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気まぐれ80s(その1)~青春まっただ中の“青春ソング” ここのところ、動画つきで曲をご紹介するシリーズがいくつか続いていますが、このパターンをレギュラーの更新の中に挟みつつ、しばらく続けていこうかと思います。それで思い立ったのが“気まぐれ80s”とういタイトル。文字通り、80年代の印象に残る曲たちを、不定期更新のシリーズ(途中に通常更新を挟むこともあります)としてピックアップしていきたいと考えています。よろしくお付き合いくだされば幸いです。 さて、記念すべき(?)第1回目は、ブライアン・アダムス(Bryan Adams)から始めようと思います。1959年カナダ出身のロック・アーティストで、最初はソングライターとしてA&Mと契約し、1980年には同レーベルから『ギヴ・ミー・ユア・ラヴ(原題:Bryan Adams)』でソロ・デビュー。その後は着実に人気を獲得し、1984年の『レックレス』で世界的な大ヒットを実現しました。 その『レックレス』は、過去記事にも書いたように、ストレートアヘッドなロック・チューンを中心にバラードなども程よくちりばめられています。その中でも、真っ直ぐなロックでなおかつセンチメンタルな青春の思い出を感じさせるのが、今回の「想い出のサマー(Summer of ’69)」という曲です。 シングルとしては、1985年6月に、『レックレス』からの4thシングルとして発売され、先のシングル「ヘヴン」(全米1位)には及ばないものの、全米5位のヒットとなりました。後に作者のブライアン・アダムス自身は“69”年という数字について卑猥な意味も意識していたとほのめかしていますが、真相はいかに? まあ、そうだとしても、若い頃の青春ソングといった感じなので、私は好きなんですけれども。[収録アルバム]Bryan Adams / Reckless (1984年) 【Joshin webはネット通販1位(アフターサービスランキング)/日経ビジネス誌2012】【after20130308】レックレス/ブライアン・アダムス[SHM-CD]【返品種別A】 【Aポイント+メール便送料無料】ブライアン・アダムス Bryan Adams / Best Of Me (Eco) (輸入盤CD)【YDKG-u】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2013年03月29日
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INDEXページ(ジャンル別、アーティストのアルファベット順)を更新しました。ここ最近の記事を追加したのに加え、ページ追加もしました。だいぶ分量が増えてきていたジャズ編を2つに分割しています。 INDEXページへは、下のリンク、もしくは本ブログのトップページ右欄(フリーページ欄)からお入りください。アーティスト別INDEX~ジャズ編(A-J)へ・つづき(K-Z)はこちらアーティスト別INDEX~ロック・ポップス編(A-E)へ→ つづき(F-N)・つづき(O-Z)アーティスト別INDEX~ラテン系(ロック・ポップス)編へアーティスト別INDEX~邦ロック・ポップス編へ下記ランキングに参加しています。応援くださる方は、各バナー(1つでもありがたいです)をクリックお願いします! ↓ ↓ にほんブログ村 : 人気ブログランキング:
2013年03月29日
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音楽の癒しの力 ビクトル・マヌエル(Víctor Manuel, 本名ビクトル・マヌエル・サン・ホセ・サンチェスVíctor Manuel San José Sánchez)は、1947年アストゥリアス出身のスペインのシンガーソングライター。本ブログではだいぶ前に1996年の『シン・メモリア』を取り上げたほか、アナ・ベレンとデュオによる「アルカラの門」を紹介している。 『シン・メモリア』の項では、彼のことを“惚れ惚れする声”のシンガーと表現した。そのことに変わりはなく、この『ガレージの犬(エル・ペロ・デル・ガラッヘ)』でもその魅力的なヴォーカルは健在である。けれども、より後年のこの盤では、それに加えてさらに上乗せといってよい魅力が付け加わっている。それはいい意味での力の抜け方なのである。リラックス具合と言ってもいいかもしれない。想像でしかないのだが、その理由は、年齢的な問題もしくは円熟度にあるように思う。本盤は2004年のリリースで、ビクトル・マヌエルは既に50歳代後半に入っている。以前と比べて気合が入っていないわけではないのだが、やはりいい意味で肩の力が抜けている。余談ながら、犬の写真のみというジャケットの力の抜け具合は、正直、あまり褒められないアートワークだと思うけれど(笑)。 全14曲(収録時間56分ほど)というのは、わりとヴォリュームがあるが、全体のトーンは概ね上で述べた感じに統一されていて、あまりソリッドな歌はない。収録曲中、表題曲を除きすべてビクトル自身(共作を含む)の作詞作曲。1.「死んだ女たちのクラブ(エル・クルブ・デ・ラス・ムヘーレス・ムエルタス)」のイントロのリラックス具合、ヴォーカルの叙情性で引き込まれてしまうと、あとは勢いですべて聴けてしまう。演奏は特別凝ったところもなく、スタンダードに叙情的なポップス調で進んでいく。 上記1.以外に個人的に気に入っている曲を挙げておきたい。3.「君を夢見る時(シエンプレ・ケ・テ・スエニョ)」や6.「わが祖国は同じではない(ミ・パトリア・ノ・エス・ラ・ミスマ)」、11.「私を狂女と呼んで(ケ・メ・ジャメン・ロカ)」の淡々とした語り口は、ビクトルの本領発揮と言ったところ。7.「もし私が神だったなら(シ・ヨ・フエラ・ディオス)」は、カトリック圏のスペインにしてはかなり挑発的なタイトルだが、ヴォーカルのカッコよさがたまらない。10.「ネプチューン(ネプトゥーノ)」なんかは、独特の語り口とコーラスの対比が面白いし、13.「ルーラを恐れるのは誰?(キエン・テメ・ア・ルーラ?)」でのアコーデオンとヴォーカルの絡みも興味深い。 50代後半で“新境地”という表現はちょっと憚られる。けれども、従来の路線を踏襲しつつも、いい意味で円熟の味が出たアルバムだと感じる。日本での入手は少々難しめだけれど、ビクトル・マヌエルのソロ諸作(特に90年代後半以降)は、ぜひどれか一つでも試してみる価値があると思う。[収録曲]1. El club de las mujeres muertas2. Cuando no pienso estoy pensando en ti3. Siempre que te sueño4. El perro del garaje5. La doble muerte de Juan Diego6. Mi patria no es la misma7. Si yo fuera Dios8. Ustedes no me recuerdan9. Si uno pudiera10. Neptuno11. Que me llamen loca12. Duermo con un ojo abierto13. ¿Quién teme a Lula?14. Para que te quieran y que tú sepas2004年リリース。 下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2013年03月27日
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清志郎のセンス(後編)(前編からの続き) さて、忌野清志郎の訳詞のセンスの話を続けたい。よく中学生とか高校生が洋楽のコピーバンドをやってみたりした場合、ヴォーカリストがぶち当たりがちな壁は、原曲の詞についていけないという現象だ。なぜついていけないのかと言えば、話は簡単で、往々にして英語が下手だから。いやはや、大人がカラオケで洋楽を歌ってても、字余りになって歌詞がメロディに収まらず、困り果ててしまうことがあるので、中高生に限った話ではない。 “英語が下手”などと言うと、何とも聞こえが悪いかもしれないが、別に単語を知らないとか文意がわからないとかそういうお勉強的な話で英語の下手・上手の話をしているわけではない。要は、音声学的な観点から、英単語の音節を理解せず“カタカナ読み”してしまうから、結果的にメロディに合わなくなるという話なのだ。繰り返すが、お勉強やコミュニケーションツールとしての英語の上手い下手とここで言う英語の上手い下手は別問題である。事実、自称英語を全く話せない阿川泰子があれだけうまく英詞を歌えるという、英語の語学力とは別問題であることを示す好例があるが、この話はいつかまた別途取り上げてみたい。 ともあれ、一般論的には、音楽(メロディ)というのは、五線譜に音符があって、その音符に概ね一つの音節が乗っかるという形で成立している。英語の歌をカタカナ英語で歌うとつじつまが合わなくなるのは当然の帰結だが、音楽分野でのこの音符/音節問題は、英語の語学力とは関係ないセンスにも左右されるようだ。そしてそれが清志郎の訳詞のセンスという話につながる。 それでもって、清志郎の訳詞はと言うと、不思議なことに字余りが少ない。もうちょっと細かいことを言えば、字余りが目立たない字余りになっているもすごい。英語の詞を日本語に置き換える時点で、英語の音節数と日本語訳詞の音節数(譜面上は音符の数)がうまく一致もしくは類似しているのだ。字余りになった時も、見事に強弱がつけられていて、本当の字余りに聞こえない工夫が凝らされている。この訳詞のセンスは、清志郎がめちゃくちゃ考え抜いていたのか、それとも自然にそうなったのかは筆者知らない。けれども、その真相がどちらにせよ、結局は、これらの条件を乗り越えて、日本語として感動を与え得る見事な訳詞をつけているというのは、忌野清志郎の見事な才能ということだと思う。 余談になるが、日本の有名アーティストが洋楽のカバーをしているのを聴いて、びっくりするほどずっこけることがある。ここ何年かで鮮烈(?)だったのは、EXILEによるWhamの名曲「ラスト・クリスマス」。本人たちが訳したのか、日本語詞を準備した人物が別にいたのかしらないけれど、字余りだらけの崩れはてた名曲は、いくら歌っている本人たちが恰好よかろうが、噴飯ものだった。“洋モノをやればカッコよく見える”というのは時代が変わろうとも今も昔も部分的にはそうなのかもしれない。でも、外から持ってきたものをどれだけうまく消化しているかは、演じる者、解釈する者の腕にかかっている。 原曲と清志郎の訳詞のサビ部分を少し比べてみると、次のような感じ。Cheer up, Sleepy Jean/ずっと夢を見てOh, what can it mean/幸せだったなぁTo a daydream believer/僕は デイ・ドリーム・ビリーバーAnd a homecoming queen/そんで 彼女は クイーン “To a”が「僕は」(ここは字余りだけれど)、“And a”が「そんで」になるセンスは、ふつうのアーティストや作詞者にはないものを感じるというと大げさだろうか。いや、筆者は本当に凄いと前々から思っているのだけれど。 以下、おまけで有名な”放送事故”ライヴ出演の時の「デイドリーム・ビリーバー」の演奏です。 [収録アルバム]THE TIMERS / 『ザ・タイマーズ』 (1989年) 【Joshin webはネット通販1位(アフターサービスランキング)/日経ビジネス誌2012】【after20130308】【送料無料】ザ・タイマーズ/THE TIMERS[CD]【返品種別A】 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2013年03月26日
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清志郎のセンス(前編) 1960年代半ば、ビートルズ人気に肖ってアメリカで結成されたグループ、ザ・モンキーズ(The Monkees)の代表曲である「デイドリーム・ビリーバー(Daydream Believer)」(このグループの曲としての日本語表記は「デイドリーム」だが、原題はDaydream Believer)。キングストン・トリオのジョン・スチュワートのペンによる、1967年のヒット曲だったが、それから20年以上を経たバブル期の日本で一躍脚光を浴びることになった曲でもある(当時、カップ麺のCM曲になったほか、数年前にもコンビニCMに用いられるなど繰り返し巷で耳にする曲である)。 火をつけたのは忌野清志郎。いや、正確には、“清志郎にそっくりのZERRYなる人物がヴォーカルをとる謎のバンド”、ザ・タイマーズ(The Timers)が1989年にデビュー・シングルとして発表したカバーであった。ザ・タイマーズというのは、どうやら日本のグループ・サウンズの代表格“ザ・タイガース”と、“大麻”をひっかけてつけられたバンド名らしく、ZERRY(ゼリー)というのも、“ジュリー(沢田研二)”のパロディとのこと。 2009年に58才で惜しくも亡くなった清志郎は、決して正統派ではない、あまりに個性派なロック・ミュージシャンだった。思い起こすにつけ、本当に才能あふれるアーティストだったと思う。その生き様は“ロックしていた”としか表現しようがなく、最後の最後まであまりに正直だった。カッコつけて見た目が決まっていればよしとするミュージシャンが多い中、実に好感のもてる人物だった。 そんな清志郎には、あまり注目されない見事な才覚があったように思う。それが努力によるものなのか、はたまた天性のものだったのかは今もってよくわからないけれど、1980年代、RCサクセションとして、また“謎の覆面バンド”、ザ・タイマーズとして発表した中にそれが見られる。その才覚とは抜群の訳詞のセンスである。今回取り上げた「デイドリーム・ビリーバー」はその代表例の一つというわけだ。 話が長くなってしまいそうなので、まずは曲の動画をご覧いただき、回を改めて後編で話を続けさせていただきたい。ちなみに訳詞の内容は、亡き母に捧げたものとのこと。 (後編に続く) 【送料無料】ザ・タイマーズ [ THE TIMERS ] 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2013年03月25日
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スプリングスティーン曲の名カバー(その10・最終回) 不定期更新ということで、何だかとぎれとぎれの中途半端な更新になってしまった感じもしないではないですが、ブルース・スプリングスティーン曲の名カバー集を先月から断続的にやってきました。ひとまずは最終回となる10回目です。最後はロック界の大物で締めたいと思います。 60年代末から70年代にかけて一時代を築いたザ・バンド(The Band)の登場です。デビュー作『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』が1968年、よく知られた名盤『ザ・バンド』が1969年のリリースですから、無論、スプリングスティーンのデビュー前から活動していたわけですが、1976年に解散。他方のスプリングスティーンはというと、1973年にデビューし、出世作『明日なき暴走』が1975年ですから、ちょうど音楽シーンでは、入れ替わるようなタイミングで交錯した両者だったと言ってもよいかもしれません。 時は流れ、80年代に入ってザ・バンドはロビー・ロバートソン抜きで再結成。その再結成後のアルバムが出たのは、ようやく1993年でしたが、その『ジェリコ~新たなる伝説』の収録曲の中にスプリングスティーンの「アトランティック・シティ」が含まれていました。アルバム所収のヴァージョンに加え、1994年のウッドストックでの演奏を2つまとめてどうぞ。 ちなみに後者の演奏ではロジャー・マッギン(元ザ・バーズ)が参加していますが、いずれの演奏もザ・バンドらしいというか、かつて60~70年代にザ・バンドが追い求めていた、米国音楽の懐の深さを掘り下げそれを探求するという路線に合致しているように思います。 ブルース・スプリングスティーンによる「アトランティック・シティ」のオリジナルは、通好みの盤とされる弾き語り風アルバム『ネブラスカ』(1982年)に収録されています。深遠なるアメリカ音楽を追い求めて活動を展開していったザ・バンドが、後発のスプリングスティーン(彼のバックグラウンドもまた、カントリー&フォークなど米国ルーツに深く根ざしている側面が後年の作品で判明してきます)を取り上げ、その探求を深めていくとは、何とも興味深い展開だったと言えるのではないでしょうか。[収録アルバム]The Band / Jericho(ジェリコ~新たなる伝説)(1993年)[関連記事リンク] スプリングスティーン曲の名カバー(その1:ジョン・ウエズリー・ハーディング) スプリングスティーン曲の名カバー(その2:フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド) スプリングスティーン曲の名カバー(その3:ニルス・ロフグレン) スプリングスティーン曲の名カバー(その4:マンフレッド・マン) スプリングスティーン曲の名カバー(その5:ナタリー・コール) スプリングスティーン曲の名カバー(その6:グレッグ・キーン) スプリングスティーン曲の名カバー(その7:エルヴィス・コステロ) スプリングスティーン曲の名カバー(その8:ジョン・メレンキャンプ) スプリングスティーン曲の名カバー(その9:デイヴ・エドモンズ)↓ザ・バンドによるカバー収録 【送料無料】【輸入盤】 Jericho (Rmt) [ The Band ]↓スプリングスティーンによるオリジナル収録 【送料無料】ネブラスカ [ ブルース・スプリングスティーン ] 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2013年03月24日
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スプリングスティーン曲の名カバー(その9) デイヴ・エドモンズ(Dave Edmunds)は、1944年、サウスウェールズ出身のミュージシャンで、主に70年代~80年代にかけてコンスタントにアルバムを発表していました。ポール・マッカートニーやステイタス・クオーの録音に参加したり、E.L.O.のジェフ・リンと共作したり、90年代にはリンゴ・スター率いるオール・スター・バンドへの参加経験もあります。決して派手なヒットメイカーという感じではないけれど、ロカビリーやポップの基本といった感じの親しみやすい楽曲と演奏で、もっと評価されていいと思うミュージシャンです。 そんな彼は1981年にブルース・スプリングスティーンのライヴに行き、スタッフからブルースが会おうと言っていると声をかけられます。ブルースは、デイヴにこの曲をぜひやってくれとテープを渡したそうです。そして、その曲こそがこの「果てなき夢(From Small Things (Big Things One Day Come))」だったというわけです。TVショウでの、なかなか“キマっている”パフォーマンスをご覧ください。 元々、この曲はスプリングスティーンが2枚組作『ザ・リバー』のために準備した曲だったとのことですが、お蔵入りになっていました(後に編集盤『エッセンシャル・ブルース・スプリングスティーン』の限定版ボーナスディスクとして1979年録音のアウトテイクが発表されています)。曲を預かったエドモンズの方は、早速、彼の次の作品(1982年の『D.E. 7th』)のオープニング・ナンバーとしてこれを収録したという経緯だったようです。 スプリングスティーンがこの曲をデイヴに勧めたのも頷けます。ロックンロール黎明期を思わせるノリ、よき一昔前を感じさせるロカビリーの雰囲気をうまく現代風に出せるというのは、デイヴ・エドモンズの得意とするところでした。この曲は、見事にこれに合致したという気がします。[収録アルバム]Dave Edmunds / D.E. 7th (1982年)[関連記事リンク] スプリングスティーン曲の名カバー(その1:ジョン・ウエズリー・ハーディング) スプリングスティーン曲の名カバー(その2:フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド) スプリングスティーン曲の名カバー(その3:ニルス・ロフグレン) スプリングスティーン曲の名カバー(その4:マンフレッド・マン) スプリングスティーン曲の名カバー(その5:ナタリー・コール) スプリングスティーン曲の名カバー(その6:グレッグ・キーン) スプリングスティーン曲の名カバー(その7:エルヴィス・コステロ) スプリングスティーン曲の名カバー(その8:ジョン・メレンキャンプ) スプリングスティーン曲の名カバー(その10:ザ・バンド) 【Aポイント+メール便送料無料】デイヴ・エドモンズ デイヴ・エドモンズ / D.E.7th[CD][初回出荷限定盤] 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2013年03月22日
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スペイン、モッズ・バンドの推奨盤 ロス・フレチャソス(Los Flechazos)は、スペインのモッズ・バンド。一時期邦盤も発売されたが、その名に記憶のある人は稀かもしれない。1980年代後半から1990年代後半まで、10年程の活動期間を疾走したバンドで、とくに80年代から末から90年代初めにかけてのスペインでのモッズ系のムーヴメントを代表するグループだった。このバンドの作品の中でも特に名盤とされるのが、1995年発表の第6作『アルタ・フィデリダー(Alta Fidelidad)』である。デビュー以来のDROというレーベルから、新興のエレファントというインディ・ポップ系のレーベルに移っての第1弾が本盤で、このアルバムを含めた同レーベルでの作品が本邦でも発売された。 このバンドのメンバーは、アレハンドロ・ディエス・ガリン(Alejandro Díez Garín,ヴォーカル&ギター)、エレナ・イグレシアス・サストレ(Elena Iglesias Sastre,オルガン&ピアノ)が中心をなし、結成当初はホセ・べロット(José Berrot,ハーモニカ&コーラス)、エクトル・エスコバル(Héctor Escobar,ベース&コーラス)、ペドロ・ハビエル・アロンソ(Pedro Javier Alonso,ドラムス)を加えた5人組だった。1995年発表の本作の時点では、中心メンバーとなる上記2人に加えて、フランシスコ・ビジャ(Francisco Villa,ベース&コーラス、11.ではリード・ヴォーカルも担当)とミゲル・マネーロ(Miguel Manero,ドラムス)がメンバーに加わって4人組編成となっている。 イギリスではなくスペインのモッズ・バンドと聞けば、ふつうは“どうせまた…”的な“モッズ風(もどき)”を想像するのだろうが、ロス・フレチャソスは、これが意外に(と言っては失礼だが)、正統的なネオ・モッズ・サウンドを展開している。そういう意味で、おそらく最初に耳に飛び込んできそうなのが、4.「パサラー(Pasará)」。スペイン語のタイトルがついているが、その実態はザ・フー(参考過去記事(1)・(2))の曲で、『ア・クイック・ワン』(1966年)所収の「ソー・サッド・アバウト・アス(So Sad About Us)」という曲。同じく11.「ディセス・ロ・ケ・シエンテス(Dices que lo sientes)」(上述の通り、この曲ではベースのフランシスコがリード・ヴォーカルをとっている)というのも60年代の曲のカバーで、原曲はレッド・スクエアー(60年代、イギリスで結成されたもののデンマークの拠点を移し、同地で人気バンドとなった)のもの。 とは言っても、これらカバー曲だけが特に優れているというわけではないのが、本盤のミソなのかもしれない。3.「シ・トゥ・テ・バス(Si tú te vas,君が行ってしまうなら)」や8.「ミエド・ア・ボラール(Miedo a volar,飛ぶのが怖い)」はこのバンドが持つ奥行きが発揮された聴きどころになっている。さらに9.「プッシキャット」という実験的インスト曲を同じくバンドの本領が発揮されていると感じる。英語ではない言葉で歌いながら本格的モッズ・バンドが成立しうるのか、と漠然と尋ねられると、ふつうは返答に困るだろうが、本盤を聴いた後では、間違いなく“イエス!”(スペイン語だと“シー!”)と答えられるという、実力派アルバムだと思う。[収録曲]1. No hay solución2. El faro3. Si tú te vas4. Pasará5. Me he subido a un árbol6. Nunca más7. Queda mucho por andar8. Miedo a volar9. Pussycat10. Alerta11. Dices que lo sientes12. En tu calle1995年リリース。 【中古】 Los Flechazos / Alta Fidelidad 【CD】下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2013年03月20日
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スプリングスティーン曲の名カバー(その8) ボスと言えば「ボーン・イン・ザ・USA」(同名アルバム所収の80年代のヒット曲)というのは、あまりにありきたりなイメージかもしれないけれど、そもそもこの曲をすすんでカバーしようというアーティストはあまりいないのでは、と思ったりもします。理由は2つあって、1つはヒット・ナンバーとしてあまりにイメージが出来上がっている曲であること。もう1つは、パフォーマー(曲の解釈者)として、突き詰めれば突き詰めるほど重たすぎるメッセージの曲であること。サビだけだと“アメリカ万歳”な感じがするかもしれませんが、実際にはヴェトナム帰還兵を題材にし、わかりやすく言ってしまえば“アメリカ人に生まれちまった”という、米国の陰の部分に疑問を投げかける歌なわけです。 アメリカン・ロックの世界でこれができる人物の筆頭はと言えば、やはりジョン・メレンキャンプ(John Mellencamp)ではないでしょうか。インディアナに生まれ、都会的とは言いがたい雰囲気ながらも若者のヒーローかのような不本意な売り出され方(当初はジョニー・クーガー、ジョン・クーガーという芸名だった)をしながらも、次第に泥臭く、心情を吐露するタイプの音楽(参考過去記事:『ビッグ・ダディ』)を発表するようになっていきました(その過程で芸名もジョン・クーガーからジョン・クーガー・メレンキャンプ、さらにはジョン・メレンキャンプと名乗るようにもなりました)。アルバム等ではリリースされていない音源だと思いますが、2009年、ケネディ・センターでのB・スプリングスティーンを前にしての演奏の模様をどうぞ。 途中、楽器が入ったアップテンポになったところで、少々盛り上がり気味の聴衆がいますが、きっとその人たちはこの曲の本当の意味を理解できていないのでしょうね。それに対し、原作者のスプリングスティーンは、アコースティックに迫るジョン・メレンキャンプの歌を胸に刻み込んでいるように見えます。“うまいことやられた”と思ったか、はたまた“意図を汲み取ってもらえた”と思ったか、あるいはその両方が混ざった感じだったのかもしれません。 このことは、こちらの過去記事で取り上げた、スプリングスティーンの初期のアコースティック・ヴァージョン(『ネブラスカ』制作時のアウトテイクで、後に『トラックス』に収録)も併せて聴くと、よくわかるのではなでしょうか。 当初、スプリングスティーンが意図していたのはこういうイメージの曲だったわけです。それも全部ひっくるめて考えれば、ジョン・メレンキャンプの解釈とパフォーマンスは見事ですね。[関連記事リンク] スプリングスティーン曲の名カバー(その1:ジョン・ウエズリー・ハーディング) スプリングスティーン曲の名カバー(その2:フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド) スプリングスティーン曲の名カバー(その3:ニルス・ロフグレン) スプリングスティーン曲の名カバー(その4:マンフレッド・マン) スプリングスティーン曲の名カバー(その5:ナタリー・コール) スプリングスティーン曲の名カバー(その6:グレッグ・キーン) スプリングスティーン曲の名カバー(その7:エルヴィス・コステロ) スプリングスティーン曲の名カバー(その9:デイヴ・エドモンズ) スプリングスティーン曲の名カバー(その10:ザ・バンド)↓本文中で触れた『ビッグ・ダディ』と『ネブラスカ』です(ここで取り上げた曲が収録されているわけではありません)。 【送料無料】【輸入盤】 Big Daddy (Rmt) [ John Cougar Mellencamp ] 【Aポイント+メール便送料無料】ブルース・スプリングスティーン Bruce Springsteen / Nebraska (輸入盤CD)【YDKG-u】 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2013年03月19日
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INDEXページ(ジャンル別、アーティストのアルファベット順)を更新しました。ここ最近の記事を追加しています。INDEXページへは、下のリンク、もしくは本ブログのトップページ右欄(フリーページ欄)からお入りください。 今回は、洋ロック・ポップス編に少し手を入れました。これまで2つのページに分かれていましたが、分量増加に伴い、これからは3ページ(A-E・F-N・O-Z)構成になります。ジャズ編もそのうち分割せねばならないのですが、そちらの方は次の機会にと思っています。 アーティスト別INDEX~ジャズ編へ アーティスト別INDEX~ロック・ポップス編(A-E)へ → つづき1(F-N)・つづき2(O-Z) アーティスト別INDEX~ラテン系(ロック・ポップス)編へ アーティスト別INDEX~邦ロック・ポップス編へ 話は変わりますが、楽天ブログのトップページ(こちらの「Pickup」欄、20日まで掲載とのこと)にリンクが貼られているおかげか、ここのところ安定的にアクセス数が増えています。 見ていただくだけでももちろん嬉しいのですが、クリック応援いただけるといっそう嬉しいです。上記の効果か、「にほんブログ村」の方はおかげさまで久々のトップ3入り(「ロック」ジャンル)できました。引き続き、応援よろしくお願いします。下記ランキングに参加しています。応援くださる方は、各バナー(1つでもありがたいです)をクリックお願いします! ↓ ↓ にほんブログ村 : 人気ブログランキング:
2013年03月18日
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スプリングスティーン曲の名カバー(その7) 今更説明の必要もないかもしれませんが、エルヴィス・コステロ(Elvis Costello)は、1954年、英国出身のミュージシャン。『マイ・エイム・イズ・トゥルー』(1977年)でデビューし、キャリア当初の70年代後半は「怒れる若者」などと形容されました。パンク調の曲も多くこなしていたところからそういう見方がなされるスタイルでしたが、80年代以降は徐々に落ち着きを見せ、音楽的な幅を広げていきます。とりわけ21世紀に入ってからは、ロック音楽の枠にとらわれない、いっそう多彩な活動を展開しています。 そんなコステロは、90年代に『コジャック・ヴァラエティ』というカバー集(他人の曲をカヴァーして構成したアルバム)を出しています。当初のリリースは1995年でしたが、2004年に拡大版とでも言えるもの(ボーナスディスク付)が改めてリリースされました。その拡大版の方に、この曲が収録されています。この辺の経緯はよく知らないのですが、どうやら『コジャック~』には“第2集(Vol. II)”の企画があった(実際にはリリースされず)とのことです。もしかすると、ボーナス曲になったのは、実現しなかった第2集のために準備された音源だったのかもしれません。ともあれ、エルヴィス・コステロによる「ブリリアント・ディスガイズ」をどうぞ。 いかがでしょうか。デビュー当時と違い、コステロもすっかり大人な雰囲気で、荒々しさが陰をひそめたというのは、その当時の彼をお気に入りのファンにとってはどうだかわからないものの、こういうコステロ、私は好きです。 ブルース・スプリングスティーンの元ヴァージョン(1987年に発売されたシングル曲で全米5位)が“孤独な男の独白的”な調子だったのに対し、エルヴィス・コステロのこのカヴァーは、もっと包容力のある感じとでも言えばいいでしょうか。きっとそこが中年期以降のコステロの大きな魅力の一つなのではないかと思ったりします。[収録アルバム]Elvis Costello / Kojac Variety (1995年、「ブリリアント・ディスガイズ」は2004年の再発盤に収録)[関連記事リンク] スプリングスティーン曲の名カバー(その1:ジョン・ウエズリー・ハーディング) スプリングスティーン曲の名カバー(その2:フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド) スプリングスティーン曲の名カバー(その3:ニルス・ロフグレン) スプリングスティーン曲の名カバー(その4:マンフレッド・マン) スプリングスティーン曲の名カバー(その5:ナタリー・コール) スプリングスティーン曲の名カバー(その6:グレッグ・キーン) スプリングスティーン曲の名カバー(その8:ジョン・メレンキャンプ) スプリングスティーン曲の名カバー(その9:デイヴ・エドモンズ) スプリングスティーン曲の名カバー(その10:ザ・バンド) 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2013年03月17日
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メロディと歌に本質があるヒット作 ペット・ショップ・ボーイズは、イギリス出身の2人、ニール・テナント(ヴォーカル)とクリス・ロウ(キーボード)が結成したデュオで、1984年に音楽シーンへと登場した。自分自身もそうだったのだけれど、その受け止められ方はと言えば、シンセ・ポップやテクノ・ポップとでも分類されそうな、ダンス音楽としてのポップ・デュオという印象だった。ユーロディスコ系のサウンドと言うだけで、その手の音楽があまり得意でない筆者は、どちらかというとこの時点で既に拒否反応だったのだが、それでも彼らがヒットを積み重ねるにつれ、おやっと思う曲もあることに気づきつつあった。 とか何とか言って、その当時は単発的にいいなと思う曲があるという程度で済ましてしまっていたが、今になってたまに思い出したようにひっぱり出しては聞いていると、クリス・ロウが紡ぎ出し、ニール・テナントがその声で表現するメロディのよさ、実はここに彼らの音楽の本質があったのではないかと思うようになった。そんなことを、彼らのヒット・アルバム『哀しみの天使(Actually)』から考えてみたいと思う。 本盤は彼らのデビュー作(『ウェスト・エンド・ガールズ』、1986年)から、リミックス盤(『ディスコ』、86年)の発売を挟んで、翌1987年に発表された第2作であった。全米チャートこそ25位どまりだったが、全英ではアルバムは堂々の2位を記録し、多くのヒット・シングルを収録した。日本語での表題曲となった7.「哀しみの天使(It’s A Sin)」は全英1位で全米でもトップ10入り(第9位)、ダスティ・スプリングフィールドをフィーチャーした2.「とどかぬ想い(What Have I Done to Deserve This?)」は、英米ともにシングル2位のヒット、続くシングル4.「レント」は全米でTOP10入り、さらに、翌年発売の9.「ハート」は全英No.1とまさしく大人気だった。 けれども、“流行りもの”という先入観抜きに改めて聴いてみれば見るほど、彼らはメロディに長けていたという印象が強くなるように感じる。つまりは、踊れる音楽でありながら、その重要な中心軸として存在していたのは、作曲のメロディラインであり、それを歌として表現するヴォーカルのよさだったというわけである。無論、その時代の制約とでもいうべき部分は、今の時代から見ればあるかもしれない。けれども、彼らの真髄はダンサブルな面ではなく、じっくり聴けるメロディにあったのだという気がする。[収録曲]1. One More Chance2. What Have I Done to Deserve This?3. Shopping4. Rent5. Hit Music6. It Couldn't Happen Here7. It's a Sin8. I Want to Wake Up9. Heart10. King's Cross1987年リリース。 Pet Shop Boys ペットショップボーイズ / Actually 輸入盤 【CD】 ブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2013年03月15日
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ロック・アーティストとしてのジョー・ジャクソン絶頂期のライブ2枚組 ジョー・ジャクソン(Joe Jackson)の天才奇才ぶりは1枚のアルバムだけでというよりは、作風の違う複数枚を聴いた時に顕著に見えてくる。本盤『ライブ1980-86(Live 1980/86)』は、そのタイトルに記されているように、1980年代にジョー・ジャクソンがイケイケだった時期のライブのベスト・テイクを編んだもので、2枚組計22曲というまとまったボリュームでリリースされたものである(ちなみに輸入盤?には曲数の少ない1枚ものもあるので注意されたい)。 収録されているのは、1980年の『ビート・クレイジー』のツアーから(1枚目1.~6.)、1982~83年の『ナイト・アンド・デイ』(同7.~11.)、1984年の『ボディ・アンド・ソウル』(2枚目1.~5.)の各ツアー、さらには1986年の『ビッグ・ワールド』ツアー(同6.~11.)と、アルバム4枚分のツアーからのテイクが収録されている。 こうしたライブ盤を聴けば、スタジオ作を聴いている時とは、これまた一味違う部分で、彼の天才ぶりがよくわかる。別にスタジオ録音だったらごまかせるという意味でもないのだが、ライブ録音は基本的にその場限りの、放った途端に空中に消えてしまう音である。そこでこれだけのクオリティの演奏ができるというのは、やはり見事というほかない。「音楽は終わってしまうと共に消え去ってしまい、二度とそれを取り戻すことはできない」というのは、エリック・ドルフィー(参考過去記事)が残した、ジャズ界では有名なセリフである。皮肉なことに、その音が消えてなくなるのではなく、レコード(音源)に残されることを示したのもドルフィー自身だったわけだが、ジョー・ジャクソンの本作もこれと同じことを聴き手に想起させる。 ジョー・ジャクソンの多彩さ・非凡さを感じさせる、圧巻と言ってもいい聴きどころの一つは、「奴に気をつけろ(イズ・シー・リアリー・ゴーイング・アウト・ウィズ・ヒム?)」(I-4., 10., II-3.)である。本アルバムには、この同じ曲の異なるヴァージョンが何と3つも含まれている。一つは通常ヴァージョン、もう一つはアカペラ(楽器演奏なし)ヴァージョン、そしてさらにはアコースティック・ヴァージョンというものである。 他に気に入っている曲を挙げ出すときりがなくなってしまうのだが、I-2.「アイム・ザ・マン」、3.「ビート・クレイジー」、8.「フールズ・イン・ラヴ」といったキャリア初期の名曲群から、80年代に入ってからの名盤『ナイト・アンド・デイ』所収のII-5.「スローな曲をかけてくれ」、7.「危険な関係」(その間の6.「ビー・マイ・ナンバー・ツー」も外せない)、11.「ステッピン・アウト」と、見せ場に事欠かない。盛り上がりの10.「ジャンピング・ジャイヴ」も忘れてはいけないし、2枚目の冒頭を飾る、元はデビュー作収録の1.「サンデイ・ペイパーズ」は文句なしのカッコよさ…。 このライヴ盤を出すためにツアーを続けていたのかと思うほど(そんなわけないか…)の迫力と完成度。ライヴの自然流れを楽しみたいという人には、あまり向かない(構成上、どちらかと言えばハイライト的な作りである)かもしれないが、ジョー・ジャクソンと言う人の偉大さに感動・興奮の末に“お見事”という賛辞しか見当たらなくなってしまう、秀逸なライヴ盤だと思う。[収録曲]Disc 11. One to One2. I'm the Man3. Beat Crazy4. Is She Really Going Out with Him?5. Don't Wanna Be Like That6. Got the Time7. On the Radio8. Fools in Love9. Cancer10. Is She Really Going Out with Him? (a cappella version)11. Look Sharp!Disc 21. Sunday Papers2. Real Men3. Is She Really Going Out with Him? (acoustic version)4. Memphis5. A Slow Song6. Be My Number Two7. Breaking Us in Two8. It's Different for Girls9. You Can't Get What You Want ('Till You Know What You Want)10. Jumpin’ Jive11. Steppin’ Out1988年リリース。 ↓以下は、あくまでご参考のベスト盤です(上記の盤ではありません)。 Joe Jackson ジョージャクソン / Stepping Out: Very Best Of 輸入盤 【CD】 【Aポイント+メール便送料無料】ジョー・ジャクソン Joe Jackson / Steppin Out: The Very Best (輸入盤CD)【YDKG-u】 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓ ↓
2013年03月14日
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今日の昼間にアクセス数が330000を超えました。 楽天ブログのトップページ(「Pick up 楽天ブログ」)に載せていただいた効果があったのか、ここ数日とくにアクセスが多くなっています。 この機会に、あらためてお越しの皆様に感謝申し上げると同時に、今後も変わらぬご愛顧をお願いいたします。 ブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2013年03月11日
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スプリングスティーン曲の名カバー(その6) グレッグ・キーン(Greg Kihn)は、ボルチモア出身ながら20代前半にカリフォルニアへ移住。70年代後半からコンスタントにアルバムを出し始め、80年代にいくつかのヒットを出したアーティストで、主にグレッグ・キーン・バンド(The Greg Kihn Band)の名義で活動を展開してきています。 そんな彼のセカンド作に収録された(その後もスプリングスティーンのカバー曲のコンピ盤にもいくつか収録されることになる)のが「おまえのために(For You)」という曲です。西海岸だからということに限らないのかもしれませんが、往年のザ・バーズ(The Byrds)を思わせるような、どこか爽快なカバー・ヴァージョンです。グレッグ・キーンは爆発的なヒットを放ったアーティストというわけですが、どこか安心して聴けるアメリカン・ロックを提供してくれるアーティストではないかと感じています。ちなみに、いきなり志村けんのバカ殿(!?)と思える画像が出てきますが、何を隠そう、収録アルバムのジャケがこれだったりします(笑)。 この曲のオリジナルですが、先日取り上げたマンフレッド・マンの「光で目もくらみ」と同じく、スプリングスティーンのデビュー盤『アズベリー・パークからの挨拶』(1973年)に含まれていた曲です。ボスの同処女作は“第2のディラン”的売り込みを図るレコード会社との関係から本人のやりたいようにやれなかったと言われたりしますが、楽曲単位の素材はすごくよかったとういわけなのでしょう。 ついでですので、スプリングスティーンの後年のバンドでのライヴ演奏の同曲もお聴きください。オリジナルも悪くないのですが、スプリングスティーン自身による演奏としては、個人的には、このライヴ・ヴァージョン(80年代後半の4曲入りミニアルバムに収録)がいちばん気に入っています。ついでですので下のビデオもぜひご覧ください。 [収録アルバム]Greg Kihn / Greg Kihn Again (1977年)Various / Cover Me (コンピ盤、1989年)←グレッグ・キーンのヴァージョン。他の類似のスプリングスティーン・カバー集にも含まれていることがあります。Bruce Springsteen / Live Collection (1988年)←スプリングスティーンによる78年のライヴ・ヴァージョン収録。[関連記事リンク] スプリングスティーン曲の名カバー(その1:ジョン・ウエズリー・ハーディング) スプリングスティーン曲の名カバー(その2:フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド) スプリングスティーン曲の名カバー(その3:ニルス・ロフグレン) スプリングスティーン曲の名カバー(その4:マンフレッド・マン) スプリングスティーン曲の名カバー(その5:ナタリー・コール) スプリングスティーン曲の名カバー(その7:エルヴィス・コステロ) スプリングスティーン曲の名カバー(その8:ジョン・メレンキャンプ) スプリングスティーン曲の名カバー(その9:デイヴ・エドモンズ) スプリングスティーン曲の名カバー(その10:ザ・バンド) ↓グレッグ・キーン・バンドのベスト盤です。 【送料無料】【輸入盤】 Best Of Beserkley 75-84 (Rmt) [ Greg Kihn ] ↓B・スプリングスティーンのライヴ・ヴァージョン収録のミニアルバム。 【送料無料】LIVE COLLECTION 1 [ ブルース・スプリングスティーン ] ブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2013年03月10日
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スプリングスティーン曲の名カバー(その5) ナタリー・コール(Natalie Cole)は、かのナット・キング・コールの実の娘。1975年にデビューし、70年代後半にはヒットも飛ばすものの、その後は麻薬中毒などもあって低迷。そこから復活ののろしを上げたのは、80年代後半のこのヒット曲によってでした。そしてその曲こそが、スプリングスティーンのカバー曲「ピンク・キャデラック」だったというわけです。 まさしく80年代を象徴するかのような、ブラコン、R&B的な、ナタリー・コールのビデオ・クリップをどうぞ。 何でもナタリー・コールはこの曲のヒット時に既に37、38歳といった年齢で、本人的にもこういう若々しい(?)のには最初は抵抗もあったとのこと。ですが、実際この映像を見ると、見事に決まっているのがさすがです。 さて、、元のスプリングスティーンの元バージョンはというと、大ヒット・アルバム『ボーン・イン・ザ・USA』からのシングル曲、「ダンシング・イン・ザ・ダーク」のB面としてリリースされたものでした(後に4枚組アウトテイク集の企画盤『TRACKS』および1枚にまとめた『18 TRACKS』にも収録)。けれども、最初の録音はさらにさかのぼり、その全作にあたる『ネブラスカ』の時にもアウトテイクがあります。この両方と聴き比べてみれば、いかに同じ曲でもアレンジと演奏の違いで別の曲になるのかがよくわかります。 というわけで、蛇足ながらスプリングスティーンの正式バージョン(上)と、アコースティックなアウトテイク・バージョン(下)もついでにご覧ください。 [収録アルバム]Natalie Cole / Everlasting (1987年) ←今回紹介のナタリー・コールのヴァージョンを収録。Bruce Springsteen / 18 Tracks (1999年) ←B・スプリングスティーンによる正式リリース・ヴァージョンを収録。[関連記事リンク] スプリングスティーン曲の名カバー(その1:ジョン・ウエズリー・ハーディング) スプリングスティーン曲の名カバー(その2:フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド) スプリングスティーン曲の名カバー(その3:ニルス・ロフグレン) スプリングスティーン曲の名カバー(その4:マンフレッド・マン) スプリングスティーン曲の名カバー(その6:グレッグ・キーン) スプリングスティーン曲の名カバー(その7:エルヴィス・コステロ) スプリングスティーン曲の名カバー(その8:ジョン・メレンキャンプ) スプリングスティーン曲の名カバー(その9:デイヴ・エドモンズ) スプリングスティーン曲の名カバー(その10:ザ・バンド) 【Joshin webはネット通販1位(アフターサービスランキング)/日経ビジネス誌2012】【after20130308】アンフォゲッタブル/ナタリー・コール[CD]【返品種別A】【送料無料】18 TRACKS ? The Best [ ブルース・スプリングスティーン ] ブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2013年03月09日
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“母語”で歌うということ ふだん私たちの多くは“母語”と“国語(母国語)”の違いなんて気にしない。いまの日本に暮らしていたら、(実際にはそういう人が国内にいるにもかかわらず、全体から見れば明らかに少数派なせいか)母語も日本語であれば、国語(母国語)も自動的に日本語と感じているからだろう。でも、国や時代によっては、もちろんそれらがイコールで結ばれるというわけではない。スペインのシンガー、ジョアン・マヌエル・セラー(Joan Manuel Serrat)のこのアルバムを聴くと、そういう複雑な思いに駆られたりする。 ジョアン・マヌエル・セラーは、スペインのバルセロナ出身のシンガーソングライター。昨今はカタルーニャ地方の独立運動も報道されたりしているので、ご存じの方も多いだろうけれど、バルセロナで多くの人たちが話しているのはいわゆるスペイン語(別名カスティーリャ語)ではなく、地元独自の言語のカタルーニャ語である。とはいえ、少々現代史をさかのぼってみると、カタルーニャ語はある時期まで公の場での使用を禁じられていた。フランコ独裁体制というと古いことのように聞こえるかもしれないけれど、時期的に言えば、日本での“戦後”を含む。現行のスペインの国家体制が整ったのは1970年代半ば~後半、つまりは、今の40歳代~50歳代ぐらいの世代が子供の時には古い体制だったわけで、学校教育を含めオフィシャルな言語はスペイン語が強制された。実は筆者にもバルセロナ出身の友人が何人かいるのだけれど、彼らは見事にバイリンガルである(とはいっても、スペイン語とカタルーニャ語は逐語訳可能なほど似ている)。ところが世代が下がり、いま20代以下ぐらいの若者世代になると、スペイン語強制がなかったため、カタルーニャ語の方が喋れる(スペイン語が自在に操れるわけではない)という人が多くなるらしい。 そんな経緯を考えながら、セラーのこのアルバムを聴くと、なんとも言えぬ感慨深さがある。1943年生まれで、1960年代後半から音楽活動を本格化させ、1971年には「地中海(メディテラネオ)」(動画はこちら)もヒットさせている。とはいえ、活動初期にはカタルーニャ語で歌うことを当局から制限されたりした。 オープニング・ナンバーの1.「20 de març(3月20日)」(読み方は「ヴィン・デ・マルス」??―カタルーニャ語の読み方がよくわからないので原語表記お許しを!)からして何とも母語で詞を紡ぐ爽やかさが感じられる。他に特に印象に残る曲としては、ふだん歩く道の光景を元に歌った4.「El meu carrer(我が道)」(「アル・メウ・カレール」??)、1.と同様の爽快さがどこかに残る5.「ボン・ディア(おはよう)」あたりが個人的には気に入っている。 背景抜きに聴けば、ふつうにシンガーソングライターが歌っているだけに聞こえるのかもしれない。音楽を背景で聴くことは、本質的にはあまり必要ないとは思っているし、聴き手それぞれの受け止め方があっていいのだろう。とはいえ、上で述べたような歴史の波にのまれ、その中で育まれたり浮かんできたりしたものは、多少違った部分もあるのかもしれないとも思わされる。 余談ながら、どうやって調べたのかは知らないけれど、本盤は“カタルーニャ外でいちばん聴かれているカタルーニャ語のアルバム”なのだとか。まあ確かに、日本でもアマゾンぐらいなら入手できそう(といっても新品5千円!というのは高すぎるけど)なので、有名カタルーニャ語盤であることは間違いないのだろう。[収録曲]1. 20 de març2. Els veremadors3. Conillet de vellut4. El meu carrer5. Bon dia6. Cançó per a en Joan Salvat-Papasseit7. Quasi una dona8. Temps de pluja9. Adéu, adéu amor meu i sort10. Mare Lola1970年リリース。 ↓別盤ですが、いくつかのカタルーニャ語曲を含むライヴ盤です。 Joan Manuel Serrat / Serrat Sinfonico 輸入盤 【CD】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2013年03月08日
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INDEXページ(ジャンル別、アーティストのアルファベット順)を更新しました。ここ最近の記事を追加しています。 INDEXページへは、下のリンク、もしくは本ブログの右欄(FreePage欄)からお入りください。 アーティスト別INDEX~ジャズ編へ アーティスト別INDEX~ロック・ポップス編(A-L)へ → 2つに分かれています。つづき(M-Z)はこちらです。 アーティスト別INDEX~ラテン系(ロック・ポップス)編へ アーティスト別INDEX~邦ロック・ポップス編へ下記ランキングに参加しています。応援くださる方は、各バナー(1つでもありがたいです)をクリックお願いします! ↓ ↓ にほんブログ村 : 人気ブログランキング:
2013年03月06日
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スプリングスティーン曲の名カバー(その4) しばらく間が空いてしまいましたが、ボスの曲のカバーを動画とともにお伝えするシリーズの第4回目。今日はマンフレッド・マンズ・アース・バンド(Manfred Mann's Earth Band)の登場です。 マンフレッド・マンズ・アース・バンドは、1971年に結成された英国のプログレッシヴ・ロック/ジャズ・ロックのバンド。そんな彼らの代表曲としても知られる1976年のヒット曲が、「光で目もくらみ(Blinded By The Light)」というナンバーです。 彼らが演奏したこの曲は、全米およびカナダで1位、UKチャートでも6位のシングル・ヒットとなりました。ですので、彼らの曲としての方がむしろ有名かもしれません。でも、実はこの曲はブルース・スプリングスティーンのファースト・アルバム(1973年)に収められていたナンバーでした。スプリングスティーンの同アルバムはさして売れなかったわけですが、マンフレッド・マンが目をつけ、ヒットさせました(ちなみに、彼らは同アルバムから「夜の精(Spirit in the Night)」や「おまえのために(For You)」もカバーしています)。マンフレッド・マンズ・アース・バンドのリリース当時のライヴ映像をどうぞ。 元のスプリングスティーンのヴァージョンはアコースティックを生かしながらシャッフルした雰囲気の、フォーク・ロック的なアレンジの演奏だったのですが、このバンドのカバーによって、見事にドライヴ感のあるロック・ヴァージョンに化けました。結果、シングルとしても大ヒットしたというところでしょうか。[収録アルバム]Manfred Mann’s Earth Band / The Roaring Silence(静かなる叫び) (1976年)その他、ベスト盤類にも収録[関連記事リンク] スプリングスティーン曲の名カバー(その1:ジョン・ウエズリー・ハーディング) スプリングスティーン曲の名カバー(その2:フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド) スプリングスティーン曲の名カバー(その3:ニルス・ロフグレン) スプリングスティーン曲の名カバー(その5:ナタリー・コール) スプリングスティーン曲の名カバー(その6:グレッグ・キーン) スプリングスティーン曲の名カバー(その7:エルヴィス・コステロ) スプリングスティーン曲の名カバー(その8:ジョン・メレンキャンプ) スプリングスティーン曲の名カバー(その9:デイヴ・エドモンズ)スプリングスティーン曲の名カバー(その10:ザ・バンド) 【送料無料】【輸入盤】 Roaring Silence (Remaster +bonus Track) [ Manfred Mann's Earth Band ] Manfred Mann's Earth Band マンフレッドマンズアースバンド / Blinded By The Light & Other Hits 輸入盤 【CD】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2013年03月05日
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ケニー・バロンを迎えた円熟のアドリブ 60歳代半ばという円熟のリー・コニッツ(Lee Konitz, アルトサックス)が、ケニー・バロン(Kenny Barron, ピアノ)を含むカルテットで1992年に吹き込んだのが、この『ジャズ・ノクターン(Jazz Nocturne)』というアルバム。収録曲のリストを見ても、スタンダードがずらっと並び、甘~い感じすらする。とはいえ、このメンバーでこれだけの演奏が記録されたのも、ヴィーナス・レコードの企画力が発揮されたと言ったところだろうか。 一般論として、リー・コニッツについては、往年の演奏を聴く場合、かつての彼の小難しい部分に期待すると裏切られる。というのも、ある時期から、リー・コニッツの演奏というのは、“一般人”にも理解しやすいようなスタイルに変化したからだ。けれども、現役で残る白人アルトの第一人者コニッツのよさは、このアルバムで十分に発揮されていると思う。その理由は、ただメロディ・ラインを甘く美しくやっているわけではないからだろう。こういう企画ものだと、無難に冒険なく演ろうとする可能性も、リー・コニッツの立場としてはあり得なくはなかったはずだ。だが、コニッツは企画にうまく乗っていきながらも、“アドリブをメロディアスに”という明確なコンセプトをもって、わかりやすくはあるが実にオリジナルな演奏に臨んだと言えそうな気がする。 いくつか筆者が気に入っている曲の演奏から、この徹底ぶりを考えてみたい。1.「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ」は、例えばレッド・ミッチェルとのデュエット盤『アイ・コンセントレイト・オン・ユー』(1974年録音)でも演奏されている。同作では消え入りそうな音色で切なく歌いあげる(そのリリカルで内に秘めた温かさみたいなのも筆者は好きなのだけれど)。それに対し、本盤での同じ曲の演奏は実に思い切りよく堂々としてる。堂々としながらも、それが迎合的ではないのがいい。大衆迎合に陥っていないのは、ある種の“信念のある割切り”によるように思われる。3.「アローン・トゥギャザー」の演奏なんかもまったくこのことが当てはまると思う。チャーリー・ヘイデン、ブラッド・メルドーと吹き込んだ別のヴァージョン(こちらの盤に収録)もより情緒感いっぱいでいいのだけれど、ここでのオープンに包み込もうとする「アローン・トゥギャザー」の吹っ切れ方はどこか爽快にすら思える。 さらに、他のスタンダード・ナンバーにも興味をそそられるものが多い。5.「身も心も(ボディ・アンド・ソウル)」なんかは、これまたベタなほどに哀愁たっぷりにサックスで歌い上げる。そのベタさ加減は、きっと一定レベルを超えると“迎合的”として飽きられてしまうのかもしれないが、筆者はここでの演奏はその手前でうまくコントロールされているのかもと思ったりしている。同じく7.「イン・ア・千ティメンタル・ムード」なんかも同様で、絶妙の思い切り具合が結局は聴き手をうまく引き込んでいく出来になっていると思う。 ヴィーナスの録音の“きらきら具合”は確かに賛否が分かれるところなのかもしれない。とはいえ、ケニー・バロン(このピアノは確かに例のきらきら感が結構感じられる)の安定度に支えられながら、コニッツのサックスそのものはこれぞ主役とばかり聴き手の耳に入ってくるような音作りになっているように思う。上で触れた“信念ある割り切り加減”も、半分はこの音作り、もう半分はそれをわかって演奏したコニッツの名役者ぶりによるのかな、と考えてみたりもする。[収録曲]1. You’d Be So Nice To Come Home To2. Everything Happens To Me3. Alone Together4. Misty5. Body And Soul6. My Funny Valentine7. In A Sentimental Mood[パーソネル、録音]Lee Konitz (as)Kenny Barron (p)James Genus (b)Kenny Washington (ds)1992年10月5日、ニューヨーク録音。 【送料無料】ジャズ・ノクターン [ ザ・リー・コニッツ・カルテット feat.ケニー・バロン ] 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2013年03月03日
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テナー・サックス奏者の“密室会議”(後編) 1950年代半ばにジャズ界の有望テナー奏者4人が競演したプレスティッジのセッション盤『テナー・コンクレイヴ(Tenor Conclave)』。前編に続き、この後編では少し中身に入った話をしてみたい。 4人のテナー奏者の聴きわけがちゃんと全部できるのかと言えば、筆者も心もとない部分がある。とはいえ、表題曲1.の冒頭からして四者四様の音を出していることは、初めて聴いた人にもすぐわかることだろう。同じ1人の演奏家が出す音を5分、10分(あるいはそれ以上の時間)と聴き続けるのに比べ、立ち代わり入れ替わりで音が変化するわけで、仮によくわからなくてもそれはそれで楽しめるのではないだろうか。1.「テナー・コンクレイヴ」についてのみ、原盤のライナーに沿って演奏順序を整理しておこう。 イントロ(8小節=各2小節): モブレー→コルトレーン→シムズ→コーン アンサンブル後(8小節=各2小節): 上と同じ順序 ソロ(各3コーラス): モブレー→シムズ→コーン→コルトレーン(その後、ガーランド2コーラス→チェンバース2コーラス→テイラー1コーラスが続く) 最期のテーマ前(4バー・チェンジ): 1コーラス目をモブレーとコルトレーン→2コーラス目をコーンとシムズ 若いミュージシャンたちによるアドリブの腕しらべ的セッションは、プレスティッジならではの企画であった。しっかり準備された録音ではなく、ある意味で行き当たりばったりのこうしたセッションは、ブルーノートの十全に準備された録音とは、(どちらがいいとかではなく)違った魅力がある。もちろん、こうしたバトル的なセッションに明確なリーダーがないと、下手をすれば単なる自己主張のぶつかり合いになりかねない。にもかかわらず、本盤には安定した部分がある。その安定感は、おそらくはリズム・セクションに負う部分が大きいのだろう。ピアノにレッド・ガーランド、ベースにポール・チェンバース、ドラムにアート・テイラーというレギュラーのトリオ(こちらの過去記事参照)である。 近頃2分割ですっかり話が長くなってしまいがちなのは反省だが、ともあれ、ヴァチカンのお偉方もしかめっ面で新教皇を選ぶのだろうから、たまにはしかめっ面で“コンクラーヴェ=根比べ”というのも悪くないといったところだろうか(笑)。[収録曲]1. Tenor Conclave2. Just You, Just Me3. Bob’s Boys4. How Deep Is The Ocean[パーソネル・録音]Hank Mobley, Al Cohn, Zoot Sims, John Coltrane (ts)Red Garland (p)Paul Chambers (b)Art Taylor (ds)1956年9月7日録音。 Hank Mobley/Al Cohn/John Coltrane/Zoot Sims / Tenor Conclave 輸入盤 【CD】下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2013年03月01日
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