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posted by fanblog
2017年09月02日
パン屋の前で
今朝、パン屋さんの前を通りかかった時、体の奥から突き上げるような欲望が湧き上がってきました。それは、手当たり次第にパンを8個くらい買って、お腹いっぱいになるまで貪り食いたいという欲望です。
買いたいのは大好きなデニッシュパン。カスタードクリームの上にダークチェリーをのせたもの、アプリコットの半身をアプリコットジャムでたっぷりコーティングしたもの、マロンクリームの上に蒸した甘い栗をいくつものせたもの、ショーソン・オ・ポムがあれば2つ買いたい。甘いものだけでは飽きてしまうので、ハムチーズを挟んだデニッシュパンや、ミートパイ、それにクリームシチューを閉じ込めたシチューパンなどがあれば最高です。
サラダなんていりません。家に帰ったらすぐに袋の中から取り出して、いきなりパクつきたいのです。まずは2つ買ったショーソン・オ・ポムからいこうかしら。そして次はダークチェリー。 甘いパンに飽きたらおかずパンを食べて、また甘いパンに戻り、行きつ戻りつしながら、締めはやっぱりショーソン・オ・ポム。8個いっぺんに食べて、心底満足する。ふ〜。
正気に戻って、カロリー計算を試みると、パンひとつを350kcalとして8個だと2,800kcal。ひとつ400kcalとしたら3,200kcal。3,000kcal前後というところでしょうか。今の私は1,500kcalのカロリー制限中なので「憧れの一食」はほぼ2日分のカロリー摂取ということになります。
でも、正気に戻りついでに、あと一歩引いて、この状況を客観視したいと思います。ふ〜ん、これが私の欲望なんですね。体の奥から突き上げるほどの欲望といっても、まぁ可愛いものです。人に危害を加えたり、法を犯すわけでもなく、誰かに迷惑をかけることもありません。それなのに私はこれまで、たかが2日分のカロリーくらいで済むのに、世界の終わり、取り返しのつかない大惨事などと、圧倒的な後悔にまみれていたのです。
でも、なぜ私は一度にデニッシュパンを8個食べたいのでしょうか? 脇目もふらずに、サラダや飲み物なんて完全に頭の外に追い出して、両手で抱え込むように大量のパンを一度に食べたいというのはなぜなんでしょうか。私は綺麗な食器もたくさんもっているのに、いきなり袋から手づかみで貪り食いたいのです。これは「食事」に似てはいますが、明らかに食事とは異質な「何か」なのです。
食べるという行為を通して「何か大切なもの」を取り戻したいという感じなのです。夢遊病的な一種の「儀式」のようにも思えます。何かに取り憑かれたようなという表現がぴったりです。「憑依」という言葉も浮かんできます。
頭を真っ白にして、思考停止の状態をわざわざ作り出さないと、この「儀式」を行うことはできません。別人格とでもいうべき状態にならないと、この購入に始まり食べ終わるまでの「儀式」を終えることはできません。それにしても、苦しくなるまで体内に詰め込まなくてはならないものの正体は何なのでしょうか。薄々あとで襲いかかってくる後悔を予感しながらも、どうしても取り戻さなくてはならないという「何か大切なもの」とは一体何なのでしょうか。
概念化によって救われることは往々にしてあります。この「儀式」という現象や、この「何か大切なもの」には既に名前はついているのでしょうか。もしもどなたかご存知の方がいらっしゃるなら、是非教えていただきたいと思います。
買いたいのは大好きなデニッシュパン。カスタードクリームの上にダークチェリーをのせたもの、アプリコットの半身をアプリコットジャムでたっぷりコーティングしたもの、マロンクリームの上に蒸した甘い栗をいくつものせたもの、ショーソン・オ・ポムがあれば2つ買いたい。甘いものだけでは飽きてしまうので、ハムチーズを挟んだデニッシュパンや、ミートパイ、それにクリームシチューを閉じ込めたシチューパンなどがあれば最高です。
サラダなんていりません。家に帰ったらすぐに袋の中から取り出して、いきなりパクつきたいのです。まずは2つ買ったショーソン・オ・ポムからいこうかしら。そして次はダークチェリー。 甘いパンに飽きたらおかずパンを食べて、また甘いパンに戻り、行きつ戻りつしながら、締めはやっぱりショーソン・オ・ポム。8個いっぺんに食べて、心底満足する。ふ〜。
正気に戻って、カロリー計算を試みると、パンひとつを350kcalとして8個だと2,800kcal。ひとつ400kcalとしたら3,200kcal。3,000kcal前後というところでしょうか。今の私は1,500kcalのカロリー制限中なので「憧れの一食」はほぼ2日分のカロリー摂取ということになります。
でも、正気に戻りついでに、あと一歩引いて、この状況を客観視したいと思います。ふ〜ん、これが私の欲望なんですね。体の奥から突き上げるほどの欲望といっても、まぁ可愛いものです。人に危害を加えたり、法を犯すわけでもなく、誰かに迷惑をかけることもありません。それなのに私はこれまで、たかが2日分のカロリーくらいで済むのに、世界の終わり、取り返しのつかない大惨事などと、圧倒的な後悔にまみれていたのです。
でも、なぜ私は一度にデニッシュパンを8個食べたいのでしょうか? 脇目もふらずに、サラダや飲み物なんて完全に頭の外に追い出して、両手で抱え込むように大量のパンを一度に食べたいというのはなぜなんでしょうか。私は綺麗な食器もたくさんもっているのに、いきなり袋から手づかみで貪り食いたいのです。これは「食事」に似てはいますが、明らかに食事とは異質な「何か」なのです。
食べるという行為を通して「何か大切なもの」を取り戻したいという感じなのです。夢遊病的な一種の「儀式」のようにも思えます。何かに取り憑かれたようなという表現がぴったりです。「憑依」という言葉も浮かんできます。
頭を真っ白にして、思考停止の状態をわざわざ作り出さないと、この「儀式」を行うことはできません。別人格とでもいうべき状態にならないと、この購入に始まり食べ終わるまでの「儀式」を終えることはできません。それにしても、苦しくなるまで体内に詰め込まなくてはならないものの正体は何なのでしょうか。薄々あとで襲いかかってくる後悔を予感しながらも、どうしても取り戻さなくてはならないという「何か大切なもの」とは一体何なのでしょうか。
概念化によって救われることは往々にしてあります。この「儀式」という現象や、この「何か大切なもの」には既に名前はついているのでしょうか。もしもどなたかご存知の方がいらっしゃるなら、是非教えていただきたいと思います。
タグ: むちゃ喰い