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2021年03月11日
ひきこもり生活再び(三月八日)
三月の初めに、チェコ政府が企業に対して従業員の感染検査を義務付けてからも、うちの職場では、うちは対象外だとして、検査はしないと言っていたのだが、今日になって検査義務の対象になっていたから、やはり検査を行うという連絡が来た。期日までに検査を受けないと職場の建物に入れなくなるらしく、以後は週に一回の検査が義務付けられるようだ。
これが、政府が目論んでいた簡易検査キットで自分で検査するというタイプの検査なら、面倒くさいと思いつつ検査をしていただろう。しかしうちの職場では、場所はまだ決まっていないけど、検査会場に出向いて検査すると言っていて、正直そこまでして職場での仕事にこだわりたいとは思えないのである。
仕事は職場でするほうがオンとオフのメリハリが着いて効率がいいし、ネットの接続も安定しているのでオンラインでの会議なども問題は少なくなる。今日は建物全体のネットがダウンしてオンラインの会議のためにあわてて自宅に戻ったけれども、こんなのは例外である。だけど、わざわざ検査を受けに出かけるぐらいなら、多少の不便は我慢して、いわゆるホームオフィスにしてしまったほうがましである。
そもそも、外出を減らして自宅から仕事をするように求められているのは、他人との接触を極力減らすためである。その点、現在の職場での仕事は、広い部屋の中に一人だけで仕事をしており、せいぜいトイレや水を汲みに部屋を出るときに廊下でまれに同僚とすれ違うぐらいで、他人との接触はほとんど発生しない。建物の受付のおばちゃんと話すこともあるけど、あっちはガラスで仕切られたブースの中にいるから、もちろんお互いレスピレーターもつけているし、感染につながるような接触にはならない。
それが、どこになるかはわからないけど検査会場まで出かけるとなると、他人との接触を極力減らすために予約制にするとは言っているけれども、ゼロになることはありえないし、毎日職場まで行って一人で仕事をして帰るまでの間の接触よりはるかに多くなることは明らかである。去年の今頃、日本である漠然とした不安に駆られた人たちが検査を求めて検査機関に殺到したのと同じで、本末転倒じゃないかと思ってしまう。
そういえば、職場に出ている従業員に一日一枚のFFP2レベル以上のマスクを支給するというのも企業に義務付けられたはずなのだけど、うちの職場ではまだ実行されていない。建物の受付で配布を始めるとかアナウンスだけはあったけど、チェコの政府と同じで現時点では約束だけで、このままだと働いている人たちの信頼を失うぞ。選挙なんかないから支持を失っても気にも留めないのだろうけどさ。
職場においてある仕事用の資料や、職場のPCにしか保存していないやりかけのファイルなんかを取りに行かなければならないから、明日はまだ職場に出るとして、明後日から引きこもり生活を再開しよう。去年の運動不足は堪えたから、毎日ちょっとだけ散歩に出るようにしようか。散歩で外を歩くだけなら、FFP2のマスクじゃなくてもいいはずだから、知り合いが置いて帰った外科用マスクっぽく見えるのを使ってみようかな。
自分自身が感染することには特に抵抗はないのだが、症状が出て陽性と判定されて、自宅隔離を共用されたり、入院させられるような事態はできれば避けたい。今の生活で感染したりさせたりする可能性はほとんどないとは思うけれども、精度が高い検査でも一定数出るとされる誤判定で陽性なんてことになったら、面倒くさいことになるから、検査は避けて自宅での仕事にシフトしたほうがいいよな。全く政府も面倒なことを始めたものである。
2021年3月9日9時30分。
2021年03月10日
チェコのニュースが日本で(三月七日)
今週末になって立て続けに、インターネット上の日本語のメディアでチェコの現在の惨状を紹介する記事を見つけた。一つ目はCNNの「 失策重ねるチェコ、コロナ新規感染者数が過去最悪に迫る 」という記事。CNNはチェコのテレビ局のプリマと組んでCNNプリマというチャンネルを始めているから、チェコについても情報が入りやすくなっているのだろう。なかなか正確な記事である。記事を書いた人の名前も「イバナ・コトソバ」でチェコ人っぽい苗字だし。
あれこれ小さな不満はあるが、一番大きな不満を挙げるとすれば、イギリスの研究者のカルペイト氏の発言だろうか。氏は「チェコのメディアが流行初期の混乱の一部を招いた」として、「賛否両論のロジック」が使われていたと批判する。しかし、去年の今頃、ヨーロッパでも流行の兆しが見え始めた頃からの経緯を思い返すとこの批判は正しいとは言い難い。
少なくとも、チェコテレビでは、チェコ国内で患者が出てからも、しばらくはゲストで呼ばれる専門家は、政府の公式見解と同じで、適切な対応さえすればそんなに恐れるべき病気ではないことを強調する人ばかりだった。それが政府が衛生局の局長を更迭して方針を180度変えたときから、逆に危険性を訴える人ばかりが呼ばれて解説するようになった。当時はまだ政府の記者会見も含めて関連番組を真面目に見ていたのだが、チェコテレビの報道に対して、手のひら返しやがったと思ったのは明確に覚えている。政府の政策に合わせた報道をすることで社会の混乱を防ごうとしたのかもしれないが、これを「50対50」の報道というのは無理があるような気がする。
ついでなので、オストラバ大学の「マダール」氏こと、マジャル氏についても触れておこう。この人、どうも去年の春の感染症対策の主役となったプリムラ氏とあまり関係がよくないようで、ボイテフ厚生大臣が辞任したときに、これまでで一番いっしょに仕事がしやすい大臣だったと述べて辞任することを残念がる発言をしていた。その後オストラバ大学の医学部の学部長の選挙に出て選出されるのだが、プリムラ氏は対立候補を支援していたといわれる。こういう専門家同士の対立ってのも対策を実施し徹底するのにはよくなかったと思われる。プリムラ氏は自分で決めた規制を自分は守らないという人で、多くの人に規制をまじめに守るのは馬鹿しいと思わせるのに成功したし。
マジャル氏が学部長に就任したのは、オストラバ大学の医学部が文部省によって認可の取り消しを受けたことで、前任者が辞任、もしくは解任されたからである。ニュースでは、入試に不正があったことが原因だといっていたが、日本的な裏口入学ではなく、定員割れを防ぐために合格基準に達していない学生も入学させたんだったかな。確か6月か7月には、新しい学部長の選挙が秋に行なわれることが決まっていたはずだから、この記事にある辞任の理由が正しいかどうかは……。
とまれ、チェコ国内で生活している人間としては、政府の対策が遅れたことよりも、政府とその政策、規制が信頼を失って、規制が出されても守らない人が増えていることが、現在の最悪の状況の最大の原因だと感じている。信頼を失った原因の多くはバビシュ首相を初めとする与野党の政治家が、規制を政治にしてしまったことだろうけど、プリムラ氏を初めとする専門家とされる人たちの言動もある程度は影響を与えているはずだ。
もう一つの記事は、「 コロナ感染急増のチェコ、患者の国外移送検討医療崩壊の恐れ 」というAFPの記事。CNNと比べると正確さに欠ける印象である。感染者数なんかのデータには間違いはないからいいけれども、末尾の「コロナ流行の第1波では本格的なロックダウン(都市封鎖)が行われ、比較的小規模な流行で済んだ。だが政府は、今回は同様の措置を取らないことを決めている」というのは大間違いで、現在の規制は去年の「本格的なロックダウン」とされるものよりもはるかに厳しいものになっている。
去年も春の国境の封鎖などはロックダウンとは呼んでいなかったと思うのだけど、リトベルを封鎖したのは、確かにロックダウンと呼んでもいいものだったかな。ただ、チェコ政府が「ロックダウン」という外来語を使い始めたのは、秋になってからだった。秋もロックダウンはしないと言いながら、実質的にはロックダウンだったし、現在は、ロックダウンと呼んでいるかどうかは知らないけど、これまではなかったレベルでの移動の制限が課されている。この記事バビシュ首相の言葉のごまかしに影響されたかな。
それにしても、ここに紹介した二本の記事はどちらも外国系の通信社が配信している翻訳記事で、日本のマスコミは何をやっているんだと言いたくなる。チェコのようなヨーロッパの小国には関心がないのだろうか。まあ、どうせでたらめを書き散らかされると考えたら、現状のほうがはるかにましか。
2021年3月8日23時
2021年03月09日
チェコ語コーパス(三月六日)
知り合いからチェコ語のコーパスってないのという質問が来た。自分では使ったことがないのだが、デジタル化が大好きなチェコのこと、存在していないはずはないということで探してみた。最初に見たチェコ語の正字法などを決めている国立チェコ語研究所(と訳しておく)のサイトには、コーパスはあったけれどもテレビやラジオの放送データを基にした話し言葉のコーパスしかなかった。
それでさらに捜索を続けると、「 チェコ国営コーパス 」とでも訳せるようなものが出てきた。こちらは書き言葉中心のコーパスで、話し言葉のコーパスも含むいくつかの部分から成り立っているようである。日本語のコーパスなんか使う気にはならないけれども、チェコ語のものならちょっと遊べそうな気もする。どんな機能があるのか試してみた。
とりあえず「Japonsko」を入れてみた。よくわからないのは、何もしてないのに英語表記になっていることで、しかも右上には英語表示に切り替えるボタンがある。念のために英語ボタンを押すと、チェコ語ボタンが現れたので、それを押したらチェコ語表示に切り替わった。うーん、何の意味があるのだろうか。
「Japonsko」はチェコ語においては、100万語に約35回の割合で現れるとか、話し言葉と書き言葉、書き言葉の中でも専門書やフィクションに現れる割合なんて情報もあるのだが、一番目を引いたのはどの形でどのぐらい使われているかという情報だった。それによると、「Japonsko」が29.1パーセント、「Japonska」が27.4パーセント、「Japonsku」が39パーセント、「Japonskem」が4.5パーセントという結果になった。
「Japonskem」が一番少ないのは、この形になるのが7格しかないからだろう。「Japonska」も2格だけだが、「do Japonska」「z Japonska」という移動の目的地、もしくは起点を表す表現がよく使われることを示している。1格と4格、5格の形である「Japonsko」よりも、3格と6格の「Japonsku」のほうが割合が高いのは意外だったが、場所を表す「v Japonsku」が使われる機会が一番多いからだと考えてよさそうである。
他の地名も試してみれば、地名の場合には場所を表す6格の形が一番よく使われているなんて傾向が出てくるのかもしれないけれども、そこまでする気にはならない。それよりも重要なのは、我がチェコ語の名詞を格変化させるときのモットー、「困ったらU」が、少なくとも「Japonsko」に関しては有効であることが確認できたことである。
またコロケーションのデータでは、中国や韓国などの他の国名と共によく使われていることがわかるが、津波と地震も頻繁に一緒に使われる言葉として上げられているのが注目に値する。しかも津波は、最近の「cunami」というチェコ化した表記ではなく、「tsunami」という日本式のローマ字表記が使われている。これはひょっとしてと、考えたらその通りだった。
通時的な使用割合の変化を表すグラフも表示されるのだが、使用数が圧倒的に多いのが2011年だった。言わずと知れた東日本大震災の際に、津波と地震を伴って日本という言葉が例年よりもはるかに多く使われたのである。確かにあの頃は、地震に限らず日本に関する記事やニュースが多く、直接は関係のないものでも、枕、もしくは結語として地震に触れるものも少なくなかった。この手のデータから事情を推測するのはなかなか楽しい。
ちなみに、形容詞の「japonský」は「japonské」という形で使われる割合が最も高く、福島という言葉と共によく使われているようだ。「japonské」は女性の単数2、3、6格、複数の1、4、5格、中性の単数1、4、5格、男性名詞の複数1(不活動体のみ)、4、5格と、この変化形になる格が多いことを考えると、当然だとも言えそうである。
チェコ語を勉強していてちょっと飽きたときには、このコーパスで遊んでみると、勉強を続ける意欲がわくかもしれない。
2021年3月7日24時30分。
ちなみにコーパスはチェコ語では「korpus」となる。発音はもちろん「コルプス」である。
2021年03月08日
パベル・パベル(三月五日)
モアイと言って、真っ先に思い浮かぶのは、渋谷駅のハチ公像に次ぐ待ち合わせ場所だったモアイ像である。大学に入るために上京して、高校時代の先輩と初めて会うときに指定されたのが、モアイ像のところだった。確か、ハチ公像の周りは人が多すぎてお互いを見つけるのが大変だから、穴場で待ち合わせにしようというのが先輩の説明だった。一年とはいえ先に東京に出た人の言葉に、そんなもんかと反対しなかったのだが、後悔することになる。
ハチ公像は田舎でも存在が知られているくらい有名だったので、何回か見に行ったこともあってどう行けばいいかも知っていた。モアイ像はあることすら知らず、先輩には簡単に見つかるといわれたけど、念のために早めに出かけた。駅に着いたのは待ち合わせの10分前だったが、駅の地図で場所を確認したのに、見事に迷ってしまって、モアイ像のところに着いたときには待ち合わせの時間を大きく過ぎていた。東京に出たての田舎者には、太刀打ちできないぐらい渋谷駅は巨大で複雑だったのだ。
では、チェコでモアイと言うと言うと、当然イースター島のモアイ像が思い浮かぶのだが、それと密接に結びついているのがパベル・パベルという人物である。この人、もともとは建築技師だが、実証主義的な考古学者としてのほうが有名である。簡単に言えば、古代の建造物について机上でどんな方法で建造したとか、いやそれは不可能だとか喋喋するだけでなく、実際にできるかどうかやってみようというタイプの研究者で、コンチキ号のヘイエルダールや、古代船を建造して朝鮮半島を越えた角川春樹と同じように、古代技術を再現する活動をしている。
最近たまたまこの人を取り上げたドキュメント番組を見たのだが、一部のオカルト主義者が超古代文明が云々というイギリスのストーンヘンジーの建設を再現するために、同じサイズの石を準備し、木と縄、そして人力だけで建ててみる様子も写っていた。残念ながらちょっとした問題が発生して完成はしなかったというが、映像で見る限りほぼ完成して、あと一つか二つか石を載せれば出来上がりというところまではいったようだ。
その映像の中で、パベル氏は、技術的には古代「イギリス人」にも建設できたことが証明できたというようなことを語っていた。それはまだビロード革命が起こる前のできごとで、個人的には、共産党政権下で、このような研究、実験が行われていたという事実に一番驚かされた。
そのパベル氏を一躍世界中で有名にしたのが、イースター島のモアイ像の移動実験である。作成された場所から、現在立っている場所までどのようにして運ばれたかについては、いろいろな説があるようだが、パベル氏は、1980年代半ばに、それまでの定説を覆して、モアイ像が立った状態で移動させられることを証明し、世界に衝撃を与えたらしい。世界中で公演を行ったというから、当時の共産党政権にとっても、チェコスロバキアの学問レベルの高さを宣伝するいい機会だったのかもしれない。
パベル氏は、まずチェコで、巨大なモアイ像のレプリカを作成し、それを横倒しにすることなく動かす方法を実践し可能であることを確認してから、イースター島まで出向き、実際のモアイ像を使って、動かす実験を行った。実験は、長距離を動かしたというわけではなく、遺物の保存を考えてもそんなことはできないだろうし、せいぜい数メートルの移動だったようだが成功し、機械はなくても、人力と時間さえかければ移動が可能であることを証明した。
番組では、パベル氏がイースター島に出かける前に、ヘイエルダールに手紙を送ったときのことを回想していた。自分の英語に自信がなかったので知り合いに翻訳してもらって、書き写して送ろうと思ったら、達筆すぎて読めずそのまま投函した。ヘイエルダールから返事が来たのはいいけど、やはり読めなかったと書かれていたらしい。ただ、同時に送った写真や図解にはある程度理解できたということが書かれていたという。
この業績が、日本語版のウィキペディアの「モアイ」の項にも名前を挙げて記されていないのは、この人の名前にも原因がありそうな気がする。確かに、チェコには男性の名前を名字として使う例はある。ただ、多くは複数二格の「ヤヌー」「マルティヌー」の形を取ることが多いし、名字と同じ名前をつけることはほぼない。というか、この人しか知らない。チェコの名字と名前について知らない人が、「パベル・パベル」という名前を見て困惑したとしても仕方がない。親子の名前が、場合によっては孫まで3世代まったく名前が同じなんていう場合もあるけど、その程度でも日本の知り合いからは問い合わせのメールが来ることがある。
とまれ、パベル氏はビロード革命後は生まれ故郷のストラコニツェで地方政治家として活躍しているようである。業績を紹介するようなHPでもあれば見てみたいのだけど、現時点では確認できていない。
2021年3月6日24時30分。
2021年03月07日
冗談は止まらない(三月四日)
スロバキアがマトビチ首相のほぼ独断でロシアのワクチンの輸入に踏み切ったことで、国内のロシアシンパが、チェコでもロシアのワクチンをと騒ぎ出すのは予想通りだった。その筆頭は、汎スラブ主義を唱えて、EUの汎ゲルマン主義に対抗している(つもりのように、見ようと思えば見える)ゼマン大統領で、スプートニクVの導入にも、大統領広報官のオフチャーチェク氏を通じて積極的な発言をしている。
一時は、世論に日よって慎重な姿勢に転じたバビシュ首相も、ロシアのワクチン導入の検討をほのめかすなど、また態度を変えようとしている。厚生大臣のブラトニー氏だけは、衣料の専門家としてEUで承認を受けていないワクチンをチェコ国民に接種するわけにはいかないと、強硬に反対する姿勢を崩していないのが救いである。
その一方で、恐らくチェコなどEUの承認がないと使用できないという国の要求に応じてだろうが。ロシアがこれまで拒否してきたワクチンの承認申請を行ったという話もあるから、承認された場合にはチェコでもロシアワクチンの接種が始まることが予想されている。ただ、スロバキアの承認機関の人は、ニュースで、ロシアからワクチンと共に送られてきた書類には、承認するために必要な情報が欠けていて、承認するもしないも決めようがないとぼやいていた。
旧ソ連の後継国家にふさわしく、秘密主義なのだろうけど、治験の経過や結果などの詳しい情報がないとEUでも承認しようがないだろう。場合によってはEUの機関で治験を行うということになりかねない。そうなると、バビシュ首相やゼマン大統領が望んでいる早期の承認はできなくなる。もっともロシア側がそんな扱いに賛成するとも思えないけど。結局はもうしばらく様子見ということになりそうである。
ここまでならまだ想定の範囲だったのだが、ゼマン大統領はさらに自分のつてで中国からのワクチンの供給(当然ぼったくり価格であろう)が可能になったと言い出した。問題は中国のワクチンについてはロシアのもの以上に情報が提供されないことと、ワクチン製造を担当している会社が、過去に問題のあるワクチンの生産や、データの改竄などさまざまな不祥事を起こしていることである。ただでさえ中国製でサンプル出荷以外は信用に乏しいというのに、こんな会社の製品では信用して接種を受けられるとは思えない。そもそも不祥事を繰り返しながらワクチン生産を続けられている時点で怪しい。
ワクチンも、薬ではないとはいえ、これなら効くと信頼して接種を受けたほうが、大丈夫かなという不安と共に受けるよりも効果が高いんじゃないかとも思う。だから、わざわざ中国に借りを作ってまで、同時に高い金を払ってまで、中国製の怪しいワクチンを導入するより、EUで承認されたワクチンが増産されて供給されるのを待つほうが、最終的にはいい結果をもたらすだろう。ゼマン大統領としては中華共産帝国皇帝への忠誠を示す必要があったのだろうけど、かつての見返りの大きかった朝貢貿易と違って、見返りなどゼロに等しいのだから、臣従はやめてしまえばいいのに。
それから、政府では企業に対して従業員の感染検査を定期的に行うことを義務付けた。一人一回の検査に60コルナ、月に四回分政府から補助金を出すという。野党によればこの60コルナという設定がいやらしいらしく、この値段では市場に出ているもっとも精度の高い検査キットは購入できず、資金に余裕のないところでは低品質のものを購入することになりそうだと言う。そうなのである。補助金で購入されるのは中国製の検査キットなるという目論見があるのだろう。マスクにしても検査キットにしても、政府がチェコ国内製のものよりも、中国製のものを優先しているのが理解できない。
一部の企業ではすでに去年の秋から自主的に従業員の定期検査を行っていたらしい。サッカーなどのプロスポーツで行われている定期的な検査が、感染した人の洗い出しと感染の拡大の防止にある程度効果があることは明らかだった。それなのに、政府は医療関係者の定期検査を導入しなかったのである。医療が逼迫している最大の原因は、医療関係者から感染者が出て多くの人が隔離されて現場を離れなければならなかったことなのだから、医療関係者の定期検査を実施していればここまでひどいことにはならなかったんじゃないかとも思う。ワクチンの接種が進んだ結果、これまでになく欠勤を余儀なくされる医療関係者の数が減っているらしいしさ。
とまれ、逆に言えば、ロシアや中国のワクチンに期待せざるを得ないところまでチェコの状況が悪化しているということでもある。いやはや、困ったもんである。
2021年3月5日24時。
2021年03月06日
スロバキアがロシアのワクチンを(三月三日)
スロバキアの政府がロシアから輸入することを決めたワクチン、スプートニクVが東スロバキアのコシツェの空港に到着した。今後、このワクチンを実際に接種するのか、するとすれば、どのような形で接種するのかに注目である。チェコでもゼマン大統領がプーチン大統領と交渉して、必要であれば輸入が可能な状態になっているのだが、現時点ではバビシュ政権はロシアのワクチンを使用する決断は下していない。一時は積極的な姿勢を見せていたのだが、国内で反対の声が強く挙がると態度を翻した。
ゼマン大統領とは協力関係にあって、中国やロシアに対する配慮を見せるバビシュ首相のこと、同じくロシアのワクチンを導入したハンガリーやセルビア、スロバキアなどの状況が劇的に改善すれば、チェコでもロシアのワクチンを使おうと言い出すに違いない。さすがに中国のワクチンとは言わないけど、ロシアのを使い始めて問題がなければ、中国もと言い出しかねない。
現在の問題は、欧米の製薬会社のワクチン生産量が想定したほど大きくなく、当初の予定よりもはるかに少ない数のワクチンしか納入されていないことにある。とチェコ政府は主張しているのだけど、実際は納入されたのに使用されないまま、保存されているものがかなりの割合にのぼり、チェコ国内のワクチンの配布体制にも大きな問題があるのである。その結果、ある地方ではワクチンの接種を完全に停止しなければならなくなったのに、別の地方ではあまっているので現時点で優先的な接種の対象になっていない人たちにも接種を進めていたりする。
現在最悪な状況にあるとされるカルロビバリ地方にドイツからワクチンが提供されると言うニュースを聞いたときには、チェコ国内で納入されたけどまだ使用されていないとされるワクチンは行方不明になっているのではないかとまで疑った。横領とか横流しとかチェコの政治家やら官僚やらの得意技だしさ。国内のどこにどれだけ保管されているのかわかっていれば、必要な場所に運ぶのはそれほど大変ではないはずだ。それなのにカルロビバリ地方には追加のワクチンは国内からはほとんど提供されていなかった。
話をスロバキアに戻そう。いかに現在のバビシュ政権がめちゃくちゃだとは言っても、それが現在の野党に政権を取らせたら状況が劇的に改善することは意味しないということをしばしば書くわけだが、その根拠になっているのは、1993年以来の日本の非自民党政権の、自民党政権と大差のないでたらめ振りと、現在のスロバキア政府の有様である。
昨年長期にわたって政権を握ってきたSMER党が総選挙で負け下野し、マトビッチ氏を首班とする新政権が誕生したときには、スロバキアの世論は希望にあふれていた。その希望が、疑いに変わり、やがて失望になるのにそれほど長くの時間は必要なかった。バビシュ政権と同様に中国からの感染症の輸出がなければ、馬脚を現さずに住んだのかもしれないが、感染症対策だけでなく、警察や裁判所などのいわゆる「浄化」も、根拠が乏しいものもまとめて根こそぎ摘発していると批判する人もいる。拘留されていた警察の元長官に自殺を許し汚職の全体像の解明ができなくなったことも批判の対象となった。
感染症対策にしても、チェコでは行なわなかった大規模検査を行うなど、意欲的な試みはやっていたけれども、それが継続しないと言うか、努力が空回りしている印象を受ける。いや、正直に言えば、野党として政権を批判するのに慣れすぎて、自分たちが批判される立場になったことを受け入れられず、批判をかわすために焦っているようにしか見えない。その結果、対策が場当たり的で混乱したものになっているという印象である。
スキャンダルもあって連立与党内の政党間の対立も激しく、政権内の首相の求心力も低下しているのだが、このワクチン問題が連立政権に止めを刺す可能性もある。ロシアのワクチンの導入に積極的なのは、批判をあび続けているマトビチ首相で、他の連立政党は厚生大臣も含めて反対の立場をとっていたようだ。ロシアとのワクチンの購入交渉は厚生大臣の頭越しに首相が行ったようだ。そのため、厚生大臣が辞任し、所属する政党が連立解消を考えているという話もある。
また、国内の医薬品などの承認を担当する役所に承認するように圧力をかけているとも言うが、同時にロシアのワクチンの接種は、希望者のみを対象にして、接種の前に危険性は認識しているから副作用が出ても政府の責任は問わないとかいう誓約書に署名することが求められるらしい。大規模検査のときに希望者のみと言いながら外出許可と絡めることで実質義務化したのと同じように、承認させるということは国家の責任で接種するということになるはずなのに、責任を問わないという誓約書を出させるのは、姑息としか言いようがない。首相就任以後のマトビチ氏にはこの姑息というイメージが付きまとう。
最後に、マトビチ氏の渾身の冗談を紹介しておこう。これもまた、政権崩壊につながるかもしれない。ロシアのワクチンを輸入したことをさんざんに批判されたマトビチ氏は、記者から、「ロシアから何かもらったんじゃないですか」という賄賂を疑うような質問をされて、「ポットカルパツカー・ウクライナをもらうことになっている」と答えて、ロシアだけではなくウクライナも怒らせたらしい。これは、「ポットカルパツカー・ルス」とほぼ同じで、大戦間期にチェコスロバキア領だったルシン人の居住区域をさす。当然現在ではウクライナ領になっている。新聞の一コマ漫画のネタだったら秀逸だと思うけど、首相がインタビューで言っていい冗談じゃねえよなあ。
2021年3月4日21時。
2021年03月05日
三月の行事(三月二日)
ということで、『小野宮年中行事』ではなく、昔作って全文訓読の三月のファイルを開いた。もともとワープロの書院で作ったものを、テキストファイルにコンバートしてから、ワードのファイルにして保存したのだったか。フロッピー・ディスクでこちらに持ってきたのを、フロッピーが消える頃に、ハードディスクに移してPCを新しくするたびに、コピーを繰り返したのである。最近見ていないので探すのにちょっと時間がかかってしまった。
意気込んで三月の儀式を確認したのだが、これが意外と、いや言葉は飾るまい、本当に少ないのである。日付と儀式名がそろっているものが八件しかなく、そのうちいくつかは説明の記事がなく、正月から臨時で移されたものまである。三月という春の末月は平安時代の年中行事においてはあまり重視されていなかったと言うことなのであろうか。
とまれ、三月最初の儀式は、毎月恒例の儀式で、実資の頃には、四月と十月だけの実施となり、それもしばしば行われなかった旬座である。本来は毎月、朔日、十一日、廿一日、つまり各旬の最初の日に天皇が朝座に着して政務を見たものである。それが次第に簡略化していったのは、公卿の懈怠と幼少の天皇が続いたことによるものであろうか。『小野宮年中行事』によれば、三月の廿一日は廃務の日なので、旬座も予定されていなかったようだ。
ということで、実際に実資の頃に行われた儀式では、三日に挙げられている御燈が最初のものになる。この儀式のために一日から潔斎をし、御燈を行うかどうかを占う卜定が行われる。その結果、中止になった場合も潔斎は三日まで継続される。また一日が子の日の場合には、卜定は前日の二月晦日に行われることになっている。
御燈は使の手で北山の霊厳寺に運ばれ妙見菩薩に捧げられた。北辰信仰の一つである。潔斎はしていないけど、三日の夜には北極星を拝んでみようか。方向音痴の気があるのでまず北極星を見つける必要がある。御燈は懐中電灯で代用かな。
七日には、薬師寺にて最勝会が始められた。終るのは十三日である。どうもこの薬師寺での儀式は欠席者が多かったようで、実資は「貞観太政官式」から欠席した場合の罰則を引用している。欠席者には新嘗会の節会の参加を禁じたり、季禄を剥奪したりとなかなか厳しい罰則である(と思う)。ちなみに最勝会は宮中で正月に行われた御斎会同様、金光明最勝王経を講じる儀式である。
次は日付は決まっていないが、中午の日、つまり二番目の午の日に行われた石清水臨時祭である。割注には「国忌」と重なる場合には下午の日に行うと書かれているのだが、実資が引く用例には、上午の日や、翌閏三月の上午の日、午の日ではない日に開催されたものが挙がっていて、実資自身も「度々の例同じからず」と記している。結構適当だったのである。とはいえ、毎年定例で行われていながら「臨時」と呼ばれ続けるのに比べればましだと思う。
十一日と、十二日には、射礼と賭射という本来正月に行われた行事が並んでいる。割注に長和二年に、正月に国忌があるので三月に改められたことが記されている。長和二年(1013)というと三条天皇の御世だが、寛弘八年(1011)の即位後に生母藤原超子の忌日を国忌にしているから、それが正月だったのだろう。ただし、国忌と重なるからといって年中行事を、別の日ならともかく、別の月に移すなんて話は聞いたことがない。この辺も、道長との対峙では三条天皇を支援していながら、天皇としてはそれほど高く評価していなかった(ように『小右記』の記述から思われる)所以なのだろう。
賭射のところには、「寛平元年三月乙卯の御記」が引用されているが、祖父実よりの『清慎公記』の逸文と見てよかろう。大日本古記録ではないので人物比定が面倒そうで、そこまでは手を出していない。
十七日は桓武天皇、廿一日は仁明天皇の国忌である。この二つが、石清水臨時祭の祭日が常には中午の日にできなかった理由である。また、国忌の日は原則として廃務になるので、廿一日の旬座も行われなかったのである。
最後に行われる日の決まっていない行事として、鎮花祭と授戒があげられている。鎮花祭は、桜の花の散る時期に、疫神が病気を流行させるのを防ぐために行われた儀式だから、すでに流行が始まって久しいとはいえ、今年盛大に行う意味がありそうだ。祭の行われる場所は奈良の神社で現在は四月に行われているらしいから、チェコで今月というわけには行かない。
ところでキリスト教には疫病を払う儀式なんてないのかね。
2021年3月3日18時。
2021年03月04日
弥生来れり(三月朔日)
気が付けば今年も二月が終わり、弥生三月が始まっていた。チェコ的な感覚で言うと春っぽい気温の高めの日が何日か続いているが、日本人の感覚では冬の気温だし、今週末にはまた寒くなりそうだから春が来たとは言いたくない。春も近づく晩冬だというのは認めてもいいけれども、まだまだコートは手放せない。
今年の最初の二月も、さまざまな意味不明の規制にさいなまれたわけで、この一年もろくな年になりそうにない。老齢に近づく人間ですらそんなことを考えてしまうのだから、本来ならば希望にあふれているはずの若い人たちが絶望のあまりやけくそになってしまうのもわからなくはない。何もしなくても贅沢な暮らしを続けられる老人の命を守るために、若い人たちの権利、特に教育を受ける権利が阻害され、仕事もなく貧困に落ちていくような規制を導入するのは正しいとは思えない。最悪なのは日本のマスゴミが作り出した、若者のせいで感染の拡大が止まらないという誤ったイメージだろうけどさ。
それで、この、せっかく春も近づく三月になったというのに、追い詰められた気分を払うにはどうしたらいいのだろうと考えた。思い出したのは、平安時代の貴族たちが、年々歳々、歳々年々、年中行事を滞りなく挙行することで、新しい年でありながらこれまでと変わらない、つまりは平穏な年を送ることを祈念していたことを思い出した。もちろん平安時代にも道長の権力掌握につながった長徳元年(995)の疫病などさまざまな災害に襲われているけれども、それは怠慢な公卿が多くて儀式がまともに行なわれなかったからに違いない。
医療技術自体も、医療制度も発展した現在ならともかく、すべてが未熟だった平安時代であれば、疫病も天災と呼んでいいものだっただろう。だから、発生した場合の対策としても各地の神社に奉幣したり、寺でお経の転読をしたりすることになったはずだ。奉幣使として遣わす貴族が病気や穢れで行けなくなったなんてこともあったに違いない。長徳元年だと公卿がばたばた亡くなっていたから、誰を遣わすか、どこで何をさせるかを決めるのも大変だっただろう。
何かまた枕の置き方に失敗した気もするけれども、平安時代には三月にどんな年中行事が行われていたのだろうかという話にしたかったのである。年中行事について調べるとなると『西宮記』を使うことが多いのだが、小野宮流の人間としては、儀式を行なうなら公任の『北山抄』か実資の『小野宮年中行事』に準拠するべきであろう。
古記録を読んでいた大学時代から、『北山抄』の存在は知っていたのだけど、手に取りやすい形で刊行されたものがなく、読んだことはなかった。それが二、三年前に、国会図書館のデジタルライブラリーで、古い叢書に収録されて刊行されたものがネット上で後悔されているのに気づいて、全ページPDF化して入手したのだけど、まだ手をつけていない。公任の漢文って読みづらそうだという先入観があるのも手を出すのをためらっている理由のひとつである。
一方実資の『小野宮年中行事』は、「群書類従」、いや続か、続々がついたかもしれないけれども、「群書」のシリーズに入っているから、手に入れやすく、値段もそれほど高くなかったことから、岩波が大日本古記録の『小右記』を予約再販する前には購入して読み進めていた。あまり売れそうにない本を絶版にせず、手ごろな価格で販売してくれる出版社の続群書類従完成会には感謝の言葉しかないのだけど、残念ながらすでに倒産してしまった。岩波が生き残っているのはあこぎな商売しているからだよなあと恨み言がこぼれてしまう。
とまれ、日本を離れる際に処分せずにチェコまで持ってきた『小野宮年中行事』で平安貴族はどんな儀式を三月に行っていたのか確認してみようと思いついたのだけど、例によって長くなったので本題は稿を改める。
2021年3月2日24時。
2021年03月03日
チェコテレビ3(二月廿八日)
ほぼ一年前に、最初の非常事態宣言が出され、行動の自由が大きく制限されることになったときに、チェコテレビが始めたプロジェクトが二つある。一つは、子供向けのチャンネルであるチェコテレビDを使って、教育番組、直接小学校の授業内容とかかわる、学校に行けなくなった子供たちが自宅で勉強するための番組を制作放送することだった。いくつか見た限りでは、緊急で立ち上げたものにしては悪くないと評価できたけれども、チェコテレビが自画自賛するほど素晴らしいものだとは思えなかった。
二つ目は、感染すると重症化する可能性が高いとされ、自宅からでないことを強く求められていたお年寄り向けの専門チャンネル、チェコテレビ3を期間限定で開設することだった。お年寄りは、規制によって暇つぶしのためのお買い物、もしくはウィンドーショッピングなんかができなくなっていたから、テレビでお年寄り向けにかつての人気番組が再放送されるのはありがたかったに違いない。
うちでは、セットトップボックスは導入していたけれども、建物の集合アンテナが新しい電波のフォーマットに対応していなかったために、チェコテレビ3は見ることができず、実際にどんな番組が放送されているのかは確認できなかった。その後、9月に入ってうちでも新しいフォーマットの放送が見られるようになったころには、役割を終えたとしてチャンネルの終了がアナウンスされ、見る機会はないものだと思っていた。
それが、終了予定の時期から感染状況が急速に悪化したため、継続が決まったのか、一旦終了した後、再開したのかはわからないが、去年の10月ごろにはチャンネルのリストにチェコテレビ3も並んでいた。当時は放送時間が限定的で夕方には終了していたので、週末にあれこれチャンネルを替えているときに、ちらっと見るぐらいで、特に気になる番組があったわけではなかった。番組表を見れば番組の名前は書いてあるけど、有名な映画やドラマ以外はどんなものか、見ただけでわかるほどチェコの古いテレビ番組に詳しいわけではない。
もともとチェコテレビは、強迫観念的に常に新しい番組を粗製濫造的に制作しつづける日本のテレビ局とは違って、古い番組の再放送が多いから、チェコテレビ3でも、今までに見たことのある番組が放送されていることも多い。この前も子供向けのドラマ「Bylo nás p?t(我ら五人組)」が放送されていて、お年寄りが若かったころに子供と一緒に見ていたのかなあなんてことを考えた。
最近になって、放送時間が夜遅くまで延長されて、放送するものが足りなくなったのか、平日の夜なんかにチャンネルを替えていて、何これと言いたくなるような番組に突き当たることがある。そのうちの一つが、みょうちくりんな衣装を着た若い人たちが、いくつかのグループに分かれてプールの上に置かれた板の上を走ったり、馬の人形に乗ったり、壁をよじ登ったりする番組「Hry bez hranic(国境なきゲーム)」である。
この番組にチャンネルが合ったとき、うちのが思わず「ティ・ボレ」と言ってしまうようなとんでもない番組なのだが、簡単に言うと、かつてチェコでも人気を誇った「風雲たけし城」の国際版だと言ってよかろう。視聴者が参加してさまざまな「競技」を行うのである。違いは町の代表がチームで参加するということと、複数の国から各国1チームずつの参加だという点である。やっていることの馬鹿馬鹿しさは「たけし城」と大差ないが、公共放送のアナウンサーがまじめに、スポーツ番組のように中継しているのがおかしいと言えばおかしい。
チェコでは1990年代に放送された番組だというので、「たけし城」の影響がヨーロッパで国際大会が開かれるまでになっていたのかと思ったのだが、実際はこちらのヨーロッパ版のほうがはるかに前に始まっていた。チェコ語版のウィキペディアによると、何と最初の大会は1965年に開催されており、発案者は時のフランスの大統領シャルル・ド・ゴールだという。いやあ、「ティ・ボレ」を連発である。戦後の冷戦期にヨーロッパ、特に西側のヨーロッパ諸国の連帯感を養うことを目的として開催が始まったのだという。
この「大会」は断続的に冷戦後の1999年まで全部で30回開催されているが、参加国は年によって変わり、30回すべてに参加しているのはイタリアだけである。発案国のフランスと第一回の参加国のスイス、それにベルギーが20回を超えている以外は、多くとも半分ぐらいの参加である。一回の大会当たりの参加国は数か国にとどまると考えてよさそうだ。
チェコは、スロバキアと分離する前の1992年から参加をはじめ、4回出場している(冬の特別大会と合わせると5回になる)。そのうちチェコの代表チームは3回も優勝していて、優勝確率では参加国中一位だという。当時の東側として今以上に見下されていたチェコは、ヨーロッパ諸国の融和とか連帯感よりは、ひたすらに勝利を求め、西側に対する優越感を感じたがっていたのではないかなんてことも考えてしまう。
予選も含めると50ほどの町が代表を送り出しているが、残念ながらオロモウツの名前はない。あったからといってオロモウツのチームが出た回を見ようなんて気にはなれないけどさ。いかに過去を懐かしむお年寄りとはいえ、こんな番組を見ている人がどのぐらいいるのだろうか。この番組は知らず、チェコテレビ3自体は、放送が継続されていることを考えると、ある程度の高齢の視聴者を集めることに成功し、外出する人の数を減らしているのだろう。
日本でも、糞みたいなバラエティー番組や有害でしかないワイドショーなんかやめて、お年寄りが喜びそうな、テレビがまだ娯楽として魅力を持っていた時代の番組をどんどん再放送すれば、外出する高齢者を減らすことができそうである。個人的にも最近の日本のテレビ番組なんて見たいとも思わないけど、過去の自分の高校時代ぐらいまでの番組の中にはまた見てみたいと思うものはいくつかあるし、そんなのが昼間に放送されていたら外出しようとする足も止まろうというものである。
2021年3月1日22時。
2021年03月02日
規制の再強化(二月廿七日)
イギリスではEU脱退を主導し何とか合意にこぎつけたジョンソン首相が、感染症対策を指揮しているが、うちののはなしでは、こんな冗談を放ったらしい。
記者会見で、どうしてイギリスでは、ニュージーランドのような効果的な対策が取れないのかと質問されて、「ニュージーランドにはイギリスにはない利点がある。だからあんな対策を取れるんだ」と言い、さらにどんな利点かと問われて「ニュージーランドは島国だろ」と言い放ったのだとか。一瞬考えた後、笑いが止まらなくなった。流石イギリス、首相の冗談も切れがいい。
チェコの政治家の記者会見は、笑えない冗談ばかりで、いや笑うしかない現実ばかりで、嫌になる。この日も、非常事態宣言の発令が認められた政府が喜々として新たな規制の話し合いの結果を発表していた。一年前の突然の規制とは違って、事前に小出しに情報を出して、抵抗を少なくしようとする姑息さを身につけたのは、改善点と評価するべきなのだろうか。
とまれ、最大の問題は、文部省が教育を守るために再開させ、継続することを求めていた小学校1、2年生の通学を禁止したことだろうか。同時に幼稚園保育園などの児童を預かる施設も閉鎖された。小学校の低学年は、アンチゲンの簡易検査キットを導入し、陰性の子供だけ通学を許可することで、他の学年の授業再開につなげる計画だったはずなのだが、検査キットの購入を巡るスキャンダルを隠蔽するためにまとめて閉鎖することに決めたと見てよかろう。
事実、文部省では簡易検査キットの導入に関して、最初はチェコで生産している企業と協力して計画を進めていたのが、いつの間にか解消され、中国製を利用することに変わったという話もある。それが、学校への検査キットの導入が進まず、実験や業者選びがぎりぎりになった理由だというのである。チェコの産業を守るとか言うのであれば、この手の事業には、チェコ製を選ぶのが休業に対する補助金も不要になるし、一番いいはずだが、中国製でないと都合が悪い人が政府の上のほうにいたようだ。
その中国製の検査キットも、サンプルとして納入されるものは精度が高くても、実際に購入すると不良品の率が高いというから、そんな検査では何の役にも立たないと思うのだが、一年前の現場の叫びを忘れたと見える。あのときは、あまりの制度の低さにこれなら検査しないほうがましだという声があちこちから上がっていた。これでは、感染状況が改善されても学校が再開されるまでには時間がかかりそうである。
それから、移動の自由の制限で、自分が住むオクレスの外に出ることが原則として禁じられることになった。例外としては仕事や病院などに行く場合が挙げられているが、何らかの証明書が必要になる。オクレスはかつて存在した行政単位で、地方(クライ)が存在する現在では地理的な意味しか持たないのだが、道路際に境目の表示が出ているから、警察などが検問を敷いて規制を守らせやすいという面があるのだろう。
同時に、散歩や運動などに関しては、居住する市町村の境界を越えてはいけないことになった。こちらは道路際には、隣の自治体の境界表示はないから、どこまで行けるのかを確認するのは大変そうだ。チェコでは道路際に表示があるのは、市街地が始まるところと終わるところであって、実際の隣の自治体との境界は特別な地図で確認しないとわからないのである。
また、夜間の犬などの散歩に関しては、自宅から500メートル以上離れてはいけないというルールが追加された。このルールも理解できないものの一つで、日中も自宅にいることを強く求めているのだから、夜間の犬の散歩なんか禁止してしまえばいいはずだ。在宅勤務であれば、犬の散歩ぐらい昼間行けるだろうに。
憲法裁判所に、意味不明だと批判された例外的に営業が許可される小売店の業種についても、大きく見直しがなされ、批判の対象になっていた銃砲店や、子供に着せる服、履かせる靴がないと言う親たちの批判に応じて許可された子供向けの服や靴の販売も禁止された。学校が完全閉鎖になったから服も靴も新しいのは必要ないと単純に考えたのだろうか。それに対して、営業禁止の対象になると予想されていた花屋に関しては、継続して営業が認められることになった。生活必需品ではないと思うのだが、アグロフェルト社傘下に花屋を経営している企業があるからだとも言われている。
マスクの規制も強化されるというけれども、説明がややこしくて実際に何が求められているのかよくわからなかった。まあ買い物にも行かず。人とも会わない生活をしていれば今まで通りで問題あるまい。買い物に行くときだけ、レスピレーターを引っ張り出すのは、規制が強化される前からしていたことだしさ。
2021年2月28日23時