偐万葉田舎家持歌集

偐万葉田舎家持歌集

2019.07.27
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カテゴリ: 銀輪万葉
​​​​​​​ 日(7月26日)は友人の偐山頭火氏との偐偐銀輪散歩でありました。
 午前10時八戸ノ里駅前での待ち合わせとし、堺方面へ銀輪を走らせることに。コースの概略は以下の通り。
 自宅→近鉄・八戸ノ里駅前→中央環状道路→ 志紀長吉神社 真田幸村休憩所跡 →大和川右岸の道→遠里小野橋→南海・七道駅前(河口慧海像)→河口慧海生家跡→覚應寺→ 小島屋(芥子餅) →開口神社→ 反正陵 →方違神社→仁徳陵→ 御廟山古墳 百舌鳥八幡宮 →帰途へ(偐山頭火氏の先導について走るだけ)→(近鉄・小阪駅南方で偐山頭火氏と別れる)→小阪駅前→ 近鉄・瓢箪山駅近くの自転車屋(かいた屋) →自宅
(注) 青色文字 は、予定外の立ち寄り先 ​​
 自宅を早くに出発し過ぎたので、八戸ノ里駅前到着が8時50分。いくら何でも早過ぎる。駅前の、司馬遼太郎も生前にはよく利用したとかいう、喫茶店に入って休憩。その後少しばかり周辺を走って駅前に戻ると9時45分。程なく偐山頭火氏到着。
 中央環状道路を南へ。JR関西本線の跨線橋を回避して偐山頭火氏の先導で大和川畔の道へと向かう。
 彼は、たびたび堺方面を走っているので、コチラ方面の道には詳しい。彼の先導で最初に立ち寄ったのは志紀長吉神社。​

(志紀長吉神社)


(同上・由緒)
​​  この神社は初めての訪問。
 地下鉄谷町線・長原駅の北西に位置する。​

(同上・位置図)

(同上・拝殿)
 偐山頭火氏がこの神社に案内して下さったのは、真田幸村に所縁のある神社であるからだったよう。​

(同上・真田幸村に関する説明)
 大坂夏の陣で真田幸村がこの神社の境内にて休憩、六文銭軍旗を奉納して戦勝祈願をしたとのこと。
 神社の参道脇に、その休憩所跡なるものがある。​

(真田幸村休憩所跡)

(同上)
 明治橋付近で大和川畔・右岸の道に出る。​

(大和川右岸の道)

(同上・先を行く偐山頭火氏)
 川岸の道に出ると、視界が開ける所為もあってか、吹き来る風と相俟って、気分は一気に爽快。とは言え、流れる汗はとめがたく・・であります。
ああ真夏 堺への道 汗の道 君も銀輪 我も銀輪 (輪家持)
 (本歌)ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す
君も 雛罌粟 ( コクリコ )  われも 雛罌粟 ( コクリコ )  (与謝野晶子)
 本歌の方は、パリへ留学させた夫・鉄幹を追いかけてシベリヤ鉄道ではるばるパリへとやって来た晶子が鉄幹と再会して詠んだ歌であるが、これは後日に推敲されたもので、最初の歌は「若ければ仏蘭西に来て心酔ふ野辺の雛罌粟街の雛罌粟」であったらしい。
 何れにせよ、我々の銀輪行はそのような色っぽいものでは勿論ないのであるから、また、季節も異なるのであるから、汗、汗、汗、ひたすらに汗なのである(笑)。
​​​​​​​ 晶子が与謝野鉄幹と知り合う前に熱を上げた、いわば初恋の男が河野鉄南で、彼は覚應寺の住職であり、晶子の一方的な気持ちの高まりに些か持て余し気味であったよう。鉄南の紹介で鉄幹と知り合った晶子はやがて鉄幹に夢中となるのであるが、鉄南としては「やれやれ」ホッとしたということであったかも。
 今回の堺方面行きは、この覚應寺に行ってみようという小生の思い付きと、河口慧海生家跡を見落としたので再訪したいという偐山頭火氏の思いが合致しての偐偐銀輪散歩なのでありました。
 大和川右岸の道は、大阪市立大学のある付近で行き止まり。大きく迂回しなけれならない。大阪市立大学前の小さな緑地で小休止、水分補給。
 少し道を間違うということもありつつ、あべの筋に出て遠里小野橋で大和川を渡る。砂道交差点で右折し、南海本線・七道駅へと向かう。
 河口慧海生家跡に回る前に、駅前にあるという慧海像にご挨拶申し上げようという訳である。​

(南海本線・七道駅)

(河口慧海像)※​ 河口慧海・​Wikipedia ​)
​ 河口慧海について述べるのは手に余るので、上の※のWikipedia記事をご参照下さい。その高名は夙に存じ上げているものの、彼の著作を読んだこともなければ、彼が堺市の出身であることも、今回初めて知った次第。​

(同上・説明碑文)
 七道駅前には、こんな碑もありました。​

(放鳥銃限定記碑と鉄砲鍛冶射的場跡)

(同上・説明碑)
 以前、七道駅前から内川沿いの遊歩道をザビエル公園へと銀輪で走ったことがあるが、河口慧海の生家跡は駅の東側三つ目の辻を南に入ったところにある。
 生家跡の碑は、住宅が立ち並ぶ隙間に窮屈そうに建っていた。​

(河口慧海生家の跡碑)

(同上・説明碑)
 河口慧海生家跡は分かりにくい場所なので、地図でその位置を示して置きます。​

(七道駅、河口慧海像、同生家跡位置図)
 細い路地を南へ。広い通り(大堀堺線)に出て左折。次の目的地・覚應寺へと向かう。覚應寺へは阪堺線が通る紀州街道を南進するのが近道であるが、阪神高速堺線の高架下になる国道26号を行く方が日陰になって涼しかろうと遠回りで行くこととする。
 ところが、こちら側からだと何処で右に入るべきなのか目印となるものが見当たらない。通り過ぎかけて偐山頭火氏がひと際大きな寺の屋根に気が付く。覚應寺は本願寺堺別院の北向かいに位置するので、大屋根は本願寺のそれに違いあるまいと、行くと果たしてその通りで、覚應寺の前に出ました。​

(覚應寺 奥に見えているのが阪神高速堺線の高架)
 東隣の萬福寺、西隣の十輪院に挟まれた小さな寺。​

(同上・説明碑)
 寺の前の説明碑には河野鉄南と与謝野晶子との交流のことも記されているが、晶子の初恋の男性が鉄南であったとまでは流石に記されていない。そうであったかどうかなどは晶子の心の内の問題であるから、真相は「藪の中」である。
 しかし、10代の少女である晶子が10ヶ月の間に29通もの手紙を青年鉄南に出していること、その中には「このもだゆる少女をあはれと思し、何とぞ早く何とか仰せ被下度候。二三日も御返事御待ちもうしてもなき時は、私は死ぬべく候」などという文面のあることなどからすれば、晶子が片思いであれ鉄南に恋心を募らせていたという解釈も自然なことである。
<参考> 河野鉄南とはーコトバンク
与謝野晶子​・Wikiquote ​​
​​​​​​​​​

(同上・表門)
​  表門は閉ざされているが右手にお勝手口があり、戸を開けて自由に入れるようであるので入ってみる。
 正面に晶子の歌碑がある。​

(与謝野晶子歌碑)
その子はたち 櫛に流るる 黒髪の
    おごりの春の うつくしきかな (与謝野晶子)

 歌集「みだれ髪」所収の有名な歌「柔肌の熱き血潮に触れもみで悲しからずや道を説く君」の「君」とは鉄幹説、鉄南説、一般の道学者説とがあるようだが、ここにこの歌碑を設置したりしたら、鉄南説を唱えるようなものとなるし、寺の境内にはそぐわない歌の意味であるから、ここは無難な「その子はたち」の歌碑ということになったのでしょうか(笑)。
 次の目的地は開口神社であるが、その前に、紀州街道の広道に出て、偐山頭火氏が買い求めたいという老舗和菓子屋の小島屋の芥子餅へと向かう。
 晶子の「君もコクリコ、われもコクリコ」の歌に因んで、記事タイトルを「君も銀輪、我も銀輪」としたように、偐山頭火氏としては、「君も芥子餅、われも芥子餅」という目論見であったのかもしれないが、餡子など甘いものを好まなくなったわが妻であるから、芥子餅を土産に持ち帰っても誰も喜ばないということで、ヤカモチはパス。「君は芥子餅、われは時間待ち」で、偐山頭火氏の買い物が済むまで、店先でタバコを吹かしながらの時間待ちでありました。
 時刻はと見るとほぼ正午。宿院交差点で目に入った店で昼食とする。
 昼食後、店を出ると、雨がポツリポツリ。この時期の雨は土砂降りは別として、少し位濡れた方が涼しくていいというものであるが、すぐに止んでしまった。
 開口神社は訪問済みで過去のブログ記事
(下記参考) ​でも紹介済みなので、ヤカモチとしてはどちらでも良かったのだが、偐山頭火氏はその境内にある与謝野晶子歌碑は初見らしく、興味を示されたので立ち寄って行く。
 因みに開口は「あぐち」と訓みます。
<参考>​ 阿倍野から堺へ(その2)  2017.5.1.


(覚應寺、開口神社、方違神社位置図)
 次の目的地は、方違神社。
 と言っても、方違神社に用がある訳ではなく、鳥居前の万葉歌碑が目当てなのである。昨年10月に、方違神社にあるという三国山の万葉歌碑を目当てに銀輪散歩で訪れた際に、見つけられずに諦めたという経緯があるからのヤカモチの要望での立ち寄りである。
<参考>​ 三国山 ​ 2018.10.11. ​​

(三国山の万葉歌碑)
 これは、神社の社名が刻まれた社標石碑であり、万葉歌碑として建てられたものではない。社標の側面に万葉歌が刻まれたものなのである。通常の一般的な歌碑を想像して探していたので、前回は気が付かなかったという次第。
 撮影していると、一人の男性が向こう側からこの社標をスマホで撮影して居られる。万葉歌碑ならコチラですよ、と声掛けをする。三人で撮影である(笑)。まあ、そのお方が万葉ファンなのかどうかも分からぬから、ヤカモチの大きなお世話であったかもしれないが、もし万葉ファンなら前回のヤカモチのように残念な思いになるから、大きなお世話、要らぬお節介を承知で声掛けをした次第。
三國山 木末尓住歴 武佐左妣乃 此待鳥如 吾俟将痩
三国山 木末に住まふ むささびの
       鳥待つがごと 吾待ち痩せむ (万葉集巻7-1367)


 歌の意は「なかなかやって来ないあなたを待って痩せる思いです。」ということを言うために、三国山のムササビを引き合いに出しただけだから、何処の三国山でも三国ヶ丘でもいいのである。
 なお、ムササビのために付言するなら、彼は小鳥を捕食したりはしない。木の実や芽や樹皮、花の蕾などのほかせいぜい蜂などの昆虫を食べるに過ぎない。
 次の目的地は、仁徳陵の周回遊歩道沿いにある、磐之媛の歌碑。
 何故、4首もの磐之媛の歌の刻まれた碑石が並べられているのか、夫の仁徳天皇に対する嫌みか、などと浮気の多かった仁徳さんの気持ちにシンパシーを覚えるのか、偐山頭火氏の疑問となっていたらしい(笑)。
 犬養先生揮毫の歌碑であるが、ヤカモチは未見であったので、それは是非見たいものと立ち寄った次第。​

(磐之媛万葉歌碑<犬養万葉歌碑>)

(同上)
 磐之媛は仁徳天皇の皇后となるが、通常、皇后となれるのは天皇の娘など天皇の血を引く女性でなければならないというのがこの頃の慣わし。
 磐之媛は古代有力豪族、葛城氏の娘であるから、この慣わしによるなら、夫人など二番手、三番手の地位につけても、皇后の地位にはつけないことになる。この慣例を破って臣下の娘であった者が皇后位についた最初の女性が磐之媛であった。
 また、仁徳の浮気を許さず、天皇が謝罪しようが迎えをよこそうが、頑として受け容れず、宮廷に帰ることはせず、別居したまま世を去るという、言わば自己を押し通した女性でもある。そんなことで古代の代表的な女性として磐之媛の人気は高かったものと思われる。
 犬養先生の大学での講義での受け売りであるが、古代の男性の代表が雄略天皇で、女性の代表が磐之媛であったと思われる。
 万葉集第1巻冒頭の歌が雄略天皇が初瀬の丘で若い娘を口説く歌であり、第2巻冒頭の4首が磐之媛の歌であるというのも、そういう事情を表すものであるという次第。
 ということで、ここに刻まれている歌4首は万葉集第2巻の冒頭の4首なのである。勿論、磐之媛自身が作歌したかどうかは不明である。民謡など伝承されて来た歌を磐之媛の作としたと考える方が当たっているのだろう。史実などは人々は求めてはいない。いかにも磐之媛らしい歌と人々が思えば、それは磐之媛の歌でいいのである。
 まあ、何にしてもこの4首は、言わば4点セットで不可分の構成になっているので、4首が並べられているだけのことで、特段の意味はないのである。

君が ( ) き  ( ) 長くなりぬ 山尋ね
   迎へか ( )
かむ 待ちにか待たむ (磐之媛 万葉集巻 2-85

かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の
        岩根しまきて 死なましものを (同巻 2-86

ありつつも 君をば待たむ うちなびく
         わが黒髪に 霜の置くまでに (同巻 2-87

秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞
         いつへの方に 我が恋やまむ (同巻 2-88

 87番の歌には異伝歌があって、「或る本の歌に曰く」として、次の歌が掲載されている。

( ) 明かして 君をば待たむ ぬばたまの
          わが黒髪に 霜は降るとも (同巻 2-89

 歌碑の並びは、上の写真の奥から85番歌、86番歌、自然石の87番歌、88番歌、87番歌の異伝歌である89番歌という順になっている。
 折角なので、仁徳天皇陵の正面、遥拝所の前に回って行く。​

(仁徳天皇陵遥拝所)
 ボランティアガイドの方々が数名居られました。解散して帰途につかれるタイミングだったよう。「​
(世界遺産登録で) ​来られる方が増えましたか?」と申し上げると「随分増えましたね。特に遠方から多くの方が来られています。岡山県、埼玉県、〇〇県などなど」という答え。
 大仙公園のへりを通って東へ。お土産ショップもず庵の向かい辺りにあったのがこんな像。偐山頭火氏がトイレに行っている間に近寄ってみると。​

(百舌鳥耳原由来の像)

(同上・副碑)
 百舌鳥耳原の地名説話に因んだ像でありました。
 然らば、この人物は仁徳天皇ということであるのだろうか。
 JR阪和線の踏切を渡り、御廟山古墳へと向かう。と言っても御廟山古墳が目当てというのではなく、その南西にある「いたすけ古墳」へ案内するべし、が偐山頭火氏の目論みであったよう。しかし、道が分からなくなったようで、気がつけば反対方向の百舌鳥八幡宮に来てしまっているのでした。
 いたすけ古墳は、今日のこれら古墳を開発から守る運動のきっかけとなり、運動の象徴ともなっている古墳とのことであるが、古墳そのものには左程の興味もないヤカモチであるから、反対方向に引き返して見るまでのことはない、でありました。​

(百舌鳥八幡宮位置図)
​​
(百舌鳥八幡宮・拝殿)

(同上・説明碑)
 境内にはクスノキの巨木があって目を惹く。​

(同上・境内のクスノキの巨木)
 肉眼では生じなかった現象。カメラを通すと、巨木の引力に引き寄せられてか、石鳥居も社殿もクスノキに向かって傾いているのでありました。​

(同上説明碑)
 さて、そろそろ帰るか、ということに。
 帰りは、僕の道でいいか?と偐山頭火氏。
 偐山頭火氏の後ろについて走るだけのヤカモチ。これは楽チンというものである。多分、最短のコースを見定めつつ走って居られるのでしょうが、コチラは最短でも最長でもあなた任せであるから気楽。
 途中でひと言だけ注文。「何処かでかき氷を食べよう。」
 しかし、食べたい時は「ない」というのがかき氷の店。三つばかり喫茶店を当ってみたが、かき氷のメニューはなし。
 で、苦肉の策。
 コンビニにてかき氷タイプの氷菓子を買い求めて、店内のテーブル席でこれを食べるというもの。

 そんなこんなで漸くに東大阪市域に入り、近鉄小阪駅の真南辺りで、右折して帰る偐山頭火氏と別れ、単独行に。
 近鉄・小阪駅前から中央環状道路を越えるという、往路で走って来た道を逆に辿って家路に。ただ、途中で偐山頭火氏が小生の後ろになって走っていた時に「少し後輪が尻振りをしているみたいだから、調整した方がいいのでは。」というアドバイスを貰ったことでもあるので、馴染みの自転車屋さんに立ち寄って、チェックして貰うことに。ほんの少し振っているかなあ、ということで、調整をしてくれましたが、お代は要りません、とのこと。お礼を申し上げて、家への最後の坂道を上りきったら、もう目いっぱいで、流石に「ふ~っ」でありました。
 以上で、堺方面真夏の銀輪徘徊「君も銀輪、我も銀輪」の偐偐銀輪散歩完結であります。長らくのお付き合い、ありがとうございました。
<追記:2019.7.28.>
銀輪万葉・大阪府篇はコチラ。
(その1) ​ ​ (その2)
​​​​​​​​​​​​

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最終更新日  2019.07.28 10:56:11
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