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2019年03月31日

体に二つある名詞(三月廿九日)



 チェコ語についての記事も、あれこれたくさん書いていて、自分が何を書いて書いていないのかわからなくなったので、確認のために読み返していたら、こんな特殊なものもあるんだと簡単に書いておきながら詳しい説明を放置しているものがあるのに気づいた。それは、手や足、目や耳のような人間の体に二つずつある物を表す名詞の複数形で、普通の名詞の複数形とは違うのである。
 対象となる名詞は、「oko(目)」「ucho(耳)」「ruka(手)」「noha(足)」「koleno(膝)」「rameno(肩)」「prso(胸)」などである。大事なのは単数で使う場合には、普通の名詞と同じ格変化をすることで、ここにあげた7つの名詞は。女性名詞である手と足以外は中性名詞であることは、語末の母音から明らかである。念のために書いておけば、単数一格が「-a」でおわるのは原則として女性名詞、「-o」で終わるのは中性名詞である。
 それから、同じ、例えば「oko」は「oko」でも、人間や動物の目ではない「oko」は、複数にしても普通の「- o」で終わる中性名詞の複数変化と同じだということも大切である。目ではない「oko」、うーん、日本語だと魚の目とか目玉焼きが思い浮かぶけどチェコ語ではどうだろう。ストッキングに開いた穴なんかは「oko」と言っていたような気がする。「ucho」は、カップなんかの取っ手の部分を指すことができる。上と下が本体につながっている様子が耳のように見えるからであろう。「noha」はテーブルや椅子などの脚を意味することがあるし、他の言葉にも何かしら人間の体の一部以外の用法が存在する。

 特殊な複数の格変化を有する名詞は完全に共通な変化をするわけではない。使う頻度の高い言葉ほど普通の名詞の複数変化からの乖離が大きいような気がする。「oko」や「ucho」は一格の形からして違うし。とりあえず、体の一部を表す場合の特別な複数形と、普通の複数形を並べて表示する。

?@oko
1  o?i   oka
2  o?í   ok
3  o?ím  ok?m/okám
4  o?i   oka
5  o?i   oka
6  o?ích  okách
7  o?ima  oky


?Aucho
1  uši   ucha
2  uší   uch
3  uším   uch?m
4  uši    ucha
5  uši    ucha
6  uších   uchách
7  ušima  uchy


 目と耳はどちらも中性名詞で、1格から7格まで普通の複数変化とは形が異なる。またこの二つの名詞の複数変化の特別形は子音が変化するところまで共通している。


?Bruka
1  ruce     ruky
2  rukou    ruk
3  rukám    rukám
4  ruce     ruky
5  ruce     ruky
6  rukou/rukách  rukách
7  rukama     ruky


 女性名詞の手は、3格が普通の変化と共通で、6格も同じ形も使える。


?Cnoha
1  nohy     nohy
2  nohou/noh  noh
3  nohám    nohám
4  nohy      nohy
5  nohy      nohy
6  nohou/nohách  nohách
7  nohama     nohy


 同じ女性名詞でも足になると、特殊な形が2格、6格、7格だけになってしまう。2格、6格は通常の複数変化と同じ形も使えるからどうしても覚えなければならないのは7格だけである。

 残りの中性名詞三つは、2格と6格に特殊な形が出てくるだけで、他は一般の複数変化と同じになる。膝は肩と完全に同じなので省略する。


?Dprso/rameno
1  prsa   ramena
2  prsou  ramenou/ramen
3  prs?m  ramen?m
4  prsa   ramena
5  prsa   ramena
6  prsech  ramenou/ramen
7  prsy    rameny



 不思議なのは同じ人体に二つペアであるモノでも「roket(肘)」「kotník(くるぶし)」なんかには特別な複数形が存在しないことである。やはり使用頻度が高くないからだろうか。

 それからこの特別な複数の格変化を使う場合には、前に来る形容詞などにも注意をしなければならない。7格の場合に、格変化の語尾が「mi」になるものは、すべて「ma」に置き換える必要がある。だから、「s dv?ma krásnýma modrýma o?ima」なんてことになるわけである。
 この語尾「ma」が正字法から外れた口語的なチェコ語では、すべての複数七格に使われるようになっているため、正しいチェコ語に直そうとして、「ma」を「mi」に置き換えて変なことになると言う間違いもよくあるらしい。口語の「s dv?ma krásnýma japonskýma studentama」を「s dv?mi krásnými japonskými studentami」にするなんてね。どちらも正しいチェコ語を教科書で身に付けた外国人には縁のない間違いのはずなのだけど、書いて覚えたのではない、耳で覚えた言葉の場合にはやってしまうかもしれない。
2019年3月30日22時。
















2019年03月30日

1969年のできごと(三月廿八日)



 1968年に「プラハの春」が、ソ連軍を初めとするワルシャワ条約機構加盟国の軍隊の侵攻によって、押しつぶされた翌年の1969年もチェコ史に於いては激動の一年だったと言うことができる。悪名高き正常化の時代が始まるのはこの年である。

 まず一月には十六日にプラハのバーツラフ広場で、ヤン・パラフがワルシャワ条約機構加盟国の軍隊による占領に抗議して焼身自殺を遂げる。そして翌二月二十五日には、ヤン・ザイーツが同じくバーツラフ広場で抗議の焼身自殺を遂げた。パラフは何度も国土を戦争に蹂躙され、抑圧され諦めることに慣れてしまったチェコ人々に対して、立ち上がる勇気を持つように呼びかけるために焼身自殺という方法を選んだのだという。
 パラフにインスピレーションを与えたものとしては、1960年代の初めに、南ベトナムで抗議のために焼身自殺をはかった仏教僧と、前年の1968年に自国の軍が民主化運動を弾圧するためにチェコに出兵したことに対して抗議して焼身自殺を図ったポーランド人の存在が考えられる。共産党政権下ではなかったことにされていた、チェコスロバキアに軍隊を出した国におけるこの手の抗議行動は、当時の政府によってなかったことにされていたが、冷戦終了後に実は共産党の本家本元のソ連でも抗議行動が行われたことが明らかになるなど、意外なほど多かったことがわかっている。問題はポーランドの事件がチェコで放送されてパラフが知ることができたかどうかなのだけど、どうなんだろう。

 三月には、アイスホッケーの世界選手権がスウェーデンのストックホルムで開催される。それだけなら事件でもなんでもないのだが、この年の世界選手権は本来プラハで行なわれることになっていたものが、チェコスロバキアが占領状態にあったことによって会場が変更されたのである。そんな中、チェコスロバキア代表が出場できたのは奇跡だったのかもしれない。
 そして、事件は、というと大げさだけど、大会の中で起こる。チェコスロバキア代表は、二回対戦したソ連との試合で、占領の恨みを晴らすという意識があったのか、二回とも勝利してしまうのである。当時はまだプラハの春終結後のいわゆる正常化が完全には始まっておらず、国からソ連に負けるようにという指令が出ていなかったことと、普段は政治的には無関心なことの多いスポーツ選手たちがプラハの春の件についてだけは怒りを抑えられずソ連に勝つことに執念を燃やしていたことが、この結果をもたらしたのだろう。その代わりに開催国のスウェーデンには2試合とも負けて、スウェーデンがソ連に2敗した結果、得失点差でソ連が優勝したらしいけど。

 もう一つの事件と呼ぶべきことは、ソ連との試合で、チェコスロバキアの選手たちの一部が、ユニフォームにあしらわれていた国章の二尾の獅子の上の赤い星に黒いテープを貼って、喪章のようにして出場していたらしい。1969年の時点で共産党のシンボルである赤い星に喪章をつけるというのはなかなか痛烈な皮肉である。もちろんそのままにしていたら帰国後処罰をされる可能性が高かったので、言い訳としてユニフォームがびりびりに破れてしまったので、黒テープで補修したんだというのを要していたという。そのために試合後ユニフォームを破ったというのだから念が入っている。
 その言い訳は、残念なが無条件では通らず、帰国後秘密警察に呼び出されて聴取を受けた選手も何人かいたらしい。ただ正常化の始まる直前だったために所属する企業によっては、秘密警察に突き出されなかった選手もいるのだという。この年の代表はソ連に勝っても処罰を受けなかったからまだよかったのだ。ソ連に勝って世界選手権に優勝したチームのメンバーが強制労働所に送られたなんて話もあるしね。

 一方、二件の焼身自殺とアイスホッケー代表のソ連撃破に勇気付けられたチェコスロバキアの人たちは各地で抗議運動を行い、プラハではアイスホッケー代表が勝った日だったか翌日だったかに、ソ連の航空会社アエロフロートの支社への襲撃事件なんてのも起こっている。ただ、この抗議運動の盛り上がりは、プラハの春の最後の残り火だったのである。
 四月になると、プラハの春を主導したドゥプチェクが党の第一書記の座を追われ、その座に座ったのは同じスロバキア出身のフサークだった。かつて民族主義者として糾弾され労に入れらたこともあったフサークは、プラハの春の後の混乱を利用して権力獲得に成功したのである。そして、暗黒のと形容されることの多い「正常化」の時代が始まる。その結果、プラハの春のことは語ることも禁止され多くの出来事は忘れられていくことになる。
2019年3月29日23時。










2019年03月29日

春バテ(三月廿七日)



 今月の初めに引いた風邪は、一週間で何とか普通の生活ができるところまで治し、咳と鼻水を引きずりながらの二週間を過ごして、今週は体調が完全に戻るはずだったのに、なんだかさえないのである。頭が痛いというよりは重く、何かを考えようとしてもいつも以上に回転が鈍くていつまでたっても思考がまとまらない。気が付いたら時間が……なんてことが頻発している。
 頭だけではなくて体のほうもなんだかだるくて、普段は職場まで運動不足の解消もかねて歩いているのだけど、ついついトラムを利用してしまう。歩けないと言うわけではないので、身体的な問題ではなく、精神的な問題なのだろう。それで思い出したチェコ語の言葉がある。「jarní únava」、直訳すると春の疲れということになる。

 昔、チェコに来たばかりの冬のこと、チェコ人の知り合いから、野菜や果物をたくさん摂らないと春になって大変だよと忠告されたことがある。あの頃は、主食はビールで、レストランで出てくる野菜はしなびれた、できれば食べたくないようなものばかりだったし、果物なんてなかったわけではなかったが、今と比べれば種類も少なく、質も酷いものが多かった。だから野菜も果物も大して食べることのないまま春を迎えたのだが、大変だったかどうかは覚えていない。冬が長くて大変だったのは、当時は毎年のことだったし覚えているけどさ。
 確か冬の太陽が出ない間にビタミンをちゃんと摂取しておかないと、春になって太陽の光を浴びるようになったときにつらいよというのが、その人の話だったと思うのだけど、個人的には、冬の寒さに耐えてきて、その冬を乗り越えたと安心したところで疲れが表にでるのだと理解した。冬の寒さに耐えられずに疲れた疲れたと連発している人間にはあまり関係ないものだと考えていたのである。
 しかし、今年の我が現状を見るに、「jarní únava」と呼んでもよさそうである。今年の冬はかなり寒く、雪も多かったのだが、最悪だったのが、寒さが緩んでこれでもう暖かくなると思わせておきながらの寒の戻りが何度かあったことである。寒いの範囲内での気温の上がり下がりなら、期待することもないのだが、今年は最高気温が15度を超える日が何日か続いて、これは本格的な春の到来だと期待すると、また最高気温が0度近くという寒さが戻ってくることが何度か繰り返された。だから、今の疲れは、期待外れの繰り返しによって起こされたものだと考えていいのかもしれない。

 そう言えば、今週の初めにはもう一つの期待外れにぶつかったのだった。昨年あれほど話題になり、廃止するという意見で一本化されたに見えた夏時間が、今年も行われるというのだ。3月の下旬になっても全く話題に上らなかったから、今年から一年中冬時間のままかもしれないと期待していたのに、知人に今年はカレンダー業者なんかの問題もあって継続らしいと教えられた。
 そして、昨日か今日のニュースで、EU議会が2021年からの夏時間廃止を決定したという話を聞いた。仕事が遅すぎるぞEU。チェコや周辺の旧共産圏諸国にはあれこれせかすような言動を繰り返すくせして、今まで何やってやがったんだ。去年廃止の話が出てきたのは、すでにEU議会の中で話が煮詰まりつつあったからじゃなかったのか。あと最低でも二回あの苦しみに堪えなければならないのか。いやチェコが夏時間を一年中使用することにした場合には三回なのか。仕事がなくて、お金がたくさんあればこの時期日本に一時帰国するという手もあるけど、時差ボケでさらに大変なことになりそうだし、花粉症もあるからなあ。
 今の体のだるさは毎年夏時間開始後に感じているものに似ているような気もする。期待外れのショックで夏時間開始後の体調を先取りしてしまったのだろうか。いやな想定である。今度の週末にヨーロッパを襲う夏時間への変更後、さらにひどくならないことを願っておこう。日本ではオリンピックに向けて夏時間を導入しようとか言いだしていた人たちがいるらしいけれども、お前ら一年ヨーロッパに住んで体験してみろと言ってやりたくなる。

 ということで、今のどうしようもない疲労感は、春バテと言っていいのだろうか。期待外れバテとか夏時間バテとか言うほうが正確なのだろうけど、語呂は夏バテと似ている春バテのほうがいいから、春バテということにしておこう。こんな記事を書いたのは、先週から今週にかけてもらったメールのうち返事ができていないものがいくつもあるからである。返事が来ていないぞと怒っている方、読まれていたらこういう事情だと理解していただけるとありがたい。こんな駄文はいくらでも書けても、丁寧なメールは書けそうもないのである。
2019年3月28日22時。









タグ: 夏時間 愚痴
posted by olomou?an at 07:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年03月28日

難民問題についてもう一度考えてみる(三月廿六日)



 オカムラ党の内紛劇についてはすでに記したが、その余波で、党内の実態、とくに追放された国会議員が支部長を勤めていたモラビア・シレジア地方支部の実態が漏れ聞こえてくるようになった。かつて党員だった女性は、党名のSPD=「Strana p?ímé demokracie」をもじって、「Sekta p?ímé diktatury」になってしまったとなげいていた。直接民主主義を党名に掲げているのに、直接独裁になってしまったというのである。それに政党のはずだったのが、宗教的なセクトになってしまっているという批判も含まれている。
 チェコテレビが流したこのモラビア・シレジア支部の会合での支部長の発言がまたトチ狂ったもので、イスラムの連中はヨーロッパに侵攻するために、中東からトンネルを掘っているんだとか、そのトンネルはもうかなり完成していて、今それを防ぐための行動を始めないと取り返しがつかなくなるとか、おい、おまえ頭大丈夫かといいたくなるようなことを繰り返していた。オカムラ氏もに多様なことは言うけど、ここまで過激なことは、身内だけなら言っているかもしれないなあ。右であれ左であれ目立つために過激化していくのはよくある話である。同時に意味不明になっていくのもさ。
 それから、この支部の党員は、ネット上での難民問題などの討論に参加して、オカムラ党の見解を主張する書き込みをすることを強制されていたらしい。それが、選挙で候補者名簿に載ったり、党の役職をもらうための条件になっていたという。オカムラ氏もネット上のSNSであれこれ、頓珍漢な発言を繰り返して、支持者を集めているから、同じようなことを党員にも求めたということなのだろう。

 こういう集団が、ネット上で過激な発言を繰り返すのもチェコが難民の受け入れを一切拒否しているというイメージが出来上がるのに貢献しているはずである。もちろんこういうイメージの形成には、EUやドイツのチェコを含む旧共産圏国家に対する批判のありかたも寄与しているし、チェコ政府自体も積極的に誤解を解こうとはしていないから、仕方がないという面はある。
 しかし、少なくともこちらが理解した限りでは、チェコは難民の受け入れそのものを断固拒否しているわけではない。チェコが拒否しているのは、ドイツなどの難民に対する扱いの厚い国に行くことを希望している難民を、強制的に受け入れさせられることである。チェコにも難民収容施設はあって、そこでチェコに亡命申請をした人たちが、審査の結果を待っている。問題は、チェコに来たがる難民の数が少ないことである。

 というのを前提に今日の話が始まるのだが、こんなことを考えたのはコメンスキー研究者のS先生のブログに、コメンスキーも亡命を余儀なくされて、移民として受け入れられたのではないかということが書かれていたのがきっかけである。確かにコメンスキーも、チェコ国内の宗教戦争のあおりを受けて、国内にいられなくなり、ポーランドやハンガリーなどを経て最後はオランダに住むことになったのだった。時代は違うとはいえ、現在の中東からの難民と状況は似ていると言える。
 コメンスキーが亡命先で受け入れられたのは、宗教の共通性が理由の一つとして挙げられるだろう。プロテスタントと、フス派のキリスト教とで完全に信仰が一致していたわけではないだろうが、反カトリックという点では共通点を見出すのは難しくなかったはずだ。オランダに落ち着くまでにあちこち転々とすることになったのも、カトリックによる対抗宗教改革の進行とも関係があっただろうし。
 現在のチェコの領域からは、コメンスキー以後もさまざまな理由で、亡命を余儀なくされ他国に受け入れられて人生をやり直した人がたくさんいる。新しくは共産党政権の時代に自ら亡命した人もいれば、国によって追放されたり帰国を禁じられたりした人たちがいた。そこでちょっと考える。コメンスキーを初めとする人たちは、亡命先で受け入れられることを当然と考えるような傲慢な振る舞いをしたのだろうか。

 現在、例えばチェコでオカムラ党の反難民の声に賛同者がすくなくない理由の一つは、難民たちの、特にその一部の振る舞いにある。希望するドイツで受け入れられるのは自分たちの当然の権利であり、それを邪魔するものは法律であれなんであれ無視するという態度を見せ付けられると、とりたて反難民の意見を持っていない人でも、これ大丈夫だろうかと不安になる。オカムラ党は、その不安を過剰にあおりたてることで党勢を伸ばしてきたわけだから、チェコで反難民の声が高まったのは、ある意味自業自得ではあるのだ。
 もちろん、すべてのヨーロッパに押し寄せた難民がこんな態度だったという気はないし、十字軍以来ヨーロッパのキリスト教社会が、アジアアフリカに対して行ってきた犯罪行為の数々を考えれば、中東やアフリカからヨーロッパに逃げてきた人々が、ヨーロッパには自分たちを助ける義務があり、自分たちには受け入れられる権利があると考えるのは重々理解できるけれども、相手の義務と自分たちの権利だけを言い立てるのでは、相手の感情を害して受け入れを困難にするだけである。
 チェコでも先日のニュージーランドで起こったモスク襲撃事件を受けて、プラハのムスリム組織の幹部が、「ムスリムよ、銃を取れ」的な発言をして、物議を醸していたが、難民として受け入れを求めている人、すでに受け入れられた人たちの中に、こういう発言をする人がいることが、受け入れ反対の世論を強化することにつながるのである。

 以前、コメンスキー研究者のH先生は、本当に戦争から逃れて命からがら逃げ出してきた人であれば、できるだけ助けてやりたいと思うけれども、お金のために国を捨ててきた人には同情できないと仰っていた。そして、見ただけでは区別がつかないのが問題なんだよなあと付け加えられた。
 確かに、区別の難しい問題ではあるし、そもそも区別すべきなのかというのも問題になるのだが、チェコ政府には、難民受け入れ全面反対というEUに貼られたレッテルをあえてはがさないことによって、チェコを希望する難民が来ないようにするなんて姑息な手段はとらずに、以前イラクのキリスト教徒を対象にして行なったプロジェクトのように、直接難民キャンプでチェコへの亡命希望者を選抜してチェコまで連れてくるという事業をやってほしいものである。
 それを成功させることが、EUとドイツが押し付けてこようとする各国に難民を割り振るという制度の無意味さを証明することになるし、自力で、人間密輸組織にお金を払ってヨーロッパまでたどり着く余裕のある人たちよりも、そんな余裕もなく難民キャンプで暮らし続けている人たちこそ救われるべきなんじゃないかと考えてしまう。
 なんかまとまりがついていないけど、時間もないのでここでおしまい。
2019年3月27日23時。
















posted by olomou?an at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年03月27日

「もぐらとパンダ」放送禁止(三月廿五日)



 七時のニュースを見ていたら、中国のテレビ局が制作したアニメ「もぐらとパンダ」が放送することができなくなったというニュースが流れた。子どものころにNHKで色鉛筆で描かれたようなアニメ「もぐらと自動車」「もぐらとズボン」を見て以来のクルテクファンとしては、このニュースは大歓迎で、思わず万歳してしまいたくなるほどなのだけど、一応説明しておくことにする。以前書いたことと重なる部分があるのは御寛恕いただきたい。
 クルテクを生み出したズデニェク・ミレルは、数年前になくなったのだが、生前から著作権管理のための財団を設立して、あちこちに与えた使用権の管理を任せていて、没後もその財団が著作権の管理を続けていた。それが、孫娘に当たる人物が、祖父が亡くなる直前に自分に著作権を譲るという遺書、もしくは契約書を残したと主張して、新たに会社を設立してクルテクの使用権をねたにしたビジネスを始めたのがすべての発端だった。

 もちろん、ミレル氏の設立した財団は、孫娘には著作権の使用許諾を出す権利はないとして、差し止めを求める裁判を起こして、クルテクが濫用されないようにしていたのだが、チェコの裁判は長くかかるもので、裁判で最高裁まで行って判決が確定するまでの間に、孫娘の会社は、自分が生み出したクルテクを大切にしていたミレル氏なら許可を出さないような企業にまであれこれ利用する許諾を出していたようなのである。
 その最たるものが、ミロシュ・ゼマン大統領が、自ら遣共使となって中国を訪問したときの貢物の一つとして献上したクルテクのテレビアニメへの使用権で、このとき孫娘も大統領にどうこうして契約書にサインしたのかな。それをもとに中国のテレビ局が制作したのが、「もぐらとパンダ」というこれまでのクルテクに対する敬意も愛情も全く感じられない、クルテクを破壊したといってもいい番組だった。これが中国国内でだけ放送されるのであれば、百歩ゆずって目をつぶってもいいけれども、当然チェコでも放送されるわけで、あれをクルテクだと思うような子供が出てきかねないことを考えると犯罪的ですらある。

 まず、絵柄からして許せない。ミレルのあの特徴的な絵をアニメにする力が中国になかったのか、技術力を誇示したかったのか、コンピューターを使って経費削減をしたかったのかは知らないが、あの絵を立体的に3Dアニメっぽくしたものだから、かわいいというよりグロテスクになってしまっている。
 クルテクがトンネルを掘って未知の地に到達するのは許そう。ただ、それはあくまでどこだかわからない匿名の地に到達するべきなのに、パンダが出てきて中国のどこそこなんていう話になるのは、クルテクの魅力の一つである昔話性を破壊する愚行である。中国のためにどうしてもパンダを登場させる必要があったのなら、パンダがクルテクと仲間たちのテリトリーに迷い込むか、クルテクがどこかの動物園に迷い込んだらパンダがいたかして、みんなで一緒に故郷をさがしてやるというストーリーにするべきだったのだ。それでもパンダがいきなり登場する違和感は消せないだろうけど。
 そして、最悪なのがクルテクに喋らせることである。ミレルのクルテクでは登場人物ならぬ動物たちは、ほとんどゼスチャーでやり取りをし、言葉が使われるにしてもほんの片言の言葉しか使わない。それが、チェコという小さな国の作品であるにもかかわらず、世界中で人気を博している理由である。それなのに、この「もぐらとパンダ」では、冒頭からクルテクが流暢に話して挨拶なんかしやがるんだから、この時点で見るのをやめてしまう人が多かったことは想像に難くない。

 今回の「もぐらとパンダ」の放送禁止は、ミレル氏の設立した財団と孫娘の設立した会社の間で争われていた裁判が結審したからだとおもわれるが、正直どの裁判で何を争っていたのかはよくわからない。ムハの「スラブ叙事詩」をめぐる裁判もそうだけど、芸術家が残した作品をめぐる裁判は、あれやらこれやら訴えが起こされて何がどうなっているのか、第三者には理解しがたいことが多い。
 その裁判の結果はともかく、中国のテレビにあの内容で「もぐらとパンダ」の制作を許可したという時点で、孫娘の著作権ビジネスは禁止されるべきだったと思う。あれは、クルテクに対する冒涜である。それを許可したのが身内だったというのが、何とも悲しい事実である。裏に中国に媚を売りたい政治家の存在があったにしても。

 とまれかくまれ、「もぐらとパンダ」の放送が禁止されたことは万々歳である。ちなみに、「もぐらとパンダ」以外の、孫娘の会社が許諾を出したクルテク商品の販売も禁止され、すでに店頭に並んでいるものも撤去されることになっているようである。
2019年3月26日20時。







これは正規のライセンスもののようである。






posted by olomou?an at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2019年03月26日

チェコの物を買おう(三月廿四日)



 個人的な買い物の事情を離れて、せっかくチェコにいるんだからチェコの会社の製品を買いたいという人に、そんな人がどれだけいるかは知らないけど、いくつか、実際の生産地はともかく、確実にチェコの会社だということがわかっているところを紹介しておこう。

 チェコのことをある程度知っている人なら、チェコに来たからには「Ba?a」の靴を買おうと思うに違いない。ただ、問題は現在の「Ba?a」がどこまでチェコの会社なのかという点である。創業がオーストリア=ハンガリー時代のズリーンだというのはいいにしても、共産党政権化で国有化されチェコスロバキアからは姿を消したはずである。その時点で国外にあった「Ba?a」が、本体となって「Bata」として活動を継続し、ビロード革命後に再度チェコに戻ってきたということになるはずである。 共産党政権が「Ba?a」の名前を消すために、スリーン産の靴に与えたブランドである「Svit」も、ビロード革命後の民営化の波に押し流されて、倒産してすでに存在しない。
 ただ、「Ba?a」ではチェコが発祥の地というのを重視しているのか、店舗でもネット上のお店でも、チェコで生産された靴に「?eský výrobek」という表示をつけている。だから、チェコ発祥の世界的ブランド「Ba?a」のチェコで生産された靴を買うことは可能である。チェコ語ができる人は こちらのページ を参照してほしい。自分でもやろうと思ったんだけど、まだ買い物の季節には言っていなかったし、そのとき買えた物に食指が動くものもなかったし……。買い物というのはタイミングというものが大きいんだよなあ。

 プリオールの跡地にできたガレリエ・モリツの中に、ポーランドのCCCと並んで、もう一つ小さな靴屋が入っている。最初に見たときには「Svit」に見えたので、最近流行の一度消えたブランドが復活したのかと思ったら、「 Stival 」というお店だった。これがチェコの会社なのは間違いないのだけど、あつかっているブランドが、その中には「Stival」なんてものもあるけど、この会社の自社ブランドなのか、ひいてはチェコのものなのかどうかはわからない。

 チェコの靴というと、あとはカタカナの「ム」見たいなのがロゴになっている「 Botas 」ぐらいしか思いつかない。これは共産党政権の時代の製靴工場が生き残ったものらしい。下請けとしてドイツのスポーツブランドの靴を生産したりもしていたようだが、最近は自社ブランドのボタスの名前で、ノヘイバルの世界選手権のメインスポンサーを務めるなど、結構目立つようになっている。ボタスは、もともとボタナというブランドで売っていた靴のスポーツ用品用のブランドとして生まれたようだ。現在でもインラインスケートなんかのスポーツ系の方はよくみかけるけど、普通の街中で履くようなタイプは、売られているのを見たことがない。

 服や靴以外の、チェコで買って帰られるものとして、まっさきに思いつくのが台所用品の テスコマ である。なぜかテスコマ・ズリーンと組み合わせた形で頭に残っているので、ズリーンの会社ではないかと思うのだが、詳しいことはわからない。チェコ国内では昔から料理番組のスポンサーを続けるなど知られた会社で、何年か前にはイタリア市場に進出してミラノの一等地にアンテナショップを構えたら、予想外の人気が出て云々というニュースを見た記憶がある。
 うちでもあれこれテスコマの製品を買って使用しているが、悪くない。台所用品で使い勝手が悪いなんて感想が出るのはよほどの場合だけだから、ほめ言葉になるかどうかはともかく、特に理由がなければテスコマのものを買うのが習慣になっている。日本の哲をつかった包丁とか、日本風の包丁とかも扱っていたような気がする。

 もう一つは、これもチェコで生産しているかどうかは知らないのだが、 コイノール という半村良の小説『長者伝説』に出てくる飲み屋と同じ名前の文房具がある。コヒノールと読む可能性もあるけど、チェスケー・ブデヨビツェの会社だったかな。特に鉛筆、色鉛筆、消しゴムなんかを見かけることが多い。鉛筆に関しては中国での生産から撤退したというニュースがあったから、チェコの工場で生産されていると思いたいところである。

 服や靴にしても、台所用品や文房具にしても、お土産として日本に買って帰って誰かにあげるのにはあまりそぐわなそうだけど、気に入ったものを自分で使用するために買って、日本に持って帰って、実はこれチェコ製なんだよと自慢するのには向いている。ということは、自分用のお土産、もしくは自慢用のお土産ということになるか。
2019年3月25日23時。





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Tescoma Ham Maker With Thermometer Presto, Assorted





Koh-i-noor 72 Mondeluz Aquarelle Colored Pencils. 3727 by Koh-I-Noor





日本でも手に入る。お土産にならないじゃないか。



タグ: お土産?
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2019年03月25日

チェコの服を買おう(三月廿三日)



 ワイシャツやらズボンやらがいくつか、外では着られない状態になって、ちょこちょこ買い足していたのだが、ある事実に気づいてしまった。除外した服はすべて、OPプロスチェヨフの製品、つまりはチェコで縫製されたものだった。服にそれほどこだわらない(高くないことにはこだわるかも)人間なので、今回はズボンはいつの間にか行きつけになったおっちゃんの店で買ったし、シャツはシャントフカの安服屋で見つけた安いのを買ったわけだから、どれもこれもチェコ製ではありえない。つまりこのままの買い物をしていたら、チェコ製の服がなくなってしまう可能性が高いのである。
 OPプロスチェヨフの服は、ワイシャツはまだ2枚、ちょっと襟の辺りが怪しくなっているけど、着られるのが残っているし、ズボンは夏物が3本まだ履ける。一番最初15年以上前に買ったOPプロスチェヨフのズボンは、裾とかあちこちほつれているけど色が白で目立たないから、着られないといいつつ着てしまうし、今すぐチェコ製の服がなくなるというわけではない。去年の夏にサマースクール用に買った半ズボンは、その気はなかったのにどうもチェコの会社の製品のようだし。
 あれは、生産がチェコ国内かどうかはちょっと確認していないけど、チェコの会社が生産したものだからチェコのものと考えておく。服のブランドではなくて、アウトドア用品の「 HANNAH 」という会社の製品で、ビロード革命後の1991年にプルゼニュで創業した会社らしい。2002年には日本の会社と組んで「CLIMATIC」というブランドを展開したというけれども、今でもやっているのだろうか。

 それはともかく、冬に着る服としてはハーフコートなんかの上着もちょっと寿命に近づいているしなんてことを考えたのは、ズボンを最低でも一本買う必要があって、どこで買うか考えるのが面倒くさくなっていたからに違いない。チェコ製のズボン、できればプロスチェヨフのズボンを買おうと思い立ったのだ。おっちゃんの店でスボンをもう少し多目に扱ってくれていたら、こんなことは考えなかったのだろうけど。
 ということで、足を運んだのが、以前OPプロスチェヨフの服を何枚も買ったお店。今では「 RV FASHION STYLE 」という新しいブランドのお店になっている。これはもともとOPプロスチェヨフで仕事をしていた人が、倒産後に立ち上げた会社だというから、ここで売られているのはプロスチェヨフ産の自社製品だけだろうと期待したのである。

 体の大きさの制約もあって、それほどたくさんの種類の中から選べたわけではないのだけど、ズボンを一本買って、足が短いのですそ上げもお願いした。これでおっちゃんの店で買ったズボンの約倍の値段になった。それでプロスチェヨフ産だったら何の文句もなかったのだけど、うちにもって帰って確認したら、どうもドイツの会社の製品のようだった。失敗しちまった。ちゃんと確認してからかうべきだった。
 ついでにワイシャツも一枚買った。こちらも自社製品ではなく「AMJ」という会社のものだった。これって、以前も何枚か買ったことがあるのだけど、プロスチェヨフのじゃなくても、チェコの会社ではあるよね。ワイシャツ本体には生産国も何もかかれておらず、チェコ向けとスロバキア向けの販売会社の名前が書かれているだけで確証が持てない。一番安いのの4倍もしたのに。

 仕方がない。次に買うときにはちゃんとお店にプロシュチェヨフという名前が入っているところを使おう。候補としては、オロモウツのドルニー広場にお店のある モーダ・プロスチェヨフ と、オロモウツから一番近いのはプロスチェヨフになる コウトニー・プロスチェヨフ の二つ。どちらもそれなりに高そうなのが難点だけど、一つぐらいは贅沢(たいしたことないけど)してもよかろう。

 最近、安服屋で買ったズボンのすそがほつれ始めて、寿命が近づいているのに気づいてしまった。以前買ったOPプロスチェヨフのとくらべると持ちがよくないような気がする。ちょっと高くても長く着続けられるほうが、買い物する回数も少なくてすむしなあ。問題は今買うか、来年に回すかである。
2019年3月24日23時。












posted by olomou?an at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年03月24日

書くことがなくなった(三月廿二日)



 今日は、来年開催されるサッカーのヨーロッパ選手権の予選第一戦が行われるから、それについて書こうと思っていた。対戦相手はチェコが所属するグループAではダントツの勝ち抜け候補イングランドで、会場がウェンブリーだとは言え、昨年監督が交代して以来ちょっと調子が上向きだから、それなりにいい試合をしてくれるだろうと期待していたし、あわよくば勝ち点を取れるんじゃないかなんてことも考えていたのだ。イングランド強いけど、若いチームで、失点せずに頑張っていれば、あせりだすかもしれないなんてことを、チェフだったかロシツキーだったかが試合前に語っていたから期待したのだけど……。
 結果は0−5の大惨敗。特に後半は不運な失点が重なったという面があるのは確かにしても、その不運を呼び込んだのは、どう見てもチェコチームの守り方のまずさである。相手ボールになるとみんなでずるずる下がってしまうから、ボール持ってる選手がフリーになって好き勝手にパスを出されてしまっていた。マークがついていてもフリーにしているのと変わらないぐらいの距離を置いて守ってたからなあ。この守備では、本大会進出をかけて争うことになるブルガリアやモンテネグロ相手でもやばいいんじゃないかねえ。

 来週の火曜日には、チェコのサッカー界にとってお祭となりうるブラジルとの親善試合が控えているのだけど、今のままだと悲劇を繰り返すことになりそうだ。相手がどこまで本気で価値に来るかにも寄るか。そうなると悲劇よりも喜劇といったほうがいいかもしれない。それにしてもブラジルとの試合を組むなら、イングランドとの試合の前の方がよかったんじゃなかろうか。ブラジルとの試合での惨敗を教訓にイングランドと試合だったらもう少しましな結果になったかもである。

 イングランド戦の内容については触れまい。ただ、チェコに運がなかった、逆に言えばイングランドに運があった理由になりそうなことをもう一点紹介しておこう。最近、イングランドのサッカー界にとって重要な役割を果たした人物が亡くなったらしく、試合前にはその人のプレーの映像が会場に流され、選手たちはみな喪章を巻いてプレーしていた。黙祷もあったのかな。それはともかく、亡くなった先輩のためにというイングランドの選手たちの気持ちが運を引き寄せ、チェコの選手たちのボサーク師匠はきれいにリスペクトと言っていたけど、そんなもんじゃなくて相手を恐れる気持ちが運を手放す原因になったのだろう。格下のチームがこれでは結果には期待できない。

 これで終わると、あまりに短いのでもう一つ代表ねたを。代表は代表でもチェコ代表ではなくカザフスタン代表の話である。カザフスタンは、イスラエルと同じでアジアの国でありながらサッカーではヨーロッパの協会に属していて、今回のヨーロッパ選手権の予選にも参加している。その監督が、元チェコ代表監督のミハル・ビーレクなのである。
 そのビーレク率いるカザフスタン代表が、スコットランド代表を破るという番狂わせをやってのけた。それも1−0ではなく、3−0での勝利だというから、大判狂わせで、この結果にかけていた人がいたら、大もうけをしたに違いない。ビーレク監督時代のチェコ代表を考えたらありえない結果なのだけど、その後ズリーンで頑張って結果を出しているから、監督として成長したということなのだろうか。
 カザフスタン代表は以前もチェコ人のバラーネクが監督を務めていたことがあるのだけど、チェコ人の監督の評価は高いのかもしれない。1月に行なわれたアジア選手権でも中東のどこかの国の監督を、チェコ人のソウクプが務めていたし、カルビナーの監督に就任したストラカは、エジプトの代表監督だったか。チェコ代表のひどさが続くなら、チェコ人監督のチームを応援するのもいいかもしれない。いややっぱり無理か。ビーレク監督とアラブの国では応援しようがない。シルハビー、何とかしてくれ。火曜日のブラジルとの試合は見ないで、次の、確か六月の代表戦に期待をかけることにしよう。
2019年3月23日11時30分。





2019年03月23日

もう一つの受身(三月廿一日)



 チェコ語を勉強していない日本人でも、プラハでしばらく生活していると、覚える気もないのに覚えてしまって、ふとしたときに口から出てくるようになるチェコ語がある。生活していなくても地下鉄を利用していれば、いやでも耳に入ってきて、妙に耳に残るあれである。「Ukon?ete výstup a náspu, dve?e se zavírají(乗り降りをやめてください。ドアが閉まります)」というのを、完全ではなくても覚えてしまって、自分の知っているチェコ語として飲み屋なんかで披露する人は結構いるはずである。
 受身という観点から問題になるのは、後半部分の「dve?e se zavírají」なのだが、地下鉄だけでなく、トラムでも使われることがあると思うし、最近気づいたところでは、エレベーターでも、アナウンスが入るので、「ドベジェ・セ・ザビーライー」というのは、挨拶を除けば、外国人が一番よく耳にするチェコ語の表現かもしれない。

 折角なので、珍しくまじめに文法的な解説をしてみると、「dve?e」は複数でしか使われない女性名詞で、ここでは1格で使われている。「se」は、いわゆる再帰代名詞の4格短形となる。「zavírají」は、完了態の「zav?ít」と対応する不完了態の動詞「zavírat」の三人称複数の形で、これは主語の「dve?e」が複数であるのに対応している。
 再帰代名詞の「se」は4格で「自分を/自らを」という意味を表すから、直訳すると「ドアが自分を閉めている」ということになるだろうか。もちろん自然な日本語にすれば、上記のように「ドアが閉まる」となるのだが、チェコ語ではこの他動詞(という概念はないけど)と再帰代名詞「se」を組み合わせた形も、受身としているのである。日本語に訳す場合には、受身形よりも組み合わせになる自動詞を使う場合も多いけど。

 この手の受身で、日本語でも受身で訳せて、しかもよく使うものとしては、動詞「?íct/?íkat」を使ったものだろうか。初学のころによく使った、

  Jak se to ?ekne ?esky.

 は、「チェコではこれを何と言いますか」と訳すこともできるが、受身を使って「何と言われますか」としてもさして違和感は感じまい。
 不完了態にすると、日本語の受身との親和性はさらに高まり、

  ?íká se, ?e…

 というのは、「〜と言われている」と訳すしかない。いや、もちろん伝聞を表す「そうだ」とか「らしい」を使ってもいいわけだけれども、動詞を使うことを前提とすれば、受身形を使うのが自然である。

 昔、チェコ語の勉強を始めたばかりのころに困惑したのは、チェコ語の動詞の中には、最初から使役の意味を含んだものがあることで、例えば引っ越しという名詞は、「st?hování」だから、その本来の動詞の形「st?hovat」は引っ越すという意味かと思っていたら、引っ越すは「se」を付けた受身の形で「st?hovat se」を使わなければならなかった。つまり「st?hovat」だけなら、引っ越しさせるという意味になるのである。
 それから「p?ekvapit」も驚くではなく、驚かせるという意味で、驚くという意味で使うのであれば、「p?ekvapit se」と「se」を付けなければならない。そして、「P?ekvapil m? kamarád」のように、誰かが私を驚かせたという形の文は、自然な日本語にすると「友達に驚かされた」と受身形を使うことになるから最初はちょっと混乱した。

 また、「se」を付けるけど受身ととるべきなのかどうかよくわからないものもあって、「vrátit(戻す)」「vrátit se(戻る)」は他動詞と自動詞の組み合わせになるから、受身と見たいところだけどチェコ人がどう理解しているのかは知らない。それから「najíst se(満腹するまで食べる)」は、「se」なしでは使えないから一般には受身とは取らないのだろうけど、「nakrmit(十分餌を与える)」という動詞の存在を考えれば、「najíst」だけで、食べさせるという意味を持っていたのではないかとも思えてくる。

 ここまで書いて、自分でもいったい何が言いたいのかよくわからなくなってきた。そう、この「se」を使った受身というのは、あんまり受身だと意識しないほうがいいということを言いたかったのかな。日本語で自動詞と他動詞の組み合わせのある動詞だったら、受身よりも自動詞を使う方が自然だし、チェコの中でも、どこまでが受身で、どこからが別の動詞扱いにするのかよくわからんし。
 最後に一言だけ言っておくとすれば、この受身は、動詞が直接4格を取るものでなければ使えないということだろうか。「Jinak se to ned?lá(そうでなければ、そんなことはするものではない)」のである。
2019年3月22日17時。













タグ: 動詞 受身

2019年03月22日

オカムラ党でも内紛(三月廿日)



 市民民主党がバーツラフ・クラウス氏を除籍したのと同じころ、オカムラ党も三人の下院議員を問うから追放した。三人とも、オストラバを中心とするモラビア・シレジア地方の選挙区で選出された議員で、オカムラ党は、下院の選挙が党に投票する比例代表制であることを理由に(多分)、議員の辞職を求めたが、他の無所属の議員たちと組んで新しい会派を立ち上げたらしい。
 比例代表制で獲得した議席は、個々の議員ではなく党に属するものだから、離党する場合には議員も辞職するべきだという考えには一理あるようで、議員の中から離党者が出た場合、党の側からこの手主張が出てくることが多い。多いのだけど、実現は確か一度もしていないはずである。チェコ人が一度手に入れた有利な地位を、自分から手放すわけねえだろというのは我が畏友の発言。だから法律で決めなければ絶対に実現しないと続くのだが、チェコに限らず政治家なんて人種が、みずからを縛るような法律の制定に積極的になるわけもなく、現在まで実現していない。

 以前からオカムラ党の中央と、モラビア・シレジア地方支部がもめているというニュースは聞いていた。今年に入ってからだったと思うが、モラビア・シレジア地方支部が、党規に違反し続けているということで、解散させられた。この話を聞いたときの感想は、オカムラ党に党規なんかあったんだという失礼極まりないものだったのだけど、モラビア・シレジア地方支部の中心をなしていたのが今回追放された三人の下院議員たちだったのだ。
 支部が解散になった後も、三人はオカムラ党の国会議員であり続けていたようだが、ここで党からの追放という手に出たのがなぜなのかはよくわからない。オカムラ氏は、追放された三人のうちの一人について、生活保護を受けている人たちを食い物にする貧困ビジネスに手を出していて、それをやめるように忠告したが、何度言ってもやめようとしないというのを理由としてあげていた。おいおい、そんな奴だとわかっているなら最初から入党させるなよ。入党させても選挙に出させるなよと、思った人は多いだろうと言いたいけど、チェコの政界って何でもありだからなあ。そのうちにゼマン大統領が恩赦を与えたカイーネクなんかも選挙に出たりするんじゃないだろうか。

 追放された三人の議員も大人しく追放はされず、自分たちが党の規律に違反するようなことはしていないことを述べた上で、オカムラ党に対する禁断の批判を放った。それは、オカムラ党の党首のオカムラ氏は、名目上の党首に過ぎず実際に党を動かしているのは別の人物だというもので、つまりオカムラ氏は操り人形に過ぎないという批判だった。
 これは、かつての旧オカムラ党と言うべきウースビットの時代からまことしやかにささやかれていた噂で、オカムラ氏が党を追われた理由の一つにもなっていたのではなかったか。頻繁に言うことが変わって、発言の整合性が取れていないことも多い理由として、オカムラ氏の意見と影の黒幕の意見が一致していないのが原因じゃないかなんて憶測もあり、チェコではある程度の信憑性を認められている噂である。

 しかし、だからと言って、今回の追放された三人の批判、ウースビットを乗っ取った連中の批判に正当性があるかというと、そんなことは全くない。なぜならオカムラ氏の後ろに黒幕がいると批判するだけで、黒幕の名前を出していないからだ。仮にも当のオカムラ党から選挙に出馬し、地方支部の長など党の要職を任され、国会でも党が獲得した何とか委員会の委員長か副委員長に就いていた人たちなのだから、本当に黒幕が存在するのなら、その黒幕の名前は知っていなければおかしい。そして、オカムラ氏を批判する以上に、オカムラ氏の陰で好き勝手やっている黒幕を批判するべきである。
 もちろんこれは、オカムラ氏の行動を正当化するものではないし、いかにオカムラ党の候補者の選択がいい加減だったかという事実を改めて見せつけているに過ぎない。資金さえ十分に提供できればオカムラ党の候補者にはなれるのだ。そういえば去年の地方議会選挙でもオカムラ党の候補者の中にでたらめの経歴を書いたという人が何人もいたなあ。他の党も似たり寄ったりの部分がないとは言わないけれどもさ。

 社会民主党も元内務大臣のホバネツ氏が、ANOとの連立を維持しようとする執行部の方針に異を唱えて、こちらは離党はせずに、議員を辞任したし、ANOもファルティーネク氏の問題でもめている。とはいえ、現時点で下院の選挙が行われたらANOが勝つというのは変わらないのだろうなあ。今年は投票率が極端に低くなるEU議会の選挙が行われるけど、これもANOが勝つのか、組織票があったほうが有利だから既存の政党が勝つのか、個人的には意外なまともさを見せている海賊党に勝ってもらって、選挙に勝って浮かれないかどうかを確認しておきたいところである。
2019年3月21日15時。











タグ: SPD オカムラ党
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