えてください」「50代になったらやめた方がよいと思うことを教えてください」「50代でできるようになったこと、好きになったものを教えてください」ほか「50代までにしておいてよかったと思うことを教えてください」●70代半ばの私の場合。*PCを使ってblogやエクセルなど使えるようになったこと。*仕事にどっぷり浸かっていたこと。お金儲けのために、自分をおさえて、パソコンも使えるようになったこと。*環境保全の市民団体で活動したこと。なぜ緑が必要なのかなど、学ばなければならないようになったこと。*親友がいたこと。衣食住に見習いたい親友がいて、よく映画や京都に行った。うちに泊まってくれたし、彼女の家に何度も泊まった。一緒に海外旅行や国内旅行にも行った・・・。 持病があったりしたけれど、死ぬほどではないし、子どもも元気、孫も成人した。私は本当に運が良かったのだと思う。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.20
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●中之島橋づくし●島田陽子川の中の島 中之島大川分けた 剣先の東の端から西の端まで走ってわたろ天満の重ね橋見て渡ろ天神橋長いな落ちたら怖いな難波橋えらいなおっきなライオン番してる天神祭りはじまるデ矛(ほこ)流し橋で矛流しはる水晶橋高いな石段登らな渡られへん栴檀(せんだん)の木橋 大江橋近松サンが書いてはる水上バスきれいやな淀屋橋から乗りたいな高速道路に囲まれた肥後橋 渡辺橋 錦橋阪大病院古いな筑前橋から田蓑橋*歩きである*な とおいいな玉江橋からじょうあん橋越中橋は自動車道愛想ないけど便利やな堂島大橋 土佐堀橋二つの川がよびおうて塩の香りがしてきたらほたてくら橋 船津橋中之島もおしまいや堂島川 土佐堀川一つになって 安治川で真赤な夕日 浴びている川の中の島 中之島上から下へ橋の数なんぼ走って渡ろはしばし渡ろ*歩きである*歩く量がたっぷりあること。沢山のものを手に入れた時、「こんだけあったら、使いであるなぁ」という風に使う。■島田 陽子(しまだ ようこ■、1929年6月7日 - 2011年4月18日は、日本の詩人。東京府出身であるが、11歳から大阪府に在住した。豊中高等女学校(現大阪府立桜塚高等学校)卒業。「文章倶楽部」などで小説を書いた後、1960年頃から童謡や児童詩の創作を始める。大阪弁を使った親しみやすい作風の詩で知られる。1981年、日本童謡賞受賞。また、合唱曲や歌謡曲などの作詞も多数あり、ザ・ワイルドワンズのヒット曲『花のヤングタウン』、1970年の大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」の作詞も行っている。2011年4月18日、すい臓がんのため大阪府豊中市の病院で死去した。81歳没。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.18
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■猿の惑星/キングダム■人類よ、ひれふせ。いまから300年後、猿が圧倒的な進化を遂げた一方で、人間たちは退化&野生化し、猿たちから隠れるように暮らしていた。そんななか、巨大な王国を築き上げた独裁者プロキシマス・シーザー(ケヴィン・デュランド)によって村と家族を奪われた若き猿のノア(オーウェン・ティーグ)は、偶然出会った人間の女性ノヴァ(フレイヤ・アーラン)と共にプロキシマスに立ち向かうことを決意。しかしノヴァは、猿たちの知らない“秘密”を握っていた。 SF映画の金字塔「猿の惑星」のシリーズ最新作となる『猿の惑星/キングダム』。本シリーズは、世界中に衝撃を与えたラストシーンで知られる1968年公開の第1作を皮切りに、 1970年代前半に4本の続編とテレビシリーズ、 21世紀に入りリイマジネーション版とリブートシリーズ3部作が制作され、実に半世紀以上にわたって映画ファンから圧倒的な支持を集めてきた。★猿の惑星(1968年)★続・猿の惑星(1970年) ★新・猿の惑星(1971年)★猿の惑星・征服(1972年)★最後の猿の惑星(1973年)★PLANET OF THE APES 猿の惑星(2001年)★猿の惑星: 創世記(2011年)★猿の惑星: 新世紀(2014年)★猿の惑星: 聖戦記(2017年)★猿の惑星/キングダム(2024年) そして7年ぶりの“完全新作”となる今作は、新章の幕開けを告げるストーリーが展開され、これまでのシリーズをまったく知らなくても楽しめる作品となっている。廃墟と化したビル群の光景は息を呑むほどリアル!『猿の惑星/キングダム』のVFXがすごすぎる 「改めていま私たちが生きる地球の姿は本当に正しいのか。新型コロナが世界中を襲ったように、今後人類が滅亡の危機に晒される可能性がゼロではないんだと、自分ごととして考えさせられました」(30代・女性)と、皆あまりのリアリティに現実の世界と重ね合わさずにはいられなかったようだ。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.16
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■ベルリン・天使の詩■この翼さえいらない。貴女にふれ、愛せるならば・・・。ベルリンの街。廃墟の上から人々を見守っている天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ)がいる。天使の耳には、地上の人々の内心の声が聞こえる。天使の姿は子供たちには見える。コロンボ刑事役で親しまれているアメリカの映画スター、ピーター・フォーク(本人)がこれからベルリンで撮影に入る映画の脚本を読んでいる。街の中のさまざまな人々の肉声。ダミエルは、親友の天使カシエル(オットー・ザンダー)と、今日見た自然や人々の様子について情報交換し、永遠の霊であり続けながら人間ではない自分にいや気がさしている。図書館は天使たちの憩いの場だ。老詩人ホメロス(クルト・ボウワ)が失われた物語を探している。サーカスに迷いこんだダミアンは、空中ブランコを練習中の美女マリオン(ソルヴェイグ・ドマルタン)を見て一目惚れをする。天使が舞い降りた古都ベルリン。ヴィム・ヴェンダースが壮麗な映像美で綴るファンタジー「ベルリン・天使の詩」。 「ベルリン・天使の詩」キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!有名な映画で、見ていなかったから、「午前十時の映画祭」でやってくれないかな・・・と思っていたら、今年あったので早速見てきた。★製作年:1987年★製作国:西ドイツ フランス★初公開日:1988年4月23日★上映時間:128分★ドイツ分断の象徴であり、かつ東西冷戦の象徴でもあったベルリンの壁がまだあった時代。壁どころか、戦後の景色もあったベルリン。特に広場などを使ってサーカスのシーンがあるが、今は無くなっている。■「この作品を今見ると、これは記録映画だ。■ほとんどの場所が今は存在しない。あの図書館と天使像は別として、すべてが消えた。消えたのは壁だけではない」。ヴィム・ヴェンダース監督が「ベルリン・天使の詩」を作ろうとしたきっかけが載っていた。「毎日、街を歩いてメモを取り、街からの物語の暗示を期待した。歩いていると、天使の姿を至る所に見つけた。住宅の屋根や古い墓地など、思いも寄らぬ場所にあった。気をつけて見ると、街は石や木や大理石の天使であふれている。」 映画の中には、様々な人の様々な暮らしがあった。それらの庶民の部屋は、ものすごく小さく狭い。★ヴィム・ヴェンダース監督は「パリ・テキサス」の監督だとこの映画を見てしった。午前十時の映画祭の「ベルリン・天使の詩」の後は、「パリ、テキサス」が上映される。■パリ、テキサス■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.14
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■下り酒一番・分家の始末■芝浜松町にある酒問屋武蔵屋の分家は、次男次郎兵衛に任されている。だが辛抱が足りず見栄っ張りで、困ると本家の母親お丹に泣きつくばかり。旗本御用達を餌に借金の保証人となるが、それが月々ふくれあがっていた。妾腹三男で主にはなれない手代の卯吉は、新酒「稲飛」の販売を任され奮闘していたが、義母のお丹は、卯吉の新酒買い付け代金を次郎兵衛の借金返済に充てようとする。分家の不始末を押しつけられた卯吉は、どうする?●登場人物の名前に干支に関連したものが多い。★卯吉(主人公:武蔵屋の手代)★巳之助(武蔵屋の二番番頭)★丑松(武蔵屋分家の手代)★寅吉(岡っ引き、卯吉の幼馴染)●一口に下り酒といっても、灘や伊丹だけではない。(略)江戸積み酒仲間として現れる摂泉(せっせん)十二郷酒造仲間は、大坂三郷、伝法(でんぽう)、北在(きたざい)、池田、伊丹、尼崎、西宮、兵庫、今津、上灘、下灘、堺の酒造仲間からなる。◎大坂三郷にも酒を造っているところがあったとは、初めて知った。●奉公人の飯は、玄米に麦の交ざったものだ。お櫃に入っていて、各自がよそった。飯の外に汁がついて、香の物が菜となる。手代になると焼いた魚や煮物などもう一品がつく。●遠路の海を運ばれてくる下り酒は、杉樽詰められている。江戸まで運ばれる間に、樽の中で熟成されまろみがつく。杉の香が酒に移る。これを木香といって喜ばれた。 ◎クロアチアに行った時、海底で寝かせたワインをお土産にと、ガイドさんにすすめられた。なんでも、海底で波に揺られることによって、ワインに深みが出るとのこと。日本酒も、上方から江戸にくる途中の波が酒の味を良くしたのかも。■「下り酒一番・大店の暖簾」■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.13
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■ピクニック at ハンギングロック■ある晴れたバレンタインの日に、彼女たちは姿を消した・・・。1900年2月、オーストラリアビクトリア州。アップルヤード女学校の生徒十数名が、近くのハンギング・ロックと呼ばれる岩山へピクニックに出かける。 岩山の麓に着くと、なぜか教師たちの時計が12時で止まってしまうが、引率の女性教師マクロウ先生は磁気のせいだと言う。 午後になり、マリオン、ミランダ、アーマ、イーディスの4人が岩面を測定するため岩山に登る。途中、近くに住むマイクルらの家族と出会い、とりわけ美しいミランダを見たマイクルはその美しさに心を奪われる。 4人の生徒は岩山へ登ると、頂上近くの岩の上で昼寝をする。突然ミランダ、マリオン、アーマの3人が起き上がり、イーディスの呼びかけに応えず去ってしまい、イーディスは悲鳴を上げて逃げ帰る。学校では、夜になっても戻らない生徒たちをアップルヤード校長が待っていたが、ようやく馬車が帰って来ると、3人の生徒とマクロウ先生までもが岩山で行方不明になったと知らされる。 岩山で捜索が行われるが手がかりは見つからない。イーディスは泣きながら皆の基へ帰る途中、厳格な性格のマクロウ先生が、なぜかスカートを履かず下着姿で登って行くのを見かけたと証言する。 ★「シネマファッション」という1991年に発売された本で「ピクニック at ハンギングロック」を見て以来、見たいと思っていた映画に30年来の思いが叶って見ることができた。★あるバレンタインの日、ピクニックに来ていた女学校の生徒がいなくなった、という話。しかし、いなくなったのは、1900年、今から120年以上前の少女たち。いや、少女というより乙女。■イギリス・バース郊外のホテル■★学校は、こんな感じの大きさと形だった。みんな白いワンピースを着ている。髪はみんな長くてよく手入れされている。2月といえど、南半球なので暑い。しかし、町中では決して手袋を脱いではいけない。★彼女たちのエチケットは、人に肌を見せないこと。だから、暑くても黒い靴下を履くし手袋もする。半袖は着ない。長袖の白い服。それぞれフリルやレエスで少しずつ違うが、雰囲気はみな同じ。この服は、ハレの日の服だと思う。授業を受ける時の服は、もっと動きやすい感じの制服だった。★部屋の様子も素敵だった。箪笥の上の小さな鏡台、黒いアイアンのベッドには、金色で模様が描いてあるのがあった。これ以外もベッドは、全て良き!★ボッテチェルリのエンジェルのような乙女が出てきて眼福な映画だった(⌒∇⌒)★製作年;1975年★製作国:オーストラリア★初公開日:1986年4月26日この映画、てっきり80年代の映画だと思っていたら、なんど制作が1975年。なぜ、その後10年以上も公開されなかったのかと思った。当時、1944年生まれの監督・ピーター・ウィアーは20代だった。オーストラリアのまだ無名の監督に、映画を上映しても成功することは見込めず、10年間眠っていたのではないか。1985年、サスペンス映画『刑事ジョン・ブック 目撃者』でアメリカ進出を果たし、アカデミー監督賞にノミネートされる。そこで、「ピクニック・・・」も公開されたのだと推測する。今日まで、「刑事ジョン・ブック」が「ピクニック at ハンギングロック」と監督が同じって知らなかった。映画の効果音というかBGMというかが、不思議な怖い雰囲気だった。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.11
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■青春18×2 君へと続く道■私たち、どんな大人になるんだろう。始まりは18年前の台湾。カラオケ店でバイトする高校生・ジミー(シュー・グァンハン)は、日本から来たバックパッカー・アミ(清原果耶)と出会う。天真爛漫な彼女と過ごすうち、恋心を抱いていくジミー。しかし、突然アミが帰国することに。意気消沈するジミーに、アミはある約束を提案する。時が経ち、現在。人生につまずき故郷に戻ってきたジミーは、かつてアミから届いた絵ハガキを再び手に取る。初恋の記憶がよみがえり、あの日の約束を果たそうと彼女が生まれ育った日本への旅を決意するジミー。東京から鎌倉・長野・新潟・そしてアミの故郷・福島へと向かう。鈍行列車に揺られ、一期一会の出会いを繰り返しながら、ジミーはアミとのひと夏の日々に想いを馳せる。たどり着いた先で、ジミーが知った18年前のアミの本当の想いとは。★ジミー18年前は台湾の高校三年。夏休み、カラオケ店でバイト中にアミと出会う。ゲーム会社の代表を務めていたが、突然解任されてしまう。失意の中帰省した実家で昔アミから届いた絵ハガキを見つけ、日本で旅をすることに。★アミ18年前 バックパッカーとして日本を発ち台湾を訪れる。財布を失くし、ジミーがバイトするカラオケ店に住み込みで働くことに。絵を描きながら世界中を旅することが夢。★映画メモ★★物語は、ジミーの視点から描かれている。突然、バイト先に現れた日本人女性・アミ。アミは、なぜ急に日本に帰ったのか?気まぐれなのか?それとも、彼女自身が言っていたように「彼氏は四つ年上の男性」のためなのか?ジミーの片思いの視点から描かれていた。★視点を変えてみると、彼女の謎がわかった。伏線回収で、すっきりする。★アミを演じる清原果耶の美しさよ。★青春ものでありながら、旅もののこの映画、台湾と日本の観光シーンが満載。ランタンを飛ばすという台湾のシーンは、一度見てみたいと思っている。★ランタンを飛ばすシーンの前に「連れていきたい所がある」とアミを誘うジミー。このセリフが私はどうしてもひっかる。「連れていきたい」ではなく「一緒に行きたい」ではないのか・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.09
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●かわりばし●橋のはじめの丸木橋土橋 吊り橋 舟の橋人橋 跳ね橋 流れ橋(▲滋賀県・近江八幡にある舟橋)八百八橋のその中で今は無い橋 かわり橋安治川橋は磁石橋船を通して一まわり二つの橋が繋がった直違橋は撞木(しゅもく)橋四橋四つも消えたけど陸のかけはし阿部野橋心斎橋も道の上怖い反り橋住吉(すみよっ)さんライオン吠えるなにわ橋二階建ての橋天満橋鯨の骨の鯨橋光る橋なら銀橋と探せばあるある 橋めぐり「大阪ことばあそびうた」島田陽子大阪は八百八橋といわれたまち。川の埋め立てで減っているけれど、調べてみると橋の名前に歴史があって面白い。■島田 陽子(しまだ ようこ■1929年6月7日 - 2011年4月18日は、日本の詩人。東京府出身であるが、11歳から大阪府に在住した。豊中高等女学校(現大阪府立桜塚高等学校)卒業。「文章倶楽部」などで小説を書いた後、1960年頃から童謡や児童詩の創作を始める。大阪弁を使った親しみやすい作風の詩で知られる。1981年、日本童謡賞受賞。また、合唱曲や歌謡曲などの作詞も多数あり、ザ・ワイルドワンズのヒット曲『花のヤングタウン』、1970年の大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」の作詞も行っている。日本文藝家協会、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、日本童謡協会、詩と音楽の会、関西詩人協会会員。日本現代詩歌文学館評議員。1993年には、第28回大阪市民表彰(文化功労)を受賞。また、2003年まで帝塚山学院大学で講師を務めた。2011年4月18日、すい臓がんのため大阪府豊中市の病院で死去した。81歳没。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.08
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■下り酒一番:大店の暖簾■霊岸島にある酒問屋武蔵屋は、上方からの高級酒下り酒を扱う大店だ。だが商才のあった主の市郎兵衛が亡くなり四年、武蔵屋の商いは火の車になっていた。市郎兵衛の妾腹三男の卯吉は、主にはなれない。そりの合わぬ長兄の市太郎や義母のお丹に冷たく当たられながらも、心通う者たちと店の切り回しに奔走する日々。新酒番船で一番となった銘酒灘桜の新酒が千樽届くことになっていたが、春の嵐に遭ったという報に武蔵屋一同青ざめる。 時代物の小説が好きで適当に選んだ一冊。 江戸時代、酒は上方から江戸に運ばれた。上方から江戸に下ってくる酒がいいというところから「くだらない」=ダメなものという言葉が生まれたのは有名な話だ。●酒は厳重な領主統制のある農産品だと、茂助は言っている。米の流通事情が、直接に領主の財政に繋がるからだ。農作で米余りがあるときには、生産される酒の量を増やして米価の下落を防ぐ。◎なるほどと感心した。・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.06
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■耳クジリ■山形・秋田の二県では、耳クジリと称して、5月5日の朝にシオデという草を採ってきて耳にあてる風習がある。この草に薯のつるを添え耳をくじる真似をすると、耳がよく聞こえるといい、また神仏にこの草を供えたのを下ろして、後に家族が一人一人これを耳にあて、「ええこと聞かせてたんせ」、「悪いこと聞かないよう、よいことを聞くよう」などと唱えたりする地域がある。香川県木田郡の白山山麓では、子供たちがが菖蒲の鉢巻をしめ、東西に分かれて石合戦を行う風習があったが、買った方の地域は豊年だといって喜んだ。■18日間北海道ドライブ旅行■■北海道歳時記:秋の彼岸■■北海道歳時記:秋じまい・庭じまい■■北海道歳時記:餅つき■■北海道歳時記:節分、豆占い■■北海道歳時記:ひなまつり■■北海道歳時記:半夏生(はんげしょう)■■北海道歳時記:北海道の七夕■■北海道歳時記:竹細工■■北海道歳時記:盆踊り■■北海道歳時記:節分ヤイカガシ■■北海道歳時記:雛祭■■北海道歳時記:雛おくり■■北海道歳時記:八十八夜■■北海道歳時記:ローソクもらい■■北海道歳時記:お九日(くにち)■■北海道歳時記:ふいご祭■■北海道歳時記:漁村の正月、農村の正月■■北海道歳時記:節分・鬼やらいと厄払い■■北海道歳時記:歯固め■■北海道歳時記:正月と主な行事■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.04
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■あきない世伝金と銀・特別巻(下)・幾世の鈴■★暖簾★明和九年(一七七二年)、「行人坂の大火」の後の五鈴屋ゆかりのひとびとの物語。八代目店主周助の暖簾を巡る迷いと決断を描く「暖簾」。●明和九年の大火事・・・迷惑(語呂)●大小柱暦ぃ 巻暦ぃ値八文 八文なりぃ暦売りの声。●睦月十五日には小豆粥を炊くが火種は天神さんのとんどの火縄から。●睦月二十日、大坂の商家では、正月に用いた塩ぶりの骨を大事に取りおいて、この日に大根に煮込んで汁物にして食す。●路上にむしろを敷き、品物を並べて売る「乾(ほ)し見世」と呼ばれるものだった。●数えきれないほどの紙鳶(いか:凧(たこ))が高さを競い合っている。*凧はイカといわれていた。★菊日和★江戸に留まり、小間物商「菊栄」店主として新たな流行りを生みだすべく精進を重ねる菊栄の「菊日和」。●暖簾と同じ承和色(そがいろ)の袢纏だ。*承和色(そがいろ)は、菊の花の色のような少しくすんだ黄色のことです。平安時代の承和じょうわ年間(八三四〜八四八)、時の帝“仁明天皇にんみょうてんのう”が黄色い菊を大変好まれたことにちなんだ色になります。なお「そが」は「じょうわ」から転じた読み方であり、そのまま「じょうわいろ」と読むこともあります。仁明天皇は京都に都を移した桓武天皇の孫に当たり、漢学・書・文学を収めた当代屈指の知識人でした。また前述のとおり、ことのほか黄色い菊を愛でられ、宮中の随所にこの花を植え、衣装も黄色にしたと伝わっています。●節季候(せきぞろ)ござれや、はぁ、節季候めでたい、めでたい、節季候ござれや割竹やササラを打ち鳴らす音とともに、門付芸の「節季候(せきぞろ)」の声が・・・(略)。●櫛、元結、簪(かんざし)、笄(こうがい)、根掛・・・。(略)★行合の空★姉への嫉妬や憎しみに囚われ続ける結が、苦悩の果てに漸く辿り着く「行合の空」。●播磨の国、赤穂郡の東野端、揖西(いっさい)との境。*揖西(いっさい)は、今は、私が中学2年生から結婚するまで住んでいた、龍野市になっている。●毎年、葉月十五日には、有年(うね)の宿場近くに市が立つ。*有年(うね)も懐かしい地名。JRに「有年」という駅がある。●「昔はおはじきのこと、『細螺(きさご)弾きて呼んでましたなぁ。』●大坂商家では、本名の一字に、丁稚は、「吉」、手代は「七」、番頭は「助」を付けて呼ぶ習いがある。★幾世の鈴★還暦を迎えた幸が、九代目店主で夫の賢輔とともに、五鈴屋の暖簾をどう守り、その商道を後世にどう残すのかを熟考し、決意する「幾世の鈴」。初代徳兵衛の創業から百年を越え、いざ、次の百年へ──。●ほっこりぃ ほっこりほっこりぃ ほっこりあれは蒸し芋売りか、(略)*江戸は焼き芋、大坂は蒸し芋と「澪標料理帖」で知った。●おかみは、内平野町の米屋や高麗橋の越後屋、今橋の鴻池(こうのいけ)、新難波の和泉やに金七万両、天満屋や小橋屋、加嶋屋、升屋などに金五万両という壮絶な指定高を言い渡した。*ここにあるほとんどの店の名前は、名前を知っているので、今もある会社だと思う。●大坂から京、鈴鹿峠を越えて、関の追分、津、そして伊勢街道へ。常は五日、若ければ四日で行く旅(略)●「のちの世に伝えるもの・・・世伝、というのは如何でしょうか」「世伝・・・代々伝えていく、いう意味だすな」それやったら、と賢輔は川面から天へと視線を移し、暫し考えたあと、幸を見た。「『商い世伝』というのは、どやろか」商い世伝、と繰り返し、幸は破顔する。■あきない世伝金と銀(13)大海篇■■あきない世伝金と銀:特別巻上・契り橋■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.02
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今年は辰年ですからと辰=龍の話をひとつ。登龍門(とうりゅうもん)は、成功へといたる難しい関門を突破したことをいうことわざ。「登竜門」とも書かれる。特に立身出世のための関門、あるいはただ単にその糸口という意味で用いられる。 鯉の滝登りともいわれ、鯉幟という風習の元になっている。流れの急な龍門という河を登りきった鯉は龍になるという伝説になぞらえて、「龍門に登った」と形容したという。▲こいのぼりの唄「鯉のぼり」 弘田龍太郎・作詞百瀬(ももせ)の滝を登りなば、忽(たちま)ち竜になりぬべき、わが身に似よや男子(おのこご)と、空に躍るや鯉のぼり。■高知県・安芸市の弘田龍太郎の碑■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2024.05.01
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