偐万葉田舎家持歌集

偐万葉田舎家持歌集

2010.03.01
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カテゴリ: 銀輪万葉

(承前)

竹内 ( たけのうち ) 街道に入る。

( )  竹内街道は言わば古代の国道1号線であり、中国、朝鮮からの大陸文明は九州・瀬戸内海を通り、難波津からこの道を経て大和・明日香へと入ったのである。その意味でシルクロードの終点の道でもある。

 日本書紀・推古天皇21年(613年)11月の条に「 難波 ( なには ) より ( みやこ ) に至るまでに 大道 ( おほぢ ) を置く。」とあるのがそれである。

竹内街道 (2).JPG
(竹内街道)
竹内街道.JPG

 現在の竹内街道は堺市から河内平野を東に向かい、二上山の南の竹内峠を越えて奈良県当麻町(現、葛城市)の長尾神社に至る約26kmの街道であるが、それは、ほぼこの「大道」と重なっている。「大道」は金岡(堺市)から北に向かい難波津に至るのである。
 この道が「シルクロードの終着点・外交の道」として重要な役割を担ったのは都が明日香、藤原京にあった時代までで、都が平城京に移って後は、その役割は龍田越えの龍田道にとって代わられる。
 しかし、聖徳太子信仰の隆盛とともに叡福寺がその霊場となり、「太子信仰の道」となり、中世末には自治都市堺と大和を結ぶ「経済の道」として脚光を浴び、江戸時代に入ると、太子信仰に加えて、伊勢参り、長谷寺詣で、大峰山修行の、庶民の「宗教の道」として栄えることとなる。

竹内街道 (3).JPG竹内街道 (4).JPG
             (竹内街道)

 旧道は古い民家もあってなかなか風情のある道である。今回はMTBなので山登りは無理であるが、トレンクルなら肩に担いで二上山に登ってみてもいい位な気になる。
先ず、聖徳太子の父親である用明天皇の御陵に立ち寄る。

用明天皇陵.JPG
(用明天皇陵)
用明天皇陵 (3).JPG

 再び竹内街道に戻って、更に坂を登る。古道ならではのこのような古い民家のあるのもいい。土日祝日には一般公開されているようだが、今回は入場せず先へ進むことに。

竹内街道・国登録文化財、大道旧山本家住宅.JPG
(国登録文化財・旧山本家住宅)

 更に登ると孝徳天皇陵である。孝徳天皇( 軽皇子 ( かるのみこ ) )は、天智天皇(中大兄皇子)の母・ 宝皇女 ( たからのひめみこ ) (皇極天皇・斉明天皇)の弟で、大化改新後に天皇位に即くが、中大兄皇子らと対立、孤立し、病死してしまう、いささか悲劇的な天皇なのである。そんな訳でもあるか、孝徳陵はそっぽを向いて居り、正面からは拝することのできない形になっている。何やら象徴的であり、悶死した彼を偲ばせる、と感ずると言えば、こじつけの深読みですかな(笑)。

孝徳天皇陵.JPG
(孝徳天皇陵)
孝徳天皇陵 (3).JPG

竹内街道歴史資料館.JPG

 孝徳陵から少し東に「竹内街道歴史資料館」がある。
 入場するのは2回目であるが、竹内街道の今昔を分り易く解説展示しているので、お薦めです。 資料館を出て推古天皇陵へ向う。

 推古天皇陵は推古天皇と竹田皇子とが合葬されている。 竹田皇子 ( たけだのみこ ) は敏達天皇と 豊御食炊屋姫 ( とよみけかしきやひめ ) 額田部皇女 ( ぬかたべのひめみこ ) 、後の推古天皇)との間の皇子であるが病弱であったようで、若くして亡くなっている。推古は息子の「竹田皇子の陵に葬るべし」と遺詔していた(日本書紀・推古天皇36年9月条)ので、これに合葬されたのである。

推古天皇陵 (2).JPG
(推古天皇陵)
推古天皇陵 (3).JPG

推古天皇陵.JPG小野妹子墓 (3).JPG
                    (小野妹子墓参道)

 推古天皇陵を後にし、御陵前バス停から東へ再び坂を登る。突き当りが 科長 ( しなが ) 神社 ( じんじゃ ) 、小野妹子墓である。

小野妹子墓.JPG
(小野妹子墓)

科長神社.JPG
(科長神社)
科長神社 (2).JPG

 最後は、最西端、最も低い位置にある、敏達天皇陵へと坂道を一気に下る。
敏達天皇陵も、彼の妻と息子の墓よりも低い処にありますな(笑)。
敏達天皇陵.JPG

 この陵も敏達天皇の母、 石姫皇女 ( いしひめのひめみこ ) (欽明天皇の皇后)との合葬である。聖徳太子も推古天皇も同様だから、この頃は母と子の合葬が流行していたということですかな(笑)。

敏達天皇陵 (2).JPG
(敏達天皇陵)

 敏達天皇陵を出て帰途に。もう一つ予定していた蘇我倉山田石川麻呂の墓があるという仏陀寺をやり過ごしてしまったことに気付いたが再び坂道を登る気力はなく、後日の楽しみとすることに。
帰りは仏眼寺橋バス停付近から太井川沿いの道を走り、太井川バス停で左折し河南橋への道を西に向かう。河南橋で石川河川敷の自転車道に入り、大和川を渡った後は恒例の通り、恩智川沿いの道を取る。
外環状道路と恩智川が交差する地点の少し手前、右岸に、よく立ち寄る喫茶店がある。珈琲が飲みたくなったので立ち寄った。店に入って席に着こうとしていたら、3~4人連れの女性客が勘定を済ませて店を出る処であった。その中の一人の女性が、小生の方を見ながら、「この人、見たことあるわ。お名前は知らないけれど。」とのたまう。
小生「お会いしたことありましたですか?ここへは何度か来ていますから、その時にお目に掛かっているのですかねェ。」
女性「こんにちは。」小生「ああ、どうも、こんにちは。」
まあ、それだけの話で女性達は店を出て行ったのであるが、彼女は誰かと人違いをしたのだろうか。今日は妙なことがよくある。
喫茶店で隣のテーブルに独りで居る白髪の男性に「ご近所の方ですか?」と声を掛け、世間話を始める。彼は77歳。70歳まで青少年センターで働いていたとか。
男性「ところで、あなたは学生さん?」
小生「??。(この人は目がお悪いのだろうか。)いや、僕はもう○才ですよ。」
男性「ええっ!それは・・。」と困惑顔。店の方も笑って居られる。
自転車スタイルだから若くは見えるのかも知れぬが「学生さん」はないだろう。やっぱり今日は朝から変だ(笑)。早く家に帰ろう。「お気を付けて。」女主人の声を背に店を出て、家路に。
 花園中央公園経由で帰宅したら、午後5時を少し回っていた。






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最終更新日  2016.03.21 20:41:05
コメント(19) | コメントを書く


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Re:太子町銀輪散歩(その3)(03/01)  
良いツァーでした~!!。
何より、添乗員さん?!の解説が素晴らしかったです。
また訪問させてください。古代に思いを馳せることができます~。 (2010.03.02 10:55:02)

カコちゃん08さんへ  
けん家持  さん
 3月2日の日記にするつもりが、(その2)と同じ3月1日の日記になってしまいました。
 またまた、添乗員けん家持のミスであります。
 それでも、「良いツァーでした~!!。」と仰って戴け有難いことでございます。どうぞ、今後とも偐万葉田舎家持旅行社の「銀輪万葉ツアー」をご愛顧賜りますように(笑)。
(2010.03.02 11:24:59)

Re:太子町銀輪散歩(その3)(03/01)  
いずれもいい写真で大和路の雰囲気が伝わります。
書物で勉強するより、現地を訪れ感銘を受けるのが
一番の勉強になると思います。 (2010.03.02 19:39:43)

松風6923さんへ  
けん家持  さん
 当麻寺のある二上山の奈良側の麓と勘違いされたようですが、太子町は大阪府側、河内飛鳥と呼ばれる地です(笑)。
 明日香から大和川に注ぐ飛鳥川と同じ名前の飛鳥川(河内飛鳥川)も流れていて、こちらの飛鳥川は石川に注いでいます。山や丘の佇まい(坂の多いところも)は、いかにも飛鳥の雰囲気ですし、大阪府なのに、街道にのこる古民家の屋根は所謂「大和造り」ですから、「大和路の雰囲気」をお感じになったのは、なるほどという気がします。
(2010.03.02 20:42:37)

Re:太子町銀輪散歩(その3)(03/01)  
nanasugu  さん
けん家持さん、浦島太郎の逆バージョンではないですか?
玉手箱を開けませんでしたか?
鏡をご覧になってください。
高校生ぐらいの時のお顔になっていませんか?
(2010.03.02 22:41:24)

Re:太子町銀輪散歩(その3)(03/01)  
小万知 さん
近つ飛鳥博物館には行ったことがありますが、あの辺りはずっと登り坂になっていたように記憶しています。
小野妹子の墓への道も見るからに石段数の多そうなこと、辛き道も目指すものがあればなんのそのですね。
孝徳天皇稜の向きの推理、そう考えると面白いですね。
大阪のおばちゃんたち、名物の飴ちゃんを配ってくれませんでしたか?
(2010.03.02 23:06:53)

nanasuguさんへ  
けん家持  さん
 浦島太郎の逆バージョンですか?そう言えば、この喫茶店に入る前に、恩智川辺でこんなことありました。
 若いお母さんが小さな女の子を連れて釣り糸を川に向けています。覗くと、下の川原で小学校1~2年のボクが母親の指示で何事かをしている。大きな鯉(70~80cm位)がかかっていて、それを逃がす為に釣針を外そうとしているのです。
 大きな魚に悪戦苦闘、なかなか外れない。そこで、柵を乗り越え石垣を伝って下り、小生が外してあげて、水の中へ鯉を逃がして上げました。
 玉手箱は貰わなかったけれど、そのせいで何十分かは高校生か大学生位に若返っていたのかも(笑)。
(2010.03.02 23:53:36)

小万知さんへ  
けん家持  さん
小万知さん
 今回は「近つ飛鳥博物館」には行きませんでした。山麓の斜面にある町ですから坂道ばかりです。
 推古陵からひたすら登った処が小野妹子墓。推古陵からど~んと下った処が敏達陵です。
 孝徳天皇陵については、清少納言が枕草子の中で「鶯のみささぎ」と呼んで美しい御陵の代表としているのが、これだという説があります。もっとも、若草山頂上の「鶯塚」という説など異説があり、定かではありません。平安時代の頃の姿はいざ知らず、現在の孝徳陵を見る限り、この古墳の何処を清少納言がよしとしたのか、大いに疑問を感じます(笑)。
 大阪のおばちゃんの飴は、残念ながらこの日は、登場しませんでしたね(笑)。
(2010.03.03 00:16:30)

こと、偽山頭火  
河内温泉大学教授 さん
家持殿、我が輩がリハビリ走行にいそしんでいる内に快調に跳ばしておられますな。
今月も調整期として、4月くらいから音もしましょうか。

さて、太子町周辺はアップダウンがきつく、大変でしょうな。 (2010.03.03 13:53:50)

Re:こと、偽山頭火(03/01)  
けん家持  さん
河内温泉大学教授さんへ
 今月一杯はリハビリ走行(笑)ですか。しっかりご調整下さいませ。4月にはご一緒出来るのを楽しみにしております。
 太子町はアップダウンがきつく、コース順序を間違うと結構辛いことになりますな。まだ、自転車では竹内峠を越えたことがないので。そのうちに越えてみようかと(笑)。
(2010.03.03 19:37:34)

Re:太子町銀輪散歩(その3)(03/01)  
木の花桜  さん
銀輪散歩、ご一緒できたような充実した3日間でした。
竹内街道、どこかに記憶があるのですが・・・最近は物忘れがひどく・・・
日本史の教科書の世界を実地に案内していただいたような楽しさでした。
しかも、御年1292歳なのに学生さんに見えるステキな先生と自転車で走る楽しみもありました。
ありがとうございました。 (2010.03.04 00:33:53)

木の花桜さんへ  
けん家持  さん
 銀輪散歩、3日間もお付き合い下さり有難うございました(笑)。
 欽明天皇の二男が敏達天皇、四男が用明天皇。用明天皇の子が聖徳太子。推古天皇は欽明天皇の二女で敏達天皇の皇后。孝徳天皇は少し時代が下りますが敏達天皇の曾孫。まあ、ご家族のような関係の皆々さまの眠る王陵の谷であります。
 楽しんで戴けて小生も嬉しく存じます。
 昔、課長時代にその年の新入社員歓迎会の二次会で初めて行ったスナックで、ママさんに新入社員だと間違われたことや部長時代にクレームで怒り狂って来訪された年配のお客様から「にいちゃん」と呼ばれて相手にされなかったこと等が思い出されましたが、それらに負けず劣らずの、いやそれらに倍する今回の「学生さん」でありました(笑)。
 1292歳の学生も悪くはないですが、教師泣かせの学生になることでしょうね。歴史の話をしても生き証人が学生の中に居るのですから、見て来たような嘘を言うことになり兼ねず、困ってしまいますな。
 隣席の77歳だという男性、ひょっとすると実年齢2292歳であったのかも知れません(笑)。
 また、次の銀輪散歩にもお付き合い下さいませ。1292歳の学生とじゃりん子チエという面白き取り合せ。オツな銀輪行になるかと(笑)。
(2010.03.04 09:34:00)

Re[1]:こと、偽山頭火(03/01)  
河内温泉大学教授 さん
> 自転車では竹内峠を越えたことがないので。そのうちに越えてみようかと(笑)。
竹内越えが終わってからご一緒しようと考えています。あの坂道は、帰りも同じような道しかありませんので。
(2010.03.04 15:07:35)

河内温泉大学教授さま  
木の花桜  さん
昨夜、家持さんのブログからお伺いして、しばらく遊ばせていただき、楽しかったです。
ログインしたらコメントが書けそうになりましたのに驚いて引き返しました。
また、伺わせていただきたいと存じます。ありがとうございました。 (2010.03.04 15:38:28)

Re[2]:こと、偽山頭火(03/01)  
けん家持  さん
河内温泉大学教授さんへ
 奈良県側の近鉄磐城駅から竹内街道を行き当麻寺、佑泉寺経由二上山山頂の大津皇子墓を経て大阪府側の竹内街道に下り、近鉄上の太子駅までというコースを歩いたことがありますが、これは岩屋峠越えになるのですかな。やはり一度は名にし負う竹内峠を自転車で越えたいものです。
 大阪・奈良府県界の道は色々ありますが、暗峠越え、龍田越え、それに北の交野(?)越えの3っつは自転車でクリアしましたが、水越峠越え、平石峠越え、穴虫峠越え、関屋峠越え、十三峠越え、千早峠越えなどは自転車では未踏です。トレンクルなら全て挑戦可能ですな。
(2010.03.04 16:56:13)

Re:河内温泉大学教授さま(03/01)  
河内温泉大学教授 さん
木の花桜さん
是非またお越しください。ここ暫く事情があって温泉行はご無沙汰ですが。
(2010.03.04 17:00:42)

Re:河内温泉大学教授さま(03/01)  
けん家持  さん
木の花桜さんへ
 偐山頭火氏のブログに遊行されましたか。折角ログインされたのなら、コメントを書いてあげて下さればおよろしいのに、「驚いて」退出とは、こはいかに(笑)。
(2010.03.04 17:02:30)

Re[3]:こと、偽山頭火(03/01)  
河内温泉大学教授 さん
けん家持さん
> 暗峠越クリアとか
それはすごいです、全国の自転車乗りから「聖地」と言われているのがこの暗がり越えです。山登りではこの峠を足を着かずにこぎ登れば、一流の証と言われています。
(2010.03.05 11:10:56)

Re[4]:こと、偽山頭火(03/01)  
けん家持  さん
河内温泉大学教授さんへ
 いやいや、誤解されませぬように。小生のクリアというのは、自転車を漕いだままで峠を登り切るというような過酷なハードルではありません。漕ぎ切れなくなったら自転車を押して行くのも可というものです。歩いてさえ前のめりにならないと登れない急坂で且つ九十九折りの坂ですから、漕いで登り切ったら超人でしょう。奈良側からなら時々休憩をはさめばまだ何とかなりそうな気もしますが・・。
(2010.03.05 21:49:20)

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