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新東京タワー定時報告です。工事の着工は来年ですので、まだ大きな変化はありません。前回の報告では、いよいよ工事用フェンスが出来たことをお知らせしました。そのフェンスがさらにパワーアップしています。前回報告時の現場↓今回の現場↓地上からは現場が見渡せなくなりました。そしてフェンス自体にも変化がありました。これが前回報告時↓今回の現場↓イラストが描かれてます。これがそのイラストです。ワクワクしてきます。今度業平橋の駅から、工事の進み具合の写真を撮ってきますね。ではでは
2007年10月31日
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今日は時間が無いので軽いネタ。私は山歩きが好きである。その山に行く交通手段はマイカー:電車=6:4くらいの比率である。特に山梨の勝沼以西の山に登る場合、公共交通機関で登山口まで行ける山は極端に少ないこともあり、ほぼ100%マイカー登山である。私の日帰り山歩きの標準的な行程は、朝5時前に浅草近くにある自宅を出発し、そのまま首都高~各高速道を乗り継いで行き、7~8時に登山口に到着するというパターンである。特に山梨方面に出かけるときは、中央道の談合坂SAで一度休憩することが多い。この談合坂SAからは扇山などの山並みが綺麗に見える。特にこの秋の時期は日の出が遅いこともあり、ちょうど八王子を過ぎる頃に日の出を迎える。そして談合坂で休憩していると、ちょうど周りの山並みが「紫色」に染まりだすのだ。その景色を見ると、「さあ、登るぞ!」という期待が高まるのだ。この前の日曜も同じようにここで休憩した。時間は6時過ぎ。その日は満月に近い月が西の空に沈みかけているところだった。雲ひとつない空に寒々しい感じの月がぽつんと孤独に浮いていた。こんな朝早い時間に紫色の山をバックにした素敵な月を見ることができるのは、ある種の贅沢かなあなんて思ったりした。山歩き始めるようになって知った贅沢の一つである。だから山はやめられない。
2007年10月30日
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昨日の日曜は奥秩父の「金峰山」に登ろうとして雪で敗退。敗退どころか登山口にたどり着けなかったのだが・・・。そして結局『ほったらかし温泉』でのんびり過ごしたことは昨日のブログに書いた。今日はその『ほったらかし温泉』の話。ちなみに私がここを訪れたのは今回が3回目である。『ほったらかし温泉』。ご存知の方が多いだろう。もはや関東に留まらず、日本一の人気がある日帰り温泉施設といっても過言で無いだろう。実際にあちこちの日帰り温泉人気投票で軒並み上位にランクインされている。最近はツアーに組み込まれることも少なくないようだ。この日は早朝だったのでツアー客はいないようだが、昼間は結構混雑しそうだ。そして中国・韓国系の外人も多い。人気の高さが伺える。この『ほったらかし温泉』は山梨県の「笛吹川フルーツパーク」園内の、さらに上のほうにある日帰り温泉施設である。平成11年開業の比較的新しい温泉だ。風呂は「こっちの湯」と「あっちの湯」の2つある。開業当時の風呂が「こっちの湯」、平成15年に新たな源泉を引いて開業したのが「あっちの湯」である。「あっちの湯」のほうが広くて開放感がある。別料金なのがちょっと癪に障る。この温泉の特徴は何といっても「眺望の良さ」が挙げられる。甲府盆地を一望に見下ろせるロケーションは素晴らしい。天気がよければ富士山や南アルプスが風呂に入ったまま見渡せる。ここまで眺望の良い温泉は他に思いつかない。さて肝心の泉質だが、PH10.1の強アルカリ性温泉。ただ実際にはあまりそれは感じられない。一部循環式を併用しているので、泉質に関してはあまり褒められたものではない。ただ、この温泉は泉質で勝負の温泉ではない。泉質のマイナスを覆い隠すほど眺望が素晴らしいのだ。山梨で「泉質」を第一に考えるなら『はやぶさ温泉』に行けば良い。この『ほったらかし温泉』にそれを期待するのは“野暮”というもの。では写真で紹介。これが駐車場。朝9時前なのにかなりの車が止まっている。駐車場もかなり広い。200台位は止められそうだ。これが温泉入り口である。変なオブジェがある。意味不明。そして入り口で迎えてくれるのがこのマネキン。入り口の能書き。売店もある。結構いろいろ売ってる。休憩所もばっちし。この他に屋内の休憩室もある。そして眺望。別に風呂に入らずとも充分素晴らしい景色を堪能できる。富士山が美しい。そして『あっちの湯』に入湯。600円である。ちなみに脱衣所のロッカーは100円。中はこんな感じだ。写真は無いが露天以外に内湯ももちろんある。そして湯船と富士山。なかなか良いでしょ。皆さんも山梨にお立ち寄りの際には立ち寄られてみてはいかが?公式HPはこちらなお、泉質重視の方は『はやぶさ温泉』できまりです。はやぶさ温泉の公式HPはこちら。ではでは。
2007年10月29日
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登山失敗はケータイから速報でこのブログにアップした。今日は奥秩父の金峰山に登る予定だった。標高は2600m弱で百名山の一つでもある。私は2年前の7月に一度登ったことがある。今月の7日に金峰山の近くにある「国師ヶ岳」に登った。国師ヶ岳も金峰山もどちらも登山口となるのは一般車両が通行できる日本最高所の車道峠でもある『大弛峠』である。7日に大弛峠を訪れたときは紅葉が始まったばかりであった。だから今日は紅葉真っ盛りなのではないかと思い、期待して訪れたのだ。朝5時前に家を出発。順調に中央高速を走る。夜が明けてくるにしたがって、雲ひとつない晴天なのが良くわかる。大月付近では雪化粧をした富士もくっきり見える。「これは絶好の山日和だ」と思い、すでにハンドルを握りながらニヤニヤしていた。ところが・・・長い長い笹子トンネルを通り過ぎ、甲府盆地に突入。目の前には山頂が雪で覆われた南アルプスも見える。綺麗だなあ~。と思いつつ高速を下り塩山方面に向かうと、なんと目の前にこれから登ろうとしている金峰山の真っ白な姿が現れたのだ。雪・・・まだ10月だし、今年は紅葉も遅れているし、標高も高いことは高いが2600mしかないし。なので思いっきり「雪」に対して油断していた。もちろん、念のために軽アイゼンはザックの中に入れてある。なので登山口まで行ければ登山は可能である。問題は登山口まで行けるかだ。私の車はスタッドレスを履いていない。ましてやチェーンも持っていない。とりあえず行ける所まで行こうと思い、舗装された林道をぐんぐん進む。金峰山の五丈岩がはっきりと見えるところあたりまで来ると、雪は山頂付近だけではなく下の方まで残っていることが見て取れる。大弛峠は標高2360mである。う~む。そして林道を登るにつれ、朝の時間には珍しく上から降りてくる車が多い。おそらく雪で断念して引き返してきた車だろう。そして決定的なことが起こる。ちょうど大弛峠まであと10kmの標識に来たところ、なんと前方からはルーフとフロントに雪を“たっぷり”乗せた四駆が下りてきたのだ!すれ違うときに尋ねてみると、なんと昨日の台風の時に大雪が降ったとのこと。峠付近はチェーンが無いと無理だそうだ。と言うわけで路面の冠雪により、登山口にたどり着くことが不可能になり断念。o( _ _ )o時刻はまだ7時10分。今からなら他の山に変更しても山を楽しめる。「瑞牆山」や「茅ヶ岳」を思い浮かべたが、どうせ塩山まで引き返すのなら「大菩薩嶺」が近いと思い、そちらに車を向けた。大菩薩嶺は今年のGWにも登った。標高2000m強の山でやはり百名山の一つである。しかも運転中に見える大菩薩嶺は雪を被っていない。登山口である上日川峠の標高も高いが大弛峠には遠く及ばない1500mである。これなら大丈夫と思い、大菩薩近くまで車を走らせると、なんと林道入り口に「通行不可」の看板が・・・あれ~、林道の冬季閉鎖は11月からじゃないのか?と思っても後の祭り。この時点で時間は8時。他の山にさらに変更することも可能だが、完全にダブルパンチが効いて気が萎えた。という訳で予定変更。山がダメとなると次は温泉である。とは言ってもこの時間では私のお気に入りの「はやぶさ温泉」は開店前だ。そこで早朝から営業している「ほったらかし温泉」に行くことにした。そして温泉でまったり。「ほったらかし温泉」の話はまた後で書きますね。という訳で、残念ながら秋晴れの下の山歩きは出来なかった。まあたまにはこんな休日も良いか。ちなみに来週は鉄道博物館に行く予定。ではでは。
2007年10月28日
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温泉入ってます。
2007年10月28日
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どうやら今日の日曜は晴れそうだ!よって山行決行!という訳で早起きしなければいけないのでもう寝ます。おやすみなさい。
2007年10月28日
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今、千葉の職場です。雨・風とも強いです。台風接近により大雨警報も出ているので、いつもより若干早く帰宅します。JRは遅延しているようですが、とりあえず動いているようなので一安心です。ああ、駅まで歩くの嫌だなあ。傘が壊れないように注意しようっと。
2007年10月27日
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台風接近中。まだ風雨は強くないです。これから雨の中出勤です。電車が止まらなければいいなあ。
2007年10月27日
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台風20号が急に来た。まあ関東を直撃することはないだろう。しかしこの急な台風接近により、なんと日曜は台風一過で晴れそうな予感!はたしてどうなることやら。次の台風情報が待ち遠しいなあ。
2007年10月27日
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先日の日曜は父の七回忌だった。法要後には親族で会食である。私の母には兄弟が多いので、意外と会食の人数も多くなる。基本的には母の兄弟が中心になるのだが、私の従兄妹も数名出席していた。酒を飲みながら従兄妹とお互いの近況などを話していたのだが、そこで聞かれたのが「なぜ山登りを始めたの?」ということだ。私には従兄妹が多い。そのネットワークも結構しっかりしている。そのネットワークの中で、私の山登りが話題になっているそうだ。そりゃあそうかもしれない。確かに3年前のGWに山登りを突然始めるまでは全く山と無縁の生活を送っていた。どちらかというと親戚が私を見る目は「スポーツには縁のないひ弱な男」という感じだった。もちろん学生時代は普通にスポーツもしてたが、特にそれに力を入れることもなかった。高校時代なんかは酒とバイクとファッションにしか興味がないチャラチャラした軟派男だった。そんな私が、中年になって急に山歩きを始めたということが、いたく彼らの興味を刺激しているようだ。確かに自分でも「どうしてかな」と思う。別に昔から山に興味があったわけではない。小学生時代に家族で高尾山や大山にハイキングに行ったことはあるが、その印象は今はもうない。父と中学生時代に富士に登ったことはこのブログにも書いたが、特にそれが山に目が向くようになったきっかけでもない。今改めて考えてみると、そのきっかけは8年前に仕事で行った北アルプスの「高瀬ダム」かもしれない。あ、別にダムを造りに行ったわけではないですよ。仕事関係で「TEPCO電力館」の高瀬ダム見学ツアーに参加したのだ。それまでは「北アルプス」なんて名前は知っていたが、詳しい知識は全く無かった。もちろん長野を訪れたことはそれまでに何度もあったが「山」は自分的には対象外だった。ところがこのTEPCOのダム見学に参加して、初めて高瀬ダムを見たときは心底びっくりした。こんな山岳景色が日本にあるなんて思わなかったのだ。今思うと、高瀬ダムあたりからの景色なんてさほどのことはないのだろうが、その時は本当に感動した。高瀬ダム自体の大きさもそれに拍車をかけた。確かに山に興味がない者は山岳雑誌や写真集などを手にすることもない。となると山岳風景なんて目にすることもないだろう。だからあの景色をいきなり初めて見てそれに痺れてしまったのだ。それ以降、山岳風景に対する興味が出てきた。旅行先も「山」を感じられるところを選ぶことが多くなった。「黒部アルペンルート」「蔵王」「吾妻山の浄土平」なんかだ。浄土平からは15分ほどの階段道の登りで「吾妻小富士」に登れてしまう。そんな訳で少しずつ山に対する「憧れ」みたいなものが芽生えてきたのだ。しかし当時はまだ「登山」とは「プロフェッショナル」にしか許されないものかと思っていた。まあさすがに高尾山とかは別ですが。だから自分で山を登るなんて考えもしなかった。実際に「自分でも歩けるかな」と思ったのはある本との出会いである。それは実業之日本社」から刊行されている「展望の山旅」と言う本だ。そこそこの山好きだった父が買ったのであろうこの本が実家の本棚にあることに気づいたのが4年くらい前である。何となく手にとり、ぱらぱらとめくっていたら一気に引き込まれてしまった。この本は主に山頂からの風景を解説している本である。写真や絵が豊富でわかりやすい。「山座同定」と言う言葉も初めて知った。そして読んでいて気づいたのが、「山はプロだけのものではない」ということだ。もちろんアルプスの一部の山などはそれなりに経験を積まないと無理だろうが、初心者でも気軽に楽しめる山があるということに改めて気づいてしまったのだ。今から思えば当たり前の話なのだが。そこで興味を持ちネットで検索すると、個人の「山行記」が出てくるわ出てくるわ。中には私と同じように山歩きの経験がない中年の「単独山歩きをはじめるまでの軌跡」みたいなHPまである。そんなのを見てしまい、より一層闘志が掻き立てられたのだ。そして登ろうと決心し、準備万端で迎えた最初の山行が日光の鳴虫山である。それ以降、今日まで3年半で36回の日帰り単独山行をこなしている。何がきっかけとなるかは本当に偶然みたいなものだ。でも中年になった私にこんな楽しみが出来たのは良いことだと思っている。逆に何かの機会で私のこのブログを読まれ、初めて山に興味を持たれる方がいれば幸いかなあとも思う。ああ、山に行きたいなあ。日曜日晴れないかなあ。
2007年10月26日
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何度もこのブログに書いているが、私の休日は日曜だけだ。前回の日曜は法事のため、休みを満喫できなかった。その前の日曜は「鉄道博物館」のオープニングに行く予定だったが、早々と混雑による入場打ち切りとなったため断念した。そんな訳でこの2週間は貴重な休みをいまいち有効活用できずにいた。28日の日曜は予定通り休めるので、久しぶりに休みを満喫したいと思っている。候補としてはやはり「山」に行きたい。都心では紅葉はまだまだだが、山では紅葉が見ごろになっているだろう。是非行きたいと思っている。しかし今日現在の天気予報では週末の天気は崩れるらしい。o(_ _)o ショボーンそれではインドアということで再度「鉄道博物館」へのリベンジも考えているのだが、多分年内の土日はメチャメチャ混んでそうな気もする。行くなら朝一番に入館しないと無理そうかなあ。となるとお出かけ先もなかなか決まらない。天気が悪ければ遠出をする気も起きないので、近場のお出かけとなる。ちょこちょこと情報収集しているのだが、あまり興味を引かれるイベントも見当たらない。忘れてた。そういえば日曜は競馬のG1「秋の天皇賞」があった。ダイワメジャーとメイショウサムソンが人気になりそうだ。でも今年はいままであまり競馬に集中していなかったので、あまり食指が伸びない。競馬にさほど興味が持てない年は何年ぶりだろうか。さて、そんな訳で週末のお出かけ先を熟慮中である。まあ、天気予報が外れて好天になってくれれば一番良いのだが。どこに行こうかなあ。
2007年10月25日
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昨日23日発売のアサヒのビールテイスト飲料「あじわい」を飲んだ。年内は「金麦」と「スパークリングホップ」で突っ走ろうとこの前のブログに書いたばかりだが、その舌の根も乾かぬうちに浮気である。どうしても新製品には弱いのだ。キリンの「スパークリングホップ」を取り上げたときも書いたが、この「あじわい」もビールではなく、発泡酒ですらない、「リキュール類」に属している。その分安い。このタイプのビールテイスト飲料は「スッキリ感」はあるが「こく」がないというのが弱点であった。どうしても「軽さ」が気になってしまう。さて、この「あじわい」はその「こく」を追求したというふれこみだ。で、お味の程ですが・・。まあまあ「こく」は出ている。今までのリキュール類ビールテイスト飲料よりはこくがあるかなあ。後味も悪くはない。全体的に及第点を上げられる酒だ。でもやはり「軽さ」は払拭できていない。本当のビールと比べるとどうしても物足りなさを感じてしまう。まあ仕方ないか。さて、昨日買った「あじわい」には「おつまみ」がセットされていた。それがこれである。開けるとこんな感じ。そんなに辛く無かったです。ではでは。
2007年10月24日
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今日は隅田川の橋の話。東京在住でない方も「隅田川」の名前くらいは聞いたことがあるだろう。毎年夏に行われる「隅田川花火大会」はTV中継もされるほどの大イベントだ。また東京観光として、「浅草~お台場」を結ぶ隅田川の水上バスも人気である。「下町」と言えば「隅田川」。これは切っても切り離せないものだ。隅田川を渡る橋は多い。つい最近、「勝鬨橋」「永代橋」「清洲橋」が重要文化財に指定されたのは記憶も新しい。今回はその隅田川に架かる橋の紹介その1。本当は全部の橋の写真を撮ってから紹介しようと思っていたのだが、夏にいくつか撮った後、時間がなくそれっきりになっていたので、とりあえず少しずつ紹介することにした。まずは隅田川の上流側から紹介。現在の隅田川が岩淵水門で荒川放水路と分岐した後、「新神谷橋」を先頭に30近い数の橋が架かっている。でもイメージ的には「隅田川の橋」というと、千住大橋から「勝鬨橋」までがそこに入るかなと思っている。今回紹介するのがまず「水神大橋」。1989年竣工、しかも自動車道路供用開始が1996年と、かなり新しい橋である。以下の文はウィキペディアからの引用。『水神大橋(すいじんおおはし)は、隅田川にかかる東京都道461号吾妻橋伊興町線支線の橋。西岸は荒川区南千住八丁目、東岸は墨田区堤通二丁目。橋名は東岸にある「隅田川神社(水神宮)」に因む。創架は1989年(平成元年)3月。橋の組み立てを陸上で行い、橋桁を台船に乗せて干満の差を利用して橋脚に乗せるという方法を利用した。付近の汐入公園、東白鬚公園は東京都の防災拠点として位置づけられており、そのため双方を繋ぐ連絡橋として千住汐入大橋と共に計画された。当初は歩行者専用橋で、接続する道路の整備が完了した平成8年(1996年)7月10日より自動車道路供用が開始された。もともと「水神の渡し」という渡船場があった場所でもある。』さて、これが水神大橋。アーチ式の綺麗な青い橋である。新しい橋なのだが大きな幹線道路に接続している訳ではないので、交通量もそう多くない。隅田川橋のニューカマーって感じだ。そして水神大橋の一つ下流にあるのが「白鬚橋」。やはりアーチ橋である。これもウィキペディアから引用するとこうである。『白鬚橋(しらひげばし)は、隅田川にかかる橋で、東京都道306号王子千住南砂町線(明治通り)を通す。西岸は荒川区南千住三丁目と台東区橋場二丁目を分かち、東岸は墨田区堤通一丁目と二丁目を分かつ。橋名は東岸にある「白鬚神社」に因む。創架は1914年(大正3年)5月。近在の人々が基金を募って資本金を作り「白鬚橋株式会社」を設立、大正2年4月に着工して約一年で完成した木橋である。長さは一三〇間(約230m)であったと伝えられる。橋に番小屋を置き、大人一人1銭の通行料を取ったが、当時は渡し舟も多く走り、経営は苦しかったという。後に2銭に値上げするも間に合わず橋の維持に支障をきたすようになり、1925年(大正14年)に東京府が買い取り、関東大震災後の震災復興事業の一環として現在の橋に架け替えられることとなった。もともと「橋場の渡し」と「白鬚の渡し」という渡船場があった場所であり、特に橋場の渡しは江戸時代、文禄3年(1594年)に千住大橋が完成して主だった街道筋が移されるまでは、隅田川を渡る中心地であった。伊勢物語での東下りの中で主人公(在原業平と同一視される)が有名な「言問」の歌を詠んだのはこの渡しとされる。』橋自体はどことなくSFチックな印象を与えてくれる。松本零士の描く宇宙船のように見えなくもない。なかなか格好良い。今回はこの2つの紹介。他の橋はまた今度。Part2へ
2007年10月23日
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今日は時間が無いのでこれで失礼。下町情緒の残る墨田区『京島』にある銭湯「曳舟湯」です。実際に入湯したことはありませんが、近くのヨーカドーには良く行きます。時々TVドラマに使われたりします。造りは立派です。ではでは。
2007年10月22日
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このニュースには笑った。ここまで落ちてたんですか。彼は。よりによって「銅線泥棒」。せめて元芸能人なら捕まるにしても「薬物」関係とかにしてもらいたかった。こいつは芸能界に振り回されちゃったのかなあ。芸能界の被害者と言えなくもない。ちょっと可哀想かなとも思う。とは言ってもやったことは立派な「犯罪」、しかも「泥棒」なので同情の余地はない。まだ世間の裏表がわからないガキをおだてて祭り上げ、不祥事があったらすぐ切り捨てる。こんな業界だからこそ、彼に「常識」という教育をせずにいたのだろう。その結果がこれだ。考えてみれば、亀田ファミリーなんかも似たようなものなのかなあ。まあ、早いうちにEE JUMPを解散してソロになったソニンは正解だったかもしれない。でもそういえば最近、ソニンを見てないなあ。今回のニュースソースはこちら
2007年10月21日
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明日の日曜は法事である。しかも私の父の七回忌である。私の父は「闘病の末に亡くなった」というパターンではなく、「事故死」であった。しかも自爆。よって家族にも心の準備が全くない死であったため、その当時は結構ショックだった。しかしもう6年も経ってみると、それも懐かしい思い出になっている。13回忌をきちんとやるかどうかはまだ決めてないので、親戚なども呼んで大げさに法要をするのは今回が最後かもしれない。まあこれで一区切りである。さて、こういった法事のあとのお楽しみが「会食」である。法事のあとの会食では「木曽路」なんかを使われる方が多いだろう。父の四十九日の時はそうだった。しかし「木曽路」みたいな店で出される「懐石料理」は、見た目はまずまずだが味はイマイチだったりする。私には親戚が多い。母の兄弟が多いのだ。その母の兄弟たちが食べるものにうるさい。別にグルメではないのだが、「木曽路の懐石料理」みたいな料理に対しては、「堅っくるしいだけで美味くもなんともない!」という感じなのだ。そんな訳で、当家主催の法事の場合は会食の場所に気を使う。別に値段は高くなくて良いのだが、美味しくてそこそこ量もあり、そして酒を飲んで騒げる場所という条件がつくのだ。実家は台東区の谷中なので、上野あたりに出張ることが多い。「東天紅」なんかもよく使う。今までで一番評判が良かったのは東京メトロ千代田線の「千駄木駅」近くにある中華の超有名店。「おこげ」と「杏仁豆腐」は絶品であり、よくマスコミに取り上げられる店。それが「天外天」だ。値段も宴会コースで一人6~7000円といったところだ。まあ実際には酒代が加わるのでそれでは収まらないが。確かにここの「おこげ」と「杏仁豆腐」は絶品だ。ここは一度は食べに来る価値ありの店だ。お店のHPはこちら。興味のある方はどうぞ。さて、明日の会席なのだが、今回はなんと「ふぐ」である。おお、ゴージャス!法事のあとに「ふぐ」を食べるなんてばちが当たりそうである。もちろん高級店や老舗ではない。最近増えてきた「安い」ふぐの店だ。この手のふぐの店は結構コストパフォーマンスに優れている。明日の店も一人当たり6000円ほどの予算で済む。酒代は別ですが。決して安くはないが、その値段でふぐのコースを食べることができれば万々歳である。ふぐではなく他の店を選んでも、さすがに「和民」あたりで宴会するわけにもいかないので、どうせそれくらいはかかってしまう。それだったら寒くなってきたこの時期、ふぐに舌鼓を打つのもいいかなということになったのだ。今シーズン初めての「ふぐ」である。楽しみだなあ。今日はふぐのことを考えながら仕事にいそしもう。
2007年10月20日
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「赤福」が大変なことになっている。そういえば「赤福」を最後に食べたのはいつのことだろうか。父が存命中だった頃、たまに地方に出張に行くときは必ずお土産を買ってきてくれた。関西方面だとたいてい「赤福」だった。京都出張のときもどこで買うのかはわからないが「赤福」だった。個人的には京都なら「生八橋」が好きなのだが、家族の同意を得られないためか、「生八橋」がお土産になったことはない。残念。さて、地方の「お土産」の話。私の父は職務上、出張が少なかったと思う。なので子供の頃は、父がたまに出張するとき、地方からどんなお土産を持ち帰ってくるのかが楽しみだった。とは言っても関西方面だと決まって「赤福」だったのであまりワクワク感は無かったが。最近はお土産もいろいろ多様化したようで選択肢が増えてきているようだ。とは言っても三重といえば「赤福」みたいに定番となっているのも多い。北海道のお土産で最初に思い浮かぶのが「六花亭」。バターサンドも良いがストロベリーチョコが好きだ。「白い恋人」はあまりお土産としての記憶がない。仙台のお土産といえば「萩の月」。これは美味い。異論はどこからも出ないであろう。最近では「○○の月」と名のる似たような菓子も多い。しかし本家に及ぶものはない。静岡だと「うなぎパイ」。夜のお菓子である。美味しいことは美味しいのだが、あまり「うなぎ」を連想させるお菓子ではないので、お土産的にはそう印象深くない。関西は「赤福」「八橋」。個人的には餡の入っていない皮だけの「生八橋」が好きだ。しかし日持ちしないのが難なのか、お土産としていただくことは少ない。広島といえば「もみじ饅頭」。しかし「もみじ饅頭」をお土産に貰った記憶はない。食べた記憶もない。美味しいのだろうか?わからない。九州方面のお土産はあまり思い浮かばない。「かるかん」くらいか。さて、私の好きな地方土産のお菓子がある。あまり話題に上ることはないが、多分皆さんも何回も口にしたことがあるであろう。私の好きな地方土産のお菓子。それは「のし梅」である。山形の土産だが、「梅」ということで水戸の土産にもなっている。どっちが本家なのかはわからない。「のし梅」とは梅肉ゼリーを竹皮にのした、酸味あるさっぱりとした味が特徴の銘菓だ。私の大好物である。「仙台の萩の月」が東北地方土産の定番として定着する前までは、基本的には父の東北土産はこれだった記憶がある。最近はあまり口にしてはいないが、時折無性に食べたくなるお菓子だ。あの竹の皮をむいたときにあわられる薄ピンク色のゼリーが実に食欲を誘う。ああ、食べたくなってきた。こういった自分なりにこだわりのあるお土産があるのも良いものだ。私自身は出張がほとんどない職務についているので、お土産に対する憧れはつのる一方である。でも「のし梅」食べたいなあ。
2007年10月19日
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飲みすぎてダウン。今日はとりあえず寝ます。朝起きたらブログ書きます。へろへろです・・
2007年10月19日
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17日新発売のキリン「スパークリングホップ」をさっそく飲んだ。これは税制上はビールでもなく、発泡酒よりもさらにワンランク低い「リキュール類」に属する飲料だ。「金麦」「極旨」「良質素材」などと同じである。さてお味のほうだが、「スッキリ感」はある。しかし「売り」にしているほど「フルーティー」な感じはしなかった。「フルーティー」というあおりが大きかったため、地ビールっぽい味を期待してしまったのだが、それは残念ながら裏切られたことになる。でもまあ、美味しい部類に入るかな。同じキリンの「良質素材」よりは美味しい。アサヒの冬季限定「ぐびなま 冬のやわらかホップ」よりは全然美味しい。しかし、これら一連のビールテイストのリキュール類飲料は、ほとんどアルコール度数が5%である。個人的につい最近までお気に入りだったサントリー発泡酒の「秋生」はアルコール度数6.5%だった。これは嬉しかった。しかしもう時期的に「秋生」をコンビニで見かけなくなったので、非常にさびしい。やはり安くビールテイスト飲料を飲めるのだから、頑張っってアルコール度数を6%くらいにまで引き上げて欲しかったなあ。それだけお得な感じがするのに。まあ、サントリー「秋生」に代わる飲み物としてはいいのかなという気がする。今年は年末まで「金麦」と「スパークリングホップ」の2種類だけで突き進もうかなとも思っている。正直、もう普通のビールは値段的に買いたくなくなってきているのが現実だ。それほど発泡酒やリキュール類のビールテイスト飲料の味が向上しているのであろう。そういえば最近、エビスビールを飲んでいないなあ・・・
2007年10月18日
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ようやく秋になったと思っていたら、それどころか急に冷え込んで寒いくらいな東京である。朝晩の冷え込みは結構きつい。衣替えも慌てて始めている。先週までは日中は半袖で大丈夫だったが、もうさすがに無理。おそらく今週末くらいから一気に紅葉が進みそうな予感。週末は紅葉を愛でる旅をしたいものだ。しかし今度の日曜は法事のため、残念ながら休みを満喫できそうにない。まあ仕方ない。季節的にはまだ「秋」だが、何となくイメージ的には、今年の終わりが近づいてきたように感じる。それはこの時期、書店を訪れると余計にその気持ちが強くなるのだ。それはなぜかというと、気の早い書店の店頭では「来年度の手帳コーナー」が開設されているからだ。もう早々と「2008年」と表紙に書かれた手帳がずらっと並んでいる。そうなのだ。もうあとちょっとで2008年なのだ。時の経つのは早いものだ。さて手帳だが、私は基本的に手帳は「苦手」である。一応毎年、見開きマンスリータイプのA4版の手帳を買っているのだが、ほぼきちんと使ったためしがない。会議の時など一応はメモを取ったりするが、後からそれを見返すことはない。結局毎年ほぼ白紙の状態で私の手帳はその役割を終えるのである。私の仕事は内勤のため、日常のスケジュールなどは卓上のカレンダーに書き込んでしまうことで充分事足りる。一応ネットなどででスケジュール管理などもしているが、卓上カレンダーと大差ない。どうしても手帳がうまく使えないのだ。よくビジネス書で、「仕事を成功させる手帳の使い方」みたいな本があるが、自際に読んでみてもイマイチうまく活用できずにいる。絶対あんな本は眉唾物だ。それでも毎年買わざるを得ないのである。なかなか悔しい。しかもA4版のタイプだと2000円近くする。ちょっと勿体無いかなあと思い始めている。かといって出入り業者の粗品としてもらえるような手帳も嫌だ。ここら辺が悩みの種である。でも手帳コーナーの前を通ると、つい物色してみたくもなる。困ったものだ。いずれにしても、今年もあと2ヶ月半でおしまい。そろそろ来年のことをいろいろ考えようかと思っている。
2007年10月17日
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今日は時間が無いのでお茶濁し。先日、行列のできる某有名ラーメンショップの浅草支店で辛ラーメンを食べました。この店は金魚をモチーフにしてました。で、味のほうですが、辛かったけどあまり美味しくなかったです。混んでなかったし、ここはもう駄目かなあ。ではでは
2007年10月16日
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昨日14日は以前のブログに書いたように「鉄道博物館」のオープン日。朝、9時過ぎに起き、のんびり朝食を食べながらTVを観ていた。本日の予定では昼過ぎに鉄道博物館に行こうと思っていた。しかしmixiなどをチェックしてると鉄道博物館は大混雑しているらしいということがわかった。入場制限しているようだ。念のため鉄道博物館に問い合わせてみると12時の段階で本日の入場を終了したとのこと・・・。という訳で鉄道博物館はお預けである。年内に行けるかなあ。そんなわけで昨日は遠出をせずに、まったりとした1日を過ごした。昨日の午前中はのんびりとテレビを観ていた。TBSの「サンデージャポン」を観ていたら内藤選手が出ていた。ここでいまさら「内藤VS亀田」の話はしない。しかし内藤選手は結構面白いキャラだということがわかった。試合前までは全然そんな感じではなかったので、「サンデージャポン」での彼はどこか弾けていたような感じで面白かった。試合当日だったか翌日だったか忘れたが、内藤選手の所属ジムである「宮田ジム」でのインタビューを観た。そのときに印象に残ったのが「ジムにネコがいる」と言うことだ。内藤選手にインタビューしている後ろでネコがうろうろしていた。しかも1匹ではなく少なくとも3匹は確認できた。可愛い!宮田ジムは葛飾区の立石にある。私の住んでいる向島からは京成で1本で行ける。そんな訳でふらっと宮田ジムにネコを確認しに行った。ここが京成立石。ここに来たのは初めてである。ローカルムードが漂う街だ。こんな小路もある。う~んレトロ。そして駅から徒歩3分ほどで宮田ジム到着。ここである。ジムの前に花が一つ。テレビ東京からである。TBSからはないのか?本日はジムはお休みのようだ。またはまだ開店前のようだ。世界チャンピオンを出したジムの割にはこじんまりとしているのも共感が持てた。そしてネコ。閉まっているジムの窓から覗くとこんなネコちゃんを確認できた。可愛い。ちゃんとジムで飼っているようだ。う~ん、宮田ジムは面白い。こんな環境だからこそ、あの内藤選手みたいなキャラが成り立ったのかもしれない。とりあえず内藤選手おめでとう!
2007年10月15日
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巷で話題になっているのが『江川卓』『小林繁』初競演の日本酒CMである。若い世代は分からないかもしれないが、私が中学生だった当時、江川が巨人軍と入団契約を交わした「空白の一日」事件はかなりセンセーショナルだった。懐かしいなあ。最終的には阪神、巨人間で「江川、小林トレード」で決着がついたのだが、いまいち釈然としない結果だった印象にある。さて、その事件からもう28年経っているそうだ。江川、小林両者とも今はプロ野球解説者として活躍している。今回この2人をCMで競演させたのは日本酒メーカーの「黄桜」。なかなか面白いアイデアだ。しかし私も知らなかったのだが、両者はこのCM撮影のときまで、ほぼ会話を交わしたことが無かったそうだ。もちろん当時の経緯を考えれば納得はするが、もうお互い現役を引退して20年近く経っている。しかも解説者同士となっているのでとっくに和解はしていると思っていた。ところが和解してなかったんですね~。そこに目をつけたのが今回のCM。さっきお酒を飲みながらTVを観ていたら、日テレの「うるぐす」でちょうどそのCMを取り上げていた。CM撮影中のドキュメンタリー映像などを流しており、なかなか面白かった。あの江川が小林に対してかなり下手に出てたのも面白かった。まあ、これをきっかけに本当に心から両者には和解して欲しいものである。しかしこの時期、江川がこんなCMを受けたのは別の思惑があったからかもしれない。それは「ダーティー」なイメージを完全払拭して、いよいよ巨人軍監督の座を本気で狙い始めるということ。とりあえずセリーグは原巨人が優勝したので、そうそうに監督交代はないだろうが、巨人戦の視聴率が低迷している状況では、来期の途中で交代なんかもありえない話ではない。すると江川待望論なんかが起こるのは必至である。それを踏まえて「クリーン」なイメージをアピールしているのかなあなんて、つい裏読みしてしまう。どうなることでしょうか。やっぱり何年経っても江川を見ると、どうしても裏に「金」を感じちゃうんだよねえ。まあ別に巨人ファンではないのでどうでもよい話なのだけど。江川&小林CM情報はこちら。
2007年10月14日
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あの黒川紀章氏がお亡くなりになられた。久々に「意外性」のある「死」だった。氏の建築家としての偉大さは述べるまでもない。しかしその職業柄仕方ないのかもしれないが、あまり表舞台に出ることもないため、昨年までは氏の人柄などに触れることなど全く無かった。「偉大なる建築家」というイメージしかなかった。しかし何を血迷ったか今年の都知事選に立候補してから、世間一般にその人物像をアピールするようになった。そこで初めて私は氏の人物像を知った。故人に対して失礼かと思うが、やはり世間一般では「有名建築家」というよりも「変な人」というイメージが付いてしまったのではないだろうか。「晩節を汚す」とまでは言わないが、氏の今年一年の行動はマイナス評価にしかならなかったのではないかと思う。「ろうそくは消える前に輝く」というが、それに近いものがあったのかもしれない。合掌。
2007年10月13日
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『JR山手線』。東京近辺にお住まいの方にとって日常の移動手段として欠かせない路線であり、地方にお住まいの方も耳にしたことくらいはあるであろうJRの主要路線である。その山手線には「目黒」「目白」という駅がある。目黒のほうは東京23区の区名にもなっているのでご存知の方が多いであろう。落語の「目黒の秋刀魚」の舞台でもある。ちなみに「JR目黒駅」は目黒区内ではなく、品川区に存在するというのは「鉄」における常識の小ネタでもある。さらにいうなら「JR品川駅」は品川区ではなく港区に存在していたりする。まあ、どうでもよいですが。さて、その「目黒」「目白」という駅名、地名はそれぞれ「目黒不動」「目白不動」に由来する。「目黒不動」のほうは正式には瀧泉寺といい、江戸時代には「江戸の三富」と呼ばれた「富くじ」が行われていたことでも有名である。ちなみにサツマイモで有名な「青木昆陽」の墓があることでも知られている。目黒、目白は有名だが、その他に「目赤、目黄、目青」があるということは意外と知られていない。「江戸の歴史マニア」以外にはほとんど興味が持たれていないのであろう。その5つは合わせて「江戸五色不動」と呼ばれている。「五色不動」とは江戸寛永年間の中旬、三代将軍徳川家光が天海大僧正の具申をうけ江戸の鎮護と天下泰平を祈願して、江戸市中の周囲五つの方角の不動尊を選んで割り当てたとされるものである。五色とは密教の陰陽五行説由来し重んじられた青・白・赤・黒・黄でそれぞれ五色は東・西・南・北・中央を表しているとのこと。もっともその説はあくまで言い伝えであり、実際に「江戸五色不動」と言う名がついたのは明治のころらしく、江戸時代から存在していたのは実は目黒、目白、そして目赤の3つだけという説もある。さて、その3つ目の「目赤不動」であるが、その場所は文京区本駒込にある。この地域には「白山神社」「吉祥寺」「富士神社」など、江戸歴史マニアが泣いて喜ぶような寺社が多い。正式名称は「南谷寺」。で、肝心の目赤不動であるが、実にこじんまりとしている。門前には「目赤不動」と赤い文字で書かれ仰々しく思えるが、どちらかというと中はひっそりとした雰囲気だ。目黒不動が賑わっているのとは実に対照的である。この本駒込と言う場所は、私の実家である台東区の谷中からは自転車で15~20分ほどの場所である。小学生のころは「根津神社」横の坂を上り、ここら辺までよく遠征していたものだ。このあたりは大通りを一歩外れると閑静な住宅街となっており、すごく雰囲気のある街並みである。少し歩けば「小石川植物園」や「六義園」などもあり、ちょっとした散策をするにはよい場所だ。こういう江戸の歴史が残る街並みを、さわやかな秋晴れの下、歩いてみたいものである。江戸小ネタでした。
2007年10月12日
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10月に入り、東京ではすっかり秋らしい陽気になってきた。日中も汗ばむことはないし、朝晩は寒さを感じるほどだ。長かった暑い夏も終わり、一年の中で一番過ごしやすい季節になった。しかし夏の猛暑の影響で各地の紅葉の名所でも色づきが半月ほど遅れているそうだ。都内での紅葉はもちろんまだまだ先の話だ。さて、都内の紅葉・黄葉は大きく3つに体分されるように思われる。ケヤキ・イチョウ・サクラである。緑の少ない都内でも、公園の樹木や街路樹としてこの3つは多く見ることができる。街道沿いにはこの3つの街路樹が多い。神宮外苑のイチョウ並木や、甲州街道のケヤキ並木は有名だ。サクラはどちらかと言うと大通りではなく小路の並木になっていることが多い気がする。プラタナスの黄葉なんかも綺麗だが、あまり有名なスポットは思い当たらない。それらを楽しめるのは今年は12月かもしれない。待ち遠しいものである。先日の日曜、山梨で山歩きをした帰り道、時間が比較的早かったこともあり、景色を楽しみながら帰ろうと思い、中央道を使わず国道20号を勝沼からずっと都心まで走った。相模湖周辺で渋滞することもなく、順調に都心までドライブできた。高尾から西八王子あたりまではイチョウ並木になっている。もちろんまだ色付いてはいないが、なかなか綺麗だなあなんて思いながら走っていた。信号が赤になり車を止めると窓からプ~ンと匂ってきた。そう、銀杏である。イチョウは黄葉の前に銀杏の実をたわわに実らせる。ちょうど今頃がその時期なのだ。銀杏には思い出がたくさんある。私の実家があるのは台東区の谷中。下町情緒を色濃く残す街である。その実家のすぐ近くにあるのが「上野公園」「谷中霊園」。どちらもイチョウが多く植えられている。私は銀杏が大好きである。子供時代から好きだった。そんな訳でよくこの時期は銀杏拾いに行ったものだ。朝早い時間に銀杏の落ちているイチョウの木に行き、そして拾うのだ。しかし銀杏の実を狙うのは皆同じで、時間が少しでも遅くなると根こそぎ拾われてしまっており、収穫ゼロなんてこともあった。だから数あるイチョウの中でも、銀杏の実をつけるイチョウの木をあらかじめ把握しておかなければならない。そしてそれらのイチョウをどのような順で廻ればライバルに先んじれるかも考えなければいけない。この時期の銀杏拾いは一種のバトルでもあったのだ。まあ出遅れて根こそぎ拾われた後でも、イチョウの幹にキックを食らわせればいくつかの銀杏がぱらぱらと落ちてくる。なんとかなるものである。さて銀杏拾いにもテクニックがある。銀杏の実を直接つかむと「かぶれる」ので、うまく種だけ取り出す必要がある。銀杏拾いをしている大人は「割り箸」を使って取るケースが多かったように思える。ただそれだと1個1個掴むのに手間がかかる。私のとった作戦は、ビニール袋に手を突っ込み、そのままビニール袋越しに直接銀杏を掴むという方法だ。これだと握りつぶすような感じで種子を取ることができるので好都合なのだ。子供はみなこの方法を取っていたと思う。そして銀杏をゲットした後も大変である。バケツに銀杏を入れ、それを自宅に持ち帰るのだが、そのまま持ち帰ると近所に強烈な悪臭も一緒に持ち込むことになる。だから上野公園や谷中霊園内の水道である程度洗ってから持ち帰ることになる。しかし公園や霊園の水場というのはさほど多くない。だから銀杏入りのポリバケツを抱えた老若男女が水場で順番待ちをしなければならない。並んでいるとどうしてもまわりの成果が気になる。自分の量が多ければ優越感に浸れるし、その逆だと劣等感に苛まれる。ここでもバトルがあるのだ。そして洗浄後のそれを自宅に持ち帰る。多少匂いは残っているが、その程度の匂いなら近所も寛容だ。どこの家庭も同じようなことをしているからだ。その後、天日で干して出来上がり。秋の味覚の誕生である。茶碗蒸しに入れるのがポピュラーな食べ方でもあるが、私はシンプルに焼いて食べるのが好きだった。現在では暖房と言えば、エアコンやファンヒーター、床暖房が主流だと思うが、当時は「石油ストーブ」がどこの家庭にでもあったと思う。その石油ストーブの天板の上に置いて焼くのが我が家の常識だった。もちろんそのまま焼くとはじけてしまうので、あらかじめペンチなどで少し割っておく。しかしこの「少し」割るというのが意外と難しく、あの銀杏の硬い殻を割ろうとするとつい力が入ってしまい、「グシャッ」という音とともにペチャンコにつぶしてしまうことも多々あった。銀杏拾いをしていたのは小学生の頃。もう30年以上も前のことだ。それでもこの時期、あの独特の匂いがどこからか漂ってくると当時の思い出が蘇ってくるものである。居酒屋で銀杏の塩焼きを注文するときも、石油ストーブで焼いている子供時代の自分が思い浮かぶのである。こんなことを書いていたら無性に銀杏が食べたくなってきた。今日のおつまみは決まりかな。
2007年10月11日
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皆さんは「特異日」という言葉をご存知でしょうか?今日10月10日はかつての「体育の日」。2000年から「ハッピーマンデー制度」のため、体育の日は10月の第2月曜日に変更されてしまったが、秋の運動会などが各地で行われる日でもある。この10月10日は東京地方の「晴れの特異日」としても知られていた。「特異日」とは、気象学的な理由は不明ながら、統計的に毎年その日には特定の天気になる傾向が強い日のことである。体育の日が第2月曜に変更されてから、残念なことに体育の日に雨が降ることが多くなったようだ。現に今年がそうだ。さて中年以上の方には常識なのだが、意外と若い世代が知らないことがある。それが「体育の日は東京オリンピックを記念して祝日になった」ということだ。この10月10日は1964年に開催された東京オリンピックの開会式が行われた日である。ちなみに私はまだその当時この世に生まれていなかったのでその記憶はない。今の若い世代にこの話をすると大抵驚かれる。また人によっては体育の日にわざわざ開会式を持ってきたと思っている。東京オリンピックは昭和で言えば39年。まさに「三丁目の夕日」の時代である。若い世代にわからないのも無理ないか。レトロだなあ。東京オリンピックは、秋雨前線通過後の晴れの特異日でもある10月10日をわざわざ選んで開催されたのである。まあ、実際には開催日決定までにはもう少し紆余曲折などがあったのだろうが。ところで以前から疑問に思っていたことがある。それはなぜ「夏季」東京オリンピックが10月に行われたかということだ。戦前に行われたオリンピックは別として、通常、夏季オリンピックは7、8月に行われる。来年の北京もそうだ。東京だけ特例だったのだろうか?IOCから文句は出なかったのだろうか?さて、今日も前日の天気予報では「曇り」となっていたが、今、空を見上げると所々晴れ間が覗いている。まずまずのお天気である。こういった特異日もなかなか馬鹿にならないものだ。
2007年10月10日
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昨日、今日と、都心では肌寒い日が続いている。日中も非常に過ごしやすい。朝晩の冷え込みもきつく、今朝は未明にあわてて毛布を一枚追加したほどだ。ようやく秋の到来である。もう今夏の猛暑が遠い記憶のように感じられる。人の記憶ってそんなもんだ。先日の日曜はこのブログにも書いたとおり山梨の国師ヶ岳に登ってきた。麓はもちろん紅葉などはまだまだであったが、さすがに山頂は2600m近いので、ナナカマドなどが色付き始めていた。山の秋は確実に進行している。今年は各地で紅葉が遅れている。しかしこの寒さで一気に紅葉が進みそうな予感。ただ、こういう年は例年に比べると紅葉の色付きが悪いという話を良く耳にする。紅葉する前に葉が落ちてしまうそうだ。今年の秋は昨年ほど仕事に忙殺されることはなさそうなので、紅葉を楽しむ時間はありそうなのだが、肝心の紅葉がイマイチなのではつまらない。山歩き以外では、今年は茨城方面と白州方面に紅葉狩りに行く予定。どちらも例年なら今月下旬あたりが見ごろになりそうなのだが、どうだろう?来月上~中旬にずれ込むかなあ。いずれにしても秋の本格的な到来は嬉しい。そろそろ通勤列車の車窓からセイタカアワダチソウとススキの花を楽しめるころだ。東京では秋は非常に短い。その短い秋を十分満喫したいものである。
2007年10月09日
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久しぶりの新東京タワー定時報告です。(全然定時じゃないけど・・・)少し動きがありました。もちろん工事開始は来年なので、建設が始まったわけではありません。よって全体像に大きな変化はありません。何の変化があったかというと、ついに敷地に工事用のフェンスが設置されました。いままではただのネット状のフェンスだったのが、しっかりと目隠しフェンスになりました。こんな感じです。整地作業の前段階みたいな感じなのでしょうか、少しずつ残存施設が撤去されているようです。いよいよですね。
2007年10月08日
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今日は久しぶりの山歩き。8月4日の富士登山以来だ。そんな訳で今回は「山の空気を味わう」というのを大前提に、“軽い”山を歩くことにした。それが奥秩父の「国師ヶ岳」「北奥千丈岳」である。特に「北奥千丈岳」は標高が2601mもあり、奥秩父山塊最高峰である。そんな山がなぜ“軽い”かというと、登山口の「大弛峠」の標高がすでに2360mもあるからだ。ちなみにここは現在では『一般車両が通行できる日本最高所の車道峠』でもある。詳しいレポはまた後日。とりあえず写真を2枚ほどアップ。北奥千丈岳から見た「南アルプス」全景です。こちらは国師ヶ岳からの秋空と富士。雲海に浮かぶ富士が格好良いです。ではでは
2007年10月07日
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富士山ばっちり
2007年10月07日
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またまたお茶濁しです。実家のネコです。寝たふりです。ではでは
2007年10月06日
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この秋~冬にかけて様々なものにおいて「値上げ」が行われそうだ。ガソリン価格高騰は言うまでもないが、新聞紙面に載っている値上げ記事を読んでいると暗くなってきてしまう。今朝の新聞に載っていたのが「タクシー料金値上げ」である。東京での初乗り運賃が11月中旬にも現行の660円から710円に値上げされる模様である。現行の660円でも高いと思っているのに、710円なんかになったら大変だ。とは言ってもタクシー料金の高さに不満を持っている私はすでにタクシーを極力使わない生活をしているので、それがそのまま延長されるだけなので実質的には影響はないのだが。そういえば最後にタクシーに乗ったのはいつだったっけなあ?少なくとも今年は乗ってないなあ。タクシーに乗ったとき、運チャンに「景気はどうですかねえ?」なんて尋ねると、100%帰ってくる答えは「全然ですよ」だ。実際に客が少ないらしい。そりゃあそうだ。あの値段では敬遠するよなあ。いっそのことタクシー代を大幅値下げしたほうが客が戻ってくるのではないかと思う。そして小麦粉の輸入価格上昇に伴う食料品の値上げ。これは痛いなあ。何が一番痛いかと言うと「カップラーメン」の値上げだ。今年6月から「昼食控えめor昼食無し」ダイエットに取り組んでいる私は、最近ではあまりカップラーメンを口にしない。とは言っても時々無性に食べたくなるものだ。今は週に1個くらい食べてるかなあ。値上げ幅は多分10円か20円だろう。実質的には大して懐には影響は無いのだが、好きな商品が値上げされると言うのは「精神的」にきついものがある。個人的に今気に入っているのが、カップヌードルの「きのこバター醤油風味」である。これは美味しい。私はもともと「チリトマト」派だったのだが、今はすっかり鞍替えである。これが値上げとなると嫌だなあ。今後は値上げに対する抗議の意味も込めて100円ショップで売っているラーメンを買おうかなと真剣に考えている。給料も値上げにならないかなあ。
2007年10月05日
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今週末はまたしても三連休。ちょっと三連休が多すぎるような気がする。私は残念ながら例のごとく日曜日以外は仕事。よって「三連休」どころか「連休」すらない。でもまあ、日曜が休めるので良しとしよう。9月の週末は暑かったり天気が悪かったりしたので残念ながら山歩きができなかった。毎月1山、日帰り登山を目標にしていたのだが、今年はまだ7回しか山に行けてない。その分、この秋は盛り返そうと思っているのだが、いつ何時仕事が入るかわからないので微妙である。しかし、なんとか久しぶりに今度の日曜は山に行けそうである。8月の富士登山以来だ。ただ秋になったといえども「紅葉を楽しむ山旅」は今年はまだ無理そうだ。なんとか頑張って標高の高いところに行こうかと思うが、紅葉の進み具合は微妙である。例年ならもう奥日光なんかは紅葉真っ盛りのはずである。しかし今年はまだのようだ。とりあえず日曜は奥秩父の山に出かけようと思っている。少しでも紅葉が見られれば嬉しいのだが、行ってみないことには今年はわからない。まあ、久しぶりの山歩きを満喫したい。天気が晴れだといいなあ。
2007年10月05日
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郵便局が必死である。昨日、仕事の用事で近くの郵便局を訪れた。今月1日から郵政民営化が始まったことは皆さんご存知でしょう。私もそれくらいはもちろん知っている。ただ実際の業務に関しては民営化後もさほど変わらないと言うことなので、これまであまり深く気にしていなかった。ところが今日、郵便局に足を踏み入れるなり「いらっしゃいませ~」の挨拶が迎えてくれた。そして妙に局員の愛想が良い。接客もちゃんとしている。今までの郵便局では考えられなかったことだ。ははあ、これが民営化の効果なんだなと改めて思った。郵政民営化に関してはいろいろと取りざたされている。地方の切捨てになるのではなんていう意見も多い。私はそもそも郵政に疎いので、そこら辺に関しての意見は差し控えます。でも今日、郵便局に行って改めて思ったのが、やはり「公務員は駄目」ということだ。もちろん全ての公務員が「駄目」というわけではない。立派な方々も多いと思う。しかし、郵政民営化の初日に併せるかのようにして、途端に愛想を振りまきだすような人材は絶対に「立派」ではない。だってそうでしょ、民営化なんて小泉さんのころに既に決まっていたのだ。だったらその時点から、客に対してのサービスの質を上げようと努力するのが当たり前。民間企業なら当たり前のことだ。ところが郵便局では民営化直前までは相変わらずの接客だ。民営化初日から接客態度をコロリと変える事が出来るのであれば、なんでもっと以前からできないのか?それが不思議でならない。まさに公務員である。多分、上からの指示通りにやっているだけなのであろう。やはり競争原理とかがないと危機感が全くなくなるのだろう。そこが一番の問題だと思う。何がなんでも「民営化」が最良の策とは思えないが、少なくとも「官の下」でいい加減に働いている公務員を駆逐するきっかけにはなるのでは思う。出来れば今後は各市町村、都道府県庁レベルの公務員も全部民営化してもらいたいと切に思う。全部民間の委託でもいいんじゃない?社会保険庁なんかは即刻民営化してもらいたい。
2007年10月04日
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閑話休題その2。江ノ電です。深い意味はありません。
2007年10月03日
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ちょっとお遊び。実家のネコです。
2007年10月03日
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東京は先週の土曜からずっと雨。今日の火曜も雨の予報。この時期はもともと秋の長雨にあたるので、仕方ないといえばそれまでなのだが。気温もぐっと下がってきた。先週までは寝るときも薄手の夏掛布団一枚だったのだが、週末は慌ててもう一枚上乗せした。このブログを書いている今も外は雨が降っている。これで一気に秋に突入となるのなら納得もするが、この雨が止む水曜からはまた暑くなりそうとのこと。さすがに30度を越えることはなさそうだが。いま一番頭を悩ましているのが「衣替え」である、果たして夏物を全部しまってよいのかどうか。別に洗濯機で普通に洗える服はどうでもよいのだが、問題はクリーニングに出さなければいけない服である。スーツはもちろんのこと、シルク素材のシャツなどは引き際に頭を悩ます。シーズン終了後にクリーニングに出した後、急に暑くなってもう一度出番が来るというのは実に癪に障る。まあスーツはもうしばらく衣替えをしなくても良いかなと思っているので、夏用スーツを数着ローテーションで回そうかと思っている。さて「衣替え」といえば、やはり中学校、高校時代の「制服」が思い出深い。今はどうだが知らないが、私の中高時代は「衣替え」が厳格に決められていた気がする。私は中高とも詰襟だったので、10月1日からは暑くても「学ラン」だった。10月の初旬の学ランは暑い。色が黒いだけあって、やたら熱を吸収してしまう。また同じく夏の衣替えの前、5月の「学ラン」も暑かった。そうかといって「学ラン」にさほど「防寒機能」があるわけでもなく、冬の「学ラン」も寒かった。厳冬の時期は「学ラン」の下にセーターなどを着込みたいのだが、「学ラン」はある程度体にフィットするサイズで作られているので、薄手のセーターならいざ知らず、厚手のセーターはなかなか着込めない。当時の学校は十分な暖房設備など無かったので、窓際の席などは冷えて冷えて大変だった覚えがある。そんな訳で、中高時代は「ブレザー」タイプの制服に憧れていたものだ。別にファッション的なことではなく、温度対策として。ここ数年のような異常気象が続くと「衣替え」なんて言葉は死語となり、「歳時記」から除外されてしまうかもしれない。さて、今日はこれからお酒で体を温めてから寝るとしよう。
2007年10月02日
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今日10月1日は『都民の日』である。東京在住の方以外はわからないかもしれないが、本日は東京では『都民の日』ということで、都内の公立小中学校は休日となる。その他、都の美術館などの公共施設が無料開放される。「カッパのバッジ」なんかもあったなあ。懐かしい。多分、東京以外のどこの府県でも同じような日があると思う。自分が小中学生だったころはこの『都民の日』が嬉しかった。小中学生は休みだが、別に世間全体が祝日となるわけではないので、「特別の休み」みたいな感じで嬉しかった。逆に何となく休むのが後ろめたい気もしたものだ。そういえば同じように、学校の『開校記念日』なんかの休みも物凄く嬉しかった。開校記念日はその学校だけの休みであるので、平日の昼間に学校にも行かず遊んでいられるのは嬉しかった。でもやはりどことなく後ろめたさを感じていたものだ。実際、繁華街を歩いていて警官に呼び止められたこともあった。そのときは胸を張って『開校記念日です!』と言ってやり過ごすのだが、それもなかなかスリリングな思い出だったりする。さて、『都民の日』の思い出といえばやはり「赤い羽根」であろう。多分、今日は駅前で赤い羽根募金が大々的に行われるであろう。小学生のころはあまり深く考えずに募金していた。事前に母から募金用の小銭を貰ったりしたものだ。募金するときも、おばさんを避けて可愛い女の子の募金箱を目指したものだ。でも中学生になったあたりから募金しなくなった。なんかあの募金の「強制的」なところが鼻につくようになったからだ。募金と言うのはあくまでも“善意”で行われるものである。でもこの時期の募金はどちらかというと“義務”みたいになっていたのが嫌だったのだ。そんな訳で、赤い羽根はもう30年近く募金していない。今日の出勤時は、駅前で「赤い羽根募金お願いしま~す」という声を聞くのだろうなあ。今年も募金するつもりはないが、“ほしのあき”みたいな若いオネーチャンが募金箱を持っていたら決心が揺らぐかもしれない。
2007年10月01日
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