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2017年06月30日
永観二年十二月の実資〈上旬〉(六月廿七日)
久しぶりの『小右記』の内容紹介である。久しぶりすぎて加減がわからなくなっている。
一日はまず、院を出て内裏に向かい、十一月廿七日に馬を牽かなかった三人についての話である。廿九日にそのうちの一人の藤原宣孝から聞いた話を天皇に奏上し、そのついでに残りの二人藤原斉信と源時叙の弁護をしている。曰く、まだ昇殿を許されておらず、特に職掌もない上に、若いから失敗したのも仕方がないとか何とか。最近は馬を牽くこともなかったなんて書いてあるから、花山天皇の代になって馬関係の行事が増えて、もしくは復活して、作法を知らない貴族も増えていたのかもしれない。
結局、若い二人には特に処罰はなく、父親を含めて譴責されただけのようであるが、宣孝は罷免されたのかな。斉信は為光の子だから愚行を繰り返しても不思議はないと思うのは、先入観が過ぎるだろうか。
夜になって円融上皇から召し出されて院に向かっている。犬が死んだ穢れは院での出来事で、その後の讃岐講師について奏上しているのと関係があるのだろうか。その場合、穢れのある院に向かった実資も穢れていてもおかしくないのだけど、その記述はない。穢れというのも難しいものである。その前に候宿すとあるので、内裏に戻っていることになる。ということは穢れは実資には及ばなかったということか。
二日は内裏を退出して円融上皇のもとに立ち寄っている。夕方には頼忠の元に出向いて深夜まで滞在している。
三日の記事には、外記の安倍董永から聞いた話として、花山天皇の祖母に当たる恵子女王に年爵の権利が与えられるという宣旨が出たことが語られる。その後、左大臣源雅信のところに出向いて、清談したというのだけど、高尚なテーマでのお話って何なのだろうか。こちらでも恵子女王に対する年爵の話が出ているが、同時に花山天皇の生母、つまり恵子女王と藤原伊尹の娘である懐子に皇太后が追贈されれるという宣旨が出たことも聞いている。花山天皇が自分の関係者に、あれこれ優遇を始めたと考えていいのだろうか。
四日は、内裏に参上した後、呼び出されて頼忠の元に向かう。花山天皇から頼忠の三女?ィ子の元に手紙が届いているけれども、これは十五日に?ィ子が入内するための準備の一環であろうか。娘の入内の準備が進んでいることの喜びからか、頼忠邸では酒宴が行われている。
また頼忠は、左大将の藤原朝光のもとに馬を二匹贈っているが、これは朝光の娘姚子が着裳の儀式を迎えるお祝いのためであろう。姚子も?ィ子同様入内して女御となる。
五日は、内裏に出向いた後、夕方になって左大将朝光のもとに向かう。前日頼忠がお祝いを贈った姚子の着裳の儀式が閑院で行われたのである。実資は前日に手紙で来るように言われたようである。儀式が終わる前に退出して内裏に戻っている。姚子は着裳の儀式が終わると、そのまま入内して麗景殿に入っている。
花山天皇は、姚子の着裳の儀式に藤原元命を使者として派遣している。これは天皇が自ら入内を求めたことを示すのだろうか。また、この日は、花山天皇の同母の姉である冷泉天皇皇女宗子内親王が内裏から退出している。
六日は、伝聞で前日の着裳の儀式に、右大臣の藤原兼家が出向いたことが記される。実資が退出した後のことだろうか。実資は、大臣が、地位が下である大納言のところに出向くなんて前例がないと批判している。その後、頼忠のところに出向いた際には、頼忠も兼家の行為を批判していたことが記される。
実資が、頼忠に呼ばれた理由は、河内国に置かれた摂関家領(つまりこのときは頼忠の所領)であった楠葉牧についての天皇への奏上であった。これもややこしくてよくわからない話である。
七日は、雨の中内裏に参上し、昨日頼忠に言われた楠葉牧についてのことを奏上している。国司があれこれ言うので、再度検非違使を遣わすという内容のようである。よくわからないのが、天皇の返事で、遣わせというのか、遣わすなというのか。遣わせと言うことだと思うのだけれども、「専不遣」をどう読めばそうなるのかわからん。その後、頼忠のところに行って天皇の意向を伝えている。
麗景殿に入った姚子のもとに、使者として蔵人の藤原道兼が遣わされている。これは天皇が入内したばかりの女御に対して送った使者である。
八日は参内して内の御書所の人事に関して定めている。過去の例をあれこれ挙げて、人選しているのだが、この時代の文章生、文章得業生なんかの実態がわかると面白いのだろうけどね。名前が挙がっている中では大外記の慶滋保胤が一番の有名人かな。『池亭記』なんてものをものしているし。
その後、円融上皇の許に向かう。臨時の仁王経の読経が始まっている。また中宮大夫が藤原済時が中宮で行われる秋季御読経に奉仕する僧などを決めている。本来八月に行うものを、十二月に行うのは、あれこれ事情があって順延したということだろうか。宮中以外で行うのは、少し遅れて行うのが例とはいえね。花山天皇が即位したとはいえ、この時点での中宮は円融天皇の中宮だった藤原遵子である。
また円融院のもとには、左大臣源雅信や左大将藤原朝光らが集まって、院の収入源としての勅旨田や封戸などについて定めている。
九日には、大事な客が二、三人来たとあるけれども、誰なのだろう。名前を書けないような相手なのだろうか。夕方僧の清範と共に堀河の辺りに出かけているが、誰をおとなったものであろうか。
十日、内裏に参上すると、楠葉牧に派遣されていた検非違使が帰ってきて日記を進上した。検非違使の別当である源重光が花山天皇に奏覧したところ、お前らで決めよとか何とか言われたようである。
八日の日に大納言藤原為光のところで発生した犬の死の穢れが内裏にまで及んだことが発覚する。いい加減な為光のことだから細かいことを気にせず穢れを祓いもしないまま参内したということなのだろう。札を立てたのは、穢れがあるということか。もしくは穢れあるものの参内を禁ずということか。
この日は毎年十二月九日に占い。十日に奏上する御体の御卜の奏上が行われている。花山天皇即位後初めての奏上である。どんなことが書かれていたのだろうか。
6月28日23時。
2017年06月29日
通訳稼業の思い出話2(六月廿六日)
もう十年以上前のことだが、とある日本の大企業がEU企業と共同でチェコに建設した工場の立ち上げの際に通訳として協力したことがある。共同の工場とは言え、生産を担当するのは日本企業だったので、チェコ語と日本語の通訳が求められていて、その工場で通訳のとりまとめをしていた知人にお前も来いと引っ張られたのだ。
今でも覚えているのが、日本から指導に来た人たちが、EU企業に対してぶーぶー言っていたことだ。生産に関して丸投げにしているくせに、あれやらこれやらくちばしを挟んできたり、無理難題を押し付けてきたりして、日本側を悩ませていたらしいのだ。「あいつら俺らのこと便利な下請けとしか思ってませんからね」とは、一緒に仕事をさせてもらった方の言葉だけど、自社よりも規模の大きい日本を代表する大企業を下請け扱いして恥じない辺りEU企業ってのは衝撃的なまでに傲慢なんだなあと思った。実は傲慢なのは企業だけではなくてEUそのものもだったのだけど。
当時は日系企業のチェコ進出ラッシュで、日本語—チェコ語通訳バブルとでもいうべき様相を呈していた。だから通訳初心者にもそれなりのお金で仕事が回ってきたのだけど、仕事をしている通訳のレベルは、本当にピンきりだった。個人的には、1高い金を出してでも雇いたい、2金を出して雇いたい、3安ければ雇ってもいい、4ただなら使ってもいい、5お金をくれるなら使ってもいい、6お金をもらっても使いたくない、というふうに通訳をカテゴリー分けしている。本当の意味で通訳として働いていると言えるのは、1と2であることは言うを俟たない。人手が足りないとかき集めるにしても3ぐらいでとどめておかないとえらいことになる。
それなのに、当時は3や4はおろか、5、6レベルの連中まで、私は通訳でございとえらそうな顔で仕事をしている振りをしていたのだから悲劇も起こってしまう。一応、通訳のとりまとめをやっていた知人には言ったんだけどね、「こんなレベルの日本語で金取るなんて詐欺だぞ」と。そしたら、重要な仕事はお前らに任せるから、できの悪いのは、日本人の茶飲み話の相手か、笑い話のねたになってくれればいいんだよというものすごく割り切った答えが帰ってきた。人を数集めることを求められていたらしい。
自分自身のことをいうなら、ぎりぎりで2のレベルにはあると判断したから、通訳として働くことにしたのだが、最初のころは経験不足で、雇ったことを後悔させてしまったこともあるかもしれないと反省する。それでも日本人に対して、日本人の目から見たチェコの情報をあれこれ提供したし、役には立てたはずだと思いたい。
さて、或る日、その会社に通訳の仕事に行くと、「聞いてくださいよ、あいつ、ひどいんですよ」と、日本から来た方に泣きつかれた。聞いてみると、日本語もおぼつかないチェコ人通訳に、「あなたの日本語は変です」と言われてしまったらしいのである。何とかしてくださいよと言われても、そいつに日本語教えたの俺じゃないしと答えるしかなかった。
当時のチェコの日本語ができる人というのは、たいてい大学で勉強して日本語を身に付けていた。そして自分は日本語の全てを身につけたと思い込んでいる人が多かった。いや、本当にできる人は、自分ができる日本語は、日本語の一部でしかないことをよく知っていて、自分に理解できない表現が出てきたときには、恥ずかしがらずに日本人に質問することができていたのだが、中途半端にできる人が、なぜか自分の日本語は正しいと思い込んでいて、自分が理解できないのは、理解してもらえないのは、相手、つまり日本人が悪いと思い為す傾向があった。大学で学んだことを100パーセント覚えていたら、そんな醜態をさらすこともなかったのだろうけれども、できない人ほど、全部覚えているつもりになっていたわけでね。
それから、常にチェコで発行された日本語・チェコ語辞典を持ち歩いていて、知らない言葉が出てくると、辞書を引いて、辞書になかったら、「ごめん、わからない」と言うチェコ人通訳もいたらしい。いや、こんなの通訳なんて呼んじゃいけねえ。お前のその体の一番上についている丸いものは飾りか、とこの話を聞いたときには憤ってしまった。
自分の知らない言葉、辞書に載っていないような言葉でも、通訳するために、文脈から状況からある程度理解した上で、確認の質問をする。それが機械ではなく人間が通訳をする理由である。個々の言葉の意味を訳すだけだったら、膨大なデータベースの中から瞬時に検索できるコンピューターに勝てるわけがないのである。言葉の辞書的な意味ではなく、言葉にこめられた意図を訳すというのが人間の通訳の仕事じゃないのか。自分でも100パーセントできているとは思えないが、それが目標である。
それから通訳が必要な通訳ってのもいたなあ。こちらも自分の日本語は完璧だと思っている人で、日本人にわからないと言われてもかたくなに、同じ理解しようのない日本語の言葉(文にはなっていない)を繰り返すだけだった。こけの一念、岩をも通ずではないけれども、そんな妙ちくりんな日本語もどきをある程度理解できる日本人が現れたらしい。
その結果、チェコ人が話したことを、チェコ人通訳が変な日本語に訳し、日本人がちゃんとした日本語に訳すという珍妙な状況が発生していたという。これでチェコ語から日本語は何とかなったのだけど、日本語からチェコ語のほうは、対して改善されなかったことは言うまでもない。当時はこんなんでもチェコにしては高給がもらえていたのだよ。半分は理解してくれた日本人に差し出すべきなのだろうけど、そんなことを思いつけるぐらいだったら、あの日本語で通訳しようなんてことは考えられないはずである。
あれから十年以上のときを経て、日本語チェコ語通訳を巡る状況は大幅に改善されている。かつてたまに見かけた日本語でちゃんと挨拶できたら拍手したくなるようなレベルの通訳は、もう見かけることはなくなった。自然に淘汰されていったのである。こんなことを書いたからと言って自分がそんな大層な通訳だと言うわけではないのだけど、ここに挙げた事例を反面教師にして通訳稼業をやってきた。
先週の金曜日の飲み屋での話しに出てきた現場力なんて言葉を使えば、我が通訳の現場力の源泉は臨機応変にある。されど其を行き当たりばったりとも称せりなのである。
6月26日10時。
通訳の分類としては他にも、1是非いてほしい、2いてもいいかな、3どっちでもいい、4いないほうがいい、5いたら困る、というのもある。6月28日追記。
2017年06月28日
U21ヨーロッパ選手権(六月廿五日)
当初の予定では昨日の記事の末尾にちょっとだけ触れて終わるつもりだったのだけど、そうも言っていられなくなったので、頑張って一本分書くことにする。
この世代のサッカーのヨーロッパ選手権は、二年に一回奇数年に開催されており、オリンピックの前年の大会はオリンピック予選を兼ねている。二年前の2015年にはチェコで開催され、オロモウツも会場の一つとなっていた。チェコ代表は地元の利を生かすことができず、グループステージで敗退してしまった。一試合で三得点を決めただけのクレメントが得点王になって、そのままドイツのチームに買われていくというのはあったけれども、予選免除の弊害か全体的には期待はずれに終わった選手が多かった。長年この世代を率いてきた監督のドバリルも退任しちゃったし。
今年の大会は隣国ポーランドで行なわれているのだが、チェコ代表を率いるのはスパルタ、リベレツで優勝経験を誇り、オーストラリアで監督を務めたこともあるラビチカである。この大会から出場国数が12に増え、出場しやすくなったこともあって、チェコ代表は危なげなく出場権を獲得した。選手を見ると、イタリアで主力として活躍するシク、ヤンクトを擁し、前回の大会にも出場したトラーブニークなど、国内のチームに所属している選手たちも多くは主力として試合に出場しているので、8チームの出場枠でも問題なく勝ちぬけていた可能性は高い。とまれ2011年の大会以来、久しぶりに好成績が期待できそうだった。
12のチームを3グループに分け、準決勝に進出するのは各グループの勝者と、二位のチームの中で最も成績のいいチームという変則的なフォーマットは、どのグループの二位が勝ち残るのかを巡って熾烈な争いが繰り広げられることを予想させ、この手の大会に付きものの引き分けでOK的な戦い方が減ることが期待されていたらしい。
チェコが入ったCグループは、ポーランドでもチェコとの国境近くの町が会場となっている。対戦相手はドイツ、イタリア、デンマーク。監督や選手たちは準決勝進出を目指していると言っていたけれども、全敗してもおかしくない。監督がドバリルだったら、相手がどこであっても一勝は確実に期待できたかな。ラビチカだとよくわからない。
初日の開催国ポーランドとスロバキアの試合を見て、スロバキアが出ていることにも驚いたけれども、スロバキア代表が意外といいチームで強いことに驚いた。監督を務めるのは現役時代にオロモウツでも活躍したチェコ人のハパルである。チェコだけでなく、スロバキアやポーランドでも監督をしていることは知っていたが、U21とはいえ代表の監督になっているとは思わなかった。
チェコは大会三日目に、ドイツとの初戦を迎えた。ぼろ負けするかなと思って見ていたら、意外といい試合になっていた。ただ、負傷で欠場したサイドバックのマテユーの代わりに起用された中盤が本職のサーチェクをはじめ、ディフェンス陣がドイツのスピードに翻弄されていて、ミスからの失点を重ねて0−2で、負けてしまった。
攻撃陣は、期待のヤンクトもシクも、長いシーズンの疲れが出ているのか、いまいちぱっとせず、チャンスめいたものはあっても、得点が生まれる気配はあまり感じられなかった。シクは、ユベントスへの移籍が秒読みに入っていた時期で、それもプレーに影響を与えていたようだ。
最大の期待外れは、アヤックスでAチームから外されて不平たらたらだったバーツラフ・チェルニーである。インタビューでは、試合に出ている同年代の選手たちに劣っているとは思えないのにチャンスがもらえないと言っていたが、この試合でのプレーを見て、試合に出られない理由がわかったとコメントをしている人が多かった。
中二日で迎えたイタリアとの試合は、勝たなければ準決勝進出の望みが断たれるという重要な試合だった。前半に先制したものの後半に入って早い時間にしょうもないミスから失点して同点に追いつかれる。この時点で、ダメかと思ったのだが、この試合のU21代表は、今の劣勢になるとずるずると落ちていくチェコ代表ではなく、かつての強かったころのチェコ代表だった。
途中出場したオロモウツのホリーのパスを受けたこれも地中出場のハブリークが決めて勝ち越し。さらに、あまりいいところがなかったセンターバックのリュフトネルが、30メートルぐらいのところから、解説者によれば一生に一度レベルの強烈なシュートを見事に決めて二点差にして、そのまま3−1で勝利した。
各チーム二試合を終えて、ドイツが勝ち点6、チェコとイタリアが勝ち点3で並ぶという状況だった。三試合目でイタリアがドイツに勝ち、チェコがデンマークに勝ったら、三チームが勝ち点6で並び、順位は三チーム間の得失点差で決まるというややこしい状況になっていた。チェコが負けた場合には、イタリアとドイツの試合の勝者が一位ということになる。
Aグループで2位に入ったのは、ポーランドに逆転勝ち、イングランドに逆転負け、スウェーデンに大勝して、勝ち点6、得失点差+3のスロバキアだった。Bグループは、ポルトガルで勝ち点は同じく6、得失点差は+2だったかな。この時点で、チェコがスロバキアを上回って準決勝に進出するためには、デンマークに3点差で勝つことが求められていた。
デンマークとの試合、チェコは頑張った、頑張ったけれども、キーパーも含めたディフェンスが崩壊して2−4で負けてしまった。二度同点に追いついたのだが、三回目にリードされた後は、もう追いつくだけの力は残っていなかった。この結果、チェコの敗退が決まり、準決勝進出の最後の二チームは、同時進行のドイツとイタリアの試合次第ということになったのだけど……。
イタリアが、1−0で勝利し、勝ち点ではドイツと並んだものの、直接対決で勝っているのでイタリアが一位、二位のドイツは得失点差が+4になり、スロバキアを上回ったため、ドイツも準決勝進出が決まった。この談合のような結果に、スロバキアの監督のハパルは、記者会見で涙を流しながら、サッカーの恥だとコメントしたらしい。
仮にチェコとデンマークの試合で、チェコが一点差か二点差で勝っていたら、ドイツが一位、チェコが二位となり、得失点差の関係でスロバキアが準決勝に進出できていたのに……。チェコは敗戦によって自らのチャンスだけでなく、スロバキアのチャンスもつぶしてしまったのである。
チェコもスロバキアも敗退してしまった今、U21ヨーロッパ選手権を見る理由もなくなってしまった。ロシアで行われているワールドカップの準備のための大会(名前知らん)も放送されているけれども、縁のある国が出ていないので見る気にならないし。復活を遂げつつあるクビトバーの出るウィンブルドンと、ツール・ド・フランスの開幕を待つのみである。いや、ってことはもう七月なのか。山と積もったやるべきことを、いかにやらずに済ませるか頭を悩ますことになりそうだ。
6月26日18時。
2017年06月27日
土曜日のスポーツ(六月廿四日)
六月最終の土曜日は、オロモウツでハーフマラソンが行なわれる。今年で八回目となり、この時期の風物詩として定着しつつある。それを示すかのように国際陸上連盟か何かの制定するハーフマラソンのカテゴリーではゴールドとかいうのに認定されているらしいし(その意味はよくわからんけど)、今年はプラハのマラソン、ハーフマラソン以外では初めてチェコテレビが実況中継することになっていた。
とりあえず、スタートだけはテレビで見て、それから沿道の観客になりに出かけることにした。だからというわけでもないのだけど、昼食後チャンネルをチェコテレビのスポーツ専門局に合わせていたら、奇妙な競技の中継が始まった。いや、競技自体は陸上競技だから奇妙でも何でもなかったのだけど、何の大会なのかわからなかった。
見るともなく見ていて理解できたのは、フランスのリールで開かれている国対抗のヨーロッパ選手権であること、各国とも一つの種目には一人しか出場させられないこと、十一カ国が出場し各種目で順位によって、一位11点から、十一位1点まで、ポイントを獲得し、ポイントの合計で順位を争うということだった。十一カ国しか出ていないのは、これが一部に当たり、下に二部があって、大会の結果によって下位二国と上位二国が入れ替えになるからだという。
出場選手がいないと1点も加点されないので、選手層の薄い国の中には、専門外の選手をエントリせざるを得ないなんてことも起こるようだ。ドイツやイギリス何かの陸上強国の場合にはどの種目にもそれなりの選手をエントリーできるのだろうけど、チェコの場合には、全部で41種目とか言っていたから、全員ヨーロッパの舞台で戦えるレベルの選手を揃えるのは難しそうだ。故障者がでたらお手上げと言う種目もありそうだし。チェコチームは、一日目を終えて七位に付けている。残り20種目で36点差をひっくり返されなければ残留である。
陸上の国別対抗戦の中継が終わって、サッカーの中継をはさんで午後7時からハーフマラソンの中継が始まったのだけど、中継開始と同時にスタートという余裕のない中継スケジュールだった。先頭集団がテレビの画面に現れてオロモウツ市内のどのあたりを走っているかは大体わかっても、何Km地点なのかはわからず、見ていても仕方がないので、すぐに近くの公園に出かけることにした。
午後七時という遅い時間のスタートとはいえ、気温が下がらない中で走ることが多いので、あまりタイムには期待できない。涼しくなる年もないわけではないのだけど、今年も日中は気温が上がって心配だった。日が落ちてから気温も落ち始め去年よりは過ごしやすい感じになっていたから、去年のように救急車が走り回るようなレースにはならないだろう。
去年と同じ場所に陣取ったのだが、観客がコース内に入らないように、去年は自転車レースなんかでも見かける柵のようなものが設置されていたのに、今年は経費削減のためかテープが張られているだけだった。そのため、テープを引っ張ってほとんどコースに入っている観客や、テープの前に立っている観客、さらにランナーが走っている最中にコースを横断する観客がたくさんいて、去年の方がましだったかな。去年はコースを横断できる場所が決まっていて、係員が指示を出していたし。
そうそう新しいチェコ語を聞いてしまった。ミネラルウォーターのマトニ社が、スポンサーになっているのか、社名の入った蛇腹に折ってハリセンのようにして叩いて落とを出して応援するの使える紙を配っていた。選手が走って来たら、机の上に立ってチアガールのような応援をしていた女性たちが、その前に配っていたのだけど、その紙のことを「ファンディートコ」と呼んでいたのだ。「ファンディット」は応援するという意味の動詞だから、それから応援のためのグッズということで、作り出された言葉なのだろう。うちのはそんな言葉はないとお怒りだったけれども。
レースのほうは、去年よりも人数が少ない感じのするアフリカの選手たちが走りぬけ優勝していた。数が少なかったのは去年の熱さで出場者を集めにくかったのだろうか。去年はいた日本の実業団っぽい選手もいなかったし。いや一人「shiga」と書かれた日本人っぽい選手が結構上の順位で通過していったけど、一般参加のゼッケンをつけていたような気もする。隣にいた家族連れがどんどん前に出て行って視界を遮ってくれたために、目の前に現れる選手を見るので精一杯でゼッケンの確認なんてできる状態ではなかったのだ。
出場していた知人たちは、去年と同様に一時間半と二時間半を目指す選手たちとともに通過していった。二人目の知人が通過してしばらくしたところで、サイレンを鳴らさずに救急車がやってきた。コースの中央の植え込みに人が倒れていて係員がそばに立っているのが見えた。最初は、選手なのか、コースを横切ろうとして選手にぶつかって倒れた観客なのかは、わからなかったが、コースを走る選手の姿が途切れたところで、救助隊員がコース内に入って救助活動を始め、ゼッケンをつけた人を担架に乗せるのが見えた。毎年遠藤の観客をやっていて、初めての経験だった。
オロモウツ地方から選出で国会議員になっている農務大臣のユレチカ氏が、ほとんど最後尾を、走ると言うよりは、同行者とにこやかに話しながら歩いて通過していった。練習も何もなしで出場したらしい。政治家が選挙運動のつもりだか何だか知らんけど、こんなマラソンを冒涜するような真似するなよな。仮に走るだけ走って走れなくなって、へろへろの状態で歩いていたのだったら、文句を言う気にはならないのだが……。突然出るとか言い出して主催者に政治家の権力を使って出場を認めさせたんじゃないかとさえ疑ってしまう。真面目に走らない政治家の出場は禁止してしまえ。
当初の予定では、もう一件この日のスポーツについて書く予定だったのだけど、長くなったので日曜日の分にまわすことにする。
6月25日21時30分。
陸上の国対抗ヨーロッパ選手権の二日目もチェコ代表は頑張って、8位で残留を決めた。降格したのはベラルーシとオランダだったかな。6月26日追記。
2017年06月26日
通訳稼業の思い出話(六月廿三日)
オロモウツに住んでいる日系企業の方の誘いで、以前通訳として仕事をしていたときにお世話になった別の街の日系企業の方と三人でお酒を飲みに行った。ややこしい書きぶりで申し訳ない。一応匿名性は維持したいと思っているので、わかる人にはわかるんだろうけれども、固有名詞は出さないことにしている。そうなると、こんな書き出しになってしまうのである。
夕方の六時ぐらいに集まって夕食がてらお酒を飲み始めて、気が付いたら十時という、話のかみ合う人たちと少人数で濃密な会話を交わしながら飲むお酒は美味しいとうことを十分に感じさせてくれる幸せなお酒だった。誘ってくれた方には、感謝の言葉しかない。
あれやらこれやらいろいろなことについて話したのだけど、えっやめてよと思うような話が一つあった。以前通訳をしていた工場では、十年ぐらい前に仕事をしていた連中がまだ残っていて、日本から英語もよくわからない人が来て話が通じないときに、そいつらがグーグル翻訳を使うらしいのだけど、その時にあの人に聞いてみようと言って、昔の通訳、つまり俺の名前を使うらしいのである。
あいつらに忘れられていないというのは、嬉しいことであるけれども、グーグル翻訳と一緒にしてくれるなというのが正直な気持ちである。何せ、今は知らず、かつてその工場で通訳をしていたころのグーグル翻訳というのは、チェコ語で「prosím(お願いします/どうぞ)」と入れると、日本語で「くそしてえ」と出てくるような代物だったのだ。お前ら俺の通訳なんてそんなレベルだと思っていたのかとついひがんでしまう。
このグーグル翻訳の素晴らしい翻訳を発見したのが、オロモウツまでのみに来てくれた人なんだけど、あのときは、もう一人の日本人と三人で、この「prosím」が「くそしてえ」になる論理を探して盛り上がったものだ。結局、ある状況では、つまりもれそうになってこらえきれない状態で、トイレを貸してほしいとお願いするときにだったら、「くそしてえ」と言う意味で「prosím」を使えるんじゃないかということでまとまったのだったか。
この手の技術は日進月歩で進化しているから、今ではそんなひどい訳は出てこないと思いたいけれども、自分では使わないからなんとも言えない。書式の決まった文書の翻訳ならともかく、言葉にされない部分まで読み取って訳さなければならない通訳の場合には、今後も機械に頼りきるというわけにもいくまい。
それで、思い出したのが、工場の借り手と貸し手の間の話し合いを通訳したときのことだ。チェコ人スタッフを通じて話をしてもあんまり話が通じないからきてくれと言われて行ったら、トイレをどうするかの話をしていた。日系企業が借りた工場のトイレがあまりにひどすぎ、貸し手に改修をお願いしてもなかなかやってくれないので、自社でお金を出して新しくきれいなトイレを設置したらしい。
それに対して、貸し手側が賃貸契約が終わって出て行くときには、元に戻す、つまり新しいトイレを撤去してくれと言っていたのかな。借り手の日系企業にお金を払ってトイレを買い取るのは、経済的に難しいとか言い出したのに、日系企業の社長が、そんなケツのアナの小さいことは言いませんよと言って笑いを取ったあと(それをそのまま訳してしまう通訳も通訳だけどさ)、トイレなんて持って帰るわけにもいかないんだからただで差し上げると、寄贈することを申し出た。
そうしたら、それも税金の問題があるから困るという。最終的には、1コルナというとりあえず買い取りましたという言い訳の立つ最低限の価格で譲るということで話がついたのだったかな。通訳しながら、チェコにはややこしいルールがあるんだなあと思っていたのだけど、日本にも同じような決まりはあるかもしれない。まっとうな社会人として仕事したことがないからよくわからないのだよ。
それから、電気、ガス、水道なんかの料金請求に関する通訳もしたことがある。一般家庭でもそうなのだが、チェコでは、月々の使用量に基づいて料金を払うのではなく、前年の使用量に基づいて、毎月一定の額を支払っておき、年末に一年間の実際の使用量を基に金額を調整する形になっている。追加で払うこともあれば、お金が戻ってくることもあるのである。
日系企業の側が、それだと月々の実際の生産コストが算出できないから、毎月検針した上で、使用量に基づいた料金を請求する形にしてほしいと申し入れたのだ。財政的には、毎月支出が一定していた方が有利なはずなのに、何でそんなことを言い出すのかと、なかなか理解してくれず話がこじれたところに通訳として呼ばれたのだ。
電気会社などがこちらは善意で毎月一定額の契約を申し入れているのに、その善意をないがしろにするなんてと不満そうな顔をしているのを、毎月の経費を知ることの重要性を強調し、請求の仕方が変わることで手間が増えるなら多少料金が上がってもいいからとか何とかなだめて、要求を呑んでもらったのだったかな。
通訳ってのは言葉だけの問題じゃないのである。せっかく思い出したから、この手の話もいくつか書いてみることにする。
6月24日17時。
いや、真面目な話もしたんだよ。ケンタウルスとか、パンダとか、現場力とか。6月25日追記。
2017年06月25日
森雅裕『感傷戦士』『漂泊戦士』part2(六月廿二日)
承前
一冊目の『感傷戦士』がノベルズとしても比較的薄かったから、これは一冊辺りの厚さを薄めにして刊行ペースを上げ、冊数を稼ぐ方向で行くのだろうと考えていた。早川の「グイン・サーガ」とか、「ペリー・ローダン」辺りを見ればわかるように、大長編シリーズにするには、一冊辺りのページ数を少なめに、そしてほぼ一定にして、短い間隔で次々に出すというのが常套手段である。しゃべるように書く栗本薫や、人間業とも思えないスピードで翻訳するらしい松谷健二あたりと同じ刊行スピードを期待したわけではないけど、3ヶ月か4ヶ月に一回のペースで、最低でも五巻、いやpart5ぐらいまでは出るんじゃないかと期待していたのだ。
それなのに、part2が出たのは、8ヵ月後の1987年4月のことだった。題名は『漂泊戦士』、ルビは「ワンダー・エニュオ」である。驚いたのが三点、まず『感傷戦士』よりも遥に分厚かったこと。倍は行かなかったけれども、五割り増しぐらいにはなっていた。二つ目が表紙の絵に色が一色しか使われておらず、塗られていたのは髪の毛と、ズボンの片足だけだったことだ。この表紙はどう見ても大失敗で、本の魅力を大きく下げていた。それでも続きが読みたくて買ってしまった辺り、この時点で森雅裕の熱狂的なファンになる下地はできていたと言えよう。最後の三つ目の驚きは、この巻で完結するということだった。
内容は、もう前巻と同じく、死、死、死である。敵も味方もある意味平等に死んでいくのは、いさぎいいと言うか何と言うか。「少年ジャンプ」的に、困難を乗り越えるたびにさらに大きな困難が現れ、それにあわせて主人公の強さも上がっていくという能力のインフレーションが起こった結果、主人公はもはや人間ではなくなってしまう。そんな死の女神のような主人公がふと見せる人間くささというものを、どう評価するかで、この小説への評価は変わるかもしれない。
そして敵であれ、味方であれ、誰かが死ぬごとに積み重なっていく恨みと悲しみが、これでもかと言うぐらいエスカレートしたところで物語りは唐突に終幕、主人公の死に向かう。観念的で申し訳ないけれどもそんな印象を持った。死んだという直接の描写はなかったけれども、生きる理由を失ってなお生き続けられる主人公とも思えない。どことなく大薮春彦の『野獣死すべし』を思い起こさせる幕切れだった。伊達邦彦は後に復活したけどさ。
最後の最後に、蛇足のように付け加えられる一つの死によって、飛騨の山奥から始まったこの物語は幕を下ろす。読後感は、アガサ・クリスティの小説ではないけれども、「そして誰もいなくなった」である。いや「何もなくなった」のほうがいいかもしれない。見事なまでに、誰も、そして何も残らないのである。日本という国も自衛隊のクーデターも、この小説の中に描かれてきた世界が、死の前に全てかき消されてしまう。茫漠たる荒野すらそこには残らない。
この小説を書いていたとき、全てをぶち壊しにしたいという思いが作者をとらえていたのだろうか。それに共鳴できる状態のときに読めば、傑作になりうる、かもしれない。真の森雅裕ファンにとっては、森雅裕が書いたと言うだけで、数多の欠点も含めて傑作になるんだけどさ。
それにしても、この手のある意味超人が主人公となる小説で、米軍が悪役でマッドサイエンティストが出てきて、人体実験をするのはお約束みたいなものなのだろうか。「ウルフガイ」にも犬神明が米軍に狙われるシーンがあったような気がするし、田中芳樹の竜神の化身が主人公の『創竜伝』にも、主人公が切り刻まれるシーンがあった。
『創竜伝』が、同じ講談社ノベルズから出ていることを考えると、森雅裕と軋轢のあった編集者の仕掛けの可能性もなくはない。かくて作品に私憤をぶちまけ登場人物を文字通り皆殺しにしてしまう森雅裕から、作品に義憤をぶちまけるけれども人死には意外と出さない田中芳樹に、講談社ノベルズの人ならざるものを主人公にした作品の系譜が受け継がれたのである。どちらが、一般の読者受けがいいかというのは、言うまでもないことである。
森雅裕の小説に繰り返し登場するモチーフにいまどき流行らない苦学生というものがある。『画狂人ラプソディ』の亀浦にしても、『歩くと星がこわれる』の巽にしても、作者本人の自己投影が強すぎて、読んでいる時の気分次第では、作品の中に入っていけなくなる。だけど、この『漂泊戦士』の冒頭に登場する新聞社でバイクに乗って原稿取りをしながら大学を目指して勉強している人物には、名前も覚えていないのだけれども、妙に愛着を感じる。
自らの分身を主人公に据えた作品でもこのぐらいの突き放した感じで書けていたら、広い範囲に読者を獲得できていて、作家生命も延びて刊行冊数も増えていたのではないかと妄想する。その一方で、一般受けする森雅裕なんて森雅裕じゃないから、自分はここまで熱心なファンにはなれなかっただろうとも思う。森雅裕ファンてのはね、新刊が出ない慰みに、こんな妄想をしてしまうのだよ。そして、森雅裕が変わらなければ新刊が読めない、売れる方向に変わってしまったらそれは真の森雅裕ではないというジレンマに、苦しみはしない。その妄想の中のジレンマさえも楽しむ、それが森雅裕ファンとして生きていくコツである。
初めて森雅裕を読んですでに卅年、熱狂的なファンになってからでも廿数年を閲してなお、新刊の出なくて久しい作家のファンでい続けるというのは、こういうことなのだよ。最近は森雅裕を発見した若い人たちの文章をネット上で読むのも楽しい。以前は見たくない聞きたくないと思っていた森雅裕の悪口も、森雅裕について書かれているというだけで珠玉の詩篇に一変する。すでに知っていることしかかかれていなかったり、短すぎたり、事実誤認があったりしても全く気にならないのである。
ここまで来ると病膏肓に入るで、自分でも遠くまで来てしまったなあと思う。高校時代に、『モーツァルトは子守唄を歌わない』から始まって、『感傷戦士』『漂泊戦士』を読んだときには、何人書いた好きな作家の一人に過ぎなかったのだけど……。
再読している暇がなかったので思い出し思い出し書いていたら、またまた暴走して他人にはわからない文章になってしまった。でも、せっかく時間と労力をかけて書いたのだから、恥をさらすことにする。毎日さらしているって言えばその通りなんだけど、昨日今日の恥はいつもより少し大きいのである。
6月23日22時。
この二冊でこれだけの分量書くことになるとは……。6月24日追記。
2017年06月24日
森雅裕『感傷戦士』『漂泊戦士』part1(六月廿一日)
森雅裕が最初から長編シリーズとして書いた唯一の作品である。シリーズ名が「五月香ロケーション」で、一巻、二巻ではなく、「part1」「part2」が使われているというあたりちょっと気取った感じがして、作者の気合の入り方を感じてしまうのは誤解だろうか。二巻で終わっちまったしなあ。とはいえ、二巻で終わった理由は作品とは別のところにあるようだけど。
1986年8月に「センチメンタル・エニュオ」とルビを振って刊行された『感傷戦士』が、二冊目に読んだ森雅裕の作品で、初めて自分で買った森雅裕の本だった。刊行時期としては『椿姫を見ませんか』のほうが早いが、田舎の品揃えの悪い本屋に推理小説の、しかも新人作家のハードカバーなんか入荷するわけがないのである。金がなかったから、ノベルズと文庫の棚しか見ていなかった可能性はあるけどさ。
カドカワノベルズの『画狂人ラプソディ』も同時期に本屋で見かけたが、『感傷戦士』を選んだ理由のひとつは作者本人が挿画を手がけていたことである。芸大出身者ってのは多才なものだと感心してしまった。どうしてそんなことになったのかは、後に『歩くと星がこわれる』や、『推理小説常習犯』を読んで推定できたのだけど、文庫版のカバー画が、漫画家が手掛けた『椿姫を見ませんか』のカバー画と同じような構図なのも当てつけなのかねえ。
主人公の「五月香」を「メイカ」と読ませる辺りにも、うまい当て字だなと妙に納得してしまったけど、新しい名前というよりは、昔の新しい名前という印象を持った。それは、作中に「ハイカラ」な名前だと書いてあったからかもしれない(今回再読しないで書き始めたので確認していないのである)。今では、「五月香」を見たら、何のためらいもなく「メイカ」と読んでしまうから、毒されたと言うかなんと言うか。「五月香」を「メイカ」と読ませるのに違和感を持たない人だったら、「五月香ロケーション」『サーキット・メモリー』を読む甲斐はあるかもしれない。
そうなのである。『感傷戦士』だけを読んだのでは気づけない問題点が、同時期に別の出版社から出版された二冊のノベルズ版の主人公の名前が同じだということなのである。この「梨羽五月香」というのは、森雅裕にとって大きな意味を持つ名前なのだろう。ただ、出版社からは嫌がられたに違いない。『サーキット・メモリー』の版元の角川との関係が切れたのもこれが一因だろうし、出版が遅れた原因の一つにもなっているはずである。
では、肝心のストーリーはというと、台湾の虎が人間になったという伝承を持つ少数民族と飛騨忍軍の末裔にあたる女の子が、自衛隊員に引き取られて、美しく成長して自衛隊との戦いに挑むアクション小説である。設定は伝奇小説で、内容は血沸き肉躍るではなく、血が噴き出し肉が飛び散るバイオレンス小説と言ってもいいか。カテゴリーとしては「美少女戦士モノ」なんてことも言えるから、そういうのが好きな人には受けそうなんだけど、それほど人気が出たようには見えないのは、人が死に過ぎるせいである。
そう、この小説、みんな死ぬのである。敵も味方も関係なく、重要そうな役割で出てきた人物もあっさり死んでしまう。真の敵役だけは、次巻へとつなげるために生き残るけれども、あとはもうみんな片っ端から死んでしまう。主人公すらこのまま死んでしまうのではないかと思わせるような終わり方だし。『銀河英雄伝説』のあとがきか何かで田中芳樹が死んでいくキャラクターが多いことから、「ミナゴロシの田中」と呼ばれているとか書いていたけれども、ミナゴロシの度合いでは、森雅裕のこの作品のほうが上なのである。
高校時代に同じSF読者(マニアにはあらず)として本の貸し借りをしていた友人曰く。これ何か、平井和正の「ウルフガイ」っぽいねと。あっちは狼男だったけど、こっちは虎女だし、超人的な身体能力ってもの当たっているし、なるほどと思わされた。それなのに、何でこんな救いのない話になってしまうのか……。「ウルフガイ」も田舎じゃ手に入りにくくて、全部読んだわけじゃないけど、あれも、アダルトウルフガイのほうはともかく、少年編は結構救われない話だったっけ?
高校の頃から大藪春彦なんかのハードボイルドも読んでいたから、人が死んでいく小説には抵抗感はなかったし、当時は若気の至りで死というものにありもしない甘美さと憧れを感じていたから、ある意味死に魅入られた主人公、死を呼ぶ女梨羽五月香は、その危うさも含めてものすごく魅力的に見えた。それに、主人公が窮地に陥ってそこから血のにじむような思いをして脱出するのもこの手の小説としては必要なことだというのは理解できた。それでも、ここまで精神的にも肉体的にも主人公を痛めつける必要があったのだろうかと思わずにはいられない。
この作品では、鎌倉に住むすべての黒幕の名前も問題になる。作品の出来とか、面白い面白くないには関係ないのだけど、森雅裕という作家について考える場合には避けて通れない。「宇」で始まる名字で、旧日本軍の関係者ということだったので、あれこれ調べた結果発見した旧海軍の重鎮「宇垣一成」をモデルにしたものだろうかと考えていたら、事実はさらにとんでもなかった。
実は、講談社の実在の編集者の名前をそのまま使ったらしいのである。ネット上の森雅裕についての言及の中には、この事実を、講談社、いや、その編集者との関係は、『感傷戦士』が書かれたころは悪くなかった証拠だと言っているものがあったけれども、本当にそうか? 『推理小説常習犯』で、読者が人が死ぬ推理小説を読んでカタルシスを感じるというのに疑念を呈した上で、作者は作品中で憎んでいる人物をモデルにした登場人物を虐殺することでカタルシスが得られるなんてことを書いていたことを考えると、すでにこの時点では、関係が修復できないところまでこじれていたと考えたほうがよさそうである。
『推理小説常習犯』の「ミステリー作家風俗事典」の「折句」「シリーズ」あたりを読むと、森雅裕と「五月香ロケーション」と名前が使われた編集者の関係が見えてくる気がする。さらに言えば、雑誌に連載を頼まれたときに、一冊最後まで書き上げたものを分載するという形で連載するということで話がついていたはずなのに、書き上げて持っていったら雑誌の連載の話は消えていてそのまま本として刊行されたなんて愚痴っていたのもこの作品だろう。それも、悪役に編集者の名前を付けて主人公にぶち殺させるという所業が原因なんじゃないかと思ってしまう。単行本よりは雑誌の方が人目につく可能性は遥に高いわけだし。
以下次号
6月22日20時。
いつも以上に読む人を選ぶ内容になってしまった。最期まで読めた人はいるのだろうか。6月23日追記。
2017年06月23日
難民問題に関してチェコを擁護する(六月廿日)
EUの、いやドイツの陰謀で、チェコ、スロバキア、ポーランド、ハンガリーの所謂ビシェグラード四カ国が、EUに押し寄せる難民の受け入れを拒否しているというイメージが広がっている。何でも難民受け入れに協力しないこれらの国は、非人道的でヨーロッパの連帯というものを無視しているのだそうだ。
チェコに住んでいれば、これらが単なる言いがかりに過ぎないことが理解でき、ドイツが焦っていることにざま見ろという気持ちを抱くことになるのだが、一応、チェコの弁護をしておこうと思う。一部、すでに書いたことの繰り返しになるのは、今回は気にしないことにする。
まずはっきりさせておきたいのは、チェコは難民の受け入れ自体は、拒否していないと言うことである。各地に難民申請者が、結論が出るまで収容される施設があり、現在は収容人数が十人単位に減っているが、一番多かったときには百人単位で収容されていた。身元を引き受けてくれる団体がある場合には、そういう施設に入らないこともあるし、チェコはチェコへの亡命を希望する難民は受け入れているのである。ただし、チェコを希望する難民が少ないのは事実である。
チェコが拒否しているのは、ドイツ行きを希望する難民の受け入れである。正確には、ドイツがEUに指示して制定させたヨーロッパに入ってきた難民を、加盟国ごとに受け入れ枠を決め自動的に振り分けるというルールである。大半の難民がドイツ行きを希望する以上、チェコに押し付けられるのも、ドイツ行きを希望し、その途中にある国や、国の住民を障害物としか考えていない連中になることは火を見るより明らかである。
そんな連中がチェコに行かされるとわかったときにどんな反応をするか考えてみればわかるだろう。それが告げられた場所で暴動を起こしかねない。何ヶ月か前にチェコの収容施設で、難民申請が認められず強制送還になるかも知れないという根も葉もないうわさが流れただけで、何人かの申請者が暴動を起こして部屋に立てこもるという事件が起きて警察が出動する事態になっている。チェコを希望してやってきた人たちでさえこうなのである。ドイツ希望でチェコに押し込められたりしたら、どんなことになるのか想像もしたくない。
ドイツなどの所謂先進国では、難民申請をした人は、収容所に閉じ込められるのではなく、ある程度行動の自由が認められているようである。それは人道的には素晴らしいことなのだろう。チェコの収容所で、ドイツ行きを目指しながらチェコへの不法入国で捕まって収容されている連中が、待遇が悪いと暴動を起こすのはドイツでの扱いを知っているからだろう。
チェコでドイツ行きを希望する難民を受け入れ、ドイツと同じように難民申請者に行動の自由を与えた場合に、どんなことが起こるか。これも想像力のかけらさえあれば簡単にわかる。収容所を出てそのままドイツに行ってしまうのだ。それを防ぐすべばチェコ政府にはない。防ごうとして収容所から出られないようにしてしまえば、手をつけられない暴動が起こるだろう。
チェコ政府がキリスト教系の団体と共同で、イラクのキリスト教徒たちのうちチェコに亡命を規模する人たちを、事前に厳重な審査をしたうえで、政府の飛行機を派遣してまでチェコにつれてきて難民として受け入れたことがある。そこまでされてなお、チェコにつれてこられた連中の一部は、キリスト教の団体に身元を引き受けてもらっていたおかげで収容所に入れられていなかったことを利用して、ドイツに逃げ出してしまったのだ。チェコ側の善意が見事に悪用されてしまったのだ。この件以降、チェコで難民を積極的に呼び寄せようという声が聞かれなくなった気がする。どうせお前らみんなドイツに行きたいんだろ、ドイツに行けよというのが、現在のチェコ人の多くが難民に対して感じていることであろう。
最初にEU加盟国に強制的に難民の受け入れを割り当てるという案が出てきたときに、チェコ政府は以上のような問題点を挙げて反対した。それに対して返ってきた答えは、対策ではなく、難民一人当たり一日いくらのお金を出すから受け入れろと言うものだった。お金が出たところで、難民たちのドイツへ行きたいという希望を変えることも、阻止することもできないというのに。
仮にEUが、この問題の解決策を見出すことができなかったとしても、せめてチェコが受け入れた難民がドイツに逃走したとしても、チェコの責任は問わないぐらいのことは約束してもらわないとチェコ側としては、交渉の席にすらつけない。フランスが難民としての登録をしないまま不法滞在してイギリス行きを狙っている連中を放置しているせいで、イギリスへ製品を運ぶチェコなどの長距離輸送業者は大きな迷惑を被っている。フランス側で、カミオンの貨物室の鍵を破壊したり、ほろを切り裂いたりして中に入りこまれたら、イギリス側で密入国の幇助をしたということで、運転手が処罰せられるのだ。下手に事前にチェックをすると、暴力的な難民が隠れているのを発見して、、命の危険を感じることさえあるという。これを国レベルでやられたら、たまったもんじゃないのである。
最近は、ドイツあたりが、チェコなどの国を、EUを補助金をもらうための機関だとしか考えていないのではないかと批判し始めた。正直バカも休み休み言えとしか思えない。この発言は、ドイツが、旧共産圏のEU加盟国を、金さえ出しておけば言いなりになる国としてしか見下していることの証明に他ならない。その証拠に、今度は何らかの協定に違反したという理由で罰金を科すと言い出した。
受け入れを拒否したら、金を出すから受け入れろと言い、それでも拒否したら受け入れないと罰金を取るぞというのだから、「EUとは金なり」と理解しているのは、チェコなどではなくドイツである。この難民問題に関して、チェコはむしろEUというのは、金だけの組織ではないことを主張しているのである。
それに、協定に違反したから罰金だと言うのなら、先に罰金を科されるべきはEUとドイツである。難民問題が深刻化した原因の一つは、ドイツのメルケル首相が独断で、シェンゲン協定によって定められた難民受け入れのルールの適用の停止を決めたことで、それを追認したEUも同罪である。現在のまずドイツありきのEUに、「民主主義」的な意思決定など存在しない。だからこそイギリスは脱退を選んだのだし、フランスはEUの改革を目指しているのだ。
基本的にチェコの政府には文句しかないが、この難民強制受け入れ枠に関してだけは、全面的に支持する。チェコでは珍しいことに野党も与党のやり方に賛成しているから、チェコが受け入れではなく、受け入れ枠を拒否するのは民主主義の考えから言っても当然なのである。このチェコなど四カ国の反乱がEUのドイツ独裁を断罪するきっかけになってくれると、かつての加盟国の事情に配慮できていた多様性を許容する緩やかな連合体としてのEUへの回帰につながるのではないかと期待しておきたい。
最後にEUへの疑問を一つ。難民本人の希望を無視して、勝手に行き先を決めて放り込むのは、お得意の人道的な扱いからは逸脱しないのかねえ。
6月21日22時。
2017年06月22日
お酒の話4(六月十九日)
ポノルカというと、チェコ語では潜水艦を意味する。オロモウツでは、共和国広場に近いトラム通りのある飲み屋をさす。その飲み屋には別に正式な名前があるはずなのだが、誰もその名前を使わず、ポノルカと呼んでいる。それは入り口のドアが潜水艦についているものに似ているからそう呼ばれているのだったか。
五月三十日の夜のニュースで、翌日からのレストラン、飲み屋などでの全面禁煙令の施行を前に、チェコ各地の飲み屋で客たちが最後のタバコが吸える夜をどのように過ごしているかをレポートしていたときに、オロモウツの飲み屋のとしてはポノルカが取り上げられていたのを見て、ちょっと懐かしい気分になった。もうもうと白く立ち込めた煙には昔何度か行ったときに苦しめられたけど、テレビの画面越しに見るのだったら苦にならない。喫煙者は路上に放置するより、こういうお店を、喫煙者以外立ち入り禁止にして、押し込めておくのが一番いいと思うのだけど。
このポノルカは、注文しないのにビールが出てくるお店だった。普通のお店では、客の注文を受けてからビールを注ぎ始めるのに対して、ポノルカではビールを注いでから、注文しそうな客を探すのである。タイミングが悪いとまだ半分ぐらいしか飲んでいないのに次を持ってこられることになる。煙草の煙だけでなく、これにも閉口させられたのが、ポノルカに行かなくなった理由だっただろうか。こんな店ばかりだったら困るだろうが、一件ぐらいはあってもいいような気はする。自分で行きはしないだろうけどさ。
それから、もう一つ、忘れてはいけないポノルカが、チェコ語のサマースクールに来たポーランド人たちがオロモウツに広めようと画策していたけったいなお酒の飲みかたである。ある日、クラスの連中で夕食に行ったとき、奴らはビールだけではなく、グリオトカという甘ったるいお酒を一緒に注文した。500ミリリットルのジョッキに入ったビールと、小さなショットグラスに入ったグリオトカを受け取って、あろうことかショットグラスをビールの中に沈めたのだ。
ビールのジョッキの上の部分は、白い泡に覆われているので、ショットグラスをビールに沈めても、ゆっくり丁寧にジョッキの中に落としてやる必要はあるが、ビールがこぼれるということはない。ポーランド人たちの話によると、最初は二つのお酒が混ざっていないので、普通のビールと同じ味で、飲む際にジョッキを傾けることで、ショットグラスの中のグリオトカがこぼれて少しずつビールに混ざっていくから、味も少しずつ変わっていくのだという。ということは、最後にはグリオトカのほうが強い甘いビールになるということか。
甘いビールなんて飲みたいとは思えなかったので、自分では試さなかったが、一緒にいた連中の中には、日本人も含めて試した人たちがいた。その評価は、美味しいから二度と飲まないまで大きく割れていた。
ポーランドでは、ビールを海に、ビールに沈むグリオトカを潜水艦に見立てて、この飲み方をポノルカと呼ぶのだという。お店の人たちは、最初はビールとグリオトカという組み合わせに、こいつら何を考えているのだろうという顔をしていたのだが、ポーランド人たちが毎日注文して、飲み方も実演して見せ、試し飲みをさせたこともあって、サマースクールが中盤に入るころになると、ポノルカという言葉で、ビールとグリオトカの組み合わせを注文できるまでになっていた。あのお店はすでになくなっているので、今でもこのポノルカという飲み方が通じるお店がオロモウツにあるかどうかはわからない。
正直な話、こんな変なお酒の飲み方をするのは、ポーランド人でも特殊な一部の連中だけ、具体的に言うとサマースクールに来ていた学生の通う大学関係の人たちだけだろうと思っていた。それがあるとき、シレジア地方の日系企業で通訳の仕事をして、食事をしながらチェコ人とお酒の話をしていたら、その人の知り合いのポーランド人もポノルカのようなお酒の飲み方をするという。
それをポノルカと呼んでいたかどうかはちょっと記憶にないが、ビールの海に沈める潜水艦が、赤黒いグリオトカではなく、緑のゼレナーとうお酒だと言っていた。ゼレナーは見た目も鮮やかな緑色のリキュールで、飲んだことがないからどんな味なのかはわからないけど、ビールと一緒に飲みたくないという点では、グリオトカと大差ない。
こういうステレオタイプ的な結論は、あまりいいことではないのだろうけれども、ポーランド人ってのは、理解できそうでできない言葉だけではなく、酒の飲み方も変なのだ。
6月20日20時。
イェリーネクのお酒発見。でも、ウォッカでは意味がない。せっかくだからチェコにしかない(よその国に似たお酒があっても名前が違うはず)スリボビツェを輸入すればいいのに。チェコ好きは飛びつくと思うけど。6月21日追記。
2017年06月21日
お酒の話3(六月十八日)
今度こそモラビアの蒸留酒のお話である。すでに何度か名前だけは登場しているスリボビツェが代表的で、一般にはまとめてスリボビツェと呼ばれることが多いのだが、実は原料となる果物によって名前が変わるのである。代表的なスリボビツェというのは、本来スリーバという果物から作られたお酒の名前である。
問題はこの果物を日本語で何と呼ぶかである。「梅」と訳して済ませてしまう人が、日本語のできるチェコ人にも、チェコ語のできる日本人にもいるけれども、スリボビツェの原料となる果物の青い、もしくは青紫色の果皮を見ると、日本の梅と同じものだとは思えない。梅は、いわゆる青梅か、梅干になったのしか見たことがないから、熟した梅はあんな色なのかもしれないけどさ。
この手の果物は交雑と変異を繰り返して、常に派生種を生みだしているので、日本のどれと、ヨーロッパのどれが同じものなのかというのはよくわからないものである。ちょっと調べてみたところ、チェコのスリーバとその派生種は、梅よりも、その近縁種であるスモモ、特にセイヨウスモモに近い果物のようである。黒田龍之助師に習って、スモモの一種と呼んでおくのが、一番適当な翻訳ということになろうか。
チェコでも、スリーバよりも、シュベストカとか、トルンカと呼ばれることが多いのは、別名というよりは、品種が違うと考えたいところである。実の大きさ、果皮の色合いが微妙に違うものが、たくさんあるのである。とまれ、スリーバ、シュベストカ、トルンカなどと呼ばれる果物を材料にした蒸留酒が、スリボビツェということになる。
チェコ人は、いや、モラビアの人たちは、市販のスリボビツェは飲めねえと言う。人によってはイェリーネクという会社のものだけは許すと言う。イェリーネク社は、怪優ボレク・ポリーフカが国王となったバラシュシュコ王国の首都のような町ビーゾビツェに工場がある。この町では、ワイン産地のビノブラニー(ブドウ狩り祭)に習って、トルンコブラニーというお祭りが毎年行われている。子供向けのベチェルニーチェク用に制作されたネズミが主人公の人形アニメーションの舞台となったゴミ捨て場も、ビーゾビツェじゃなかったか。声を担当したのがボレクだったし。
チェコの人形アニメーションといえば、イジー・トルンカの名前が挙げられるのだが、この人の名字が、スリボビツェの原料となる果物を意味しているというのは、チェコに来るまで知らなかった。それでトルンカがビーゾビツェか、近くのアニメの制作でも有名なズリーンの出身だったりすると、面白いお話が出来上がるのだけど、違うだろうなあ。
話を戻そう。モラビアの人は、市販のスリボビツェを飲まずに、どうするのかというと、自宅で造るのである。田舎に住むチェコ人は庭付きの家に住んでいることが多く、庭では様々なものを栽培している。そして、庭には果樹が植えられていることが多い。その果樹に実った果実からお酒を造るのである。果物の種類によって、洋ナシだったらフルシュコビツェ、リンゴだったらヤブルコビツェなどと、呼び名が変わることもあるが、あれこれ混ぜ合わせることも多いので、全部まとめてスリボビツェと言ってしまうことが多い。
スリボビツェを造るための果実は果樹から摘み取ってはいけない。熟して熟して熟しきったものが地面に落ちて、腐りかけたようなものを拾い集めるのである。拾い集めたものは適当な容器に入れて地下室などに置いておいて発酵を進めさせる。発酵とは、有益な腐敗であるとか何とかどこかで読んだ記憶があるが、それを地で行くのがチェコのスリボビツェ造りである。
発酵が進んだら果物の残骸を取り除いたり不純物が残らないように濾過したりするのだろう。自分でやったことがないのでよくわからないのだけど、とにかくこの時点では、果物を発酵させて造った醸造酒でしかない。その醸造酒を蒸留所に持っていくのである。
チェコには、特にモラビアには、各地に醸造酒を持っていけば蒸留させてくれる蒸留所が存在している。この手の蒸留所は、国に正式に登録されたもので、蒸留したアルコールの量を正確に記録することが義務付けられている。利用者は、蒸留したアルコールの量によって課される酒税を、施設の使用量とともに蒸留所に支払うことで、個人的に造った蒸留酒を合法的なものにすることができるのである。
この自家製蒸留酒に関しては、EUへの加盟交渉の際に問題にされかけたことがあるらしい。EUが禁止したがったのをチェコ政府が交渉して禁止させなかったのだという。その話に対して、知り合いのモラビア人たちは、自家製スリボビツェを禁止されるぐらいだったら、EUなんか入らない方がましだとスリボビツェを飲みながらおだをあげていたのだけど、このEUが禁止しようとしていたんだと言う話は、酔っ払い以外から聞いたことがないので、どこまで本当なのかはわからない。
自他共に認める左利きとしては、最近めっきり酒量は減っているけど、この自宅で育てた果物を使って蒸留酒を造るという伝統が、今後も世代を超えて受け継がれていくことを願って已まない。この酒文化は、EUなんぞより遥に重要である。
6月19日23時。