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一条の宮にお見舞い申した時のご様子をお話しになりますと、まるで春雨が軒を伝うようにお泣きになります。御息所のお歌を書きとめた懐紙をお目にかけますと、 「目も見えませんで」 と、押し拭い給いて泣き顔でご覧になります。普段は気が強く快活で、自信にあふれたお人柄でいらっしゃるのですが、今はそれが微塵もなく、体裁が悪いほどです。お歌には格別優れたところはないのですが、『玉はぬく』に『ほんにその通りだ』と心が乱れてしばらく涙をお流しになります。 「君の母君がお隠れになられた秋には、これ以上悲しいことはないと思ったものでした。されど女は人付き合いに限りがありますから見知る人が少なく、悲しいとはいえそれは身内だけの悲しみでした。 不束者とはいえあれは帝もお見捨てなさらず、ようよう一人前となり官位の昇進に伴って力と頼む人々が多くなりましたので、さまざまな方面で驚き惜しむ人もあるようでございます。 私の深い無念の思いは、世間からの声望や官位についてではございませぬ。元気だったころの衛門督ばかりが思い出されて、たまらなく恋しく思われるのでございます。どうしたらこの思いを忘れることができましょう」 と、空を仰いでぼんやりしていらっしゃいます。 夕暮れの空の景色は鈍色にかすみ、桜の散ってしまった枝々に今日初めてお気づきになります。この懐紙に、 「このしたの 雫に濡れてさかさまに 霞の衣 着たる春かな (子が親より先に死ぬという逆さまの悲しみに、涙にぬれております。霞色の喪服を着ることになろうとは)」 大将の君、 「なき人も 思はざりけんうち捨てて 夕べのかすみ 君きたれとは (衛門督も、早世するとは思っていなかったことでございましょう。父上に喪服をお着せ申すことになろうとは)」 辨の君、 「うらめしや 霞の衣誰着よと 春より先に 花の散りけむ (墨染の衣を誰に着せようとて、春より先に花が散ってしまったのでございましょう。ほんにうらめしいことでございます)」 ご法要などは世の常ならず、たいそう厳めしくなさるのでした。大将殿の北の方は衛門督のおん妹君でいらっしゃいますので、当然ご法要は格別に営み、読経の僧へのお布施についてもしみじみと深い趣をお加えになります。
May 31, 2016
大将殿も涙を止めることがおできになりません。「不思議に老成していらした方でしたが、早世する運命だったのでしょうか。この二・三年はたいそう沈みこんで、どことなく心細げでいらしたので『世の道理を悟りきり、考えが深くなった人は、現世への執着がなくなったかわりに心の素直さを失い、精彩が欠けてゆくものだ』と、ふつつかながらいつもお諫め申しておりましたが、私を思慮の浅い愚か者と思っていらっしゃるようでございました。 ともあれ、他のどなたよりもお嘆きでいらっしゃる二宮様のお心内を思いますと、畏れ多いことながらお気の毒に存じます」など、優しく細やかにお話しなされて、ほどなくお帰りになります。衛門督は大将殿より五・六歳ほど御年上でいらっしゃいましたが、若々しく上品で甘えん坊なところがおありでした。 大将殿はたいそう生真面目で重々しく、男らしい態度でいらっしゃいますが、お顔だけはたいそうお若く、優雅で気品がおありになり、その点は人より優れていらっしゃいます。 若い女房たちは悲しさも少し紛れる心地で大将殿をお見送り申し上げます。 お庭の桜がたいそうおもしろく咲いていますので、『今年ばかりは墨染に咲け』など頭に浮かんだのですが、そのお歌は忌々しき筋でしたので「あひ見むことは」と口ずさんで、「時しあれば かはらぬ色に匂ひけり 片枝枯れにし 宿の桜も(時が参りましたらなら、昔と変わらぬ色に咲くことでございましょう。片枝が枯れてしまったこの家の桜でございましても)」さりげなく詠いかけてお立ちになりますと、御息所がとっさに、「この春は 柳のめにぞ玉はぬく 咲き散る花の ゆくへ知らねば(衛門督が亡くなられた今年の春は、悲しさに柳の芽に露の玉を通すように、目に涙をためておりまする)とお返事なさいます。 御息所は大した深い情趣のある方ではいらっしゃいませんけれども、『当世風で才気がある』と評判の更衣でいらっしゃいましたから、『まさに気遣いのある御返歌だ』とお思いになります。 その後、致仕大臣邸にお出でになりますと弟の君達が大勢集まっておいで、客間へ案内されました。致仕の大臣は気持ちをお鎮めになってから対面なさいます。 いつも若々しく上品なお顔がひどく痩せ衰え、お髭も伸び放題で、御親の喪に服している時よりずっと憔悴していらっしゃいます。 そのお姿を拝見するなり堪えきれずに涙がこぼれるのですが、見苦しいと、せめてそれを隠そうとしていらっしゃいます。致仕の大臣も、「あなたさまとは特別に仲良くしていらしたものを」と、しみじみお顔をご覧になって、後はただ涙ばかりが流れて止めることがおできになりません。それからは互いに思い出話が尽きないのでした。
May 28, 2016
御息所も鼻声になり給いて、 「仰せの通り、しみじみ悲しいものは定めなき世でございます。世の中にはこれ以上悲しいことはないのだと、年寄りの私は気を強く持ち諦めておりまするが、まだ若い二宮は忌々しいほど思いつめていらして、まるで後追いでもしかねないようなご様子でございます。私は何事につけて辛いことばかりの人生を生きて参りましたが、年老いた者が若い人々の死別の有様をただ眺めるしかない無力感に、いたたまれない気持ちになるのでございます。 大将殿とは親しいおん間柄でいらっしゃいましたから、お二方の結婚の経緯もお聞き及びでございましょう。 私は初めからこのご縁に反対でございましたが、致仕大臣のご意向を辞退申し上げるのが心苦しく、朱雀院からもお許しいただいたように伺いましたので、『私の思慮が足りないのかもしれない』と思いなしての結婚だったのでございます。 それが夢のように逝去なすったとは。 思い合わせますと、こんなことになるのならもっと強く反対し申せばよかったのに、と悔やまれ、無念でなりませぬ。早世なさるとは思いもよらぬことでございました。 姫宮たちはよくも悪しくもよほどのことがない限り、結婚なさるのは奥ゆかしいことではないと、古めかしい考えの私はずっと思って参りましたが、二宮は中途半端で辛いおん宿世でいらっしゃるようですから、人聞きは悪うございましょうが、この折に火葬の煙に紛れてはかなくなっておしまいになるならそれも致し方ないのではございますまいか。 とはいえ、そうきっぱりと思い切ることもできず、お気の毒に拝見しておりました。 そのような折に度々お見舞いくださいましたことは、たいそう嬉しくありがたく存じております。 あまり深いご夫婦仲とは思いませんでしたが、やはり、いまわの際にお頼みになったご遺言のあれこれを思いますと、しみじみとしたご情愛が感ぜられまして、辛い中にも嬉しいことは混じるものでございますね」と、御簾の内でひどく泣いていらっしゃる気配がします。
May 26, 2016
まして一条においでの北の方・女二宮は、臨終の対面もおできにならないまま死別しておしまいになった哀しささえ加わり、日が経つにつれ広い御殿に人気が少なで心細そうにしていらっしゃいます。 それでも親しくお仕えしていた人は、今もなおお見舞いに訪れますが、衛門督が好んでいらした鷹・御馬などの係りは所在がないので、みな気が抜けたように肩を落として出入りするのをご覧になるにつけても、哀れは尽きないのでした。 生前使い慣れていらしたおん調度の品々、いつも弾いていらした琵琶・和琴などの緒が取り外されて音を立てないまま捨て置かれていますのも、ひどく陰気なのです。 お庭の木立はたいそう芽吹いています。咲く時期を忘れないその花の様子を眺めては、悲しくお思いになります。 お側の女房たちも鈍色の喪服姿でお仕えしている、寂しくつれづれな昼つかたの事です。前駆の者が賑やかに人払いする音がして、お邸の前に止まった人がいました。女房の中には 「ああ、亡くなられた衛門督殿がお越しになったような気がしますわ」 と、泣く者もあります。大将殿がおいでになったのでした。取次ぎを御申し出でになります。 いつものように弟君の辨の君や宰相がおいでになったと思っていたのに、こちらが恥ずかしくなるほどお綺麗でご立派な態度で、大将殿がお入りになりました。 母屋の廂の間に御座を用意してお迎え申し上げます。普通の客人のように接待申し上げるのが恐縮されるほど堂々としていらっしゃいますので、母・御息所が対面なさいます。 「ご逝去を思い嘆く気持ちはあちらの御身内の方々にも劣るまいと存じますが、やはり私では限度がございますから、ご愁傷をお伝えする方法もなく、ご弔問もありふれたものになってしまいました。 いまわの際にご遺言がございましたので、二宮様を疎かに考えてはおりませぬ。 誰も悠長にしていられない世の中ではございますが、私の存命中はできる限りのことをして、我が志の深さを見ていただきたいと存じます。 今まで内裏での神事が多く、また個人的な心情にまかせて悲しみに籠っていますのも例ならぬことでございますので、出仕いたしておりました。 それはそれとしてまた、立ちながらの弔問では反って物足りなく思われようかと過ごしまうすうち、日が経ってしまいました。 致仕大臣などが悲嘆にくれるご様子を見聞きするにつけましても、親子の道の闇は当然の事ながら、こうしたご夫婦の間ではどんなに心残りがおありだったことかと想像申し上げますと、悲しさは尽きませぬ」 と、しばしば涙を押し拭い、鼻をおかみになります。はなやかで気品があり、それでいて親しみ深くしっとりとうつくしいのです。
May 24, 2016
大将の君は衛門督が思い余ってほのめかした事を、 『何が言いたかったのであろう。もう少し意識がはっきりした時であれば、話の内容も察することができたであろうに。折悪しく言う甲斐のない臨終の際で、何とも気が塞ぐことよ』 と、面影が心に残りますので、衛門督の兄弟たちよりもことさら悲しくお思いになるのでした。 『それにしても、重大なご病気でもない宮様が、思い切りよく出家なされたとは、どういうことだろう。しかも父上は、よくお許しになったものだ。ご危篤状態の二条院の上が、泣く泣く御申し出でになられてもお引き留めなさったのに』 など、あれこれ思い巡らせていらっしゃるに、 『そういえば衛門督は昔から宮様への恋心があったけれども、抑えきれぬ折々があったに違いない。表面では他の人よりずっと注意深く落ち着き払っていて、振る舞いも穏やかだったから、内心でどんなことを悩んでいたかまでは計りかねたけれども、反面、多少気の弱いところがあったから、過失を犯したのかもしれない。 いくら恋しくても、密事に心を乱して命と引き換えにすることはあるまい。宮様をお気の毒な立場にし、わが身を破滅に追い込むべきではなかろうに。前世からの因縁とは言うものの、あまりにも軽率でつまらぬことではないか』 と、お胸の内で思うのですが、これは北の方にさえお話しにはなりません。 また父・院にもお話しになる機会がなくて申し上げませんでした。とはいえ『衛門督がこれこれの事を私にほのめかしましたが』と、申し出でてお顔色を窺いたいとは思うのでした。 父・致仕太政大臣、母・北の方は、涙の乾く暇がないほど思い沈んでいらして、はかなく過ぎる日数さえお分かりになりません。 ご法要の際のお布施、おん装束などなにやかやについては、衛門督の弟君や姉妹の方々がそれぞれにご用意なさいます。経や仏の装飾の御指図などは、左大辨の君がおさせになります。七日なのかの御読経をご両親にお告げになっても、 「読経など聞きたくない。こんなに親を悲しませるのでは、冥途への障りになる」 と、魂が抜けたようにぼんやりしていらっしゃいます。
May 23, 2016
『事の真相を知っている人は、女房たちの中にもいるだろう。その手引きした人が分からぬのが憎らしい。きっと私を馬鹿にしているのであろうな』 と、苦々しくお思いになるのですが、 『いや、私の咎は我慢しよう。それよりも宮のおんためにこそ堪えなくては』 などお考えになって、知らぬふりをなさいます。 若君が無邪気におしゃべりして笑っていらっしゃる目つき、口元の可愛らしさも、 『事情を知らぬ人はどう思うか分からぬが、衛門督によく似ている』 とご覧になるにつけても、 『親たちが、忘れ形見だけでもあったならと嘆いていらっしゃるが、お見せすることはできない。あれほど気位が高く思慮分別もあって老成していた身でありながら、自分から身を滅ぼしてしまったことよ』 と、哀れになりますので「怪しからぬ奴」と思う心も失せてお泣きになります。 女房たちが御前から静かに下がった隙に宮のおん元へお寄りになって、 「若君をどうお思いになりますか。こんなに可愛い人を捨てて、出家しておしまいになるほど辛い夫婦仲だったのでしょうか。ああ、情けない」 と、小声で申し上げますので、宮はお顔を赤らめておいでになります。 「たが世にか 種をまきしと人問はゞ いかゞ岩根の 松は答へん (「そなたの父は誰なのか」と人に訊かれたら、その子は将来何と答えるのでしょうね) 可哀そうに」 宮はご返事がおできにならず、ひれ伏していらっしゃいます。『それも道理』とお思いになりますので、もう何もおっしゃいません。 『宮は何とお思いなのか。深い思慮分別がおありではないが、そうかといって平気でいらっしゃるはずはなかろう』 そうあて推量なさいますのも、たいそう心苦しいのです。
May 21, 2016
「それにしてもまあ情けない。墨染の色は周りまで暗くしますね。尼姿になられましても、あなたさまをいつも拝見できると思って慰めておりますが、いつまでも諦めきれずに流れる涙のきまり悪さは、あなたさまに捨てられた私の罰として受け止めるにつけても、さまざまに胸が痛み残念に思います。昔に戻りたいものです」 と、ため息をおつきになって、 「あなたさまが六条院をお離れになれば、心底から私を嫌ってお見捨てになったのだと、きまり悪くも辛くもなりましょう。私を可哀そうだと思ってください」 「出家した者にとっては、物のあわれも人情も関係のないことだと聞いております。まして私はもとより情趣など知らぬ者でございますれば、お返事のしようもございませぬ」 とお返事なさいます。 「それはあんまりな仰せですな。男女の仲については、よくご存知でいらっしゃるはずですのに」 とだけ言いさして、若君をご覧になります。おん乳母たちは身分も高く、姿形のきれいな者だけをお召し出でになり、心構えなどをお話しになります。 「哀れだね。余命少ない私なのに、この子はこれから大きくなっていくのだから」 と、お抱きとりになります。 若君は色白でまるまると肥えて、可愛らしく無邪気ににっこり笑います。大将の幼いころをほのかにお思い出しになっても、似ていらっしゃらないのです。女御の宮たちが似ていらっしゃらないのは、父・帝のおん血筋を引いて皇族風に気高くこそおわしますが、図抜けてにこやかでもご立派でもいらっしゃいません。 しかしこの君はたいそう上品な上に可愛らしさが添い、目もとがいきいきとして、いつもにこにこしている点などをたいそう可愛らしくお思いになります。 でも気のせいでしょうか、やはり衛門督によく似ているように思われるのでした。まだ幼子でありながら、まなざしにゆったりとした落ち着きがあり、こちらが恥ずかしいほどの表情が世の常ならず、うつくしさが薫り立つようなお顔立ちです。 尼宮は、若君が父親似である事にお気づきではなく、女房たちはまたさらに事情を知りませんので、大殿はお心内で『子の顔を知らずに先立つとは、人の世ははかないものだ』とご覧になるにつけても世の定めなさをお思い続けられて、しぜんに涙がほろほろとこぼれるのです。 「今日は祝いの日ですから、不吉な涙は慎まねばなりませんね」 と隠れて押し拭い、 「静かに思いて 嘆くに堪えたり(静かに考えてみると、子供の誕生は喜ぶに十分であり、嘆くにも充分であった)」 と、誦じなさいます。これは白楽天が五十八歳の時の歌ですが、これより十歳若い御年でいらっしゃいますのに、すっかり年老いた心地がなすってひどく物悲しくお思いになります。 されば『おまえの父の短命に似るな』と、若君を諫めたくお思いだったでしょうか。
May 20, 2016
おん五十日(いか)にはお祝いの餅を差し上げるのですが、「どうしたらよろしいのでしょうね」と、尼の作法をよく知らない女房たちがためらっています。と、そこへ折よく大殿がお渡りになりました。 「なに男の子だ、かまうことはない。女の子ならば同じ女として尼姿の母君は縁起が悪くもあろうが」 とて、南面に若君のために小さな御座をしつらえて、祝いの餅を参らせます。 おん乳母たちはたいそう華やかな装束で、若君の御前に趣向を凝らした籠物・檜破子(ひわりご)を、御簾の内にも外にも取り散らします。 事の真相を知る者はいませんので、何気ない様子をしていらっしゃるのですが、実父の喪中ですから晴れがましい祝儀は心苦しく、気まずくお感じになります。 尼宮も起きていらして、御髪の裾の大きく広がったのをひどく鬱陶しくお思いになり、額などの乱れを撫でつけていらっしゃる所へ、大殿が几帳を引きのけてお座りになりましたので、ひどく恥ずかしくてお顔を背けていらっしゃいます。 産前よりひどく小さく細くおなりで、御髪を惜しみ申し上げたせいで普通より長めにそぎましたので、後ろから見たところでは尼には見えないほどです。 次から次へと重なって見える鈍色の上に、黄色みを帯びた今様色のおん衣装をお召しでいらっしゃるお姿は、尼姿がまだ板につかぬご様子で、こうしていても子供のように可愛らしく、なよやかでいかにもうつくしいのです。
May 19, 2016
ここ数年女二宮に対してそれほど大切に親しみ深いお扱いはありませんでしたが、表面では親しみが感じられ思いやりがあり、それでいてほどほどの距離感のある理想的なお世話をなすって暮らしていらっしゃいましたので、女二宮としては特に恨みがあるわけではありません。 ただ『こんなに短命なお方でしたから、きっと夫婦仲というものを味気なくお思いになっていらしたんだわ』と思いこんでひどく沈んでいらっしゃるご様子は本当にお気の毒であり、母・御息所も『皇女が臣下と結婚するのは物笑いの種、その上死別なんて』と見たてまつり、限りなくお嘆きになります。 まして衛門督の父・致仕太政大臣や母・北の方のお嘆き様は言いようがなく、 「我こそ先立つべきだった」 「この世は道理も何もなく、子に先立たれるのは何と辛いことよ」 と焦がれ給うのですが、何の甲斐もありません。 尼におなりの女三宮は、衛門督の大それた心を疎ましいとばかりお思いでしたので、世に長かれと願ってはいなかったものの、さすがにしみじみと可哀そうにお感じなのでしょう。『お生まれになった若君がご自分の御子だと思い知っていたのも、やはりこうなる宿縁があったからなのだわ。私にとっては思いがけない辛い事件だったけれど』 とお考えになりますと、さまざまに心細くおなりで、自然に涙が流れるのでした。 三月になりますと空の景色もうららかになり、お生まれになった若君も生後五十日のお祝いをするほどにおなりです。たいそう色白で可愛らしく、よくご成長なされて喃語などでおしゃべりなさいます。 大殿がお渡りになって、 「ご気分は爽やかにおなりですか。でもまあ、尼姿では見る甲斐もありませんね。以前のままのお姿で爽やかなところを拝見できましたら、どんなに嬉しゅうございましょう。私を嫌ってお捨てになるとは」 と、涙ぐんで愚痴を仰せになります。今頃になって日々お渡りになり、限りなく大切にお扱いになるのでした。
May 18, 2016
私など人数にも入らぬ身とよく存じてはおりますが、幼少の頃より大殿を深くお頼み申しておりました。 それなのに、私についてどのような讒言があったのかと思いますと無念でなりませぬ。この憂いが往生の妨げになるでしょうから、覚えておいてくだすって、事のついでによろしくお執り成しくださいまし。私亡き後でもこのご不興が許されましたら、あなたさまのご尽力をありがたく思いましょう」 そう仰せになるにつれてひどく苦しそうになってまいりますので、悲しさのうちにも思い当たることがさまざまあるのですが、真相を推し量ることもできません。 「どのような罪悪感なのでしょう。父上にはそのような御様子もありませんし、あなたさまがこのような重病でいらっしゃることをお聞きになって、ひどく驚き残念がっていらっしゃいましたよ。それにしてもこんな悩み事があるのに、どうして今まで私に打ち明けてくださらなかったのです。私が申し開きできたでしょうに。されど今更言っても仕方がありませんね」 と、昔を取り戻せないことを、悲しくお思いになります。 「仰せのように、ひどくなる前にでもご相談申し上げ、ご意見を賜るべきでした。されど、まさか今日明日の命とは、我ながら思いもしなかったのです。この事は決して口外なさいますな。しかるべきついでがございましたらご配慮いただきたいと、あなたさまに申し残すのでございますが、一条におわします二宮様を、ことに触れ折につけてお見舞い申してあげていただきたいのです。お気の毒な生活をなさらぬように、助けてあげてほしいのです」 など仰せになります。言い残すべきことはたくさんあるのですが、どうしようもなく苦しくなりましたので、『お帰りくださいますように』と手真似で申し上げます。 大将の君は泣く泣くお出ましになりました。入れ替わりに、加持祈祷の僧たちが近くに参ります。母君や父・致仕大臣も病床近くに集まり、女房たちは立ち騒ぎますので、泣きながらお帰りになりました。 衛門督のおん妹君・弘徽殿女御のお嘆き様は申すまでもなく、この大将の北の方などもたいそうお悲しみでいらっしゃいました。 衛門督は誰に対しても長兄としての思いやり深い方でしたから右の大殿の北の方も、衛門督だけはいかにも親しい者として大事にしていらっしゃいましたので、ひどく思い嘆き給いて御祈祷などを別におさせになるのですが、『恋の止む薬』ではありませんので、何の効果もないのでした。 ついに衛門督は女二宮とも対面することなく、泡が消え入るように亡くなられたのでした。
May 17, 2016
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