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2017年02月24日

イゼラ50キロ(二月廿一日)



 ラベ(エルベ)川の支流にイゼラ川という川がある。北ボヘミア東部のポーランドとの国境地帯から南西に流れ、トゥルノフやムラダー・ボレスラフなどを経て、プラハ近くのスタラー・ボレスラフでラベ川に合流するこの支流の水源にあたるのがイゼラ山地である。リベレツの北から東にかけて広がる山地だと考えればいい。もしくはクルコノシェ山地の北西にある飛び地のような感じになっているとも言える山々である。

 そのイゼラ山中に設置されたクロスカントリースキーのコースを使って開催されるのが、チェコ最大のスキーレースであるイゼラ50キロレースである。チェコ語で「イゼルスカー・パデッサートカ」と言ったほうが響きがいいなあ。今年は、50キロレースが、50回目の開催ということで、大いに盛り上がっていた。
 近年雪の不足で中止になったり、コースが短縮されたりすることもあったのだが、50回目にあたる今年は、寒さも厳しく雪の量も多く、理想的な条件でレースが行なわれていた。今年の冬が寒くてつからったのも、ぐだぐだと嘆くのはやめて、運命だったのだと受け入れたほうがいいのかもしれない。このレースが終わってから、気温が上がり始めてオロモウツの街中の雪はほとんど消えてしまったし。

 現在は数年前から始まったスキー・クラシックスという長距離のクラシックスタイルで行なわれるレースを集めた世界シリーズの一線に組み込まれているため、プロの選手たちのレースも開催されているが、本来は市民マラソンのスキー版のような形で1968年に第一回が開催されたようだ。当時は登山家達の冬山登山の訓練もかねていたのか、プログラムによると登山家の部、スキーヤーの部に分かれている。
 そして1970年の第三回大会に出場した15名の登山家が、同年五月にペルーで登山活動中に、地震に襲われ崩れ落ちてくる岩石、土、雪からなる山崩れに巻き込まれて全員亡くなるという痛ましい事故が起こった。そのため、翌1971年の第四回大会からは、亡くなった登山家達を記念するレースとして開催されるようになり、ゼッケン1から15までは、登山家達の番号として欠番となっている。だからスキークラシックス部門に出場する選手のゼッケンは16から始まるのである。

 当初は50人前後の出場者だったようだが、今年は5000人近い出場者がいたようだ。最初に女子のメインレースのスキークラシックスに出場する選手たちがスタートしたのだが、数が少なかった。全部20人もいなかったんじゃなかろうか。スキークラシックスは、まだまだワールドカップと比べると知名度も低く、選手の数も少ないということなのだろう。
 その三十分後にスタートした男子のほうは、それなりに数がいた、とはいってもワールドカップほどではなかったし、ほとんどがノルウェーを中心とする北欧の選手と、地元チェコの選手でこちらもワールドカップにはまだまだ及ばないという印象だった。このシリーズは始まったばかりだし、これから、週末に二つも三つもレースがあるワールドカップにつかれたベテランたちが移ってきて、成長していくのだろう。チェコのクロスカントリースキーのエース、ルカーシュ・バウエルも近いうちにこちらのシリーズに主戦場を移すようなことを言っていたし。

 さて、市民ランナーも出場するマラソンのスタートを見慣れた人間にとって、スキーのスタートは奇異なものに見えた。出場者たちはいくつかのブロックに分けられてスタートを待っており、ブロックごとにスタートが許可される。待機しているときに手に持っていたスキーを待機場所からスタート地点に移動し、そこでスキーを履いてレースを始めていた。タイムはスタートラインを越えた時点から計測するようになっているのだろう。
 考えてみれば、腕を振り足を前後に延ばすだけのマラソンと比べて、スキーの場合は、スタート時点でも、走行中も一人の人間が必要とする空間が大きい。加えてクラシックスタイルなので、雪面に掘られた日本の溝の上を走らなけらばならないから、すぐ隣に並んで走るというわけにもいかない。参加人数がおおいと、こういうスタートになるのも当然なのか。
 参加者の中には、昔のスキー、今のワンタッチでセットできるスキーと靴ではなく、昔ながらのベルトで絞めて靴をスキーに固定するタイプで出場している人もいて、次のグループの出走時間が迫る中、急いでスキーを履いていたのが印象的だった。

 結果は、男子のレースはいつものようにノルウェー選手が上位を独占し、チェコで最高位に入ったのは、最後のチェコ人優勝者のジェザーチだった。十位代半ばぐらいの順位だったかな。世界選手権のトレーニングの一環で出場したバウエルは、廿位ちょっとだった。まだ、スキークラシックス専業にはなりたくないので、こちらで最近はやりの走行テクニックの特化した走り方はしたくないと言っていたけれども、スキーのド素人には何のことやらである。
 女子はチェコ人選手のカテジナ・スムトナーが優勝した。それはいいのだけど、この選手数年前は、オーストリア代表としてノルディックスキーのワールドカップやオリンピックに出ていた選手である。それが、チェコに戻ってきたと言っていいのかな。インタビューにはちゃんとしたチェコ語で答えていたし、チェコ国内の出身のようだし。ただそれがなぜオーストリア代表になっていたのだろうか。
 スキー競技に関しては、この国籍変更のしやすさが少し気になる。アルペンスキーでもカナダ代表だったヤン・フデツが今年からチェコ代表としてワールドカップに出場しているし、ここらでちゃんとしたルールを作っておかないと、卓球みたいになったらいやだなあ。バイアスロンの話だけど、韓国代表の選手の名前がロシア人かなというのもあったし。

 とまれ、第四回以降伝説になったと言ってもいいこのイゼラ50キロレースは、メインのレース以外にも、距離が短かったり、子供向けだったりするさまざまな併設レースが行われており、今後もチェコの伝説のスキーレースとして行われ続けていってほしい。つまりは毎年雪不足にならないことを願うことになるのか。いや、レースの行われる前の一週間だけ寒さが厳しくなり雪も十分以上に確保できるように、天候を支配する方法を作り出してほしいと願うほうがいいか。
 自分で出場したいとは思わないけれども、テレビで見る分には、マラソンと同じでなかなか楽しいから、中止で大体番組に差し替えということは起こってほしくないのである。またなんかしょうもない終わり方になってしまったけれども、おしまい。
2月23日17時。



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