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草木瓜の後ろに椿。3月31日、午前9時撮影。写真に写っていないが椿の後ろに土佐文旦の黄色の実が生っている。
Mar 31, 2025
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一週間の研究旅行から帰った弟が、めぐり歩いた地の話を聞かせてくれた。私の知っている地もあり、あそこには何と何があるのだが両方へ行ったかとか、その建物があるのは誰それが領主だったからだなどと合いの手を入れると、弟は、「兄ちゃんは、ほんと、記憶がいいね、感心するよ」と言った。 私は言葉に詰まってしまう。近頃記憶が薄れてきたなと、実感しているからである。 ・・・思い出せなかったら、資料等を頼らずに思い出すまで記憶湧出のとっかかり口を探る。連想作用で思い出そうとしていることに行きつくことがる。それを期待して連想を働かせるわけである。今朝も、或る植物の名前が思い出せなかった。その姿形は思い浮かぶのだが、肝心の名前が思い出せない。結局思い出せないまま、・・・???なんと、今、こうして書いていて、ヒョイと思い出した! まったく! こういうぐあいだ。 「♪これが浮世というものか・・・」とは、歌謡曲「瞼の母」の歌詞。それをもじって私は、「これが老いるということか」と口ずさむのである。
Mar 30, 2025
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「昭和100年映画祭 あの感動をもう一度」と銘打って、映画関係各社協力で丸の内TOEIにおいて42作品が、3月28日から5月8にまで一挙連続上映されている。 その42作品は・・・丹下左膳餘話 百萬兩の壺(山中貞雄)人情紙風船(山中貞雄)▶︎鴛鴦歌合戦(マキノ正博)羅生門(黒澤明)東京物語(小津安二郎)二十四の瞳(木下恵介)ゴジラ(本多猪四郎)ビルマの竪琴(市川崑)幕末太陽傳(川島雄三)純愛物語(今井正)無法松の一生(稲垣浩)ギターを持った渡り鳥(斎藤武市)▶︎銀座の恋の物語(蔵原惟繕)キューポラのある街(浦山桐郎)▶︎ニッポン無責任時代(古澤憲吾)天国と地獄(黒澤明)人生劇場 飛車角(沢島忠)武士道残酷物語(今井正)▶︎愛と死をみつめて(斎藤武市)▶︎昭和残俠伝(佐伯清)▶︎大魔神(安田公義)黒部の太陽(熊井啓)男はつらいよ(山田洋次)緋牡丹博徒 お竜参上(加藤泰)仁義なき戦い(深作欣二)砂の器(野村芳太郎)▶︎新幹線大爆破(佐藤純弥)犬神家の一族(市川崑)八甲田山(森谷司郎)▶︎さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち (舛田利雄・松本零士)遥かなる山の呼び声(山田洋次)影武者(黒澤明)▶︎二百三高地(舛田利雄)駅 STATIONN(降旗康男)蒲田行進曲(深作欣二)▶︎幻魔大戦(りん・たろう)▶︎探偵物語(根岸吉太郎)南極物語(蔵原惟繕)お葬式(伊丹十三)極道の妻たち(五社英雄)▶︎火垂るの墓(高畑勲)釣りバカ日誌(栗山富夫) 以上42作品のうち私が観ていないのは12作品(▶︎印)。 近年、私より年齢がずっと若い人たちが「昭和」を懐かしむ記述を目にする。その真意は測りかねるが、昭和以後の現代までに何か絶望感があるのだろうか? それとも自分が人の親となり、つまりオトナになって、さしたる責任がなかった若年時代を懐かしんでいるのだろうか? ・・・私にはその懐旧が、昭和という時代を途中から観念しているのではないか、と疑う。明治、大正と経て昭和20年まで、日本は対外的にも対内的にも戦争の季節であったが、昭和が不穏な空気につつまれて始まり、ついにもっとも犠牲が出た戦争へと突き進んだ。この20年間を切り離して「昭和」を懐かしんでいるのだとしたら、私はまったくその心性が理解できないし、何を考えているのかも理解できない。 上記映画祭の作品ラインナップで戦前の作品は、山中貞雄監督の2作品「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」(1935) と「人情紙風船」(1937)、マキノ正博監督「鴛鴦歌合戦」(1939) だけである。稲垣浩監督の「無法松の一生」は阪東妻三郎主演作(1943)と三船敏郎主演作(1958)があり(戦中の作品には松五郎が吉岡夫人に恋心を抱くシーンおよび吉岡俊雄少年が唱歌「青葉の笛」を歌うシーンがない)、そのどちらが上映されるのか私は不案内だが、その余の映画作品は、戦後の復興と平和への努力のなかで生まれた。戦中であったなら決して認可されなかったであろう作品も名作として数多く含まれている。私はそれを喜ぶ。 私はこのブログ日記で私自身も幼少年時代のことを、私自身の目で見、感じた事実として書いてきた。そこには懐かしい思い出もあるが、時代背景を忘れなかったつもりだ。戦争末期に生を享けた私は、絨毯爆撃と機銃掃射のさなか綿布団に厚く包まれて階段の陰におきざりにされた。防空壕の暗さを嫌って泣き止まなかったので、他の人の迷惑を気がねした両親は、銃弾が貫通しないことを祈りながら泣く泣くそのようにしたのだ、と聞かされた。母は食料不足を授乳のために流れ海藻を拾い米の磨ぎ汁をすすって補った。昭和30年ころまで、私は東京上野公園下あたりに大勢の戦争孤児たちがいたのを見ている。また駅の待合室でゴミ箱に捨てられた茹で卵の殻に急いでとびつき舐め回す人を見た。傷痍軍人たちが地面に頭を擦り付けるようにして通行人に施しを乞うていた。その姿は昭和39年の東京オリンピック直前まであった。また、国連加盟の条件として突きつけられた貿易自由化によって、日本の第一次産業がほぼ壊滅状態となった。かく言う私の父も、従軍期間を除いて戦前戦後と日本の鉱業に尽力してきたが、鉱山技師から転職した。 ・・・今80歳になる私だが、私の親たちはその苦しさを乗り越えて戦後日本の復興に努力したのである。私は毎朝一番最初に両親の仏前に御飯とお茶を供える。信仰心ではない。本当のことを言えば、1日のルーティンとして惰性の感がなくもない。手を合わせることもなく、「御飯ですよ」と言うだけである。最初に亡くなった父の死から20年になるが、その毎日の務めを欠かしたことがない。両親の生前、私との間に悶着がなかったわけではない。それはそうだろう、両親は二人とも私がしたいことを何も言わずにやらせてくれたが、大学で法律を学びながら神経衰弱になったあげくに、子供のころから金銭に無頓着なうえに食えるあてもいない絵を描き始めたのだから。しかし毎日仏飯を供えるのは、惰性の底に「感謝」があるからである。それは確かだ。 いやはや、「昭和100年映画祭」から随分逸脱してしまった。もう止めよう。とにかく現代がいろいろ問題があろうとも、過ぎた「昭和」を私は懐かしくは思わない。映画関係各社が協力して過去の作品を上映する企画はすばらしい。「昭和」は決して「100年」ではないが、この映画祭関係者が「昭和100年映画祭」という括りをしたことは、すでに述べたように近年の「昭和」を懐かしむ記述の多さに反映している社会心理的な何かを意識しているのかもしれない。この括りが観客を呼び込む惹句(キャッチ・フレーズ)になると考えたのであろう。映画関係者の時代把握が建設的に未来を見据えていることを、私は希う。
Mar 29, 2025
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映画監督・篠田正浩氏が25日に亡くなられた。享年94。 篠田監督の訃報で、私は、昔、成城学園駅で監督とすれちがてお見かけしたことを思い出した。おだやかなお顔であられた。 「心中天網島」(1969) のモノクロームの様式美が私は好きだ。美術はグラフィック・デザイナーの粟津潔氏。真っ白な壁や床に極太の墨書が、当時イラストレーターになろうか法律の勉強をやりなおそうかと迷っていた私に、深い印象を残した。この作品以前には川端康成原作の「美しさと哀しみと」を観てい、小説も読んでいたのでそのエロチシズムを堪能した。 篠田正浩監督は、映画作家として守備範囲が広い方だったと思う。多方面に注意深い目を向けられていた、と言い換えても良いだろう。また、小津安二郎監督との映画論の相違で大島渚監督らと共に松竹をやめたという「事件」も、映画作家(芸術家)の方向性という問題を考えるときに、私には一つの大きな事例となっている。 また私は、時代劇における美術・・・特にセット美術に関して、篠田正浩監督と黒澤明監督との根本的な大きな差異を指摘したい。それは「時間の澱(おり)」とか「生活の垢」と言うようなことであるが、たとえば建物が風雨に晒されているとか、住居の柱が手垢に黒ずんでいるとか、老舗の床や柱や紙障子が時間の澱を沈めていても艶光りするほど拭きこまれている・・・などのことである。こうした点に関して、両監督の「美的感性」は正反対と言ってよいほど異なっている、と私は感じる。黒澤明監督がセット建設時に自ら汚れをつけていたという逸話があるが、一方、篠田正浩監督のセットは、私の見るところ、建てたばかりのように汚れがない。柱も床も鉋の技が光る美しさである。「鑓の権三」(1986) や「写楽」(1995) 、「梟の城」(1999) は、そのことが良く見て取れる。そしてこの篠田監督の美的感性はそのまま映画作品全体のいわゆる篠田流「様式美」に通じる。様式美と一口に言っても、黒沢監督の「蜘蛛巣城」の能の様式美に通じるものもあれば、木下恵介監督の「楢山節考」はその色彩設計と相俟って舞台セットのような様式美である。あるいは小津安二郎監督のロー・アングルや人物のいない家の中、いわゆる空(カラ)舞台なども小津流の様式美である。また、市川崑監督の「雪之丞変化」や、鈴木清順監督の「刺青一代」以後の一連の作品のような様式美もある。そうしたことは映画監督の作家性を証明するものであるが、篠田正浩監督作品への私のとっかかりは、まず、上述のセット美術の汚れのなさである。そしてさらに私見を述べるなら、その時代の澱や生活の垢の希薄な画面の美しさは、テレヴィで育った人の視覚にマッチし、CGやAIで製作した映画の美に通じ、その感覚を篠田正浩は先取りしていたかもしれない。 篠田正浩監督を追悼いたします。
Mar 28, 2025
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食事をする夢はかつて見た記憶がないが、今朝方5時少し前に目覚めるまでその食事の夢を見ていたような気がする。「気がする」と言うのもヘンだが、目覚めたとたんに忘れてしまい余韻だけがあった。そのまま起床せずに夢の余韻をまさぐっていた。そのうちに、学生時代から親しんでいたレストランが無くなってしまったな、と回想した。 近年は東京のあちらこちらで長期計画の都市改造が行われている。新宿もその例外ではない。学生時代から親しんだレストランは、私の場合新宿が最も多い。現在も存続しているところもあるが、たとえば、三越裏にあったドイツ家庭料理の「ケルン」は早くになくなった。駅中央東口前、安与ビル内の京懐石「柿傳」は、たといランチでも貧乏学生がおいそれとは行けなかった名店。安与ビルの前の通りを進んですぐの右側に「椿珈琲 新宿茶寮」がある。現在でも健在で、私がコーヒーを飲むときはここと決めている。その通りを挟んで向かい側のあたりの地下にブルガリア料理の「バルカン」がった。女性を連れてディナーを摂ると、ブルガリア民族服の男性ヴァイオリニスト二人が、テーブルにやってきて演奏してくれた。私は(実は)ちょっと邪魔だな、と思ったこともあったが・・・。 伊勢丹会館にあったスペイン料理の「エルフラメンコ」。本場スペインからのフラメンコギターとダンスのショータイムがあった。また、ワインの瓶の口部分に大きなパンを突き刺した料理が供された。 伊勢丹デパートの向かいに映画館スカラ座があったころ、その隣、交番とに挟まれるようなビルの二階に喫茶店「ウィーン」があった。現在のようにカフェと云うより、落ち着いたインテリアだったがやはり喫茶店といったほうが良かろう。ここのウインナー・コーヒーとチョコレート・ケーキは美味かった。私はそのチョコレート・ケーキを食べさせたくてわざわざ当時75歳くらいだった亡母を連れて行ったことがある。母は書道教室のためにしょっちゅう新宿に通っていたのだが。 「ウィーン」の近く、地下鉄新宿三丁目駅を出たあたり、三共ビルだったかな?、ローマ家庭料理の「カラカラ」。店内はイタリア風といえばイタリア風のちょっと古風でそっけないインテリアだったが、私はこの店で小さなコース料理を楽しんだ。三度四度と通っているうちにビルの建て替えが始まったと記憶する。「カラカラ」はすぐ近くに移転したので、出かけてみると、味が変わっていた。料理人が変わったのではないかと推測し、以後、私は通うのを止めた。 新宿中村屋レストランのカリー(これが中村屋のカレーの呼び方)は有名だが、私はタンドリーチキン・カリーが好きだ。 靖国通りに面して、あの辺りは三光町になるのか歌舞伎町になるのか、串揚げの店「船越」があった。たしか映画俳優船越英二氏の経営だったと記憶する。串揚げの専門店で、むろん酒も供したが、カウンター席だけのこじんまりした店内。さりげなく品があって、気持ちよかった。 西武新宿線駅の近く、向い側の地下にロシア料理「スンガリー」。この店は後に小田急デパートの向かい側にも同じ系列で営業していたと思うが、そちらの店には私は行ったことがない。「スンガリー」のボルシチは素晴らしい。・・・ロシア料理といえば、店名は忘れてしまったが渋谷の東急文化会館の中に一軒。このレストランはキノコの壺焼きガルショークが美味かった。この東急文化会館も取り壊された。・・・ああ、思い出した。東急文化会館のプラネタリウムに、会津若松市第三中学三年生の修学旅行で行ったなぁ。 小田急デパートも取り壊されたが、ここにあったポール・ボキューズ氏のレストラン「トロワグロ」では、近年私がランチを摂る一軒だった。もう一軒、学生時代からときどき立ち寄る洋食「アカシヤ」。先日閉店したアルタの裏にある。「アカシヤ」といえば何と言ってもロールキャベツである。 と云う具合に、昔懐かしいレストラン、今なお健在のレストランをベッドの中で思い出していた。私には酒場のなじみはまったくない。若い時は友人たちとグタラグタラ飲み歩いていたが、それとて私は連中の後ろからくっついて歩いただけ。そしてほぼウィスキー一本槍だった私だが、30歳を限りに完全に飲酒と喫煙を止めた。以後、後戻りをしたことはない。おかげで・・・なのだろう・・・医者に「80歳にはめずらしいキレイな肺」といわれる。
Mar 27, 2025
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イスラエルは一月の停戦合意を破ってガザを爆撃した。またもや子供をふくむ多くの死傷者が出た。ベンヤミン・ネタニヤフ首相は、ハマスが壊滅するまで攻撃をやめない、と言っている。しかしながら昨年10月以来のこの執拗な残虐なパレスチナ攻撃に対して、もちろん戦闘開始がハマス側の奇襲攻撃にあったことは承知したうえで、私はネタニヤフ氏の「個人的な欲望」を感じるのだ。 こう言うと、私は「反ユダヤ主義者」と指弾されるであろう。だが、それは違う。私はユダヤ民族のとてつもなく長い苦難の歴史を知っている。20世紀の第二次世界大戦下でのドイツにおいては、ヒットラーによる「ユダヤ1,000万人絶滅計画」が実行さ600万人が虐殺された。戦後の1948年5月14日、「流浪の民」はイスラエル建国(独立)を果たし、数千年に及んだまさに悲願を達成した。 私がその建国記念日を記憶し、忘れないでいるのは、私自身の誕生日と同じだからでもある。私が生を享けたのは1945年5月14日、太平洋戦争終結のちょうど3ヶ月前。米軍による日本本土無差別爆撃が開始された最中だった。グラマンB29爆撃機が侵入してくる駿河湾に面した土地が、私の生まれた里である。・・・戦地から帰還して間もなかった若き父は、敗戦を予感してい、第一子である私に歴史が改まる希いをこめた名前を付けた。・・・空襲警報のサイレンは生まれたばかりの赤ん坊の聴覚記憶に深く刻まれたのかもしれない。私は一見弱々しいが実は豪胆な子供だった。しかし中学生頃まで、サイレンの音に、それが何のサイレンであれ、心身が凍りつくような恐怖を感じたものだ。 イスラエルを建国した人々は、民族の苦難を克服して平安を得た「智(wisdom)」を全人類の普遍的真理として、率先して未来に向かって行動するであろう、と私は思った。イスラエルの人々は自らの苦難の歴史から「学んだ」はずだ、と。 しかし、社会的な「学び」には両極があることに、私は気付かなければならなかった。 すなわち一つの事例から、一方は寛容・善行等の高邁な行動原理を発見すること。他方、悪の実行原理と方法を発見すること。 数年前のこと、日本の大臣級の政治家が「ヒットラーに学べ」と発言した。どういう意味かというと、つまり、ヒットラーのナチス政権樹立とその後の施政の方法は、政権の目論見を達成するために、国民にはその政策から一見遠くにあるように見える法律を作る。次々に法律を作って制限を厳しくしてゆき、国民がこれはおかしいぞと気づいたときには、国民の手足のみならず心身が身動きが取れないようにがんじがらみになっている。国際的にはちゃんと「法治国家」として大義名分はたつ。悪法もまた法なのである。・・・日本のさる政治家がヒットラーから「学んだ」のはそのような「悪の方法論」だったと言える。 さて、そのヒットラーの悪法に拠って「ユダヤ人絶滅計画」は実行された。狩り立てられた男性は「断種」手術をさせられた人もあった。子供も容赦無く虐殺された。まさにユダヤ民族をこの世から絶滅しようとしたのである。たった一人の男の精神の抜きがたい異常性(臭気を嗅ぐような顔の表情にサディズムの傾向を指摘した研究もある)が、ドイツ国民を異常に向かわせた。この驚くべき事例は、政治的最高権力の在り方の研究のみならず人間研究のうえでは興味深い。 私がイスラエルに人類平安のパラダイム理論を期待したことは見事に裏切られた。国を守らなければならないという強い意志は、私とて理解している。しかしながらハマス急襲への反撃としてのガザ攻撃の実態は、病院や学校を含む一般市民が対象になっていることと、その規模の大きさ犠牲者の多さに、私は疑惑を感じるのである。イスラエルは建国以後、パレスチナ人を抑圧してこなかっただろうか。かつてユダヤ人がゲットーに押し込められたように、パレスチナ人をゲットーに押し込めていはしないか。互いの民族の個々人の親しい交際を、政策の大きなくくりにおいては断ち切ろうとしてはいないか。そのような意識下における社会的コンセンサスを形成するように仕向けてはいないか。 病院や学校を攻撃対象とすることについてイスラエル政府は、そこにハマスの司令室があるからだとかイスラエル攻撃のための地下通路があるからだ、と弁明している。それは事実かもしれないが、陰謀かもしれない、と私は思う。なぜならその攻撃の執拗さと残虐さは、特に産院を爆撃し子供を殺害している事実は、まさにパレスチナ民族絶滅を目論んでいるのではないかと疑わせるからだ。イスラエルは自らの苦難の歴史から「悪の方法論」を学んだのではないか、と。 一国の最高権力者は多かれ少なかれ「英雄」志向がある。その志向の強さがまさに「救国」に結果する場合があることは無論であるが、却って国を滅ぼすことになることもある。私がオトナになったからであろうか(実際は死期もまじかい老人なのだが)、21世紀になって、最高権力者の英雄志向が異様に映るほど多い。それはなりふり構わずというのもヘンだが、国内のあらゆる社会的コンセンサスの破壊と民心分断が国内のみならず他国にまで及び、世界の分断を引き起こしている。 イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相にも、私は非常に強烈な英雄志向を感じる。1976年のエンテベ空港奇襲事件で戦死し、イスラエルの英雄と称えられている、兄ヨナタン・ネタニヤフに対する「英雄コンプレックス」があるかもしれない。1996年のパレスチナによる自爆テロとその4ヶ月後に首相選挙で当選し、パレスチナ自治政府を念頭にイスラエルに対する攻撃に対して、それがいかなる攻撃であろうと対抗する方針を示した。ネタヤニフ氏が、対抗者とみなす言動に「反ユダヤ主義」とレッテルを貼って激しく非難するのも、首相就任当初からの方針にそうやりかたなのであろう。 しかし、過酷な現状にあるパレスチナを人道的に支援しようとする人が現れるのはむしろ当然である。それをしも「反ユダヤ主義」と非難し、国連難民救済物資輸送を攻撃しているのであるから、私はネタニヤフ首相が対抗者にふりかざす「反ユダヤ主義」というレッテルは、むしろベンヤミン・ネタニヤフ氏の欲望の隠れ蓑になっているのではないかと思う。ネタヤニフ氏の「個人的な欲望」が国政の名のもとに「反・反ユダヤ主義」の御旗で偽装されてはいないか。 ベンヤミン・ネタニヤフ首相の正義がすべからく真実「正義」であるならば、国際刑事裁判所(ICC ; International Criminal Court) は、ネタニヤフ氏の逮捕状を出さなかっただろう、と私は思う。 ベンヤミン・ネタニヤフ首相は、パレスチナとの戦闘状態にある現状を共存和平に漕ぎ着けることこそ、「英雄」として歴史に名を残す道であろう。
Mar 25, 2025
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山田維史「私は美しい series-3」2017年 油彩
Mar 24, 2025
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Mar 23, 2025
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アメリカ合衆国が民主主義国家として崩壊しつつあると見るのは私だけではあるまい。しかし、多国間の信頼関係を破り、ヤクザのような国家に成り下がったとしても大国には変わりない。その点が困りもの。世界への影響は甚大だからだ。なにしろ主権国家の尊厳を傲然と踏みにじる言説を発して自省することがない自己肥大化した精神の大統領だ。国の最高権力者が国内外に平然と嘘を言う。私にはその精神構造がまったくりかいできない。 日本も他国のことだと岡目ではいられない。日本の政治が軽佻浮薄な小悪党で施策されている有様なのだから。 ともかくいつかカタストロフィー(悲劇的な結末)が起こるだろう。それがどういう形かは明言できないが、人類史は常に大きな悲劇を呼び寄せて破滅しては新たな知性のパラダイム(基盤)を打ち立てて来た。私は、現在の世界情勢に絶望的ではあるが、やがては人間は気がつくはずだ・・・人類が等しく共存共栄するための知を獲得するはずだ、と思っている。 アメリカ合衆国はその「合衆国」という標章を破棄したのではあるまいか。そして仮面の独裁志向者によって堕ちるところまで落ちるのかもしれない。(独裁志向者は必ず何らかの仮面をかぶり自己肥大化した鎧をまとっている。)私たちはあらたな知の誕生のためにカタストロフィーに向かっているのかもしれない。 I'm not the only one who thinks that the United Statesis collapsing as a democracy. Even if it breaks the trustbetween many countries and becomes like a gangsterstate, it will still be a great power. That's the problem.The impact on the world will be enormous. After all,this president has an arrogantly tramples on the dignity of sovereign nations and never reflects onhimself. I cannot understand the mentality of a personwith highest authority in a nation telling lies to bothdomestic and international audiences. Japan can't just stand by and watch what happens inother countries. Japanese politics is run by petty,shallow villains. Anyway, acatastrophe (tragic ending) will occur someday. I can't say for sure what from it will take, but human history has always brought about greatand deatruction, and then established a new paradigm(foundation) of intelligence. I think that although thecurrent world situation is hopless, humans will eventually realize... they will acquire the knowledgeto coexist and prosper equally. I wonder if the United States has discarded its"United States" emblem. And perhaps we willfall as far as we can under the influence of masked dictatorial tendencies. (Those who aspire to be dictators are always disguise with some kind mask and armor that is self-inflated.) Perhaps we are heading towards catastrophe in order to give birth tonew knowledge.Tadami Yamada
Mar 22, 2025
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電話が鳴った。出ると録音機からの女声で「電話料金のお支払いの確認が取れておりません」と言う。私はそのまま切った。我が家は公共料金その他の支払日は決まっているので、支払いが遅れることもなければ、無論、不支払いということもない。お生憎様、その手の詐欺には乗りません、である。 不審な電話はままある。我が家の方針として商品販売の電話のみならず、保険等の勧誘や宝飾品や不用品の買取をしたいなどと言う電話には、一言も発しないで切ってしまう。私は人に勧められて物を買わない。何事かの電話アンケートに対しても即座に切ってしまう。もしかすると然るべきアンケートかもしれないが、そんなことを斟酌しない。私の考えを一般化した数値として公表する必要はないからである。 第一、人に電話するのに録音した音声を使うという心性が、私は理解できない。無礼であろう。(・・・と、書いているところに、また怪しい電話。「お忙しいところ・・・」、はい、ガチャン) 実は、私は電話を取って「ヤマダです」と名乗らない。そういう方針とすることに当初は非常にためらいがあった。以前もこのブログで書いたような気がするが、私が名乗ると、まったく知らない相手が「ヤマダさん! 私のことを覚えてくれましたか?」と如何にも親しげに言った。「存じ上げませんが・・・」と応えても、いつまでもしゃべりつづけた。それが一度や二度ではない。月に二度、あるいは数ヶ月おきに電話をして来た。そして私もついに我慢できずに「あなたは無礼だな。何のために私に電話をしてきて、私の時間を盗むのか知らないが、何度も言うように、私はあなたを知らない。今後、電話してきたら、あなたに対してしかるべき処置をしますよ」・・・と、こういうことがあったのだ。 さらに、ご近所の年配者から次のような話を相談されたことがあった。その方が隣町の街路を歩いていると、突然、若い男性に親しげに声をかけられた。まったく知らない青年だった。彼は或る名前で呼びかけて来た。仮に「Kさん!」としよう。しかし年配者の名前は「H」さんだったので、「私はKじゃない。Hです」と言うと、青年はすかさず「あっ、失礼しました、Hさんでした」・・・そこで年配者は気が付いた。ははぁ、こいつは詐欺師だな、と。 ・・・「気が付かれてよかったですね。その男が何を目論んで近づいて来たかは分かりませんが、とにかくこちらから名乗るのは止めたほうがいいですね。私も見知らぬ人に名乗るのを止めました。」と、年配の相談者に言った。 私が民生委員を務めていた9年間に、実は不審電話に関する相談は非常に多かった。市が貸し出している電話録音機を設置する手続きをしたこともあった。あるいはコンビニエンス・ストアで携帯電話を手にしてATMについて不審なやりとりをしている御老人がいたので、即座に警察に連絡して当人と接触してもらった。コンビニエンス・ストアの店員さんにも普段からATMに注意してもらってはいたのだが。 まあ、相談に乗っていた私自身が詐欺に引っかからないようにしなければ。
Mar 20, 2025
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今朝、19日、轟音ともいえる雷鳴。驚いて時計を見ると7時26分。雷鳴はそれ一度だけで、10数分後にかなり遠くで雷鳴があった。雨の1日の始まりと思ったが、玄関のドアを開けると雪が霏霏と降っていた。ものすごい雷鳴、しかし雪は音もなく降りしきり、すでに1cmほどに積もっている。「雷雨」という成語はある。「雷雪」とは言わない。・・・ちょいと冗談のような思いが去来して、声にならない笑になった。 季節外れの雪に風流になれない。三月に入る直前に雪よけをはずした植木鉢の植物がすっかり雪をかぶっている。せっかく蕾が割れて紅色が覗いていたクサボケが、開花できずにいる。紫陽花の小さな若葉もそのまま小さいままだ。 ・・・雪は積もらず、小雨に変わって溶けてしまった。灯油巡回販売車が通って行く。救急車のサイレンが聞こえる。
Mar 19, 2025
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Mar 17, 2025
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春泥に足とられまいニュース聴く 青穹(山田維史) 春泥に足をとられる偽情報 春泥に足を取られて飛び六方 春泥を避けようとして蹈鞴踏む 春泥に足掬われる相撲取 春泥に足取られる敗走兵 春泥に散りゆく花の数しれず ものの芽の縺れるがごと薮の闇 春衣着てはまた脱ぐ今日の雨【余計な註】 「六方(ろっぽう)」歌舞伎の様式化された花道ひっこみの足運び。「勧進帳」の弁慶のひっこみの足取りなど、飛び跳ねるような走法は「飛び六方」。 「蹈鞴(たたら)を踏む」鞴(ふいご)を踏んで炉み風を送ることだが、勢い込んでつんのめる足踏みをも言う。
Mar 16, 2025
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禅寺の早暁の鐘の音を、夢うつつに遠く聴きながら目覚めた。この土曜日曜、わが市は雨の予想。午後2時過ぎて少し降ってきた。昨日一昨日と厚着を脱ぎ去ったが、今日はまた重ね着した。上野公園はすでに桜が咲いているようだ。我が家の小庭のクサボケが蕾が割れて紅がふふむ。我が家で一番最初に春を告げる花である。もうじき咲くだろう。 日野宗印禅寺 禅寺の鐘ゆめうつつ春の朝 青穹(山田維史) 春眠や夢幻のかなた鐘の音 鐘の音や無門の門に春来たり 春ふふむ木瓜の蕾の紅のいろ【註】「無門の門」とは禅寺のこと。
Mar 15, 2025
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ご近所の年配の方から電話があった。親しいおつきあいという程でもないが、1年ばかりまったく姿を見ていなかったので、何となく気になっていた。「お元気ですか?」と尋ねると、病気で入院していたとのこと。しかし電話の声は張りがあったのでひとまず安心。年をとって時間が過ぎ去るのが早くなった、と言う。たしかにそのとおりで、私も日々それを実感している。「ヤマダさんは芸術家なので、ほかの人とは違う話ができます」と言うので恐縮した。・・・こうして電話をくださるのはありがたいことである。
Mar 13, 2025
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NICHAELANGELO's POEMThe fable of the world have bereaved me oftime given to contemplate God;nor have they solely used his Graces to forget him,but with them, more than without, have they turned to sin,What makes another wise, makes me blind and solidand slow to recognize my own error;lessens the hope, and yet increases desirethat by you I be released from love of my own,Halve the path that ascends to heaven,my dear Lord, and solely to that halfto ascend is your aid my requiste.Cast in hatred for me whatever the world valuesand whatever beauties it honors and cherishes.so that before death I may grasp etrnal life. (英訳者不明) ミケランジェロの詩世間の寓話は私から神を塾考する時間を奪った;彼らは神を忘れるために恩寵を使ったのみかその神の恩寵を使わずに罪に走った。他人を利巧にするものが私を盲目にし頑固にし、自分の過ちを認めることを遅らせる。希望は減少すれども欲望は増大する。貴方によって私自身の愛から解き放たれて、天国に昇る道を半分にしてください私の愛しい主よ、そしてその半分に昇るためにあなた様のご助力が必要です。世間が価値を置くもの如何な美を尊ぶかを問わず私に対する憎しみを捨て去ってくださいされば死の前に私は永遠の命を掴めましょう。 (山田維史訳)
Mar 12, 2025
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山田維史
Mar 11, 2025
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バーナード・サンダース米上院議員とカナダ首相トルドー氏(次期首相はマーク・カニー氏)の今日の話し。私たち日本人にとっても他国の事情ではない。トランプ政権の危険な政策「このままでは手遅れに」トルドー首相、トランプ大統領の関税政策を批判
Mar 10, 2025
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Mar 9, 2025
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三日間つづいた雨と小雪が止んで、風が強いが晴れ上がった暖かい1日だった。しかし明日から再び下り坂の天候のようだ。その合間を幸いとして自転車で少々の遠出をした。ついでに文房具の買い物も。 梅はこの週末が最後の見頃か。路傍のタンポポの黄色が眩しいほどあざやかだ。ダウンジャケットが暑い。正午を過ぎたところでコーヒーとクロワッサンで軽く腹ごしらえ。なんだかんだと4時間も走って来た。 雪解けの細き流れや花筏 青穹(山田維史) さて、私は国際問題に目を向ける。雪解けは程遠い。 トランプ大統領を真っ向から批判するバーナード・サンダース米上院議員の話しを聞こう。サンダース氏の論説は、不肖私自身が多方面の信用できそうな国際報道(日本の報道機関および政治家・政治評論家・政治学者はすべて抜き)を観察して得ている事実とまったく一致する。サンダース氏「トランプ大統領は民主主義を敵視し、独裁者を礼賛している」
Mar 7, 2025
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2月28日のホワイトハウスにおけるトランプ大統領とゼレンスキー大統領の会談決裂後に、世界は大きく動いている。もっとも注目すべきは、英スターマー首相と仏マクロン大統領がセッティングした、ウクライナ支援のためにゼレンスキー大統領を囲んでの欧州首脳会議である。3月2日、18カ国の首脳と機関がロンドンに集結した。この会議が歴史的な重要性をもっていることは、米国抜きで、トルコが参加していることとカナダのトルドー首相が参加していることで、両国が欧州会議に参加するのは初めてのことである。さらに親トランプのイタリアのメロニー首相が、トランプ氏を振り切ってEUの決議に賛同した。 この会議の前にゼレンスキー大統領は英チャールズ三世国王と握手を交わした。のみならず国王はゼレンスキー大統領の腕を優しくおさすりになられた。このことは国際的には非常に大きな意味をもつ。チャールズ国王はトランプ大統領との面会も予定されていたが、現時点で延期になっている。はたして実現するのかどうか。 さらに、ゼレンスキー大統領の服装は戦争渦中の国家元首としての服装で、礼装ではなかった。しかし国王はそれを受け入れられた。 ・・・このゼレンスキー大統領の服装について、トランプ大統領との会見でも同じ服装であったのだが、アメリカでは無礼と批判する取材者がいたようだ。ゼレンスキー大統領は3年前にロシア侵攻により戦時体制になって以来、一貫してスーツを着用していない。 無礼と批判した記者は勉強不足である。第二次世界大戦下の1942年、英チャーチル首相がホワイトハウスでルーズベルト大統領と会談した際の服装は、礼装でもなくスーツでもなく常装軍服であった。有名な写真が残っている。このとき合衆国はチャーチル首相をまったく批判しなかった。 ホワイトハウスには歴史的な先例があったのである。・・・つまり、記者の中にさえウクライナとゼレンスキー大統領を侮り見下すような心理が形成されていたということだろう。 この両国大統領会談でもっと憂慮すべきことがあった。それはバンス副大統領が会談に割って入り、持論を述べたことである。 国際外交では首脳同士の話に下位の者が口を挟むなどあるべきではない。無礼を通り越して、ホワイトハウスはバンス副大統領を処罰すべき行為だったのだ。報道関係は、戦時下にあるゼレンスキー大統領の服装を批判し揶揄うよりも、バンス副大統領を猛烈批判するほうが報道の本筋であろう。【注】 上に述べた1942年にホワイトハウスを訪問した軍服のチャーチル首相の写真は、トランプ/ゼレンスキー会談決裂後のマイケル・マックフォール、スタンフォード大学教授・元駐ロシア米国大使のX(ツイート)にも掲載されている。【注】欧州首脳ロンドン会議は、ロシア/ウクライナ戦争の「1ヶ月停戦」の提案を準備していると報じられている。しかし、もしも「1ヶ月停戦」が決議され、交渉のテーブルに乗せられたならば、ロシアは受け入れる可能性が強いだろう。なぜなら、ロシアはその1ヶ月間に、ウクライナ軍によって弱体疲弊化している戦闘態勢を、立て直せるからだ。プーチン大統領は「侵略」政策を決して捨てはしないだろう。彼の狙いは単にウクライナのロシア化だけではない。ポーランド、ルーマニア、フィンランド・・・邪な欲望の視界は次々に広がっている。欧州はそれを熟知しているはずだが・・・
Mar 4, 2025
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両作品ともに山田しゑ作 1965年頃 写真;北海道新聞社 朝からの雨がとうとう雪になった。わが町の初雪である。なんとまぁ、「桃の節句」の3月ですぜッ!
Mar 3, 2025
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Mar 2, 2025
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米ホワイト・ハウス外交史上始めて両国首脳がマスコミ取材陣の前で口論。米大統領はついに全世界にそのビジネス・マフィアのような本性を現した。 侵攻者プーチン・ロシア大統領に加担しつつウクライナの鉱物資源(レア・メタル)を要求する米大統領の卑劣な取引に対し、ウクライナ大統領はウクライナ国民の矜持を示して自国の自立防衛のために、ウクライナの将来的安全保障を全く抜きにしたこの卑劣な取引を断った。 トランプ大統領の言動は、ゼレンスキー大統領に対し朝貢外交を強制しているようだ。それはこの会議におけるトランプ大統領の言葉に明瞭にあらわれていた。 Trump ; You not, don't tell us what we're going to feel because you're in not position to dictate thatremember this, you're in no position to dictate whatwe're going to feel, we're going to feel, we're goingto feel very good, feel influ・・, feel very good andvery strong, you will feel influence you're right nowin a very good position, you've allowed yourself to bein a very bad position, it happens to be right aboutfrom the very very begining of the war you're not in agood position, you don't have the cards right nowwith us you start having right now you don't you'replaying carding card you're gambling with the livesof millions of people you're gambling with World WarIII, you're gambling with World War III, and what you'redoing is very disrespectful to the country, this country. (ANNnews CHの映像より原語を速記:山田) ゼレンスキー大統領はロシアに侵略されているのはウクライナであり「私は戦争の渦中にある大統領です」とトランプ大統領に抗弁し、その終戦のためのアメリカ合衆国との外交はあくまで相互に対等であることを示したのである。ウクライナはロシアに対し譲歩することは些かもないからである。そして、ゼレンスキー大統領はアメリカ合衆国に対して、アメリカ合衆国国民に対して、感謝の言葉を20回以上も繰り返し述べているのであるから、トランプ大統領が「貴方はこの国に対して感謝をしていない」と面罵したことは、明らかな誤認というより、「見返りを寄越せ」が本心だと理解できよう。 このニュースに対してすぐさま欧州各国の首脳は反応し、それぞれがSNSでウクライナ支援を表明した。それは、米大統領は就任以来、超越的権限を有する大統領令によって、矢継ぎ早の爆発的な速度で世界の民主主義国家の分断につながる政策を打ち出しているからである。世界の危機の瀬戸際認識が、28日の両国大統領の外交破綻によって事実上の危機と認識されたのである。 アメリカ国内の反応はどうか。トランプ大統領の味方であるはずの下院共和党会議の元議長リズ・チェイニー氏が、ゼレンスキー大統領が守ろうとしていることとアメリカ合衆国がその歴史において守ってきたこととは同じであるが、トランプ大統領とバンス副大統領はそのアメリカ合衆国の歴史に恥ずべき汚点を残したことを記憶しなければならない、と非難した。 先月2月24日にトランプ大統領はフランス大統領マクロン氏と会談した際、その手前勝手な発言をマクロン大統領が嗜めるように手で制止した。そのニュースは物笑いの種となって全世界に広まったばかりだ。アメリカのマスコミさへトランプ大統領に好意的に報じなかった。
Mar 1, 2025
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