東
京に出掛けたついでの、もう一つの銀輪散歩です。
トレンクル(小型折りたたみ自転車)を持って山手線で池袋駅まで行き、そこで乗り換えて、大宮経由川越で下車。
江戸の面影を残す町並みがあり、小江戸川越と呼ばれているということは予てより聞き知っていたが、それ以上の知識は何もなく、思い付きで出かけて来たに過ぎないので、先ずは駅構内の観光案内所に立ち寄り、情報収集。
観光案内所で頂戴したのが、「時薫るまち・小江戸・川越散策ガイド」
(以下単に「散策ガイド」という。)
というパンフレット。
これを唯一の頼りとして、JR川越駅前をトレンクルで出発。
(川越駅周辺マップ・散策ガイド掲載地図)
何を見るという目的もなくやって来たので、さて何処へ行くかと考えても焦点が定まらない。
駅周辺マップで目にとまった「川越熊野神社」を目指すこととする。
クレアモールとある道を北進するのが近道のようだが、観光客が道を塞がんばかりに群れ歩いているので、自転車での走行は困難と判断。アカシア通りを北西に進み、本川越駅前に通じる広い通りに出て、これを北進することとする。
西武新宿線の本川越駅の前を通過して、川越熊野神社に到着。
(川越熊野神社・八咫烏)
先ず出迎えてくれたのは 八咫烏
。
八咫烏と言えば、神武東征の折、生駒山越えで大和に入ろうとして 長髄彦
に阻まれ失敗、熊野から大和に入ることになるのだが、この時に道案内をしたのが八咫烏。この八咫烏の手引きに従い、その先頭に立ったのが大伴氏の日の臣。その功により「 道の臣
」という名を神武天皇から頂戴しているから、まあヤカモチとも無縁ではないということになる(笑)。
(同上・拝殿)
(同上・鳥居)
どうやら、今回もヤカモチ流にて、裏口から境内に入ったようです。
駅前出発の際、人がぞろぞろ歩いているので自転車での進入を諦めたクレアモールという通りに面した方が表玄関であったようです。一応、表の顔の鳥居と社名標石も拝見して、トレンクルを駐輪している裏口へと引き返します。
(同上・元杢網歌碑)
拝殿右手奥に狂歌師杢網の歌碑がありました。
山さくら 咲けば白雲 散れば雪 花見てくらす 春ぞすくなき
(落栗庵杢網)
(同上・元杢網歌碑副碑)<参考> 狂歌師元の杢網のこと
「元の木阿弥」をもじってのふざけた名前であるが、勿論、この狂歌師のことは存じ上げず、この碑によってその名を初めて知ったものであるが、先の「東京ついで銀輪散歩」で「恐れ入谷の鬼子母神」という地口(洒落)が太田蜀山人の作だということを知ったばかりであったから、同時代に活躍した狂歌師という繋がりで、この杢網さんに遭遇したのも「ご縁」というものであったのでしょう(笑)。
蜀山人 恐れ入谷の 鬼子母神 熊野神社に 元の杢網 (偐阿弥)
<参考> 入谷鬼子母神&小野照崎神社
2025.5.4.
熊野神社の裏口から北に少し進むと蓮馨寺という寺があった。
(蔵造りの町並み周辺マップ1・散策ガイド掲載地図)
(同上2・散策ガイド掲載地図)
(蓮馨寺)
蓮馨寺には、ヤカモチ流を返上し、正面玄関から入ります。
(同上・呑龍堂 正面から)
(同上・呑龍堂 少し角度を変えて)
(同上・説明碑)
上掲の説明碑に記載の通り、蓮馨寺は、天文18年(1549年)に川越城主大導寺政繁が母の蓮馨尼を追福するため、感誉上人を招いて開山した浄土宗の寺である。
<参考> 蓮馨寺
・Wikipedia
蓮馨寺/Home
(同上・呑龍堂右隣のお堂)
「孤峯山」という蓮馨寺の山号を記した扁額か掲げられているが、何というお堂なのかは分からない。このお堂を背に鐘楼の方を向いて坐っていると、左手にお団子屋さん
( 名代焼だんご・松山商店
)
が目に入った。
この流れからは「焼き団子を買い求めて食べました」となるのが普通なんだろうが、さにあらず、ヤカモチはただ、眺めていただけなのでありました。
(林崎甚助重信終焉之地碑)<参考> 林崎甚助
・Wikipedia
林崎甚助は、戦国時代から江戸時代前期にかけての剣客、武芸者。
居合(抜刀術)の始祖とされる。
旅先の地、川越で終焉を迎え、この蓮馨寺で葬儀が執り行われたとのことである。
林崎甚助の碑の右隣にあるのが、将監地蔵尊。
(将監地蔵尊)
(同上・説明碑)
(蔵造りの町並み)
中央通りの仲町交差点から札の辻交差点までの450mほどが「蔵造りの町並み」の続く、川越一番街商店街で、人気のエリアということもあって、道を行く人の姿も多くなる。
人の顔が写り込んでいる写真はこれを消し込む作業を経ないとブログなどに掲載するのは不適切であろうから、このように点々とコチラ向きに歩いて来る多くの人物が写っている写真は厄介である。
(同上2)
(同上3)
(同上4)
(同上・説明文、散策ガイドより)
江戸黒と呼ばれる黒漆喰仕上げの壁が特徴の蔵造りの店舗が立ち並ぶ一角に、異彩を放っているのが、白煉瓦の西洋建築、りそなコエドテラス。
(旧第八十五銀行本店・りそなコエドテラス)
<参考> りそなコエドテラス
・Wikipedia
現建物は、第八十五銀行本店として1918年に再建されたもの。
1996年12月に埼玉県初の国の重要有形文化財に登録された。
2020年6月19日を以って埼玉りそな銀行川越支店としての営業は終了し、2024年5月15日からは複合施設「りそなコエドテラス」にリニューアルされている。
上掲写真は、撮影位置をミス、距離が近過ぎたようで、全体が入りきらず、頭の一部が欠けてしまいました。。
(同上・説明碑)
本日はここまで。つづきは明日以降とします。( つづく
)
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