おしゃれ手紙

2007.11.01
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テーマ: お勧めの本(7414)
カテゴリ: 昭和恋々

隣家との境の垣根の向こうから、
「ちょっといいかしら」と声をかけたり、木戸をほんの少し開けて首だけ覗かせ、
「ユウコちゃん、熱下がった?」と心配すると、
「どうぞどうぞ」と招じ入れはするが、それは暗黙のうちに縁側までであって、それ以上奥へは入らないし、入れとも言わない。
子供のころ、よく見た光景である。
距離がないようで、境界線がきちんとある近所付き合いだった。
向かい合って笑い転げていても、主は縁側に坐り、隣家の人は履物をはいたままなのである。
ほんの五分で帰る場合もあるし、思わぬ長話になることもある。
そうなると番茶が出る。
けれどお菓子までは出さない。
こういう程よい付き合いというものがなくなり、隣人というものもなくなった。
たまたま顔を合わせれば、お愛想笑いだけで、内心では故(ゆえ)のない疑いの目で隣に住む住人を観察している。
庭と縁側がなくなったせいである。
* 「昭和恋々」 *久世光彦

うちは、お隣とけっこう、仲良しだと思う。
バラが咲いたといっては私が隣に届ける。
お隣からは、貸し農園で収穫した野菜が時々、私の家に届く。
もちろん、部屋に上がって話し込んだことも、何回かはあるが、ほとんどが、家の前での会話で終わる。
そんな時に、縁側があったらいいなといつも思う。
内でも外でもない空間。
なんとも、ファジーな空間、それが縁側。

あいまいな境界で出会うことの積み重ねで、近所付き合いが深まる。

隣の人をよく知っていれば、隣の子どもの泣き声を「騒音」ととることはない。


何年住んでいても、「隣人」にはなれないから、少しの物音も騒音になる。
騒音トラブルは後をたたない。

住宅の変化はめまぐるしい。

収納場所を増やすために、なくした縁側。
一見、無駄に見える縁側を残すことは、収納を増やすよりも大事なことだったのかもしれない。

秋ふかし隣は何をする人ぞ

    芭蕉

**「昭和恋々」前書きより**

たとえば・・・私たちは、あの日のように雨や風の音を聴くことが、いまあるのだろうか。
このごろみたいに、夜は明るくていいのだろうか。
春を待つという、懸命で可憐な気持ちを、今どれほどの人が知っているのだろうか。

・・・あの頃を想うと心が和むが、いまに還ると胸が痛む。
久世光彦


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◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★11月1日 *芋たこなんきん:「昭和恋々(れんれん)」* UP
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Last updated  2007.11.02 08:09:39
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