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2018年03月31日
形容詞比較級最上級2(三月廿八日)
承前
また「-hý」「-chý」で終わる形容詞の中にも、比較級で「ší」のみを使うものがある。その場合子音交代を起こして、「-?ší」「-šší」となる。
drahý → dra?ší → nejdra?ší(高い)
tichý → tišší → nejtišší(静かな)
一部の「-ký/-oký」で終わる形容詞も同様である。この場合、語尾の長母音だけでなく「-ký/-oký」をとって「ší」をつける。語幹の長母音が短母音になったり子音交代を起したりする場合もある。
krátký → kratší → nejkratší(短い)
hluboký → hlubší → nejhlubší(深い)
vysoký → vyšší → nejvyšší(高い)
blízký → bli?ší → nejbli?ší(近い)
最後の不規則の中の規則は、「-ký」で終わる形容詞の中の比較級の語尾が「-?í」になるものである。ということで例を挙げると、
lehký → leh?í → nejleh?í(軽い)
m?kký → m?k?í → nejm?k?í(軟らかい)
「-ký」で終わる形容詞には、原則どおりに「ý」を取り去って単に「ejší/?jší」をつけるだけでいいというものは存在しない。全て何らかの形で不規則になってしまうのである。それを覚えておくだけでも、初期の間違いは減る。慣れてくると「kejší」という響きに気持ち悪さを感じて、これはありえないと気づけるようになるのだけど。
一つ今でもよくわからないのが、「horký」である。「hor?í」にしても、「hor?ejší」にしてもなんだか落ち着かない。そんなときどうするかというと、副詞の「mnoho/moc」の比較級・最上級をつけてやるのである。
horký → víc horký → nejvíc horký(暑い)
副詞の比較級のつくりかた、いやその前に形容詞から副詞を作る方法が先か、についてはいずれまたまとめるけれども、形容詞の比較級に自信か持てないときには、他の形容詞の場合にもこの方法を使うことができる。乱用するのはお勧めしないけど。
正直な話、完全に規則的だといえる「ejší/?jší」をつけるもの以外は全て不規則扱いにして、一つ一つ覚えていったほうがいいような気もする。ただ語末の長母音の前に来る子音によって存在する傾向はあるから、それを意識するために、パターン化しておくのは悪いことではない。問題は、規則的なのか、部分的に規則的なのかが、覚えていないとわからないことである。例えば、「šedý(灰色の)」の比較級が「šed?jší」になるのか「šedší」になるのかは、ワードの校正機能では後者が正しいとされているけれども、前者の方がいいような気がしなくもない。とにかく、比較級の語尾が「ejší/?jší」にならない形容詞は、おぼえる必要があるのである。
最後に一般に不規則とされる形容詞であるが、数はそれほど多くない。多くないけれども、重要でよく使うものばかりである。語幹が似ているものもあれば全く違うものもあるので、いつものように覚えるしかない。
velký → v?tší → nejv?tší(大きい)
malý → menší → nejmenší(小さい)
dobrý → lepší → nejlepší(いい)
špatný → horší → nejhorší(悪い)
zlý → horší → nejhorší(ずるい)
dlouhý → delší → nejdelší(長い)
えっ? これのどこが簡単かって? 名詞の格変化よりは簡単に覚えられるし、問題は長母音の前の子音でどう不規則になるだけだし、動詞の現在活用と比べてもまだこちらの方が簡単な気がする。ああ、でも、この形容詞の比較級と最上級も、形は変わったとはいえ形容詞なので、各変化させる必要があるか。それでも幸いなことに軟変化の形容詞扱いになるから比較的楽なはずである。これで硬変化だったと思うと、さすがにちょっとげんなりする。
それもこれも、チェコ語を勉強しようなんてことを考えた自分が悪いのである。そしてこんなのチェコ語の難しさのうちには入らないと言えるようになった人だけが、チェコ語を身につけられるのである。いや、違う、難しいとか簡単だとかいうことを気にしない人の方がいいか。
2018年3月28日23時。
こちらはあまり使わなかった。
2018年03月30日
形容詞比較級最上級1(三月廿七日)
昔、日本でチェコ語を勉強していたころ、東京の四谷にある大学書林という語学系の出版社が運営する語学学校DILAに通っていたのだが、そこの先生が日本で普通の生活をしていても接する可能性のあるチェコ語として二つの例を教えてくれた。
一つは、『マスター・キートン』の浦沢直樹が連載していた『モンスター』で、舞台がドイツからチェコに移っていたのだ。当然、出てくるレストランの名前なんかはチェコ語で、「U t?í ?ab(三匹の蛙)」なんて名前が付いていたわけだ。それから主人公がプラハのホテルでテレビのニュースを見ているシーンで、チェコ語のニュースを聞いて(もちろん吹き出しにアナウンサーの台詞がチェコ語で書かれていた)、「nemocnice u svatého Jakuba」というのを、「聖ヤコブ病院」と理解していたのを覚えている。この作品には、チェコ語ができる協力者が付いているのか、驚くべきことに正しいチェコ語が使われていると先生は評価していた。
もう一つが、チェコのピルスナー・ウルクエルと協力関係を結んでいたキリンビールのテレビコマーシャルである。たしか、外国で生産されている典型的なタイプのビールをキリンが期間限定で生産販売するという企画があって、そのうちの一つとしてピルスナー・ウルクエル的なピルスナータイプのビールが選ばれていた。日本のビールも多くはピルスナータイプに分類されるけれども、その特別ビールは原料を麦芽とホップと水だけにすることで、ピルスナー・ウルクエルに近づけていたのだったかな。テレビを持っていなかったので、そのコマーシャルを見たことはないのだけど、先生の話では、ピルスナータイプを手にした女性が早口で、「Pilsner je nejlepší」と言っていたらしい。
だから、形容詞の比較級、最上級を勉強しましょうねという話につながったと記憶しているのだが、「nejlepší」は、形容詞「dobrý」の最上級、「nej」を取った「lepší」は比較級になる。もちろんこれは規則的な変化ではなく、不規則な比較級、最上級の作り方だけれども、比較級の前に「nej」を付けると最上級になるというのは規則的である。また形容詞の比較級、最上級にも格変化が存在し、軟らかい長母音「í」で終わることから「jarní」などと同じように軟変化の形容詞として扱われることになる。
チェコ語でチェコ語を説明してもらうときのために、チェコ語での言い方を説明しておくと、ラテン語起源の文法用語では、比較級が「コンパラティフ(komparativ)」、最上級が「スペルラティフ(superlativ)」になる。格変化の一格、二格と同様のチェコ語的な表現もあって、「ドルヒー・ストゥペニュ(第二段階)」「トシェティー・ストゥペニュ(第三段階)」となる。本来の形を「第一段階」としての呼称である。人によってはこちらのほうを使うかもしれない。
では、規則的な比較級の作り方はというと、名詞の格変化なんかに比べたらはるかに簡単である。あれより難しいものを探すのは大変だろうけど、チェコ語学習者にとっては規準となるのは名詞の格変化であり、そのおかげで難しいというためのハードルはかなり高いのである。それがいいことなのか悪いことなのかはわからないけど。
まず、規則的な比較級、最上級の作り方から行くと、語尾の長母音「ý/í」を取り去って、「ejší/?jší」をつけるだけである。ハーチェクがつくかどうかは前に来る子音次第である。ということで、例を挙げれば、以下のようになる。
blbý → blb?jší → nejblb?jší(バカな)
rudý → rud?jší → nejrud?jší(紅の)
pomalý → pomalejší → nejpomalejší(遅い)
známý → znám?jší → nejznám?jší(知られた)
?erný → ?ern?jší → nej?ern?jší(黒い)
?lutý → ?lut?jší → nej?lut?jší(黄色い)
zdravý → zdrav?jší → nejzdrav?jší(健康な)
ここに挙げたのはすべて硬変化の形容詞だが、軟変化の形容詞は例外なく「ejší/?jší」をつけるから、迷う必要はない。
完全に例外とは言えないが、子音交代を起こすものもあって、「-rý」で終わるものは「-?ejší」になり、「-hý」は「-?ejší」、「-ský」は「-št?jši」、「-cký」は「-št?jší」となる。
chytrý → chyt?ejší → nejchyt?ejší(賢い)
p?átelský → p?átelšt?jší → nejp?átelšt?jší(友好的な)
politický → politi?t?jší → nejpoliti?t?jší(政治的な)
ubohý → ubo?ejší → nejubo?ejší(あわれな)
ある程度規則的な例外としては、「-dý」「-tý」で終わる形容詞で、「?jší」ではなく「ší」のみをつけるものがある。その場合「dší」「tší」は、「チー」と読むのは言うまでもない。それから、「-rý」で終わるものの中にもこのグループに入るものがあるか。
tvrdý → tvrdší → nejtvrdší(硬い)
bohatý → bohatší → nejbohatší(金持ちの)
starý → starší → nejstarší(古い)
微妙な例外が多くて長くなってきたので以下次号。
2018年3月27日22時。
これで始める必要はないけれども、日本人でチェコ語を勉強する人は一度は使うべきである。
2018年03月29日
スロバキアの思い出−スカリツァ(三月廿六日)
チェコに住んで長いけれども、チェコに来て以来、スロバキアに出かけたことはほとんどない。以前書いた自転車でスロバキアに出かけた以外に行ったことがあったっけと考えて、ないことに気づいてしまった。チェコ国内では申請できないビザを申請したときには、チェコ語が通じるブラチスラバのチェコ大使館ではなく、知人の伝を頼ってウィーンで申請したし。
あのときは、日本の無犯罪証明書もウィーンの日本大使館で申請して失敗したのだった。日本の役所の縄張り意識の強さを忘れていたぜって、在留届を出していなかったのも問題だったし、外務省に文句を言う筋合いではない。一番の問題はチェコにすんでいながらプラハには行きたくないという理由でウィーンに行くことを選んだ自分なのだから。
そうすると、スロバキアをある程度観光したのはビロード革命の直後の1993年だけということになるのか。当時はスロバキアに入るのにスロバキアのビザがいるのか、チェコのビザがあればいいのか情報が錯綜していた。国営の旅行会社のチェドックでは、チェコのビザがあれば問題ないから行けと言われたけれども、心配なのでプラハの日本大使館に質問しに行った。はっきりしたことは答えてもらえなかったけれども、ビザは取ったほうがいいだろうと言われて、できたばかりのスロバキア大使館に出かけてビザを取ったのだった。
チェコに三ヶ月ほどいて、スロバキアのブラチスラバに向かい、滞在中にチェドックでどこかにガイドブックに載っていないような見所はないかと質問したら、窓口のお兄ちゃんが声を大にして勧めてくれたのが、西スロバキアのチェコとの国境近くの小さな町スカリツァだった。片言の英語での話しだったので、正確に理解できたわけではないだろうが、ロトンダという特別な教会があるんだと言っているのは理解できた。
それで、ブラチスラバからチェコの戻る方向の電車に乗ってスカリツァに向かったわけなのだけれども、件のロトンダ以外には何もないような町だった。スカリツァのロトンダの写真は、 こちらのページ の真ん中の記事をご覧になられたい。原っぱの真ん中に建っていたのは覚えているけれども、こんなに丘になっていたかなあ。一番上の写真の立派な協会も記憶にない。
チェドックの兄ちゃんのお勧めの町のわりには観光するところもあまりなく、一つの町に何日か滞在するようにしていたので、周辺の町に足を延ばすことになった。そこで問題になったのが交通の便の悪さで、スロバキアのどこに行くのでも一度ブラチスラバに戻る必要があるようだった。それは避けたいので、ホテルの人にどこかないかと聞いたら、近くは近くでもチェコの町を勧められた。何日か前に国境を越えてきたばかりで、ビザも一回しか入国できないタイプで、チェコからスロバキアに入ったときにはパスポートのチェックはなかったけれども大丈夫なのか。
ホテルのおじさんは、自信を持ってパスポートのチェックなんかないから大丈夫だ。まだ一つの国のようなもんなんだからなどと言って、ブジェツラフとその近くのバルティツェだったかレドニツェだったかと、スカリツァから電車に乗って国境を越えてすぐのところにあるストラージュニツェを勧めてくれた。結局遠くまで出かけて帰ってこられなかったら困るということでストラージュニツェに向かったのだけど、切符は途中までしか買えなかったし、途中で降ろされるんじゃないかと電車に乗っている間は不安でしかたがなかった。検札に来た車掌さんもどうすればいいかわからないから放置するという感じだったかな。
そのおかげで結局何とかなってしまったのだけど、お城の入場料金とか、お金はどうしたんだっただろうか。当時は紙幣はスロバキアではチェコスロバキア時代のものにシールを張ってスロバキアのお金として通用させていた。硬貨はどうだったかなあ。分離独立して半年ほど新しい硬貨への切り替えは始まっていたけど、古い硬貨も通用していただろうか。新紙幣、新硬貨への切り替えが決まっても、即日全てのお金が入れ替わるわけでもないし。
上記の知人のブログの記事でスカリツァについて書かれているようなことは、何も知らんかった。片言以下の英語でそんな情報が手に入るわけがないのである。結局スカリツァで一番印象に残っているのは、街のレストランが営業しておらず(ほとんど見かけなかったようなきもする)、仕方なく利用したホテルのレストランで出てきたビールがチェコ、スロバキアで飲んだビールの中でダントツに美味しくなかったことだ。たぶん地元のビールだろうと思うのだが、現在まで生き残っていることはあるまい。
それにしても、スカリツァがコメンスキーと関係のある町だったとは意外である。西スロバキアでコメンスキーゆかりの町とされるのが、トレンチーン?、トルナバ?、どっちも行ったぞ。プーホフは、存在すら知らなかったけど、自分が25年も前に滞在した西スロバキアの町の多くがコメンスキーと関係していることに驚いてしまう。旅行者向けの観光地なんてコメンスキーの時代から存在したところが大半だろうから、確率が高くなるのは当然か。言葉ができないと観光しても建物とか街とか見てすげえで終わってしまうんだよなあ。今ならもう少しあれこれ知ることができると思うけれども、スロバキア語のシャワーを浴びることになるかと思うと、再訪する気にはなかなかなれないのである。
2018年3月27日10時。
国歌かな?
2018年03月28日
国民芸術家続(三月廿五日)
ふどばさんのコメントで存在を思い出した「národní um?lec」と「zaslou?ilý um?lec」について記事を書いたら、知り合いにこの称号を持つ方がいるというななしさんからコメントを頂いた。結構ネガティブなイメージを持っていたのだけれども、実際に受賞された方々の中にはそれを誇りに思っている方もいるという話を読んで、チェコスロバキアの共産党政権というものの評価の難しさを改めて思い知らされた。
一般には共産党=悪で、共産党員だった人や、秘密警察の協力者だった人も批判の対象になることが多く、今でも信仰を捨てず共産党員だという人以外は過去を隠していることが多い。熱心に活動していた人でも、共産党員だったことがわかると、あれはキャリアのために仕方がなかったんだという言い訳をする。たしかに、昔師匠から、英語を大学で勉強したかったけど、母親が農場の国有化の際にあれこれもめたせいで認められず、共産党に入党すればと言われて心が動いたと言っていたことがあるし、そういう面もあったのだろう。
しかし、それとは別に、自分の意思で、共産党政権の内部に入って守るべきものを守ろうとした人たちもいるらしいのだ。以前もちょっとふれたけれども、共産党時代のコメンスキー研究者の代表的な存在と見られている学者は、その学説があまりにも共産党よりで現在では強く批判され評価も低くなってしまっているのだが、このブログの主役の一人H先生の評価は全く違っている。
あの時代、共産党に支配された学界の内部でああいう学説になるのは仕方がなかったのだという。そして何よりも大切なのは、その学者が存在してチェコのコメンスキー学界の頂点に君臨してある程度共産党に都合のいい説を発表することで、チェコスロバキアのコメンスキー研究を守ったことだという。H先生は、仮にあの人が共産党の内部でああいう活動をしていなかったら、チェコスロバキアのコメンスキー研究は壊滅していた可能性もあるのだと仰っていた。
H先生自身は、共産党政権に対しては反対の立場を崩さず、研究を続け論文を発表するのにも、本を出版するのにも苦労し、博士の学位はブラチスラバの大学の先生の好意で半ば秘密に取らなければならなかったというけれども、先生が秘密でとはいえ研究を続けられたのも、共産党政権の内部で信を枉げてまで活動していた学者達のおかげなのだろう。H先生に博士号をとるチャンスを与えた教授もその一人で、H先生の学位の件で処罰を受けかねなかったのだという。
こんなことを考えると、「národní um?lec」と「zaslou?ilý um?lec」なんかを管轄していた共産党政権の文化行政の担当者の中にも、そういう内部から文化を守ろうとした人がいたのだろうと思われてくる。だから、共産党を嫌いつつ称号を誇りに思っている老芸術家達は、共産党政権に叙勲されたことではなく、政権内部で文化を守るために奮闘していた担当者に、共産党政権にふさわしい芸術家ではなく、チェコスロバキアを代表する芸術家として認められたことを誇りに思っているのだと考えておきたい。
もちろん、ここに書いたことは単なる憶測に過ぎないのだけど、共産党政権の時代のことはあしざまに振り返るのに、当時の文化、映画やテレビドラマなどについては、多少の共産党臭があるものも含めて愛してやまないチェコ人たちを見ていると、あながち間違ってはいないような気がする。
ついでに秘密警察への協力者についても一言しておけば、協力者として登録され監視された人物の情報を秘密警察に提供していた人たちの中にも、積極的にすべての情報を上げてくる協力者と、当たり障りのない情報しかあげてこないやる気のない協力者がいたらしい。この件に関しては、一番重要な協力者の名簿は革命直後に処分されたという話もあるし、名簿に載っているのは本名ではなくコードネームらしいし、チェコ史の闇の一つになってしまっている。
全貌が明かされることはないだろうけれども、秘密警察と非積極的協力者の間の虚虚実実の駆け引きがあったとすれば、小説とか映画なんかの面白い題材になりそうである。誰か書いてくれんかなあ。できれば日本語読みたいものである。
2018年3月25日24時。
検索したらこんなのが出てきた。3月27日追記。
2018年03月27日
スロバキアその後(三月廿四日)
この前、スロバキアのフィツォ政権がジャーナリスト暗殺事件の責任を問われて、大統領をはじめとする国民の大半からの批判、抗議を受け、退陣を受け入れたことについては記した。今回は、その後の、と言ってもたいした情報があるわけではないのだけど、スロバキアの政界で起こった出来事を紹介する。
フィツォ氏が、本人の意思に反して退陣することになった結果、後継者として首班指名を受けたのは同じスメル党のペテル・ペレグリニ氏だった。スロバキアの名字には詳しくないと言うか、チェコと違いがあるのか知らないのだけど、あまりスラブっぽさを感じさせないような気がする。「ペレグリーニ」と伸ばすと、イタリアとかスペインぽくない? このあたりはナポレオン戦争やらなんやらで、フランスやイタリア、スペインなどからつれてこられて帰れなくなった人たちも多いというから、そういう人たちの子孫なのかもしれない。名前は完全にスロバキアの名前だしね。
もともと、スメル党内でフィツォ氏の後継者と目されていたのは、ときに皇太子などと揶揄されることもあったロベルト・カリニャーク氏だった。これまでの三回のフィツォ内閣で毎回大臣を務め、今回の事件が起こるまでは内務大臣を務めていた。ただ、あれこれ黒い噂、疑惑の絶えない人で、事件が怒る前から、野党を中心にカリニャーク氏の辞任、もしくは解任を求める声は強かった。いや任命したことでフィツォ氏にたいする批判もあったはずである。それでも、これまでかばい続けてきたということは、フィツォ氏も同じ穴のムジナであったということだろうか。
それが、今回の事件でも最初はかばう方向だったのが、予想以上に高まった批判に耐え切れなくなったフィツォ氏はカリニャーク氏を解任することを決めたものの、対応の遅さが更なる批判につながって、結局は「無能な野党に政権は渡せないから」とか何とかいう理由で、スメルの政治家を首相とする内閣を成立させることを条件に退陣したのである。
次の首相に指名されたペレグリニ氏は、大臣や国会議長、副首相などのポストを歴任しており、スメル党の有力政治家ではあるようだが、フィツォ氏とどの程度近い関係にあるのかなどはよくわからない。カリニャーク氏のようにフィツォ氏にべったりの関係であれば、反フィツォであることを鮮明にしつつある大統領のキスカ氏が首班指名をするはずがないから、連立のパートナーとなっている政党と大統領を納得させられる程度にはフィツォ氏から距離を置いた政治家なのだろうと判断しておく。
そのペレグリニ氏の一回目の組閣の試みは、大統領に拒否された。スロバキアもチェコと同じで、大統領の首班指名、組閣、大統領による任命、国会における信任という手順を踏むようだが、大統領に任命を拒否する権利があるのかというのが問題になった。もちろん、首相を代えての連立政権の継続に反対して解散総選挙を求める野党側は支持していたけれども、憲法上どうなのかというのは確認しておく必要があるだろう。報道を見る限りペレグリニ氏が権限を逸脱したと批判した以外はあまり問題になっていないようだ。こちらがスロバキア語が理解できないからわからないという可能性も高いけどさ。
キスカ氏が最初の任命を拒否した理由の一つは、フィツォ内閣で適正な捜査を補償できるかどうか心配だとされた内務大臣の名前だった。ニュースを見ていて、内務大臣候補の名前とその素性を聞いて、うちのが思わず「ティ・ボレ」と漏らしてしまうぐらい、ある意味衝撃的な名前だった。ヨゼフ・ラーシュという名前は知らなくても、ヨジョなら知っている人がいるかもしれない。それも知らないならエラーンはどうだろう。スロバキアを代表するロック、ポップス系のバンドなんだけど。
チェコのオリンピックよりはロックよりで、どちらかというとカバートとかルツィエに近いのかなあなんていう説明で理解してもらえるとは思えないし、書いている自分自身もエラーンの曲なんて断片的にしか聞いたことがないからこれでいいのかどうか不安ではあるのだけど、見た目としてはごついおっさん達で、ファンも女性よりは男性の方が多そうなバンドである。ヨジョ・ラーシュはそのエラーンの中心としてボーカルを務める人物である。
残念ながら内務大臣の候補となったのは、ヨジョ本人ではなく、息子のヨゼフ・ラーシュ若だったのだけど、政治家になっていて大臣候補になるような息子がいるだなんて、チェコでも知られていなかったから、うちのにとっても大きな驚きだったのである。キスカ大統領がこの人の任命を拒否したのは、さすがにエラーンのボーカルの息子だからということはないだろうけれども、大統領とエラーンという組み合わせがそぐわないのも確かである。
内務大臣を拒否されたペレグリニ氏は、非党員の専門家としてフィツォ政権では厚生大臣を務めていたドルツクル氏を選んだ。専門家というのは担当する省に関係する専門家ではなく、組織運営の専門家という意味だったようだ。他にも変更があったのかもしれないが、二回目の組閣は大統領に受け入れられ無事に任命まではたどり着いた。これから国会で信任を受けることになるのだが、どんな結果が出るだろうか。反政府デモはとりあえずブラチスラバでは中止になったけれども、他の地方都市では継続しているらしい、連立与党で過半数は確保しているようだが、チェコと同じで造反者が出ないとは言い切れない。
チェコと同様、スロバキアも政府があるのかないのかよくわからない状態がしばらく続くことになる。
2018年3月25日19時。
2018年03月26日
安くないじゃないか(三月廿三日)
何だかんだでプラハに出かける機会が増えそうである。あんまり行きたくはないけれども、プラハまでの往復の電車の中の時間をこの手の与太文章を書くために使えると考えればそれほど悪いことでもない。問題は、電車の中にPCを持ち込んで「仕事」をするためには、それなりのスペースが必要になるということで、ペンドリーノの普通の席でもちょっと狭くてやりたくないと思ってしまうから、どうしてもレギオジェットのビジネスを使うことになる。
このレギオのビジネスは、オロモウツからプラハまで、一番安い場合には260コルナぐらいからあるので、サービスを考えるとペンドリーノやチェコ鉄道の特急に乗るよりは、コストパフォーマンスがいいのだけど、時間帯によっては340コルナ、イースター前後の時期になると430コルナなんて値段の便も出てくる。さすがにそこまでは、年に一回なら問題なく出すけど、毎月一回レベルで出かけるとなると出したくない。安さを重視するのなら、レギオのサービスなしってのが、100コルナぐらいからあるのは知っているけれども、一度贅沢を覚えてしまうと駄目なのだよ。
そんなことを考えていたら、以前レギオをよく使っている知人が、何か登録しているから少しやすく買えるなんてことを言っていたのを思い出した。あれこれ探して見つけたのが、クレディトバー・イーズデンカというやつである。レギオジェットに登録をして自分の口座みたいなものを開いて、お金を振り込んでおいて、切符を買うときにはそこからお金を払うことで一々クレジットカードの情報を入れたりする手間が省けるようだ。そして、運賃も安くなるという。毎回クレジットカードの情報を入れて、SMSで送られてくるコードを入力するのは面倒だと思っていたこともあって、発作的に登録してしまった。カードで2000コルナ入れたので、プラハまで3往復はできる予定である。
今週の水曜日にプラハに行くのに使ったのが最初だったのだが、切符の購入がぎりぎりだったせいか、ぜんぜん安くなっていなかった。購入手続きが楽になっただけでも登録した甲斐はあるけど、なんだか騙されたような気分は拭いがたい。それで、四月の頭にまたプラハに行くことになったので、早めに買うと安くなるかもしれないと確認したら、確かに安くなっていた。安くなっていたけど、たったの5コルナだけである。259コルナが254コルナになっていても、誤差としか言いようがない。うーん。
念のために他のグレードも確認すると、かなり安くなっているのがあった。下から二番目のスタンダードという座席は、30コルナほど安くなっている。145コルナが116コルナになっているのを見ると、凄くお買い得に見える。ビジネスが429コルナの便では、299コルナが239コルナになって、一番下のサービスなしのローコストとほとんど同じ値段になっている。こういう割引ってのは、値段が高い座席ほど、割引額が大きくなるものじゃないのか。なんだか釈然としない。スタンダードの座席数が一番多くて、できるだけたくさん売りたいということなのだろうか。
ここ何回かは、車内のWi-Fiでネットにつないで、あれこれ読んでしまってあまり書けないこともあったから、最初から書くのは諦めてスタンダードを使ってみるという手はあるのだけど、最初から往復4時間を無駄にする予定は立てたくない。結果として無駄になる場合はあるけれども、志としては、電車内の時間を有効活用したいと考えるのが日本人というものである。志よりは建前という言葉の方が適切か。
スタンダードも、その一つ上のリラックスもまだ試したことがないから、いやスタンダードは昔試したかもしれないけど、ビジネスとの差を確認するために一度使ってみるのも悪くない。悪くないとは思いつつ、なんだか気が進まないのも確かなのである。やはり一度気を取り直して、贅沢は敵だと宣言したほうがいいのか。
日本のJRの運賃を考えると、プラハーオロモウツ間は250キロぐらいだから、普通料金でも4000円超になる。チェココルナだと片道で800コルナぐらいということは、レオの一番高い奴と同じぐらいかあ。給料のことを考えたらチェコの料金が滅茶苦茶安いとはいえないけど、座席やらサービスやらまで考えたら、プラハまでレギオのビジネスで行くぐらいの贅沢はしても罰は当たらないかな。
以上、今後もささいな贅沢をし続けるための言い訳である。我ながらせせこましい話である。
2018年3月23日23時。
これにチェコ編が入っていたら、オロモウツも登場するはず。レギオはわからん。3月25日追記。
2018年03月25日
パスポート更新(三月廿二日)
6月末までだと思っていたパスポートの有効期限が、5月中旬に切れることがわかってあわててプラハに向かうことにした。ぎりぎりになって申請しようとして書類が足りないだの、写真がいまいちだの言われたら間に合わなくなる恐れもある。
在チェコ日本国大使館のホームページで確認したところ、有効期限が一年以内になったら新しいパスポートの申請ができるようだ。6か月前からだと思っていたのだけど、こんなことなら12月の初めに珍しく平日にプラハに行ったときに申請しておけばよかった。あのときは大使館のほうまでいったのだ。
大使館のページによれば、外国在住者だけが使えるオンラインの申請用紙があるようなので、大使館で手書きで書くよりは印刷して持っていったほうが見た目がいいから、使ってみることにする。困ったのは自宅の電話番号が必須項目になっていたことで、携帯だけで固定電話は引いていないからどうしようと考えて、携帯の番号を記入した。その下に連絡先として携帯の番号を書くところがあったけれども必須項目ではなかったから、こちらを空白にした。
戸籍上の住所の番地表示にもちょっと悩んだ。普段は数字だけで、1−1−1とか書いているのだけど、戸籍上では1番地とかになっているかもしれない。いや、なっているはずである。この手の表示は全国で統一されているというわけではないから、他の人の戸籍の番地表示は参考にできない。ということで、昔日本から送ってもらって結局使用しなかった戸籍抄本を探すために家捜しすることになってしまった。
埃まみれになっているのを発見したのはいいのだが、明らかに現在発行されているものとは違う縦書きの奴が出てきた。一度新しい横書きのものを送ってもらった記憶があるから、いつのものだろうと確認したら14年前のものだった。肝心の番地表示は「番地」が使われているのは確認できたが、数字が漢数字、しかも「一、二、三」ではなく、「壱、弐、参」の類が使われている。さすがに今の横書きのでこれはないだろうと考えて、書類には算用数字で記入しておいた。
住所に関してもう一つ気になったのは、うちの田舎は田舎なので住所表示に未だに昔ながらの「大字」を使っている。いや、14年前までは確かに使っていた。新しい戸籍でこれがなくなっている可能性もあると考えて、実家のある自治体のホームページで役所の住所を確認したら、未だに「大字」が使われていた。ほっと一安心である。
例の平成の大合併で多くの市町村が合併したときに、うちの田舎の町も周囲の町との合併を画策していたらしいから、それが成功していれば住所表示の変更も行われたのかもしれないが、周囲の町と条件で合意できずに失敗に終わったらしい。合弁がうまくいっていた場合には本籍地の住所が変わったということで大使館に届ける必要があった可能性もあるのか、失敗していてよかった。
必要事項の記入が終わって出来上がったPDFファイルを印刷するのだけど、カラー印刷が推奨されていた。しかたがないので職場のカラープリンターを拝借して印刷した。特にカラーでなければならないところがあるような書類ではなかったのだけど……。
次は写真である。チェコでは写真の鮮度(へんな言い方だけど)にはあまりうるさくないので、多少白髪が増えたぐらいであまり見た目の変わらない人間は、何年も前の写真を使いまわすことができるし、今までは使いまわしてきていた。今回もそうしようと思っていたのだけど、使いまわしていた写真が、今使用しているパスポートの写真と同じものであることに気付いた。さすがにこれでは、6ヶ月以内ではないということが明らかである。
すぐに証明写真を出してくれるお店を探して、撮影してもらう。三回撮影をして、一回目のは眼鏡に光が反射しているから使えないけど、二回目と三回目は使えるからどちらがいいかと選ばされてしまった。手前の顔写真のよしあしなんざ、わかりゃしないのだけど、というかどっちも武作田という点では大差ないわけで、三回目のが笑っているようにも見えたから、使えないといわれるの恐れて真面目な顔をしているよう見えた二回目を選んで印刷してもらった。
これで必要なものは全部そろったということで、次の日早朝からプラハに向かった。申請書の署名欄に署名をしていなかったので、慌てて大使館についてから署名したのだけど、そのときチェコの習慣に倣って青のボールペンを使ったら、後で受付の人に黒で署名しなおすように言われてしまった。チェコではコピーでなくオリジナルであることがわかりやすいように、青を使うように言われるので、日本もてっきりそうだと思い込んでいたら、日本は何でも黒で書く国だった。
危惧していた書類や写真の不備もなく、午前中で手続きが終わってしまった。これもすっかり忘れていたのだけど、パスポートの値段は10年物で3500コルナほど。受け取りのときでいいとはいえ、最初に料金表を見たときにはぎょっとしてしまった。財布にそれだけの金額を入れていなかったし、ATMを探すのも面倒くさかった。
それはともかく、またまた近いうちにプラハに行かなければならないのである。面倒だなあ。とはいえチェコに帰化するよりは手間はかからないはずだから10年に一回ぐらいだったらいいと思うことにする。
2018年3月22日24時。
2018年03月24日
国民芸術家?(三月廿一日)
先日形容詞「národní」につける男性名詞活動体が思いつかないというようなことを書いたら、ふどばさんからコメントをいただいた。「národní um?lec/um?lkyn?」はどうだというのである。そういえば、いたねえ、そんなのが。最近古い映画を見てもタイトルロールまで熱心に見なくなっていたから、すっかり忘れていた。「um?lkyn?」は女性形だから違うけれども、「národní um?lec」のほうはふどばさんがおっしゃるように、男性名詞の活動体に「národní」がつけられたものである。
では、これが何を指すかというと、ふどばさんは人間国宝みたいなものかと想像されているが、現在では廃止されているし、そこまで大層なものではないと思う。日本の制度で考えるなら、芸術家に与えられる文化勲章みたいなものだと考えるのがいいかもしれない。いや、政治的に利用されていたことを考えると国民栄誉賞のほうが近いだろうか。授与者の数を考えると二つの中間ぐらいかな。
この「národní um?lec」が最初に贈られたのは戦後すぐのことだと言うから最初は違ったようだが、共産党が政権を握って以降は、共産党の人気取りに使われたものなのである。共産党政権に都合のいい活躍をした芸術家に授与されたと言う話もあるけれども、国民的に人気のある俳優や歌手なんかにも授与して、共産党政権のプロパガンダに使ったのだとか何とか。そうなると、あの神のカーヤことカレル・ゴットも授与されたのだろうか。トーク番組でそんなことを言っていたような気もするけれども正確には覚えていない。
われわれ日本人がこの「národní um?lec」を目にするとすれば、上にも書いたけれども共産党の時代の映画のタイトルロールぐらいだろう。俳優や監督などの名前の前にこの称号がついていることがある。件の「トルハーク」でもキャスティングの部分で登場する名優ルドルフ・フルシンスキーの名前の前にこれが付いていたはずである。
いや、もう一つの奴だったかもしれない。「národní um?lec」と似たような称号に「zaslou?ilý um?lec」というのがあるのである。形容詞の「zaslou?ilý」は、「zaslou?it」という動詞の過去形から派生したもので、「業績を上げた」とか「功績のある」というような意味の言葉である。文化功労賞なんて言葉が頭に浮かんだけれども、日本語のそれがいちいち映画やテレビ番組などの出演者名の前に記されることがないのと違って、チェコの場合には、正確にはかつてのチェコの場合には、まるで肩書きのように記されていた。
もちろん、「národní um?lec」「zaslou?ilý um?lec」という称号を得たからといって、その人が共産党の支持者であったというわけでは、必ずしもない。一部には今でも共産党に忠誠を誓うというか何というか、共産党の集まりがあると出席して歌を披露するかつての人気歌手もいるようだけれども、この人が称号を持っているかどうかは知らない。ほとんどの人は、現在ではこの手の称号を使用することはないし、「憲章77」に対して、共産党政権が準備し多くの俳優などの芸術家に署名させた「アンチ憲章」と同様になかったことにされているというのが実態に近い。
トーク番組なんかで司会者とゲストの仲が特によかったりすると、冗談として使われることもあるけれども、ふれられたくない過去という場合が多いようである。キャリアのために共産党に入党したなんていう言い訳をする政治家が多いのと同じで、俳優としてのキャリアのため、いや俳優を続けるためには、共産党政権が与えるという称号を拒否することはできなかったのだろう。
この辺の事情も、もちろん秘密警察への協力者の問題も含めて、チェコでは、冷戦後の時代、ビロード革命後の時代が終わっていないのだという印象をぬぐえない理由である。第二次世界大戦後の時代を終わらせられない日本の人間があれこれ言えることではないけどさ。
それから、もう一つ映画で見かけるものに「nositel ?ádu práce」というのがあった。これは直訳すれば「労働勲章受賞者」となる奴で、いかにも共産党政権の与えそうな名称の勲章である。個人ではなく、オーケストラなどの団体の名称の前につけられていることが多いから、団体に与えられたものだったのかもしれない。
それはともかく、「národní um?lec」と「zaslou?ilý um?lec」、それに「nositel ?ádu práce」の中で、どれが一番上で、どれが一番下なのかは知らない。以前調べた気もするのだけど、すでに廃止されたものであまり重要ではないので、覚えられなかったのである。
2018年3月21日22時。
2018年03月23日
形容詞格変化複数(三月廿日)
形容詞の複数の各変化は、単数変化以上に共通の形が多く覚えることは少ないのだが、男性名詞の活動体に付く場合の1格は、子音交代が起こるものをちゃんと覚える必要がある。
とりあえず男性名詞複数に付く場合の格変化は次の通り。
1格 staré(不活動体)/sta?í(活動体)
2格 starých
3格 starým
4格 staré
5格 staré(不活動体)/sta?í(活動体)
6格 starých
7格 starými
このうち、2、3、6、7の四つの格は三性共通である。大切なのは、2格と6格が同じ「-ých」という語尾をとること。6格は、名詞の複数の語尾にも「-ch」が出てくるから覚えやすいのだが、2格は名詞の場合には、語尾なしか長母音で終わることが多いので気をつけなければならない。
それから、7格の語尾の「-ými」は、女性名詞の複数七格に出くる「-mi」と同じものだと考えておけばいい。名詞、形容詞に限らず複数の7格の語尾には「-mi」が出てくることが多い。いや、語尾が「-mi」で終わっていたら複数七格だと考えることができるのである。ただし、「do P?íbrami」は2格で例外である。
先に女性名詞と中性名詞に付く場合を説明すると、1、4、5格は同じ形をとるので、
1格 staré(女性)/stará(中性)
2格 starých
3格 starým
4格 staré(女性)/stará(中性)
5格 staré(女性)/stará(中性)
6格 starých
7格 starými
軟変化は、硬変化の語尾の長母音をすべて「í」に変えてやれば出来上がり。その結果、1格から7格まで3性共通になってしまう。そのため、読むときに名詞の性がわからなくなることもあるのだが、理解には影響しないからいいか。
1格 jarní
2格 jarních
3格 jarním
4格 jarní
5格 jarní
6格 jarních
7格 jarními
名詞だけでなく形容詞まで格変化をするのは、勉強する際にはやめてくれと言いたくなるようなことではあるのだが、格変化を覚えていくつかの形容詞がついた名詞節を正確に変化させて使えたときの達成感は大きい。特に6格か7格に女性名詞がつくと、語尾が「‐ch」「‐mi」でそろうから、うまく最後まで言い切れたときは、やったぜとこぶしを握りたくなるぐらいである。そのせいで、しばしば無駄に形容詞を使って話している自分も何が言いたいのかわからなくなることがあったのもいい思い出だと言えば言える。勢いあまって名詞の二格の語尾も「‐ch」にしてしまうなんて間違いもよくやらかしていたなあ。
実は、形容詞にはここまで書いてきた格変化とは別に、述語として使う単語尾形という特別な使い方もあるのだけど、ちょっと古い形で現在ではあまり使われないからあえて覚える必要はない。出てきたときに形容詞の単語尾形だとわかるように簡単に説明だけしておくと、形容詞の語尾の長母音を取り除いて、対応する名詞に典型的な語尾をつけてやればいい。男性名詞なら語尾なし、女性なら「-a」中性なら「-o」という具合である。
自分では意識しては使わないので、例があまり思い浮かばないのだけど、「hotový(完成した)」という形容詞がよく単語尾形、特に中性と対応する形で使われることは覚えておいたほうがいい。「Hotovo?」なんて一単語で、もう終わったかどうかを聞かれるのだけど、こういうのはチェコ語では無人称の文だとか言って中性単数扱いにするんだったかな。
それから昔、知人に「Já sú zv?dav」と言われて困惑したことがある。翌日師匠に質問したら、師匠も妙な組み合わせだねえと笑っていた。「sú」は典型的なモラビア方言で、「zv?dav」は、「興味がある」という意味の形容詞「zv?davý」の単語尾形。方言と今では文語的な感じのある単語尾形の組み合わせというのは、普通ではないのである。
ということで、形容詞の格変化についてはこれで「hotovo」である。
2018年3月21日10時。
2018年03月22日
形容詞格変化単数(三月十九日)
チェコ語の形容詞の格変化は、名詞ほど厄介ではない。硬変化と軟変化の区別はあるけれども、それぞれ別の形容詞で、後ろに来る名詞によって硬軟が変わるわけではないし、硬変化も軟変化も語尾は似ていることが多い。その上、複数では三性共通になるものも多い。だからと言って正確に使用するのが簡単になるわけではないのがチェコ語の困ったところである。
ということで、硬変化の単数、男性名詞に付く場合から。例は「starý」を使う。
1格 starý
2格 starého
3格 starému
4格 starý(不活動体)/starého(活動体)
5格 starý
6格 starém
7格 starým
活動体に付く場合と不活動体に付く場合が違うのは、4格だけである。この違いは、男性名詞の活動体は2格と4格が同じで、不活動体は1格と4格が同じだというのに対応している。注意が必要なのは3、6、7格が微妙に違うところだろうか。とりあえず、3格の語尾が「-ému」と母音で終わることを覚えて、6格はその母音を省略、7格は「é」を「ý」に換えると覚えておけば間違いない。
軟変化の場合も男性名詞はほぼ同じで、「jarní(春の)」は以下のように変化する。
1格 jarní
2格 jarního
3格 jarnímu
4格 jarní(不活動体)/jarního(活動体)
※欠けていた「ho」を追加。
5格 jarní
6格 jarním
7格 jarním
4格が活動体と不活動体で違うのは硬変化と同様。気をつけなければいけないのは軟変化では6格と7格が同じになることである。
硬変化の形容詞が、女性名詞に付く場合には、以下のようになる。
1格 stará
2格 staré
3格 staré
4格 starou
5格 stará
6格 staré
7格 starou
覚えておくべきことは、2、3、6格が「-é」、4、7格が「-ou」なるということで、実質的に形は三つしかないのである。注意しなければいけないのは、形容詞は4、7格が「-ou」で共通だが、女性名詞の硬変化はそれぞれ「-u」「-ou」になることである。この違いがあるから格を見分けられるとも言えるけれども、自分が使う場合には負担であることは間違いない。
軟変化は、女性名詞の場合には、1格から7格までまったく変化しない。最初の頃はこの変化しないのが救いのように思えるのだけどね……。
最後は中性名詞に付く場合だが、男性名詞の場合とほとんど同じである。
1格 staré
2格 starého
3格 starému
4格 staré
5格 staré
6格 starém
7格 starým
男性名詞に付く場合と違うのは、1格と同じ形になる4、5格だけで、ほかはまったく同じである。このことからも予想できるように、1格が三性共通である軟変化の場合には、1格と4格が同じになる男性名詞不活動体につく場合の格変化と1格から7格まで全て同じなのである。
共通する形が多いとは言っても、常に対応する名詞の性と格を意識した上で使わないと間違いを連発することになる。意識しても間違えるときには間違えるのだけどね。
2018年3月19日23時。