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2007.03.31
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2007.03.31
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2007.03.30
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2007.03.30
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携帯の写真だから、万作の緑や白菜の花などがありのままの感じで写らない。
2007.03.30
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2007.03.30
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2007.03.29
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逃がすかどうするか
2007.03.29
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国道41号線わきに咲いていた。
2007.03.28
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初めて160本のシキミを、紐でしばって背負い降ろす。縛りかたがよかったためか、思ったほど、重くは感じなかった。
2007.03.28
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市場に出てたもの。少し芽が出すぎのものだけど、銀芽が良くわかる。
2007.03.27
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明日市場に出す。
2007.03.27
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いつも私のそばにいて、私を守ってくれているかのようなフクスケ
2007.03.25
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早春の夜の雨 降りしきる音 作業室のサッシの間から、フクスケは静かに、夜の雨の庭を見ている。
2007.03.24
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若芽のミドリは美しい。山菜としてその若芽を食べもする。花材としては安いけど。芽だしをする。
2007.03.24
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これまで今の時期に見たことはなかった気がする、ヘビが道脇にいた。棒を近付けると、釜首を上げ、口を大きく広げて、威嚇した。
2007.03.24
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身近な人々を傷つけたことそのことに対する謝罪なしに、その外側にいて、その内集団から危害を加えられた人々に対する謝罪は真に意味あるものにはならない。先の戦争に関し小泉や、阿部がなすべき第一のことの一つは当時の日本が、戦死したら英霊になるとかそうして天皇にも手を合わせられる存在になるとかいって若者たちなどをたぶらかして戦争に刈り出した当時の日本の首脳たちのあり方は、根本的に間違っていたということを表明することだ。それが出来なければ美しい日本など、成り立ちようがない。深い闇を見据えた上に、築くことのできるものがあれば、それは真の美を表現できるかもしれない。そうでないものが今の日本社会には満ちていていたるところで噴出している。もうこんなことは書かなくていいのにまた書いてしまった。これは私のねじれ体験のゆえにそうしてしまうことだろう。眠い
2007.03.23
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子猫、まえかけさんを動物病院へ連れて行った。今はその帰り道。九千円かかる、痛い。
2007.03.23
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私は読んだこともないといえるが、三島由紀夫は『英霊の声』?だったかの小説で太平洋戦争に、戦死したら靖国の英霊として祭られるなどといわれてそれを信じて死んでいった特攻隊員のような兵士らの視点から、戦後に生きる人々を批判?したらしい。たとえば小泉などは首相としてあったとき戦死者の霊を慰め、二度と戦争を起こさないために靖国に参拝すると言ったりしたのだと思う。こういう言葉がいかに靖国の英霊として祭られている人たちの仮にそんなことが現実にありうるとしての話だけど、意に反する、彼らの怒りを買う言動であるか、小泉たちはまったく自覚していない。それが戦後の日本社会の空虚さの一つの要素となってもいると思う。そうではないか。靖国に戦死者の霊が存在し、彼らの霊に対して真摯に向き合うというのなら、彼らに対し、鬼畜米英と戦って命をささげよ、そのことによって皇国日本を守れ、そうすれば靖国の英霊として拝む。そういったのだ、時の支配者たちは。もしそうした英霊に対し真摯に向き合うというのなら、米国によって民主主義体制を与えられ、米軍基地を作らされ存在させられているこの日本を恥いつの日か、米国と戦い彼らを追い出し、戦前のような皇国日本を作り上げるために私は命を賭けるとでも言う以外にない。ところが逆に小泉らは米国の政策に追従しイラクに派兵し、規制の廃止に取り組み、ますます日本の社会をアメリカナイズすることに懸命だったとも言える。そういう行動は、靖国に祭られている英霊の気持ちを根底から踏みにじるものだ。もう書かない。小泉らの靖国の参拝が、そこに祭られている英霊たちの気持ち、そんなものがあるとしてだがそれを根底から踏みにじるものになっていることに、小泉らはまったく無自覚である。そうでありながら小泉らは戦死者の霊を弔うとか、慰めるとかいい、その正しさを疑わない。そうした精神的な欺瞞がこの日本を支配しているというか。戦前の何かに郷愁を感じるからだと、戦後の民主主義を否定しきることなどけしてできないからだ。それが同居し捻じれて存在していること。そのことをどうといてゆくのかという課題。加藤典洋さんが深く考えてきたことはこのあたりのことなのだと思う。私はとても深くは考えられず、そういうのは彼の迷惑かもしれないが。
2007.03.22
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先にタイトルのような感じで、日記を書いたが、私にとって肝心なことはこうだ。一人の親しかった友人を彼が死刑判決をくだされるような状況に追い込んだことに関して私には私一人分の関係責任がある。無理な起訴や、矛盾の多い証拠など、ずさんな判決の論理、またもっと大きく言えば当時の社会状況、社会のあり方政府のあり方などといったものにも、それに応じた関係責任があるのだけど私には私の、彼とは親しい友人であった、そういう時代があったというかそういう人間としての、もっと具体的な関係責任がある。単純化して言えば、爆弾闘争を志向しつつあった彼に対し、私がそれに感じていた疑問を、正直に伝える勇気を持っていたら、その志向を断念させる行動もとることが出来たのにそうしなかった。反革命とか、日和見主義者だとか批判されるのを恐れて。そのことを深く感じること、そのことから学んだことを今ここでの生活に生かすこと。誰かを批判する前に、そのことに深く触れてゆきたい。過去のことに囚われるのではなくそこから学んだことを今の生活に生かしてゆくということ。
2007.03.22
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妹は相変わらず悲嘆にくれる言葉を発するときは多いが、私に対してからかい半分のふざけた言い方、冗談などを言うことも多くなった。汚い言葉など使って、私をこき下ろし、笑ったりもする。そんなことをする妹とのかかわりは、軽くて楽である。悲嘆にくれるには理由があり、そうしているときの妹の苦しさみたいなものは少しはわかる気がするが、ありのままの形では分からない。何でもいいたいことは言えばいい、そのほうがいい、といいつつ、連発されると私自身がうんざりしてしまうこともある。そして批判めいたことも言うときがある。そういう妹も受容し、私も受容したい。そうできない部分で私は苦しくもなるのだろう。しないというか。そういう私も受容したい。妹があれこれ彼女の望むことを言っても、ある程度は受け入れるけど、それ以上受け入れるのは、私に皆しわ寄せが来ることになる気もして、できないということも多い。妹はそんな私を自己中ということもあるけど、多分そのことに苦しむだけでなく、どこかでそんな風でもいいのだと感じている部分もある気がする。彼岸だからお墓参りをしたいと妹が言う。妹は母や父の死を看取ったりしていることもあるだろう、また当時の生活などの苦しさもあり、彼女の精神的な状況もあり、彼らとの本当のお別れが出来ていないためもあるのか、そうしたことに強い関心がある。私はといえば、お墓に父母がいるという感じ方がないから、そこに花など持っていく気にはなれない。それに生活も苦しいから、彼女の気持ちに沿ってお墓参りをしたりすると、仕事のリズムが狂って、夜遅くまで仕事をしなければ成らなくなったりする。そんなことはいやだからそうはしない。子猫と戯れている妹の声がする。
2007.03.22
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変なもの見せてごめんなさい。ともあれ、これゆえこのチビスケはすてられたのかも。このゆえ、下痢便もするし。また病院にいくしかないか。
2007.03.22
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近くの街の花屋さんの紹介で、八百津にある秋月古流家元の秋松栄肇さんの道場、稽古場を見学した。まだ花を生けるということが、どういうことかという、ほんのさわりしかわからなかった感じだけど。
2007.03.21
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2007.03.20
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おととい、朝早くから七宗の山に出かけ、50本入りのシキミを15束ほど採った。それが今日の売上で5万5千円くらいになった。直接の売上の分も含めると、5万を超えた。私の1日の売上としては、最高に近い。この経済的に厳しい時にとてもありがたいことだ。今日は朝早かったからもう眠い。これで眠りますおやすみなさい
2007.03.19
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大森さんが出していた再審請求が、今日札幌地裁で棄却された。詳しいことは、書かない。この裁判は、1審段階から、とてもおかしな裁判だった。今回もそれが押し通されてしまっている。どう言っていいのか分からない。仮に彼が無罪の判決を得て、自由の身になったら心から話し合いたいことが山ほどある。死刑判決を受けた友人がいるということ、そのことをときどき意識する。
2007.03.19
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妹が丸めた雑巾を、枕にして横になっているフクスケに、大笑い。
2007.03.19
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右下に出ているのが小指の先だから、その小ささがわかるはず。
2007.03.19
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先輩の切り子さんからお呼びがかかり、初めて銀芽とよぶ、その名ののとおりの木の枝を切ってくる。養老山系で。
2007.03.19
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夕方林道を降りてくる途中数匹の鹿に遭遇した。林のなかで立ちどまった彼らとしばらく見つめあった
2007.03.17
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2007.03.16
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ミツマタはその皮が和紙の原料になる。
2007.03.16
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2007.03.15
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妹はてんわやんわ、疲れてる
2007.03.14
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川向の山のなかで榊を切っていたらフクスケが現れれた。
2007.03.14
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2007.03.13
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良いしきみだけど、運び降ろすのが大変。重いのだ。
2007.03.13
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九日に出した、温室で芽だししたマヲサクは、三十本五百円が七束。あと四束は三百円。 まあ来年からはマヲサクなどの芽だしはするまい。
2007.03.12
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今日は朝雪が降っていたこともあり、期限の迫っていた確定申告を済ませる。総収入約280万円諸経費を引いた所得、150万円諸控除などを引いた額98万円ほど税金、国税は9万8千円こんな感じになった記憶。税金の額には間違いはない。1度では払えないから郵貯から引きおろすことにして、5万円と4万8千円に分けて4月20日と6月に引き落とすことになる。冬の経済的な困難は、何とか借金10万で乗り切れそうだが、この税金の支払いも含めて、まだ当分は楽になるとまでは行かないだろう。でも山仕事は上向きには違いないし、去年よりは楽になるだろう。それにしても100万そこそこの純収入しかない私が10万の国税と、多分それに近い地方税を払わなければならないとは、腑に落ちないところがある。健康で元気に働いている限りは何とかこなしてはいけるのだが、生活の余裕がなく、ほかのことに時間を割く暇が少ない。山仕事をもっと効率のよいものにするために、今年もまだまだ駆け回り、いい枝物がたくさんあるところを探したり、ユニークなものを探したり、創意工夫をしたい。生活の中で、朝出かけるまでの時間がかなりかかる。いもぷとが弁当を夜のうちに作ってくれているのは助かるが、そのために彼女が夜遅くまで起きていて疲れたリ、私が朝のご飯の支度などするのに時間がかかったりするのは、本当は避けたい。せっかくいいサプリメントをかなり金をかけて買い、とっているのだから、朝昼の食事はコンビニ弁当でも良いと思う。朝早く山に出掛けられると、仕事がはかどり、夕方までに山の中で収穫したものの整理をし、仕事を野の花社に帰ってきてからの夜の時間に食い込ませないことも出来るはずだ。妹を納得させるのは難しいけど、そういう生活の試みもしてみたい。ここ2,3年はそんな生活もして、何とか仕事以外のことにもっと時間を割くことのできる生活を生み出したいコンビニなどをそうした生活のために利用することなど、以前は考えもしなかったけど、ここのところそれもありだなと思うようになった。
2007.03.12
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ヒサカキを整理し終わる作業場に最後までいてくれたフクスケと、居住の場としての、野の花社に帰る。しばらくフクスケのまねをして寝転がり、フクスケの顔を洗うしぐさをまねる。妹が笑う。フクスケのヨガのような姿勢を真似たら、彼は腹を立てたように一声上げてその場を出てゆく。さて昨日飯田さんから1ヵ月半ぶりくらいだかの手紙が来る。彼の手紙をここに掲載することを了解してくれる。「 えーぼくの手紙の1部をパソコンのホームぺじに載せたいとのこと、 いいよ、それは。基本的に僕はデバンのことを信じているから、手紙でい ろいろプライベートなことも書いているわけで、その信じているという中 身の中には、ぼくの不利になると分かるようなことはしないという人だと いう信頼もあるから、そのデバンがぼくに断らずに手紙をどうしようがぼ くにいちいち断らなくていいよ。世の中には他人のホームページを覗いて 何かに利用しようと悪意を持ってうろつく奴らだっているだろうくらいは ぼくだって分かるけど、そういう用心で閉じる方向に行くより、デバン 共々?だまされても心を開き、人を信じて傷つく方向であっても心を開く つまり基本的に人の善意を信じて生きたい。デバンもそうでしょう!」以上のようなその内容でした。快く了解してくれてほっとしています。このことについては今日はこれでやめておきます。
2007.03.10
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これから整理、少し疲れ気味
2007.03.10
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久しぶり、注文で桐の花の蕾の枝を20本ほどとる。1,80ほどの大きいな枝もあった。
2007.03.09
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榊の枝をとり、山を降りて畑のわを通るとき、イヌフグリの小さな青い花を目にする。私の好きな、春の花。
2007.03.09
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山のなかで雪になる。雪のふる様子は不思議だ。
2007.03.08
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2007.03.06
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昨日市場にもっていった野の花社の温室で芽出しした梨とドウダンツツジの枝は、両方で1万円にしかならなかった。2万くらいはなると思っていたのだけど、甘かった。おまけにドウダンは20ぽんからげを8束くらい出したのが10本からげを8束と間違われたりしたこともあり、少し失意を感じた。まあ誰でも間違いはあるので、それは良いし、かう人も現物を見て値段をつけているのだから、そう大きく値段は違わないだろうけど、ドウダンはとてもきれいに出ている感じだったので、その安さに、少し失意を感じたしだい。長い間温室で面倒をみ、ストーブ代や灯油代などかなりの金もつぎ込んでいるので、かなりの赤字という感じだ。でもこれも勉強にはなる。来年に向けて、いろいろなことが分かってきたのだ。しかしその温室での芽出しでは大して稼げていないけど、ほかではこの3がつに入って6万ほど稼いでいる。名古屋のほうにヒサカキを出して。まだまだその方向で今年は稼げるから、何とか見通しは立ってきた感じ。
2007.03.06
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昨日は岐阜の市場に行ったついでに岐阜の精神障害者の家族会の会合に出た。そこでぺてるの家のビデオが放映されるということを妹が知らせてくれたからだった。仕事のほうも、今関わっている名古屋の人と会う約束が、彼の都合でキャンセルになったこと、雨が降ってきたのであまりできないという判断したこと、そんなこともありその会に出てぺてるの家のビデオをを見ることにしたのだった。内容は本で読んで知っていたこととがそのまま写されている感じのものだった。そのビデオは199年代の中ごろだかに撮られたもので、私が読んだ本が出版されたのも同じころだから、だいたい状況がわかるものだったということもある。ともあれ、精神障害者がその傷害をありのままに認められ、表現もし、しかも多くの人々と共に共同の生活・仕事を営みそれが、そう大きな問題を引き起こすこともなく、むしろ非常にいい感じで運営され機能していることに、希望を感じた。そして岐阜のようなごく普通の、精神障害者の家族会でもそうしたぺてるの家のことが大きく取り上げられ、病院ではなく、そうした場で自分たちの家族の障害者もすごせるようになれたらという希望を抱くようになっている人が多いことにも何かが変わりつつあるのを感じた。ただ岐阜の家族会の抱えている困難さもあらわになり、会自体がそんな方向に歩を進めるのは、そう簡単ではないことを痛感させられもしたが。
2007.03.06
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去勢したけどやはり恋の季節がきたのか、このところフクスケは毎日朝帰り。
2007.03.05
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右側が梨、左側がドウダンツツジ、こうして見るとまあまあか。
2007.03.04
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昨年11月に切って来て、花瓶に差しておいたツクバネが、芽を出し蕾まで付けている。
2007.03.03
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