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木枯し紋次郎はまじめに見てなかったが、テーマ曲は音楽番組で良く聞いた。上條恒彦さんは尾崎紀世彦さんなどのように(外国の歌手も当時正統派が多かった)まじめに絶唱型のボーカル。演奏の小室等さんは音楽会社経営へ・・。この歌の影響もあり様々な場所に旅をした。
2012年08月31日
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ここは人工的盆地である。最近ラジカセ(ラジオとカセットが一緒になった音楽再生機器)の入りが悪い。周囲にほぼ高い建物が建ち並び電波が入らなくなったらしい。わずかに建物の隙間から漏れるdennpaも通行量が多い時間帯などは入らなかったり聞き取りにくい。テレビは地デジ化された時直進する電波を受け取れない立地で有線を引いた。でも「アナログのラジオの電波なら少し曲がったりするし大丈夫だろう」と自分に暗示をかけて過ごしたのだがもういけない。最近さらに土地の隙間に賃貸二階建てアパートが急増しているのだ。アナログの電波さえ入り込めない・・地下や海底に住んでいるみたいだ。小学校の頃には大阪の団地に団地サイズな生活で3間のふすまで隔てられた空間だ。一部屋は両親、もう一部屋は両親の転勤の都合で大阪に残った高校生のイトコが使った。ぼくと弟は普段テレビを見たりする居間というジャンルの部屋だった。この頃はテレビの生活だったが、高校生のイトコが来る以前は「子供時間」の範囲で見れた。高校のイトコは「11PM」という番組を見たり、平凡パンチ・プレイボーイなどを部屋に積んだりするようなヤカラであり、どこかで血のつながりを感じた。両親に彼が交渉したのか「11PM」は解禁され、小学生の分際で深夜テレビを見る環境の3年間であり、この時学校では教えてくれないコモゴモを学ぶ人生の重要な期間となった。学校での友人たちは、まだ言葉・概念すら発生以前の「オタク」集団であった。彼らはまあ勉強はできたしお金持ちだったが、運動神経には問題が多かったかも知れない。学校の勉強というよりもIQという奴が発達している奴らであった。体験もないくせに世界の果てから男女の奥義まで10歳以前に極めたような集団であった。ネットもない時代にどうしてそんなに色んなことを知っているのか疑問だが好奇心が子供の姿を借りたような存在だったのだろう。大人・先生には「いい子」なのだが、内心は「いけない ヒ ト ネ」という感じで、きっと悪い大人に立派に変態(この変態はヘンタイではなくセミが殻を破るというような意味)したに違いない。高校を卒業してしばらくはそのイトコは一緒にいたのだが、母親が大阪に戻り父親単身赴任状態で彼も大阪の実家に戻った。彼の使った部屋を弟と二人で使うようになり、レコードプレーヤーとラジオと小さいスピーカーのセットが部屋に付いたのが中学に上がる頃であった。家にはあまりレコードはなくもっぱら友人の貸してくれた物で異世界の音源に触れた。自分の好みというよりビートルズやフォークという当時の世相を映したジャンルの音源だった。深夜勉強・・ということになっていたが聴覚はラジオが支配しており、いけないことというのは重なる物なのか大阪では「セイヤング」などのいけない番組もやっていて、DJとかいう訳の分からないヒトビトが深夜に子供が聞いてはいけない話をずっとする物だから眠れない日々が習慣となった。特にアリス前後の谷村新司さんは神のようにイヤラシイ若者でバンバンとの兼ね合いは眠ることを禁じるイヤラシイ呪縛タイムであり夜型生活、日中ヘロヘロな中学・高校・専門学校・浪人・大学生活へとつながる。固定型の大型レコードプレーヤーとラジオチューナーは持ち運びには困難で「ラジカセ」というラジオとカセットデッキが持ち運べる(多少重い)大きさになって革命気分であった。だがまだ高価で個人所有には時間が必要だった。ようやく関東で専門学校生活では寂しくということもありフンパツして購入。以来、引越しもたびたびだが一緒にラジオとはいる訳だ。そう「壊れかけのレディオ」という徳永英明さんの曲は時代を共有している曲だ。荒井由実という無名の天才少女の曲がラジオから流れたのを最初に聞いた時は、いったい何が起きたのかわからない困惑を覚えた。後に一世風靡して松任谷に変わったが、こんなに時代を乗っ取る人だとはまだわからなかった。ラジオは自分が音源を選ぶことはできず、マスコミニュケーションの機器であったが、少ない選択肢だったから時代の音を共有できたのかも知れない。ようやく「歌声喫茶」が都会にはでき、ギターを下宿で引きながらフォークをみんなで歌う時代が訪れる。カラオケとレンタルレコードはまだ先の時代である。今ではラジオはスマホのアプリで聞く。音質も良く持ち運びも簡易だ。「壊れかけのレディオ」を大切に聞いたという体験の世代には革命的時代ではあるのだが・・。
2012年08月28日
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Yumed0n0 15酸素も買う時代バブルの頃「お茶を缶に入れて自販機で売れば?」と、お 茶屋さんにいったことがある。当時、自販機でコーヒー・ジュースに混ざり烏龍茶が販売された頃だった。でも「日本茶なんて自販機では売れません」と、笑っ て退けられた。20年と少し時間が経ち、今では自販機で日本茶を買うのは当たり前だ。水だって売っている。喫茶店でも水は日本では無料であった。ヨーロッ パの水ならば輸入しているからお金を払うこともあるかも知れないとも思うが、今や日本で日本産の水を買って飲む時代だ。日本の水の良質さを認めたのか、外 国の資本が水源地を買い漁る。次第に日本にいて外国資本を怒らせると水さえ飲めなくなる時代も近い。所で話は酸素。バブル時代に酸素の会社の人と話して 「酸素なんて買う人いるの?」と、ぼくは信じられなかった。だが、医療用・レジャー用として少なくとも使われていた。海に潜る人は必要だし、溶接でも使 う・・。でも、もしかしたらこれからはごく普通の生活をする人々が酸素を買う時代になるのかも知れない。いや、そうなってはいけないのだが。波サーファーの知人は少ない。一人最近またサーフィンを始 めた知人がいる。海のそばに住む彼はロケーションとしてはとても恵まれている。仕事の都合などで長く海から離れた日常生活だったようだ。少し落ち着き、毎 日海に入れる環境が整ったのだが「ウエットスーツが入らない」とか「ボードが沈んじゃう」という問題に当たった。以前、半年でメタボからトライアスロン参 加まで仕上げたことがあり、食べ物とトレーニングの参考を話した。彼は真面目で、少し過ぎる位だったが、ウエットスーツも入るようになった。最近の悩みは 「筋肉つきすぎてスーツがきつい」というのだが、部分的にスリム化に取り組んでいるようだ。ぼくは5年目の運動禁止状態継続・・というか一生かな?うらや ましい・・。「大きな波が来たらどうするの?」という話になった。彼は「大きな波は怖くて立ち上がれない。でも、いつか立ち上がらないと、ずっと立ち上が れないまま。だんだん、挑戦して、人が乗れない波にいつか乗りたいと思うようになる」という。結局、海外に行くことになるようで、ハワイは観光だけでなく サーフィンでも有名みたいだった。途中で、どうしても自分の今現在の実力ではその波を乗り越えられないと思った時はボードの舳先を真っ直ぐ波に向けて突っ 込むのだとか。そして波の向こうに飛び出すようにキックするという。波に横向きになると、巻き込まれてマズイことになるようだ。「小さな漁船も大波の時は 同じように波に突っ込むんですよ」という。そんな場面に遭遇しないことを望む。向田邦子さん動画の「時間ですよ」を検索して見ていた。同時代の多く がリアルタイムでこの場合を見たはず。というのも1971年にはビデオ録画という考え方は、一般庶民には浸透していなかったハズだから。その時間にテレビ の前にいなければ見ることができない。ドリフターズの「8時だよ全員集合」などは、すごい視聴率のようだが、一斉にどこかのテレビの前に国民の多くが座っ ていたという事実。多分、一家にそう何台もテレビはなかったから、お茶の間に家族が集合していたという、今では異様とさえ思える国民生活の変貌ぶりなので ある。さて脚本家は向田邦子さん(1929~1981)とか?どこかで聞いた名前だが、脚本家というよりも小説家・エッセイストのジャンルで記憶してい た。彼女はテレビのドル箱の脚本家でもあったようだ。すでに亡くなっている。1981年の飛行機事故。台湾航空機会社遠東航空103便墜落事故 1981.9.22金属疲労による空中分解、死者110名(乗客104名)、台北~松山、B-2603という事故の中の著名人でもある。元来、飛行機嫌い なのに、飛行機での移動・旅行が多く、皮肉にも亡くなったのも飛行機事故だったという。虫が嫌い、漢字の虫偏も嫌いだが「虹」だけは好きな漢字だとか。 「時間ですよシリーズ」以外にも「寺内貫太郎シリーズ」「パパと呼ばないで」などテレビ・映画マスコミ媒体で寵児となった。結婚はしないが、亡くなってか ら恋愛については取り沙汰された。公の秘密の一つのようだ。寺内貫太郎一家 横尾忠則youtubeで「寺内貫太郎一家」を見る。飲み屋のカ ウンターで喋らないけどいつも出ている男優は誰?横尾忠則さん、当時グラフィックデザイナーで、まだイラストレーターは新しい挑戦の最中だったのでは?寺 内・・のタイトルデザイン・イラストも彼が担当。当時の少年マガジンのデザインも担当し、恐ろしい色彩感覚に表紙を見ただけでノックアウトされた。テレビ 「快刀乱麻を断つ」もストーリーは忘れたがタイトル画像が秀逸だった。サンタナのレコードジャケットも手がけ、日本の一時代を築いた一人。ヤクザ映画・ピ ンク映画など俗っぽい映画のデザインも手がけ、前時代のマッチ箱や粗悪印刷の配色をわざと使い海外にもサイケデリック現象の最中日本にこの人アリキと名を 知られたと思う。高校時代までは「郵便局員志望」だったとか。教師が美大を薦めたが、印刷会社に就職。商店街の包装紙のデザインが目に止まり「神戸新聞 社」の引き抜かれる。彼は寡黙にカウンターにいて、いつも誰かに声をかけられる気になる男・・という設定・・人生もまさにそんな風。グラフィックデザイ ナー・美術家であり、多摩美術大学の先生でもある。(ウイキ調べ)小林亜星 寺内貫太郎一家小林亜星さんは俳優さんとして記憶している。テレビ「寺 内貫太郎一家」の父親役がハマリ役だった。脚本担当の向田邦子さんの実父をモデルにしていたようで、当時ロンゲでサングラスの小林亜星のイメージは却下物 だったようだ。仲を取り持つプロデューサー久世光彦さんが、小林亜星のあの「坊主・黒縁メガネ・半纏姿」のコスチュームで向田邦子さんに対面させてようや くキャストにOKが降りたというイワクツキな始まりだったようだ。でも寺内貫太郎の俳優業よりも小林亜星さんは作曲家としてすでに有名だった。長く日本人 に愛される曲調なのである。「科学忍者隊ガッチャマン」「秘密のアッコちゃん」「狼少年ケン」「日本昔ばなし」「魔法使いサリー」「怪物くん」などのアニ メ関連。「レナウン・ワンサカ娘」「日立・この樹なんの樹」「明治製菓・チェルシー・シモンズ」「ブリジストン・どこまでもいこう」「ライオン・ふりむか ないで・ハニーナイツ」「ファミリーマート・あなたとコンビニファミリーマート」などのCM関連。他にも「都はるみ・北の宿から」「ママと遊ぼうピンポン パン」「裸の大将・野に咲く花のように・ダカーポ」なども彼の作品なのだとか?慶應義塾医学部に入学したが、医者になりたくなくて経済を卒業。役人の父は 知らされていなくてきっと怒っただろう。就職もすぐ辞め、作曲家の門をくぐった。他にも多彩な職歴の持ち主。亜星は亞が正しいらしい。(ウイキ調べ)ジャガイモ誰からだろう?ジャガイモをもらった。皮をむくのも面倒 なので過去にはあまり関わりの無かった食材だ。最近家族がジャガイモ好きだということがわかって驚く。そういえばマクドナルドに行くとポテトを美味しそう にホオばっていた。自炊をしていた独身時代は、インスタントラーメン・缶詰などに頼り料理・調理の能力は封印されていた。自炊の青森出身の友人はジャガイ モの皮ムキが上手だった。ぼくがムクと無駄に実がえぐれるから「あぁ~あ」と、嘆くのだ。水道の水をチョロチョロ流し、包丁の裏でこそげとる。ほとんど捨 てる部分がない。「芽は取っておかないと」と、包丁のカカトでえぐる。ジャガイモの芽は体によくないらしい。現在、家にはぼくの独身時代にはなかった電子 レンジがある。ジャガイモの皮は金属のたわしで洗い芽だけとってレンジでチンするだけでできる。少し水に浸けると薄皮だけがうまくムケる。バターを付ける だけで美味しくいただけるのだ。オリンピック Xファイル毎日深夜のテレビライブを見ていた人たちは寝不足の蓄積 を夏休みにしっかりとってください。ぼくはたまたまつけてやっていればテレビのライブを見ることもある程度・朝の一日分の総集編をみている程度のニンゲン である。審判のあきらかな異常な採点・上位に入れるハズの選手の無気力試合がイヤな感じだった。柔道では明らかにおかしな採点で審判が追放されたとか?ど うもウラでお金が動いていたようだ。内村航平・なでしこへの審判は特に変。一つ一つを見れば毎回怒るだけの話だが、ぼくみたいに適当に見ていると、動画の ようにそれぞれが繋がったエピソードのようにも思える。「スポーツは競技者が本気を出して結果を見せる・・ただそれだけ」と思うぼくにはどうも変なロンド ンオリンピックなのである。オリンピック事前の番組でロンドンの盛り上がりについての特集を見た。オリンピックもカケの対象になっていて、日本では野球ト バクなどは禁止なのだが、お国柄なのかロンドンでは違うようだ。「内村航平が金でも勝ち金は低い」と、クールな顔で選手の過去の業績をかけ率として判断す る人物はいっていた。だから本来勝ち目のない選手が勝つことを知っている人がいたならば、その人は大儲けができる。追放された審判はどうも買収されていた ようだ。いったい誰に?バドミントン女子の無気力試合・サッカー女子の明らかなハンドを取らない審判・内村航平の抗議・・イロイロと繋がる気もする。まさ かスポーツで金儲けする人々が、スポーツマンシップを買収により腐らせているとは思いたくはないのだが・・。語るのが困難な心情 youtube言葉ですべて表現できる・・ということもない。ツイッ ターではいろんな立場で攻撃的な言葉が飛び交う。中国に出張のヒトなど「日本に戻るまでネットの情報は期待できない」のだとか?「日本での動画を送っても らい中国で見れば」というと、それはもっと不可能に近いという。台湾・韓国・北朝鮮・中国・もちろん日本もそれぞれの国の好都合な情報と不都合な情報があ り、場合によっては国民全体が情報統制の元、間違った信念を正しいと信じて行動することもある。それぞれが無関係ならばまだしも、それぞれが自分の正しさ を行動にしてぶつける所に、どんな公平なジャッジがあるというのか?・・今はyoutubeで音楽をアップするに留める。youtubeも段々制限が出始 めているようでもあるが。戦場に散った女性ジャーナリストテレビのニュースは割にあっさりスルーするコメンテー ターが今朝は熱い。シリアで女性ジャーナリストが何者かに打たれたのだ。戦場カメラマンのワタネベさんもツイッターで同士の死を傷んだ。コメンテーターの 中の埋もれたジャーナリスト魂が女性の死で共鳴したのかも知れない。「戦場でジャーナリストを打つなんて・・」と、少しドライさを欠いたコメントだが心情 が伝わる。三浦じゅん・エビ ラジオNHKだったか?ラジオで三浦じゅんさんが出ていた。不 定期らしく次回もわからない。映画話でイラストレーターのエビさんと話していた。「ぼくはヒマワリ何回も見た」とエビさんがいう。「巨乳が好きなだけなん でしょ?」と三浦じゅんさんがたたみかけるが、図星らしい。マルチェロマストロヤンニのおっさん顔が好きな訳はない。「ソフィアローレン・・そういえば全 部見たかも」と多少肯定。「カップルで行くと安いんですよね。夫婦じゃなくても夫婦といって入る・・」と三浦じゅんさんのあぶない発言に「ぼくは60歳過 ぎたから一人でも安い」と悲しい応答のエビさん。そうなんだ60歳を超えると一人でも安いんだ・・。「今なんか、60歳過ぎた人で映画館は一杯ですよ」と もいう。機械の進歩もあり、それについて行ける若い世代は携帯端末・DVD・ゲーム機など色んな映画の見方を選択できる。だんだん面倒な世代は広い室内で 大きな画面・大音量で安く見ることができる映画館が今復調なのかも知れない。目もあまり見えず、音もあまり聞こえないから調度いいかも?でもトイレが持た ないという心配はあるが。
2012年08月23日
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NHKだったか?ラジオで三浦じゅんさんが出ていた。不定期らしく次回もわからない。映画話でイラストレーターのエビさんと話していた。「ぼくはヒマワリ何回も見た」とエビさんがいう。「巨乳が好きなだけなんでしょ?」と三浦じゅんさんがたたみかけるが、図星らしい。マルチェロマストロヤンニのおっさん顔が好きな訳はない。「ソフィアローレン・・そういえば全部見たかも」と多少肯定。「カップルで行くと安いんですよね。夫婦じゃなくても夫婦といって入る・・」と三浦じゅんさんのあぶない発言に「ぼくは60歳過ぎたから一人でも安い」と悲しい応答のエビさん。そうなんだ60歳を超えると一人でも安いんだ・・。「今なんか、60歳過ぎた人で映画館は一杯ですよ」ともいう。機械の進歩もあり、それについて行ける若い世代は携帯端末・DVD・ゲーム機など色んな映画の見方を選択できる。だんだん面倒な世代は広い室内で大きな画面・大音量で安く見ることができる映画館が今復調なのかも知れない。目もあまり見えず、音もあまり聞こえないから調度いいかも?でもトイレが持たないという心配はあるが。
2012年08月23日
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テレビのニュースは割にあっさりスルーするコメンテーターが今朝は熱い。シリアで女性ジャーナリストが何者かに打たれたのだ。戦場カメラマンのワタネベさんもツイッターで同士の死を傷んだ。コメンテーターの中の埋もれたジャーナリスト魂が女性の死で共鳴したのかも知れない。「戦場でジャーナリストを打つなんて・・」と、少しドライさを欠いたコメントだが心情が伝わる。
2012年08月22日
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言葉ですべて表現できる・・ということもない。ツイッターではいろんな立場で攻撃的な言葉が飛び交う。中国に出張のヒトなど「日本に戻るまでネットの情報は期待できない」のだとか?「日本での動画を送ってもらい中国で見れば」というと、それはもっと不可能に近いという。台湾・韓国・北朝鮮・中国・もちろん日本もそれぞれの国の好都合な情報と不都合な情報があり、場合によっては国民全体が情報統制の元、間違った信念を正しいと信じて行動することもある。それぞれが無関係ならばまだしも、それぞれが自分の正しさを行動にしてぶつける所に、どんな公平なジャッジがあるというのか?・・今はyoutubeで音楽をアップするに留める。youtubeも段々制限が出始めているようでもあるが。
2012年08月17日
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2012年08月17日
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2012年08月16日
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この曲はレコードをかつて買った。まだフォークミュージックが何かわからない頃、不思議な音楽だと思った。
2012年08月16日
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誰からだろう?ジャガイモをもらった。皮をむくのも面倒なので過去にはあまり関わりの無かった食材だ。最近家族がジャガイモ好きだということがわかって驚く。そういえばマクドナルドに行くとポテトを美味しそうにホオばっていた。自炊をしていた独身時代は、インスタントラーメン・缶詰などに頼り料理・調理の能力は封印されていた。自炊の青森出身の友人はジャガイモの皮ムキが上手だった。ぼくがムクと無駄に実がえぐれるから「あぁ~あ」と、嘆くのだ。水道の水をチョロチョロ流し、包丁の裏でこそげとる。ほとんど捨てる部分がない。「芽は取っておかないと」と、包丁のカカトでえぐる。ジャガイモの芽は体によくないらしい。現在、家にはぼくの独身時代にはなかった電子レンジがある。ジャガイモの皮は金属のたわしで洗い芽だけとってレンジでチンするだけでできる。少し水に浸けると薄皮だけがうまくムケる。バターを付けるだけで美味しくいただけるのだ。
2012年08月11日
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オリビア・・はたぶんオリビアニュートンジョンのことだろうな。尾崎亜美さんも伊勢正三さんも各自個性的。(別々の方が良かったかな?)
2012年08月08日
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youtubeで「寺内貫太郎一家」を見る。飲み屋のカウンターで喋らないけどいつも出ている男優は誰?横尾忠則さん、当時グラフィックデザイナーで、まだイラストレーターは新しい挑戦の最中だったのでは?寺内・・のタイトルデザイン・イラストも彼が担当。当時の少年マガジンのデザインも担当し、恐ろしい色彩感覚に表紙を見ただけでノックアウトされた。テレビ「快刀乱麻を断つ」もストーリーは忘れたがタイトル画像が秀逸だった。サンタナのレコードジャケットも手がけ、日本の一時代を築いた一人。ヤクザ映画・ピンク映画など俗っぽい映画のデザインも手がけ、前時代のマッチ箱や粗悪印刷の配色をわざと使い海外にもサイケデリック現象の最中日本にこの人アリキと名を知られたと思う。高校時代までは「郵便局員志望」だったとか。教師が美大を薦めたが、印刷会社に就職。商店街の包装紙のデザインが目に止まり「神戸新聞社」の引き抜かれる。彼は寡黙にカウンターにいて、いつも誰かに声をかけられる気になる男・・という設定・・人生もまさにそんな風。グラフィックデザイナー・美術家であり、多摩美術大学の先生でもある。(ウイキ調べ)
2012年08月05日
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満月なんてよくあることさ。でも、つい見てしまう昨日も満月。だって、新月は見たくても見れない。秋のススキとお団子の満月は格別だし、一番大きい満月も注目だ。昨日は格別ナニということもない。8月に入り真夏の曇りがちな日の満月だ。写真に撮ろうにもただの光る◎に過ぎない。昼間は入道雲がたくさんだったのに、夜は秋にも似た少し雲の少ない昨夜の夜空だった。
2012年08月03日
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