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せんだって見たネットニュースのヒマネタで「漫才」と「コント」の違い、言えますか?ってのがあった。 そこでのおおまかなまとめはコントとの大きな違いは、「扮装をしない」「芝居の化粧をしない」であり、「軽口を叩き合う」構成だそうだ。となっている。 んで、定義どうこうよりも、面白いかどうか、筆者の頭が硬かった、反省反省と、無難に落としている。 そうかぁ? いやいやネットニュースっつー立場上そうなるだろうけど、漫才とコントって決定的に違うじゃない。 扮装・化粧・軽口。 見た目の違いはそうなんだろうけど、むしろそこに決定的な違いがある。 コントは、芝居テイストなだけあって、「設定」がある。 「タクシーの客と運転手」とか「銀行強盗」とか「レストランの客とウエイター」とか。 その、状況とキャラクターの設定を、客と演者が共有して、その上に乗っかって「面白いこと」をやるわけだ。演者と観客の間に、設定のエクスキューズがある。 漫才には「設定」がない。コンビのふたりが、そのふたりのまま、面白い話をするのだ。「こんな人がいた」って感じで他者を演じることもあるが、その場合でも元々の人間であることは捨てない。演技で越えない一線がある。 笑かしのステージで「設定」を入れると、若い客は笑いやすくなる。笑う気持ちになりやすくなる。慣れの問題ね。スケバンが怒鳴るだけで笑うでしょ。面白いことを言ってるんではなくて、単に笑える様子をしている人が、笑うタイミングで大きな声を出す(「いま面白いことを言いました!」)と、客は笑う。笑ったことで、これは面白いことだと思う。 ネタも作りやすい。「もしもタクシーの客が○○だったら」って、考えのスタートとしてラクチンなんである。 コントはたやすい。 暗黒面のフォースと同様、たやすいのである。 もちろん面白いコントもある。モンティパイソンのエリザベス一世など最高だ。 漫才は、難しいのである。難しいからこそピークは高いのだが、なかなかそこまで稽古を積める状況でもないだろうし、才能も必要だ。 面白ければコントと漫才を区別する必要がない、という訳知り顔はいかがなものか。 ステージの上なんていう不利な状況から投げる話術だけで客を爆笑させるのは至難の業だ。 業なのだ。 漫才とコントを一緒にするなんてのは、失礼なことなのだ。 といった事情を踏まえて考えれば、昨年末のM-1グランプリで「漫才」をしていたのはチュートリアルだけであり、彼らが優勝したのは、M-1のMが漫才のMである限り(麒麟でさえコントをしていた)、当然のことである。
2007.01.31
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せんだっての明け方に仕事が終わりタクシーで帰った。 私だって仕事をしているのだ。「運転手さんはなんで東京に出てきたんスか?」「札幌の営業所来ないかって話もあったんだけど、出て行く金が変わんないんだったら、身入りがでっけえ方がいいもんねえ」「やっぱり違うの?」「なにいってんの、全然だよー。札幌はわかんねえけど、前いたとこなんか、そもそもタクシーに乗れる人がいねえんだもんよ」「そうかそうか」「タクシーなんてどんだけ賃走したかなんだからさ。最低賃金もクソもねえのよ」「うはあ、そうなんすか、きびしいなあ」「そうよ。固定給の仕事がうらやましいよね。前いたとこは、年収もみーんな200万くらいでさ」「それは、タクシーの運転手さんが?」「違う、違う。どこのウチもそうなの。だーかーらー、タクシーなんて贅沢なのよ」「なるほど、そしたら東京はいいですね」「そうそう。こうやって、夜中に長距離乗ってくれるお客さんもいるしさ」「わはは、たまたまっすよ。オレだってこれ贅沢っすよ」「んでも、東京に来た時はびっくりしたねえ。あちこちでビル建ててるし、夜中でもお店はいっぱいやってるし。景気いいんだねえ」「そうかなあ」「ウチのカミさんがね、パチンコ屋に勤めてたの。したっけ、東京からエスPスとかMルマンとかあるでしょ、ああいう大資本の店が出てきてさ」「ああ、神田うのの旦那の」「なに?」「あ、ううん。こっちの話」「大資本だからさ、めちゃくちゃするのね。1か月も2か月も(玉を)出して、地元の店を潰すのね」「わー、ひでえな」「向こうは金持ってるから、ちょっとくらい損しても平気なのよ。だから地元の店が潰れるまで、玉出して客を引っ張るのね。地元の店もがんばるんだけど赤字のガマン比べなわけよ。銀行も金貸してくれなくなるのよ。いっくらさ、代々付き合いのある銀行でも、やっぱ、返せないってのはわかるわけよ。地元のパチンコ屋は潰されるってわかるわけ」「なるほど」「で、カミさんも仕事なくなってさ。地元のパチンコ屋が潰れたとたんに、大資本の店は出さなくなるわけ」「血も涙も無いっスね」「でも、パチンコやるヤツはやめないんだよな~」「よく地方のパチンコ屋って、敷地内にサラ金の無人契約機がありますよね」「そうなんだよ。いままでホラ調子良く出てるからさ、金借りてまでやるヤツもいるんだよね。もう出ないっての(笑)」「パチンコ依存症だ。いっぱい借りちゃうんだ」「でも、なにしろ年収200万だからさ、返せないの」「多重債務になると一生返せないとか言いますもんね」「そう。もう借金でクビが回らなくなるんだな。すごいよ、自殺がいーっぱい」「ええー?」「自殺はね、山ん中とかもあるんだけど、多いのはパチンコ屋の便所ね」「パチンコ屋のトイレで、クビ吊っちゃうの?」「店員が見回りしてるよ。自殺するヤツがいると店のイメージダウンだもんね」「ああ、腹いせに自殺するんだね」「イナカのシャッター通りとか言うけどね。大資本のパチンコ屋が来ると、地元の店が潰されて、客は借金まみれで自殺すんの。東京はまだいいよね、みんな稼いでるから」「あ、その歩道橋ンとこで止めてください」「はいはい。8440円ね」「レシートください」
2007.01.30
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せんだって、まるで何かをマスクするかのように、ワイドショーでは森進一と川内康範の揉め事ばかりを流していた。 いやもうなんかジャスラックが腹黒い振りつけでもしたのかしらってほど、川内先生ったらカタクナな舞いを見せてくれて、著作権っすか、そうすか。二人羽織じゃねえだろうな。 川内康範といえば思い出されるのが『愛の戦士レインボーマン』である。 今日の日記は、レインボーマンの一番のお気に入りのエピソードを紹介してお茶を濁そうと思う。 そもそもレインボーマンとは。 アマチュアレスリングでいいとこ行った青年ヤマトタケシが、こんどはプロのレスラーになってお金儲けをして脚の悪い妹の治療費を工面したいという志をもって、なぜかインドに修行に行く。なんだかんだでヨガの秘術(ピラティスみたいなの)を会得したヤマトタケシは、レインボーマンに変身できるようになる。 一方その頃、ミスターK率いる「死ね死ね団」は日本に向けてオリジナリティあふれるテロルをしようとしていた。死ね死ね団が日本にした悪事といえば、拉致、ニセ札、覚醒剤、潜水艦。まるでちょっとした北朝鮮、早過ぎた北朝鮮である。将軍様、ひょっとしたら観たのか? で、イチ押しのエピソードだが、それは「M作戦編」の中にある。 新興宗教団体がニセ札を垂れ流しているという、今見るとなんだかリアルな危機状況下、ヤマトタケシは山間の村に逃げるんだが、その村はココだけの話、南朝の隠れ里で、血色のいい健康優良児が「若」と呼ばれて大事にされている。なにしろ南朝の隠れ里なので、つまり「若」ってば熊沢天皇とかそういうのと似ているわけで、なんだかハラハラする。僭王、といいますか。 そういった、隠れざるを得ないような、やんごとない村で、ヤマトタケシは唖の幼女(かわいい)と一夜を共にしたり、そうでなければ唖の女児(かわいい)をびしょ濡れにさせて凍えさせたり、そうこうしてるうちに巷ではニセ札がハイパーインフレを引き起こしているという、ずいぶんてんてこ舞いなお話だ。 この先、もっと愉快な信じられない展開とテレビ史に残るパニック映像があるのだが、それは見てのお楽しみだ。 こんなことを考える川内康範先生が「おふくろさん」についてぎゃあぎゃあ言い出したんだから、このままで済むはずがない。ていうかもっと無体な笑える状況になって欲しい。 期待している。レインボーマン M作戦編
2007.01.29
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せんだって、夕方のニュースで見たことだから真偽のほどはさだかではないが、牛乳の需要と供給のバランスが悪く、MOTTAINAIことになっているらしい。余剰生産ミルクの廃棄ね。ホルスタイン、搾られ損なわけ。 だから、まあ牛乳のイメージアップコマーシャルなんか打たれてるんだけど、徐々に進んでた消費者の牛乳離れが決定的になったのは、雪印事件のころらしいですね。教科書に載ってもいい話ですね。 アレルギーもある食品なんで、給食に出てくるってのもどうよ、的な判断もございます。なんか牛乳に分が悪い。 疲れてる時の牛乳はおいしい。 筆者が牛乳のおいしさに触れたのは、二十代後半のころ。それまでの人生、牛乳の本当のおいしさを知らずに、損してたわけです。 有能なオッサン数人とデキるお嬢さんが集まって、夜更けから打合わせをしてたんです。 もうどうしてもその夜に決めること決めないといけないという、徳俵に足がかかった状況。 各人、担当部門が違い、誰かがああ言えば、誰かがそりゃ困る難しいと言う。終わらない議論です。別に無意味な意地の張り合いをしてるんじゃなく、よりよいモノを作ろうとする建設的な話し合い。目標としてる着地点は明確で、そのために最善の方法を考えてるわけです。物理的に無理っぽいところを失くして、目標を実現できる際どいタイミングを探してるわけです。あ、ライブイベントのスタッフワークの話です。 さっき時計を見たら午前一時、話し合ってちょっと時計を見たら午前三時、みたいな打合わせですよ。 ちょっと気分を変えようと、コンビニにみんなで出かけ、誰かが何を思ったか、牛乳をかったんですね。 んで、事務所に戻って、なんたって牛乳は一リットルあるんで、お前らも飲めよみたいな流れになりますわな。 この冷たい牛乳のおいしいことといったら。 煮え立った頭が、冷たさでしゃっきりするとかいうのもあるけど、純粋においしいんですな。 疲れてる時の牛乳は、おいしい。 仲間うちでしばらく牛乳をコップ一杯一気飲みが流行ったくらい、おいしい。 ほいで、いま我が家では、↑ これを牛乳に混ぜて飲むのが流行っている。 これと牛乳を1:7くらいの割合で混ぜると、大方の予想通りヨーグルトドリンクのようになるのだが、そこらのりんご酢とは比べ物にならない。 くその出も良い。 積極的に飲みたくなる健康飲料なんて珍しいでしょ。 農畜産物の価格暴落は作りすぎが原因なんだけど、需要が増えると値段が抑え目のままで、捨てられる牛乳が減るってバランスがあるだろう。ラッキーだから、みんなでもっと牛乳を飲もう。
2007.01.28
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せんだって、電車の中でカチンと来たのは、クラスメイトか部活の集団の男子中学生の中のちょいとかわいい感じの坊主が、「カノジョのウチの犬の散歩をカノジョと一緒に夜にしている」という話を耳にした時で、そのなんだか自慢するでもない当り前の感じの、両親公認なんですよっていう雰囲気の、てめえオレが中坊のころったら、神社の裏で隠れるように、くそー、うらやましいんじゃない、なんか、なんかイイんだ。
2007.01.27
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フリーランサーの算数問題:1週間で出来そうな仕事が三つあります。 仕事が終わるまでにかかる日数は何日でしょう。解答:1週間。解説:3週間では締切に間に合わない。 ↓ 信用がなくなり仕事の受注が減る。 ↓ 家計が成り立たず一家が路頭に迷う。 ↓ 死。 いやーん、オイラたちが死んじゃう。 ゆえに、仕事の数nがいくつであれ、仕事が終わるまでの日数tは1週間となる。 くっそー! くっそー!
2007.01.26
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「LOST」撮影フィルムが、空港の手荷物検査機で消去される!2月20日21時33分配信 eiga.com 人気ドラマ「LOST」の撮影済みフィルムが、空港のX線検査装置で消去されるというアクシデントが発生した。事件が起きたのは「LOST」のロケが行われているハワイのホノルル空港。フィルムの缶には、X線検査装置に通さないようにとの注意書きが貼られていたのにも関わらず、係員が機械に通してしまったため、すべての収録映像が台無しになったという。消去されてしまった場面を撮り直すためには、30万ドル(約3600万円)の経費がかかるようだ。 まさにlost、なんてうまいこと言ってる場合ではないだろうなあ。 いやいや、いまさっき仕事してるのソフトの設定をいじってて、原稿用紙にして80枚分のテキストを誤って消してしまって泣いていた私だが、大丈夫。下には下がいる。もう泣かない。
2007.01.25
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せんだって、「サンデージャポン」(TBS)を見てたんだけど、デーブ・スペクターの語学力は本当にすごい。フジの「とくダネ!」では不当に粗末に扱われているが、小倉さんのユーモアセンスがアレだっていう証拠にしかなってない。 サンデージャポンの生放送において、デーブは 滝川クリステル と言おうとして 多摩川クリスタル とさらっと言った。 そんな。清楚で可憐な女子アナを、三多摩のファッションヘルスみたいに。 デーブの駄洒落はオヤジギャグにはあてはまらないと、常々主張している私だが、これはオヤジだ。 日本のオヤジじゃないと言えない、サイコーの駄洒落だ。 んで、なかなかここまでサイコーの駄洒落を操れる、賢いオヤジっていないんだよね。 英語教育にまつわる話がいろいろ上がる昨今、せめて義務教育を終えたらこれくらいのレベルの「アメリカンジョーク」を言える語学力を身につけることができるようなカリキュラムを組んで欲しいと思うね。でないと、言葉を学ぶ意味がない。冗談ひとつ言えないようでは意味がないのだ。
2007.01.24
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せんだって、妻と新宿に遊興に出かけ、帰りに中村屋でカリーをいただいた。 辛かった。 隣の席に、家族連れがいた。 お父さん、お母さん、娘、娘の4人。 上の娘さんはどうも反抗期真っ盛りらしく、おいしいものを食べているのに、ものすごく不機嫌なんである。 貧乏を経験した私からすると、おいしいものを前に不機嫌でいることなど不可能ではないかと思うのだが、年頃の娘さんなんてそんなものなんだろう。 ちらちら気にしてたら、とにかくお父さんが大嫌いって雰囲気で。 んでまた、なんでかお父さんは、娘たちとコンタクトを取ろうとする。まあ、そうしたい気持ちは痛いほどわかる。 下の娘さんは仲良くしてて、オカズの交換とかしてるんだけど、上の娘さんはもう完全に無視。なんでここにいるんだろうってほど、不機嫌なんです。 で、またお父さんが「これ、うまいぞ」って感じに、ハンバーグの切れっぱしを皿に乗っけてみたり、「お、夏帆(←仮名)、美味しそうなモノ食べてるじゃないか」という感じに、娘の皿から温野菜を取ったりしてる。超ちょっかいだしてる。 このお父さん、方法論として「押しの一手」しか持ってないみたいなんだよね。 引きまくってる反抗娘に、どんどん間合いを詰めてくお父さん。 もうね、ヨコで見てて、ヒヤヒヤもんですよ。 そんなことしたら、なおさら嫌われるよう。 祈るような気持ちでカリーを食べる私ですよ。いや、正直、食べた気がしない。カリーがどこに入ってったかわからん。 あの後、あのご家族どうなったかなあ。娘さんも、長じてきっと後悔するだろうなあ。にしてもお父さん、もうちょっとうまくやって欲しいなあ。 辛かった、というのは「からかった」ではない。「つらかった」だ。
2007.01.23
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せんだって見た、大塚にある美容外科のコマーシャルに「私の鼻がもう少し高かったら、世界は変わっていたかも知れない」っていうふうなコピーがあった。 もっともだと思う。 世界(観)ってのは自意識の鏡で、「私の眼が二重じゃないから(鼻が少しばかり低いから)、世間は自分にとって不都合なんだ」と思っている人にとって、顔を換えることは、世界の変貌と意味的に大差無い。美容整形で世界が変わったと思い込むことはできる。 世界観は自意識の投影、というのは、『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジが抱えていたテーマで、宮台真司などはこれを「セカイ系」と呼んで一刀両断なわけだが、現実に未だ一部の女性の間にはエヴァのシンジと同じ自意識がある以上、セカイ系を「終わった」ものとして窓から投げ棄てるわけにはいかない。 いまの整形したい女性は、エヴァンゲリオンの碇シンジと同じ悩みの真っ只中なのだ。 それはそれとして、男の子って整形美人よりは天然美人の方をありがたがる。 美人ってなにさ、的な判断もあろうが、なんだかまあそんな風潮なんですよ。たとえどんなに滑舌が悪くても背の高い美男子の方がカッコイイんでしょ。 で、オトナ向け面白ビデオなんかを観ていると、美容整形手術や豊胸手術をしちゃったであろうかわいらしい女子がいーっぱいいる。うーむ、とか思いながらも、ありがたく拝見している。 でも、なんか、違和感というか、萎えーなテイストがある。 気がついた。 ニューハーフみたいなのだ。 美容整形と豊胸って、ニューハーフ定番のオペじゃないですか。 女性的な「美」を追求しあらゆる手を尽くした結果、女性の外見は必然的にニューハーフに近づいていくことになる。 いや女優さんなら、まだいい。エリザベス・テイラーがリフトしているように、自分の外見はたくさんの人の食い扶持に直結した商品なんだから、それなりに責任もあるわけです。 でも、そうじゃない人が、世界と自意識の調和を図ろうってだけで、どんどんニューハーフのような外見に変わっていくのは、なんだか、えーと、すごい。男子が天然をありがたがる心理って、根っこにこういうアンテナがあるのかもしれない。 変わった瞬間は幸福なキモチにもなろう。それこそ世界が一変した気になるかも知れない。 でも、アレだ。 外見が加工されればされるほど、異性の本能を直撃できる可能性は減っていくことになるかもしれない。 この不調和は、取り返しがつかない。 そのことをセカイ系のシンジギャルは弁えているんだろうか、そりゃ無いな。 みたいなどーでもいいことを、どーでもいいエロビデオを観ながら思った。 あと、形成外科は戦争で大怪我した人の外見を「修復」するために生まれた技術、つまり戦争生まれの技術であることを、ピースな人たちには知っといて欲しいと思った。
2007.01.22
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せんだって、オシャレなメガネが欲しくって、秋葉原に行った。 すごくオシャレなメガネを買うことができた。 それはそれとして。 ちょっと前に、メガネスーパー新宿東口店の前のラップで呼び込みをする店員が、ネットニュースのヒマネタになったりしてた。 いまもそこに行くと、なんだか「やらされてる感」たっぷりの店員による、なんだか不如意なラップ呼び込みが聴ける。 でも、なんか足んない。 せんだって気がついた。 Jラップに一番必要なオヤジギャグ(=笑えない駄洒落)が無い。 リディムに合わせた早口言葉の域を脱してないんだね。 Jラップは、ライミングではなく「笑えない駄洒落」でコトバの調子を取るのが特徴だ。 オヤジギャグの無いラップはラップなんかじゃないyo! がんばれメガネ屋メガネ落つるまでMEGAMEGAがんばれ駄洒落yoやれ歌えメガネ屋さん(←『北国の春』のメロディで)。
2007.01.21
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せんだって日記の中の人は、サッポロ黒ラベルが好き。あとエビスビール。 オレは、ビールが飲みたいんであって、ビールのようなものなんか買ってまで飲みたくないのである。 そんなオレの好物をこさえているサッポロが敵対的買収にあっているとかいないとか。 持株会社の体裁にしたのに狙われるとは、おっかないものだ。 外資系のビール屋に飲まれたりしたら、なんかヘンなバールとかパブみたいなのをやったりして、その結果、商品単価が上がったり、逆に完全な発泡酒メーカーになっちゃうかも知れない。絶対に杞憂だが。 とまれ、なんとか黒ラベルのさっぱりした喉越しは守られて欲しいんである。 昨年、阪神地域の人たちは本気で「村上タイガース」ってな、ありえない妄言を信じてお門違いの怒りに燃えてたわけだけど、今回は「スティール黒ラベル」と騒がれたり、または恵比寿界隈の人が「スティールガーデンプレイス」なんてことをしゃべったりしない。 これは別に阪神地域の人が極端にアレとかいうことではなく、「ファンド」の仕事内容が認知されたんだろう。 敵対的買収を宣言したということは、確実にサヤで儲けるスキームが組み終わったということ、ってことみたいな? 王手飛車取り、みたいな。 あー、ビール飲みたい。
2007.01.20
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せんだって、電車に乗って出かけたところ、その時は幸い座って読書することができたわけだが、私の両わきには偶然、制服姿の女子学生が座ってきた。 片方は、ケータイに向かってメールか学生向け友達出会いサイトかわからんが、メッセージをプチプチ打ち込むのに一生懸命の、顔だちの小奇麗なコ。花に喩えると「スズラン」。 もう片方は、ノートを広げてなにかを一生懸命書き込んでいる小太りのコ。花に喩えると「パンジー(黄)」。開けっぴろげで書いてたから見えたんだけど、彼女が描いてたのは、幻獣。一般的な動物に角や翼をつけたものね。しかもあまり巧くない。 そしてその女子中学生ふたりの真ん中で私が読んでいたのが↑この本。
2007.01.19
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せんだって日記の中の人は、実年齢よりも若く見られる事が多い。精神年齢が低いんだよね、とオネエちゃんには言っている。 基本的にデスクワーカーな私がたまたま肉体を酷使して家族のために雀の涙ほどの日当を頂いてきたのだが、始発駅で乗車待ちの列に並び、順序良く電車に座って、読書をして発車を待ってたら、お達者な老人男性が私の前に立って、これ見よがしにウズウズしやがった。 周りには私よりも若くて丈夫でガラの悪い頭の悪そうな人間がまだまだいっぱいいたのだが、ピンポイントで私の前である。電車に乗ったことのある人ならわかると思うが、間違いなく自分狙いで前に立っているのってわかるじゃないですか。アレ。 なにしろその老人があからさまに挙動不信なもので、世間体を気にした私は、なにも言わずに席を立ってなにも言わずに立ち去った。老人はなにも言わずに私のいた席に座った。無礼なヤツだ。礼も言わないとは。かの老人の親の顔が見たい。 いや、老人に席を譲るのは当然のことかもしれないが、あいにく今すべての電車車両には優先席がある。そっちに座ってる20代男性の前で堂々とウズウズしてみせればいいじゃないか。 私は順番に並んだ結果、ここに居るのだ。あきらかに、優先席にいる若者の方が、ルールを逸脱しているのに、得をしている。 なんで、弱そうな男を選ぶのだ。それでも日本男児か、ジジイ。いい歳して弱い者いじめか。 だいたい優先席に座ってる元気なヤツを老人が叱らんで誰が諌めるのか。情けない。 ってな話を妻にしたら。 妻は、中学生時代、発熱38度のフラフラな状態でやっとバスに座ってたら、居丈高な爺さんに無言で肩を叩かれ「そこをどけ」という身振りだけで立たされたという。他の席は空いていたので、爺さんがその席に座りたかっただけらしい。 いたいけな病気の少女を立たせて、自分は座る老人@バス。 人にものを頼む時の態度って、あろだろ。 先輩たちにおかれましては、なにがキモチイイのか知らねえが、弱者を選んで弱者ぶるのはやめていただきたい。自分より生命力のありそうな者に向かって弱者の立場を主張するのが人生の先輩としてのスジであろう。 老人はせめて自らスジを曲げるようなことはしないでいただきたい。尊敬できなくなるから。 こちとら一日理不尽な仕事で振り回されて足が棒のように、茶色いのだ。
2007.01.18
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せんだって、官能小説を読んでいたら「涼子は、マスカラの必要がないほど睫毛が長く美しい」という表現がありました。 スペルマ銀行、もとい、精子バンクの例を挙げるまでもなく、男性は遺伝子で異性に評価される、つーか、そういう価値観もあります。 男性の性も商品化されているのです。ホストクラブなんか、機能としては事実上「売春」ですからね。 んでまあ、ある価値観を持つ女性にとっては、男性の価値はIQや学歴でしかない、と。 さらに、悲しいかな、女性は一般的に容姿でそのステータスの上下を決められる傾向にある。そのことの善し悪しは別にして。 女性がメイクや服装にナーバスなほど気をつかうのも、「見られる」ことに敏感だからでしょう。「見られる性」なんて言い回しもありますわな。善し悪しは別にして。 「マスカラの必要がないほど」長く美しい睫毛なんてな、これこそ遺伝子の仕業です。官能小説、つまりコテコテにセクシャルなフィクションへのニーズでは、生まれつきの美人ちゃんがよろしいという、なんつうかわかりやすい価値観が厳然とあるんですね。 面白いなと思ったのですが、「モテカワ路線」の文脈でメイクや服装をがんばるほど、「私は優れた容姿を発現する遺伝子の持ち主ではありません」っつー「萎え」なメッセージになっちゃうんですね。無理を承知で言い切ってしまえば「(ジェンダー的に)外面が優れた遺伝子」を持ってたら、メイクする必要さえないわけですから。 さらにまた、外面を後天的に繕う所作は、副次的に「人を判断するときに外見を重視する傾向がある」というその人の「内面」をも表わします。 自分も他人も「人間見た目だ」と考えているからこそ、実体以上に「美しく」見られたい。 ある価値観の人間は、自分を高く売るために、分不相応なほどに身を飾るわけですが、その身の丈への合わなさや落差が大きければ大きいほど、本体はそれほどでもないというメッセージになります。似合わないほど、イタいということ。 IQと頭の良さは実は関係は浅いわけですし、遺伝子どうこう言い始めるといずれは取り返しのつかない過ちに向かいますが、「身だしなみ」レベルを越えてつくろった外見からは、内面が透けて見えます。 人間の価値をメイクや服装のみで判断するのはいやらしい感じです。 白鳥は優雅に泳いでいるように見えて、水面下では必死に足をばたつかせていますが、バタ足が必死なほどそれはわかりやすく、逆にばたついた足元の必死さが目立ちます。 本当に優雅に泳いでいるほうが、そりゃまあ魅力的でさあ。 いやまあ、人間てな誰でも、人目に晒され試され測られているわけですし、身を飾らねばならない社会からの圧力は、きっと女性の方がキツいのです。 だからなんだってンじゃないんですけど、流行に敏感なオシャレおたくとか整形中毒とか、ああいうのをちょいとキモチワルイと思っていたんですね。 そういう時に官能小説を読んで、こういうことを考えさせられたという。 沢村一樹はこう言っています。「オッパイはサイズではない、味だ」 なんか大事なところを指している言葉です。いやそっちの意味じゃなく。
2007.01.17
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せんだってネットニュースで見てちょいと忘れてたことなんだけど、TBSの健康情報バラエティ番組で、例によって、ガセネタが挙げられた。 いまさらTBSに期待するところなどあまり無いが。 ある周波数域の高い音を聞くとα波が脳から出て、頭がよくなる という、なんだか頭の悪いニセ科学だが、これがやっぱりガセでした、ってニュースだった。 どうしてこんな与太がまことしやかに囁かれるんだろう。 α波ってのは、脳波の一種なんだが、落ち着いてる時とかリラックスした状態の時に現われるらしい。 らしい、ってのは、私は脳科学とか大脳生理学についてよく知らないから。 でも、α波が脳の活動の「結果」、検出されるものだってことくらいは想像がつく。 だからたとえばリラックスするためにα波を出そうとがんばるのは、順序が正反対だってこともわかる。 α波が出ると、頭がよくなる この話は、最初から最後まで狂ってる気がする。 「涙が出ると悲しくなる」 「ゲップが出ると満腹になる」 「血が出ると傷ができる」 「かき氷を食べるから、暑い」 こんくらいおかしな日本語だ。原因と結果が捩じくれている。因果律が狂ってる。 いやもっとオカシイ。α波と頭の良さは関係が無いから。原因も結果も因果もへったくれもない。 風鈴の音を聞いてリラックスすることはあろう。でも、それは、頭が良くなったということではないでしょ。 すげえ頭の悪いα波とかあんだろ。『α波が出る音楽-ニューミュージック編-』とかいうCDなんかそうだよね。 だいたい、α波が出たら頭がいいということなら、「ゲーム脳=頭がいい」ということになる。 ゲームをしまくると頭が良くなる、老人がボケると頭が良くなってる、と森昭雄センセが言い出すわけか? 言えばいいのに。 で、学校の勉強は社会に出ても役立つキャンペーン実施中のせんだって日記としては、さらに押しときたい。 α波が出ると頭が良くなる というデタラメを見破る力は、学校で習うことができる。 脳科学や大脳生理学は必要ない。理科でさえない。 この言葉は論理構成がオカシイので、「こくご」とか英語の長文読解とか数学なんかで身につけることができる論理的思考法の初歩の初歩を利用すれば、「TBSがまたデタラメ言ってらあ」と気付くことができる。 学校の勉強は現実社会で役立たないと言ってる人は、利用する方法を思いつかないか、役立てていることに気がついていないか、役立てるほどの勉強をできなかったか、(役立てる環境にいない ex.パチンコとサラ金の往復で幸福 か、)いずれにせよ、な~んかさみし~い感じなんじゃないのかな。
2007.01.16
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せんだって、スーパーに行ったら、特設ブースがあった。 バレンタインデー合わせのチョココーナーだ。 バレンタインデーというのは「聖ヴァレンタイン」という聖者の死んだ日だ。聖者とは、カトリックのために役立つことをして死んだ人だ。でもこの2月14日のバレンタインとカトリックはあまり関係が無いらしい。じゃあなんなんだ。 スーパーのチョココーナーには、手作りチョコのキットや、うまそうな外国の高いチョコが並んでた。オレには関係のないものだ。 男女の二人連れが「ダーリンダーリンどれが欲しい?」「えー、なんでもいいヨー」みたいな会話をしつつ、品物を物色してた。チョコボール向井似の女と、島倉チョコ似の男だ。なんなんだ。 当然、オレもブースの中を見てみたら、義理チョコ向けの激安アソートの近くに駄菓子めいたものがいっぱいあった。ホントにいっぱい。 牛丼の持ち帰りパックを摸したものや、カップラーメンのパッケージ様のもの、強精系栄養ドリンクの壜を摸した入れ物に、どうもチョコレートが入っているようである。 悪趣味に輪をかけて、駄洒落っぽい名前なんかがついてる。 いわゆるジョークグッズとかパロディグッズって範疇に入る商品なんだろうが、ジョークにしてはずいぶん面白くないし、パロディにしては風刺が効いてない。風刺? デザインが激しくダサい。パチならパチで愛せる部分があっても良かろうに、生理的嫌悪感を引き起こす拙さだ。笑えないジョークってのはそういうもんだ。 こういうものをもらって喜ぶ人間はいない。では義理チョコなのかというと、それにしては値段が高い。500円とか。笑えない冗談に払う値段じゃない。 相当ひどい品物で、これをプレゼントされたとしたら、いじめられていると解釈するしかない。 ヘタな牛のイラストが描かれた弁当パッケージのチョコなんか見たくもない。 もらう方もあげる方も、全力で敬遠したいアイテムである。 モノが冗談チョコだから、バレンタインの時期にしか出回らない季節モノなんだろうけど、それにしては種類が多すぎるし、棚のストックも多すぎる。 絶対に売れ残るだろう。 こういうのを作って売っている会社が複数あるわけだ。 何省の工場で作っているのか知らないが、ずいぶんかわいげのない値段なんで、損はそんなに出ないのかもしれない。2個くらい売れたらペイするんじゃねえのか。 でも、その製菓会社には少なくない社員もいるだろう。 年に一回しか売るチャンスが無いくせに大量に売れ残ることがわかりきっている便乗商品を作る金があったら、もっと給料を上げてあげてほしい。経営をなんだと思っているのか。 そもそも、思わず眼を背けたくなるその商品は、食べ物なのだ。 食べ物で遊んでいやがる。 世界にはこうしている間にも餓えで苦しんでいる子どもたちがいるってのにカカオを粗末にするとは。
2007.01.15
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教師の条件「金髪、目は青か緑色」 英会話学校が求人ポスターで [ 02月11日 18時42分 ] 共同通信 甲府市の英会話学校が、幼稚園に派遣する外国人教師の条件を「金髪、目は青か緑色」と限定した求人ポスターを作製、山梨県国際交流センターが半年間にわたって、館内に掲示していたことが11日、分かった。外国人の人権問題に取り組む米国系日本人で、北海道情報大助教授の有道出人さんらが「外見、人種による差別を助長する」とセンターに抗議、センターは「配慮を欠いた」と謝罪した。 この英会話学校の気持ちもわからないでもない。 金髪碧眼って、ニーズでしょ。 白人じゃないと、幼稚園の保護者が喜ばないと思ったんじゃないかな。 けっこう切実な問題なんじゃないかな。 きっと学校にゃ、ブルネットのガイジンとかではイヤがる客がいるんでしょ。 【あるある】の件でも、「視聴者は白人の言うことを無条件で信じ込む」って言われてたし。 染めろ染めろ、カラーコンタクト入れろ。 ロマンティックなゴスバンドの男でもいいや。 「外国人の人権問題に取り組む米国系日本人で、北海道情報大助教授の有道出人さんら」も、なんかピントのズレた抗議って感じがするなあ。山梨県民にも抗議しなきゃいけないかもよ。
2007.01.14
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せんだってナシになってしまった件だが、宮崎県知事の副知事人事の案は大胆なバクチではあるが、お見事だと思うなあ。 現状、県議会の中はすでに「しがらみ」でこんがらがってるわけで、いまさら副知事の一人や二人、誤差みたいなもんじゃないですか。なにをゴタゴタ言うやら。 恩を売るわけでしょ。 うまくいけば、いまあるコネクションをズタズタに粉砕できたかもしれないのに。 いや、そこらの二世議員とかじゃできない、豪胆な一手だと思うけどなあ。 県民の理解、ってのも難しいものですね。 ライバル候補をすぐに起用ってことに納得できない人ってのは、将棋を知らないのかな。
2007.01.13
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せんだってから食傷気味の柳沢厚労相の失言であるが、野党の女性議員が揚げ足を取ろうとして墓穴を掘りまくっている姿が滑稽やら失望やら。 ニヒルなコラムニスト【小田嶋隆】さんが愉快な見識をニヒルに書いてるので、えー、ググッてみよう。 安倍晋三が、靖国に行くとも行かないとも言わないと言ったことで、ヤクザの恫喝の如き隣国の言い掛かりを無効化したように、政治家の発言はすべからく、何らかの得とかメリットとか前進とかを狙った意図がなくてはならない。それが仕事だから。 ニュアンスや微妙な語彙を使いこなすのが、ああいう仕事をする最低限の資質だ。 だから、失言をしたってことは、政治家としての能力不足を示す。無能なのだ。 むろん、安倍ペンペン草晋三も、能力不足を示している。 政治家が、国民の利益のために活かすべき能力を備えていないのであれば、なんのために税金を払って閣僚や議員を養ってあげているのかわからないではないか。 やめてほしー。 産めない産まない産むふんぎりがつかないのは、産んだ後の行政のケアが薄いとか、共働きせざるを得ない状況とか、いろいろ要素はあるだろうに、少子化担当が少子化問題についてなにも知らねえどころか、それを全部女性におっかぶせてオッケーとして通ると思ったアホさ加減。 それを知らされた、国民の脱力感。 そこに乗っかればいいのに野党の女性議員は「機械」という単語にフォーカスして言葉狩り作戦に出たわけだが、言葉狩りがいかに愚かなことか。 数学の証明の方法のひとつ、背理法を用いて検証してみよう(学校の勉強は、社会に出ても役立つのだ!)。 女性議員の言う通り、もし機械に喩えたことが問題なのであれば、それ以外の比喩表現なら穏当な発言だったということになる。 出産・誕生にふさわしい喩えで問題があれば、機械に喩えたことが悪いのではないという証明になるわけです。 これって背理法でいいんだっけ? ■柳沢大臣の元の発言から以下の部分を引用する。産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が…■この文中の「機械」「装置」という単語を、適切な比喩に置換する。コウノトリと言ってはなんだが、鳥の数が決まったとなると、コウノトリと言っては申し訳ないが、コウノトリと言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が…キャベツ畑と言ってはなんだが、畑の数が決まったとなると、キャベツ畑と言っては申し訳ないが、キャベツ畑と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が… コウノトリ、キャベツ畑、ともによく使われる比喩だが、なんだかひどい。 「畑」とは何事だ! 種だったら数に限りはないとか、そういうことか! けしからん! では、もっと教育的な比喩ではどうか。めしべと言ってはなんだが、胚の数が決まったとなると、めしべと言っては申し訳ないが、めしべと言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が… もう最低である。 では、文学的な比喩ではどうか。花園と言ってはなんだが、花園の数が決まったとなると、花園と言っては申し訳ないが、花園と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が… これはひどい。正視に堪えない。まだ「機械」のほうがマシである。 極めてマイルドで適切な表現に置換しても、柳沢厚労働大臣の発言はダメダメである。■ゆえに、機械に喩えたことが問題なのではない。 問題なのはたぶん、立場とか役割とか状況とか資質とか機会とか、閣僚としての能力なのではないだろうか。 普通に考えて、これ、謝りすぎで慇懃無礼だよね。 出産可能年齢の女性の数が、少子化で減る傾向にあるって言いたかったわけでしょ。 何度も繰り返して謝るよか、さらっと言えば良かったのにね。 で、反証もあろうかと思われますので、テンプレを置いておきます。__と言ってはなんだが、~~の数が決まったとなると、__と言っては申し訳ないが、__と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が… この文脈の中に入れても成立する比喩表現を募集します。そういう表現があるということは、つまり、言い方ではなく「機械」に喩えたことが悪かったという証明になるからです。 穴埋め問題式に、思いついた表現を当てはめて、コメント欄に書いてください。 穴埋め問題だからって、文中の空欄に「穴」とか書いちゃダメ、ゼッタイ。
2007.01.12
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せんだって、オリコンで『千の風になって』が1位を取ったとか取らなかったとか。 まあ、オリコンの数字もなかなかアレなわけだけど。なんでもCDの数え方には、売れた数とプレスした数の二種類あるとか、しかもCDは小売店が買い取りなもので、レコード会社はショップから注文を取った時点で「売上」になる、つまりユーザーが購入しなくても抱き合わせアソートなどでショップに突込んでしまえば売上の数字になってイエーイウン万枚突破とかいう話も聞くが、それはもうTSUNAMIのように田舎の「レコード屋(!)」などを襲うのであるが、小売店としては不良在庫はゼロがいいゼロになろうと、もう棚はギリギリチョップだと、でも問屋やパブリッシャーは勝手にシンドバットもかくやとばかりにアコギな売り込みを、あそうそう、『千の風になって』のブレイクは紅白がきっかけってんだから、まだまだ紅白の影響力もあなどれないよね。 『千の風になって』とかいう歌は、死んだ人の一人称セリフで「オレは死んでない、風になったのだ」と、まあなんか都合のいいことを言ってる歌である。 これが人気になる世の中って、なんか嫌。 死というものは得体が知れず、なんだか恐ろしく、それでいて蠱惑的で、だからこそ遠ざけたい、でも目を離せない、そういうもの。 で、既存宗教が何百年も、それなりに死を解釈して、物語を与え、自らの死や近親者の死について安心して処理できる作法や方法を用意してたわけだけど、この気恥ずかしい歌のヒットはつまり、既存宗教のメソッドがすでに機能しないようになったってことで。 いままでの葬儀じゃ、寂しさや悲しさを慰められないyo! ってことでしょ。 いや。既存宗教の死の解釈(閻魔大王のいる地獄での永劫の苦痛とか、花と音楽といい匂いの天国とか、鳥のエサになって空に還るとか、ミレニアムの到来とともに土中から甦るとか)にリアリティを感じられなくなったのは、しょうがないかもしれないが、それに替わる「死の悲しみ」への作法として『千の風になって』にあるような解釈が出てくるというのは、えーと、貧しいよね。 あの歌は死者の一人称セリフだけど、完全に生き残った者のための歌でさ。 生きた人間がとりあえずホッとするだけのためのもので、アレで死者が救われるかというと、絶対にそんなことはない。もう死んでんだから。 死んでません、泣かないで、風なんです。 逝ってしまった人がそう言っていると思い込んで、その場だけ安心する。 なんか不健康というか、僕は、そんな風に死者を想いたくない。軽々しく死を扱いたくない。死んだ人に、そんなつまらないおためごかしを言って欲しくない。誤魔化すんじゃない。 死んだ人は死んでるし、僕は泣くし、死んだ人は風になってなんかいない。 ただ死んでしまったという事実を事実として、それはそれとして僕たちは生きていくだけである。 その現実を前に、『千の風になって』みたいな、程度の低い物語に癒されるのは、イヤなんである。程度の低い物語というか、あんなのポエムだ。70年代軽井沢ノリのポエムだろ。なんでも、ヒットする前から歌声喫茶で人気だったようだし、「そういうもの」だろ。おえー。
2007.01.11
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せんだって、日曜夜のフジテレビ『スタメン』で、「昭和30年代はとにかく無条件で良かった」という中高年の甘ったれた記憶にツッコミを入れてた。 中高年はなんだかしらねえけど映画『3丁目の夕日』みてえな昔が良くて、今の世の中は悪いって意識を持っていがちだと。 「地域の人間と絆があった」とか「凶悪犯罪が な か っ た」とか、すげえ思い違いをしてて、そういう中高年に、データを挙げてツッコミを入れてた。 昭和30年代の昔も、腐ってる政治家はいたし、地域共同体は解体に向かって進んでたし、少年犯罪発生件数はピークだった。当時もやはり「17歳はアブなかった」らしい。事件の数で言うと、今の17歳より何倍もアブなかった。 経済的に豊かになった今は、当時と比べて極めて安全になった。 記憶は美化されるもので、そりゃしょうがないが、そういう美化されたイイカゲンな記憶と今の現実の世の中を比べてもらっても困るわけだ。 現実と妄想の区別がついてないじゃないか、中高年。 で、爆笑問題の太田が「今のこういう世の中にするために一生懸命がんばってきたのが、中高年のオッサンたちじゃないか」と、至極まともなことを言ってた。 こういう世の中を作ったのはあんたらじゃないかと。 まとも、まとも。 今度、竹花系のガンコ親父が「昔は無条件で良かった、犯罪ゼロでみんな天使のような、まるで天国だった」的な物言いをしたらカウンターを決められる、必殺技になる言葉だ。しかも普遍的だ。 で。 「中高年が、今と比べて昔は良かったと、少年犯罪が異常に増えたというデタラメをホントのように思い込むようになったのは、テメエらテレビの不安を煽る偏向情報の浴びせかけのせいじゃないか!」と、テレビに向かって、缶ビール片手にオダをあげていた私も、これはかなりみっともないオッサンっぷりです。 確かに今は、未来にキラキラした希望を持ちにくい。経済発展のカーブが見えねえ。 しかし、今は「上」を見ることが幸せと直結していない。そのことに気がついていない人が、今の世の中に希望を持てないだけであって。 今の幸福は、「上」には無い。では「横」かというと、そうではない。 細やかさにある。 上に向かう太いパイプを握ることではなく、どんくらい細かな網目を見る事ができるか、にある。 どうもテレビは、いままで自分たちメディアが「今は酷い。昔は良かった」って派手に煽ってたのを棚に上げて、その間違いの責任を視聴者に浴びせる(転嫁する)方向を発見したようだ。 あるあるの反省が、こういう所に向かって噴き出てきた。テレビは怖いね。
2007.01.10
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せんだっても、そのそのせんだっても【あるある】の話ばかりで、マジで飽きてるんだけど、【あるある】の功罪の功のほうってのもあって。 それは例えば、【あるある】以上にひどいバーチャル健康法で有名な「おもいっきり」みのもんたの首に鈴を付けたとかいうこともあるが。 週刊朝日はこの勢いで「おもいっきりテレビ」も刺せばいいと思うね。 そうそう本題。【あるある】の功。 悲しむべきことに、2/6に、町田市で森昭雄教授の「ゲーム脳」講演が行われてしまったわけだが。 これからは、「ゲーム脳」を「あるあるの納豆ダイエットみたいなものですよ」と言えば、ニセ科学のニセ度合が伝わりやすくなったという。 いや、この効果は大きいですよ。
2007.01.09
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せんだってからテレビで見る民主党のコマーシャルがイケてない。 いまどき「維新」なんて言葉を使って、いったい誰のハートをキャッチしようとしているのか。いずみちゃんか? 維新かぁ。ダセぇなあ。プロレスラーでさえもう飽きてるだろ、維新。 なにロマン語ってンだよジジイ的な、救いがたいセンスレスな雰囲気を感じる。 もっとしっかりしてくれないと困る。ソーカがつけ上がるからな。 総理に向かって「総理は、裸の王様ですか?」なんてモロな質問をぶら下げた記者がいたが、なんと失礼な話だ。 総理は裸でも王様でもない。 さしずめ、木に登った豚であろう。ハシゴなんか、とっくに外されてる。 憲法改正したがってはいるが、帝国主義の時代を遥かに過ぎたいま、憲法を変えるんであれば国民の強いニーズに押し切られたっていう盛り上がりとかプロセスが必要であろう。その基礎工事は前の人がやっててくれたんだけど、早急の必要性ってタイミングを逃したんだからもうやめて欲しい。 オレらが望んで変えた、と思いたいもんね。 やっぱね。ハシゴ外された豚には、やって欲しくない仕事ですよ。
2007.01.08
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いまフジの深夜で『カノッサの屈辱』を伊武雅刀でやってる。 映画のパブらしい。 今の眼で見るとキツいが、カノッサは、バブルの時期、やはり面白い番組であった。 だからか、いまやってるのもバブリーな匂いがするね。薄ら寒い。 『カノッサの屈辱』は、世界史を知らないとあまり楽しめない。地方の進学校のコはかわいそうである。 「学校の勉強は、世の中に出ると役に立たない」というバカがいる。とくに勉強の出来ねえヤツに多い。俺も昔、そう言ってた。 カノッサを充分に楽しむことにさえ、歴史の知識が必要である。 世界史に惑溺してないと、カノッサの放送作家にさえなれない。 学校の勉強って、役に立ってるじゃないか。
2007.01.07
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せんだってから仕事ばかり。 でも、テレビは横目で見ています。 で。「あのさ、みずほちゃんとか、辻元とかさ」「うん」「柳澤厚生労働大臣に向かってさ、『やめてくれ』って言ってんじゃん?」「うん」「でもさ、豊富な読書から俺の学んだ知識によると、女の『やめて』って言葉は、『いやん、やめないでっ!』って意味なんだよね」「!。…バーカ、バーカ」
2007.01.06
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せんだってから朝青龍の八百長問題について行われている一連の事情聴取は、相撲というよりプロレスを観る気持ちで見守るべきであろう。 横綱審議委員長が海老沢勝二(前NHK会長)。ヤブニラミのエビちゃん。 うーん、キャラが立っている。 もしドラマに出たら「なんにでも注射したがるヤブ医者」の役なんか、似合うよね。 なんにせよ、この件に関しては九重親方から意見を聞きたいよな。
2007.01.05
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せんだっての【あるある】騒動で明らかになったけれども、いまいち実感されてない事実がある。 ある種の人たちは【あるある】で紹介されたらなんでも信用してスーパーに殺到するんだ。「ハーメルンの笛吹き」効果。 ここだけの話、実は、老化を100%防ぐ食材がある。 この食材「X」には、老化をピタリと止める成分「T」が含まれている。 この事実は、世界中のどの大学の教授も認める。コメントを取れば必ず「はい、食材Xには成分Tが充分に含まれています」という発言を引き出せて、しかも嘘ではない。 捏造にならない。 老化を完全に防げる成分Tとは「テトロトドキシン」。 コエンザイムQ10を遥かにしのぐ、バツグンの不老効果! わずか2~3mgで効く「テトロトドキシン」を含む食材「X」とは? なんだろー、なにかなー? この食材「X」の効能を【あるある】で紹介してくれていたらなあ。 年金問題と少子化問題と2007年問題を一気に解決できる、すっげジョーカーだったのだが。
2007.01.04
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せんだって「女は子を産むマシン」失言をした厚生労働大臣だが、専門は経済なんだそうで、そっち分野ではそれなりに能力があるなんて評価を聞く。 だったらなんで経済分野の仕事に就かせなかったのか、「失言を言う機械」を専門外の省庁のトップに据えるような人事をするのか、昔からずっとこの党はこういうわけのわからない人事をする。適材適所という言葉を知らないのか。『三国志IV』でもやったらどうだ、安倍。 とはいっても、例えば、かの御仁が経済部門のポストに就いたとして、国際経済会議の場とかで日本を経済的に孤立させるようなクリティカルな失言をするかもしれないことは想像に難くない。くわばらくわばら。 そして例えば、それで与野党がひっくり返ったとしても、自民(野)もやっぱり審議欠席とかするんだ。野党ってのは「サボタージュをする機械」だ。
2007.01.03
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せんだって、ウィンドウズVistaが発売されて、ニュースなどでも「Vistaはこんなに新しくてこんなにすげえゼ」的なベタ誉めだったわけですけれども、見れば見るほどマッキントッシュのOS Xに激似で、これじゃ数年前からVistaっぽいOSを使ってたマカーの立場が無い。 いまさらVistaで大喜びするんだったら、なんで数年前からマックを使ってなかったのか。なんせマックはウイルス知らずだぞ。もやはマックではウィンドウズも走ることだし。 泣かんばかりの勢いでマックを買ってた人がバカみたいじゃないか。 マイクロソフトも、マックOSみたいなのが欲しかったんなら、最初からアップルになればいいじゃないか。なにを意地張ってグズグズしているのやら。 大多数が使うのはどうせネットとメール、デジカメ写真を見ることだけでしょ。規格が2個ある必要性が薄いじゃない。 gyaoが見れない? 見れるよ。gyaoとかよく知らんけど。 BeOSだのリナックスだの言ってるうちにパソコンOSがみんなこぞってNeXTstepになりたがっているのであれば、ジョブズもとんだ回り道をしたものではないか。 ジョブズ、言ってやれ、ジョブズ。 「だから言ったじゃないか」と。 ウィンドウズのせいで、コンピューターの発達が10年遅れたと。
2007.01.02
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せんだって頂いたお仕事の納期を2月半ばと思ってたら。 電話が来て「どうスか」って、どうもこうも、まだ手をつけてないですよとは言えない空気で。 なんだか、向こうの記憶では1月中に出来上がることになってたらしく、そんなバカな、とは言えない空気で。 だって手帳に書いてないですよ。書いてないってことは、納期は具体的には決まってなかったはずですよ、とは言えない空気で。 とりあえず、仕事は徐々に進んでる態でその場を繕い、ニンテンドーゲームキューブの電源を切り、資料に目を通すために床に寝そべったら、床暖房がほかほか、外は春のような陽気、そしてお腹いっぱいでぐっすり。
2007.01.01
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