おしゃれ手紙

2023.11.24
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カテゴリ: 国内旅行



この日は、今治城をガイドさんの案内で見てきた。

今治城は、関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城です。

〇慶長5年(1600) 藤堂高虎、関ヶ原の戦いで東軍に属する
〇戦後、伊予半国領主として20万石を領する
〇慶長7年(1602) 今治城の起工
〇慶長9年(1604) 今治城の普請(土木工事)完成
〇慶長13年(1608) この頃、今治城がすべて完成か。高虎、伊勢・伊賀へ転封

藤堂高虎は、黒田孝高、加藤清正と並び、「築城三名人の一人と称される。

高石垣の技術をはじめ、石垣上には多聞櫓を巡らす築城の巧みさは、その第一人者といっても過言ではない。

構造は、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、
当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっている。
日本三大水城の一つに数えられている。

この堀には、海の魚、クロダイ(チヌ)が泳いでいる。

幼少の頃より人並み外れた体格で、壮年の乳母の乳では足らず、数人の女性の乳を貰ったとされる。
性格も荒く、3歳の頃には餅を5つ、6つ食べることもざらで、ケガをしても痛いと言ったことがないと伝わる。

13歳の時には、兄の高則よりも背が高く、筋骨逞しい身体であった。
兄の戦死後、若くして家督を継いだ。

堀の石垣の下が、「犬走(いぬばしり)」になっている。
海に近く弱い地盤の上にある城の石垣の修理を考えて「犬走」を造ったとガイドさん。

去年行った■ 丹波篠山城 ■だ。
丹波篠山城も、城の名手藤堂高虎が手がけた。
この城は、堀の石垣の下に犬走(いぬばしり)という部分がある。
これは、堀を掘った時に出た土を積んだところだという。

(ガイド氏の説明)

藤堂高虎は、あちこちに城を造っているが、移動手段が限られていた時代にあちこちに行くって
さすが、日本一の築城の名人!!

今治の地名は、「今張」、「今針」。
また吹上城、美須賀城とよばれたことも。

「須賀」とは、砂浜という意味で、「横須賀」などがある。
静岡県にもあったが、関東の言葉だと思っていた。

その後、車で、出発。今治IC~しまなみ海道から次の目的地・大三島へ向かう。

●11月13日(月)~14日(火)
オレンジフェリーで四国・愛媛県・「東洋のマチュピチュ」別子銅山。

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Last updated  2023.11.24 00:19:08
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