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2008.05.14
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 このような時期、アメリカ国内でハワイ共和国併合を支持していたのは、領土や勢力範囲を拡大することを国益と考える人たちであった。それは、海洋を制する国家が世界を征する、という考え方でもあった。それであるからその主張は、「真の争点は、太平洋の要を支配し優位を占めるのが、野蛮な東洋か文明国のアメリカか」という意見に集約されていた。
 この混乱の中で日本人移民の社会は、日本人同盟会をホノルルおよびヒロに結成した。しかし彼らの言動は、王政復古派でも白人併合派でもなかった。彼らの関心は参政権を獲得すること、つまり白人たちと同等の権利を得ることに集約されていた。このようなとき、帝国政府は別の動きをしていた。居留民の保護と、アメリカの軍艦のホノルル係留は日布条約違反との名目で軍艦・浪速を日本から、またサンフランシスコに投錨していた練習鑑・金剛を、さらに時をおいて軍艦・高千穂の三隻をホノルル港に進駐させたのである。その上でハワイ各島の居留邦人の状況視察との名目で、金剛をヒロに派遣した。日本は邦人保護を名目に軍艦を派遣することでハワイの独立を支援し、アメリカへの併合の動きを牽制していたのである。このとき司令長官の東郷平八郎は全乗員に対し、「本鑑がこのホノルルに停泊する以上、皇国の領土の一部がここに延長されたと同様の意義を有するものである。従ってわれわれの一挙一動は、直ちに帝国の品性にまで影響を及ぼすものであることを自覚し、いやしくも軽挙妄動のことがあってはならないと同時に、いよいよ決行する場合は少しも躊躇することなく、断固として進むべきに進み、もって皇国武人の本領を十分発揮するよう切望する」と訓辞をして事に備える覚悟を促した。

マウナケアの雪マウナケアの雪
                       (上・軍艦高千穂 下・練習鑑金剛 HPより)


 マッキンリー大統領は、日本との関係が「深刻な状態から、危機的な状態に移りつつある」という認識を示し、「日本側は攻撃的な態度をとっている」と言って非難した。アメリカ国会は軍事的に圧力を加える日本に対応するため、「短期的には軍艦・オレゴンをホノルルに派遣し、ハワイを併合して星条旗を掲げる。長期的にはニカラグアに運河を建設し、新たに軍艦を十二隻建造して半分を太平洋岸に配備する」という案が秘密裏に議論されていた。
 俄然ハワイを舞台に、日本とアメリカの間が険悪になった。
 ハワイ併合派は、併合までの長期戦に備えて暫定政府ではなく、ハワイ共和国そのものの成立に動き出した。
 一八九四年、アメリカは、自分たちが政治的支配を充分に維持するだけの労務者を確保した上で、ハワイ共和国の誕生を宣言した。リリウオカラニ女王はアメリカやイギリス政府に抗議したが、間もなく日本を含む諸外国は、新生・ハワイ共和国を承認していった。ハワイ王国の滅亡は、既成事実となった。
 アメリカは本国での排日運動を背景にして、帝国政府とハワイ王国の間で結ばれていた移民条約(官約移民)を廃止された。その間に四十六船、二万九千人にも及んだ官約移民には、福島県からの二船も含まれていた。アメリカ人たちは、「逆民族浄化だ」と言って神経を尖らせていた。それはやがて日本人に限らず、アジアからの移民の制限はしだいに強化されることになった。すでにアメリカは、ハワイ共和国政府の頭越しに、それらの政策を決めていた。日本に残された道は、ハワイへの私的な移民のみであった。帝国政府は、ここに活路を求めようとした。個人の行為なら、政府は口を拭っていられるのである。
 この年から政府間協議による官約移民の時代が終わり、私的移民の時代となっていた。そのために移住事業は営利事業となり、民間の移民会社の手により推進されていた。この高い営利性に着目した帝国政府は、これを与党である自由党に連なる民間実業家に委ねていった。
 ハワイ人の意志を無視した各国の勝手な行為は、ハワイ先住民の間に民族主義の火をつけることとなった。
 一八九五年、ハワイ人系王政派は、再びウィルコックスなどの指揮の下にホノルルへ侵攻し、発電所、電話局、警察署を占拠して官庁街を襲った。共和国政府軍と武力衝突となり、戒厳令がしかれた。しかし二週間で武装蜂起は鎮圧された。反乱軍の首謀者の烙印を押されて逮捕され廃位させられたリリウオカラニ女王は、カウラナ・ナ・ブア・オ・ハワイ(愛国歌)を国民に残してアメリカへ去って行った。

   譽れ高きハワイの花よ
   忠誠を誓いなさい、アイナ(土地)に忠実でありなさい
   悪魔の心をもった使いがやってきました
   貪欲な恐喝文書をもって

   ハワイ島のケアウェが応えています
   ピエラニのところからも助けがきます
   カウアイ島のマノが支援します
   カクヒヘワの人々も加わります
   誰も手を触れてはいけない、誰も署名をしてはいけない
   敵が提案してきた文書なぞに
   あやまって取られたわれわれのアイナを取り戻そう

   私たちは惜しいとは思わない
   政府の大金なぞは
   われわれの祖国の石
   昔からの食物で満足しよう

   リリウオカラニを支えよう
   私たちのアイナへの権利を維持できるように
   繰り返し歌おう
   アイナを愛する国民の歌を







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最終更新日  2012.04.06 10:33:09
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お邪魔します  
Bruxelles さん
ハワイ小史1~4をこちらに
http://goodlucktimes.blog50.fc2.com/blog-entry-318.html
参照としてリンクさせていただきました。不都合な場合はすぐに対処いたします。その場合はお手数ですがご連絡お願いいたします。 (2012.03.02 20:31:08)

結局腰砕け?  
Bruxelles さん
一八九四年、アメリカは、自分たちが政治的支配を充分に維持するだけの労務者を確保した上で、ハワイ共和国の誕生を宣言した。リリウオカラニ女王はアメリカやイギリス政府に抗議したが、間もなく日本を含む諸外国は、新生・ハワイ共和国を承認していった。ハワイ王国の滅亡は、既成事実となった。-結局承認するのですね。
日本は邦人保護を名目に軍艦を派遣することでハワイの独立を支援し、アメリカへの併合の動きを牽制していたのであるーここまではかっこよかったのに、実際は牽制しようとしたが、全くできなくて邦人は「見捨てられた」?となるのでしょうか?
この高い営利性に着目した帝国政府は、これを与党である自由党に連なる民間実業家に委ねていった。ーここまで来ると「国民売り出し・または棄民」ですね。国が貧しいゆえ、国内では養いきれない。そこで営利性に着目して、となると。 (2012.03.03 20:40:58)

Re:結局腰砕け?(05/14)  
桐屋号  さん
Bruxellesさん
ご返事が余りにも遅れました。もうしわけありません。
「結局腰砕け?(05/14)」、その通りとは思いますが、むしろアメリカと対等に渡り合う力がなかったということだったのではないでしょうか? 日本は真珠湾攻撃で戦端を切りました。日本がここを選んだのは軍事的理由が大きかったのでしょうが、案外このことも関係したのかな? などとうがった想いもしています。 (2012.04.06 10:33:09)

Re:お邪魔します(05/14)  
桐屋号  さん
Bruxellesさん
>ハワイ小史1~4をこちらに
素人の作品なのに目に留めて頂き、尚かつご掲載感謝します。PCも素人でこの問い合わせを今日知りました。そちらのHPを開けて返事を書こうとしましたが要領が分かりません。ここでごめんなさい。 (2012.08.02 08:43:31)

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