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今年は源氏物語1000年紀ということで各地でくどいくらいにイベントが催されている。私の職場でも、現在関連イベント開催中で私の担当としては「A4・1枚でわかるかもしれない源氏あらすじ」というのを書いた(世間に出す時には形を変えていますが)。源氏物語は以前の大学で卒論として取り組んだこともありそもそも平安のお姫様のぞろぞろした格好が好きなこともあり源氏あれこれな今年が楽しくってしょうがない。関連本も毎週、少なくとも何冊かずつ発行されている。全部を読むことは到底無理だけどぜひとも読まねばなるまいと思った1冊は原岡文子さんのものだ。この人の過去の著作を、確か私の大好きな先生が褒めておられたこともあって図書館で迷わずリクエストした。要するに、と要するのは非常に申し訳ないけど光源氏の一生を読み解く鍵がすでに若紫の巻に表れている、というのがこの本の主張されるところだ。義母の藤壺への秘めた想いだとか紫の上はその最中に源氏に見出され、しかしいつしか藤壺を超える存在になっていくのだとか実は源氏の栄華の一翼を担う存在である明石の上もこの若紫の巻ですでに登場しているのですよとかそんな、源氏物語の主軸といえることがらを原文を丁寧に読み解かれる作業を通して読者にやさしく、同時に情感たっぷりに、示して下さるのであった。古典のみならず、文学の名作を知ろうとするときにあらすじを読むなどというのは論外だと個人的には思っている。あらすじを読むことがあるとすれば、それはあくまで原典に当たった後のこと。(と、言いつつ今まさにレポートのために落語のあらすじを乱読しておりますがそれはさておく私ウフ♪)感想とか解釈はあくまでも、原文を読んだ上のことでありたいと若干の反省をこめて、思う。原岡さんのこの本は、物語を決して大枠に掴むことなく原典から読み起こした解釈の上に論を立てられる。ひとつの助詞もおろそかにすることなく読み解いた本文が引用される。その濃やかな解釈に時々鳥肌が立つ。文学の鑑賞って、こうでなきゃならないんだなあと改めて学ぶ。私が源氏の原典に当たった時に同じ解釈ができるかどうかはわからない。でも、本文を読んで感じたことからすべての論が始まる。あらゆる文芸評論も、さらには芸術批評も、まずは感じることがすべて。日本の古典文学は、一言一言、一文字一文字にこめられた意味が濃い。と思う日本語ネイティブの私。口語現代語が少し冗長だと思う。 『「源氏物語」に仕掛けられた謎:「若紫」からのメッセージ』角川学芸出版 2008年写真は源氏千年紀展覧会付近で見かけた女房装束。紫と白の衣はちょっと憧れ
2008.10.30
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前回の日記の続き。高校の風景に納得したので、引き返して今度は中学校へ。高校からの帰り道はだいたいわかったので、風景を見る目にも余裕が生まれる。家へと戻る途中にある橋からは、市内随一の観光地が見えていた。前日に花嫁さんたちと歩いたその名所を、高校のころの私は毎日見ていたんだなあと、今こうやってその橋を眺めることになるなんて、とひたすら不思議な気持ちである。中学校は国道2号線から1本入ったところにあった。部活の時は自転車で通学するのだけど、途中で友達を誘って確か3人くらいで、自転車を並べて、住宅街の細い道をおしゃべりしながら通った。道端には小さな水の流れがあって、雨の翌日には巨大ななめくじや蛙がぺったんこにつぶれてよく死んでいたことを思い出す。それらを避けながら自転車を走らせたものだ。。。が、久しぶりに見るその道はものすごく狭くて驚いた。3台も並べて?微妙にハンドル操作しながら?って、さすが、子どもだったんだなあ。中学校も門は開いていたけど、やはり自粛して立ち入らず。正門から校訓を記した石碑を眺めるとその校訓とは「一 私たちは仲間である」「一 私たちのいる世界は自由でありたい」「一 私たちは自分を見つめる」であった。そうそう、と、この2番目にすごく違和感があったことを思い出す。まあ、1番目と3番目はよくある感じで、青少年らしくて、まったくおかしくない。しかし、2番目。世界は自由でありたい。当時の私は「そんなこと言われたって。そんなのどうぞご自由に、じゃんねえ」と思っていた。まあ、世界は自由であってほしい、ってことかな。そこだけなんかレベルが違うのと、全体にがたがたっとした感じがやっぱり気になるけど、まあいい校訓かと思えた。誰が決めたんだろう。そして中学を越えて向こう側にあったはずの友達のうちを何軒か探す。が、建て替わっていたり、道を思い出せなかったりで、当時の面影には1軒もたどり着けず。ただ、もうすっかり忘れていた同級生のシロくんの家を見つけた。広い庭に花がいっぱい咲き誇っていて、健全に幸せそうで嬉しくなった。シロくんはそこにいるかもしれないし、いないかもしれない。それは知りようもないけど。秋とは思えない炎天下を自転車で走り回って、手も顔もけっこう日焼けしていた。このためだけに時間を取って散策して大方得心したのでたぶんもう、このあたりをさまようことはないと思う。写真は通学路の臥竜橋。思っていたより風光明媚な土地でした。
2008.10.29
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さて結婚式に出席した翌日、その街に住んでいたころの家と中学と高校の位置関係を確認するべく、自転車を借りて散策した。その街を離れてからずいぶん長いせいか、3つの位置関係が全然思い出せないのがもどかしくて、一度ちゃんと確認しておこうと思ったのだった。秋とは思えないくらいの強い日差しの中、チャリチャリとさまよう。地図は持たず、僅かな記憶だけが頼り。その記憶の中に風景はあるのに、なかなかそこを見つけることができない。逆に、現実の風景を見て思い出すこともあったけど、その景色の先に何があるのか、進んでみなくてはわからない。なんというか、ぼんやりした点と点を結ぶ糸を探す感じ。ほとんどひらめきだけを頼りに適当に角を曲がる。曲がった先が「当たり」なら、その瞬間にそこは見知った場所になる。「はずれ」なら道を変えてやり直し。そんなことを繰り返すうちにとうとう高校に着いた。その高校は高台にあって、なぜか無闇にグラウンドが広い。自転車を駐輪場に置いて坂道を登りながら、体育の時間、長距離走の時などは特にこのロケーションに悩まされたなあと思いだす。門は開いていたけど、入るととがめられそうで、広いグラウンドの向こうにある校舎を遠巻きに眺めながら敷地の外をぐるっと回り、回り終わったところで単に佇むしかすることがなかったので、早々に坂道を下りて自転車置き場に向かった。まったく個人的な日記です。けど書いておきたくて。そして、つづく(たぶん)。写真を見てここがどこかわかる人はここにはいないと思うけど無駄に広いでしょう?奥の方、小さく写っているのが校舎。
2008.10.24
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週末は大事な友達の結婚式のために遠方へ出かけた。日本の三大名橋のひとつに数えられるある橋が有名なそこは私が中学高校を過ごしたところでもある。通学路の近くにある小さな神社での挙式の後、花嫁御寮は(いえ、もちろん旦那はんもだけど)、その橋の上を白無垢姿でゆっくりと歩かれた。これ以上ないくらいの良いお天気で空は青く、おふたりに差しかけられた大きな傘は真っ赤。木造の橋の下を流れる水は碧く豊かで。でも、そんな絵のような景色の中を進まれた花嫁さんが一番きれいだった。きれいな絵巻物の中に、一緒に歩いた私たちまで入れてもらったような。。。お客として集った友達は私のほかに6人。こちらもみなかわいくてきれいなお嬢様や奥様ばかりである。それなりに年は取っているはずなのに、話してみると昔のままでただ、みんなそうだと思うけど、当時よりも相手のことが見えるようになっていてああ、この人はこんなんやったかなあ、と思っては改めて親しみが湧くのだった。この人たちと集うと、なんかおかしな言い方だけど清く正しく生きていかなきゃ、と思う。小さなことやどうしようもないことで、時に濁った気持ちになってしまってもそんなことはどうだっていいんだ、とかそれどころかそんなことを気にする私じゃなくてよ失礼な、とまで言いたくなるほど気分がしゃっきりとする。何か悩みごとを彼女たちに相談したわけではなくそもそも何かを特別に悩んでいるわけでもないくせに漠然と元気になった。ちなみに普段の私は清いことはいいことだけど正しいことがいいこととは限らないと思っている。彼女たちだってもちろん清く正しいばかりではないだろう。でもなんだか、タカラヅカ音楽学校にでも入ったような気分なのだった。何がというのはないけれど、ちゃんとしようっと。
2008.10.21
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