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2017年08月31日
カレル・クリルの名曲、もしくは曲名(八月廿八日)
カレル・クリルについてふれた記事にコメントをいただいた。文字化けしてちょっと読めないところもあるけれども、クリルの代表作と言ってもいい名曲「Brat?í?ku, zavírej vrátka」について書かれている。内容から言うとチェコ語を勉強、しかも結構上級レベルまで勉強されている方のようである。例によって、コメントに返事する代わりに一本新しい記事を書くことにする。
件の「Brat?í?ku, zavírej vrátka」は、曲名であると同時に、クリルがチェコスロバキアで発表した唯一のアルバムのタイトルにもなっている。アルバムの発売は、プラハの春の翌年1969年の春、だが、録音されたのは67年から68年にかけてのことである。クリルはこのアルバムが発売されて半年ほど後、同年の9月に西ドイツに亡命している。正確には西ドイツの音楽フェスティバルに出かけてそのまま帰国しなかった、もしくはできなかったというのが正しいか。
さて、題名をチェコ語を学んだ人間の観点から見てみると、「Brat?í?ku」は、兄弟を表す「bratr」の指小形「brat?í?ek」の五格、つまり呼びかけの形である。指小形だから「弟よ」と訳してもいいかもしれない。ちょっと与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を思い出してしまうが、晶子の弟は本当の弟に対する呼びかけだったが、クリルの弟は、恐らくこの曲を聞く人たち、1968年8月21日の夜に恐怖に震えていた人たち全てに対する呼びかけである。
だから、ここで「brat?e」でも、口語的表現の「brácho」でもなく、「brat?í?ku」が使われているのは、小さき幼き者たちだけではなく、か弱き力なき者たちに対する呼びかけでもあるからだろう。あの夜、ソ連軍の戦車に追い回されて逃げ惑った人、そしてひき殺されてしまった人も多いのである。抵抗することすら許されずに死んでいった人たちに対する悼みが「brat?í?ku」に込められていると読むのはうがちすぎだろうか。
「zavírej」は、不完了態の動詞「zavírat」の二人称単数の命令形である。一般に「ドアを閉めろ」と命令するときには、一度閉めるだけで十分であることから、完了態の「zav?ít」の命令形を使うことが多いのだが、ここは「vrátka」、つまり門扉を一回閉めておしまいではない。外を我がもの顔に徘徊している軍人たちが、入ってこないように閉め続けている必要があるのである。だから不完了態の命令形が使われているのだと推測しておく。
歌詞については、全曲引用すると著作権上の問題もあるだろうから、引用も翻訳もしないけれども、咽び泣く者に泣くなと呼びかけるところから始まって、門を閉めておけと繰り返して終わる。途中で、ソ連兵をお化けや狼に見立て、チェコ人を羊に見立てるところもある。特に「雨降り、外は闇に覆われ」と歌う部分は、当時のチェコの人たちの絶望を物語るものとして胸を打つ。「曲がりくねって続く道」で「この夜はすぐには終わらない」のである。
この「プラハの春」以後の正常化の時代を予見するかのような歌詞に、暗闇の中にいた人々の心は勇気づけられたのだろうか。反面、89年の民主化以後の狂躁的ともいうべき明るさにはそぐわなそうである。つらいときに勇気付けてくれた曲だからといって、いつでも、どんなときにでも聞きたくなるというわけでもない。
チェコ語の歌詞を確認するならこちらを。
http://www.karaoketexty.cz/texty-pisni/kryl-karel/bratricku-zavirej-vratka-8320
カラオケってのもチェコ語で外来語として使われているのかねえ。カラオケボックスは見たことないけど、飲み屋で今日はカラオケなんてことが書かれているのは見たことがある。チェコ人楽器ができる人が多いからカラオケなんていらないような気もするんだけどねえ。
8月29日23時。
2017年08月30日
チェコ・スロバキア・カップ(八月廿七日)
昨日の土曜日の夕方、チェコテレビのスポーツチャンネルでハンドボールの中継が始まった。チェコの国内リーグもヨーロッパのカップ戦もまだ始まっていないこの時期に何の試合だろうかと思って見たら、チェコスロバキアカップという大会だった。名称からするに両国の優勝チームの対戦であるに違いない。
対戦チームは、チェコのドゥクラ・プラハと、スロバキアのシャリャ。スロバキアでは最強チームとしてプレショウが君臨しているのに、シャリャが優勝とは意外だったと思っていたら、勘違いだった。この試合は準決勝で勝った方が日曜日の決勝に進出し、負けたほうは三位決定戦に回るのだという。
つまり、チェコリーグとスロバキアリーグの上位二チームが出場する大会で、今年で三回目の開催なのだが、これまでの二回は、チェコにチームは二チームとも準決勝で破れ、決勝はスロバキアチーム同士の対戦となっていたらしい。ハンドボールでは、クラブチームレベルではスロバキアの方がチェコよりも上なのである。代表は多分チェコの方が上を行く。
テレビで中継されたドゥクラ・プラハとシャリャの試合は、前半の最初からドゥクラが優勢で、最大で9点差を付け、前半終了時点では7点差で勝っていた。後半も点差は広がらなかったが、差をコントロールしている感じで、常に5点から7点差を維持して、最後はそのまま6点差、30-24で勝利していた。チェコチームとしては初めての決勝進出である。
中継されなかった第二試合は、チェコリーグ二位のホームチームのプルゼニュと、スロバキア最強チームのプレショウの対戦だった。今年はチェコチーム同士の決勝にならないかなあというのはやはり実現せず、19-26でプルゼニュは負けてしまった。今季からチェコリーグに復帰するステフリークの姿は、一試合目終了後に二試合目に出場するチームがウォーミングアップをしている中で、見ることができたが、試合でどれだけ活躍できたのかは確認できていない。
このステフリークのチェコ復帰が呼び水になって、サッカー界では定着しつつある現役の最後を母国のリーグでというのがハンドボール界にも流行しないかなあ。イーハとかホラークあたりの大型選手が帰ってきてくれれば、チェコリーグはさらに若手選手を鍛えて、代表に送り出すための場になると思うのだけど。
ということで、日曜日の決勝は、両国の優勝チーム同士ドゥクラ・プラハ対タトラン・プレショウの対戦となった。準決勝の第一試合を中継するぐらいだから、決勝も中継があるだろうと思っていたら、そんなものはなかった。日曜日の夕方は、サッカーの一部リーグの試合が二試合連続で中継されていた。普段の週末は二日に分けて一試合ずつ中継するのに。
チェコのハンドボール協会のページでこの大会のことを確認したら、チェコテレビで中継されるのは決勝だけになっていた。ということは、サッカーリーグの中継が、放映権の関係で日曜日の試合を二試合中継することに変更された結果、ハンドボールの決勝の中継ができなくなり、その代わりに準決勝の一試合を中継することになったということのようだ。
マイナースポーツのハンドボール界としては、一試合中継してもらえただけでもありがたいと感じるしかないのだろう。今の国内リーグには聴衆をべるようなスーパースターはいないし、大きなスポンサーを握っているわけでもない。スロバキアとの共同リーグの設立にも失敗したし、今後のチェコリーグの見通しというものは決して明るいわけではない。チェコリーグから外国に移籍していく選手はいるけれども、かつてほどの大物は久しく生まれていないような気がする。
ここはいっそ、ゼマン大統領に、以前中国にネドビェット同伴で出かけてサッカー界に中国の資金を持って帰ってきたのと同じように、イーハを連れてお金持ちでハンドボール好きの王族のいるアラブ諸国を歴訪してきてもらうのがよさそうだ。アラブの資本をチェコリーグに呼び込むことができたら、代表が上昇傾向にある今、チェコハンドボール界が発展できるのは間違いない。
それができれば、少なくともハンドボール界からはアンチ・ゼマンが消えて、多少次の大統領選挙での当選確率が高くなると思うけど、やってくれんもんかねえ。まあ、ハンドボール界を結集したところで、大した票にならないと思われている可能性も低くはない。それに、共産党にシンパシーを感じるところがあるらしいゼマン大統領には、王政が幅をきかせたアラブ諸国に頭を下げるのは無理かなあ。
試合の結果を書くのを忘れるところだった。誰も気にしていないかもしれないけど、予想通りプレショウが32-24でドゥクラに圧勝してチェコスロバキア杯を獲得していた。開始以来三年連続の優勝である。やはりプレショウは、女子のミハロフツェと並んで、チェコ・スロバキア最強チームである。
女子はこのチェコスロバキアカップやらないのかなと思ったら、そもそもリーグが共同だから、改めてチェコとスロバキアの優勝チームが対戦する意味はないのだった。それを考えると、チェコとスロバキアの共同リーグよりも、このチェコスロバキアカップのほうが魅力的な気がする。まだ三年目でそれほど定着したとは言い難いようだが、8月のチェコとスロバキアの分離が決まった時期に行うというのも悪くないし、今後が楽しみなイベントである。
今回は開催地がプルゼニュだったけれども、チェコとスロバキアの分離が決まったトゥーゲントハット邸でセレモニー的なことをやって、会場も近くのブルノのクラーロボ・ポレの体育館を使えば、スロバキアからも来やすいし、いいんじゃないかな。当てつけのためにクラウス、メチアル両氏を招待するというのは、さすがにやり過ぎか。
8月28日18時。
2017年08月29日
チェコとスロバキア(八月廿六日)
チェコとスロバキアの現代史において、8月というのはこと多き月である。ひとつには、高揚する「プラハの春」と、それに対するワルシャワ条約機構軍によるチェコスロバキア侵攻が起こり、もう一つは、1992年、ビロード革命後三年を経て後、チェコスロバキアの分裂が決定した月でもある。
当時のチェコスロバキアは、チェコとスロバキアという二つの国からなる連邦国家として存在していた。これは確か「プラハの春」の後の所謂正常化の時代に、スロバキア出身のフサーク大統領の主導で実現したのだったと思う。スロバキア人にしてみれば、1918年の第一共和国独立時のマサリク大統領の約束がついに実現されたということになるのだろうか。
それがビロード革命後の民主化の中で、両国の利害が一致しなくなり、急進的な経済改革を求めるチェコ側にたいするスロバキア側の反発もあって、1992年7月にはスロバキアの議会で連邦の解消と独立を求める決議がなされた。ここまでは、多分、ちゃんと必要な政治的な手続きを経た上での分離への手続きだったのだと思う。それがスロバキア側からの一方的なものであったにしても。
その後、連邦のバーツラフ・ハベル大統領が辞任し、8月の下旬に入って、チェコの(連邦政府のではない)首相だったバーツラフ・クラウス氏と、スロバキアの首相だったブラディミール・メチアル氏の間で条件交渉が始まる。二人の間ではすでに7月初めの交渉で分離自体については合意に達していたらしい。問題はこの交渉が、連邦政府を排して、チェコ側とスロバキア側だけで、しかも当事者二人だけの秘密会談で進められたことである。
チェコとスロバキアが分離したのは、ある意味歴史的な必然だったのだと当時のことを評価する人たちでも、その分離の進め方に対しては強く批判する人たちが多い。それは、二人の首相の密談ですべてが決められてしまったという部分が大きいのだろう。連邦政府をカヤの外に置いてのチェコ首相とスロバキア首相の合意が、当時の法制的にどんな意味を持てたのかも気になるけれども、この二人の会談で、分離の条件が合意され、署名がなされたことでチェコとスロバキアの分離独立は確定した。合意に達したのが今からちょうど25年前の1992年8月26日のことで、二つの独立した共和国としてのスタートは翌1993年1月1日であった。
この二人の秘密交渉が行われたのが、ブルノの世界遺産になってしまったトゥーゲントハット邸である。この建築物が、確かに近代建築の傑作であるのはその通りだろうけれども、このチェコとスロバキアの分離に関する会談が行われたという歴史的な事実が存在しなかった場合に、世界遺産として認定されたかどうかは確信を持てない。
このトゥーゲントハット邸の庭の木陰で、多分休憩時間にだろうけれども、テーブルについて談笑するクラウス氏とメチアル氏の姿が撮影され、その写真がしばしばこのときの交渉を象徴するものとして使われている。写真をさがしてリンクしようと思ったのだけど、ちょっと急ぎでは見つけられなかった。
クラウス氏は、その後独立したチェコ共和国の初代首相となり、90年代から2000年代にかけてのチェコ政界を主導していくのは周知のことである。強引なまでの民営化と、友人知人への優遇には批判も集まるし、現在のチェコ人の資産家の大半は、クラウス氏の考え出したクーポン式民営化を活用、ときに悪用して資産を築いた人たちである。
メチアル氏のほうも、スロバキア共和国の首相として政界に君臨したが、民主化されたスロバキアの政界の負の面を象徴する人物だと考えられている。一番大きな問題は、首相在任時に、コバーチ大統領の息子を軍の情報部に命じて誘拐させようとしたという疑惑である。この疑惑は、その後の大統領選挙で大統領が選出されず再投票が行われることになり、大統領不在が不在となった時期に首相として大統領の権限を代行していたメチアル氏が、この事件の関係者全てに恩赦を与え警察の捜査を停止させてしまったことで、闇に葬られてしまった。今でもこの事件の再捜査を求めた動きはあるようだが、実現は難しそうである。
チェコ側でもスロバキア側でも、毀誉褒貶のある二人の人物によって主導されたチェコとスロバキアの分離は、結果だけは悪くなかったというのが現在の評価だろうか。個人的には、ユーゴスラビアと並んで、チェコスロバキアという国名には思い入れがあるのだけど、分離してしまったから思い入れがあるのか、こちらが思い入れがあるような国は最初から分離への傾向をはらんでいたのか、悩ましいところである。
8月27日18時。
2017年08月28日
パベル・ネドビェットを巡るあれこれ(八月廿五日)
昨日だっただろうか。チェコテレビの7時のニュースを見ていたら、スポーツニュースでもないのに久しぶりにチェコサッカー界最後の英雄パベル・ネドビェットが登場した。この人の名前、これまでは日本の通例に倣って「ネドベド」と表記していたけれども、なんだか落ち着かないので、やはりチェコ語の発音に近づくように「ネドビェット」と書くことにした。末尾の「ト」を軽く発音するのがチェコ語風に響かせるコツである。
ネドビェットが前回一般ニュースに登場したのは、ゼマン大統領とともに中国に出かけた時以来だろうか。あのときは、チェコから送られた遣共使の献上物として、中国でサッカー関係の仕事をさせられたのだったか。下賜されたのは中国企業のチェコへの多額の出資だった。
そのときの仕事に関して、中国の企業と契約を交わしていたのに、謝礼が一コルナも払われていないということで、弁護士にその回収を依頼したらしい。契約を交わした相手の中国企業が、スラビア・プラハのオーナーになっている何とかいう投資会社で、そのチェコ支社の代表でスラビアのオーナーを務めるのがトブルディーク氏である。
ネドビェットが中国に向かったのも、ゼマン大統領の意を受けてなのか、中国企業の意向でなのかは知らないが、トブルディーク氏からの依頼だったようだ。トブルディーク氏は、すでに一部の謝礼は払っているし、残りの分については、契約の条項の中で満たされていないものがあるので、減額して支払う予定だとか反論しているようだ。ネドビェットのほうは、契約に書かれていたことはすべて実行したと言っているのにである。
このトブルディーク氏とネドビェットのどちらの言葉に信頼性があるかと言えば、もちろんネドビェットのほうである。トブルディーク氏なんて元政治家で、所属する社会民主党で孤立してほぼ引退状態になっていたのをゼマン大統領に中国との交渉役に引っ張り出してもらったような人物だよ(この辺は推測なので違うかもしれない)。政治家時代から自分が目立つことしか考えていないと批判されていたし、中国の国家主席がプラハに来たときの過剰なまでの歓迎もトブルディークの仕業だった。今回も目立つためにネドビェットを引っ張り出したに決まっている。詐欺かなんかで捕まってスラビアのオーナーもやめてくれんもんかと思う。中国企業もこんなのを選ぶなんて目がねえよなあ。
そのネドビェットが、えらいさんを務めているのがイタリアのユベントスなのだが、六月の時点では確実だといわれていたパトリック・シクの獲得が破談になった。健康診断で心臓に問題が発覚したらしい。ユベントス側では、そのため数週間の休養が必要になるとか言っていたけれども、ちょうど夏休みに入るところで、特に問題はなかったはずである。
それに対して所属するサンプドリアのオーナーは、シクは完璧に健康だと反論して、交渉を打ち切っていた。ユベントスに移籍しても、レンタルでサンプドリアに残ってプレーするということで話がついていたようだから、移籍金を下げるための交渉のつもりだったのかもしれない。
移籍が消えて傷心のシクをネドビェットが慰めたとか、シクはあまり気にせずにのんきに趣味の魚釣りに出かけていたとかいうニュースを挟んで、イタリアを中心としていくつかの有名クラブがシクの獲得に名乗りを上げたことが伝えられた。ナポリとかインテルとかの名前が聞こえていたのだけど、現時点ではASローマ行きが一番有力なのだそうだ。
シクの移籍問題は、チェコ代表の成績にも関係してくるから早めに決着をつけてほしいものである。U21のヨーロッパ選手権で期待されたほどの活躍ができなかったのも、A代表で監督のヤロリームを納得させられるだけのプレーができなかったのも、噂されていたユベントス移籍が関係しているに違いない。九月初めのワールドカップ予選も現時点では召集外になっている。
チェコ代表の弱点は、得点を計算できる選手が、コレルと一時期のバロシュ以来存在しないことにある。候補者だけは、ずらずらと何人も登場したけれども、一瞬の光芒を放って消えるか、実力の片鱗すら見せられないままに消えていくかで、コレルの後継者探しの道は尸累々と言った状態である。現在中心となっているシュコダにしても、クルメンチークにしても、コレルの後継者というにはまだまだである。できればこの辺を飛び越えてシクに代表のフォワード一番手として定着してもらいたいところなんだけどねえ。
移籍という自分だけではどうしようもない問題に、若いシクが振り回されないのは無理だろうけれども、その辺のフォローは、ユベントスからの罪滅ぼしということで経験豊富なネドビェットに期待してもいいのだろうか。ネドビェットも、スパルタからイタリアに移籍したときに、オーナーやらマネージャーやらの意向で、いろいろ大変だったらしいし。
8月27日11時。
2017年08月27日
クビトバーの左手(八月廿四日)
まずは、こちらの記事の写真をご覧いただきたい。スプラッタなのは苦手という方は見ないほうがいいかもしれない。
http://isport.blesk.cz/clanek/vip-sport/311165/kvitova-ukazala-jak-ji-lupic-zmrzacil-ukazovacek-drzel-na-vlasku.html
チェコのテニス選手のペトラ・クビトバーが昨年の十二月に強盗に入られ、左手をナイフで切られる大けがをしたという事件については、これまで何回か書いてきた。その手の怪我というのが、重症だとは言うものの、それがどんな怪我だったのかについては、それほど情報がなく想像するしかなかったし、正直な話想像するのも難しかった。
当初のニュースでは、選手生命を危惧される怪我だと言っていたのに、わずか半年ほどで復帰を遂げたことから、復帰後の戦績は決して安定したものではないけれども、最初に言われていたほどひどい怪我ではなかったのかもしれないなんてことを考えていた。それが、クビトバーが自ら公開したらしい怪我の様子を撮影したこの写真を見たら……。この写真、手術を行なった病院で、クビトバーが麻酔で眠りに落ちてから撮影したものだという。本人が怪我の状態を直接見ていないことを祈ろう。
それにしても、こんなにひどい怪我だったとは……。骨が見えるというか、かろうじてつながっている状態の指もあるし、この状態から復帰できたことだけでも奇跡じゃないのか。半年だと日常生活に支障がなくなるまで回復するだけでも大変そうである。血のにじむような涙を流しながらのリハビリを乗り越えて復帰したというのは、誇張でもなんでもなく単なる事実に過ぎなかったのだ。マネージャーを務める人物は、今だから言えるけどと前置きして、この左手の状態を見たときには到底復帰できるとは思えなかったと述懐していた。
それが、復帰できたのは、強盗事件が起こってから、クビトバーにかかわったすべての人々、救急隊の人たちから手術を担当した医師、リハビリを指導した人たちなどなどの努力の賜物だと言える。もちろん、一番讃えられるべきは、クビトバー本人の復帰を目指した強靭な意志と不断の努力である。さすがは、数々の苦難を乗り越えて哲学史に不滅の業績を残したコメンスキーと並ぶフルネク市の名誉市民だけある。
そうなると唯一の不満は、いまだ犯人を捕らえられないどころか、捜査自体が行き詰っているらしい警察に向かう。所詮政策捜査にすぎないバビシュ氏の事件なんかよりも、このクビトバーを怪我させた犯人を見つける方がはるかに大切だろうに、管轄の内務大臣は何をやっているのだろうか。警察の全力を傾けてでも犯人を捕まえろよ。
こんなものを見せられると、今年のチェコのスポーツ界の最大の出来事はこれで決まりである。カロリーナ・プリーシュコバーがチェコ人としては初めて世界ランキングの一位になったのも、ルツィエ・シャファージョバーがダブルスの世界一位になったのも、これに比べれば特筆するようなことではない。他のスポーツに目を向けても、最近バルボラ・シュポターコバーが陸上の世界選手権のやり投げて優勝し、男子でバドレイフとフリドリフが銀メダルと銅メダルを獲得したのも、どれもこれも大したことではないように見えてくる。
今後、クビトバーのことは成績が上がらなくても、無条件で応援していくことになりそうだ。とにかく元気で試合に出場している姿が見られる、それだけで十分だと思わせてくれる。このクビトバーの絶望からの復活劇が、来年のウィンブルドンでの優勝という形で大団円を迎えることを、ちょっと気が早いけれども、祈って今日の分はお仕舞いにする。
8月25日23時。
2017年08月26日
接頭辞の迷宮第一期最終回(八月廿三日)
接頭辞のことばかり書いていても切りがないので、それにチェコ語頭を使って文章を書くのに疲れてしまったし、今回でこのテーマについては一区切りつけることにする。そもそもこのブログは自分の日本語頭の再生のために書いているのだから、たまにだったらいいけど、チェコ語で考えながら日本語で書くのは、ちょっと目的から外れてしまうのである。
いや、ちょっと今、ややこしい文章をチェコ語で書いていて、チェコ語のことを考えるのが面倒くさくなったという面もあるのかな。最初は相乗効果と言うかなんと言うか、結構うまくいっていたのだけど、だんだんだんだんうんざりしてきたのである。チェコ語は好きだけど、たまには忘れたくなることもあるのだよ。と言って日本語での読書に没頭していたのが今の苦境の原因なのか……。
さて、今回は今まで取り上げた接頭辞の反対の意味を持つものについて簡単に触れておく。昨日の分で書いたように、上へ向かう「vy」の反対は、「s」である。「jezdit(=乗り物で行く)」に「s」を付けてちょっと変形させた「sjí?d?t」から派生した名詞「sjezd」は、アルペンスキーの滑降を意味する。一気に滑り降りていくことを「s」で表しているわけだ。チェコ語の残念なところは、派生動詞が普通に「sjezdit」にならないところで、これが「sjezdit」だったら、最初から最後まで統一感があってわかりやすかったのに。他にも下のカテゴリーに降格するときに使う「sestoupit」、跳び下りるときに使う「sesko?it」あたりにこの接頭辞の下へ向かう動きがよく表れている。
この「s」は、現在のチェコ語では前置詞として使うと「〜と共に」と言う意味を表す。それが接頭辞として使うと「下へ」という意味になるのは、かつてのチェコ語では、前置詞も「下へ」という意味で使われることがあったからだという。その使い方が非常に難しく、現在では意味の重なる部分の多かった前置詞「z」に吸収されてしまって、よほど古いテキストでも読まない限り出てくることはないらしい。ただ耳で聞くだけだと「z」が無声化して「s」と区別がつかなくなることが多いんだけどね。
現在の前置詞の意味に近い接頭辞の「s」もあって、二つ以上のものが集まって来るとき、二つ以上の等価のものが結びつくときに使われる。「sejít」はいわゆる再帰の代名詞「se」と共に使って、集まるという意味になるし、「sbírat」は集めるという意味で、派生した名詞「sbírka」は集められたもの、つまりコレクションを意味することになる。「?íst(=読む)」につけると、なぜか「合計する」という意味になるけれども、「s」の意味自体は反映されている。
上ではなく、外に向かう「vy」の反対は、中に入る「v」だが、部屋の中に入る時などに使う「vstoupit」、銀行にお金を預けたり出資したりするときに使う「vlo?it」あたりがわかりやすいだろう。「立ち入り禁止」の意味で使われる「vstup zakázán」の「vstup」は「vstoupit」の派生語だし、貯金の意味で使われる「vklad」は「vlo?it」の不完了態「vkládat」からできた言葉である。そうだ。もう一つわかりやすい例があった。サッカーの用語のスローインは、チェコ語では「vhazování」という。不完了態の動詞「vhazovat(=投げ入れる)」からできた言葉である。反対はもちろん「vykopat(=蹴りだす)」である。
その前に取り上げた「p?e」と「do」については反対の意味が定義しにくいので置いておいて、最初の「p?i」に戻ろう。この接頭辞の反対の意味を加えるのは「od」である。前置詞だと場所的な意味でも時間的な意味でも「〜から」を意味するので、対義語は「do」になるのだけど、接頭辞の場合には「p?i」になるのである。これだからチェコ語ってのは……。
この接頭辞は、全体から小さな部分が外れていく動き、基準点から離れていく動きを示している。だから、インターネットに接続されているPCを外す時には「odpojit」を使うし、合計の数字から特定の数値を引き算するときには「ode?íst」を使う。こんなの経費の精算か税金の計算のときしか使わないかもしれないけどさ。それから、動作主がいる場所を基準としてそこから離れるという意味では「odejít」が使われる。日本語にすると「行く」「帰る」「出発する」など文脈によっていろいろ訳せる言葉である。旅に出るためにその場所を離れる場合には「odcestovat」なんてのも使えるか。これもサッカーを使うと、自陣のゴール前から遠くに蹴りだすのを「odkopat」と言う。ゴールを基準にしてそこから離れる方向ということなのだろう。
ということで、チェコ語の迷宮接頭辞編の第一期はこれでおしまいである。いつ第二期が始まるのかは、そもそも始まるかどうかは、このブログがいつまで続くか、そしてネタがいつ尽きるかにかかっている。最近二日前の記事を書いていることが多いしさ。
8月25日16時。
2017年08月25日
接頭辞の迷宮四(八月廿二日)
一日間を挟んだけれども、せっかくなのでもう少し続ける。よく考えたら接頭辞なんてややこしいことを始める前に、もっとくわしく前置詞の説明をしておいたほうがよかったかもしれないなんてことも考えたのだけど、こんな文章を読むのは、最後まで読んでくれる人は、多分チェコ語を勉強している人ぐらいだろうから、いいとい言えばいいのかな。前置詞もすでに書いたこと以外にも、感覚がつかめなくて苦労するのはあるから、いずれ書くことになるかもしれない。おそらくないとは思うけれども、これらの文章がチェコ語を勉強する人の助け、もしくは気休めにでもなれば幸いである。
さて、第四回目は「vy」にしよう。この接頭辞は、互いに関連付けるのが難しい二つの意味を付け加える。一つは中から外へという動きを表ス使い方で、もう一つは上に向かう動きを表す使い方で、ある。この接頭辞をつけた動詞は、両方の意味で使われることが多い。
歩いていく「vyjít」も車で行く「vyjet」も、「上に向かって行く」という意味でも、「外に出て行く」という意味でも使われる。「ven(=外に)」「nahoru(=上に)」という副詞を一緒に使ってわかりやすくすることが多いけど、文脈からも理解できそうである。
辞書を見ると「這う」という訳語のついている「lézt」に「vy」をつけた「vylézt」は、辞書には「這い出る」「這い登る」なんて訳語が挙げられているけれども、別に這う必要はない。登るほうは木に登ったり、険しい山に登ったりするとき、つまり足で歩くだけでなく手も使う必要があるときに使うと考えればいい。よじ登るなんて言い方がいいかもしれない。それに山に登るときには、特に手を使わなくても「vylézt」を使っているような気がする。
それから外に出るほうも、部屋に閉じこもっている人に「出てこい」という意味で、「vylézt」の命令形を使うこともあるので、取り立てて四足になる必要はない。もちろんベッドやソファーの下にもぐりこんだペットの犬や猫に対して使えば、四足の「這い出る」になるけれども、人間がどこかから這い出る状況というのは滅多にあるまい。
プラハの地下鉄の車内放送で、「Ukon?ete nástup a výstup, dve?e se zavírají」というのを聴いたことのある人は多いだろう。「乗車、降車を終わらせてください。ドアが閉まります」という意味だが、このうち「výstup」が降車にあたり、動詞「vystoupit」から派生した名詞である。「vystoupit」は、「電車を降りる」ととらえるよりも、電車の中から「外に出る」ことをさしているのだと考えたほうが接頭辞の「vy」が理解しやすくなる。またこの動詞は演劇などの「公演をする」という意味でも使うが、これは舞台に「上がる」という意味だととらえればよかろう。
「vytáhnout」は「引き出す」だけでなく、「上に引っ張る」という意味でも使えそうだが、「vybrat(=選び出す)」の場合は、上に向かう意味を付け加えるのは難しそうだ。逆に「vyhrát(=勝つ)」は、勝つというのは相手の上を行くことだと考えれば、上に向かう意味が加わったと解釈してもよさそうだけど、外に向かうのは想定できない。
たまに「vy」が付け加える二つの意味に共通する要素、語源的なものがないのか考えてみるが、答えは出てこない。おそらく別々の起源なのだろう。外の反対、中に向かう動きを表す接頭辞は「v」だし、上の反対、下に向かう動きを表すのは「s」なのである。例えば、発音の関係で「e」が入るけど、「vejít」は中に入るという意味で、「sejít」は下に下りるという意味を持つ。
他にもあれこれ「vy」のつく動詞はあって、中には上にも外にも向かわないものもある。こじつけてこじつけられるものもあるけれども、こじつけられないものもある。それでも、「vy」のつく動詞は上か外と覚えておけば、知らない動詞でも何とか意味が取れることがある。
ちなみにこの「vy」のつく動詞の中でのお気に入りは「vyhnat(=追放する)」である。いや正確にはこれから派生した名詞の「vyhnanství」である。古代ギリシャの陶片追放とか確かこの言葉で表現しているのを見て妙に気に入ってしまったのであった。
8月24日23時。
2017年08月24日
八月廿一日(八月廿一日)
久しぶりに日付のネタであるけれども、この8月21日という日付は、チェコ人にとって、チェコの歴史にとって、日本の8月6日、9日、もしくは15日と同じような意味を持つ日である。
1968年のプラハの春と呼ばれた社会主義内部における改革運動については、「人間の顔をした社会主義」というスローガンと共に日本でもよく知られていることだろう。少なくとも30年ほど前の高校の世界史で勉強したのは確実なので、同世代の人たちは知っているはずである。
そして、プラハの春が、行き過ぎた民主化をとがめられ、ワルシャワ条約機構加盟国の軍隊の侵攻によって強制的に終了させられたことも知っているだろう。そのソ連軍を筆頭に、ポーランドや東ドイツなどの軍隊が、チェコスロバキアの国境を越えて侵攻してきたのが、8月21日なのである。この時期に大学生だったという知人は、プラハの春の支援ということで募金活動をしたことがあるなんて言っていたけれども、誰にどうやって集めたお金を送ったのだろうか。
とまれ、毎年この日になると、当時の出来事を振り返るニュースが放送され、関連する番組も放送される。今年はチェコ人の間にカルト的な人気を誇る映画「ペリーシュキ」がチェコテレビ1で放送された。この映画は、プラハの春で多少緩和された雰囲気のなかで始まり、ワルシャワ条約機構軍の侵攻によってプラハの春の試みが完全に終結した荒んだ雰囲気の中で終わる。誰が主人公なのかははっきりとしないけれども、共産主義を支持する側の人物も、反対する側の人物も出てくる。最後に、支持者は共産主義に絶望して自殺未遂を起こし、反対者はイギリスに旅行に出たまま帰国できなくなる。
問題は、登場人物のほとんどが、共産主義を支持する人物も、反共産主義の人物も含めて、みんなエキセントリックであるところである。比較的まともに見えるのがボレク・ポリーフカ演じる人物なのだから。まあ登場するのが変人ばかりってのはチェコの映画の特徴といえばその通りなのだけど、この映画はそんなチェコ映画の中でも、変人の度合いが高いのである。だから、大部分のチェコ人は大絶賛するけれども、奇矯にすぎると嫌うチェコ人も一部いるのである。
個人的には、登場人物の奇矯さも含めて全体的に作られたあざとさが感じられてあまり好きではないのだけど、チェコ人の中には登場する特徴的な台詞を覚えていて、突然引用したりする奴らがいる。そんなのまチェコ人同士でやるべきことであって、外国人を巻き込むなと言いたくなる。突然「ニョッキ」と「クネドリーチキ」の違いを語られても反応のしようがない。
その「ペリーシュキ」でBGMとして耳に残るのは、オリンピックというチェコ的には超有名なバンドの曲なんだけど、1968年のプラハの春を象徴する歌手と言ったら亡命を余儀なくされたカレル・クリルだろうと言いたくなる。「ペリーシュキ」のようなコメディにクリルが合わないのは確かにその通りだし、クリルはプラハの春そのものよりも、その後のソ連軍への抵抗のシンボルだと言ったほうが正しい。
そんなことを考えていたら、「ペリーシュキ」が終わるぐらいの時間から、チェコテレビの芸術系チャンネルのアートで、1989年の革命直後の12月にオストラバで開催されたカレル・クリルと、ヤロミール・ノハビツァのコンサートの様子を収めたドキュメンタリー番組が放送された。同じようなフォーク系の歌手であるオストラバ出身のノハビツァの招待でオストラバでのコンサートが実現したのだろうか。
印象的だったのは、観客の多くが、クリルが歌うのに合わせて一緒に歌っていたことだ。歌わない人々も集中して歌に聞き入っており、現在のコンサートの聴衆とは一線を画しているように思われた。亡命したクリルの歌は、亡命以前に発表されたものも、いわゆる正常化の時代には禁じられていたはずだし、亡命後にドイツで発表した曲がチェコスロバキア国内で販売されたとも思えない。それなのに、ビロード革命直後に帰国したばかりのクリルの歌をこれだけの人が、一緒に歌えるレベルで知っていたというのは、奇跡的なことのように思える。それだけ、地下の抵抗運動というものが盛んだったことを示しているのだろう。
こういう番組の流れを見ていると、それだけではないけれども、チェコ人の歴史意識の中に、ビロード革命を、プラハの春に直結させる考えがあるように見えてくる。68年のソ連軍の侵攻と、その後の駐屯、正常化の時代がなければ……というのは誰しも考えることなのだろう。そして、その意識が強くなりすぎると、1968年から89年の出来事をなかったことにしてしまうことになりかねない。それが、オリンピックなんかよりも遥に伝説と呼ぶにふさわしいカレル・クリルの曲を聴く機会があまりない理由かもしれないなんてことを考えてしまった。
8月23日18時。
またまたどうでもいい話になってしまった。8月23日追記。
2017年08月23日
接頭辞の迷宮三(八月廿日)
続いては、「do」を取り上げることにする。前置詞として使う場合には、「〜まで」という意味で、場所を表す場合にも、時間をあらわす場合にも使うことができる。行き先の場所を表す場合のややこしさについては以前書いたことがあるが、閉鎖的な空間の中に向かう場合に使うとチェコ人は言う。例外も多く納得できない部分もあるのだが、そういうものだということにしておく。
それに対して、前置詞として使った場合には、「最後までする」という意味を付け加える。問題はこの最後までに微妙な意味の揺れがあるところである。
昔、師匠とその旦那と一緒に話をしていたときに、旦那が、自分は家族と一緒にレストランに食事に行ってもビールしか頼まないという。その理由は、師匠と娘さんが頼んだものを食べきれないからだという。旦那は師匠と娘さんが残したものを、食べなければいけないので、自分の食べるものを注文できないのだと言っていた。師匠に言わせると度し難い酒飲みの言い訳の面もあるようだったけど、残されたものを食べるというところに、旦那は「dojíst」という動詞を使っていた。
それから、スポーツの試合の中継の最後のほうで、「試合をおわらせようとしている」というような意味で、不完了態の「dohrávat」を使っていた。この二つの事例から、「do」を付けた場合は、最後までするは最後までするでも、途中まで進んだ状態から最後まで終わらせるという意味なのだろうと考えていた。
だから「dob?hnout」は、スタートのことは意識しないでゴールまで走りぬくことを表すときに使うし、「dopít」は飲み始めてある程度残っているビールを(ビールじゃなくてもいいけど)全部飲んでしまったら帰るとかいうときに使うし、「domluvit」は、自分が話している途中に割り込まれて、最後まで話させろというときに使う。いや少なくともそんなときに使ってきた。
それが、これもスポーツの中継を見ていたときに、怪我で退場してしまった選手や、途中交代の選手に対して、「dohrát」の過去形を使っているのに気づいた。この選手にとって試合が終わってしまったという意味で、最後までプレーしたということなのだろう。つまり途中で、何らかの事情でやめてしまうときにも、使えるのだ。
考えてみれば、明確に最後が決まっている動作というものはそれほど多くない。例えば文章を書いていて、これでお仕舞いというのを決めるのは書き手であって、そこに明確な基準はない。話し合いをするときにも、時間制限で終わることもあるけれども、延長されることもあるし、制限時間前に合意して話し合いが終わってしまうこともある。そういうところから、状況によって終了を余儀なくされるとか、自分の意志でここまでだと決めてしまうときにも使われるようになったのだろう。
だから、同じ最後まで読むでも「p?e?íst」の場合には、本当に最後まで読む場合に使うけれども、「do?íst」は、読んでいる途中でこれ以上読んでも仕方がないと判断してやめるときにも使えるのだ。もちろん残りの部分を最後まで読んでしまうという場合にも使えるけれども。
その辺の「do」のつく動詞の意味の微妙さが、チェコの人が日本語でしゃべっていて、「禁煙する」という意味で、「煙草を吸い終わる」と言うのにつながっているのだろう。確かに、禁煙も自分の意志でこれで煙草はおしまいだと決めることではあるのだけど、日本語の補助動詞の「終わる」とチェコ語の接頭辞の「do」の意味するところは完全には重ならないのだ。
最初はよくわからなかった「dojít」の「なくなる」と言う意味での使い方も、体力や気力が尽きると、動けなくなって動作が強制的に終了されるというところから、派生した意味なのだろうと推測できるようになった。初めて、「došla mi síla」とか言われたときには、力尽きたということではなくて、自分のところに力が届いたと言いたいものだと思ったのだけど。
ということで、この「do」のつく動詞は、文脈を見て解釈する必要があるので、結構厄介なのである。自分では「やめる」という意味ではこの手の動詞を使わないことにしているので、使うときにはいいんだけど、聞いてとっさに理解するのが大変なのである。
8月22日18時。
2017年08月22日
接頭辞の迷宮二(八月十九日)
二番目に取り上げるのは何にしようかと考えて、「p?i」に似ているから「p?e」にすることにした。
「p?edat」は、物を手渡すときに使い、「p?ejít」は道を横切って反対側にわたるときに使う。この二つの例から考えると、「p?e」の追加する意味は、一つの側から反対側への移動であるように思われる。「p?edat」だって、物が渡す側から渡される側へと移動するのだから。
しかし、「p?ekro?it」が境界を越えていくという意味で、「p?esko?it」が飛び越えるという意味であることを考えると、ただ反対側に移動するというのではなく、間にあるものを越えて反対側に行くと考えたほうがいいかもしれない。
確かに「p?ejít」は橋を渡るときにも使えるが、橋を渡ることによって川を越えているし、スポーツの試合などで使われる「p?est?elit」は、シュートがゴールの上を越えていく場合に使われる。「翻訳する」という意味の「p?elo?it」は、言語の壁を越えて一つの言葉からもう一つの言葉に訳すと考えればよさそうだ。ちょっと悩むのが「最後まで読む」という意味の「p?e?íst」なのだが、読むことで本の内容を越えて表紙から裏表紙に到達すると考えればいいのかな。
この意味での接頭辞としての「p?e」は、名刺にもつけられることがあり、「p?echod」は道を渡るための横断歩道、「p?ejezd」は線路を越えていく踏み切りと言うことになる。ただこの二つの言葉は、名詞に接頭辞をつけたものなのか、接頭辞のついた動詞が名詞化したものなのか、チェコ人ならぬ身には判然としないのだけど。
さて「p?e」が「越える」という意味を付け加えるのなら、前置詞「p?es」との関連が見えてくる。この前置詞は、「〜を越えて/超えて」とか、「〜越しに」なんて意味を持つわけだが、限界を超える、つまりやりすぎてしまうときにも、この接頭辞が使われる。「p?ejíst se(=食べ過ぎる)」、「p?epít se(=飲みすぎる)」なんていうのはわかりやすいだろう。「se」がつく理由はわからんけどさ。
同じように、美しいという意味の形容詞「krásný」につけて、「とても美しい/美しすぎる」という意味の「p?ekrásný」ができるという話を聞いたときには、古すぎるという意味で「p?estarý」も仕えるんじゃないかと思いついたが、師匠によれば「prastarý」を使うのだという。他にもいろいろな形容詞に付けてみたけど、あんまり実用的なものはなかった。
ただし、動詞を起源とする形容詞なら、「p?epln?ný(=込みすぎている)」、「p?ekombinovaný(=組み合わせが複雑すぎる)」、「 p?epracovaný(=働きすぎて疲れている)」などなどいろいろな例が挙げられる。他動詞、もしくは使役の意味を持つ動詞から受身形を経て形容詞が作られるというのも、
ここで問題になるのが、「p?e」の持つもう一つの意味である。例えば、「p?epracovat」は「se」をつけて働きすぎるという意味になるが、「p?epracovat」だけで作り直すという意味でも使える。つまり、「もう一度やり直す」という意味があるのである。これと「越える」という意味の関連性が見出せていないのだけど、現在の状況を越えるためにやり直すということだろうか。いかんせん、ここまでくると、こじつけ過ぎろいう感じが否めない。この意味で使う例としては、他にも「p?epsat(=書き直す/書き写す)」や、「p?estav?t(=建て替える/改築する)」あたりが挙げられる。
最後に最大の問題となる「p?estat」を挙げておく。これは今までしていたことを「やめる」という意味で使われるのだが、これと「越える」「もう一度やり直す」という接頭辞「p?e」のつく動詞にある程度共通する追加された意味との関連が全く見えない。これだけ特別なものとしてカテゴリーすればいいといえばその通りなのだけど、なんだか悔しいので、今後も折を見て何かいい解釈がないか考えていきたい。そんなことしてもチェコ語はちっとも上手にはならないと思うんだけどね。
8月20日19時。