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2019年06月30日

仕事靴(六月廿八日)



 こんな言葉ないよなあと思いつつ、チェコ語の「pracovní boty」を直訳して題名にしておく。日本語にも特別な言い方があるような気もするのだが、ここ一月ほどの繰り返す暑さに解けてしまった脳みそでは思いつけそうもない。
 今年の六月は暑い。気温が下がることもあるけれども、暑い日は過去最高の温度を記録するぐらい暑い。アフリカからの熱波がアルプスを越えて、空気の温度が高くなっているだけでなく、日照時間が長いために地面や建物が熱せられて熱を持っているため、気温が下がっても涼しさがあまり感じられなくなってきている。

 その熱を持った地面や建物の影響を一番受けるのが、常に地面や床に接している足で、職場まで歩いていくだけで靴の中が暑くてたまらなくなる。椅子に座っていることの多い仕事だから、靴も靴下も脱いでしまっても問題はないのだけど、トイレなどで席を立つたびに、いちいち脱いだ靴を履きなおすのも手間だし、さすがに裸足で歩き回る気にはなれない。
 それで、このまえハイヒールについて書いたときに、件の知り合いが、就職してからは職場で靴を履き替えていると言っていたのを思い出した。それから、昔某社の工場で通訳のアルバイトをしていたときは、工場内で怪我をしないようにという理由で、安全靴というものに履き替えさせられていた。その靴が足にまったく合わずに、履いて立っているだけでも足が痛くなるという代物だったのはともかくとして、職場で、高校までと同じように上履きに履き替えれば多少は快適になるのではないかと思いついた。

 暑さを感じないと言う意味での快適さでは、高校の上履きだったスリッパなのだろうけど、あれはちょっと歩きにくい。ということでサンダルを仕事用の靴として導入することにした。サンダルで外を歩くのはあまり好きではないので、日本から持ってきたのがこわれて以来、新しいのは買っていなかったのだが、発作的にガレリエ・モリツの靴屋に足を運んで、とりあえずサイズがあるモノのうち一番安いのを買ってしまった。室内用なので安いので十分である。
 それから、約二週間、もっと早く思いついていれば楽だったのにと後悔する今年きりである。職場についたらサンダルに履き替え、夕方帰る前にまた靴に履き替えるというのは、所用で外に出るときにも靴に履き替えるから、多少の面倒ではあるのだけど、仕事中に足が熱くて不快感を感じることはなくなったことを考えれば、十分おつりがくる。

 問題はマジックテープで止めるタイプで、ズボンによっては引っかかってしまうことと、小指の外側に靴擦れができかかっていることぐらいである。靴擦れは靴下を履けばいいのだろうけど、サンダルに靴下というのは、チェコ人の悪習らしいので、避けたほうがいいらしい。チェコ国外でも、夏の観光地でサンダルに靴下という姿の人を見かけたら、ほぼ間違いなくチェコ人だと考えていいなんていう笑い話も聞いたことがある。ウィーンの真ん中で、ジャージ着てスーパーのビニール袋からアルミホイルに包まれたパンにとんかつを載せたお弁当を取り出すのもチェコ人だったかな。

 もちろん、このサンダルの仕事靴を履くのは暑いときだけである。部屋の中とはいえ冬の寒さの厳しい中、サンダルで過ごすのはごめんである。だから、一年うち長くても半年ぐらいしか履かないことになりそうだけど、この二週間、実質十日で十分元は取れたから、気にする必要はない。去年から服だの靴だのあれこれ買ってきたけど、購入直後の満足度の高さではこれが一番かもしれない。久しぶりにいい買い物したということにしておこう。
 相変わらず、文章の閉じ方が下手糞である。今日のは内容もぐだぐだだったけどさ。
2019年6月29日24時。





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posted by olomou?an at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年06月29日

文化大臣その後(六月廿七日)



 ANOと社会民主党の閣僚からなるバビシュ内閣は、水曜日の内閣不信任案が否決されることで継続することが決まった。この内閣、成立してから一年しかたたないというのに、すでに7人もの大臣が交替しているという問題の多い内閣である。交代のうちのいくつかは就任直後に、大学の卒業論文での剽窃が問題になって辞任を余儀なくされたとか、ゼマン大統領が社会民主党がノミネートした外務大臣の任免を拒否したために暫定で務めていたハマーチェク氏が交替したものなので、大臣としての仕事に問題があって解任された人はそれほど多くはないのだけど。
 仕事に問題があって辞任を余儀なくされた現時点で最後の大臣が、文化大臣のスタニェク氏である。その辞任をゼマン大統領が拒否したという話はすでに書いた。その後、首相のバビシュ氏は、社会民主党の要求に応えて、大統領に解任を求めたらしい。ここまでは、6月の初めにニュースで確認していたのだが、その後いつまでたっても文化大臣が交替したとか、交代するとかいう話が聞こえてこない。

 スタニェク氏自身は、自らが設定した五月末日を越えて大臣であり続けていることについて、自分は党首のハマーチェク氏の決定を尊重して辞表を提出したのであって、その辞任が認められていないことに関しては自分ではどうしようもないというようは発言をしている。辞表を提出した後にゼマン大統領と会談を持っているはずなのだが、その具体的な内容に関しては、言葉を濁してはっきりしたことを言おうとしない。
 この状況で、しかも不信任案が否決された翌日に、社会民主党は、文化大臣の交代を政権にとどまる条件としてバビシュ氏に突き付けたらしい。スタニェク氏の解任とシュマルダの就任が早急に実現しなかったら、自党の閣僚を引き上げて内閣を倒すというのである。全く理解できないのは、大統領がずるずると決定を引き延ばしているのを、総理大臣の責任にしていることで、総理大臣に大統領と交渉して実現させろとでもいうのだろうか。それとも、バビシュ内閣の存続を強く支持しているゼマン大統領に圧力をかけているつもりなのだろうか。

 いずれにしても、こういうのは不信任案の議決の前に交渉したほうが効果的だっただろうし、いや実際議決の前にも条件として出していたような気がする。否決の後にそれを改めて持ち出してくるあたり、社会民主党の混乱ぶりが表れていると言っていい。しかも自党が就任させた文化大臣をこんな形で公開処刑にしてしまっているわけだから、スタニェク氏やその周囲の人たちが社会民主党を離れるだけでなく、一般の支持者の中にも嫌悪を感じる人たちもいそうだ。
 仮に、本気でスタニェク氏の解任とシュマルダ氏の就任が、社会民主党にとって必要だというのなら、副総理の肩書まで持っている党首のハマーチェク氏が、ゼマン大統領と直接交渉するべきであろうに、自党のことでありながら、しかもゼマン大統領は社会民主党の出身なのに、責任をバビシュ氏に押し付けている感もある。もちろん、バビシュ氏の社会民主党が決めることだから、俺には関係ない的な態度も、総理大臣としては無責任極まりないのだけど。

 では、ゼマン大統領がどういう根拠で、スタニェク氏の解任を引き延ばしているかというと、最初に聞いたときには冗談だろうと思ったのだが、いつまでに解任しなければならないとはどこにも書かれていないというものだった。つまり、首相が大臣の解任を求めた場合、大統領は解任の手続きをしなければならないということは決められているが、それをいつまでに、求められてから何日以内に実行しなければならないということは決められていないから、自分は法律や憲法に違反するようなことはしていないというのである。さすがゼマン大統領と言うかなんと言うか。
 ゼマン大統領は、大規模な反政府デモが行われていても、内閣不信任案が国会に提出されても、どんな根拠があるのか、各地でバビシュ内閣は次に下院の総選挙が行われる2021年までの任期を全うすると断言している。バビシュ政権は今後もあれこれ問題を起こして不信任案を突きつけられる可能性が高く、同時に与党の一角を占める社会民主党が政権を離脱する可能性も低くはないのにもかかわらず、何故断言できるのだろうと考えて、ちょっと嫌な想像をしてしまった。

 総理大臣が大臣の辞表を受理しなくてもよく、解任を求められてもいつ解任するかは大統領次第だというのなら、内閣不信任案が可決されて内閣総辞職ということになった場合も直ぐに辞任を認める必要はないし、社会民主党の大臣たちが辞表を提出しても拒否することができると考えているのではなかろうか。それなら確実にバビシュ政権は任期を全うできる。
 ゼマン大統領の一期目の任期中にネチャス内閣が辞任したときに、慣例に反して、むりやり暫定内閣を成立させたのにも、滅茶苦茶やるなあという感想を抱いたものだが、二期目に入ってからの滅茶苦茶振りはさらに上をいく。アンチ・ゼマンではないのだけど、さすがにそれはまずいだろうといいたくなる言動が増えている。

 とりあえずは、ゼマン大統領が文化大臣を解任して、バビシュ内閣が継続することを祈っておこう。一番の望みは解散総選挙なんだけど、今の大統領の言動から考えると実現しそうにないしさ。
2019年6月28日24時。











2019年06月28日

内閣不信任案再度否決(六月廿六日)



 バビシュ政権成立からまだ一年ほどしかたっていないのだが、すでに二回目の不信任案が国会に提出された。日本の野党が会期末になると、決まって通過儀礼のように不信任案を提出して、大した混乱もなく否決されて終わるらしいのと違って、チェコの国会で不信任案が提出されるのは、原則として大きな問題が発生したときに限られる。
 前回は、わけのわからないままうやむやに終わってしまったバビシュ氏の成人した息子がアグロフェルト関係者によって「誘拐され」、ロシアが併合したクリミア半島で軟禁されていたという疑惑が報道されたときで、社会民主党が採決に参加しないという理解不能な行動に出た以外は、党派の枠を超えた動きはなく、予想通り否決され、疑惑自体も尻すぼみになってしまった。あれだけ大騒ぎをしていたのだから、ちゃんとした結論が出てくるかと期待していたのだが、どうなったのだろう?

 今回は、EUが行った監査で、バビシュ氏と、バビシュ氏の手を形だけは離れたことになっているアグロフェルト社の関係が、チェコレベルではなく、ヨーロッパレベルでも問題にされうるものであるという、現時点ではまだ非公式の監査結果が出たことを受けての、不信任案の提出なのだが、当初野党側は、可決される可能性は全くないから不信任案は提出しないと言っていた。不信任案の提出を主張していたのは海賊党だけだったかなあ。
 状況が変わったのは、反バビシュ政権のデモが、プラハのバーツラフ広場を初めとして、チェコ全土に広がり、その集大成として6月23日にプラハのレトナーで大抗議集会が行なわれることが決まったからだろう。1989年に反共産党の抗議集会が行なわれてからちょうど30年目の今年、同じプラハのレトナーで、反政府集会が行われるというのはなかなか象徴的で、それに合わせる形で、デモが終わった後の水曜日に、不信任案の審議が行なわれることになった。

 この日程が意図的なものだったのか、煮え切らない野党が決断するのに時間がかかってこうなったのかはわからない。ただ今回のデモが1989年のできごとを思い起こさせるのは確かであるにしても、一点だけ大きく違うところがある。それは、1989年は、それこそ一部の共産党員を除いて、ほとんどすべての国民が、直接参加はしなくても、デモの参加者と要求を同じくしていたのに対して、今回は25万人以上の人を集めたとはいえ、国民の最低でも3割程度のバビシュ氏支持者は、デモを全く無駄なものとして認識しているという点である。デモさえもチェコ社会が分断されている象徴になってしまっている。
 だからと順接でつなげるのは正しくはないのだろうが、市民民主党、海賊党を中心とする5党が共同で提出した内閣不信任案は、オカムラ党を味方につけたとはいえ、ANOと社会民主党を切り崩すことができず、予想通り、もしくは予定通り、否決された。ただし、否決されたのは廿七日になってからのことで、後で確認したら午前四時まで審議と採決が続いたらしい。消費税導入時の日本の国会で炸裂した野党の牛歩戦術並みに無駄に時間を使ったものである。
 夕方7時ごろ、うちに帰ったらテレビがついていて、チェコテレビ24が国会中継をやっていたのだけど、次々に与野党の議員が壇上に上って、演説、というか、政府批判と、政府応援を交互に延々と繰り返していた。途中に批判された大臣の反論が入ることもあったし、一人で延々一時間近くも喋り続ける人もいたし、どう考えてもすぐには終わりそうにないということでチャンネルを変えたのだった。

 実は、夕方の5時ごろに職場でセズナムを開いたら、「?SSD nakonec vládu nepo…」という見出しがあって、バビシュ政権が倒れるのかと驚いて記事を読んでみたら、大いなる勘違いだった。見出しをちゃんと最後まで読まなかったのがいけないのだけど、「nepodpo?í」で、「社会民主党は結局政府を支持しない」という意味だと思ったら、「nepolo?í」で「倒さない」だった。内閣不信任案が成立して、解散総選挙を期待する気持ちが誤解させたのだろうか。
 野党側の敗因は問題の発生から時間を置きすぎたことだろう。慎重に検討したといえば聞こえはいいけれども、それによってANOと社会民主党に党内を固める時間を与えてしまった。バビシュ氏の問題がEUレベルで問題にされるというのは、ANOや社会民主党の議員も動揺させたはずである。缶発をおかずに不信任案を提出できていたら、造反も期待できたんじゃないかと思うのだけど。まあ、現時点ではどの政党も総選挙は望んでいないようだから、野党にとっても否決されたのは、予定調和的に都合がよかったとは言えそうである。

 暑さと眠さで何を書いているかわからなくなってきたので、まとまりがついていないような気もするし、もう少し書いておきたいことがあったような気もするのだがこれでおしまい。
2019年6月27日23時。






2019年06月27日

年金問題(六月廿四日)



 チェコではまっとうな仕事をしているので、税金だけでなく年金などの社会保障費も天引きされていて、仮に支払いたくないと思っても払わずに済ませる手はないのだけど、日本にいたころは、天引きだったのは税金だけで、年金は自分で手続きして払うことになっていたから、一時の例外を除いて払っていなかった。
 それは、年金がもらえるようになる年齢まで生き延びるつもりがなかったというのもあるけれども、すでに90年代の初めには公的年金制度が機能不全に陥っていて、崩壊するのが目に見えていたからでもある。知人の話を聞いていると、90年代までに年金生活に入った人に関しては、年金に不満とか不安の声は出てこなかったけど、これから年金をもらうという人たちは、すでに自分が払った分が年金として戻ってくるのかどうかさえ不安がっていた。
 そうなると、当時年金を払い始めた我々の世代が、年金をもらうころには、生活していけるだけの額がもらえないのはもちろん、自分が納めた分さえ戻ってこないのは確実で、それなら貯めた分は戻ってくる銀行に貯金しておいた方がましだと考えたのである。まだ国民年金の支払いは任意で、強制ではなかったはずだからそんなことができたのだけど。義務化されて罰則が設けられる前に日本を逃げ出すことができて万々歳である。チェコでもらえるかどうかわからない年金を払っているのに抵抗がないとは言わないが、外国人として住まわせてもらっている以上は、その国の制度に従うべきであろう。

 だから、最近の日本が年金が足りないとかで大騒ぎをしているのを見ても、今頃何を言っているのだろうとしか思えない。すでに80年代の終わり、もしくは90年代の初めには、今のままの給付水準を保っていたら、近い将来破綻するという報道はなされていたのに、対処されることなく放置されてきたようだ。対処としては義務化と強制徴収が始まったのかな。
 日本の年金制度については、ほとんど知識がないので、当時破たんの恐れがあると言われていたのがどの年金なのかはよくわかっていないけれども、その後も何とか年金が破たんしたとか、そのため国民年金にかかる負担が大きくなるというような記事は読んだ記憶がある。年金が消えたとか言って大騒ぎしていたこともあったのだから、年金だけには頼れないと考えている人の方が多いと思うのだけど。

 それなのに、政治家も、マスコミも、今回の何とか庁の報告で、初めて年金だけでは生活していけないということが分かったような対応をしていて、何かの悪い冗談だとしか思えない。ここまで問題が放置されてきた理由は、下手に触ると選挙に負けるというものだろう。年金制度を将来にわたって維持可能なものにするには、給付額を減らすしかないはずだが、それをやると年金を減らされる人たちの票が他党に流れてしまう。
 それで、与党も野党もみんな年金制度の抜本的な改革に手を出せなかったというところだろう。そうすると、今回の騒動は、政治家が現実を無視して先送りを続けるのにしびれを切らした担当の官僚が投げつけた爆弾ということになるのかもしれない。昔の自民党は、消費税導入とか、有権者の反発を買うのがわかり切った政策を掲げて選挙を戦うだけの強さを持っていたけど、90年代以降の政権交代が頻発する時代に入って、その強さを失ってしまった感がある。その結果、与党も野党もお互いをポピュリストと批判しあうだけの、目糞鼻糞を笑う的な存在になってしまっている。

 チェコも、与野党を問わず支持者の耳にやさしいことしか主張しないので、年金の給付額を急速に上げることを主張する政党が多い。年金制度が完全に国営で、足りない分は国の予算からつぎ込まれるので、実はチェコの国家予算で最大の支出は年金なのである。与党は年金の給付額をこれだけ上げたと自画自賛し、野党はそれでは足りないと批判する。足りない分をどこから持ってくるかとか、年金を増やした分、どこの予算が削るとかいう議論は残念ながら存在しない。
 政党にとっては選挙に勝つことが最大の目的となっており、そのためには無理をしてでも、有権者の数も多く投票率も高い年金生活者のための政策を実行する必要があるのである。他にも野党は、どこの予算を削れと言う具体的な提案もないまま、支出の削減を求め、同時にある分野に関しては、財源をどうするかの提案もないまま予算の増額を求める。
 これは現在のANO政権と野党の関係についての話ではなく、一般化した話である。つまり与党が頑張って予算を、かなりばらまき感の強い予算を立てると、野党がばらまきであることを批判し予算の削減を求めながら、同時に予算の増額を求めるというのは、90年代から続くチェコの政界の伝統のようなものに思われるのである。だから、よほどの問題でも起こらない限り前年度より予算額が減ることはないし、各省庁でも前年の予算を守るために必死になっている。
 政治の世界なんてどこの国も大差ないということかな。もう少しあれこれ書こうと思っていたことがあるのだけど、30度を越える暑さで融けてしまった。
2019年6月26日23時。











posted by olomou?an at 05:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年06月26日

オロモウツで飲めるPIVO?Hハイネケン系?(六月廿四日)



 最近パッとしないハイネケンに買収されたチェコのビールだけど、クルショビツェのビールが好きだという日本の方に何人かお会いした。ただこれは、レストランや飲み屋で飲む生ビールではなく、スーパーなどで買ってきてうちで飲む瓶ビールの話である。モラビアのリトベルと並んで、ボヘミアでは唯一「královský(国王の)」という形容詞をつけることを許されているクルショビツェのビールが飲めるお店は、オロモウツでは以前と比べると格段に減っている。

 今からもう十年以上も前、テレビでコマーシャルをバンバン流して、アイスホッケーのチェコ代表だったか、チェコで行われた世界選手権だったかのスポンサーを務めていたころは、オロモウツの旧市街でも、飲ませるレストランが何軒かあった。たしか市庁舎の一階に入っているレストラン、ツェーザルもクルショビツェが出てくるお店じゃなかったか。
 現時点で旧市街でクルショビツェが飲めるのは、ドルニー広場からテレジア門のほうに向かう途中にあるロックスター・カフェ&バーだけになってしまっている。この店の外にクルショビツェの看板が出ているので、飲めるのは確かなのだが、入ったこともないし、ネット上にメニューの情報も上がっていないので、実際にどんなビールが飲めるのかは確認できていない。この記事書くためだけに飲みに行くのもなんである。

 ハイネケン傘下のもう一つの雄、スタロブルノも、以前は共和国広場の近くのゴリアーシュで飲めていた。一度三月の半ばに行ったら、イースター用という緑色のビールがあって、思わず話の種に頼んだのを覚えている。しかし、この店も、ツェーザルも現在ではピルスナー・ウルクエルに蔵がえしてしまっている。

 どこかないのかと考えていたら、ホテル・パラーツのところからコメンスキー通りに入って、旧市街を出てムリーンスキー川を越えて、モラバ川に突き当たる手前の左手の角にあるブリストルに、ひげもじゃのおっさんがあしらわれた看板が出ていたのを思い出した。あれは、ブジェズニャークの看板ではないかということで確認したら、その通りだった。
 ブジェズニャークは、ハイネケン傘下に入る前のドリンクスウニオンの主力ブランドの一つで、2000年代に入ってズラトプラメンに力を入れ始める前は、このブジェズニャークがグループの看板だったはずである。日本への輸出も模索されていて、東京のチェコ大使館で開かれた試飲、試食会にも出品していた。

 人の顔をラベルに使っているから、ビール会社の創設者の名前かと思ったら、そうではなくて工場のある北ボヘミアのヴェルケー・ブジェズノから、ブジェズノの人という意味の言葉をブランド名にしたようだ。ややこしいのは、同じグループのズラトプラメンの工場があったのが、クラースネー・ブジェズノという形容詞ちがいの地名だというところである。ただし、ハイネケンでは生産の効率化と集約を進めているため、ブジェズニャークが以前と同じように、ベルケー・ブジェズノで生産されているかどうかはわからない。

 ブリストルのほうは、かつては小汚い、師匠が食中毒が発生したと言っていたようなお店だったのだが、いつの間にか小ぎれいなしゃれた店に模様替えしていた。昔しばしば通っていたころは、ガンブリヌスのお店だったと思うのだが、模様替えに合わせて、ハイネケンに鞍替えしたのだろうか。とまれかくまれ、ブリストルの情報である。

ブリストル
Adresa:
Web: http://www.olomouc.mujbristol.cz

Piva: B?ez?ák 11°
  Starobrno Drak 12°
  Krušovice pšeni?né 11°
  Krušovice ?erné
※スタロブルノのドラクは、以前は瓶ビール用の度数の高い、16度だったかなのビールの名前に使われていたものだが、12度のラガービールにも流用するようになったらしい。普通のスタロブルノの10度、11度なんかを飲むためには、オロモウツで探すよりはブルノに行ってしまったほうが早そうだ。
 クルショビツェのビールも、小麦のビールと黒しか置かれていない。他を試したい人はロックスター・カフェ&バーでどうぞである。お店の前の歩道のザフラートカで黄金色のビールを飲んでいる人を見かけるけど、あれが多分クルショビツェの12度じゃないかと思う。
 ブリストルでは、もう一つの看板ブランドのはずのズラトプラメンも、ノンアルコールのビールなら飲める。ただ、ビールのブランドとしてのズラトプラメンは、どうもハイネケンに見放されつつあるようで、HPで確認しても、ビールを使った果物風味の飲料の情報しか出てこない。広告資金をつぎ込んで規模の拡大を図って失敗した中小ビール工場の末路という感じで、哀れささえ感じさせる。
 さらに哀れなのは、存在していたことすら忘れられつつあるズノイモのホスタンや、クトナー・ホラのビールなどのハイネケン傘下の弱小ブランドなんだけどね。

Kudy: ここに行くなら、待ち合わせはホテル・パラーツの前がよさそうである。コメンスキー通りの反対側、ロシア正教のケバイ教会の前でもいいのだけど、現在モラバ川にかかった橋の改修工事中で、対岸に渡るのが大変になっている。
 ホテル・パラーツの前から、旧市街の外に向かって、コメンスキー通りを左側通行でまっすぐ歩いて行こう。モラバ川に出る手前の角にあるのがブリストルである。橋の改修工事で、店の前の頭の上に足場が組まれたりしてるけれども、歩いて行く分には何とかなる。
2019年6月25日22時30分。






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posted by olomou?an at 06:08| Comment(0) | TrackBack(0) | Pivo

2019年06月25日

ソフトボールでチェコ語の勉強?(六月廿三日)



 プラハとハブリーチクーフ・ブロトの二ヶ所を会場にして行われていたソフトボールの世界選手権が、アルゼンチンの優勝で幕を閉じた。日本との決勝戦は見ごたえのある投手戦で、日本チームとしては7回裏の盗塁の際の誤審がと言いたくなるところだろうけれども、アルゼンチンは優勝に値するいいチームだった。
 アルゼンチンというとサッカーのイメージしかないので、ソフトボールの大会に出てくること自体が意外だったのだけど、近年めきめきと力をつけて強豪国の仲間入りをして、今大会で初めての優勝を飾ったのだという。これまではメダルも取ったことがなかったというから、初優勝の喜びも大きかったに違いない。

 日本チームも、これまで、銀メダル、銅メダルは取ったことがあるけど、優勝はしたことがないらしいから、準優勝とはいえ選手たちは悔しかったに違いない。8チームからなるグループステージを全勝で、つまりはアルゼンチンにも勝って首位で勝ち抜け、決勝も6回表に同点に追いつかれるまでは勝っていたのだけど、延長に入って3回目の10回表に決勝点を取られてしまった。
 ノーアウト2塁から始まる延長戦の攻撃は、チェコ語では外来語でタイブレイクと言っていたけど、日本語でもそうなのだろうか。ソフトボールの試合が7回までとか基本的なルールは知っていても、延長戦がどうなるとか、選手の交代のルールとか、競技としてのソフトボールについては疎いので、テレビで見ながらよくわからないと頭をひねるシーンが多かった。ルールがよくわからない上に、実況のアナウンサーが選手の名前を間違え、画面の上のカウントの表示が間違っていることも多くて……。アイスホッケーの中継の域まではまだまだを十回ぐらい繰り返したいほどである。

 よくわからないソフトボールの試合のことを振り返っても仕方がないので、中継を見ていた目的の一つであるチェコ語の話しに行こう。外国から入ってきたスポーツなので、日本と同じように英語をそのまま、もしくは微妙に変形させて使っている言葉も多い。ただ、そんな言葉の中にもチェコ語の言葉も使われるものがあって、なかなか楽しいのである。
 たとえば、ストライク、ボールも使うけれども、「dobrý mí?/nadhoz」「špatný mí?/nadhoz」なんて言葉も聞こえてきたし、ストライク、ボールも、ストライキ、ボーリと複数形にしてしまうのである。この二つは最大でも3ボールにしかならないので、複数一格で済んでいたけれども、三振を意味するストライクアウトは、数が5以上になるとストライクアウトゥーと複数二格に形が変わっていた。こういうのを聞き分けられるかってのも、チェコ語の訓練の目安になる。

 ピッチャーは、「ナドハゾバチ(nadhazova?)」で、「投げる(hodit/házet)」から派生した「nadhazovat」という動詞から作られた動作主になるものを表す名詞である。ただ、よくわからないのは、どうして「nad」という上を意味する接頭辞がつけられたかということだ。ソフトボールは下手投げで、下から上に向かって投げる形になるからかとも考えたのだが、いろいろな投げ方のある野球でも同じ言葉を使っている。
 ソフトボールが野球から派生した競技だということを考えると、むしろ野球の言葉がソフトボールでも使われるようになったと考えたほうが自然である。そうすると野球の投手がマウンドというほかの選手たちよりも高いところにいるから「nad」がつくのかもしれない。「nad」は投げる方角ではなく、位置を示していると考えられる。ただし、この推測が正しいという保証はない。

 もう一つ注目すべきは、語尾の「?」である。この語尾を取って人を表すものとしては、「prodava?(販売する人=店員)」が最初に頭に浮かぶが、人ではなく機械を意味する「vysava?(吸い込む者=掃除機)」なんてものもあるし、昔工場で通訳していたころは自動的に部品を工作機械に送り込むものを「podava?(渡す者)」なんて言い方もしていたなあ。ここまでは基になる動詞が「vat」で終わるものだけだが、それ以外にも捕手は「chyta?」だし、「uklíze?(掃除する人)」なんてのもある。こんなことを考えながら見ているから、理解できないことが多かったのかもしれない。

 「?」で終わる選手を表す言葉もいくつかあって、バッターが「pálka?」になるのは、バットという意味の「pálka」から作られた言葉である。基になっている動詞は「pálit」なのだけど、「打つ」は自分のほうから遠くにという意味の接頭辞を加えて完了態が「odpálit」、不完了態が「odpalovat」になる。これは銃で「撃つ」というときに使う動詞と同じである。名詞の「odpal」は、打球のことかと思ったら、ヒットだった。
 一塁手、二塁手は、塁を意味する「meta」から、「meta?」という言葉を使うのだけど、「一」「二」をどう処理しているかが完全に聞き取れなかった。数詞を使って「první meta?」「druhý meta?」だったかなあ。内野手、外野手は、それぞれ「vnit?ní pola?」「vn?jší pola?」と呼ばれていた。「pole」は普通は「畑」と訳されるのだけど、スポーツの場合には「フィールド」という意味で使われることもあるようだ。

 細かいところを一つ一つ見ていっても仕方がないので、耳で聞いてぎょっとしたのを挙げておくと、一つはワイルドピッチで、「divoký nadhoz」と言っていた。もう一つは盗塁で、動詞の場合は「ukrást metu」、名詞は「kráde? mety」だった。どちらも直訳といえばその通りなのだけど、日本の野球用語のワイルドピッチや盗塁よりも物騒な印象を受けてしまう。それに、アウトから動詞を作って、「vyoutovat」と言っていたのには、思わず笑ってしまった。
 バントについては、今でも、本当にそうだったのか確信が持てないのだけど、「zkrácená hra」と言っていたような気がする。これ、テニスではタイブレイクを意味する言葉だと思うんだけど、あれ、ストップボレーとか、ストップボールとかいうのもこれだったかな。いや、こっちは「zkrácení hry」だったかもしれない。そうするとバントも、「zkrácení hry」かな。こういうのはあいまいにしておいて、次回確認するのがスポーツ観戦の楽しみというものである。

 ところで、開催国の我らがチェコ代表は、グループステージの最終戦のキューバ戦を、劇的なサヨナラホームランで物にして、グループ4位となり、準々決勝に進出した。そこでカナダに大敗したあと、順位決定戦でベネズエラ、オーストラリアに連敗して、最終的には8位に終わった。ヨーロッパチームの中では最上位だから、一応開催国の面目は保ったといえるのかな。
2019年6月24日23時。












2019年06月24日

森雅裕『鐵のある風景』(六月廿二日)



 昨日の記事で森雅裕の名前を挙げたので、忘れないうちに次の記事を書いておく。前回は四月の初めに書いているから、それほど時間がたったわけでもないのか。
 順番から言うと、集英社三部作、もしくは時代小説三部作の第一作『会津斬鉄風』を取り上げることになるのだが、うまくまとまらないので、先に最後のメジャーな出版社から刊行された商業出版である『鐵のある風景』について書くことにする。出版社は百科事典で有名な平凡社、刊行は2000年の6月だから、この本を読んでから最初のチェコ語のサマースクールに参加したということになる。

 副題に「日本刀をいつくしむ男たち」とあるように、小説ではなく、日本刀にかかわる人たちについて書かれた人物伝のようなものである。第一部は「金巧たち」と題して、親交のある刀工を初めとする日本刀の製作にかかわる職人たちを紹介している。最初に登場して分量も一番多いのが刀工の大野義光氏で、この人は確か『会津斬鉄風』の文庫版に解説を書いていたはずである。『鉄の花を挿すもの』の主人公のモデルになった人でもあったかな。森雅裕が金を借りて返してない相手という話もあったか。

 第二部は「鐵のある風景」と題されているのだが、帯では「鐵」が「鉄」になっている。森雅裕、クレームつけただろうなあ。それはともかく、あとがきによれば、「取材日記」は、図書館流通センターの「週刊新刊案内」に連載していた「続々 小説家にはフタをしろ!」から収録したものだという。「続々」があるということは、何もつかない「小説家にはフタをしろ!」と「続」もあったということで、かなりの長期連載になったことが予想されるのだが、「週刊新刊案内」なんてものの存在は全く知らなかった。
 本書に収録されていない分を読みたいと思っても、インターネットの栄える現在ならともかく、2000年当時では「週刊新刊案内」がどこに蔵書されているのか調べようもなく、泣く泣く諦めることになった。国会図書館まで行けば読めたのかもしれないけど、小説ではないもののためにそこまでする気にはならなかったのである。「週刊新刊案内」という署名からして、パンフレットみたいなもので直ぐに捨てられるもののような印象があって、保存はされいないんじゃないかという疑いもあったし。

 他にも版元の平凡社のPR誌「月刊百科」に掲載されたものも収録されている。森雅裕は「道草宝物館」と題して連載を持っていたらしいのである。あとがきではもともとはその連載をまとめて一書にするはずだったということも記されている。編集の意向で刀剣関係に限った内容になったというけれども、著者の意向の方が強かったんじゃないかとも思われる。連載ではバイクなんかの話も書いたけれども、収録しなかったらしい。
 これも平凡社から「月刊百科」のバックナンバーを取り寄せようかと悩んだのを覚えている。悩んでいるうちにサマースクールのためにチェコに来る準備を始めなければならなくなって、うやむやになってしまったのだった。

 残念なのは、現在の平凡社が原則として小説の刊行はしていないことで、小説出版に力を入れていたら、森雅裕の小説を出してくれていたかもしれないということなんだけど、ファンの妄想である。とまれ、この2000年までは、平均すれば毎年一冊は本が出ていたので、これが最後の森雅裕の著作になるとは思っていなかった。
 その後、ファン達による自費出版で小説が二冊、あまり名の知られていない出版社からエッセイ集のようなものが一冊刊行されたのは知っているけれども、個人的にはこの『鐵のある風景』を森雅裕最後の著作ととらえている。ファンとしては最後の作品が小説ではなかったことが残念でならないのである。
2019年6月23日24時。





鐵のある風景—日本刀をいつくしむ男たち










タグ: 平凡社 刀剣
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2019年06月23日

コメントの記事にコメントが(六月廿一日)



 こういうややこしい言い回しが好きなので、わかりにくい題名にしてしまう。まあ、他に題名のつけようがないと言うのもあるのだけど。

 それはともかく、この前書いたコメントがきたという記事に、オロモウツの知り合いからコメントがきた。チェコの宗教について質問してくれて、そのおかげで一回分のねたがひねり出せたので、お礼代わりにこのブログの存在を、というよりは宗教について書いた記事の存在を教えたのだった。その知り合いがいう「私たちのブログ」と言うのはあれだろうか、もう一人の知り合いが筋トレについて書いているといっていた奴だろうか。ちょっと探してみよう。
 そのオロモウツ在住の人たちのブログにも同じようなコメントが来たというのだけど、プラハならともかくオロモウツの情報にそこまで需要があるとも思えないし、オロモウツで検索してこのブログにたどり着くのは大変だと思うんだけどなあ。ちなみにこのブログに確実に到達できるのは、「森雅裕」で検索した場合である。このすでにほぼ忘れられた作家についてある程度継続的に書き続けている人なんて、他にはいないだろうし。

 オロモウツで検索すると、オロモウツ市の公式観光案内HPや、政府系のチェックトゥーリズムなんかの案内記事に交じって、旅行者に情報を提供するという体裁のサイトの記事が結構出てくる。開いて読んでみると、どれもこれもとまでは言わないが、同じような内容の記事が多く、内容もオロモウツの人間としては、物足りないというか消化不良といいたくなるものが多い。
 噴水群を取り上げるのに、アリオンの噴水の写真が多いのは何故なのだろう。ほかは石造りなのにこれだけブロンズ製だとか、この噴水だけが今世紀に入ってから作られたものだとか、本来は17世紀に計画されていて、19世紀にも再度計画が立ったけどどちらも実現しなかったとかいう情報が着いていれば納得するのだけど、これがオロモウツの噴水の代表であるかのように扱われるのには違和感を拭えない。

 同じ噴水でもシーザー、もしくはカエサルの噴水について取り上げている記事もあって、オロモウツの伝説上の建設者がシーザーなんだってことも書かれている。そこまで書いたら、近くの聖ミハル教会のある丘のうえで、ローマ時代の遺跡が発掘されたとか、トラムの2番と7番の終点であるネジェジーンの停留所が、近くで発掘されたローマ軍団の基地の遺跡についてのパネル展示になっているとかまで書いてほしかった。シーザーが建設したというのは眉唾物であっても、ローマ軍がこのあたりまで進出して、ゲルマン人と対峙していたのは、恐らく事実なのだから。
 そして、市庁舎の中に入っているレストランの名前が、シーザー(チェコ語なので実際にはツェーザル)なのも、隣のギャラリーの名前が同じくシーザーなのも、シーザーの伝説に、もしくはシーザーの噴水にちなんでいるのである。

 オロモウツの特産品としてトバルーシュキについて触れているのはいいのだけど、とりあげられているのはお菓子屋さんのトバルーシュコバー・ツクラールナだけと言うことが多い。ホルニー広場にも工場直営の販売店が出ているはずなんだけどね。それに、このチーズオロモウツのという枕がつくが、オロモウツでは生産されておらず、実際に生産する工場があるのはオロモウツから北にあるロシュティツェという小さな村である。それでも「オロモウツのトバルーシュキ」という名称はEUの定める生産地に基づく商標として認められていて、他の場所で作った同じようなチーズには「オロモウツのトバルーシュキ」という製品名は使えないのである。
 トバルーシュキといえば、先月だったか先々月だったかのある週末に、オロモウツの旧市街を舞台にトバルーシュキフェスティバルなんていうイベントをやっていた。チェコの人たちはフェスティバルが大好きだから結構な人手があったことだろう。

 と、まあ旅行者向けの情報サイトの記事に対する不満を述べてみたのだが、ここに書いたようなことが旅行者向けになるかといわれると、そんなことはないよなあ。薀蓄たれは自分が読むときでもあれこれ薀蓄に満ちたものを読みたがり、話したり書いたりする時には、延々と薀蓄を垂れ流して嫌がられるのものである。
2019年6月22日24時。














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2019年06月22日

オロモウツで飲めるPIVO?ベルナルト+(六月廿日)



 ビールを生産する会社、会社というよりはいくつかの会社が集まってできた企業グループとしては、チェコのビール業界で、ピルスナー、スタロプラメンに次いで三番目の位置を占めているのは、デンマークだと思っていたら実はオランダの会社だったハイネケンに買収されたビール会社のグループである。だけど、このグループ、今でもすべてハイネケンの傘下にあるのかよくわからないし、スタロブルノやクルショビツェ、ズラトプラメンなど、以前と比べたらぱっとしなくなった会社が多く、オロモウツではあまり見かけなくなっている。
 それで、三番目として何を取り上げようと考えたときに、最初に思いついたのはかつてのお気に入りのビール、チェルナー・ホラだったのだが、ボヘミアのロプコビツの傘下に入っていて、チェルナー・ホラしか飲めない店というのが存在しなくなっている。しかもロプコビツは中国企業に買収されたという話もあるから、先送りしたいところである。ということで、大手のビール会社の中では、単独で、ベルギーのビール会社の傘下に入っているとはいえ、チェコ国内では単独で頑張っているベルナルトを三番目に取り上げることにする。

 オロモウツでベルナルトというと、かつてはドルニー広場のポド・リンポウだったのだが、この店はいつの間にかピルスナー・ウルクエルに鞍替えしていて、ピルスナーの飲める店がじわじわと増えているという現実の象徴の一つになっている。
 ということで、まず最初に取り上げるのは最近、と言っても二年ぐらい前だと思うけど。ホルニー広場に誕生した、恐らくビール会社の直営店であるベルナルト・バーである。スタロプラメンのフサと同じような位置づけだと思うのだが、店舗数は少なく、プラハに6軒ある以外は、モラビアのオロモウツとズリーンにしかないようだ。と書いて念のために確認したら、オロモウツ以外は、ベルナルト・バーではなく、パブだった。どこが違うのかはわからん。

ベルナルト・バー
Adresa: Horní nám?stí
Web: http://www.bernardbar.cz/bar/olomouc

Piva: Bernard le?ák 12°
  Bernard le?ák 11°
  Bernard 10°
  Bernard tmavý le?ák 12°
  Rotující pípa
※お店のメニューでは、当然のことだからか「Bernard」は省略されているが、念のために追記しておく。さまざまなタイプのビールを生産していることでも知られるベルナルトだが、一つの店ですべてを生ビールとして提供するのは難しいのか、何種類かのビールが瓶で飲めるようになっている。ただ、リストの最後にあるのが、日替わりみたいなものなので、日によっては普段は瓶でしか飲めないものが生で飲めるのかもしれない。

Kudy: ホルニー広場のアリオンの噴水のところで待ち合わせれば直ぐそこである。

Pozor: 一応夏場にはザフラートカみたいなものがあるのだが、他の店と違って、店の入り口の前のホルニー広場の地面に直接テーブルと椅子を置いただけで、これでいいのかと不安になってしまう。正直通行の邪魔だと感じることもあるし。
 最近、店の前を通っても営業していないことが多いような気もする。営業開始時間が遅いのかもしれない。あっさり撤退ということはないと思いたいけど、いろいろなビールを飲ませることを売りにしていたビア・バーの一つが撤退したしなあ。
 ちなみに、ベルナルトに出資しているベルギーのDuvel Moortgat社のビールは飲めないようである。


プランB
Adresa:
Web: http://www.bar-planb.cz

Piva: Bernard le?ák 11°
  Bernard le?ák 12° jantarové
  Bernard le?ák 12° kvasnicové
  Bernard 12°?erné
  Primátor Hron 12°
  Primátor weizenbier
※ベルナルトのビールが四種類飲めるのは、ベルナルト・バーと同じだが、種類が少し違う。最後のチェルネーは、トマベーと同じと考えてよさそうである。
 ベルナルト以外にも、北ボヘミアのポーランドとの国境にあるナーホットのビール会社プリマートルのビールが飲める。以前は別系列の会社のビールを扱う店はほとんどなかったが、最近ちょこちょこ見かけるようになった。ベルナルトがプリマートルと提携したとか、傘下に収めたということではないと思う。
 プリマートルのビールは瓶でなら飲んだことがあるのだが、会社のHPで確認したら瓶のデザインが変わっていてびっくりした。瓶はいいのだけどラベルが何か安っぽくて以前の奴の方がよかったと思うのだけど、10ほど前に売りに出されて所有者が変わった際に、変化が必要だったのかな。一番下のバイツェンは小麦のビールで、プリマートルの小麦のビールはチェコで造られているものの中では一番評価が高いようである。もともと、普通の10度や12度のレジャークよりも、16度、24度などの濃いビールと小麦のビールを生産していることで有名な会社だったのだ。

Kudy:ドラーパルからモリツに行く途中と言えば、オロモウツのことを知っている人にはわかるはず。わからない人向けには、ベルナルト・バーのある角からホルニー広場をでて、突き当たった交差点を渡ってから左に折れてテレジア門のほうに向かう。テレジア門の手前の角にある半地下の店がこのプランBである。 夏場はテレジア門前の広場にザフラートカも出している。
 さて、次は何にしよう?
2019年6月21日24時。






これがベルナルトに出資しているベルギーのビール会社のビールらしい。輸入もとの会社がついでにベルナルトにも手を出してくれないかなあ。








posted by olomou?an at 07:08| Comment(0) | TrackBack(0) | Pivo

2019年06月21日

大統領の話(六月十九日)



 先週の土曜日に、スロバキアで初の女性大統領が就任した。40代で就任式に臨んだチャプトバー氏は女性であるだけでなく、世界中で最も若い大統領でもあるらしい。就任演説は当然スロバキア語で、いまいちよくわからなかったのだけど、なかなか立派な演説だったらしい。就任して最初の演説から物議を醸すようでは先が思いやられるし、何かと批判されるチェコのゼマン大統領でさえ、一期目の就任演説は、二期目のに比べたらはるかに穏当なものだったと記憶する。
 就任式の会場となったのは、スロバキア・フィルハーモニー管弦楽団が本拠地としている建物で、三権に関わる国会議員や大臣(同時に議員でもある場合が多いけど)、最高裁判所長官などが参列していた。もちろん、それ以外にも、退任する大統領のキスカ氏や、招待された人たちがいたわけだが、その中にはスロバキアのキリスト教における重鎮たちもいた。

 そして、就任式が終わり、軍の閲兵式が行われた後は、キリスト教の教会で、新大統領の就任を寿ぐミサが行われ、就任式に参列した人の多くが参加したのである。日本と違って、これに政教分離の原則に違反すると言っていちゃもんを付けた人はいなかった。少なくともチェコのニュースで取り上げられるレベルで批判する人はいなかった。
 この教会での儀式が宗教儀式であることは、誰にも否定できないことだが、この程度のことは政教分離の原則からは外れないと考えられているわけである。この事実に日本の政教分離にうるさい人たちはどんな感想を持つのだろうか。先月初めの今上陛下の即位の儀式に関しても、チェコで政教分離云々という批判は聞こえてこなかった。仮に政教分離の問題が、話題になるとすれば、それは日本で問題にしている人がいるという文脈でしかありえない。

 ところで、スロバキアで新しい大統領が就任すると、直後に最初の外国訪問としてチェコを訪れるのが慣例となっている。もちろん、チェコの大統領も就任式典を終えると、再任の場合でも最初にスロバキアを訪れるのだが、チャプトバー氏も今週チェコに来て、ゼマン大統領をはじめとする政治家達と会談することになっている。
 そのチャプトバー大統領を迎える側のチェコの大統領府が、またまた問題を起こした。チェコの大統領の就任式が行われるのは、プラハ城内のスペインの間と呼ばれる大きな部屋で、この部屋は、毎年秋に勲章の授与式も行われるなど、チェコの国家にとって最も重要な儀式が行なわれる場所だといっていい。そのスペインの間を含むプラハ城の一角を、私企業に貸し出すことにしたというのだ。
 借りる会社は、ルイ・ビトン社で、これまでにもプラハのカレル橋を貸切にしようと、プラハ市と交渉して断られたことがあるらしい。この会社ならプラハ城を貶めるようなことはしないだろうというコメントを出している人もいたけれども、国家の最も重要な儀式を行なう場を、一私営企業に時間を限ってとはいえ売り渡すとはどういうことだと強く批判している人たちもいる。チェコの国の権威を傷つけているというのである。

 ルイ・ビトン社が何をする気なのかは知らないが、5日間の貸しきり期間は観光客も観光ルートの一部からは締め出されることになるようだ。貸切にする料金としてどのぐらい取ったのか気になることころだが、小さな金額ではあるまい。大統領府ではそれをどうするつもりなのだろうか。考えられるのは、ゼマン大統領が以前鳴り物入りで開いた、チェコの国の謝金を返すために寄付を募るための口座に入金することである。この計画も当初は大々的に宣伝されて、寄付した人も痛みたいだけど、最近はトンと話を聞かなくなった。この機会に、貸出料金の何億コルナ(せめてそれぐらいは取っていてほしい)を、チェコの借金返済のために寄付するなんてニュースを流せば、寄付が増えるかもしれないし、批判も多少は減ると思うんだけど。
 ルイ・ビトン社にプラハ城の一角を貸し出したことは、チャプトバー氏のチェコ訪問にも影響があったらしい。スロバキアの大統領の就任式の日程は以前から決まっていて、そこからチェコを訪問する時期もある程度予測できていたはすなのだから、貸し出すなら貸し出すで日程を考えろよと思ってしまった。とはいえ、このニュースを最初に聞いたときに思ったのは、わざとスロバキアの大統領のチェコ訪問の日程に被せたんじゃないかということだった。

 でも、ゼマン大統領とチャプトバー大統領、会談でどんな話をするのだろうか。話が全くかみ合わなさそうな気がする。
2019年6月20日24時。









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